星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2022.03.19
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 昨年の3月25日にゴッホの「モンマルトルの通りの光景」が1300万ユーロ(約17億円)で落札されました。個人蔵で100年以上美術館で公開されなかったこと、ゴッホが2年間弟のテオと共に暮らしたモンマルトルで描いた絵が市場に出ることは珍しいということで話題になりました。



 南仏アルルに向かう前年の1887年作で風車が小さく人物に焦点を当てたように描かれていること、その人物からゴッホの一時の幸福感を感じるようです。

この絵の前年の早春にアントワープから弟のテオがいるパリにやって来て描いた「モンマルトルの風車」とは 随分違った印象があります。


​「モンマルトルの風車」 1886年 
ブリ ジストン美術館(現アーティゾン美術館)所蔵 ​​

​​かつてはダンスホールとして現在はレストランとして使用されている「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に何故風車があるのか「ブリジストン美術館画集」のこの絵のところに「ムーラン(風車)」についての説明があります。

 『1860年にパリ市に編入されたモンマルトルにはずっと以前から30余りの風車がありました。そして北に広がる平野で栽培された穀物を風車の動力を利用して製粉し、パリの製パン業者に供給していました』

 『時代と共に風車の数も減りゴッホの時代には3つだけ残った風車の所有者はドブレ親子でそれぞれ「ムーラン・ル・ビュルット・ファン」「ムーラン・ル・ラデ」「ル・ムーラン・ア・ポワ―ヴル」と名付けられていました』

 『1834年から1895年まで「ラデ」は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」とも呼ばれ、ドブン親子が同名のダンスホールを開設したのは「ビュルット・ファン」のそばでしたが、ここも1895年頃までには「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と呼ばれるようになり、通常「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と言えば「ビュルット・ファン」を指すことになっているから「モンマルトルの風車」の風車も恐らく
「ビュルット・ファン」であろう』

 因みに検索すると 「モンマルトルの通りの光景」の風車は「 ムーラン・ア・ポワ―ヴル」を描いたとあります。確かに良く見てみると風車の形が違って見えます。

 この風車がパン作り製粉のため・・とあってフランス旅行中に食べた美味しいフランスパンの事を思い出します。

 再訪の機会があるならばレストラン「
ムーラン・ド・ラ・ギャレット」で美味しいフランスパンでワインを飲みたいものです。






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最終更新日  2022.12.04 14:17:26
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