全32件 (32件中 1-32件目)
1
侠気(きょうき)は必ずしも正義ではない。 だから正義の下にも侠気の動かない時がある。或は侠骨(きょうこつ)は鳴って非正義の前に死を選ぶ場合もある。侠気は温かい人情美であり、正義は冷たい理性力であるからだ。
2025年07月31日
重病に罹(かか)ったものは妙に医師に診られることを忌み嫌う。それは「死の宣告」を恐れるからだ。死の宣告を恐れる心、それは既に自ら死を覚悟している姿だ。恐怖に脅かされつつ、逃避の形に於いて死に当面するのだ。
2025年07月30日
誤解されることをひどく気にする人がある。けれども十の十まで全部悉(ことごと)く誤解されているようなことは滅多に無いものだ。若(も)し陰に誹(そし)られることが誤解だったら褒められることも亦誤解だろう。然(しか)るに、褒められて誤解を怒るものもなく誹られて正解を喜ぶものもない。要するに正解誤解二つながら無いものだ。
2025年07月29日
知人の美事を祝するは饗応(きょうおう)を受けたる瞬時のみ。第三者より知人の称讃を聴くの時、不快の色忽(たちま)ち面(つら)を掩(おお)い来る。
2025年07月28日
君は悪人であったと云えば怫然(ふつぜん)として怒る男も、君の性格は一変せりと云えば欣然(きんぜん)として喜ぶ。結局同じ事に喜怒を異にす。人間の御(ぎょ)し易きや総て斯(か)くの如し。
2025年07月27日
真に苦しんでいる時は無言無声で忍び泣きしているものだ。口に出して片鱗(へんりん)でも語り得る時には早や主観的には稍(や)や「苦しみ」の緩和された時だ。
2025年07月26日
一から十まで自分にシックリと来るものは決してあり得ない。仮にそんなものがあれば却って相反発して仲の悪いのに定って居る。寧(むし)ろ相反する九分の中に僅かに一部分の融合点がある。それが全的に動くのだ。
2025年07月25日
人を叱るは苦しく、人に叱られるは痛快だ。笑って鉄鞭を浴びるものは必ず新生する。𠮟られる間は愛の花は萎(しぼ)まない。ピシャリと横ッ面を殴って瞳孔の雨に潤い来る時、誰か心にその人を抱擁せないものがあろうか。人生の最大不幸者は「叱られる人」を持たない寂寥(せきりょう)にある。
2025年07月24日
「忘れる」事は天より興えられた恩恵の一であろう。若(も)し忘れることがなかったらドンナ人間でも忽(たちま)ち脳が破裂して死なねばならぬだろう。そして忘れることは決して人為的には得られないものだ。それは唯(た)だ「時の力」に俟(ま)つの外はない。どんな嬉しいことでも或る時期を過ぐれば忘れられるように、如何に悲しいことでも或る時期を経れば必ず忘れられる。要は「暫(しばら)く」の辛抱だ。此暫くの陰忍に耐えると否とは長い人生を通じて浮沈幸禍が分かれて来る源だ。暫くは短いが、悲しむものの為には極めて長い短かさだ。
2025年07月23日
大抵の人は其場の言葉の云いまわしで生きたり死んだりする。人の苦悩を聞いては「それでいいのだ、そこに恵みがあるのだ」と根もない空言(そらごと)を弄(もてあそ)び、人の脱線を見ては「そこに面白い処があるんだ」と不本意な肯定を投げる。唯(た)だ「短い言葉」を発見して、その欠陥に当てはめれば其人は「救われた、助けられた」と他愛もなく喜ぶのだ。
2025年07月22日
いかに直接には見ず知らずの人であっても常平生贔屓(ひいき)している男の上に意想外の禍変が孕(はら)まれていることを知らしめられた時に、人はドン底に蹴落とされたような寂寥(せきりょう)を覚える。而(しか)してその次ぎの連想は、こうなれば世の中は誰一人信頼されるものがない、と切に独生独死が味識されて来る。
2025年07月21日
「玄関に対する反感」を叫ぶ人がいる。厳めしい敷居などで差別を劃(かく)し、小間使などに「主人は御不在」など云わしむるなど全く癪(しゃく)だ。玄関は封建の遺物だとて團十郎は自分の邸宅に之を除いたという。
2025年07月20日
酒を飲むものは酒を飲むものを弁護せんとする。色を漁(あさ)るものは色を漁るものを曲庇(きょくひ)せんとする。皆、彼を通じて自己の姿を発見するからだ。荒(すさ)んだ人間でも割に正直なものだ。
2025年07月19日
持ち古した一個の萬年ペンでも、與えられたのを喜んで、それを行住坐臥(ぎょうじゅうざが)肌身離さず懐中して心の鼻で匂いを嗅いで相親しんでいる人を見ると可愛ゆくて耐らぬものだ。頬ずりしてやりたい心、それは心の匂いと心の匂いとが交発する作用なのだ。
2025年07月18日
