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昨日NHKで「岡田准一」さんがナビゲーターを務める「新・街道をゆく 三浦半島記」の放送がありました。番組の中で横須賀造船所が映され「街道をゆく」の原作者「司馬遼太郎」氏が幕末の「小栗忠順(1827-1868)」を「明治の父」と称賛しているというナレーションが流れ、百田尚樹著「新版 日本国紀 下」の中の「小栗忠順の死」の箇所を読み直しました。 大河「青天を衝け」では「武田真治」さんが演じたのですが、残念ながら「斬首のシーンで口からネジを覗かせ不敵な笑みを・・」を覚えていません。1860年に日米修好通商条約の批准のため訪米使節団の一員に選ばれ鉄の総合工場「ワシントン海軍造船所」を見学した際にその進んだ技術力に度肝を抜かれ「ネジ」を持ち帰ったというエピソードは有名です。そして欧米に追い付くために帰国後すぐに横須賀に造船所(日本初の蒸気による工場)を建てています。 攘夷を掲げていた新政府に対して徹底抗戦をという小栗忠順の意見は幕府から退けられ蟄居の後、上毛(群馬県)で新政府軍によって斬首されてしまいます。罪状も明らかにされず、それだけ小栗忠順の存在が薩長を中心とした新政府にとって脅威となっていたようです。 小栗忠順の不幸は第二次世界大戦後も、ある意味現代にも続いていきます。百田氏の著書の中で『明治から戦前までは逆賊と言われ、戦後はGHQによって横須賀軍港を造った軍国主義者と見做され「上毛かるた」からも彼の名前は削除された』と書かれています。 青天を衝けでは渋沢栄一が「資本主義の父」として改めてスポットライトを浴びましたが、彼の偉業も小栗忠順のアイデアや実行力が無ければ実現しなかったのだと改めて思います。歴史から一時、消されてしまった偉人がまだまだいるのだろうと思いながら、未だ過去の戦や戦争に負けた事によって歴史や偉業が捻じ曲げられていることに残念な思いがあり、正しい歴史や評価を教科書の中でも記述して欲しいと改めて思います。
2022.08.12
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今日これからシンガポール動物園での「オランウータンとの朝食」に出かけますが、よく考えるとオランウータンの姿以外はよく分かっていない事に気付き、予習のためウィキペディアを見てみました。 オランウータンは「ヒト科オランウータン属(Pongo)に分類される総称で語源はマレー語の「orang(人)」と「hutan(森)」で「森の人」という意味で、これはどこかで聞いた記憶があります。 属名の「Pongo」は16世紀にアフリカ大陸で発見された人のような怪物(ゴリラもしくは原住民と考えられている)に由来するそうです。 インドネシアのスマトラ島北部とボルネオ島、マレーシアのブルネオ島にのみ生息するという事は初めて知りました。東南アジアに住んでいるのであれば必見の動物でした。 左からボルネオオランウータン、スマトラオランウータン、タバヌリという3種類に大きく分類されるようで、顔の表情や色も随分違います。 シンガポール動物園のホームページにある写真から顔つきが判明出来ませんが、何種類のオランウータンに会えるのか楽しみです。 オランウータンの体長は雄で97センチ、体重60~90㎏、雌が78センチで40~50㎏で人間より結構小さめです。そして興味深い食性は雑食で「イチジク、ドリアン、マンゴスティン、ライチ等の果実や植物の芽や葉、昆虫、鳥類の卵、小型哺乳類」等を食べるようです。独特の匂いがあるけれど果物の王様と言われるドリアンも食べるとは驚きでオランウータンに用意される朝食がどんな物なのか一層興味が湧きます。因みに私たちに準備される朝食はバイキングケ形式でローカル食や洋食など種類も豊富なようでこれもまたとても楽しみです。 朝食の後は久し振りの動物園を堪能して、写真もたくさん撮って明日日記にアップ予定です。
2022.12.26
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一昨日の「チコちゃんに叱られる」の質問の1つが「何故野球監督は選手と同じユニフォームを着るの?」で答えは「もともと選手が監督をしていたから」でした。 アメリカで1840年に始まった野球の前身「タウンボール」で相手チームとの挨拶の時に代表が必要となり、その代表が選手から選ばれていた事に因るものだそうです。 そして番組の中で「監督兼選手」の試合として残る1974年5月10日「南海ホークス対ロッテ」の試合の映像(一番古い映像だそうです)が流れました。当時南海ホークスの監督兼選手の野村克也氏(1935-2020)が「代打オレ」と自ら宣言して、ロッテの「村田兆治(1949-2022)投手」に挑み豪快なホームラン(だったと思います)を放ったシーンには感動以上のものがありました。 代打オレを検索すると野村克也氏の監督兼選手辞任から29年経った2006年に野村氏を恩師と仰ぐ古田敦也氏がヤクルトの選手兼任監督に就任しています。ただ代打オレでの成績は思った通りにはいかずその難しさもネットの記事に書かれていました。 監督が選手と同じユニフォームを着なければいけないというルールは無いそうで、番組内で現在横浜DeNAの三浦大輔監督に「サッカーのようにスーツ姿はどうですか?」とインタビューをしていて「スーツを着るならやっぱり髪はリーゼントでしょう💦」と笑いを取っていました。それにしても代打オレって恰好良い言葉だなぁと思いました。チームを勝利に導きたいという責任感だけでなくそれが出来るための日々の鍛錬に基づく自信が無ければ出来ない技です。野球だけでなく会社、政界、経済界の多くの場面で使えそうな前向きな良い言葉だなぁと・・。
2023.04.02
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昨日北海道の札幌と函館で桜の開花宣言がありました。ちょうどジムへ向かう途中にある「倉式珈琲店(今年2月末で閉店)」のほぼ敷地内にある樹木に咲き始めた花があまりに可憐で写真に撮りました。 4月18日 3月28日(閉店から1か月後) 北海道では梅と桜が同時期に咲くため見分けるのが難しく検索して調べてみましたが白とピンクの花は多分桜かなと思います。ふと菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひ おこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」が浮かびました。菅原道真が左大臣の圧力によって京の都から大宰府に左遷させらた時(901年)に詠んだ歌で、大河「光る君へ」と同じ平安時代ですが1100年以上の時を経ても花に対する愛情がひしと伝わる名句だなぁと思います。 本帰国して1か月後ぐらいに倉式珈琲店を見た時は何て大きな看板と建物と広い敷地だろうと思っただけですが、その後2月末に閉店と分かり、閉店間際に滑り込みで行って来ました。 運よく窓際の席が空いていて珈琲とお勧めのスイーツを注文してからゆっくりと店内を見渡したり、窓外の樹木や雪景色を眺めました。徐々に外も暗くなって来て全くライトアップされていない外の景色は却って神秘的な感じがしました。珈琲の味わいも店内の落ち着いた雰囲気も申し分なく、このお店が閉店するのは何とももったいないなぁと思いました。 ところで樹木の花はここ数日立ち止まって写真を撮る人達を見かけるようになり、すぐ隣の敷地にあった「ベーカリー レストラン サンマルク」も昨年2月に閉店の張り紙をドアにしたままの寂しい状態になっています。主(お店やお客さん)がいなくなっても春を忘れないでこれから更に花々が咲き乱れるのかなぁと思いますが、この景色に見合うような素敵なカフェがまた誕生して呉れる事を切に願います。
2024.04.19
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昨日(10日)のエスコンでの交流戦「日ハム対阪神」の第2戦の観客数が32,558人(最大で35,000人収容)で今年3月のオープン以来最高となり改めて阪神タイガーズの高い人気を痛感します。 9日(金)の初戦は28,838人の観客が応援する中、今年阪神から移籍した「江越大賀選手」のホームランも飛び出し日ハム、阪神両チームのファンから大きな歓声が送られドラマのような映像に目頭が熱くなりました。 昨日の試合で決勝打を打ったアメリカ育ちの加藤豪将選手のコメントに「虎党のヤジも耳に届かない。関西弁は分かるけど聞き取れない(松井さんがNYでブーイングされた時に嬉しかったと言っていたが、それと同じです)」には笑ってしまいますが、ヒーローインタビューでは先制のヒットを打ったマルティネス選手が日本語で「やりました!」の第一声を受けて加藤選手が英語で「We Did It(やったぜ!)」とその場を盛り上げてくれました。 清正の虎退治(朝鮮出兵時 1592年らしい) 元寇(1274-1281) ところでネットの記事を見て見出しや言葉遣いが上手いなぁと感心させられる事しきりです(海外に住んでいるから特にそう思うのかもしれませんが)初日の時は鎌倉時代の2度のモンゴルの襲撃「蒙古襲来」を引用して「猛虎襲来」を使い、襲ってくるような勢いで観客数が増えたことを表現しています。 そして日ハムの2連勝となった昨日は史実に基づく加藤清正の「虎退治」をそのまま引用です。阪神に勝った時に何度も使われる言葉ですが、改めて調べてみると日本で虎を退治したのではなく豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮に多く生息していたシベリア虎を退治した(実際は銃を使って)その勇気を讃えるお話です。ただ虎退治をした武将は他にも何人もいたそうで(黒田長政もその1人)どうも秀吉が虎の皮や肉がお気に入りという噂が流れそのために行ったという説や、実際には皮や肉の貢ぎ物が多過ぎて秀吉が困惑してしまったという話もあるようです。 蒙古襲来は2回だけ、虎退治は何人も行っているようですが果たして今日の第3戦はどうなるのか2時間後に試合開始です。まさか3連勝しても新庄監督に「皮や肉」が貢がれるという事にはならないと思いますが・・💦日ハムサポーターが掲げる応援グッヅ。ほっこりします。 『追記』今日の試合は「🐯の子の1点を守り抜き阪神が勝利」戦評もなかなか上手です!
