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今、特に地域に密着した、あるいは少し立ち入った速報や情報を必要としていても入手し難いことでストレスを感じている方は、RSSリーダを利用してみてはいかがでしょうか?・・・とはいっても、本格的なRSSリーダーを使っている程の方なら不自由は感じていないと想われるので、そこまで行かない代替方法を。1.Operaを使用するOperaはブラウザ+メーラーと言って良いソフトですが、RSSリーダーとしても使い易くなっています。最近ではWiiなんかにも搭載されてる程、相当種の異なるハードウェアで稼働し、また導入されていますので、慣れていて損はありません。この方法の大きな欠点としては、インストール作業が必要なので、PCに不慣れな方には戸惑いが大きいかも知れない、ということでしょうか?「ソフトのインストール作業くらいは苦にならないよー」という方向けかもしれません。Operaをインストールした後は、ブラウザとして普通に使用しながら、URL欄の右側にRSSマーク(?)が出ますので、クリックして変わった画面で「購読」をクリックすれば基本的にOKです。少し乱暴な説明ですいません。2.インターネット・エクスプローラーであまり勝手自体はよくないのですが・・・インターネット・エクスプローラーにもRSSリーダー的機能があります。コチラのサイトさんの説明が分かり易いので参考にしてみて下さい。どこを登録したらいいのか?というのは難しいですが・・・ニュースだとAFPBB Newsやロイター・ニュースも結構、いい感じです。時事通信社は何故かアクセス・ランキングしか出してないようなので、逐次、確認するしかないような・・・他、多くのブログもRSSを提供しているので、Twitterなんかの利用方法と同じで、RSSリーダーに登録しておくと、閲覧していくのに便利です。また、役場や各行政でも新規情報をRSS提供していますので、こちらも御役に立ちます。残念ながら、被災地の中にはサーバー・ダウンで行政のHP類が見れなくなっていらっしゃるケースも少なくないようですが、もし利用出来るようであれば、復旧状況に合わせて情報提供されて来ているので、御活用されるのも良いかと想います。そして今もまた、無事の一報が!山間部の方々は、連絡手段が途絶えて困っている状況が、少しづつ解消されている、という感じのようです。
2011.03.16
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今日の昼過ぎ、新たに関係者2名の無事に喜んだら、急に眠気が。計画停電に合わせて少し寝たのですが、私の地域は、またも見送りして頂けたとか。有難いんことなんですが・・・東電さん、被災地への通電優先だけは忘れないで下さいね。そして残念ながら、既に震災に関連して詐欺の類が暗躍し始めています。以下は、私が登録している埼玉県警のメールマガジン、「犯罪情報官NEWS」からの引用。メールマガジン「犯罪情報官NEWS」(埼玉県警HP)-以下、引用(改行編集有)-地震の発生に便乗し、《市町村職員及び赤十字社等を名乗り震災見舞金や地震災害義援金を騙し取る》、《飲料水の水質が悪化して、雑菌が混じり健康被害をもたらすと申し向け、浄水器を高額で売りつける》、《インターネット業者等をかたり、震災義援金を振り込むよう勧誘する》など、様々な手口の詐欺の発生が懸念されます。被害に遭わないために、見知らぬ業者等からの電話や訪問等には《相手の身分を確認する・業者等に電話をかけ事実確認をする・安易に契約したり現金を支払わない》等の対策をとるとともに、不審な場合は警察への通報をお願いします。-以上、引用-普段は、変質者情報や、ひったくり情報という、地域限定的な情報が中心なのだけれど、ここ最近、震災絡み詐欺の注意喚起が増えてます。ただでさえ多くの方々が強い不安の中で心沈んでいる今、是非、このような情報はシェアしつつ被害を食い止めたいものです。既に諸行政も積極的な情報提供をしていますので、是非とも活用検討してみて下さい。*私の居住地域では、計画停電情報類も、町のHPが最速かつ正確です 普段はダラダラした印象が強い役場なので、少し見直しました埼玉県警のサービスはPCメールのみならず、携帯メールでも受信出来るので「PCメールは、あまり見ないんだけど」という方でも問題ないと想います。恐らくは各都道府県警HPにも、同様のサービスが掲載されているでしょう。もし該当地域にサービスがなかったとしても、隣接域の情報だけでも違うかも知れません。上記引用文の情報に関して言えば、まともな所の寄付金でも、寄付額と本来の寄付先に渡る額との差が、団体により異なったりします。確りしたところでも必要経費は掛かるので、そのことについては仕方ないわけですが、寄付金をドロンというケースまで生じています。ので、特に現金の場合は、一つの方策として一箇所にドンと寄付するのではなく、分散して寄付するというのも有りかもしれません。浄水に関しては衛生資材の必要性は分かるのですが・・・水を扱う業界でも「煮沸に勝る方法無し」と言われることがありまして、基本的には煮沸消毒しても飲めないような水は、飲めません。そもそも相当種の細菌類が煮沸対応可なのですが、化学物質そのものや熱に強い細菌等に汚染された水は、残念ながら相当の化学・濾過処理類で相応に高度な専門処理が必要だからです。基本的に、一般人が容易に入手出来るような設備はないと想って間違いないでしょう。その事が分かる一例を、セコムさんの商品説明、特に「適する水源」の部分で理解して下さい。非常用浄水器 アクアメロウ*技術的には可能であることは承知しておりますので、 もし対応出来、かつ現在の被災地でも安価に入手出来る製品があったら、御紹介頂ければ有難いです 私の方でも可能な限り精査の上、改めて御紹介させて頂きますいずれにしても、最も困っているのは給水が完全にストップしている地域なので、そのような地域に給水サービスが行き渡ることを祈らざるを得ません。ということで、少し不安げになっている子供達も寝付いたことなので、私も寝ます。明日は子供達の事について書ければ、と想ってます。
2011.03.15
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昨晩より、御存じの通り計画停電が実施され始めています。今後、当分の間、この状況下で暮さざるを得ません。既に計画停電エリア同士、あるいは計画停電エリアへの企業宛の電話のみならず、携帯電話も繋がり難くなっています。エリア内同士のケースでは勿論のこと、基地局との関係などもあって、場合によっては、計画停電時間帯内06:20~22:20の相当時間で、電話連絡が難しくなるであろう状況です。大手、あるいは、それなりの規模の中小企業であれば、既に事業所間での転送対応等もしていることと想いますが、それにも限界があります。そこで、私の場合の対応を下記してみます。1.メールの活用不急要件は勿論のこと、電話が通じなければ、即、メールでの連絡を依頼。中にはメールに不慣れな方々もいらっしゃいますが、「連絡を待っています」の一言でも結構ですと御協力依頼。< 計画停電エリアの企業さんは、メールを活用してみてはいかがでしょう? >現状、ネット・アクセスすら不安定な印象を受けることもありますし、メール送受信のインフラにも限りはあります。それでも、電話や携帯に比べれば繋がり易いですし、イザとなればWebメール機能を用いて通電域での送受信も可能です。2.協力会社に(転送)対応を依頼西日本域にある協力会社に、計画停電時の一部業務対応の快諾を頂戴し、一部の御客様に関しては、電話不通時には協力会社に連絡を取って頂くように手配。(業務種類等、非常に限定される対応ですが・・・)< 「秘書サービス」はどうでしょう? >受電対応などを代行してくれる秘書サービスというのがあります。少々、費用は掛かり、計画停電区域外にあることなどを十分にチェックする必要もありますが、活用するのも一法かと想います。通常時には大して考えずに済んだようなことばかりなので、もしかすると検討したこともなく、困っている方々もいらっしゃるかもしれません。そんな方々がいらっしゃったら、一つの案として紹介してあげてみて下さい。経済活動へのダメージを出来るだけ食い止めることも、今、災害の直接被害を受けられた地域や被災者の方々に出来る、一つの貢献だと想います。
2011.03.15
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昨晩、メールをチェックしていたら、心配していた取引先の担当支配人からのメールが!創業以来、こんな遠方のチッポケな会社(というより個人商店)と御取引を続けてきて頂いた取引先である。ようやく通電したらしく、迷惑であることは承知していたのだが、電話させて頂かざるを得なかった。電話も無事に通じ、いつもの明るい声を拝聴して、つくづくに、何にも増して有難かった。むしろ、こちらの被害を気遣って頂いて。たまたま近くにいた次女が驚いたのか、後で「パパ、泣いてたよね」と女房に言いつけておったが、人は嬉しくても泣くものなのだよ。まだ小さい君には分からないかもしれないけれど。もう、触れることさえ躊躇わざるを得ないライフ・リミット過ぎの吉報なのだから。もしかしたら、お役に立つかもしれないの情報ですが、その取引先は岩手の西側の山地(雫石町)にあります。電話や電気が不通になってはおり、また物品散乱はあるものの、現地の被害は比較的少ないとのことでした。テレビも通電していないので見れず、連絡を頂いた寸前に情報が入って来て驚いているとのこと。地滑り等も気になったのですが、まだ寒いことが逆に幸いしているのか、目立った崩落は意外と少ないとのこと。雪解けも近いのでお大事下さい、とお伝えしました。このように、山間部で連絡が取れない場合、人的被害というよりインフラ被害の可能性もあるようですから、御心配の方々、是非とも希望を持って下さい。今日の私は、目覚めてから慣れない肩凝りに驚いてます。親族外の私ですらそんな状態ですから、連絡の取れない親族をお持ちの方々の御心配やストレスも想像に難くありません。そういう方々が周囲にいらっしゃったら、是非とも支えて上げて下さい。そして、既に少しづつでも、立ち上がっている人々もいます。【地震】じいさん「また再建しましょう」 紹介元:3日目にして救助されたおじいさん
2011.03.15
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計画停電の延期が非難の的になっている。我が家では「計画通りに停電させちまえばいいのに」と言う意見が飛び交った。東日本大震災:計画停電、大混乱見送り一転、「予断持てず」=東電の説明も混乱私でさえ電話・ネット不通対策やらで、業務の円滑化を図るだけでも大変だったから、企業からの意見であるのならば、気持ちは分かる。出来るだけダイヤを組みたい交通機関も大変だったろう。しかし「供給しない」と言っていた電力を供給されては迷惑?こういう時なのだから「ないもの」として臨むしかないのでは??そもそも、あのテレビで騒いでる人達って誰なんですか???正直、該当域外の方には分かり難いかもしれないが、この計画停電、恐ろしく不確定要素が多い。例えば、私の住んでる町内だけでも3G/5G位には跨っている。最小単位の地区名まで下げても2Gに跨ってるので、「多分、あそこが区切りだね」と、過去の停電等の経験則なんかで推し図るしかないのではある。サポートセンターに電話が繋がれば・・・だが、繋がらないし。私の最寄路線なども、電送の関係だと想われる3区域に分けられてる複雑さ。全日不通区域に入ってるので、アポを一つ飛ばさざるを得なかったが、理解してもらえたか怪しい・・・orz東京寄りは、一応、動いてるし。また、発表時間の遅延待ちも少なからぬストレスになっている。明日の計画を知りたくても、未だに(19時過ぎ)分からない。情報収集担当の私は遅くまで起きていなければ、なので、更に寝不足が・・・それでも、少し表に出れば皆が一生懸命に節電していることが分かる。店に行けば照明を落したり、エアコンを控えたりの基本から。今まで、どんなに言われても無駄遣いしていた電気を、である。それだけが理由ではないかもしれない。慎重に過ぎただけなのかもしれない。でも、節電せざるを得ないことに変わりはないですよね?つまり「ないもの」と想って対処せざるを得ないですよね?そんな中で供給出来れば・・・ということで供給しただけじゃないんですか?言い方悪いですが、「“あるある詐欺”と“ないない詐欺”のどちらが良いですか?」と言えば、今は“ないない詐欺”じゃないですか?実際、私は停電見送りで+αのアチコチに連絡だけでも出来て助かりましたよ?「今は大変だから、皆で協力して少しづつ我慢しなくちゃいけないんだよ」「皆が協力したから電気が少し使えるんだって、良かったね」なんて子供達に言ってるけど、あんな報道を見てたら、「やっぱ、俺がバカなだけなんかな~」なんて、悲しくなってしまったよ。ないものと想えば良いじゃないか・・・というか、この際「バシッ!」っと停電したれ、東電!今は他にも大事な仕事があるんだから、そっちをシッカリとやってくれ!!
