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「王子の謀反はいかなる処罰が適当か?」「車裂きの刑です」「傑、朕は・・・お前を罰せずともよいのだ。・・・だが、条件が一つ。これからは毎日、お前が母上に(トリカブトの毒の入った)薬を飲ませて差し上げろ」「・・・母上、力及ばぬ息子をお赦しください(自害し、絶命する)」何だかんだ言っても、中国を舞台にした歴史大作というのは、まるでスケールが違う。 ちまちましたセットではないし、身に着けるもののゴージャスなこと、大掛かりなエキストラの起用など、とにかく圧巻の一言。次から次へと息を呑むような場面の展開、目の覚めるような絢爛豪華な宮廷、それはそれは圧倒的な迫力のもとに視聴者を釘付けにする。なにぶん、内容的には歴史の哀切極まりない悲劇がクローズアップされており、決して後味の良いものではないかもしれない。親と子の悲哀、歪んだ愛情、そして夫婦間の憎悪。この治まりどころのない感情が噴き出したような、そういうストーリーに仕上がっている。舞台は中国、五代十国時代。菊の節句の祭日を前に、王妃は原因の今一はっきりしない拒寒症に悩まされていた。一見、病気がちな王妃をことさら気遣っているような王であったが、その実、トリカブトの毒を混ぜた薬を数時間置きに王妃に飲ませているのが原因であった。王妃が、先妻の子である第一王子と継子でありながら不義をはたらいていることが王の逆鱗に触れたのだ。だが、真相はもっと根強く、深い闇の底にあった。ストーリーがあまりにも“痛い”作品であった。単なる嘆きとか恐れの域を越えた、心に痛みを伴うシナリオというのは、そうそうお目にかかれない。鑑賞中の2時間は、何度画面から目を背けたことか数知れない。それほどのショッキングなストーリーというわけだ。(決してグロテスクなシーンではない)自分では抱えきれないような重苦しい感情と、倒錯した人間模様に、さすがに疲れ果ててしまった。舞台セットや衣装、演技力、それにカメラワークなど、どれも一級品なのでぜひともおすすめの大作なのだが、この作品と真正面から対峙する時の精神状態、健康面においては、万全の体調で鑑賞することを希望する。一見の価値あり。2006年(中)、2008年(日)公開【監督】チャン・イーモウ【出演】チョウ・ユンファ、コン・リーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.30
「父は・・・数ヶ月前に他界したの」「(それは)残念だったね」「この一年はつらかった。父が亡くなり・・・夫は・・・(ため息をつく)・・・娘は私を嫌うし・・・。人生って、ラクじゃないわね」「ああ、まったくだ」寸分の隙もないシナリオというのは、こういうものを言うのだろうか。アメリカ映画はさすがだと唸らされた。原作はストーリーテラーのニコラス・スパークスだと知り、なるほどと思った。スパークス作品は、映画化されたものが多く、有名なところで「きみに読む物語」や「メッセージ・イン・ア・ボトル」などがある。どれも大ヒットしたことは、今さら言う間でもない。この作品について皆、口を揃えて言うのはおそらく、“大人の恋愛ドラマ”。もちろん、そうだ。もっと口幅ったく言えば、そこに辿り着くまでの共鳴が我々の心のひだを震わせるのかもしれない。なにしろ、ティーンエイジャーの見境ない恋愛ごっことは全く質が違うし、いい大人のシラけるような不倫とも一線を画す。酸いも甘いもかみ分けた、熟年の恋愛なのだ。恋は、ノース・カロライナの田舎町、ローダンテの海辺にある小さなペンションで始まる。ペンションのオーナーである、親友のジーンから留守番を頼まれたエイドリアンは、別れた夫から切り出された復縁の件や、今後の自分の身の振り方を考えていた。夫の浮気、思春期に突入した娘の反抗的態度、ぜん息の発作を度々起こす息子。全てのことに疲労困憊ぎみのエイドリアン。