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現代音楽、というものをあえて好んで聴くことは少なく、わざわざCDを買って、、ということもまあ正直ありません。超有名どころで、音楽好きとはいえない文化人からも人気の武満徹さんの音楽も、なので、それほどよく知りません。TVで見かけるコンサートのライブにたまに含まれたら、「なんとなく」聴く(観る)というくらいです。基本、旋律やリズムによらない音楽は(響きってことですね)、ナマでないと、なかなか、たのしみにくい、、というのが僕の今のところの印象です。ナマで接する機会が結構あるのが、合唱曲ですが、もう、この世のものとは思えないほど、美しく、しかもなんともいえない「現代的」な感覚が他では得られない体験をもたらしてくれます。僕の数少ない「武満体験」のうち、有名作曲家だからとか関係なしにゆさぶられたもののほとんどは、合唱のコンサートで出会った曲が多いです。でもまたあまりに美しくて微妙すぎて、録音で聴くとまた違う、、んやなあ、、と思ったり、なかなか、「ナマモノ」ですね、音楽は(も)。しかし、武満徹、芸の幅がとても広く、「前衛」を思わせるような曲から、リズムや響きはもちろん、メロディでも独特の美しさを提供してくれるものがあるようです。亡くなる直前に、「歌謡曲」を書いて、石川セリさんに歌ってもらったCDを出されたのは有名な話ですが、いまだに聴いたことがありません。数多くの映画音楽やドラマの音楽を書かれたこともかなり有名ですね。今日、札幌交響楽団のライブを、NHKのFMで特集してくれました。バルトークやマーラーに並べて、武満徹の作品を演奏した模様を放送してくれています。FMをゆっくり聴くことも、結構ひさしぶりです。放送のよいところは、自分が「コレを聞こう」と思ってないものでも、ふとした「出会い」があること。。もちろん、ただ流れていって、全く憶えてない、、ということもあるわけですが。今日は、猛暑のお彼岸、、、ひとごこちの中で、ちょうど、札幌交響楽団のライブが家でまとめて聴ける!!と喜んで放送を流していました。大阪でずっと前に、リサイタルを聞きに行くことができた、廣狩さんのヴィオラもしっかり聴けたり、結構贅沢なプログラムです。そのヴィオラも曲もそうだったのですが、武満徹の作品をいくつか放送してくれました。そのなかで、「波の盆」という曲、大分前のテレビドラマの付随音楽として作曲されたものだそうで、確かに、美しく、懐かしく、耳あたりのよい、前に出過ぎない、でもなにかどうも「武満らしい」そんな曲です。あとで調べて、倉本聡の脚本のドラマと知ってしまって、ちょっとこの音楽の「完成された、そして方向性の明確な美しさ」に、少々ひっかかるものが生まれてしまったのではありますが(個人的には「ドラマ的なドラマ」を作ろうとしている姿勢と目線が見える気がしてちょっとニガテな脚本家の先生、という印象があります。あまりにきれいに完成されているような。DECCAの録音に近いかな。)、しかし、本当に、耽美的で陶酔的ともいえる美しい曲です。メロディは平易で複雑ではなく、美しさと懐かしさをのみ表現しようとするかのようにひたすらきれいです。自身無類の映画好きで、かつ映画音楽のベテランでもあった武満徹が、映像作品のなかでの「音楽の立場」を熟知したうえで、抜群のバランス感覚で、聴く者を手招きしてくれている、そんな優しさにも満ちた曲のようです。(ちなみに、武満徹氏は、以前「オーケストラがやってきた」で、自分は常に聴き易い曲を作曲してるつもりだ、と答えてはおられましたが。たしかにナマで触れないと、、って、このところ思ってはいます。)で、この曲、ドラマの付随音楽ですから、この「メインテーマ」以外にも多く作曲してるようで、ドラマのDVDでも見るか(笠智衆主演のドラマだそうです)、「サントラ」を買うか、とにかく、一度、「つづき」に触れてみたくなる、そんな美しい曲に、出会わせてくれました。PS 森田美由紀アナウンサー・・・ところで、森田美由紀アナウンサー、声といい表情といい、また、インタビューなどで見せる上品で知的でバランスのとれた人柄といい、大ファンだったのですが、札幌局へ行っておられたのですね。