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2023.3.1711:30頃ベッドで運ばれ病室に帰還。ベッドで廊下を移動する、っていうのは初めての体験で、なんて楽チンなんだと思った。自分が幼い頃、リビングで眠ってしまって親におんぶされて寝床まで運んでもらった、あの時の感覚を思い出した。ベッドが元の位置に戻り、看護師さんにスマホだけ枕元に持ってきてもらった。早速、関係各所へ手術が無事済んだことをラインで報告。手術の成功を皆さん喜んでくれた。喉がガラガラするので何が飲みたい気分だが、水分はまだ取ってはいけないのでガマン。(喉のガラガラの原因は、手術中に呼吸器を入れていたせいらしい)あと生理の出血がすんごく気になる…。後ろモレしてないだろうか…寝た状態のまま病衣の上からお尻のあたりを触ってみる。たぶん大丈夫そう。あとなんとなく尿意も感じてきた。ちなみに今回導尿カテーテルは入っていない。もし離床前に排尿したくなったらベッドの上で差し込み便器を使い用足しするとのことだが…あんまりそうしたくないなぁ。早く離床してトイレに行きたい。私の感覚的には13時頃には自力で歩いて行けそうだったのだが、離床時間は14時頃と決められておりそれまでは出歩けない。早く14時になれー!途中ウトウトしながら時間を過ごし、待ちに待った14時が来た。GOサインが出たら速攻トイレに行けるよう、替えのナプキンもポケットに装備しておいた。看護師さんがやって来て、まずは検温や傷の確認。その後「ゆっくりと立って、少し歩いてみてください」と促され、一刻も早くトイレに行きたい私はすぐさまベッドから降りて5,6歩歩いてみせた。「歩くの大丈夫です!トイレ行ってきていいですか?!」と聞いてokが出るや否や、点滴台をお供にトイレへ一直線。幸い後ろモレはしておらず、無事に用も足すことができ、事なきを得たのだった。点滴しながらのトイレは多少不便ではあったが、自力でトイレに行けるって幸せ…。16:00頃担当医の回診。傷の具合の確認。手術は問題なく無事成功し、リンパ転移がないことも確認したとのこと。正式に説明を受け、とてもホッとした。17:00飲水解除。まずはおとなしく白湯からいただく。その後リハビリがてらロビーの自販機まで行き、ゆずグリーンティーを購入。本当はカフェオレでも飲みたい気分だったが、コーヒーは明日にしよう。この日は食事無しなので、あとはひたすらのんびり気ままな時間。気ままとはいえ、そこはやはり術後。胸周りにぐるぐる巻きされてるゴムバンドの圧が結構強く、肺が圧迫気味で呼吸が深くできないのが少し難点。しかしその圧迫のおかげで傷の痛みがほとんど感じられずに済んでいる気もした。回診の時以外は、読書したり、NETFLIXで風さんのライブを観たりして過ごした。そしてこの日の消灯後もなかなか眠れず、家族や友達とラインで話したり動画を観たりして、ウダウダ過ごしていた。
2023.04.17
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2023.3.17結局ゆうべは浅い眠りと覚醒を繰り返し、あまりよく眠れなかった。5時半ころ目が覚め、横になったままウトウト。6時ころ起きて、昨日預かっていた手術着に着替える。この手術着、作務衣の要領で着るだろうことは分かっていたのだが、寝不足の頭のせいかどれをどこと結べばよいのか分からず、最初胴体の真ん中が完全に隙間空いてる仕上がりになった時は情けなさ過ぎて思わず爆笑しそうになった。(必死で堪えた)結局、同じ型の製品の写真をスマホでググり、事なきを得た。(↓これがその手術着。これくらいの着方は分かりそうなものだが、なんであの時うまく着れなかったのか謎…。首元の紐をどう扱うかがポイントだったと思う)6:50点滴開始。外は良い天気だ。手術日和☀ 8:20頃点滴台をお供にトイレへ。なんせ今日は地獄の生理2日目…。大出血予想時間帯が手術中と思いっきりカブるので、絶対に漏れさせまいと自分史上最大サイズのナプキンを今回準備していた。術後トイレに立てるまで、順調にいけば恐らく7時間ほど。その間なんとかもってくれ…!頼む…!朝まで安心巨大ナプキン&防水ショーツ&毛糸のパンツ、という最強の布陣で臨んだ。(※看護師さんには生理の事を話してあり、漏れたり何かあっても全く気にすることはないと言われてはいたけれど、漏れは精神的にガッカリするのでできるだけ防ぎたかった)8:35看護師さんが「ご主人がロビーにいらっしゃいました」と声掛けにくる。さぁいよいよ出陣だ。担当看護師さんとロビーに行き、夫と合流。夫の方が心なしか緊張してるように見えた。3人でエレベーターで下に降り、歩いて手術室へ移動。他の手術を受ける患者さん達も何組か歩いていて、いつしかゆるい行列ができていた。手術室前に到着し、夫とはここで一旦お別れ。「あとは先生にまかせてな。きっと大丈夫!」と見送ってくれた。うん。私も大丈夫だと思ってる。晴れ晴れとした気持ちで手術室に向かった。自動ドアから入ると中待合のような前室があり、しばしそこのベンチに座って他の患者さんたちと一緒に待っていた。「ここには手術室が10部屋あるんですよ」「え〜、そんなに!すごいですね〜」なんて看護師さんとお喋りしてる間に次のドアが開いた。私は一番手前の1番オペ室に案内された。まず最初に執刀を担当する先生から挨拶され、それから看護師を始め麻酔担当やその他いろいろなスタッフの方々が次々に挨拶に来た。圧倒〜。担当医の先生も勿論いらして「がんばりましょうね!」と声かけてくれた。広い手術室の真ん中に手術台があった。手術台は幅の狭いフカフカのベンチソファーのようで、とっても暖かかった。