季節外れのリゾート地に客は皆無だったが、たった一人だけ予約が入っていた。ポールと名乗る客で、実は高名な外科医であった。吟遊映人は、正直、ラブストーリーには厳しい価値判断を持っている。だが、「最後の初恋」は実に素晴らしいラブストーリーに仕上げられていると思った。 この作品なら、自信を持っておすすめできる。(ただし、この作品に共鳴できるのは、ある程度社会経験を積んで、それなりの山や谷を乗り越えて来られた方々かもしれない。)ストーリー的には悲劇で、決して手放しでハッピーな気分にはならないかもしれない。 だがラスト、主人公エイドリアンはミラクルを体感する。海辺をさまよい歩く彼女は、希望の光、ファンタジーの世界に包まれる。それは、夢や幻などではなく、リアリティそのもの。このラストは、素直に言おう、大好きだ!!吟遊映人が認める、近年稀に見る良質なラブストーリーなのだ。2008年公開【監督】ジョージ・C・ウルフ【出演】リチャード・ギア、ダイアン・レインまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.27

「奇跡のシンフォニー」は、言わずと知れた“愛”の物語である。そこにはもちろん、男女の恋愛シーンも絡んで来る。 だがそれだけに止まるものではない。 男女の恋愛は、やがて誕生するエヴァンという主人公の生き様を、より感動的で魅力的なものへと高めるための、前フリのようなものだ。 この作品は、観客を意識したラブシーンや、ドロドロした恋愛模様などに囚われず、ただひたすらエヴァンの愛の行方に迫ったストーリー展開になっていることで、真実の愛の形を表現しているように思える。 全篇、音楽がたゆたゆと流れ、決してオーバーにならず、完成されたヒューマン・ラブドラマとして崇高なイメージに定着させている。言うまでもなく、このメロディの美しさと親しみ易いオーケストラサウンドは、この作品にとって非常に効果的な作用をもたらし、愛を奏でる音楽の素晴らしさを表現している。 忘れてはならないのが、ハリウッド映画を始めとする欧米諸国の作品の根底には、必ずと言って良いほど宗教とモラルが内包されている。愛という観念もさることながら、唯一絶対的な存在である神を無視して、親子の絆はあり得ないし、男女の恋愛など成立しない。この神という超自然的存在と向き合い、感謝と尊崇の念を抱くことで、幸せが訪れるというわけなのだ。 吟遊映人が辿り着いたこの作品のテーマである“愛”とは、ひとえに、万物の創造主である神が施し給うた、奇跡に他ならない。
2009.03.25
昨年秋に観た「奇跡のシンフォニー」は、年が明けてからも度々鑑賞している。一体何がこれほどまでに吟遊映人の気持ちを惹き付けるのか、あれこれ探ってみた。 主人公エヴァンは、N.Y.の郊外にある孤児院で暮らしている。ある日、マンハッタンで不思議な旋律と出会い、類稀なる音楽の才能を開花させる。貧しいエヴァンには、何もない。だが、ギター一本さえあれば、路上に立ち、思いの丈を風に乗せ、天空に解き放つ。 エヴァンは気付いたに違いない。 自分が音楽をこよなく愛していることに。 好きなことをやっている時、人は誰もが幸せになれる。楽しさで、胸がワクワクする。 そして、自然に笑顔がこぼれる。 明日のパンもないほど、苦しい生活を強いられていたら、現実には音楽など楽しんでいる心の余裕はないかもしれない。だが、音楽は不可能を可能にするマジックなのだ。 この作品の主人公エヴァンは、たまたま音楽の才能を持ち合わせていた。しかしこれは、特殊なことではない。ファンタジーでもない。我々も、きっと何かを持ち合わせているはずだ。 その才能は実益にはならない、取るに足らないことかもしれない。だが、信じようではないか。 己の才能を。誰にも譲れない確固としたものを、生涯に渡って温め続け、エヴァンのように愛のためにその才能を開花させようではないか。
2009.03.23
