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3学期に入って彼女はめっきり姿を見せなくなった。そのことに対してちょっと寂しさを感じてはいたのだが、それは僕のエゴだということも分かっていた。僕の所は所詮避難所に過ぎない。クラスメートの眩しいほどの明るさに耐えられなくなって僕の所に非難しているより、クラスメートに混じって自分の明るさをゆっくり取り戻していく方が、絶対いいに決まっている。ただ、彼女は時々、放課後になると顔を見せた。それは遊び相手が見つからなかったり、寄り道する場所が思いつかないとか、レッスンを止めて持て余した時間を潰す方法が見つからない時だったのだろう。そんな時の彼女はなかなか帰ろうとせず、まるで話が途切れて僕が帰ろうかと言い出す機会を潰そうとするかのように、しゃべり続けた。まだ、学校以外で安心できる場所はないんだろうな、そう思いながら彼女の話に付き合い続け、また僕自身彼女と過ごす時間を大切に思っていた。そして3月になり、僕に移動の内示が出た。僕が次年度から別の学校に行くということは、慣習のようなものでこの学校に赴任した時から決まっていたのだが、一応発表まで教職員以外には伏せておくことになっていた。だが、そういう噂は人知れず漏れていくもの。何人かの生徒が探りを入れてきたりもしたが、僕は白を切り続けた。そして3学期の終業式が終わり、ほとんどの生徒とはもうこの学校の教師として会うことはないんだろうな、と考えながら机の掃除をしていると、研究室をノックする音が聞こえてきた。彼女だった。彼女は放課後遊びに来た時の定位置になりつつある窓際のソファに座ると、何も言わず窓のほうに顔を向けた。「まだ学校にいたのか?」僕が声をかけるが、彼女は何も言わずに窓の外を眺めていた。僕もそれ以上話しかけることもせず、机の端に積み上げた書類の整理を続けた。やがて一段落付くと、僕も自分の席に座ったまま窓の外を見る。夕陽を浴びた南校舎の壁がゆっくり色を変えていく様子と、窓からほんの僅か差し込む西日に彼女の髪が輝き、彼女が頭をほんの少し揺するだけでその輝きが万華鏡のようにきらめく様をじっと見ていた。「せんせい……、学校替わるって、ほんとう?」どれくらい経っただろう。彼女は僕から顔を背けながら、こう口にした。「うん……。今度は○○高校の定時制だよ」彼女には嘘を吐いたりとぼけたりしたくなかった。また彼女は黙り込む。だが、今度の沈黙はすぐに破られた。彼女は突然振り向くと、思い詰めた顔で僕をじっと見た。「わたし、芸大受けることに決めたの。絶対受かってみせるから」それは、彼女の決意表明であり、その言葉には「芸大を受験しようと思える環境を取り戻した」という意味も含まれていた。「そうか。頑張れよ」素っ気ない言葉。だけど、僕が思っていることは全部伝わったようだった。彼女はソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。「いままでありがとうございました。お元気で」そして彼女はそのまま顔を伏せるようにして部屋を出て行った。人気のない廊下から彼女のスタスタという足音が聞こえる。その音はだんだん小さくなっていき、すぐに聞こえなくなった。その夜、僕は約1年続いた禁煙を破った。4月になって僕が今の定時制に来てから、時々思い出したように彼女からのメールが届いた。大抵は学校の様子や彼女の友だちの失敗談を伝えるもので、彼女の近況についてはほとんど書かれていなかったが、その文面からは彼女が元気に頑張っている様子が伝わってきた。それが、突然泣き出しそうなメールに変わったのが、3学期が始まってしばらく経った頃だった。半年以上のブランクは想像以上に大きかったようで、受験が迫るにつれて自分の手が思うような音を奏でてくれないことに、心が押しつぶされそうになったようだった。だが、メールのやりとりを続けるうちに元気を取り戻したようで、今では僕が心配していることを書くと、「大丈夫デスって。そんなに心配されたら逆にプレッシャーになっちゃいますよ~(^o^)」なんて答えてくる。おいおい、最初に送ったあの悲壮感たっぷりのメールはなんだったんだ、と僕はPCの前でツッコんだ。厳しい寒波が到来すると天気予報が告げていた。確かに風は冷たいが、日向に立っていると、それほど寒くはない。僕は日向ぼっこをしながら携帯電話に転送した彼女からのメールを読み終えると、空を見上げる。この冬一番の冷え込みが続くらしいが、その空には微かに春の気配が混じっているように感じられた。もうすぐ、彼女の最初の入学試験が始まる。
2005.01.31
