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12月31日 晴れ(一時小雪)今朝も冷え込んだ。しばれたしばれた。夜勤明けでかなり眠い。飼育作業をしながら一部除雪もしていた。除雪をしているうちに弟が来るかと想ったが意外と来なかった。少しだけ弟の作業も残して家へ戻った。午後は休憩していた。夕方、夜勤の準備をして一の橋・小田原さんの家へ弟とでかけた。おじいさんとおばさんとごちそうを食べながら今年最後の時間を過ごし、夜勤へとむかったのでござった。大晦日なので多忙な日となることを覚悟していたが例年よりも案外静かであった。今年1年はプライベートもいろいろあった・・・。和歌山の親戚を訪れた・・・愛犬アシリが亡くなった・・・弟のスペシャルオリンピックス全国大会・・・そして我が父の死・・・エミュー牧場も少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。来年はどんなことが待っているだろうか・・・お楽しみである!!来年もよろしくお願いします。ニンニン。
2006.12.31
12月30日 晴れ雪がやんだ。日が差してきた。晴れた。かなり冷え込んだ。夜勤から戻り飼育作業を始めた。鍵や鎖やらあらゆるものが凍り付いて固まっていた。湿った状態で急激冷凍されたような感じだ。久々に朝早くから弟が作業に来た。弟には敷地の除雪をしてもらった。弟が希望したこともあるが体を使うことが体力や筋肉をつけることになるからだ。拙者はエミューに餌・水をあげてから屋根の雪を落としていた。でもこの状況は少々おっかない。命綱をつけることにした。あと除雪機はエンジンをとめるとあっという間に凍りつく。日差しや自分の体温、機械の熱などで溶け出している雪が溶けながらどんどん凍結して行っている。ぬれた服や手袋もどんどん凍り付いてきている。除雪道具も引っ付きそうな感じである。そんなこんなで作業をして午後になったので家へ戻った。家へ戻りぬれた体を乾かした。そして壊れたテレビのアンテナの接続を付け直そうと想ったが、弟に買ってきてもらった接続の道具は・・・端子の線が1つのやつ・・・。家のは2つに分かれているやつである。が、拙者のミスでもある。壊れたのと同じのを買ってきてと言ってしまったのだが、壊れたのも、1つのやつなのだ。2つに分かれているのをむりやり1つのにつないでいたのだ。昔、今のテレビを買ったときに、2つになっているのがなくて1つのに2つのをつなげたのを思い出した。だから今まで映り方が不安定だったんだ!!忘れていたでござる・・・!!なんとかできないかなぁとまた2つの線をその1つのにつなげようと試みるがうまく映ってくれない。道具を買ってくるほうが早いかもしれないが、いまさら買いに行くと休む時間もなくなるし(近くに店はない。)拙者もかなり疲れている。普段ならテレビを観れないことはほとんど問題ないが・・・年末年始はさすがに観れないのもどうかなぁと・・・留守録もできなくなるし・・・弟も観たいようだし・・・町の西村電気に電話してみてもらうことにした。さすがはプロ、2つの線を1つのにつなげるとだめなんだけど、片方だけつないで片方を別のところにつなげて、1つしかつなげるところがないのに応急的に映るようにしてくれた。とはいえ、本当は、ちゃんと道具を買えば済むことなのだが・・・年末の大変な時期にこんなことで呼んでお手数おかけしたでござる!!してそんなことをしているうちに夕方になってしまった。なんてことだろう!!少しでも休まないと夜がもたないと想い休憩するが、起きたら夜7時50分、夜勤にいく時間であった。弟が起こしてくれた。昼も食べていないのに、夜も食べる時間がない。昨日の残り物をかばんに詰めて、夜勤へむかったのでござる!!今日は久々に冷え込むかもでござるなぁ。弟は昨日、職業訓練後、町行きどまりのバスに乗って帰る前に町へ行ったようだ。美花夢へ訪れたようで、自分なりに心を癒すために行動しているようだ。元気になるようにがんばっているんだなぁ。ニンニン。
2006.12.30