TVやFMの音楽番組でも、たまに、声がキンキンしたり、妙に強調したりする箇所がとっちらかってたりということがあるとそれだけで、もう聴かなくなったりするのですが、今日は随分おちついて、しかもバランスとれて聴けるなあ、、と思っていたら、森田美由紀アナウンサーだったのですが、最後に札幌局の、、とおっしゃって、しばらく全国放送ではお会いできないことがとても残念に思いました。どうせなら大阪局にきてくれればよかったのですが、大阪局は、札幌ほど、文化が盛んじゃないから(反東京の機運はあるけど、ものすごい「メジャー」優先なので結局東京流行モノが売れる、、または、地元に定着してないのに、一部の局か外注会社か役所に売り込まれたものをとりあげるか、みたいな。あと「大阪がすきやねん」みたいな、、、。局というより街の性格かも。)森田美由紀アナウンサーにとっては良い職場に行かれたというべきなのでしょう。でも地方に居るものとしては、また全国へ戻ってほしいです。。。文化で落ち着いて見せていただける筆頭が、森田美由紀アナウンサーと、黒崎めぐみアナウンサー、教養文化では小野文恵アナウンサーと松本和也アナウンサーと三宅民夫アナウンサーというのが、NHKのラインナップです。(後藤美代子アナウンサーが懐かしい)
2007.09.23
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パヴァロッティ追悼、ということで、朝から、ラ・ボエームをやっています。およそ、休日の朝向けとはいいがたいですが、それでも、トスカやマダムバタフライとかに比べれば、よいほうでしょう。この4幕からなるオペラ、前半の2幕は、とにかく、明るく、湧き出る力がみなぎる、「若さ」を表現する音楽で、一回聴いたら、すぐ憶えてしまえそうな魅力的なメロディが(プッチーニだからそこのところは万全)溢れてます。ただただ、聴いてて楽しい!!オーケストラの響きも多彩極まりないです。後半の2幕は、ストーリーが下り坂なので、(別れ話、貧困、病気、別離、病死)むしろプッチーニの得意の範疇といえるのですが、前半が余りに愉しすぎるので、ついつい前半を僕は偏愛してしまってます。これは昔、FM放送を120分テープで録音したのをよく聴いていて、「A面」で前半が入っていて、大体、「A面」聴き終わってそのままにしてた、、という超個人的事情もあるようです。いずれにせよ、それらは高校時代なわけですが。オペラのストーリーといえば元々それほど複雑なものは無いのですが、それにしても、今見ると、貧困と病気を背景にした別離の状況も理解できますし、ミレルラ・フレーニが感情表現がすばらしい、ということもビシバシと伝わってきます。(高校時代に見たときのもたまたまフレーニでしたが、この全然美人ともいえないオバサンがかわいらしい娘の役をしていて、一瞬で恋に落ちる、、というように見えてたのですが、今、20年前のフレーニを観ると、表現も含めてとても「可愛らしい!!」です。僕の年齢が追い越したことや、その後僕がいろんなほかのジャンルの「舞台」を見たこと、なども関係するのですが、なんにせよ、以前「楽しめなかった」「伝わらなかった」ものが、今、楽しめて、伝わってくる、というのはとてもありがたく幸せなことです。よくよく考えると、ちゃんと字幕をみながら見た(聴いた)のは高校のときのTV放送1回きりで、あとは音ばっかりでしたので、ピンとこないのも当然でした。アタリマエながら、やっぱり言葉判って見ると全然違いますね。特に感情の移り変わりを甘美であったり凄絶であったりする音楽に載せてドラマの橋を架けるのが持ち味のプッチーニのオペラにあっては!!ラ・ボエーム、今日後半聴くと、もうこれは、まぎれもないプッチーニそのものです。高揚にせよ、悲嘆にせよ、ドラマを突き進めていきながら、それぞれの気持ちや状況が過剰ともいえるほど伝わってきます。また、このオペラ、終幕の第4幕は、高揚と幸福の第1幕とは対極にありながら、ちょうど主題回帰するようにできていて、場もボロアパートに戻っていて、音楽も歌詞は異なるながらも、第一幕の主題が回想され、鮮烈な対比(生と死、幸と不幸、未来と終末、若さと熟年)が、なされます。設定そのものは、トラヴィアータと似てるのに、これほど表現が異なるのか、、、と思わずには居られません(当時見た人は全員トラヴィアータは知ってるはずで、台本作家も作曲家も意識した上で書いてるはず)。どちらが上とか下とかではないのですが、「違う」のです。より耽美的とも思える作曲家であるプッチーニのこちらの作品が、むしろ、交響曲的な構成ともとれるのも興味深いです。