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最近起こったことを脈絡なく書いてみようと思います。
一つだけ取り挙げてもそう面白い話題でもないので、数で勝負しようということです。
《愛犬パチュリの容態》
先ずはパチュリのこと。
前に手術直後のパチュリの容態は良くなってきた、ということを書きました。
もちろん手術前の容態に比べれば格段によくなったのは確かでしたが、術後5日目の夜中に腹歩合が悪くなり、4-5回も下痢をしたそうです。娘のマンションは1階で、幸運にも小さいながら庭があるため、犬に起こされるたびにそこで用を足すことが出来ました。
もし私の家だったら、何回も階段を下りたり上ったりで寝る暇もなかったでしょう。次の日の夜中は2回で済んだそうです。当然ながら娘は獣医に連絡を取り、月曜に獣医の診察を受けました。腹部のある個所を触診すると小さな悲鳴を上げるとのことで、原因は分かりませんがお腹が痛いことは間違いないそうで、鎮痛剤と下痢止めの薬を処方してもらいました。食事も消化の良いものに変えなければならないとのこと。
2日後にパチュリに会いましたが、下痢も止まりまずまずの様子だったので、先ずはホッとしました。獣医から手術をうけた病院に連絡を取ってもらい、手術自体は順調だったとのことを確認しもらったので、今のところ『単なる腹痛』ということになっています。一時は『最悪』の事態も覚悟していたので、取り敢えずは胸をなでおろしています。
愛犬と言っても私たち父娘にとっては家族の一員ですから、とにかく元気になって欲しい、とそれだけを願っています。
《招かれざる客 ハロウィ―ン》
昨日の夜6時前、地下で洗濯直後の服などを干していたところ、玄関のチャイムの音が。
ああ、また何か配達されてきたのかな、でも何かをネットで買った覚えもなかったので何だろう、と訝しい気持ちで1階に上がって戸口で「誰?」と声を掛けるが返事は無し。
しょうがないのでドアを開けると、すっかり日が暮れて家の外灯に照らされた『化け物』が、戸口から2メ-トルくらい離れた所に立っていました。
そうか、今晩はハロウィ―ンだったなあ、とドアをうっかり開けた自分のうかつさを後悔したが後の祭り。この祭りに好印象を抱いていない私は、不意の『招かれざる訪問者』に、「うちではハロウィ―ンを祝う習慣はない」といって、丁重にお帰り頂きました。
私の住んでいる地域では、
(多分)
昨年からハロウィ―ンの来訪者を受け入れる人に対して、外から分かるように『受け入れますポスタ―(各家に配布されている)』を張るように促しています。
そして訪問日は10月31日夜ではなく、前の週の土曜日の 16時から18時の間に限定して
います。この土曜日というのは、単に翌日が日曜だというだけではなく、『時刻が冬時間に替わる前日』だということです。つまり18時でもまだ外は日が暮れておらず、『化け物』を迎える住民にも安全上の配慮がされている、ということなんです。
一歩間違えれば犯罪に利用されそうなこの『お祭り』は、ちょっと前にはベルギ-で『認知』されそうな気配がありましたが、昨年から見る限りでは『子供の祭り』に限定して定着するような感じですね。大人も仮装してはいますが、あくまでも子供にお付き合いしているだけで、自分たちも心から楽しんでいる、というようには見えませんでしたから。
私がこのハロウィ―ンに醒めた気持ちでいるのは、学生の頃(70-80年頃)にアメリカで起こったある事件がその理由かもしれません。
ある日本人留学生(高校生でした)がハロウィ―ンの仮装をして深夜家(ホームステイ)に戻ろうとして、間違って近くの別の家の前庭に入ってしまった(
都市の郊外の家は、外見がかなり似ている家が多いですからありうることでした)
のを、その家の住民に咎められ「フリ-ズ!」という警告を無視したために射殺された、という日本では信じられない事件でした。
「フリ-ズ!」は日本語で「止まれ!」というかなり強い言葉ですが、当時の日本人でその意味を知っている人はほとんどいなかったと思います。普通『止まれ』はSTOPが一般的ですから。
射殺した男性は、正当防衛かなんかが認められて無罪になりました。そのニュ-スを聞いた時に信じられない思いを抱いたのを今でもはっきりと覚えています。そのくらいショックなニュ-スでした。
