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昨年、知人のすすめからなんとなくはじめたブログでしたが、それがきっかけになって、たくさんの方々と出会う幸運に恵まれました。まったく、人生ってなにがきっかけで新しい出会いや転機になるか分からないものですね。ですが、いつも転機や機会に巡りあわせてくれるのは、誰かとの出会いです。その機会へと導いてくれる人が、ずっと付き合う人なのか、機会を提供して、役割を果たすとしばらく離れ、また出会う人なのか、機会の提供だけをしてくれる人なのかは分かりませんが、転機や機会というのは誰かが、わたしたち一人一人のために役割を持って運んできてくれるものなようです。多くの方々との素晴らしい出会いに感謝。そして、本年もよろしくお願いいたします。ありがとうございます。
December 31, 2005
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昨夜は、知人主催のとあるパーティーに出席しました。病み上がりなこともあったので、風邪薬と栄養ドリンクを一気飲みにしてからの参加でした(笑)。参加の皆さん、美しくドレスアップされていて、ハープの演奏もあったのですが、このハープ奏者の方は、今年のローマ法王 ヨハネ・パウロ2世の追悼式でハープの演奏をされた方で、それはそれは素敵なパーティーになりました。さて、マスターが座ったテーブルには、マスターとANGEROSESのスタッフの他、起業家の友人たちも席についていたのですが、その中にちょこんと、中学生の男の子がひとり。どなたかの連れのお子さんかな?と思っていたのですが、「もしかして、この子が噂の中学生?」と思って、主催者の方にきいてみたら、その通り。その男の子は、中学一年生でありながら、ビジネスモデルを考案し、実際にビジネスを実践していて、今回の主催者の投資家の友人をもうならせたという男の子。なんと、投資家の友人と同じギャラで講演もしているというから驚きです。でも、マスターがひじょうに衝撃を受けたのは、その子が大人でも思いつかないようなことを思いついて実践していることよりも、彼の中学生ゆえのピュアなところが、ビジネスに生きているということでした。どういうことかというと、その男の子、ビジネスプランを思いついて、いきなりうまくいったわけではなくて、ちゃんと失敗も経験して、失敗から学んで、そしてビジネスモデルを洗練していったそうなのですが、うまくいかなかったときのビジネスモデルを振り返ってみて、「みなが喜ぶように、みながいい思いが出来るようにすることが、結果的にうまくいくようになってたみたい」と話していたんですね。これだけでもおどろきなのですが、マスターがもっとも衝撃を受けた、ピュアなところというのは、その男の子の話をきいていると、ホントに楽しそうに話してくれて、ビジネスプランを考えること、仕組みを考えること、実際にやってみることをホントに楽しんでいて、楽しむことそのものが目的なんだなぁということです。そういうところから、わたしたち多くの大人をみまわした時、たくさんのお金や高価なブランド物を身のまわりに置いておくことで、必要以上に自分を良くみせようとしたり、目立つ実績を上げたりすることで、自分の価値を人から評価されたいという願望にコントロールされているのをあらためて目の当たりにされてしまったような気持ちになりました。純粋にビジネスを楽しむことが目的の中学生の男の子。人から自分の価値を認めてもらうことが目的でビジネスをやろうとする大人。いったいどっちが、ホントは子供なんだろうって、強い衝撃と共に、新鮮な感動を受け取ることが出来た出会いでした。この出会いから受け取ったメッセージは、間違いなく今後の人生に大きな大きな影響を与えてくれたようです。
December 30, 2005
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ものすごーく寒い中を油断して飲みに行っていたら、マスターは思い切り大風邪ひいてしまいました(笑)。おかげで、今日は一日中布団の中でした。というわけで、今日のブログはお休みします。いつもいらしてくださるみなさん、ゴメンなさい~。明日には復活していると思いますので。 マスター
December 28, 2005
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多くの人が「豊かになろう」、「経済的に成功しよう」と、さまざまなビジネスをはじめたり、みずから起業したりしていますよね。そして多くの人が一日も早く成功を手にしたいと願っています。「成功は早くて構わない」、「短期間で大きな収入を得た」という話もよく耳にしますので、多くの人たちが短期間に人生を変えたいと夢を描きます。マスターはショットバーのカウンターに立っていたことで、数多くの成功者と呼ばれる人たちと出会う機会に恵まれました。ですが、成功者と呼ばれる人たちの中には、人生を心から楽しんでいる幸せな成功者と、経済的には豊かになっているのにも関わらず、どこか満足のない、どこか「あらそい」の世界に身をゆだねたままでいる不幸せな成功者がいることも肌で感じることが出来ました。世の中では、実に多くの人たちが経済的な成功を夢みてビジネスをはじめたり、みずから起業したりしていますが、その中の多くの人が、短期間での成功を強く願っているようです。そもそも、なぜ短期間で成功したいのでしょう?なぜ、ゆっくり時間をかけながら、子供が大人に成長していくように経済的な成長もじっくりと時間をかけて育てていくことに多くの人は注意がいかないのでしょう。それは、こころの奥底の「そもそもなぜ、経済的な成功をしたいのか?」というところの深い部分を探っていくと、おのずとみえてきます。どうやら、多くの人たちが短期間で成功したい、早く成功したいと願う背景には、今持っている経済に関する不安、今もっている経済にともなう欠乏感、経済とはホントは無関係なのに、自分の経済状況を自分の価値と混同してみてしまうことで、感じてしまう無価値感から早く開放されたいという、逃避の願望から来ているようです。数多くの幸せな成功者とそうじゃない成功者と出会ってきてみえてきたのは、短期間の経済的な成功は可能だけれども、人間的な成長と経済の成長を上手にすり合わせていった人が、幸せな成功者になっていったらしいということです。逆に急激に経済的な成功した人たちにも何人も出会う機会がありましたが、急激な変化には、どうも「世の中のことわり」として、ひずみというものが生じるようにできているようで、不思議に感じてしまうかもしれませんが、なんらかの問題を自分自身や家族や、その他の人間関係に引き起こしてしまうようです。かつてのわたしのメンターの中にも、急激に成功した人がいました。彼は素晴らしいカリスマ的なリーダーシップを発揮していましたし、多くの人から慕われている人でした。彼の印象的な言葉は、「短期間で成功しよう」というもので、マスターも彼にならって、短期間で成功することを夢みた時期がありました。ですが、自分の無価値感や欠乏感から逃避したいという隠れた欲求から成功を望んでいた、当時のマスターのビジネスは、うまくいきそうになっても、どこかでおかしくなってしまったり、ホントの意味で幸せを感じるというはできずにいました。がんばってもうまくいかない、ある程度成功してもまだまだ満足がなかったり、どこか傲慢さを表現していしまう自分も垣間見た当時のマスターは、「まだまだ、がんばりが足りない」か、「自分にはそもそも才能がないんだ」、「なにをやってもダメなんだ」って感情の起伏を何度何度も繰り返していたものです。そんなある日のこと、とても衝撃的な出来事が起こりました。当時のマスターのメンターの一人だった、短期間で成功することを奨励していた若き実業家は、ある日突然、急死してしまったのです。その出来事はとても強い衝撃でしたが、マスターの中ではなにか、ひとつの概念が終わりを告げたような気がしました。多くの人たちがビジネスをはじめ、起業をして、短期間に成功することを望んでいますよね。ですが、経済的にもかつての不安がなく、ライフワークを生き、自分のミッションを生き、心の平安と深い満足の中で人生を生きられるようになって、これまでの足跡を振り返ってみた時、短期間で成功したいと願ってはいたけれど、ホントに豊かさを享受できるようになったのは、欠乏感からはなく、ほんのささやかな豊かさに(人の優しさや、自然を感じられることや、さまざまなこと)感謝できる自分に成長していったからのように感じています。多くの人は、経済的な成功がこころにゆとりを持たせてくれることで、幸せを感じられるようなるだろうと期待しているようです。ですが、経済的な成功は、こころの成長とともに、おたがいをすり合わせていくように育てていくことで、お互いが成り立ち確実なものとして存在すると感じています。急激な成功への渇望は、ひずみを生み、豊かさがやってきても、どこか「まだ足りない」、「いまはお金があるけれど、なくなるかもしれない」というような不安が訪れてくるようです。自分の価値を経済に依存している間は、たとえ何十億を手にしようと、疑いと渇望感はぬぐいきれないようです。勿論、急激に成功してから、「あれ?これで幸せになると思ってたのに、なんかおかしいぞ?」って気がついて、そこからはじめてもいいでしょう。ただ、こころの片隅においておくと、きっといいだろうなって感じるのは、経済が自分の価値を引き上げてくれるのではなく、自分がそれだけの豊かさを受け取れるに値する、価値ある人生を送っているって、自分自身を承認している時かもしれないということです。どうぞ、ご自分の人生を承認してあげて下さい。自分は自分でしかできない、素晴らしい人生を送るためにうまれてきたみたいだってこと。あなたの人生が素晴らしく生きがいのあるものになることを、こころから応援しています。
December 26, 2005
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夜みる夢には、無意識の深いところに隠されているメッセージが送られてくるとか、意味があるとかいうことをたまに耳にしますよね。作家や成功者の中には、アイデアの貴重な手がかりがあるとして、よく枕元にメモを用意しておいて、朝起きたらみた夢を忘れないうちにすぐにメモに書き留めるというのをきいたことがあります。夜みる夢というものは、強烈な印象の夢で、「こいつは絶対に忘れっこない!」って思った夢だったとしても、その日の午後には「あれ?どんなゆめだったけ?」ってなぜか忘れてしまうもの。それだけに、重要なメッセージを含んでいるのではないかしら?と感じてしまいます。素晴らしいアイデアも、実現の為のなんらかのアクションを起こさなかったら、ただのひらめきで消えてしまっていくように。さてさて、マスターは今日とても興味深い夢をみました。マスターはいつも、枕元にメモをおいておくのをついつい忘れてしまってやってはいないのですが、そのかわり、どうしても忘れたくない貴重なメッセージを含んでいそうな夢をみたときは、わすれないように布団の中で何度も何度もその夢を反復して思い出します。(ただ、寒くて布団を出てメモをとるのがめんどくさいだけなのですが(笑))さて、今日みた夢の話です。その夢の中では、マスターは詰襟の制服を着た中学生でした。学校での授業中の風景なのですが、他の生徒はみんなできがよく、マスターは成績の悪い、出来の悪い生徒という立場です。先生からの評価も、当然よくありません。ちゃんと宿題も課題も提出しない、マジメにやらないいい加減で出来の悪い生徒というわけです。ですが、マスターは自分で、なぜ自分が課題をちゃんとやらないか、なぜちゃんと授業の内容を勉強しようとしないか、どうして他のみんなみたいにやらないかをよく知っているんです。それは、他の生徒みんながやっていることが、学校の授業や先生の言っていることが正しいことと信じて、「なぜなんだろう?」、「ホントにそうなのかな?」なんて、考えてもみないで鵜呑みにしてしまっていること。そして、そのことで、自分で自分の人生を考えるなんてことは、思いつきもしていないんだなっていうことを、強く感じているんです。夢の中のマスターは、自分がホントのホントにやりたいことは、まだよくわかってはいないんだけど、学校でみんながやっていることは、自分の人生でホントにやりたいこととは関係がないんだということは、なんとなく直感で知っているんです。そして、マスターは授業中、立ち上がってみんなの前でこう言うんです・「おれ、学校を辞めるわ」「こいつ、いったいなにを言い出すんだ」って感じのみんなの顔。「こいつ、なにを甘いことを言ってやがる」、「とうとうこんなこと言い出して、世の中の厳しさが少しもわかってない」って感じの先生の表情。でも、そんなみんなの視線を感じながらも、もうハラをくくって決意しているマスターは言います。「(まだホントはなにをしたいかわかってないけど)おれ、学校をやめて、自分で事業をはじめるよ」って。みんなのあきれた視線、無理解、そんなものをひしひしと感じて、世の中の常識から飛び出して、自分らしい人生を選ぶということは、こんなにも孤独感や無理解を感じるものなんだなと理解します。ですが、ハラをくくっているマスターはもう一つ理解しています。この孤独感や疎外感は、「それでも、やるんだな」って、自分を試してエールを送ってくれていることなんだなって。そして、教室を立ち去ろうとした時に、生徒の一人がマスターに声をかけます。「ホントにそれでいいのか?ホントにやるのか?」って。「うん」と力強くマスターが答えると、その生徒の口から意外な言葉が返ってきました。「じゃあ、ホントに成功したら、その時おれを雇ってくれるか?」って。その言葉が彼なりの応援なのだなと感じたマスターは、「もちろん!」と答えて、その場を去ります。ここで目が覚めたわけです。この夢、ものすごくリアルだったんです。夢がリアルというより、感じる感情が本当にリアルだったんです。ですが、人がホントに人生を変えようとする時に感じる感情をこれ以上なくリアルに感じさせてくれる夢だと感じました。ホントに自分らしく生きるということを、自分の周りの人たちがそうしていない中で選ぶ最初の一人になるということは、とても怖いことかもしれません。ですが、それは「それでも、ホントにやるのか?」って、試してくれるために感じる感情なようです。そして、決意して、「うん」と答えたなら、きっと応援してくれる人も現れはじめるということを数多くの幸せな成功者、メンターたちに出会ってきて、そして、自分の体験として信頼しています。年が明ける前にみたこの夢、来年の私たちの人生が、素晴らしくはばたくことを示してくれていることを信頼しています。あなたの来年もすばらしい羽ばたきの機会になることを、心から応援していますね。
