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(その1からの続き、引用記事は再掲)【こまや竹馬、おはじきなど、昔ながらの遊びに興じる子どもたちの笑顔や歓声が日常の風景から消えて久しい。韮崎市立韮崎小学校が50人の1年生児童を対象に、祖父母から昔の遊びの楽しみ方を教わる交流会を授業中に開くと聞き、25日に同校を訪ねた。(中略)宮崎幸人さん(64)=甲府市=が木製こまを手に取り、ひもをぐるぐると巻いていく。集まった5人の児童がのぞき込む。初めは渦巻きをうまく作れなかった女児も、要領を得てこまを回すことまでできるようになると、「やったー」「できたー」と歓声を上げ、宮崎さんも笑顔で応えていた。(中略)経験者以外に、今回の授業時間だけで竹馬を乗りこなすことができた児童は見あたらなかったが、助言をのみ込もうとする児童たちの真剣な表情を見て、たくましさを感じた。交流会終了時の終わりの会で、ある男児は「竹馬で1歩歩けるようになった」と胸をはった。(中略)青柳凜(りん)さん(7)は「お手玉が22回もできた」と満足そうだった。 昔ながらの遊びは子どもの成長に効果的だ。お年寄りがその先生役を務めてくれたら、子どもたちはその知見に驚き、一層の親しみを覚えるだろう。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年1月28日) そんな、素晴らしい魅力をもったあそびが、ほんの数十年程度の間で、廃れさせてしまったことの、問題点を解明することは、その原因を作ったおとなたちの、責務となるだろう。再び「昔のあそび」を復興することは、かなり難しい課題ではあるが、ごくシンプルな条件をつくれば可能となる。 それは、こどもたちのあそびをとりまく条件、すなわち「あそびの三間(さんま)」と呼ばれる、あそび時間・あそび空間(あそび場)・あそび仲間を、昔のような水準に戻すだけでいいのだ。あそびの三間を昔のような水準に戻すのは、第四の間である、世間としての、おとなたちの役割なのだ。 記事のような「昔ながらの遊び」を教える取り組みは、昔のようなあそびの三間がそろうまでの取り組みとしての必須条件だ。こうした大切な取り組みに、携わっておられる皆さん方の、誠意と熱意に応える意味でも、一刻も早く、あそびの三間を本格的に取り戻す活動が望まれているのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.31
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【こまや竹馬、おはじきなど、昔ながらの遊びに興じる子どもたちの笑顔や歓声が日常の風景から消えて久しい。韮崎市立韮崎小学校が50人の1年生児童を対象に、祖父母から昔の遊びの楽しみ方を教わる交流会を授業中に開くと聞き、25日に同校を訪ねた。(中略)宮崎幸人さん(64)=甲府市=が木製こまを手に取り、ひもをぐるぐると巻いていく。集まった5人の児童がのぞき込む。初めは渦巻きをうまく作れなかった女児も、要領を得てこまを回すことまでできるようになると、「やったー」「できたー」と歓声を上げ、宮崎さんも笑顔で応えていた。(中略)経験者以外に、今回の授業時間だけで竹馬を乗りこなすことができた児童は見あたらなかったが、助言をのみ込もうとする児童たちの真剣な表情を見て、たくましさを感じた。交流会終了時の終わりの会で、ある男児は「竹馬で1歩歩けるようになった」と胸をはった。(中略)青柳凜(りん)さん(7)は「お手玉が22回もできた」と満足そうだった。 昔ながらの遊びは子どもの成長に効果的だ。お年寄りがその先生役を務めてくれたら、子どもたちはその知見に驚き、一層の親しみを覚えるだろう。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年1月28日) この記事は、いわゆる「昔あそび」が廃れてしまったのは、けっして、それらのあそびが、面白くなかったわけではないことを、物語っている。そして、それは、韮崎小学校の取り組みだけではないことも明らかだ。なぜなら、面白くないあそびが、何世紀もの年月を越えて、あそび続けられるわけがないからだ。 この記事の注目点はまだある。それは、「コマ回し」「竹馬」「お手玉」など、あそぶための技術が必要な技術系のあそびは、あそび始めは当然難しい。だから、あそびができるようになるまでに、一定の苦労と、短くはない時間が不可欠となる。 しかし、その苦労を乗り越えたからこそ、記事のように、「やったー」「できたー」と歓声をあげるほど、こどもたちを魅了する。そして、その喜びの実感は、こどもたちの自信と確実に結びつく。そして、その自信は、あそび以外のことへのチャレンジ精神をも、着実に育むのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.30
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我パソコンは、24日に基本的に復活したが、その後残っていた、ハードをインストールしたところ、シャットダウンの不具合が起こった。どうも、既存のディスプレーと競合しているようで、何とかしようと、いろいろ試みたが、結局うまくいかなかった。 仕方なく、追加ハードは当面必要としていないので、ハードを無効にすることにした。機会があれば、もう少し勉強をしてから、再インストールを試みることとする。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.29
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(その2からの続き、「スポーツ立国戦略」を文部科学省のサイトからの引用部分は再掲)【スポーツ立国戦略 -スポーツコミュニティ・ニッポン-平成22年8月26日 文部科学省(中略)1.ライフステージに応じたスポーツ機会の創造(1)総合型地域スポーツクラブを中心とした地域スポーツ環境の整備(中略) 6)グラウンドの芝生化の推進 緑豊かなグラウンドで楽しく安全にスポーツに親しめる環境を創り出すため、学校や地域の実態に応じてグラウンドの芝生化を支援する。(中略)(2)ライフステージに応じたスポーツ活動の推進 1)幼児期・学童期の運動・スポーツ指針の策定 子どもに目安をもって運動やスポーツに取り組む習慣を身に付けさせるために、幼児期・学童期の運動・スポーツ指針を策定し、体力向上のために具体的な運動量などの目標値を示す。 2)子どもの体力向上に向けたスポーツ機会の充実等の取組の推進昭和60年頃から長期的に低下傾向にある子どもの体力を上昇傾向に転じさせ、昭和60年頃の水準に回復させることを目指し、教育委員会や学校等における「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」に基づく子どもの体力向上のための取組を支援するとともに、保護者向けの啓発事業等を実施する。また、運動・スポーツ指針に則った子どものスポーツ機会を確保するため、総合型クラブやスポーツ少年団と連携し、放課後子ども教室や放課後児童クラブ(「学童保育」)等における活動の中で、子どもに運動やスポーツに親しむ機会を提供する取組を支援する。(中略)(3)学校における体育・運動部活動の充実 1)「小学校体育活動コーディネーター(仮称)」の配置(中略) 3)新学習指導要領の円滑な実施による体育授業の充実小・中学校の体育・保健体育の授業時数の増加や、小学校低学年からの体つくり運動の実施、中学校における武道・ダンスの必修化など、新学習指導要領を円滑に実施できるよう、必要な条件整備を行う。特に、平成24年度からの中学校における武道・ダンスの必修化に向けて、必要となる施設・用具・指導者の充実を図る。また、子どもの体力の低下傾向や、積極的に運動する子どもとそうでない子どもに二極化している傾向を踏まえ、スポーツ医・科学を活用し、心身の発達段階に応じた指導の充実を図る。】(【】内は文部科学省のサイトから一部引用、2011年1月26日現在) 次に、「幼児期・学童期の運動・スポーツ指針の策定」だが、確かにそうした指針は必要だとは思うが、「体力向上のために具体的な運動量などの目標値」を持たされてスポーツするのでは、もはや純粋なスポーツ、少なくとも一般庶民やこどもたちが、楽しむスポーツとは無縁だと言わざるを得ない。