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文部科学省はニートフリーター対策として各学校に担当教諭を置くことを検討しているという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110130-00000501-san-soci何度も書いたことだがニートやフリーターの発生する最大の要因は求人がないことである。各学校に担当教諭をおいたとしても、これは企業側ではなく、求人側に対する働きかけであってそれほど効果のあるものだとも思えない。*バブル期ならともかく現代のニート、フリーターは正社員の募集に外れたことによるものがほとんどであって、それを本人の職業意識や勤労意欲の問題にするのは単なるすりかえであろう。こんなことに担当教諭を置くくらいなら、いっそ教員の採用を増やせばよい。数学や英語などの学力差のつきやすい教科について複担任制を導入すれば、生徒の間に差別意識や劣等感を持ちこむことなしに学力に応じたきめ細かな指導ができる。そしてなによりも、ニートやフリーターが教諭になるわけでなくとも、教員の椅子が増えればめぐりめぐってニートやフリーター予備軍も正社員の職につく可能性がより高くなる。また、就職難は学生がよりごのみをしているためで中小企業なら職場はあるということをいう人もいる。ならばそういう人は、世に言うブラック企業なるものが野放しになっている現状をどう考えているのだろうか。女工哀史や蟹工船も真っ青になるような日曜も盆正月も関係ない連続勤務や一日10数時間の勤務。そしてその結果の過労死や精神障害や自殺などをみると、これはもう一種の殺人ではないかとさえ思う。しかし、こうした企業の責任者が責任を問われたという話は寡聞にしてきかない。*世の中を明るくするなんて実は簡単なことで労働基準法がきちんと守られるようになればよい。別に新しい制度を構築したり、新しい法制度をつくるわけでもない。割増残業代を払うくらいなら、人をもう一人雇った方が安くつくので雇用の場は増えるだろう。そして余暇を得た社員達は街にでて消費にはげむことだろう。特に若者など借金しても金を使う。映画館にも盛り場にも本屋にも喫茶店にもにぎわいがもどってくる。車を買ったり旅行に行ったりする人も増える。日本の自動車はなぜ海外で売れなくなったのかなんていう議論があるそうだが、簡単な話、国内で売れないものが海外で売れるわけがないではないか。要は国内に厚い市場があってはじめて海外で勝負できるものが現れる。正規職員を非正規職員に置き換え、低賃金で不安定な生活を余儀なくされるような若者を大量に量産しているような企業が、海外で製品が売れないことを嘆くなどまさに漫画としか思えない。秋葉原の通り魔事件の論告求刑で「多くの模倣犯を生んだ」と検事は糾弾していたが、あれは模倣犯ではなく、共通の土壌があるから似たような事件が起きているだけだ。そしてその土壌が変わらない限り、これからも似たような事件は起こり続けることだろう。いくらマスコミが青森までいって被告人の両親を追いまわそうが、多くの人はあの事件の本当の「原因」を知っている。**エジプトの混乱は収束のきざしもない。そして多くの人が危惧していたように歴史遺産にも被害が及びつつあるようだ。イラク戦争のときもこうしたことはあったが、こうなると人類の歴史遺産や文化遺産というようなものは多くの国に分散していた方がよいようにも思う。そうしたものはもともとの出土国や母国に還すべきだという議論もあるし、それはそれで説得力があるのだが、一か所にまとめると戦乱や自然災害などで一挙に失われてしまう恐れもある。略奪や強奪の場合にはしかるべき補償はすべきかもしれないが、それでも人類の歴史遺産は途上国にあるよりもルーブル美術館や大英博物館にあった方がよい。同様のことは日本の文化遺産にもいえる。日本はまだ今のところは途上国ではないが、それでも貴重な仏像や日本がなどをなにがなんでも日本にすべておいておく必要があるとも思えない。地球の裏側でも本物の日本美術に接することができ、その分、多くの人が日本の美術や日本という国に関心をもてばそれはそれで素晴らしいことではないか。そしてそんな本物にふれる機会を世界中の多くの人に提供していくことが、日本文化の理解や日本への観光客誘致にもつながっていくような気がする。
2011年01月30日
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テレビ版の方はかすかに記憶がある。番組そのものは見ていなかったが、子供番組の合間にも番組宣伝があったから。たしか余命3年と宣告された(このあたりは別の番組とごっちゃになった記憶違いかもしれないが)大金持ちの男が空手の達人カトーとともに生きている間に悪を一掃すると誓う…なんかそんなストーリーだったような。この時、カトーの役をやっていたのがブルースリーだったというのはだいぶ後になって知った。*映画版をみると正直いってイメージが違う。グリーンホーネットは最初から最後までダメ男で、ヒーローものというよりも、ギャグのつもりで見た方がしっくりくる。これに対して助手というか相棒のカトーの方は、クールで天才的な頭脳を持つ武術の達人。なんかこちらの方がよほどヒーローぽい。演じた俳優もきっと人気が急上昇することだろう。韓流の次は華流だなんてね。*それにしてもこのカトーという名前といい、テレビ版の空手の達人という設定といい、もともとの設定ではこれは日本人ではなかったのだろうか。ところが映画では上海生まれの中国武術の達人ということになっている。そういえば旧作ではやはり空手の達人の日系老人がいじめられっ子に空手を教えるという設定の「ベストキッド」も新作ではジャッキーチェン演じるカンフーの達人の話になっていた。こうした映画の設定の変更ひとつをみても、日本から中国へというアメリカ大衆の関心の動向が反映されているのかもしれない。そしてその「中国」は「ベストキッド」でも「グリーンホーネット」でも、途方もない力を秘めたミステリアスな存在として描かれている。映画のような大衆娯楽にも、勃興する中国に対する畏怖と不安が反映されているとみるのは考えすぎだろうか。
2011年01月29日
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昨日チャンネルを適当にまわしていたら介護についての番組をやっていたのでしばらく見ていた。なんでも介護業界の若手起業家達に斬新なアイディアを語らせ、それを持ち上げるようなつくりだったと思う。企業家達はいずれも小才のありそうな若者だったが、ついあのグッドウィルの折口社長を連想するのは偏見なのだろうか。こういう人々が介護業界に目をつけるというのはよほどこの業界にメリットがあると感じるのだろう。*でも、介護が確実に利益を生むとしたら、それは背景に潤沢な公的資金があるからで、そしてその出どころは税のように強制的に徴集される介護保険である。またぞろ介護保険料の値上げという議論もあるようだが、たぶんいくら保険料を値上げしてもその利益はこうした介護業者の懐に入り、介護労働者の処遇改善にも、そして介護される者の環境改善にもあまり役にたたないような気がする。*ある介護業者は「老人の幸福を自分の幸福と感じられないような人は介護に向かない」と言い、それが名言のように引用されることもあるが、これは別の見方をすれば介護労働者の処遇改善にはあまり熱意はないことを表明しているようなものではないか。医師のように充分な処遇や地位のあたえられている職業ではこういう言い方もありかもしれないけど、介護のように処遇の劣悪さが問題になるようなものについて、こういう言い方をするのはふさわしくない。ましてやこの業者は介護以外の業種も行っているが、そこでは労基署にかけこんだアルバイト社員を即効解雇したなどという話もある。介護労働者の処遇改善に関心のない経営者こそ介護業界に入る資格はない。*介護保険料という形で税金同様の強制徴収を行いながら、事業は民間にまかせるという介護保険制度。これは結局のところ失敗だったのではないか。医療や教育でも純然たる営利企業は参入していないのに、介護にはなぜ営利企業の参入を認めたのだろうか。介護業界での企業家など介護を食い物にしている第二、第三の折口にしかみえないし、そうした事業者の下ではいくら介護保険料をあげても、それはこの方々の金満生活に費やされるのが関の山だろう。介護について介護保険料といういわば公的な金を使うのであれば、介護そのものも公的部門でおこなうのが筋ではないか。もちろん公的部門にすれば役人が施設の長に来るということもあるかもしれない。でもそれは業者と違い、その給料はすべてガラス張りである。また、介護労働者から施設長になるコースを設定することも、公的部門なら可能となる。3Kといえば3Kだが、ゴミ収集などの分野では人手不足ということはきかない。それは公的部門だからであって、公務員の異動サイクルの中で人を調達するからである。費用は介護保険料で賄うとしても、介護も同様に公的部門とし、将来自治体の幹部になるような人にも、一度は介護を経験させるというのも、それはそれで意義ある。第二、第三の折口のような人物の跋扈を許し、介護に人が集まらなくなればインドネシアからでも人を集めようという発想ではいつまでたっても日本の介護はよくなりはしない。
2011年01月29日
