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↑click or tap で拡大画像が開きますブロ友さんがホトトギスが咲いていると教えて下さいました。我が家のホトトギスは余りにも茂り過ぎたため、去年、少しだけ残して抜いてしまいました。確か庭の隅に残しておいた筈・・・。見ると、確かに咲き始めていました。それにしても、見れば見るほどホトトギスの花って面白い形をしていますね。徒然なるままに、改めて調べてみました。
2017.09.30
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☆夜のピクニック・恩田 陸・新潮社・2004年7月30日 第一刷・2005年、第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞受賞。(作者の母校である茨城県立水戸第一高等学校の伝統行事、「歩く会」をモデルにした小説)《あらすじ》北高鍛錬歩行祭は、全校生徒が一斉に学校をスタートし、朝の8時から翌朝の8時まで、80キロの行程をゴール地点の母校を目指し、夜を徹して歩く。夜中の仮眠の時間までの前半は、クラス単位の団体歩行で、後半は自由歩行と決められている。朝から雲一つない青空が広がっていた。西脇融は青空を眺めつつ、学校への坂道を登りながら今日の歩行祭のことを考えていた。「とおるちゃーん」と、後ろから思い切り肩をどつかれた。「いってーな」その痛みに振り返ると、戸田忍が、どついたあとに続けて膝カックンをしようとする気配を察し、融は傷めている膝を庇い慌てて逃げた。忍は今年初めて同じクラスになった奴だが、とてもうまの合う男だった。教室で出席だけ取ると、生徒たちはぞろぞろと校庭に出る。クラスごとに幟を立て、1200名の生徒がクラス順にスタートしていくのだ。甲田貴子にとって高校生活最後の北高鍛錬歩行祭だ。昨夜はよく眠れなかった。校門を出て、坂道を下りながら考えていた。いよいよ来たか、この日が。高校生活最後の行事。そして、あたしの小さな秘密の賭けを実行する日が。彼女は眩しそうに空を見上げる。坂のガードレールの下を、ゴトゴトと貨物列車が走っていく。もう走り出してしまったんだから、後には引き返せない。貴子は、遠ざかる列車を横目で見送った。貴子には西脇融という異母きょうだいがいる。貴子の母、甲田聡子は、20代の時に結婚した夫と商事会社を共同経営していたが、離婚とともに一手に引き受け、そこそこ成功している。貴子は西脇融の父親、西脇恒が聡子と浮気をした際に出来た子供で、聡子はシングルマザーということになる。教師も知らないし、親戚だって知らない人がいるくらいで、周囲からは別れた夫の子供だと思われていた。西脇恒の妻は、二人のことを知っていたようだが、何も言ってくることはなかった。聡子は恒に養育費を請求しなかったし、貴子を生む代わりに彼とは一切関わりを絶ったからである。聡子はとてもオープンな人なので、貴子は小さい頃からその辺りの事情は少しずつ説明されていた。だから、特に引け目に感じたり、ショックを受けたりしたという記憶がない。2人の存在にこだわり続けていたのは西脇家の方だったように思う。高校に入学する前、西脇恒が病気で亡くなった。葬儀のとき、こちらを恐ろしい目で睨みつけていた少年の顔は、今でも脳裏に焼き付いていて貴子の中に残り続けている。だから、同じ高校に入学したと知ったときは憂鬱だった。さいわい2年間は別のクラスだったし、そのうち彼の存在も気にならなくなった。融は融で貴子のことを完全に無視していたから2人の接点は全くなかった。ところが、3年になって同じクラスになってしまった。始業式の朝、張り出された名簿を見て貴子は仰天した。周囲を見回した瞬間、やはり驚いている融とばったり目があってしまった。その時のこともはっきり覚えている。彼女は歩行祭で小さな賭けをすることにした。その賭けに勝ったら、融と面と向かって自分たちの境遇について話をするように提案しよう、という彼女だけの賭けである。けれど、彼女はその賭けに勝ちたいのか、負けたいのか、まだ自分でもよく分からないでいる。貴子には2人の親しい友人がいる。1人は、成績優秀で国立理系志望の遊佐美和子、もう1人は、高1から高2まで同じクラスだった榊杏奈。彼女は帰国子女で、中3~高2まで日本で過ごし、大学入試準備のためアメリカへ行ってしまった。10日ほど前に杏奈から届いたハガキには、もう一度歩行祭に参加したかったと書いてあったが、最後のところで貴子は首をかしげた。そこには、「たぶん、私も一緒に歩いているよ。去年、おまじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して、無事ゴールできるようにN.Y.から祈ってます」と書かれていたのだ。去年のいつ、杏奈はどんなおまじないを掛けたのか・・・。やがて道は緩やかなのぼりになった。丘陵地帯のジグザグ道を、生徒たちの列が歩いていく。ところどころに白い幟が立っているところは、服装に目をつぶれば戦国時代の映画の一場面のようだ。丘の途中まで登ったところで、笛の音が鳴り響き、次の休憩になった。みんながドミノ倒しのように次々と腰を降ろしていく。夜中の仮眠の時間までの前半は、皆元気で賑やかに話しながら歩いているが、未だ未だ先は長い。ようやく前半のゴール地点が近づいてきた頃、貴子は朦朧とした頭でとりとめもないことを考えながら歩いていた。仮眠をとる学校の明かりが見えてきたものの、進まない足ではなかなか辿り着けない。午前2時10分、貴子たちはついに到着した。疲れ切っているはずなのに、校内を歩き回り、顔を洗い歯を磨いている生徒たちには逞しい活気があった。けれど一旦気が抜けてしまうと、ぎくしゃくして歩けなくなる。極限状態を乗り越えて、それぞれが思い思いに過ごしていた。団体行動が終わったいま、自由歩行で歩く生徒同士が集まっているのが目に入る。実行委員が各クラスの幟を回収していた。これから2時間後には再び走り出しているのだ。自由歩行で一緒に歩く貴子と美和子が歯磨きを済ませ、再び体育館に戻ると、もう中は完全な静寂に包まれていた。眠りはほんの一瞬だった。ゴザに頭をつけたと思ったら、次の瞬間、もう2時間経っていた。身体を起こそうにも、全身がみしみしいって、全くついてこない。外はまだ真っ暗で、体育館は皓々とと明かりが点いている。むろん、朝食などない。これから最後の点呼を取り、4時半過ぎにはここを出発するのだ。起き上がろうとして、融はぎょっとした。痛めた左の膝に異様な重さを感じたのだ。そうっと静かに膝を庇いながら立ち上がる。じわじわと不安がこみ上げてきた。自由歩行、これから20キロを歩き通せるだろうか。忍がくれた湿布を半分に切り、膝の前後に貼ると、ひやっとして気持ちいい。サポーターで固定すると、精神的にも楽になった。まだ脳みそも身体も半分眠っているような状態なのに、それでも身体は緊張と興奮で震えていた。貴子の緊張は、混乱でもあった。「西脇君は貴子の異母きょうだいだもの」昨夜、朦朧とした中で聞いた美和子の表情と声が、頭の中に焼き付いて離れない。美和子はいつから知っていたのだろう。