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某省の天下りが問題となっているが、こんなことはおそらく他の省庁でもやっている。それよりもあらためて驚いたのは私大に膨大な税金がつかわれているということである。そしてその補助金づけの私大が天下りの温床になっている。きくところによると、どんな小規模な私大にも億単位の税金が使われているという。私大とはいうものの、私企業とは違い、今や半公立といってもよいのだが、じゃあ、それにみあった実態があるのだろうか。質の高い私大もあるのだが、多くのところでは、大学の専門とは関係のない、広告塔としてだけのスポーツ推薦がまかりとおっているし、中には箱根駅伝に出すためだけの目的ではるばるとケニアから「留学生」をつれてくるようなところもある。また、どうみても受験勉強などやっていなさそうなアイドルタレントを入学させたところもあった。そんなのに比べれば隣の半島国でチョンユラさんが不正入学したなんてどうでもよくみえる。今では大学も700にもふくれあがっている。そうなれば、当然、高校どころか中学レベルの学力もおぼつかない学生も入ってくる。be動詞とは何かから始めなければならない講義もあるというのなら、もはや高等教育機関なんてとてもいえない。あるサイトをみていたらFランク大学の存在価値はいきどころのない若者を引き受けて犯罪を抑止することにあるという説があったが、どうみても、そのくらいの存在価値しかないということだろう。お金と時間があれば大学に行くのも意味がある。ただ、そのためには、そろそろ定年後の準備をしなければならない親には膨大な教育費負担をかけることになるし、本人にとってもさほどのメリットがあるわけでもない。いまや単なる「大学卒」には価値はなく、それどころか、場合によっては自治体の現業職など、かえって道が閉ざされる場合もある。そしてなによりも、こうした大学教育に投入される膨大な税金。こうしたプラスマイナスを考えれば、大学の数は減らして、そのために使われている税金を、高卒相当の公務員の採用枠の拡大や介護福祉職の処遇改善のために使った方がよいように思うのだが、こういうのは素人考えなのだろうか。
2017年01月31日
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「恩讐の彼方に」をこの間読んだが、続けて同じ本に収録されていた菊池寛の短編を読んだ。これが想像以上に面白い。松平忠直、俊寛、杉田玄白などの歴史上の人物が生きた人間として生々と表れてくる。心理解釈は近代人の目によるものなのだが、人間なんてものは案外変わらない。そうだとしたら、実態はこんなものかもしれないという説得力がある。忠直卿の高い身分にある故の孤独とその地位を失ってからの解放感、杉田玄白の自分の上を行く秀才前野良沢に対する反感など、人間心理の機微とその移り変わりが非常に巧みに描かれている。ただ「俊寛」については、ここで描かれている俊寛も面白く傑作ではあるのだが、ちょっと違和感が残る。文芸作品なので、ネタばれもさしつかえないと思うが、 島に残された俊寛が島の娘を妻にし大和言葉を教える…というところにひっかかった。おいおい、ロビンソンクルーソーのフライデーかよ。生涯を島で暮らす覚悟を決めたのであれば、妻から島人の言葉を習うのが普通ではないか。物語の俊寛は自給自足で平穏に生きるが島の人々とは孤立して大和言葉を使って暮らす。おまけに島の人々は「土人」と表記されている。今なら考えにくいのだが、戦前の南西諸島に対する見方というのはそんなものだったのだろうか。大阪機動隊員の暴言は案外根が深いのかも。思えば、高校時代の国語教師は菊池寛が好きで、試験問題の読解にもよく出した。それで天邪鬼にも読まなかったのだが、これほどの作家、今だってもっと読まれてもよいと思う。「真珠夫人」で終わるのはもったいない。
2017年01月28日
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信じられないニュースが最近多い。トランプ大統領がメキシコとの壁を本当に作るらしい。壁を作る…といったって、そのためには膨大な予算が必要だ。ベルリンじゃあるまいし、そんなものができるわけがないのではないか。壁なんてのは一種のレトリックで言っているだけではないか。でも、本当に壁を作る気まんまんとなると、この次は何をやり始めるのか…とそらおそろしくなる。もうしばらくすると、壁を越えようとした人が射殺されるなんてのも、よく聞く話になってくるのかもしれない。これでびっくりしたら、今度は韓国の裁判所が日本のお寺から盗まれた仏像を返さなくてもよいという判決をだした。倭寇に略奪されたという史料は信頼がおけるもので、仏像はずっと掠奪者の手にあったという「不正常な状況」にあったことがその理由だと言う。でも、フランスのルーブル美術館には十字軍が略奪してきたとされるイスラム美術の粋をあつめた工芸品が展示されている。あれも「不正常な状況」なのだろうか。こんなふうに海外ニュースにびっくりしていると、日本の総理の「訂正でんでん」なんかどうでもよくなってくる。