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「先生の日常の話を聞くだけで、何となく心が和んでくるんです」そんな言葉が書かれていたからではないが、僕は彼女のメールが来るたびに返事を書き続けた。最初は2日で1往復だったやりとりも、すぐに1日で1往復になり、時には1日に数往復することもあった。彼女とのメールのやりとりだけで夜が過ぎていったこともあった。彼女はそれから毎日のように僕がいる研究室の前にやってくるようになって、僕もできるだけ彼女の話し相手になるようにしていたのだが、僕も暇な身ではなかった。そんな時は彼女にちょっと声をかけてから研究室を離れるようにしていたのだが、振り返ると彼女は俯いたまま研究室の前で壁により掛かっている姿が見えた。廊下の反対側にある体育館から僅かな光が差し込み、彼女の姿がシルエットになって薄暗い廊下に浮かんでいる。この学校の光の中で、彼女はまだ影を纏っていた。あれは中間試験が終わったばかりの頃だったと記憶している。薄暗い廊下で一人ポツンと立っている彼女に、2つの変化があった。成績処理のことについて進路室に行っていっていた昼休み、ちょっと小走りに研究室に戻ると、研究室前の影が一つ増えていた。もう一つの影は、中学からの彼女の親友だった。二人で壁にもたれかかって、何か話している。やがて僕に気付いた親友は、「あっ、センセー、なんかお菓子持ってない?」「はぁ?」「なんかね、和菓子が食べたくなったの」「何で、僕が学校に和菓子を持ってこないといけないんだ?」「えーっ、だって先生和菓子が好きだって言ってたじゃん」確かに授業中に僕はどちらかといえば甘党で、和菓子が好きだと話した記憶はあるが……。持ってるわけないだろと僕が呆れながら言うと、まるで計ったようにチャイムが鳴った。「なんだー。じゃ、いこっ」まるで今まで和菓子が食べたくて待っていたことも忘れたかのようにくるりと背中を向けると、彼女と一緒に教室に戻っていった。それから、その彼女の親友も、下らない理由を作っては研究室にやってくるようになった。それも、僕がいないときに限って。そのうち、僕を待つ人数は、3人になり、4人に増え、僕はいなかったので分からないが、多分教室にいるのと同じように大声でおしゃべりしていたんだろう。目の前の廊下で騒がれて、同室の先生方にはさぞ迷惑だったと思う。でも、他の先生方は文句を言うこともなく、時には彼女たちのおしゃべりの輪に加わったりしていた。1度、その親友に何で僕がいないときに限って来るんだと聞いたことがあった。すると彼女はニタリと笑い、「いやー、お邪魔じゃないかなって思ったんで……」僕はどぎまぎしながらそんな冗談は言うなと軽く怒った振りをしたが、心の中では彼女に感謝し、彼女の優しさを温かく感じていた。もう一つの変化は、火曜と金曜の放課後は、彼女の姿が見えなくなったことだ。さりげなく聞いてみると、その日は最初に音楽を習った先生の所に行っていると教えてくれた。彼女の近所に住んでいるその先生は、自宅の一部を改築して子どもたちに音楽を教えているそうで、有名な先生に通うようになっても近所づきあいがあるそうだ。一切のレッスンを止めてしまった彼女に、ある時その先生が声をかけてくれたらしい。火曜と金曜は今のところレッスンがないから、良かったらお茶でも飲みに来なさい、って。その先生の家で彼女はお茶を飲みながらちょっとしたおしゃべりをするだけだったそうだが、時には楽器を触らせてもらい、まるで十年前に戻ったかのように、レッスンを受けることもあったとか。彼女の抱えている問題が解決に向かっているという話は一向に聞こえてこなかったが、彼女は少しずつ明るさを取り戻していっていた。それは、いろんな人が彼女に手を差し伸べ、あるいは背中を支えていったからだろう。その中には、彼女は気付いていない手もあったと思う。3学期に入ると、彼女は昼休みに研究室前に姿を現さなくなった。昼休みは、大抵教室で友だちと過ごすようになったからだ。彼女は、日当たりのいい場所に戻っていった。今、手元にはその年に彼女からもらった年賀状がある。その年の干支の着ぐるみを着た彼女自身のイラストがハガキ一杯に大きく描かれているのだが、その顔はこぼれんばかりの笑みを浮かべていた。(続く)
2005.01.29
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「昨日は変なメールを送ってスイマセン」2日後、僕のメールに対して彼女が出した返信はこの言葉で始まっていた。すぐにでも先生のところに行って、僕のPCからそのメールを削除したいとも書いてあった。ただ、彼女はあのメールを出したことで、だいぶ落ち着きを取り戻したようで、昔のようなユーモアと明るさに溢れた文章がその後に続いていた。そして、その時から僕と彼女のメールのやりとりが始まったのだ。彼女が地歴科研究室傍の薄暗い廊下に佇んでいるのに気付いた時、僕は何をしていたんだろう。確か、用事で他の先生のところに行こうとしていた時のように思う。「よっ」僕が声をかけると、彼女は顔を上げ、ちょっと強ばった笑みを浮かべた。無理矢理搾り出したような、痛々しい笑みだったが、2学期に入って初めて見る笑みだった。「なんだ? こんなところで涼んでいるのか?」その廊下は日当たりが悪いせいで、南校舎に比べてちょっと気温が低い。まだ残暑の厳しい日が続いていて、南校舎にはうんざりした声に満ちていた。彼女は、ええ……と消え入るような声で答えると、先生はどこに行くんですか、聞いてきた。「ちょっと○○先生の所にな」そうですか、という声が返ってきたと思う。僕は彼女がここになぜいるのか聞きたいという気持ちはあったが、これ以上時間がなかった。彼女に「地歴の部屋なら扇風機があるから、涼んでいってもいいぞ」と言って、その場を離れた。用事を済ませ、午後の授業が鳴り響いている中、5時間目の授業があったので急いで地歴科研究室に戻ると、彼女はまだ廊下に立っていた。