ぐぅみぃ

ぐぅみぃ

May 6, 2003
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GW中には、友人宅を訪問した。

二年前、GWの穏やかな中日に、知らせを受けた時の事は忘れられない。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・

この二~三年の間に、大切な人を次々と亡くしてしまった。
郷里を離れるときは胸の中で、密かに
「親の死に目には会えないかも」
なんて言葉が過っていた。

しかしまさか、毎回帰省時に集い、飲んで馬鹿騒ぎをしていた幼馴染みが、昨年の正月時にも笑顔で

と手を振って、地下鉄駅の中へ消え去って行ったというのに、その九ヶ月後に病死するなんて…。そしてその二ヶ月後には、大好きだった先輩が、自分の誕生日の翌日に、自ら命を絶ってしまうなんて…。

自分のことだけで手一杯になってしまっている我儘なあたしには、同世代の友人達との永遠の別れは、想像できて居なかった。

あたしの中では今日に至っても、まだ受け入れられていない「有り得ないこと」のままだ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・

訪問した友人宅では、仕事で遅れて到着したあたしの為に、既に消されていたロウソクに火が灯された。
お線香を立てて、手を合わせ、友人の御主人に向かって「何を言おう…」と、ほんの一瞬だけ躊躇した。
「あたし達にまかせてください。
 何にも出来ないけれど、命が有るかぎりは、
 奥さんの事を、心から大好きで居続けますから」
言葉を全く不用意のままで来たあたしだけれど、自然と心の中で言っていた。
今思うと「まかせてください」なんて、プロポーズの様な言葉だ。

不遜な言葉であるかも知れない。
でも、目の前の御主人に、あたしの決意を伝えたかった。そこには今まさに、御主人は居るのだと感じているから。

宗教は特に持っていない。
「死後の世界」の事も、良く解らない。
「そんなものは無い」と言い切ってしまう人も居るけれど、時と場合によっては「無いほうが良い」と思えるときも「有ったほうが良い」と思えるときもある。


死んでまで現生に魂を残すなど、少々重荷に感じてしまう。その魂は「未練」のようなものであろうか?肉体が死んで魂が生きているのは、辛いことのように思えるのだ。
ただでさえ、生きていくのは大変なのだ。
永遠の愛を誓い合った相手の心が一方的に離れた時も、身を切られるほど辛いだろう。
夢に最後の望みを掛けて破れた時も、何もかも命さえをも放棄してしまいたくなるだろう。
戦争で親を失ってしまった子供達が、生きる術さえ知らず、死に物狂いで生きている。彼らは自分たちが「死に物狂い」だと云う事にさえ気づいて居ない。
身体の一部を失ってしまわれた方々も、やはり必死で生きている。
生きると云う事はもうそれだけで「死に物狂い」だ。「必死」なのだ。
だったらもう、命を全うしてまで魂を残し続けるのは…と、考えてしまうのだ。

しかし。

自分が第三者の命を失ってしまった時には、「死後の世界」の存在を切望して止まない。
未練が有る。
自分は何が出来たのだろうか?…と。
やり残した事だらけで旅立たせてしまったのだ、と。
なぜあの時、自分は…と。

(もしも故人が「全うした」と思っているにも関わらず、
 現生の人々の未練が魂を引き止めてしまうのなら、
 それは故人にとって幸せな事なのだろうか?
 ひょっとしたら、悪いことをしているのかも知れないじゃないか)

(すみません。
 でもまだ思い切れ無いんです。
 まだまだ、彼らのことを思い続けさせて下さい。
 だって何もしてあげられなかったんだもの。)

その存在の有無さえ知らない「死後の世界」に、悩まされることも有る。

少なくとも友人の御主人は、「全うした」とは思って居ない筈。
愛娘の学資保険は、妻名義にしていた。
御自身は奥さんであるあたしの友人よりも(友人さえも、あたしよりは六歳年上)十歳も年齢が上だったので、保険料が高くなってしまうからという理由で。
学資保険は名義人の死後は保険料が免除される。通常の「父親名義」で有ったなら、保険料を支払わずとも、満期を安心して迎えられた筈なのだ。
御主人は「かなり年上だから先立つかも」などど考えていよう筈も無い。
「長い目」で見ていた結果なのだ。
それが今、母子家庭となってしまった友人宅の家計を苦しめている。
「学資保険を解約しないと、もう無理」
なんて、友人は言っている。
悲しくって苦しい。他の言葉が浮かばない。

仏壇に向かうあたし達は、御主人はそこに居る…と信じ込んでいる。
この妻子達に御主人は、今尚さぞ心残りであろうと。まだまだそこに居て、あれをしてやりたい、これをしてやりたいと、切望しているだろうと。
だから仏壇を前に、本音でしか語れない。
どうぞ心の中まで見て下さいと云う状態で、向かう。
「まかせてください」は、言いっ放しの無責任な覚悟では無い。

一期一会と云う言葉が有る。数年前にこの邦題の映画が有ったので、耳慣れて若い子たちも使うようになった様に思う。
「一生に一度しか出会えない縁」として使われる事が多いが、「一度」の範囲は「出会い」にとどまらず「一生に一度だけの機会」とも使われる。
お茶が飲みたいと思ったとき、自分以外の人の分もお茶を入れた。その際、その人の好きな茶わんを選んだ。自分一人なら無造作に入れて済ますはずを、ちゃんと茶わんを温めた…。葉を蒸らした。熱湯の温度を下げた…など、一期一会だとさえ解っていたら、出来たことは多々有るのだ。
自分がお茶を飲みたいと思った瞬間さえ、一期一会なのだったと。

心を尽くしたい。

友人は後悔をしている。
「誰もが故人に就いては後悔するのだ」と、言ってしまってはいけない。
故人に対する思いは「後悔」には違いなくとも、「一緒くた」にしてはならない重い重い感情だ。
してあげたかった事、捧げたかった愛情は、それぞれが違うから。
どんなに努力をして毎日を過ごしても、後悔の無い人生を送ることは不可能だ。
でもせめて、愛情だけは出し惜しみしたくないと思った。
誠心誠意を尽くして、好きな人達とは関わって行きたい。
冥福を祈るかのような崇高な感情で、生きている人々と接することの出来る人間となるのは、とても難しい事だけど。





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Last updated  May 6, 2003 11:28:25 PM
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maguro2002 @ Re:日記4(03/03) しばらくです~~~ 元気でしたか? た…
ぐぅみぃ @ Re:ごぶさたです~~(07/11) >maguro2002さん おひさしぶりで…
maguro2002 @ ごぶさたです~~ お元気でしたか? 函館もツユみたいな、…
きらり510 @ こんにちは。 読ませていただきました。 またお邪…
ぐぅみぃ @ Re:県立前期。(02/01) 連絡有り! 無事終了です。 やはり願書…

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