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サッカー日韓戦で韓国選手が日本選手に人種差別的パフォーマンスを行ったというので話題になっている。http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/n_soccer_korea__20110127_13/なんとなく思うのだが、韓国人はけっこう排他的で人種差別意識が強い。なにしろ新聞のような公的メディアにも「わが民族の優秀性」とか(外国人を妻に迎える国際結婚が少ないことに関し)「血統を重視する我が国では外国人妻の入る余地はない」などといった言辞が堂々とでるくらいなのだから…。だからこの「人種差別的パフォーマンス」というのもその延長と思っていた。ところがこの「人種差別的パフォーマンス」というのは欧米で東洋人を侮蔑するときに行う猿のパフォーマンスだったというのだからよくわからない。そんなパフォーマンスがあったこと自体初耳だし、別に東洋人が猿に近いとも思えない。それに第一、もしその「東洋人を侮蔑する」というパフォーマンスを当の東洋人選手がやったのなら、それは自分が自分に向けてやっているだけのことで、周囲は腹をたてるよりも笑えばよいだけのことだろう。相手の日本人選手も含め、怒っている人はあまりいないのではないか。*このパフォーマンスなるものもそうなのかもしれないが、欧米には異人種を猿にたとえて侮蔑する文化?があるようだ。そう考えてみるとあの「猿の惑星」など堂々たる人種差別小説であるともいえるのかもしれない。一般小説なら物議をかもしてもSFという仮面なら許される。もちろん翻訳で読んだので原文を確認したわけではないのだが、猿に支配された惑星の人間を「白人」と表現した箇所があり、それで「猿」が何を例えているかがすぐにわかってしまう。ここで面白いのは、猿が支配権を握った猿の惑星では科学技術をはじめとする文明の進歩がすべて停滞してしまうことである。ここに近代技術や学術文化を築いてきたのは自分たちなのだという欧米人種の自負をみる思いがする。よくいわれる世界史上の謎、中国文明はなぜ何千年も停滞したのか…という設問にも本当は誰も口にださない人種差別的な回答があるのだろう。**国債下落に関する「疎い」発言など菅総理の言動はますます悲惨になってきている。なんかタボス会議に行って日本の開国について発言するつもりらしいけど、お願いだからやめてほしい。共通語が英語の会議で日本語原稿棒読みではみっともないという理由だけではなく、国内のコンセンサスのないことを国際会議で表明することも不利益が大きすぎるからだ。たぶん「日本の開国」発言はルーピーぽっぽの二酸化炭素25%削減発言と同様、満座の支持で迎えられるだろう。それは諸外国の利益になるからである。しかしそのTPP参加が日本国や日本人の利益になるかどうかはまた別だ。幕末の開国は近代化の必然的な過程であったが、それでぱっと明るくなったというのは嘘で、しばらくは物価が上がり国内の財は流出し、人々の暮らしは塗炭の苦しみとなった。それで関税自主権の回復というのは明治期を通じての外交の悲願となったわけである。TPPも、もしかして普通の日本人の生活を地獄におとすものかもしれない。少なくとも、もう少し国内で検討議論する必要がある。
2011年01月28日
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どんな時代でも言葉だけは美しく元気のよいものであるはずの施政方針演説。それなのに現総理の施政方針演説だけは暗く元気のないものに感じるのはなぜなのだろうか。一つの理由はたぶん「最小不幸社会」という言葉にある。この言葉には(SOWONさんが書いていて同感)、多少の不幸は我慢しろ、仕方がないというニュアンスがある。そしてその不幸というのは強者が我慢するというのではなく、弱い者がますます追いつめられるという意味での不幸であろう。*それだけではない。「国民への御負担」というように言葉のはしばしに消費税増税を念頭においている。税には大きく二種類あって担税能力にかかわりなく同じ金額、同じ比率で負担するものと、担税能力に応じて、すなわち高所得者や資産家ほど多く負担するものとがある。消費税は前者の典型で、逆進性がきわめて強い税制である。この税が頭からダメというのではないが、少なくともこの税の逆進性を緩和するような施策が税制全体、労働政策、福祉政策などで総合的に行われないと、ゆきつくところは弱者を追い詰めるだけの結果となる。「広く公平に負担する消費税こそが最も公平な税制」、こんなマスコミのきまり文句にだまされてはならない。「平成の開国」という言葉もTPPを念頭においたものだろう。これについて、いったいなぜTPPというあえてわかりにくいアルファベットが使われ、広範な影響のうちの農業への影響ばかりが報道されるのかよくわからない。影響は農業ばかりではない。安い製品が入ってきてすべての産業に打撃をこうむるばかりでなく、労働力流入による失業や雇用不安はますます深刻化することだろう。この問題は、もっと議論検討が必要である。*そしてまた、雇用の問題をいいながらも、具体的な施策は、介護の場での雇用創出といっていた前総理とあまり変わらない。多くの人が失業や不安定雇用などで、将来に希望を見出せない状況に置かれていることを総理はどう考えているのだろう。**昨日、秋葉原の通り魔殺人犯への求刑があった。これを報ずる朝刊で被告人の肩書が「元会社員」となっていたのにどうにも違和感を感じる。会社員といえばサラリーマン。では被告人は元サラリーマンだったのだろうか。そうではない。派遣社員として自動車工場で塗装のチェックを行っており、事件の直接のきっかけも派遣切りへの不安と人生への絶望だった。たぶんこの事件の本質は派遣切り殺人事件…それなのに被告人の肩書を元会社員としてしまえばその本質は見えなくなってしまう。
2011年01月26日
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ある大新聞がTPP、消費税導入などの重要施策について総理に提言を行ったという。http://plaza.rakuten.co.jp/mz5na/diary/201101240000/この間は別の大新聞が大連立を提唱したなどという話もあった。これらはいずれも事実を報道し、それにより「権力者の監視を行う」というマスコミの役割を大きく踏み越えるばかりか相反するものだとしか思えない。それほど歪んだ報道や特定の見方を押しつけながら、自分たちのような「知的に訓練された」者の解説や分析を経なければ大衆には事実の判断ができない…などと全くよくいうとしか思えない。これでますます新聞の社説やテレビのニュース番組など見る気がなくなった。*あくまでも見るのは生の情報、そして生の事実。マスコミの解説など、どうせバイアスのかかったものとして留保つきで接するのがよいだろう。その生の情報の一つである総理の施政方針演説であるが、全く読むにたえない酷いものだとしかいいようがない。「最小不幸社会」なんていう元気のでないフレーズをまだいいつづけているのもげんなりするが、あからさまにTPPや消費税導入を謳っているのも某マスコミのあとおしに安心したからかなどと思ってしまう。でも消費税導入をいうのだったら子供手当のようなバラマキも見直さなければ変じゃない。子ども手当は最近になってようやく両親のいない子にも導入されるのだという。某知事やスポーツ選手やタレントの子には付されるのに、孤児にはなかったなんて…本当にへんてこりんな制度だ。
2011年01月25日
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日本国憲法はよく「押し付け」憲法だといわれる。実態としてはGHQから案が送られてきたということがあり、その意味ではまんざら誤りではないのだが、一方では当時の国民がこの憲法を熱狂的に歓迎したという事実もある。GHQの関与があったという意味では押し付けだが、当時の国民の意思に合致していたという意味では押し付けではない…といったところだろうか。それにまた、国民の側からすれば重要なのは内容であって、原案を最初に作ったのが日本人だったか外国人だったかなんてどうでもよい話。明治憲法は伊藤博文ら4人の頭脳が夏島の別荘に集まって徹底的な秘密主義の下に立案に最後までその内容は国民にはふせられていた。国民からみれば明治憲法だってやはり「押し付け」だったのである。もっとも当時の善男善女達は憲法の内容も知らずに「絹布の法被」を政府が下賜すると勘違いして喜んでいたなんて言う話もある。*さて、その日本国憲法であるが、GHQの案にはなく、国会での議論の過程で日本人(当時の社会党)が挿入した条文がある。それが憲法25条、生存権の規定だ。ワーキングプア、名ばかり正社員、過労死、月給15万円の介護職員、水際作戦、餓死・凍死、ホームレス、ネットカフェ難民、無縁社会…今日の様々な問題を考えた場合、この生存権の条項、そしてこれこそはGHQの「押し付け」ではなく、日本人自らが入れた条項であることを今一度考えてみてもよいのではないか。憲法25条が関係する法律は生活保護法だけではない。労働法制、雇用法制も広くこの25条の趣旨が反映されるべきものであろう。*生活保護費が3兆円を超えたことを受け、政府は期限付きの生活保護の検討や就労支援に力を入れていく方針だという。期限付きの生活保護などありていにいえば棄民政策であり、就労支援も効果が疑わしい。失業問題は椅子に座りたい人と椅子の数とのギャップできまる。就労支援というのは椅子に座りたい人に「効果的な椅子の見つけ方」を指導するだけのことで、社会全体の椅子の数がかわらなければそんなものはなんの解決にもならないではないか。あの憲法9条については様々な会があり、最近では9条の歌まであるという。これに対して憲法25条の会というのはあまりきかない。でも、こんな時代だからこそ、もう一度憲法25条を皆で思い起こしてみればどうなのだろう。新自由主義の弊害が世界中で問題となっている今日、日本人が日本人自身の手でこうした条文を憲法にいれたことがちょっと誇らしい。憲法25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
2011年01月24日
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最低最悪の政党というものがあるのなら、今の日本の民主党なる政党がまさにそれだろう。もっとも、政権のうまみにありつくために有象無象が理念もなく集まっただけの集団なので、「政党」という定義に該当するかどうかも疑わしいのだが…。こんなものをもちあげ報道したことはまさにマスコミの劣化を象徴していたし、こんなものに投票する有権者が相当数いたことも国民のレベル低下を象徴していた。この国民にこの政府あり。国が没落し沈んでいくときというものはこんなものだろう。ローマ帝国もパンとサーカスに人々が踊っているうちにあっというまに滅亡していった。*消費税増税が既定路線のように語られているけど、一方で「子供手当」なるバラマキは維持されるという。この「子供手当」と「高校無償化」、そして「高速道路の無料化」などの壮大なばらまきについては手を付けずに、消費税増税だけが議論されることをどうして誰も不思議に思わないのだろうか。それとも今の政権にとって「子供手当」などの個別のバラマキは選挙対策としての聖域なので手がつけられないとでも…。そしてまた法人税減税も当然に消費税増税とセットで議論しなければならないのに、こちらの議論はまるでないという不思議。マスコミが騒がなければそれは「問題」ではなくなってしまうとでもいうのだろうか。*その国家の政策がどの程度成功しているかは民の暮らしをみればわかる。国見をして民の家々から竈の煙のたつのをみて満足したのは昔の為政者だが今はどうなのだろう。生活保護費はついに3兆円を突破し、自治体財政は火の車だという。食えない民、竈の煙のたたない家が増えているわけである。その生活保護の内訳は生産年齢人口の失業者の増加によるところが大きい。http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006このため国では生産年齢の者については期限付きの生活保護を検討し、就労支援を行うかわりに期限が来たら生活保護を打ち切ることも検討中だという。今でも生活保護を拒否された30代や40代の者が餓死するなどの事件がある。失業者に対する支援は充分でもないのに、生活保護までも期限付きとしたらどうなるのだろうか。自殺、餓死・凍死、刑務所。生活保護以外での困窮者のゆきつく先はこんなところだろう。期限付きの生活保護を導入したら、他のところが増えるだけのこと。もちろん自殺のまきぞえや犯罪被害なども増えていくわけで、「オイラは勝ち組。負け組のやつらが凍死しようが餓死しようが知ったこっちゃない」などといっている人も他人事ではない。*こうした困窮者の数、生活保護を必要とする人々の数は、今後もますます増えていく。というのは若年層の低所得者や無業者などその予備軍は非常に多いからである。彼らの多くは親の持家に住み、年金などの収入のある親と同居しているため、今のところは貧困者としてでてきてはいない。でも彼らの親が高齢化し成人した子供を扶養できなくなるのも時間の問題だ。そのときにはいったいどうなるのだろう。いよいよ国家が沈む時ではないか。今のピエロのような政権、ピエロのような総理は国家滅亡の前奏曲のようにもみえる。
