作家の日記を読むのは、よほど好きな作家か、研究のために読むかでなければつまらないものです。ストーリーがあって、山場があって、というわけにはいきませんからね。
でも風太郎の日記は読み始めたら止まりませんでした。
昭和17年(1942年)11月から昭和19年(1944年)12月までの日記。つまり 『戦中派不戦日記』
20年の日記も戦争中のわたしが知らなかったことがわかり、父や母に聞くよりリアルでしたが、この『虫けら日記』は「減失への青春」と副題にあるけれど、こんな青春もあったのか!と痛ましさを感じましたし青春はどこにでもあるんだと、人間の不思議さにも思いいたりました。
すごい時代です。あったものがどんどん物がなくなっていくのです。いちばんなくなって困ったのは食べ物、とくに学生だった風太郎の困りようは涙ぐましいです。20歳の腹ペコは外食するのに朝昼晩と2回づつ計6回も食堂のはしごをするのですが満足しないんですね。それほど貧しいとぼしい食物だったらしいです。
そのときわたしが1歳から3歳だったのがありがたいようです、何を食べていたかおぼえてないんです。両親もその時代の話はしてくれましたが「田舎にいたのでそれほど困らなかった」などと都会にいた人たちが聞いたら怒るような話でしたから。
やっぱり思い出話ではなく、発表の予定のなかった日記、しかも文才のある人がその当時に書いた日記の迫力でしょうか。
しかも物がない、戦争中ということを除けば若々しい輝いている青春の記録がすばらしいです。風太郎はよく本を読んでいます。手に入れにくかったでしょうに、膨大な読書量です。200人待ちは当たり前の食堂で順番を待っている時とか、配給で店に並んでいる時とか本を読んでいるのです。
日記の人物模様も小説のようにおもしろいです。若いゆえ哲学的にも悩みます。不幸な反抗的な生い立ちもあります。やはり物語の要素もあったから日記が興味をもって読めるのかもしれません。
よみがえり 2023年12月21日
こういうエンタメが好き 2023年12月19日
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