December 25, 2005
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マスターには、いろんなジャンルのいろんなメンターがいてくれているのですが、ちょっと変わったところで、時計メンターという人が居てくれています。以前にもお伝えしたことがあるかと思いますが、腕時計というものは(特に男性の仕事にとって)、運を左右するとても大切なものなので、「ヘンな物をしてはいけないよ」と、いろんなメンターから言われたことがあります。「いい運を引き寄せるには、いい運を引き寄せる時計をしなさい」と、何人ものメンターが異口同音に話してくれました。いい時計というと、高価な高級時計を連想する方が多いと思いますが、高かったらいいというものでは決してなくて、その人の、その人らしさを引き出してくれる、その人にあった時計というものがあるそうです。マスターは以前、時計にはほとんど興味のない人間でした。マスターの時計のメンターは、酒場をやっているのですが、ある日のこと、いつものようにカウンターで飲んでいると、となりのお客と酒場の大将が時計をカウンターに並べて、なにやら話し込んでいます。何を話しているのかしらと覗き込んできいてみると、そのお客さんは時計のバイヤーだそうで、大将と時計の取り引きをしているのだと教えてもらいました。「へぇ~」って言いながらみせてもらった中で、マスターが興味を持った時計がひとつありました。それはロレックスのサブマリーナという時計だったのですが、70年代くらいの独特の懐かしい雰囲気と、ちょっとワルっぽい、男の時計って感じがして、なんともいえないオーラのようなものが漂ってくるのを感じました。マスターはバブル期にちょうど社会人になった年代なのですが、それまでのマスターの概念の中では、ロレックスといえば、バブリーな成金(笑)オヤジのような人が金ピカにダイヤの入ったようなものをギラつかせながら見せ付けるいう印象がありましたので、なんともシンプルでちょっとワルっぽいその時計に、とても意外な印象を受けたものです。さてさて、酒場の大将は時計が大好きで大好きでしょうがいない人のこと、「これいいですね」と言ったが最後、もう、嬉しそうに語る語る!どうして自分が時計が大好きになったのか、どうして趣味だけでなく、時計を扱うようになったのか、自分にはどんな時計の師匠がいて、どんな教えを受けてきたのか、田舎の古時計屋をまわって、掘り出し物見つけた時の感動した話、師匠のところに「こんなのみつけた!」って喜んでみせにいったら、「こんなガラクタ買ってきやがって!」ってどやされた話、時計屋の主人との駆け引きの話。どの話も、ホントに大好きなジャンルのことですから、ききいいるこちらも、いつの間にか話に引き込まれて、気がついたら、ワクワクしながら引き込まれてしまっています(笑)。マスターはすっかり、その時計の師匠の影響で、時計に興味を持ってしまって、インターネットを使って、自分でもあれこれ調べるようになって、大将と時計の話で盛り上がるようになっていました。いろんな時計に興味を持ちましたが、マスターが気になってしまっていたのが、やはり最初に見せてもらった、サブマリーナという時計。でも、当時のマスターには高価でとても手が出ません。当時のマスターは、夢は持っていましたが、「どうしたら夢をホントに実現することなんて出来るんだろう?」、「いったいいつになったら、成功できるんだろう?」、「自分にはホントに才能がないよな」とか、「成功する人と、そうじゃない人がいるとしたら、自分はいつになったら、後者から前者になれるのかな?」って具合に、自分の人生を信頼できずにいた頃でした。ですから、当然経済的にもいつも不安を感じて生きていたような頃です。そんな高価な時計は、欲しくても手が出せるような時期ではありませんでした。ところがある日のこと、いつものように店にいって、カウンターに座ると、大将はごそごそと店の奥からなにやら取り出しいます。「みせたいものがある」と言われて、目の前に置かれたのは、あの一番最初に出会った時計、サブマリーナでした。「ああ、この時計、前にみたやつね?いいね」と言いながら、手にとってみていると、大将から思いもかけない一言を言われました。「この時計の前のオーナーたちは、全員この時計をしていた時に、すごく出世したっていう、すごく強い運を引き寄せる時計なんだよ。」「へぇ~、ホント?それはすごいね!」「これ、譲ってあげるから、買いなよ」「え?」「譲ってあげるから、これ自分のものにしな」「うん!欲しい」、「でも、高いでしょ、これ?とても今は買えないよ」こんな会話を交わしていました。そしたら、大将から思いもかけない言葉が。「今はお金はいらない、払えるようになったら払いな」、「そんなことよりも、この時計で運を引き寄せて、人生を変えな」って。大将からのこの言葉に、マスターは思わず胸がいっぱいになってしまいました。その日からマスターの腕には、サブマリーナが巻かれることになりました。支払いは、「1ヶ月に1万円づつ店にもっていくこと」と、約束をつくりました。たくさん稼げるようになっても、一気に返済するのではなく、人生をゆっくりと確実に変えていくように、お金も少しづつ、確実に入れていくことという約束です。その約束から数年が経ちました。あの頃、夢は持っていたけれど、自分の人生を全然信頼できなくて、自分のことをまったく認められなかったわたし。今、自分の人生のミッションをみつけだし、ライフワークをみつけだし、生きがいと深い満足の中で生きられていることに深く感謝する時、あの頃の自分の人生を思い出すと、「ホントに人生って変わるんだ!」って驚きと感謝の感情が溢れてくるのを感じます。多くの人たちを出世させ、幸運を引き寄せてくれるというこの時計の支払いが、ついに昨夜完了しました。まだもうしばらく、この時計との付き合いは続くでしょうが、いつか、新しい主人となる人が現れた時には、その人に幸運を引き寄せてくれるんだろうなって感じています。素晴らしいメンターと、素晴らしい幸運との出会いに、こころから感謝を感じる、今年のクリスマスになりました。これが、マスターの時計、サブマリーナの5513というモデル。1960年代製造で、マスターとほぼ同い年。40年近く時を刻んできた時計です。現行のモデルにはない、ミラーダイヤルに金の文字盤は、ひじょうに希少なものだそうで、たまにアンティークショップでみかけても、ここまで状態の良い物は、ちょっとみたことがありません。これからも何十年も時を刻み続けて、いろんな人たちに幸運を引き寄せてくれることを願っています。
December 24, 2005
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マスターは最近、まわりの方から「自分にもっともあった仕事をしたいんだけど、どうやって仕事を選べばいいのでしょう」という質問をよくうけることがあります。そんな時、マスターからお伝えできるのは、自分のメンターたちが、マスターに伝えてくれたことと、自分の体験談をお伝えするようにしています。マスターもかつて、同じような質問をメンターたちにしていたのを思い出します。その頃のわたしは、「なにをしたらいいんだろう?」、「どんな仕事なら生きがいを感じられるだろう?」、「どんな仕事を選べば、イキイキと疲れ知らずで楽しめるだろう?」、「どうやったら、そんな仕事をみつけることができるんだろう?」って、いつもいつも悩んでいました。そして、メンターにも同様の質問をしていました。ですが、今ならよく分かるのですが、当時のわたしには、すごく大切なこと、肝心なことがみえていませんでした。それはなにかというと、「職業が自分に生きがいや価値をもたらしてくれる」という、幻想を抱いていたことに気づかずにいることさえ、知らずにいたということです。多くの人が生きがいを感じられる人生、イキイキさと満足の中で生きられる人生を生きたいと願っていますよね。ですが、多くの人が「それ」を手にできないでいるのは、「経済的な安心が幸せをもたらしてくれる」という概念と同様に、「自分らしく生きられる仕事があるはず」と信じていることにあるようです。マスターもかつて、メンターに「どうやったら自分らしい仕事をみつけられますか?」と何度も質問してみたことがありますが、「時が来たらわかりますよ」って感じで、いつも具体的なアドバイスはもらえませんでした。また、「文章を書くことが自分にもっとも合っていると思うので、そういう仕事のつてがあれば、ご紹介いただけませんか?」と訊いてみた時も、「質問だけでは、ホントにやりたいことがよくわからないので、明確になったら連絡下さい」っていう風にかわされちゃったこともあります(笑)。ですが、今ならなぜメンターたちがそんなアドバイスしか、してくれなかったかということがよく分かります。仕事が生きがいを感じさせてくれるのではなく、自分らしく生きることが、人生を生きがいや幸せで満たしてくれるということ。自分のミッションに沿ったことを仕事として選択すればいいということ。勿論、当時のわたしにはそんなことは見当もつかない世界のことでしたし、きっとそのようにアドバイスをされたとしても、まったくチンプンカンプンだったろうな感じています。そうなんです。メンターたちは、どうして具体的なアドバイスをしたり、仕事の紹介をしてくれなかったかというと、自分で気がつくことがなによりも大切だということと、その機会を本人からとりあげることがいかに余計なおせっかいで素晴らしい気づきと、成長の機会を奪ってしまうかということを痛いほどよく分かっていたからのようです。そして今、なによりも嬉しいなと感じているのは、マスターが「自分自身でみつける」ということをメンターたちが信頼していてくれたということです。ですから、マスターのところに「どんな仕事をしたらいいでしょう?」、「どうやってみつけたらいいでしょう?」という質問をしてくる人たちに、マスターの経験からお伝えできることがあるとしたら、どんな仕事をすればいいのか?、どうやってみつければいいのかということを考えていること自体が、失敗しないように失敗しないようにして、自分の人生を生きていないパターンなのかもしれないこと、そして、経験して学んだり、気づくこと以上の財産はないということだと感じています。マスターはかつて、自分がなにをしたらいいのか、ホントになにがしたいのかということをずっとずっと迷い捜し求めていました。答えが欲しくて、ずっとずっと迷走していたように当時は感じていましたが、あの経験こそが、今の自分の最高の財産だと心から感じています。どうぞ、あなたの、あなただけの旅の記録を大切にして下さいね。
December 23, 2005