「ほら、授業が始まるぞ」そう言いながら、僕は研究室に飛び込み、授業に使う教材をまとめ始めた。次の日の昼休み、4時間目がなかったのでちょっと早めの昼食を取ってのんびりしていると、授業を終えて戻ってきた同室の先生が怪訝そうな顔で「そこに立ってるの、×組のLだよな? 何してるんだ?」僕が慌てて廊下に顔を出すと、彼女が昨日と同じように立っていた。そして、その時になってやっと、僕は彼女がそこに立っている訳を悟ったのだ。僕は彼女の横に、同じように壁にもたれかかると、彼女に声をかけた。その日から毎日、昼休みになると、僕と彼女は薄暗い廊下で話すようになった。最初の頃は僕が一人でしゃべっているだけだったが、そのうち彼女もいろいろ話してくれるようになり、彼女の口数が増えるにつれて、彼女の表情も少しずつ穏やかなものに変わっていった。いろんな話をしたと思うが、彼女の抱える悩みについては、敢えて触れないようにしていた。安易に僕が首を突っ込んでみても、彼女の心を乱すだけだと思ったからだ。そして、彼女はそのことに一人で耐えようとしていた。その姿は痛々しくはあったが、そこに何人たりとも立ち入らせない、自分一人で耐え抜くという決意が見え、僕はそれを尊重したかったからだ。僕にできることは、いつも通りに接し、彼女がみんなと同じ高校生活を送っていることをちゃんと教えてあげること、心を休める場所を作ってあげることだけだった。時々、彼女が弱音を吐いたりすることもあったが、その時だけはさりげなく彼女に慰める言葉や勇気づける言葉をかけた。そんな昼休みが2学期一杯続いた。薄暗くて滅多に人の通らない廊下とはいえ、まったく人通りがなかったわけではない。僕らを見かけた生徒の中には、冷やかしの言葉をかけていく者もいて、授業の終わりなんかに、「センセー、Lと付き合ってるって本当ですか? どっちからコクったんですか?」と行ってくる者までもいた。実は、彼女の事情を全く知らない生徒指導部長と教頭から探りを入れられたり釘を刺されたこともあった。そんな誤解にあきれることもあったが、それでも僕は彼女と廊下で話すことを止めなかった。(続く)
2005.01.27
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「お元気です?」こんな言葉で始まるメールを受け取ったのは、3学期も始まってしばらく経ったある日のことだった。そのメールには、3学期に入ってからずっと学校を休んでいること、友だちに会えなくて少しさびしく思っていること、焦るなと自分に言い聞かせても、時々叫び出したくなったり両手を思い切り何かに打ち付けたいと思ったりしたこと、最近よく眠れないこと、でも絶対に自分に負けないと決めてること、晴れた日の帰り道には星を見ていて、その時間だけがホッとできること、などが書かれていた。差出人は、前の学校の教え子。彼女は僕が担当していた地理Aの子で、普段は真面目に聞いてノートもしっかり取っているんだけど、回りの子から話しかけられるとつい話に乗ってしまい、気が付いたらおしゃべりに夢中になってしまう、どこにでもいるごく普通の女子高生だった。彼女はなぜか僕に懐いていて、試験の直前の授業を自習にした時は教卓の傍にやってきて1時間ずっと質問を繰り返したり、僕のいる地歴科研究室にやってきては質問や他愛のないおしゃべりをしてしていっていた。そんな彼女の様子が変わったのに気付いたのは、2学期の始業式だった。ずっと俯いていて、1学期までは真っ直ぐ顔を上げて、相対する人に見せていたきれいなおでこが髪に隠れるようになり、輝いていた目も、濁ってこそいなかったが深い森の奥にひっそり眠る湖のようで、授業中も顔を上げて黒板を見ることも少なく、作業をやらせても時々手が止まったままのこともあった。最初、僕は彼女が夏休みには東京で有名な先生のレッスンを受けるという話を聞いていたので、多分そのレッスンでひどいショックを受けたんだろうな、と簡単に思っていた。そのうち、いつもの彼女に戻るのだろう、と。だが、1週間が経ち、2週間が経っても、彼女は笑顔を取り戻すことはなかった。疲れ切った顔で、クラスメイトの笑顔やおふざけをまるで見たくもないテレビのように眺める彼女に、何人かの先生が不審に思い、担任に聞きにいったりもした。僕もその一人なのだが、僕と同い年の担任は、ちょっと言いにくそうな顔をしながら夏休みの間に彼女の家で起こった問題を教えてくれた。それは、まだ高校生の彼女が背負うにはあまりに重すぎて、運命や偶然という言葉で片づけるにはあまりに過酷なものだった。そして、その問題に対して、僕ら教師が全くの無力であることも。ちょっと話がずれるが、生徒の家庭の事情などプライヴェートな問題は、よっぽどのことがない限り一部の教師以外に知らされることはない。だから、このことも学校の中では彼女の様子がおかしいことに気付き、彼女のことを心から心配している教師と、彼女の親しい友人の数人以外は知らなかったはずだ。文化祭への高揚感に学校が包まれる中、彼女は俯いたまま、じっと歯を食いしばって人知れず何かに耐えていた。僕たちは、それをただ黙ってみていることしかできなかった。生徒昇降口に文化祭へのカウントダウンの立て看板が現れた頃、彼女の行動にちょっとした変化が訪れた。お昼休みや放課後、僕の居場所である地歴科研究室の傍で、壁により掛かったまま、何をするでもなく、ただ立っている彼女を見かけるようになった。地歴科研究室は北側の校舎にあって日当たりが悪く、省エネ対策とかで電気が消された廊下はいつも薄暗い。その廊下の翳りに溶けるように、彼女は立っていた。(続く)