スポーツは、自主的にやってこそ、楽しくもあり長続きもするのだ。 なお、「幼児期・学童期」のこどもたちにとっては、「戦略」が軽視する外あそびこそ、そのあそび時間の量的目標を持って、しかも自由にあそばせることが大切なのだ。この外あそびの充実は、おそらくトップアスリートさえも生み出す、「スポーツ立国」の大きな土台となるだろう。 こどもの外あそびの充実を実現する上で、「スポーツ立国戦略」で見過ごせないのは、「小・中学校の体育・保健体育の授業時数の増加や、小学校低学年からの体つくり運動の実施、中学校における武道・ダンスの必修化など、新学習指導要領を円滑に実施できるよう、必要な条件整備を行う。」の一節だ。 ここに言う「新学習指導要領」は、「ゆとり教育?」の「見直し?」と称して、策定されたものだ。それは、こどもたちにあそぶゆとりさえ与えなかった「ゆとり教育」の、正しい見直しではなく、単に削った授業時間数を増やしたことに尽きると言っても、過言でないような、お粗末なものだ。 当然、その一環としての「小・中学校の体育・保健体育の授業時数の増加」では、こどもたちの体力を「昭和60年頃の水準に回復させること」は難しい。そればかりか、「ゆとり教育」の時代よりも、さらに外あそびの時間を、こどもたちから奪いかねない恐れも大だ。 さらに、「積極的に運動する子どもとそうでない子どもに二極化している傾向」を、ますます加速する危惧さえ生み出す。外あそびが、昔の、少なくとも高度経済成長期以前の、状況に戻せば、こどもたちは外あそびの中で、「積極的に運動する」だろう。そして、こどもたちの自らの意思で、運動の「二極化」を克服していくだろう。 今回の「スポーツ立国戦略」において、こどもたちの外あそびが軽視されたことは、この戦略の根本的な汚点となるだろう。なお、スポーツとは、人類が長い歴史の中で、生み出してきた遊び文化のひとつの集大成であり、その観点で言えば、こどもたちの「外あそび」は、最も自主的なスポーツの典型的な姿なのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.28
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【菊川委員】 1点申し上げたいと思います。 先ほど岡島副分科会長から自然体験の話が出てましたけれども、同じような観点で、外遊びについての記述がどこかに入れられないかという意見でございます。本文の7ページに幼児期・学童期の運動・スポーツ指針の策定ということが書いてありますけれども、すべての子どもたちの体づくりの土台は、幼児期からの遊びとか、体を動かすという中でつくられているのではなかろうかと思います。そういうことを親や世間に啓発する意味でも、また外遊びが大変減ってきておりますので、スポーツと体を動かして遊ぶということの関連を、どこかで触れていただけるとありがたいと思います。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/文部科学省:2011年1月21日) さて、上記記事の議論の対象となっている「スポーツ立国戦略」を、文部科学省のサイトから、ごく一部ではあるが、下記に引用しておく。【スポーツ立国戦略 -スポーツコミュニティ・ニッポン-平成22年8月26日 文部科学省(中略)1.ライフステージに応じたスポーツ機会の創造(1)総合型地域スポーツクラブを中心とした地域スポーツ環境の整備(中略) 6)グラウンドの芝生化の推進 緑豊かなグラウンドで楽しく安全にスポーツに親しめる環境を創り出すため、学校や地域の実態に応じてグラウンドの芝生化を支援する。(中略)(2)ライフステージに応じたスポーツ活動の推進 1)幼児期・学童期の運動・スポーツ指針の策定 子どもに目安をもって運動やスポーツに取り組む習慣を身に付けさせるために、幼児期・学童期の運動・スポーツ指針を策定し、体力向上のために具体的な運動量などの目標値を示す。 2)子どもの体力向上に向けたスポーツ機会の充実等の取組の推進昭和60年頃から長期的に低下傾向にある子どもの体力を上昇傾向に転じさせ、昭和60年頃の水準に回復させることを目指し、教育委員会や学校等における「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」に基づく子どもの体力向上のための取組を支援するとともに、保護者向けの啓発事業等を実施する。また、運動・スポーツ指針に則った子どものスポーツ機会を確保するため、総合型クラブやスポーツ少年団と連携し、放課後子ども教室や放課後児童クラブ(「学童保育」)等における活動の中で、子どもに運動やスポーツに親しむ機会を提供する取組を支援する。(中略)(3)学校における体育・運動部活動の充実 1)「小学校体育活動コーディネーター(仮称)」の配置(中略) 3)新学習指導要領の円滑な実施による体育授業の充実小・中学校の体育・保健体育の授業時数の増加や、小学校低学年からの体つくり運動の実施、中学校における武道・ダンスの必修化など、新学習指導要領を円滑に実施できるよう、必要な条件整備を行う。特に、平成24年度からの中学校における武道・ダンスの必修化に向けて、必要となる施設・用具・指導者の充実を図る。また、子どもの体力の低下傾向や、積極的に運動する子どもとそうでない子どもに二極化している傾向を踏まえ、スポーツ医・科学を活用し、心身の発達段階に応じた指導の充実を図る。】(【】内は文部科学省のサイトから一部引用、2011年1月26日現在) この「スポーツ立国戦略」の全文をざっと見渡したところ、残念ながら「菊川委員」の提案は実らなかったようだ。(万が一、私の見落としがあったとしても、気づかない程度の扱いだ。)このことへの大きな失望の意をここに記して、引用部についての私見をつづり、あらためて「こどものあそび」の大切さを論じることとする。 まず、最近ブーム?になりつつある「グラウンドの芝生化の推進」についてだが、校庭やグランドの芝生化(以下「芝生化」と略記)自体の是非はさておき、政府の言う「緑豊かなグラウンドで楽しく安全にスポーツに親しめる環境を創り出す」ことに、成功するかどうかは疑問がある。 確かに、「芝生化」によって、幾つかのスポーツは、「楽しく安全に親しめる」かも知れないが、芝生では難しいスポーツもある。それに、「石けり」「字掘り」「山崩し」「ビー玉」など、少なくないこどもたちのあそびも難しくなる。少なくとも、校庭の全面を「芝生化」することは避ける方が賢明だ。 さらに、今のこどもたちの「スポーツ離れ」は、決して学校に「緑豊かなグラウンドで楽しく安全にスポーツに親しめる環境」が無かったからではないのは、土のグランドで過ごした、昔のこどもたちの様子を見れば歴然だ。「芝生化」が、きっかけとはなっても、根本的な要因を解明しなければ、大きな無駄使いとなりかねないだろう。(その3に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.27
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政府の審議会は、こんな話もしているのかと、思わせる記事があった。特に、目が留まったごく一部分だけを引用しておく。なお、記事は文部科学省の中央教育審議会の議事録だ。【菊川委員】 1点申し上げたいと思います。 先ほど岡島副分科会長から自然体験の話が出てましたけれども、同じような観点で、外遊びについての記述がどこかに入れられないかという意見でございます。本文の7ページに幼児期・学童期の運動・スポーツ指針の策定ということが書いてありますけれども、すべての子どもたちの体づくりの土台は、幼児期からの遊びとか、体を動かすという中でつくられているのではなかろうかと思います。そういうことを親や世間に啓発する意味でも、また外遊びが大変減ってきておりますので、スポーツと体を動かして遊ぶということの関連を、どこかで触れていただけるとありがたいと思います。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/文部科学省:2011年1月21日) 実は、上記記事は、このたび国により策定された、「スポーツ立国戦略」の、まだ案だった時期の、主にその案について議論された、スポーツ・青少年分科会(第57回)の議事録だ。ともかく、「スポーツ立国」の是非はともかく、幼児期・学童期のスポーツ政策や、こどもたちの体力向上にとって、菊川委員の提案には、大いに賛同できる。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.26
