2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全4件 (4件中 1-4件目)
1
ゴミ出しついでに、久々に朝の渓谷に行った。「おおっ~、空気が濃い!」渓谷に下る階段を1~2段降りただけで、密度の濃い空気が瞬時に全身にからみつく。前日の大雨で、いつもより湿気を帯びた空気が肌に心地よい。何かに促されるように、踊り場で、思わず目を閉じ深呼吸。外から取り込まれたみずみずしい生命の光が、足の裏から頭頂へと一気に昇り全身を駆けめぐって、みぞおちから抜ける。光が通り過ぎた跡には細胞のあちこちから生命が踊り出し、充実した感覚と一緒になにやら懐かしい記憶が顕れる。目を開けると、目の前には光のショウ。木々の隙間からまぶしい太陽の光がこぼれんばかりに射し込み、薄暗い渓谷と水面を照らす。雨の翌日の快晴の朝は、光は普段より、濃く、まぶしく感じる。あちこちから差し込む一筋の光は、まるで印象派の絵画のようにステージを照らす無数のライトのように煌めきたちまち瞳とこころを虜にしてしまう。「まるでチャペルに差し込む光のように幻想的」いつか同じ場所で同じ光景に出会ったとき、すれ違った外国人が言っていたことばを思い出した。そして呼吸とともに意識に昇ってきた微細な感覚、記憶にも光を照らし、それがなんであるかを思い出すよう、促す。水の生命力をたっぷり取り込んだ、みずみずしいいのちのエナジーと、懐かしい記憶。記憶は、まず感覚を刺激した。懐かしいといっても、すべてが心地よい感覚というわけじゃなくこころをチクっと刺すような、キュンと柔らかく締めつけるようなそんな感覚も入り交じる。そして、断片的に浮かび上がるかつて出会った人々の顔や、できごと。細胞の奥に眠っていた小さな記憶が意識の水面上に控えめに昇って、解放されていく。空いた細胞のすき間に、新しいエナジーが詰め込まれる。そして全身に満ちて広がる、充足感。呼吸は、単に空気を入れ換えているのではない。酸素を取り入れ、二酸化炭素を吐き出すとともに、からだに残る記憶や感情、痛みなど古いエネルギーを解放し、真っ白な新しいエネルギーを取り入れる。そんな役割もあるんじゃないかと思う。だから、日々忙殺されて呼吸が浅くなるとからだが、こころが苦しくなるんじゃないかと。深呼吸をしながらそう思った。でもいったい、この記憶はどこから来てるのだろう。確かにからだの中から沸き上がってくるという感覚はあるのだが。こころ、細胞、DNA?かつて「水には記憶する能力がある」 と唱えていたフランスの科学者がいたそうだ。多くの科学者は、その説に呆れかえったというが、水と記憶の関係は、確かに何かあるような気がする。海、湖、川、噴水。人は無意識のうちに水のまわりに集まる。波の動きや川の流れを見ていると、知らず知らずのうちに何かを思い出し、考えにふけっている気がする。水にはやはり、記憶と関係する何かがあるんじゃないか。「 そういえば、からだの約70%は水分なんだしなぁ…」今日も渓谷のせせらぎを聴きながら、そう思う。
Oct 23, 2003
コメント(4)
約1年ぶりに原穴診断に行って来た。原穴とは、からだの各経絡の状態を反映する重要な経穴だそう。両手首、足首に電圧をかけ、皮膚の電気抵抗の変動状況を測り、12経絡の気血の盛衰を診察して臓腑の病状を推診するという、中国式陰陽五行に基づいた診断だ。そして各結果から、昇降度、収散度、湿乾度、実虚度、熱寒度といった体質が割り出され、偏った部分を改善するための中国式食事療法のアドバイスが受けられる。昇降度は、自律神経の状態。収散度は、症状が外に出やすいか中に出やすいか。湿乾度は、水分の体内保持能力が多いか少ないか。 (太っているか痩せているか)実虚度は、肌が脂性かカサカサの状態かなど。熱寒度は、エネルギーの燃焼速度の速度の区分。 (からだが熱いか、冷え性か)など。さてさて、私の診断はと言うと、 昇降度で昇。自律神経の働きが上半身に偏っていて、症状が胸より上にでやすいとか。そういえば、この夏、顔や上半身にやたらと汗をかくなぁと自覚していた。次に 収散度は散。つまり症状が外に出やすく、汗をかきやすい体質。夏の間中、寝ていても妙に汗をかいて気持ち悪かったような。そして 実虚度は実。若干脂性だそうな。その他は正常値。今回の結果は、それほど心配するようなものではないが、多少は気にかけておき食事で改善するようにと言われた。そして状態を改善するために食べてはいけない食材として、しょうが、ねぎ、ニンニク、ふな、砂糖、カレー、わさび、こしょう、とうがらし、酒、茶、コーヒーなど。ええええ~っ、お茶飲んじゃダメなの?そして、積極的に食べなさいと言われたのが、小麦、そば、とうもろこし、とうふ、えんどう、ピーナッツ、トマト、こい、いか、牡蠣、牛乳、豚肉、鶏肉、卵、桃、柿、うめ、びわ、みかん、のり、酢などなど。とにかく刺激物は控えろってことか。でも、ふなやこいってどうよ? と思ったら、これは中国式の食材なのでこんなのも挙げられるって事らしい。肝心なのは、偏食しないで、バランスよく食べなさいってことみたい。これって、基本中の基本だよね。改めて食の大切さを学んだ1日でした。余談ですが、この間怒りについての考察を書くきっかけとなった連れも一緒にこの原穴診断を受けたんですが、その結果、特に肝機能が異常興奮しているとのこと。そうか、それであんなに怒りやすかったのね。それとも怒ったから、肝機能に影響を及ぼしたのか…本人も結果を見てちょっとショックなようでした。やはり肝臓と怒りはなんらかの関係があるような。
Oct 17, 2003
コメント(3)
昨日、怒りについての日記をUPしたらものすごい数のアクセスがあった。まあ、単に休日でなんとなく見てる人が多かっただけかもしれないけど。〈怒り〉 についてのいくつかの意見やコメントももらった。それぞれすごく興味深い内容だった。そんな中で感じたことは〈怒り〉を含めたいろんな感情には、自分探しや自分が成長するための何か大きなエッセンスがあるではないかということ。かつて私は〈怒り〉をとても無駄なエネルギーだと思い、なんとか自分の中から排除しようと思ってたことがあった。でも、それは感情の中からまったく消すことはできなかった。普段はほとんど平穏でいられても、ときに何かの瞬間に、からだの中から突如湧き出てくる。ということは、感情はからだや心のどこかにもともと存在しているものなのかもしれない。だから〈怒り〉も、無理に蓋をして押さえ込んでしまうのではなく、からだの中にため込んで爆発する前に少しずつ消化しながらうまく付き合っていけたらいいなと思う。まあ、現実にはそんなにうまくはいかないんだけれども^^;また、感情は各臓器と結びついているとも言われる。〈怒り〉は確か、肝臓と関係していて肝臓が悪い人は怒りを発現しやすい というのを聞いたことがある。お酒を飲んだときにケンカをしたり、酒飲みに暴力的な人や怒りっぽい人が多いのもそのせいだろうか。それならば、肝臓が健康だったら〈怒り〉はなくなっていくんだろうか。そんな風に感情は、からだや細胞レベルでも深い関わりがありそうなので、そう一概には語れないけれども。愛する人がいる。好きな人にはやはり受け入れてもらいたい。自分をわかってもらいたい…そんな気持ちは誰もが一緒だ。でも、感情はいつもうまく表現できるとはかぎらない。そして伝えられないもどかしさに、イライラすることもある。相手に気持ちや本当の自分を伝えることは、ときに簡単でときにとても難しい。これは単に恋人や夫婦の間だけじゃなく、姉妹(兄弟)や友達、仲間などいろんな関係性にもあてはまること。でも、わかって欲しい気持ちばかりを押しつけるんじゃなく、相手に理解してもらうには、やはり伝える努力も必要。私は何を理解して欲しいのだろう。いったい何を伝えたいのだろう。何に怒りを感じているのだろう…こういったことが曖昧だったら、いったい相手に何を伝えればいいのだろう。自分の気持ちを理解してあげられたとき、はじめて何を伝えたいのか、何が欲しいのかわかる。怒りを感じているのは実は相手にではなく、自分自身に対してだったりするかもしれない。そして自分のこころに気づいたとき、相手を理解する余裕も生まれるのかもしれない。