(緩徐楽章がスケルツォと入れ替わってたり、そもそも「楽劇」以後の作品だから主題が回帰するのだともとれるので、それほど厳密な意味ではないえすが。ただまあ、まとまり感があるというか。)さらに、それこそ「いまさらながら」なのですが、このオペラ、「友情」がよく書けているなあ、、、とも思います。定型的ではあるのですが、当事者とその周りの人たち、というものがそれぞれお互いに必然性をもって(音楽も)描かれて、舞台の上で息づいています。さて、パヴァロッティです。独特の声質と肥満から、だんだんオペラそのものから離れて行ったパヴァロッティですが、20年近く前のこの頃は見る限り活き活きと演じてます(元々極端に激しく動く役ではないですが)。声質は当然のことながらパヴァロッティそのものなのですが、少し聴き進めるウチに何の違和感もなくなり、むしろ、プッチーニの音楽にこれほど合う声は無いのでは、と思えてくるほどです。不安定な感じの全く無い声、きっとコレ、イタリア語を母語とする人が聞くと、さらに良い意味で「ド演歌」なストレートな表現がたまらないことでしょう。マリア・カラスでもそうですが、イタリア人にとって、イタリア・オペラはやっぱり、芝居でもあるのだろうなあ、、と思いました。歌いまわしと演技とそして歌唱力そのものと。。僕はいろんなジャンルの中で、演歌は非常にニガテとする分野なのですが、しかし、プッチーニを聴くと、もしかしたら、イタリア人にとって、良質な「ド演歌」なのでは、、、と思うときがあります。表現する様式がありつつ、表現することに対する含羞が無い、、というか、、、3大テナーといいつつ、イタリア人は、パヴァロッティのみ。僕からみれば本当に言葉のことは判らないですが、イタリア人からみれば、特に言葉の表現においては、やはりなにがしかの違いは感じるのだろうなあ、と思います。ナマで聴いてみたい人(しかも全盛期に)でした、今さら、、、ですが。
2007.09.17
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わずかに残された朝1回だけの上映にガラにもなく早起き(?)して行ってきました! (昼からは仕事に出て、平日できない作業してたら夜までかかったけど。)映画の魔笛といえば、昔から有名なのは、先日、惜しくもなくなったベルイマン監督のもので、僕がクラシック聞き始めた頃はよくコンサートに行ったら「上映会」のチラシをもらったりしてました(ビデオなんて普及してなかったし。よくありました「音楽映画」の上映のチラシ)。が、今もって、観た事がありません。「魔笛」という題名はそのチラシで知ったのですが、「魔」で、「オペラ」ですからね。。。敷居が高かったdす、当時としては。それからほどなく、NHKが大晦日にベルリン国立歌劇場の来日公演でのライブをTV放送してくれるのをちょうど「番組予告」でやってたのを見たら、どうも、ようわからん鳥の羽根のようなものを全身につけたオジサンが、口に錠前をくわえて、「フムフム」面白いメロディで歌ってる、、というシーンでした。で「魔」のイメージから一転「面白そう」と思って、大晦日に紅白もそこそこに家族で見たのが最初でした。なにぶん若かったもので、今でもだから魔笛は、最初から最後までだいたい口ずさめるほど(歌詞は全然ダメ)、親しんだ大好きなオペラです。フィガロに続いて見た、2つめのオペラ(どっちも TV)です。ケネス・ブラナーはデビュー当時からシェイクスピアの再現でセンセーショナルにとりあげられていたので、ぜひ見たい監督!!ではあるのですが、実際に見たことがあるのは「ハムレット」だけ、というかなり「縁」の薄い監督なので、「普段の作風」というものと比べられないのが残念ですが、今回は、極めて異色作、オペラの映画化です。「ハムレット」同様、音楽上の省略はおそらく全くなかった「完全版」です。(「弁者」は、ザラストロにまとめてしまっていますが。)オペラを普段(常にじゃなくても)慣れてる人と、そうでない人でこの映画の印象は大分変わるかもしれません。しかし、オペラの舞台の録画の場合、またそれはそれで、「舞台」を見慣れている人とそうでない人で、印象は変わるわけで、ありとあらゆる「伝達」の宿命ですね。まず、この映画を、オペラの演出 としてみると、むしろ、戦後のオペラ界で主流の「読み替え」を行っています。舞台の場合は、舞台装置や服装や演技によって、設定(時代・場所・立場など)を変えつつ、上演するというスタイルです。