2011年01月23日
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坂道の名前には興味がある。ときどき坂の名とともにいわれを付した道標がたっていると必ず読むようにしている。そういう人にとっての垂涎の本「江戸の阪、東京の阪」(横関英一)が復刊したのでさっそく買って読んでみた。古い写真とともに様々な坂名についての解説が出てくる。*なかでも目から鱗という感があるのは「芋洗い坂」だ。なんとなく芋洗い坂というとそこで芋を洗っていた川があったからだろうくらいのイメージしかなかったのだが、よく考えてみると、なぜ芋だったのかという疑問がわく。芋洗いがあるのなら大根洗いやゴボウ洗い、そして小豆洗いなんてのもなければ変…。でも、この芋というのはもともと疱瘡を意味する「いも」で疱瘡が怖ろしい病だった時代に、疱瘡を予防したり軽くすませる神社に由来する坂名なのだという。そんな神社にはたいてい泉や池、川があり、そこで疱瘡の予防や治癒を祈願した。種痘の普及で疱瘡が脅威でなくなると、神社も自然、疱瘡よけの神から別の神に変わっていき、ときには神社の名称も変わる場合もあったという。笠森稲荷はもともとは瘡(かさ)守だったというし、その伝でいけば小生の家の近くにある烏森稲荷も同様なのかもしれない。*時代とともに人の願いも変わり、神社の御利益も変わる。火の神を生んだ後苦しむイザナミの命の吐しゃ物から生まれたという金山彦命、金山姫命はもともとは製鉄の神であったが、その後は大型機械の神として自動車メーカーなどの尊崇を受け、さらには金つながりで投資の神にもなっているという。今では疱瘡よけの御利益はお役御免なのかもしれないけど、それなら種痘発見者を神としてまつった神社がなければおかしいようにも思う。疱瘡が怖ろしかった時代にはあんなにお参りしておきながら、それが克服されれば知らんふりというのも、いかにも恩知らずではないか。優れた人間を神としてまつるのは日本の伝統だし、現にドイツの医学者のコッホを祀った神社もあるのだから。http://plaza.rakuten.co.jp/aisya96/diary/201002150000/*話が横道にそれたが、ただ、この本を読んでもなお疑問というものはある。というよりも、この本はあくまでも古文献をもとにした実証主義に徹し、派手な仮説や推測がひかえめな分だけ、疑問のままになっている部分もまた多い。芋洗い坂には一口坂という字があてられることもあるというが、なぜ一口がいもあらいになるのか。その解説はなかったように思う。また、禿坂はかっぱが出たという話にもとづき、かっぱを意味する禿(かむろ)という名がついたというが、それではより一般的な名称であるかっぱ坂というのはなぜないのだろう。それに、もともと水に住む妖怪であるかっぱなら、禿坂の何倍もの禿橋や禿池がなければ変なのにそうしたものはあまりきかない。東京にいくつかあるやかん坂の名はやかんの化け物がでたという話から来たというのにいたってはもっとわからない。「やかんの化け物」がそんなに一般的だとは思わないし、そもそもやかんの化け物なんてものがあるのだろうか。やかんの形状がそれほど人の恐怖心をよびおこすものにはどうしてもみえない。やかんの化け物からきたやかん坂なんてものがあるのなら、より一般的な化け物の名をとった「傘坂」や「ちょうちん坂」だってなければおかしい。やかんのお化けがでたからやかん坂なんてのは無理がありすぎで信じがたいのだが、さて、真相はどうなのだろう。*とはいえ、この本は坂学の古典ということらしく、話のタネにもなるし、読んだ後の疑問や想像もふくらむ。面白い本で、ぜひおすすめである。**今の民主党政権の惨状には責任者出てこいという気持ちでいっぱいだ。子ども手当や高校無償化などの票目当ての壮大なバラマキをやった後の消費税増税。公務員の採用半減の後に、今頃になっての採用の呼び掛け。いったい何を考えているのだろう。多くの人の気持ちは期待から失望、そして怒りに変わっているのではないか。今朝の朝日新聞の一面は生活保護費が急増しているという記事だった。嗚呼、国家の沈没、社会の崩壊がとまらない…。
2011年01月22日
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作家マーク・トウェインは実生活でもエピソードの多い人物なのだがこんな話がある。雨天の日、召使が靴をみがいておかなかったのを咎めると、召使はこういった。「こんな天気ですから磨いた靴ででても2歩か3歩あるけばすぐに泥んこになっちまいますよ。」その夜、召使が仕事を終え、食事をしようとすると、パンのかわりにこんな紙が置いてあった。「食事をしても明日の夜までにはどうせまたおなかがすいてしまうでしょう」と。*江田法相が死刑制度について「人間はどうせ死ぬべき存在なのだから、あわてて死刑を執行する必要はない」と言った話をきいたとき、上記のエピソードを思い出した。どうせすぐに汚れてしまうのになんで靴をみがくのだろう。どうせまたすぐにおなかがすいてしまうのになんで食事をするのだろう。人間なんて最後は死んでしまうものなのになんで死刑にするのだろう。人間なんて最後は死んでしまうものなのになんで延命治療をするのだろう。人間なんて最後は死んでしまうものなのになんで病気を治さなきゃなんないのだろう。いや、そもそも人間なんて最後は死んでしまうのになぜ生まれてきたのだろう。なぜ生きているのだろう。考えれば考えるほどわかんなくなる。*死刑制度の是非については何もいうつもりはない。でも、最近まで犯罪被害者の会「あすの会」の会長をされていた弁護士の方もかつては死刑廃止論者だったという。それが愛妻を殺害されたら、とたんに考えを変え、厳罰論の急先鋒にたつようになった。法廷では亡妻の写真を掲げ、熱心に犯人を死刑にすることを訴えたという。この方の活動には敬意を表するし、こうした影響力の強い人物の精力的活動がなければ「犯罪被害者」に光があたることはなかったかもしれない。ただそうしたものをわりびいても、自分の体験の有無でころりと考えが変わるのは「美しい」ものではない。常人より知能は高いだろうけど法曹もしょせんは人間。自分が泥棒に入られてから窃盗に対する判決が厳しくなったという裁判官の話も「法窓夜話」にはでてくる。裁判経歴もおありの江田法相はどうなのだろう…。
2011年01月22日
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あの名作戯曲三人姉妹にこんな場面があった。三人姉妹の家に昔から雇われている召使は今はすっかり年老いなんの役にもたたなくなっている。でも、姉妹は彼女をずっと家においているわけだが、弟の妻だけはそれがさっぱり理解できない。効率や経済だけを考えたら老女を置くのはマイナスの行為でしかないのだから…。こういう三人姉妹と老女のような主従関係は日本にもけっこうあったのではないのだろうか。使用人といえば家族も同じ、一家と同じという感覚である。そういう土壌がさしたる役にもたたない社員に定年まで給与を払うという企業文化にも関係していたのかもしれないけど。*こうしたいわば温情をたちきり、企業経営の合理化を追求したのがあの1995年に財界がだした新しい時代の日本的経営だろう。http://www.h5.dion.ne.jp/~hpray/siryou/shakaikeizai/nikkeiren21.htm非常に合理的に考えればこういうことになる。正社員として年功序列、退職金の保証のもと生涯を会社に捧げてもらうのは「中核的正社員」だけでよいし、他は使い捨ての労働力として買いたたいていればよい。もちろん「中核的正社員」は日本人である必要もないのだから優秀な留学生がいればそうした人もどんどんといれる。中核的正社員といえども、何十年も会社にいる必要は必ずしもないのだから。*企業としては最善の選択だ。これで株主は潤い、役員などは億単位の報酬を受ける。でも、企業も社会の中の存在であり、雇用者も一歩外に出れば消費者であり、社会の一員だ。人間をどんどん使い捨てるからモノを買えない人々があふれていく。それでモノが売れないと嘆き、安売り競争にまい進する。一食200円の牛丼、1000円の服…これでは文化もなにもあったものではない。でも、文化を楽しみ余裕のある大衆がいなければ食文化も含め「文化」などは生まれないのだから。不安定雇用者や無業者の増はそのうち社会も壊していくだろう。結婚もできない人々の増加による少子化は経済停滞の原因というよりもその結果である。すでに子供をもっている人に手当てと称して金をばらまくのは愚行でしかない。*企業にとっての最良の選択が社会全体からみればマイナスになっていく。かつてはこうしたマイナスを防ぐ装置があった。それは国外の冷戦構造であり、国内でも社会党のような経済的弱者の側にたつ政党が一定の地歩をしめていたことである。算盤と論語は渋沢栄一だが、経営者が今よりも道徳的だったというよりも、貧困層を大量発生させるような施策をとることに対する怖れがあったためだろう。新自由主義政策の行方に危機感を感じるのであれば、希望を託す政党は民主党ではなかったはずだ。
2011年01月20日
