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慶大の猛追及ばず、連勝は5(1分け挟む)で止まり今季2敗目を喫した。1点を追う9回、1死後に一塁方向に連続のバント安打を狙い、これが成功。一、二塁にすると、なおも四球を得て満塁と攻めた。しかし、後続が打ち取られ、対法大は1勝1敗となった。8回には2死満塁で意表をつく本盗を仕掛けたが、失敗に終わっていた。堀井哲也監督(60)は「もう一歩でした。相手がいい投手なので。ホームスチールはベンチの失敗です」と振り返った。(以上、日刊スポーツ)<10月9日 慶応ー法政2回戦>慶応 000 000 020 =2法政 000 020 10X =3(慶)●外丸、渡部淳、橋本達 (法)〇篠木、吉鶴 慶応が先勝して迎えた2回戦は、今季打線がつながらず5連敗中の法政が珍しく3点をリードして終盤に。そして迎えた8回、慶応の反撃が始まった。代打・北村謙介(4年、東筑)と1番・朝日晴人(4年、彦根東)の適時打で2点を返すと、なおも二死満塁のチャンス。そして5番・左打者の山本晃大(4年、浦和学院)が打席に。今季出塁率5割近くを誇る打者を相手に、法政は最低でも同点を覚悟した場面。 この時、法政の投手は左腕・吉鶴翔瑛(2年、木更津総合)だったが、ここで慶応は本盗を敢行した。しかし三塁走者の北村がスルスルッと本塁へ突進するも間一髪アウトに。なぜこの場面で本盗? 法政からすれば山本と勝負するほうが嫌だったに違いない。堀井哲也監督はサインプレーだったことを認めたうえで「もう一歩でした。相手がいい投手なので。ホームスチールはベンチの失敗です」と話した。 本盗といえば、昭和6年の三原脩さんさん以来、上本博紀(平成20年)、瀧沢虎太朗(令和元年)と続く早稲田の専売特許とばかり思っていたが・・・(笑) ただ三原さんの場合は、成功したにもかかわらず、飛田穂洲氏から大目玉を喰らった。飛田氏曰く、「まったく定石はずれの暴挙である。打者が右であればよいが、左打者では捕手から丸見えであり、偶然成功したに過ぎない。もし失敗したら、その軽挙は早大を深淵の底に叩き込んでいたろう」と。 今回は早稲田ではなく慶応だったが、打者は同じ左打者で捕手から丸見えの状態だった。ボクには奇異な策に見えたけれど、この本盗を見ていた方たちにはどう見えただろうか?
2022.10.09
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先週行われた法政と明治のカードは、明治が連勝して3つ目の勝ち点を挙げた。 この連勝の分岐点となったのは1回戦目、スコア1-1の同点で迎えた7回表だったと思う。二死三塁の場面で、明治大の2番・飯森太慈(2年、佼成学園)がカウント2-0からセーフティバントを敢行、捕球した一塁手がどこにも投げられず、その間に三塁走者が生還、俊足を活かして決勝点を挙げた。 飯森は「(ベンチからのサインはなく)自分の判断でやりました。バントは一番練習してきたので」と話した。 スタンドから見ていてワクワクするのは、このような野球センスの高い選手だ。右投げ左打ち、163㎝、61㎏、50m走5秒8。まだ飯森を知らない方も、このデータを見ればどんな選手か凡そ想像していただけるでしょう。送りバントだって素直にバントをしない、バットをゆらゆらと揺らしつつ相手バッテリーにプレッシャーをかけ続けるなど厭らしいことこの上ない。 考えてみれば、明治には飯森のような選手がこれまでも少なくない。あくまでボクの見立てですが、例えば旧くは福田周平(現オリックス)、そして福田とほぼ同世代だった大塚健太朗、小倉貴大。最近では丸山和郁(現ヤクルト)もそう。他の5大学ではなかなか見かけないタイプ。こういった選手たちが明治の野球を支えているようにさえ見える。接戦に強い秘訣かもしれない。(写真)ジャーンプ! 打席に入る前のルーティン。
2022.10.05
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9回2死満塁、専大先発・菊地吏玖投手(4年=札幌大谷)の球が捕手の後ろにそれると、すかさず三塁走者がホームイン。サヨナラ勝利に東農大ナインはベンチから駆けだし、抱き合って勝利の瞬間を分かち合った。両先発投手の好投が続き、スコアボードには0が並んだ。東農大先発の鶴田克樹投手(4年=下関国際)は1度も三塁を踏ませることなく、相手打線を封じた。自身で「粘り強くなった」というように、最後まで気持ちを切らさず3安打1四球で完封した。試合後、鶴田は「流れが来なくて、今までで一番しんどかった」と疲労困憊(こんぱい)の表情。だが「フォアボールの数も減ってきた。手ごたえがあります」と自信を見せた。プロ志望届は提出せず、今後は社会人に進む予定だが、視察したスカウトも「だんだん良くなってきている。将来性のある選手」と評価した。(日刊スポーツ) 東都2部が大混戦です。これまで”下位”が指定席だった東京農大が首位・専修大に先勝し、2位に浮上しました(4日現在)。従来の”序列”が崩れつつあります。(10月4日 等々力球場)専大 000 000 000 =0農大 000 000 001X=1(専)●菊池、(農)〇鶴田 立役者は専大打線を完封した鶴田克樹(4年、下関国際)。4年前、エースとしてチームを甲子園ベスト8にけん引した選手です。残念ながら昨年まで実績を残すことができませんでしたが、今季これで2勝目。ドラフト上位候補の専大・菊池吏玖(4年、札幌大谷)に投げ勝ったのですから、嬉しさも格別でしょう。今夏、母校が甲子園準Vを果たしたことも刺激になったかもしれません。 鶴田は現時点でプロ志望届を提出していませんが、これだけの投球を見せられるとプロ側が放っとかないのでは? 今後に注目したいものです。(写真上)鶴田克樹。2019年撮影(写真下)菊池吏玖。2021年撮影。
2022.10.05
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1988年10月19日、ボクは川崎球場の3塁側ベンチすぐ後ろにいた。近鉄とロッテのダブルヘッダー。第1試合開始前には閑散としていた球場が、試合終了の頃には観客がスタンドを埋め、さらにチケットを買えなかったファンたちが球場の外に溢れていた。それまで長いこと近鉄の試合を見てきたが、そんな光景を見たのは初めてだった。 あれから34年経ったけれど、今も不思議なことがある。それは第1試合の9回表、佐藤純一が三本間に挟まれて憤死した直後だった。スコア3-3、この試合に勝たなければ優勝のない近鉄は、最大の好機を潰したように見えた。しかし、まだ二塁塁上には鈴木貴久がいる。次打者は加藤正樹。これまで出番のなかった梨田昌孝は「代打は自分しかいない」と考えベンチを飛び出した。たしかに梨田を代打に出すことが賢明な策と思われたが、仰木彬監督はベンチ前に突っ立ったまま。「代打・梨田」とコールするまでにしばらくの”間”があった。 後日、梨田は「この場面は自分しかいないだろう。なぜ仰木さんはためらっているのか?と思っていた」と語っていた。一方の仰木監督は「あの時は、梨田君が現役最後の打席になるだろうから、これまでの彼のことを思い出して感傷的になっていた」と答えていたが、優勝をかけた大一番、それは嘘だろうとボクは睨んでいる。三原マジックの継承者ゆえ、凡人には考えつかない奇想天外なアイディアを秘めていたはずだろう。毎年10月を迎えるたび、愚にもつかぬ想像をするのが常となっている。
2022.10.01
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