無益の事に金を使わずにおきやすと来る。 有難うと感謝する。但(ただ)し私には成るべく多く下さいと来る。 成る程と感謝する。他人の懐に投げられる金は、それが生活上の血となり肉となるのでも無益とされる。自分の手に握る金は、それが贅沢に費されるのでも有益とされる。可なり滑稽な世の中だ。
2025年07月17日
愛すると云う心は人を尊敬してよりも多く人を侮辱して起る心境なり。
2025年07月16日
親の事が気にかかる。子の上が案ぜられる。それが苦悩となって人間を苛(とが)める。要するに所有観念から来る物欲の惨めな現れだ。所有し得ないものを知らず識らず所有する迷執に囚(とら)われる。そこに大なる禍が潜むのだ。
2025年07月15日
不安に居て不安を語るは辛く、安住に居て不安を語るは快い。即(すなわ)ち「現在」は親しく苦楚(くそ)を甞(な)むる俎上であり、「過去」は軽く消え去らんとする夢を想う温床だからだ。
2025年07月14日
美しいとは巧みに粗(あらい)を隠蔽(いんぺい)したるに名づく、即(すなわ)ち一の詐術(さじゅつ)なり。既成詐術の名に良家庭あり、賢夫人あり、多く粗の隠蔽になる。
2025年07月13日
昨日までの慈母、姑となって嫁を憎まざれば資格に欠くるものとせられ、昨日までの情婦、妾となって不義を働かざれば甲斐性なきものとせれる。人の感情は多く「名称」に依って左右さるるも悲しき世なり。
2025年07月12日
倫理的に欠点ある人は常に財に美しきを誇り、経済的に欠点ある人は常に色に淡きを誇る。共に窮したる自己弁護なり。
2025年07月11日
一目を惹きつつ人目を憚(はばか)るは道楽者の趣味なり。蔭の女を伴いて雑踏の街に出で、左右に気を配り他人顔して相歩む。疑われて見たき心と疑わるるを忌(い)む心と茲(ここ)に「矛盾の合致」あり。
2025年07月10日
猛暑を野菜セットで乗り切って下さいと7月9日昼に届いた。とうもろこし、リーフレタス、オクラ、トマト、ゴーヤ、きゅうり、ニラ、つるむらさき、なす、枝豆、ごぼう、しょうが、カボチャ、加えて玉子でした。高知県の農家が普段食べている取れたて野菜です。妹にありがとうとお礼のメールした。
2025年07月09日
盗癖のあるものは他の盗癖を罵(ののし)って自分の盗癖を隠さんとする。姦通するものは他の姦通を嘲(あざけ)って自分の姦通を覆わんとする。
2025年07月09日
「杖の下からでもあまえる子はかわい」という。人間はうるさくあまえられたいのだ。細大となく寄り添うて頼り縋(すが)って来られると、口には面倒臭いと叱りつつ熱愛の袖に抱いているのだ。ピンと反抗するのでなく、信じ得るほどに接触するのでなく、底冷えのするような彼比(ひし)はイヤだ。個人に対する時、異性に対する時、宗団に対する時、同感だ。
2025年07月08日
発車刹那の眸子(ひとみ)の動きほど最も露骨に人と人との心的関係を表白(ひょうはく)するものはない。
2025年07月07日
眼の力ほど恐るべき威力を有(たも)ったものはない。残忍な荒くれ男が刃をふりかざして斬らんとする刹那、全く無力の、かよわい一少女は瞳を凝らしてヂーッと其人(そのひと)の顔を視る。いかなる獰猛(どうもう)性も、その水晶のように光る小さい鉄丸を砕くの勇が出ないそうだ。
2025年07月06日
三人の娘を遊里(ゆうり)に売って食い尽くした貧老人が死んだ。売られた娘等打ち揃って美しく葬式を営み、何か記念に遺物をと求めたれども本来無一物、爺が死ぬる時に着ていた古襦袢(ふるじゅばん)を三人で分けて持ち帰り、小枕として終生父の匂いを嗅ぎつつ暮らさんと盟(ちが)った臭い美談を聴かされた。傍らの女は「妾は斯(こ)うやって奉公していても偶(たま)に帰ると亡きお父さんの寝衣を着てねるのが第一の楽しみです」と泣いた。
2025年07月05日
センセーイと風の吹くように軽く長く呼びかけられても老人は皆得意がって喜んでいる。何の尊敬味も含まないでも敬語なるが故に喜ばれるのだ。
2025年07月04日
「閣下」と呼ばるれば冷水を浴せらるる程に苦痛なりと乙に平民がる人に、「オイ君」と云えば忽(たちま)ちムッと怒る。ヤハリ閣下々々と連呼すれば存外温き湯を浴びる程に恐悦(きょうえつ)がるものなり。
2025年07月03日
大将になりたがるものは大将になりたがるものを忌(い)む。未成の兩将相尅(りょうしょうそうこく)すれば団欒(だんらん)は必ず破れる。
2025年07月02日
借金生活の出来ないものが貧乏を誇り、鬼のような醜女が貞操を誇る。総て誇ることは人の弱点だ。誇らねばならぬ弱点を思うて同情すべきものだ。
2025年07月01日
全32件 (32件中 1-32件目)
1