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幸せな成功者の話をうかがう時に必ず出てくるものに、「豊かさとは、ただうけとることだよ」とか、「答えも豊かさも自分の中にあるんだよ」っていうものがあります。あなたもどこかで、こんなセリフをきっときいたことがあるのではないでしょうか?ですが、わたしたちはえてして、「ただうけとればいい」とか、「答えは自分の中にある」ときくと、「ど...どこにあるの!?」、「わかんない!どこ?どこ!?」って具合に、一生懸命探してしまいますよね(笑)。そして、わたしたちの多くは、「豊かになろう!」、「幸せになろう」って思い立ったち、ビジネスにしてもなんにしても、一生懸命頑張ります。そして、努力をして、血と汗の結晶の結果が豊かさになると信じて、「まだまだこんなものじゃ、努力が足りない!」と、自分にどんどん鞭打ち続けます。そして、そのままの自分を受け入れることができない多くの人たちは、自分に鞭打ち続けることからいつまでも降りられずにいます。まるで世の中の多くの人が、人生から苦労や障害がなくなってしまったら無味乾燥でつまらない人生だと信じているかのようです。でも、もしかしたら、わたしたちは必要以上に難しい道を選んでいるのかもしれません。まるで、きれいな歩道を歩けばいいのに、わざと道の脇の石ころがたくさん転がって歩きにくいところを選んで歩いているかのように。「ただ受け取ればいい」という事に関して、先日とても素晴らしいメッセージを受け取ることができました。それはワークショップが終わった後の懇親会でのこと。懇親会で盛り上がって「さぁ、帰ろう」という時になって、参加者の一人の方が、お店の靴箱のカギをなくしてしまったんですね。店の人もみんなも手分けして探すのですがどうしても見つかりません。トイレも調べたし、飲んでいた席の周りも調べたし、通路も調べたし、机の隙間も調べたんだけど、どうしてもカギは出てきません。探しても探しても出てこなかった、靴箱のカギ。でも、あるところからひょっこり出てきたんです。どこから出てきたと思います?それはね、なんてことないの。参加者の方のカバンの奥の方からあっさり出てきたんです(笑)。この出来事は、「なんだ、もう人騒がせだなぁ(笑)」って普通ならあっさり終わってしまう出来事ですが、マスターはこの出来事から、とても大切なメッセージをきっちりと受け取ることができました。それは、豊かさやヒントや機会は、いつでもすぐ側にあるのに、わたしたちの多くはがんばって手に入れることがホントに価値のあることで、あっさりと手に入ってしまうことには価値がないと信じ込んで、大切な機会をみてみぬふりをするかのように、受け取っていないんだなということです。まるで、チルチルミチルの青い鳥そのもののような話ですが、ホントにわたしたちは、かんたんに受け取る事を拒絶して、人生の貴重な時間を浪費してしまっているかもしれません。でも、あっちこっち走り回ってないで、よくよく自分の周りをながめてみて。そしたらほら、わたしたちの素晴らしい、ライフワークとミッションの中で生きられる豊かさと満足の人生の扉のカギが目の前に置いてあったことにきっと気がつきますよ。今年のクリスマスプレゼントは、もう目の前にあるのかもしれませんね。
December 22, 2005
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マスターはショットバーのカウンターに、バーテンダーとして立っていたことで、実に数多くのお客様と出会うことができました。そして、成功者と呼ばれる人たちとも数多く出会う機会に恵まれました。なによりも貴重な体験は、成功者の中にもライフワークを生き、自分の人生の目的をみつけて、深い満足の中で生きる幸せな成功者と経済的な成功や名声を手にしていても、人生に満足や感謝を感じていない不幸せな成功者がいるということを、実際に肌で感じられたということです。ところで、幸せな成功者という言葉をきくと、きっと浮かんでくると思われるのが、人に喜ばれことをビジネスにしていて、自分だけではなく、周りの人も幸せにして、そして世の中のためになることを事業にしているんだろうなってことではないでしょうか。これはまったくその通りで、彼らのビジネスの基準は、自分の人生のビジョンに沿ったものかどうかで選択され、幸せな人生を送る人には、それにふさわしいビジョンがあるように幸せな人生を送る、幸せな成功者のビジネスも、そのビジョンにふさわしくあるようです。さて、この話をきいた多くの人たちは、起業したり、ビジネスをやっていくうえで、「人に喜んでもらうこと」、「世の中の役に立つこと」をやることで、幸せな成功者になれるんだって思いますよね。ところが、はじめからこの考えでビジネスをスタートする人の多くは、ビジネスがうまく成長しなかったり、あまりお金にならなかったりしていることが少なくありません。そこで、少し衝撃的なお話なのですが、今、幸せな成功者と呼ばれ、人生を深い満足と喜びの中で生きる人たちの多くは、実は、はじめからは必ずしも、そんな「高貴」なところからビジネスをスタートしたわけではないようです。マスターが出会った、今、幸せな成功者と呼ばれる人たちも、実ははじめからそんな思いからはじめた人たちはほとんどいなくて、「お金持ちになって、自分の価値を証明したい」っていうような自分の価値証明のためにビジネスをはじめる人が大半でした。それどころか、「あいつらを見返してやりたい」、「あいつだけは、許せない」、「あいつに認めさせてやる」っていうようなダークな思いからスタートした人が実はけっして少なくはないようです。では今、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、いつどこで、そんなダークなことを行動基準にしていたところから、今のような幸せや分かち合いを基準にするような人生に切り替わっていったのでしょう?ここで、マスターの体験談をお伝えしたいと思います。マスターもかつて、「豊かな人生を送りたい」という思いから、いくつもビジネスを立ち上げてみたり、起業したりしました。それらは、ある程度うまくいったものもありましたが、まったくうまくいかないものあったり、逆に損益をたくさんだしていしまうものもありました。結果、いつまでも変わらない人生をグルグルまわっているように感じて、「どうして、うまくいかないんだろう?」、「自分は何をやってもダメなのかな?」、「お金を稼ぐ才能がないのかな?」、「普通に勤めに行くった方が、自分にはあってるのかな?」、「でも、なんのスキルも資格もないし、今からこんな自分を雇ってくれるところなんてどこにもないよ」って自分の才能のなさや力のなさにすごく悩み落ち込んだ時期がありました。マスターがいつも意識の深いところに持っていたのは、「成功する人とというのは、やはり選ばれたごく一部の人たちで、自分は違うんだ」というあきらめの感情でした。そんなある日のこと、とても衝撃的なことが起こりました。ある友人の一人が、お金に関する考えられないような不義理と感じてしまう行動をとってきたのです。わたしは、たいへんなショックを受けると同時に、強い怒りの感情を感じてしまいました。人は冷酷になったら、「こんなことができるんだ!」て、すごく衝撃的な出来事でした。その時、生まれてはじめてある感情がわたしの中に生まれてきたんです。それは、「お金でそんなにも人間は変わってしまうのか」というきっかけに対し、「自分はビジネスを立ち上げて、しっかり稼いで、まっとうな形で、そして、こいつにぐうの音も出ないようにしてやる!」という決意でした。ですが、そこで同時に出てきたのが、それまでに数多くのメンターたちから伝え学んできた、ホントの成功者は、自分と人の幸せを基準にビジネスもものごとも考えて生きているというものでした。その時のマスターにあった感情は、明らかにリベンジの感情です。どう考えても、幸せな成功者の生き方と違う生き方ですよね。「自分は、幸せな成功者としての人生を手に入れたいと考えてきた」、「でも、今自分が抱いているのは、相手をやっつけたいという、リベンジの思いでしかない」、「これは、自分が生きたい人生の生き方に反してしまう」、「でも、この思いはどうしても成し遂げたい」というふうに、理想の人生と、その時の思いのはざまで、とても葛藤しました。ところがそんな時、偶然に、ホントに偶然に、ある対談のCDがわたしのところに舞い込んできたんです。それは、神田昌典さんの「非常識な成功法則」という著書の対談のCDでした。そこで語られていたのは、これまでの成功哲学やビジネス書では語られることのないような内容があらわされていました。今、幸せに成功している人たちも、はじめから崇高な思いからビジネスをはじめたわけでなく、「昔振られた彼女をみかえしてやりたい」だとか、「あいつに自分のことを認めさせたい」だとか、「貧乏だった頃に辱めたやつらに、仕返ししたい」というようなおよそそれまでの成功書には出てこないようなダークなきっかけから、多くの人がビジネスをスタートしているということが書かれていたんです。「ただ、成功した後、そんな怒りの感情から自分がビジネスをスタートしたとは言いませんよね」というコメントつきで。この対談CDとの出会いは、マスターの人生を大きく動かす転機になりました。「はじめは、リベンジの感情からビジネスをスタートして構わない」という許可を自分自身に出したわたしは、リベンジのための達成したい目標金額や達成時期を明文化して、ビジネスプロジェクトをスタートしていきました。リベンジの感情の力は絶大です。それまでだったら、難しい問題や壁が出てきたりしたら、「明日にしよう」とか、「やる気が出ないなぁ」って、先延ばしにしたり、諦めてやらなくなってしまったようなことも、強い追い風のようにどんどん立ち向かう力を感じ、そして前進していきました。それは、ホントにこれまで感じた事がないような力でした。では、そのリベンジの感情からスタートしたビジネスで、成功していったのかと言うと、実はそうでもありませんでした(笑)。リベンジの感情は、困難にもどんどん立ち向かっていく、強い精神力をもたらしてくれましたし、これ以上ない原動力にはなってくれましたが、ホントにビジネスを成功させるためには、やはり「自分らしくイキイキと生きていく」、「自分の人生のビジョンに沿わせていく」という方が比較にならないほど、強い力をわたしに授けてくれました。リベンジからはじめたビジネスプロジェクトでしたが、結果、成功には「自分らしい人生のビジョン」、イキイキ生きられ、自分も人も幸せになるというところからのビジョンが必要だったようです。ですが、「自分の人生のビジョン」をみつけることができたのも、リベンジを原動力とした、「やる!」っていう行動の中からでした。実際にビジネスを構築していく中で、様々な問題、様々な壁にぶつかっていく中で、結果、実にたくさんのことを経験し、たくさんのことを学んでいくことになりました。今回お伝えしたかったことは、リベンジの感情でもいいから、なにかをスタートしようということではなくて、わたしたちが日常とらわれている、「~でなければならない」という概念が、わたし達の行動を制限し、同時に成果をも制限しているかもしれないということ。そして、人生を変える為の知恵は、書籍やセミナーや講演会などで、ホントにたくさん伝え学ぶことは可能ですが、その知恵をホントに使えるようになる為には、実際に現実の世界で学んだ知恵を実践してみて、トライ&エラーを体験してみて、そこから気づきを得、自分のものとして消化していくことがホントにホントに大切だということです。どんなことがきっかけになって、人生が変わり、幸せな成功者と呼ばれる人たちのような、幸せで、豊かで、深い満足の中で生きられる人生を手にするかはホントに分かりません。ですが、ホントに変わるということを決めてさえいれば、必ず変わらざるを得ない時がやってくることをこころから信頼しています。あの時、リベンジせざるを得ないような感情を引き起こした友人に、今ではホントに感謝をしています。その友人がいなければ、わたしはこんなにも人生を劇的に変えることはできなかっただろうと感じているからです。まぁ、だからと言って、面と向かって「ありがとう」と言えるほど人間はできてはいないんですけどね(笑)。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓たくさんの方に応援されて、とても幸せです。ホントにありがとうございます。
December 21, 2005
