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世の中では、ポジティブ思考がよくて、ネガティブなのは良くないという同意がありますよね。そして、「ポジティブ思考で行こう」、「モチベーションを高くしよう」、「モチベーションを上げよう」っていろんな本や講演会などで熱く語られますよね。ところが、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、実はそんなにポジティブ思考ではないし、モチベーションを上げようっていうことにもそんなに興味も無いようです。それはなぜかというと、ポジティブ思考や高いモチベーションには、実はワナが用意されているということをちゃんと理解しているからのようです。ポジティブシンキングのワナっていったい何かというと、モチベーションやポジティブシンキングを熱く語る人を冷静な目で観察しているとみえてきます。ポジティブシンキングやモチベーションのことを熱く語る人のまわりには、どんな人が集まっているのがみえてくるでしょうか。冷静な目でよくみてみると、ポジティブシンキングを熱く語る人の周りには、ポジティブシンキングのことを熱く語らなければならないようなエネルギーの人が集まっているのがみえてきます。つまり、依存系のエネルギーの人たちが集まってくるようです。なぜ、そういうエネルギーの人が集まってくるかというと、メルマガ「カッコイイ女は、カワイイ女」でも紹介しましたが、強いポジティブ系のエネルギーの人には、依存系のエネルギーの人が来ることで、バランスをとるということ、つまり世の中の「ことわり」として、そうなるように出来ているようです。強いポジティブ系のエネルギーは、依存系のエネルギーを呼ぶことでバランスを成立させ、依存系のエネルギーは、強いポジティブ系のエネルギーを呼び寄せることでバランスを成立させるようです。つまり、お互いがお互いとして存在するためにお互いを必要としているということなようです。では、幸せな成功者と呼ばれる人、人生を深い満足の中で幸せに生きる人たちは、どういうポジションに生きているかということなのですが、彼らは強いポジティブでも、ネガティブでもないひじょうに自然体な状態、ニュートラルなポジションから生きているようです。いつも自然体で生きているため、モチベーションを上げる必要もなく、自然に自分のやりたいことをやりたいように、自分のビジョンに沿わせてやっていくという生き方をしています。そして、ニュートラルなところから生きていると、ニュートラルで自然体な人たちが集まってきます。逆に強いポジティブ志向の人や依存系の人たちは寄ってくることが出来ないようです。なぜなら自然体、ニュートラルなポジションの人は、スタンドアローンな存在、つまり、なにかに依存する必要がなく、自分の人生に深い感謝と承認があるので、依存や強いポジティブの人がアクセスしようにも、既にバランスを取れている人とでは、バランスをとるためのアクセスが出来ないからのようです。強いポジティブでもなく、ネガティブでもなく、ムリにモチベーションを上げる必要もないニュートラルで自然体の生き方。それが人生をホントに幸せに生きている人たちの生き方のようですね。
November 30, 2005
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いろんなビジネス書をみてみると、3日坊主は悪くない、また次の日からはじめればいいというフレーズが出てきたりしますよね。ですが、わたし達の意識の中には、「3日坊主はダメ」っていうのがありますよね。なぜ、そう感じるかというと、新しい習慣を実践していくことで、生活や人生を変えようとしているのに、3日坊主をしてしまうということは、新しい習慣が続けられない、つまり実践ができない、ゆえに結果もこれまでと変わらないということを知っているからですよね。また、3日坊主は悪くない、また次の日からはじめればいいと言うということは、3日坊主をしたとしても、徐々にでも慣れていけばいいという、「3日坊主はダメ」という意味を含んでいるからでもありますよね。さて、そもそもなぜ3日坊主という状態は起きてしまうのでしょう。実はこれには2つの理由があります。ひとつめは、ホントに自分の生き方に沿っていないのに、社会の常識やセオリーでそうだからと、自分の生き方に沿っていないことを、知らないでやろうとしているか、なんとなく気づいていても無視してやろうとしているかというのがひとつ。もうひとつは、ホントの深いところでは、「なぜこれが自分に必要なのか」、「これをやることでどれだけ自分の人生に有益なのか」ということを知らないで、うわべだけでやろうとしているかということのようです。どちらにも共通しているのは、社会一般でこうだからか、成功者達がこう言っているからというように、自分では、深いところまでは「がてんがいっていない」ということのようです。マスターは多くのメンターたちから、幸せの人生への知恵、豊かになるための知恵を伝えてもらいました。ですが、そんな教えも、いざやってみると、ほとんどが3日坊主ばかり。そのたびに、「どうして自分がこんなにもダメなんだろう」って自分を責めてばかりいました。ですが、ある時「ああ!これって、こういうことだったのか!」ってやろうとしていたこと、やっていたことの意味が突然ひらめきのようにみえてきたという体験をしました。それによって、やろうとしていることが、「自分をどこに連れて行ってくれるのか」、「自分にどれだけ有益なのか」がみえてくるようになりました。そうなってしまうと、「やりたいからやる」ということをうけいれるか、うけいれないかの選択をするだけという状態になっていました。自分の人生のビジョン、自分がこの人生でどんな生き方をしたいのかが明確ならば、やろうとしていることがビジョンに沿っているかどうかをみくらべるだけで、やるかやらないかの選択ができます。自分の人生のビジョン、自分がどんな人生を生きたいのかが、まだ明確でないなら、やろうとしていることを「やってみて」、3日坊主も体験してみることで、自分の人生のビジョンがどんなものかをさぐりあてるてがかりを得ることができるかもしれません。メンターたちも言ってくれていますし、マスターも同様に感じているのは、3日坊主はどんどん経験していいっていうことです。3日坊主を責めるのではなく、3日坊主をしてしまった時、ホントはどんな人生を生きたいんだろう?ホントのホントは、今やろうとしていることは、自分が生きたいと望んでいるホントの生き方に沿っているのだろうか?って探求をする機会にすることも可能です。やろうとすることをやってみるという体験をしてみて、3日坊主も体験をしてみることで、そして、ホントの自分の人生のビジョン、人生のミッションを探し出すてがかりになるかもしれませんね。
November 29, 2005
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幸せな成功者と呼ばれる人たちは、目の前に起こるいろんな出来事やほんのささやかな出来事からもメッセージをうけとるとお伝えしてきました。人との出会いや、久しぶりに出会った人とのこと、なにげに目をやった先に起きていたこと、机に置いてあったペン、乗り遅れた電車、たまたま手にとった本、道を歩いていて靴が石に引っかかったこと、多くの普通の人なら、まったく気にもとめないようなところから、人生の貴重な情報、幸せな人生へのメッセージをうけとります。彼らと、多くの普通の人の大きな違いは、この意識を向けていなければ、まったく気にとめることもないささやかだけど、重要なメッセージをどんなところからでもキャッチできるアンテナを洗練しているかどうかということのようです。多くの普通の人たちににはなくて、彼らが身につけているセンスは、「どんな出来事にも偶然はない」、「人生のあらゆるところに人生を幸せに導いてくれる標識がちゃんと立っている」ということです。人生には、ありとあらゆるところに、幸せへと導いてくれる標識が立っています。わたしたちは、そのことに意識を向け、標識に従っていけばいいわけですが、多くの普通の人は、そんな標識があるということを知らないことすら知らないでいます。ゆえにまっすぐに進めばいい道を、「あっちでもない、こっちでもない」と迷ってしまうようです。さて、人生には幸せに導いてくれる標識がある、ささやかなメッセージにも耳を傾けるという話をきいた多くの人は、「そうか、人生に起こることには意味があるんだ」と意味を探し始めますが、ここで大きなワナにたいていの人は陥ってしまいます。それはどういうことかと言うと、「きっとこうにちがいない」と結論付けてしまうということです。例えばよくあるのが、久しぶりに出会った人がいたり、新しい出会いがあると、「この人と出会うためにここにきたんだな」って結論付けてしまったりします。これは、わたし自身も以前よく陥っていたワナなのですが、結論付けるということは、それ以上の探求をやめてしまうということ、つまりそれ以上のメッセージをうけとらなくなるということになってしまいます。探求をやめ、それ以上のメッセージを受け取ることをやめてしまうと、更に素晴らしい次へのステップを見逃してしまい、そこに立ち往生してしまう、何度も何度も停滞期間をつくってしまい、その間、「どうしてうまくいかないんだろう?」か、「どうしたらうまくいくんだろう」ということを繰り返し続けるしかないことを、知らないことすら知らない状態に陥ってしまいます。わたしも長い間、これを繰り返してしまっていました。多くのメンターたちが、幸せな人生へのささやかなメッセージの事を伝えてくれていたのにも関わらず、わたしは「こうにちがいない」と早く結論付けたい、早く答えを求めたいばかりに、探求をとめてしまって、何度も何度も停滞期間を経験し、「どうしたらいいんだろう?」と悩み続けてしまいました。そう、「早く結論付けたかった」のは、「早く答えを求めたかった」、つまり、わたしが欲しかったのは、「これでいいんだよ」っていう保証だったようです。「人生におきるとには偶然はない」、「意味がある」、「ささやかなメッセージをうけとる」、という話をきく多くの人が陥ってしまうのが、「自分の道はこれで行こう」という自信や信頼が欠けているために陥ってしまっている、自分以外の誰か、自分以外の何かに求める「保証」です。幸せな成功者と呼ばれる人たちは、起こる出来事からのメッセージ、ささやかな情報に依存していません。メッセージをニュートラルな位置からうけとって、自分の人生を、自分の生きたい方向に導いていきます。人生には自分を幸せに導いてくれるメッセージがあちこちにあるということを、知らない人はたくさんいますよね。そして、幸せな人生へのメッセージがあるということを知識で知っている多くの人たちも、自分が保証を求めているばかりに、貴重なメッセージを読み間違ってしまうということ、メッセージに依存している為に、読み間違ってしまっているようです。これは余談ですが、幸せな成功者と呼ばれる人たちと、多くの普通の人たちとでは、出会う占いも変わってきてしまうようです。幸せな成功者と呼ばれる人たちには、ニュートラルにメッセージを受け取るという準備ができているので、彼らにふさわしい占いをしてくれる友人たちが現れますが、多くの普通の人たちは、「保証」を求めるばかりに、そのエネルギーにふさわしい占いや、占い師がが目の前に現れてしまうようです。ですが、メッセージを読み間違えてしまっている多くの人たちも、実は自分が保証を求めるばかりにメッセージを都合よくとろうとしていることはホントはちゃんと気がついています。なぜなら、都合よくメッセージをとろうとしている時には、なにか自分をなぐさめているような、そわそわして落ち着かない感覚を、ちゃんと味わっているからです。ただ、それを認めるか、無視して自分に言い聞かせようとするかどうかだけのようです。では、メッセージから幸せな人生への貴重なメッセージをちゃんとうけとるにはどうしたらいいのでしょう?それは、実はとても簡単で、ちっとも難しいことではないようです。メッセージをきちんとうけとった時には、「あっ!そうか」って、とても深いところまで染み渡るようながてんや納得が体験できます。ただ、それを難しいととらえるか、なるほど、そういうものなのかもしれないなって、受け入れる準備があるかどうかだけの違いなようです。人生にはホントに、わたしたちを幸せに導いてくれる、ささやかだけど、素晴らしいメッセージが溢れています。どうぞ依存を手放して、「こうでないと困る」という感情を手放して、「こうかもしれない」ってところから、ささやかなメッセージに耳を傾けてみて下さい。そうすれば、そこらじゅうに素晴らしいメッセージがあふれているのが目の前にきっと広がってくると信頼しています。
November 28, 2005
