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さて、京都旅行2日目今日の目的は「建仁寺」風神雷神と龍の絵が見たいのです。京都駅から、地下鉄乗って四条烏丸でおりて、四条通を待ちブラ女子の好きそうなお店がたくさんあります。当然寄り道!なかなか進みゃせん!昨日の花見小道通りを南下して建仁寺へ向かいます。お昼の花見小道も風情がありますね。わざと、裏通りの更に裏道に入ったりして・・・。建仁寺到着。建仁寺は、日本に初めて臨済宗を伝えた僧・栄西によって開かれた禅寺です。1202年(建仁2年)に、鎌倉幕府2代将軍の源頼家の援助を受けて、京都における臨済宗の拠点として建立されました。建立当初の建物は、応仁の乱や度重なる火災によって焼失されています。今日は、これを見に来たのです。では、本坊に入りましょう。拝観料が必要となる方丈、本坊エリアは、法堂と合わせて、建仁寺のメインとなるスポットです。 本坊から建物内に入ってすぐの場所にあるのが、国宝の「風神雷神図」です。原本は京都国立博物館内で保管されているため、精巧に再現されたデジタル複製画が展示されています。原本と変わらない光沢感や細部まで再現された俵屋宗達の代表作を鑑賞しましょう。 風神雷神図は複製なので、写真撮影がOKです。 方丈では、安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した画家・海北友松の作品を鑑賞できます。襖に墨を使って躍動感ある大きな龍と、 流れるような雲を描いた「雲竜図」は、見る人を引き付ける迫力です 襖から今にも飛び出してきそうな龍の姿、幻想的な雰囲気を感じさせる雲の描写が秀逸な作品となっています。その他にも、本坊・方丈内には、「山水図」や「竹林七賢図」といった海北友松の作品が展示されています。 それぞれの絵をガラス越しではなく、肉眼で眺められるのも建仁寺の魅力ですネ。 重要文化財にも選ばれている方丈、その前庭にあたるのが「大雄苑(だいおうえん)」です。 七代目小川治兵衛によって作庭された庭の中では珍しい枯山水庭園。巨石や砂、水を使って作られる枯山水庭園は、余分なものを省いた洗練された美しさを感じられます。 方丈の縁側に座って、景観豊かな日本庭園を眺めるひと時は、有意義な時間となることでしょう。他の臨済宗のお寺と比べても一際大きい庭園は、名前の通り雄大な庭園です。 方丈にあるもう一つの庭園が「潮音庭(ちょうおんてい)」です。四角い形の庭を囲むように廊下が配置され、吹き抜けのようになっている庭園を様々な角度から鑑賞できます。 「〇△ロ乃庭」は、江戸時代の禅僧僧、仙厓義梵の「〇△ロ」掛け軸が元になっている庭です。名前の通り、〇・△・ロの記号を組み合わせて庭が作られています。こっちは、大塚オーミ陶業による陶板によるレプリカ。大塚オーミ陶業は、「大塚国際美術館(徳島県鳴門市)の収蔵作品に代表されるように、1000年経過しても色褪せない、半永久的な耐久性を備える陶板により、芸術作品・文化財を精密に複製し、本来の美術的価値を味わえるものづくりで文化・芸術の伝承に貢献しています。建仁寺の法堂は、仏と法堂(講堂にあたる)を兼ねている建物です。お堂の中には、お寺のご本尊、釈迦如来像が安置されています。 建仁寺の中でもひときわ大きな建物は、天井に描かれた大きな龍の絵を求めて多くの人が訪れる人気スポットです。 建仁寺観光の大きな目玉の一つに数えられるのが、法堂内の天井に描かれた双竜の絵です。大きな2匹の龍の姿が印象的な「双竜図」は、鎌倉にある建長寺法堂内の「雲竜図」を手掛けた小泉淳作によって描かれました。 龍は仏教を守護する八部衆に数えられ「龍神」と言われます。禅寺の本山の多くでは竜が天井に描かれているそうです。水を司る神様でもある龍を描くことで、火災から建物を守るというご利益も兼ねています。 建仁寺の双竜図は、建立800年を記念して2002年に2年の歳月をかけて描かれたもの。畳にすると108畳にもなる大きな天井に、水墨画で描かれた圧巻の龍を眺めることができます。 建仁寺の裏側から出て、八坂通りから法観寺の八坂の塔を経由して高台寺を散策して、八坂神社を目指します。途中、ランチしてお団子食って・・・。八坂神社到着!京都の中でも「祇園さん」の呼び名で親しまれ、全国各地から多くの参拝者が訪れる「八坂神社」。「八坂神社」は全国にある八坂神社や素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀る約2,300の神社の総本社です。古くは祇園感神(かんじん)院、祇園社と呼ばれていたこともあり、花街として知られる祇園の名も、その門前街として栄えたことに由来します。