静かだった校舎が、再び殺気立った喧騒に包まれていた。校門のあたりを埋め尽くす、人、人、人の黒い頭。もはや、北高の生徒という括りしかない、全校生徒がここをスタートして、ひたすら母校への道のりを目指すのである。時間内に途中のポイントを通過すること、出発後5時間で、校門のゴールを閉じること、それ以降はバスで回収されること。ゴールまでの注意事項が繰り返されていた。ガラガラ声でやけっぱちの校歌が響き、応援団員がドンドンと太鼓を叩く。実行委員の声を合図に、集団は動き出した。忍と一緒にゴールできるだろうか。融の頭の中も不安でいっぱいだ。だが、今は全力でこいつと並んで、行けるところまで頑張ろう。それから先のことは、その時考えよう。忍と一緒なら俺は後悔しない。融は膝のことも忘れて走り続けていた。これから20キロ、歩けるのだろうかという思いを胸に、貴子と美和子も歩き出した。ゴール地点に向かって。貴子は、果たして掛けの結果がどうなるだろうかと思いつつ・・・。☆☆☆☆♧作者略歴1964年、宮城県生れ。早稲田大学卒。92年、日本ファンタジーノベル賞候補作となった『六番目の小夜子』でデビュー。活字でこんなことが出来るのか、という驚きと感動を提供して注目を浴びる。ホラー、SF、ミステリなど、既存の枠にとらわれない、独自の作品世界でたくさんのファンを持つ。♧受賞作品・夜のピクニック 2004年-2005年、第26回吉川栄治文学新人賞、第2回本屋大賞・ユージニア 2006年、第59回日本推理作家協会賞(長編及び短編集部門)・中庭の出来事 2007年、第20回山本周五郎賞・蜜蜂と遠雷 2017年、第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞
2017.09.30
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↑ サルビア・アズレア(スカイブルーセージ)花もツボミもチェリーセージにそっくり。見るからに涼しげなこの花は、なぜか秋になって咲き始めるんです。痩せっぽでヒョロヒョロと伸びて、自分一人では立てません。さりとて、自分から何かに巻きつくでも無し・・・。ちょっと困ったちゃんです。↑チェリーセージ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑菊に蕾が…昨秋、菊花展で買った小菊の小さな苗がツボミをつけていました。花ガラ摘みをしてやれないトレニアやサルビアは、今年は早くに咲き終わってしまいそうです。
2017.09.28
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☆三月は深き紅(くれない)の淵を・恩田 陸・講談社・1997年7月7日・「メフィスト」誌 1996年4月号〜1997年5月号・「このミステリーがすごい!」ベスト10入り★第一章 待っている人々人事課長に呼ばれた鮫島功一は、会長の家で開かれるお茶会に参加するようにいわれた。課長の話では、その二泊三日のお茶会には毎年新入社員が招待されることになっており、今年は鮫島が選ばれたのだ。選抜基準はただ一つ、趣味が読書だと。鬱蒼とした森に囲まれた会長の家は、そこが東京の一等地だとは思えない広さだった。敷地の中には、春、夏、秋、冬の4つの家があり、鮫島が案内された家は、高名な建築家であり、金子の友人だった圷 比呂央の死後、移築されたという冬の家だった。鮫島を迎えたのは、金子会長、鴨志田(銀座の天ぷら屋の3代目)、一色(大学教授)、水越夫人(祖父の代から横浜でホテルを営む)の4人。本好きの彼らは、鮫島そっちのけで一冊の幻の本の内容について熱く語った。本のタイトルは「三月は深き紅の淵を」、作者名もないその本は、世に出回って僅か半年後に回収されてしまったという。金子会長が鮫島に出した課題は、圷比呂夫(あくつひろお)がこの家のどこかに隠したその本を探すことだった。どうしても読んでみたい誘惑にかられた鮫島は必死で考えた。そして。「この本はこの世に存在しないのです」という結論に達した。鮫島の話を聞いた4人は長い間黙り込んでいた・・・。やがて会長が堪えきれずに吹き出すと、それを合図に3人も大声で笑いだした。そして「我々も鮫島くんを騙していた」といい、壁にはめ込まれたタペストリーの片方を無造作に引き上げた。そこにはずらりと同じ背表紙の本が並んでいたのだ。背中で門の閉まる音を聞き、ようやく我に返った。4人の顔など、もう、すっかり功一の頭の中から消え去っていた。いつかきっとあの本を読んでみたい。あの本を手にとって・・・」空はすっかり春の青空だった。鮫島を帰したあと、水越夫人が「本を出して見せてくださいと言ったらどうしょうかと思ったわ」と言い、「こんなことばかりやっていないで、そろそろ本当に書き始めましょうよ」と、ピシリというのを合図に、4人はぞろぞろと台所のテーブルを囲んで座った。執筆会議のために・・・。★第ニ章 出雲夜想曲堂垣隆子=私=編集者同じ編集者である江藤朱音を出雲旅行に誘った。目的を聞かれた隆子は「三月は深き紅の淵を」を読んだことがあるんです。あの本の作者は出雲にいると思うんです」とこたえた。朱音も実はその本を読んでいたという。奇妙なルールに従って…。実際にその本を入手していたのは80人くらい。「所有者は1人だけ一晩のみ貸し出して良い」作者は自分の決めた「掟」を守ってくれる人間をよほど慎重に選択して渡したようで、時代錯誤ともいえるような頑迷さでそのルールは守られた。その結果、時が経つにつれそれは溶解し、手に触れることのできない幻へと変化していったのである。訪ねた家は荒れ果て、その女性はいなかった。近所の人の話では2年前に出ていったきり帰らないという。★第三章 虹と雲と鳥と★第四章 回転木馬じっと我慢で最後まで読み通しはしましたが、最後まで読んでも作者が何を書きたかったのか読み取れませんでした。特に第二章以降は、私にはストーリーが無駄に入り組んでいて、作者の自己満足としか思えないのです。一体この小説はどんな風に読めばよいのでしょう。まとめを途中まで書いてみたものの、とても最後まで書く気にもなれず、お手上げです。最初に読む恩田作品としては本選びを間違えました。次に「夜のピクニック」を読みおえて、ほっとしています。☆一つです。
2017.09.28
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ー 平野いづみさんのはがき絵 ー晩秋 〜 春・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・番外編いづみさんのはがき絵の続編です。たくさん頂いてあった作品は圧倒的に春のものが多く、とてもとても一度に掲載できません。今回は晩秋〜春の作品の一部とをご紹介いたします。いづみさんに聞いてみました。*原画のサイズのこと「はがき絵」は葉書の原寸大、「ゆず」の絵の大半はA4。*彩色のこと基本は手が汚れない色鉛筆。その他にカラー筆ペン。そして筆ペンに黒インキをつけて描かれることもあるとか。*文字 太くて大きい文字は筆ペン、小さい文字は細いサインペンを使っていらっしゃるそうです。楽天ブログでは、2016年2月5日より、JASLAC管理の歌詞掲載ができるようになりました。詳しくは下記の、楽天 スタッフブログをご覧ください。↓ 2016.2.5 JASLAC 管理の歌詞掲載が可能になりました