12月29日 雪相変わらず雪が降り続く。弟は早朝から職業訓練・・・のはずがバスに乗り遅れて1つあとのバスで行った。拙者は朝食を食べてから少しゆっくりし、それから作業を始めた。除雪しながら飼育作業・・・!!しかし雪が多くて除雪のほうに時間がかかった。放牧地は全部はやれず半分程度。まだ雪が降り続くので途中までにし、残りは明日以降にした。そして屋根の雪を落とした。産卵チェックもして、卵を1個GETした。昼飯は食わずに、午前10時半から午後5時過ぎまでやっていた。今日に備えて昨日は少し体力を回復させたが、少々疲れたかも。家に帰って簡単に飯を済ませて、夜勤へと出かけた。さてっと、どんな順番で作業を進めていこうかなぁ。ニンニン。
2006.12.29
12月28日 大雪 朝から雪が降っている。吹雪いている。 下川では全道ノルディックスキー大会があるはずだ。 あと翌日からはスキー場が開放される。 夜勤明け、除雪をしながら飼育作業。 午後・・・休憩をした。 オークションでGETした掃除機が無事届いた。 弟はさっそく張り切って掃除していた。 弟がテレビのアンテナを壊し、 テレビがみれなくなった。まぁ、なんとかなるだろう。 弟が録画してくれていた映画 『私の頭の中の消しゴム』を観た。 悲しすぎて涙がたれてきた。 記憶が消えても心は残るかな・・・。 想いは残るかな・・・? 弟がすっきりしない顔をしている。 聞いてみた・・・。 そして予測して聞いてみるとやはり、 父が亡くなったことをずっと引きずり 立ち直れないでいる。 だから言った。 叫びたければ叫べ、泣きたければ泣け、 感情を抑えようとしなくていい。 落ち込むなら落ち込め、 調子が悪ければときには引き込んでいたって いいんじゃないか?? 失った悲しみはだれだってそんな短い間に 消えるもんじゃない。 自分だって同じなんだからなぁ。 一瞬笑顔が戻った・・・。 そして真夜中に弟は叫んでいた。 そして寝た。 直そうと思って直せないことだって あるのだ。心はとくに。 しかし自然は容赦なく雪を降らせる。 ニンニン。
2006.12.28
12月27日 雪(雨)今日は朝から雨だった。この時期の北海道では珍しい。でも一の橋だけ雪だった。そんな天気が1日続いた。下川のN岡さんが、撃沈している弟のためにクロスカントリー用の靴やスキー道具を一式貸してくれた。さっそく弟は、下川スキー場の歩くコースで歩くスキーを楽しんだ。3週もしていた。こんなことなら、拙者も借りるんだった。そのうち時間に余裕があれば来てもいいかもなぁ。明日はここで毎年恒例の全道ノルディックスキー大会があるが、この湿った雪や雨は、なかなか大変なコンディションになりそうだ。その後、役場などで必要な書類をGET。父が亡くなったことでいろいろ必要なことが多々あるのである。行く所々で、弟がクロスカントリー始めたの?と聞かれるが、なぜわかったんだろう?・・・と想ったら、そういえば弟はスキー靴のままだった。それから一の橋に戻り、少し休憩したら夜勤へむかった。今日は早出勤で夕方からなのだ。またカツどんと引き換えである。撃沈気味の弟も引きこもり気味から復活でござる。相変わらず湿った雪が降り続く。ニンニン。
2006.12.27
12月26日 晴れ昼間は暖かくなった。弟が職業訓練で留守なのでストーブをとめてすかさず窓をあけて換気。弟がいると換気もできない。今日は午前中飼育作業のち、午後、町で手続きなどを済ませてきた。若干、昼寝したもののうまく寝付けなくて休まらなかったのでちょっと体がだるい。夕方は巡回してライスの卵・9個目GET。それにしてもここ数日夜になるとライスペアーは、2羽とも小屋の中に入ってドアを閉じている。自分で冷えないように閉じているのか??それともただの偶然で閉まっただけか・・・。そろそろ漫画の第8巻も発刊を考えたいとおもいまとめているのだが・・・原稿のページ配分が間違えていたようで・・・完成にはもう少しかかるかも???今年はアイスキャンドルの時期も早いし・・・イベントに間に合うか自信がなくなってきた・・・。ま、やれるとこまで、時間の合間に進めるかな。今日も夜勤へいくのでござった。★ところで、ネットにメールアドレスを掲載しているからか毎日、迷惑メールが50件以上は来る。普通のメールはそのうち5件ぐらいしかない。とほほ・・・。で、面倒なので迷惑メールらしきものは開くこともなく、まとめて削除しまくっている。場合によっては、迷惑メールじゃないメールも間違えて削除しているかもしれない。そこで、お願いがあるのだけども・・・件名に、どんなメールの内容か、もしくは送り主がだれであるのかが、わかる題名をつけて欲しいのと・・・、送り主の名前に、送り主がわかるような名前で送っていただけると、間違って削除することも少なくなるので助かりますです。ニンニン。