2017年01月26日
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国会中継で安倍総理が云々を「でんでん」と読み間違えている動画がある。http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/608.htmlどうせ数学はまったくできないだろうし、英語もたいしたことないのだから、せめて国語くらいはそれなりでないと…と思うのだが、それも怪しいようである。読み間違えとしてはかなり面白いのだが、総理とのごっつぁん会食会に参加しているマスコミ各位は報道しない。麻生総理のときとはなんという違いだろう。*この間、秩父の三十槌の氷柱を見に行った。氷柱も雪国や北国では全くめずらしくもない光景なのだろうけど、都市圏からそこそこ誓いと観光名所になりうる。地元の人から見ればなんのこともないものが、観光資源になっているということは最近では多いのかもしれない。駐車場(500円)から案内板をたどってしばらく歩くと、川の対岸の崖にいくつもの氷柱が下がっている。交響曲が突然とまって永遠の静謐のなかに閉じ込められたような幻想的な光景である。ちょっと上流には人口氷柱(人工的に水を流して作ったもので氷は本物)もあり、夜にはもとの氷柱ともどもライトアップされるという。こうした氷柱のライトアップは芦ヶ久保でもやっており、三十槌の氷柱を観た後はこちらを見に行った。芦ヶ久保の道の駅からすぐであり、西武線線路のすぐわきにあり、電車好きには鉄道とライトアップを同時に楽しめる。電車もわざと徐行運転させているので、電車からこの光景を観た乗客も。けっこう訪れているのではないのだろうか。みなれていればなんてこともない光景でも、美しさや珍しさが発見され、新しい観光名所になるということは全国のあちこちにある。一枚の写真投稿がきっかけで「ジブリの世界」として大勢の人が訪れるようになった農溝の滝の洞窟なども一例だろう。写真技術の発達が観光名所を生むというわけである。三十槌の氷柱も写真でみるとさらに幻想的で、パンフレットでみたこの写真がきっかけになってどうしても行ってみたくなったわけである。
2017年01月25日
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小田原市の生活保護担当の一部の職員が生活保護受給者を訪問する際に「保護なめんな」と書かれたジャンパーを着ていたという。報道ではジャンパーに書かれていた言葉が保護受給者を侮蔑するものとして問題視されているのだが、それよりも、生活保護受給者を訪問する際におそろいのジャンパーを着ていることの方が問題ではないのだろうか。生活保護受給者を訪問する市職員が特定のジャンパーを着ているとなれば、そうした職員が訪問することで周囲に生活保護受給の事実を知られることになる。生活保護受給者に対する見方は人それぞれであろうが、生活保護受給の事実は個人情報であり、そうしたことは普通は周囲には知られたくないものだと言うことは否定する人はいないだろう。そしてまた、市職員がこうしたおそろいのジャンパーを着て保護家庭を訪問すること自体、生活保護の申請をものすごくためらわせる効果がある。まさか、それが狙いだとはいわないけど。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00010001-tvkv-soci*もう一つ。「男性保育士に娘の着替えや排せつの世話をやって欲しくない」という保護者の意見は、男性保育士に対する「性差別」にあたるのではないかという議論があるらしい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000000-jct-sociどうもよくわからないが、性差別というのとは違うように思う。たとえばその後どうなったのかしらないけど、「輝く女性」ということを一頃総理は熱心に言っていて、警察でも広範に女性を登用し、婦警だけの「なでしこ交番」の設置も検討していた。まあ、自宅周辺の治安がけっこう悪くて、「なでしこ交番」じゃちょっといやだなと思ったら、それは女性差別なのだろうか。
2017年01月24日
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高校生の頃、この本の静謐で透明感のある世界にひたったことがある。もう一度、この世界に入りたいと思って、再読したのだが、今度はさっぱりであった。つくづくと読書には適時性があると思う。あの病的で繊細な世界は、長い年月で鈍磨TTした精神には素通りしてしまう。マルテの次は全く別のものがよみたくなって菊池寛の「恩讐の彼方に」等を収録した短編集を読んだ。中学や高校の頃、菊池寛といえば、必読書のような扱いがなされていて、そのため、かえって読まなかったのだが、読んでみれば「うまい」としか言いようがない。この間、読んだ「真珠夫人」も面白くいっきに読んだのだが、本領はやはりこうした小説にあるのではないか。ただ、「恩讐の彼方に」も感性がピュアな年代に読めば、その内容にきっと感動するのだけれども、今の年齢では、筆力の巧みさと小説のうまさに目をひかれる。もっと若いうちに、できれば中学か高校の頃に出会っておきたかった本である。