2017.09.24
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☆旅猫リポート・有川 浩・文藝春秋・2012年11月15日 第1刷発行宮脇 悟(サトル)は、小学校の修学旅行の最中に両親を交通事故で亡くした。母の妹である独身の法子に引き取られることになり、可愛がっていた猫のハチと別れた。判事である法子の転勤に伴い、何度も転校した。東京の大学にはいり、そのまま東京で就職した。車に跳ねられ怪我をしたノラ猫を助けた。ハチによく似たノラはナナと名づけられ、悟のルームメイトとなった。1人と1匹の幸せな生活が5年続いた。悟が30才を少し超えたある日、彼はナナに「一緒に住めなくなってごめんな」と、詫びた。「それじゃ、行こうか」とナナのケージを提げて、銀色のワゴンに乗り込んだ。ナナを引き取っても良いと言ってくれた悟の友人達を訪ねるナナのお見合いの旅の始まりだった。最初は悟の幼なじみであり小学校の同級生の澤田幸介。2番目は中学校の同級生だった吉峯大吾。3番目は富士山を望む果樹園のそばで、ペット可のペンションを営む杉修介、千佳子夫妻だった。いずれもお見合いは成立せず、いよいよ最後の旅が始まった。体力が落ちた悟は、今度の旅はカーフェリーで北海道に向かった。左の肩に旅行鞄をかけ、右手にナナのケージを持った悟は、歩くのが大儀そうだった。両親の墓と祖父母の墓参りをすませ、悟とナナは叔母の法子が待つ札幌市内のマンションに向かった。法子は悟と同居するにあたり、判事をやめて弁護士として札幌市内の法律事務所に就職、悟の病院に近いマンションに転居していた。まるで忠犬ハチ公の猫版のような、涙なくては読めない悟を想うナナの物語。猫好きの方なら、もっと実感を伴って楽しめるのではないかと思いました。
2017.09.24
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出始めの頃のイメージが悪くて、私は久しくパスタソースを買ったことがありませんでした。これは少しでも楽なようにと、娘が買い置いてくれた中のひとつです。食べた感想は一言、美味しかったのです‼︎ご覧の通り、出来上がりの色合いはパッケージの色より白っぽいのですが、味は期待以上でした。今回は細いカッペリーニ(0.9ミリ)を使いましたが、味が絡みやすい平らなフィットチーネや、もう少し太いパスタを使った方が良かったかもしれません。このパスタソースは、東京・銀座「ラ・ベットラ」の落合シェフ監修なのだそうです。調べてみると、落合シェフシリーズのパスタソースは他にもたくさんあるようで、その中に「イカ墨のパスタソース」を見つけました。イカ墨のパスタには懐かしい思い出があって、一気に色々思い出してしまいました。ベネツィアのホテルで食べたイカ墨パスタの味が忘れられず、ミラノのホテル近くのスーパーマーケットで、身振り手振りでイカ墨のペーストを買ってきました。ハマりやすい私は、帰ってから舌の記憶を頼りに作りました。買ってきたペーストが無くなると、今度は元町の輸入食品のお店で似たようなペーストを探し出し、しばらく夢中になって作っていました。そのうち流石に飽きて、以来プッツリ・・・。久し振りに食べてみたくなりました。ー ベネツィアの思い出 ー( 2000年4月18日~20日 )↑サン・マルコ広場若かった…。↑ホテルの窓から見た「フェニーチェ劇場」当時は、工事中でした。↑ゴンドラに乗って↑リアルト橋↑リアルト橋から見た運河・・・・・・・・・・・・・・・・・早朝の船着場は荷物を運び込む船が行き交い忙しそうでした。
2017.09.21
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友人から何より嬉しい品が届きました。私が未だ読んだことがない文庫本を8冊も!佐藤愛子さんの本、面白そう〜♪ 今の私には最高に嬉しいプレゼントです(^∇^)昨日、主人が図書館で3冊借りて来てくれました。これで当分退屈しないで済みそうです。
2017.09.19
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☆いちばん長い夜に・乃南アサ・新潮社・2013年1月30日 発行・芭子 & 綾香シリーズ no.3(完結編)芭子は昏睡強盗罪=懲役7年、綾香は殺人罪=夫の暴力からやっと出来た我が子を守るため夫を殺してしまった。情状が酌量されて懲役5年。子供は夫の両親に引き取られ、綾香には会いたくても会えない存在になった。当初は後悔していないと言い切っていたが、東日本大震災の被災地に通うようになって、肉親を失った人々の悲しみを知り、殺さないで自分が逃げるという選択肢もあったことに気づいた。刑務所にいるときから2人は気が合った。いつも他人の視線に怯えながらも、出所後も助け合い支え合いながら健気に生きてきた。親や兄弟からも見放され、何一つできなかった芭子に、綾香は家事一切を一つ一つ教えてくれた。馬鹿なことを言って笑わせ、いつも明るく振る舞う綾香は、芭子にとっては何でも話せる掛け替えのない存在だった。ある日、たまたま前を歩いていた小さなこどもが、何を思ったかいきなり方向転換をして、いきなり「ねぇねぇ、お母さん!」と、綾香にしがみついた。綾香の顔を見上げてぽかんと口を開けて凍りつくその子に、少し離れた位置から「ほら、ともくん!こっちこっち!」という声が聞こえた途端、ぱっと逃げるように走り去った。話しかけようと、綾香の方を振り向いた芭子は息を呑んだ。さっきまで笑っていたはずの綾香が、一点を見据え血の気さえ失せて見えた。その瞬間、芭子は察した。子供のことを思い出している。そうに違いないと。それからの綾香はいつにも増して饒舌になった。芭子にはそんな彼女が痛々しく見えてならなかった。ある夜芭子は意を決して、渋る綾香から「朋樹」という子供の名を聞き出した。いつもは陽気でお喋りでハラハラさせられることの多い綾香の中には、ぞっとするほどの淋しさのようなものが、深くしっかり横たわっている。芭子の超えた一線と、綾香の超えた一線とは、思っている以上に違っているのかもしれない。理由はどうあれ、人の命を奪い、それを悔やまず生きるのはどんなことなのか、そばで暮らしいながらも芭子には分からない。その暗い淵のようなものの原因の一つが、生き別れになった子どもにあることは間違いないと思われた。探してみよう、私が。これまでの長い年月の間に聞いてきた生まれ育った実家のある地名、家族で暮らした家のことなどが、ぽこりぽこりと、浮かび上がってきた。思い出したことを次から次へと箇条書きにして、インターネットで調べ始めた。仙台へ行こう。そして何かの手ががりを探してこようと心に決めた。とにかく仙台に行く。*その日にかぎって2011年3月11日。窓際の席に座った芭子は、朝陽に輝いている東京の街を眺めていた。隣の席は、背広を着た普通のサラリーマン風の男性だった。