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ここ3週間、一念発起して部屋の大改造にチャレンジしている。古いマンションなので、収納が極端に少ないうえに自宅と仕事場を一緒にして、ここ数年でいろんなものがあふれ、ちょっと収集がつかなくなっていた。気持ち的にもいつもモヤモヤとしたものがあって、都度応急処置をしてきたつもりだけど、根本的にやらないとどうにもこうにもらちがあかない。そんなことで、ここ数週間は仕事の合間に引っ越しか? と見まごうほどの大変な状態が続いた。既製品じゃスペース有効につかえないので、細かいところは棚や収納を自分で作ったりして。かきだした荷物の山を見たときは、ど~しようかと、ぼーぜんとしたりもしたけど久々の大工仕事も、案外楽しかったりもして…しかし、仕事関係の資料もあるとしても、自分の荷物がこんなにあるのかと、思い知らされた。その中には、いつか使うだろうとなんとなく買っていたものも多々あり。毎年、多少は大掃除で片づけているはずなのに、それでも輪をかけて増えていくモノたち。使わなければただのゴミなんだけどね、ほんとは。分別して、かなりのゴミも出して、それだけでもこんなにいっぱいの不要品と暮らしていたのかと、軽いショックを受けつつそれ以外にも本もダンボール3箱古本屋に売ったし、部屋の隅にはまだ5箱分位の不要品が。こちらは今週末のフリーマーケット行き。-二子玉川のナムコ跡でやるので、みんな来て下さい(笑)これが片付けば、部屋もかなりすっきりします。それにしても、いろんなものの片づけをしていて懐かしいものやら、こんなものとってあったんだというものも多く、そんな山のような荷物を片づけながら、なんだか自分の中の心のゴミや不要物も一緒に整理しているようで。これまでワークショップや断食なんかもちょこちょこして、いろんなものを解放してきたつもりだけど、人生、ん十年生きてきて、いろんな体験をしてるわけだから、それでもまだ片づけきれていない、いろんなものが体の中にもあるわけで、きっとこれが目に見えるなら、きっと今回処分したもの以上に心の不要物もたくさんあるんだろうなと、目の前のゴミや不要物を見ながらしみじみ。そういえば、身のまわりの物質的な物を片づけるのは、すなわち、心の掃除にもつながると誰かが言っていたような。そうだよね。どんな小さな物にも、何かしらのエネルギーがあるわけだから、不要ないろんなものが部屋にあるということは、不要ないろんなエネルギーを抱え込んでいるということで。きっとなんとなく物事がうまく運ばない、なんてことも、こんな不要なエネルギーをいっぱい抱えているせいもあるんだろうな。これからはライトボディの時代。とにかく内側の片づけもして、心も軽くしておかないときっと先に進むのも、しんどいんだろうななんて思ったり。とにかく片づけは8分目まで終わりました。見た目にも完全にスッキリするまでには、あともう一息。なんとか頑張って部屋も心もキレイになれば、来年はきっといろんなことが軽やかに進んでいくことでしょう(笑)感謝。
Nov 28, 2003
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今日、11月9日10時12分頃、六つの惑星が等間隔で並んで12星座上に六角形を形成するという。三つの星でできる二つの三角形が重なり、ちょうどユダヤのシンボル『ダビデの星』の惑星配置になるというのだ。この配置は占星術的にもとても重要な意味を持つそう。しかも、今日は満月。さらに時を同じくして月食が起こるというのだから、これはもう気にするなったって気になってしまう。とりあえずその時間は、見えぬ宇宙の星の形に想いを馳せようと思うのですが…何か感じたことあれば、また日記に追記しておきます♪------------ついでに当日は大注目の選挙戦。永田町に新たな旋風が巻き起こるか!?と期待したものの、結果は期待ほどにはならず。投票率もあんなに低かったとは…結局、多くの人が保守の世界から抜け出せないのか。日本が変わるのは、まだまだ先のよう… トホホ
Nov 9, 2003
