1945年(昭和20年)11月23日、「職業野球」が再開した。
その試合のことを。
■その試合のオーダーを 7月24日のブログ
に記しましたが、選手たちの
当時の所属球団名がわかったので(『ジャジャ馬一代 遺稿・青田昇自伝』
(青田昇著、ザ・マサダ刊)、それを引用・追加しあらめて次に記します。
【東軍】
監督 横沢三郎
1番(8) 古川清蔵 (名古屋)
2番(6) 金山次郎 (名古屋)
3番(4) 千葉 茂
(巨人)
4番(7) 加藤正二 (名古屋)
5番(9) 大下 弘
(セネターズ)
6番(2) 楠 安夫 (巨人)
7番(3) 飯島滋弥 (セネターズ)
8番(5) 三好 圭 (巨人)
9番(1) 藤本英雄 (巨人)
、 白木儀一郎 (セネターズ)
※大下のことは後日、詳しく書きます。
【西軍】
監督 藤本定義
1番(8) 呉 昌征 (阪神)
2番(6) 上田藤夫 (阪急)
3番(4) 藤村富美男 (阪神)
4番(5) 鶴岡一人 (近畿)
5番(3) 野口 明 (阪急)
6番(2) 土井垣 武 (阪神)
7番(9) 岡村俊昭 (近畿)
8番(7) 下社邦夫 (阪急)
、 本堂保弥 (阪神)
9番(1) 笠松 実 (阪急)
、 別所明 (近畿)
、 丸尾千年次
(阪急)
※別所明・・・のち毅彦。
戦前の「職業野球」での活躍度からすると、 青田昇
氏が参加していないのは
不思議ではある。ただ戦前に「巨人」に在籍し、戦後すぐに「阪急」に所属した
ため、「戦後、チームを代わった者は、出場資格なし」というルールに抵触し、
青田さんは寂しく球場から試合を観戦していた。
◇ 青田昇
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「青田昇さん、遅すぎた殿堂入り」
(2009.1.15) →
こちら
へ。
この記事は『ボクにとっての日本野球史』の中で、次の期に属します。→ (第5期) 1946年(昭和21年)、戦後、東京六大学リーグ・職業野球が復活した時以降
(第5期)に属する他の記事は以下のとおり。
◇ 「ボクの日本野球史」
(2009.7.1) → こちら
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「西本幸雄、職業野球選手になった頃」
(2009.7.18) → こちら
へ。
「関根潤三、職業野球選手になった頃」
(2009.7.18) → こちら
へ。
「豊田泰光、職業野球選手になった頃」
(2009.7.19) → こちら
へ。
「戦後、職業野球の復活」
(2009.7.24) → こちら
へ。
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