2006.12.26
12月25日 晴れ今朝はやや冷えた。夜勤から戻って作業。エミューも足が冷たくて片足を上げて歩いている。餌、水などをあげながら巡回した。午後は、休憩した。昨日の疲れプラス夜勤の寝不足で熟睡した。夕方起きて、準備して軽く飯を食べて夜勤へ・・・の前に最近撃沈気味の弟。スキー(クロスカントリー)の自主トレを始めたいということと、また地域で体験など訓練をしたいとのこと。それにはまず、スキー道具の入手、つまりどなたか近くで使用していないスキー道具をいただくことと。自主トレに必要な知識である。どなたかアドバイスあればぜひ。あと若干めどがあるのだけど道具の提供の情報なども求みますです。ちなみに拙者はスキーをしたことがなく、おまけに1月14日のSONクロスカントリーコーチクリニックには、父の法事で参加できずなので拙者が弟にアドバイスすることはできへんかも??無念。そんな弟にやや頭を抱えつつ夜勤へとむかったでござる。ニンニン。
2006.12.25
12月24日 雪雪が降ったり止んだりまた降ったり。夜勤明け、休まずそのまま除雪&飼育作業。飼育が終わったら、エミューの長い長い小屋の屋根の雪を昼間でひたすら落としては除雪機でフッ飛ばしながら延々と作業を続けた。午後になって弟もやってきたのでとりあえず放牧地の通常の除雪のみやってもらうことにした。本来は筋トレにもなるのだ。午後、家へ戻ってしばらくして休憩し、それから夕食を食べた。そういえば福祉施設で働いている友人とひさびさに話をしたが、介護や障害者に対してどんどん予算が削られていく時代だが弟のことで思い出したことがある。弟も今年から職業訓練に通うのにも費用がかかるようになった。一時期それが弟にとって大きな混乱を招いたことを思い出した。そして命をも削ろうとしたことさえあった。たとえ数千円の負担だったとしても経済的な負担はわずかであっても、知能障害のひとにとっては、精神面での負担というのは凄く大きいのである。障害のある人に頑張れ!!と言ってはいけないのは、1つはもともとすでに普通の人よりも頑張っているのもあるが、頑張れというのが大きな精神的負担になるのである。同様に、自立するための経費を自分で負担しなさい。というのは、今以上に頑張りなさい。と言っていることと同じなのではないだろうか・・・。国にとっては、たいした金額でないお金を削るだけのことかもしれないけどそれがひとの命を左右することを理解してほしいなぁと、想ったことがあり今もそう想うのである。今宵はクリスマスイヴ?だっけかな??クリスマスは、亡き母の命日である。ニンニン。
2006.12.24
12月23日 雪夜勤明け、寝不足で頭痛がする。ちなみに不慣れなネットオークションで、弟のためになんとかサイクロン式掃除機を落とせた。一応、通常割引で売っている値段よりさらに安値である。午前中は休憩するが、弟はなぜか不調気味??このときは彼自身、不調であることにストレスを感じるだろうからあまりこっちも気にせず普通に接する。少し様子を観ながら基本的な部分は弟なしでもいい状態にしておいたほうがいいかもしれない。除雪などをしてそれから産卵時間まで作業しながら待ち、ライスの8個目の卵をGET。そして夜、飯の準備。飯を食べて夜勤へ・・・!!なんだか体が重いでござるよ。生活のバランス?それとも、部屋の喚起??またひとり下川で出会った親友が町を去ることになった。出会っては分かれて出会っては分かれていく。下川町は受け入れる土壌がある反面、厳しい状況もある。しかし、下川町で挑戦することで他では学べなかった多くのことを感じるはずである。そこで得たことを活かしながら人々は別の地へと向かっていく・・・。そして別の地に行っても下川とのつながり、お互いの友情は不滅だ。流れていく人々・・・移住当初はまわりとのつながりを意識しすぎてそこに翻弄されたりしたが、ここ数年で自分の意志というものを考え、そこから自分が出来ることを考え、まわりの流れに翻弄されなくなってきてはいる。親友がいなくなっていくたびに、自分の下川にいる意味、生きていこうとする意味を考える。まだまだ自分は答えを導き出すほど頑張っていない。ずっとずっと挑戦していくうちにその答えがみえてくるであろう。そして拙者はこの地で生き続けるのである。ニンニン・・・!!
