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水槽の中で、熱帯魚が泳いでいる。音も立てずに静かに泳いでいる。餌を待つともなく、眠るともなく、静かに泳いでいる…。 4月11日火曜日、母が秋田へ出発した。 俺は、このマンションを預かることとなった。 秋田は、父の田舎である。父は一昨年から秋田に住んでいる。退職後の余暇は、思い出の詰まった生まれ故郷で過ごしたいとのことで、退職後早々に秋田に移り住んだ。 父が秋田に移り住んだ理由は、祖父の介護の為だ。理由が理由なので、昨年夏に祖父が亡くなったのをきっかけに、東京に戻ってくるかと思っていたが、予想を裏切り、戻ってこなかった。祖父の死をきっかけに秋田への思いが強くなった模様だった。父は東京に戻ることを拒み、代わりに母を秋田に呼ぶことにした。 母は、困惑した。父にとっては住み慣れた秋田であるが、母にとっては、慣れない土地である。馴染みの者もほとんどいない。冬になれば、関東地方よりもずっと厳しい寒さに耐えなければならない。買い物も今よりは不便になる。 そこで、母は父に提案した。2005年の冬が終わり、春になったら秋田に行くと。その頃になれば、心の準備も出来ているだろうからと。父はこの提案を受けた。 年があけ、2006年になり、4月を迎えた。秋田の厳しい冬も終わった。約束のときが来た。母が秋田に移り住むときだ。 母は、本当は東京を離れたくなかったという。息子としては、夫婦なのだから両親には一緒に住んでほしかった。だから、秋田の空気のうまさや、静かさ、スローライフについて、時間をかけて話して、前向きな気持ちで転居できるように言葉を添えてきた。 だが、母としては東京もそうだが、俺のことが心配だったようだ。ありがたいことである。一人っ子の俺が、うまくやっていけるかどうか、心配してくれたとのことだ。 俺も昨年までは一人暮らしをしていた身であるから、心配はいらない、と思っている。少なくとも自分自身はそう思っている。下手な女の子よりも、ちゃんと自炊はするし、洗濯も便所掃除もする。だが、親から見れば、子はいつまで経っても子なんだろう。なんだかんだで、かまいたくなるのだろう。それを、鬱陶しいと思うことは、全く無かったといえば、嘘になるが、今では、ただただ有難いばかりである。 母が出発する前の週に、部屋を自分で勝手に色々とアレンジしてしまっていいかと、尋ねた。俺は一人暮らしのとき、アジアンインテリアに凝っていたので、それを再開しようと思ったのだ。 が、母は出来れば、現状を維持してほしいとのこと。20年も住んだ家だから、たまに帰ってきたときに、元のままであってくれた方が、安心するとのこと。 考えてみれば、俺が小学1年生のときから、少しずつ父と母で作り上げ来た家だ。俺が勝手に簡単に作り変えていいものではないのかも知れない。 なるべく今のままを守っていくことを約束した。 出発する日が近づくと、母は寂しそうにしていた。俺もそんな母を見ていると寂しくなった。だから、いつもどおり忙しく過ごした。 やっぱり両親には夫婦そろって一緒に暮らしていてほしい。それが叶うのだから、すばらしいことなのだ。父の苦労も半減すればなお良い。 4月11日の朝、母は、自分で育てていた熱帯魚を家に残して、秋田へと向かった。 同じ日の夜、俺が仕事を終えて家に帰ったとき、家に明かりは点いていなかった。この家で、母がいなかった夜なんてあっただろうか。寂しさがこみ上げた。 部屋の明かりをつけた。すぐに水槽に目が行った。エンゼルフィッシュが眠るような速度で泳いでいた。カバンを置いて、スーツを着たまま、水槽の前の餌缶を手に取った。出発前に母に習ったようにして、水槽の中に餌を流し込んだ。熱帯魚達が、小さい口で一生懸命に餌を食べ始めた。俺は、それをじっと見ていた。全く餌を食べない奴もいた。心配になった。病気なんじゃないかと。このまま餌を食べずに、1週間もしないうちに死んでしまったらどうしようかと。 急に命を身近なもの感じた。普段ほとんど意識していなかったのに。 この家で、21年間。小学生だったガキが、社会人になって、数年経つまで。両親はどんな気持ちで、俺を育ててきたのだろう。自分で勝手に一人暮らしをしていたときよりも、リアルにそんなことを感じ、考えた。 俺は長男である。一人っ子の長男だ。 どうしていいのか分からないが、とりあえず、この家はしっかり守っていきたい。 そして、いつかまた3人でこの場所で夕食を食べたい。 古臭い考えかもしれないが、そんな風に思った。