2011.03.14
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こちら埼玉の川越辺りでは、計画停電の影響からか、通常では有り得ない交通渋滞が発生しています。なんとか第一Gは停電回避、第二Gも停電回避を検討とのことですが、本日は大手工場の操業見送りなどもあり、本格的に停電を要するのは、もう少し後になるのかもしれません。その一方で、東京電力や政府に対しての不満もあろうかと想います。「もっと上手くやってくれ!」という必死の想いも分からないではないです。ただ、今は金融の中枢を有するという意味でも、23区内を最優先に、停電させるわけにはいかないのではないでしょうか?投機と断固戦う日銀、7兆円を即日供給普通に考えれば「円安」になるはずのドル円、レパトリ(保険会社の日本円への戻し)等を見込んでの動きか(要因は多々、ある)、「円高」傾向を早速に示しました。1ドル=80円60銭近くまで急上昇ドル円チャートこの動きは、阪神淡路大震災時(その後)を想起させます。介入の有効性はどうなのか?というのも、もっともな意見ですが、ただでさえ経済ダメージも少なくない今、「円高」を迎えることになってしまったら?また、これから保険会社は海外資金を円に還流して保険金支払いに充てねばなりません。確かに微妙な舵取りで、今後、火力発電に頼る流れがある一方で、原油相場も予断を許さない動向が続いている上、極端な円安に振れれば輸入にも響きます。WTI原油先物政府与党だろうと、どこの政党だろうと、諸手を上げて賛同出来ることばかりではありません。東京電力の対応にも首を捻ることも少なからずあります。それでも・・・出来ることをやるしかない、です。出来ることしか出来ない、です。特に経済界のリーダーの方々、自社保身だけでなく、是非とも、この困難を乗り越えるべく大同団結して立ちあがって下さい。今こそ、まさしく「平成の龍馬“達”」の出番です!!
2011.03.14
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激しく落ち込んでばかりではいけない!ということで、前回の少し明るい気持ちになれた記事と続き。世界が一様に驚くが、これこそ誇り高き大和武士の姿である。「震災後も整然」と日本に驚き東日本大震災:「不屈の日本」Orderly disaster reaction in line with deep cultural rootsそして明日より東電の計画停電がスタート。我が地域は日に二度の停電だが、災害地域の方々の不便さに比べれば大したことない!少し位、仕事が出来なくても、すぐに上向くわけでもなし、ダイジョーブ。私も今、同じ空を見ているよ!「暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。 仙台のみんな、上を向くんだ!」 by smzasmさん引用 from prayforjapan.jp
2011.03.13
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大変な災害で何とも言いようがない。幸いにして親族は全て無事が確認出来たのだが・・・取引先は、ようやく今日から少しづつ無事を喜ぶ連絡が取れ始めた一方、未だに全く音信不通の取引先も。何度も地図で所在を確認しつつ電話を掛ける度に溜息しか出ない・・・ライフ・リミットの72時間が刻々と近付く中、ただただ、無事であって欲しい。激しく落ち込んでいる中、少し明るい気持ちになれた記事。世界が一様に驚く、この日本人の誇るべき姿は、むしろ雄々しき英雄の行列である。「震災後も整然」と日本に驚き東日本大震災:「不屈の日本」Orderly disaster reaction in line with deep cultural roots災害地の皆さん。具体的なことは何も出来はしないとしても、心から案じている人達が世界中にいます。ただただ、無事でいてさえくれれば良いのです。お大事下さい。
2011.03.13
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最近、色々と事情があって(?)古典を読むことが増えてきたのだが、如何せん、学生時代のような瑞々しい感覚は望み難く苦戦すること頻りである(涙)。それにしても痛感するのは、昔の人の博学さだ。古典と言っても、やはり漢文混じりも多いし、漢書だったりするわけなのだが、これが読めない・・・orz聞きかじった話だと、漢文と言うのは本場のはずの中国人すら読解に苦労するんだとか。なんでも文法的に見ても解釈が多様になってしまうほど、極論、単なる単語の羅列に見えてしまうことが少なからずだとか(本当かは知らないが 笑)。確かに時制なんてのは漢文には見当たらないので、文脈から判断するしかなかったりするし、接続語の用法が「これ、どっちに向いてるの?」なんてのがあって、しかも、それによって「内容が変わっちゃうぞえ?」てなポイントだったりすると泣きたくなる。昔の人が、そういうのを違和感なく読み書き出来ていたのは、一因には古典に対する造詣の深さと幅広く豊富な知識によるようだ。「あそこに、こう書いてあるのと同じ事だと想う」みたいに理解してたらしい・・・と書けば簡単なようだが、そのバックボーンの量が半端ない。四書五経は言うに及ばず、今では入手すら困難な仏典まで至るので目が回る(苦笑)。意外なのは内容を客観的に分析するんでもなければ、歴史的知識を余り必要としないことだ。もちろん、故事エピソードの類も出ては来るが、それ自体は左程、苦労しない。逆に言えば、歴史を踏まえながらも自立的な論説が多い、ということだろうか?この事は非常に勉強になる。我々は通常、どうしても普通に経験論で物事を考えたり対処したりする。でも、本質的なことに触れていこうとするときには、その経験が邪魔になることが往々にしてあるものだからだ。さらに言えば、経験論的姿勢でいると、自らの経験外のことは耳目にすら入らずということが少なくない。これでは、せっかく書を通じても「新しい経験」をすることは難しい。人の話を聞く時も同じことだ。今に残る古典と言うのは、やはり現代日本に生きていると感覚的に見落としてしまうような宝が多い・・・と想いつつ頑張ってはいるが、気楽に漫画でも見てた方が楽なことは確かである(爆)。
2011.01.17
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戦士の休息武士道と言うのは、日本思想の一つの中核にありながら、常に模索され続けてきたものであるようだ。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という葉隠の一節は有名であるが、それが故に曲解も少なからず、という側面もある。話飛ぶようだが、日本でも至高無比と言って良い心法の剣術に無住心剣術がある。“心法の剣術”というと、非現実的な妄想世界に浸るかのような印象を受けかねないが、その三代目、真理谷円四郎に至っては千度の試合全てに勝ったという実戦力を誇った流派でもある(但し、従弟弟子?に当たる中村権内には敵わなかったという説もあるらしい)。この無住心剣術、その術が不思議過ぎて、そちらにばかり目が向きがちであるが、伝書を読めば、繰り返し出てくるのは「当流、相討ちを意地とす」という旨の言葉である。日頃、相討ちと言っていてもイザという場面で死に嫌うばかりでは、と笑う一方、ただ猛進して死ぬのは無駄死にである、と。しかし、いわば一人一殺(相討ち)であれば、後は兵法によるところであり、一武士としての面目も立つ、という。その思想を強く支えているのは、武士という、いわば特権階級が禄を食むことが出来ることに対する責任感とでも言うべきものであろう。武士を今風に言えば職業軍人であって、常に死する覚悟がなくては勤まるものではない、というような高潔な職業倫理である。その役を果たさん時に、死ぬのがイヤだとバタバタするのは見苦しい、ということだ。“術”という点を離れれば、そのような思想と軌を一にする(剣術)流派は少なからずある。著名なところでは示現流が典型の一つであろう。武士にとっても、まさしく「イザ」という時であった幕末において恐れられたエピソードには事欠かない。しかし、それが故もあって、哀しい事に単なる「殺人剣」と見なされることも少なからずあり、実際、そういうこともあったようだ。だが、たとえば勝海舟が人斬り以蔵に守られてこそ、後の大仕事を為したことを考えると、その善悪すら軽々には問えない。さて、そのような血生臭い文脈の一方、日本の武士は“敵”であっても手厚く葬るのが習わしとされてきていて、首級改めの作法などでも、その煩雑さは覚えるだけでも一苦労するほどのものである。そこには、互いに宿命として死命を掛け争わざるを得ない者同士だけが、分かち合わずにいられないものを感じる。それがスポーツであっても、相戦った者同士のみが共有出来るようなものというのは、やはりあるものだ。翻って、いかに無住心剣術、具体的な人と言うことであれば真理谷円四郎が秘術に達していたとて、四包囲で鉄砲を打ち掛けられればどうしようもない。それこそ「テレポーテーションでもしまっか?」という話である。古今東西を問わず、多くの信じられないような超常的能力の持主が現れたとて、ついに戦いの火が止むことはない。恐らくは、その点、無住心剣術は非常にリアリズムに徹しているが故に「相討ちを以て意地とする」のである。戦い何ぞ、ないままに平穏であれば、それに越したことはない。しかし、そうもいかないからこそ、人は心に剣を秘める必要がある。その剣先は相手のみならず、自らに向いているにも関わらず、である。もっとも相手が向かってきさえしなければ使わずに済むものだが・・・残念ながら、好き好んで殺し合いばかりするような輩がいないわけでもないのだ。ララバイ・オブ・ユー
2011.01.16
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8歳の斉唱色んな議論があるとは想うけど、これを日本に置き換えたとして、果たしてどうだろう?元ネタ子供の頃は、結構、学校でも君が代斉唱があった記憶があるのだが、最近、娘達の関係で行事に立ち会う事があっても、まず聞くことがない。愛国心というと右翼だとかなんだとか・・・そうかいね???自分の家や土地に不審者が侵入したら厳しく対処するのは当然だと想うが。「日本なんて、どうなってもいい国なんだよ」なんて、本気で想ってる人達が日本人の中にいる、とかだったら怖いこちゃ。平和を尊重する事と愛国心。矛盾しかねないことはあるが・・・最近、公開された「宇宙戦艦ヤマト」を見てきた娘の感想を聞いたのだが「大切なモノを守る気持ち」の尊さに違和感は見られず、むしろ普通の感覚であることにホッとしたものだ。戦国の時代ですら多くの諸将は平和を尊んだのであって・・・だからと言って、理念だけで尊厳は守れない。ヤマト・旧OPそして・・・誰がために
2011.01.15
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前に触れたような気がするさくらの唄。普通に聞いて、明るい唄では・・・ないですね、多分(笑)。では暗い唄なのか?というと、なんか単純には言えないような複雑な気がしてきた。「ああ、もうどうでもいいんじゃね?」てな気分になることは、あるもんだ。毎日、ハッピーというのが御釈迦様の御教えではあるが、同時に毎日、アン・ハッピーであるというのも御釈迦様の御教えであるようなもんか(違)?・・・てなことを考えながら、好きなせつない胸に風が吹いてた(サザンオールスターズ)を聞いていて想ったのだが、この曲って「さくらの唄」への返歌になっているような気が。まあ、気のせいであるが・・・(笑)自分の夢を忘れかけていた頃、何度、この歌を聞いたろう?大人になれば、夢を一つにした友すら次々に去っていくものだ・・・。で、お前はどうするんだ?そんなことを桑田圭祐に問い掛けられたかのうように想いながら。まあ、そんな複雑に考える必要もないのだが(^^;好きに生きるのが一番じゃろうて(笑)。スケベ~!にだな。↑2:12位からは必見モノです!我ながら、毎度毎度、極から極に、よく振れる。腰は振れなくなりつつあるような気がするが・・・(爆)そういや日本人の特性の一つとして、聖俗が普通に共存しているような、見方によっては節操の無さみたいなものがある気がするのだがどうなんだろう?それとも東洋的なものなのか、普遍的なものなのか・・・ただ、洋モノを見ると「どっちか」に突っ走っているような気がすることが多いからなあ。そんなことで、多分、まだまだ日本も大丈夫だろ。余力が尽き切るまでは(^^;SUPERFLY Ver.スケベ~!