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いつもは、マスターが幸せな成功者や様々なメンターから伝え学んだ、幸せな人生の知恵をお伝えしていますが、今日は週に一度のお酒の話題です。現在は深夜にビールを買おうと思っても、夜11時を過ぎると自動販売機は発売中止状態になってしまいますよね。わたしが高校生だった20年前は、まだ深夜でも自販機でビールを買うことが出来たんです。夜中よくビールが足りなくなると、自転車をとばして、汗をかきかきビールを買いに行ったものです。(おいおい高校生でしょ(笑))ところが高校を卒業してすぐくらいだったと思うのですが、夜11時以降の自販機でのお酒の販売が中止されることになって、深夜に自販機でビールを買えなくなってしまいました。これは当然未成年者が、自販機でお酒を買って飲むのが多かったせいで、世の大人たちは未成年者たちのおかげでたいへんな迷惑をこうむることになってしまったんです。まったく、ホントに迷惑な話ですよね。って、自分たちのせいかっ(笑)!?深夜の自販機でのお酒の販売が中止されてしまったおかげで、夜にビールを欲しいと思っても、なかなか手に入れられなくなってしまいました。そうなんです、今では深夜でもコンビニに行けばお酒は買えますが、20年前のコンビニには、お酒なんか置いてなかったんです。それでも、ごくまれに隠れて深夜でもビールを売っている自販機というのがありましたので、少し遠くても、よく自転車で買いにいったものです。(JR西大路駅前の自販機が当時そうでした)さてさて、今回お伝えするのは、そんな時代のわたしのビールについての悲劇のお話です(笑)。深夜、ビールを自販機で買えなくなった当時、アルバイトを終えて、すっかりのどが渇いていたわたしは、どうしても「ビールが飲みたい!」という衝動に駆られておりました。ですが、先ほどお伝えしたように、当時はコンビニではアルコールは置いていませんでしたで、手に入れることが出来ません。そこで思いついたのが、ほかほか弁当のお店に行って、お弁当とビールを買うというアイデア!よし、これでいこう!とさっそく、ほかほか弁当のお店にバイクを走らせます。とはいっても、ほかほか弁当でも、当時はビールを置いている店は限られていましたので、バイクでも15分くらい走って買いに行ったわけです。それでも、ビールを飲める!という期待にワクワクするわたしは、ほかほか弁当にむけて、愛車ヤマハRZ350(知ってる人には懐かしすぎ?)を走らせました。さてさて、あったかいから揚げ弁当を買って、お目当ての缶ビールを2本購入したわたしは、バイクの後部シートに網かけのフックでお弁当とビールの入った袋を固定すると、家に向かって気持ちよくスタートしました。「はやくかえってビールを飲みたいなぁ」、「ゴキュゴキュって感じで、きっとうまいだろうなぁ」、「いやいや、まずは風呂に入ってから飲んだ方が、もっとうまいかな」、などと、このあとどうすればビールのある時間をより楽しめるかということに想像を膨らませながら走っていたのですが、軽快にバイクを走らせていたところ、とつぜんガタガタと車体に振動がっ!工事中で路面が荒れていたわけのですが、「おいおい、ビールが泡立っちゃうじゃないの!」と思いながらそこを通過しました。さて、荒れた路面を通過して、最初の信号で停車した時に、「ビールとお弁当、大丈夫かな」と後ろを振り返ってみたところ、「ない!弁当はあるけど、ビールが2本とも無い!」という衝撃の状態に!「な....なんでないの!?」、「どこでおとしたの?」、「あっ!そうか!あの振動のあったところだ!」とにかく急回転で脳みそをはたらかせて、ビールの所在を検索したわたしは、バイクをかっとばして、ビールを投下してしまったと思われる場所まで大急ぎで戻りました。「たしかこのあたり」と思われるところまで戻って、バイクを降りてきょろきょろしていると、「あった、あった!」ありました、ビールが2本とも。愛しい2本のビールちゃんたちは、路上に散らばって転がっていました。急いで拾わなくちゃと、1本目を拾ってみると、缶に小さな亀裂が入っていて、わずかずつですが、泡が吹いています。「ああ!こいつはダメだ!」、早くもう一本を回収しなくてはと、急いでもう一本のビールを拾おうとした、まさにその時、悲劇が起きてしまったのです。わたしがもう一本のビールを回収しようとしてビールに駆け寄ろうとした、まさにその瞬間、わたしの愛しいビールちゃんは、そこに通りがかったクルマにベシャ!と踏まれて潰れてしまったのです。「ああ!なんてこと!」あのかわいいビールちゃん、帰ってお風呂上りに楽しもうと思っていたあのカワイイビールちゃんは、無残にも、クルマにつぶされた虫と同じような姿で、路上にその残骸をさらしてしまっていました。わたしは、がっくりと路上にひざまずいてしまっていました。なぜなら、ほかほか弁当に戻っても、もうビールを買うお金は、その日には持っていなかったからです。手には、缶に亀裂が入って、泡が滲み出しているビールが一本だけ。ですが、そのビールを眺めているうちに、わたしの中で、「こいつはまだいける!こいつはまだ飲める!」という「こいつを救ってやりたい」という感情が芽生えてきました。(最初拾った時には、こりゃダメだって言ってたのに(笑))かくして、泡のにじんだビールとお弁当を持ち帰ったわたしは、亀裂の入ったビールを楽しんだわけです。いや、美味しかったんですよ、ホント。捨てなくてよかったわ(笑)。それにしても、あのビールが踏まれた瞬間のわたしの姿。手をのばしつつ、「うわぁ」と悲痛な声を上げていただろうわたしの姿、横で見ていたら、さぞこっけいだったろうなぁ。それとも、共感を呼んで、涙を誘ったかしら(笑)。
November 26, 2005
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知人に久しぶりに誘われて出かけてみたら、愚痴や重い相談ごとだったり、気乗りしない話をきかされたりしたら、「ああ、出かけなけりゃよかった」なんて感じた経験、誰にでもありますよね。ありましたありました、マスターにも。ところで、人生にはあらゆるところに、ささやかだけど人生を幸せに導く為のメッセージがかくされているらしいということをお伝えしてきました。この人生を幸せに導くメッセージは、あまりにささやかな為、普通の人はほとんど気づくことができずにいるので、メッセージをキャッチできません。ですが、人生を深い満足の中で生きる、幸せな人、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、このささやかメッセージをみつけ出して、うけとるアンテナを洗練させているので、そのメッセージから、どんどん人生を前進させ、更にメッセージをみつけてより人生を幸せにして生きます。たとるなら、このささやかなメッセージは、わらしべ長者のわらのようなものだと言えるかもしれません。では、はじめにお伝えしたような、でかけてから、「ああ、やめておけばよかった」って感じたときには、いったいどんなメッセージが込められているんでしょう?どんな出来事にもメッセージが隠されているっていうところから、「ああ、やめておけばよかった」って感じるような出来事をみてみると、きっと、「こういう誘いは、ちゃんと断れという意味だな」とか、「直感で分かったはずなのに、アンテナがまだまだニブイってことか」とか、「こういう人とはつきあうな」ってことだよなって、捉えてしまいがちですよね。マスターにも、そんな経験がありました。ですがその時、よーく思い返してみたんです。「人生には、幸せに導く為のメッセージが隠されているはず」、「だとしたら、『やめておけばよかった』的な後悔のような質のメッセージなんかじゃなくて、もっと幸せに導いてくれる為のメッセージがちゃんとあるんじゃないのか?」って。そして、短絡的に結論づけずに、本当のメッセージを探してみようと意識を集中して、注意深く探してみることにしたんです。そうしたら、ちゃんとありました。後悔のような質のメッセージなんかじゃなくて、ちゃんと幸せに導いてくれる質の、人生の答えのような素敵なメッセージが。それは、その人との会話の中で出てきた、ささやかな一言に含まれていました。もし、マスターが「会うの、やめておけばよかった」ってところに居座ってしまって、そこから動かなかったら、貴重なそのメッセージを受け取ることは出来なかったと感じています。人生のそこかしこ、あらゆるところに、人生を幸せに導いてくれるメッセージが用意されているようです。どうぞ、ささやかなメッセージに耳をすませてみて下さい。そうすれば、世界がホントにわたしたちの為に、素晴らしい幸せな人生の為の機会(チャンス)を、いっぱいいっぱい用意してくれていることがみえてくるようですよ。
November 24, 2005
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前回は、成功者には幸せな成功者とそうじゃない成功者がいるように、メンターにも、幸せなメンターとそうじゃないメンターがいるということ。そして、幸せじゃないメンターは誰でも出会いやすいのだけれど、幸せなメンターと普通の人が出会うのは、なかなか高度で容易ではないということをお伝えしました。なぜ、幸せなメンターと出会うのは容易ではないのでしょう?それにはいくつかの理由がありますが、一つ目の理由は、幸せじゃないメンターは、目立つようにしているけれど、幸せなメンターは意図的に目立たないようにしている、というのがあります。これはなぜかというと、幸せじゃないメンターは、弟子に承認されたいという隠れた欲求、つまり地位や名声への(自分では気がついていない)隠れた欲求があるけれど、幸せなメンターは人に承認されなかったとしても、自分の人生に深い満足を感じていて、自分自身を承認しているので、人に承認される必要がないからのようです。そして、幸せなメンターは、承認されるべき人たちに承認されています。幸せじゃないメンターを見極める方法は実は簡単で、その人の周りにどんな人が集まっているかをみれば、幸せなメンターか、そうじゃないかが容易にみえてきます。2つ目の理由は、一つ目の理由と深い関わりを持っています。幸せなメンターたちは、自分と対等に付き合ってくれる人と付き合いたいと感じているし、それが彼らの生き方のルールでもあるということです。幸せなメンターたちは、自分のビジョン、自分の人生の目的を大事にしてビジョンに沿って生きています。彼らは、そのビジョンに賛同する人、同調する人と対等に付き合いたいと感じています。自分と同じようなビジョンを持っていて、そのビジョンの実現をしようと、自分の生き方に誠実な人に力を貸したい、知恵を貸したいと感じるようです。幸せじゃないメンターと弟子の関係は、言い換えれば、出来る人と出来ていない人の関係といえるようです。教える人と教えられる人、先生と生徒、偉い人とそうじゃない人のように上下のエネルギーの関係を持っています。この関係の本質はどこにあるかというと、偉人として認められたい人と、従う事で認められたいという、自立と依存の関係にあるといえそうです。このハナシのポイントは、幸せなメンターたちは、イキイキ自分らしく生きることで、自分の生き方に賛同する人たちが引き寄せられる事をしっているので、自分を目立たせる必要がない。そして、こころざし、ビジョンを持っている人と対等に付き合いたいと感じているということです。あるメンターが以前話してくれたことがあるのですが、メンターとのメンターになってもらう人との関係は、魂と魂の結びつきのようなものなのだそうです。だからこそ、「なんとかしてください」っていうような依存的なエネルギーの人には出会わないようにしているのかもしれません。さて、前回「幸せなメンターには、普通の人はなかなか出会えない」とお伝えしました。それは、彼らがめだたないようにして、風景に溶け込んでいるからといえますが、普通の人の感覚では、どうも幸せなメンターが近くに座っていたとしてもキャッチすることができないようなんです。これは、電波の周波数が違うというか、テレビでいうところのチャンネルが違うというものと全く同じようです。では、どうしたらわたしたちは、幸せなメンターと出会うことができるのでしょう?みんな、ここが一番気になりますよね?答えは実はけっしてむずかしくはないんですよ。どうすれば、幸せなメンターと出会うことができるか?それは、幸せなメンターに出会うチャンネルに、チャンネルを合わせるということなんです。幸せなメンターに出会うチャンネルに、チャンネルを合わすとはどういうことかと言うと、自分が幸せな人生を送ることを決める、自分が生きたい人生はどんな人生なのかということにフォーカスする、そして誠実に、人を対等に扱う。この位置で生きはじめ、自分の人生からずれなければ間違いなくあなたのメンターに出会うことができると信頼しています。あなたの人生のメンターは、とても意外なところから現れたり、実に身近な人がメンターだったなんてことに気づくかもしれません。最後に、「自分らしい人生ってどうやって探したらいいのだろう?」って感じる人にメッセージです。これは数年前、新聞の「天声人語」に掲載された5歳の子の文です。先生「大きくなったら、何になりたいの?」園児「僕は大きくなってもなににもならないよ、僕は僕になるんだよ」あなたが自分らしく生き、素晴らしい仲間達と生きる人生を心から信頼してあげてくださいね。