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【モンゴルの暮らしぶりなどを紹介する「きて・みて・きいて まるごとモンゴルお正月」が16日、豊岡市但東町中山の日本・モンゴル民族博物館であった。(中略)また、会場では民族衣装の試着や「シャガイ」と呼ばれる動物の骨を使ったさいころ遊びの体験があった】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/神戸新聞:2011年1月17日) この記事で、興味を持った「シャガイ」をネット検索でいろいろ調べてみると、記事の「さいころ遊び」だけでなく、「おはじき」や「お手玉」のようにしても、あそばれているそうだ。 私は、日本の「伝承あそび」と呼ばれている、「お手玉」「おはじき」「ビー玉」「メンコ」は、全て同じルーツのあそびであったと考えている。おそらく、石ころ・木の実・骨片などを使って、あそんでいたものが、新しい素材の出現や加工技術の進歩などにより、様々に変化していったのだろう。 例えば、泥面子(どろめんこ)と呼ばれている、今のメンコのルーツとなるアイテムだが、今の「おはじき」や「ビー玉」と似たようなあそびをしていたが、泥面子は凹凸の模様のある表と、それのない裏とが区別できるので、相手の泥面子を裏返してあそぶあそび方が生まれ。それが、現在のメンコに引き継がれる。 その一方で、ガラス製のビー玉が製造されるようになり、泥面子のあそび方から、ビー玉あそびが分離する。同様に、ガラス製のおはじきに出現により、泥面子のおはじき的あそび方が固定化する。要するに、それ専用のアイテムの出現(採用)により、あそびが分化するのだ。意外なところでは、昔の「まり」のあそび方は、「お手玉」のようにあそぶ「あげまり」だったのだが、よく跳ねる「まり」の出現により、「まりつき」と言うあそび方が生まれたと言われている。 これらの、あそびと、あそびのアイテム(おもちゃ)の変化は、あそび継がれる中での変化だ。こどもたちの工夫、時にはおとなの発案で、時代の変化により生み出される、新素材を巧みに、既存のあそびに組み入れることにより、新しいあそびとおもちゃが創りだされてきたのだ。 そして、それはゲーム機などがつくだすような、バーチャルな「もの?」であそぶのではなく、石や骨やガラスなどの実体を用いてあそんできたからこそ、前記のようなあそびとおもちゃが、生まれてきたのだ。ゲーム機などのあそびも確かに面白いが、それだけに偏りすぎると、このあそびの持っている創造力を摘んでしまうのではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.25
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パソコン復活作業は、いよいよ各種ソフトのデータの移行作業となるが、これがまた大変で、再インストールしたソフトは、基本的には初期設定の状態なので、データとの関連付けが必要となる。もっとも、ソフトによっては、復元データをそのまま移行させればいいのだが、そうではないソフトも結構多いのだ。ともかく、悪戦苦闘しながらも、当面必要なデータ移行は、なんとか終了した。 かくて、我クラッシュパソコンは、数日間の初心者による、苦労の多かった復元作業を終え、元通りとはいかないまでも、クラッシュ前の日常を取り戻すことができた。教訓として、多少の投資はしても、内蔵HD以外のハードにバックアップをとっておくこと、リカバリーソフトなどの購入したソフトおよびそのプロダクトキーやユーザー登録内容の保存など、この間の作業で得たものは少なくない。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.24
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パソコン復活作業は、いよいよ愛用ソフトと周辺機器のインストールへと移る。ここで、問題となるのは、この間の基本OSのWindows XPのバージョンアップにともなう変更と、各種ドライバーも変更に、対応させる作業がある。 これは、ソフトや周辺機器のサイトから、必要なものを活用することで対応できた。それでも、ソフトと周辺機器の数だけ、その作業を繰り返さなければならないので、これまた一日仕事となった。(その6に続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.23
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今日は、パソコンのリカバリーに取り組むこととなったが、まずは取り外していたHDをパソコンに取り付ける作業に入る。この作業の留意点は、HD取り外しのために、一旦抜いていた諸配線を元通りにすることだが、事前にデジカメで配線の様子を撮っていた画像を元に作業は、滞りなく終わる。 いよいよ、リカバリー作業に入る。ここで心配だったのは、リカバリーCDがうまく動くかどうかだったが、どうやら無事にリカバリーが終了したようだ。しかし、これからの作業も時間がかかるのだ。リカバリーといっても、パソコンにはまだ出荷時のソフトしかインストールされていなっておらず、さらに、Windows XPのバージョンアップが必要なのだ。 しかも、我PCは2002年発売のもの(よくここまで持ちこたえてくれたものだ。)で、Service Pack 2、Service Pack 3へと順次、バージョンアップしなければならないので、この作業も長時間におよぶこととなる。本日の作業は、この基本ソフトのバージョンアップで終了となる。(その5に続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.22
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HDデータの復元作業は、数時間にもなった。ともかく、ほぼ全てのフォルダとファイルは、パソコン内蔵HDから、外付けHDに復元された。さらに、別のHDに、その復元データをバックアップしておくこととした。これで、作業でのミスによる事態に備えられるので、元のパソコンにデータを移す作業を、心配なく追行することができる。(データの復元には、下図のソフトを使用した。) かくて、パソコン復活作業は、次の段階のリカバリーCDによる、パソコンを購入時の状態に戻す作業に移った。(その4に続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.21
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今日、近くの家電量販店に、適当なDATA復元ソフトが無かったので、一刻も早くパソコンを蘇らせたかったので、ソフトをダウンロードして買い求めることとした。そのソフトは、「ファイナルデータ9.0プラス特別復元版」で、下図の商品リンクは、そのパッケージ版だ。 早速、試してみると、一覧の画面に、本当に懐かしい?フォルダ名が並んでいるのを見て、ホッとした。ただ、最近のパソコンの内蔵HDの容量は大きいので、今日中には復元が不可能なので、本格的作業は、また一日伸びることとなった。(その3に続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.20