いかにも旅慣れた様子で、足を組んで新聞を読んでいた。芭子が乗った新幹線「はやて」は、午前9時少し前に仙台駅に到着した。綾香が卒業した高校では、規則で個人情報は教えられないと断られた。市立図書館で、古い新聞記事から事件の記事を見つけた。読んでいる途中、涙で新聞記事が読めなくなった。記事に書かれていた、綾香が住んでいた家近くの喫茶店で朋樹の消息を聞いた。朋樹を引き取った祖父母は、相次いでたおれ、終身介護付きの施設に入った。育てられなくなって乳児院に預けられた朋樹は、養子縁組で外国に出されたという。朋樹が預けられていた養護施設に行こうと駅前まで戻った芭子を、あの大地震が襲った。仙台駅に戻ろうにも地下鉄は動かない。やっと来たバスに乗り、ようやく仙台駅まで辿り着いた。新幹線も動いていない。タクシー乗り場に並んでみても無駄足だった。先ずは食料確保と、薄暗がりの中で売られていたペットボトルの飲料とスナック菓子類を手当たり次第に千円分買い、道路標識と人の流れを頼りに歩き続けていたとき、まだ電気がついている銀行のATMを見つけた。このまま仙台で足止めを食らうとなると手持ちの3万円では心許ない。いざという時には現金を持っていないといけないと言っていた綾香の言葉を思い出し、10万円を引き出した。日が暮れるといよいよ寒さは厳しくなった。途方に暮れかせているとき、そのホテルの前に差し掛かったのだ。「食べ物を用意してあります。よろしかったらあちらで休んでいってください」化粧室を借りて懐中電灯を元の場所に返そうとしたとき声をかけられた。大きいホテルではなかったが、広々とした宴会場のテーブルには一口サイズにまとめられたオードブルなどが並べられていた。芭子は湯気の立つスープと小ぶりのホテルパンを手に取り、なるべく人のいない椅子に腰かけた。携帯も繋がらない。夜が更けるとシンシンと冷えてくる。余震が続いている。帰らなきゃ。何としても。そんなとき、同じテーブルに座っていた男性が「今朝、7時くらいの新幹線に乗っていませんでした?」と話しかけて来た。今朝、隣の席に座っていた男性だった。彼の方はサラリーマンばかりの時間帯に芭子のような女性は珍しいので覚えていたという。話し相手が欲しかった。ずっとこわばっていた顔の筋肉がゆるみ、我ながらいつもと違う口調になっているのが不思議だった。9時半を回った。その間に数え切れないほどの余震にに見舞われた。先ほど席を立った男性が帰って来た。外に立って、やっと通りかかった空車を無理矢理止めたいう。運転手は、LPガスが残っていないから福島までなら乗せていいという。お金が足りないから、一緒に帰る気があるなら立て替えてもらえないかという。ホテルの人たちに「ご無事で」と送られ出発した。ラジオからは災害状況を知らせるニュースが絶え間ない緊急地震速報に紛れて流れていた。6時間以上前のメールが届き始めた。ようやく辿り着いた福島市の中心地は、駅の周辺だけ、まるで何事もなかったかのようにイルミネーションまで輝き、その明るさが痛いほど瞼に沁みた。ここまで送ってくれた運転手が、次のタクシーを見つけて来てくれ、「お互いに生き延びましょう」と言って仙台に戻っていった。次に乗ったタクシーの中で住所と電話番号、メアド、名前を交換した。ようやく根津まで戻ってきた。タクシーを降りるとき、最後に彼は「インコが無事だといいね」と、そう言った。両手に千円分の仙台みやげとコンビニで買ったカップ麺の袋を下げ、路地を回ったところで、突然「芭子ちゃん!」と、綾香が飛びついて来た。仙台から一緒に帰って来た彼の名は南祐三郎といい弁護士だった。南と過ごす時間は楽しかった。それだけに隠しているのが苦しくなった芭子は、過去を全て話した。嘘を突き続けて、この人をだまし続ける方が、きっと苦しいだろうと思うから、どうしてもここで覚悟しなければならなかった。南は、芭子の過去を知っても尚、芭子と付き合いたいと言ってくれた。今の、そしてこれからの芭子を見ていきたいと言った。全く混乱していないと言ったら嘘になる。だから、出来るだけ時間をかけたいと思っている。僕自身のためにも、小森谷さんのためにも。互いの気持ちを確かめ合ったとき、南はそう言った。弁護士である彼がそう言うと、余計に現実の重さが感じられた。でも、だからって一生やり直しがきかないものだとも思っていないとも・・・。お互いを理解しあい、本当に信頼し合い、心を寄り添わせるには、それなりの時間が必要だ。南の言葉は、よく理解できた。慌てずに。ゆっくり。それから2人は合言葉のように言い合っている。芭子のおかげで息子のことを知った綾香は、パン屋をやめ被災地に通い詰めるようになった。そして、震災から一年経ち、綾香は気仙沼でパン作りの修行を始めることになった。老舗のベーカリーがようやく店舗を再開する目処がつき、一緒に働かないかと誘ってくれ、綾香は死ぬ覚悟で、過去を打ち明けたのだという。主人夫婦は、よく打ち明けてくれたと背中をさすり肩に手を置いて、綾香のために涙を流してくれたという。そして、とうとう綾香は行ってしまった。もうすぐクリスマスがくる。いま、芭子は南と綾香のためにマフラーを編んでいる。芭子 & 綾香シリーズ no.1 いつか陽のあたる場所でno.2 すれ違う背中をno.3 いちばん長い夜に
2017.09.19
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☆いつか陽のあたる場所で・乃南アサ・2007年8月20日 発行・新潮社・芭子&綾香シリーズ・ No.1・初出誌一覧 同じ釜の飯 小説新潮2005年9月号 ここで会ったが 小説新潮2006年4月号 脣さむし 小説新潮2006年10月号 すてる神あれば yom yom ヨムヨム vol.2♣︎小森谷芭子罪状=昏睡強盗罪、懲役7年。29才。世間知らずの女子大生だった頃に愚かな恋愛をした。相手がホストだったばかりに、彼に貢ぐために家族の財布から札を抜き取り、消費者金融で借金を重ね、挙げ句の果てに見知らぬ男をホテルに誘い出しては薬で眠らせ、財布を抜き取るという行為に出た。20代の全てを溝(ドブ)に捨てたことになる。現在、祖母の遺してくれた古家に住む。近所の人は、祖母の嘘を信じて海外留学していたと思っている。♣︎大芝綾香(あやか) 罪状=殺人、懲役5年。41才。田舎の地方都市のOLから20代で専業主婦となり、その後は夫の暴力に耐えながら流産を繰り返した。ようやく授かった子供にまで夫の暴力が及びそうになったところで、ついに夫の命を奪った。その結果、赤ん坊だった我が子は夫の実家に預けることになり、彼女はそれまでの人生の何もかもを失った。刑期は情状が酌量されての温情判決だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・《あらすじ》刑期を終え出所した小森谷芭子と大芝綾香。2人は東京の下町、谷中で肩を寄せあう様に暮らしている。2人が知り合ったのは刑務所だった。同房の受刑者の中には、実に様々な女たちがいた。そんな中で、綾香と芭子は何となくウマが合った。綾香となら、何でも話し合える。人に知られたく無い体験を共有しているし、それぞれの過去と心の傷を十分に承知しているという絆がある。