November 22, 2005
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12月のワークショップを一ヵ月後に控えて、原稿やタイムスケジュールをつくるのが、とっても楽しくてワクワクしているのですが、次にやりたいなって、以前からあたためていたテーマが実はあるんです。それが、「幸せな人生に導く、メンターと出会う法」というワークショップなんです。これまで、日本人の概念に正確な定義のなかった「メンター」という言葉がかなり定着してきて、書籍やメディアやいろんなところで、「メンター」という言葉を目にし、耳にするようになってきました。ところが、メンターという言葉が世の中に定着してくると、大切なポイントが伝わらないまま、イメージが一人歩きしてしまうということも、他のことと同様にやはり起きてきてしまうようです。どんなところでそれを感じるかというと、たとえば、「メンターとは、弟子を成功に導く先生のようなもの」とか、「武道家の師匠のように、つきっきりで鍛え上げてくれる人」だとか、「間違いを正して、失敗しないように見守ってくれるような人」だとか、様々な思い込みを生み出してしまっているかもというものがありますが、わたしが数多くの素晴らしいメンターと出会う幸運に恵まれた経験と、彼らメンター自身からの教えで伝わってくるのは、メンターそのものにも、幸せなメンターと、そうじゃないメンターがいるということです。わたしはショットバーマスターとしてカウンターに立っていたことで、数多くの成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人たち、そして成功者と呼ばれる人たちの中にも、幸せな成功者とそうじゃない成功者がいることを肌で感じることができたという貴重な経験をすることが出来ました。そして、数多くの素晴らしいメンターにも出会う機会を得ることができました。ですが、数多くのメンターと出会ってきて、明確に答えられることは、先ほどもお伝えした、幸せなメンターとそうじゃないメンターがいるということなんです。先にお伝えしておかなければならない重要なことは、幸せなメンターでなければ、ダメってことではないということです。幸せなメンターは、幸せなメンターだから伝えられること、幸せでないメンターは、幸せでないメンターだからこそ伝えられることがあるという、重要な役割の違いを受け持ってくれているからです。そうなんです。マスターの数多くのメンターにも、幸せなメンターとそうじゃないメンターがいたんです。そして、わたしは自分が成長していくごとに、メンターもどんどんその成長した自分に見合った人に出会えていったということなんです。(勿論、メンター自身が成長してステップアップしていく人もたくさんいます)さて、多くの人がもっとも出会いたいメンターはきっと、幸せなメンターの方だと思います。だって、幸せな成功者になりたいし、幸せじゃない人にはなりたいとは思いませんものね(笑)。と こ ろ が、幸せじゃないメンターには、普通の人も比較的出会いやすいのですが、幸せなメンターと出会うことというのは、実はかなり高度で、容易なことではないんです。なぜなら、幸せなメンターと普通の人は、基本的に接点がほとんどないからなんです。勿論、素晴らしい幸せな成功者たちのセミナーや講演会、その後の懇親会で、その人に会いに行くことは可能です。ですが、プライベートで....という話になると、まったく話が変わってきます。幸せじゃないメンター(本人は気づいていない)は、普通の人にも見分けられるところにいたりします。なぜなら、彼らは普通の人との接点を求めているからなんですね。わたしのかつてのメンターにも、そのエネルギーの人はたくさんしました。で、なぜ普通の人と接点を持ちたがるかというと、普通の人たちに「素晴らしい人」と評価されたい隠れた欲求を自分でも気づかずに持っているからのようなんです。では、幸せな成功者はどうかというと、彼らは講演やセミナー以外では、ひじょうにおとなしく暮らしていて目立ちません。先日も、幸せな成功者と呼ばれる人たちと連日サシで飲むという、素晴らしい機会に恵まれたのですが、(ココではお名前はナイショです)まわりの誰も、彼らがどんな人物かは気づきもしませんでした。さて、幸せじゃない成功者たちは、普通の人たちと出会いやすいのに、どうして幸せな成功者たちは、目立たないようにしているのでしょうか?ここが、とても重要なところなのですが、長くなってきちゃいましたので、続きは明日。
November 21, 2005
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いつもはマスターがカウンター越しに出会った、幸せな成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人はなにが違うのか、そして数多くのメンターから伝え学んだ、幸せの知恵をお伝えしていますが、今日は週に一度のお酒の話題です。みなさんが生まれて初めてお酒を口にしたのは、いつで、どんなお酒だったでしょうか?お酒をたしなむ人なら誰でも経験したことのあるのが、この「生まれて始めての、最初の一口」というやつですよね。」学生時代、友人たちとこっそり隠れて飲んでみたのか、子供の頃、こっそり親のつけていた梅酒を飲んでみたのか、学生のコンパで初めて飲んでみたのか、いろんな出会いはあるでしょうが、きっと共通しているのは、初めて体験する大人への入口の好奇心とワクワク、ドキドキだったのではないでしょうか。マスターのアルコール初体験はちょっと早くて(笑)、幼稚園の時でした。家族と親戚が集まって庭で焼肉をしていた日のこと、コップに注いだビールを眺めていたら、「一口飲んでみな」と口にしたのが初めての経験。初めてビールを飲んだ時の感想は、「にがい」とは思ったのですが、なぜか子供ごころにも「まずい」とは思いませんでした。多分、「大人の世界とは、こんなものなのだろう」という、妙な納得と割りきりがあって、「これが飲めないようでは、一人前にはなれないんだな」って風に、「まずい」という否定をあえてしないで、美味しいかもしれないって、体験を「保留」していたのかもしれません。ませた子供だったようです。それ以来、庭で焼肉をしたり、すき焼きをするたびに、必ずコップにビールを貰うようになっていました(笑)。ある日、コップ一杯をまるまる全部飲んだ日、(もしかしたら2杯飲んだかも知れないです)すっかり酔っ払ってしまって、目はクルクルまわるわ、しんどいはで、ぶっ倒れてしまいました。その時の「父親のせりふ、一生忘れません!」。「こいつ、子供のくせに酒飲んで酔っ払いやがって!けしからん!」って、あんたが飲ませたんだよ(笑)!さて、その後しばらくお酒にはあまり縁が無くて(ってあたりまえか(笑))、たまに親のつけていた梅酒をくすねて飲んだり、赤玉ポートワイン(とっても甘いやつ)を隠れて飲んだりしていました。お酒を本格的に飲みだしたのは、高校三年生の頃で、(とんでもないやつですね(笑))家に置いてあったウィスキーやらブランデーをコーラで割って、当時流行のコークハイで飲んでいました。この頃のコーラの瓶は、今みたいなペットボトルじゃなくて、一リットル入りの瓶だったんです。(空き瓶を店に持っていくと、瓶代で30円くれた)わたし達は、友人の家に集まっては(たいがい我が家でした)、コーラやスプライトの瓶とお菓子を持ち寄り、連日、宴会の日々を送っていたものです。これだけでもとんでもないのですが(笑)、はるかにとんでもないのが、何のお酒をコーラで割っていたかということ!実は当時のうちの父上は、その業界では相当の実績を作った実力者だったので、家にナポレオン、レミーマルタン、ブラントンなどの高級洋酒がいっぱいいっぱい贈り物として、いただいてあったんです。それも、普通のレミーマルタンやナポレオンではなくて、陶器の容器に入っていたり、ビロードに包まれていたり、木箱に入っているような、いかにも威厳のある高そうなやつ!それらをこともあろうに、お酒の味も分らないようなおこちゃまたちが、コーラで割って飲んでいたんです!しかも、当時の高級洋酒は、今と違って並行輸入物なんてありませんから、ホントにホントに高級品!一本数万円もするようなものありましたから、これはもう高級洋酒に対する冒涜でしかありません(笑)!案の定、あとで親父様にバレてしまって、大目玉を食らってしまいました(笑)。その後、仕方がないので、1000円くらいのウィスキーやブランデーを(当時はブランデーが流行でした)みんなでお金を出し合って買って、(まだ懲りなかったのか(笑)!)コーラで割って飲んでいたのですが、誰も「まずい」とか文句をいったりもしなかったわけですから、わたしたちには、高級洋酒も安酒も違いが分らなかったということですよね。まったくひどいハナシです(笑)。さて、ホントにお酒を美味しいと思い始めたのは、20歳の時に、たまたま仕事帰りに自販機でビールを買って帰って飲んだ時のこと。とっても暑い日で、のどがからからの時で、こいつをゴキュゴキュとのどに流し込んでみた時にうまれてはじめて「ぷっはー」って言ったような気がします(笑)。とにかく、最高の至福の瞬間というやつをはじめて体験しました。「あ~うまれてよかったぁ」って(笑)。この時に飲んだビールは、今はもう発売していない、サッポロぐい生という、ちっちゃい瓶のビール。プルトップをパカッて開いて飲んだ瞬間のこと、今も忘れません(笑)。このへんの話をしだすときりがないので、また次回。
November 20, 2005
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マスターの「自分だけの人生のルールを創作する」ワークショップがちょうど一ヵ月後に迫ってきて、毎日、当日のテキストの原稿に手を入れたり、タイムラインを組んだり、イラストを描いたりしているのですが、これがなんとも楽しいんです。特に昨日は人間関係の力学のイラストを描いていたのですが、描く前は「う~ん、そろそろ描いておかないと、描く時間ないなぁ」とか、「う~ん、やらなくちゃなんないなぁ」なぁんて、ちょっと腰が重かったりしたのですが描いてみると、これがとても楽しい。「おっ!結構カワイイ絵ができたな」って感じで、自分で描いたものを何度もみかえしてコーヒーの香りを楽しんだりと、なかなかナルな世界に浸ったりしています(笑)。以前、ある作家のメンターが話してくれたことがあるのですが、「自分の本が発売になる時には、一番に買いに行きたくなってしまう」とか、「自分が書いた原稿を気がついたら、何度も読み返して悦に浸ったりする」と笑っていました。その時感じたのが、「きっとライフワークを楽しむ人生って、自分のやっていることがホントに大好きで、自分が自分のやっていることの一番のファンなのかもしれないな」ってことでした。それにしても不思議です。以前、なにをやっても「なかなかうまくいかないよな」とか、「難しい」って口にしていた(言葉にしていたい)頃は、その言葉にふさわしい、難しい現実が身の周りで起こっていました。その頃のわたしの意識の中にいつも浮かんできていたのは、「タイトロープ」という言葉。つまり、人生で成功するということは、綱渡りをするように失敗しないように、失敗しないように、上手に、注意しながら、慎重に努力を怠らないことだと感じていました。(ホントにそう感じていたんです)でも、その意識はひじょうにしんどい!綱渡りをするということは、言い換えれば、綱渡りなんてやったことない素人が、いきなりぶっつけ本番で下にマットのないところで綱渡りをするようなものだったみたいです。だから、怖くて実際の一歩を、ずっとせずに準備ばかりの人生を送っていたのかもしれません。その頃のわたしには、自分の大好きなことをやるのが、結局は成功の一番の近道だってきいていたのに、ちっとも分かってはいなかったようです。今はホントに不思議に感じています。あんなに「難しい」って口にしていた時には、難しい現実が起こっていたのに、「どんどんいいことが起こっているなぁ」、「今日はこんなことに気がつけたなぁ」、「どんどん良くなっていっているんだなぁ」って口にしていると、ホントに現実もそれにふさわしくなってきているようです。以前、斎藤一人さんの本をはじめて読んで、「ツイてる」って毎日口にし始めた頃は、「ツイてる」って口で言いながらも、「難しい」って感じていたのは、いったいなんだったのかしら?って、不思議に感じてしまうようになってきました。なにが働くようになって、そんな風に意識が変わることができたのか、そこのところ、探求しておきますね。今日もありがとうございます。
November 18, 2005