2011.01.15
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20世紀少年(映画)の最終章、チャンネル争いには負けたものの、やっとDVDで見れた(^^;20th Century Boys 3: Redemption [Bob Lennon Medley Live] 普通の少年で凡庸な青年としてコンビニ経営にテンテコしているケンヂ、スーパー・マンのようなオッチョ(笑)、その他、大勢。で、どれだけの人が「ともだちの狂気」は妄想と笑えるだろう・・・?誰しも、忘れたはずの子供時代の、大きな影響下にあるということは珍しくない。それを意識している人もいれば、いない人もいる。本人が否定しようとも、傍から見れば一つの事実でしかない。ヒーローになり損ねたケンジは、本当にヒーローになれなかったダメ・オヤジだったのだろうか?そのケンヂが「ともだち」に打ち勝ったことでヒーローになれたのだろうか?違う・・・と想う。いい歳こいて、お袋にアーだコーだ尻を叩かれ、姪っこの世話に翻弄されている時、既にヒーローだったろう。そんなヒーローでいられる時代が、20世紀の日本の、本当に恵まれていた時代にはあった、ということなのかもしれない。狂気は、本人にとっては至って正常な状態でしかないからこそ怖い。そして、誰でも、いつでも、簡単に狂気に囚われてしまう事実を忘れてしまう。そんな狂気に包まれずにいるには何が大切なのだろうか?Bob Lenonn gitar Ver. (Toshiaki Karasawa) 参考:遠藤賢司-カレーライス
2010.12.19
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全般的には印象が悪くなりつつあるアメリカの経済。次はアジアに覇権が・・・という話もあるが、本当にそうだろうか?スティーブ・ジョブスハングリー精神はアジアも負けてはいない。チャレンジ精神も事業展開や儲けに対する技術や執念も凄い。しかし、この壮大なスケールの“夢”とでも言うべきものはどうだろう?ランディ・パウシュの「最後の授業」1そして日本は?自分は?まだまだ、やれることがあるはずだ。忘れてしまう程、昔のことだろうか?過去のことだろうか・・・?日本古写真保存研究会
2010.10.29
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人生初めての痔になりました。大トイレに行った後の入浴で気付いたのですが、それが、たった1、2時間位の間。そんな短時間で出来たのだから、気付いた時は驚きです。「・・・腸が飛び出した???」とか想って、想わず女房を起こして確認してもらってしまいました(大爆)!「これは多分、痔だよ。 大したことない、大したことない。 男の人は本当に、こういうことに大袈裟なんだからムニャムニャ・・・」と女房に言われ眠られ不安の夜を熟睡して過ごしてしまった翌朝に病院で診てもらうと、なんでも裂肛(切れ痔)もあるが、痔核(いぼ痔)の外痔(?)Ver.とかなんだそうだ。痔というのはウィルスかなんかだと想い込んでたオバカな私めの頭の中では(爆)(ど、どこで感染したんでつか・・・???)と巡り想いつつ先生の話を聞いたら、要するに血豆なんだとか。でもって、「とにかく、こやつをどうにかして頂きたいのですが・・・」と言うと、「切りたいと言う事ですか?切ると痛いですよ~。私なら切りませんね。」と、初体験の患者を前にニヤニヤして見える先生が仰る。既に、そこに至る前の診察で触診されては「アヒャーッ!」、変なモノ(肛門鏡というらしい)を突っ込まれては「許して下さい、勘弁して下さい・・・」と涙し、男としてのプライドなど、一切放棄していた私は、即座に、「やっぱりお尻をナニして頂くのは、もうイヤです・・・」と、乙女のようにしおらしく先生の指示に従ったのでありました(苦笑)。なんでも・・・1.その血豆(痔)を形成した出血箇所が止血され2.中の血が固まり3.その後、少しづつ血豆の中身が溶解、消滅するという過程を経て治るらしい。ところが、この「2.」に至るまでにエライ時間が掛かる事、掛かる事!!「治るまで2カ月くらいかな~?」とか言われたのに、2カ月位して、ようやく「プニョプニョ」状態から「コリコリ」状態に移行したという始末・・・(涙)でも、一度、「コリコリ」状態になると意外と早くて、確かに日毎に小さくなっていく。今回、想ったのだが、私の場合は、どうも腰痛防止ベルトが怪しい。腰は快調なのだが、腹圧が掛かり過ぎたのではないか?というのが女房との一致した意見であった。アチラを立てればコチラが立たず、兎角、この世は住みにくい・・・とは違うような気もするが、心情としては、そうなのである。それと、実用的にも「ケツの穴」は大きい方が良いようだ、と今回、つくづくに想ったのです(女性は抵抗感が少ないらしいですが)。これを御覧になっている貴方も、いつ、私と同病相憐れむやもしれません。その時に備えるためにも、ケツの穴の大きな男になりましょう(違笑)!!いや、あの時は参りましたよ、本当に・・・(T_T)
2010.10.26
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よびりんさんの記事を読んでいて、「おお!」と。参考:Wiki掲載イラストのまんまやん(爆)!他の写真是非とも健闘を!と想うとともに、やはり大事が起きないように祈らざるを得ない。何のかんの言っても、やはり日本は平和ですな・・・
2010.10.26
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松田聖子/SWEET MEMORIES松田聖子のニューCMが流れるとか。いやはや、時の過ぎるのは早い。さてはて、ここしばらく、いくつかの再建案件を抱えていたのだが・・・今の時代にも、ある程度のガタイを持っている会社は、タイミング次第というのもあるが、再建自体は難しくないことをツクヅクに痛感。一方で、その再建と言うのが、大抵の場合は経営者の“資質”とでも言うべきものを変革しなくては出来ないものだということも。言い方を変えれば、経営に限った事ではないが、いつまでも甘い想い出に浸っていてはダメだということだ。何でもそうだが、自責的なモノの見方を出来ないと、出発地点にすら立てない。別に他人事というわけではなく、自分もそうなんですけどね・・・「なんとかしたい、しなくてはいけないんですが・・・」という経営者のほとんどの二言目は、「うちの従業員は・・・」である。本音を正直に言えば、「いや、従業員以前に貴方がですね・・・」としか言いようがないわけですが。どこの会社だろうと、そんなに優秀な人材ばかりで構成されているわけはないのでして。とは言え、それを面と向かって言う事で納得するような方なら、大体が問題化するわけもなく。なんともかんとも・・・舟唄/八代亜紀 経営者の資質・・・ということで言えば、今、痛感するのは「孤独に耐えられること」だと想う。従業員だけでなく、得意先を含めての取引先との、時に対立する関係は厳しい局面を当然に迎える。その決断の時、やはり経営者は孤独に耐え、その中で各々の「正解」を導きだすしかない。そもそも正解などない、という点でも孤独ではあるのだが・・・再建が問題になる程のケースでは、経営者が孤独に耐えられない場合が多いようだ。そして、そういう状況に耐えられるかどうかというのは、これは“資質”としか言いようがない気がしている。幼少からの家族関係を始めとして、それにどう向き合ってきたか、どうしてきたのか・・・そして今、自分に家族がいたら、心から感謝出来るか?陳腐なのだけれど「本当に“そんなこと”」が生死を分かつようだから不思議なものだ。それをどう伝えればいいのか・・・未だに模索が続くわけではありますが。誰しも未熟なまま、大人というものをやってたり、親をやってたり、経営者をやっていたりするもんで。「未熟だ、まだまだなんだ」そんな気持ちを心底、持ち続けることこそ大切なのかもしれない。そんな時、「省」という字って良いですよね。「少しの目」を向ける、みたいな(違うかもしれまへんが)。そう、未来を切り開くためでなければ省みる意味はない。凹んでる暇など誰にもないわけです。本日、未熟者/TOKIO
2010.10.23
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時の過ぎゆくままに/沢田研二今より若い頃、仕事である宿場に数日、逗留したことがある。一人で過ごす夜は想う以上に長いもので、ホテルに聞いて、近くのバーを紹介してもらい、ツラツラと過ごしていた。そんなに栄えているような宿場でもなく、バーと言っても地元の人達が仕事終わりに集まるような店でしかなかったが、東京の方から来たと言う事で珍しいのも手伝ってか、ある娘と仲良くなった。そんな夜、しこたまに酔っ払い、ホテルの方角が「あれれ?」状態になったもんで、その娘が仕事が終わったら送ってくれるというような話に。と、店長が目敏く(爆)、「そ、それはマズイので私が送って行きますから・・・」「ああ、別に私は何でもいいです、帰れれば(・_・)ノ」夜夜中に男女がホテルに向かえば、どうなるかは知れたもの(^^;結構、人気がある娘だったらしく、それまでも他の御客さんのところに行くように何度か言われてりと雰囲気は察してはいたので、店長からすれば「勘弁してくれ!」というとことだろう。その娘と暫し揉めていると言う程でもないまでも穏やかでもなさげな話の後、私は拉致されるかのように店長に送られたのであった(爆)。安奈/甲斐バンド私の年代だと“貞操観念”が今よりはあった・・・はずだとは想うが、そういう生き方をする女性は、いつの時代にもいる。それを以て貞操観念がないとかなんだとか言うのは簡単だが、そういうものとは少し・・・いや、大分、違うと想う。ただ、今になって想い起すと「神仏は何を私に見せたかったのだろう?」とも想ったりする。そこでナニが起きても起きなくても、である。いまでもそうだが、私の周囲には、あまり金銭欲のない女性が多い。むしろ、金銭には換え難いナニカを基準に生きているかのような。話が全然変わりますが、だからと言って、国がお股を気軽に開いて良いはずがないのです・・・(苦笑)アホな方々は、閉じてる積りでも肝心の股は開いてしまうようですが、全くに困ったものです。
2010.10.23
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いきなりだが(笑)好きではないので普段は島田紳助が出る番組は見てないのだけど、たまたま目にして気になったまま見た川原医師の姿には心打たれた。遠国で成長を見ることもままならないだろう息子さんのラグビー試合に合わせて走り出す川原医師、BGMがピッタリだったなぁ・・・こういう活動と言うのは、本当に難しいと想う、色んな意味で。多少の善意で協力した人ですら、偽善や売名だと言われたり。実際、そういうこともある・・・というより多いわけでもあるけれど。そんなことが頭を過る時、印象深く残っている、国際的な賞を受賞した、ある平和活動を推進していた人のスピーチを想い出す。「あなたは平和活動を一生懸命しているけれど、それは無駄なのではないか?と、記者の方に聞かれたことがあります。 その時、私は、こう答えました。 確かに難しいし、無駄なことかもしれません。 しかし、だからこそ、私は一生懸命やっているのです。」という要旨だった。見方次第、とは簡単に分かる事だし、実際、「そうだよな」とは想う。しかし、ここまでの“見方”を出来るだろうか?何に取組むかは人それぞれだが、それぞれの中での困難は避けて通れない。誰も、何も信じられない様な状況に陥っても、自分自身すら疑いを抱かざるを得ないような苦悩の中でも、そんな風に見方を味方に出来るか・・・?曇りなき眼というのは、人が人としてあるために、当たり前なのだけれど困難な事と正面から向き合う事で、始めて得られるものなのだと想う。それは、やはり人や、この世の色んなことをひっくるめて止むことのない愛からしか出てきようがない、とも。きっと、愛や慈悲の目で物事を見ることが出来なければ、正しく見ることすら出来ないんだろう。自分は可愛いが、自分一人で世界は成り立たない。多分、そんなようなことなんだろうと想う。後ろも大事だけど、前はもっと大事だ。
2010.08.05
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パナマでカエルが大変らしい。日本でも早期に確認されているカエルツボカビによる大打撃だそうだ。Wikiで見ると、日本のカエルへの影響は今の所は限定的な可能性が見込める・・・のだろうか?しかしツボカビ門なんてのがあるんだなぁ・・・菌は種類も多いし分類も複雑過ぎて、説明を読んでも頭に入らん(^^;ミズカビが卵菌というのに分類されるというのは、何とか覚えられそうな気がしないでもないでもないか・・・(苦笑)ある動物の移動に伴って新しい病気が蔓延すること自体は、タイム・スケールは別としても、自然界でも普通に生じる事ではあるだろう。それでも、大甘に見ても人の介在する場合、往々にして急激に過ぎてしまうことは過去例からも確かだ。広まった原因は違っても、鳥インフルエンザや口蹄疫と言い、最近は動物にも悲惨な病気の蔓延が目に付くが、その度に感じるのは人間の無力さだ。人間は自然から大きな恩恵を頂戴しているが、いかほど、その恩恵に報いることが出来ているか・・・そういう意味では里山というのは奇跡的文化と言っても良いかもしれない。FAOによる世界農業遺産という構想は非常に興味深い。右左の思想が絡む問題なの?という疑問もあるが、里山が世界農業遺産のような形で評価されるだけでも、少しは我々の見方も変わっていくかも。とは言え、こういうのは大抵が利権絡みだからなぅ・・・地道に守り続けている人達を応援していくのが、遠回りでも一番良い方法なのかな?