快適〜。私が横になると、直ちに心電図やらモニターやらが取り付けられていった。私の寝てる周りでテキパキと動くたくさんのスタッフさん達。頼もしい!横のほうを見ると、壁にドでかいモニターが据えられていた。なにやらハイテク…。NERVの通信室っぽい。私の寝ている足元の向こうの壁には大きなデジタル時計が見えた。秒で刻まれ、時刻は08:38。ちなみに手術開始は8:40と聞いていた。その間も医師や看護師さんが入れ代わり立ち代わり話しかけてくれて、緊張する間も無かった。酸素マスクが取り付けられ、苦しくなく呼吸ができるか聞かれた。「大丈夫です!」すると「はい。では麻酔を点滴から入れていきますね〜」と声が。「…今少しずつ入ってます。ちょっと効いてきましたか?」と聞かれると同時に、なんとなく頭がぽうっとしてきた。「…あ、今ちょっときてます、きてます!」そこで突如ブラックアウト。マリックか…。「…○○さん、○○さん、終わりましたよ…」声を掛けられ目が覚めた。足元のデジタル時計は10:30だった。すごい。「無事に終わりましたよ。気分はどうですか、気持ち悪いとかないですか?」「…大丈夫です、気分は良いです」と声を発して、喉がガラガラになってる事に気がついた。「すごい、もう終わったんですね…」と言いながら横に首を動かして周りを見た。最初の時よりスタッフは減っていて、皆さんそれぞれ後片付けをしているように見えた。そして自分の胸のあたりを見た。胸はバンドのようなものでぐるぐる巻きにされ固められていた。痛みはまだ麻酔が効いているのかあまり感じなかった。バンドがきつく巻かれている胸の圧迫感のほうが強かった。目覚めた時はまだ手術室だったが、目覚めてまもなくリカバリー室へ運ばれた。記憶はおぼろげだが、ストレッチャーで転がされて廊下を移動したのは覚えている。リカバリー室には他の手術を終えた患者さんが2人ほどおり、静かに休んでいた。看護師さんはモニターを観察しながら時々私に声をかけた。私は術後すぐの体調が思ったより辛くないのがとても嬉しかった。周りがどうなっているのか興味が湧いて、首を動かしてキョロキョロ見ていた。「リカバリー室には何分くらいまでいるんですか?」と看護師さんに聞くと「11:15まではここで様子をみないといけないので、それまで休んでてくださいね。…でもほんと意識しっかりしてますね、こんなに早く意識が戻るのも珍しいです」と言われた。そうなんだー!でも確かに、昔夫が盲腸の手術で全身麻酔をした時、術後に病室へ戻るときは意識はほぼ無い状態だった。こういうのは個人差があるんだろうか。病状にもよるのかもしれない。「もしできたら、寝たまま手指とか足とか動かしてみてくださいね」と言われ、手をグーパーしたり足指を動かしたりしていた。足元のほうのモニターのあたりで看護師さん同士が報告し合っているのが聞こえた。「リンパのなんたらかんたら、ネガティブ」と言っているのが聞こえた。それって、リンパの転移が無かったってことだよね?!よかったー!!と一気に頭が冴え渡った。一番気がかりな事だったから、とても嬉しかった。11:15身体の状態に問題がないことを確認し、自分のベッドに移されてリカバリー室から病室へ移動。途中のロビーで夫と再開。私の顔を見て「おー、良かった!先生が、転移もなく問題ないと言ってたよ!」と。しっかり意識のある状態で会えて会話が交わせて良かった。夫を安心させてあげられたと思う。晴れやかな気持ちで病室へ帰還した。
2023.04.16
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12:40入院して最初の昼食。病院食はボリューム少なめだが、入院中は運動量が少ないのだからきっとこれでちょうど良い。ベッドの上で正座してモグモグしていると、隣のベッドからカーテン越しに患者さんとスタッフの話し声が聞こえてくる。食事はあまり取れていないらしく、果物なら食べれそうとか話をしている。食べられること自体幸せなことなのだ、と再確認する。美味しく完食し、食後のお膳は自分で廊下のカートへ持っていく。さてヒマだ…。歯磨きついでに、持参したティーバッグでお茶でもいれようと、給湯器へお湯を汲みにいく。ベッドに戻り、紅茶を飲みながら読書。平日の昼間にこうしてのんびり過ごすのは久しぶり。しばし寛ぎを満喫する☕14:00お呼びがかかり、エコー検査室へ。スタッフ「手術はどちら側になりますか」私「右側です」口頭で確認された後、明日の手術で切除する位置をエコーで確認し、マジックでぐるっと○印を付けてもらう。今日の入浴時に印が消えないように気をつけるよう言われる。検査の時よりも短時間で終わった。病室に戻り、再びくつろいでいると担当医の先生が回診に来た。先生に会うのは1ヶ月半ぶり。マジック書き込み部分を確認し、書き込みの線が細いところに書き足してくれた。そして明日の手術内容の再確認。担当医と対面するのは初診からまだ3回目だったが、なんだかんだ安心するものだ。担当医の回診後、手術室担当の看護師さんが明日の説明のために訪れた。その看護師さんの名札を見てアッと思った。なんと私の高校の同級生だった。かなりの陽キャだった子で姓名とも他であまり見ないお名前なので間違いない。彼女の方は私が同級生だとは多分気づいてなかったと思う…ほとんど話したこと無かったし、何より私は陰キャで目立たない存在だったから彼女は覚えてないだろう。そういえば随分前、風の噂で彼女が看護師やってると聞いたっけ…。まさか巡り巡ってここで直にお世話になるとは、運命っておもしろい。私は敢えて同級生だとは明かさず、通りすがりの入院患者Aとして振る舞った。彼女は高校時代と変わらずハキハキと明るく、明日の段取りについて説明してくれた。