2023.06.11
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今月初旬に日本から届いた「サプライズ プレゼント」に初めて見る茅乃舎の「カレーつけ麺のつけだれ」と「だし炊きパスタのだしとつゆ(どちらも3回分)」が同封され、まずは「カレー~」を先に試してみました。説明には「たれ」と「だし」を器に入れ水を加えてかき混ぜ電子レンジで1分チンするだけ!とありますが初回はミニトマトを刻んで入れてみました。お薦めの麺は「細麺うどん」とありますが冷蔵庫にあったパック入り茹でうどんを使いました。ワインも飲み残しのイタリアの「Biscardo Neropasso (ビスカルド・ネロパッソ)」にしましたが、つけだれの最初のちょっと塩辛い味をワインの甘味が円やかなつけだれの味に変えてくれて驚きました。ビスカルド・ネロパッソは程よい甘味が特徴で料理を選ばない万能選手のようなワインでここ2年ほどリピートで購入していて以前にも日記に書きました(葡萄品種はコルヴィーナ、メルローとカベルネ・ソーヴィニヨンの3種類のミックス) 2020年 アルコ―ル度数13.5% 2回目の昨日は気合を入れて、細麺のうどんを用意して「つけだれ」には玉ねぎ、ミニトマト、オクラを茹でたのを入れてレンジでチンしました。ビスカルド・ネロパッソは今月の値引き(26.9ドル)ワインなのでもう1本購入しました。 茹でて甘味が増した野菜の効果なのかつけだれに塩辛さは全くなく、細うどんにちょうど良い加減でたれが浸み込み、お薦めが細うどんの意味が良く分かりました。そしてカレーとワインの相性は前回以上に格別で至福の時でした。 カレーに合うワインと言うと葡萄品種「ゲベルツトラミネール」がありますが、これは40ドル後半でテーブルワインとして高値です。オーストラリアの「ソーヴィニヨンブラン」も試しましたが、これは今一つという感じでした。もう1本、ポルトガルのロゼワインを試しに買ってあるので(19ドル台)3回目の「カレー~」で試してみるつもりです。
2023.08.17
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9月23日スタート(連続4回)のNHK土曜ドラマ「遥かなる山の呼び声」が高倉健さん主演で公開された同名の映画のリメイク版である事を知って調べてみると山田洋次監督が1977年に手掛けた「幸せの黄色いハンカチ」から3年後の1980年公開の映画で、私はこの映画を初めて知りました。 映画化から38年後の2018年に初編が、2022年に続編として阿部寛さんと常盤貴子さん主演でテレビドラマ化されていて、今回はそれに未公開シーンを新たに加えたディレクターカット版でした。映画もこの2回のドラマ化も知らず、1話、2話と見ているうちに映画「幸せの黄色いハンカチ」と主演を演じた「高倉健」さんの名演技を思い出しました。 ウィキベテアに「幸せの黄色いハンカチ」のエピソードが載っていて、元々は「ニューヨークポスト」に掲載された「ピート・ハミル」氏のコラムをベースに山田洋次監督が映画化を考え交渉した際に日本嫌いのハミル氏が日本国内だけの公開であればとしぶしぶ許可したものの、映画完成後に英語の字幕がないこの映画をハミル氏が試写した後に世界中での公開を許可するという事になったようで、日本嫌いのコラムニストの心まで掴んだ名作というのは感慨深いものがあります。 同じくウィキペデイアに映画「遥かなる山の呼び声」のエピソードがあり、高倉健さん演じる耕作が仮出所後にラーメンを食べるシーンについて高倉健さんは撮影前の2日間は何も食べずに撮影に臨んだようで正に役者魂の一言に尽きます。果たして阿部寛さんは・・?昨日の3話では豊平川やジンギスカン屋でのシーンもありお店は元祖「だるま」かなぁと🐑本帰国の前に今月26日から一時帰国で川沿いを歩いたり久々に本場のジンギスカンに舌鼓を打ちたいと(勿論札幌🍺で)。 来週14日が最終話でハッピーエンドは間違いないはずですが「幸せの黄色いハンカチ」のはためくハンカチを超える感動のラストシーンを見せてくれるのかとても楽しみです。
2023.10.08
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14日の大河「光る君へ」はまひろと道長の逢瀬、妊娠の発覚が描かれ、紫式部の子供の存在を私は初めて知りました。そして「月のもの」が3か月無い事から夫「藤原宣孝」の子ではないと分かった時のまひろの「この子は1人で育てます」という潔い決意や夫の「私は不実であると語ったあなたの事を好いている。2人の子として育てよう」に「やるなぁ~」と思いました。 「道長の子」が史実かどうか謎ですが、ウィキペディアでは999年に紫式部と藤原宣孝の子として生まれた娘、藤原賢子(第弐三位・だいにのさんみ)は3歳で父と死別しています(結婚生活はわずか3年で死因は疫病)その翌年には紫式部は「源氏物語」の執筆を始めているようで、私は中宮彰子の女房として入内した後に書き始めたと思っていたのですが、入内は1006年か1007年頃(彰子中宮は19歳頃)だそうです。もし藤原賢子が道長の子供であったら紫式部の女房としての入内もすんなりと繋がっていく感じがします。 そして驚いたのは賢子も紫式部の跡を継いで18歳で彰子中宮の女房として入内している事です。紫式部の父「藤原為時」や母親譲りの文才があったのか百人一首にも選ばれています。58番「有馬山 猪野(ゐな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」 現代語訳:有馬山の近くにある猪名(いな)にある、笹原に生える笹の葉がそよそよと音をたてる。まったく、そよ(そうよ、そうですよ)どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。 一説には母、紫式部より恋のやり手だったとか・・。賢子の姿がドラマの中でどのように描かれるのか楽しみです。
2024.07.16
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ウクライナで平和を象徴する花が「ひまわり」とニュースで聞いて、思い出すのはやっぱり映画「ひまわり」です。まだ米ソ冷戦(1945-1989)が続く1970年公開のイタリア、フランス、ソ連、アメリカ4か国による合作映画です。 エンディングで地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑のシーンは圧巻で、改めてあのひまわり畑のロケ地はと調べるとウクライナ南部の「ヘルソン州」でした(ヘルソン州はロシアに占領されているとの記事があります)最近ニュースで何度も目にする東部「マリウポリ」の西側に位置する州で首都キーウから南へ500キロほどです。 戦争によって引き起こされた悲劇がロシアのウクライナ侵攻と重なり、現在日本で半世紀を経て「ひまわり」の上映もされているようです。シンガポールの映画館で上映があればじっくり見直してみたい映画です。 そしてネットの記事に1982年6月の「オフコース」の武道館公演で「言葉にできない」の曲の後半に大きなスクリーンに映画「ひまわり」の中のひまわり畑が映し出されたというのを見つけました。これは何かで何回か見た記憶があり「ひまわり」の壮大だけれど何か切なさもある映像をすぐ思い出すことが出来ます。私の記憶が正しければ小田和正さんがまるで楽曲の台詞の1つのように涙を流し歌えなくなったシーンも印象的でした。 現在の状況は正に多くの人が「言葉にできない」という思いだと思います。7月にはヘルソン州で咲き渡るひまわりが本当に「平和を象徴する花」として咲き誇ってくれることを願うばかりです。 数年前に日本から持ち帰ったひまわりの種が開花して小さなひまわりがシンガポールの我が家のベランダに咲いた時は本当に幸せな気持ちになって元気をもらいました。【続報】昨日(7月2日)の夜NHKで「伝説の武道館ライブ オフコース」が放送されて、ちょっと驚きました。特にひまわりがスクリーンに映し出される「言葉にできない」を小田和正さんが歌うシーンは食い入るように見てしまいました。私が覚えていた以上に涙を流し歌えなくなる場面は数回あり、改めてこの曲の素晴らしさと40年の時を超えて「平和」を強くアピールする楽曲という思いを強くしました。
2022.04.04
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昨日の放送で自由民権運動を先導する「早川逸馬」の演説会に参加中に警官(憲兵?)に捕まり収監された万太郎の釈放と引き取りに出向いた松坂慶子さん演じる祖母「タキ」の圧巻の演技がネット上でも話題になっています。万太郎を「ぼんくら」扱いする警官に「よく調査もせずそのぼんくらを逮捕するとはおぬし達の眼力も大したものではないな」と啖呵を切る姿には私も触れ伏したい気持ちになりました。 松坂慶子さんと言えば5年前の朝ドラ「まんぷく」で主人公「福子」の母「鈴」を演じたのが未だ印象に残っています。事あるごとに発する決め台詞「私は武士の娘」で威厳を示し、挙句の果てには娘婿の「萬平」に「武士は武士でも我が家系は源氏の血を引く・・」とちょっと話を盛ったところで万平さん演じる長谷川博己さんが「素の苦笑い」を浮かべた場面は私にとっての名シーンです。「まんぷく」ではちょっとコミカルな面もある母、そして「らんまん」では「女の一念岩をも通す(良い意味で)」のような筋がぴぃーんと張ったような凜とした祖母の姿と台詞は名シーンとして長く残りそうです。 「花ウチ飲み純米酒」司牡丹 720ml 38.5ドル 14度以上15度未満 精米歩合70% ところでお酒好きの私としては万太郎の生家の酒蔵「峰屋」が気になって調べてみると、岸屋という屋号で「菊の露」という銘柄が有名だった実在の酒蔵でした。ただ元々高知県は温暖な気候が災いして酒造りには厳しい環境だったそうで、牧野富太郎博士の生家「岸屋」は経営が厳しくなり、明治時代の中頃には現在の「司牡丹」の竹村社長の曽祖父源十郎氏が譲り受けているようです。 高知のお酒と言えば「土佐鶴」がすぐ浮かびますが、有名な「司牡丹」が高知のお酒というのは勉強不足で知らなかったので、早速日本酒の品揃えがシンガポールでは一番多い「明治屋」に行ってみると一種類だけ売られていました。 ラベルには製造者の住所に「高知県高岡郡佐川町」としっかり明記されていて、今回のドラマで坂本龍馬が脱藩した時に通った場所の一つが佐川町と知ったので何だか嬉しくなりました。シンガポールは酒税が高いので720mlで3800円とは高価なお酒ですが、鰹のたたきでも用意して朝ドラに思いを馳せながら飲んでみたいものです。 余談ですが「らんまん」のお陰で通りを歩いていて今まであまり気にしなかった花にも目がいくようになり「この花の名前は?」とか「写真に撮ろうかな?」という気持ちになって改めて植物の偉大な力をもっと知りたいという気持ちになっています。
2023.05.04
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9月8日(日)から毎週日曜日に全26回で再放送される「スペシャルドラマ 坂の上の雲」のために昨日、日露戦争時の日本海戦を勝利に導いた「秋山真之」を演じる「本木雅弘」さんが2009年から2011年にかけて放送された全13回の撮影や共演者との思い出を語る番組を見ました。前回の初回放送から15年も経っている事にまず驚き、見逃した回はあったもののいくつかの感動シーンは今でも鮮明に蘇ります。 「司馬遼太郎」原作で明治維新後の日清・日露戦争時代に愛媛県に生まれた「秋山好古(1859-1930)」「秋山真之(1868-1918)」、俳人の「正岡子規(1867-1902)」の3人が主人公です。秋山兄弟については兄の好古がフランスをモデルにした陸軍に弟の真之がイギリスをモデルにした海軍に入隊し日露戦争の勝利に貢献した軍人であった事をこのドラマで初めて知りました。 明治維新によって日本は国家となり国民となった日本人が近代国家を造り上げようとある意味少年のような希望を抱いてがむしゃらに時代の坂を登っていく「青春物語」のようでもあります。このドラマを見た当初は私自身は「日露戦争」については最大の激戦地となった中国の「203高地」とか陸軍軍人「乃木希典」の活躍と日露戦争後の明治天皇崩御の際に夫婦共に殉死した事ぐらいの知識しか無かったのですが、2年前に読んだ「百田直樹」著の「新版 日本国紀」で日露戦争の勝利がいかに政治家たち緻密な戦略によってなし得たものかを知りました(具体的にはイギリスと日英同盟を結びイギリスの援護を得た事、戦費捻出のため時の日銀総裁「高橋是清」のイギリス政府との交渉など) 思えば政治家・軍人が総力をあげて何とか勝利を得た日露戦争、棚からボタ餅のような第一次世界大戦勝利をきちんと総括していれば、決して第二次世界大戦の悲劇には繋がらなかったのではとも思います。 因みに「坂の上の雲」で一番印象に残ったシーンは好古演じる「阿部寛」さんが軍人たる者常に身軽でいるべきという思いから長く「茶碗一個」の独身生活を続けるも、お見合い後にプロポーズのように「茶碗は2つあっても良いと思っている」でした。昨日の番組でそのシーンが流れt妻となる多美を演じる「松たか子」さんのその言葉を受けての幸せそうな顔が光り輝いて見えました。 前回で見逃したもっと政治的な視点からの「日露戦争」に注目して再放送を楽しむつもりです。