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クラッシュしていた我パソコンが、1月24日に、なんとか基本的な機能を取り戻したが、今日に至るまでの初心者の悪戦苦闘を連載していく。なお、当記事は19日に遡って書き始めていきます。 今日、パソコンからハードディスクをはずして、外付け扱いにするツールで、ノートパソコンにつないで見ると、Cドライブがクラッシュしていることが分かった。このままでは、蓄積していたデータが全滅になってしまうので、復元可能か修復ソフトの試用版を試してみたところ、かなりのファイルが救出できそうなので、明日以降、該当ソフトを使って修復を試みることとする。 大事なデータは有る程度はバックアップをとっているので、最悪の事態はさけられたのだが、被害を軽減するためには、少しばかりの投資は致し方がないだろう。なお、今回内蔵HDを外付けHDにするために使用したのは、以下のシリアルATA・IDE→USB2.0変換アダプターUSB・SATA40Bだ、パソコンの買い替え時にも内蔵HDを活用できるので、妥当な投資かも知れない。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.19
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本日、以前から調子のおかしかったメインパソコンがついに、ダウンしてしまった。ご主人様が、嘔吐下痢症から回復の兆しを見せ始めた矢先のこの状況、何とも致し方がない。よって、本ブログも、しばらくあそび関連のエッセイを中断して、このパソコンを襲った災難の顛末をつづっていく。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.18
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【15日付夕刊の句の季語は「竹馬」でした。「高足(たかあし)」「鷺足(さぎあし)」とも呼ばれるようです。どの季節にも遊べそうな気がしますが、冬の季語になっています。もともとは川を渡るときや降雪の際に使われる生活用具だったそうで、そんなところから冬のものという意識が定着したのではないでしょうか。(中略)その日の天候で遊びを決めた子ども時代には、意識こそしていませんでしたが、季語があふれていました。 外で遊ぶ子ども自体をあまり見ない昨今。暖かく、安全な室内に取り込むだけでなく、周りにも目を向けるよう、意識して導くことも必要になってきているのではないかと思います。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2011年1月15日) このブログでも以前に取り上げたが、今のこどもたちのあそびから、どんどん季節感が無くなっていると指摘してきたが、上記記事は、そのことをあらためて教えてくれる、俳句の世界からの「告発」となっている。冬の季語になっているあそびを見る機会が減ったのは、温暖化のせいではない。 記事が指摘しているように、まさに「外で遊ぶ子ども自体をあまり見ない」からに他ならない。そして、それは冬だけの話ではない。春になってレンゲを摘み、夏にはトカゲを追いかけ、秋にはススキでふくろうを作る。外あそびの減少は、こどもたちからそのような自然とのふれあいの機会さえも奪ってしまう。 テレビやゲーム機などの液晶画面に、レンゲやトカゲが登場し、それらと「あそんだ」としても、楽しくはあるが、季節感の無い、むなしい時間が経つだけだ。こどもたちも、俳句の季語を学校で習う機会があるが、あそびを通じて身体で覚えるのと、頭だけで覚えるのと、どちらがいいかは言うまでもない。季節の変化が豊かな日本にあって、季節感の無いあそびが増える。その馬鹿らしさに気付く、おとなたちが増えてほしいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.17
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昨日から、夫婦そろって激しい嘔吐と下痢でダウンしている。一昨日、娘から預かった孫からの感染と思われるが、もちろん孫のせいではない、適切な対応をしなかった私たちの責任だ。よって、急遽本日付けの、書き込み中の記事を削除して、このお詫び記事に差し替えます。ご理解を賜りたく思っている。とかく、子育て(孫育て)は、一筋縄ではいかないものだ。(続/未完)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.16
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【ソウル市江南区内の良才川そり広場で、昔ながらの遊びを体験するイベントが行われた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝鮮日報:2011年1月12日) 記事の全文は、上記引用部の倍ほどの短いもので、フォトニュースの写真の説明文だ。実は、この写真に興味をもった点が、コマを回しているこどもが、小学校低学年か、それよりも幼いこどもたちであったことを含めて幾つかある。 記事でわかるように、「昔ながらの遊びを体験するイベント」なので、韓国も、おそらく日本と同じように、コマを回すこどもたちは少なくなっているかも知れない。それでも、小学校就学前後の幼いこどもたちが、次に述べるような、難しいコマを回している姿には、感心せざるを得ない。 記事の韓国のこどもたちが回していたコマは、日本で最も一般的な、真ん中に鉄などの芯があるコマではなく、芯の無い、椎の実を大きくしたようなコマで、棒の先に太目の紐が二本付いたもので、しばいて回すコマなのだ。日本でも同様のコマは、一般に「ぶちゴマ」や「しばきゴマ」などと呼ばれている。 この「しばきゴマ」、回し始めも難しければ、止まりそうになったコマをしばいて再び勢いよく回すのも難しい。私もこどもの頃に何度かあそんだだけだ。苦労はしたが、上手く回せるようになった。コツを覚えれば、何とかなるが、それでも失敗の確率は高い。そんな難しいコマを韓国の幼いこどもが回しているのは、頼もしく思える。 次に、上記記事の写真で感心したのは、コマを回している場所が、記事にあるように、凍った川や湖か、広場に水を撒いて凍らせた所か、ともかく氷の上だったのだ。考えれば、コマを回すには、最も適した場所だろう。なにせ、摩擦が小さいので、コマは一度回せば、なかなか止まらないのだ。 そして、何よりも、寒い冬に、こどもたちを外であそばせるには、もってこいのあそびだ。もちろん、日本でも、正月の前後は、コマ回しが盛んだった。コマ回しのみならず、凧揚げ・羽根突きなども含めて、せめて正月前後は、寒くても外であそぶようになればと思っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.15
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【6日午前4時35分ごろ、川崎市川崎区鋼管通3丁目の姥ケ森公園の遊具が燃えているのを、近所の住人が発見、119番通報した。火は約20分後に消し止められたが、遊具がほぼ全焼した。(中略)具は滑り台、筒状トンネル、うんていがつながっている複合遊具。ポリエチレン樹脂製のトンネル部分を中心に燃えた。被害は約400万円。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/カナロコ(神奈川新聞):2011年1月6日) 公園の遊具は燃えるんだと、あらためて時代の流れを感じさせる記事だ。特に、記事にある、いわゆる「複合遊具」には、プラスティックや木など、可燃性の材料が使われているものも、少なくない。さらに、壁や天井など、昔の遊具にはほとんど無かった構造が、燃えやすい条件をつくっているのだろう。 確かに、昔の素朴な遊具にも、木が全く使われていなかったわけではないが、そのほとんどが支柱や枠組みに使われ、しかも簡単には燃えないほどの太さのものが多かった。太い丸太のようなものは、簡単には火が着かないのだ。 さて、記事の複合遊具の値段は「約400万円」と思われるが、あらためて複合遊具の価格の高さに驚かざるを得ない。確かに、ブランコや滑り台などの、基本的な単独遊具を組み合わせたものとは言え、単独遊具を揃える方が一般的に低価格だ。しかも、部品数が多いので、修理・補修の価格は、複合遊具の方が断然高くなる。 そのような、比較的にコスト高な複合遊具が、燃えやすいのでは、困ったものだ。複合遊具も、それはそれで、こどもたちにとっても面白い遊具かも知れないが、どこの公園をみても、複合遊具だらけと言う状況からは、そろそろ離脱する時なのかも知れない。「複合遊具が全焼した」記事からの、率直な感想だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.14