年は一回りも違う。育った環境も、性格も、好みも何もかも違っているが、今の芭子にとって、綾香は世界中でただ1人の心の拠り所だった。綾香は、いつかは自分の店を持ちたいと、毎朝夜明け前から起き出して、パン職人の修行に明け暮れている。そんな日々のなか詐欺にあい、それまでこつこつと貯めてきたお金をすっかり持っていかれた。以来、ますます倹約家になった。芭子は、祖母が残してくれた古屋に住む。月曜日から金曜日まで、自転車で5分とかからないオレンジ治療院で、受付スタッフをしている。ここは求人情報誌で見つけた。学歴年齢経験不問。時給は安いが住まいからも近かったし、あまり大きくないところなのが気に入った。当初は家でできる仕事を探したが到底生活できるだけの収入を得るのは難しい。それは、社会人としての経験もない、技術も資格も持たない芭子がようやく見つけた仕事だった。けれど、その仕事も院長のセクハラに耐えきれずに辞めることになった。ある日、弟の尚之が、芭子の住む家の権利証と有価証券。定期預金の口座に3000万円が入った芭子名義の預金通帳を持ち訪ねてきた。渡すにあたっては、これから一切小森谷の家に関わらないという覚え書き、推定相続人廃除届、にサインをしてもらうことが条件で、尚之が結婚するにあたり家族皆で話し合って決めたことだという。小森谷の家からは、芭子という存在はかき消された。やがて、芭子の幼い時からのアルバムや大好きなスヌーピーの人形、芭子の大好きだった一対の雛人形、文房具、アクセサリーなどが送られてきた。一緒に入っていた尚之の手紙を見つめながら、芭子は何度も何度も「さようなら」と呟き続けた。結局、あの人たちも、喪ったんだ。たった1人の娘を。姉を。家族を。初めてそのことに思いがいった。あの頃、芭子は家族の存在など忘れ果てて、犯罪に走った。もしもあのとき、ほんの一瞬でも両親や弟の顔を思い出していたら、あんな馬鹿な真似はしなかったと思う。その結果、家族の目の前で手錠をかけられることになった。あの時点で家族を捨てていたのは、芭子自身の方だったのだと気がついた。赤の他人と近所の人に見守られ、私はここで生きていく。綾香と肩を寄せ合って。それしか残された道はないと、心に決めた。芭子 & 綾香シリーズ1.いつか陽のあたる場所で2.すれ違う背中を3.いちばん長い夜に
2017.09.17
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エンゼルストランペット↑左手↑ まん中↑右手夏の盛りにも咲いていましたが、今の季節が一番見事です。この花、隣り合う二軒の家で一緒に咲いています。ずらりと並んで咲いている様子は壮観です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・萩 去年は花が少なくて寂しかったのですが、今年はツボミをいっぱいつけています。頭上から滝のように長く垂れ下がって見事です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・白式部 & 紫式部 昨日、ドジをして背骨を痛めてしまいました。第1腰椎の圧迫骨折だとのこと。お医者様に、前屈みの姿勢は厳禁、お辞儀をしないで威張っていて下さい(笑)、と言われました。痛みがほとんど無いのが救いですが、骨が固定するまでコルセットをして固定していなければいけないそうで、何かと不便です。そんな訳で、今年は秋の花の追っかけは諦めました(;_;)
2017.09.16
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↑山門・横浜市指定文化財(江戸末期に建てられたもの)↑銀杏がたわわに実ってました↑山門から見た参道↑本堂・横浜市指定文化財 ↑鐘楼・横浜市指定文化財↑観音堂↑右手・本堂↑参道の彼岸花今年はやめようと思っていたのですが、やっぱりどうしても見たくなり、午後から大急ぎで行ってきました。昨日掲載された開花状況では、赤の見頃は来週初めごろでしょうとありました。ところが、行って見て吃驚! 赤とピンクは咲き始めたばかりでしたが、ご覧のように、赤、白、黄、ピンクの4色が揃って咲いていました。何度も行っていますが、こんな風に4色同時に見られたのは初めででした。真言宗 西方寺 公式ホームページ
2017.09.13
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ルドベキア・タカオ & ジニア昨日、スーパーの近くの花やさんで、‘ルドベキアタカオ’を見つけました。来春まで待てばブロ友さんが苗を下さるとのことでしたが、それまで待てずに思わず買ってしまいました。前から欲しいと思いつつ、我が家の庭に合わない色かな…と、これまで躊躇していました。心境の変化で、来年は、ビタミンカラーの赤や黄色、オレンジの花を増やそうと思っています。先ずは手始めにルドベキア・タカオから…。宿根草で種からも増えるらしいので、とりあえず一株だけ…。黄色と相性のよい紫のトレニアの中に植えてみたらバッチリ‼︎ 小さい苗なので、果たして無事に冬を越してくれるかどうかが気がかりですが…。春になったら、黄花コスモスの種を蒔いて〜♪と、今からワクワクしています。(オレンジと白のジニアの写真は、散歩道の家で咲いていた花を写させていただきました)
2017.09.11
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ー 公園の花 ー蔓穂(ツルボ)家の直ぐ近くの公園の「蔓穂(ツルボ)」が咲き出しました。嬉しいことに年々増えて、花の列が長くなっています(^∇^)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 庭の花 ー↑紫蘇の穂が…今朝は7輪咲きました。今年一番の花の数です。嬉しいことに種がいくつかできています。・・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・百日紅の二番花最初の花が終わったあと、思い切って今年の新芽を全て切り戻したら、また新しい枝が伸びて咲き出しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・撮影日:9月8日隣家の庭の彼岸花のツボミが、ぐんぐん伸びて来ました。一足早く芽が出たこの一角は1~2日中に、一斉に咲きそうです。
2017.09.09