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よく人脈についての話題が出てくると、人脈が多い人が良くて、少ない人はダメみたいな空気がありますよね。これは、人脈が多いと言うことで、「わたしはポジティブですよ」って意味を内包しているという場合が多いからなのすが、多くのビジネスマンが陥ってしまいがちなのが、知っている人の数が多いことが人脈の多さと思い込んでいるということです。ある意味、名刺の数の多さが人脈の多さと(自分ではそう思ってませんが)信じている人が多いということです。ところで、人脈とはいったいなんでしょう?あらためて、人脈という「字」をよくみてみましょう。人脈とは、「人」の「脈」、つまり、人と人が血液を運ぶ血管や、地脈のように、運河のように流れ、運んでくる、人と人の出会いの流れのようなものみたいです。マスターはかつて、メンターから伝え学んだ知恵として、これまでの自分の人脈図を描いてみるということをしました。その結果、人脈図を描くまでは気づくことができなかった、ひじょうに興味深く、そして感動的なものがみえてきました。マスターはそれまで自分で、自分らしく生きられるライフワークを発見し、自分の人生の目的をみつけて、イキイキさと、深い満足の中で生きられる人生を手に入れることができたと思っていました。そして、それは自分が「自分で自分の人生をイキイキしたものにするぞ」って決めていて、そう選択してきたから実現してきたと思っていました。ところが、人脈図を描いてみてみえてきたのは、今の自分の人生の生き方に至るまでに、いろんなひとがいろんな時期に、いろんなポジションから、いろんな形で、マスターに気づきを提供し、人生について考えさせ、探求させ、選択の機会を提供してもらってきたことがみえてきました。強いポジティブ思考の人は、ポジティブでパワフルな行動力を素晴らしさと、ポジティブゆえにみたくない、自分のネガな部分を内包していること。ネガティブな人は、ネガティブでいることで、人に構ってもらうかわりに、人から評価されない代償を払っているけれど、繊細さや優しさと、強い正義感を持っていること。ニュートラルな人が、なぜ自然体で生きられているかということ。ダークサイドに落ちていく人、悪いことをしてしまう人は、実は自分では「正しいことをしている」と信じているということ。幸せな成功者と呼ばれる人ほど、多くの苦い経験や、「もうダメだ」って感じた経験があること。実に様々な人が様々な気づきと選択の機会を提供してくれてきました。そして、人脈図を描いてみて、とても驚いたのは、人には役割があるということでした。気づきを与えるという役目を終えたら、自然と離れて付き合いのなくなった人たち。人と人をつなぐきっかけを創ってくれて、その役目を終えたら会わなくなってしまった人達。これらの人は、次の扉を開けてくれた、キーの人たちのようです。そして、いつも一緒にいるわけではないけど、たまに素晴らしい気づきと選択の機会をくれる人たち。今の時間を一緒に過ごしてくれている人たち。今、マスターとともにビジネスをしてくれている人たちは、もとはまったく知らない人たちばかりです。みな、誰かが(そうしようと思ったわけではなく、一見自然なように)人脈という流れの中で、つないでくれて出会った人たちです。マスターは自分で人生を変える選択をしてきたと思っていましたが、(勿論、ホントにそうなのですが)人生を変えてくれてきた出会いは、実はそうやって、出会いを運んでくれた人たちがいてくれたからなようです。世の中の多くの人たちが、自分では気がつかないうちに、人脈とは自分のビジネスや自分の成功のために「利用するもの」として扱ってしまっています。自分ではそんなつもりはなくても、自分の中の早く成功したい、早く安心を感じたいという、無意識の奥に隠された欲求が、人を粗末に扱うということを知らず知らずにやってしまうのかもしれません。人生の転機は、ホントに人が運んでくるようです。今の自分があるのは、そしてこれからの自分の人生を導いてくれるのは、そんな自分を導いてくれる人たちの力なのでしょう。あなたの人生の人脈図を描いてみてください。きっと、思わぬ気づきと、意外な感動を覚えるでしょう。そして、なにかぽっと胸に暖かい灯が灯るかもしれませんね。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓たくさんの方に応援されて、とても幸せです。ホントにありがとうございます。
December 20, 2005
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多くの人が幸せな人生を送りたいと願っていますよね。そして、真剣に幸せを願う人たちは、自己啓発書やビジネス書を読んだり、講演会やセミナーに参加したりして、幸せな人生を送るにふさわしい自分に成長しようとします。ですが、ビジネス書を読んで実践する人たちや、セミナーや講演会に参加して実践する人たちの中でも、本当に人生を変えていく人たちと、以前とさほど変わらない人生を送る人たちがいるのは、いったいなぜなんでしょう?これはなにも、セミナーや講演会に参加したりする人に限ったことではなく、全ての人にいえることなのですが、人生をホントに幸せで満足なものに変えていく人とそうじゃない人では、ささやかなことなんだけど、決定的な大きな違いがあるようです。それはなにかというと、成果を存在させるということです。「え?成果を存在させるってどういう意味?」と思われますよね。人は誰でも、仕事をしたり、勉強をしたり、ゴミを拾ったり、電車で席を譲ったり、お父さんに新聞を持って行ってあげたり、めんどくさかったけど、ダイエットの為の腹筋運動が今日もできたり、本を数ページでも読めたりと、ささやかでも、なにかしらの結果を創りだしていますよね。多くの人たちは、これらのことは「あたりまえのこと」と捉えるか、なんでもない、たいしたことないことと捉えて、まったく成果として認めていないですよね。そう、ほとんど人が成果と呼ぶのは、普段の自分では考えられないような大きな実績か、自分以外の誰かに「すごいね」と評価されるようなことでないと、成果として認めていないようです。このことでなにがおこるかというと、自分でもビックリするようなことをするか、人に評価されるようなことをしない限り、自分のことは認めてやらないっていうことを無意識のうちに繰り返してしまっているようです。そして、無意識の深いところでは、どんな暗黙の了解がなされているかというと、「自分は、たまにしか本気を出せないたいしたことないヤツ」という書き込みがされてしまうようです。ほとんどの多くの人は、人によく思われたいか、悪く思われたくないかということに振り回された人生を送っていることを、自分では、知らないことさえ知らずに過ごしているようです。そして、自分以外のたいていの人も、同じように、人によく思われたい、悪く思われたくないということに振り回されていることを知らないことさえ知らない状態なので、自分が評価に使われている人生だなんて、ますます気づくことができないようです。幸せな成功者と呼ばれる人、ライフワークを生き、幸せな人生を送る人たちは、自分が人の評価に振り回されて、冷静な判断や行動が出来ずにいたことを気づいた人たちなようです。そして、知らないうちに人の評価が基準になっていた人生から、自分の成果を自分で認める人生に切り替えていった人たちなようです。彼らは、普通の人が「たいしたことない」と自分自身で自分の評価を下げているところを、「ほんの数ページでも本を読むことができた」、「めんどくさくて読まないってこともありなのに、たいしたもんだね」って自分のことを等身大で認めるようです。そして、その評価をアタマの中で終わらせるのではなく、言葉にしたり、紙に書いたりして、なんらかの形でアタマの中から、3次元の世界にアウトプットをします。アタマの中にしかなかった、この世界に存在しなかったものが、言葉にしたり、文字にしたりすることで、成果がこの世に存在をはじめます。存在をはじめると、どういうすばらしいことがあるかというと、目の前に階段を一段創ったのと同じような効果があるようです。階段を一段あがることで、昨日までの自分とは違う、一段階段を上がった自分に成長しています。その階段は、小さな一段なので、昨日までとなにが変わったのかちっとも分からないくらいの小さな差かもしれません。ですが、一段一段を欠乏感から期待したりせずに、等身大で認めてあげて登っていくことで、気がついたら見晴らしのいい素晴らしい丘の上に登っていることにある日突然気がつくことでしょう。そして、そこから世界を眺めてみたら、あんなに複雑にみえていた世界が、「ああ、世の中って、こんなにシンプルな構造だったんだ」って、感動を覚えると信頼しています。どうぞ、ほんのささやかな成果を自分で認めてあげて、この世界に存在させるということを、小さな一歩からでも、はじめてみて下さい。そうすれば、ある日素晴らしい景色が目の前に広がっていることに気がつくでしょう。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓応援いただいているみなさん、ホントにありがとうございます。心から感謝しています。あなたのやさしさをありがとう!ワークショップに参加されたみなさんへ、素晴らしい時間を一緒に過ごせたことに心から感謝いたします。これからも人生には様々なことが起こるでしょうが、ご自分の人生を誰よりも自分自身で大切にしてあげることで、きっと理想の人生と現在の人生とのギャップが寄り添っていくことでしょう。皆さんの人生が、イキイキと輝くものであり続けることをこころから信頼しています。ありがとうございます。 マスター&ANGEROSES
December 19, 2005
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多くの人が経済的な安心を手に入れたい、豊かな経済状態を作りたいと願いますよね。しかし、多くの人は、ある程度お金がたまると、高級車を買ってしまったり、ブランド物を買ってしまったり、必ずしも必要でない出費をしてしまって、自分では全く気付かない無意識のうちに、自分の持てる金額の、見えない枠に収まるようにしてしまっています。以前にもお伝えしましたが、人は自分では気が付かない自分の受け取れる金額の器があって、多すぎると使ってしまって、その枠に収まるようにし、枠より小さすぎると、事故で保険料をうけとってまで帳尻をあわすように出来ているようです。ところが、そんなことがあるということを認識していない多くの人たちは、経済的な安心を手に入れたい為に、お金を稼ぐ方法をあれこれ考えたり、試したりします。また、人によっては、お金を使わないことで、お金を貯めようと、節制という形でコントロールしようとしますが、ある程度我慢が続くと、使いたい衝動に駆られて、必ずしも必要でもないものを買ってしまうか、でなければ、車が故障したり、家族が病気になってまでも、帳尻をあわしてしまうという状況を数多く目にしてきました。ですが、最近になって、お金に関してひじょうに面白い、新しい発見をすることが出来ました。それは、お金の使い方も、実は自分の人生のミッションに沿わせることで、これまでとまったく違う存在として現れはじめるということです。たとえば、多くの人が衝動的になにか買い物をしたくなった時、思いとどまる方法は、「これ、ホントに自分は欲しいのか?」って、自分自身に問いただすということをしますよね。で、あらためて冷静になった時に、「ホントに欲しいわけじゃないよな」って思いとどまって、衝動買いを抑えるという方法がありますよね。ですが、衝動はその時々に現れます。なぜなら、根本的なお金との付き合いの無意識の深いところには、明かりを当てていないからですよね。ところが、自分はこんな人生を生きよう、一生かけてこういう生き方をしていこう、今生自分がやる人生のミッション、目的はこの道だっていう、自分の人生のミッションが明確になると、ある瞬間からお金との付き合い方がまるで変わり始めます。それは、どいうことかというと、自分が欲しいと思うものは、自分の人生のミッション、自分の生き方に沿っているものなのかな?というコレまでになかった角度からの質問を自分自身に投げかけることができるようになるからのようです。前回もお伝えしましたが、自分の本当に生きたい人生のミッションが明確になると、ホントにイキイキ、ワクワクと、快適に人生という旅を楽しめるようになってきます。そうなってくると、お金との付き合いも、ホントに自分らしさを楽しめるものにお金を使おうという意識に世界が変わってしまうようです。人生のミッションが明確になると、言動も振舞いも、仕事も、付き合う人も、生き方そのものも、自分のミッションに沿っているかどうかで決められるようになるとお伝えしましたが、お金との付き合いも全く同じところから関われるようになるようです。そのポジションに立てたなら、もはやお金の奴隷ではなく、お金を自分と周りの人たちの人生を幸せにする、素晴らしいツールとして存在し始めるようですよ。人生のミッションを探す旅をぜひはじめてみてください。きっと、みるもの、ふれるものすべてが、鮮やかないろどりを放ちはじめることを感じれることを信頼しています。さて、明日から2日間、いよいよワークショップです。日本中から集まる参加者の皆さんとのどんな出逢いがあるのか、とっても楽しみにしています。というわけで、このブログも2日間お休みです。よろしくお願いいたします。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓応援いただいているみなさん、ホントにありがとうございます。心から感謝しています。あなたのやさしさをありがとう!