2006.12.23
12月22日 曇り時々湿った雪が降り注ぐ。遅めの朝食を食べてから牧場へむかった。飼育作業をしてから屋根から落ちた雪などを含め除雪作業をしてそして取り壊している柵の壊れた扉を分解して取り外した。それから注文を受けた漫画などを発送したり、メールを確認したりして、夕方に自分の家へ戻るとちょうど郵便配達が荷物を持ってきて帰りかけたところだった。偶然無事GETできた。弟は、職業訓練に出かけている。さっそくその中にある北海道産豚肉ベーコンを焼いてなんかもったいないので1枚は生のまんま、数枚、半焼きで食べてみた。残りは弟がいるときにしよう。夜勤の時間になったので夜勤へ!!よく考えたら世間では明日から連休でそのまま年末。学校はたしか冬休み突入だったかな??夜勤先もいろんなところから人が集まっているようだ。ニンニン。
2006.12.22
12月21日 曇り 今日は微妙に暖かい。 夜勤明け・・・まずK島家を訪問。 卵を5個GET。 それからT社訪問。 そして、アスリート励ます会の Yさんをたずねた。 弟のスペシャルオリンピックスの 応援をしてくださった 皆さんを把握するためである。 なんらかのかたちでみなさんへは 報告とお礼の挨拶をと考えているが、 300件以上もあるし 住所も明らかではないので、 時間及び工夫が必要である。 みなさん、本当にありがとうございます!! それから信金へ行き、お金を下ろした。 そして農協へ行き、餌代を支払った。 それからこんどは役場へむかった!! 自分の印鑑証明変更と、 弟の印鑑証明登録手続き。 そして再び夜勤先の温泉へむかった。 年末調整及び挨拶である。 日々の給料は必要最低限であるが 年末に成果を得た度合いに応じて ボーナスが支給されるのである。 やったね★ 今年は父のことなどで お金と時間を費やして金欠だったが これは有難い収入である。 昼に牧場へ戻ってきた。 それからしばらくして、 家へ戻って休憩。 じつは夜勤の間も不眠だった。 昼まであれこれやって そのまま休んだ。 起きたのは夕方でござる。 それから用事を済ませて 今日は夜勤がないのでまた夜まで寝ていた。 夜・・・ゆっくり夕食を食べた。 その間にドクタースランプ・・・じゃなくて ドクター・コトー診療所最終回がやっていたので 観てみた。 医師とはなんなんだろう?そうずっと問いかける話だった。 答えはみつからないけど、ずっと問いかけていくこと…。 弟は『デイ・アフタートゥモロー』を撮っていてくれていたので ビデオを流してみた・・・。 温暖化のよる異常気象の脅威・・・氷河時代再来。 身近すぎて恐ろしい。 形ある物はいつか滅ぶ・・・ 自分の創り上げてきたもの・・・描いている漫画本だって。 すべての形は無になってしまうのかもしれない。 残っていくのは、子孫、そして魂・心だと思う。 創り上げたものは残らなくても、 創り上げたものによって、 どこかへ残っていくものがあるはず。 映画とは関係ないがそう思うのである。ニンニン。
2006.12.21
12月20日 晴れ昨日の作業でやや筋肉痛である。あと妙に眠い。牧場を巡回してみた。ヘッドライトの電池も取り替えて夜中の巡回、やはりライス(エミュー)の卵、7個目をGETした。予定通りでござる。明日は朝から夜勤先で用事があるので合間に町の用事を済ませれるように必要なものを準備してそして夜勤へとむかった!!ところで弟が掃除機のブラシの部分を壊しちゃったんだけどこの回転式ブラシの部分だけ別で入手できないものだろうか??ところで昼寝の間に夢を観た・・・。物音がするので見に行くと逃げさるひとがいてそれを闇雲に追いかけるが相手は凶器を持って襲い掛かってくる夢だった。もう1つは・・・、夜勤先に午前中用事があるのだがその前に別件の用事を済ますとうっかり夕方になっている夢。電話してもつながらない。しかも、夜勤先一体が洪水になっておりおまけに吸血鬼が襲い掛かってきた。・・・という夢。雪が少なく日中は日が差して、夜は冷え込むため、路面はアイスバーンである。今日から五味温泉の露天風呂がセンキュウ風呂になった。下川で生産された薬草・センキュウが入っている風呂である。ニントモカントモ。
2006.12.20