2024.09.02
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もし1970年にピカソやモディリアーニがアトリエ兼住居として使っていた「Bateau-Lavoir(バトー・ラヴォール」 洗濯船」が全焼せず、彼らのアトリエが当時と同じような形で復元され公開されていたら、もの凄い観光スポットになっていたのかと思います。 2006年に行った時はきちんと下調べをしていなかったので「洗濯船」が火事のためもう存在していないことも知らず、中に入れるものと期待していました。 「ショーケース」だけが展示され、写真右側の説明もフランス語で書かれているため、ほぼ年代と人物名しか理解できませんが「洗濯船」の名付け親であり詩人の「ジャックス・ヤコブ」の名前もあり、ピカソが1904年からここにアトリエを構え1907年にキュビズムの発端となる「アヴィニョンの娘たち」を完成させたと書かれています。また当時ピカソの恋人だった「フェルナンド・オリヴィエ」の名前もあります。 彼女はピカソとの「洗濯船」での生活について書いた本の中で「極貧と冬の寒さにもめげず休むことなく制作を続けた」と書いています。ピカソは1909年に「洗濯船」を離れますが、後に「みんな、いつかきっと洗濯船に帰ってくる。みんな、本当に幸せだった場所に。珍獣ではなく、画家として認められた場所に」と言っていたそうです。 イタリア人画家「モディリアーニ」は1906年に渡仏し1907年頃から「洗濯船」や周辺のアパートを転々としていたようです。1900年に入ってモンマルトルは古い建物の取り壊しが始まったので、最終的にはモンパルナスへアトリエを移したようですが、1915年に「洗濯船のアトリエ」で撮られた写真が残っています。また1950年代には実際のモディリアーニのアトリエが残されていたことを確認したという記録もあります。 画家仲間の「モーフラ」を激励しに「洗濯船」を訪れた「ゴーギャン」、パリの洗練した女性を描いたオランダ人画家、キース・ヴァン・ドンゲンが妻と子供と1年だけ過ごした「洗濯船」。そしてヴァン・ドンゲンは晩年を過ごしたモナコの別荘を「洗濯船」と名付け91歳で「洗濯船」で亡くなったそうです。 画家達が魂を燃やした場所「洗濯船」は火事で消滅しても永遠の場所なのだなぁと改めて思います。
2021.01.07
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漫画「神の雫」と「マリアージュ 神の雫 最終章」の全70冊からはワインや料理について多くのことを学ばせてもらいました。 そしてワインとの出会いで自分の今でも忘れられない思い出と本当に僅かでも似た事が描かれていると大袈裟ではなく飛び上がるほど嬉しくなります。 その一つが「マリアージュ~」の25巻目に描かれていた造り手「ジャッキー・トルショー」の「手」です。遠峰一青が彼にとっての13本目「神の雫」に選んだワイン「クロ・ド・ラ・ロッシュ 2002年」の造り手です。バッカスの神に導かれるように彼の元を訪れるチャンスを得、畑で交わす会話がとても印象的です。 握手をしようとして差し出された手が真っ黒に染まっていることに驚いた遠峰一青に「もう取れないのだよ」と答えます。それに対して「ヴィニュロンの勲章です。あなたに会ってその手を見て自分にとっての神の雫があなたが造るワインであることを確信しました」と続きます。 今は数が少なくなった「畑」をこよなく愛する人で畑をより深く理解するために毎日畑に出ることを日課としていたようで、2005年には引退し今は「幻の造り手」と呼ばれているようです。 「手」についての私の忘れられない思い出は2006年ボーヌで「冬の葡萄畑を見るツアー」に参加した時のことで、ボーヌ近郊にある「サヴィニ・レ・ボーヌ」村にある小さなドメイン(ワイナリーと同じ意味)が最後の訪問先となっていました。オフシーズンということもあり試飲やワインの購入が出来るのはそのドメインだけでした。 対応に出て来てくれた女性が試飲用のワインをグラスに注いでくれた時、その「手」に目が止まりました。冬ということもあったのかもしれませんがかなり荒れていたのです。ワイン造りの大変さを言葉を使わずに説明してくれているような・・私にとって思い出深い手です。 この地区を代表する白葡萄品種「アリゴテ」を一本購入しシンガポールでその手のことを思い出しながら開け、そのボトルのラベルは今でも大切に取ってあります。 「目は口ほどに物を言う」ではないですが、言葉を使わなくても体の一部でその凄さが伝わることって結構たくさんあるのだなと改めてしみじみ思います。
2021.07.26
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現在ACMで開催中の「Life in 江戸 浮世絵展」で「北斎漫画」に魅せられたフランス人「Felix Bracquemond(フェリックス・ブラックモン 1833-1914)」のことを初めて知りました. ウィキペディアには画家であり銅版画家でもあった彼は、同じく画家でありリヨンで壁紙商の息子として生まれた「ジョセフ・ギシャール」が経営する版画工房で働いていた経験もあると書かれています。 左に亀、右に鳥が描かれたブラックモンの版画ですが、北斎の影響を受けたのかなぁと思わせるほどの緻密さと迫力があります。 そしてもう一つの顔としてブラックモンはフランスの陶磁器会社「SERVES(セーブル)」で陶器のデザインもしていたようです。セーブルも初めて聞く名前なので調べてみると1700年代に設立されたフランス王立のどんでもない高級陶磁器会社でした。 ブラックモンがデザインした陶磁器で、浮世絵の影響を受けていたはずと思って見ると正にそのようにも見えます。 因みにこの2客の陶磁器は19世紀様式で花柄が何とも美しいのですが、2客で4,400,000円とは何事でしょうというお値段です。これは普通の人は怖くて使えませんという感じです。 日本では二束三文のような扱いを受けていた浮世絵がヨーロッパに渡り、芸術という世界の中心のパリで見い出され花開いたことを思うと、フランス印象派の絵画が最初にアメリカで花開いたことに思い及びます。 本当に価値あるものはどこかで誰かに見い出されるものなのだという感じがします。ところで大河「青天を衝け」で1867年のパリ万博でパリに渡った「渋沢栄一」がその時もし浮世絵を見るチャンスがあったらどれほど驚いたかと思うと、吉沢亮君の驚き顔を想像してちょっとほっこりしてしまいます。
2021.08.18
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11月7日は理由はよく分かりませんが「国際メルロー・デー」だそうで、たまたま「ヴィノスやまざき札幌店」のオープン3周年を祝う「プチパーティーでおもてなし」のワインセミナーでした。 CAVAとカナッペでスタート。 スペインのスパークリング「モンマルサル エクストレマリウム ロゼ 2021(DO CAVA ピノ・ノワール100%)」でスタートし、いつも通りの計6本に加え今月のボジョレー・ヌーヴォーに因んだヌーヴォー革命の1本の計7種類のテイスティングでしたが、何と言っても店主自らが腕を振るったカナッペ3種(和風マッシュルーム、鶏のレバーパテ、生ハムクリームチーズ)、男爵芋のビシソワーズ(スープ)、チーズたっぷりのホットサンドに締めで牛肉の赤ワイン煮込みの6種類はワインとしっかりとマリアージュする最高のおもてなしでした。シャトー・ペリーユ・モンドット 2007 国際メルローデーに因んでか最後のスペシャルワインはメルロー90%、カベルネ・フラン10%で造るACサンテミリオン「シャトー・ベルグラーヴ(売値10,000円)」でした。注がれたグラスの下部に澱(おり)があり、店主から「タンニンが結晶化した澱は渋みが多く熟成したワインの特徴」と説明がありました。17年という時を経て熟成したこのワインを最後に出された牛肉のワイン煮込みで本当に美味しく頂きました。札幌は昨日は10月の初雪以降、初めての積雪となり秋の深まりどころが初冬の冷え込みとなったけれども温かい気持ちでセミナー終了となりました。 今回のスペシャルサービスとして昨年のボジョレー村で造られたプレミアムのヌーヴォー(売値5500円)はブラインドだったため葡萄品種「ガメイ」とは思えない深紅色や味わいに「この葡萄品種は一体何?」と頭を捻りました。個人的にはボジョレー・ヌーヴォーに対して今まで持っていた印象を大きく変える一本で、こんな経験をさせてくれる「ヴィノスやまざき」にはやっぱり感謝の一言です。
2024.11.08
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昨年の大河「青天を衝け」で渋沢栄一の故郷「血洗島」での「和宮」の花嫁行列のシーンと行列のために夫役を課され人手を出すことに怒りを覚える栄一の姿が今でも印象に残っています。 1862年幕府の威信を取り戻すため「公武合体策」として孝明天皇の異母妹、皇女和宮が14代将軍「徳川家茂」に降嫁することによって巻き返しを図りながらも、4年後には長州征伐の際に家茂が大阪城で病死、孝明天皇の急死と続き幕府は一気に崩壊に向かいました。 和宮というと私がすぐ思い出すのは有吉佐和子(1931-1984)著の「和宮様御留(1977-1978年に群像に掲載)です。京都から江戸までの花嫁行列の後、江戸城に現れた和宮は本人ではなく替え玉だったという内容です。 読んだ時は小説のテーマとして「何と斬新な」と思いましたが、決して100%作り話ではない証拠がいくつかあるということには驚きました。 証拠として一番にあげられているのは和宮は子供の時から「片足が不自由」であったことですが、江戸城に到着した和宮にはその様子が無かったようです。 そして小説をもとにドラマ化が2回されていて、どちらも見ましたが甲乙つけ難い女優対決のような感じでした。 1回目は1981年放送で皇女和宮の替え玉「フキ」を演じたのが「大竹しのぶ」さんでした。京の町方で生まれ捨て子となってしまったフキは和宮が育った橋本家の下女として働いていました。そして婚約者がいたこともあり降嫁を嫌がる和宮のためにフキに白羽の矢が当たります。 徹底的に公家の作法を教え込まれ不自由な生活を強いられている時に、ふとフキの耳に祭りの音が聞こえてきます。そしてその瞬間に気がふれてしまう大竹しのぶさんの「目の演技」が圧巻でした。 2回目は1991年放送、内容はほぼ同じで主演は「斉藤由貴」さんでした。彼女の演技も素晴らしく全く甲乙が付けられない感じでしたが、個人的には目の演技で大竹しのぶさんに軍配です。 確か最終的には替え玉の自殺(井戸に身を投げたという説)もあり、フキの後の替え玉が江戸城に入ったのかという2重のミステリーのようになっていて、原作の素晴らしさとドラマの中の女優陣の名演技で私には忘れられない作品と昭和の名ドラマの1つになっています。
2021.04.24