December 16, 2005
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現在はかつてないほど、自分が何の為に生きているのか、今生どんな生き方をするのか、自分の人生のミッションはなんなのか、自分のライフワークはなんなのか、本当に自分が生きたい人生はどんな人生なのかということが、注目されはじめていますよね。マスターは数多くの幸せな成功者、自分のライフワークや人生の目的をみつけて、深い満足の中で人生を送る幸せな人、多くのメンター達と出会ってきたことで、誰の人生にも例外なく、その人がもっともその人らしく輝く、その人のライフワーク、その人の人生のミッションというものがあるということを実感しています。多くの人が、自分が本当に自分らしく生きられ、深い満足の中で生きる、自分のライフワーク、自分の人生のミッションをみつけたいと願っています。そして、実際に「自分の人生のミッションをみつけたいんです」、「ライフワークがなにかをみつけたいんです」という相談をうけることがあります。ですが、そうやって多くの方から相談をうけることで、とても興味深いことにも気がつくことが出来ました。それはどういうことかというと、多くの人は、自分の人生のミッションをみつけたいと言いながら、実際にみつかりそうになってくると、ミッションがみつかることにおそれを抱きはじめるということです。「え?自分のミッションを見つけ出したいって思っているのに、そんなことがホントにあるの?」って思われる方もおられると思いますが、「あ、それ、わかる気がする」っていう方もおられると思います。多くの人が、自分のライフワークやミッションをみつけたいと思いながらも、いざとなると怖気づいてしまうのは、どうやら、こういうことのようです。それは、「今まででもこれだけ大変なのに、ミッションが見つかってしまったら、後戻りも出来ないうえに、内容によっては今よりも打ち込まなければならなくなって、もっと大変になるかもしれない」っていう恐れが無意識にあるからのようです。ですが、マスターが自分の人生のミッションをみつけてから感じている人生は、まったく迷う必要も道草をくう必要もなく、まるで新幹線のグリーン車に乗って、快適に目的地に向かって、旅を楽しんでいるっていう感覚です。そして、ミッションをみつける前の自分の人生を思い出してみると、グリーン車の窓から外を眺めてみると、道は大渋滞で、わざわざそんなところ通らなくても、すいている道はいくらでもあるのにって、感じてしまうような道を歩いていたようです。人生のミッションをみつけ出すと、あらゆる選択が、自分のミッションにあっているかどうかで、選ぶことが可能になります。仕事も人付き合いも、なによりも生き方も、自分のミッションに沿っていることをすることが、もっとも楽しく、もっとも充実して、そしてもっとも豊かになり、周りの人にも幸せを分かち合えるようです。多くの人は、自分では気が付かないうちに、自分のミッションをみつけることを先延ばしにしていることを、知らないことさえ知らない状態でいるようです。ですが、自分の人生のミッションをみつけるということは、無意識の自分が恐れているようなものなんかではなく、ホントに幸せで、充実して、自分だけでなく、周りの人たちも幸せにしてくれるようです。どうぞ、自分の人生のミッションをみつける旅に、出発してみてください。ミッションをみつける旅も楽しめますが、ミッションに基づいた旅は、はるかに充実して楽しいということを発見できると信頼しています。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓応援いただいているみなさん、ホントにありがとうございます。心から感謝しています。あなたのやさしさをありがとう!
December 15, 2005
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多くのビジネス書や講演会で語られ、幸せな成功者と呼ばれる人たちが必ず口々に語るのが、成功するのにもっとも大切なことは、「執着を手放すこと」いう言葉です。きっと、多くの方が耳にされたことがあると思われる言葉ですよね。ですが、多くの人はこの言葉をきいても、実際にはどうしたらいいのかわかりません。「執着を手放せと言われるけれど、執着ってどうやって手放すの?」って。そもそも執着とはいったいなんでしょう?わたしが多くのメンターたちから伝え学び、自分自身でつかむことが出来たセンスは、執着とは、「~でなければならない」というポジションから降りられない状態なことのようです。執着がどうして、成功や幸せのもっとも大きな障害になるかというと、そのことに捉われている間は、他の可能性、解決策、新しい結果を受け入れることを拒絶して、いつまでもそこから抜け出せなくなってしまうからですよね。誰もがなんらかの執着を持っていて、そしてなかなか手放すことができません。そして、手放すことをかたくなに拒絶し続けていると、ますます執着にしがみつくことから降りられなくなって、どんどん岩のような固形の存在になっていってしまいます。そう、「頑固」っていう状態です。歳をとるごとに頑固になってしまって、ききわけのなくなってしまった人というのは、執着を手放すことを拒絶し続けた結果、やがてさとしてくれる人たちも離れていったひとつの結果だといえるようです。そんな人たちは、ホントにたくさん世の中に存在しますよね。彼らにみえていないのは、「しがみついている執着」が、実は石ころに過ぎないかもしれないという「可能性」と、しがみついていることで失っている「代償」の大きさです。ですが、多くの人は執着を手放せといわれても、どうやって手放したらいいかが分かりません。それは、自分がなににしがみついているかよく分からないのと、手放すというセンスが抽象的なことにきこえて、具体的な方法がみえてこないからなようです。(これ自体も、実は執着なのですが)では、執着は実際、どうやって手放したらいいのでしょう?ここで、わたしが執着を手放すというセンスをつかんだ体験談をお伝えしたいと思います。今から10年位まえのこと、わたしにはいろんな分野のメンターがいてくれましたが、メンターの中にはスピリチャルなことにも長けている人たちが何人かいました。ところで、マスターにはスピリチャルなセンスがまるでなかったのですが、マスターの奥さんは、チャネリングや直感やヒーリング的なものに天才的な才能を出会った頃から持っていました。マスターには、みえもしないし、感じることも出来ないものを、奥さんは、みたり、感じたり、感動できたり、直感から様々な情報をうけとるセンスを持っていました。当然、彼女のメンターはスピリチャルなことにたけた人たちがいてくれたわけですが、マスターはそんな会話に加わることができなかったんですね(笑)。ある幸せな成功者は、「豊かさって、実はうけとるだけなんだよ」って言っていて、実際とても豊かな方でしたから、「うけとるってセンスがわからない自分はなんてダメなヤツなんだ」、「なんとか、そういうセンスを自分もつかめるようになりたい!」ってところにずっとい続けていたんですね。つまり、くやしかったんですよ(笑)、置いてかれてるみたいで。そんなある日のこと、そのスピリチャルなことにもたけた、幸せな成功者と泊りがけで遊びに行くという機会がありました。彼とは旅館で同室になり、夜遅くまで語り合ったのですが、ふとんに入ってから、目を閉じてみると緑色や紫色の光の残像が、さっきまでついていた蛍光灯の影響か、まぶたの裏に残っていました。さて、ここでわたしはひじょうに面白い体験をすることになりました。その紫や緑の光の残像は、「もっとはっきりみたい」と追いかけると消えてなくなってしまうのですが、追いかけずにそのままにしておくと、ただの光の残像が青色の炎にはっきりと姿を変えたんです。「うわ!なにこれ!?」って感じ。まるで、真っ暗な闇の中に青いりんが燃えているように、目の前でめらめらと青い炎が、はっきりと浮かんでいるんです。「これはキレイだ!」、「これはすごい!」って感動していると、その青い炎は、めらめらと燃えながら、遠くなっていって、すっと消えてしまいました。いつもならここで、「うわっ、せっかくキレイだったのに、もう一回みたい!」って、なんとかしてみようとするのですが、あまりに感動的だったので、「きれいだなぁ」って、ただただ感動していると、また青い炎が目の前に現れ、めらめら燃えながら遠のいてふっと消えていきました。そこからは、その連続です。青い炎は、わたしの目の前に現れては消え、現れては消えを繰り返し、いつまでもわたしを楽しませてくれました。そして、わたしは隣のふとんで寝ていた彼にそのことを興奮気味に伝えました。「僕にもみえたよ!」って。彼は、にっこり笑って、「ね、ちゃんとみえるものでしょ?」とだけ言ってくれました。それから徐々にですが、わたしにも直感が効果的に使えるようになり、不思議な偶然や機会をうけとれるようになってきました。もちろん、うちの奥さんには到底かないませんが、もはやそんなことは問題ではなくなって、自分がうけとれるセンスを得たことに、ただただ感謝できるようになって来ました。青い炎がなにを意味するものだったのかとか、どういうものなのかは、いまだにわたしには分かりませんが、(それを分かりたいという執着も手放したようです)あの体験でつかんだのは、執着を手放すということは、コントロールできそうもないものを、コントロールしたいんだということをあきらめることです。それ以来、どんどん手放すのが上手になってきたように思います。いらいらしたり、なにかに腹をたてたり、不安な感情がでてきたら、不安を感じないようにしようとしたりすることは、誰もが日常、経験しますよね。そして、そこから動けなくなってしまって、ずっとイライラしたり、不安になってしまって、そこにいつづけることから降りられなくなることは誰もが経験しますよね。そんな時、よかったらこう考えてみて下さい。「自分は、自分ではコントロールできないようなことを、コントロールしたいって、ムチャなことを考えてるんじゃないかな」って。執着を手放すとは、コントロール不可能なものを、コントロールしようとしているっていうことに気がついて、そのままをうけいれてみるということかもしれません。そして、手を離して冷静にしがみついていたものをみてみたら、「あれ?なんで、自分はこんなものがあんなに大事だと思ってたんだ??」って不思議に感じるかもしれませんね。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓応援いただいているみなさん、ホントにありがとうございます。心から感謝しています。あなたのやさしさをありがとう!