孔明は、すがすがしい顔をして、魯粛に導かれて入ってきた。そして居並ぶ人々へ、いちいち名を問い、いろいろ礼をほどこしてから、「いただきます」と、静かに客位の席へついた。その挙止は縹渺、その眸は晃々、雲をしのぐ山とも見え、山にかくされた月とも思われる。(「三国志」吉川英治・著より)上記は、孔明が秘策を持って、江東の孫権のもとへ訪れた場面である。この辺りの表現からも分かるように、孔明は決して華やかな存在感のある人物ではなく、むしろ常に物静かで地味を好しとしていた。いにしえより“能ある鷹は爪を隠す”にもあるように、孔明は己が才を決してひけらかすことはなかった。孔明と言えば、千年に一人の大天才、名軍師の名を欲しいままにした逸材である。彼の実像は、「諸葛亮伝」にもあるように、正に伝統的な孫子の兵法を継承し、高い倫理性を備えた兵法家であった。だがむしろ、孔明の得意としたところは、蜀の内政を充実させるという意味で、政治家としての面にあったようだ。日本と違い、多種多様の民族がひしめき合う中国大陸にあって、蜀という非土着、あるいは西方の諸蛮族から成り立った集団を統括するのは、並大抵の努力ではなかった。その中で、寝食惜しんで政務を全うし、集団を結束させたのが孔明その人である。集団の統率者として、劉備が蜀帝に在位している時は順調だった。しかし、劉備亡き後その子、劉禅が後主として在位に就くと、国家運営の責は孔明一人の肩にのしかかる。哀しい哉、後主劉禅は凡庸で、政務、外交において才が乏しかったのだ。そんな劉禅に対して孔明が上奏した記述、それがかの有名な「出師の表」である。吟遊映人は、この憂国の精神に溢れた作品の一部をご紹介したい。安子順の言葉にもあるように、この記述を「読んで涙をおとさない者は必ずや不忠者である」と称されるほどの、最高作である。先帝、業を創むることいまだ半ばならずして中道に崩そ(※「そ」の字は楽天の日本語変換システムに対応していません。)す。いま天下三分し、益州、疲弊す。これ誠に危急存亡の秋なり。然るに侍衛の臣、内におこたらず、忠志の士、身を外に忘るるは、けだし先帝の殊遇を追い、これを陛下に報いんと欲するなり。誠によろしく聖聴を開張し、もって先帝の遺徳を光やかし、志士の気を恢弘すべし。よろしく妄りにみずから菲薄して、喩を引き義を失い、もって忠諫の路を塞ぐべからざるなり。(「出師表」より抜粋)後世、孔明が圧倒的な支持を受けたのは、ひとえに、この精神に他ならない。集団の統率者となった時でも決して私利私欲に走らず、モラルをわきまえた、ダンディズムの最前線をゆくものであったからだ。その清廉なる精神と、潔癖なまでの生活態度。それは正に、格調高いまでの清貧に生きることの高潔さを物語っている。吟遊映人は、そんな諸葛孔明の生き様を、愛してやまないのだ。【参考文献】「諸葛孔明」立間祥介・著、「諸葛孔明の兵法」守屋洋・著また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.21
「レッドクリフ」においては、全編周瑜が主人公として描かれている。それもそのはず、この戦乱の世にあって、彼ほど軍事と芸術を分け隔てなく愛した人物はいないからだ。さらに、主人公にふさわしく“紅顔の将軍”とも噂され、軍中では“美周郎”と持て囃されていた。現代風に言えば、“イケメン”というやつだ。また、周瑜の名を世間に知らしめたのは、彼の奥方にも理由がある。それは、絶世の美女と謳われた小喬を妻として迎えたことでも、呉では知らぬ者はいない美男美女のカップルであったのだ。さて、この周瑜。「レッドクリフ」では、勇猛果敢で友情に厚い男として描かれている。また、曹操軍と対峙するため、弱小劉備軍と手に手を取って同盟を結び、赤壁での決戦に挑もうとする勇ましいストーリー展開となっている。だが実際、周瑜は開戦には大反対の一人であった。三代に渡る主家孫一門の安泰を計り、民百姓の生活を守ることが何よりの最善策であると考えていたからだ。