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「マリアージュ 神の雫 最終章」26巻目は昨年の12月発行なので、日本より半年ほど遅れて全冊70冊を読み終えました。手元にある「神の雫」の1巻目は2009年の第12冊発行なので、最初の発行から4年後に読み始め約10年間で読み終えたことになります。帰省の時に纏めて買ったり友人や家族にシンガポールまで送ってもらったり、それだけでも思い出があります。 改めてこんな凄いワインの本(教科書以上)をリアルタイムで読むことが出来たことに、原作者の亜樹直さん、作画のオキモト・シュウさん、講談社に感謝します。 神咲雫と遠峰一青との「12使徒対決」を描いた「神の雫(全44冊)」の42巻目から44巻目までを購入し応募した人に「裏使徒12本」について書いた「ライナーノーツ」を差し上げますというのを締め切り後に見つけ、ダメ元で「シンガポールに住んでいるため見るのが遅れて~」と理由を書いて「ライナーノーツ」を実家に送って欲しいとお願いの手紙を講談社に送りました。 諦めかけていたところ実家から届いていると連絡があり、郵便でシンガポールに送ってもらったという思い出もあります。 最終となる26巻目を読み終わった後、どんな気持ちになるだろうと正直ドキドキしながらページをめくっていきました。 一番衝撃だったのはやはり遠峰一青の「死」です。13本目となる「神の雫」をブルゴーニュで見つけ、神咲雫との表現対決で引き分けとなった後、全てを燃やし尽くしてしまったかのように・・・愛するローランが彼の子を宿していたこと、遺骨はブルゴーニュにというメッセージ、遺言として神咲雫に渡された手紙など、決してこれで完結ではなく「新たなワインへの旅」という未来に向けた遠峰一青の熱い熱いワインへの思いが伝わって来て、想像以上の素晴らしいエンディングでした。 しばらくはこの余韻に浸っていたい気持ちです。
2021.07.21
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「夢」1932年 130x96.5㎝ モデルの「マリー・テレーズ・ワルテル 1909-1977」 ピカソの「夢」は1990年出版の同朋舎「週刊グレートアーティスト ピカソ」で初めて見ました。その時は絵のモデルについてもほとんど知識が無く、ただ強く印象に残る絵として一目惚れし、その時から「一番好きな絵は?」と聞かれると「ピカソの夢」と答えてしまいます。 絵の下には「ニューヨーク ・ヴィクトール・W・ガンツ夫妻蔵」、絵の説明には「ピカソは一定の距離を置きながらもシュルレアリズム(意識下の心の動きを取り出して見せようとすること)に関心を抱いていた。夢はシュルレアリストの好むテーマである。顔は横顔と正面から見た顔が一つに合わさっており月の位相を暗示しているようだ」と書かれています。 改めて「夢」について検索すると「おそらく下が横向きのマリー・テレーズで上側が横向きのピカソで、キスした状態を表現している」という解釈もあるようです。私は単純に顔の中央に使われた黒という色、顔の左右の微妙な肌色の違いに現実と夢の間を行き来するような謎めいたところに魅かれています。 ガンツ夫妻はこの絵を1941年に7千ドルで購入、1997年にガンツ夫人が亡くなった後、競売にかけられ、ウォルフガング・フロットル氏が購入するも彼の経済的理由で2001年に6千万ドルでラスベガスのカジノ王「スティーブ・ウィン」氏に売却しています。 まだガンツ夫妻蔵であった1996年にニューヨークのMOMAに行きました。ピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」を直に見て美術の教科書に載っていた絵が見られたことに満足しましたが、やはり「夢」が気になり美術館のスタッフに「夢がここで展示されたことはあった?」と聞くと、あっさり「この前まで~」と答えが返って来て、私の英語が通じていないんだなぁと思ったのですが、その後ギフトショップに行くとレターセットの箱に「夢」が使われていてすぐ購入しました。 そして2006年スティーブ・ウィン氏は1億3千9百万ドルで「スティーブ・A・コーエン」氏に「夢」の売却を決めます。ところが最後のお披露目に招待した親しい知人達の前で絵について解説していたウィン氏が眩暈を起こし肘で絵に穴を開けてしまうというハプニングが起きました。それから数年間に及ぶ絵の修復があり無事2013年に1億5千万ドル(高くなっています!)でコーエン氏の手元に届きました。 高価な絵が決して大傑作とは言えないと思いますが、私の中ではこれだけこの絵に対して個人蔵に拘る理由がほんの少し分かるような気もします。そして出来れば修復された絵であってもいつかこの絵を直に見てみたいものだと思います(MOMAでの展示があったかどうかは原田マハさんにファンレターを書いて質問という手もあるのかなと・・) 明日はパリの「ピカソ美術館」について書きます。
2022.03.30
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ロシアのウクライナ侵攻が始まって1ヶ月が過ぎ、ロシアのサンクトペテルブルグにある「エルミタージュ美術館」を訪れる人は現在どのくらいいるのかと考えます。 2011年に3日間エルミタージュ美術館に通いながらも、ロシア革命前にマティスのパトロン的存在だった「セルゲイ・シチューキン」が鬼集した印象派の絵画を直に見ることが目的だったため、膨大な所蔵品の中の有名な絵画もさっと見た程度の物がかなりあったと思います。 そして今でも忘れられない絵がオランダ人画家「レンブラント 1606-1669」の「ダナエ」です。レンブラントは「光と影の魔術師」と称され、「フェルメール 1632-1675)」とほぼ同時期に「バロック芸術(17~18世紀、それまでの宗教画に代わり傑作と言われる肖像画や風景画が描かれた時期)」の巨匠と呼ばれた画家です。1636年 ちょうどこの絵の前に立った時、日本語で解説する声が聞こえ振り向くと日本人の団体ツアーの方々がいました。「この絵には硫酸がかけられて~」の説明が聞こえ「えっ・・」と思ったのですが、じっくり見ることなく写真だけ撮って次の絵に進んでしまったことが今でも悔やまれます。 昨年遅まきながら「ギリシャ神話」に興味を持ち「ダナエ」が神話に登場する女性であるということを知りました。ダナエの父であるアルゴス王の「アクリシオス」は「孫によって殺される」と予言を受けたためダナエを幽閉するものの全能の神「ゼウス」に見初められ黄金の雨に姿を変えたゼウスと結ばれ子を宿すことになります。 ダナエの右手の横にゼウスの姿が暗い色調で描かれているのとは対照的にダナエの裸体は喜びで光り輝くような色彩で描かれています。子は成長して英雄「ペルセウス」となり怪物「メドゥーサ(三姉妹の3女)」を退治したことで有名ですが、予言通りにダナエの父を殺してしまいます。 「ダナエ」の硫酸事件ですが「エルミタージュ見学ガイド」には『1985年6月15日、この日はオランダの巨匠の作品「ダナエ」の最後の日になるところであった。絵に硫酸がかけられ、2ヵ所にナイフの傷を受けた。早急に「レンブラントの部屋」に呼ばれた修復の専門家たちは、キャンバス上に部分的に泡状になった絵の具を見た・・」とあります。 修復作業は約12年間続けられ、完全な修復は叶わなかったものの再び鑑賞者の前に姿を現すことになりました。ネットで調べてみると犯人は「精神疾患を抱えた青年」とありますが、敢えてこの絵を選んだのには何かそれなりの理由があったのかと考えてしまいます。もっとじっくり絵を観賞していたら完全な修復が出来なかった箇所が分かったのかなぁと今更ながらに思います。 ・
2022.04.03
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12月12日は語呂が良いので何かの記念日かなと思って調べると「漢字の日」でした。「1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)」で「良い字1字」の語呂合わせでした。1995年に「日本漢字能力検定協会」が制定したようで「清水寺」で発表される様子が蘇りました。今日の日本時間午後2時(シンガポールは午後1時)に発表になります。 昨年は東京オリンピックのため「金」、2020年はコロナ禍で「蜜」と世相を反映した言葉には毎年頷かされます。今年は私にとっては日本の政治や宗教に絡む事件よりもロシアのウクライナ侵攻が一番の衝撃で予想として「侵」の字が頭に浮かんだりしますが、女性たちが予想する「2023年の一字」の記事があって「穏」「幸」「明」がランクインしていました。これは現在の状況が穏やかとか明るいという事ではなく、強い願いが含まれているのだと思うとちょっと切ない気持ちになったりもします。 ところで漢字というのは一見して意味が分かる(又は推測できる)というのを以前に何かで読んで「ひら仮名」や「かた仮名」そして世界の言葉の多数派になる「アルファベット」にはそのような機能がないということで感銘を受けたことがあります。紀元後1世紀には中国から日本に伝わったと言われる漢字を2千年以上の時を経ても使い続け、日本の伝統や文化の基盤になっていると思うと感慨深いです。 余談ですが、先日バスで隣に座った男の子がすぐに漢検のテキストを開き指で何度も書きながら覚えている姿を見て心の中で「頑張れ!」と思ってしまいました。 発表まで後2時間、漢字の事をあれこれ考えながら楽しみに待ちます。『追記』 たった今発表になって今年の漢字は「戦」で納得です。選ばれた理由はロシアのウクライナ侵攻、サッカーワールドカップ日本代表の試合、大谷翔平選手の活躍、新型コロナや物価高への対応だそうです。
2022.12.12
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昨日は久し振りに朝ドラ「らんまん」が始まってから初めてシンガポールの国立植物園(唯一の世界遺産)に散歩に出かけました。今までは「オーキッド・ガーテン(蘭園)」を除いては緑鮮やかな高い樹木に目が行っていましたが、「らんまん」効果で小さな花にも目が留まったり、数は少ないですが樹木や花々を説明するパネルを立ち止まって読んだりとのんびりと時間を過ごしました。 1894年 1904年にリドニーが名付けた「メンクラ」の木 パネルの1枚に植物園の初代園長を務めたイギリス人「Henry Nicholas Ridney(ヘンリー・ニコラス・リドニー 1855-1956)」のスケッチと緑の木「The Mengkulang(メンクラ)」の写真があり、朝ドラで目にする万太郎の標本に何か似ている感があって、標本は世界共通の物があるのかなぁと見入ってしまいました。年代的にも牧野博士(1862-1957)とほぼ同時代を生きています。 牧野博士が上京したのは1885年の22歳の時、そしてリドニーは1888年前職「大英博物館の植物部門」の職からシンガポールの植物園長に就任し23年間精力的に植物園のために働いたそうです。 そして何と言っても彼の偉業はシンガポール着任前には既に成長していた12本の「ゴムの木」を見てその将来性を見極め10年間ほどゴムの木の研究をし木に害を及ぼさずにゴムを採取する方法を発見した事にあるようです。当時はこのゴムの木の栽培推奨は周りからは「あり得ない!あいつは狂ったリドニーだとかゴムのリドニー」と揶揄されたようですが、後々自動車産業が発展してタイヤのためのゴムの需要が増えシンガポールに大きな富をもたらす事になったというのは驚きの事実で、これもまた植物の持つ力の一例かなと思います。 たくさん花の写真を撮った中で一番綺麗に撮れた1枚です。「Swan Lake(白鳥の湖)」という名前の池の前に咲いている花々で黄色と赤のコントラストが夕方の日差しに映えていました。「らんまん」効果で日本では今まであまり気に留めていなかった草花を立ち止まって見て癒されている人が増えているのではと思います。
2023.05.13