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中学生も当然ながらあそぶが、昔の中学生は今より、もっとよくあそんでいたとの印象がある。そんなあそびの中で、私が中学2年生の時に流行ったあそびがあった。そのあそびの名前は無かったと記憶しているが、ここでは仮に「サイコロ野球」として、話を進める。 この「サイコロ野球」、実はもっぱら学校であそんだのだ。だから、サイコロは六角鉛筆に、数字をナイフで彫り、盤(球場のダイヤモンド)は紙に描き、ランナー用の駒は消しゴムを小さく切って代用した。ようするに、学校への玩具の持込が許されていなかったから、全てを手近なものを使ったのだ。 あそび方は、1980年代くらいに流行っていた、サイコロを使った野球カードと同じやり方だ。サイコロ(鉛筆)を二個振り、出た数字の組み合わせで、アウト・ヒット・二塁打などを決め、その通りに、盤面(紙)のランナー(消しゴム)を進めてあそぶのだ。授業と授業の間の休み時間と昼休み時間を使ってあそんだ。基本的に9回のイニングで試合をするので、昼休み以外は、授業のつど中断再開をくり返してあそんだ。 このあそびが流行って日が経過すると、何回も紙の盤(ダイヤモンド)を描くのが、面倒くさくなったのか、直接机の上に落書きしたり、もっとひどいのは、彫刻刀でダイヤモンドを彫るものもいた。線は描いてベースを彫った穴で代用したのだ。その穴は、細かく刻んだ消しゴムをボールに、ゴルフあそびをするものもいた。 これは、今の学校の机が、硬い合板で出来ているのとは違って、昔は全て木製の机だったから出来たのだ。しかし、その後は当然ながら、下敷きを敷かないと、答案用紙などに書き込むときに、デコボコで困ったのは言うまでもない。今はもう建替えられて跡形も無い、木造校舎の二階の教室での、懐かしい中学時代の思い出の一つだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.13
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【 専門家としての著者の有名な業績は、商品の品揃(しなぞろ)えが多すぎると、売り上げが減少するというものである。私はデパートでネクタイを買うのが苦手で、空港で買うことが多い。空港のほうがネクタイの種類ははるかに少ない。この本を読んで、なるほどと苦笑してしまった。(中略)その裏はなにか。人間の情報処理能力に関係する。せいぜい五から九くらいの種類のものしか、われわれは記憶して処理できないのである。(中略)大学生を対象に、紙に「自分で決めたいこと」と、「自分で決めたくないこと」を書き出してもらう。アメリカ人の場合、自分で決めたいことが紙からはみ出してしまうほどだった。お察しの通り、日本人の場合には逆になる。自分で決めたくないことのほうが、決めたいことの二倍になる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年1月8日) さて、菓子やおもちゃは、今のほうが断然に品揃えが豊かだ。このことは、こどもたちの選択肢が増え、その分「選択の自由」が増えるはずなのだが、菓子はともかくとして、おもちゃを使ったあそびは、その選択肢の増加ほどは、実際の日常的なあそびの選択肢は、多くなっていないように思われるのだ。 一般的に言って、メディアを通じて宣伝されるおもちゃに偏る傾向がある。特に、テレビゲームや携帯型ゲーム機を使ったあそびは、その傾向が強い。また、おもちゃや遊具などのアイテムを全く使わないあそびは、確実にその種類を減少させている。特に、虫捕り、草花あそび、川あそびなど、自然と直接触れ合ってあそぶあそびは激減している。 要するに、おもちゃや遊具などの選択肢が増えても、その膨大な選択肢から、メディアなどに惑わされず、完全に自らの考えで、おもちゃやあそびを選び出す能力、記事の言葉を借用すれば「裁量力」が、選択肢の増大に見合って、育ってはいないのだ。これは、集団あそびなど、こども同士の仲間あそびの減少の結果でもある。 もっとも、メディアによるあそび情報から、こどもたちは自分の裁量であそびを選んでいるとの、見方もあるかも知れないが、そもそも、おもちゃメーカーは、こどもたちが自社のおもちゃを選択するように、莫大な費用を投じて、メディアを使って誘導するのが必然であるのだから、こどもたちはある意味、選択させられていると考えてもいい。 それでも、他の友達が昔のように、いろんなあそびをしているのであれば、その楽しそうな様子を見て、自分もそのあそびをしてみようと裁量することもある。しかし、その肝心の他の子も、同じようにメディアから同じあそびを選択させられていたのでは、それも難しくなる。こどもたちの多くが同じあそびをしている時間が極端に増加すれば、こどもたちの裁量を発揮する機会が減ってしまうのだ。 昔は、同じ期間でも、こどもたちの年齢・性別により、するあそびが違ったり、季節や場所により様々なあそびを展開していれば、こどもたちのあそびの裁量の幅は大きくなるのだ。もちろん、それは日常的に、こども同士のあそび、それも他の子が見える屋外でのあそびの機会が、豊かでないとだめなのだ。 このように、あそびの多様性は、こどもたちに「裁量力」を育むが、今、記事のように「自分で決めたくない」こどもたちが、増えているのだとすれば、その一つの背景として、あそびの多様性の喪失と、集団あそびなどの、こども同士のあそびが激減していることも、考慮すべきなのではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.12
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【 専門家としての著者の有名な業績は、商品の品揃(しなぞろ)えが多すぎると、売り上げが減少するというものである。私はデパートでネクタイを買うのが苦手で、空港で買うことが多い。空港のほうがネクタイの種類ははるかに少ない。この本を読んで、なるほどと苦笑してしまった。(中略)その裏はなにか。人間の情報処理能力に関係する。せいぜい五から九くらいの種類のものしか、われわれは記憶して処理できないのである。(中略)大学生を対象に、紙に「自分で決めたいこと」と、「自分で決めたくないこと」を書き出してもらう。アメリカ人の場合、自分で決めたいことが紙からはみ出してしまうほどだった。お察しの通り、日本人の場合には逆になる。自分で決めたくないことのほうが、決めたいことの二倍になる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年1月8日) 記事から引用した部分は、脳科学者の養老孟司氏による、シーナ・アイエンガー著『選択の科学』の書評の抜粋だが、この記事からの連想で、私なりに「選択と裁量」について、こどもたちのあそびとの関連で考えてみる。 記事の、品揃えと売り上げの関係の見方の是非はともかく、駄菓子屋さんが衰退してしまった一つの要因に、「品揃え」の問題があると考えている。昔の駄菓子屋さんの品揃えは、それほど多くは無かった。駄菓子屋さんが急速に消え始める、前世紀の末頃は、普通の駄菓子屋さんは、昔から見れば驚くほどの品揃えだった。 昔の駄菓子屋さんには、お菓子類でも飴・キャラメル類、煎餅・あられ類、饅頭・ゼリー類など、それらがそれぞれ数種類程度、全部あわせても種類数は、たがが知れていた。それが、飴で数種類、キャラメルで数種類、煎餅で数種類などなどと種類数が増え、さらにチョコレート・ガム・グミなどの新顔の菓子が、それぞれ幾種類か加わるり、品揃えはかなりの多さとなる。 駄菓子屋さんは、お菓子だけを売っているわけではなく、メンコ・ビー玉などの小物玩具をはじめとしたおもちゃ類も売られる。そのおもちゃ類も、昔に比べて格段に品揃えが増加する。要するに、小さな駄菓子屋さんには不釣合いになる位に、在庫を日常的に抱えるようになる。 これでは、堅実な商売が成り立つわけがない。こどもたちのあそびが、世の流れとともに変化させられるなかで、この異常なくらいに過剰な品揃えが、駄菓子屋の廃業を加速する一つの条件となったのは、十分に考えられることだ。 なお、昔の駄菓子屋さんは、日常的には品揃えが少なかったのだが、季節の移り変わりにより、菓子やおもちゃの品揃えが変化していたので、年間を通せば結構な品揃えになっていたのだ。さらに、その程度の品揃えでも、こどもたちはけっして、「選択の自由」が無いとは感じていなかったのも事実だ。(時には、店を選んで選択肢を増やしていた。)(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.11