では、何が彼を主戦派に変えたのか?それは、名軍師孔明の一言である。「星の数ほどある呉国の女のうち、わずか二名を曹操へ貢物として差し出すがよろしいかと。」「しからばその二名とは?」「絶世の美女、大喬と小喬の姉妹です。」孔明は説く。大軍を動かさずとも、その秘策を持ってすれば必ずや曹操は骨抜きになると。これを聞いて周瑜はみるみるうちに顔色を変えたのだ。孔明はこの時、よもや小喬が周瑜の奥方であるなどとはつゆ知らず、後で平謝りするのだが、おそらくは全て計算付くであったと思われる。男の嫉妬ほど怖いものはないことを、孔明は知っていた。周瑜はこの一件で、曹操軍と兵を交えることを決意する。「レッドクリフ」でもこのエピソードの片鱗を思わせるシーンが出て来る。曹操が、小喬の似顔絵を貼り付け、それを愛でながらちびちび酒を飲むあたりなど、実に見事な描写だ。プライドの高い周瑜は、曹操ごとき北方の野蛮人に己が愛妻を寝取られてたまるか、という嫉妬に駆られる。それにつけても、その周瑜の弱点に逸早く気付いた孔明という人物。この人もスゴイ。この名軍師孔明については、次回触れる。「レッドクリフ」をお楽しみの皆さんは、高潔なる周瑜の生き様と、妻を死守し愛を囁く男として活躍する姿をご覧あれ。また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.19
「レッドクリフ」Part2の公開が近づいた今、少しだけ三国志のおさらいをしようと思う。我々がいわゆる「三国志」として親しんでいる現代のそれは、14世紀後半に羅貫中によって記された「三国志通俗演義」がベースになっている。それこそが、広い中国大陸を舞台にした三つの国の物語であり、英雄豪傑たちが覇を競う歴史ドラマなのである。三国志中、何にも増して鮮烈でしかも雄々しく描かれているのは、武器を取り、戦塵に舞う猛将の姿であろう。中でも、弱小劉備軍の傘下に名を連ねる五虎大将は、数多の敵軍を震撼させた。その面々を紹介しよう。【関羽】・・・劉備と義兄弟の契りを結ぶ。人情厚く、義理堅い。長さ二尺もの顎ひげを携え、重さ八十二斤の大薙刀を自在に操る。【張飛】・・・関羽と同様、劉備と義兄弟の契りを結ぶ。直情型で気は短いが、涙もろい。長さ一丈八尺の矛を振り回す豪傑。【趙雲】・・・元は公孫さん(王に賛の字、楽天の対応せず)に仕える。主人の死後、劉備の人徳に絆され、以来傘下に入る。この上もなく忠義の人。【黄忠】・・・老将だが、弓の名手。元は韓玄に仕えていたが、後に劉備に帰順。【馬超】・・・西涼の馬騰の子。父を曹操に殺され、その仇を討つため劉備に帰順。美男子として名を馳せる。「レッドクリフ」Part1では趙雲が敵中へ取って返し、奥方と幼主阿斗(赤ん坊)を救出するシーンがクローズアップされる。実はこのくだり、吟遊映人が情熱を持ってお伝えしたい名場面なのだ。曹操軍100万の大軍の中を、赤子を抱えたまま次から次へと押し寄せる敵兵をバッサバッサと斬り倒し、戦塵に舞う猛将趙雲の勇ましさ。この辺りの表現は、吉川英治による三国志の記述は名文である。『趙雲の大叱咤に思わず気もすくんだらしく、あっとたじろぐ刹那、槍は一閃に晏明を突き殺して、飛電のごとく駆け去っていた。しかし行く先々、彼の姿は煙の如く起っては散る兵団に囲まれた。馬蹄のあとには、無数の死骸が捨てられ、悍馬絶叫、血は河をなした。』(「三国志」吉川英治・著より)この見事な名文に心が躍りはしまいか?趙雲の神業とも思える超人的な武勇が、劉備の愛息子を救うのである。この幼主阿斗こそが、後の劉禅なのだ。「レッドクリフ」でも忠義の人、趙雲の活躍は充分に観て取れる。どうか、この「武神の剣が修羅の中にひいて見せた愛の虹」をご堪能いただきたい!また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.16