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先日、長女の授業参観でひじょうに興味深いことに出会いました。今月は人権推進強調月間なのだそうで、子供たちがこのテーマでポスターをおのおの描いたそうです。で、教室の後の壁に貼り出されていたのですが、それぞれのポスターには、「友達を大切にしよう」、「友達の話をきこう」、「なかよくしよう」、「人に親切にしよう」など様々な標語が描かれていたんですね。ところが、そんないろんなポスターの中で、一枚だけ独特のオーラをかもし出して、まったく雰囲気の異なる絵がったんです。そのポスターには地球が描かれ、世界中の人がまあるく地球の上で手をつないでいる絵が描かれていました。そして、そこに描かれていた標語は、「世界中がひとつの輪」という内容でした。他の作品も素晴らしいんだけど、そのポスターには、他のポスターとは異なる、大きな、全体を含むビジョンが描かれていたんです。そこには、幸せな成功者と呼ばれる人たちやライフワークを生きる人たちが口々に語る、「生まれてきた目的」、「人生のビジョン」と同じ質のものが描かれていました。すごいビジョンを描く子がいるんだなぁ、すごいなぁって感心してよく観てみると、なんとその絵を描いたのはうちの長女ではありませんか(笑)。まったくただの親ばかみたいなハナシなのですが、この絵にはちょっと驚くようなエッセンスが含まれていたんです。というのも、絵に描かれた「世界が...」の標語の文字がいつもの娘の字と違うんです。まるで大人が書いたような達筆な文字で描かれていたんですね。そうなんです。そのポスターを描いたのは娘ではあるのですが、実際にはいつもの娘が描いたのではなく、娘がチャネリング状態になって、もっと大きな「なにか」につながって、そこから降りてきたインスピレーションを降りてきたまま表現したようなんです。ここのところ、どんどんシンクロニシティが起きてきて、自分の意思だけではない「なにか」に導かれているんじゃないかなって感じていたところに、またまたこんなシンクロが。もう迷う必要なんかないのかもしれませんよね。
November 17, 2005
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最近、自分の身に一体何が起こっているんだろう?って不思議というか、すごいって感じる事がいっぱいおきていることに驚いています。毎日毎日、いろんなところで貴重な人生のメッセージを受け取ります。どこに行っても、手に取った本にも、自分が欲しかった情報がまるで当たり前のように載っていたりします。これがシンクロニシティと呼ばれるものなんだなと思うのですが、毎日毎日、いろんな形で受け取るものですから、一体今、なにが起こっているの???って、感じています。以前は何ヶ月に一度とか、場合によっては何年かに一度しかうけとれなかった、このシンクロニシティ。勿論、もっと以前にはそんなものの存在を知ることも、感じることも出来ない、自分とは無縁のハナシでした。それが今は、毎日いろんな形で貴重なメッセージをすごく不思議な偶然やなにげない出来事からうけとっています。なぜ、シンクロニシティをうけとれるようになったかというと、実は思い当るふしはあるんです。それがこの、毎日更新しているブログなんです。おそらくこのブログが、わたしの身のまわりに起こるシンクロにフォーカスがいくようにアンテナをはらせているんだなって感じています。毎日、きづいたことを、アタマの中や一瞬の気づきで終わらせるのではなく、文章として、情報として、外部記憶として「存在させる」。この自分以外の世界に存在させるという作業が、わたしのアタマの中だけでは、一瞬の閃きで消えていたかもしれないようなことも、まとまらず曖昧だったかもしれないアイデアや知恵を理解しやすい形に変えて存在させることで、自分の新しい知恵になり、財産になるようです。そして、常に閃きと知恵を導き出すことにフォーカスをしているので、ささやかな情報からも、貴重な知恵をうけとれるのかもしれません。前回、人生には自分の意思以外の、自分の力だけではない、なにかの力が働いていて、人生は導かれるのかもしれないということ、自分で夢を描き、目標を設定し、それに向かって努力することと、自分以外のなにかが自分を導いてくれることを知っておくことで、波に乗る、導かれることも必要かもしれないということをお伝えしました。するとどうでしょう。たまたま手にとった、本に親鸞聖人の教えが載っていたのですが、(ホントにたまたま手にとったんです)そこには、「逆らわず、御仏の導きに身をゆだねる」と書かれていたんです。あまりの偶然というか、タイミングのよさに、思わず体が震えるのを感じてしまいました。誰のまわりにも、自分を不思議なカタチで導いてくれるシンクロニシティは起こっているようです。ただ、気づいているかどうかだけみたいです。人生を導いてくれる、ささやかな情報に耳をすませてみて下さいね。
November 15, 2005
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いつの世も取りざたされる話ですが、世の中には成功者と呼ばれる人とそうじゃない人とがいます。そして、特に成功者と呼ばれていない人にも幸せな人生を満喫している人もいれば、成功者と呼ばれる人たちの中にも、幸せな人とそうじゃない人がいます。多くの人たちが成功者のなろうと、事業を起こしたり、ビジネスをはじめたり、勉強をしたりして、様々なトライをしますよね。そして、成功者と呼ばれる人になったり、幸せな成功者になったり、自分の幸せをみつける人が現れ、同時に努力がなかなか実らない人も現れます。また、世の中の多くの人が、そんなことにも無関心だったり、生活や目の前のことを精一杯に感じて人生を送っていたりもします。わたしはショットバーのマスターをしていたことと、強い好奇心からか、数多くの成功者と呼ばれる人たちとそうじゃない人たちに出会う幸運に恵まれました。幸運。そう、今日は幸運ということについて少し触れてみたいなと思ったんです。幸せな人生を送る人、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、自分の人生をよりよくしようということに意識を向け、これまでの自分が、社会一般の概念や常識に捉われ、自分が枠の中で生きていたことを発見し、生き方を「幸せな人の生き方のパターン」に切り替える選択をし、実践して来た人たちだとこれまでお伝えしてきました。つまり、彼らは自分で人生を変えようと決め、人生を自分で切り拓いてきた人たちといえるわけですよね。そして、世の中の多くの成功哲学書やビジネス書をはじめ、多くの先人の成功者たちが同じことを伝えてきてくれました。ですが、わたしには不思議に思っていることがあるんです。そもそも、なぜ彼らは自分の人生を幸せにしよう、その為には生き方を変える必要があるっていうようなことに気がつくことができたのでしょう?お金がたくさん欲しいとは言ってはいるものの、人生を変える、幸せになる、幸せな成功者になるということに意識がいかずに人生を送っている人は実にたくさんいますよね。人生を変えるというスタート地点に立たずに過ごす人もたくさんいる中で、どうして彼らは人生を変えようと思い立ち、そして人生を変える機会を得ることができたのでしょう?気づく人と気づかない人がいるのは、そもそもなぜなのでしょうか。わたしはそれが、とても不思議に感じるようになってきています。なぜこんなことを思いはじめたかと言うと、自分の人生を振り返ってみた時に、「なぜ、自分は今ここに立てているんだろう?」ってとても不思議に感じ始めたからなんですね。今、わたしは自分のライフワーク生き、自分の生まれてきた目的、ミッションをみつけ、深い満足と幸福感と、自分自身への承認、そしてなにより周りの人たちに深い感謝を感じる人生を送れています。ですが、どうして今、この人生を生きられているんだろう?ってホントに不思議になるんです。10数年前のわたしは、お世辞にも誉められるような人間ではありませんでした。それどころか、人のみていないところなら、仕事もいい加減にやっていればいい、適当にやっていればいい、外面をとりつくろって、中身は人の信用なんてとてもじゃないけど、得られるわけがないようないい加減な生き方をしていました。同時に、そんな生き方を送っていましたから、人がだんだん信用できなくなってきて、人が怖くなってきて、「もうどこか田舎でひっそり暮らしたい」、「人と関わらない人生を送りたい」とも感じていました。10数年前のわたしは、そんな人生を送っていたんです。あのまま変わらずにいたら、きっと転落した人生を送っていたに違いないと感じています。もしかしたら、借金地獄の果てに夜逃げをしていた人生だってありえるし、ホームレスになっていたかもしれないし、犯罪者になって獄中の人生を送っていたかもしれないし、精神を破壊してしまっていたっていう可能性だってあったかもしれません。わたしの目の前には、いくつもの人生の選択肢があみだくじのように広がっていたんだと思います。そんな様々な人生の選択肢の中から、なぜわたしは今の人生を選択することができたんだろう?どうして、こんなに劇的に人生を変えて、幸せな人生を生きられる幸運に恵まれたんだろう?ってホントに不思議に感じているんです。そう、幸運に巡りあえたとしか、言いようがないような、素晴らしい守護霊様みたいな人が、わたしについていてくれて、道を導いてくれたとしか思えないな、そんな幸運だとしか伝えようなのない感覚を、感じているんです。先日、ある方に占いでみていただいたところ、とても驚くことがありました。ここでは名前は申し上げませんが、世界的に成功されている、作家で講演家のメンターがわたしにはいてくれています。わたしは彼から、もっとも大きな影響を受けて、人生を変えることができましたので、彼にはホントに感謝が尽きません。ところが、先日占いでみていただいたところ、すごく驚く事実を伝えていただきました。実は、そのメンターとわたしは、まったく正反対のエネルギーというか、立ち居地の異なる2人で、普通はまず出会うことがない2人なのだそうです。まず、出会うことのない2人が出会ったうえに、その2人が仲良くしていることは、奇跡に近いことなのだそうです。なぜなら、普通は出会うことのありえない2人のこと、仮に出会ったとしても、まったく正反対の2人ですので、お互いに相手を嫌がって、すれ違ってしまい、接触することは、まずありえないことなのだそうです。出会ったことだけでも、奇跡に近いことなのに、出会ったうえに、仲良くなって、メンターと弟子の関係になって、お互いを尊重しあっているというのは、もう奇跡以外のなにものでもないんだそうです。そして、なによりも驚いたのは、わたしが彼の影響を強く受けているだけでなく、メンターもわたしの影響を強く受けることで、大きく人生の可能性をひらいたそうなんです。この言葉をきいた時に、ホントに心が震えるような感覚を覚えました。占いをしてくれた方も、こんなすごい出会いはみたことがないと、とても興奮しておられました。成功とは、夢を描き、目標を設定し、そして目標に向かって努力することと伝えられています。わたしもその通りだと思います。ですが、それだけではないなにか、目に見えないなにかが、わたしたちを導こうとしている、不思議ななにかの力が働いているんだと、わたしは感じています。理屈ではとても説明できませんし、科学的にも証明できないと思うのですが、目にみえないなにかの力が、わたしたちを導いてくれているんだと、わたしはホントに感じています。わたしたちは、人生を深い満足と喜びの中で生きたいと願いますよね。そして、わたしたちはわたしたちの力で努力をします。でも、そんなわたしたちを導いてくれる、不思議な何かがきっとあると、わたしは感じています。幸せな人生にめぐり合うこと、幸せな成功者の人生を送るということは、自分で道を切り拓きつつ、不思議な導きに身をゆだねる、波に乗るということも必要なのかもしれません。こころの奥のささやきに耳をすまし、ホントのあなたが望んでいることをききわけ、そして、あなたを導いてくれるささやきに、耳をすましてみて下さい。ホントのあなたに耳をすまし、あなたを導いてくれるなにかにも耳をすましたなら、きっと幸せの道がひらけ、ライフワークを深い満足の中で生きる人生が開けると感じています。人は本来誰でも、きっと幸せになるよう出来ているんだと感じています。あなたの前にも、素晴らしい人生がひらけることを、こころから信頼しています。
November 14, 2005