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☆植物図鑑・有川浩・平成25年1月10日 初版発行・幻冬舎文庫( 2009年6月 角川書店より刊行 )別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。文豪・川端康成はそんな言葉を残したそうだ。さやかは小さく溜息をついた。別れたとも言い切れないんだよなぁ、あの男は。何しろー。いきなり消えたまま行方が分からないんだから。樹木の樹と書いてイツキと読むんだ。さやかが彼から直接聞いた個人情報はそれだけだった。出会ったのはまだまだ夜が凍りつく、冬終わりかけの休日前夜。終電ギリギリの飲み会帰り、朧月が出ていた。ほろ酔い加減でマンションのポーチに近づいたとき、植え込みに放置してあるそれをみつけた。顔をしかめて大きなゴミ袋に近づいたさやかは大ききな悲鳴を上げた。遠目にゴミ袋と見えたのは、リュックを背中に丸くなって転がっていた人間だった。頬をつつかれうっすら目を開けたのは、同年代の、結構いい男。さやかの問いかけに「行き倒れてます」と応えた。手持ちの所持金を使い果たし無一文。お腹が空いて一歩も動けないという。男が警戒心を感じさせなかったせいだろう、同情したさやかはいつの間にか男の前にしゃがみ込んでいた。と、男がぽんと膝に丸めた手を載せ「お嬢さん、よかったら僕を拾ってくれませんか。咬みません、躾のできたよい子です」と言った。彼の言葉は、まるで「犬」のお手みたい、と考えていたさやかのツボにはまり、笑いが止まらなくなった。今にして思うと、この瞬間をして魔が差したと言うのだろう。さやかに支えられやっと辿り着いたさやかの部屋で、カップラーメンを食べた「大きな犬」は、ごちそうさまでした、と深々と頭をさげた。翌朝、さやかが目を覚ますと、ささやかな朝食の支度が出来上がっていた。おかずは、盛大に芽が出ていた死亡寸前の玉ねぎを使ったオムレツ、味噌汁もタマネギに卵と、男がかろうじて発掘した食材のみで構成されたメニューである。「おいしい…」一口すすった味噌汁は、体に滲み入るようだった。彼は身支度を済ませ、寝袋を片付けはじめた。ベットの上で三角座りをしながら眺めていたさやかは、自分でも何故だがわからないまま「ねぇ、行く先ないんなら……ここにいない?」そんなことを口走っていた。「おれは一応男だよ」という彼に、「拾ったら情が移るじゃない、このまま出ていかれたら、それでもう2度と会えない人になったら寂しいって思っちゃったのだから仕方がないじゃない!……」彼が根負けしたように小さく笑う気配がした。「…待遇は?」「住環境と生活費の管理権」「住環境の中に布団って入る?」「客用布団があるから専用にしていい」「分かった」家計の支出はさやかが持つ代わり、イツキがハウスキーパーを引き受けることになった。2人の風変わりな同居生活が始まった。やがてイツキもバイトを見つけて生活のサイクルがすっかり落ち着いた。同居して一ヶ月。さやかはイツキを異性として意識している。それは認めざるを得ない。だが、イツキの方は相変わらず「躾のいい犬」で、紳士的で、同じ年頃の女と一つ屋根の下で暮らしながらこの一ヶ月間そんな気配一つ感じたことはなく、ごく理性的に「契約通り」のルームシェアをしている同居人だ。大事にされている。同居人として。それで満足するべきだ。日付の変わる頃、イツキはマフラーと手袋をしてコンビニのアルバイトに向かう。イツキは植物のことがやたら詳しい。名前しか知らないこの男は一体ナニモノなんだろう。一体どこから来たのだろう。週末は「狩」を兼ねた散歩に行くようになった。イツキは植物の名前だけでなく料理も上手だ。摘んで来た野草を手際よく調理する。茹でこぼして切り揃えたセイヨウカラシナは、ベーコンやノビルと一緒に炒めパスタに。ノビルの根の先の白い玉がアクセントになって、パスタは絶品と言える料理になった。苦労した割にツクシは報われない味だったり、フキトウの味噌漬けは美味しかったけど天ぷらは苦過ぎて素人にはキツかった。たんぽぽの花と葉は天ぷらになって出て来た。さやかはイツキに教えられながら、一つ一つ覚えていった。週末ごとにイツキと一緒に「狩」に行くのが楽しみになった。さやかが夢中で摘んでいるとき、イツキは高価そうなデジカメで夢中でシャッターを切っている。データは軽量のノートパソコンに取り込んでいるという。行き倒れていたくせに高価そうなデジカメを持っているわ、軽量ノートは持っているわ、その落差も訳が分からない。同じ部屋に住んでいるのに未だに謎がぼろぼろこぼれてくる。厳しい残暑を乗り越えてようやく秋が来た。やがてハナミズキの実が真っ赤に色づく季節になった。最近、ふと気がつくとイツキに見つめられていることが増えた。「何?私の顔、何かついてる?」というと「ううん、さやかはかわいいなぁと思ってさ」そういうときのイツキはまともに見返せないほど優しい顔をしている。やがて、ハナミズキもすっかり丸裸になった。これからどんどん冬になる。ある日、いつものリズムでチャイムを鳴らしてもドアが開かなかった。自分で開けて入ると、部屋はしんと静まり返り、明かり一つ点いていない。さやかは悟った。寝室に入ると、イツキが来る前のレイアウトに戻っていた。居間のテーブルの上に封筒とノート、そして部屋の合い鍵が一本載っていた。ノートにはイツキが作ってくれたレシピがびっしり書かれていた。封筒の中には一筆箋が一枚と、さやかの写真が3枚。「ごめん。またいつか」それだけが隠しきれないイツキの未練だった。本当はもう分かっていた。いつまでもこのままではいられない。…イツキはどこかで何かを決断したのだ。さやかは泣いた。自分の中にこんなに水があるとは知らなかった。全部涸れて死んでしまえいいと思った。さやかは、イツキがもう一本の合い鍵を持っていることに望みを託していた。春が過ぎ夏がやって来た。ある日、書留が届いた。中から部屋の合い鍵が一本と一筆箋が一枚…。「ごめん。待たなくていいです」イツキは嘘が巧くない。こんなときにもさよならと書けない。こんなに未練を溢れさせておいて、待たなくていいだなんて。分かりやすい嘘つかないでよ。その日は久しぶりにたくさん泣いた。待ちたいだけ待とうと割り切ってから気持ちが楽になった。いま、さやかは2人で行った場所へ1人で「狩」に行く。そしてレシピを見ながら一つ一つ料理を作っている。
2017.09.09
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写真展会場風景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・磯子区最古の遺跡汐見台遺跡と出土物( 磯子台紅取遺跡の撚糸文土器は、1万年前の縄文早期 )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和41年 国指定史跡三殿台遺跡縄文・弥生・古墳時代にわたり、250戸の縦穴住居跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…室の木古墳跡( 石野氏調査で径約30mの横穴式古墳と推定 )区内久木町にあった古墳。昭和8年宅地工事の時発掘された。7世紀初め頃の造成だが、6世紀半ば以後に大和朝廷の支配下にあった豪族の墓と考えられている。室の木はヒノキ科のネズの木(ネズミサシ)のこと。↑室の木古墳跡付近 (右手奥=浜マーケット)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉田八幡神社源義家が康平6年(1063)8月、前9年役の戦勝祈願を込めて京都の石清水八幡宮を勧請して創建、同時に父頼義は鎌倉由比ガ浜に鶴岡八幡宮の元宮である鶴岡若宮を建立した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・氷取沢高倉明神跡氷取沢大谷部落の鎮守は高倉明神であった。