2010.07.21
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お休み中、南房の民宿にお泊り。夜中にプカリしながら裏庭を眺めていると、珍しい姿が・・・おお、便所コオロギ!・・・もとい(笑)、カマドウマ!!比較的、色んな生物がウロツク我が家ではあるのだが、そう言えばカマドウマを目にしたのはいつ頃か??などと想いふけってしまった。もちろん、美しい海山に恵まれた南房と比較するべくもないのは承知だが、鬱陶しい程、そこらにいたカマドウマすら目にすることが少なくなってしまっているんだなぁ・・・と。少し見遣れば大きな地蜘蛛や光に誘われたカナブンやら、そして虫の音。私の住んでいる辺りは、むしろ宅地化を進めるべきだろう地域だとは想う。それでも、やはり自然が減っていくことには寂しさを禁じ得ない。日本は本当に素晴らしい自然に恵まれた国だと想う。しかし、如何せん、狭い・・・小さな土地であっても、大切に活かさなくてはいけないな、と想わされた。
2010.07.20
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AKB48が大変なこと(?)になってるようだ。エロ系絶対反対という方には「ケシカランッ!」という一言で終わらされそうではあるが・・・まあ、裁判所の判断が妥当のような気はする。「AKB48のイメージを傷つけるような仕事を3年間は行わない」という気持ちは分からんでもないが、これってブッチャケ、「商売の邪魔をするな」ということですわな。辞めていくメンバーの立場からすれば「何と勝手な・・・」という話だろう。本人も承知の上とはいえ、元々は「売り物」ですからね。それにしても元所属事務所の代理人の発言がなぅ・・・「AKBを辞めた女性たちに悪い大人たちが群がり」って、自分達は悪い大人ではないのね(^^;しかも「本当にヌード写真集を出版したいのか、中西さん本人の意志を確認する意味もあった」って、22歳の女性、それも知らぬ中でもないのに裁判を起こすかね?本当に心配なら本人に直接、会って聞けばいいじゃないか・・・(苦笑)これって、うがった見方をすれば、裁判で申し立てが無効になるのを見越して、「今後、ウチ(アイドルなんか)を辞めるメンバーのアダルト業界進出が認められましたよ~♪」と言う路線狙いの布石じゃないのかね?と想ってしまう。なんなんだかなぁ・・・orz
2010.07.16
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不死身生物の研究に取り組んだとかいうペンタゴン、その課題は、実は恐るべきものであった!記事このDARPA研究リストを見せたら、仕分け人は何と言うのだろうか(爆)?しかし、アメリカというのは混沌としつつも恐ろしい国だ。最近では日本人より日本人らしいアメリカ人が珍しくないが、何と言っても貪欲であり、チャレンジャーである。こういうバカげたことにも大真面目で取り組むというのは、やはり大国ということなのではなかろうか?いや、単にバカなのであろうか(爆)?でも、こういうアメリカって素敵だと想うし、恐ろしいとも想う。一目しただけだと笑ってはしまいますけんども・・・(^^;
2010.07.09
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イラーガーというと何となくカッコいい気が・・・しないか(苦笑)。先週までは気配がなかったのだが、昨日、発生が確認されたイラガども。イラガ薬を撒くのは躊躇われるので、チビチビと駆除するしかないのだが、なんとか天敵駆除で対応したいところ。カマキリは代表的な天敵なのだが、ここ最近、我が家の庭でもあまり見掛けなくなってしまった。さすがに宅地化の流れには逆らい難し・・・どっかで捕獲して補充を図ってみるか・・・(==;イラガの天敵は他にもいるが、あまりヤドリバエは見掛けないし、(イラガイツツバ)セイボウは外来種なので、あまり歓迎したくもなく(^^;やはり、ここはカマキリの活躍をば。しかし・・・捕獲してきても我が家の守り神の如く住みついているトカゲ達に襲われるんだろうなぁ・・・今の所、父の個体確認(?)では三匹が活躍中のトカゲ、一匹は尾まで入れると20cmを超える(笑)。草むらを走る時には、知らねば何が走ってるのか?と想う程である。他二匹は10cm強、後はチビ助という感じだが、トカゲにとってはカマキリは良い餌だもんなあ。うぅ~ん・・・恐るべきイラーガーとの闘いは続くのであった・・・
2010.07.08
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知覧の田舎に行くと、祖父は五月蠅がりもせずに私と妹の相手をしてくれたものである。海軍に志願した祖父は、鹿児島で散見されるサモア系のガッシリした体格の持主で、寡黙ながらも優しさを奥に秘めた鋭い視線が印象的な薩摩隼人であった。小学生の頃だったか、その大好きな祖父と肩を並べて畑を眺めている時、「お爺ちゃんの跡を継いで百姓をやりたい!」と訴えたことがあったのだが、嬉しそうな顔をしながらも、困ったように、「お前じゃ(百姓は)無理だ。」と笑って却下されたことが懐かしく想い出される。体力には自信があると訴えても笑って相手にしてくれず、(鍛えてるつもりでも、なるほど祖父と比べればガタイが違う。 まだまだ、この程度の体力では百姓は無理なのか・・・)とガッカリしたものだが、後年、その話を父にしたところ、「嬉しかっただろうが、自分が苦労した分、孫には同じ苦労をさせたくなかったんだろう。」と祖父の心情を聞き、無駄言のない深い愛情を噛み締め直したものである。確かに鹿児島の土地は、知られているシラス台地で実際に耕作すれば驚くような土地で、適する農作物も少なく、お茶が盛んとは言え、最近でこそメジャーになった知覧茶も、当時は産地名を変えて出荷する程のマイナー振りだったのである。高地な上に水を引くのも難しい土地なので、父の子供の頃には陸稲しか採れず、野菜の育ちも決して良くなければ、植林しても多寡が知れている。食う物が全くなくなってしまう北国とは異なるが、やはり貧しい生活を余儀なくされてきたことも確かな、貧しく厳しい土地なのだ。そうでなくても、お百姓さんというのは、やはり大変ではある。これは何処でも同じだろうが、法事か何かの時、子鼠が飛び出してきたことがある。子供連中は普段は見れない小動物に喜んで、「鼠だ鼠!可愛いね~!!」などとはしゃいで見ていたが、地元のおばさん達は、一斉に、「つぶし!はよ、つぶし!!なにしてる!」「へ・・・・・?????」と、事情を呑み込むまで数秒か(苦笑)?結局、近くの薪でドスン!「キュッ・・・!」とお陀仏。百姓の現場を知らない私らからしたら可愛い鼠も、そこでは“害獣”以外の何者でもないのである(^^;考えてみれば当たり前のことだが、モグラ、イノシシ、鹿、猿などなど挙げればキリがないが、これらも皆、百姓にとっては須く害獣なのである。祖母は、大変、優しい人だったから心苦しくもあったのだろう、虫を潰す際などには、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・すまんね、すまんね」と言いながら作業していたと言う。やたら農薬をブン撒くようなのは流石に考えものだとは想うが、それでも「現場」というのは、そういうものだ。耕して種蒔いたら天気次第で刈り取るだけ・・・後は茶飲み、というわけにはいかない。機械化の流れで作業の多くが楽にはなっても、それで地味な自然との戦いが解決するわけでもない。とは言え、祖父のトラクターの荷台に妹と二人、乗せ連れられた茶畑から望んだ紺碧の空に聳える開聞岳。あの美しい空の下に、大切なものを忘れてきてはいないだろうか?と、ふと想ってしまうことが、いまでもある。
2010.07.07
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たまたまテレビで見掛けた花の中学生応援団が面白くて最後まで拝見。不条理・不合理としか想えない様なシゴキ(?)をされているように見えるが、一概には、そうは言えないのが難しいところ。剣道のは穏便なのしか見つからなかったので(これ以上、競技人口が減っても困るしな・・・との配慮か?爆)珍しい銃剣道の動画を。銃剣道での呼称は分からないのですが、剣道だと円陣掛かりとか相掛かり、あるいは単に掛かり(稽古)と言われている稽古法ですね。見慣れていない、あるいは経験していないと危険に感じるかもしれませんが、それでも演武ということもあってか、まだ穏やかで、元立ちの方も激しく突き込んでいるようで、非常に丁寧にシゴイて(?)るようです。・・・かと想ったんですが、よく見たら連続の一本取り稽古みたいですね。まあ、この稽古でもキツさに左程の変わりはありませんが(^^;*銃剣道に対する誤解なきように試合の様子&剣道での実際のシゴキも動画が見つからないだけで同じようなものです、はい(汗)この手の稽古や練習は、どんな武道でも、あるいはスポーツでもありますが、まともには一分も持てば上々でして(^^;そのうちフラフラと漂うままに叩かれ突かれして、やがては立てなくもなり、地に這ったまま力なく竹刀を振り回したりしてですね・・・しかも技能向上とかの意味は?と聞かれると「・・・」であったりして(爆)。「単に試合に勝つため」であれば、より合理的な稽古・練習は、いくらでもありますからね。そう言えば、有名な「水を飲ませない」というのも、飲水後の体調のこともありますが、武道の場合だと「戦場で水飲んでらんねぇだろ?」というのが元々の由来だそうです。簡単に言えば「畳上の水練」にならないようにするには、かく厳しくならざるを得ないということですが、スポーツでも特に長時間、合い競っている極限状況では、最後の一踏ん張りが効くかどうかが分かれ目ということは少なくないですからね。最後の一踏ん張りは、こういう練習からしか、中々、出てこないものでもあるでしょう。当然、歳を取った人が同じ事を、しかもイキナリするようなのは単なる無謀というもので、たとえ若くても、特に指導者は目を光らせていないと想わぬ悲劇を招きかねません。また歪なシゴキを許さない見方も常に必要です。事故に繋がるシゴキをするような輩は、大概が自分自身がギリギリまでの経験をしていないで、気分だけは「シゴイてやってるんだ!」ってな感じなので性質も悪くなりがちですからね・・・最近は、ボクシングなどでも早期にレフェリー・ストップが入るべきということが周知されてきています。格闘家などは意識が飛んだままでも戦い続けるように普段から鍛えていますから、第三者でもあるレフェリー、セコンドの役目が重要であることは間違いないことでしょう。有名な話で「辰吉丈一郎と一緒にトレーニングさせてくれるな」というのがありますね。ハード・トレーニング過ぎて、それに付いていこうとして選手が潰れてしまうんだとか。一方で、ガッツ石松のように、敵わないと想ったら自分から大の字になってテン・カウントを待つというトンデモをやらかしてセコンド達を怒らせる、というようなタイプもいるわけですが(爆)。いずれにしても、厳しい経験を通してこそ成長するナニカがあることは確かですが、それを見守る人の重要性を心する必要は欠かせませんね。あの若い涙が将来の礎になるように・・・と想わずにはいられませんでした。
2010.07.04