2005.01.26
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「あっ、先生、タバコ吸うんだ~」放課後、前の授業のプリントを取りに来た3年生が、僕の机の上に放り出してあったタバコを見るなりこう言った。どうも僕はタバコを吸うタイプには見えないらしく、僕がタバコを持っていると、大抵の人は意外そうな顔をする。彼女は僕がプリントを探して机の端にできた山を崩している間、タバコの箱を開けたり閉じたり、はたまた一本取り出しては指の間に挟んで遊んでいた。「吸うなよ」「吸いませんよ~」珍しそうにタバコを玩びながら、彼女が答える。と、いきなりこんなことを言った。「そう言えば、ニコレットってかわいいですよね」……かわいい? コイツが?「そうか?」と僕が言うと、「かわいいじゃないですか~」とニコニコしながら返す。本当にかわいいと思っているようだ。「じゃあ、もしもUFOキャッチャーでニコレットがあったら、取りたいと思うか?」「え~っ、取りたいですよ~」なんて、両手をわしゃわしゃ動かしながら答える。彼女には、あの不健康な顔をした人形がもこっと詰まったUFOキャッチャーが見えているんだろう。「じゃあ、ニコレットのキーホルダーを鞄に付けたいと思う?」それにはさすがにちょっと考える顔になった。「う~ん、それはちょっと……って思いますけど」でも、にこっと笑いながら「あっ、でもでも、ケータイストラップなら1週間ぐらい付けてみたいです」その1週間という数字はどこから来てるんだか……。「かわいい」と思えるものは世代によって違いがあるとは思っていたが、どうも「かわいい」の語義自体にも世代によって違いがあるようだ。そんなことを思った、冬の夜。
2005.01.22
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庭先に赤い花。日向に一足早く春の気配。パチリと収め、お裾分け。帰宅してデジカメのデータをPCに移し、使えそうな写真を選ぶが、マクロ撮影のせいか手ぶれやピンぼけの写真が多く、ちょっとガックリ。比較的使えそうな1枚を選ぶと、PhotoShopで加工。Sleipnirで楽天広場を開いて花の画像をアップしようとするが、ふと、手が止まる。……花の名前はこれでいいんだろうか?季節の花300で赤い春の花で調べる。……木瓜じゃないか。まったく別の花だと思いこんでいた(笑)一体、今まで何を見ていたんだろう。僕の頭も、ちょっとピンぼけ。
2005.01.21
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朝冷え込んだある日、ちょっと用事を作って外に散歩に出る。家電量販店で備品を購入した後、ちょっと遠回りしようと思い、川べりの桜並木へ足を向けた。桜の季節はもちろん、普段もウォーキングや犬の散歩で行き来する人の多いこの道も、今日はさすがに人気がない。ねじりん棒のような桜の木の横をゆっくり歩く。顔を上げると、薄い青の下でねじり合わせた針金みたいな枝だが縦横無尽に走っている。よく見ると、枝のあらゆるところにねじり止めのこぶみたいな点が幾つも付いている。桜の花芽。秋には気付かなかった花芽が冬の寒さの中でゆっくりと膨らんでいた。春はまだ遠いけれど、春のための支度はゆっくりと進んでいる。花が咲くのはまだまだ先でも、桜の木は花の時のための支度を忘れない。それが厳しい冬の空の下であっても、だ。なんで、すぐ咲こう、すぐ咲こうと焦ってばかりいるのだろう。僕はゆっくりと深呼吸する。寒いだけと思っていた冬の空気が、澄み切った風で僕の中を洗った。
2005.01.20
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週末から試験問題の作成に追われている。来週には今年卒業業する生徒の学年末試験があるからだ。全日でも3年は1月一杯で授業が終わるので、今頃試験問題を作るのには慣れているのだが、なにぶん3学期の授業は実質2週間ほどしかないから、試験問題作りはけっこう難しい。範囲が狭いからといって決して重箱の隅をつつくようないじわるな問題が混ざらないように注意しつつ、必要な数だけの問題を絞り出す。そんな感じで1教科作るのにも苦労するのだが、定時制の場合は3年生の問題も作らないといけない。3卒の生徒も、1月で授業が終わるからだ。3卒の生徒向けの問題を作る場合は、4年向け以上に苦労がある。3卒をしない3年生は3月に学年末試験があるからだ。つまり、3年は2種類の学年末試験を作らないといけない。ただでさえ範囲が狭いから問題作りに苦労しているのに、ここは3卒向けで出そう、この部分は他の3年向けに取っておこうと、より分けながら問題を考えないといけないからだ。3卒は、本来4年で取る単位を事前に大検で得るというものだから、3年の授業は3月までちゃんと受けるのが正しいと思うのだが、なぜか4年と同じ扱いになる。これがウチだけの話なのか全国的にそうなのかは分からないが、正直ちょっと納得がいかない。いっそのこと3卒向けの問題の一部をそのまま3月でも使おうかな、と思いつつ(どうせ、試験勉強なんかろくにしないのがほとんどだし)、ずるがしこく頭の回るヤツが得するような試験にはしたくない、そう自分に言い聞かせ、今夜も教材を横に頭をひねっている。
