2006年04月11日
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カテゴリ: 回想生活




伊丹空港のロビーにある「551」で、まずは腹ごしらえである。葱ラーメンである。非常にあっさりと淡白な味であるが、後でラー油と葱の辛さが効いてきて額に汗を滲ませながら搭乗手続きに向かうのである。


そしてテイクオフ。本日は、あいにくの雨模様である。機内のアナウンスによれば、東京も雨だという。ルーツを辿る活動の日なのに鬱陶しいのである。


羽田空港から京急~山手線と乗り継ぎ、JR目白駅で降りる。かつて30年前、ワタシはこの街に住んでいたのである。駅前の風景を見渡すと、おぼろげながら当時の景色が脳裏にダブる。


どしゃ降りであるが、ともかく傘を差して街に出るのである。


少し歩くと、駅前からの通り沿いに見覚えのある教会が現れる、おぉ、これはワタシが日曜学校に通わされていた教会である。たしかイエス様誕生か何かの寸劇でロバの役(?)みたいなのをやった覚えがある。


住宅街を入っていくと、突然、森の中の公園が現れる。そういえばここは家族で時々遊びにきた公園である。


そして、思い出した!ある日、公園につながるこの坂道をワタシは「わーいこうえんだー」と叫びながら調子に乗って勢いよく駆け下りてそのまま前のめりに転倒して前頭部を地面で思い切り強打し、額がバカーっと大きく割れてしまったのだ。血まみれのワタシは父親に抱えられて担ぎ込まれた近所の病院で10針ほど縫う大怪我をしたのだった。この地面の丸い形の穴に靴が挟まって転んだのだが、ははーこれは当時の記憶そのままである。


あー、徳川黎明会の事務所である。覚えてる、覚えてる。これは徳川家の末裔が代々の美術品などを収蔵管理する組織なのである。ここを通ると、住んでいた家はすぐ近くである。


住宅街を、奥へ奥へ。この辺りは昔から、いかにも目白という感じの大邸宅と庶民の長屋などが混在している不思議なエリアである。30年ぶりに来ると、かつてはなかった小洒落た高級億ションも時々目に付く。


おぉー、あった!転勤族の父と我々家族が当時住んでいた会社の社宅棟が当時のままである。恐る恐る敷地内に勝手に入ると、この棟にはもう人は住んでいないようであった。向かい側に新しいマンション風の建物が立っていたので、おそらく社宅は現在それに移ったのだろう。


それを通り過ぎてさらに進むと、これまた見覚えのあるオンボロの踏切に出た。そうそう、この踏切を渡って向こう側が小学校へと続く通学路なのであった。


途中、記憶が曖昧で交番で道を訊きつつ歩いていると、うわー、出た!小学校の敷地の角。昔はこんな場所に桜などなく、そういえばワタシは下校中にこの角で2トントラックに巻き込まれて足を轢かれて病院に担ぎ込まれたのであった。当時は怪我ばっかりである。奇跡的に骨折していなかったのだが、当時母親が「うちは食事でカルシウムに気を付けてるから」と自慢していたのを思い出した。運転手から慰謝料は貰ったのだろうか?


母校の正門前である。


そして、当時の面影そのままに、かなり老朽化した校舎と狭い校庭である。おそらく今でも、雨の日にはあの独特の湿った木とワックスのニオイが校舎には充満しているのであろう。嗚呼、ノスタルジア。


そしてこの日の深夜、短期出張で日本に戻っている 郡山ハルジさん と池袋で遭遇したのであった。郡山さんは雨の中どこからか走りながら現れ、1時間ほど一緒に飯を食ったあと、再び雨の中を走り去って行ったのであった。ファイヤー。

ルーツを辿るその他の編があるかどうかは今のところ未定である。






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最終更新日  2006年04月13日 04時00分39秒
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