2006.04.15
実家における最後の晩餐である。 言葉が見つからない。感情が麻痺してしまったのではないかと思うほど。 俺は、どんな言葉をかけるべきなのだろうか。 今、母の心中はどのようなものだろうか。
2006.04.10

JR東海のエクスプレスE予約の会員になった。 (http://expresscard.jp/) これで、品川・名古屋間の移動が少しだけ楽になる(ハズ)。 (※俺は仕事で、名古屋に良く行くのです) このカード、新幹線予約等について色んなメリットがある。 携帯で、指定席を予約できたり、何度も変更できたり。 詳しい説明は、上記URLのサイトに譲ることにして、 俺にとっての最大のメリットは、 新幹線の料金が安くなることである。 片道ならば、一般のきっぷより750円安くなり、 ひと月2往復すると仮定するならば、月3,000円安くなる。 年会費が1,000円かかるが、充分元は取れる。 飛行機利用の場合は、立替出張旅費の精算には、 領収書の添付が義務付けられているが、 新幹線利用の場合は、この義務がなく、 会社へは通常料金で請求できる。 だから750円はしっかり自分の懐に入り込む。 (自分でカードの年会費を払っているのだから、 別にいいだろう。。。と思っている。)。 浮いた分で、今度からはしっかりした駅弁を買おう。
2006.04.09

両足を思い切り伸ばす。 腿とふくらはぎの筋肉が硬直させて、つま先までをもピーンと伸ばす。 足の血管に溜まりに溜まって絡まった糸の様になった血液が、筋肉の収縮でほぐされて、ほどかれて、再び体の中心にギューンと戻ってくる。そんな感覚になる。 うー…と息を止めて、伸びをした後に、はーとため息を出しながら、リラックスする。それを2度3度繰り返しただろうか。 銭湯はいい。 湯船が大きくて、手足をいくらでも伸ばせる。 ちゃぷちゃぷざぶざぶと、お湯があちらこちらで音を立てているのが、また耳に心地良い。シャワーが「キュッ」と開く音、「ザー」と流れる音。子供がキャッキャとはしゃぐ声。桶がカランと置かれる音。 銭湯はいい。 日常の忙しさや嫌なことを、文字通り水に流してしまえそうな、そんな空間である。子供達が無邪気にお湯や水を楽しんでいる様を見ると、ふと、子供の頃を思い出す。 俺が、初めて銭湯に行ったのは、多分2歳くらいのときだ。何にも覚えていないのだが、一つだけ確かに覚えていることがある。頭から湯船に落ちて、目と鼻にお湯が入って、めちゃくちゃ痛かった。近くにいた人が慌てて、俺をすくい上げた。そのシーンだけ覚えている。 その次に銭湯に行ったのは、いつだろう。 多分、幼稚園の間に何回か出掛けたことはあるのだろうが、覚えていない。俺の記憶に銭湯が本格的に登場し始めるのは、小学校に入ってからだ。 小学校2年のとき、石河という友達に誘われて、自宅から歩いてすぐの、「ゆたか湯」という銭湯に行った。夕方の時間に、親以外と出掛けることが少なかった年齢だった為、友達と2人で外に出られるのが、やたらうれしかった。 俺の家には、当時風呂があったが、石河の家には、風呂がなかった。石河の家は、決して裕福な家ではなかった。石河の家には、2匹のネコがいたが、父親はいなかった。母一人、子一人の家庭だった。 札幌から東京に転校してきて、右も左も分からぬ俺と、すぐに友達になってくれた。明るい奴ではないが、暗い奴でもなかった。背は俺より少しだけ高かった。