私は、今朝予定より早く生理が来たこと、ぼちぼち更年期に入ったっぽくて生理周期ガタガタで〜なんて話をしたら、彼女も「わかります、私もですよ!眠気すごかったりとかね、参っちゃいますよね〜」って。同年代トークに乗ってくれて心が和んだ。明るい気持ちにさせてくれて、感謝!16:30予約していたシャワー浴の時間。胸のマジックの印が消えないように気をつけながらシャワーを浴びる。ここで初めてパジャマに着替える。(パジャマは自分のを持参)17:10シャワーから戻るとすぐ、シンチCT検査のお呼びがかかる。予定よりだいぶ時間が押した。今回初、パジャマ姿で外来へ移動。検査室に入り、検査機器の寝台に仰向けに。上から四角い大きな機器が胸の上に降りてきて体スレスレの位置で止まり、検査開始。ここでもマジック登場。脇の下のほうにセンチネルリンパ節の位置をグリグリっとマークされ、終了。17:30夕飯の時間までまだ少しある。…そうだ、今の時間ならまだカフェ開いてる!入院中に一度はカフェのコーヒーをテイクアウトするぞと思っていた。明日は術後すぐでカフェは無理。その次は土日で外来休診のためカフェ休業。というわけで入院中のカフェは今しかチャンスがない。行くぞ!そして無事願い叶い、1杯のブレンドコーヒーを病室へ大事に持ち帰った。ささやかな幸せ。香りが周りにもれないように、こまめに蓋をしながら大事に味わった。18:00夕食。しっかり完食。これが手術前最後の食事。次の食事は明後日の朝…。19:00看護師さん回診。点滴針を左腕(手術する側と反対側)に入れてもらう。明日の朝から点滴開始。いよいよ…という感じ。緊張感はあまりない。やっと手術が受けられるという喜びのほうが大きい。明日が楽しみだとすら感じていた。手術前ハイなのかも…イヤホンで音楽聞いたり、家族から送ってもらった猫の写真見て和んだり、本を読んだりしてゆっくり過ごした。21:00以降、絶飲食。21:30消灯。…なかなか寝付けない。同室の患者さんの痛いと言う声や、ナースコールで駆け付けた看護師さんとの会話の声、オムツを替える衣擦れの音、他の病室から聞こえてくる嘔吐するような音…聞こえてくるいろいろな音から、ここはガン病棟であることを実感させられた。ここの患者さん達の容態が、少しでも快方に向かいますように。そして私達をお世話してくださる医師看護師スタッフの皆さんに心から敬意と感謝を。
2023.04.15
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2023.3.16入院日当日。娘はいつも通り登校。出掛けに「ママがんばってね」と声をかけてくれて、どことなく気にかけているような様子で登校していった。息子は春休みで家にいて、いつもなら朝はのんびり寝ているが、この日は私が出発する時間の少し前に起きてきた。寝過ごさずにちゃんと見送ってくれようとして、母は嬉しいぞ。私は普段通りに朝食食べて洗濯干してねこを愛でて。出かける前の数十分、仕事用のPC開いて引継ぎの漏れがないか確認したり、メールをざっとチェックした。最初、仕事用PCを病院に持っていこうかと思ったことがあったが、入院中は心身とも療養に専念すべきだと思い直してPC持込はやめた。盗難とか余計な心配も増えるし。(後にそれは正解だったと思った)9:30頃、さぁそろそろ出ますかねという時に、ふと下腹に違和感。トイレに行くと予定より10日も早く月のモンが来ていた。「マジか…」と一瞬ヘコんだ。先月、入院に生理が重ならずに済みそうだと思って、超かさばるナプキン詰合せセットをスーツケースから撤去し軽やかな気分でいたのに…ぐぬぬ…更年期の始まりで生理周期が時々乱れてたが、このタイミングで乱れがくるとは…。まぁでも、出かける前で良かった。病院に行ってから始まってたらもっと面倒なことになってた。ギリギリセーフ!ナプキンセットと生理用おパンツを荷物に加え、夫の運転で車で病院へ向かった。10:00頃、病院着。入院受付へ行き、必要書類を渡す。この日初めて、マイナンバーカードを保険証として提示した。これで医療費の限度額適用認定証の提出が省ける。面倒くさい手続きをすることなく、高額医療費の立替え無しで必要額のみで会計が済むので安心だ。入院手続き後、放射線科へ。夫にはここの入口まで付き添ってもらい、あとは1人でも大丈夫だと思ったので帰宅してもらった。"乳腺センチネルリンパ節シンチグラフィー"の検査準備のため、胸から薬剤を注射する。この薬剤でリンパが染まり、センチネルリンパ節の位置を確認できるようになるらしい。検査自体はすぐ行わず、時間をおいて午後にまた呼ばれて検査するとのことで、一旦解放。次はいよいよ入院する病棟へ。スーツケースを転がしながらエレベーターで上る。ナースステーションで受付し、ロビーでしばし待つ。私の他にもこれから入院されると思しき方が数名、それぞれ付き添いの方と一緒にいらした。11時頃に名前を呼ばれ入室。4人部屋の窓側のベッドに通された。思えば病院の大部屋で入院するのは初だ。(私の入院歴は1度の切迫早産、2度の出産のみで全て個室入院)大部屋とは言っても他のベッドとはカーテンでしっかり仕切られており、少なくとも視界のプライバシーはがっつり守られていた。病室の窓からの眺めはとても良く、気持ちが晴れた。早速スーツケースから荷物を出してベッド周りのメイキングに取り掛かった。(ちょっとウキウキしてる)お気に入りグッズで枕周りを整えてから少し横になり、家族や親しい友達にラインを送ったりしてひと息。その間にも看護師さんが検温や血圧測定とPCR検査をしに来てくれた。PCR検査は小さな蓋付き容器に唾液を溜めるタイプのもので、これが案外大変だった。容器の底がしっかり埋まるくらいに溜め込まないといけなくて、なかなか時間がかかった。唾液の容器を提出できた頃に、お昼ごはんがベッドに運ばれてきた。上げ膳据え膳!ちょっと嬉しい。
