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国旗損壊罪が成立したが、そもそも国旗を尊重する思いというものは法律で強要できるものなのだろうか。国旗を損壊することにより不快な思いをする人々が多いとしたら、国旗損壊をする政治団体や政党は決して支持を得られない。そんなことを行う個人は非難される。店だったら客が入らなくなる。罰則などがなくても、十分に社会的制裁を受けるわけである。そしてまた、国家を象徴するものは国旗だけではない。最近、ハバロフスクで対日戦勝を記念する像の除幕式があったのだが、それがソ連兵士が菊の紋章の入った石を壊しているものであることから、日本側では菊の紋章を除去するように要求しているという。ここでは国旗ではなく、菊の紋章が日本の象徴ととられているわけである。菊の紋章≒日本と見れば、日本人はよい感じがしない。ただ、この兵士が破壊している石は旧樺太の陸上国境にあったものを模したもので、大日本帝国と界境という文字もある。「イワンを撤去せよ」―日本、ハバロフスクにある第二次大戦終結を記念するロシア兵の像の撤去を要求 - 北方領土特急便近代史をロシア側の視点でみてみる。日本の南樺太に領土を広げたのは日露戦争の結果であり、その日露戦争は太平洋戦争と同様に宣戦布告なしの奇襲で始まった。そしてまた、日本側は講和を有利にするためにポーツマス条約の前に樺太に侵攻し、占領している。その後のシベリア出兵でも日本は侵略者であったし、あの731部隊の人体実験でもソ連側の犠牲者もいたという。そうであるならば、兵士が破壊しているのが、サハリンの界境の石というのももっともだろう。日本側の抗議は当然のようだが、軍国主義日本の戦争責任という議論が再燃する可能性もある。
2026年09月06日
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「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」を五大長編というらしい。もっともドストエフスキーくらいになると他に駄作の長編があるわけもなく、生涯に書いた長編を五大長編としているのだろう。このうち「未成年」については、低く評価する向きもあり、これを除いたものを四大長編ということもあるらしい。「罪と罰」は最初に読んだ世界文学なので印象に残っている。中学一年の夏くらいであったが、とにかく暗く、主人公が次第に追い詰められていく状況が読んでいて辛く、それでもなぜか続きが気になって仕方がなく、二か月以上かかって読みおえた。その後、就職してからも一度読んでいる。「カラマーゾフの兄弟」は高校生の時に読んだのだが、ゾシマ長老が亡くなった場面の星空の描写に圧倒された。これも、亀山郁夫氏の新しい訳が話題になったときに読んでいる。「白痴」は就職してまもない頃に読んだのだが、あまりのバッドエンドを知っているので、途中で読む気をなくしたようだ。ちょうど忙しい時期で、だらだらと読み進み、最後まで読んだという記憶もない。「悪霊」はその後、かなり落ち着いた時期に一気に読んだのだが、正直あまり印象に残っていない。今、「未成年」を読んでいる。実はこの小説、これも就職して三年目頃に読み始めたのだが、上巻の三分の一あたりで投げ出した記憶がある。他の作品のようにドラマチックな展開があるわけではなく、主人公があっちの家、こっちの家を訪れる場面が続くばかりでひどく退屈に思われたのだった。ところが再読(といっていいのかどうか)してみると、これが面白い。一人称小説であるので、主人公目線で、19世紀ロシアの貴族社会を、私生児であり未成年であるという鬱屈をかかえながら巡ってみる。こんな形で読書を楽しむのもかの「失われた時を求めて」でこうした小説の楽しさを経験したこともあるのかもしれない。大きな夢、理想、自尊心…こうしたものも若者ならではのもので、そしてときにはぶつかったり、はめをはずすこともある。読了したら、あらためて感想を書くこととする。
2026年09月04日
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意外な数字と言うものがある。それはここ10年で大学進学率が10%も上昇しているのだ。具体的には2016年で51.5%だったものが2025年で58.6%となっている。他の進路で見ると短大が減少しているので、かつては短大に進学した層が大学を目指すようになったということなのかもしれない。大学進学する場合の経済的負担は大きい。父母の懐も厳しい状況で、逆に大学進学率は頭打ちになっていくのかと思っていたのだが、さにあらずというわけだ。成績要件のない奨学金(実態は有利子のローン)の充実や生き残りをかけた大学側の高校への働きかけもあるだろうし、18歳人口が減少していく中で、その親になった層というのは同世代の勝組である場合が多く、教育費負担に耐えられる層なのかもしれない。ただ、同世代の6割近くとなると、どうしても学力下位の層も進学することになる。皮肉なことに大学進学率が上昇したにもかかわらず、受験競争といった言葉も死語になって久しい。真偽のほどはわからないが、分数計算のできない大学生というのもいるという。そのため、そうした中学校の復習程度の授業を行う大学もあるらしい。こうしたものにも多額の補助金が使われているのはばかばかしい限りである。大学で相応の勉強をしたい人は進学すればよい。ただ、そうではなく、低学力の高校生が勉強しないで大学に入り、親の老後資金を削ったり、あるいは自分が借金を負って大学に行く意味というのはどこにあるのだろうか。結局のところ、世の中全体を見て、高卒だとまともな就職がないと思われていることが根源的な問題なのではないか。公務員でも高卒相当の採用枠を減らしているようであるし、技術を身に着けて世に立つような職業もますます厳しくなっている。美容院や菓子店の廃業が増えているということは、そこで働く美容師や職人も職を失うのだから。ただ、6割も大学へ行く時代であれば、大卒≒事務職というのも幻想だろう。それがわからずに、瀟洒なオフィスでの事務職にこだわれば、卒業後は奨学金と言う借金を抱えた不安定労働者という途しかなくなっていく。
2026年09月02日
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なんとなくの印象で検証するのは大変なのだけれども、最近の歌やドラマでは、どうも恋愛が大きなテーマではなくなってきているような気がする。歌に関しては、レコードからCD、さらに動画サイトの時代になってくれば、ほとんどの国民が知っているヒット曲というものはなくなってきている。だから恋愛ソング自体がなくなっているというよりは母集団であるヒット曲なるもの自体がないというのかもしれない。次にドラマであるが、これは恋愛テーマが明らかに減っているように見える。その昔、トレンディドラマなるジャンルがあり、これは都会でおしゃれに暮らす男女の恋愛が主なテーマだった。今、こうした恋愛を主軸にしたドラマがどのくらいあるのだろうか。目立つのは、刑事、弁護士、医師を主人公にしたものばかりで、恋愛というテーマはわきにしりぞいている。最近の調査によれば未婚の若者(15歳から39歳)の35.1%が結婚するつもりはないという。結婚の前には恋愛、さらにその前には異性に対する関心があるのだが、どうも、結婚離れだけではなく、恋愛離れという現象が起きているのではないのだろうか。そういえばここのところのヒット曲をみても、高年齢者が青春の恋を回想するようなジャンルでは名曲がでているが、青春の恋を歌ったような名曲は平成以降でていないようにみえる(知らないだけかもしれないけど)。そもそも青春なんて言葉自体半分死語のようだし…。想像かもしれないけど、最近の若い人にとっては恋だの愛だのという言葉自体がすごく大時代的に聞こえているのかもしれない。
2026年09月01日
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