2017年01月23日
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各新聞はどこもトランプ大統領の就任を大報道している。米国初の黒人大統領がchangeとかwe canといって登場してきたときの熱気や期待に比べれば、冷笑や批判ばかりがめだつ極めて異例の報道ぶりだと思う。でも、今回の新大統領は、マスコミの応援なくして当選したという意味で、極めて異例なのではないか。changeといいながら、変化のなかった前大統領に比べれば、本当のchangeはこれからなのかもしれない。何が変わったのかと言えば、マスコミがこれまで世論をleadしており、マスコミを味方にしたものが当選をしてきていたのだが、今回はそうはならなかったという点である。民衆からみれば、マスコミももはや「あっち側」という目でみられるようになったのかもしれない。昔、ある広告会社は選挙民を四つのクラスターに分けた。これがおおよそのところで今もあてはまると思う。独断をもってざっくりと分けるとこんな感じだろうか。A層・政治に対する関心が高く、勝ち組B層・政治に対する関心はさほどではないが、不満層とまではいかない。気が向けば投票もする。C層・政治に対する関心が高く、現状には批判的D層・政治に対する関心はさほどではないが、不満層。投票にはあまり行かない数が多く、したがって民主制国家で政治の帰趨を決めるのはB層とD層であり、マスコミの誘導や芸能人の応援、政策とは関係のない候補者のお人柄報道がきくのはB層である。ところが今回の米国大統領選挙では動いたのはB層ではなくD層だったのではないか。その意味で画期的といえる。日本でもD層を動かすことを考えている政治家がいるのかもしれない。D層には憲法9条礼賛、非核、沖縄の基地問題(沖縄以外の住民に対し)をいくら訴えても効果はない。「日本を戦争のできる国にしてはなりません」といったところで素通りである。共謀罪の脅威を訴えても同様であろう。憲法9条、非核、沖縄の基地と同様自分らには関係ないと思っている。生活保護などの福祉の充実を訴えることも効果が疑わしい。生活保護受給者に最も激しい侮蔑やはんかんをしめすのはD層である。「奴らがこんなに貰えるのなら真面目に働くのが馬鹿らしくなる」と言って怒るのは、生活保護受給者とさほど違わない生活をしている人であり、これはよい悪いではなく人間の性というものであろう。じゃあ、何を訴えればよいのか。現実に経済界がすすめている外国人労働力の流入で雇用が脅かされる恐れや外食や小売りにみられるブラックな労働、最低賃金が国際水準でみても低いことや、累進税率の緩和など金持ち優遇の施策が行なわれてきたことを訴えていけばよいのではないか。そういえば今年はロシア革命から100年。かつては革命なんていう面倒なことをしなければならなかった民衆もいまでは投票によって世の中を変えることができる。
2017年01月22日
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ニュースには二種類ある。本来の意味でのニュースと、今までもあったことをとりあげるようになったという意味でのニュースである。一頃、とりあげられた電車のオーバーランやエレベーターの閉じ込め、入試の採点ミスなどは、たぶん後者だろう。それに最近の高齢ドライバーの事故も、ここ数カ月で急に増えたというよりは、ここ数カ月で急にとりあげられるようになったのが実態ではないか。今日あたり大きく取り上げられている某省庁の天下りだって今さら感たっぷりでこれって本当にニュースなのだろうか。どうも不思議である。このニュースの次に問題視されるのは、天下りの温床としての大学と、その大学がFランも含めて700もあることではないのだろうか。大学数が増えたのは小泉改革の時で規制緩和の結果、大学が増えたというのが解せない話である。規制緩和は不必要な役所の規制を排除し、行政のスリム化のためだったはずである。自由に大学を作ってよいですよ、そのかわりすべて自力でやりなさいと言うのなら規制緩和なのだが、日本の大学というのは私学であっても実は膨大な補助金で支えられている。極論をいえばいわば半官半民のようなものであって、大学の増設というのは、規制緩和の旗の下に半公的機関をじゃぶじゃぶ作ったようなもので、行政のスリム化どころか肥大化であった。そしてその結果できたのが、おがくずに白熱灯を付けたら火が出るなんてことも知らない「工学部学生」というわけで、この間の惨事など、ある意味大学政策の犠牲ともいえる。大学が補助金漬けなら、学生の方も公的な奨学金なしには進学できない、しかもその奨学金も返還しない人もいるとなれば、二重三重に税金が投入されているわけである。これで、給付型奨学金の導入なんちったら、どれだけ大学に税金が投入されるのだろうか。真に高等教育の名に値する大学やそこに学ぶにふさわしい学生には税金を投入すべきだと思うが、いまある700もの大学に税金を投入する必要があるかどうか疑問である。
2017年01月20日