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我が地域だけのことかも知れないが、「ドボン」と言うトランプあそびが、高齢のご婦人方の間で流行っているそうだ。そのことを知ったのは、私がユニット折り紙を教えに行っている、ご婦人たちのサークルでの例会でのことだ。 確かに、「ドボン」は簡単なルールの割には、そのゲーム展開が変化に富んでおり、エキサイティングなゲームだと言える。しかも、適度に脳と手先を使うので、脳の活性化と老化防止に役立つので、高齢者に適したゲームでもある。だから、前記のご婦人方は、実に良い遊びをされているのだ。 ところで、私が「ドボン」、正確には「ドッカンページワン」と呼んでいたが、このゲームを知ったのは、学童保育所に勤めていた頃だった。毎年開かれる、全国の学童保育の集まりで泊まった宿舎でのことだった。学童保育師(指導員)同士の交流を兼ねて、手近にあったトランプで遊んだのだ。 その集まりから帰った後、学童保育所のこどもたちに教えたが、小学3年生程度なら、直に覚えてくれ、しばらくの間流行った。ごく普通の民家を改造した施設に、20数名のこどもたちが在籍していたのでそれは、雨の日などの格好のあそびのひとつとなった。ちなみに、その学童保育所では「ドカンペー」と略して呼ぶようになった。 「ドボン」は、こどもたちからお年寄りまで、楽しめるあそびなので、お正月やお盆など、三世代の家族がそろう機会には、ぜひ老若男女入り混じって「ドボン」に興じるのもいいだろう。「トランプ ドボン」で検索すれば、遊び方も掲載されているので、お試しを!「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.10
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【 川崎信用金庫は七日、川崎、横浜両市などの小学生を対象に実施した今年のお年玉の調査結果を発表した。合計額の平均は、前年比百九十一円減の二万四千三百二十七円で、二年連続のマイナスとなった。(中略)お年玉で買う物は「ゲームソフト」「本や雑誌・漫画」が一、二位を占めた。 また、お正月の遊びは「コンピューターゲーム」が69・9%で、二十年連続の一位。正月の伝統遊びといえる「かるた・百人一首」は17・7%、「たこあげ」は6・7%にとどまった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2011年1月8日) 記事の調査結果で示された、お年玉の使い道は、こどもたちの「外あそび」の減少を如実に物語っている。しかも、驚いたのは、「お正月の遊び」の一位が、二十年連続で「コンピューターゲーム」となっていることだ。 これは、二世代にわたって「コンピューターゲーム」が一位と言う状況とほとんど変わらない。一般に、ある状態から変化した後、元の状態に戻すには、変化にかけた時間の何倍かの時間がかかると言われているが、「外あそび」の減少を、昔のような水準に戻すことの困難さを、私たちに突きつけてくる。 ただ、「かるた・百人一首」や「たこあげ」の結果数値は、もっと少ないのではないかと思っていので、喜ぶほどでもないが、少しばかりの期待をもっても、いいのかも知れない。こどもたちは、それらへの関心・興味を、まだ少しは持っているからだ。そんな、わずかな関心・興味が無くならない内に、こどもたちのあそびを昔のような姿に戻さなければ、それも期待はずれとなってしまう。急がなければ・・・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.09
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【 子どもに外で遊ぶ楽しさを学んでもらう「野外力検定」が30日、広島市東区光町の二葉中である。ボーイスカウト広島県連盟などでつくる実行委が参加者を募っている。 ストローを使って作る飛行機を飛ばしたり、直径約10センチの丸太を切ったりと8種の課題に挑戦。1種成功するごとに認証カード、3種以上をクリアすればメダルがもらえる。木登りや釣りなどの体験コーナーもある。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中国新聞:2011年1月5日) 実は、この記事は「遊び」をキーワードにした、ネットニュース検索でヒットしたものだが、その表題の【外遊び8種で楽しく「検定」】に目が留まったのだ。ところが、サイト「野外力検定」のページを閲覧して検討した結果、実際は多くの方が想像する「外遊び」とは、ニュアンスが違っていたのだ。 次に、サイト「野外力検定」から、検定項目を引用しておく。【 えんぴつけずり・丸太切り・ストローグライダー・マメつかみ・長さどんぴしゃ・重さどんぴしゃ・時間どんぴしゃ・においの達人】(【】内はサイト「野外力検定」から一部抜粋引用、2011年1月7日現在) 一見してわかるように、これらの検定項目からは「外遊び」を連想することは難しい。それもそのはず、同上サイトには、【野外力検定では、野外活動の中での経験、技能、知識を総合的に学習、検定します。】とある。これを素直にとると、「外遊び」というより「野外活動」の検定と考えるべきだろう。 だから、上記記事の表題の「外遊び8種」は、記事のライターの勘違いだと考えられる。ともかく、こどもたちを山や川・海などの野外で、身体を使った自然との触れ合いに誘う取り組みとしては、それなりの意義があるので、参加してみるのも面白いだろう。 ところで、この「野外力検定」は、文部科学省委託の青少年元気サポート事業となっている。そこで、一つの提案だが、今、こどもたちの「外あそび」が激減していると言われているが、それを考慮したとき、本来の「外あそび」を復興させる取り組みにも、文部科学省はもっと積極的にサポートするべきだろう。「外あそび検定」なども面白いと思うのだが・・・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.08
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【 全国の学校で起きた事故の具体的な発生場所や時間帯などを検索できる新たなシステムが完成し、6日から利用が可能になります。このシステムを作ったのは、文部科学省の関連団体「日本スポーツ振興センター」です。ここには、全国の小中学校や高校などから子どもが学校でけがをして治療を受けた事故の情報が年間100万件以上寄せられます。(中略)過去5年分のデータベース化を進め、子どもの事故が、どこで、いつ起きたのかや体のどこにけがしたのか、それに遊具や施設の種類など82の項目について検索できる新たなシステムが完成しました。これにより、事故の情報が広く共有され、対策の検討に生かされると期待されています。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/NHK:2011年1月6日) 事故情報の共有は、事故防止にとって極めて大切であることは、このブログでも度々指摘していることで、「学校事故検索システム」の完成は一歩前進となり、今後の推移を見守りたい。そこで、この「事故検索システム」を事故防止に生かすために、幾つかの提案を書いてみる。 記事には、「事故の情報が広く共有され、対策の検討に生かされると期待されています。」とあるが、「検索システム」だけでは、事故情報は共有されないのだ。何故なら、当たり前のことだが、全ての学校が担当者を決めて、その全員が不可能としても、大多数の担当者が、この「システム」を使って検索する必要があるからだ。 