東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2017.04.29
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「神のご計画の全体8       2017年4月30日
   生命の惜しみない利他性」

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年9月12日放映「 三つの創造
説教要約 908     聖書が教えている奇蹟、その1 
説教要約 909    聖書が教えている奇蹟、その2

「神のご計画の全体8 生命の惜しみない利他性」

            甲斐慎一郎
            創世記1章

進化論は「環境によりよく適応したものが生き残る適者生存によ
り、強い者が生き残り、弱い者が死に絶えて生物は進化する」と教
えていますが、 自然界の動物は、弱い草食動物が80パーセントを
占め、強い肉食動物は20パーセントしか存在していません。 もし
進化論が本当なら、弱い草食動物は死に絶えて強い肉食動物しか存
在しないはずですが、自然界の動物は、そのようにはなっていませ
ん。

一、生命の惜しみない利他性

  「横浜のみなとみらい駅で降りて、長いエスカレーターを昇って
いく。すると黒い大きな壁一面に端正な碑文が刻まれている。独語
の詩とその和訳。これはいったい何だろう。

 『樹木は、この溢れんばかりの過剰を使うことも享受することも
なく自然に還す』とある。…… もし植物が利己的に振る舞い、自分
の生存に必要最低限の光合成しか行わなかったら、われら地球の生
命にこうした多様性は生まれ得なかった。 碑文はこう続く。 『動物
はこの溢れる養分を、自由で嬉々とした自らの運動に使用する』
これは18世紀のドイツの詩人フリードリッヒ・フォン・シラーの
言葉。一次生産者としての植物が太陽のエネルギーを過剰なまでに
固定し、惜しみなく虫や鳥に与え、水と土を豊かにしてくれたから
こそ今の私たちがある。…… 生命は利己的ではなく本質的に利他的
なのだ。その利他性を絶えず他の生命に手渡すことで、私たちは地
球の上に共存している 」(生物学者の福岡伸一氏「生命の惜しみな
い利他性」より抜粋)。

二、食物連鎖(食物網)について

 陸上の生物には、草の葉をバッタが食べる→バッタをカマキリが
食べる→カマキリを小鳥が食べる→小鳥をタカが食べる……といっ
た生物間のつながりがあります。海では、植物プランクトン→動物
プランクトン→イワシ→イカ→アシカ→シャチ……などのつながり
があります。これを一繋がりの鎖として取り出した時、食物連鎖と
呼びます。

 食物連鎖は生産者と消費者そして分解者という三つで構成されま
す。
1.生産者 ―― 植物は、太陽のエネルギーと水と二酸化炭素を利
用して光合成を行い、デンプンや糖を作ります。さらに窒素や各種
ミネラルを組み合わせて、タンパク質や脂肪などを作り出すのです。
2.消費者 ―― 植物(生産者)を餌にする草食動物が第一次消費
者で、草食動物を食べる肉食動物が第二次消費者です。 以後第三次、
第四次となります。
3.分解者 ―― 生物の死骸やフンなどは、さらに他の動物に食べ
られたり、細菌、菌類などの働きによって分解されていきます。生
物を構成していた有機物は、やがて無機物と水と二酸化炭素まで分
解され、再び生産者に利用される日まで自然の中を循環します。

  自然の植物も動物も惜しみない利他性があり、食べられるために
生きているようなものです。 これは進化論が教えている「環境に適
した動物が生き残り、不適格な動物は死に絶える」という自然淘汰
とは反対です。 生命に利他性がなく、自然淘汰という利己性である
なら、生物は絶滅します。動物の利己性を教えている進化論は、非
科学的で誤りです。

三、人間も利他性がなければ絶滅する 

 人間も、両親や教師が子どものために自分を犠牲にして教えたり、
働いたりしているので、子どもは育ちます。 社会においては食物連
鎖のように農林水産業、工業、商業(商店)など製造業の人が「生
産者」で、生産された物を食したり使用したりする人が「消費者」
で、清掃業者などゴミを収集したり処理したりする人が「分解者」
で、分解された物は再び「生産者」に利用されます。 人は、隣人の
益のために自分を犠牲にしているので、生きていくことができます。

聖書は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と教えてい
ます(マタイ22章39節)、人は、自分の益のためではなく、隣人
の益のために自分を犠牲にする時、死に絶えることなく生きていく
ことができるのです。

甲斐慎一郎の著書 説教集












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Last updated  2017.04.29 18:54:11
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