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残念な形で終わってしまったプロジェクトXながら、それでも尚、珠玉とでも言うべきものは多く。中でも、VHS版限定でのみ見れるこの回は大好きなものの一つ。社内的にも隠密裏に進めざるを得なかったプロジェクト、それが日本初の世界標準にまで育った・・・と一言で言えば、それで終わりだが奇跡そのものだ。今後、国内消費をアテにした経済成長は、少なくとも当分は見込みようがなく、残るは残パイの取り合いのみと言って良い。しかし、このような形で世界に打って出ることが出来れば・・・故・高野氏は、後世に不朽の希望をもたらした偉大な産業リーダーでもあったと想う。中々に見つからなかった動画でしたが、縁のある方は、是非ともご覧下さい。本当はNHKで再放送してくれれば一番、良いんですが・・・
2010.07.01
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藤田まことさんが亡くなり、いかに・・・?と想われた必殺・仕事人。中村主水という大黒柱を失いつつも2010年度版が!ジャニーズ番組と化すのでは?との懸念がなくもないが(苦笑)、和久井映見や野際陽子、中越典子らの女優陣にも恵まれ、東山紀之扮する渡辺小五郎も中々。別にジャニーズでもいいんだが、武士の一分で懲りたからなあ(^^;ただ、山桜でも良かったし、個人的には東山紀之の時代劇は好きな方に入るようだ。現在、予告編で流れているナレーションは仕事人シリーズとして確立して初のときのものだと想われるが、「かけ」は「掛け」なのか「欠け」なのか・・・全文はこんな感じ。 一掛け二掛け三掛けて 仕掛けて殺して日が暮れて、 橋の欄干腰おろし、遥か向こうをながむれば、この世は辛いことばかり。 片手に線香、花を持ち、おっさん、おっさん何処行くの。 わたしは必殺仕事人・中村主水と申します。「それで今日は何処のどいつを殺ってくれとおっしゃるんで」<必殺シリーズ第15作・必殺仕事人 作:早坂暁 語り:芥川隆行>引用元必殺シリーズと言っても、悪人殺しを手放しで礼賛するようなものではなく、その中身は決して明るくもない、というか暗い(^^;これまた好きな鬼平犯科帳とは比べるべくもないほどに殺伐としている。それでも、その中でギリギリの良心とでもいうようなものもあり。今、再放送中の2009の十三話中でも、中村主水の、こんな台詞が聞ける。「おめぇよ・・・てめぇの分け前、取らなかったそうだな。 取んな。 おめぇも俺も神様じゃねぇんだ。 善悪を裁いて下さるのは地獄の閻魔様の御役目だ。 俺達はな、銭貰って人の恨みを晴らす・・・薄汚ねぇ裏仕事だ。 おめぇ、それ忘れると人じゃあなくなるぜ・・・」元より地獄行きは覚悟の上だがよ、せめて生きている間くれぇは同じ仮面でも人の仮面を被っていてぇじゃねぇか・・・そんな呟きが聞こえてきそうだ。ただ・・・特に江戸時代前の武士の(位の)元を辿れば死を決しての血山行き、それがために俸禄も頂戴出来たのであって、その心情は仕事人に近かったかもしれないな、などとも。そして時事を取り上げてきた仕事人、2010SP版のテーマは「事業仕分け」だそうである(笑)。
2010.07.01
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御釈迦様の教えというのは、シンプルなのに多面的である。タイトルの「仏に逢うては」は「臨在録」で読んだ記憶があるのですが、「無門関」にもほぼ同じ記載があるのだそうだ。「仏に逢うては,仏を殺し」とは物騒な表現ではあるが、御釈迦様の教えが「何ものにも囚われるな」と徹底して繰り返されていることからすれば、これくらいの表現をして通じるかどうか?というところかもしれない。それでも、現実的には難しいことも生じるもので、身近な所では道元禅師のエピソード等が挙げられよう。この辺り、御釈迦様は?というと、国王等からの信も厚かったのだけれど“その体温”を感じ取ること自体が難しいし、易々と表面を嘗めて良しとするのも如何なものか。そういったことは御釈迦様の在世にすら既に生じていて提婆達多の事件をどう考えるべきか?などにも連なってくる。もっとも、御釈迦様はと言えば「最後の旅(中村元先生)」にもあるように、そもそも「教団を作るぞ、導くぞ!」なんてのすら希薄だった気配が濃厚。そういう意味では、原始仏教は「宗教」と言えるのかすら、定義的には難しい。大体が、当時インドの最高神格である帝釈天・梵天が梵天勧請がなければ「このまま涅槃に入ってしまおう」と想われていたほどであるからして。仏教を宗教とするならば、神様をして懇願せしめるという壮大な話があること自体が大問題に繋がりそうだ(^^:(もちろん、御釈迦様の後は宗教としての態も成していくわけですが・・・)それはともかく、明確かつ重大な違背をしたと想われる提婆達多ではあるが、御釈迦様個人としての対応がどうであったかは疑問もある。御釈迦様在世時の他の弟子ですら、かなり奔放な事件も起こしたもので、それでも破門という例は皆無に近いのであるからして。もっとも、そんなこんなが提婆達多には納得出来なかった節も強いようだ。かと言って、御釈迦様が苦行に見切りを付けられて後、菩提樹の下に座してよりも、やはり安穏と悟られたわけではないのだ(^^;その戦いの凄まじさは「ブッダ・チャリタ」等にあるが如しであって、鈴木正三禅師の仁王禅が奇を衒ったようなものではないことは明らかだろう。しかし、慕ってきた弟子や一般人・神々に対する慈悲の濃やかなること、この上ない。提婆達多も、そういう御釈迦様や、その教えの本質に忠実でありたかっただけなのかもしれない。てな具合に、御釈迦様は恬淡と執着を離れ続ける行を積まれるばかりであったが、その御釈迦様に魅かれた人々は、往々にして迷ってしまうのである。それは常に従事していた阿難尊者の釈尊涅槃時の号泣振りにも見てとれるし、御釈迦様ご自身も目連・舎利弗尊者に続けて先立たれた際には、集いで、その悲哀を語ったとされる伝承があるほどだ。何ものにも囚われるなと全てを断ち切って澄み渡った境地に達して尚、御釈迦様は人としての暖かさを失わなかったようだ。没後2500年を経て仰ぎ見ずにはいられないのであるから、その在世にあっては、どれほどの大導師であったことであろう?「導くとか考えてないよ♪」などと言われても、その後の大潮流が止め処なかったのも納得である。もっとも、当地インドでは、仏教はヒンドゥー教に取り込まれ、ほぼ同一視されているらしい。日本での神仏習合みたいなものだろうか?しかし、どのような在り方であったとしても、御釈迦様は淡々と抜苦与楽の道を歩み続けるだけなのであろう。
2010.07.01
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民主 参院選対策「マニフェストは生き物」修正正当化へ問答集なんだか、益々、グダグダして参りましたな。マニフェストの歴史的背景からすれば・・・まあ、いいんですが(苦笑)。どんな政策も満点ではあり得ないわけで、「斯く斯く云々により、こうすることにしました」と説明するならともかく、要するに金が足りなくなったわけでですね(^^;せめて、間違っていたら間違っていた、とですね・・・言ってもらえるような政党であって欲しいんだが。棄権というのも一つの意思表明ではあるものの、棄権せざるを得ないというのは寂しい限り。優秀な方々は一杯おるのだから、是非とも頑張って欲しいものだす。
2010.07.01
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おいらのPCのホームは、Yahoo!ニュースにセットしてあるんだけど、地域ターゲティングでローカル・マニフェストの宣伝が入っていた。「ふむふむ・・・」と想って読んでみたのだが、残念ながら良策とは想えんの(^^;地域経済・政策に首を突っ込むと、そこにある現実というのは国政以上の改革が必要な利権構造があるのである。少し過激だと報道されがちな、あの橋本さんだって、好きで過激にしてるわけではない(と想う)。大阪というと東京に次ぐ“都会”というイメージがあるが、東京と同じく、その実態はハコ(街)並が都会っぽいという程度。とかく地方行政に対しては、厳しい目が向けられていたり、それを打破する勢力が育っていたりはしないものだ。その点は国政以上に難しいと言ってもいいいかもしれない。時に巧妙に、時に堂々と(苦笑)、地域有力者が市町村行政の要職を占めるようになっている、なんてのは珍しくなく、国会の二世議員なんて、まだまだ可愛いもんである。国会ほどの厳しい追及を受けることなく、適度に甘い汁を吸うなら地方に限る(爆)。・・・ということを承知しての地域アピールなのだろうか?今後、そういう状況が変わらざるを得ない可能性なんかは、一つにはインターネットの情報流通なんかに掛かっている。一個人であっても、その機能を活かして間接的にであっても「変わらざるを得ない状況」に追いこむことは十分に可能だ。今は平成なんであって、明治維新の手法が通じる時代ではない。某国が神経質になって規制するほど、インターネットには衆愚制を許さないツールになる可能性があるのだ。
2010.06.28
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あのヒョードルが・・・一本負け。orzしかも、アクシデンタルだった前回のTKOと違ってタップ・アウト負け。相手のヴェウドゥムもツワモノであることは勿論なのだけど、大好きな選手だっただけにショック。あの形で、他の選手相手ならともかくヒョードルからタップを取ったヴェウドゥム、汗の少ない早期に勝負を掛けたとされる作戦も効いたのだろうか・・・それでも、特にワールド・ワイドで総合格闘技が行われるようになり、参戦者層が幅広く厚くなってきても善戦し続けてきたヒョードル、最高峰の選手であることに変わりはないだろう。普段は寡黙で温厚な、優しくて力持ちタイプのヒョードル。体に気を付けて、もう少しでいいから頑張って欲しい。
2010.06.28