2005.01.19
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すっかり人気のなくなった坂道を一人歩く。道路脇の街路樹はすっかり葉が落ちて、冬の初めまでは葉の陰に隠れていた街路灯が道を広く明るく照らす。見上げると、澄んだ夜空には冬の星が瞬いていた。街灯の明かりに慣れた目ではそれほど多くの星は見えないが、南の空にちょっと俯き加減のオリオン座。オリオン座は時と場所によって様々な名前や形を持つ。エジプトでは使徒復活の神オシリス。中国では参宿。日本では鼓星。他に、ウミガメ、罠、石斧にしとめられたタコ、オリオンはギリシア神話に出てくる狩人だが、ギリシアでは雄鶏の足にも見えている。同じものであるのに、人や場所が変われば様々な姿を現す。人も同じのようなものなのかもしれない。僕とは違った姿を見ている人もいるのだろう。ふと、そんなことを思った。冬の星座がゆっくりと西に動く空の下、僕は道を先へ進む。
2005.01.18
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時計の長針がゆっくりと弧を描いて、日付が一つ前に進む。今日という日は昨日から続くもので、時はその連続性を積み重ねたものだ。新しい一日が積み重なることで今日という日は昨日に変わり、日が積み重なるにつれて、かつて今日と呼ばれた日は過去と呼ばれる積み重ねの中に埋没し、その日はおぼろげに霞んでいく。だが、中には過去の中に積み重なっても、あるいは積み重なることで、その存在が過去の山の中から浮かび上がり、様々なものを振り返る人たちに投げかけてくる。1995年1月17日午前5時46分──あの朝のことは、以前の日記に書いたことがある。今でも鮮烈に憶えてはいるが、僕の中では既に過去になりつつあるあの日も、今でもその日の上に新しい日を積み重ねることを苦しく思う人々がいて、今でもその日に苦しんでいる人々もいる。彼は、この夜は徹夜することにしている、と言っていた。同じ街に住んでいた者として、せめてあの時を起きたままで迎えたい、と。彼は今夜、どんなことを思って過ごすのだろうか。誰のことを思って過ごすのだろうか。
2005.01.16
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彼を見かけるようになったのは、2学期の中間試験が終わった頃だったろうか。いつものように夜の見回りをやっていると、いつもは真っ暗な一画に、一つだけ明かりの点いた教室があることに気付いた。電気の消し忘れかと思い、その教室に足を向ける。煌々とした明かりが漏れている扉を開けると、一番奥のテーブルに詰め襟の背中が見えた。背中を丸め、引き戸が開く音にも気付くことなく一心不乱にテーブルに向かっている。「おーい」僕が声をかけると、彼はビクンと体を震わせ、慌てたように振り返った。振り返った時、テーブルに広げられた参考書とノートが見えた。家だと今ひとつ集中できないから、学校で勉強していたのだろう。たった一人、夜になると急に寒くなる教室で。「もうすぐ学校締めちゃうから、早く帰って」そう言うと、彼は小さな声で「ハイ」と答え、机の上のものを片づけはじめた。夕暮れと共に、生徒の顔ぶれはガラリと変わる。だが、定時制が使っている教室から一番遠い、この生物実験室には昼間の明かりが残り続け、一人の受験生の手元と背中を照らし続けていた。それから昨日まで毎日、僕は見回りの途中で声をかけ続けることになる。扉に背を向けて座っているのも、僕が声をかけるたびにビクンと体を震わせるのも、いつも同じだった。時々、給食で余った牛乳やデザートを持って行くと、彼はくすぐったそうな顔で受け取ってくれた。その生物実験室の明かりが、今日はない。真っ暗な生物実験室に、今日は僕が明かりを灯す。白々とした明かりの下には、昨日までここで受験勉強に励んでいた生徒がいた痕跡も気配も残っていなかった。全てを持って、彼は明日、二駅先の大学に向かうのだろう。明日からセンター試験。全ての受験生に、持てるもの全てを発揮できる幸運を。
2005.01.14