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ひとしきり雇用、雇用と騒いでいた菅政権だが、最近では消費税増税とTPPにまい進といったところのようだ。主要紙の声をそろえての翼賛社説もこれを後押しするのだからどうしようもない…。さて雇用の方だがあの就職氷河期よりもよほど実態は深刻のようである。こんな状況を反映して最近の神社には就職祈願の絵馬が目立つというが、今までなかった就職祈願なんて神頼みの領域が出てきたこと自体に雇用の問題が新たな局面に入ったことを示しているのではないか。戦前にも「大学はでたけれど」という時代はあったし、終戦まもない時期だって就職は大変だったろう。でも、そういう時代には、まだ農村共同体があったし、自営業を営んでいる親戚なんてのもけっこうあった。職がなければ農作業を手伝えばよい、親戚の会社を手伝えばよい。全部ではないがそういうセーフティネットを持っていた人もかなりいたのではないか。それを考えると今の事態は深刻である。求職者支援などの動きもいろいろとあるようだが、椅子にすわりたい人の数と椅子の数とが変わらない限り、座りにくさは同じである。卒業から三年以内を「新卒扱い」にしようが、就職活動の時期を遅らせようが、求職者に面接等の指導をしようが、なんの解決にもならない。テレビで就職に苦戦している学生の映像が流れていたが、そう思ってみるせいか、要領の悪そうな学生、不器用そうな学生、友人が少なく人付き合いが苦手そうな学生がはねられているようだ。あと特に女子の場合には容姿も大きい。よい悪いは別にしてかつての就職では大学の偏差値や成績で左右されたが、おそらく今は高度な専門知識でとる技術系は別にすれば、偏差値や成績だけではさしたる武器にはならない。なんというか、面接で受けの悪そうなタイプは徹底した性格改造にとりくむか、そうでなければ、身の丈にあった資格などで生きていくことを考えた方がよい。公務員試験というのもあるが、それも2倍、3倍の面接で最後は決まるようなので、いくら筆記試験をがんばっても、最後の結果は民間と同じことだろう。なんとも生きにくい時代になったものである。就活生に鬱になるものが多いというが、真面目に生きてきて、最後に社会からはじかれたら、そりゃそうもなるだろう。いったいなぜこんなに就職が大変になったのだろう。大卒の質低下ということがまことしやかに言われるがそれは違う。大学進学率は上がり、たしかに若年層自体は減っても大卒の数は増えている。当然、全入に近い大学もあるわけだから質も低下しているだろう。でも、そうした大卒の数が増えたことが原因であるのなら、逆に高校の方は売り手市場になっていなければおかしい。ところが実態は高校も大卒同様の就職難である。就職難の原因は「椅子」の数が減ったということに尽きる。そういう意味では1995年に経済団体が発表した「新時代の日本的経営」というのがターニングポイントになったように思う。http://www.h5.dion.ne.jp/~hpray/siryou/shakaikeizai/nikkeiren21.htmこの中で終身雇用として会社に置くのは基幹的社員だけでよく、他は外部労働力でまかなうべきであるとした。こうした経済界の意向を受け、派遣法の改正などの雇用法制の規制緩和が行われ、「椅子」は少なくなっていったわけである。この「新時代の日本的経営」での労働力を三つにわける方向は、そのまま現在の基幹的正社員、定期昇給なしで過酷な残業を強いられる名ばかり正社員(使い捨て正社員)、派遣・バイトなどの外務労働力という区分にほぼ対応している。民主党政権は自民党政権と同様、雇用の問題にまともに取り組むつもりなどはない。法人税減税が雇用の増加につながるなどというたわ言もちょっと聞こえていたようだが、法人税減税後も就職は依然として厳しい。「正社員」の椅子は限定されており、それも、外国人留学生で埋めようという動きも加速しているようなので、これからは相当数の人が名ばかり正社員や不安定雇用者、ワーキングプアや失業者、無業者といった人生を強いられるようになるのではないか。これでは将来、社会が崩壊し、国家が沈没するのもやむをえないような気がする。
2011年01月19日
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ネット社会のよいところは、権威あるものとされていたマスコミ様ばかりでなく、知的訓練をうけていないとそのマスコミ様のいう大衆の一人ひとりが情報を発信できるようになったこと…。だから意図的かどうかは知らないけどマスコミが決して報道しないような情報だってたやすく手に入れることができる。マスコミだけをみても何もわからない。だって、消費税増税の翼賛報道はしても、その消費税が多くの国で生活必需品とそれ以外で区分されている事実はほとんど報道しない。二大政党を先進国の共通スタンダードであるかのように報じても、多くの先進国は多党制であることはろくに報道しない。村野瀬怜奈さんのHPで紹介しているヨーロッパの先進国の事情は日本の状況を考える上でも示唆するところが多いように思う。http://muranoserena.blog91.fc2.com/「社会全体がその構成メンバーに居場所を与えている時に私はフランス人であることをうれしく思う」。このページにはこんな言葉も出てくる。深く考えるべき言葉である。多くの人々が就職難や失業で社会からはじかれていると感じる時、そういう人々はその国家やその国民であることに誇りを持つのだろうか。一部には国家や民族しかよりどころがないとばかりに、そちらに傾斜する人もいるかもしれないけど、多くはきっとそうではないだろう。多くの人が社会での居場所がないような状況では、いくら学校などで愛国心や国民の誇りを教えたところで無駄であろう。そういう意味で安定した立憲君主制が格差の少ない北欧社会でしかみられないこともけっして偶然ではないように思う。*前にも書いたが中目黒の老夫婦殺傷事件の現場は自転車でもよく通るあたりだ。捜査はどう進行しちるのかしらないけど、またわすれられた頃に似顔絵公開、ビデオ公開なんてことになるのではないか。無縁社会とは言え、全く孤立している人はそう多くない。よく行く店の店員などは必ず顔を覚えているはずだ。時間がたてば人の記憶も薄れ、周囲の状況も変わっていく。自分が手を下した殺人者はたぶん今も不安にさいなまれているだろうけど…じゃあ、我々は本当に殺人とは無縁なのだろうか。この冬はラニーニャ現象とやらでことのほか寒さが厳しいという。路上や孤立したアパートなどで凍死していく人もけっこうでるのではないか。そうしたときに水際作戦で生活保護申請者をおいかえした市町村職員。路上生活者を軒先からおいやった商店主は痛みのようなものを感じないのだろうか。そしてまた貧困は自己責任だとばかりに新自由主義や市場原理主義を標榜している人々も…。
2011年01月18日
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ある評論家の方が「長生きをしたい」と公言しているらしい。心にもないような夭折所期を書いた兼好法師などよりも正直で好感が持てるが、その「長生きしたい」理由というのが面白い。「長生きすれば死ぬのが怖くなくなるから」だという。ということはこの方は現時点では「死ぬのが怖い」ということを認めているわけで、ますます率直だ。はっきりいってこの方の政治経済に関する言説にはさっぱり共感しないのだが、この率直さは評価する。死ぬのは怖いなんてあたりまえのことだが、このあたりまえのことすら、カッコつけてそうではないように公言する人のなんと多いことか…。*ところで「長生きすれば死ぬのが怖くなくなる」というのは本当だろうか。認知症になればたしかに怖くなくなるのだが、そういう場合は除く。健康で死が観念の中にしかない人間と、実際に難病にかかって死を身近に感じている人間とどちらが死の恐怖を強く感じているのだろうか。たぶん後者ではないか。そうだとしたら、高齢になり、死を身近に感じれば感じるほど死は怖ろしくなるようにも思うので、長生きすれば死ぬのが怖くなくなるというのも一概にはいえないような気もする。*それにもし充分に高齢になるまで生きれば死の恐怖がなくなるという仮説が本当だとしたら、すごくおそれ多いことにはたと思い当たる。昔むかし、生病老死の苦悩を逃れるために何不自由ない高貴な身ながら出家した人がいた。修業のはてに悟りをひらき、死の恐怖も苦悩も完全に克服して眠るが如く永眠したという。古来その死は理想とされ、我が国の歌人にも自分もかくありたいという気持ちを歌に詠んだ人もいたくらいだ。願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃…如月の望月は2月15日、涅槃忌である。何百年も何千年もの間、その平安な死は悟りや修業の成果だとされてきた。でも、本当のところは、それって単に充分に長生きしたからではないのだろうか。医療も未発達で疫病もまん延していたような時代なら、80歳というのは常人ではとても考えられないような長寿だっただろうから。*おそれ多いついでにもう一つ。上記の人物と同様に何百年、何千年も尊崇されてきた聖人も、70歳になったら「心の欲するところに従って矩を超えなかった」という。これも学問にはげみ修養をつんだ成果だと解されてきた。でも、人間70歳を過ぎれば性欲も食欲も衰えるのは当然である。ましてやアンチエイジングもスポーツジムもなかったような古代社会ならなおさらだろう。70歳の老人が美女を見ても御馳走を見ても「矩を超えない」のはあたりまえで、それは生理的現象であって、学問や修養の成果とは関係がないように思う。*結論。健康に留意してせいぜい長生きしましょう。世の中に 長生きよりめでたきものはなし 悟りも不矩もそのうちにありねがわくは 八十路をこえて のち死なむ 死への恐れも消えると思えば
2011年01月17日
