星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.05.13
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カテゴリ: 本帰国で再発見!
​  ​道立近代美術館での先週の日曜の「ミュージアムトーク」のタイトルは「この1枚を見て欲しい」で北海道出身の画家「山口蓬春(1893-1971)」が描いた「向日葵」にスポットライトを当てていました。1955年に描かれたこの絵とゴッホの「ひまわり」の類似点と相違点について学芸員から解説があり、特に印象深かったのはゴッホのひまわりは花瓶の下部とひまわりの背景の色が違っているという点と、当時日本では花瓶に活けた花を描くのは珍しかったという事(画家の趣味の一つが中国の陶磁器収集だったそうです)と花と鳥などを一緒に描く日本画の伝統が未だ色濃くある時代に花のみを描いた事に斬新さがあるそうです。


北海道立近代美術館増         ​パネル1:「ゴッホのひまわり」との関係を探る」​

 ゴッホの影響を受けてこの絵を描いたのでは?という推測のもとこの絵の周りにゴッホについてのパネルが何枚か並び、その1枚が原田マハ著「たゆたえども沈まず」の序章に登場した​
ゴッホ研究家であり精神科医の「シキバ(式場隆三郎)」についてでした。序章では1962年にゴッホの甥フィンセント(72歳)とゴッホ最期の地オーヴェールのラブー食堂で出会い、会話を交わし「日本にはゴッホの絵はないのですか?」と尋ねられ「西洋美術館に薔薇という作品があり、それは見た事があります」と答えます。ゴッホの薔薇は国立 西洋美術館の創設者 ​「松方幸次郎」が戦前購入し(最初の所有者はゴッホを看取ったガシェ医師)戦後フランス政府に没収された後1959年にフランス政府から返還されています。


右下の写真が1953年の展覧会の様子。

 そしてもう1枚のパネルで「薔薇」の返還の8年前の1951年と1953年に式場隆三郎が東京の丸善でゴッホの複製画や資料中心の展覧会を主催していた事を知りました。特にゴッホ生誕100年を記念した1953年の展覧会は大盛況だったようで、学芸員から北海道からも見に行った人がいたそうですと話がありました。

​ 1911年に「白樺」によってゴッホが初めて本格的に日本に紹介され、白樺の同人たちが開催した美術展覧会でゴッホの複製画の展示をしたり、1920年に実業家の山本顧 ​彌 太が同人たちが構想した白樺美術のためにゴッホの絵を1枚購入したものの1945年の空襲で焼失した悲劇の流れも通して「ゴッホの絵画への情熱の火に惹きつけられた人達」の思いが熱く伝わってくるようです。



 正直、序章の中でだけ登場した「シキバ」がこれほどの人だとは驚きでした。近美の図書コーナーにある「Van Gogh & Japan」の中に式場隆三郎と自らも画家であったガシェ医師との交流が書かれていました。ゴッホのためにオーヴェールに訪れた日本人達の訪問を真心で受け入れてくれていたそうで、これも心温まるエピソードです。

【追記】


 ガシェ医師と式場隆三郎(1898-1965)の交流についての訂正です。「ゴッホの夢美術館」に【ガシェ医師は1909年に亡くなっているので日本からゴッホ巡礼の旅でオーヴェールを訪れた日本人達をもてなしてくれたのはガシェ医師の息子「ポール・ルイス・ガシェ(1873-1962)】と記載がありました。







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最終更新日  2024.05.21 17:55:25
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