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至ってボンクラで、どーしようもないままに父親を務めさせて頂いているオイラですので、我が家の娘達の躾は女房の賜物です。すなわち、良いも悪いも基本的に女房譲りです(爆)。まあ人様に大迷惑を掛けるようなことだけはしてくれるなよ、とは想いますが。ただ、我ながら珍しく烈火の如く怒り狂ったことがあります。恐らくは、娘達が経験したのは後にも先にも始めてだと想いますが。それは、巷ではよく口にされもし、耳にもする言葉を一言、言ったがためなのですが(^^;その一言とは「○○、使えない~!」というもの。普段は故障しているはずのメーターが、一瞬にして急上昇。「おい待て。じゃぁ、てめーらは使えるのか?」から始まり、「使えるというのは道具に対して使う言葉だろ?」「お前らは人間を道具と見てるのか?」などと、口下手なオイラにしては立て板に水の譬えの如く。人間に対して使える使えないだとか、役に立つとか立たないだとか、人様をなんだと想っているんだ?と。仮に、その「使える人」とやらだけを集めたとしても、世間というのは、そんなことで万々歳というようなものではないのです。どんな人様であっても得手不得手、色んな性格・考え方がありぃのするわけです。それは厳然としてありますので「この人は総理大臣には向かないね」ということもあるわけです(爆)。とんでもない悪さをしでかしやがる悪党もいますので、そ奴らには悪さが出来ないようにして頂く必要もあります。ましてや好き嫌い、相性の合う合わないなんてのも当たり前にあるわけで、嫌いだったり相性が合わないなら近寄らなければいいし、それでも近くにいなくてはいけない時には向こうも同じように想っているから上手くやるんである。そんなこんなを工夫しながら、皆で住まっているのが世間様というものなわけです。自分で役に立つことがあるなら使ってやって下さいというならまだしも、そもそもが偉い人というのだって、みんなに役立ててもらえた人のことなのである。受け取ってもらえなければ、どんな偉業も、それこそ糞の役にも立たないんである。そんなものは逆であって「喜んでもらえて有難う御座います」なのである。使える使えないなんてのが人の価値だなんてのは想い違いも甚だしい。なら、寝た切りになったら、パパもママもじいちゃんもばあちゃんも役立たずの不要物か?そんなことを軽々しく言うでないっ!今度、そんなことを言ったら本当に怒るぞっ!!・・・てなことを勢いに任せてまくし立ててたら、娘達が涙ぐんでしまったので(^^;あなた達だってパパにとってもママにとっても、じいちゃん、ばあちゃんにとっても、ただただ、いてくれるだけで、こんなにも嬉しい愛しい存在なんだよ。そんなあなた達が使えるだの使えないだの言われたら、みんな、悲しいの。あなた達が「どうだかな?」と感じてしまうような人も、同じように大切に想ってくれる人がいるんだよ。この世は石ころ一つ、砂一粒だって、そこになければ違う世界になってしまうだろう?そういう意味では、この世に役に立っていないものなんてのはないんだよ。まあ、よく分からんものも多いが、それはそれだ(爆)!と愛の鞭により迷妄から放たれた娘達をヒシと胸に抱き、感動の一言!「・・・ということで、パパは昼寝しますので、お休みなさいm(_ _)m」以来、彼女達の口から「使える」「使えない」という類の言葉が聞かれることはなくなったのであった。まあ、言えなくなった、とも言う(爆)。赤真心 天世に響く 唯一鐘詠み人、まっく
2010.06.24
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今、映画「タイタニック」の、あの美しいメロディーが神笛で蘇る!!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「My Heart Will Go On(セリーヌ・ディオン)」by マット at NZGoogleのPageRankが5/10って・・・mattmulholland26さん、GJ!!!ダメだ~~~~~~~~っ!!オラ、やっぱりコッチ路線だってばよ・・・腹筋、痛い・・・(爆)!ネタ元
2010.06.22
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明治維新後から昭和初期に亘っては、とんでもない超能力者が続出したことで知られる時代でもある。有名な所では高島易断で知られる高島嘉右衛門。実業家としても大活躍で、現在の横浜を作った人といって過言ではない方である。大本教で有名な出口王仁三郎も挙げられる。が、私の中では長南年恵は全くの別格という一人である。Wikiでは割愛されている話も多いようだが、この方は神様が、そのまま地上に降り立ったような人である。2008年に、TVでも取り上げられているようですね。裁判史上唯一、その超能力を認められた人でもあるが、無学で無垢無邪気、傍目にもバカにしか見えなかったという彼女は、それでいながら降神による書や漢文を残している。霊能力者の多くが「頭脳明晰で、能力に溺れたのでは?」と想われるのに対し、彼女は慕う人々が自主的な集いを作った以外、団体らしいものも作らず、本を残す等と言うこととは無縁であった。縁者による記録が残っていなければ、全く我々の耳目に入らなかったかもしれないような人である。又、どうしても、その超常能力だけに目を奪われてしまいがちだが、彼女が別格なのは、それだけではない。彼女自身は愚物と想われる程の無欲。幼少の頃から、請われるままに羽織でもかんざしでも、なんでも与えてしまったという。その超能力の発揮も同様で、病人に御神水を与えたり、困った人のために物寄せしたり、予見を与えたりと言った具合で、他の能力は、ほとんど目にする機会があった人が目にしただけ、という。与えられるべき人に与えられた能力、とでも言おうか。彼女の場合、もはや霊能者だとか超能力者などという括りの中に同列に並べるのは忍びなく、たとえ、そのような能力がなくても、既に奇蹟のような人なのだ。後代の我々にとって惜しむらくは、その人柄通りにコレといった記録の類事態すら極僅であることだ。遠からず、またメディアでも取り上げられるとは想うが、その超常的な能力にではなく、その在り様にこそ焦点を当てて欲しいと心底、想う。いつの日か、かように美しい人、存在になることが出来るものなのだろうか?と想うことすら恥ずかしい。orzだって・・・人間だもの、ってか(爆)?溜息が出るほど透き通った、まさしく神人である。
2010.06.22
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永らく(多分、五年位?)使ってきたタイトル「想」ですが、そろそろ卒業時期が参りました。次タイトルが想い付かないもんで、そのまま使ってましたが、このたび「想」は、取り敢えず「響」としてリニューアル・スタート致します。まぁ更新すら、いつ途絶えるかもしれず、「想」をタイトルにしたブログもいくつかはそのままだったりもしますし「何が変わるんだor変わったんだ?」と聞かれても分かりません。今の所は「然」がタイトルに相応しそうだ、ってな感じでして「敢えてタイトルを付ければ、そんなもんだろ?」という程度ですので直ぐに変わるかもしれませんし(いや、実際めまぐるしく変わりましたな 爆)。そのうち、HNも変わるかもしれませんが、インターネット黎明期から慣れ親しんだHNでもありますから、そのまま使うかもしれません。デザインも少し変えてみました。衝動的に「想」からタイトル・チェンジしたついでだったので旧デザインを保存し忘れ、途中、戻すことも出来ないまま想うような感じにもならずに涙してましたが、なんとかマァ、こんなもんか?という感じで、要するに疲れました・・・orz楽天さんのデザイン変更って、結構、大変なんですよね。なんか、妙に重いし(^^;あと、当ブログの重要な記事ネタでもある(爆)よびりんさん関係の記事は、昔、「よびマガ」だったかとしていたカテゴリを「よびりんさん話」と変えて書きます(忘れなければ、ですがノ・・・ ^^;)。他、色々とマイナー・チェンジもしたような、したいような感じではありますが、「眠いっ・・・眠過ぎるっ!百万石枕!!」ということで、多分、寝ます(爆)。・・・ってか、一応だが、やっとタイトルが決定。諸事情で「これ!」と想ったものも見送りせざるを得なかったりして、迷走の果てに「あきらめ ました~♪」という感じではありますが(^^;如然(にょさ)→如幻→然(さ)→?→・・・→響と、昼くらいから、アップし直しただけでも何回目だってばよ?我ながらバカ過ぎる(爆)!もう少し、落ち着いたらシックリ来るタイトルが浮かぶかもなので、まぁ、取り敢えず、ということで・・・(滝汗)
2010.06.17
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会津と言うのは素晴らしい国だと、つくづくに想います。今に続くあいづっこ宣言、元は有名な什の掟ですが、「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」の一節などは、現代にまで受け継がれる会津魂を見るようで震えが来るほどです。遠くは謙信公に源を発する上杉の薫陶を受けた質実剛健な姿勢が偲ばれます。謙信公も、その後の上杉家も日本国を統べるにこそ至りませんでしたが、清廉な精神を永きに亘って残しているという意味では、驚くべきものです。娘が中学生になった関係で、「いじめ問題対策」というようなものを道徳の時間なんかでやるようになったようです。持ち帰って家族で考えて欲しい、というような趣旨の宿題までもらってきましたが、いじめなんてのは、そんなことをする暇すらない位、公共奉仕でもさせれば無くなります。年頃により、多少の意地の悪い気持ちが芽生えたとしても、それは、見方によっては大人になった時に戦うための智慧作りの期間でもあるわけです。ただ、我々、大人は、決して卑怯卑劣な振舞は許さない、という決然とした姿勢を見せる必要があります。なぜ、卑怯を許さないのか?それは自ら卑しく怯えた、戦えない存在に身を落とすことになるからです。仏様の賛辞に「無畏」という言葉がありますが、その意味するところ、ほとんど悟りと同義です。それほど、ただでさえ人は怯え恐れる弱いものなのですね。それは生物としての本能から出る、自然でもあるわけですが・・・非常に興味深い研究結果を見たのですが、いじめを続けていると、脳がいじめることに対して快感を覚えていってしまうのだとか。なんでも、いじめと脳内の快感物質の分泌が結びついてしまうとかなんとか。恐ろしや・・・Σ( ̄ロ ̄;喧嘩なんかがあることは、むしろ歓迎すべきくらい自然なことでしょう。喧嘩を通じて異質な他者との交わりもまた、学んでいくわけですから。でも、喧嘩といじめは全く違います。喧嘩で智慧を働かせて相手を懲らしめたとしても、それはいじめではありません。非力なら非力なりの戦い方というものがあるというだけのことです。闘志というのは、正々堂々たる言動にこそ宿るものでしょう。
2010.06.17
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いかん・・・ニュースに引っ掛かってしまった(^^;第2のスーザン・ボイル?81歳魂の歌声に辛口審査員もKO!歌が好きなもんで*邦訳に激感謝ですm(_ _)m*いや~~~~~~~~~~~~~、参った参った、凄いっす(笑)。こうなると歌えや歌え、人生を歌え!って感じだな。笑ったときの声も良いなぁ・・・こういう表現は好きではないんだけど、元気もらいましたゎ。というか、押し付けられました、だな(爆)。
2010.06.16
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あの、いきなりなんですけど・・・オッパイって動かせるんですね・・・あ、別にエロいとは想いませんが、こういうのが苦手な方はスルーして下さい(笑)。胸筋ぴくぴく。 おっぱいを自在に動かすことが出来る女性達おっぱい筋肉!バストを自在に動かすことが出来る女性達 パート2う~ん・・・おいらは男なので胸はピクピクさせられますが、あの大きさを動かせるってことは、相当、筋肉が発達しているってことなんでしょうか???女房は「筋肉が凄いんだね」と言ってたので、自分はほとんど動かせなくても、感覚的には分かるらしい。知らんかったぉ(爆)。世の中、まだまだファンタスティックですな(違う?)。w
2010.06.16
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ここ最近、体調が今一。アチコチ、歳相応にガタが来てはいるのだろうが、腰が・・・情けない(涙)。体の要と書いて腰である!とはよく聞くが、本当である(^^;まぁ、大体の見当はつくが、少し太り過ぎかもしんない(爆)。なんか骨盤が開き気味になって仙骨辺りが沁みるようだ。本来なら筋力アップなんかを通じて治すのが良いのだろうけど、直ぐには出来ませんから、仕方ないので帯で締めてます。一種のサポーターみたいなもんですな(笑)。珍しく食欲まで無くなってたもんな・・・割合、食わなくても平気である方ではあるのだが、食欲自体が無いのはまずい兆候なのだ。特にこれからの季節、早速にバテてしまうのもなぁ(苦笑)。体の養生も大切ですね(^^;