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カクテルにはいろんなレシピがありますが、土地や国によってレシピが全く異なるカクテルというのが結構あったりします。有名なもののひとつがジンベースで作られる、「シンガポール・スリング」というもの。このカクテル、ラッフルズホテルのチーフバーテンダーが創作したカクテルとして、世界的に有名なカクテルですが、実は現在バーで頼んで出てくるものと、オリジナルのレシピとはずいぶん異なります。わたしも実はバーテン時代に、ラッフルズホテルに行って来たお客様からお土産でいただいたレシピではじめて、オリジナルレシピを知りました。わたしの感想ですが、オリジナルの方がずっと美味しいです。さて、レシピが地域で異なるカクテルで面白いのが、シャーリーテンプルといわれるカクテルです。このカクテル、関西でオーダーするとアルコール入りのレシピで出されるのですが、本来のレシピはノンアルコールのカクテル。というか、それどころというか、関西レシピのシャリーテンプルと本来のレシピは似ても似つかない、全く別の飲み物になってしまっています。なぜ、まったく違う飲み物に変身してしまったかというと、関西でディスコが全盛時代、ディスコのバーテンが「この方が美味しい」っていう単純な理由で、思いついたレシピでお客様に出したのがきっかけ。このレシピが女性客にとても好評になって広まってしまい、いつのまにかシャーリーテンプルといえば、アルコール入りというのが常識のようになってしまったようです。さて、オリジナルのシャーリーテンプルは、ノンアルコールのカクテルとお伝えしましたが、もともとシャーリーテンプルとはどういったカクテルだったのでしょう?実はこのシャーリーテンプルというのは、有名なハリウッドの名子役の名前なんです。彼女は大恐慌下の数多くの映画会社を倒産の危機から救った名女優としてひじょうに人気の高い女優でした。実はオズの魔法使いのドロシー役も当初彼女が演じる予定だったそうです。シャーリー・テンプルは、多くの人たちに愛された名女優でしたが20代前半に映画業界を、華やかさを残したまま引退をしていったようです。古い映画の女優さんなので、私たちには馴染みの少ないようにきこえる彼女ですが、実はわたしたちもよく知っている人物なんですよ。どこで知っているかって?実は、洋菓子の不二家のお店の前に立っているんです。そう、不二家のペコちゃんのモデルは彼女なんです。(デフォルメしすぎですが(笑))また、メンソレータムの容器に描かれた看護婦さんも実はシャーリーテンプルなんですよ。さて、カクテルはバーで飲むものって印象があるかもしれませんが、このカクテルを飲んでみたい、作ってみたいって思うなら、ぜひぜひ自分んちで作ってみてください。シェイカーを使わないロンググラスカクテルなら、レシピがあれば簡単に作れます。そして、友達を招待してカクテルをご馳走すれば、ただの飲み会もとってもお洒落に盛り上がると思いますよ。■シャリーテンプル 関西レシピカシスリキュール:45ml グレープフルーツジュース+ソーダ:適量■シャリーテンプル オリジナルレシピグレナデンシロップ:1tsp(ティースプーン1杯)、ジンジャーエール:適量、レモンスライス:1■シンガポール・スリング レシピジン:45ml、チェリーブランデ:15ml、レモンジュース:20ml、砂糖:1 tsp、ソーダ:適量■シンガポール・スリング オリジナルレシピジン:40ml、チェリーブランデ:20ml、ベネディクティン:10ml ホワイトキュラソー:10ml、レモンジュース:20mlパイナップルジュース:60~80ml、アロマティックビター:1dashグレナデンシロップ:1dash、ソーダ:適量
November 13, 2005
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前回は自分が生まれてきた人生の目的 = 人生のミッションは、実は誰もが全員持っているのだけれど、多くの人はそこに注意を払っていないので気が付いてないだけらしいということ、そして、世の中にはたくさん人生のミッションを生きている人が居て、注意を払えば、いくらでもそういう人たちをみつけることが出来ること、ミッションを生きている人たちを見極めるポイントは、人生を楽しんで生きているかどうかということをお伝えしました。人生のミッションを生きている人たちを見極める最も有効な方法は、その人が人生を楽しんで生きているかどうかということのようです。ここに、多くの人たちが人生のミッションをみつけることに注意を払っていない大きな理由があります。それは、多くの人にとって、人生のミッション(使命)ときくと、なにやら自分のやりたいことを律してもやり遂げるべき任務、強い精神が必要なたいへんなこと、崇高なことと捉えている節があるからのようです。それは生まれてきた目的 = 人生のミッション = 使命という具合に、使命という言葉が含まれていることを多くの人はなんとなく理解しているので、使命 = 自分を律して成し遂げること という概念があるからのようです。実はこれがそもそも大きな誤解のようです。私が出会ってきた数多くの、人生を幸せに生きている、幸せな成功者と呼ばれる人たちはみな、人生のミッションを持っていることに深い満足と喜びを感じていました。そして、ミッションを生きることを心から楽しんでいるようです。人生のミッションを見つけ出した瞬間から、人生はまるっきり変わり始めます。突然色の無い世界がカラフルな世界になるような突然みえるもの、触れるもの全てに意味が見出せたり、起こるささやかな出来事にも人生の導きを見出して生きたい人生のヒントを見つけ出したりできるようになったり、世界がまるで変わってしまうようなものかもしれません。では、人生のミッションをみつけるということは、具体的には人生をどのように変えるのでしょう。人生のミッションをみつけると、・今自分が何をしたら良いかということが常に明確になります。・同時に今する必要の無いものも明確なります。・生き方が人生の目的に沿うようになり、ぶれなくなります。・自分の人生での役割がどんどん明確なり、そこに集中できます。・人生の目的がライフワークにリンクしていることを発見することで、 深い満足と喜びの中で生きるようになります。・ライフワークにお金の流れる仕組みをつくることで、 寝るのもご飯を食べるのも忘れるくらい楽しいので、 どんどん仲間が現れ、組織をつくって、どんどん豊さを受け入れる 土壌ができてきます。・自分が人生に何を求めるのかという意識から、 人生が自分になにを求めるのかという意識に切り替わります。人生のミッションをみつけるということは、人生の意味を知り、生きがいを生き、深い満足と喜びの中で生きられるということのようです。では、自分の人生のミッションをみつけだすのには、どうしたらいいのでしょうか?それには、自分はホントはどんな人生を生きたいと望んでいるのか、自分はどんなことに生きがいを感じるのか、どんなことが大好きで、ご飯の時間を忘れるこどもみたいに夢中になれるのかということを、世の中の常識や概念を基準にするのではなく、自分の内面、自分のこころに問いかけ続けていくことが必要なようです。わたしが自分の人生のミッションを発見した日、今までの全ての出来事が意味を持ち始めるという体験をしました。楽しいことだけでなく、辛かった思い出や経験も、すべてがここに至る為の大切な経験だったんだということがはっきりと理解でき、感じることが出来るようになった瞬間でした。人生のミッションをみつけることは、ある人にとっては容易で、ある人にとってはなかなか難しいことかもしれません。なぜなら、多くの人が人生のミッションのことなど、考えつきもしない人生を送っている世界で、私たちは日常を生きているからです。ですが、人生のミッションというものがあるということを意識しはじめて、探し出した人には、必ず見つけ出すことが出来るということを心から信頼しています。人生のミッションをみつけ出すのには、いくつかの手がかりがあります。人生のミッションにはどうも、こういう要素があるらしいということだけ心のどこかにとどめておいたら、お役に立てるかもしれません。人生のミッションを見つけ出す手がかりになる、人生のミッションが含む要素とは、 ・貢献の要素がある・壮大で広がりがある・自分の役割がある・進化や成長の要素があり、その役割を含んでいる・次代への架け橋の要素がある・自分がいなくなった後も生き続ける要素がある・自分自身がミッションに勇気付けられる・自由と深い満足、喜びがある・今までの育ってきた環境や経験にたくさんのヒントがある人生のミッションに沿った人生は、ホントに深い喜びと満足の中で生きる人生といえます。もし、まだあなたが、人生のミッションを探している最中だったとしたら、探す冒険の旅も楽しんださい。そして、あなたの人生が本当に素晴らしいものであるということを心から信頼してあげてくださいね。
November 12, 2005
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前回は、わたしが数多くの成功者と呼ばれる人たちと出会ってきてた中で気がついた、幸せな成功者と幸せではない成功者の違いについてお伝えしました。幸せな成功者と呼ばれる人たちと、成功者と呼ばれるポジションにいるのに幸せでない人たちを分ける大きな違いのひとつは、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、「自分は幸せだ」という宣言を持っているということでした。成功したいと願う多くの人たちは、「お金がたくさんあったら」、「~がかなったら」、幸せになれると思い込んでいるようです。ですが、実際にそれを手にしてみると、はじめは満足感や達成感や高揚感はあるのですが、「手に入れたものが幸せをくれる」というポジションにいると、「次にも何か手にいれないと、次の幸せが手に入らない」という渇望の状態になってしまうようです。ということは、「幸せ」と、「高揚感」や「達成感」というのは、どうやら違うジャンルのことで、代用がきくようなものではないんだなっていうことを気づく必要があるのかもしれません。さて、幸せな成功者とそうじゃない成功者を分ける、もっとも大きな違いのもうひとつは、「自分の生まれてきた人生の目的」を持っているかどうかということをお伝えしました。人生の生まれてきた目的というのは、いったいどんなものなのでしょう?そして、どうすればみつけることが可能なのでしょう?「自分の生まれてきた目的」という言葉は、ほとんどの人が誰でも耳にしたことがありますよね。ですが、多くの人は自分とは関係のない話だと感じています。それは何故かというと、「生まれてきた目的」というものが、とても崇高なもので、自分には関係のない世界の話だとか、周りの誰もそんなことを話題にしないし、意識もしていないとか、生きることでせいっぱいで、そんなよく分からない話に注意をはらっている余裕はないとか、「きっと、よっぽど偉い人だけが気がつくような、自分たちの世界とは無縁のことだ」という概念があるからのようです。では、「生まれてきた目的」って、ホントにとてつもなく崇高なことで、持っている人はほとんど存在しないようなことなのでしょうか?いえいえ、実は多くの人は、どうやら「そこ」にフォーカスしていないので、気がつかないだけのようです。実は、いろんな幸せに人生を送っている人たち(←ここは重要)の著書を読んでみたりすると、あっちこっちにたくさん書かれていたり、語られていたりするのに気がつきます。多くの人が、そこに注意がいっていないので気がつかないだけで、実は「生まれてきた目的」を生きている人は幾らでもいるようです。実は「自分が生まれてきた目的」というものは、ごく一部の人がみつけるような特殊なものでもなんでもなくて、誰にでも全員の人に存在しています。ただ、それに気がつくかどうか、みつようとするかどうかというだけの事のようです。わたしたちをとりまく世の中の中でも、あちこちに「生まれてきた目的」を生きている人たちはいます。ただ、わたしたちの多くがそのことに注意をはらっていないだけのようです。見極めるポイントは、「その人がホントに人生を楽しんでいるかどうか」ということです。注意をはらってみて下さい。きっとみえてくると思います。続きはまた明日。
November 11, 2005