クラスでは、背の低い順に整列すると、後ろから2番目と3番目。 子供だった為、湯船にどちらが長い間潜っていられるかを競ったり、どちらが長い間、熱さに耐えられるかを競ったりした。湯船を出れば、背中を流し合うこともあったし、体を洗うときに、胸から洗うべきか、腕から洗うべきか、どうでもいい争点で、子供なりの議論をした。 学年が変われれば、クラスも変わる。クラスが変われば、友達も変わる。小学校3年に進学したとき、石河とは違うクラスになって、以降、俺の銭湯友達は別のメンバーになった。俺は、自宅にお風呂があっても、銭湯が大好きな少年になっていた。たまにそのことで、母に怒られた。家にお風呂があるんだから、家のお風呂に入りなさいと。 小学校3年生といえば、悪ガキ盛りである。銭湯に行っては、人が少ないのをいいことに、体に石鹸を塗りたくって、タイルの床の上を、滑って遊んでいた。スライディングをすると、本当によく滑った。友達3,4人でそんなことをしていると、いよいよタイルは石鹸だらけになり、ツルツルすってんころりん、危険遅滞と化した。 その洗礼を受けたのが、他でもない、俺である。散々スライディングをして、立ち上がって普通に歩き出した、そのときである。踵から「ツルッ☆」と滑って、空中で「キャプテン翼」のオーバーヘッドキックみたいな格好をした直後に、タイルの床に後頭部を力いっぱいぶつけた。両目から火花が出た。あまりの痛さに、頭を抑えてそのあたり一体を転げまわった。 これは流石に危ないと、友達と手分けしてタイル床に付いた石鹸を桶を持ってお湯で洗い流して回った。 家に帰って、その事件について語ると、母に怒られた。後頭部のたんこぶを指差して、俺は可愛そうな少年であることをPRすると、なおさら怒られた。 小学校4年だったか、5年だったか、思い出せないが、再び石河と銭湯に行く機会があった。その頃俺は、第二次成長の体の変化に戸惑っていた。が、体に変化があったのは、石河も同じだった。ただ、彼は俺と違って、増え始めた体毛を何も恥じることなく、堂々としていた。堂々とする石河を見て、大人だと思った。 石河と銭湯に行った記憶はこれで最後である。 一生懸命思い出そうとしても、中学高校の銭湯の記憶が無い。いや、あった。 高校で極真空手を習っていたころ、よく足の裏の皮がめくれた。皮がめくれて、直って、まめになって、血がにじんで…。その繰り返しで、丈夫な足の裏を作ったのだが。ある時、その足で銭湯に出掛けていって、お湯が足に沁みて、痛くてしようが無かったのを覚えている。空手家なるもの、これしきの痛みに負けていてはいかんと、口をへの字に結んで、痛みに耐えて湯に入っていた。 大学に入ると、島田と松井という地元の親友達と、川崎にあるスーパー銭湯に車で出掛けた。松井の黒のレガシーに乗って出掛けた。にごり湯やジェットバス、電気湯、露天風呂、サウナなど、様々な湯を楽しめる。 帰りには、近くの巨大なゲームセンター「WONDER CITY」に寄ってゲームをして、第一京浜沿いの牛丼屋で牛丼を食べた。島田がバイトしていた牛丼屋だ。野菜嫌いの松井はたまねぎを避けて食べていた。たまに俺がトイレに立って戻ってくると、俺の牛丼のたまねぎの量が倍になっていることがあった。 今日、出掛けてきたのは、その川崎にある銭湯だ。一人で黒のフォルツァにまたがって出掛けてきた。 …両足を思い切り伸ばす。 腿とふくらはぎの筋肉が硬直させて、つま先までをもピーンと伸ばす。 足の血管に溜まりに溜まって、絡まった糸の様になった血液が、筋肉の収縮でほぐされて、ほどかれて、再び体の中心にギューンと戻ってくる。 銭湯はいい。 湯船が大きくて、手足をいくらでも伸ばせる。 少年の頃の思い出にふけっていると、心の中で絡まった色んな余計なものも、少しずつほどけていくような、そんな感覚になる。
2006.04.01
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