2010.06.16
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アスリートのパフォーマンス時の空気の粘度に触れていたのは、この本の中での対話だったと想うんだが・・・*アフォーダンスの学術的用法とは微妙な関係のようです昨夜、寝付かれないままにナイジェリアとアルゼンチンの対戦を後半から見てたのだが、あの股下を普通にスルーするパスとかなんなんでしょうね(苦笑)。いまだ身体能力のナイジェリアにテクニックのアルゼンチンという図式感はあるものの、トップ・アスリートには別世界が見えてるんだろうな、と。今回は公式球が変わったことが取り上げられたが、確かにパフォーマンスに大きく影響することは間違いないだろう。逆に、水泳で一世を風靡した感のある水着も、その性能を引き出せる能力あってこそなんだろうな。確かに、力学的に抵抗が少ない設計をしたんだろうけど、それを受け止められる感性や能力があってこそだろう。もっとも、薬のようにプラシーボが効いてるんじゃないか?という笑い話もあるが(爆)。元々、人間を含む生物の環境把握能力と言うのは想像以上に、少なくとも潜在しているらしい。おいらの場合でも、家族の軽度の体調不良位は(自己流のw)整体で治すなんてことがあるが、膝が痛いという症状から診て腰の調整をする、なんていうのは普通だ。そこそこ東洋医学だのの経験があるから、おいらからすれば普通と言うか当たり前のことでも、未経験の人からすれば「なんで?」ということにはなる。ビジネス的には、営業マンの能力と一口に言っても色々あって、電話一本で「どこまでの客か?」をジャッジする能力だとかの。イケイケ営業だけで売れる時代でもないので、そういう「細分化された能力」というのを、いかに有機的に機能させるか?というのは、ある程度の規模がある会社なら、経営者の腕に見せどころかもしれない。今までなら「ここまで(こういう仕事)なら得意なんだけどな~」なんてのは言訳としか言われなかったかもしれないが、実際、そういうことはある。不得意なことも頑張る、というのは心掛けとしては普通に偉い事ではあるが、結果を求めるなら不合理という見方も出来よう。企業でも開発に特化するケースなんかは少なくないが、それは開発能力に優れていても、製造・販売能力とは必ずしも直結しないことも要因の一つだ。製造業が直接販売には乗り出さない、というケースも同じことだ。もっとも、こちらの方は中間マージン排除ということで廃れがちだが(^^;複数商材やサービスの組み合わせでもオール・イン・ワン的なものが多くなっている気配があることはあるが、PCで言えばネット・ブックやipadなんかは、その間隙を突いた上手いビジネスだったと言えるかも。もっとも、ネット・ブックがビジネス的にどうだったのかは微妙かもしれないが・・・もっとも、環境適応力にも限界はあるのであって、適応限界を超えた場合は、速やかに退散するのも一つの能力ではある(笑)。いや、今後のビジネス界では、ヒット・アンド・アウェイ能力と言うのは、企業の主要な能力の一つになるかもしれない・・・
2010.06.13
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久保田利伸というとオシャレなイメージの曲が頭に浮かびがちだけど、BONGA WANGAでは、驚かされた記憶が生々しい。中でもMAMA UDONGOなんかは、彼がファッションでファンキーしてるんじゃないんだな、という感じが。*ニコ動だと原曲・日本語Ver.があります歌詞だけ読むと書ける人もいるかもしれない・・・とは想うのだけど、ネイティブ・アフリカンの民族音楽を、そのまま現代の楽器で再現したような、あの独特の雰囲気は、ちょっと聞けない。そんな意味で、久保田利伸という人はアメリカを飛び越えてアフリカに行っちゃった人なのかもしれない、と想う。彼の歌は好きだけど、何故か持っているのが「BONGA WANGA」だけ、というのも我ながら笑えてしまう。だけど、他のシングルやアルバムは借りればいっか~、と想えるのだけど、こればかりは手元に置いておきたい一枚なのではある。残念ながらライブでは聴けなかった曲だが、もしライブで聴けてたら物凄かっただろうなぁ・・・久保田利伸の生ライブの圧倒力というのは凄くて、他のアーティストのコンサートに行っても、中々に味わえるものではない。もちろん、それぞれに良いところがあるんですが。何と言っても、その声の響くこと響くこと。まず間違いなく錯覚だとは想うだけど、生の声がダイレクトに響いてくるのには驚いた。そんなに近い席が取れたわけではなかったけれど、それこそマイクなしでも声が届いていそうな、文字通りのド迫力!小柄なのにダンスも凄いしね~~~。BONGA WANGA、もしお聴きになったことがなかったら、オススメですよ!(^^)
2010.06.12
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口蹄疫問題の終息が見えない。現地に住んでいる知人によると、一般の人も含めて厳戒態勢だという。一方で、出口の見えない状況に酪農家の苦悩は半端なものではなく。日本だけではないので軽々には言えないが、どうにも厚労省の動きが鈍く感じられて仕方ないのは確かだ。現地での衛生資材不足も伝えられているが、これは・・・ないだろう。もし、本当にそうなら国内のあらゆる衛生資材不足とセットになる。これは一般に対しても明確に説明すべき問題だと想う。不足している理由は、今回の場合は「動物医薬品」として用いる事が出来る資材しか用いる事が出来ないという原則論に則れば、ということだ。通常、知られている塩素剤(次亜塩素酸ソーダ)にもランクがあって、上から医薬品、食品添加物、工業用(雑品)等である。動物医薬品は、人間向けの法律である医薬品に準じ、畜産であれば食品添加物以上のものと考えて良いと想うが、その許認可取得は容易なものではなく、当然、メーカー自体が限定されてしまう。しかし、では一般向けの工業用塩素剤なんかでは効果が全くないのか?というと、そんなことはない。もちろん、生成純度や副生成物なんかの問題や、効果濃度も一定ではないなどの課題もあるが、それでも「酢」に頼るほどの現状を鑑みれば、そのような資材を超法規的にでも認めることに、何の問題があろう?・・・というのは利害関係のない一般的見解でしかなく、これを表だって認めるかどうか?となると、そう簡単にはいかない。簡単に言えば医薬品クラスなどと比較すれば極端に安価な工業用品でも十分に代替出来るんじゃないか!ということになると、問題終息後にも需要が流れかねない。許認可の問題とコレとは別問題だろ・・・とは想うのだが、そのスジ論が易々と通るなら、とっくに超法規措置が取られているだろう。この背景には異常と言って良いほど高価を維持し続ける事が出来ている国内医薬品業界の姿がある。今は懐かしいドンキ問題も、その一つである。大手製薬会社が、未だに高収益を上げ続けられている現状というのは、そういう国民の犠牲の上に成り立っていると言っても良いくらいだ。そうでなくても、口蹄疫問題自体、そう簡単に終息出来るものではないことは勿論分かってはいるが、打つ手があるのに打とうとしない行政や業界の姿勢を見ていると「クスリが日本を滅ぼす」とでも言いたくなるのが本音だ。医学がそうであるように、薬学も仁と共にあって欲しいと願わずにはいられない。ともあれ、なんとか拡大だけでも収まるといいのだあけれど・・・
2010.06.12
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イシビルと言っても、イシ・ビルヂングではありませぬ、ヒルです。↑グロ苦手な方は、写真をクリックするのは止めましょう(爆)メダカ水槽からの駆除が進んでいたのだが、やはり壊滅にまでは追い込めず・・・orzかな~り良い線まで行ったのだが、今年も何匹かやられた模様。メダカ飼育は意外と手間が掛かる。今の所、頭が痛いのは、このイシビルと冬越えである。スネールは、なんとか許容範囲生存数に落ち着いてきた模様&ヌマエビ好調といったところなのだが、イシビルばかりは・・・スネール数の調整に一役買っている気配もなきにしもあらずではあるが、本命のメダカを狙われては・・・orz冬越えも頭の痛いところ。単に暖かくしてやれば取り敢えずは冬は越せるのだが、せっかくの黒メダカなので出来るだけ寒い冬を超えさせてやりたいというののある。もちろん、放流する等と言う暴挙を目指しているわけではありません。☆飼育メダカ等の放流は生態系破壊に繋がりますので要注意です!☆やはり「飼う」となると、本来の生態系から引き離されてしまうわけで、それなりの保護体制が必要なのかもしれませぬ。メダカは比較的、丈夫で繁殖力も強いんですけどね・・・そう言えば、いつになるかは分からずとも飼ってみたい気持ちが衰えないのに甲斐犬がいる。日本犬の中でも、最も野生溢れる犬種の一つと言って良いだろう。その分、飼育するには環境にしても何にしても準備も覚悟も必要であるのだが。そう言えば柴犬と言うと「うるさい小型犬」というイメージが少なくとも一時期強かったかと想うが、それなりの環境で、しっかりと躾られた柴犬が、そうそう無駄吠えをするようになるだろうか?元々、猟犬にされるような犬種は無駄吠えは少ないのが通常だと想うのだが・・・とは言え、猟犬に適している犬種は運動量が半端ではないので、逆に言えば現代の都市環境下で飼われても気の毒なだけ、という気がしなくもない。放し飼いしても良いような山奥で、のびのびと飼ってあげたいと想ってしまうのはオイラだけなのだろうか・・・
2010.06.12
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スピードに対する憧れと言うのがありまして、その由縁と言うのが何なのか、分かった気がしますた。wwwサイボーグ009 OPサイボーグ009 ED懐かしい・・・。ハッキリと見ていた記憶がないのに、OP&EDが歌えるほど覚えているんだから、間違いなく見てたんでしょうね(笑)。であれば、私と相前後する世代の方なら・・・ということで、ニコ動には更なる作も。ニコ動涙で渡る 血の大河~~~♪夢見て走る 死の荒~~~~~~~~野~~~~~~~~っ♪・・・って、歌ってましたな、そういや(^^;お決まりの「加速装置!」ってのもやってた記憶が(笑)。なんとなく「HEROES」なんかが、パクリとは言わずともオマージュ的なものに見えたりして(^^;話変わって、子供の頃もそうだったけど、大人の今になっても不思議で仕方ない、ある種の漫画・アニメ叩き。宇宙戦艦ヤマトなんかは特攻精神を賛美するとかなんとかだった記憶があるんだが・・・そんな風に結び付け始めたら、なんでもかんでも「大切なモノを勝手に壊す相手とも戦ってはいけませんよ」「人の命より自分の命が大事なんですよ」てなことになりかねない。普通に自分の生まれ育った土地や、そこに住まう人々や生物、自然を愛し守ろうとすることは自然な感情だろう。家族が幸せであるように、と必死に働くのも同じだろう。その矛先が間違った方向に行かないように見つめる必要はあるにしても、その根源の力まで失って良い理由にはなるまい。・・・と、毎度、話が飛び過ぎですが(^^;そういやルパン三世なんかも、ヒーローの一人だったですね、そういえば。軽く明るく窮地を抜け出す、あのドジ&スマートな感じがたまらんのですな。ってなことで、最後は無理にでも明るく終わっとこ!ということで勘弁を(爆)。