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日付が木曜日に変わってしばらく経った頃、ふいに恩田陸の『木曜組曲』が読み返したくなる。本棚を探しても見つからなかったので、出勤前に図書館に飛び込むが、他の人に借りられているのか、見つからなかった。結局乗換駅の構内にある書店で購入。『木曜組曲』は、決して読むだけで心が温かくなるようなものではない。登場する5人の女性は皆、体の中に他の人たちに対する複雑な感情を抱えていて、ストーリーのあらゆるところに登場人物の陰口と疑心暗鬼が散りばめられている。それでもこのストーリーにも登場人物にも不快感を抱くことなく、また何度も読み返したくなるのは、巧みに展開する練り上げられたプロットと、丁寧な描写、そしてどの人物にも等しい距離を置いた作者の視点のためだろうか。木曜日は、1週間の分水嶺。前半は、月曜から流れてくる時間。そして後半は、週末へと流れる時間。同じ1日であっても、前半と後半でガラリとその表情を変える。そんな木曜日の、特に流れる先が見えてくる夜に、この『木曜組曲』ほど似合う本はないような気がする。 木曜日が好き。 大人の時間が流れているから。 丁寧に作った焼き菓子の香りがするから。 暖かい色のストールを掛けて、 お気に入りの本を読みながら黙って椅子にもたれているような安堵を覚えるから。 木曜日が好き。 週末の楽しみの予感を心の奥に秘めているから。 それまでに起きたことも、これから起きることも、 全てを知っているような気がするから好き。 ──恩田陸『木曜組曲』より── *追記この『木曜組曲』は映画にもなっていますが、こちらもお勧めです。詳しくはコチラ
2005.01.13
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昼間、校内を歩いていると、毛布を小脇に抱えた女子生徒とすれ違うことが多い。最初は何か分からなかったが、全日制の先生に聞くと、授業中、膝掛けに使っている毛布だということが判明。おしゃれなストールではなく、厚手の毛布というところを見ると、あの短いスカートは、やはり冬場は寒いのだろう。聞く話によると、北海道の女子高生は、吹雪の中でも生足にミニスカートだとか。だが、授業中の膝掛けなら、教室の外に出る時は自分の席に置いておけばいいのに、なぜか彼女たちは常に毛布を持ち歩いている。別にスカートのように腰に巻いているわけでもなく、ただ小脇に抱えているか、ストールのように肩からまとっているだけ。色とりどりの毛布が、黄色い声と共に廊下に溢れている。お前たちは、ライナスか!!心の中でそうツッコミながら、僕はその中を、ヒョイ、ヒョイ、と、すり抜けて歩く。 *ライナスとは、コイツのことですな。
2005.01.12
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授業で使うためのネタはいろいろ頭の中に入っているのだが、中には、僕には面白いんだけどこれは使えないな、というものもある。ドイツ文学者の小塩節氏のエッセイで紹介されていた、「皇太子殿下の口頭試問ゲーム」もその一つ。二人で行うこのゲームは、皇太子が大学に入学するための口頭試問を受けるという設定である。まず、試験官役が問題を出題する。相手は皇太子なのだから、絶対に落とすわけにはいけないので、どんなに頭の悪い人でも解けるような問題を出すのだ。試験官「皇太子殿下、三十年戦争が行われたのは何年ですか?」それに皇太子役が答えるのだが、この皇太子は甘やかされて育ったせいで、非常に頭が悪い。そのため、誰も分かるような問題でも、間違えてしまう。皇太子「13年」それを聞いた試験官役は、皇太子が合格するよう、皇太子の答えが正解となる理屈をひねり出さなければいけない。試験官「正解です、殿下。三十年戦争と言っても、夜は戦闘が行われなかったので、 戦争が行われていたのは、実質十五年と計算できます。 更に、休戦期間等もありましたから、そうした時間を引きますと、 戦争が行われていたのは実質十三年と言えるわけです。 殿下、お見事、合格です」 つまり、理屈という膏薬をいかにしてうまく貼るかという、ちょっとした頭の体操である。個人的にはこういう理屈をこねる遊びは大好きなのだが、授業でこのゲームの話をしても、今の高校生にはこの面白さは伝わらないだろう。理屈をこねるということも、頭だけで考えるということも、今の高校生はあまりやらない。彼らにとって、こうした屁理屈は条件反射的に生み出すものであり、視覚を伴わない遊びには、あまり興味を示さない。中にはひょっとしたら面白そうだと思ってくれる生徒もいるかもしれないが、そんな生徒だけのために他の生徒が退屈するような話をするのは、適当ではないだろう。でも、世界史の授業で三十年戦争を扱うたびに、この話が頭に浮かび、しゃべりたい衝動が口元に起こるのである。「そう言えば、ウィーンの大学生がカフェでよくやる遊びに『皇太子殿下の口頭試問ゲーム』というのがあるんだけど……」
2005.01.11
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視聴覚室の片づけを終えて職員室に戻ると、隣の応接スペースから、聞き慣れない声が飛び込んでくる。離れていてもまるで近くで話しているような大声は、普段からそんな感じで話しているのか、土間声に近かったけれど、決して不快に響かないのは、その声に優しい人柄が滲んでいるからだろうか。応対している先生の声は聞こえないけれど、ガンガン響く大声から、話題に上っているのが4年の生徒のことであり、大声の持ち主がその生徒の中学時代の担任であることが分かった。そして応対しているのが、4年の担任をしているS先生であることも。話題に上っている生徒は、今年の4年の中で唯一推薦で進学を決めた生徒だった。家業を手伝いながら、4年間皆勤を続け、春からは鍼灸の専門学校に進む。