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マスターは、ショットバーのカウンターに立っていたことで、様々な人たちの様々な人生に出会うという幸運に恵まれました。サラリーマン、OL、主婦、公務員、医師、政治家、弁護士、会計士、経営者、事業家、投資家、ビジネスオーナー、フリーター、なにもしない人、などなど、様々な職種の様々な人たちと出会ってきました。そんな多くの人たちの中には、いわゆる世の中で成功者と呼ばれる人たちもいましたし、逆に人生を転落していく人たちにも出会うという、貴重な体験もしました。ですが、わたしが多くの人たちと出会ってきたことで得た、最も貴重な体験は、世の中で成功者と呼ばれるような人たちでも、実は幸せな成功者と、幸せではない成功者がいるということを肌で感じられたということです。それまでのわたしは、多くの人が感じるのと同じようにお金がたくさん入ると、幸せを感じられるだろうと思っていました。ですが、幸せな成功者と呼ばれる人たちとホントに出会ってみて驚いたのが、彼らの人生は、幸せに生きることを選択して生きていたら、豊かに生きることも選択できるようになったということです。これはどういうことかというと、幸せに生きるという生き方を選択するというセンスが身につくと、単に幸せに生きるという選択も、豊かさと幸せも両方ある生活の選択も可能になるということです。それまでのわたしは、お金がたくさん手に入れば、不安から開放される ↓安心感が手に入り、心に余裕ができる ↓心に余裕ができたら、好きなこともできるようになる ↓幸せな人生を感じられるだろうと信じていました。ですが、自分の人生をホントに深いレベルの満足の中で生きている、幸せな成功者と呼ばれる人たちの持つマインドは、はじめに「幸せという宣言」ありきということだったんです。それまでのわたしのマインドは、「はじめにお金ありき」、つまり、「恐怖からの開放ありき」だったようです。恐怖からの開放というよりも、恐怖からの逃避といった方が正確かもしれませんね(笑)。勿論、すべての幸せな成功者が、全員はじめから「はじめに幸せありき」なんて生きていたかというと、けっしてそんなわけではなくて、わたしたちとまったく同じように、「はじめに恐怖からの逃避ありき」から多くの人がスタートします。ただ、たくさんのお金を手にしてからか、もしくはなかなかお金を手にすることを実現できないでいるのはなぜ?って段階かは、人によってタイミングは異なりますが、何処かのタイミングで、「あれ?なんかおかしいゾ」って気がつけたかどうかということのようです。幸せな成功者と呼ばれる人たちに全員共通していると感じているのは、「自分は何のために生きているんだ?」って、自分自身に質問をして、自分の生き方を自分でみつけたということのようです。そして、わたしがなによりも興味深いと感じるのは、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、多くの普通の人たちは持っていない、「あるもの」をもっているということです。幸せな成功者が必ず持っていて、多くの普通の人が持っていない「あるもの」、それは、「自分の生まれてきた人生の目的」というものです。自分が生まれてきた人生の目的って、いったいどんなものなのでしょう?そして、どうやったら、それをみつけることが、わたしたちにも可能なのでしょう?この続きはまた明日。
November 10, 2005
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前回は、起業、ビジネスのお話、お金、投資、出版、癒し等の、世の中に溢れる膨大な情報の中から、自分に適切な情報をどうやってみつけるかというのには、2つの重要なポイントがあることをお伝えしました。一つ目は前回お伝えした、「適切な質問を持つ」ということでした。そして、今回は2つ目のポイント、「情報の意図がどこから発信されているか」ということです。これは、やや上級編だと前回もお伝えしましたが、自分のメガネに脚色せずに、素直に自分のこころに問いかけたなら、誰にでも必ず扱えるセンスであり、けっして難しいものではありません。それどころか、このセンスを扱えるようになれば、自分にとって本当に有益な情報を、自分で見極められるようになり、世の中で生きていくことが、ひじょうにシンプルで、今までいろんなことに翻弄されてきたことがウソみたいに簡単になるセンスだともいえるようです。(勿論、練習は必要です)また、このセンスを扱えるようになるということは、自分が本当に望むものを見つけ出す、自分にとっての本物を見極められるようになるセンスを身につけるということでもあり、人生を生きることがとても楽しいものだと感じられるセンスだともいえるようです。では、この「情報の意図がどこから発信されているかを見極める」センスとは、いったいどんなものなのでしょう?情報の発信者には、提案と要求の2通りのパターンがあります。提案とは、選択の機会を提供すること、要求とは、あなたに何かしらの行動を仕向ける意図(目的)があるということです。たとえば、こんな情報が発信されていたとします。「成功したかったら、○○をやるべきだ」、「なんでやらないんだ」、「成功者は努力してるから、あなたも努力すべきだ」この位置からのメッセージは、よくみてみると、選択の機会を与えられているって感じられにくいですよね。これはなぜかと言うと、「成功したかったら○○をやるべき」というメッセージに含まれている、裏のメッセージは、「失敗したくなかったら、○○をやれ」、「○○をやらない人は、失敗者だ」というメッセージを含んでいるからですよね。提案とは、相手と同じ高さから情報を発信して、相手が自分で選択するという、ニュートラルな立ち居地から発せられる情報のようです。情報の発信者は、相手にやってもらっても、やってもらわなくてもいいという、自由な選択を提案する。これが、選択の機会を提案するということのようです。要求には、恐怖や攻撃や依存の要素が含まれている可能性があり、相手の行動をコントロールしたいという隠れた意図があるようです。重要な問題は、情報の発信者の多くは、自分でも、この隠れた意図が情報に隠されている事を知らないことさえ知らない状態でいるということです。(勿論、意識して意図的にやっている人もいます)つまり、自分がなんらかの無意識から来る欠乏感や恐怖などの感情から、要求というスタイルをとっているということを自分ではほとんど分からずにやっているということです。そして、このスタイルにはもう一つ、大きなワナが潜んでいます。先ほど、機会を提案する情報の発信者は、相手と同じ高さで提案をするとお伝えしました。ですが、「○○をするべき」というポジションからの情報の発信者は、相手と同じ高さから発信していないのがみえますよね。実はこの相手に要求をするエネルギーは、高いところから低いところに流れるようにできているようです。どういうことかと言うと、行動をコントロールするエネルギーに反応するポジションの人は、コントロールされたい人、つまり、依存のポジションにいる人らしいということです。この場合、よくあるのは、依存する側と依存される側、大人と子ども、先生と生徒、強者と弱者のようなエネルギーの関係をもつことを契約するようなものかもしれません。機会の提案は、エネルギーの交換です。提案され、同じ高さでエネルギーを受け取ることを選んだ人は、同じ高さ(レベル)のエネルギーを受け取ります。受け取らない事を提案した人は、同じレベルのままのエネルギーを発信者にそのまま返却する事が可能です。このポジションでのやり取りでは、エネルギーの劣化はほとんどありません。ですが、高地から低地に流れるエネルギーは、交換ではなく一方的に流れる可能性が高いために、エネルギーは劣化していく可能性があります。火山のマグマがだんだん流れながら冷えていくようなものととらえてもいいかもしれません。依存の発生しないスタンドアローンで、お互いを承認し合える人間関係を創造することに意図があるなら、(その立ち居地に自分は立つんだと、意識が明確なら)機会を提案するというポジションがとても効果的なようです。さて、情報の発信者(受け取りても)には、提案タイプと要求タイプがあるとお伝えしましたが、実はもうひとつ興味深いタイプが存在します。それは、無責任タイプと呼ばれるポジションの情報発信です。これは、どういうタイプかというと、提案もしないし、要求もしない、意図がどこにあるのかよく分からないタイプです。「○○をやってみたら、うまくいった!ラッキー」って感じの情報を発信しているのだけど、「やるのもやらないのもあなたの勝手」って空気がなんとなく漂ってくるタイプです。このタイプは一見、選択の機会を提案しているかのような印象を受けるかもしれませんが、漂ってくるエネルギーに「あなたの勝手」っていう、腰が引けている雰囲気が受け手になんとなく伝わってきてしまいます。このポジションからの発信だと、人によってはうさんくさいという印象を与えかねないというリスクがあります。このポジションからの情報発信者は、自分では気がつかない、自分が発信している情報への信頼の欠如が、そんなエネルギーの発信をしていることを知らないことさえ知らないと言えるようです。この情報の発信者に訪れる可能性が高いワナは、腰が引けた状態に見合ったエネルギーの状態の人、つまり、足をすくいにくるようなタイプを引き寄せやすい危険性を含んでいるようです。世の中には、様々な情報が溢れています。わたし達は、そんな膨大な情報の中から、自分が選びたい情報を選ぶ自由がありますよね。そして、適切な情報を選択する効果的な方法は、その人がどの位置から情報を発信しているのかということを肌で感じてかぎ分けるセンスと言えます。もしかしたら、「そんなの難しいよ」って言われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、ホントのわたしたちは、その人が誠実かどうか、どの位置から情報を発信しているのか、人をどう扱う人か、そして、自分はこの人とどう関わりたいのか?ということは、ちゃんと知っています。ただ、経済的な不安、将来の不安などの自分の欠乏感であったり、何かを解消したいという不安感や恐怖が、わたし達の直感に釘を刺そうとするだけです。わたしたちは、本来素晴らしいセンサーを持っているようです。自分の直感を信頼してあげて、自分は幸せになるんだという、最初の意図からずれなければ、どんどん直感が磨かれていきます。そして、どんどん素晴らしい機会が、きっと毎日のように目の前に現れてくることを体験できると感じています。あなたの素晴らしい感性を大切に、そして深く信頼してあげてくださいね。
November 9, 2005
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世の中には、起業の為の情報、癒しに関する情報、投資の情報、お金に関する情報、出版の情報、ビジネスのお誘いの情報、商品の情報などなど、様々な情報が溢れていますよね。ですが、そんな膨大な情報の中で、自分に最も適切な情報はどうやって見分けたらいいのでしょう?そこには、実はいくつかのポイントがあるようです。まず、一つ目の大事なポイントは、「自分自身が適切な質問を持っているかどうか?」ということのようです。これは、どういうことかというと、「自分はどんな人生を送りたいと望んでいるのか?」という、自分が今どこにいて、そしてこれからどちらの方向に進んでいきたいのかという明確な質問を持っているかどうかということです。よく言われることではありますが、電話で友人の家に行こうと道を尋ねる時に、「今いるところは、こんなところ」って把握してなければ、どっちの方向に進んでいいのかをきくことも出来ませんし、なによりも、「友人の家に行きたい」ということをちゃんと伝えておかなければ、なにも答えようがありませんよね。では、「わたしはまだ、自分がホントはなにをしたいのかよくわからないんです」、「だから、どこに行きたいって質問できないですよ」って感じている人がいたとします。この場合は、「わたしは自分のホントにやりたいことを探しています」という質問が必要になってきます。つまり、さっきの質問をできるだけの位置に移動する必要が先にあるので、その位置までの移動に必要な、「適切な質問」が必要になるわけです。「適切な質問」ってなにかというと、適切な答えを導き出せる質問、つまり、明快な答えを導き出す為の質問が必要ということです。実は、多くの人が、この明快な質問をしないために、明快な答えが導き出せないでいるということに、なかなか気づけずにいるということを、知らないことさえ、知らない状態でいるようです。わたしもずいぶん長いこと、この単純明快な理由が、あまりに単純すぎて、なかなかつかめずにいました。適切な答えを導き出す為に、適切な質問をするということが、どれだけ単純なことかというと、「1+1=2」という計算式があるとするならば、「1+1」というところまでしか書き出していないかもしれないということにたとえられるようです。つまり、「1+1=2」という質問と答えの関係を導き出そうとするならば、「1+1」に「=」という答えの要求が必要になってくるということです。なんだか禅問答みたいな話に聞こえるかもしれませんが、(そこまでむずかしくないかな(笑))それぐらい多くの人が適切な答えが出ないような不明確な質問をしているということのようです。ちょっと辛口な話になるかもしれませんが、優秀なメンターというのは、「適切な質問をしないと、相手にしてくれないよ」という教えをメンターたちから伝え学んだことがあります。なんだか、ききようによっては、冷たく聞こえる話かもしれませんが、それだけ、メンターたちも「自分の人生の残された時間を大切にしている」と言えるようです。と、同時に適切な質問の準備を、まだ持っていない人には、適切な質問をできるセンスが身につくための過程が先に必要で、その役割の人が自分以外にちゃんといるので、そこは人の役割を奪うわけにはいかないという、メンターの世界の中のルールをちゃんと守っているともいえます。これはどういことかというと、メンターたちは、成長には段階があるということを、自分の経験や先人の知恵でちゃんと理解しているということのようです。実は、情報を発信する人には段階があります。また、情報の受け手にも段階があるようです。この段階は、「わたしは早く幸せになりたいから」って、階段をすっ飛ばしすぎると、あまりの常識や世界観の違いにそこで起こっていることが、なんなのかさっぱり分からない、ちんぷんかんぷんな状態になってしまいます。成長には、段階があるようです。そして、その段階に見合った情報、見合ったポジション、見合った思考やあり方というものがあって、それに「ある程度」沿って、学んでいくことでうまく成長の波に乗れていくようです。ただし、最初から上手に波に乗れる人はいませんので、なにごとも、経験という練習は必要なようです。そして、ある程度階段を波に乗りつつあがってみると、高台から街を見渡すように、世の中がひじょうにシンプルな構造でできているということが、見えるようになってくるようです。少し話がそれてしまいました。自分の成長にふさわしい情報をキャッチする、一つ目のポイントは、適切な質問をする。質問力が必要ということのようです。では、次にどんなポイントが必要かというと、これはやや上級編と言えるかもしれませんが、情報の意図がどこから発信されているかを読み解くということが必要になってきます。この情報の意図がどこにあるかを読み解くというのは、やや上級編とお伝えはしましたが、これを身につけるのは、けっして難しいことではありません。自分の心の声に脚色をせずに、素直に耳をすませば、誰にでも必ず使いこなせるセンスといえます。そして、これを使いこなせるようになれば、世の中が、ガラリと違う世界に感じ始めるかもしれませんし、非常に上手に、気持ちよく世界を生きられるようになります。この、「情報の意図がどこにあるかを読み解くセンス」のお話は、また明日お伝えしますね。