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やれやれ、またこんなマスコミの選民思想まるだしの記事が…。http://mondo-n.iza.ne.jp/blog/entry/2107409/さすがにマスコミ自身が書くのは気がひけたらしく、マスコミにのっかっている売文業者の筆をかりていっているのだが、なんでも「知的訓練をうけていない大衆」が情報を発信するのは問題が多く、ネット時代でもマスコミが権威をもつべきであるというのがその趣旨である。*こんな記事が出る直接の契機は有名人のデートをツィッターで報告した事例があったということらしいが、今まで、マスコミはこれどころではない人権侵害を何万回とやってきたことについてはどう考えているのだろうか。有名人のデートの暴露が問題ないとはいわない。でもそれはいわゆる「有名税」の範囲ともいえる話で、一般人がネットで暴露するようになる前にも芸能マスコミは似たようなことをやってきた。こうした有名人の私生活暴露以上に問題なのは一般人、特に犯罪被害者などに対する人権侵害だ。これについて今までマスコミのやってきたことと言ったら酷いというしかない。具体的にいってしまうと米兵による女性暴行事件で写真週刊誌の女性記者が被害者を追いまわし、あげくは写真までとろうとした人権侵害事件があった。大学生による酒の席での暴行事件で被害者が告訴をしたらマスコミが殺到し、恐怖を感じた被害者が告訴をとりさげたことがあった。長期間監禁されていた被害者が自宅周辺のマスコミ取材が酷く、せっかく保護されたのに何カ月も自宅に帰れないことがあった。芸能人でもスポーツ選手でもない、こうした弱い立場の一般人に対しなされた人権侵害にマスコミから反省の言葉が聞こえてきたことはほとんどない。いっとくけど「報道被害」は自然現象でもなんでもない。マスコミが加害者なのである。*こうした人権侵害は別にしても政治や経済についてもマスコミの報道は歪んでいるとしか思えない。各紙足並みをそろえての消費税翼賛報道も異常なら、まるで自民党と民主党しか有権者の選択肢がないかのような報道姿勢も目にあまる。ある大手新聞社は監査役に元経団連の会長をいれたというが、これでは報道や論調が財界よりになることは否定できないだろう。おそらく他紙も事情は似たり寄ったりだと思うし、それでなくとも、広告収入などでマスコミはスポンサー企業の意向を無視できない。マスコミ報道は最初から公平でもなんでもないのである。*そんなこんなを考えてみると、仮にマスコミの方々が「知的訓練を受けている」としても、知的訓練を受けていない私ども一般大衆が、マスコミの発信する情報や論調を「権威あるもの」と受け取る必要があるのだろうか。権威として情報を受け取るということは、その情報に対して盲目になるということである。ありていにいえば、A新聞がこう言っているからこうなのだろうと考えたり、新聞はみなこういっているからこうに違いないと判断するということである。情報を受取る場合には盲目になってはならない。新聞情報にすべて反発しろ、嘘だと思えとはいわないけど、権威として受け止める必要もまたさらさらない。要は自分の頭で考えろということである。
2011年01月16日
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最近の詐欺事件で「円は近いうちに紙屑になる」と不安を煽って巨額の金を集めた事件があったという。騙される方も騙される方というより、この円が近いうちに紙屑になるという言葉を相当数の人が信じたということを重く考えるべきではないか。マスコミが報道する以上に日本の将来に悲観的な見方をしている人々が多くいるということなのだから…。*昭和30年代や40年代の頃はもっと貧しかったという人はいる。格差も今とは比較にならないほど酷かったということをいう人もいる。でも同じ坂道でも上り坂と下り坂とではまるで違うということだ。貧しくとも将来に希望があれば、人はそれほど自棄的な行動はとらず、それなりに自己を律していくものだ。昭和30年代の頃も貧乏な人はいた。でもそうした貧困層のほとんどに家族がいて、そうした家庭の子供たちは自分の努力と資質次第で「県立第一高校」から一流大学にすすみ、高収入の職につくことができた。そしてまた貧困層の生活自体も次第に底上げがされていった。生活保護世帯でも去年まではなかったテレビが今年は置かれるようになる。そんな時代でもあった。国が上り坂のときには新しい世代から恩恵を受けるようになる。老人世代は農村で泥まみれになって農作業をしていたが、都会にでた若者達は消費生活を謳歌しはじめていた。海や山でレジャーに興ずる若者の様子がニュースなどでもさかんに報道され、若者の間で海外旅行がブームになると、「そういうものは親を行かせてから自分が行くべきではないか」と批判した評論家もいた。*そうした時代に比べると今の貧困とか格差は全く別物だというのがよくわかる。貧困はバブル世代やその上の世代をも直撃しているので、単にロスジェネ以降だけの問題ではないが、金がなく結婚もできず、子どもも持てないという人々が大量に発生しているのは初めての経験ではないか。少子化というのは経済停滞の原因ではなく、その結果である。休日など映画に行っても、外食しても、若者の姿はあまりなく、明らかに若年向けの映画であっても、若い人よりも暇つぶしにきているような老人の一人客の姿が目立つ…。それもそうだろう。職のない若者や求職中の若者は娯楽とは縁がなく、名ばかり管理職、名ばかり正社員の状況ときたら1日10数時間の労働、休日もなしといった、小林多喜二の「党生活者」にでてくる工場労働者(彼らは勤務後、観劇し、しるこ屋によることができた)よりもよほど酷い状況なのだから。*最近、駅構内の風景がとみに変わってきた。なんとなく殺風景だなと思ってみると、広告スペースが空白という箇所がすごく多いのである。企業が経営が苦しく支出を減らそうとしたら、まず人件費、広告費といったところだろう。人件費の削減は雇用不安や賃金低下、サービス残業などの労働条件低下を招くが、広告費削減は小さな広告代理店やその関係者の失職をまねく。小人閑居して不善をなす…古来為政者にとって失業対策は最大の政治課題であったが、それすら今の政府は自己責任論できりすてようとする。詐欺師の近いうちに円が紙屑になるというのは嘘だったが、今が最後の円高で、日本株は将来暴落するという話には真実味がある。その後で残るのは家族も定職もない人々がさまようような今の途上国以下の国だろう。下り坂と光景というものは殺伐として憂鬱である。
2011年01月16日
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しばらく前のことだが、通勤途上の駅入り口で区政アンケートなるチラシを配っていた。中味はなんのことはない民主党区議の宣伝であり、区議会議員専用の駐車場を廃止したことに賛成かどうかとか、区議の報酬を削ることに賛成かどうかとかを調査表形式で聴くものであった。選挙民は区議会議員の専用駐車場の削減とか、報酬の削減とかといった区議の特権の廃止に快哉をおくるものと思っているのだろうか。快哉をおくるという人もいるのかもしれないけど、そんなものは区政の大筋とはあまり関係のないことではないか。*公務員削減、脱官僚、地方分権、無駄削減の事業仕分け…考えてみれば国政で民主党がやっていることも、これと変わらない。雇用、貧困、生活苦といった切実な問題に対してはなんら対処をしないまま、派手なパフォーマンスで目をそらさせ、それをまたマスコミが持ち上げる。そして気がつくといつのまにか消費税増税が規定路線のようになっている。消費税が必要だというのなら、なぜ子ども手当のような壮大なバラマキを今後も続けようとするのだろうか。某知事や某芸能人、某スポーツ選手のような高所得者に子供がいるというだけで税金から金を撒く必要がどこにある?そしてまた、財政が厳しく消費税増税が必要だというのなら法人税を減税したのはなぜなのだろう?翼賛報道しかやんないマスコミは決してこうしたことは書かない。そしてまた消費税を導入している多くの国で生活必需品や食料品と奢侈品とでは税率を変え、貧困層に配慮がなされていることも書かない。*今年は派遣村は行われなかった。しかし貧困の状況は改善したどころかより悪化している。そしてまた労働環境もまた…。ブラック企業の見分け方なる講座が人気らしいが、そもそも未曾有の就職氷河期の中で学生にそれほどの選択があるのだろうか。新卒でも厳しいのに既卒者や中途退職者ならなおさらだ。ブラック企業を見分けることの重要性は否定しないが、じゃあ、ブラック企業に入って苦しむのは見分けられなかった側の自己責任なのだろうか。そうではなく、労働法規違反が白昼堂々と野放しになっているような労働行政の貧困こそもっと問わなければならないのではないのだろうか。*チュニジアでは若者の就職難がひきがねとなった政情不安で大統領が亡命したという。日本はああいう国に比べればまだしも先進国でまがりなりにも民主主義が確保されている。つまり一票一票の集積で政治を変えることが可能なのである。どうして新自由主義や弱者切り捨ての流れに対する反撃が起きないのだろうか。民主党に投票した善男善女の中には勝手に民主党にそんな幻想を抱いて投票し、裏切られた人がいたかもしれない。ならば今度は別の政党に期待すればよいではないか。民主党もダメ、自民党もダメでも、アサヒ社説の言うように「投票難民」になってしまうなんてことはない。政党は民主党、自民党以外にもあるのだから…。(かといって公務員タタキを売りにする新自由主義政党(マスコミは持ち上げるのだが)は全く逆効果。公務員(大半は今でも低賃金)の給与を下げれば民間も下がる、公務員の採用を減らせば民間も減らす(今年の超氷河期がよい例)、公務員をリストラすれば民間もそれに倣い失業問題はますます深刻になるのだから。)
2011年01月15日
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最近話題のタイガーマスクの主題歌「みなしごのバラード」をyoutubeで聴いた。リアルタイムで連載や放映されていたときには殺伐とした格闘漫画というイメージしかなかったのだが、あらためて聴いてみるとかなりの名曲だ。「強くさえなればいい、力さえあればよいと、ひねくれていた僕さ」歌詞にはこんなフレーズもある。強くさえなればいい、力さえあればよい…これって今の平成日本みたい。稼ぐが勝ち。努力したもの(イコール成功した者)が報われる社会を。貧困は自己責任。派遣村の浮浪者に金を使うな。マスコミやネットのコメントをみるとこんな声が充満している。でもそれってなんかちょっと違うのではないか。タイガーマスク現象が話題になる裏にはもしかしたらこんな感覚があるように思う。
2011年01月15日
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最近起きた目黒区の老夫婦殺傷事件の現場は我が家から自転車ですぐという距離である。川を埋め立てた緑道があり、そこからよくみえる瀟洒な豪邸だったかと思うが、あれだったのだろうか。80過ぎの老人がそれほどの怨恨を買うとも思えず、やはり金目当ての犯行なのだろう。金目当てで押し入ったものの意外に頑強な抵抗をされ、逆上というのもありそうな話だ。なんでも格差のせいにする言説は顰蹙をかうのだろうが、格差や貧困の拡大というものは確実に社会を荒廃させる。目黒区は住宅街の多いところだが、それでも緑道や公園ではホームレスやホームレス風の人をみかけることが普通になってきた。それも顔をみると、まだ働き盛りといった年代の健康そうな男性も多い。犯人は宅配を装ったというが、宅配で働く人々の姿をしょっちゅうみかけるようになったのも、ここ10年、20年のことだ。荷物をかかえてかけまわっている人々もやはり30代から50代くらいの男性がほとんどだ。ああいう人々の待遇とか給与というのはどのくらいなのだろうか。郵便はだめで宅配は大成功。だから官よりも民がよいのだ。こんな言説がかつてはさかんにいわれた。でもそれは事業を経営する側、そしてそれを利用する側にとってよかったというだけで、そこに働いている人にとってはどうだったのだろう。宅配だけではないが、安くて便利になったという裏にはそれを支える人々の長時間労働や低賃金があるという場合が多いような気がする。目黒の老夫婦殺傷事件では犯人は何人もの人に顔を目撃されている。早めに情報を公開していけば案外早期に犯人を検挙できるかもしれない。ただ犯人が検挙されてもなにかやりきれなさののこる事件ではないか…。