「将来への不安も生まれました。我々が敵味方になるかも(しれません)。」「そうなったら・・・私もあなたもそれぞれの主君に尽くすことに(しましょう)。」 「私があなたと兵を交える? 想像できません。」「あなたが・・・曹操に仕えなくて幸いだった。」公開初日、シネコンまで足を運んだのは、この作品が初めてである。「レッドクリフ」そのものに思い入れがあるわけではなく、この作品のベースになっている「三国志」に対する溢れんばかりの気持ちがそうさせたのだ。この壮大な歴史スペクタルを、何の予備知識もなしに、ただ漫然と鑑賞するのは難しいかもしれない。だが、奇才ジョン・ウー監督によって「レッドクリフ」という愛と勇気の物語として姿を変え、満を持してスクリーンに登場した。その完成度の高さたるや目を見張るものがあり、ファンを魅了してやまないのだ。手前味噌だが、吟遊映人が「三国志」初心者の方々にあえてポイントをご紹介させていただくなら、次の点を踏まえて鑑賞されるのがベターではないかと。1.地獄絵図のような戦場で、主君の奥方とその若君を救出すべく、敵軍の中をただ一騎駆け抜ける趙雲の活躍。2.軍師孔明が単身で江東を訪れ、並居る老臣らを前に、孫権と劉備の同盟を申し入れたくだり。3.軍師孔明が考案したとされる九官八卦の陣(またの名を奇門遁甲の術とも言う)の映像化。かなり大まかではあるが、以上の3点は「レッドクリフ」のパート1において主な要となっている。およそ1800年もの昔、漢王朝の勢力が衰えて来ると、虎視眈々と王座を狙う者たちが壮絶な戦いをくり広げた。その後、事実上、力を失った帝を手中にし、勢力拡大を続けていた魏の曹操は、弱小劉備軍と江東に根を張る孫権を攻めるため80万の大軍を持って討伐に当たる。一方、劉備は呉の孫権と同盟を結び、強敵曹操と対峙することになる。「三国志」については、単なる映画の感想として記事にするには余りある。あるいは“赤壁の戦い”について、もっと詳細なことを記事にして、一人でも多くの人たちがこの歴史書に興味を持っていただけたらと思ったのだが、肝心なことを忘れていた。そう、映画はあくまで娯楽。こちらサイドの思い入れを強要してはいけない。作品に触れる各人がそれぞれの感性で、様々な意見・感想があって良いと思う。“十人十色”という言葉もあるように、一つの作品をどう捉えるかは視聴者しだい。そんなわけで、吟遊映人は切に願う。「レッドクリフ」という歴史ドラマを、ありとあらゆる五感を使って多いに楽しんでいただきたい。そして、少しでも興味を持ったら来月公開予定のパート2も、ぜひとも鑑賞していただきたい。現代を生きる我々は、時空を超えて、歴史の生まれる瞬間を体感することができるのだ!2008年公開【監督】ジョン・ウー【出演】トニー・レオン、金城武また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.15
『6週間前、僕は平凡で惨めな存在だった。・・・君と同じ。では今の僕は? 顧客管理担当? 暗殺者? 自分の父親を殺すよう洗脳されたマヌケ? その全部であり、どれでもない。今の僕は何だ?』冒頭からこの作品の感触に、記憶の断片が残っていた。どこかで出会った感じがする・・・これってデ・ジャ・ヴ?映像なのかセリフなのか、はたまた演出なのか。とにかく全体からかもし出す雰囲気に心当たりがある。よくよく調べてみたら、監督がティムール・ベクマンベトフ。舌を噛みそうなこの名前は・・・そうだ、ロシアの監督で「ナイト・ウォッチ」を手掛けた人物!吟遊映人も伊達や酔狂でDVDを観てはいませんよ、ええ。(←ちょっと得意になってみた。)今さらだけど、自分の感性を信じて良かった!何と表現したら良いのか・・・SF的な要素の中にも、ふんだんに盛り込まれている人間くささとでも言おうか。こういう個性的な描写は、やっぱり目を引く。摂食障害の上司から度重なる小言を受け、プライベートでは恋人の浮気で過度のストレスを感じ、度々パニック障害を引き起こすウェスリー。