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思うのだが、警察とか検察とかいう組織はいったん動き出すと組織の論理で動き始める。捜査の当初の目的が真実の発見であったとしても、その捜査がすすんでくると組織防衛等の組織の論理にシフトしていく。リアルタイムで事件発生当初から報道をみていた甲山事件だってそうだ。軽度の知的障害児が暮らしていた施設で児童二人が浄化槽に落ちて死んでいた。蓋が閉じていたので誰かが人為的に子供を突き落としたとされて保母が逮捕された事件である。動機も証拠もなく、報道しかみない素人にも彼女はまったく犯人らしくみえなかった。それなのに一度も有罪判決の出ないまま、控訴、上告、破棄差戻し…と裁判は延々25年も続いた。この25年の裁判はなんのために行なわれたのだろうか。勝手に推測すると警察、検察という組織を守るためである。いや、組織を守るのではない、警察官、そして検察官の人生を守るためである。25年もすれば、そこで勤務する人は無事に退官し、勲章でももらい、天下っているか悠々自適の生活を送っているかしていることだろう。裁判さえ続いていれば、冤罪が確定するわけではなく、キャリアに汚点がつくこともない。同じようなことが他の事件でも繰り返されている。「殺人犯はそこにいる~隠ぺいされた北関東連続幼女誘拐殺人事件」を読んで思った。この本では足利幼女誘拐殺人事件の冤罪にかなりの頁数をさいているが、捜査がすすむと、容疑者は真犯人でなければならぬ、被告人は真犯人でなければならぬという組織の論理が前面にでる。そしてまた科警研の鑑定も誤りがあってはならぬという科警研保護の論理も…。普通に考えれば、足利幼女誘拐殺人事件の再審だってもっと早くできたはずだが、この事件の冤罪被害者は解放されたときにはすでに60歳を超えていた。再審の際に、裁判官が謝罪したという光景を本の著者は感動を持って記述しているが、これだって、どうせ他人の過ちを謝罪するのだから気楽なものだといえなくもない。実際に冤罪を作った警察官、検察官、裁判官は個人として決して謝罪しないし、責任を問われることもない。この本では足利幼女誘拐殺人で冤罪の原因となったのと同様のDNA鑑定が行われた飯塚事件にもふれている。これは九州で女児二人が殺害された事件で、再審請求がでているという。他の再審事件とは違うのは、すでに死刑が執行されているという点だ。死刑囚の再審と死刑執行者の再審とは異なる。後者の再審となれば、警察、検察、ひいては国家そのものへの信頼にも影響してくる度合いは前者の比ではない。検察にしてみれば再審は絶対に認めたくないところだ。本当なら遺族の名誉のためにも再審は絶対に必要なはずなのだが。複数の幼女殺人は重大犯罪であり、宮崎勤の事件では従兄弟まで職を失ったという。冤罪には被害者のいる一方で、その冤罪で最も利益を得るのは真犯人である。この本では北関東で起きた連続幼女誘拐事件の真犯人の存在もほぼつきとめている。もちろん実名まででているわけではないし、実際にこれが犯人かどうかはわからないのだが、じゃあ、この指摘を基に警察が動くと言うことはあるだろうか。警察が組織をあげて捜査しても迫れなかった犯人に市井のジャーナリストが迫ったとなれば「組織のメンツ」にかかわる。警察としてはジャーナリストの書くことなど「素人のたわごと」にしておきたい。どうもそうした風があるのかもしれない。気になるところである。冤罪は戦後の混乱期だけではなく、今日でもくりかえされている。PC遠隔操作事件でも誤認逮捕も記憶に新しい。冤罪被害者は、周囲から浮いているような素行不良者ではなく、誰でもなりうるのだ。生活の安全のために警察は強力であってほしいと望むが、恣意的な運用につながりやすい法律には警戒をする必要がある。そういう意味で、共謀という「言葉」だけを犯罪にする共謀罪の新設はあやういと思う。重大犯罪につながる行為があれば、それが予備段階であっても、現行法で共謀者まで処罰することができる。予備にまで至らない段階で犯罪にすることが必要だとはどうしても思えないし、オリンピックのテロ対策を錦の御旗にする動きにもうさんくささを感じる。余談だが、共謀罪が創設されることで、政権に批判的な政治勢力が狙い撃ちにされる危険も指摘されている。それは大いにあるだろう。現行法の下であっても、ピザ屋のチラシ配り同様にオープンなマンションの郵便受けに某政党(れっきとした公党である)のチラシを配った人が、住居侵入という罪状で何日間も拘束されるのだから。本当に警察や検察は信頼できるのだろうか。「殺人犯はそこにいる~隠ぺいされた北関東連続幼女誘拐殺人事件」をぜひ読んでほしいと思う。
2017年01月18日