2011年01月14日
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最近のタイガーマスク現象をみると、犯罪ではなく慈善にも「劇場型」というものがあるようだ。犯罪を起こし、その犯行や脅迫状が報道されるのをみてほくそえむように、全国の「タイガーマスク」達も自分の行為や送った手紙の文面が報道されることに喜びを感じているように思う。実名をだすのはいやだが、匿名で自己主張したい…。そういう意味では劇場型犯罪、タイガーマスク現象、そしてもしかしてネットのブログや日記なんかも同一平面にあるのかもしれない。もちろん犯罪はマイナスだが、タイガーマスク現象はプラスの行為。こうした匿名の慈善をどんどん報道すれば、こうした行為もきっとやむことはないだろう。タイガーマスク、伊達正宗、桃太郎。今のところ「名乗り」は善玉ばかりだが、そのうち悪役を名乗ったものやふざけた手紙を付したものもでてくるかもしれない。それでも報道することで、善意を誘発し、社会全体でそうした施設に対する関心が高まる。それはそれでよいと思う。*この少子化時代だというのに、児童福祉施設はむしろ満杯状態だという。経済的理由で結婚できない若者も多いというが、若い男女の間では自然の流れで子供ができることはある。手間ひまかけて養育される子供がいて幼児の英語教育などがブームとなっている反面で、貧困が背景にあるような児童虐待もあとをたたない。施設などの公的支援を必要とする子供も増えているのだろう。養子や親子にたいする文化や社会通念は国によって違う。最近、新聞の特派員便りで、イタリアでは、外国からの養子を受け入れることが一般的となっている状況についての報告があった。イタリアにかぎらず、欧米の文化では他人の子を養子とすることがわりあい行われているようだ。小公女、アルプスの少女など養子に迎えられることがハッピーエンドとなる物語も多いし、赤毛のアンは養女と養親との交流がテーマにもなっている。日本でも国際養子ということをもっと積極的におしすすめてもよいように思う。血にこだわる文化では幸福になれない子供も、そうでない文化の下では幸福になるチャンスがあるのかもしれないのだから。
2011年01月13日
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まだ日本が繁栄していた時代、ある識者からこんな言葉をきいたことがある。当時は労働者といえばホワイトカラーかブルーカラーかという時代だったのだが、その人によれば今後の労働者は三通りに分かれるようになるだろうといった。すなわちホワイトカラー、ゴールドカラー、ピンクカラーだという。ホワイトカラーというのは、従来型の労働者であり、比較的誰でもできる仕事は途上国の労働者との競争になっていくので、どんどん待遇が低下していくだろうという。ゴールドカラーというのは高度な組織運営や技術専門職などの高級人力。ピンクカラーというのは当時流行りだったカタカナ職業などの感性労働者。ここでいうホワイトカラーは事務職という意味ではなく、消耗戦を強いられているサービス業の従業員なども含まれるのだろうけど、けっこうこの予測は当たっているような気がする。格差とか貧困の正体は求められる労働の質の差が開いてきたということにあるのではないのだろうか。かつてのようにフジ三太郎やフリテン君、だめ親父のような平凡な人間を事務職(補助的な)として終身雇用していても、会社にとってはほとんどメリットがなく、大切に育成する人材はゴールドカラーだけでよい…というわけである。たいていの人間は逆立ちしてもゴールドカラーやピンクカラーになれるわけもなく、周辺正社員という消耗的な残業に苦しむか、さらに周辺労働者としてそれ以下の低賃金にあえぐしかない。なんかいやな時代としかいいようがない。
2011年01月12日
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様々な人が指摘しているのだが、最近のマスコミ報道の体制翼賛ぶりは不気味さすら感じる。主要五紙が声をそろえて年頭社説で「消費税やむなし」の論陣をはっているのも異様なら、「日本にも本格的な二大政党制するために」とか「自民も民主もだめというのなら『投票難民』になってしまう」と有権者の選択を自民か民主に誘導し、あえて他の政党という選択肢がないかのように誘導する論調も変…。いまどき新聞の社説をありがたがって読む人がどのくらいいるのかは知らないが、なぜ新聞がこんなに同一の歩調をとっているのだろうか。最近Y新聞の社外監査役に元経団連会長が就任したという報道があったが、このような経済界の大物の息がかかっているという意味では他の大新聞も同様なのかもしれない。新聞がこうした方向に論陣をはっているということは、同じ系列化にあるテレビや雑誌も同様であり、マスコミに載ることで糊口をしのいでいる「言論人」についても同じなのではないか。いくらネットがあるといったって、マスコミの影響力はやはり大きい。だからこそ最近のマスコミが一種の翼賛的な匂いを発していることはきわめて問題が大きいと思う。*そしてまた消費税やむなしの議論と裏表なのかもしれないが、所得税増税批判もマスコミに共通している。「富裕層狙い撃ち」とか「じわり所得税増税」といった論調がそうだ。しかし国家として税を通じた再分配というのは当然の機能ではないのか。消費を牽引している富裕層に増税すると景気が冷え込むというが、富裕層とて体は一つ、口は一つ。少数の富裕層が潤うよりも、多くの人の所得が少しでも向上する方が景気に与えるプラス効果ははるかに大きい。そしてまた「努力した人が報われない社会はおかしい」とか「機会の平等は重要だが結果の平等は悪平等」のような言説もマスコミに充満している。でも、一日十何時間も働いた揚句に健康を害し生活保護を断られて餓死するような人間は「努力していない」人なのだろうか。たとえ生まれた環境が全く同じだとしてもそもそも異なるDNAをもって生まれてくる人間にそもそも「機会の平等」などあるのだろうか。生まれてくる赤ん坊がすべて平等に「スポーツ選手になる機会」、「医師になる機会」、「音楽家になる機会」をもっているなんて本気で信じている人はいないだろう。能力と運に恵まれ、努力もした人間がその果実を受けるのは当然であるし、すべて平等にしろなんてことを言う人はいない。ただ一方で社会は大きな有機体のようなもので、社会全体がうまく機能しなくなればその不利益は全体に及ぶ。人間に格差があるかぎり、ゆきすぎた平等というのは無理なはなしであるが、それでも、むき出しの格差を修正し、貧困の拡散を防止することも国家としての重要な役割である。最期のセーフティネットとしての生活保護だけでなく、もともと力の差の大きな労使間の契約に介在して労働者の保護を図る労働行政といった行政領域もまた、こうした「むき出しの格差を是正し、貧困の拡散を防止する」ための重要なものであろう。
2011年01月10日
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同じ直人でも大違いの伊達直人と菅直人…。http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/方や匿名での人助け、そして方や他人の金(税金)での政権維持のためのバラマキ政策。民主党政権の目的は日本の沈没にあるのだとしか思えない。選挙と政権維持しか頭にない政権を選んだ国民が愚かだったのか、それを煽ったマスコミが酷かったのか。そのうち国債は暴落し、円も急落していくことだろう。非正規雇用やニートの比率が相対的に高い年代層が社会の中核になるころには日本も本格的に没落し、新しいタイプの途上国となっていることだろう。新しいタイプというのは、第一次産業が主流で親族集団や宗教などでそれなりに社会がなりたっているような途上国ではなく、家族もなく、職場もなく、無縁の貧民が街を漂っているような途上国という意味である。散発的に小さな暴動や異様な犯罪が頻発し、街にはゴミが散乱し、電車の座席はすぐに切り裂かれたりガムがすりつけられたりする。どこにいってもめだつのはむくんだような無気力な顔ばかり。アジアで日本が唯一の先進国だった時代。明治の近代化も第二次大戦後の復興もみごとに成功した時代。そんなのはいつのことだったなんてことになるだろう。
2011年01月10日
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某牛丼チェーン店に強盗被害が多発しており、警察庁から何度も改善命令を受けているという。記事によると24時間営業で深夜は一人勤務体制、レジには多額の現金を置き、しかもそのレジは出入り口付近となれば、さあ、狙ってくださいというようなものだろう。ところで24時間営業で深夜は一人勤務となると、勤務時間もさぞ長いのではと思うが、このチェーン店は残業代不払いの訴訟に対し、逆にその訴訟を起こした従業員が店の丼を勝手に食べたとして逆提訴したことでも夙に知られている。長時間勤務と残業代不払いが横行しているものと推察される。もっともそれはこのチェーン店だけではないのだろうけれども…。http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/518b7453283252d6865c7b7c3a5010ac*深夜にぽつんと灯るチェーン店の窓。出入り口近くのレジで一人店を守る店員。一日十時間を優に超える勤務時間だが残業代はでていない。強盗被害の危険と未払い残業の違法、そして従業員の過労による健康被害の懸念、強盗被害のおそれ…様々な問題があるのだが、「強盗被害の危険」(実際に強盗事件が多発している)については警察庁が声をあげ、労働法上の違法については厚生労働省は沈黙する…。国家機能のうちの治安維持や犯罪防止という面では、やる気をみせているが、労働者保護という国家の機能についてはまるで意欲をみせない。窃盗やひったくりが横行して犯人がまるで検挙されないとしたら、誰しもいうだろう。「いったい警察は何をやっている。」ところがサービス残業や過労による健康被害がまん延し、ブラック企業なるものが白昼堂々と営業を行っていても誰も、「厚生労働省は何をやっている。」とはいわない。不思議な話である。
2011年01月09日