八坂神社の創祀には諸説あり、社伝によると、平安京が造られるよりもさらに古く、656(斉明天皇2)年に朝鮮半島からの使節が朝鮮の神話の舞台となっている牛頭(ごず)山の神をこの地に祀ったことに始まるといわれます。また、一説には876(貞観18)年に南都(奈良)の僧の円如(えんにょ)が御堂に薬師千手などの像を安置したことが始まりともいわれています。四条通に面した西楼門は東山を象徴する建物で国の重要文化財です。ここで、女衆はお土産物を物色しながら京都駅方面に戻るとのこと。ここまで来たら、せっかくなんで清水寺まで足を延ばしますか!ひゃー!歩いた、歩いた!距離は2キロくらいなんだけど、坂道もあって結構、遠かったなあ~参道は凄い人!!仁王門をくぐります。鎌倉時代末期の金剛力士像を安置した、室町時代の朱塗りの門で、国の重要文化財になっています。奥に見えるのは、西門と三重塔です。西門まで来ました。西門は江戸時代1631年の建立で、国の重要文化財です。ちょっと特殊な門で貴重なのですが、くぐることはできず、外観しか見れません。朝倉堂(国の重要文化財)からは、有料拝観エリアとなります。手前左の随求堂の地下は、暗闇を歩くことができる「胎内めぐり」になっています。 別名で「戒壇めぐり」(かいだんめぐり)」と言い、ご本尊である「大随求菩薩のお腹の中」がイメージされています。 通路は真っ暗で、何も見えません。 右手にビニールに入れて自分の靴を持ち、左手にて手すり・壁を確認しながら、前の人にぶつかりつつ、ゆっくりと進むと言う感じです。 最後、出口近くになると、随求石が置かれていて、触るとご利益があります。 胎内巡りは、朝9時~16時まで、所要時間は約5分程度になります。今回はかなりの人が並んでいたのでパスしました。もちろん、清水寺の本堂は国宝に指定されています。徳川家光が寄進して江戸時代の寛永10年(1633年)に再建されたのが現在の建物で「清水の舞台」とも呼ばれる崖にせり出した構造になっています。清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水、音羽山の中腹にある寺院で、国宝とユネスコ世界遺産になっており、年間550万人以上の観光客が参拝します。 創建は諸説ありますが、奈良時代の778年に賢心(延鎮)が京都の音羽山で清らかな水を見つけて修行したのが始まりとされます。そして、坂上田村麻呂が修行中の賢心に出会い、自邸を本堂として寄進して清水寺になりました。な、な、なんと!現在、約40億円をかけて、本堂の檜皮屋根葺き替え工事中でして、本堂は防水シートで覆われていました。ただし、清水の舞台には立てますし、建物内部の見学もできるようになっています。工事は2020年3月に終了する予定とのことです。残念本堂内もシートで覆われて、工事用に足場や、パネルで仕切られていて、ゆっくり見て回るような雰囲気じゃあないな。堂内が狭い分、身動き取れないし、ずっと列ができてる。地主神社から奥院回って、下山して1周回った形で再び正門に戻って、参道を戻りました。さすがに歩き疲れたので、ちょっと休憩。東山茶寮で抹茶ソフト食べて一息ついたところで、女衆に連絡。買い物も済んで、鴨川界隈でゆっくりしてるみたい。ホテルに戻りますとのこと。こっちも戻りましょう。ちなみに、このお店の店員さん、めっちゃきれいやった。京阪の清水五条から東福寺経由で京都駅へ帰還。ホテルで待つこと小一時間?女衆は地下鉄降りて、京都駅内で南北連絡道が分からず、かなり迷子になってたみたい。なんとか、駅弁とビール買って新幹線には間に合いました。今回も、土壇場で催行が決まって、行程中ずっとバタバタしたけど、それも楽しやったね
2019年10月06日

今年は、10月から3か月間、大阪のMBA系のビジネス大学院に申し込みをしているので、レポートに追われて、秋の行楽シーズンは全滅しそう。先手を打って、家族で京都に弾丸ツーです。京都の友人と飲む約束していたところに、家族が予定をぶっこんで来たっていうのがホントの所。友人と伏見で待ち合わせて、寺田屋へなんで駅に坂本竜馬がいたのか分かったわ寺田屋は、江戸時代から続く旅館です。鳥羽・伏見の戦いで焼けたあと、隣接する場所に当時のようすを再現して再建され、現在でも旅館として営業しています。幕末を代表する史跡のひとつですね。寺田屋では2つの大きな事件が起きています。ひとつは1862(文久2)年に起きた、薩摩藩士による同士討ちです。 江戸時代末期、薩摩藩では脱藩して志士として活動する若者が多く、そのことを快く思っていなかった薩摩藩主島津久光は、自藩の尊王攘夷派が京都の寺田屋に集結したことを聞いて刺客を送り、 何人かを殺し、何人かを送還しました。