「いやっ、あの子は、特殊学級に行っても不思議じゃない子だったんです。それが、先生方のおかげで高校を卒業するどころか、更に上の学校にまで進めるようになったんですから」確かに、あの子はテストの成績はイマイチだった。けど、いつも授業は1番前の真ん中で受け、一言も聞き漏らさぬというよりも、手抜きの授業をしたら承知しないぞという無言のプレッシャーを教師に与えながら授業に参加していた。生徒会長も務め、多分、この学校で一番充実した学生生活を送っていたのは、あの子だ。やがて話が終わったのか、その先生とS先生が職員室に顔を出した。その先生は声だけではなく体も大きく、180ある僕よりも頭一つは高いだろう。防具ナシでもアメフトがすぐにできそうな体の上に、日に焼けたいかめしい顔が乗っている。だけど、その顔に威圧感を感じないのは、その先生が、長年生徒と真っ正面から向き合ってきた教師だけが持つ、相対する者に信頼と畏怖の念を抱かせる雰囲気を身に纏っているからだろう。。その先生は、頭を下げながら職員室中の紙が震えんばかりの大声でお礼を言うと、S先生と友に職員室を出て行った。10分ほどして見送りに行ったS先生が戻ってくると、S先生は一つため息をつく。それはそうだろう。あんな大声をすぐ傍で聞かされていたら、それだけで体力を消耗してしまう。「お疲れ様でした」僕がそう言うと、S先生は近くの椅子にどさりと座り、もう一度ため息をついた。「なんか、さっき○○から合格したって連絡をもらったから、どうしてもお礼が言いたいって電話をかけてきて、その足でここに来たんだよ」疲れ切ったその声には、さっきまでお礼を言われ続けたことへの照れが混じっていた。「俺は何もしてないんだけどね」そう、S先生も、僕も、他の先生も、そして、あの先生も実はちゃんと分かっている。本当は、一番頑張ったのは、あの子。
2005.01.09
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3時間で終わった1年生が職員室に顔を出した時、僕は夜回り、つまり校舎内の施錠確認に出ようとしている時だった。「あのぉ~、図書室から借りたい本があるんですけど……」そう言われたが、図書担当の国語の先生は授業中だし、職員室に残っている先生で図書について知っている先生はいなかった。国語の先生が戻ってくるまで分からないと言うと、その生徒はちょっと残念そうな顔をして、帰って行った。やがて授業を終えた国語の先生が戻ってきたので、1年生が本を借りに来たことを話すと、「ああ、定時の生徒が借りるには、全日の図書担当の先生に貸し出しカードを作ってもらわないといけないんですよ」とさらりと答える。おそらく、生徒が尋ねてきた時に、この先生がいたとしても、その一言で生徒を帰したのだろう。一応建前上は学校内の設備は全て全日制と定時制の共用となってはいるのだが、管理の問題など、実態は全日制の施設を定時制が間借りしているようなものだ。定時制だけが使っている設備は、職員室と食堂ぐらいのものだろう。確かに定時制が使う設備はほとんど無い、教室が4つと体育館、コンピューター室、書道室、それと時々使う家庭科室だけでことは足りてしまう。まして、定時制の生徒で本を読もうと思う生徒はほとんどいないのだから、図書室の貸し出しについて定時制がノータッチなのも仕方ないのかもしれない。だが、生徒のために用意された設備があり、それを使いたいという生徒がいた時、管轄外だからと言う理由で生徒の希望を拒絶することが許されるのだろうか。彼ら「は」、この学校の生徒であり、学校の設備は生徒の学校生活のために用意されている。なのに、その多くは鍵がかけられ、定時制の生徒に向けて開かれることはない。生徒たちは閉ざされた扉が並ぶ廊下を、ただ黙って歩くだけ。最低限の明かりしか灯されていない学校で、闇に包まれているのは、拒絶された場所。次の日の給食の時間、その生徒に、昨日国語の先生に言われたことを話し、ちょっと早めに来て図書の先生に貸し出しカードを作ってもらったらどうかと言うと、その生徒はめんどくさそうに手を振って、「もういいですよ」と答え、大きな音をたてて席を立った。
2005.01.08
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大学1年の日本史演習の最初の授業で、担当教官はこんなことを仰った。「どの学年にも必ず一人は、忍者について調べたいという人がいるけれど、忍者というものは一切を秘伝として、他の人たちには隠し通してきたわけだから、史料は全くありません。あったとしたら、その忍者は秘伝を外部に漏らしたというわけですから、そんな無能な忍者については調べる価値もありません」以前、ある大学の附属高校で非常勤をしていたことがあって、その学校では毎年冬休みの宿題として日本史のレポートを書かせるというものがあった。3学期が始まり、レポートの詰まった大きな袋を持って帰って、早速読もうと袋の一番上にあるレポートを手に取ると、タイトルが「忍者について」。最初に書いた先生の言葉を思い出し、僕は苦笑を浮かべながら、レポートを開いた。いや、すごかった。「忍者は池や堀を渡る時、足に水蜘蛛という道具をつけて、水の上の浮かび、歩いて渡っていきます」水の上に人を浮かすだけの浮力を得るためには、片足に少なくとも半径60センチ以上の板を付けなければなりません。