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この頃目につくもの。それは飲み屋の「女子会」である。食事ならともかく酒の席などは昔から男ばかりか女はいても紅一点か二点と決まっていた。ところが最近ではどこに行っても女性ばかりというグループが目立つ。そのせいか店の方でもデザート系に力を入れたり、女性好みのメニューをそろえたりしているようだ。*こうした女子会の興隆の背景には独身でそこそこに金のある女性が増えたということがあるのだろう。自由にできる金がなければもちろん飲みになどいけないし、高校生くらいまでの子供がいればそうそう夜に家をあけるなどはできない。女子会の彼女らにありあまるほどの金があるかどうかはわからない。でも同じ収入であれば、一般に女性の方が節約の仕方、金の使い方がうまいように思う。まずギャンブルなどという愚行を女はあまりやらない。風俗店に行ったり、家にまで酒を持ち込み痛飲したりという愚行も同様。つましく暮らして、たまの贅沢で生活を楽しむ。女子会もそんなアクセントのような贅沢の一つなのだろう。*また、今や女性にとっては昔ほど結婚が一般的なものではなくなっている。「男子たるもの妻や子をなんとしてでも扶養すべき」なんて考えている男は絶滅危惧種だろうけど、女性の側からみれば、妻の稼ぎを当てにする男というのはノーサンキューだ。だいたい女性には優秀な種をみつけて自分の子孫を残そうという本能がある。だから、自分よりも優秀な男でなければ魅力を感じないし、せいぜいが妥協して自分と同等といったところだろう。そしてまた、やっかいなことには人間というのは女性も含めて自分を過大評価する癖がある。稼ぎとか給料の多寡というのは、今の社会では最もわかりやすい能力のメルクマールである。女性が男性の収入を気にするのはあながち打算ばかりではない。だから男性の雇用が崩壊し低収入の男性があふれるような社会というのは、女性にとっても結婚しずらい社会でもある。女性の稼ぎ目当てによってくる稼ぎのたいしてない男などはぶっちゃけゴミのようなもの。そんなのと一緒になってもメリットなど皆無だろう。バカな種でバカな子が生まれ、老年になっても脛をかじられるなんてそれこそ悪夢…。女なしにはいられない男は多いのかもしれないけど、たいていの女にとっては男は別に必需品ではない。*このように結婚が人生の必然でなくなったことも女子会の興隆の背景にあるのかもしれない。結婚を常に意識するような状況では同じ会社の仲のよい友人同士でもいつ恋のライバルにならないともかぎらない。でも、今やそんな競い合うほどの男はぐっと少なくなっているし、ましてや30歳を超えれば結婚は夢でも憧れでもなくなる。無理に結婚などするよりも、穏やかな女性同士の交流の方がずっとよい。少子高齢化社会というのは、同時に未婚化社会でもある。そして未婚化社会というのは、従来なら家庭責任を負う年代の男女が独身者のままいつづける社会でもある。女子の独身層は女子会にみられるような新しい文化やライフスタイルを生みつつある。これに対して、男子の独身層、おそらく同世代の中での「負け組」といっては語弊があるにしても、低収入、無収入、不安定雇用の者が多い未婚男達は何を生みだすのであろうか。この間も「社会から取り残されており、自分の人生を終わりにしたかった」としてバスで無差別殺傷を図った男性がいた。これは極端な例かもしれないが、家族も持たず、安定した収入ももたず、将来の希望もないという男子独身層が、今後の社会変動の核になっていくような気がしてならない。もちろんこれはネガティブな意味での社会変動であるが。
2011年01月08日
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このページの下の方に民主党のマニフェストを書いたチラシがあるが今あらためてみると本当にひどい。これではあの「おせち偽装」と同様、御馳走がくると思ったらスカスカの食べ残しがきたようなものである。http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20110105「生活が第一と思う人は一度やらせてみてください民主党」だなんて本当によくいうよw。自民もダメ、民主もダメだって、別にマスコミが言うように「選挙難民」になるわけではない。どの政党を伸ばせばここに書いてあるような「パート・正社員を均等待遇にする」、「日雇い派遣を禁止する」、「時間外勤務手当を50%増に引き上げる」に近づきそうか、自分の頭で考えることであろう。政党は自民と民主だけではないのだから…。
2011年01月07日
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今朝の読売新聞にちょっと面白い記事があった。結婚市場での好条件がどんなものかという話である。女性が結婚相手として好むのが安定した高収入の男性というのは昔も今も変わらない。ところが今では、男性もまた保母、看護婦、公務員などの安定した職業についている女性を望み、「仕事を辞めるために結婚したいという女性は僕ら男性からみるとあまり魅力がない」という。つまり男性の方は手に職ある女性との共働きの結婚を望むのに、女性の方は昔ながらの高収入の男性と結婚して専業主婦となるのを夢見ているということである。*もちろんこれは結婚相手を紹介する場での話で、本当の高収入の男性はおそらくこうしたところには現れないので、上記のような意見が全男性を代表するものではあるまい。しかし、こうした場を必要とする程度の男性の相当数が、結婚相手に安定した職業と収入を望んでいるということは注目すべきだろう。男性が結婚相手の女性に望むものが変わってきている。こう考えた時、ふと目から鱗というか、気のついたことがある。最近起きた2件の女性による結婚詐欺、そして連続殺人事件の疑惑である。たしか山陰と千葉だったかと思うが、結婚詐欺をくりかえした女性はどうみても美しいというのとは程遠い女性達だった。たとえてみれば片方は埴輪のできそこないのような風貌だったし、もう片方は典型的な太目ブス。どうしてこんな女性に…と思ったものだが、結婚相手に求めるものが変わってきていると見れば案外納得がいく。男性は妻となる女性に美貌と若さを求めるものだとしたら理解がいかないが、安定した職業と収入のある女性を求めるとしたらどうだろうか。山陰の女性の方はよくわからないが、千葉の女性は「料理の特技があって料理教室を開く」と言っていたそうだ。料理が特技でその料理で金を稼いでくれる妻。これって男性からみたら理想の結婚相手ではないか。こうなると容姿が並以下のことも、かえって被害者となった男性にとっては安心感を抱かせたのかもしれない。美しい女性だったらおそらく疑いを抱いたことだろう。御曹司や医者、弁護士を自称する男性の結婚詐欺が美男子でなくてもよいように、女性の結婚詐欺も美人である必要はないわけだ。*世の中も変われば結婚の形も変わる。男性も女性の経済力をあてにした結婚が多くなったわけだ。ただこれを女性の立場からみたらどうなのだろう。仕事を辞めるために結婚する女性が男性にとって魅力がないように、妻の収入をあてにする男性というのは女性からみて魅力がないのではないか。男にとっても、女にとっても、今は結婚することも、子どもを持つことも難しい時代なのかもしれない。
2011年01月06日
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某新聞の社説はやはり反響をよんでいるようだ。http://muranoserena.blog91.fc2.com/日経や産経なら驚きはしない。でも、昔から「左」だとか「リベラル」だとかいわれているあの新聞である。あの新聞でさえこんな論調なのだから、他の新聞はいわずもがな、国民世論を知らず知らず一定の方向にひっぱっていこうとするようなある種の怖さを感じてならない。この社説も含め、マスコミのほとんどが消費税不可避論をとっている。本当にそうなのだろうか。いやたとえ本当だとしても、財源が必要なら税体系全体を見てそのうえで消費税も不可欠とならなければおかしいのではないか。そういえば法人税減税については全く疑問の声をあげる新聞やテレビはない。財政危機で税負担が必要だというのなら、こちらの方についての議論もあってしかるべきなのに…。Y新聞の社外監査役に経団連元会長がついたという記事があり、それ以来、Y新聞をよむと、あの元経団連会長の顔がちらつくのだが、他の新聞も事情は似たり寄ったりなのだろう。そう思ってみると、消費前だけを狙い撃ちにするような税負担論議もよくわかる。そしてもう一つ。「日本にも本格的な二大政党が根付いた」だの「国民の意思で政権を選ぶ二大政党」だのといった二大政党礼賛も各新聞マスコミに共通している。昔の自民と社会のように対立軸のはっきりしている政党ならばそれなりに二大政党も意味があるだろう。しかし自民と民主との間には政策、主張にいかほどの違いがあるというのか。後者の方が選挙命のばらまき政策がめだつくらいでたいした差異はない。それを自民も民主もだめなら選挙難民だなどとあたかも他の選択肢を視野の外におくように誘導する。ここでくむべき教訓はマスコミの持ち上げる二大政党制が定着などしてしまえばそれこそ多くの人は選挙難民になってしまうということだ。アメリカの膨大な貧困層…彼らには投票する政党などはない。
2011年01月05日