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昨日のNHKあさイチの「世界はブラボー・観光では分からない素顔のフランス」のコーナーで古着の人気、車の相乗り方法に加えて「バゲット」を取り上げていました。バゲットと言えばフランス旅行の思い出で今でもフランスで一番美味しかったのはバゲットと言えるほどです。 番組ではパン屋さんにバゲットを買いに来たお客さんが「雑穀入りでよく焼けた(Bien Cuit ビアン・キュイ)のを2本ください」とか「焼け過ぎていない(Pas Trop Cuit パ・トロ・キュイ)のを」と焼き加減まで注文出来る事に驚きました。店主の説明では「よく焼けると小麦の中のデンプン(グルテン)が壊れるので消化に~」とありこれが消化に良いのか、悪いのか最後の部分を聞き逃してしまいました💦 4.2ドル ベストセラーのクラシックタイプ「バゲット」 シンガポールではチェーン店の「PAUL」などフランス系のパン屋さんも何店かありますが、旅行の際に食べた物と同じレベルのバゲットに出会う事はなく結局今は日本のパン屋さん「DONQ」が私のご贔屓になっていますが、昨日はふとPAULのバゲットと思い、早速買いに行ってきました。ここはハーフサイズはなく長いバゲットを抱えてふと「どうしてバゲットってこんなに長いんだろう?」と初めて疑問に思いました。 調べてみると棒状であるために皮の部分の面積が増え、香ばしさも増し、皮のパリパリした食感が楽しめるとあります。そして長い理由は丸いパンは準備に時間がかかるのに対し細長いパンは全ての過程において時間を短縮できるためだそうです。小脇に抱えるためでは無かったのですね🥖そして値段を下げるために牛乳を使わず、小麦粉、塩、水、イーストのみで作られるようになったという100点満点の説明です。 昨年の11月にこのバゲットは「ユネスコの無形文化遺産」に登録され、マクロン大統領も「250gの魔法」と歓喜の声を上げたと伝えられますが、この250gも大体で300gのものとか長さも大体60㎝から70㎝とまちまちのようです。因みに昨日PAULで買ったのは60センチくらい、計りがないので重さは?ですが250gにしては重いかなぁという感じでした。モンマルトルの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 余談ですが、モンマルトルの風物詩で多くの画家達が描いた「風車」がパンを作る製粉所のための物とフランス旅行の後で知った時には感慨深いものがありました。またフランス旅行に行ける機会があったらふらりとパン屋さんに立ち寄って「雑穀入りでよく焼けたバケットを1本」と注文してみたい気分です。
2023.06.13
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シンガポールで唯一「世界遺産」に登録されている「Botanic Garden(植物園)」内にある「Orchid Garden(蘭園)」には6万本ほどの蘭が植えられています。 シンガポールの「国花」にもなっている「蘭」ですが、調てみるとそれは日本でも有名な「胡蝶蘭」ではなく、多分名前はあまり知られていない「Vanda Miss Joaquim(バンダ・ミス・ジョキアム)」という柔らかい紫色をした混合種の蘭です。 世界の中でも混合種を国花にしているのはシンガポールだけだそうです。 新種の蘭を偶然自宅の庭で発見したバンダ・ミス・ジョキアムさんが1981年に行われた花の展示会にその蘭を出品し、出品された全40種(30種は蘭)のうちから国花に選ばれたという経緯があるようです。「混合種」であるということがシンガポールの持つ多民族性を象徴するという意味もあったようです。 今まで「オーキッド」という言葉は「蘭」の意味だと勝手に思っていたのですが「柔らかい紫色」と色を表す言葉であることも分かりました。 「Botanic Garden MRT(地下鉄)」駅を出てすぐ植物園の入り口があり、ゆっくり園内をマイナスイオンを浴びながら30分くらい歩くと「蘭園の入り口」です。これも蘭の一種?赤い色に元気をもらいます。 一昨年行った時は蘭の名前のプレートが見つけられなかったので、今度は蘭についてもう少し調べてから行くつもりです。 因みに「胡蝶蘭」を国花としているのはインドネシアでした。ただインドネシアを象徴する花は3つあり、国花としては「茉莉花(ジャスミン)」、魅力の花として「胡蝶蘭」、希少な花として「ラフレシア」ということでした。
2022.02.16
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昨日のNHK「SONGS」は「原由子」さんの出演で、原由子さんと言えば何といっても私にはソロ曲「私はピアノ」で、その歌から番組が始まって懐かしさで一杯になりました。今までは何となく桑田佳祐さんやサザンを支えて一歩下がっているというイメージがあったのですが、ボーカリストやキーボード奏者だけではなく楽曲をプロデュースする凄い才能の持ち主であるということを番組を通して改めて気づかせてもらいました。 イギリスのギタリスト「エリック・クラプトン(1945- )」を崇拝し、「エリック・クラプトンがいなかったらサザン・オールスターズは無かった」と断言して、自らギターを弾いて、大泉洋さんと「与作」や「Love Affair~」をデュエットする様子に和みました。大泉洋さんに「オークラゥディアも是非」とお願いされて「それは練習していないので・・」とあっさりとお断りでオチが付きました。 特に印象的だったのは私も好きな曲「ミス・ブランニューディ(1994年)」の出だしのシンセサイザーが原由子さんのアイデアで当時としてもシンセサイザーのアイデアは画期的だったようで、今聞いても斬新さを感じるのには驚きました。 話は「私はピアノ」に戻って、特に下記の3行の歌詞が好きです。 『あなたから目が離せない ふたりして聞くラリー・カールトン』 『辛いけど涙みせない 雨の降る夜にはビリー・ジョエル』 『情けない女になってしまいそうな時にはサンバ』 「ラリー・カールトン(1945- )もアメリカのギタリストで、2人のギタリストから強い影響を受けたのだと思います。ビリー・ジョエルは最近は聞いていないですが、随分昔にニューヨークに住む知人のアパートに2泊させてもらった時(セントラルパーク近くの微妙に床が傾いていた部屋)ビリー・ジョエルのCDがテーブルの上にあって何気なく聴いてみると、ビリー・ジョエル=ニューヨークになったような記憶が今でも鮮烈に残っています。雨の降るニューヨークでの夜に聴くベストな曲はビリー・ジョエルなのかも・・。そして「情けない女・・」こんな時はやっぱりラテンなんですね。YouTubeでサッカー等の応援歌定番曲「Samba de Janeiro」を聞いてみると、確かに凄い元気になること請け合いみたいな曲です。「お嫁サンバ」や「マツケンサンバ」でも効果はあるかなぁ・・・。
2022.10.21
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葡萄品種「Carmenere(カルメネール)」はスーパーのワインコーナーで説明板を見て知ったのがきっかけでもう6年ほど前の事です。試しにと1本購入してチャイナタウンの「恩味軒(麻婆豆腐がシンガポールで一番美味しいという触れ込みのお店)」に持ち込んで試したところ本場四川風の唐辛子のかなり効いた麻婆豆腐を一口食べて、カルメネールを一飲むとメルローよりももっと感じる甘味のようなもので麻婆豆腐の辛味が薄らぎ「完璧マリアージュ!」を実感してから今は定期的に中華に合わせて飲んでいます。 ESPINO D.O. MAIPO VALLEY-ANDES 2021年 スーパーで見たカルメネールの説明板 今月のワイン・コネクションのプロモーション(値引き)のカルメネール(アルコール度数14%)は30ドル前半でテーブルワインとしては高めですが、スタッフのジャンさんから「これが美味しくないと思ったらもう1本無料であげるよ!」とまで言われ、もともとカルメネールのワインを探しに行ったので即購入しました。 用意した一品はやはり麻婆豆腐(CookDoの四川式を使用)で、ワインを開けると強い果実の香と濃いルビー色にインパクトがあり、ボトルの裏のラベルではこの色を「Deep inky voilet color(深いインクのようなスミレ色)」と説明していてこんな表現は初めて見ました。通常買う10ドル~20ドル台のカルメネールとはやはり一味も二味も違う高級感もあり、勿論麻婆豆腐のと相性は抜群でした。 カルメネールの歴史については以前日記に書きましたが、南米チリにフランスのボルドーから輸入された葡萄品種「Merlot(メルロー)」にカルメネールの苗木が混じっていて、150年間ずっとメルロー種だと思って栽培していたフランスでは絶滅した品種です。1994年ワイン学者が早く熟す葡萄品種はボルドー原産のカルメネールであると発表し、1998年にチリの農務省もこれを認めたそうです。チリの特産品種として認められて未だ25年というある意味新種のワインです。イタリア、カリフォルニア、アルゼンチンでもほんの少し栽培があるようですが、私はチリ産以外のカルメネールを見た事がありません。 私がカルメネールを知った翌年発行の「神の雫~」15巻目に中華料理店のシェフ周さんと亡くなった奥さんの佐和子さんのやり取りの後カルメネールが出て来ます。佐和子:「あなたどうかな?このマリアージュ。ちょっと試してみて」周: 「うん いいね。この回鍋肉にはにんにくの芽がふんだんに入っているからね」佐和子:「だから香り同士がぶつからないようにアロマの穏やかなカルメネールに合わせてみたわ」周: 「うん 素晴らしい。さすが佐和子だ」 余談ですが、「にんにくの芽」はシンガポールでは未だに見つけられていません💦そして周さんが石膏豆腐を使って作る本格的な麻婆豆腐に佐和子さんが選んだワインは「ドメーヌ・デユ・ペゴー シャトーヌフ・デュ・パプ キュヴェ・ローレンス2001年」でした。チャイナタウンの「恩味軒」でこんな高級ワインが試せる日が来ると良いのですが・・・。
2023.05.28
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先週放送の朝ドラ「らんまん」の中で田中哲司さん演じる徳永助教授の株がぐんと上がるシーンがあって上手な脚本だなぁと感心しきりでした。 夕顔の邸を訪れる「光源氏」 ネットの画像から 小学校中退の万太郎に嫌味を言ったり冷たい態度を取っていた徳永助教授が田邊教授の万太郎の会報誌発行のための努力に対して冷徹な言葉を聞いた後、万太郎への同情を抑えられず大学の庭に咲く朝顔と昼顔を眺めていた万太郎に「朝顔、昼顔、夕顔で種類が違うのはどーれだ?」と話しかけます。万太郎が「夕顔です」と正解を言うと「自分は文学が好きで源氏物語の登場人物では夕顔が好き💓」と初めて万太郎に素顔を見せ自分の事を話します。 源氏物語を彩る女性達の中で「夕顔が好き」というのは私には意外で、それは夕顔は光源氏に愛されながらも「六条御息所」に嫉妬から呪い殺されてしまった・・というちょっと暗くて儚すぎるイメージがずっとあるからです。 日本にいた時に田辺聖子著「新源氏物語」と大和和紀氏の漫画「あさきゆめみし」を読みましたが、記憶が薄れているのでウィキペデイアで夕顔を見てみると、光源氏の従妹であり友人、そして最初の正妻「葵の上」の兄である「頭中将」の側室で「玉鬘」という子供をもうけていました。その美しさから正妻の嫉妬を買い、頭中将の前から姿を消しひっそりと夕顔が咲き乱れる邸で暮らしている所を光源氏に見初められ逢瀬を重ねますが、今度は六条御息所の嫉妬で短い生涯を閉じます。ウィキペデイアの解説では夕顔を「佳人薄命を絵に描いたような女性」と締めくくっています。 徳永助教授はこういう女性がタイプなんだぁと、何だか普段は見せない「繊細な心」を垣間見たようで数分のシーンでいきなりかなりの好人物に!田邊教授の冷徹さを見せるシーンとの相乗効果も相まって、やっぱり上手な脚本だなぁと・・。明日からの寿恵子との結婚への準備や果たして竹雄の恋の行方は?と展開がとても楽しみです。 余談ですが、来年のNHK大河「光る君へ」は源氏物語の作者「紫式部」の生涯なので楽しみにしていますが、源氏物語に登場する女性達のエピソードは語られることはあるのかなぁと・・。因みに紫式部は「空蝉」という女性に自分を投影させているというのを読んだ事があります。光源氏に強く魅かれ言い寄られながらも上手にそれをかわす「超・理性的」な女性。やっぱり徳永助教授はこんな女性はあまりタイプではないんだなぁと、ちょっと嬉しい気持ちです。
2023.06.18