12月19日 時々雪今日は風がある。雪も少々積もった。夜勤明け、軽く除雪をしながら餌をあげた。休憩を挟んで、再び牧場へ。扉が閉じないように置いていた石がそのまま地面に凍り付いていくつかの扉は閉まらなくなっていた。そして糞の塊が出来ていて閉まらない扉もあった。冬は雪が降るとエミューが外を歩いて雪を踏み固めてしまう。そうなると除雪が大変なのである。踏み固まる前に除雪できるといい。夜中、エミューが小屋で寝ていた場合は朝まで閉めておくと、朝の除雪は楽である。ということで、必死で石を取ろうとするが叩いても火花が散るのみで無理。まわりの地面を削り取る作戦で汗水流しながらひたすらやったがそれでもとれない・・・!!湯を沸かして熱湯を石にかけてみた。石は熱を伝わりやすいからひょっとしたら・・・。それでも大変だったが、でもとれた!!そのあといくつかの石もとり、また、糞の山となっているところも削り取った。最近産卵しているライス(エミュー)の寝床は木屑も敷いておいた。そして夕方、拙者は着替えて名寄・丘の上学園にむかって弟をピックアップ!!それから名寄市立大学へむかった!!在学生である友人から今日が、大学の教師主催のクリスマス会であることを聞いていたので、みにきてみた。一の橋でお世話になったおがっちさんやKさん、SOなどでお世話になっているななさんたちもいた。他にも知っている学生はいるはずなんだけど夜中で人があちこちいるので拙者には見分けは出来ない。弟も知っている人に会えたようである。おなじみの先生方にも会えた。昨年は先生方に声をかけていただき参加したのであるが、今年はみにきただけである。1時間程度だからとおもい、薄い靴下で帽子も手袋もなしできたがだんだん冷えてきてじっとしているのはけっこうつらいもんである。回りもひとがいなくなってきて、もうぼちぼち帰ろうと想っていたのだが、ラストのショーが始まる前に、偶然、進行役の先生と目が合い、飛び入りで今回も出来ます?と聞かれ、結局飛び入りエミューダンスを行った。ん?そういえば父がなくなりしばらくエミューダンスする気力もなかったはずなのにそのままの流れで今、想うとなんの抵抗もなくエミューダンスを踊れた。弟もなんだかはしゃぎまわっていた。楽しそうなのでよしとしよう。その後、下川へ戻り、初Qマート!!Qマートは、西條経由で出来たお店である。弁当を買って夜勤へでかけた。ちなみに弟はそこにおいていった。ニンニン。
2006.12.19
12月18日 一時雪・晴れ朝は久々に冷え込みの激しい朝だった。やっぱり昨日の夜中に産卵があった。ライス(4個目プラス2)6個目。ってことはこのタイミングだとこんどは水曜日あたりがあやしい。便通がぱっとしなかったり胃に違和感があったり、体がだるかったりすると、最近はノロウイルス?とかいうのがはやっているのでちと心配になるなぁ。予防はやはり手洗い・うがいなんでしょうか??ところでこまった・・・四十九日のあとの挨拶の手紙や喪中の手紙はどのように書けばいいのか・・・わからないのでだれか教えて~。父・・・大切な家族を失い、同時に感じることは、大切なひとたちの存在。そしてそんなひとたちの優しさ、心の温かさ・・・。今日も夜勤へむかうのでござる!!ニンニン。
2006.12.18
12月17日 晴れ時々小雪今日は夕方から下川町内E家へ。弟マー君も一緒に連れて行った。拙者は過去何度も訪れているが、弟が訪れるのは初めてである。この家庭はいつも姉妹やその夫や子どもたちなどが集まりにぎやかで楽しい。Eママもきっと幸せなのではないだろうか。今回はEママや長女夫婦、のりさんファミリーや近所夫婦と楽しくお食事したのであった。純粋ににぎやかで純粋に楽しい。最近のいろいろな寂しさも吹っ飛んでいきそうである。美味しい料理がいっぱいでお腹も満足。今夜は冷え込みが激しいのに、この家の中は暖かい。集まるひとたちの熱気が部屋も心も人も暖めているのである。ひょっとしたら北海道の冬というのはこうやって寄り添ってみんなで過ごすほうがいいのかもしれない。E家のみなさん、ありがとう・・・!!この寒い雪国でまわりの温かさを感じながら今日も1日が過ぎていく・・・。拙者は夜勤なので早めに失礼したでござる。ひょっとしたら真夜中に、今日当たりエミューが1個産卵する気もするが・・・。産卵時期は夜も気になる。ニンニン。
2006.12.17