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安倍総理はフィリピンに1兆円の経済支援を約束したという。こんな巨額の支出が国会の承認なしにできるのだとしたら民主主義はどうなっているのだろうか。外国との約束を金科玉条にして支出が強行されていく、というパターンは、オリンピックでもみられるが、こういうことを野放図にやっていると金がいくらあっても足りない。米国大統領は非常にマスコミの評判が悪く、ロシアとの関係などでもぼろくそに叩かれているが、米国人のために雇用を創出する、そのためには外国人労働者の流入を制限し、企業の海外移転にもストップをかける…という施策は別に悪いとも思わない。少なくとも、米国にいる膨大な失業者や低賃金労働者にとっては、望むところなのではないか。トランプ氏やその側近が大金持ちであることを言う人もいるが、貧乏人の見方が常に貧乏人出身であるとは限らないし、実際にはむしろその逆の方が多い。際限のない国際化は1%の冨者をますます富ませ、99%を貧困に追いやるだけだということに、そろそろ皆気づきはじめたのではないか。
2017年01月16日
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安倍総理はフィリピンの大統領と会談して1兆円の支援を約束したという。1兆円というのは1億人に配ると1万円にもなる金額で…大きすぎてかえって実感がない。海外に撒く金が国内には回らず結局国富を流出させるだけなのに。そしてまた、こんなに海外には景気よくばらまくのに国内の経済的弱者に対してはどうしてしぶいのかよくわからない。「子供の貧困対策」に寄付を募ると言うのがこの間あったけど、「寄付をつのる」のは施策とはいわないのではないか。それに「子供の貧困」、「子供の貧困」というが、子供は子供だけで暮らしているわけではない。親が貧困だから子供が貧困というだけである。だから素直に貧困対策と言わないで「子供の貧困」対策と言っているのがなんとも不思議である。*共謀罪の創設が議論になっている。国際的連携とか世界的なテロとの戦いとかといった「外圧」を議論の援軍にするのはよくある手で、オリンピックの新施設建設の際にもこの手がつかわれたのをみたばかりである。こういう場合には「国際社会が~」で思考停止するのではなく、実態をふまえてよく考えることが必要である。そもそも世界的に問題になっているようなイスラムテロで、もし、日本に「共謀罪」なる法律があったとしたら、それがテロ防止に役にたつのだろうか。絶対に否である。だいたい日本の警察には中東の言葉の分かる人などいない。じゃあ、国内の組織犯罪にはどうなのだろうか。これもあやしいものである。テロ謀議などわざわざ録音や記録をとるわけがない。結局はいったいわないの世界で恣意的な捜査になりがちであろう。オウム事件ではサリン散布の謀議は車の中で行なわれ、そこには6人の人物がいた。けれども事件の責任を問われたのは教祖と実行犯だけで、あとの2名のうち1名は微罪のみ、そして他の1名は全く刑事責任を問われず大手を振って暮らしている。そもそも「謀議」という形のないものに刑事責任を問うこと自体無理があるとしか思えない。
2017年01月15日
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ネットでみつけたのだが2017というのはすごい数らしい。2017は三つの素数(7,7,11)の三乗の和で表せる数で、こうした数が表れるのは1799(5,7,11)年以来で次は2213年(2,2,13)だそうである。400年間に1度だけ…ということになる。さらに続きがあり、2017は306番目の素数で、和暦の29も素数である。これを足すと2046なのだが、これは2の1乗から2の10乗までを足した数、つまり2+4+8+とやって1024まで足した数になる。そう考えると今年はなんかすごい特別な年という気もするが、しょせん西暦も元号も人間がかってにきめたものと思えばだからなんなの…という気もする。それよりも、世の中にはこういうことを考えている人々が一定数いるということの方がなんかすごい。数は数じゃない、どうでもいいじゃないというのが大多数だろう。http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1701/05/news073.htmlhttp://spotlight-media.jp/article/366850164899040229*時期遅れついでにもう一つ時期遅れの話題。箱根駅伝をみていて色の名前がどうもよくわからない。プルシアンブルーとかプラウドブルーというのはどういう意味なのだろうか。色の名前でもここでしか使われないようだ。鉄紺というのもあったけど、鉄は紺色だったっけ。そういうのに比べると「茄子紺」というのはわかりやすくて好感がもてる。
2017年01月14日