しかも、ただ検索しただけでは意味をなさず、その検索結果を元に分析し、その結果を受けて対策を練り上げ、さらにその対策を実施してはじめて、事故防止につながるのだ。しかし、これら一連の取り組みが、全ての学校でなされるかどうかは、これまでの学校での事故を見れば、はなはだ疑わしい現実があるのだ。 それは、「検索システム」が無くても、さらに全くの素人でも、予見できるような対策が、採られていなかったことによる事故が少なくないのだ。例えば、遊具の不良・破損個所を放置したり、天窓などの危険な所への児童の侵入を防げなかったり、そんな初歩的なミスによる事故が少なくないのだ。 また、文部科学省は、これまでに起きた事故を分析し、具体的な対策や指針のようなものを、すでにHP上で公開している。もちろん、それに関した通達も少なくとも各自治体には下ろされている。それにも関わらず、その通達の内容に類似した事故も起きている始末だ。 要するに、人的な問題を含んだ、各学校における事故防止システムの構築こそ、文部科学省は英知を集めて進めなければ、事故防止は机上の空論となってしまうだろう。そのためにも、学校現場だけに「学校事故検索システム」活用を押し付けず、文部科学省自らが、「学校事故検索システム」をフルに活用して、各学校における事故防止システムのモデルを提起する必要があるだろう。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.07
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【 手まりは平安時代の蹴鞠に歴史があると言われています。それが、お手玉のように、女の子が手で遊ぶ玩具になりました。遊び方も、初めは、まりをお手玉のように二つ、三つと投げ上げて手に受ける「あげまり」だったのが、よく弾むまりができるようになると、地面について遊ぶ「つきまり」が盛んになりました。そして、まりをつくのにあわせて数を唱える手まり歌もうたわれるようになりました。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/サーチナニュース:2011年1月5日) 記事には、「伝統的なお正月の外での遊び方」として、引用の「手まり」の他に、「凧揚げ」「独楽まわし」「羽根つき」の遊び方が紹介されている。今やこの全てが、正月はまだしも、普段のこどもたちのあそびから急速に姿を消しつつある。当然、記事の「手まり歌」も「羽根つき歌」も、ほとんど聞かれなくなってしまった。 さて、この「手まり歌」・「羽根つき歌」は、一般に「遊び歌」と呼ばれている。その「遊び歌」には、記事のような遊び道具を使用するあそび以外にも多くある(あった)。しかし、残念ながら多くの「遊び歌」も、保育所や学校などの保育や取り組みとしては見られるが、こどもたちの普段のあそびからは、どんどん消え去っている。 それは、「遊び歌」がこどもたちがあそびの中で、地域独特な歌詞に変化させたり、次々に新しい「遊び歌」を生み出したり、そしてそれらを伝え続けてきた、そんな本来のあそびがもっていた、時の自然な流れとは逆行する、極めて由々しき事態なのだ。 ところで、この「遊び歌」と、しばしば混同されるのが「歌遊び」だ。ここで、あらためて整理しなおして、それぞれの定義を私案として以下に提示しておく。遊び歌:あそびに付随する歌で、その歌の進行に合わせてあそびが展開される。 例:まりつき歌・お手玉歌・お絵かき歌・縄跳び歌など歌遊び:歌そのものがあそびになっているもの。 例:替え歌・字抜き歌・字加え歌など「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.06
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【 小中学生を対象に、神奈川県秦野市で地域に根付いた指導を行う『ジーニアス渡辺塾 八幡山教室』。取材にお邪魔したこの日は、お楽しみ会の真っ最中。しかし、ただ遊んでいるだけというわけではなさそうだ。これまで朗読練習してきた百人一首を、2チームに分かれてカルタで対決!百ます計算なども勝負の材料となり、その結果や普段の学習プリントの枚数に応じてご褒美が獲得できる。遊び=学び、学び=遊びという発想で、子供のやる気を引き出す。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/全国私塾情報センター:2011年1月3日) 前回のこととよく似た「あそびと教育」の関係についての、別の例を以下の記事から見ていく。【 小中学生を対象に、神奈川県秦野市で地域に根付いた指導を行う『文部科学省が行った「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」で、「家族と週1回以上スポーツ観戦する」と答えた広島県の児童の割合が、全国平均を大きく上回った。(中略)県教委スポーツ振興課は「運動をする子供としない子供との二極化が進んでいる」とし、外遊びのハンドブックを全校に配布。楽しみながら体力向上につなげるよう呼びかけている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/全国私塾情報センター:2011年1月3日) 学力の二極化や、以前にこのブログで指摘した「将棋の二極化」などに続いて、この記事でも「運動をするしない」で、こどもたちにあらわれた二極化を紹介している。このこどもの二極化については、いずれ機会を見つけて、私見をつづることにして、ここでは「あそびと教育」をめぐる問題について考えていく。 神奈川県教委スポーツ振興課の取り組みも、あそびを活用してこどもたちに「体力向上」を計ろうとするもので、前回の学習塾の例と同じ手法をとっている。それほどまで、こどもたちのあそびが有用なら、何故有用な「あそび」をこどもたちが自主的にやれるようにしないのだろうか。 「外遊び」と「体力」の関係が指摘され、文部科学省や教育委員会の指導の下、教育の現場である学校において様々な取り組みが、これまで展開されてきた。しかし、こどもたちは自主的には「外遊び」を、依然として増やそうとしていないのだ。前回の記事と合わせ考えると、「学ぶ面白さ」も「外遊びの面白さ」も、多くのこどもたちがつかみとっていないことがわかる。 文部科学省や教育委員会などによる教育行政の結果がこれでは、日本のこどもたちにとって、学力と体力ともに、その向上はあまり期待できないだろう。今、教育行政が真剣に取り組まなければならないのは、「外遊び」をはじめとしたあそびを昔の姿に戻すこと、すなわち「あそびの復興」なのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.05
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【 小中学生を対象に、神奈川県秦野市で地域に根付いた指導を行う『ジーニアス渡辺塾 八幡山教室』。取材にお邪魔したこの日は、お楽しみ会の真っ最中。しかし、ただ遊んでいるだけというわけではなさそうだ。これまで朗読練習してきた百人一首を、2チームに分かれてカルタで対決!百ます計算なども勝負の材料となり、その結果や普段の学習プリントの枚数に応じてご褒美が獲得できる。遊び=学び、学び=遊びという発想で、子供のやる気を引き出す。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/全国私塾情報センター:2011年1月3日) この記事には、【「学ぶ面白さ」伝えたい」】と言う見出しが付いていた。記事にある「百人一首のチーム対決」や「百ます計算勝負」を指すのだろうが、確かに、「面白く学ぶ」ことでは、間違いがないが、はたして、それでこどもたちが「学ぶ面白さ」を感じとるかと言えば、疑問を感じざるを得ない。 「学ぶ面白さ」は、やはり純粋に「学ぶ」中でしか、つかみ取れないと思っている。その時点まで自分がわからなかったことが、わかるようになった時の喜び、新しいことを知った時の感激などが、「学び」の中で自然に感じとれる機会は沢山ある。否、おとなの変な打算・思惑無く、純粋・真摯な態度で教えれば、必ず「学ぶ面白さ」を、こどもたちはつかみとってくれる。それが、学童保育所での経験からの、私の率直な感想でもある。 記事のような取り組みや、最近流行の「知育」も、それはそれで「面白く学ぶ」ことは出来るかも知れないが。「学び」の中で感じとる本物の「学ぶ面白さ」を、こどもたちがつかみとる機会を増やすことの方が、ずっとずっと「学ぶ意欲」を育てるだろう。そのためにも、あそびはあそびとして、純粋にこどもたちが楽しむ機会と時間を増やすべきだろう。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.04