送還された若者の中には、のちの西郷従道や大山巌もいました。この部屋が、同士討ちがあった部屋です。もうひとつは1866(慶応2)年に起きた、伏見奉行による坂本龍馬暗殺未遂事件です。 薩長連合を成し遂げた坂本龍馬は、行動を共にしていた長州藩士、三吉慎蔵とのちに妻となるおりょうを待たせている伏見の寺田屋へ向かいました。 真夜中に到着し、龍馬と三吉慎蔵が飲み始めたところ、伏見奉行所の捕吏たちに取り囲まれてしまいました。龍馬と三吉慎蔵のために布団を敷いてから風呂に入ったおりょうは、窓から外を見てびっくり。裸のまま階段を駆け上がって、捕吏たちに囲まれたことを報せました。 乱闘とはなったものの、おりょうの裸の報せのおかげもあって、龍馬と三吉慎蔵は窮地を脱しています。おりょうが入った風呂がこれです。伏見は豊かな地下水が湧き出ることから有名な「酒蔵」が立ち並び、国内有数の酒どころです。灘の男酒・伏見の女酒と言われるように、女性を思わせる丸みを帯びた味わいは絶品です。黄桜カッパカントリー、月桂冠大倉記念館などの有名酒造メーカーの施設が目白押しです。いよいよ、伏見稲荷へ伏見駅で見つけた「うなぎいなり」ってなんだ?ああ!お稲荷さんに、うなぎが入ってる「お稲荷さん」と親しまれる伏見稲荷大社は、全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮。その歴史は平安遷都よりも古く、和銅4年(711)の創建と伝わります。商売繁昌・家内安全のご利益があるとされ、一年を通してたくさんの参拝者で賑わいます。海外旅行者からも人気で、「外国人に人気の日本の観光スポット」としても有名です。参拝中も、ホント日本語が聞こえてこないのよ(笑)着物を着た参拝客も多いんだけど、ほとんどが外国人境内を歩けば至るところで、稲荷大神のお使いである「キツネ」に出会います。楼門前には阿吽(あうん)の狛犬ならぬ「狛キツネ」が鎮座し、向かって右は「玉」、左は「鍵」をくわえています。そんな大人気の伏見稲荷大社の最大の見どころといえば、「千本鳥居」。朱塗りの鳥居がズラリと連なる光景は、圧巻のひとことです! これは江戸時代以降に、願いごとが「通るように」または「通った」というお礼をこめて、鳥居を奉納する習慣が広まったことによるものだとか1300年の歴史を思えば、まだまだ新しいことのように感じますね。参拝者の思いがこもった鳥居は、いまでは境内全域に約1万基が並ぶといいますから、驚きです!そのうち呼び名が「万本鳥居」になっちゃうかも ご覧の通り。透き間なく並んでいるのがよくわかります。奥社奉拝所や、そのさらに奥の三ツ辻辺りで折り返す人が多いみたいですが、その先の四ツ辻まで来ました。夕日がきれい。実は境内はとても広く、稲荷大神が鎮座した稲荷山全体が信仰の対象となっています。標高約233メートル、一周約4キロ、2時間ほど。有名な「枕草子」を記した清少納言も、参詣したという稲荷山。ここまで来たら、全制覇を目指します。頂上にあるのが「一ノ峰上社(いちのみねかみしゃ)」。「末広大神(すえひろおおかみ)」と称えられる神様を祀り、「末広がり」だけあって縁起が良く、お参りすると何事もうまくいきそうです!お山めぐりの途中には、眼の神様を祀る「眼力社(がんりきしゃ)」や喉の神様を祀る「おせき社」、無病息災のご利益があるとされる「薬力社」など、健康にちなんだお社が多くあります。眼力社のかっこいいキツネの手水(ちょうず)や「御劔社(みつるぎしゃ)」の刀をモチーフにした手水もお見逃しなく~。どっぷり日も暮れて、夜の稲荷参拝になっちゃいました。灯篭の灯や街路灯の灯でともされた稲荷も趣があって良かったです。再び四ツ辻まで戻って来ました。夜景がきれい本殿まで戻ってきました。もう真っ暗。でも、ライトアップされた桜門もきれいですねここで家族と別れて、男衆は祇園に繰り出します。女衆は、娘の電車に置き忘れた携帯を改修して、ホテルに向かいます。祇園四条で京阪おりて、四条通を南座前を経由して花見小路へ風情のある石畳の街並みを抜けて、祇園赤提灯の灯る店へ友人の案内で「萬 燕楽(よろずや えんらく)」さんへうまいこと、2Fの窓際の席へ案内されました。上品で、メニューどれを頂いてもおいしかったよ!お酒のチョイスも上品だったし!友人とは、17年ぶりの再会!もう、そんなにも経つんやね〆のラーメンは京都ですから、天一ですね!まあ、ここでも一杯吞んで、話は尽きません。一光ちゃん、案内と接待ありがとうね!ホテルは京都駅前。結局終電も終わったし、歩いて帰りました(笑)
2019年10月05日
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