November 8, 2005
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人生を深い満足の中で生きる幸せな人、幸せな成功者と呼ばれる人たちと、普通の人たたちとでは、みえているもの、感じているもの、交わされる話題、考えた方がまるで違うということを、これまでも何度かお伝えしてきました。それはもう、ビックリするくらい、180度違う世界観ともいえると思います。なにせ、普通の人が普段交わしたりする話題と幸せな成功者と呼ばれる人たちの交わす話題、普通の人たちが普段興味があることと、幸せな成功者と呼ばれる人たちが普段興味があることは、まったく違うところにあるからです。たとえば、多くの人が今日のテレビの話題やタレントの話、殺人事件の話や政治家の汚職の話、誰それの発言が問題だなんて話をしている時に、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、どうすればより人生を素晴らしくできるか、どうすれば、より世の中がよくなるかっていうことに意識を向けているからです。いうなれば、多くの普通の人が「人生にはいかに多くの問題があるか」という話題をしているとしたら、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、「人生にはいかに多くの素晴らしい可能性があるか」という話題をしていると言えるようです。もし、わたしたちが幸せな成功者と呼ばれる人たちのような人生を送ろうと決めるのであれば、方法はひとつです。人生でフォーカスしる話題を、「問題」から「可能」に切り替えるほかないようです。その為には、普通の人の世界から飛び出して、幸せな成功者の世界に入っていく必要があります。ですがこれ、お察しの通り、今まで普通の世界に生きてきた人たちにとっては、なかなかに勇気が必要で、かつ入っていたった時に、とても居心地の悪さを感じてしまうことでもあります。なぜなら、幸せな成功者の世界に、普通の世界で生きてきた自分が加わった時に、「自分は成功者の世界にふさわしくないんじゃないか」という自分の小ささや、無価値感に襲われてしまうからです。では、どうしたら、この無価値感を感じずに幸せな成功者の世界に加わることができるのでしょうか?どうやら、それには、「自分は無価値感を感じているんだ」と認識しながら、「それでも、自分は幸せな成功者の世界に加わるよ」って、卑屈になるのではなく、自分の勇気を承認して、居心地の悪さと同居しながらも、慣れていくほかないようです。ですが、必ずわたしたちが幸せな成功者の世界に生きることを決めたなら、その世界の住人になることは可能だと信じています。まったく風習の異なる海外に移住したとしても、その国で暮らしていけるように。でも、海外で暮らすことと、幸せな成功者の世界で暮らすことにはひとつ大きな違いがあります。それは、居心地が悪いと、飛行機に乗ることも、船に乗ることもなく、簡単にもとに世界に戻れてしまうからです。ぜひ、知っておきたい重大なことは、わたしたちが「本気で人生を変えよう」、「幸せな成功者の世界に入ろう」とした時、これまでのわたしたちの世界で一緒に生きてきた家族や友人たちが、必ず足をひっぱりにやってくるということです。その方法は、「そんなことやめておきなよ」「うまくいった人きいたことないよ」って言ってくるような分かりやすいものもあれば、病気になってみせたり、可哀相な人を演じてみたり、気の毒そうな人を演じてみたり、被害者を演じてみたりと、ひじょうに巧妙な手口を使ってやってくる人たちもいます。「ああ!それ分かる、分かる!」って、体験された方も少なくないのではないでしょうか。この足を引っ張ってくる人たちの厄介なところは、自分たちは足を引っ張ってるなんて、これっぽっちも気づいていないということです。人によっては、あまりに巧妙すぎて、自分が無意識のうちに人が変わって置いていかれる恐怖を感じたくないゆえにやっているなんてまったく分からない人もゴマンといるということです。実に多くの人が人生を幸せに成功したいって思います。ですが、幸せになるということが、いかに勇気が必要かということに気がついている人はなかなかいないようです。人生を変えるということは、周りの人たちを置いていって、最初の一人になるということを決断するということのようです。人生を本当に変えていく人は、この最初の一人になることを決断して、独りで立ち上がる人なようです。人生をなかなか変えられない人は、成功する為には、自分は変わらずに、周りの人を変えようとする人なようです。本や講演会で「いい話をきいた!あの人にはこの考えが必要だな」って、自分以外の他人に意識がいっている時というのは、この「自分以外の周りを変えようとして、実際には何も変えらない状態」だと思って間違いないようです。わたしがメンターたちから学んだのは、人生には決断が必要だということです。決断とは、「断つことを決める」ということですよね。自分が人生を変えることを決たなら、他の誘惑、他の道を断つという意味のようです。人生を変えるには、様々なチャレンジと勇気が必要なようです。ですが、本当に決断することができたなら、あとは自分が望む人生の道しか残っていないってことですよね。あなたの人生が素晴らしく輝くものになることを心から応援しています。
November 7, 2005
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いつもはマスターが様々なメンターから伝え学んだ、幸せに生きる知恵をお伝えしていますが、今回は趣向を変えて、週に一度のお酒とバーのお話をお伝えしますね。ほのかな間接照明の灯りに浮かび上がる琥珀色のウィスキーや、ブルーやレッドやグリーンの様々な美しいリキュールの瓶を眺めながら、軽やかに流れる粋なジャズに耳を傾け、ウィスキーのロックグラスを揺らして、カラカラと氷の音を楽しむ。バーの雰囲気は特別の空間を創りだします。男女の会話は大人っぽく、なんとなく艶っぽい大人の駆け引きも嫌味なく場に馴染んできたりします。男同士2人の会話も居酒屋なら仕事の愚痴か家族や子供の話が似合ったとしても、この場所では、人生に深みを彩る哲学を語り合うのが似合ってきます。そして、バーテンと客との会話は、お酒の知恵(うんちく)の話で盛り上がります。お酒には、カクテルやビール、ブランデー、バーボンなど様々なものがありますが、マスターにとっては、寒い季節になってくると、味わい深く楽しめるようになってくるのがスコッチやジャパニーズウィスキーなどのモルトウィスキーです。華やかな香り、スモーキーな香りと舌に広がるまろやかな余韻を楽しむのがウィスキーの楽しみですが、マスターがウィスキーに魅力を感じているのは、口に含んでから、舌の上でガラリと蜂蜜のような甘みに変わる、その豹変振り、2つの顔を覗かせるところが、モルトウィスキーの最大の魅力だと感じています。特にこの特徴が分りやすいのがグレンフェディック12年。口に含んだ瞬間のウィスキー独特の香りと味わいが、舌の上でケーキのホワイトクリームのような甘い風味に豹変します。グレンフェディックは、比較的安価に手に入るウィスキーですので、よかったら試してみてください。粋なバーで飲めたら、尚最高です。マスターがウィスキーを楽しむ、もう一つの要素は、それぞれのウィスキーにそれぞれの物語があるということです。かつてウィスキーというのは、無色透明の焼酎と同じような蒸留酒で、スコットランドの地方で、地元の人たちが楽しむ地酒でした。この無色透明のウィスキーは、現在のウィスキーとはまったくの別物で、香りもとてもきつく、味も荒々しくて、酔うために飲むものと割り切らないと、とても飲めるようなものじゃないと、現在の人ならほとんど口につけられないような代物でした。この荒々しかったウィスキーが現在の様な琥珀色で深い香りと味わいを持つようになったのは、実は酒税のおかげなんです。18世紀のはじめ、大英帝国は財源確保の為に重い課税をウィスキーにかけることにしました。「こりゃあ、たまったものじゃない!」と、それまでモルトウィスキーを造っていた農民たちは、手近なシェリーの樽等にに密造したウィスキーを詰めて、人里はなれた渓谷にその樽を隠したそうです。さてさて、数年の時を経て、樽からウィスキーを出してみるとなにやら琥珀色に色がついていて、香りもまろやかになっている。どれどれと飲んでみたら、これがかつてのウィスキーとは全く違う、華やかな香りと深い余韻を楽しめる、素敵な飲み物に変身していたという訳です。このウィスキーを寝かせる樽にはシェリー樽、バーボン樽などいろんなお酒を寝かせていた樽を使いますが、(正確には後熟といって、仕上げにもう一度樽詰めする時に使う)面白いのが、グレンマレイという蒸留所がやっている、ワインの樽で寝かせるという製法。ワイン独特の甘みと香りが、ウィスキーに優しい甘みと華やかな香りをもたらせてくれます。このグレンマレイの蒸留所、実はウィスキー工場になる前はビール工場の敷地だったそうなのですが、工場を拡張しようと工事をはじめたら、なんと人骨がゴロゴロ出てきたそうです。調べてみると、ビール工場の前のその土地は、処刑場だったとのこと。なんとも薄ら寒い話ではありますが、バーのカウンターでグレンマレイを語るときには、ちょっと華をそえる(?)うんちくの話題としてお客様にこの話をしたりします。ウィスキーは、大人の雰囲気を楽しみながら、深い味わいと余韻と、そして知恵を楽しむ。そんな飲み方が素敵だなって感じています。週末の夜を、ロックグラスでウィスキーを楽しむ。あなたも今宵楽しんでみてください。
November 5, 2005