建暦3年(1213)秋、源実朝は家臣を伴い氷取沢を散策した。高倉明神に詣で詠んだ歌が「野辺に出てそぼちにけりな唐衣着つつわけゆく花のしづくに」といわれる。(大岡川源流域といっしんどう広場の中間)横浜南部を領有した鎌倉御家人 平子氏鎌倉御家人平子氏は平安終期(1100年頃)、三浦為通の三男通継が平子郷(磯子区、南区、中区の一部)を領有し、久良岐三郎と称したのが始りという。平子有長は元暦元年(1184)磯子の真照寺を再興し、弟石川経長は正安元年 (1171)南区宝生寺を創建したと推測される。平子氏は永正13年(1524)頃、後北条氏の当地進出を機に越後に退転し上杉家の家臣となるまで、約400年間この地を領有した。なお、一族は1197年周防国仁保庄(現山口市)の地頭となって補任、大内氏から毛利氏の家臣となり、萩で幕末を迎えた。今も東京に39代が在任する。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・磯子の真照寺真照寺は元暦元年(1184)源頼朝の御家人平子有長が再興したといわれる。有長は建久4年(1193)、頼朝が富士の裾野で巻狩りをした折、蘇我兄弟の仇討事件に際し、蘇我十郎と最初に切りむすび疵を負った。また、京在住中に無断で官位を授かり、頼朝の怒りに触れたが、源頼朝の2度の上洛に隋兵となる。(吾妻鏡)↑昭和30年頃の本堂横浜市指定文化財・毘沙門天像・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平子氏と南区宝生寺南区堀之内の宝生寺は平子有長の弟石川経長が承安元年(1171)に創建し、付近には石川氏の館があったといわれる。真言宗の寺で、一時期には50以上の末寺を抱えていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡村天満宮草創の由来は、建久年間(1190~99)鎌倉の荏柄天神を信仰していた頼朝の家臣(平子氏?)が、京都北野天満宮の分霊を遷してこの地に建立したという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東漸寺杉田の東漸寺は正安3年(1301)、北条宗長が開基となり創建された。同年建立の仏殿は県重要文化財。永仁6年(1298)鋳造の梵鐘(永仁の鐘)は国の重要文化財。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・間宮氏の起源間宮氏は近江源氏佐々木氏の庶流で、伊豆田方郡間宮村を領有した間宮信行を租とする。その孫信冬は北条早雲の家臣として活躍した。信冬の子が信盛である。永正7年(1511)権現山合戦。(上杉と北条早雲との戦)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・根岸飛行場跡↑昭和22年の根岸飛行場付近の空中写真(Google Map)↑根岸飛行場跡に建てられた史跡表示版・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ベルムドック跡 (木造船所跡)磯子橋 上流にあり、この奥に、高峰秀子と結婚した松山善三の実家(大入産業)があった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑天神橋やや上流に残るかつての船着き場伊勢佐木町あたりの旦那衆がきれいどころを連れて、ここで下船し、今も残る天神道を通って岡村天満宮に詣でた、という。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑堤磯右衛門夫妻の墓堤磯右衛門は日本初の石鹸を作った人。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑間坂トンネルの図面(葛城峻氏提供)↑大正12年 大震災横死者碑 偕楽園関東大震災のとき、崖崩れのため死亡した偕楽園の11名の従業員の慰霊碑。(所在地:金蔵院墓地)今回は地域限定の話題ですが、ラジオ体操会の先輩、吉富和彦さんの写真展のご紹介です。吉富さんは90才になられた今も、頭脳明晰、心身共にとてもお元気で、尊敬する人生の大先輩でもあります。ここでご紹介した写真も、全てご自分で出かけて撮影、パソコンを駆使して全てご自分で資料をまとめて展示されています。(なお、吉富様はここに登場する平子氏の末裔でいらっしゃいます。)私がしたことといえば、会場て撮影した数枚の写真と、吉富さんがメールで届けて下さった写真と資料を元に、ただブログ用に編集しただけです。ラジオ体操のお仲間に入れて頂いたおかげで、私も自分が住む町のことに興味を持つようになりました。せめてものお手伝いさせて頂ければ、と思い、勝手に広報班を引き受けています。
2017.09.06
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平野いづみさんのはがき絵秋の花を中心に ー 歌に背景を添えて ーお花ちゃん、伊豆の佐太郎、みだれ髪、雪の渡り鳥。むかし懐かしい歌に、いづみさんオリジナルの絵を添えて。まさに「平野いづみワールド」です。花の絵だけでなく、このシリーズは、いづみさんお得意の分野です。楽天ブログでは、2016年2月5日より、JASLAC管理の歌詞掲載ができるようになりました。詳しくは下記の、楽天 スタッフブログをご覧ください。↓2016.2.5 スタッフブログ ↓2016.2.5 JASLAC 管理の歌詞掲載が可能になりました
2017.09.03
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☆空飛ぶ広報室・有川 浩・幻冬社文庫・平成28年4月15日 初版発行・ダヴィンチの「ブック・オフ・ザ・イヤー 2012」 小説部門小説部門第1位のドラマティック長編。 (単行本=2012年夏 刊行)航空自衛隊広報官空井大祐、帝都テレビディレクター稲葉リカ。苦悩しながら成長してゆく2人の姿を縦軸として、普段知られていない自衛隊の存在意義や活動内容を描いた作品。☆☆☆☆☆=個人的な感想♣︎空井大祐二尉=市ケ谷 航空幕僚監部広報室子供の頃からブルーインパルスに入るのが夢だった。航空学生で入隊、10年もパイロット一筋でやってきた。そして、これも子供の頃から絶対これだと決めていた「スカイ」という戦闘機パイロットとしてのタックネームも手に入れた。ブルーへの道程は長く険しくとも、彼にとって決して踏破できない目標ではなかった。それから5年…。順調に階級を上げ、ようやくブルーインパルスの内示が出ていた28才の春だった。彼には何ら落ち度のない交通事故の被害者となった。事故の後遺症は日常生活には問題ないまで回復したが、F15を駆る戦闘機パイロットとしては到底足りなかった。結果としてパイロット資格剥奪となった。♣︎稲葉リカ=帝都テレビディレクター、元はサツ回り記者。