December 14, 2005
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幸せな成功者と呼ばれる人たちはあまりテレビを観ないという話をきいたことがあるのではないでしょうか。幸せな成功者はテレビを観ないと聞いた多くの人たちは、「その分たくさん本を読むのかな」とか、「テレビを観るとバカになると思っているのかな」とか、「他のことをする時間を大切にしているのかな」とか考えますよね。どれもピンポンのようですが、ホントはどうなんでしょう?幸せな成功者と呼ばれる人たちの多くはあまりテレビを観ないようです。まったく観ない人もいれば、番組を選んで観るようにしている人もいるようです。マスターは、しばらくテレビを観ない生活を続けていたことで、そこにどんな意味があるのかということがみえるようになってきました。実は、テレビに限らず多くのメディアには、なんとなく触れていたら気がつかないひじょうに大きなワナが潜んでいるようです。(勿論、全ての番組ではないですよ)マスターは多くの幸せな成功者と呼ばれる人たち、多くのメンターと触れ合い、幸せにライフワークを生きている人たち、自分らしくイキイキと生きている人たちと出会うように意識しています。(意識していないと、なんとなく流されちゃいます(笑))そして、普段の生活が、それが当たり前になるように意識して、そういう人と出会うように、同時にマイナスな人との時間を過ごさないようにしています。そうやって、自分らしいもの、自分らしい生き方、自分らしい考えに触れ、そうじゃないものを意図的に分けるという生き方をしてきて、久しぶりにテレビを観てみた時、異様な違和感を感じてしまいました。それはえも言われない違和感でした。どんな違和感を感じて、いったいどんなものがみえてきたかというと、ほとんどのテレビやメディアは、(製作者が分かってやっているかどうか別に)特に幸せでもなく、特に不幸でもなく、憧れや夢はあるけれど、それは幻想で、それなりに不満を抱えた状態でみんな生きているんだよっていうメッセージが含まれているということです。ゆうべ、テレビを久しぶりに観てみてみえてきたのは、「中流」というみえない閉鎖空間に収まるようにメディアには暗示が含まれていたということでした。これは以前のわたしにはみえないものでした。以前から批判トーク番組や、ゴシップネタの番組、ワイドショーなどは観ないようにしていたのですが、ほとんどテレビを観ない日々を続け、自分らしくライフワークを生きる人たちと触れる日々を送り続けて、久しぶりに観たテレビには、それまでは感じ取れなかった、「ここでいいじゃない」、「ここでガマンしながら、妥協していようよ」っていう同意が含まれているのがはじめてみえてきました。わたしたちは人生をよりよくしたい、自分のライフワークを見極め、人生を深い満足の中で生きたい、幸せな人生を送りたいと願いますよね。だとしたら、これまで自分が普通と感じていた世界が、「ホントは普通なんだろうか?」、「実は自分がホントに生きたい人生のルールとしては、普通ではないのかもしれないのかな?」ってみてみると、これまでみえなかったものがみえてくるかもしれません。自分はホントはどんな人生を生きたいのか?これまで特に何も考えず、普通に触れてきたものは、自分の生きたい生き方に沿ったものなのか、一度みてみるといいかもしれませんね。マスターのメルマガがエントリーしています。一票入れてやって下さいね。 ↓
December 13, 2005
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世の中のあらゆる成功哲学書やビジネス書、成功者と呼ばれる人たちの講演やセミナーなどで必ずと言っていいほど異口同音、共通して言われるのが、「書く」ことの大切さという話ですよね。この「書く」ということが大切だという話に関しては、成功者と呼ばれる人たちは、ほぼ例外なく異口同音に口にします。アイデアを紙に書き留める。気づきを書き留める。予定を書き留める。目標を書き留める。夢を書き留める。枕元にメモを置いて、夜みる夢を書き留めるetc...。多くの人は、「書く」ことの大切さの話を耳にすると、「そうか、書くことは大切なんだ」と、書くことをはじめてみますが、(実際にやる人は一部ですが)習慣になっていない多くの人は、何日か経つと面倒くさくなってしまってやめてしまいますよね。そもそもなぜ、「書く」ということがそれほどまでに大切なのでしょう?実は書くことが習慣にならない多くの人は、書くことによる恩恵がどれほど大きいか、逆に書かないことで、どれだけ多くの損失をしているかという、「得られるもの」と「失うもの」の両方のことをよく理解していないため、書かないことでどれほど大きなものを失っているかを知らずにいるようです。書くことによって得られる「恩恵」は、実に数限りなくあるのですが、そのもっとも重要な役割は、外部記憶装置としての役割といえます。外部記憶装置とは、いったいどういうことなんでしょう。たとえば、あなたのところに同窓会の葉書がやって来て、来年の3月に参加することになったとしましょう。あなたは、久しぶりの友人たちとの集いでワクワクして、服を新調して、おめかしして行こうと考えます。どうせなら、時計もいいものを着けていこう、クルマをキチンと磨いて行こう。「そうだ、同窓会の主催者にお礼状も書こう」と考えます。さて、これらのことをアタマに残しておいたら、ごちゃごちゃになってしまうので、あなたは手帳を取り出すと、同窓会の予定日に○時○分 ○○に集合と書き込みます。そして、服を新調しに行く日、時計を見に行く日、買いに行く日、主催者へのお礼状を出す日、クルマを前日に磨くことなどを予定表に書き込みます。予定を書き終えたあなたは、これによってどんな恩恵を得られるでしょう?多くの人は、予定を手帳に書き込むことで、予定を忘れないですむという安心感を得られることを書くことの恩恵と考えますよね。ですが、手帳に予定を書くことというこの作業によって得られる、ホントの恩恵は、もっともっと大きなものがあります。それは、手帳という外部記憶装置に記憶をインプットさせたことで、もうあなたは、予定を覚えておかなければならないという「義務」から開放されたということなんです。覚えておかなければならないことから開放され、自由を得た脳は、新しいアイデア、新しい情報のために100%使うことが可能になります。紙に書くということは、自分の脳以外に存在させ、脳を自由に開放するということになるんです。同時に紙に存在させることのメリットは、記憶の劣化や勘違いというエラーから開放も意味します。そして、記憶を脳以外の外に存在させる恩恵の2つ目は、記憶の劣化や勘違いというエラーを生み出さないことで、ほぼ正確に自分以外の人に情報を伝達させるという、「配達」の機能を持ち始めます。3つ目の恩恵は、マスターが最近特に強く感じていることなのですが、文章は「手で書くもの」という概念です。紙に手を動かして「書く」、キーボードを叩いて「書く」、いずれも手を動かすという作業なのですが、脳の情報をアウトプットするという作業をどんどん実際にやっていくにつれ、もはやアタマで考えなくても、手がものを考え、自然にアイデアや文章が手から生み出されるようになります。文章を書く仕事をしている人や、体験のある人ならきっとすごく実感があると思います。そうなると、今日はこのテーマを書こうと決めるだけで、キーボードを打ち始めると、もうアタマで考えなくても、泉のように言葉や文章が閃きとして、この世界に存在をはじめます。書くという作業によって、脳はどんどんアップデイトされていきます。アタマの中にあるだけのものは、わたしたちのアタマの中にしか存在していませんよね。つまり、現実のこの3次元の世界には存在していないと言えるようです。言葉に発してみること、紙に書いてみること、キーボードをたたいてみることで、アタマにしかなかった、あなたの素晴らしいアイデア、気づき、やさしさや思いやりなどが、あなたのアタマの中という、他の人の知らない向こうの世界から、この世界に存在をはじめます。表現をするということは、この世界に存在をさせるということのようです。現代は、これまでのどんな時代よりも多くの人が「存在」をさせる機会に恵まれています。なぜなら、多くの人がメールを書いたり、ブログを書いたりすることで、文章を書く、アウトプットをする、存在をさせるということを実際にやっている世界だからです。だとしたら、あとは「なにを表現するのか」がホントに大切なことになるのかもしれません。やさしさや思いやりを表現してこの世界に存在させるのか、批評や批判を存在させるのか。わたしたちがこの世界にアウトプットして存在させるものは、わたしたちの内面の世界そのもだといえます。批判や批評を存在させるということは、批判や批評の世界に生きているということを自ら証明していることになるようです。同時に批判や批評を存在させた瞬間、自分の潜在意識の深いところにも、批判や批評の世界を更に強化してアップデイトしてしまっているのかもしれません。やさしさや、思いやりや、自分らしさを、この世界に存在させたなら、やさしさや、思いやりや、自分らしさにふさわしいあなたなのだと、この世に存在した言葉が、何倍にもなって素敵なあなたにアップデイトしてくれるかもしれませんね。マスターのメルマガがエントリーしています。あなたの一票をよろしくです。 ↓
December 12, 2005
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いつもは、マスターが多くのメンターから伝え学んだ、幸せな人生を送る人たち、幸せな成功者と呼ばれる人たちの幸せの知恵をお伝えしていますが、今日は週に一度の酒場のお話です。マスターがお酒の世界に興味を持ったのは、家に小さな頃から緑や青や赤のキレイなリキュールのビンが並んでいて、その鮮やかな色合いに心を奪われていたからなんですが、酒場の世界に足を踏み入れたのは、学生時代のこと。今はなき、「カラオケパブ(死語)」のアルバイトに入ったのが最初です(笑)。さて、カラオケパブというものがどういうものか、年代によっては知らない方がおられると思いますので、解説しますね(笑)。カラオケパブというのは、80年代前半に全盛を極め、80年代後半から衰退しはじめ、バブル崩壊後に消えていった、酒場の名称です。どんなものかというと、その名の通り「カラオケ」があるわけですが、世にカラオケボックスが登場する以前は、カラオケといえば、スナックなんかに飲みに行って、カウンターやボックスで、歌いたい曲をママにオーダーすると、順番にマイクが回ってくるというようなものでした。カラオケパブは、もっと若い客層が、大勢でわいわいやりながら、お酒とカラオケを楽しむことをコンセプトに成り立った酒場です。まず、お客は店に入ると、どんな飲み方にするかをオーダーします。2~3人なら、飲みたいものを飲み、食べたいものを注文するのですが、人数が多くなってくると、たいがい飲み放題、歌いたい放題コースっていうのをオーダーされます。そこで登場するのが、ハウスボトル(笑)。ハウスボトルってなにかというと、いわゆるパーティーボトルというやつで、飲み放題コース用に用意されたお店のボトルです。よくあったのが、ウィスキーだったら、サントリーオールド、ブランデーだったら、VSOPって具合です。で、飲み放題コースが終了して残ったお酒は、他のボトルに継ぎ足されて、また次の飲み放題のときに使用されるというわけです。あくまで、飲み放題コース用のボトルなワケですが、ワルイお店は、このハウスボトルを新品のふりをしてキープボトルに使ったりしたお店もけっこうあったようです。ちなみに80年代は、ブランデーが流行っていた頃で、たいがいVSOPがでてきたりしたものです。(90年代はなぜかバーボンが流行りました)さて、このハウスボトル、どういう飲み方をするかというと、一リットルのコーラの瓶が出てきて、コークハイで飲んじゃいます。一リットルのコーラ瓶は、まだペットボトルがない時代の産物で、あのビンのコーラが一リットルの巨大サイズで登場するわけです。当然、ビンなので落とすと割れます(笑)。ちなみに空瓶を酒屋に持っていくと、30円のビン代をくれました(笑)。(一リットルコーラのお代わりは1000円です)さて、飲みだしたら、当然すぐにカラオケのオーダーが入ります。マスターがバイトしていた頃は、チェッカーズ、安全地帯、ハウンドドック、中森明菜、工藤静香なんかがよくかかっていました。年代がバレバレです(笑)。カラオケのオーダーが入ったら、歌いたい番号を入力....と思うでしょ?いやいや、当時そんなものはありませんって。レーザーディスク(死語)を入れ替えて曲をかけるんです(笑)。そして、曲がかかったら、ウェイターがマイクでアナウンスします。「次は、○○をお送りします」って。そうすると、歌をオーダーした人は、自分の居た席から立ち上がり、店の中央の舞台に上がるんです。そう、自分の席なんかでは歌えないんです。舞台に上がって、みんなの注目を一身に浴びながら歌うんです(笑)。これはなれないと、なかなかに根性がいります。だから、酒のチカラが必要なのです(笑)。80年代全盛を極めたこのカラオケパブも、バブルの崩壊と共に姿を消してしまいました。京都の街だったら、チクタク、ヌーベルブルボン、ブローニュの森なんていうのが有名でした。わたしがいたのは、「たわむれ」という店でしたが、今は居酒屋さんに変わってしまっています。今もいきつけの店のカウンターに座り、外の風景を眺めると、高瀬川をはさんだ向かい側に、その居酒屋がみえます。そして、懐かしい学生時代を思い出しながら、また飲みなおします。ああ、青春の思いでだなぁ~。でも、今の方がずっと人生を楽しんでいるかな?なぁ~んて思ったりもしています(笑)。マスターがエントリーしています。一票入れてやってくださいね。よろしくです↓