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ものごとというものはとらえかたによっていろいろな見方ができる。例えば、子供の学力と親の収入には相関関係があることはつとに指摘されているが、これを親の所得が高いと子供の学力が高いととらえるのと、子供の学力が低いと親の所得も低いととらえるのとでは、その先の思考が全く異なってくる。前者だと、やはり勉強部屋、参考書、塾などを提供できる親の子が学業でも有利なんだろうな…と思うだろうし、後者だと、まあ、子供の学力が低いというのは親もあまり勉強ができなかったという場合が多いのだろうし、今の世の中では勉強のできなかった人はできた人よりも高所得の職業に就く可能性が少ないだろうな…と思う。おそらくどちらもある程度は正しいのだろうけど、どっちを重きをおいて考えるかだろう。*米国の大統領選の結果やEU離脱の英国国民投票の結果についても問題視する人が多い。だけれどもそうした疑問を呈しているのは当然ながらマスコミであり、マスコミはもはや自分達が世論を誘導できなくなったことにあせりを感じているとしか思えない。米国次期大統領については下品な報道がなされているが、一般大衆、つまり多数の国民からすれば、さほどマイナスのイメージにはならないのではないか。分断が進んだ社会では、マスコミも「あっち側」であり、利口ぶったセレブには多くの人々がうんざりしている。極論かもしれないが、民主主義下の選挙というのは、どうしても、一般人が距離を感じるような優秀な人よりは、親近感を感じさせるおバカっぽい人の方が人気を得やすいように思う。そうはいっても、戦争など本当の危機のときには民衆も強い指導者を求めるだろうから、バカっぽい指導者というのは、それだけ世の中が平和ということなのかもしれない。これも考え方である。
2017年01月13日
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政府は、ふるさとワーキングホリディといって若者が一定期間地方で働いて地方生活を体験するという企画を行なっている。場所をみると、やはり人口減少の著しいところが多く、中には事故を起こした福島原発付近の自治体もある。そして肝心のワーキングの内容をみるとやはり農業が多い。受け入れ地域によって条件は異なるのだろうけど、ためしに宇和島市のをみてみると、18歳以上という以外には資格要件はなく、かんきつ農家の手伝いが主なようである。イベント、交流会への参加や体験をおりこんでいて、一日6000円の日当ということらしい。これと普通のアルバイトや就労がどう違うのか不思議である。それにワーキングホリディというと海外生活を通じて主に語学を学ぶことが目的となる。これが国内というといったい何を学ぶというのだろうか。どうも趣旨不明でどういう人が応募しているのか知りたいものである。http://www.soumu.go.jp/furusato-workingholiday/このほかにも、最近の政府の施策には耳ざわりはよいのだが、趣旨不明のものが多い。プレミアムフライデーといって、金曜日には就業を早くきりあげ、経済効果につなげようとする施策や、一億総活躍といって高齢者も働かせようとする施策とか…。前者など可処分所得が増えなければ消費など増えるわけないし、後者も「活躍」というのかどうかは知らないが、生活のために働かなければならない高齢者は確実に増えている。
2017年01月11日
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同じものごとでも「何を問題にするか」で意見は全く異なってくる。出生児数が100万人を割った。これについて多くの人は人口の減少を問題視し、1億の人口を維持するための施策を検討しようとする。外国人労働者の受け入れなども人口維持という見地から主張する人もいる。これに対しては、ちょっと疑問がある。出生時数が100万割ったというのは現象である。これを人口減少という側面だけで捉えるのはおかしいではないか。何を問題にするか、何が問題であるか…についてもう少し考える必要がある。出生数とともに減っているのは婚姻数である。出生児数の減少の多くは未婚化によってもたらされている。そして未婚率についてみると、特に男性の未婚率は収入と強い相関がある。収入が低く、雇用が不安定であるために結婚できない男性が相当数いるわけで、本当の問題はむしろこっちであるのかもしれない。そうだとしたら外国人、特に単純労働者の受け入れなどは、こうした本当の問題の解決とはむしろ真逆の方向でしかないように思われる。というのは外国人の単純労働者の受け入れは、ますます低賃金、不安定雇用の若者を窮地においやるからである。西欧では、既に外国人労働者の流入で職を奪われたり、待遇が低いままにおかれた若者の不満が爆発し問題となっているという。こうなると、外国人の流入で確かに人口は増えた、けれども、原日本人の子供はかえって減りましたということになりかねない。さらにいえば、外国人といった場合に、どんな外国人がやってくるかも重要な問題である。西欧ではアフリカや中東からの流入が主であるが、日本の場合は地理的な状況からしてちょっと違う。世界には様々な民族がいる。好戦的な民族もいれば、戦闘を忌む民族もいる。同化しにくい民族もいれば、郷に入れば…ですぐに同化する民族もいる。日本の場合には中国人が数として最も多く流入するのではないか。中国人は強固なネットワークをもち、語学も堪能な人が多く、商才にもたけた人が多い。そしてけっして同化しないし、多産を幸福とする価値観をもっている。歴史的に見ても、中国は戦争によってではなく、旺盛な人口圧力で、版図を拡大してきた。中国の広大な領土はいわずもがななのだが、東南アジアの国々の中にも、事実上、国の経済や政治は中国系が牛耳っているようなところもある。