2023.04.15
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2023.3.9早く入院したい。連絡はまだか…月が3月に変わったあたりから、病院からの電話を待ち焦がれながら毎日を過ごしていた。職場で遅めのランチをとっていた13時頃、それはようやく来た!ドラフト指名の電話がかかってきた球児の気持ち、体験した(笑)嬉しさと緊張が入り交じる。入院は1週間後と決まった。やっと、手術が受けられる…!予定が決まりほっとした。入院の荷物はすでにスーツケースにスタンバイ済。あとはなにを準備しようか…と考え、とりあえず風呂の掃除をした。退院後、お風呂がキレイだと気分が良いと思ったから。できれば年末大掃除並に家中を掃除整理したかったが、仕事も忙しくややお疲れモードだったため、身体をリラックスさせるのを重視して入院前最後の土日を過ごした。
2023.04.14
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あとは、病院から入院のお呼びがかかるのを待つばかり…(当初は1か月くらいで連絡がくる予定だったが、実際は1ヶ月半待つことに…)その間、治療めいたことは特にないので、自分なりにできることを考えた。・身体のコンディションを保つ。・病気をしない(既にがんには罹ってるが…)。実際入院直前にコロナに罹って入院延期になる方もいらっしゃるそうので、それだけは避けたかった。・免疫力を高められそうなことをする。とりあえずR-1ヨーグルトを毎日摂る()。・笑ってすごすためにくよくよしない。笑えるものを見聞きする。あと病院でもらった手術前の心得的なパンフに「体力つけておきましょう」と書いてあったのでウォーキングでもやるかと思ったが、結局2回くらいしかできなかった。体力はつかなかったが気晴らしにはなった。入院の持ち物準備は、旅行準備気分で楽しみながらやっていた。手術後の荷物はキャリーケースが良いとどこかで読んだので、機内持ち込みサイズのヤツを妹から借りてきた。これだけでなんかワクワクする。前から絶対入院時に持ってくと決めていたものがある。藤井風"LOVE ALL SERVE ALL" ツアーグッズ(パナスタ・たまアリ行った)のバスタオルと、ダイソーで買ったねこ顔クッション。これらで枕元を彩り、入院期間癒やされながら乗り切ろうという魂胆。もちろんイヤホンも持参し、風さんの音楽に浸りながら養生する気満々。湯呑みはオーバーザサン(愛聴してるPodcast番組)の保温タンブラー。ジェーンスーさん&堀井美香さんの著書ももれなくお供に。…って感じの、趣味全開の入院準備品(笑)(↓実際の入院時の病院ベッドコーデ…)あとは病院でもらった入院中のスケジュール表を見ながら、手術後動けるようになったらこの時間帯にコーヒー買いに行こうかなとか、院内探検してみようとか、計画を立てて妄想を膨らませていた。もちろん不安が全く無いわけではなかった。こうして待っている間にもがんが大きくなったりリンパに入ったりしないか…そういう不安も常にあった。ここまでくると、早く入院したくてたまらなかった。一日千秋の思いとはまさにこの時の心境。
2023.04.12
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2023.2.3この日は入院前最後の診察日。入院手術の説明もあるため、夫同伴で病院へ。まずは入院準備センターへ行き、オリエンテーションを受ける。初っ端に聞かれたのが、希望する病室。差額ベッド代無しの大部屋から有料個室各種、様々ある中から第2希望まで決めて申し込む。あまり考えてこなかったが、まぁ大部屋でいっか〜とその場で決めて申込書に記入。ちなみに大部屋は4人部屋。その後、必要な物品や入院中や手術後の注意事項等の確認。付き添いは入院時と手術時のみで、その他の面会は感染症対策のため禁止。私の入院は短いから、寂しさとか不便さを感じる間もないだろう。この時点では診察前だったので手術の詳細は決まってなかったが、もし全摘となった場合は胸にドレーンが入ったまま退院となることがある、との説明があった。そうなると自宅でセルフで廃液の管理をすることになると聞いて、ちょっとカルチャーショックだった。別にイヤだとかいうんではなく、そういうのも自分でやれるんだ!っていう新発見。スゴイ時代になったもんだ。(昔を知ってる訳では無いが)オリエンテーション後は診察。1人のときよりも、同伴者がいるほうがなんとなく緊張感があるのはなんでだろう。これまでの検査結果から、私のガンは大きさや場所等当初の見立て通りの状況とのこと。手術は部分切除/全摘どちらでも可とのことで、この場でどうするか決めなくてはならなかった。再発のことを考えれば、全摘がベターなのかもしれない。でも私は、まだ選択の余地が残されているのなら身体にメスを入れる事自体のダメージも重視したかった。身体への負担を少なく済ませ、仕事にも早く復帰したい。幸い私のがんは広範囲ではないようだし、術後の治療にも期待して良い可能性に賭けたいと思い、部分切除を希望した。担当医も了承し、その後は具体的な手術の話に。全身麻酔下で行うこと。がんのある場所の周囲2cm範囲で切除し、可能であれば傷口が目立たないように配慮してくれるとのこと。また手術時にリンパ転移を調べるため、センチネルリンパ生検を行うとの説明を受けた。脇の下をちょこっと切るらしい。