12月16日 時々雪・曇夜勤明け・朝風呂温泉入浴も済ませて。午前中は休憩し、昼、事務所で連絡事項をみてから外の除雪作業をしていた。敷地の除雪である。でも、ほとんどエミューが踏み固めちゃいました。うーん。男女ボーカルをやっている札幌の友人『かねあい』。彼らの思考や理念は、拙者の目指す生き方と共感できる。そんな彼らから、歌にこめられたメッセージとともにCDが届いた・・・!!そこには『未来』という歌が入っていました。聴いていてじーんと心にきました。あい氏は、これを根にスポットを当てて普段報われなくとも努力しているひとたちへの応援歌でもあると言う。弱さを知りそれを受け入れて強く生きることの大切さを拙者も日々感じていて知能障害を持つ弟への想いでもある。根こそがもっとも大事でありそこがしっかりしていないと枯れてしまう。自分自身、一の橋で活動しているのは様々なものの根の部分だと想う。そしてをはって根付いて、それが何かへの根っこになれればと想う。そんな想いがこの歌へと共鳴したのか。というかかねあいの歌はほとんど共感できるものばかり。男女ボーカルの合わさる響きも好きでござる。いっしょに入っている『やさしいうた』もシンプルでいい詩。これからじっくり聴かせてもらおう。かねあいの応援・励ましの歌、たしかに心に受け止めたでござる!!さて今夜は、何ヶ月ぶりに名寄のスミスファミリーを訪れた。再会を喜びつつ、そこから彼らと近くの会館へむかった・・・!!彼らが開催するクリスマス会の会場である。クリスマスといえばキリスト教、クリスチャン。拙者は無宗教ではあるが、クリスチャンである彼らがどんなクリスマスを行うのかというのも関心があった。そこで歌を聴き、人形劇を観て、クリスマスの意味を学び、拙者は夜勤なのでティータイムに参加できずに帰った。時間の合間に来ていた子どもたちと交流。小学生と小さな子どもの兄弟がちょっといじめっこな上級生の女の子と張り合っていた。小さな子どもは逃げる技を磨き駆け回る。小さい頃は女の子のほうが成長が早いのでけっこう女の子が強かったりする。でも中学ぐらいになれば男の子は圧倒的に成長し始めどんどん強くなるのであるが。なにはともあれ面白い3人組であった。拙者は夜勤へとむかった!!ティータイムに参加できなかったのはやっぱ、残念かなぁ。ニンニン。そのまま夜勤へきたけど弟、家で元気にしているかな。寒さに弱い弟は朝のテンションが低い。
2006.12.16
12月15日 晴れ時々雪や曇日中は晴れた!!父がなくなり14日目か…。弟マー君はひさびさの職業訓練へ。拙者は遅い朝食を食べてからのんびりと飼育作業を始めた。水入れの水はほとんど凍りついておりしばらくしてから1度回収して湯で溶かして取り除いておいた。今、事務所でストーブが使えない。作業以外の時間は、家にいることが増える。今日も小峰ハウスでチャオママからいただいたコーヒーをおとして飲む。風連特産館の日本一の御餅を焼いて食べる。トースターが異様に熱いのは??壊れていたら危ないなぁ・・・。今日も夜勤である・・・!!なにか書こうとしていたのに、日記を書く時間になったら忘れてしまった・・・。思い出したら書くとしよう・・・!!ニンニン。
2006.12.15
12月14日 曇り 時々雪がちらつくがそれほど積もらない。 そんなに寒くもない。 やや調子が良くなく 夜勤から戻った後、午前中は休憩。 昼から2箇所の屋根の雪下ろしをして その雪を除雪機で飛ばした。 また事務所の屋根の雪が1部落ちていて 除雪機で吹っ飛ばしていたが 落ちかけている雪まで落ちてきそうで退いたら 案の定、雪が落ちてきて間一髪であった!! 除雪機とかの振動で余計落ちやすくなったのか?? なにはともあれ、屋根の側は気をつけないとかな?? その後、家へ戻った。 実家に電話したら母は元気そうである。 毎日、近所の人や友達が来ているそうだ。 さすがにあの年齢ぐらいの友人になるとみな、 家族を失うつらさを経験しているのもあってか その気持ちを理解してくれているんだろうなぁ。 家を留守にすることも出来ないし、 でもひとりでいると悲しくなってしまう時間、 だからまわりでどんどんその家をにぎやかにしてあげることが 元気付けになるのである。・・・と思う。 今夜は夜勤がない!! 弟とどこかへでかけてもいいんだが・・・疲れるかな。 弟に聞いたら別にどうでもよさそうだったので 拙者も家でゆっくり食事することにした。 近所や町の友人とか、どっか夕食兼ねて顔を出すのも いいなぁと思ったのだが・・・、 夜勤のない日ぐらい弟のそばに・・・とも思う。 結局、父を失った後なんで、 弟の側にいることを選んだ。 おかずがなかったが、ちょうどお歳暮が届き、 中川町特産のソーセージをおかずに 飯を食べたのであった。ニンニン。 エミュー・ライス産卵3個目・・・!!