発作を止める薬を買おうとドラッグストアーへ立ち寄った時、事件は起きる。貧乏でうだつのあがらないウェスリーが、何者かに命を狙われるのだ。そしてそのウェスリーを救出する謎の美女フォックス。彼女は、暗殺組織“フラタニティ”の一員であった。この作品のみどころは、やっぱりジェームズ・マカヴォイがボコボコに殴られ蹴られながらも敏腕の暗殺者になろうと頑張る姿、そしてアンジェリーナ・ジョリーのお色気ムンムンシーンであろう。ところでジェームズ・マカヴォイという役者さんは、こういう線の細いキャラが妙にしっくり合う。「つぐない」の時もそうだったが、今にも神経を病んでしまいそうな薄幸な雰囲気が漂っていて、しかもメンタルなところで爆弾のような扱いにくいものを引き摺っているのだ。何か訳ありの過去とか生い立ちを持つ役柄を、ジェームズ・マカヴォイの持つ、自分に対して軽薄になりきれない執着心が小気味良く演技に投影されているような気がする。アンジェリーナ・ジョリーは、ただそこにいるだけでクールな美貌に酔い痴らされる。 全体を通して、シュールレアリズム満点のアクション映画として堪能できるものであった。2008年公開【監督】ティムール・ベクマンベトフ【出演】ジェームズ・マカヴォイ、アンジェリーナ・ジョリーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.12
「何してるんだ?」「調べものよ。ジャマしないで。」「俺を愛してるくせに。」「まぁ自信たっぷりね。」「アレックス・ローバーは世界中の人間に愛されてる。」「そう、21カ国語に翻訳されているんですものね。」人は誰しも、幸せでありたいと願う。永遠に不幸などとは付き合いたくないと思う。だがいかんせん、人生とは皮肉なものだ。星の数ほどの苦悩に比べ、幸せはほんの一握りにも満たないかもしれない。だからこそ幸せが尊いものに感じられる所以なのだ。「幸せの1ページ」は、幼いころ母親を亡くし、父と二人、南の島でたくましく生きる少女と、ベストセラー作家でありながら対人恐怖症でしかも引きこもりの生活を送る女性が、それぞれの努力と勇気で幸せの扉を開けようとするファンタジードラマなのだ。南の孤島で暮らす海洋学者の父と、11歳の少女ニム。彼女は、冒険小説のヒーロー、アレックス・ローバーの大ファン。ある日、父親は新種のプランクトンを採取するために、ニムを置いて一人ボートで出かける。ニムはその間、留守番だが、仲良しのトドやトカゲの友人たちがそばにいるので平気なのだ。一方、小説の執筆に励む「アレックス・ローバー」の作者であるアレクサンドラは、次回作に苦悩する。作中のアレックスは不可能を可能にするヒーローであったが、作者自身は対人恐怖症で引きこもりというハンデを背負っていたのだ。作品を観てつくづく思ったことがある。それは、“幸せ”というものがどれほど貴重で有りがたいものかということだ。日常に転がっているささいなことでも“幸せ”だと感じられる心がけ。生きていることの実感。それは、万物に対する感謝の念にも通じるかもしれない。人は皆、艱難辛苦を乗り越え、紆余曲折を経て明日を生きる。たとえ人生のピークを迎え、順風満帆を謳歌していたとしても、それは決して長くは持続しないのだ。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。それが人生、これが人生。この作品を観ると、惜しまぬ努力とほんの少しの勇気が、新しいチャンスを与えてくれることを知る。それこそが、幸せの1ページをめくることにつながるのだ。2008年公開【監督】マーク・レヴィル【出演】アビゲイル・ブレスリン、ジョディ・フォスターまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.10