もしそこでリンパ転移が見つかれば、リンパ節切除の処置が入る。入院期間は、部分切除の場合は手術前日入院〜手術2日後退院とのことで基本3泊4日だそう。がんセンターの退院は早いと元勤務看護師の友人から聞いてはいたが、ほんと早!ただ入院が土日に重なると、会計手続の関係で入院が延びるとのこと。水曜は手術を行ってないそうなので、月曜入院火曜手術のコースなら最短4日でシャバへ戻れるそうだ。それがいいなー最後に先生から麻酔や手術の同意書を預かり、先程のオリエンテーションで預かった他の大量の書類とともにバッグへ仕舞い、本日は終了。これまではぼんやりとしか考えられなかった入院手術についての事柄が、この日一日で一気に具体的になった。がんを治療する準備が着々と進行している手応えを感じ(まだなにも始まってない、全てこれからだぞ〜w)、ちょっと明るい気分になれた。
2023.04.11
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2023.1.252回目のがんセンター通院。この日は人生初のMRI検査を受けた。検査着に着替えた後、看護師さんに造影剤を注射してもらった。この看護師さんがいかにもベテランな60代くらいのご婦人で、注射の痛みがほとんど無い上に超スムーズですばらしかった。少し待った後、検査室入室。ドアが開くと中はピンクベースボタニカル壁紙の華やかなお部屋で、ジブリのサントラが流れていた。緊張をほぐしてくれようとする心遣いを感じる。まず案内役の若い男性技師から耳栓を渡された。MRIは検査中に轟音がするという噂。これでいくらか軽減されるんだろうかと思ったら、その技師いわく「気休めみたいなものですが無いよりはマシですから・・」とのこと。ギャフン。もう1人の若い男性技師がやってきて検査台へエスコート。やけにおっとりとした話し口調で癒される。彼にはマダムキラーの称号を心の中で勝手に授与。トンネルの装置の前の検査台にゆっくりと上ると、台の上に穴が開いており、検査着の前をはだけて胸がその穴に入るようにうつ伏せになってください、と指示された。なるほど。胸ががっつり穴にはまったのを確認してもらい、腕は前に投げ出すようにしてうつ伏せになり、検査開始。寝台が動いて足元からトンネルに入っていく。頭は横向き。この姿勢がほんのちょっとだけつらいかも・・。体を動かしてはいけないので呼吸を浅くして頑張って耐えた。そして噂通りの轟音。超重低音の電子音。不快ではないけれど、やっぱりウルサイ。轟音の向こうに、もののけ姫のテーマが聞こえる・・カオス~~。終わるまで20分くらいだったか?重低音やら高周波音やらの轟音にも慣れてきて、眠気を感じてきた時点で検査が終わった。MRIは痛みがない乳がん検診のひとつとして紹介されているけれど、確かにマンモよりははるかに楽で良いなぁと思った。マンモは本当に毎回痛くてツライからほんとに苦手。。。検査料金が高くなければ、毎年これで検査できればいいなぁ~2023.2.1続いてこの日はエコーとマンモの検査。まずエコー検査。年イチの乳がん検診のエコー検査では変化を探すためにものすごく時間をかけて診るけれど、今回は問題箇所が分かっているからか乳がん検診ほどの時間はかからなかった(と思う)。エコーは部屋が暗くなるので、なんならうっすら眠ってしまうくらい快適に受けられるから良い。次にマンモ。マンモは毎回ただただ痛さしかないので、今回こそはあまり痛くありませんように~と祈りながら臨むのだが、今回も予想を裏切らない痛さだった。縦につぶされた後、さらに横につぶされるっていうね。。。なんとかなんないのかな~アレ。。。あんまり痛くないって人も結構いるけど、なにか乳肉(?)の性質に個人差があるんだろうか?もっと痛くない方法での検診を啓蒙した方がよいと思いますよ。。。あれがつらくて検診回避しちゃう人、絶対いると思う・・・。
2023.04.10
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2023.1.4お正月休み最終日。クリニックで預かった紹介状と針生検の検体を手に、いざ!がんセンターへ。旦那に車で送ってもらい、単身でのり込んだ。ここは自宅から近い生活圏内なので場所に馴染みはあるが、建物の中に入るのは初めて。キョロキョロしながら初診受付に辿り着き、あとは指示されるがまま院内ツアー。薬剤部、バイオバンクセンター、採血センター、あと他にもあったような気がしたがとにかく色々回って説明を受けたり書類を読み、書き、検査を受け・・。初診手続きは忙しい。その間に乳腺外科の予約時間がきて、診察を受けた。この日はお初なのでほぼ自己紹介的な話中心で終わった。体調はどうですか?から始まり、前のクリニックではどのような診断だったかという確認から、手術と治療の内容はこうなりそうだという話(クリニックでの説明と同じ内容)、仕事の有無や家族の状況なんかを話した。そして気になっていた手術の時期は、この時点ではまだ確定できないが2月末から3月初め頃になるだろうとの事だった。ちなみに前のクリニックで手術日の予想を聞いたら1月終わりか2月初め位じゃないかと仰っていたが、それより1か月もあとだった。結構待つのね~。それだけ手術を待つがん患者さんが大勢いるんだ・・と思うと、何とも言えない気持ちになった。手術の準備のために別日でMRIとマンモ&エコー検査の予約を取り、診察終了。診察後、看護師さんとの面談。今後必要になる物品や高額療養費などについて説明を受けた。病院に入ってから出るまでおよそ3時間。まぁ最初はこんなもんだろう。カフェでコーヒーを2つテイクアウトし、迎えに来た旦那の車に乗り込んで帰宅した。これからお世話になります!