2006.12.14
12月13日 雪・雨毎月12日はパンの日!!BY 矢内菓子舗。って、今日はもう13日だけど。なんと今日は気温がプラスになり今朝は雨だった・・・!!午後はそれでもなかなか落ちない屋根の雪。簡単なところを1箇所だけ落としてそれから除雪した!!比較的温かいんであとは危ないからやめておいた。今日はイサホ氏も時間があり久々に話が出来たでござるよ。夕方は、一の橋の役員会があり会議に出席した。ひとがいなくなるこの集落。運営にもあれこれ大変なことが多い。一の橋旧公民分館は、今のままでは、取り壊しを決断せざる終えない状況である。その後、夜勤へ。途中、この前割れてしまったエミューの卵を試作用にとおかしの矢内さんへ持っていった。すると、そこではすでに試作が出来ていてそれを試食した。ちょうど連絡しようと想っていたらしい。1ヶ月ほどまえに、イサホ氏や友人と試作について雑談したことがあったけどイサホ氏が矢内ファミリーの3女にすでに話しており、矢内さんが試作を進めていたのであった。どんなものかは、お楽しみに!!ご期待あれ!!こうやってまわりに応援していただけると勇気がわいてくる!!そして、頑張って続けていくだけだってやがてはまわりの心を動かしてそして道がいずれはひらけていけるのかもなぁとも思えてくる。たとえ、前に進めなくたって、あきらめずに追い続ければ道がひらける。そんな勇気が沸いてくる!!矢内ファミリーのみなさん、いつもありがとうでござる!!ニンニン。
2006.12.13
12月12日 晴れ 久々の夜勤明けで眠い眠い。 午後はエミューの敷地を除雪してみた。 時間がわからなくて 少し早めに戻りすぎたかな。 まだ午後4時だった・・・。 拙者は大阪育ちなので 奈良も行ったりしていて 当時は鹿の糞の歌が流れていたもんです。 エミューの糞(抹茶味)が あってもいいんじゃないかと思ったり。 で、このまえ、お土産で 鹿の糞というお菓子をいただいたが でっかい鹿の糞でござるなぁ。 さて、今日も夜勤でござる。 スキー合宿の季節。ニンニン。
2006.12.12
12月11日 曇り疲れた。朝はゆっくり寝ていた。昨日持って帰ってきた実家のそばのパン屋のパンを食べてそれからエミューの飼育をした。ひさしぶりである。弟が除雪作業を行い、拙者は餌と水をあげた。雪の上を歩いていると体が熱くなる。それからメールや留守電、手紙などを確認して自宅へ戻った。実家にいるときや友人といるときは、ぜんぜん元気だった。本当に元気で落ち込んでなんかいなかったのだ。でもなぜだろう・・・自分の家へ戻ってきてひとりで静かにしていると、悲しい気分になってきた。なにか心のエネルギーが抜けていくようななんかよくわからないけど悲しい。今まで母のこと、兄弟のこと、まわりへ気を配っていて・・・遺族で動けるのは自分なんだから自分がしっかりやらないとという気持ちや日々に追われていて夢中だったからか・・・悲しんだりつらいと想っている暇さえなかったのかもしれない。へんだなぁ。悔いなんてないし、平気なはずなのに。もともと離れ離れだったのに。そんな気持ちになって、きっと弟も辛いんだろうから、弟の前では元気でいなければなぁと想った。そして、実家に残された母は、今頃もっともっと寂しい想いをしているんだろうなぁと想った。家族を想うと悲しくなった。弟とタイラーさんたちのお土産を食べながらチャオママからのお土産のコーヒーをおとして飲んで、軽く夕食を食べて・・・今日から再び夜勤へと出勤した。ニンニン。
2006.12.11
12月10日 雪(北海道下川町) 朝、帰り支度をし、 父に線香をあげ、母と時間まで話をし、 兄としばしの別れを告げ、 川越にある実家を出た!! 弟は早朝からすでに出ている。 羽田空港に到着しチケットを購入。 弟が待っていた。 そしてかつてともに新聞作りをしていた 親友・たぬき(仮名)さんと再会。 わざわざ羽田空港まで会いに来てくれたのだ。 みんなでラーメンを食べ、コーヒーをいただき、 ・・・というよりごちそうになったんだけど。 そして飛行機に乗り込んで 新千歳空港へ向かったのであった。 そこから弟と札幌駅までむかった。 札幌は割りと暖かく0℃ぐらいであった。 弟はうっかり切符を紛失していた。 探してもまったく見当たらず、 やむをえず駅員へ事情を話した。 今回は拙者が一緒にいたため、 幸いなことに弟は 無事一緒に出ることが出来たが、 気をつけないとでござるよ。 札幌駅では、一の橋友達のタイラーさん、 そしてその友人やmasakoさんたちと 拙者の親友・さちさんと合流。 近くの中華店で夕食をごちそうになりながら 一の橋話で盛り上がった。 またみなさんからお土産までいただいたし 喫茶チャオの店長まで駆けつけようとしてくれて 結果、来れなかったのだけど、 お土産を用意してくださって、 その気持ちだけでも感激でござる。 なかなか会うことも出来ない拙者も 暖かく見守ってくださるみなさんの優しさに 感謝感激でござる!! 最終列車に乗り込み旭川へむかう。 しかし入れなくなるぐらい満員になり 列車の出発も遅れた。 旭川から乗り換えて名寄駅へ・・・!! それから車の除雪をして 下川町へと帰ったのである。 下川町はマイナス4℃と、 夜にしては暖かく、今夜は割りと暖かい? ここはもうすっかり雪に包まれていた。 雪の生活に気持ちを切り替えていかないとなぁ。 自分の家へ戻ると、すべてが凍り付いていた。 水も抜いておいたけどすぐには水道が出ない。 ガスも冷えてしまって使えない。 時刻は深夜1時を過ぎていた。 弟は札幌に荷物を1つ忘れてきたようである。 かなり動揺していた。 拙者も気持ちはなぜかへんだ・・・。 なにかよくわからないけど、実家を出た後の 拙者の心境に変化が置き始めている。 今まで抑えていたなんらかの感情が 今頃ゆっくり表に出始めている。 拙者もうっかりしないように 気をつけないとでござる・・・。 なにはともあれ、 下川町一の橋へ戻ったでござる・・・!! ニンニン。