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マスターが、メルマガやこのブログでいつもお伝えしたいなっていうテーマに、「自分が知らないということさえ、知らないこと」といものがあります。いつも、同じようなタイプの人が目の前に現れると、イライラしたり、腹がたってしまうのは、「腹がたつのはこいつのせいだ」って思っているけれど、実はその人を通して、自分の中の「なにか」が「自動的に反応している」ということを知らないことさえ、知らない。自分には素晴らしい才能があることを、知らないことさえ知らない。自分の才能を「あなた、素晴らしいですね」って言われた瞬間、「いやいや、とんでもない」ってやることで、自分の才能を遮断してしまっている事を、知らないことさえ知らない。「豊かになりたい、豊かになりたい」、「でも、豊かになるのは難しい」って言っている人は、自分が豊かになるのを拒絶しているなんて、知らないことさえ、知らない。「豊かさを自分で拒絶してるですって?」、「豊かになりたいって思っているのに、豊かになるのを拒絶するわけないじゃないですか!」って言いながら、豊かになるのを拒絶しているなんて、知らないことさえ知りません。マスターがきいたことわざに、こんなものがあります。魚には水がみえない、鳥には空気がみえない、人には自分がみえない。多くの人は、小さいころからの社会の概念が正しくて、それに沿わないものは正しくないと、深いところで信じ込んでいて、自分の行動が社会の概念を基準に動いている、社会の概念が自分のOSになっているということを知らないことさえ、知らない状態といえるかもしれません。ところで、自分が知らないことさえ、知らないことを知る瞬間って、どういう感じなのでしょう?この知らないことさえ、知らないことを知る瞬間には、2通りのパターンがあるようです。ひとつはめのパターンは、気づきの体験をしはじめた人なら、誰もが体験する、「ああ、あれってこういうものだったのか!」っていうものです。いままでみえていなかったものが、角度を変えたり、覆いを取り去ったり、人の行動を観察していて、自分に当てはめた時に、「ああっ!これって!」って閃きとして訪れるものです。わたしのメンターが伝えてくれた言葉なのですが、一度生まれた気づきは、消えることがないんだそうです。つまり、気づきを得るということは、それだけで次のステップにジャンプアップしたということ。もう、それまでの自分とは、違う自分に生まれ変わった、もうもとの自分とは違う人になっているということなようです。さて、知らないことさえ知らないことを知る瞬間というものには、もう一つのパターンがあります。それは、どういうものかというと、「人からフィードバックされる時」というものです。これは、先の自分で閃いた時とは、ずいぶん違う状態が起こります。なぜかというと、「自分では知らないことさえ知らなかった」ワケですから、まったくガテンがいかないので、キョトンとしてしまうからです。たいていの人が、「豊かさをうけとらない」時に起こす反応は、こういう時におこります。「あなたのその才能、素晴らしいですね!プロとしてやっていけるじゃないですか!」「え!?そんなことないですよ!」って具合。だって、知らないことさえ、知らないで今までいたんですから。わたしは昨日、この自分では知らないことさえ知らなかったことをフィードバックしてもらうという体験をしました。昨日、わたしは名古屋で、大好きな友人である、まっちゃん先生とサテンで喋っていました。ビジネスに関して、あるテーマのことを彼に質問していた時のこと、「マスターには、もうその才能があるのに、気がついてないだけじゃないですか?」という言葉が返ってきました。その時のわたしの反応は、「ハイ?」って感じで、きょとんとしてしまいました。わたしは、ある分野に関しては、自分でも言うのもなんなですが、素晴らしい才能を授かる幸運に恵まれているよなって、自分で自分を深く承認をしています。ですが昨日、まっちゃん先生にわたしが質問した分野は、わたしの苦手な分野、わたしの無知の分野、わたしにとっての未知の分野だと思っていたんです。というか、信じ込んで生きてきたんですね。そこに彼からの「マスターにはその才能があるはず」と言われ、わたしは、ホントにきょとんとしてしまいました。きっと、以前のわたしなら、彼の言葉を受け取らずに、「いや、そんなことはないよ、現に分からないし、できてないし」とかなんとかいろいろ言い訳をして、できない自分を正当化しようとしたと思います。ですが、昨日のわたしの反応は、ただただキョトンとしてしまいました。そして、しばらくしてから、「ああ、これが豊かさを受け取るってことかな」って感じ始めました。宝探しに出かけようと、シャベルや地図や旅の準備をして、気合を入れて、長いたびに出かけようという時に、「あなたの足元の箱の下に、黄金があるじゃない」って言われたような気分です。これから始まる、長い長い旅に気合を入れていた時に、旅に出かける必要もなく、黄金を手にしてしまう時の、あまりの意外さ。きっと、多くの人は、このあっけなさが受け入れられないのかもって感じました。わたしは、自分では気づくことができていなかった自分の才能を彼に「あるよ」って行ってもらえた瞬間は、「ハイ?」って感じで、ホントにキョトンとしてしまいましたが、しばらくしてから、「ああ、知らないすごい可能性があったんだ」「今まで気がついていなかっただけなんだ」、「実はすごい魔法の杖を持っていたんだ」って感じました。砂だらけの床を、足ではらったら、思いもよらなかった、財宝室への扉があるのを発見した気分です。さて、「その才能があるよ」って言われて、キョトンとしてしまったわたしのこと、素晴らしい才能があるらしいのだけれど、「いったい、どうしたらいいの?」、「どうやって使うの?」ってきっと以前のわたしだったら、あせって、何とかしようとしていたと思います。ですが、今回のわたしは、以前のわたしとは違う反応をしていました。「素晴らしい才能があるということを気づかせてくれて、ありがとう」「神様、素晴らしい才能も授けてくれていたなんて、ホントにありがとう」そして、その素晴らしい才能があることを、「今はもう自分は知っているんだ」っていう反応でした。なによりもわたしが感動を覚えたのは、人間には、ホントにどんな可能性があるか分からないし、無限の可能性を秘めているんだなってことです。そして、そんな素晴らしいフィードバックをくれる、素晴らしい友人がいてくれることも、ホントに幸せだなぁって、深く感謝した名古屋の旅でした。ありがとうございます。
November 4, 2005
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最近はしばらくやっていませんが、以前対面カウンセリングをやっていたころ、気がついたことがあります。「どうやったら、彼にわかってもらえるでしょう?」「離婚するしかないでしょうか?」「どうすれば、仕事で成功できるでしょう?」「いつ仕事を変わったらいいでしょう?」「いつ今のしごとをやめたらいいでしょう?」などなど、人間関係のこと、恋愛のこと、仕事のこと、様々なことを相談しに来る人たちがいたのですが、ほとんどの人に共通して感じたのが、既にどうしたらいいか、「ホントは自分で知っている」ということでした。なぜなら、彼らは人生を変える為のインスピレーションを受け取りに来ているはずなのに、インスピレーションをフィードバックしようとすると、いろんなできない理由、前進できない理由を並べ始めます。人生を変えるためのインスピレーションを受け取りに来ているのに、いかに今の人生が案外悪くなくて居心地がいいかと説明をし始めるんです。(もちろん、自分では意識していませんが)結果、インスピレーションを受け取ることなく、同じ人生を続ける人を何度もみてきました。その人たちをみていて、気づいたことは、ホントはどうしたらいいかは知っているのですが、自分で決められないので、保証を下さいと言ってきているんだなということでした。(いろんな占いに頼る人もこれに当たるかもしれません)彼らが異口同音に口にしたり、伝わってくるメッセージは、人生を変えたいけど、失敗はしたくない。失敗せずに人生をよくしたいので、失敗しないようにするにはどうしたらいいかということを、永遠に問い続けている人生を送っているようです。言い換えれば、準備だけを永遠にやり続けて、本番をけっして始めない人生ともいえるかもしれません。先日、メルマガ「ネクラでブサイク彼氏が5人」の著者の一人で、わたしの友人でもある、涼子ちゃんと飲んでいた時、ちょうどカウンセリングに関して、この話を話題にしていました。その時、彼女が言ったのが、「失敗したくないから、失敗しない方法を知りたいんです」って人がすごく多いけど、「どうして、なにもはじめられない今を、失敗だと思わないのかな?」って、ものでした。彼女はジョーク交じりに言っていましたが、これは、ホントに確信をついた言葉だなぁと深く感じました。以前、メンターに教えてもらった言葉に、「人生とは、あれこれ準備している間に過ぎ去っていく、今の瞬間」というものがあります。準備無しにフライングして、自爆する人もたくさんみてきましたので、準備がとても大切なことはわたしも深く感じています。ですが、準備だけを永遠に続けて、実際には始めない人が、とてもとても多いということもみてきました。人生を変えるということは、「決めて」、そして「はじめる」ということからしかはじまらないようです。なぜなら、やってみてはじめて、「結果」というものが現るからです。結果が出ないと、次に何をしたらいいのか、どんな改良をしたらいいのか、そのまま行っていいのかとか分かりませんものね。たしかロバート・キヨサキ氏の言葉だったと思うのですが、こんな話があります。塀の上に3匹の猫がいました。3匹の猫のうち、2匹が「塀から飛び降りよう」と決めました。さて、塀の上には何匹、猫が残っているでしょう?という問題です。答えは何匹だと思います?この質問の答え。それは「3匹とも塀の上にいた」というものでした。なぜなら、決めることと、実際に飛び降りることとは、まったく違うジャンルだからだそうです。もし、あなたが長い時間、失敗しないように準備をずっと続けている事があったなら、どうぞ思いきって飛び込んでみてください。むちゃくちゃな博打のようなことでない限り、飛び込んでみることで「次」が見えてくると思います。人生にホントの意味での失敗はないとメンターたちも、言っていましたし、わたしも同じように感じています。失敗を恐れて塀の上にい続けることもできますが、準備の人生から、人生の本番へ飛び込んでみてください。あなたの人生が自分らしく輝くことを心から応援していますね。
November 3, 2005
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ホントに人生を深い満足の中で生きる、幸せな人や幸せな成功者と呼ばれる人たちは、生きていくほどに、どんどんラクに生きられるようになるし、成功しやすくなっていくっていうのを耳にしたことありますよね。ですが、多くの普通の人にとっては、仕事のこと、経済のこと、パートナーとの関係や人間関係のことなど、いろんなことに日々振り回されて、人生がラクに生きられるとか、カンタンだとか、どんどん成功しやすくなるなんて感覚は、なかなか理解できません。「こんなに、人生にはいろんな問題が起こるのに、人生はシンプルで、カンタン?」「どうやったら、そんなふうに思えるの?」って、きっと多くの人が思うとおもいます。勿論、わたしもそんな人のひとりでした。多くの人は、「お金がたくさんたまったら、気持ちにゆとりができるだろうから、そしたら、余裕ができて、ものごとに振り回されなくなるだろう」って考えて、お金を稼ぐことに真剣に取り組みます。真剣に取り組むのは、とても素晴らしいのですが、そうやって、「まずはお金から」ってはじめてしまう多くの人が、「お金が手に入れば、ラクになる = お金が手に入れば幸せになる」って、自分でも気が付かないうちにどこかで、ボタンをかけちがえてしまいます。そうすると、お金を稼ぐことにばかり必死になってしまい、本来の「幸せに生きたい」ってことを忘れてしまって、結局は、お金に振り回されるという、それまでのパターンから変わらない状態を続けてしまっていることを多くの人たちが、知らないことさえ知らない状態でいるようです。では、人生がシンプルにみえて、どんどんラクに、カンタンになっていく、どんどん成功しやすくなっていくという人と、そんな風には感じられないっていう人とは、いったいどこが違うのでしょう?もとをただせば、今、「世の中はとてもシンプル、どんどん成功しやすくなる」って感じている人たちも、以前は「そうは感じられない人」だったわけですよね。では、いったいいつ、何処で、彼らは違う道に気づき、そちらの道に入っていったのでしょう?どこで道は分かれるのでしょうか?多くの幸せな成功者と呼ばれる人たち、人生を幸せと満足の中に生きる人たちと、そうじゃない人たちに出会ってきてみえてきたのは、「目の前のことに振り回されている人生から」、「目の前のことではない、人生を幸せに生きるためには、なにに目を向け、どう生きるか」という本質の部分に意識を切り替えた。「目の前のことに振り回される」ということを手放したということが、彼らの人生を新しく切り替えたようです。世の中がシンプルにみえるということはどういうことかというと、山の高いところに登って、広い視野で全体を見渡すということにたとえられます。高いところに登れば、「なるほど、あの道をこっちに行けば、ここに行くのか」とか、「あの道はここにつながっているのか」というようなことがカンタンに見分けることができるようになってきますよね。ですが、問題と同じ高さ、視点で、一つ一つの問題を相手にしていたら、目の前の問題しかみえてきません。問題と同じ高さに居続けることで、問題しか見えて来ないっていう人生は続いていまうようです。昔、たしかトイレの洗剤のCMかなにかだったと思うのですが、「臭いニオイはもとから絶たなきゃダメ」っていうのがありましたよね。(知らない?古すぎる(笑)?)人生においても、どうやら同じことが言えるようです。問題をやっつけ続ける日々から、問題の根っこを探求し、問題を変えようとするのではなく、自分を変えるという日々に切り替える。どうやら、世の中がシンプルにみえる人たちの人生は、ここからはじまるようです。もし、今いろんな解決したい問題が目の前にあるようでしたら、一つ一つの目の前の問題をやっつける日々から、問題を引き寄せている、「自分の根っこ」を探求し、変えていく日々に切り替えてみるといいかもしれません。そうすれば、一段一段階段を上がっていて、知らないうちに「あれ、前はこんなこと気が付かなかった」って視野が広がっているかもしれませんね。
November 2, 2005
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