December 11, 2005
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実に多くの人が豊かになりたい、経済的にゆとりがあり、安心できる生活をしたいと願っていますよね。多くの人は願うけれど、特に何もしませんが、一部の人は起業したり、なんらかのビジネスをはじめたりして、豊かになろうとこころみはじめます。ですが、多くの人は「あまりうまくいかない」か、うまくいっても、しばらくすると業績を落としたりして、なかなか経済的な豊かさを手にすることができません。これには、様々な本人の気がつかない理由がありますが、もっとも根本的なところに流れているのは、その人には、その人がうけとれる金額があらかじめ設定されていて、たくさんお金があれば、無くなるようなことを引き起こすし、少なければ、見合う様なお金をどこかから引き寄せる。つまり、多くても少なくても、その人の器に見合った状態になるように帳尻が合うようにできているようです。いつもギリギリで暮らしている人は、いつもあっぷあっぷした思いを感じているので、「なんとかしなくちゃ、マズイ」って言ってはいるのですが、なぜか月末には「ギリギリで」帳尻が合うことを知っているようです。また、いつも何百万か借金を持っている人は、借金がなくなりそうになったら、また新しいブランド物を購入してしまったり、クルマを買ってしまったり、逆に買わずにいると、軽い事故を起こしたりして、とにかく出費しなければならないような状況を生み出します。また、お金を貯める人も、実は根本に流れるものは同じで、ある程度の金額が貯まると、急に使いたくなってしまったり、思いがけない出費を生み出してしまいます。借金をし続ける人は、借金をし続ける状態を引き起こします。そして、ほとんどの人が、「これじゃあ、マズイ」、「なんとかしなくちゃ」と言いながら、よりお金を稼ごうとするか、節約するかをしようとして、なにも変わらずにいます。なぜ、こんなことが続いてしまうかというと、いくらたくさん稼いでも、栓の抜けたお風呂に水を張るようなもので、いっこうに水はたまりません。また、いくら節約しようとも、キレイに水を入れ替えなければ、あっという間に水は腐って、よどんでしまいます。あるやり手とよばれる女性が以前話していたのが、「借金が無くなりそうになったら、また高価なものが欲しくなるんです」、「借金があったほうが、がんばりがいがあるから、そうするみたいなんですけどね」って言っていたことがあったのですが、本人以外の周りの人は、「奇妙なことを言って、自分を正当化している」というのがみえるけれど、本人にはそのことがみえません。ほとんどの人が、豊かになろうとした時に、安心が欲しいという「欠乏感」が正常な判断を狂わせていることから、目をそむけてしまって、肝心なものがみえてきません。肝心なものとは、お金を稼いだり、貯めたりする「方法」ではなく、自分はいくらまでなら受け取れて、幾ら以上はうけとれないかという自分の器がどうやらあるらしいということに意識を向けることが必要なようです。今の器でお金をうけとり、器以上はうけとらなかったり、手放してしまうのは、その方が自分にとって(無意識の深いところで)都合がいいし、居心地がいいからやっているようです。そして、都合がいい、居心地がいいという「得ているもの」があるなら、当然のことながら、「代償」が存在します。わたしたちは、器を手放したくない時、自分でも知らないうちにどれだけの代償を支払っているのか、どれだけ、自分の可能性をあざむいているのかに注意を払う必要があるようです。マスターは以前、経済的な器が既に拡大しているのにも関わらず、器より小さな金額しかうけとらずにいた頃、交通事故にあって、慰謝料をうけってまで帳尻をあわしてしまうという体験をしてしまったことがあります。人によっては、「まさかぁ」って思うかもしれませんが、この感覚を体験したことのある人なら、「わかる、わかる!」って言われることでしょう。いくらお金が入ってきても、痛いのはゴメンですよね(笑)。(ほんっとに痛かったですもの(笑))もし、あなたが今より、より経済的に豊かになりたいと願っているなら、今の器がどのくらいのものなのか、今の器を維持していることで得ているメリットはどんなものか、その代償として支払っているツケはどんなものかをみてみてください。目を向け、それを抵抗したり、ないものにしようとせず、うけいれたならば、まったく新しい視野が広がりはじめるようですよ。
December 9, 2005
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マスターが自分で、このことに関してはちょっと長けているなっていうか、得意というか、才能があるんだなって感じているのが、普通の人と同じものをみている時でも、普通の人が見ているのとは違った角度からそれを観察して、普通気がつかないような観点の解釈を発見するということです。その結果、「ああ、そういう意味があったんだ」とか、「そんな風な考え方があるとは気がつかなかった!」とか、「そこには気がつかなかった!」っていうような、新しい気づきの機会を得て、他の人たちにも提供することができるってことなんですね。そして、この「普通とは違った角度で観察することで、それまで見えなかったものを発見する」ということが、わたし自身のワクワクで、このうえない楽しみで、そして、わたし自身のライフワークにも重要なつながりを持っているようです。ところで、この「普通とは違った角度でものをみる」というセンス、いったいどこで身についたかということを思い出してみたときにとても感動的な出来事を思い出しました。それは、わたしがまだ、幼稚園に通っていたころの事だと思います。我が家に親戚のおじさんが遊びに来ていた時のことです。わたしは、おじさんの目の前でお絵かきをして遊んでいたのですが、その時、おじさんに「機関車」を描いてごらんと言われたんですね。でも、その時、機関車の形がうまく思いつかなかったので、おじさんに「お手本を描いて」とお願いしたんですね。その時、おじさんの描いてくれた機関車が、今のわたしの人生、ライフワークに大きな大きな影響を与えたんです。なぜかと言うとその絵は、子どもには思いつかない絵だったからなんですね。それまでわたしがクルマの絵や電車の絵を描くとしたら、横からみた絵を描いていたんですね。他の子どもが描くクルマや電車の絵と同じでした。ところがおじさんが、わたしにお手本で描いてくれた機関車の絵は、円が手前にあって、遠近法でボディの描かれた、斜め前から描かれた機関車だったんです。小さな子どもだった、それまでのわたしの概念の中には、斜めからものを観察して描くという感覚は全くありませんでしたから、こんなところからみてみたら、同じ機関車でもこんな風に違ったものにみえるんだっていう、新鮮な感動と驚きがあったんですね。そして、思えばその日から、他の人が「こうだ」と思い込んでいるものに、「まてよ、みんなはこう言っているけど、違う角度からみたらどうなんだろう?」、「みんなは、これが正しいと言っているけど、ホントはどうなんだろう?」っていろんな角度、いろんな観点からものごと、概念を観察するということが身につけることができたようです。わたしがいつも大切にしているのは、「こうでなければならない」というものはホントはないのかもしれない、「こういう可能性があるかもしれない」、「こうかもしれない」っていうセンスです。ですが、このわたしの人生に大きな影響を与えたセンスは、幼稚園の時のある日曜に、おじさんが描いてくれた一枚の機関車の絵が与えてくれたメッセージからだったんです。わたしには、たくさんのメンターがいてくれていて、たくさんのたくさんの、素晴らしい幸せの知恵を伝えてくれました。そして、そんなたくさんのメンターの一人が親戚のおじさんだったんです。わたし達の人生には、素晴らしい幸せの知恵を与えてくれ、今の人生に大切なきっかけをくれた人たちがいっぱいいるようです。あなたの感謝したい人は誰でしょう?今日は、あなたの人生を知らないうちに実は導いてくれていた身近なメンターを思い出してみてください。きっと、こころにぽっとあったかい灯りが灯ると思いますよ。
December 7, 2005
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マスターは、ショットバーのカウンターにバーテンダーとして立っていたことで、実に様々な職種の様々な人たちと出会うという機会に恵まれました。とくに深い興味を持ったのが、「幸せな人生を生きる人と、そうじゃない人とがいるのは何故なんだろう?」なによりも、「なぜ多くの人は、幸せな人生を生きるという選択をしないでいるんだろう?」ということに深い興味を抱くようになりました。数多くの幸せな成功者、幸せに人生を生きる人たちとそうじゃない人たちと出会ってきて、そして多くのメンターたちから幸せの知恵を学んできてみえてきたのは、実は、多くの人たちは【自分では気がついていないけれど】、自分で自分自身を巧妙に今の現状から変わらないように仕組んでいるんだということでした。とても重要なことなので、もう一度書きますね。多くの人たちは、自分では気がつかないうちに、自分で自分自身を巧妙に、今の現状から変わらないように仕組んでいるということがみえてきたんです。なぜ(無意識だけど)変わらないようにするかというと、現状のまま生きる方が、今の人生を変化させていくより、慣れ親しんでいる分、安全で安心だからなようです。こういう観点から、観察をすることをはじめてみると、多くの人がひじょうに奇妙な行動をとっているのがだんだんとみえてくるようになってきます。たとえば、「彼氏がほしい」といろんな飲み会に行くけれど、ずっと彼氏をつくらない女性は、実は彼氏を決めないということを決めているということ。仕事のできない社員は、仕事が出来ない自分を表現することで人の注意を引いているということ。飲み会の席で他のカップルの世話ばかり妬く、おせっかいアネゴタイプの女性は、にぎやかにおせっかいをすることで人の注目を得ながら、同時に自分が話題のネタになるのをおそれているので、人のお世話をすることで、自分に注意が行かないようにしていること。おとなしいくて目立たないようにしている人は、おとなしく目立たないようにすることで、逆に自分に気を使わせる事で注意を引いていること。奇行癖のある人は、奇行をすることで、注意を得ていると同時に奇行を指摘されることに不快さを表現すること。サービス残業に不平を言いながら、サービス残業を続ける人は、サービス残業仲間と上司や会社の体質に文句を言うコミュニティを楽しんでいること。頑張る姿を表現する人は、頑張る姿を表現することで、人が意見やアドバイスをできないように仕組むことで、頑張りつづけて、結果が変わらない状態を維持すること。書き出したらホントにきりがないくらい、実に様々なゲームを人はしてしまうようです。そして、ゲームをすることで得られるメリットは、現状を維持し続けることで、リスクをはらわなくていいこと。ですが、ゲームをすることで払う代償は、いつまでも同じところにい続けるしかないということなようです。現状を維持し続けるのが幸せなのか、ホントに自分の生きたい生き方に目覚めて、自分のホントに深いところから望む生き方に沿って生きるのが幸せなのかは、自分で選択することが可能です。自分はゲームをやっているのかもってみてみるのも、みないでそのままにしておくことも自分次第。そして、ゲームを降りるか、続けるかも自分次第なようです。多くの人が、慣れた世界が安全だと(無意識に)感じて、現状を維持しようとするようです。ですが、時が流れ、全てのものが変化していく構造のこの世界の中で、変わらずにそこにいるというのは、実は幻想でしかないのかもしれません。自分は安全なところに座っているつもりで、どんどん自分の意思とは無関係にベルトコンベアーは動いているかもしれませんね。自分はもしかしたら、ゲームをしているかもしれない。自分はどんなゲームをしているのだろうって一度みてみることで、思わぬものがみえてくるかもしれませんね。
December 6, 2005