2017年01月09日
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房総半島の最高峰の鋸山に行ってきた。全国の都道府県の中で最高地点が一番低いのは千葉県で、鋸山も330メートルとさして高くはない。ただ房総半島を遠望するとき、ぽこっと三角にとがってみえるので大変に目につく。この山の特色は、巨大な岩山という趣であちこちに岩が露出しており、こうした岩壁には摩崖仏の百尺観音と日本寺大仏とがある。また、岩壁が庇のように突き出したところがあり、そこから下をのぞけるようになっているところが「地獄覗き」という名所になっている。岩だし、もちろん鉄柵もあるので、人間がぎっしりと乗っても、まあ大丈夫だと思うのだが、なぜか一人、二人で順番に除くので並んでいるとけっこう時間がかかる。ただ、その絶景は素晴らしい。とにかく岩をよじのぼったり、下りたりするところが多いので、運動靴のようなもので行くのがよいだろう。ここはまた上総と安房の国境でもあり、上総の金谷と安房の保田を一望できる。今でも安房には南国的で豪放磊落な気風があるといわれ、その昔、黒潮にのって移住してきた人々が多いのではないかという説もあるらしい。安房と阿波の音が同じであることや、白浜など南紀と共通する地名があることをその証左とするらしい。ことの真偽はともかくとして、眼下に広がる海と集落をみていると、はるか昔にそんな人々の移動があっても不思議ではないような気がする。
2017年01月08日
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韓国で慰安婦を象徴する少女像を建てたといって問題視する人がいる。しかし、外国の土地で外国人がどんな像をたてようが、ほっておけばいいのではないか。政府関係者や一部の論客が騒いでいるが、大方の日本人にはどうでもよいことのように思う。それよりも、中国で東条英機の銅像があり、それは後ろでに縛られて跪いた姿勢になっており、仰ぎ見るためのものではなく、唾をはきかけるためのものだという。東条英機、銅像で画像検索すると出てくる。これこそ死者を鞭打つ悪趣味極まるものだと思うが、相手が中国のような強大国だと何もいわないのだろうか。東条英機は既に歴史上の人物だし、中国の地で中国人がやっていることで、外国人がどうこういうことではないということなのだろうが、ならば慰安婦の少女像だって同じではないか。なんかこういう問題というのは騒げば騒ぐほど問題が大きくなるように思う。
2017年01月06日
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菊池寛「真珠夫人」を読んだ。菊池寛というと純文学だけでなく、大衆小説も書いており、これはおもいきりの大衆小説で年末年始にかけていっきに読み終えた。貧窮した華族と成り金との対立を背景にした、大正時代の小説で、才色兼備の華族の娘が親の借金のために成り金のところに嫁に行くということが物語の発端になっている。荒唐無稽な展開のようであるが、それで読ませるのは、さすが文豪の作というだけのことはある。かったつに自分の意見をいい、男性とも対等の文学論などを戦わせる女性…これが真珠夫人瑠璃子の大きな魅力なっているのだが、今日ではまったく普通のこうした女性が、当時は希有な存在として描かれているのも興味深い。それにしても、瑠璃子が自分のサロンに多くの上流階級の男性をはべらせ、気のあるそぶりをしながら、こっぴどく拒絶して、男性を傷つけるというのが、物語の大筋になっており、冒頭には自殺同然にして命を絶つ学生も出てくる。しかし、男性と女性は違う。男性に弄ばれた女性はたぶん心身に大きな傷を負うのだろうが、男性は違うように思う。たとえ、女性が最初から本気ではなかったことを知ったとしても、男性はひとときでも、美しい女性とつきあったこと、それが会話や食事をともにすることであったとしても、それをもってよしとするのではないか。大正時代の物語なのであるが、真珠夫人瑠璃子に翻弄される男がひよわにみえてしまう。以下ネタばれもっとも最後はストーカー殺人のような場面も出てきて、女性に弄ばれた男性が、恋情を憎しみに変化させるという心理は昔も今も変わらないのかもしれない。この物語では、真珠夫人瑠璃子よりも、周囲の人々、なかんずく成り金の先妻の娘の心理がよく描かれており、先妻の娘や瑠璃子の兄や元恋人、そして瑠璃子に誘惑された狂言回し役の会社員などが、それぞれ落ち着いた結末を迎えることが読後感がよいゆえんなのかもしれない。実は菊池寛を読んだのはこれがはじめてである。純文学も含め、他の作品も読んでみたいと思う。
2017年01月05日