それ以来ハロウィ―ンについては不快なイメ-ジがありますね。大げさに言えば、一種の『トラウマ』みたいなものでしょうか。
そんなことを頭の片隅で考えながら晩御飯の支度をしていると、また玄関のチャイムが鳴る音が…。時刻は時刻はほぼ7時。また招かれざる客が来たみたいです。
私はチャイムを無視してそのまま料理に専念することにしました。断ってお互い不愉快な思いをするより、黙って無視するのが大人の対応だろう、と勝手に思うことにしました。いやいやながらやっている料理を中断されたくなかったのが本音ですが…。
《料理にまつわる話》
ハロウィ―ンのせいばかりではないのですが、時々無性に料理をするのが嫌になります。いや、正確に言うと、毎日料理をするのが嫌なんですね。それを騙しだまし何とか料理させようと、自分を奮い立たせている、というのが本当のところです。
月に数回か、動こうとしない自分に鞭を入れて(鞭ではなく『喝!』を入れていますが)、何とかキッチンに立たせて総菜などの副菜を何品か作らせる、それ以外はちょっと料理すれば済む簡単なメインで済ませています。
その大量に作った総菜のストックが切れる寸前の昨日、一大決心をしてカレ―を作ることにしました。料理の中でカレ―は独自の地位を築いています。
まずは①比較的簡単に作れる(決して簡単という訳ではないが)、②素人が作ってもそれなりの味に仕上がる(市販のル-に感謝!)、③1回苦労して作れば3-4回は食べられる、④副菜は無くても良い、⑤特別食欲が無くても食べられる、という風にメリットばかりなんです。
ということで昨日の昼にカレ―を作りました。今回はジャワカレーです。いつもの『中辛』でしたが、他のカレ-ル-より若干辛い気がします。味はそれなりにいけます。
今回は、いつもは少なくて寂しかったニンジンを結構多めに入れました。そうそう、肉は牛(carbonnade)です。昨日は2度カレ―を食べたので、あともう1回くらいしか残っていません
また何回か食べられる量の『何か』を作らないとなぁ…。
と考えながら流しの方を見ると、やっぱりまだ消えずに残っていましたよ、使った食器や鍋などが。
食器洗い機はあるんですが、洗った食器を食器棚に戻す作業に中々取り掛かれなくて…。
これはひとり身になって分かったことの一つなんですが、家族の為ならば何でもない、というか楽しくさえ思えた単純な簡単な作業でも、配偶者がいなくなってからは何とも苦痛なものに変わってしまいました。
人間て、本当の意味で『社会的な生き物』だって思いましたね。一人で生きていると、自分の為に何かをする、ということに何の意味も見つけられないような気がします。誰かのために何かを『する』『出来る』という行為が、とてつもなく愛おしく思えてきたもんです。出来るもんなら、どんなに貧しくても良いから、前の生活に戻りたいですね。ホント、出来ることなら。
そんなことを考えていたら、不意にそんな映画があったなぁ、と思いだしました。確か『timescape』という、タイトルからは中身がよく分からないSFミステリ-映画(でも物凄く面白かった)でした。タイムマシンが出てくるんです。そして、ラストで主人公はそれに乗って過去の世界に戻っていくんです。自分のせいで亡くなった妻が元気だったころに戻って、妻を助けるために…、そして自分自身をも助けるために…。
《仏壇が無い生活》
またまたどうしようもないことを書いてしまいました。
どうしようもない独り言の最後は、4月以降ずっと感じていたことです。
日本では、大半の家には仏壇があって亡くなった家族の遺影や遺骨などが供えられていたりしますよね。妻のことがあるまでは、仏壇なんて特別必要には感じていなかった私ですが、いざそうなってしまった時に感じたことは、仏壇も遺影も遺骨もない家でどうやって過ごして行ったらいいものか、暫くは途方に暮れていたのを思い出します。
遺影に向かって
手を合わせて何かブツブツとしゃべることもなく(というより、出来ない)、線香をあげる訳でもない、その生活が習慣が酷く寂しく思えたもんです。
こういうことは、フランスで生まれベルギ-で育った子供たちには絶対にわからないことです。でも残念だとは思いません。それは思っても考えても仕方がない事ですから。そう、こればっかしはどうしようもありませんから。
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