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東京大学植物学教室の徳永助教授が先月「私は源氏物語では夕顔が好き💓」と文学好きの素顔を万太郎に見せイメージ―アップし、今日は田邊教授、徳永助教授の「コバンザメ」のような存在で田邊教授からは「口先だけのゲス」と言われた大窪講師の意外過ぎる出自と歴史上の偉人の名前が出て、万太郎への土下座のシーンも含めて徳永助教授に続き今後大窪講師のイメージアップがどこまで描かれるのか楽しみです。 ドラマの中の大窪講師の台詞「俺の父は旗本の出で、東京府府知事になり今は元老院の議官だ」を基に検索してみると大窪講師の父親は「大久保一翁(1817-1888)」で徳川家の旗本「大久保忠尚」の子として生まれています。老中「阿部正弘」に早くから才能を見出されて「海防掛」に任じられた事で幕末の偉人「勝海舟(1823-1899)」との繋がりが出来たようです。 大窪講師は3男で海外留学の経験がありながら良い職が見つからず、そこで父親の一翁が知己のある「勝海舟」に口添えをお願いし、たまたま空きのあった東京大学植物学教室の「御用掛」にねじ込んでもらったようです。最初は「植物学なんて聞いた事もない。屈辱だ」と思いながらも父親に見限られる事を恐れ何とか教授と助教授にしがみつくという背景があったようです。 そしてそんな思いを覆させ「俺は初めて植物学を学びたいと思った」という思いに至らせた万太郎の植物に対する真摯な愛情がまた1人の人間の心を根底から動かしたと思うと感慨深いです。 先週の徳永助教授の「最初にこの植物学教室に来た経緯は問わない」の言葉にも繋がり、紆余曲折、艱難辛苦があってこそ実りある人生になっていくのかなぁと・・。「らんまん」の高視聴率の訳を実感し、やっぱり励みや元気を貰えるドラマの存在はとても有難いです。 余談ですが、近所を散歩中に見つけた花です。細い茎のような物が白い花のところから6つ出ていて先に黄色い花粉状のものが風に揺れていて可憐でした。相変わらず植物の名前は良く分かりませんが、らんまん効果で近所の散歩の楽しみも一つ増えました。
2023.07.12
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シンガポールの高嶋屋デパートで今日まで開催の「北海道フェア」で驚きの一品を目にしました。小樽の和スイーツ店「Maruamami(円甘味)」が販売する「Mochi Dorayaki(Pancake)」で何とマレーシア産の有名ドリアン猫山王(Musang King)」入りが1個7.50ドル(750円)で売られていました! 小樽のスイーツ店「ルタオ」はシンガポールにも1店舗ありますが「円甘味」のスイーツは初めて見ました。ちょっと迷って無難な小豆とクリームチーズ入りを買いましたが、小ぶりながらボリュームたっぷりでした。ドリアン入りは依然気になっています・・・。 「果物の王様」と言われながら独特の匂いから「食べず嫌い」な人も多いと思いますが、私はたまたま来星してすぐに連れて行ってもらった路上でお店が並ぶゲイラン地区(公認の売春地区でもあります)で食べた新鮮なドリアンの美味しさには目から鱗で「ドリアンは普通に美味しい果物」になっています。ただ何かにミックスしてあるのは苦い経験から抵抗があったのですが、先日初めて食べたドリアン入りアイスクリームはかなり美味で驚きました。そしてドリアンの旬は年2回、6月~8月と11月~12月なのでドリアン入りパンケーキに丁度良いタイミングだったのかもしれません。 左がドリアン入りアイスクリーム シンガポールに2店舗展開のうちのオーチャード店 そしてドリアン入りのデザートと言えば人気のローカルスイーツ店「AH CHEW DESSERTS」では定番の「ドリアン・サゴ」を含めマンゴー入りなど6種類あって未だに挑戦していないので近々に行って試してみようという気になってきました。「何事もトライ!」で小樽の「円甘味」さんのトライの成果も知りたいところです。
2023.08.01
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住所はしっかり印字されていますが宛名は「The Resident(居住者)」となっています。 昨日郵便受けにシンガポール政府からの無料の「コロナ抗原検査キット」が入っていて、前回はいつだったか日記を見てみると昨年の12月でその前の8月にも今回とほぼ同じ時期に宅配がありました。来週の水曜(9日)はシンガポールの58回目のマレーシアからの「独立記念日(National Day)」で国を挙げての一大イベントが開催されるため、それに合わせてしっかり自分で検査して陽性であれば会場等に行かないようにというメッセージなのだと思います。ただ最近はコロナ感染者のニュースはシンガポールではほとんど目にすることがなく、公共交通機関でもマスクをしている人の割合は50%以下という感じです。 無料の「抗原検査キット(韓国製や中国製)」の宅配は2021年の9月に始まり、今回で5回目で韓国製です。宅配システムはとても便利で何故これが可能なのかと考え、昨年の8月の日記に下記のように書きました。 どうして抗原検査キットが全家庭に(勿論外国人も含めて)「Singapore Post(シンガポール郵便局)」で郵送可能かと考えると、人口が5百万人ほどで国土が東京23区とほぼ同じ広さであること以上に住所不定者がいないことが挙げられるかと思います。 初代首相のリー・クアンユーが57年前にマレーシアから独立する際に「全ての人が屋根のある家に住む」ということを目標の1つに掲げ、現在に至っています。また日本の「マイナンバー」に当たるIDカード等の番号によって政府がシンガポールに住む全ての人の情報を把握しているというのも大きいと思います。来星当時は政府に「個人情報が流れている・・」というのは正直怖いところもありましたが、普通に生活していれば害が及ぶこともなく、特にコロナ禍の危機の際には番号で管理してもらっていることでワクチン接種や無料マスクの受け取りの際は手間が省けてとても助かりました。特にワクチン接種に関しては紙面でのやり取りは無く、ID番号を携帯電話に入力、希望接種会場と日時を選んで送信するだけなので混み合って繋がらないという事も無く1分以内に予約完了です。 来週の水曜日(9日)でマレーシアから独立して58周年目という若い国で、国土も狭く資源も無く人口の少ない国ながら「名目GDP」は191ヶ国中34位「1人当たりのGDP」はスイスやカタールに次いで191ヶ国中6位というのはかなり健闘している国という印象です。IT技術を駆使した金融業、法人税を軽減し相続税を無くすなどして世界の富裕層を呼び込むという手法もあっぱれだと思いますが、先見性を持って国をリードしていく政治家達の手腕も大きいと在星20年目にしてしみじみ思います。
2023.08.03
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久々の一時帰国で酒税の高いシンガポールに比べて日本で販売しているワインの値段が店頭ではいくらぐらいになっているのか興味津々でした。 2020年 375ml アルコール度数14% 「神の雫」で紹介した2001年 まずはJR札幌駅内にある大丸デパートのワイン売り場で色々物色していると何と「Chateau Mont -Perat(シャトー・モン・ベラ」のハーフボトルを見つけました。漫画「神の雫」の記念すべき1巻目の第3話でヴィンテージ2001年を紹介して以降、酒屋でもネットショップでも入荷卸売り切れが続いた伝説のワインです。ラベルをよく見ると2001年が「Grand Vin de Bordeaux」の表示があるので2020年は格下と思いますが、それでもモン・ペラは一度飲んでみたかったワインで2200円というお値打ちです。 漫画「神の雫」の巻末の「Ch.モン・ペラ '01 試飲会」のページに「凄い力強さですね。2時間前に開けておいたのにこんなギンギンなんじゃ、開けてすぐだとアタック強すぎて飲みにくいかも」「一番目立っているのは、プルーンのエキスのような完熟した黒い果実の味わい」「黙ってこのワインを出されたら5大シャトーだと思っちゃいますよ。それぐらいのレベルですよ。重みもあるし、品もあるし」等々激賞のコメントが並んでいます。 果たして2020年の味わいは・・Grand Vin~とはやはり違うのかなというのと、待ち切れずに開けてすぐ飲んだせいかやはりちょっと硬さのようなものがあった感じです。悔やむのはもう1本購入してシンガポールに持ち帰らなかった事です。少しセラーで寝かせて飲む2時間前に開けて・・とか色々考えますが、それは本帰国の後で🍷Corbelli Primitivo 750ml 2021年 アルコール度数13% 同じ大丸デパートで1700円(シンガポールに比べてかなりのお値打ちです)で購入のイタリアのプーリア州の葡萄品種「プリミティ―ヴォ 100%」はやっぱりイタリアワインは飲みやすいを実感しました。
2023.11.19
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昨日の大谷選手のドジャーズ入団会見で明らかになった愛犬の名前が「デコピン」、まさかおでこにデコピンされているのかなぁとちょっと心配しながらも、されたとしても犬の指ではお返しのデコピンは出来ないし・・💦犬種は「コーイケルホンディエ」の他に別名「ダッチ・ディーコイ・スパニエル」があり、ディーコイから大谷選手の大好きなデコピンと名付けたようです(日ハム時代にも選手同士でやっていたそうです。まさか栗山元監督にはしなかったと思いますが)気になる雄か雌かは「雄」のようでネットの記事には「雌と暮らしているというだけで日本は大激震」というのもあり笑ってしまいました。大谷選手の癒しになっているのは明らかで今年の「真のMVPはデコピン」という記事まであり、正にバディ(相棒)です。 そして当然最高のバディは通訳の水原一平さんで昨日の入団会見での人柄も滲み出るような通訳振りはかなりの好印象でした。ネットでは米ハーバード大学に進学し、その後ジュリアード音楽院の大学院に進んだバイオリニストの「廣津留すみれ」さんが「鳥羽慎一モーニングショー」で通訳振りを賞賛した記事がありました。『(水原さん)は自分の伝えたい事を分かってらっしゃるなっていうのが凄く印象としてありました。肘の手術についてのやり取りで大谷さんは「言えない事もあります」みたいな感じで話してましたけど、一平さんが訳した後に最後「Ask my doctor(医者に聞いてくれた方がいいんじゃない?)」って最後にオトしてその場を和らげ言いづらい事もうまくクッションにして一平さんが伝えてるっていうのは素晴らしいコンビネーション』とコメントしています。 こんなシーンを見てプロの野球選手は無理でも野球選手の通訳になろうかなぁと思った野球少年もいるのではと勝手に思ってしまいます。 どんな大業も1人で成すのは難しく、信頼できる「相棒(バディ)」の存在の大切さをしみじみと昨日の入団会見で感じました。
2023.12.16
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昨日の「チコちゃんに叱られる」の2問目は「彫刻はなぜ裸?」で答えは「今からおよそ3000年前に古代ギリシャで初めて彫刻が作られた当時人間の裸が一番美しいと思っていたから」でした。より美しい人体の研究も行われゼウスに代表されるギリシャ神話に登場する神々も確かに人間と同じ姿をしています。そして古代ギリシャ起源の古代オリンピックでも選手達は全員裸で参加していたそうです。日本でもお馴染みの「考える人」のロダン(1840-1917)も古代ギリシャ彫刻の影響を受けほとんどの作品が裸だそうです。 訪れた美術館で彫刻の展示が多かったのはアメリカだったら「メトロポリタン美術館」フランスだったら「ルーブル美術館」のような大きな美術館という印象ですが、撮った写真を探してみるとルーブル美術館の2枚だけが残っていました。 「蛇と戦うヘラクレス」 「ペルセウスとアンドロメダ」 検索して調べてみると写真左はモナコの彫刻家「フランシス・ジョゼフ・ポジオ(1768-1845)」作で恋敵の河神で大蛇に化けた「アケローオス」を退治している場面だそうです。右はフランスの画家/彫刻家「ピエール・ピュジェ(1620-1694)」作で美貌を自慢したアンドロメダが生贄にされそうになったところをそこを通りかかったペルセウスによって助けられた場面ということです。 ヘラクレスやアンドロメダは名前は知っていても「さてどんな人(神)?」と今更ながらに疑問に思い一昨年読んだ小学生向けの「ギリシャ神話」をもう一度見てみるとヘラクレスは全知全能の神「ゼウス」と人間の女性の間に生まれた「半神半人」でアンドロメダはエチオピア王と王妃の間に生まれた人間です。アンドロメダを救ったペルセウスはヘラクレスと同じゼウスと人間の子なので「半神半人」です。因みに古代ギリシャで彫刻が作られた当初は女性の裸はタブー視されていて、男性の裸の彫刻から300年後ぐらいに女性の裸の彫刻が作られ始めたとそうで、そういう知識があるとアンドロメダの裸の彫刻も価値が増すような気がします。 番組内で東京23区の街中にある180体の女性の裸の彫刻についても解説があり、海外では美術館以外の場所で女性の裸の彫刻はほとんどないという理由もあり、最近は撤去されたり別のモニュメントのような物に替えられたりしているそうです。日本で何故街中にというのも明治時代になって、古代ギリシャ彫刻の本来の意味を理解せずに西洋化を急いだ結果なのではと説明もあって、今までちょっと関心が薄かった彫刻もじっくり観賞してみたいという気持ちにさせてくれた「チコちゃん~」に感謝です。修学旅行で見た十和田湖の「乙女の像」は今でも良い思い出ですが・・。