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有名神社はどこも初詣で大変な人出だが、この初詣が風習として定着したのは意外に新しく明治中期だという。そういえば伝統的な日本のお正月風景で思いだす羽根つき、凧揚げ、門松、雑煮なども、今のような形で普及したのはそんなに古いことではないのではないか。伝統といっているものの多くは実はそんなにふるくからあったものではない。いってしまえば、何となく自分の幼少期の想い出や父母の昔語りにあったもののうち、好ましいと思うものを「伝統」と呼び、それがあたかも古くからあって、これからも守っていかなければならないものと思いこんでいるだけなのではないか。昔は普通にあったような妾の風習や男色、それに家柄や生まれによる差別などを「伝統」とよぶ人はいない。かように「伝統」という言葉も恣意的である。思うに社会の風潮や風習というものは案外早い期間にかわるのではないか。あたりまえと思っていたことが、いつのまにかあたりまえではなくなっている。年末年始やお正月休みは「あたりまえ」と思っている人がいるが、今では年末年始も開けている店は多く、山のような荷物を抱えた宅配便のトラックも走りまわっている。実はお正月も休んでいない人々というのはかなりの数に上るのではないか。出生児数が100万人を割ったという報道があったが、これも「結婚して子供を持つ」ということがあたりまえではなくなったということであろう。少子化というと少なくなった子供にスポットをあてる報道や分析が多いが、少子化と同時に進行しているのは未婚化であり、中年以上の未婚者の増加が社会をどう変えていくかという分籍はあまりない。その一方で、「あたりまえ」でなかったものがあたりまえになっていくものもある。昭和30年代くらいには「意味もなく騒ぐ若者のクリスマス」を批判した記事があったが、クリスマスはいまでは「意味もなく騒ぐ行事」か恋人同士が「せい夜」をすごす日として定着している。これもすでに日本の伝統になりつつあるわけである。
2017年01月04日
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新年はどこに行っても渋滞、混雑なので、それを避け、あまり知られていない散策コースに行ってきた。丹沢山塊の先にある低山の権現山と弘法山である。年末年始は経済活動が低下するために、天候さえよければ、素晴らしい眺望が楽しめる。自動車で登れるところまで登ったが、下から歩いて登ってくる人も多い。平坦で広い尾根道を歩くと、回り道の山道コースと階段コースに分かれる。しばらく階段を登れば、そこは権現山の山頂広場だ。上には昔の高楼を思わせる展望塔があり、そこからは左手の三浦半島から、右の真鶴岬、さらにその奥の伊豆半島と相模湾を一望できる。そして反対側に回ると、今度は丹沢山塊の大山がすぐ目の前に見え、その大山と箱根の山々の向こうには富士山が壮麗な姿を見せている。こうなると、眺望の主役は富士山で、多くの人が富士にカメラを向けていた。権現山を下り、さっき通った尾根道をもどっていくと、今度は古びた登り道がある。権現山に比べると整備はされていないが、それでも登りやすい道だ。冬枯れの時期なので、登り道からもさっきとは別の展望が開ける。丹沢山塊から続く丘陵とその先に広がる街。三浦半島の手前には江の島もみえる。弘法山は展望の山というよりも信仰の山という面が強い。山頂のはお堂があり、そこで手を合わせ、祈願を行なった。この権現山と弘法山の分岐近くには、一軒だけレストランがある。料理だけでなく、民芸調の造りも気に行っており、正月二日も営業していた。いつもは過重労働を強いる正月営業は問題だ…なんて思っているのだが、このときばかりは、この店が空いていたのはうれしかった。尾根道には桜の木もたくさんあった。花の季節にも、ぜひまた来てみたい。
2017年01月03日
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どうか本年もよい年でありますように…。初日の出を特に見に行ったことなどはなく、たいていは我が家のベランダからみるくらいなのだが、今年は思い立って近くに高台まで行ってきた。快晴の空の一角が黄金に輝き、朝日が昇ってくる様は壮麗である。ベストスポットの一角には若い人々がぎっしりと群がっていたのだが、考えてみれば、1月1日というのは人間の作った区切りに過ぎず、地球は今日も明日も変わらずに回り続ける。こんな天気の良い日にはときおり朝日を見に行くのもよいかもしれない。昨年の英国のEU離脱や米国のトランプ氏の当選はマイナスにとらえる人も多いのだが、むしろ人々がマスコミに左右されなくなったという意味ではプラスの面もあるのではないか。権力者がマスコミを抱き込み、そのマスコミが大衆を操作するということができなくなっているわけである。日本では、まだまだマスコミの力が強いようだが、その影響力も次第に減っていくのかもしれない。本日の読売の朝刊一面の記事「中国、海底に命名攻勢」というように、周辺国の脅威を煽る報道が多く、総理も「中国封じ込め」とか「中国に対抗」ということを外交の軸にしているようにみえる。しかし、本当の日本にとっての脅威は外からではなく、内からくるように思う。ロスジェネがいよいよ40代の後半に入り、その親の団塊世代も完全引退の年齢になる。それにともなう問題の方が外国の脅威よりもよほど深刻なように思う。
2017年01月01日
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