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今時、新聞を社会の木鐸だと思っている人はいるのだろうか。もしそう思っている人がいるとしたらぜひ言いたいことがある。新聞というのは決して公平ではないし、時には一方向に世論を誘導することさえある。たとえばりべラルとか左とか(これらの言葉は実は定義がなく感覚的に使われることが多い)言われることの多い某大新聞の年頭社説である。ぜひ全文を読んでほしいのだが、例えば「…先進国で最悪の財政赤字が立ちはだかる。社会保障や公共事業を数十年間も国債に頼ってきた結果である。財政は崖っぷちに立っている。 赤字を食い止めながら、社会保障の財源をつくり、制度を組み替える。つらい話ではあるが、早く取りかかるほど改革の痛みは少なくてすむ。…」と案に消費税導入の必要性を訴える。 個人的には重要なのは税よりもむしろ使いみちだと思うし、たしかに財政を考えれば消費税導入も不可避であるのかもしれない。しかし、たとえそうだとしても、財政難や少子高齢化イコール消費税というのではなく、法人税、所得税、相続税などの税体系全体の中で税収の議論を行わなければ均衡を失するのではないか。また、「現在は現役3人弱で引退世代1人を支えているが、20年後には2人弱で1人を支える。そのとき、現役世代は1400万人以上も減っている――。」という言い方もこの社説にかぎらず、あちこちにみられ、「高齢化社会だ大変だ、もっと子供を生みましょう」というような結論につながりがちなのであるが、人口を年齢と数だけでみる実に粗雑な議論である。現役世代の中の雇用が劣化し、実は高齢世代に寄生する現役世代が増えてきていること、そして減少しているはずの若年世代で就職難が起きていることは何もふれていない。問題なのは現役世代が減ることではなく、その現役世代の相当数が結婚もまともな就職の機会もないまま年齢を重ね、このままではごく近い将来に大きな社会の不安定要因になっていく可能性があることではないのだろうか。「自民党は早期解散へ追い込むという。だが、自民党への支持はさっぱり戻っていない。このまま総選挙になれば、投票先を失った選挙難民が路頭に迷うであろう。それを恐れる。」この社説はこうも書く。実はこれこそ最もこの社説の中で問題の多い箇所だと思う。自民と民主などもとからさしたる政策の違いなどはない。民主はさらに今後財界とのつながりを密接にするというのだから、ますますその政策が自民と変わらなくなるだろう。それなのに読者にあたかも自民と民主しか選択肢がないように誘導し、両方ともだめなら「選挙難民」だという。悪質な誘導としか思えないが、一方でこんな誘導にひっかかる方もひっかかる方だという気がする。政党は自民と民主だけではない。くだらないマスコミの社説にひきずられるのでなく、自分の頭で考えればよい。http://www.asahi.com/paper/editorial20110101.html?ref=any この間、ある大新聞に元経団連会長が社外監査役についたという報道があったが、他の新聞も事情は似たり寄ったりであろう。それだけではなく、スポンサーという立場でも財界はマスコミの生殺与奪の権を握っている。新聞をはじめとするマスコミは貴重な情報源ではあるが、それは決して公平中立なものでも、ましてや社会の木鐸のようなものでもなく、財界やマスコミ自身の宣伝装置と言った方が真相に近いのかもしれない。
2011年01月04日
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ひきこもりや老人虐待や消えた老人、そして無縁社会。これらは皆問題の根に雇用という共通の問題があるのだが、あたかも他の問題のように語られるのは不思議でならない。まず、ひきこもりの問題。これはメンタルヘルスの問題として語られることが多い。でも、老人が家にひきこもっていても、こうしたものは普通「ひきこもり」とはいわない。本来なら働いている年齢層の、特に男性についてこの言葉が使われる。例えば、40代の男性が家に引きこもっている。さて、「心のケア」(気持ち悪い言葉)の結果、この男性が家から出て、外を出歩くようになったらどうなるのだろうか。「ひきこもり」が「近所を徘徊する不審な無職男性」になるだけのことである。就職をあきらめているから家にいる。そんな状況だから次第に精神がうっ屈する。そしてそれは中学、高校、大学と真面目に生きてきたような普通の人間であればあるほど激しいのではないか。だから、ただ、部屋から、家から出すだけではなんの解決にもならないのである。老人虐待や消えた老人の問題だって似たようなものだ。子供達は成長し、生活力のある兄弟は親元を離れ、職がなかったり、収入が低かったりする息子や娘だけが親元に残る。引退した親も安定した職場のない子供も社会とのかかわりは薄いので次第に近所からも孤立していく。親が年老い、要介護になれば、負担は同居している子供にかかる。ただでさえ希望のない生活を強いられている子供は不満や不安を今では弱い立場となった老親にぶつける。その一方、親の年金が生活の糧になっているという実態があるので、親を施設に入れるとか、他の兄弟などと相談するとかという選択はでてきにくい。親がなくなった場合も同様で、親の年金を受給しつづけるために親の死亡すら隠す。生活保護が十分な役割を果たしていない以上、そうしなければ生活できないと判断するからだろう。「無縁社会」の問題も同様。人は通常、その職業、職場を通じて他の人とかかわりを持つ。安定した職場がなければ人ともかかわりは薄れていく。もちろん子供時代、学生時代のつながりはあっても、境遇が開いていけば、次第に疎遠になるのは人の心の常だろう。今の日本の貧困はアフリカの貧困、途上国の貧困とはまるで違う。貧困は必ず孤独とセットでやってくる。テレビで年賀状が一枚も来ない中年男性の映像を紹介していたが、この男性とて、決して友人のできない性格というわけではないだろう。安定した職場、生活できる賃金のないことが、彼から家族も友人も奪っていったのだ。朝日新聞の無縁社会の連載では、解決策として「同世代が電話で話し相手になること」をあげていたが、なんか見当外れという気がする。菅総理は一に雇用、二に雇用などと言っている、というよりも言っていたが実際には何もやるきはないのだろう。人生にはとりかえしのつかない部分もあるだけに雇用対策は急務なのだが、今の政権がつづくかぎり期待はできないように思う。それもこれも…まあ、これ以上はいうのはやめよう。雇用には雇用機会の拡大も重要だがもう一つ、劣悪な労働環境の改善も不可欠のように思う。世間にはブラック企業と称される企業がいくつもある。これらの企業は、なにもアングラ営業や違法行為を行っているわけではない。聞けば多くの人が名をしっているような明るいイメージの企業も多い。なぜ一日十数時間の労働やサービス残業、10日を超える連続勤務が野放しになっているのか不思議でならない。せめて過労死企業の公表を行えばそれが最小限の抑止力になるかとも思うが、それすらも「企業の不利益になるから」と行わないのが現代の労働行政である。江戸時代の使用人は盆正月は休んだのにそんな休みもなし。19世紀英国の紡績工も日曜日やクリスマスは休めたのに、休日出勤もあたりまえ。そして賃金もゼロどころか研修と称して逆に金をとるという「マイナス」賃金まであるのだから、マルクスもこんなのは想像もしていなかっただろう。一件の過労死や過労による健康被害の周りにはその何倍も表にでない件数がある。そしてさらにその何倍もの離職していく人々がいる。劣悪な労働環境を野放しにしていることは、失業の新たな発生を野放しにしているのと同じではないか。思えば正月の営業や夜遅くまでの小売営業など20年、30年前にはなかった。小売店舗の保護という名目で行政指導で規制していたからだ。それがいつのまにか「規制緩和」ということでそうした規制がどんどん撤廃されていった。多くの人は「便利になった」と喜んだものだが、いつのまにか個人商店はつぶれ、小売外食は過労による健康被害が頻発する過酷な職場の温床になっていった。今にしておもえばなんてあさはかだったのだろうか。ひきこもり、老人虐待、消えた老人、無縁社会は皆雇用の劣化、雇用の崩壊という共通の潮流を根っこにした波頭のようなものであろう。安定した将来設計や収入がなければ結婚もできない。うっ屈した成人の子が家で暴言や暴力を振るえば壊れていく家庭もある。睡眠時間も満足にとれないほどの過酷な職場なら幼いわが子の鳴き声だって命を削る音に聞こえる。将来に絶望すれば自殺や犯罪にはしるということだってあるだろう。出生率の低下、中高年夫婦の離婚件数の増加、生活保護世帯の増加、児童虐待、高止まりしている自殺率、通り魔犯罪など不可解な犯罪の頻発なども、もちろん同じ潮流の別の波頭である。
2011年01月03日
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今年願うこと…個人的にもいろいろとあるのだが、世の中全般についていえば、今年こそ市場原理主義、またの名は強欲資本主義に歯止めのかかる年であってほしい。失業、就職難。劣悪な労働条件。そしてワーキングプア。こういうものをみていると、日本はいつからこんな国になったのだろうかと暗澹とした気分になる。社会全体というのは大きな生き物のようなもので、強い者、力のある者が弱い部分を食い物にしていれば、それはいずれは社会全体を弱らせ、結局その不利益は廻りまわって食い物にした側にも及んでいく。昔の人はこんなメカニズムを肌で感じており、だからこそ「金は天下の廻りもの」、「情けは人のためならず」なんていう言葉ができたのではないか。産業や科学技術の発達は個人の労働力の質の差を非常に大きなものとした。労働者を「自分の労働力以外に売る商品のない者」と定義したのはマルクスだが、その売る労働力に天地ほどの価値の差があるのが今という時代だ。だから余人をもって代えがたい高度な知能や専門知識をもつ人材だけを大切に囲い込み、あとは周辺的正社員として使い捨てるか、周辺的な外部労働力としてモノ扱いにするかというのは企業としては最も合理的で効率的な判断だろう。日本人で足りなくなれば重労働も低賃金もいとわない途上国の若者を入れればよい。その結果が失業者、無業者、ワーキングプア、過労による健康被害があふれる今日の惨状ではないか。そしてこうしたことの背景には雇用法制の規制緩和や労働基準法の空洞化にみられるような、経済界ののぞむままの政策がおこなわれてきたことがある。政策の枢要な方向は政治により決まり、その政治を究極のところで決めるのは国民の一票一票の集積であるはずなのだが、その一票の行使についてもけっこうマスコミにのせられる人が多い。マスコミにだって経済界の大物が入り込んでいたり、スポンサーの意向に左右されたりして、結局のところは財界好みの報道しかしないのに、受けての側は無邪気にマスコミは「公平中立」だとか「新聞は皆こう言っているのだから間違いない」とか思っている。二大政党が素晴らしいなんて誰が決めたのだろう。脱官僚や地方分権で何が変わるというのか。問題はもっと別にあるのではないのだろうか。本当だったら、こうした強欲資本主義に歯止めをかける政党が伸びさえすればよいのだが。小奇麗な「市民」との連帯ではなく、明日の不安や生活の困窮に辛い思いをしているワーキングプアや失業者、そしてその予備軍に手をさしのべ共に社会を変えていこうと呼び掛ける(入党勧誘ではなく支持の呼び掛け)ような政党が…。2011年こそそうした転換期になってほしいのだが、一方で徒労感もある。たぶん政治の迷走は今年も続くであろう。善男善女の支持は、あいかわらず民主でなければ自民、そして自民でなければ、清新そうにみえるが内実は何も変わらない新党へと流れるだけであろう。お正月を迎え、日本の古くからの神話や国の成り立ちを考える。高天原の神々は玉座に座り人間を冷然と見下ろしていたのではない。やはり神々も機を織り、田を作って働いていたのである。格差よりも平等(程度の問題だが)、支配よりも共生というのは、古くから稲作共同体を作って生きてきた日本文化の特質なのではないのだろうか。こうした共生の文化が崩れてから後戻りのできない国家の衰退や社会の崩壊が始まっているような気がしてならない。
2011年01月01日
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