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わたしはショットバーのマスターとしてカウンターに立っていたことで、多くの成功者と呼ばれる人たち、普通の人たち、そして人生を転落していく人たちと出会うことができました。そして、なによりも興味深かったのが、成功者と呼ばれる人の中にも、幸せな成功者と、そうじゃない成功者がいるということでした。なぜ、世の中には成功する人と、そうじゃない人がいるのだろう?というテーマは、これまでもずっとずっと探求されてきた分野ですよね。ですが、マスターがもっとも深い関心を持ったのは、もっと根本的なところ、「なぜ幸せな人生を生きる人と、そうじゃない人がいるのか?」、そして、「なぜあまりに多くの人が、幸せな人生を生きてみようという選択をするところに立てないのか」ということでした。以前、ある成功された事業家の方とお酒の席をご一緒する機会がありました。その方は、社会的には名実ともに成功されてる方で、有名な方でもあります。ですが、その方とお話していて、話題に出てくるのは、「まだまだダメ、スタート地点にも立てていない」というようなお話でした。ハングリーさはとても大切ですが、お話をうかがっていると、ハングリーさからきている「今は、まだダメ」なのではなくて、「この程度では、自分のことを許せないから」という、欠乏感から来ている「今はダメ」というところからお話をされているのが、ひしひしと伝わってきました。その方は、「きっと、これを達成する」という壮大な目標をお持ちではありましたが、聴こえて来たのは、「これが達成したら、自分のことを認めよう」というもののようでした。そして、その方にはとても失礼かもしれませんが、「きっとその目標は、(今のままでは)達成されないな」と感じてしまいました。それは、なぜかというと、達成してしまうと、自分のことをを認めなくてはならないからということです。その方の周りには、とても依存の強い方がたくさん集まっていました。そして、その方は、依存の方をお世話するのが大好きなんです。それは決して悪いことではありません。ですが、その方の「壮大な目標」を達成するということは、その方が「信じればなんでもできる」という執着の概念を手放す必要があるようです。なぜ、まわりに依存系の方がたくさんいるかというと、「あなたでも、信じ続ければ絶対なんでもできるんだよ」って、言っていたいその方に、そういうふうに構って欲しい人たちが集まっているからなようです。つまり、その方は依存系の方を構っているようにみえるかもしれませんが、実はその方自身が依存系の人たちに構ってもらっているということを自分自身で気づく以外に手はないようです。「信じ続ければうまくいく」と熱く語る講演者やビジネス書はたくさんあります。マスターも、これはひじょうに大切な要素だと感じています。ですが、執着として「信じ続ければうまくいく」というところにしがみ続けている間は、もしかすると、幸せな人生を生きるための他の知恵、他のもっと簡単な道、他の可能性をみないように、がんばり続けることなのかもしれません。わたしが出会った多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちは、挫折を経験し、がんばることも経験し、そして、「信じ続ければ...」も実践した経験のある人たちです。彼らが幸せな人生を生きるようになった背景になにがあるかというと、「信じ続ければ...」を一生懸命やってみて、なぜか思い通りの現実にシフトしないということに気がついて、「あれ?なんでだろう」って疑問を持ってみた人達なようです。そして、自分はがんばる人生が欲しいのか?、ホントに幸せな人生が欲しいのか?っていうところに立ってみた人たちなようです。「信じ続ければ...」を疑ってみた時に、彼らに起きた奇跡はなんだったのでしょう?それは、「信じ続ければ...」って、ずっと握っていた手をいったんほどいて、手を離してみたことで、他の選択を初めて握って確かめてみるということをやってみることができた。新しい可能性をみてみることができたということなようです。そう、「自分はこうでなければならない!」を手放すということは、同時に新しい他の選択の可能性を受け入れる機会を得るということなようです。ペンを握り締めたまま、他のペンを手にとることはできませんよね。新しいペンを手にとろうとするなら、今握っているペンから手を離す必要がありますよね。もし、ホントに幸せな成功者の人生というもを手にしたいけれど、でも、よく分からないっていうところにいるとしたら、今握っているものを「ホントにこれでいいのかな?」って一度手を離してみることをやってみて下さい。もしかすると、今まで握っていたペンは、とっくにインクがなくなっていたということに気がつくかもしれません。
December 5, 2005
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わたしはショットバーのカウンターにバーテンダーとして立っていたことで、数多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちとそうじゃない人とたちに出会ってきました。そのおかげで、わたしには数多くのいろんなジャンルのメンターが現れてくれるという幸運に恵まれました。ところで、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、あまりメディアにも出てこないし、目だたないようにしているので、バーの隣の席で飲んでいたとしても、多くの人たちはその人が幸せな成功者だということは気付かずにいることがほとんどです。それでも、セミナーや講演会などで知り合ったりした人などはお酒の席で幸せな成功者と出会ったりしたら、ここぞとばかりに質問をしたりするのですが、そこでわたしはひじょうに興味深いことに気が付きました。それはなにかというと、「どうやったら幸せな人生を送れますか?」とか、「どうやったら豊かになれますか?」っていうようなシンプルな質問をする人がほとんどいないということです。どういうことかというと、「わたしはこういうビジネスをやっています、こういう場合はどうしたらいいでしょう?」とか、「こんな時にはどんなことに注意したらいいのでしょう?」とか、「これはこうするべきでしょうか?」、「これはやらないほうがいいんでしょうか?」っていうような具合に、自分のやっていることに「GO」か「NO」かという意見を求めているひとがほとんどだということなんです。「え?なんで?具体的な質問をしているんだから、いいんじゃないの?」って声がきこえてきそうですが、この質問の大きな落とし穴は、その人がやっていることか、その人がやろうとしていることにしかアドバイスが出来ないということなんです。多くの人のほとんどが見落としているか、知らないことさえ知らない、もっとも重要なことは、幸せな成功者の幸せな成功者たるゆえんは、彼らの生き方、生き様、生きる姿勢なのであって、ビジネスや人間関係の「やり方」ではないということのようです。わたしが、人生に迷っていて、「成功したい」、「経済を豊かにしたい」って悩んでいた時に、メンターたちに質問を投げかけると、きまって「とんちんかん」な答えが返ってきました。「どうやったら、このビジネスで成功できるでしょう?」って質問を具体的にしているつもりなのに、返ってくる答えは、「自分の心の声に耳をすますといいよ」だとか、「そうでないといけないというのを、手放してごらん」っていうような答えばかりが返ってきて、「そんなことがききたいんじゃないですよ」、「具体的にどうしたらいいのか教えてくださいよ」っていつも感じていました。ですが、今ならあの時のことがどういうことだったのか、よく分ります。わたしが自分の人生に対して、「とんちんかん」な生き方をしていたから、返ってくる答えが「とんちんかん」にきこえていたんだなって。人は、じぶんの内側に耳を傾けていないと、誰よりも自分のことを自分で分っている気になって、誰よりも自分のことが見えないでいるようです。そして、自分が見えない人は、自分が見えない人とつるみます。なぜなら、自分が見えていない人に、「あなたわかってないよ」って、言っている間は、自分のことをみなくていいからなようです。幸せな成功者の周りには、幸せに人生を送る人たちが集います。ですが、「人生を変えてみる?」って転機の機会が何度かやってくる時、(多くの人がその機会を、あまりにささやかなので気が付きませんが)幸せな成功者と、これまでそうじゃない人生を送ってきた人がクロスオーバーして、出会う瞬間があります。その時、適切でシンプルな質問を持っているかどうか、もしくは、質問が適切でもシンプルでもなくても、幸せな成功者がとても親切か、気まぐれな人で、「とんちんかん」に感じることを言ってくれた時に、「なんであんなことをいうのかな?」って、自分に問いかけをずっとしていくことが出来たなら、きっと人生はその瞬間から変わり始めると信じます。自分はシンプルな質問を持っているのかなっていうことに、注意をはらってみてください。きっと、今までと違う何かがみえてくることに、驚くと思いますよ。
December 3, 2005
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わたしは、ショットバーのマスターとしてカウンターに立っていたことで、多くの幸せな成功者と呼ばれる人たち、人生を幸せに生きる人たちと、そうじゃない人たちに出会ってきました。幸せな成功者と呼ばれる人たちと、そうじゃない人たちの間にはあらゆる面で、驚くほどの違いがみえてくるのですが、今回は、もっとも根本の部分のひとつである、とても重要なことについてお伝えしたいと思います。それはなにかというと、多くの人たちが自分でも気がつかないうちに毎日をオートマティックに生きているということなんです。この話は先日のメルマガ「カッコイイ女は カワイイ女」でもお伝えしたのですが、とても大切な内容なので、ここでもお伝えしておこうと思います。多くの人たちが、オートマティックに毎日を生きているというのはどういうことかというと、朝起きて、歯を磨いて顔を洗って服を着替えて電車に乗って会社に行って12時になったらお昼を食べて午後は営業者の中で昼寝して残業をして家に帰ってテレビを観てご飯を食べてそして寝るっていう一連の動作を歯を磨いたり、顔を洗ったりするのと同じように無意識のうちに繰り返しているということに、なんの疑問も感じないで生きているかもしれないということです。この無意識の一連の動作に隠された大きな問題は、無意識に毎日を暮らしているうちに、アタマで考えることと、体が一致しないようになっているということに疑問を感じなくなってしまっているということです。これはどういうことかというと、仕事中にせよ、子供の送り迎えにせよ、仕事の行き帰りの電車の中にせよ、体は毎日の習慣で、無意識に動いてるのですが、アタマの中は、月末の支払いの心配だったり、将来のくらしの不安だったり、ほしいなぁって思っているクルマや家のことだったり、宝くじが当たったらなぁとか、彼氏、彼女がいたらなぁとか、多くが、心配ごとか、 イベントか、 夢のことかというようにアタマで考えてることと、体がばらばらのことをしているということのようです。 これは、あまりにも日常的になって、当たり前のように感じてしまうかもしれませんが、見落としてしまっている、もっとも重要なポイントは、オートマティックな人生には、行動に意図(目的)がないということなんです。幸せな成功者と呼ばれる人たち、人生を幸せに生きている人たちは、自分はどう生きたいか、どんな人生を送りたいのかということをもっとも重要視して、注意をはらっています。つまり、彼らは自分の人生のビジョン、自分の人生の目的、自分の人生のルールに忠節に生きているということなんですが、その結果、彼らの言葉遣い、行動、振る舞いをはじめ、朝起きてから、今日はどんな風に人生を生きるのかということに明確な意図があるようです。多くの人たちは、自分でも気づかないうちにオートマティックに生きていることに疑問を感じていないため、自分の人生に意図がない = 行動に目的がないということを知らないことすら知らない状態なようです。意図のない生き方をしているということは、まわりの人たちの言動や、世の中の動向など、環境次第でぶれてしまう、実は、糸の切れた凧が風むき次第でどこに飛んでいくのか分からないような状態なのかもしれません。幸せな成功者と呼ばれる人たち、ライフワークを生き、人生を深い満足と喜びの中で生きる人たちの人生には意図があり、そうじゃない多くの人の人生はオートマティックかもしれないということに一度注意をはらって観察してみて下さい。思いも及ばなかったようなものが、みえてくるかもしれません。
December 1, 2005
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