2023.04.09
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2022.12.27クリニックで告知を受け、がん患者としての人生が始まった。正直、今回乳がんがあると言われた部分に明らかな病変を感じたことは無いし、しこりも自分では全くわからなかった。自分一人では見つけられなかった病変を、乳がん検診を定期的に受けていたおかげで見つけてもらえた。がんになったこと自体は「チッ・・」という感じだが、受けてきた甲斐があったとしみじみ思った。告知を受けても案外動揺が少なかった私だが、その帰り道はいろんな気持ちが入り混じっていた。がん患者になったという事実の重み・・がんと闘うための具体的な予定=手術を受ける病院との受診日が決まったことへの安堵感・・仕事への影響はどれほどになるか、しっかり治せるのかどうか、未知への不安・・でも、病は気からと言う。早期で見つかったことをまずはラッキー☆と受け止め、あとは事実は淡々と受け止めつつ、絶対治す・治ると強く信じることを貫いていこうと思った。あと、私の周囲には乳がんを患った経験のある友人知人が何人もいて、本人から乳がんの話を聞くたびにこりゃ他人事ではないなと思ってきた。そしてその方たちの多くが乳がんの治療を乗り越えて元の生活に戻っていく姿を何度も見てきた。パイセン(乳がんだけに‥←怒られる)達の存在のおかげで、私自身が乳がんになっても「ついに私にもきたか・・」と冷静に受け止められたし、彼女たちのように自分もきっと治療を乗り越えて元の生活に戻れると思えた。これは単なる楽観ではなく、決意だ。これを乗り越えたとき、私はちょびっと成長できているかもね。と思うと、やるべき仕事が目の前に現れたような気持ちになった。やるっきゃない。帰宅後、まずは夫に「クロだったよ」と報告。重くならないように。こういう時って多分、病気になった本人よりも身近な家族のほうがしんどいんだろうなと想像する。できるだけ心を軽くしてやりたい。幸いなことに実際私は今のところまったく元気なんだから、今から病気ぶることはない。夫はまず「マジか」と驚いたが、がんセンターに直ちに予約が取れて年明け一番に受診できること、まだ早期のガンだからきっと大丈夫、治る治る!(←これは自分に言い聞かせてる部分が大きい)とあっけらかんと話をしたら、少し安心してくれたようだった。子供たちには、どう伝えるのが良いかと少し思案した。告知から3日後、一緒に夕飯を食べながら、乳がんが見つかったこと、それは早期の小さなものであること、近いうちに手術を受けることをさらりと話をした。息子と娘は夕飯のタイミングがずれてたため個別での報告になったが、しっかり対話ができて反応も見れたので良かったと思う。20歳(大学2年)の息子は淡々と話を聞いてくれつつも、私が「入院中と後は家の事いろいろ頼むね」と言うと「あぁ、分かった」と心強い返事をくれた。彼は炊事面においてはまぁまぁ頼りになるのだ。17歳(高校2年)の娘は最初「えっ」と驚き、大丈夫なの?とか聞いたりして心配してる様子だった。私は至って通常のテンションで「見つかったヤツはまだ小さいから、手術でしっかり取ってもらえば大丈夫だよ!」と話すと、少し安心した様子だった。実の両親には、すぐには話ができなかった。自宅から歩いて5分ほどのところに実家はある。いつも忙しくしている私を常々心配していた両親。乳がんの話はきっとどのように話をしてもものすごく心配するだろうと思うと、なかなか話せなかった。実の妹には、告知の翌日にラインで報告した。親にはまだ報告してないことと、手術日のめどがついてから報告しようと思っていることを話した。家族肉親以外では、仕事場でいつも一緒に働いているチームの先輩(女)に、告知の翌日に報告。彼女には前から乳がん検査の話をしたりしていたし、今後なにかとご迷惑をお掛けしたり協力を依頼することがあると思うので、家族以外では一番に報告した。とても驚かせてしまったが、近くの病院に運よく早く予約が取れたこと、ごく早期のガンであることなど安心要素を吹き込み、なんとか安心させた。あと普段付き合いのある親しい友人たち数人には、頃合いをみて徐々にカミングアウトした。ある友人は、入院中のお見舞いがコロナ対策のためにできないと知って、とても残念がっていた(苦笑)
2023.04.09
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2022.12.27午後3:30。1人でクリニックへ淡々と向かう。良くない話を聞くことになるのだろうと予想しながら、診察室へ入った。先生は先日の針生検の結果が書かれた表を見せながら話し始めた。「先日採取した3本の検体全てから、癌細胞が出ました」予想通りの答え。率直にただただ「やっぱりか~」と思いつつ、その言葉がまんま口から出た。えらいことになってきたぞ~と思いはしたが、不思議と動揺は起きなかった。先生は乳房の図が書かれた説明用の紙を取り出し、そこにいろいろ書き込みながら丁寧に説明してくれた。【診断結果について】・がんの大きさは12×9×10mm(5月検査時は12×9×9mm)。大きさが20mm以内なので、これでリンパ転移がなければステージⅠの早期がんだが、手術をしてみないと確定できない。・ステージⅠの10年生存率は93%である。・乳がんの形態にはいくつか種類があり、私のは「浸潤性乳管がん」。乳管の中にできた癌細胞が成長し乳管を破って外に出てきている状態。放っておくと転移の可能性がある。・女性ホルモンの影響を受けて増えるタイプの乳がんである。・細胞異型度はグレード1。おとなしいタイプで増殖スピードは遅い。細胞異型度とは、がん細胞の悪性度。グレード1~3に分けられ、細胞核の大きさが揃っていれば正常な細胞に近い=グレードが低い。核の形や大きさが不揃いであるほどタチが悪い=グレードが高い。【治療法について】・①「局所治療」(手術+放射線治療)を行った後、②「全身的治療」(ホルモン剤、抗がん剤等)による治療を行っていく。・①の手術は乳房部分切除(乳房温存療法)か全切除。リンパ節に転移がみられればリンパ切除が必要になる場合もある。・②については、手術後の病理検査でホルモンや遺伝子を調べ、そこで分かったがんの性格によって使用する薬剤を決めていく。また再発の危険度から予防のために有効な薬剤も選定する。・乳房全切除後の再建手術は保険適用になるものもある。【その他聞かれた事】・「仕事はしているか」(平日フルタイム勤務)・「入院は5日間ほど。仕事の休みは確保できるか」(傷病休暇と有給休暇があるので可)・「(家族構成、子供の年齢なども確認)治療中に家族等から協力を得られるか」(得られる・・はずw)・以上の話のあと「お仕事をしながら乳がんの治療をしている方はとても多いですから、お仕事続けられそうならぜひ続けてくださいね~!」