自衛隊嫌い。 ジャーナリストになるのが子供の頃からの夢だった。入社後の配属は希望通り報道部の記者だった。たとえ相手が嫌がっても群がり、食らいついてマイクを向け、そうして見えてくる真実があるのだという上司の訓話をまともに受け止め、体当たりで泥を被った。同期に大きく水をあけ、リカは有望な新人として高く評価された。ところが、入社3年頃から強引な取材が問題になった。評価を取り戻そうとすればするほど裏目にでた。そして5年目の今年、報道部の『記者』から帝都イブニングの『ディレクター』に配置換えになった。♣︎その他の登場人物・市ケ谷 航空幕僚監部広報室鷺坂正司一佐=広報室長、比嘉哲広一曹=広報歴12年(空自広報のエキスパート)、片山和宣一尉、柚木典子三佐=紅一点、槇 博己三佐《あらすじ》1.勇猛果敢・支離滅裂やっと手に入れたと思った子供の頃からの夢を、突如として断たれてしまった空井大祐二尉。呆然としつつ迎えた29才の4月、築城基地から防衛省航空自衛隊航空幕僚監部広報室への転勤の辞令が下った。空井の勤務先は庁舎A棟19階、航空幕僚監部広報室である。空井が市ケ谷に転勤してから2週間が経った。不本意な異動に加えて、気に食わない自衛隊特集の担当になった稲葉リカ。リカにとって自衛隊とは、曖昧な位置付けで存在を許されている日陰者というイメージだった。そんな組織の担当にされるなど、ますます干されたという意識しかなかった。ことにメインで引き受けた空幕広報室への当たりはきつくなり、半ば八つ当たりのように、こらえる彼らを試すように挑発的な発言を繰り返していた。どうせ何を煽っても反論などしてこない、と侮りはじめていたところだった。人を殺したいなんて思ったこと、一度もありません! 怒りを籠めた声に横っ面を張られたかと思った。憤りと悔しさのにじんだその深刻な声に、自分でも意外なほど動揺した。置かれた立場をはき違えていた自分を、いきなり目の前に突きつけられた。大義名分を持たない状態で受けた怒りに心が竦んだ。相手は怒ると同時にひどく傷ついていた。自分は記者としてではなく、稲葉リカ個人として、空井大祐という個人をこれほどまでに傷つけたのだという事実に気がついた。それは自分が加害者になった衝撃だった。広報室のベテラン、比嘉一曹の言った「自衛官も人間なんです」あなたと同じように。それまで何を投げつけてもニコニコ受け流す最高峰と思っていたが、そのとき初めて諭された。空井のことを詫びながら、遠慮がちに。たった一言のその訴えは、言葉をどれほど尽くされるよりもリカの後ろめたさを暴いた。さりとて、仕事から逃げるわけにもいかない。先日は比嘉に取りなされてうやむやのうちに帰った。それ以降初めて訪れる広報室は、リカにとってかなり敷居が高い。今さら悔やんだところで遅い。広報室に通され、空井がお茶を持って来た。「先日は申し訳ありませんでしたっ」押し切るように言い切り頭を下げる空井に、「いえ、こちらこそ・・・。理解が足りなくて」とリカは口の中で謝罪のような謝罪でないようなものを転がす。そんなリカに、空井は「稲葉さんに理解してもらうことが僕の仕事なんです」と、せがむかのように申し出た。こんな意欲的なタイプだったろうか。同じ場面を経て、自分はまだうだうだしているのに、空井はもう立て直したのだ。リカは置いていかれたと感じた。空井が「どうして自衛隊がそんなにお嫌いなのですか」と聞いた言葉は、逡巡しながらにしては、ド直球だった。2.はじめてのきかくしょ3.夏の日のフェスタ4.要の人々*.あの日の松島稲葉リカが空井を中心とした空幕広報室のドキュメンタリーをまとめた一年後、空井は空幕広報室から松島基地に異動になった。第4航空師団司令部管理部渉外室で、引き続き広報を担当するという。空井の送別会のあと「いつか松島で」と指切りだけして別れた。そして、東北をあの震災が襲ったのは、その半年後だった。リカは帝都テレビの本社ビルでミーティング中だった。十数分ほども続いた不気味な揺れがようやく収まり、報道局から地震についての情報が入り始めた。他社の放送もモニタリングするなか、NHKの恐ろしい津波の映像が流れはじめた。モニターを囲む数十人が、凍りついた。リカは報道局に詰め、次々と飛び込んでくるニュースを原稿にまとめる。そして、そのニュースは突然リカの前に躍り出た。「航空自衛隊松島基地、水没。基地は音信不通」空幕広報室の誰かに詳細を聞けないかと思いついた。携帯を取り出すと、家族からの安否確認に混じって空井からのメールが2通届いていた。1通目は『無事です』2通目は『F–2が全部流れちゃいました』泣き顔の顔文字が付いていた。震災から10ヶ月後、特集番組の取材のため、リカは一人で松島基地に向かっていた。リカがチーフディレクターを務める新番組の次回のロケでは、3・11の災害派遣で注目が集まっている自衛隊を取り上げることになり、空自パートでは母基地の水没が話題となったブルーインパルスを特集する。「いつか松島で」その約束がこんな形にるとは思っていなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 作者の「あとがき」より ー本当ならこの本は、2011年の夏に出る予定だったそうです。ところが、その年の3月に東日本大震災が起こり、ブルーインパルスの母基地である航空自衛隊松島基地は大きな痛手をうけました。この震災は航空自衛隊の広報を題材にして書いたものであり、作中でブルーインパルスのことにも触れています。作者は、松島基地の、そして空自広報の3.11に触れないまま本を出すことはできないと判断。出版社の同意を得て一年遅れたのだそうです。自衛隊三部作{*塩の町(陸自)、海の底(海自)、*空の中(空自)}に続く自衛隊シリーズ作品(*=既読)荒唐無稽なストーリーの三部作と違い、この作品は読み応えがありました。☆☆☆☆☆=個人的な感想
2017.09.03
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普通は「読書の秋」といいますが、私にとっては猛暑日が続く真夏が読書シーズンなのです。毎年夏は引き篭もりを決め込んで、読書三昧の日々を過ごしています。ところが、今年は読みたいと思える本に出会えなくて困っていました。七月に読んだのは、池井戸潤さんの「アキラとあきら」の一冊だけ。そんなとき、katananke05さんが、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」のことを教えて下さったのです。初めて聞く名の 作家さんでしたが、読み始めるとたちまち宮下奈都さんのファンになってしまいました。たて続けに、ふたつのしるし、太陽のパスタ 豆のスープ、田舎の紳士服店のモデルの妻、スコーレ・No.4と、5冊読んだところで、小休止・・・。図書館へ通ううちに、しばらくご無沙汰していた、乃南アサさん、有川浩さんの棚で、未読の本が次々と見つかり、うれしい悲鳴を上げて上げています。結果的に7月に読んだ本は1冊だけ、8月は7冊となりました。
2017.09.01
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