Oct 13, 2003
コメント(3)
恋人、夫婦、兄弟(姉妹)、母と子、父と子etc…それぞれの関係性の中でよく繰り広げられるケンカというゲーム。特に恋人や夫婦、親子間でよく繰り広げられるのが支配権を争う感情のゲーム、パワーゲームだ。取るに足らない小さな行き違いに、怒りという感情の魔物が加わったとき、それは起こる。そして相手を完全に屈服させるまで、相手が自分に振り向くまで、全エネルギーをかけてその戦いは続けられる。力ずくで振り返らせようとするわけだから、エネルギーを浪費し、ケンカの後はとても疲労を感じる。怒りやケンカの背景には、夫はこうあるべき。妻はこうあるべき。子はこうあるべき。夫だから、妻だから、恋人だから、子供だからこうして当然。夫婦だから、恋人だから自分のことをわかって当然、理解して当然、自分と同じように感じてくれて当然、という無意識の傲慢な考えが存在する。こういった観念をベースに、相手がルールを破っているから当然私には怒る権利があるのだと、正当性を主張し、相手を自分の足下に屈服させようとする。よくよく考えるとどうでもよいことのために、かなりの無駄なエネルギーを使っている気がするがゲームの最中には、そんなことに気づく余裕もない。怒りの裏には弱さがあると聞いたことがある。自分の弱さ、弱点をカムフラージュするため怒りというエネルギーの形を借りて相手を威嚇するというのだ。たとえば怒りの原因をよくよく考えてみると、きっかけは、ささいな感情や言葉のすれ違いだったり、コミュニケーション不足だったりと取るに足らない事が多い。そして、なにかのきっかけにそういった行為を相手の無理解、無視、関心のなさと受け取ってしまうと、自分を否定されたような気がして怒りの感情がムラムラ沸き上がってくる。怒りを発現しているとき、その心の奥を覗いてみると、そこには不安や悲しみといったネガティブな感情が見え隠れする。そしてその不安や悲しみの原因をさらに探っていくと、最後には自己不信や否定、自分を愛していないといった衝撃(?)の事実に行き当たる。認めたくないことは多々あるけれど、認めざるをえない真実。「なんだよ~、結局原因は相手じゃなくて自分の中にあったのかい?」そう、怒りの本当の原因は、自分自身の無理解や自信のなさ、自己否定だったりする。自分の弱さや不安を認めたくなくて、知られたくなくて、怒りで完全武装していた。そしてあたかも自分ではなく、相手のせいと問題を置き換えていたり…う~ん、これじゃいつまで経っても解決するわけない。うっかりケンカしてしまった後、怒りを出してしまった後、大きな自己嫌悪に陥るのはたぶんにこんな理由があるからではないのか。そういえば、自分が健康で自信に満ちあふれているとき、すべてが順風満帆に事が進んでいるときなどはあまりケンカをしたり、他人の小さな言動に怒りを覚えたり気になったりしない気がする。最近、自分が少し怒りっぽくなっているなと感じたら、ちょっと深呼吸して自分の心の声にゆっくり耳を傾けてみたらどうだろうか。そして、不安で震える怯えた心をぎゅっと抱きしめてあげるといい。もちろん、カルシウムをたっぷり摂るのも忘れずに(笑)
Oct 12, 2003
コメント(3)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