古典演劇の上演でもよくなされますね。ただし、通常セリフや歌詞の変更はしない、という制約の中で「アイデア」を競うのですが、この映画では「英語訳」であることを逆手にとって、翻訳の際にところどころ設定を変えています。韻を踏みやすくしたり、ドイツ語の語感とあわせるのにも効果的なところが色々ありましたが、テーマを「平和」「闘争の終結」に置きかえたことが、最大の特徴でしょう。元々は、フリーメーソンの儀式と価値観を念頭に置いた「理性=男性」「感情=女性」という対立の中で、「理性=男性」が「感情=女性」を支配してこそ正しい道を歩める、という、およそ現在では受け入れがたいような「主題」が一応「メイン」の主題ですので、当然後者の「夜の女王」(パミーナも)が悪者になっていくのですが、どうも「世話物」として見るとムリがあること(前半後半で善悪が逆転してる)は昔から指摘されてるとおりです。尖がった演出やリアリティを求める演出なら、カルト宗教に洗脳されてしまう二人、というようなことも可能です。ただそうなると音楽の内容と合わないので、そんな芝居をみたいのなら、なぜわざわざ「魔笛」を見るのか、、となるのですが。とはいえ、フリーメーソン的な男尊女卑を主題としないで、リアリティを求めようとすると、元々の台本が、善悪逆転、善玉側が、実子実母が面会謝絶、誘拐、管理不行届(部下がレイプ未遂・本人が自殺未遂)、強制監禁、生命の危険の甘受、など、かなり、問題が多いので、そこのところはどうしようもなく、もっと大きな「何か」を求めている、、という主題でまとめないと、演劇的に成立しません。まあ、そんなムリのあるストーリー展開と、いたるところにあるコミカルで愉しい場面で、そんなメインであるはずの「主題」はあんまり重要じゃない、、、というオペラだからこそ、当時も今日も大人気曲の地位を不動にしてるのでしょう(もちろん、全てが陰影に満ちた喜びのあふれるすばらしい音楽あってこそ!!)で、そのもっと大きな「何か」として「平和」を主題にした今回の「魔笛」。舞台を、第一次大戦の「戦場」それも「前線」にしています。そして「クリスマス休戦」を少し挟むなど、現実のモチーフをところどころ接点を持たせながら、あくまでも虚構の世界を展開します(ココをリアルな世界の描写と受け取るとこの映画に乗り損なう・・・)。主な「舞台装置」は、あの大戦に特徴的なうねり伸びる「塹壕」(当時大戦の長期化とともにその総延長は膨大なものになったとか)、その背景として、「戦場」にされた「美しい平原」、そして、同じく「塹壕対策」用兵器として多用された「毒ガス」。それに「毒ガス」検知用の「小鳥」と通信用伝書鳩。オペラ「魔笛」は元々リアリティのあるオペラではないのですが、といっても舞台としてやる場合にいつもどうするか、問題なのが冒頭に登場する「大蛇」です。本当の冒頭に登場し、王子タミーノを死の恐怖から気絶に追いやりながら、3人の侍女に2小節で退治され、その後も舞台に残りながらもジャマにならない。というモノでないといけません。冒頭の序曲から、この大蛇のシーンまでは、この映画でもオペラとの関係から言うと、ものすごいアイデアだと思います。(以下、ネタバレ)生命の深刻な危険を感じさせるシーンで、水壕に落ちたタミーノに向かって水面を這って来る、毒ガス。この短時間(音楽に沿うのでオペラと同じ時間進行)で、本当に生命の危機と恐怖を感じさせる演出・設定は初めてですし、映画ならではのものです。また、このオペラでリアリティもへったくれもないのが「鳥刺し」パパゲーノです。鳥を捕まえる人のことなのですが、初演の時の衣装のスケッチをみても、また台本中でも、どうも本人自身が「鳥の仲間」っぽいのです。このオペラ随一の魅力に満ちたコミカルな一番ヒューマンな人間(?)なので、そのあたりは大概の演出では「鳥人間」みたいなコミカルに「浮いた」役となってますが、むしろそれでホッとする、というようなキャラクターです。しかし映画となるとそうも行きませんし、そもそも「鳥を捕まえる人」の存在が難しいです。オペラでは女王に(侍女たちを通じて)捧げる出入りの鳥刺しとなっているのですが。映画では、塹壕でのガス対策用小鳥(カナリア?)と通信用伝書鳩という当時の前線の必須の鳥たちの世話係として、登場します。「第一次世界大戦の前線」をモチーフにした今回の映画、このように冒頭の掴みのところでのキャラクター設定は、意外な「共通点」の発見、というアイデアに満ちていて面白かったです。