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【 島根県埋蔵文化財調査センターは22日、出雲市高岡町の高浜1遺跡で日本最古の将棋盤が出土したと発表した。(中略)将棋盤は有力者の屋敷跡の南側にあるごみ捨て場から2枚出土。長さ約38センチ、幅約6~9センチ、厚さ約1センチの杉製で、約4センチ四方の升目が九つあった。側面にはくぎ穴があり、脚や台座を組み合わせて使ったとみられるという。駒2個も別の柱穴から出土。(中略)将棋盤はこれまで、江戸時代(18世紀)のものが東京都千代田区の溜池(ためいけ)遺跡から1点出土しているだけだった。駒は、奈良市の興福寺旧境内から国内最古となる平安時代後期(11世紀半ば)のものが出るなど、全国で少なくとも500の出土例がある。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年12月23日) 記事を読むと、日本の将棋は少なくとも1000年近い歴史をもっていることがわかる。そんな将棋の長い歴史ではあるが、将棋が一般庶民に広く遊ばれるようになったのは、そのずっと後のこととなる。 上記記事を見ても、将棋が遊ばれたと思われるところが、有力者の屋敷あるいは寺院となっていたり、これまでの将棋盤や駒の、木と言う残り難い材質を考慮しても、その出土例が数少ないことからも、広く一般庶民に将棋が普及するのは、かなり時代が新しくなってからだと推定できる。 ともかく、一部の支配的な階級の人々から始まってから、広範な庶民に広がるまでに、膨大な年月が費やされたことを考えると、この間の将棋の衰退の速さが大変気にかかる。特に、こどもたちの間での将棋(対戦)や、将棋の駒や盤を使ったあそびの衰退は、さらに著しい。 その一方で、何らかの施設や団体で、将棋を正式に習うこどもたちの数は増えつつあり、こどもを対象とした大会やイベントは、盛んに行われているようだ。将棋を、本格的に指すものと、全く知らないものとの二極化が進んでいると言える。そして、その両者に共通なのは、将棋であそぶことが極めて少なくなったことだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.03
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【 三田市弥生が丘6の県立人と自然の博物館で1月3日、伝統の正月遊びが楽しめる企画「ひとはくのお正月~日本の昔遊び」が開かれる。(中略)同館と連携して活動するNPO法人「人と自然の会」が企画。ススキの茎を骨組みに使ったたこ作りやぶつけ合って遊ぶコマ回し、はねつきなどがある。また、ピーナツやメロンの種などの素材を使ったウサギの置物づくり(材料費100円、定員50人)や、キリの板やムクロジの種、野鳥の羽根を使った羽子板と追い羽根づくり(同500円、同10人)に挑戦できる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年12月31日) 前回は、「けんかゴマ」の成立要件について述べてきたが、実はこれらの成立要件の前提となる条件が、まだ存在するのだ。それは、コマを回せるこどもたちが、同じ地域内(施設内・団体内)に存在しなければならないことだ。 そして、この条件は簡単にはつくりだせない特徴も持っている。それが、昔のような「けんかゴマ」が衰退する理由ともなっている。コマは、回す以前の、コマに紐(ひも)を巻くことが難しいのだ。特に、ベイゴマは細い紐を特殊な方法で巻かなければならないので、それだけ「けんかゴマ」の成立条件のハードルが高くなる。 さらに、たとえ紐が巻けても、上手に投げてコマを回すにも、一定期間の練習が必要なのだ。このように、あそぶために難しい関門があるコマ回し、その関門をクリアした多数のこどもが、同じ地域(施設)内に存在しなければならないので、「けんかゴマ」の成立は、極めて難しいものとなっている。 しかし、これは私の学童保育所での保育経験でもそうであったように、学童保育所や保育所などでの、保育や取り組みの中に見られるように、今の時代でも多くの成功例がある。それらは、あそびの指導者の存在が、大きな要因となっているが、実は指導者の存在だけでは「けんかゴマ」まで発展させえないのだ。 それは、昔のこどもたちの誰もがもっていた、あそび成立の三要素である「あそびの三間(時間・空間・場所)」が決定的な条件となっているからだ。この「あそびの三間」が確保されていれば、少なくともコマ回しが伝承されていた地域(施設)では、指導者無しに「けんかゴマ」は自然成立するのだ。 コマを回してするあそびの、一つの傑作「けんかゴマ」、再び街のあちこちで、こどもたちが熱中する光景を見るためにも、「あそびの三間」を取り戻すことが必要だ。「けんかゴマ」が大好きだった私も、そのために微力ながら頑張っていきたい。これを、新しい年を迎えての、ささやかな抱負とする。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.02
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【 三田市弥生が丘6の県立人と自然の博物館で1月3日、伝統の正月遊びが楽しめる企画「ひとはくのお正月~日本の昔遊び」が開かれる。(中略)同館と連携して活動するNPO法人「人と自然の会」が企画。ススキの茎を骨組みに使ったたこ作りやぶつけ合って遊ぶコマ回し、はねつきなどがある。また、ピーナツやメロンの種などの素材を使ったウサギの置物づくり(材料費100円、定員50人)や、キリの板やムクロジの種、野鳥の羽根を使った羽子板と追い羽根づくり(同500円、同10人)に挑戦できる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年12月31日) 記事の「ぶつけ合って遊ぶコマ回し」とは、いわゆる「けんかゴマ」のことだと思われるが、「けんかゴマ」は、昔のベイゴマをはじめとして、コマを使ってあそぶ最もポピュラーなあそびのひとつだ。 「けんかゴマ」のようなあそびが成立するには、欠かせない要件があるが、その要件を考えてみる。まず、少なくとも二人以上が同時に、かつ同じ場所であそべることだ。次に、使用するアイテム(コマ)が基本的に同じ規格になっている必要がある。そして、ある時間内に勝負が決まること、コマでは回っている時間で勝負が着く。 そして、大事なことは、その勝負の勝敗が、個人の努力により差が出来ることだ。まず、あそびの技術、コマ回しならコマを回す技術が、勝敗を左右しなければ面白くないのだ。さらに、ベイゴマは、コマをそれぞれの工夫で加工することにより、勝敗の行方を変えられることも大事な要素だ。もちろん、加工前のベイゴマは同じ規格でなければならない。 この点で、現代版「けんかゴマ」に例えられる、「ハイテクベイゴマ」玩具は、誰が回しても同じような回り方をするし、コマのチューンアップは、新たに購入する付属部品に左右されたりする。また、たとえ各自自由な加工が許されるとしても、それは元のコマの価格が高すぎて、やすやすとは加工し辛い。 だからその分、「ハイテクベイゴマ」は、昔のベイゴマに比べて、あそびに入り易い反面、熱中度で劣り、絶えず新しい追加部品の供給が無いと長続きしない。さらに、昔のベイゴマは、自分の努力が報われるので、勝利した喜びだけでなく、達成したと言う自信をも、もたらせてくれる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2011.01.01
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