「紹介しよう。自律型偵察情報統合分析官(ARIA)。名前は“アリア”だ。」「収集した情報を処理し、パターンを見つけ出し、容疑者の動きを予測。動機や性格まで見抜く。」90年代前半、ジェームズ・キャメロン監督が手掛けた「ターミネーター2」を観た時、度肝を抜いた。液体金属によって格子の間をくぐり抜け、誰にでもなりすますことが可能という驚くべき悪役が登場したからだ。それまで、サスペンスやホラーにおける悪役と言えば、何か得体の知れない未知の生き物であるとか、とにかく気持ちのワルイものであった。最近では、もの凄い感染力の強いウィルスが蔓延して社会が崩壊していくとか、とにかく悪役も時代とともに変化している。今回観た「イーグル・アイ」も、なかなかどうして強烈なインパクトのある作品だった。 とうとう悪役もここまで進化したのかとさえ思った。本作では、人間の作り上げた英知の象徴でもあるコンピューターそのものが意思と感情を持ち、逆に人間を支配しようとするものであった。つまり、コンピューターが悪役になっている。シカゴのコピー会社に勤める、うだつのあがらない平社員のジェリーのもとに、実家から連絡が入る。それは、双子の兄の訃報であった。兄のイーサンは空軍に従事するエリートで、一家の誇りでもあった。だが、交通事故で死亡。一方、シングルマザーのレイチェルは、8歳の息子サムをケネディ・センターで開催される音楽演奏会に向け、送り出していた。その晩、久々に友人らとバーで羽根を伸ばしている中、レイチェルのもとに不審な電話がかかって来る。電話の相手は、指示に従わなければサムの命はないと、レイチェルを脅迫するのであった。「イーグル・アイ」に恐怖を覚えるのは、やはりそれがまんざらあり得ないことではないからだ。例えば、「T2」における液体金属のターミネーターは確かに怖いけれど、でもまずあり得ないだろう。だが、コンピューターが我々を監視し統制するというのは、あり得そうな話ではないだろうか。ありとあらゆる場所に設置された監視カメラや、官公庁の内部資料等、膨大な情報収集能力と行動分析能力を持ち得たコンピューターが、いずれ自分の意思や感情を持つ日が来るのも遅くはないかもしれない。この作品は、ハイテクに慣らされた現代人の認識の甘さに一石を投じるものであった。 2008年公開【監督】D・J・カルーソー【出演】シャイア・ラブーフ、ミシェル・モナハンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.06
「我らの願いは人間たちとすみかを分かち合い、穏やかに暮らしていくことです。確かに欲に駆られた一部の人間に我らの居場所は破壊された。しかしそれは我ら妖怪の世界とて同じこと。」「恐れながら・・・では天狐様は人間の横暴に黙って従えとおっしゃるのですか。」「思い上がるな空狐! 折り合いをつけろと言っているのです。」「ゲゲゲの鬼太郎」を観て単なるホラーマンガだと思ったら大間違いだ。この作品は、特定の宗教観を持たない日本人向けの、森羅万象に魂を感じ、崇め敬う精神を養う物語なのだ。そして、この作品のテーマはズバリ“エコ”。原作者である水木しげるは、実に先見の明を持った人物である。今ほど環境問題が取り沙汰されていなかった何十年も前から“エコ”を唱え続けて来たのだから!吟遊映人が解釈するに、妖怪というのは仮の姿で、実は森羅万象に宿る神なのではなかろうか。三浦健太(小学生男児)らが住む団地近辺では、大手建設会社が強引にレジャーランド計画を進めていた。立ち退きを迫られている団地住民はこぞって反対運動をくり広げていたが、建設会社側から雇われているねずみ男が妖怪たちを使って団地住民らの生活を脅かすのだった。団地に住む健太は、わらをもすがる思いでゲゲゲの森に住むと言われる鬼太郎に手紙を出して助けを求める。主人公である鬼太郎を演じたのはウェンツである。何を隠そう吟遊映人は、ウェンツがNHKの子ども向け番組“天才てれびくん”に出演していたころから知っている。