2023.07.22
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昨晩放送のNHKドキュメンタリー「老いる日本の住まい 第2回マンションに迫る2つの老い」は現在マンションに住んでいる人、子育てを終えて一戸建てからマンションに引っ越ししようとしている人に役立つ情報が満載でした。 マンションの設備は築50年以内に修繕が必要である事、コンクリート等は100年の寿命がある事、きちんと管理、修繕されていれば中古マンションの需要が高い事、ただ築40年を超えた物件の中にはそもそも管理組合や修繕積立金がなく、危険な老朽化状態に手つかずというケースもあるようで、実際に自治体が税金から1億円の費用をかけてマンションを解体したシーンも流れ、その費用をいかに回収するか検討中という事でした。 マンション住民の高齢化が進み年金生活者の割合が高くなれば突然管理費や修繕積立金のアップを通告されるのはかなり厳しく、国や自治体と一緒にこの問題を克服していく事の大切さを伝えていました。 日本のマンションと同じような位置付けにあるのがシンガポールでは「コンドミニアム」で通常ジムやプールの設備を備えた住居です。シンガポール人の8割が住んでいると言われる政府系の住居「HDB」は外国人が購入するのはハードルが高く(例えば夫婦2人が永住権(PR)を持っていれば可能性は若干あります)購入という事になればHDBよりずっと高価なコンドミニアムという事になります。 コロナ禍後のコンドミニアムの需要過多で昨年賃貸料が23.9%値上げになっているので、購入価格もこれに合わせて上がっているのかと思い調べてみるとCDB(セントラル・ビジネス・ディストリクト)と呼ばれる中心付近の2ベッドルームで2~3.5億円、チャンギ空港に近いイーストと呼ばれる地区でも最低価格が1.4億円でこの値段には改めて驚きです。国土の狭さが大きな要因ですが、シンガポールの不動産は世界で4番目に高いらしく、ただ売却する時に値段が下がる事はないという神話はまだ続いているようです。 築年数についていえば自然災害はほとんどない国でも暑さや高湿度で日本のような築年数でコンドミニアムの品質を維持するのは難しいらしく、賃貸の場合お薦めの築年数は3年から10年だそうです。新築だと建設技術の問題等で住んでから不具合が出る事があるらしく、3年くらい他の人が住んだ物件の方が安心という事です。 写真は現在賃貸しているコンドミニアムのちょうど真向いのコンドミニアムが昨年解体され、現在新築建設中の一枚です。政府の決まりによって築何年のコンドミニアムは解体という法律のようなものがあるのかもしれません。 余談ですが、知り合いのシンガポール人の会社の同僚が千葉県の一軒家を購入し、値段と品質に満足し2軒目も購入したと話を聞きました。シンガポールに比べると確かに手頃な値段で良い物件が沢山あると思うのですが、購入した家はどのように使われているのか一抹の不安もあります。
2023.10.09
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原田マハ著「リボルバー」でゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。ゴッホのかねてからのお願いでアルルで共同生活を送ることになった画家ゴーギャンにテオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られたという流れです。そしてゴーギャンはその銃をアルルを去った後タヒチにも持って行きます。 タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンはゴッホから自殺をほのめかす手紙を受け取り、1890年7月27日ゴッホの終焉の地「オーヴェール・シュル・オワーズ」にゴッホの身を案じその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンがゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのこめかみに・・。そしてゴッホとの揉み合いからゴッホの脇腹に~というのは説得力がありました。 思い出したのが同著の「たゆたえども沈まず」でその中でもやはりリボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していた物で、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていました。その鞄をたまたまサン・レミからパリに戻りオーヴェール・シュル・オワーズに向かう朝にテオから借りる事になりゴッホはリボルバーの存在を知る事になります。その後鞄だけはパリでテオに返却するもののリボルバーはそのままゴッホが所持し悲劇へと繋がって行きます。 通説はリボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴ―亭」の経営者が所持した物でそれをゴッホが持ち出し、数年経って農婦によって偶然発見され元々の所有者であるラヴ―亭に返却され店に一時展示されていたという事のようです。 原田マハ氏があくまでもリボルバーはテオの物であったという設定は、特にテオがゴッホの死から半年後に衰弱死する事などからも妙に納得させるものがあります。「ヴァエホの肖像」 小説「リボルバー」ではそのリボルバーとゴーギャンのタヒチでの最後の愛人だった「ヴァエホ」の肖像画がヴァエホの娘「エレナ」にそして孫の「サラ」に受け継がれて行くという展開です。ゴッホの死に直接関係する銃なのか確たる証拠がないなか、サラが出品してお金を得たいと思った理由は・・。 『ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、約16万ユーロ(約2千万円)で落札された』で小説「リボルバー」は締めくくられています。 リボルバーや自殺か他殺かというのはゴッホに纏わる永遠のミステリーとしてもう解明される事はないのではと思いますが、だからこそ一層ゴッホの絵が永遠に輝き続けるのだと思います。【追記】2024年6月9日死の2か月前からゴッホが滞在していた「ラブー亭」3階の屋根裏部屋(芸術新潮から) 「芸術新潮」4月号の「原田マハのポスト印象派物語 ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ」をやっと読み始めました。ゴッホ最終の地「オーヴェール=シュル=オワーズにゴッホを訪ねる」に「7月初旬のパリでのテオとの口論やその後のガシェ医師との仲たがいが確認されてはいるものの、死の真相はいまだに謎のままである。21世紀に入ってからは他殺説も提唱され、2019年には自殺に使われたという拳銃がパリのオークションで落札された」とあります。個人的には原田マハ著「リボルバー」に描かれたゴッホの死の原因の大胆推理に信憑性がある気がします。
2023.10.16
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今朝のNHKのニュースで数々の名作ドラマの脚本を手掛けた「山田太一」氏の訃報が流れ、昭和の名ドラマ「ふぞろいの林檎たち」や「岸辺のアルバム」を懐かしく思い出しました。テレビ史の歴史に残る「岸辺のアルバム」を検索して山田太一氏自らが執筆した小説を基にドラマ化したものである事を知りました。 故安西水丸氏デザインのノート 山田太一氏の小説と言えば、忘れられない一冊は「飛ぶ夢をしばらく見ない」です。2013年に文庫化されています。当時読書感想ではなく読んだ本の中で気に入った文章をノートに書き写していてそのノートの1ページ目がこの「飛ぶ夢~」でした。 ノートには下記の文章を書きました。【ブラックホールの理論的研究者として有名な英国ケンブリッジ大学のS・ホーキング教授(43歳)が京都大学で開かれた基礎物理学研究会主催の講演会で「現在膨張を続けている宇宙が収縮期に入ると時間の向きは逆転する」と解説した】【時間の矢と題するこの講演はコーヒーカップが割れる様子とそれを逆回しした映画から始まった。我々の身の回りでよく見られる現象はカップが割れて粉々になるように、時間が秩序から無秩序に向いている。これが熱力学の第2法則(エントロピーの増大)だ。この熱力学的な時間の矢印は宇宙が大爆発(ビッグバン)以降。広がりつつある今だからこその向きであり、将来とも同じだという保証はないと教授は主張する。宇宙や時間が四次元的に閉じていると仮定すれば宇宙が収縮を始めたら熱力学的な時間の向きは逆転し、無秩序から秩序へ向かう」と話した】 当時は割れたカップが元に戻る様子を想像して目から鱗になりこの文章を書き写したのだと思います。この小説中では主人公が出会った女性が暫くして再会した時に若返っていて老女から少女、そして幼女へと姿を変えて行くという内容です。確かブラッド・ピット主演の映画でもこんな内容の映画があってシンガポールの映画館で見ました。 名脚本家であり小説家であった山田太一さんのご冥福をお祈りします。
2023.12.01
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シンガポールに20年間住んで住みやすさを実感する1番目が「安全性」です。政府が「犯罪が少ないというのは決して犯罪がゼロではない」とビルや住居のセキュリテイの質を年々向上させています。そして2番目は「ゴミの分別がなくいつでも捨てられる快適さ」です。 12月に入り本帰国を控えて処分する大型の家具の事で不動産屋さんに確認すると4人掛けの食卓テーブル(椅子4脚)、ソファ、机はコンドミニアムの1階にあるごみ置き場には捨てられないので業者にお願いするしかないということで3つ合わせて100ドル~300ドル(1万円~3万円)くらいと言う事でした。不動産屋さんが業者を手配してくれるので問題ないのですが、政府系の住宅(HDB)に住む友人からHDBではどんな大型の家具でもゴミ置き場に捨てたり無料で回収をお願い出来ると聞き驚きました。住宅の種類によって粗大ごみの扱いが違うようですが、それでも日本に比べると手軽に捨てられるという感じです。 シンガポールのフリーペーパー「SingaLife」に「コンドミニアムの場合テーブル、椅子、戸棚などの粗大ごみは粗大ゴミ置き場に置いておくと契約している収集業者が回収してくれます」とあるのでもし費用が発生しても貸主の負担かなと思い、不動産屋さんに相談する前にこの記事を見ていたら無駄な出費が無かったのかなと後悔です。 粗大ごみは別として普段家庭で出るごみに関してはシンガポールは全く分別せずに各階にある「ダストシュート」にポンと捨てるだけでこの生活を20年間続けると帰国してからの事が大袈裟ではなくかなり心配になります。 検索すると日本では各地方自治体によって違いがあり、またダイオキシンを発生させない高額な焼却炉がある自治体はそんなに分別のルールが厳しくないというのもあり統一できないものなのかなぁと考えます。別の記事には分別が嫌であれば直接ゴミ焼却炉へ持って行く手もある等と書かれていますが、車が無い場合まさか地下鉄やバスに乗ってというのはあり得ないだろうなぁとか・・。各自がゴミを増やさない工夫をしながらも少しでも分別の負担を軽くするある程度国内で統一した方法を政府には是非検討してもらいたいです。 「追記」2024年2月28日 本帰国してほぼ2ヵ月が過ぎゴミの分別やごみ捨てのルールを少しずつ学んでいるという感じです。最初はきちんと出来るのだろうかという不安ばかりが大きかったのですが、意外に何だか人間らしい生活をしているような感じです。ゴミを減らすために極力食べ残しや捨てる食材を減らす事、不必要な包装はしてもらわない琴など考えさせらる事が多いです。 何でも楽しんだ者勝ちかなと思ってニトリの「分別ゴミ袋スタンド」をネットで見つけて購入しました。550円という安さも人気の秘密で品切れがで数日待って今日受け取りました。早速3種類のポリ袋をかけてみましたが、なかなかお洒落でこれからの分別も楽しくなりそうです(^^♪