そんな板でどうやって歩くのだろう? それ以前にそんなでかい物を、隠密行動中の忍者はどうやって持ち歩いたんだろう?ちなみに、僕が教えていた高校は某大学の付属高で、非常に高い偏差値がないと合格できない。そんな世間では優秀な生徒が集まっていると思われている学校の生徒のレポートが、これである。その他にも、なかなか面白いものがあった。『邪馬台国について』「邪馬台国は、実は北海道にあった。魏志倭人伝の筆者が邪馬台国について書く時、うっかり逆さまにした日本地図を横に置いて、邪馬台国までの経路を書いたため、その記述が日本人には分かりにくくなったのだ」その当時、中国に正確な日本地図があったのだろうか?その後、いろいろあって1年で別の学校に移ったのだが、新しい学校の校長は、僕の経歴を聞くと、感心した顔でこう言った。「いや、○○で教えていたんですか。あそこは優秀な生徒さんばかりだったでしょうから、ウチの生徒を見てびっくりすると思いますよ」僕は苦笑するしかなかった。
2005.01.07
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いつもメモを取るために使っていたノートを午前中で使い切ってしまったので、帰宅途中にターミナル駅の構内にある無印良品の店に寄る。思いついたことをメモするためのノート探しは、試行錯誤の繰り返しだった。最初はバイブルサイズのシステム手帳を使っていたが、大きさが中途半端だし、真ん中のリングが邪魔で、ちょっと書き込みにくかった。その後、上着のポケットにはいるということでB6のノートに下のだが、これは小さくて1ページに書ける量が少ないし、下に机や何かがないと、筆圧が高いので、書き込むとすぐにノートがへたっと曲がってしまう。その後、幾つかのノートを使ってみたが、最終的に落ち着いたのが、無印良品のリングノートだった。これなら大きさも適当だし、なによりノートを手で支えて書き込む時も、カバーが固い上に、以前書いたページをぐるりと後ろに回して書けば、字を書き込む時にノートが曲がることもない。都会よりもちょっと遅れてやって来るラッシュアワーで混雑する車内、ドアのもたれかかるように立った僕は、さっき買ったノートを取り出し、最初のページを開いてさっき思いついたことをメモする。「若き日のペースメーカー」この言葉の意味は、今のところ僕しかその意味は分からない。でも、いつかこの言葉の意味を他の人にも分かってもらえる日が来るかもしれない。そういえば、これ、教師もそうかもしれないな。学校とは全く関係のないメモなのに、そんなことを連想し、クスリと笑う。ノートを閉じ、まな板をくりぬいた跡のような窓から外を眺めると、線路脇の学校では職員室にまだ明かりがあった。明日から、夕暮れと共に生徒が学校にやってくる。
2005.01.06
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マーラーの2番の後ろから、除夜の鐘が聞こえる。オーケストラと合唱団が壮大な世界を築きながら去る年のフィナーレと来るべき年のプレリュードを飾る一方で、二つの年を繋ぐようにゆったりしたリズムで鐘が響く。東フィルのジルベスターコンサートの中継が終わったところで、僕は初詣に行くために外に出た。真夜中の住宅街は、ポツリポツリと立つ街灯の明かり以外にこれといった光はない。僕は寒さに体を小刻みに揺らしながら、暗い道を歩いていった。ふと空を見上げる。気のせいだろうか。いつもよりも空が透き通っていて、夜なのにどこまで見えるように思えた。幼い頃に怯えた迫り来る闇はなく、ただ茫洋とした空間が無限に広がっているかのように。昨夜の空と今夜の空が劇的に変わったわけでもない。新しい年になったとはいえ、気持ち的に何が変わったという感慨もない。だが、新しい一年が始まったこと、新しい一歩を踏み出すことに心のどこかが騒いでいて、その気持ちが僕に夜が闇ではなく未知の世界の広がりであるように見せているのかもしれない。中国では夜のことを「宵藍」と呼ぶことがある。そんな話を誰かから聞いた。夜が明ければ世界ははっきりと姿を現すだろう。だが、夜が明けていないからといって、世界が存在しないわけではない。夜は黒く塗りつぶす闇ではなく、藍色に彩られた無限に広がる静かな世界。その世界へ一歩踏み出すには、今夜ほどふさわしい夜はないのかもしれない。進むうちに夜は明け、今まで来た道とこれから行く道がはっきりと見えてくるだろう。鐘の音がまた一つ夜に響く。その音が世界をまた一つ透き通らせる。はるか先に、神社の篝火が道しるべのように光っているのが見えた。**************************************************************最後になりましたが、新年あけましておめでとうございます。昨年よりも更新頻度は落ちると思いますが、本年も「定時制教員のつぶやき」をどうぞよろしくお願いいたします。縁あってここを訪れる皆様と、皆様の近くにいる人たちにとって、今年が良い年でありますように。ゆき
2005.01.01
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