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とある友達が、困難な状態に直面している。複合した問題に見舞われ、精神的にはかなり辛い時期のよう。徐々に落ち着を取り戻しているようだけど、時折まだ不安定な状態になるという。でも、彼女は懸命にそれを乗り越えようとしている。離れた所に住んでいるので、時折メールで励ます以外はなにもできない。でもあまりに過剰な励ましは逆効果。プレッシャーになってしまうこともあるので注意している。だから、私にできるのは早く彼女に光が届くよう、祈るだけ。でも、私は知っている。彼女がちゃんと立ち直れることを。彼女の毎日に、笑顔が戻ることを信じてる。人生には荒野という時期がある。人によって程度やケースはさまざまだけど、いろいろな問題が重なり、身動きできないそんな時期。荒野の真っ直中にいるときは、なかなか光に目を向けられない。人の想いも、言葉も届きにくい。学びのときだと頭ではわかっていても、なかなかそこを抜け出すことができない。でも、そんな簡単にできるわけない。キリストも仏陀も、長い精神的な葛藤や苦痛を経て、ようやく荒野を切り抜けたのだから。そして、過酷な荒野の時期を経てあの偉大な悟りが生まれ、自ら、そして人々をも救うような大きな力を得た。困難や問題が人生に顕れるとき、それは大きな成長のチャンスだといわれる。困難は、自分にいま何か手放さなくてはいけないものがあるというサイン。それに逆らい、古い考え方や価値観にしがみ付いてると、さらにドツボにはまってしまう。だから、一時的には辛いけど、その状況を受け入れ、問題に立ち向かって行く方が、結果的には立ち直りが早い。わかっちゃいるけど、なかなかできないのが凡人たる所以だけど。でも、人は困難と同時に、それを乗り越える力を与えられて生まれるという。困難に直面したということは、それを乗り越えられる力があるということだ。それを信じられる勇気があれば、必ず荒野は乗り越えられる。暗いトンネルを抜け出て、まぶしく滋養に満ちた太陽の光を、再びたっぷりと浴びることができる。ひとまわり深く、慈愛に満ちた自身に気づき、自信に満ちて、新しい人生を歩き出すことができる。その日を信じて、私は祈りながら待ち、トンネルの出口で、彼女の笑顔を迎えよう。
Nov 4, 2003
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最近、新しく出会う人が、なぜかとても懐かしく感じる。仕事でも、プライベートでも、ネット上でも出会う人ほとんどに、それを感じる。初めて会ったり、言葉を交わす人なのに、なんだか懐かしいと感じる顔だったり、妙に共通点があったり。だから、話していてヘンな緊張がない。相手の腹を探りながら、言葉を探すという面倒もなく、自分の感じたことが素直に言葉になり、心をラクにして話ができる。コミュニケーションで、これはかなり大事。もちろん、出会うすべてが親友のように両手放しでオープンな付き合いができる人ばかりじゃない。年代や、性別、職業、立場もそれぞれ違うのだけれども、それ以外の部分で、自分との関係性やポジションになんらかの役割を持って出会っているように思えてならない。一定の距離を置きながらもなんらかのヒントや情報をくれる人、問題提起をすることで考えるチャンスをくれる人、悩みを抱えていて、それをサポートするチャンスを与えてくれる人、感覚や考え方が似ていて、自分の考えに確信を持たせてくれる人、共通の意識を持っていて、行動に励みをくれる人、単純に話すだけで、心をほぐしてくれる人、肩に力が入っていたんだなぁと、気づかせてくれる人…それぞれが同志や古い親友のように懐かしい感覚を持ち、それぞれが違った角度から、学びのチャンスや新しい発見、自分の再確認、魂の豊かさを与えてくれる。人との出会いには、偶然のように見えても、やはり必然のような“縁”がある。出会う人は、遠い昔にやはりなんらかの関係性があったに違いない。その関係性に想いを馳せていると、魂のなかから、なにやら懐かしいものがこみ上げてくる。そしてそれに気づいたとき、ハートも豊かになっている。やはり人は出会うべくして出会うものなんだなぁと、心で納得。そして、出会うべき人に出会たことに、純粋に感動。世の中、社会的にも周りでも暗いニュースが多いけど、それに翻弄されると、なんだか自分の環境も心地悪くなり、心もからだも萎縮して、自分自身を見失ってしまうこともある。そんなときは人の優しさや言葉も、素直に受け入れられなくなる。そうすると、やっぱり自分自身が苦しくなって、辛い。何かと分離している感覚は、常に不安をかきたてる。そんなときは、緑の中に出かけたり、空を見上げて無心に深呼吸をしてみる。そして、心とのコミュニケーションが取れると、少しずつ、自分のなかに余裕が生まれてくる。自分にとって大切なのは何かということに、再び気づく。そして、また人とのコミュニケーションも楽しくなる。私を成長させ、そして豊かにしてくれる、よき出会いに、感謝、感謝。
Nov 3, 2003
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