と言われ、少しほっとした。【手術について】クリニックでは手術は行っていないとのことで、他の病院へ紹介状を出してもらうことに。手術を希望する病院があるか聞かれたが、病院のことまで考えてなかったし何の情報も持ってない...(苦笑)「提携している近場の病院として、A病院(某がんセンター)とB病院(某医大付属病院)ならすぐ紹介状を出せます。どうしますか?」・・うーん、どうしよう。いったん持ち帰って家族と相談して決めるかと思ったが、できるだけ早く話を進めたいと思い直した。術後に治療で通院することを考えた。放射線治療の際は、数週間のあいだ平日毎日通院しないといけないらしい。仕事の合間をぬって通うことを考えたら、自宅と職場に近いA病院が良いだろうと思った。その場で「A病院にします」と言うと、先生は「すぐ病院に連絡するのでちょっと待っててくださいね~」と私の目の前でA病院へ電話をかけてくれた。そして運よく、年明け初日の1/4に初診の予約が取れた。先生も「もう1週あとの予約になると思ってたけど、早く取れてよかった!」と。そして「紹介先のX先生は腕の良い先生だから安心しておまかせしてね!」との言葉がどれだけ心強かったか。次にお世話になる病院と受診日が決まった、それだけで前進できたような気持ちになれた。
2023.04.08
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2022.12.27 AMクリニックからは、26日に検査結果が出る予定なのでこの日にクリニックに電話して診察予約を取るようにと案内されていた。しかし年末最終週の忙しさにかまけて、この日電話するのをすっかり忘れてしまった。翌日27日午前中、この日は特に予定もなかったが有給をとっており、自宅で部屋の片付けをしていた。そんな時にクリニックから電話があった。最初は着電に気づかず、数分後電話を開いて気がついた。昨日電話するの完全に忘れてたー!と思うのと、クリニックから電話かけてくるということは何か出たのか、と思うのとが同時だった。何も考えないようにしてすぐにかけ直した。私「すみません、昨日検査結果を聞くための予約電話を忘れてしまいました」スタッフ「大丈夫ですよ、いつ来られますか?」その時私は、反射的に今日は行きたくないと思ってしまった。家に籠もって部屋の掃除や片付けに明け暮れたいと思った。私「年内はちょっと時間が取れないので、年明けでも良いですか?」そうして、一旦は年明けの最初の土曜日(1/7)に予約を取ってもらったのだが、電話の最後にスタッフさんが何か言いたげな感じで話しかけてきた。スタッフ「…あの、やっぱり、もう少し早めに来ていただくことはできませんか?」この言葉で観念し、私は逃げ腰をやめた。これはすぐにクリニックに行って話を聞かなきゃいけない。今日午後なら行けますと話し、その日の夕方に予約を取りなおしてもらった。
2023.04.08
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2022.12.12例によって夕方に仕事を中抜けし、クリニックへ。前の患者さんが処置を終え帰られ、院内の患者は私ひとり。静かな待合室。細胞診の時と同様にエコー検査の寝台に寝る。「2本取ります。うまくいけば1回で済むかも」とのこと。初めに麻酔の注射を胸にぷすっと打たれる。ぐっとガマン。その後、先生がモニターをみながらエコーを当てて、問題ののう胞を探す。「これだな」見つけて位置を確認すると、いよいよ検査針の登場。針がどんなものなのかは確認出来なかった。狙っているのう胞が動いて仕留めるのがなかなか難しいらしく、針を刺す位置をとても慎重に決めていた。位置が決まると針を刺して、エコー画像で針を確認しながらのう胞に打ち込む。その度に、バチン!と大きなバネの音がした。一回採取するたびに先生が針の中の検体を確認していた。私も最後にまとめて見せてもらった。間違いなく狙った部分の細胞が取れているようにと、結局3回か4回針を刺した。終わるまで30分位かかっただろうか。最後に消毒してバンソウコぺったんで終了。痛みは麻酔のおかげでそんなに無かった。よかった。結果は2週間後。待合室で会計待ちの間に、スタッフさんが痛み止めの薬とお水を持ってきてくれた。麻酔が切れたら痛むと思うので今から飲んでおいてください、とのこと。これから痛くなってくるのか…。と少し憂鬱になりかけたが、痛み止めを飲むタイミングが良かったのか結局その後も極端に痛むことはなかった。処方された痛み止めは次の日でお役目御免となった。
2023.04.08
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2022.11.29前回の細胞診から5ヶ月後の乳腺クリニック受診となった。先月受けた人間ドックでの乳がん検診で注意がついたことを報告。エコーとマンモでよく診てもらったが、問題の箇所(細胞診で検査したのう胞=人間ドックで指摘された箇所)は5ヶ月前と比較すると1mmほど長さが増していたものの、総合的には大きさや様子にほぼ変化はないとのことだった。全長12mmの楕円ぽい形。先生は仰った。「画像だけでは判断がつかない。前回行った細胞診は針が細いので取り出せる検体が少なく、患部の状態によっては結果がはっきり出にくいことがある。それよりも太い針を使う針生検なら、この部分の正体を白黒はっきりつけられると思う。受ける受けないはあなた次第。どうしますか?」私はモヤモヤした気持ちのまま過ごしたくない。「白黒つけたいんで針生検やります」食い気味に即答した。当たり前の選択だった。あとになって思えば、この会話の時点でおおよその覚悟をし始めていたと思う。シロならシロでヨカッタネ〜で済むし、もしクロであるならまだ小さいうちに見つけられて治療始められるんだからラッキーだ!と。その後すぐに針生検についての説明をうけた。麻酔を使うこと、少し時間を要するので診療時間の最後の方の予約になること、検査後は痛み止めも処方する、など。痛み止めを出すほどって、そんなに痛いんか…と少々ビビった。でもきっとマンモよりは痛くないだろうと自分自身を鼓舞した。(とにかくマンモは私にとって拷問)
2023.04.08