あのころ、まだ声変わりもしていない、あどけない小学生だったウェンツがここまで成長したとは・・・懐かしい限りだ。それにしても鬼太郎のイメージって、もっと田舎っペなカンジであったが、ウェンツが演じたことでシティ派の妖怪みたいにグレード・アップ(?)した。これで妖怪たちも、草葉の陰で喜んでくれているに違いない。(笑)マンガの実写版はなかなか原作通りにはいかず、賛否両論あるところだが、本作においてはとても完成度の高い内容に仕上がっていたと思う。最近こと涙もろくなった吟遊映人は号泣した。それは、健太の父親が病気で亡くなり黄泉の国へ向かおうとしているところ、鬼太郎の助けを借りて健太があの世に会いに行くシーンだ。このファンタジーこそ現代求められている死生観につながるものなのではなかろうか。 実におもむきのあるファンタジー作品であった。2006年公開【監督】本木克英出演】ウェンツ瑛士、田中麗奈また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.03
「これはやつらの策略だ。お前が危険な男だと宣伝してる。これでヴァンパイアだけでなく、世界中と戦うことになる。」「心配しすぎだぞ、ジイさん。」「だから生き延びてきた。お前の歳より長く戦ってる。お前は息子も同然だ。俺も歳をとった。(お前が)敵に囲まれ一人で戦う姿を見てるのがつらい。(お前には)仲間が必要だ。」「ブレイド」の初回のストーリー展開からして、すでにウィスラーの娘や妻はヴァンパイアによって亡きものにされ、てっきりウィスラーは天涯孤独の身だとばかり思い込んでいた。が、違った。やっぱり思い込みは良くない。ウィスラーの娘アビゲイルはちゃんと生存していて、しかもヴァンパイア・ハンターとして草の根運動を果たしていたのだ。ウィスラーも高齢だし、万が一のことだってあり得る。その時はブレイドがたった一人で切り盛りしていかねばならないのかと、実は心配していたのだ。だからウィスラーの継承者が一人でもいてくれて安心した。ちなみにこのアビゲイル役はジェシカ・ビールで、実にチャーミングな女優さんである。 「NEXT」では、ニコラス・ケイジと共演。ニコラスと二人だけのラブラブ・ワールドを披露してくれた。(←もちろん演技上。) シリアの砂漠ではピラミッド型の古代遺跡に、いそいそと向かう怪しい面々。彼らヴァンパイアは、種の存続をかけて元祖ヴァンパイア・ドレイクを復活させようとしていた。一方、ヴァンパイア・ハンターであるブレイドは、彼らの罠にはめられて人間を殺してしまう。連続殺人鬼として指名手配されたブレイドは、アジトを突き止められFBIに捕まってしまうのだった。今回はまたまたパワーアップした。何がアップしたかと言えば、ヴァンパイアの最終兵器(?)が出現してきたので、それをパワーアップと表現してみたのだが。(汗)それは・・・元祖ヴァンパイアなのだ!!元祖ヴァンパイア・ドレイクの変身した姿のなんとおぞましいことか!「エイリアン」制作委員会も恐らく真っ青だ。こんなに恐ろしい怪物が古代地球に幅をきかせてのさばっていたとすると、それをピラミッドに封じ込めた人間ってスゴイと思った。素朴な疑問なのだが、これまでさんざん暴れ回ってたわりにブレイドの存在って認知度が低く、人間にはバレていなかったのか・・・?今回初めて人間を殺してしまい、FBIに追われる身になったのだが、わりと簡単に捕まってしまった。(汗)リアルに考えれば、人間ほど知的でコワイものはないということか。良い意味で不意をついたストーリー展開で、妙におもしろいホラー映画であった。2004年(米)、2005年(日)公開【監督】デヴィッド・S・ゴイヤー【出演】ウェズリー・スナイプスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.01
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