というか、ブラナーが「大蛇をどうしよう?」と悩んで、「あ、塹壕!!!」と思ったか、もしくは、「第一次大戦の頃の塹壕戦」の写真を見て、「ん? 大蛇!」と思ったかのどちらの「思いつき」から発展してこの映画になったのでは、、と思うほど、よくも悪くも「思いつき」が並行している、というところはあるかもしれません。ストーリー自身を変えてしまえるわけでは無いので、余りそこからの「啓示」とか「新解釈」を求めようとするよりはアイデアを楽しみながら、意外とそれぞれには独立したリアリティが立ち現れる、各場面の音楽と歌に気持ちを沿わせていく、のが正解でしょう。3人の侍女登場以降は、ストーリーそのものが超自然なので、リアリティ確保は難しく、虚実の境はあいまいなのですが、おおまかに何かになぞらえて、共通のモチーフを保っています。侍女は赤十字の看護婦(士)、ザラストロの宗教団体の神殿・殿堂は、「野戦病院(おそらく戦禍に巻き込まれた教会か「城」を利用)」で「共同体」を形成しているところのようです。ザラストロ自身は一応、院長っぽいですね。フラッシュでちょっと夜の女王との夫婦生活も出てきたり、最後の場面で、女王との感情のやりとりを示したりはしますが、基本オペラの元のセンです。また、平和の希求と、夜の女王一味を滅ぼすということの対応関係も、一応、「戦おうとする衝動」の象徴のように描いてるものの、これも、作る方としてはかなり苦労・工夫した点でしょう。見る側としては、オペラと「並行した」モチーフとして平和・戦争を置いた、と思ってみると、それぞれの「表現」として味わえるようです。そんなワケで全体通したドラマとしてみると、元の脚本が矛盾があったり、ファンタジーなので、映像化には工夫のあとがそのようにいろいろなのですが、各場面としてみると、意外と(?)ストレートに音楽も含めた作品の魅力が伝わってくる映画となってます。各場面でリアルな人間たちが、思いを伝えたり、歌ったりする場面(特に恋や愛、将来への胸苦しい期待や恐れなど)では、「オペラの舞台」とはまた違ったリアリティがあって、英語であることも(得意じゃないとはいえほぼ全然のドイツ語と比べれば)加えて、かなり「グッ」ときました。元々、このオペラの歌、グッとくるものが多く、もうこれまで何十回(何百?)と聴いて来ましたけども、またこんな「出会い」によって、さらなる魅力を「感じ」させてもらえること、は幸福なことでした。このところ、報われない・届かない愛に少々敏感すぎるかも、、ですが。。。高校生か、、僕は、、、。ちなみに、オペラを初めてみる、という人が見るのに向いてるか向いてないか、は、賛否両論になる気がします。オペラ特有の、突然な登場と突然の「場」の転換が、しかも歌とともに切り替わる、ので、どうやっても、映画にするとやや難しくなります。(本題ではないのですが、夜の女王が、タミーノに「娘を助けて」と嘆いて消え去るという場面は、オペラでは吊りモノか何かでさっと切り替わるのですが、映画にするとそうも行かず、戦車に乗って、指さしながら去っていく、、、という映像でした。が、、「初対面の人間に、思いっきり頼んどいて、答えも聞く前に"たのんだぞ!!"と言って去っていく、、って場面は結構「変」でした。いえオペラやったらフツウなんですが。)本来のストーリー展開と異なる(並行した)イメージを追加してるので、ストーリーや相互の人間関係が、却って、判りにくい気はするかもしれません。(第一次世界大戦を場面設定しても、「夜の女王」やその侍女が居たりすることは避けられない。)でも、舞台でも「象徴的」な演出が最近多くて、それよりは遥かに見やすいです。映画館で見る!!というのがまたいいんですよね、TVと違って。長くても気を散らされず、集中して見切ってしまいます!家でDVDかで初めて見るのなら、オーソドックスな演出の字幕付きでまず観た上で、コレを見ると、かなり新鮮に楽しめるように思います。オペラをよく観ておられる方だと、まず心配になる「英語歌唱」については、僕も心配でしたが、意外なほど、うまく合ってました。ある程度、語感を合わせた用語法だったりして、また日本語のシラブルと単語の関係よりは、ヨーロッパ語同士であわせやすいのかもしれません。まあ、こんな映画でした。観に行ってよかったです。本当に。僕としては。
2007.09.08
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