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2022.10.29忙しさにかまけて、乳腺専門クリニックで細胞診を受けてから次の検診を受けるまで5ヶ月以上経ってしまった。乳腺クリニックに行く前に、これまた延び延びになっていた人間ドックを先に受けた。人間ドックは前回から1年半が経っていた。(予約するのが遅かったのと、その時点で取れる予約日が2ヶ月後だったので受診がかなり遅れた。後手はアカン…)いつも通り、基本ドック+子宮&乳のコースで受診。エコーは毎年すごく時間をかけてやってくれる。今回も丁寧に診てくれた。5月に専門医で細胞診を受けたことも報告した。2022.11.12人間ドックを受けた病院から電話がかかってきた。結果はいつも郵送で来るがこの時点ではまだ届いていない。先駆けて連絡が来るってことは何かあったな…と薄々察する。お知らせの件は、やはり乳関連だった。エコー検査で前回1年半前と比べて大きくなっているのう胞があるので、精密検査を早めに受けて下さいとのこと。しかし前回と今回の人間ドックの間に乳腺クリニックでの検査を受け結果がシロと出ているので、私はそんなに心配ないんじゃないかと思った。電話の向こうのスタッフさんに、5月に精密検査を受け問題なかったと話すと「そうだったんですね。でもそれからまた時間が経っているので、近いうちに検査受けてみてくださいね」と受診を勧められた。まぁもっともだ。その3日後にドックの結果完全版が郵送で届き、乳の他にも胃も要精検なことが判明したので、まずは予約の取りづらそうな胃の検査を先に予約した。胃は11/19に胃カメラで検査。全く問題なしとのことでこちらは一件落着。その後に乳腺クリニックを予約した。
2023.04.08
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2022.6.1細胞診を受けてからきっかり2週間後に結果が出る。この日も仕事を中抜けしてクリニックへ。内心、少しドキドキ…。結果は、シロだった。先生がにらんだ通り、怪しい塊は水の入った袋だった。ほっとした!ただ経過観察が必要なのは変わらないので「3か月後にまた来てね〜」と言われ診察は終わった。足取り軽く帰宅し、夫にすぐ報告。「おお〜、よかったぁ」…私よりも安心した様子だった。ちょうどこの頃、彼の両親もそれぞれ病気のため病院通いしており、夫が仕事の合間に通院の送迎や付き添いをすることがしばしばあったので、もし私まで何か病気になったら彼にますます負担をかけてしまうことになる、それは避けたいと思っていたので、今回なんともなくて本当に安心した。ちなみに、子供たちには今回ガンの疑いがあったことは言わず、単に検査をしたという話だけしておいた。
2023.04.08
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2022.5.18検査予約日当日。仕事を早抜けしてクリニックへ。エコー検査用の寝台に横になり、まな板の上の魚となる。院長先生がエコーを当てて、問題の箇所を探す。問題のブツが見つかると先生はエコー画像でその部分の様子を確認していたが、アレ?これはどうなんだろう・・と首を傾げ始めた。一般にガン細胞は硬く、圧を加えても形が変わらないものだそうだが、このブツは圧を加えると動いて形が変わるという。袋に水がたまっているような感じにも見える・・そんなに悪いものでもなさそうだ・・と先生は判断し、針生検から細胞診に格下げして検査を行うことになった。針生検は太めの針なので刺す時に麻酔を使うそうなのだが、細胞診はそれよりも細い針なので麻酔なしで行う。実際、麻酔なしでもたいして痛くなかった。先生の腕も良いのだと思う。(マンモのほうがよっぽど痛い)ブツのある場所にトンと針を刺し、エコーで確認しながらブツに針を届かせ、いくらか中身を採取した。針の痕にばんそうこペタンと貼られ終了。検査結果は2週間後。思っていたよりも悪いものではないかもしれないと、ちょっと心軽くなれた気分だった。
2023.04.07
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友人達から前々から評判を聞いていた市内のクリニックに初めて行き、精密検査を受けた。エコー、マンモ、触診。専門クリニックの良さをとても感じた。なんていうか、扱い慣れているというか、技師さんや先生は朗らかな雰囲気で安心感があった。検査結果はすぐに聞けた。「あのね、これなんだけどね〜」と先生がエコー写真を見せた。右胸に気になる形のものが写ってるとの事。黒く写っているだ円の塊の周囲にもやのような影があり、これは“硬癌”の見た目に似ているとの事だった。精密検査だから万が一ということもあるかもしれないとは思っていたが、まさか本当にガンの話が出てくるとは、正直少し驚いた。でもまだ決まった訳じゃない、とすぐに考えを切り替えて、まるで他人の病気の話を聞いてるかのように「ほー、そうなんですかー」と先生の説明に聞き入った。実際に組織を取って調べないと分からないとのことで、別日で針生検を行うことになり、4日後に予約を取ってもらった。帰宅してすぐ、家で仕事してた夫に淡々と報告。私「なんかあやしいものがあるって。今度針刺して検査する」夫「え、まじで」私「まあ、でも大丈夫っしょ(根拠はないけど)」あとになって思えば、この日から針生検までの4日間が一番憂鬱だったかもしれない…すごく落ち込むとかは無かったけど、生まれて初めてガンの可能性を言われたのはさすがに多少衝撃💥だった。この日の夜はたまたま友達グループの飲み会があり、早速この報告をした。至って軽く話をしたつもりだったが、友達はみんなびっくりしていた。心配させるハメになってしまった。でもきっと大丈夫だから、と話をしながら、自分自身にも大丈夫、なんともないと言い聞かせたかったのかもしれない。
2023.04.07
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人間ドックと婦人科(子宮・乳)は、10年前(37歳)から毎年1回受けてきた。乳がん検診は、検診を受け始めた時から両側とも乳腺症とかのう胞とか必ず所見がついていたが、経過観察が続いていた。40〜43歳、“左乳腺腫瘤の疑い”の文言が追加。44歳でいったん腫瘤の所見が抜けた。45歳で今度は“右乳腺腫瘤の疑い”が登場。その後コロナ禍や転職によるバタバタで、次回の人間ドックの受診まで1年半開いてしまった。しかし乳腺の件は少し気にしていたので、その間に精密検査の名目で乳腺専門のクリニックへ受診した。(2022.5)
2023.04.07
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どこかに記録しておきたく思い浮かんだのが、このブログ。人目につかないここなら気兼ねなく記しておけそうなので、記憶がまだあったかいうちにどんどん書いていこうと思います。
2023.04.06
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