2023.12.19
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昨日のNHK「チコちゃんに叱られる」の野球のユニフォームネタの第二弾「野球のユニフォームに横じまが無いのは囚人のイメージが強かったから」には目から鱗でした。このイメージを作り上げた旧約聖書(紀元前4~5世紀に成立)「レビ記19章」の中の「2色のしま模様(縦・横両方法だと思います)の服を着てはならない」という箇所も紹介され、しま模様は「悪魔の衣服」で「異端のシンボル」であった事には驚きました。確かに欧米のコミックで登場する囚人達はこの教えを受け継ぎ横じまの服を着ている事を思い出しました。 そして、しま模様のイメージアップに貢献した人物として2千年以上の時を経てフランス革命(1789年)を指導した革命家「マクシミリアン・ロベスピエール」の登場です。しま模様にここまで宗教や歴史上の出来事が関係しているのには驚きです。アメリカで野球が競技となったのはフランス革命から56年後の1845年でその時にはしま模様の悪いイメージは過去の遺物になっていたと思うのですが、それでも流石に囚人服のイメージが強い横じまのデザインをユニフォームにとは考えなかったのだと思います。 そして最後に「横じまのユニフォームが無い理由」を納得させる実証実験で「ストライクゾーンが分かりやすくピッチャーに有利」という事でした。捨て身作戦で「ストライクゾーンに投げて」という横じまユニフォーム採用もありかなとか考えてしまいました💦ところで番組で「横じまを着ているとよこしまな人と思われるから」とゲスト回答者が言っていて、妙に気になって調べてみると「邪しま」という漢字で心が正しくないという意味でした。そう思ってみると赤白の横のしま模様はちょっと怪しい感じです。
2024.04.13
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アルコール度数12% 1080円 以前は町民だけが購入出来た北海道の池田町で造る町民還元用ロゼワイン(十勝ワイン)がコンビニ「セイコーマート」で購入出来ると情報をもらって早速買いに行きました。ラベルには「当時馴染みの薄かったワインを飲む習慣が町民の中で育まれました。北海道産の葡萄100%使用の国内では希少の辛口ロゼワイン」とあります。葡萄品種を調べてみるとキャンベル(アーリー)でアメリカで1892年に誕生した黒葡萄で日本には誕生から5年後に伝わっています。現在は北海道、青森、岩手などの寒冷地での栽培が多く、果肉がジューシーで適度な酸味と濃厚な甘酸っぱさと説明があります。 まずは一口飲んでみるとやはりイチゴのようは濃厚な甘酸っぱさがあり、何か食に合わせるというよりワイン単体で飲むかイチゴのショートケーキのようなスイーツに合わせデザートワインとして飲んだ方がという味わいでした。 ふらのワインロゼ(富良野市ぶどう果樹研究)アルコール度数13.5% 町民ワインで思い出すのは富良野の同じくロゼワインで、現在も町民ワインかどうか調べてみるとアマゾンで購入できるようです。価格は池田町よりちょっと高い1640円で葡萄品種は「セイベル種主体」とあります。セイベルには色々な種類があるようなので、これは実際に購入して味わってみたい1本です。
2024.11.06
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朝ドラ「らんまん」に最初は花の名付け親として「Siebold(シーボルト)」のサインが登場し、今週は宇崎竜童さん演じる「中濱万次郎」から万太郎にシーボルトの「日本植物誌」が手渡され、シーボルトの実際の登場はないものの(明治維新の2年前に亡くなっています)興味深いシーンでした。この本にはシーボルトが描いた全点150点が収録されているそうです。 シーボルトと言えば日本の鎖国時代に長崎に滞在したドイツ人医師で、「幕府禁制」の日本地図(伊能図)の写しを入手して自国に持ち出そうとした罪で国外追放(シーボルト事件 1828年)になったというのが一番有名な話だと思います。 昨年の日記にフランス人画家マネの「バルコニー(1868-1869)」という絵について書くために「オルセー美術館ガイド」を読み返すと絵の左下にある「紫陽花」についての記載があり、検索して更に調べるとシーボルトが「紫陽花属14種」をオランダに持ち帰り、その後ヨーロッパの「紫陽花ブーム」の火付け役になった事を知りました。日本の花をヨーロッパに伝えた最初の人だそうです。日本通でも知られたようで植物だけでなく、北斎を含む浮世絵も追放時に6点持ち帰っています(北斎作と判明したのは2016年)「バルコニー」マネオルセー美術館蔵 シーボルト事件から40年後に描かれた「紫陽花」 シーボルトはなかなか興味深い人物で「日本地図持ち出し事件」では関わった武士が何人か死罪になっているのに、国外追放処分の30年後に帰国後に生まれた子「アレキサンダー」と再来日が許されています。それだけ日本愛が強かったのかとも思いますが、アレキサンダーは類まれな語学力の持ち主だったようで1867年のパリ万博では慶喜の名代として参加した「徳川昭武」や「渋沢栄一」の通訳を務めたり、明治政府の下でその才能を買われ40年間「お雇い外国人」として雇用されたそうです。残念ながら大河ドラマ「青天を衝け」では登場していなかったと思いますが、もし万太郎とアレキサンダーが出会うシーンがあったらと想像してしまいます。 地図持ち出し事件は兎も角として、日本を深く愛したシーボルトが残した日本植物誌を万太郎が見て「自分の方がもっと日本の植物を広く世界に広める素質と能力がある」と確信するシーンに何か植物を愛する者同士の深い繋がりも感じました。
2023.04.29
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元オリックスの山本由伸選手のメジャー移籍先が昨日「ドジャーズ」と決まり、個人的には大谷選手とチームメイトになる事はないんじゃないかと思っていたので意外でしたが、山本選手も契約内容は12年3憶2500万ドルで、現在25歳のため「25歳ルール(ポスティングシステム)」を使っての移籍にしては契約金の多さに驚きました。因みに大谷選手が2017年23歳でポスティングシステムでアメリカに渡った時は年俸54万5千ドルでエンゼルスと6年契約でした。 そして大谷選手の愛犬「デコピン」同様に山本選手の愛犬「みかん」も話題になっていてネットにオリックスの元同僚のワゲスパックが「そのふわふわした毛の色が日本のみかんの皮に似ていたために名付けた。山本がその小さくてふわふわの愛犬を連れずに旅行することはめったにない」と話していたという記事がありました。 まだお披露目がないのでみかんの皮から推測の記事もあって「トイプードル」が有力のようです。大谷選手のデコピンとのツーショット(みかんが雌ならデート?)ももうじきかなと楽しみです。 話は変わって今一番モヤモヤしている選手はロッテの佐々木朗希選手かなと勝手に想像します。メジャー挑戦を表明していた現在22歳の佐々木選手の去就は?と調べてみると12月15日の締め切りまでポスティングされなかったとあり、来季の大谷選手や山本選手の活躍次第では海を渡るのかなと佐々木選手の去就からも目が離せません。
2023.12.23
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昨日の日ハム対ソフトバンクの第2戦は日ハムファンにとっては今季一番印象に残る「神がかり的」な試合の1つになると思います。ソフトバンク3点リードで迎えた9回の表でルーキーの2投手を捕らえ一挙6点を挙げての逆転勝利で、特に水谷選手が古巣のソフトバンク戦で貴重なヒットを打ち塁上で涙したのには胸つまるものがありました(ヒーローインタビューでは目にゴミが入って・・と)そしてソフトバンクとのゲーム差がやっと一桁の9となり、思い出すのは2016年日ハムがリーグ優秀を果たし日本一になった事です。 2016年9月の一時帰国の際に友人と札幌ドームでオリックスとの一戦を戦を観戦した時は、日ハムは大差で負け私の記憶では1位のソフトバンクとは11.5ゲーム差となりました。リーグ優勝はほぼ諦めてシンガポールに戻ってからの日ハムの躍動には正直度肝を抜かれ(当時は大谷選手も日ハム在籍でした)最終的にはソフトバンクに2.5ゲーム差をつけてリーグ優勝を果たし、広島を破り日本一となりました(この劇的な年から昨年までの7年間はほぼBチームが定位置に💦)日ハム 宮西投手 9月4日現在で409ホールド 8月に史上初の「400ホールド」を達成した宮西投手が野球中継中の「激球」のコーナーで運命を変えた一球として「2016年日本シリーズの時に丸選手に投げた一球」を挙げ「日本一になった時に投げていたんだぁ・・」と改めて2016年の事を思い出していました。 検索して2016年の日本シリーズの出場メンバーを見てみると現在でも投手陣の要となっている加藤投手もいました。宮西投手を含め「日本一」を経験している選手がチームを引っ張って2016年以来のリーグ優勝、日本一へと導いてくれると期待して明後日からの試合も熱烈応援です!
2024.09.05
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Kindle版で9巻発行 昨日のNHK「あさイチ」のお勧め本コーナーで漫画「傾国の仕立て屋 ローズ・ベルタン」の紹介があり、18世紀のフランスでファッションデザイナーの先駆けとなった実在の人物「ローズ・ベルタン(1747-1813)」を初めて知りました。フランスのファッションデザイナーと言えば何と言っても「ココ・シャネル(1883-1971)」ですが、彼女より1世紀以上前にファッションで立身出世を遂げた人物です。 ローズ・ベルタンの人生をウィキペデアで見てみるとフランス王室全盛の時代に北部の街アブヴィルに平民の子として生まれ、当時女性が仕事を持つ事が困難だった時代に「針と糸」で身を立てるべくパリに向かいます。彼女の洋服や髪型などの斬新なアイデアやセンスでルイ15世の公妾だった「デュ・パリー婦人」の目に留まり重用され、1774年にルイ16世が王位につき王妃となった「マリー・アントワネット」にデュ・パリー婦人がローズ・ベルタンを紹介した事が宮廷でのファッションデザイナーとして揺るぎない地位を築いたきっかけになったそうです。 2人の関係は1793年10月マリー・アントワネットがフランス革命後にコンコルド広場で処刑される年まで続いていたようで、Kindle版のお試しの1ページ目には「死を待つ冷たい牢獄で震える彼女の指が握りしめたのは上質なモスリンのスカーフ」「そのスカーフを命がけで届けた女性がいる」とあり、これだけでもマリー・アントワネットの悲劇とローズ・ベルタンの全ての思いを込め命をかけた勇気を思いグッとくるものがあります。あさイチでは「当時のファッションだけでなく歴史の勉強にもなる一冊です」とコメントがあり「ベルサイユのばら」に次ぐマリー・アントワネットの悲劇の人生を伝える名作になるのではと思います。
2024.09.07
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