2010.06.11
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長女が中学生になり、保健体育で「なぜ、女子の性的発育が早いのか?」というような宿題をもらってきていた。調べたが分からないということで聞かれた。そんな問題、分からないというか、聞いたこともないんですけど?ということで、「体力ある時の方が出産が楽だからじゃない?生物学的に、みたいな?」とか答えておいたんだが、学校では、どういう「答え」を用意してるのか楽しみだ(^^;しっかし、そんなもんに答えがあるのだろうか???言いたかないが、なんか最近、その手の訳分からんのが多いんですが・・・
2010.06.11
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2012年終末説というのがある。我が家の子供達も「2012年で世界が終るんだって!どうしよう?」と、可愛い事を(^^;「そんな先の事より交通事故にでも気をつけることの方が大事だと想わんか?」と返すと、納得したようだったが。ナショジオは、そんな情報も結構、出ていて面白い。昨今の終末説と言えば「マヤの予言」ということになるようだが、問合せが寄せられるというマヤ先住民の長老アポリナリオ・チレ・ピクストゥン氏の疲れ切った表情が何とも言えない。終末説ビジネスの模様を冷静に伝えている当たりも、少し目を通すだけでも面白い。商魂逞しい事は、決して悪い事だとは想わないけどなぁ・・・「終末は来ないのか?」と問われれば、「いつかは来るでしょう」としか言いようがなく、実際に、それが想いもよらぬ不思議な形で訪れたとしても驚きはしない。が、しかし・・・というところだろうか?(^^;
2010.06.07
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SAS・桑田と来た時に、色んな良い曲が浮かぶんだが・・・静かな曲調では「月」が(も)いいですね。tamaranさんVer.、pomotaさんVer.カバーのし易さ、し難さってのを、どう捉えるかは難しい。人口に膾炙するという点ではカバーし易い曲の方が良かろうし、オリジナリティという点では後者になるのかもしれない。厄介なのは「カバーするだけなら簡単だが」という曲が少なからずあることだろう。SASや桑田佳祐の曲達は、そういう意味では往々にして厄介なのが多い・・・(^^;歌い難いか?というと、特に極端に音域が広いわけでもなし、リズムやメロディーが難しいわけでもない。むしろ、誰もが気軽に口ずさめる親しみ易さという点では、永らく追随を許さないところがある。・・・が、実際に歌ってみると歌い手を選ぶ曲が居並んでいると想わざるを得ない。この「月」も、そんな曲の一つかもしれない。ネットで知ったところによると、これは古城(三橋美智也)に触発されて作ったんだとか。「日本の曲にも良いのがある」と聞いて、早速に聞いてみたら「成程、良いものがある!」ってことらしい。しかし、その柔軟性というかなんというか・・・(^^;確かに「古城」も含めて「昔の日本の歌」にも良いものは多い。当たり前のことだが、それをサラリと取り込めるというのは、やはり天才としか言いようがない。もともと、桑田佳祐はジャンルに拘ってどうこうというタイプではないらしいことは承知はしているが・・・意外に感じる日本のフォーク・ソングを嬉しそうに歌う姿なんかを見ても、本当に音楽が好きなんだろうと想う。それをカバーする山崎まさよしも凄い。というか、コメントにも似た事が書いてあったが、作者や曲に対する尊敬や愛情や、そんなものがあってこそのカバーだろうな、と。曲に阿ったような歌い方に流れず「俺は、こんな風に歌いたいです!」みたいな感じも好きだ。で、そんな“天才”を放出するとこんなことになるんだな、と(大爆)。お蔵入りからの救出とでも言うべきか・・・ともあれ、あのバブル時代を経験した人なら、このPVを見て感じるもの大ですわな、確かに。wポップス歌手というならポップス歌手としての「ナニカ」を感じるに十分なものですね。こんな感性の持主がN氏と合うわけはなく、いまだに確執が残ったままっぽいのも成程というところでしょうか?天才v.s.天才ということだと、桑田とタケシはどうだったのかな?稲村ジェーンを、タケシはほとんど一斬りに終わらせたけど。おいらは同時代を、丁度、登場人物たちと近い年齢で過ごしていたからか、桑田の「たけしさんは若者の気持ちが分かっていない」というのに納得するところが大きい。厳密に言うと、おいらの兄貴・姉貴に当たる世代(つまりSASメンバーなんかの世代)がジャストなのかな?でも、なんというか・・・あんな感じだったな、確かに。そういう経緯なんかよりも、むしろ残念だったのは、この作品以降、桑田佳祐が映画作りをしないでいることかもしれない。タケシとは違った天才の映画、もっと見てみたかったし、見たいと想う。どっちにしても、二人とも、日本を代表する天才。やることなすこと、笑うしかない・・・って感じもあるけど(^^;日本発の素晴らしい人達の活躍は、まだまだ、いくらでもあるけど、やはり嬉しいことです(^^)
2010.06.06
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何故だか知らんが、楽天のWYSIWYGが上手く表示出来ないことがあるんですけど・・・?そんなことはどうでも良くて、Beatlesって、何のかんの言っても大きな存在だよなと。もちろん異論議論アリアリなのは承知なのだが、おいらにとってはLet It Beだすな。*参考:wiki、ふたつの"Let It Be"正直、Imagineがあまり好きになれない時点で、多分、おいらは感覚的にポール派なんかもしれん。さて、おいらたち人間の悩みは“変わっていくこと”と“変われないこと”に原因があることが多い。往々にして変わって欲しくないモノゴトは変わっていき、変わって欲しいモノゴトは変わらんもんだ。一秒前を後悔しても遅く、一秒後に希望を持つも儚く、今を悲しんでしまう・・・でも、本当の所は“どうあっても”問題ないんだな、これが。ソレを、どう表現したら良いのだろうか?その環境がどうあろうとも、その人が今どうあろうとも、そんなこととは無関係と言っても良い静謐さの中、光り輝く愛に包まれた絶対調和存在とでも言うべき魂・・・とでも?そういうのは、いわば“信仰”の範囲の話だが。そういう意味では、“宗教”ってのは、その“信仰”の拠り所となるものだと想って間違いない。多くの宗教で慈悲や愛の大切さが説かれるけれど、それは、それこそが“信仰”に至るために安全確実な、唯一最善の方法だからでもあるのだ。それは、慈悲や愛を持てない状況に陥っている人に、無理矢理に慈悲だ愛だと頭ごなしに押し付けようなもんじゃない。それこそ無慈悲で愛のないことじゃないっすか。そんなことしなくても、仏教徒だったら、そこら中に満ち満ちているのんの様を感じるじゃないか。あの人、この人の眩い程の後光も見えてくるじゃないか。そん中にいるんだと感じるのが仏教と言う宗教を通じて観た場合の“信仰の世界”なわけだ。“信仰”と“宗教”は、かくも厳然な違いがあるのだ、多分。って、無宗教なオイラなんかに言われたくもなかろうが・・・( ̄▽ ̄;な~~~んてことも頭を過ったりする、大した善行をすることもないままだった日曜日の夜なのさ(笑)。
2010.06.06
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6/18は鬼平犯科帳スペシャルの日である!当然ながら鬼平犯科帳のテーマが聞けるであろう(^^)↑は鬼平犯科帳スペシャル 山吹屋お勝の時のものだと想われ鬼平犯科帳ではむかしの男が、一番、切なくも良かったかな?・・・というか、どれも良いので記憶に残っているというだけか(^^;最近、埼玉TVで「必殺シリーズ」を放映しているので、なんとなく見ているのだけど、時代劇は色気があるなぁ~、と。細かい時代考証だのを言い出せば難癖も多かろうが、別に学者じゃないのだからいいのだ(笑)。現代からすれば、質素で楽しみもない日々の生活様を感じれるだけでも十分だ。そういう生活だったからこそ、人が生きている色気もあるってもんじゃなかろうか?SMAPの番組で草なぎ君が戦国時代、慎吾君が縄文時代の生活を再現してたのも面白かったが、それにしても、とにかく食うものがなかったことに驚く。戦国時代なら汁飯が食えれば上等の部類だもんね。縄文時代の慎吾君は、ドングリにまで食生活を限られてたが、さすがに「何食ってたんだ???」と想ったが(爆)。「布団」が「デカイ寝巻(のようなもの)」というのは、オヤジに言わせると「昔の田舎じゃ、今みたいな布団なんてなくて、そんなんだったよ」ということらしい(@@;その話は初耳だったが、暖かい布団に寝れるだけでも有難いことなんだな~、としみじみ想わされる。んで過日、番傘なんかの類を試してみたいと想って驚いた。高いのである!orz工程からしても仕方ないのだが、なんでも昔から傘ってのは高級品だったらしい。蛇の目傘なら安かったけど?とはお袋の記憶だが、さすがに500円傘なんてのが出回っている現代浸りのオイラには盲点であった・・・そういや子供の頃、傘を持たずに学校に行っての帰り道、芋だかのデカイ葉っぱを傘代わりに雨をしのぎつつ、道行く人に自慢げにしてたことを想い出した(爆)。それを考えてみれば、蓑傘でも十分と言えば十分ではあろうが・・・(汗)そんな時代だからこその色艶というのもあるのかもしれない。この方の気持ちは、よく分かる気がする。↑は、複数回に亘るED動画を組み合わせてるようですそう言えば、草履編みもチャレンジしたいと想いつつ延ばし延ばしになってるなぅ・・・基本は頭に入ってても細かいところが分からないし、オヤジの記憶mp怪しくなってきているらしいから、早く教えてもらわねば。本当に「・・・ねば」なのか?と我ながらツッコミを入れたくなるが(^^;そんな変わった事に興味を示す人が周囲にそうそういるわけはなく、「やっぱ、変人の一種なのかね・・・?」などと想うこともあるわけですが、それはホレハレ(笑)。家族は慣れてるから「また、なんかやらかしてる」と笑って済ましてくれるしの(・_・)今はスペース的制限に従って自省してもいるのだが、これが田舎にでも行って少しでも広い家に住もうものなら、えらいことになることは必至ではあるなぅ・・・(爆)しかし、同好の士が身近にいないというのも、やはり寂しい事は寂しいものである。orzというか「この歳になって、何やってんだ俺?」と正気(?)に戻った時が寂しいのよね(大爆)。そんな夜には、この曲がいいのだ(タイミング良く見つかった ^^)。この曲、ラスト・ライブ盤があって、そっちも良い。あんまり人受けしようという気も起きないんだけど、人嫌いなわけではないですからの。あの灯この灯に暖かい生活があるんだろうな、あって欲しいな・・・なんて感じに心安らぐわけですね。鬼平犯科帳の話から、ずいぶんと飛ぶもんだな、われながら。こんなんだから、なんかの記事を自分で探そうとしても見つけられないわけだよ、まっく君(爆)。
2010.06.05
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