2006.12.10
12月9日 晴れ朝、ゆっくりと明日や今後の計画を立てながら家族との時間を過ごしていた。昼は、川越付近にすむ方々の誘いで食事を食べに出かけた。でもあったことのないひとばかりなのだが自分の活動に関心をもってくださり歓迎の場、交流の場を設けてくださったのである。お土産もとっても良くて実家に喜ばれるものであった。とても気遣いのある素晴らしい方々であった。多くは子育て中のお父さん、お母さんの集まりであった。いろんな話題で盛り上がった。拙者が実家に居た時代の近所友達は学生が多かったので、今となっては、実家付近にはいない。実家の親の友人とはよきお付き合いをさせて頂いているが、個人的な実家近所友達は非常に少ないのである。だからこうやって実家にもどったときに実家の近所で食事を食べれる友達ができるというのは非常にうれしい限りである。実家へ戻ると、ちょうど拙者が下川を知り移住するきっかけとなった近所交流のあるRさんが実家へきてくださっており、母や兄、弟と話をしていた。話が盛り上がりそのまま、近所のUさんの家へ。そして夕方帰ってきたのでござった。そして家で夕食を食べて・・・明日はいよいよ北海道へ帰る!!四十九日過ぎるまで残された母は、あまり動き回れないだろうなぁ。でも、たくさんの親友がいるから、きっとみんながよくしてくれるから寂しくないであろう。拙者も四十九日まで戻り年末・年始を乗り切るでござる!!精神の病で苦しみ兄も、今回、かなりがんばったのではないだろうか。病気と闘いながらつらいのを我慢して乗り切ったのであろう。弟もがんばったでござる。みなさん、ありがとう・・・!!!!ニンニン。
2006.12.09
12月8日 曇り朝、熱海のおばさんがはるばると実家・川越へ来てくれた。感謝!!拙者がモンゴルの活動をする際にも大変世話になったし、弟もSONに出るときに世話になり日常でも日々世話になっている。拙者の実の母のお姉さんである。拙者は実の母の親戚には父のことを伝えていなかった。様態が良くなくてお見舞いにいっていることは伝えていたが、なくなったことまでは伝えていなかった。母にも実の母の親戚のことは口には出さなかった。父が今の母に対する気遣いで昔の母の親戚との交流をやめていたし拙者も父の気遣いを考えふれなかったのだ。拙者自身は、実の母との付き合いは今も続いているのである。父の兄弟がそんな拙者を察してこの前も連絡しなくていいの?と声をかけてくれた。昨日、今の母からも、連絡したほうがいいよね?と声をかけてくれた。熱海のおばさんがすぐに駆けつけてくれた。有難い!!家族とみんなで思い出話も含めおしゃべりしながら時間を過ごしおばさんを見送った。それから帰りの飛行機などを調べ郵便局でお金を下ろしてセイコーマートに行ってチケットを買ってきた。北海道のコンビにであるセイコーマートが、驚くことに拙者の実家のある川越市内にできたのである。明日は、川越近隣のひとたちが交流の時間を作ってくれていたりなつかしい友人からも連絡があったり、いつも世話になっている方も来てくれるそうだったり、うまく皆さんと時間が過ごせるように予定を組み立てていきたいでござる。あ、今日は父の初七日でござる。ニンニン。
2006.12.08
12月7日 晴れ朝、実家・川越。泊まっていた母の姉と息子が帰った。そして葬儀屋と次なる打ち合わせ。四十九日の準備である。また清算等のことなど。それから父の死後必要な手続きなどだ。午後からはまたいろいろその後の話し合いや説明を受けたりした。いろんなことがひと段し、近所に挨拶に行ったり、クリーニングに預けていた拙者のモンゴルジャケットをとりにいった。見違えるほどにきれいになっていた。実家のすぐそばの米屋はその場で米を選んで精米してもらえる。精米したての美味しい米が食べれるわけである。10日に北海道へ帰るつもりである。いろいろ父を想う日々を送る。拙者には、おじいちゃんもおばあちゃんもいない。母も子供時代になくし、父もなくなった。父の再婚相手である今の母が残った。僕らをつなぐ父はもういない。父はきっと願っている。自分がいなくても、母とわれわれ兄弟が血縁がなくても親子としてつながりを持って助け合って生きて行けることを・・・!!拙者は当然のように信じている。たとえ離れ離れであっても母がいつまでだって母で居てくれることを。父に一度でもうれし泣きさせてあげたかったなぁ。ニンニン。
2006.12.07
12月6日 晴れ式場控え室で一夜を明かす。父へ線香をあげる。注文した弁当を受け取りみなさんと食す。しばしのんびりとした時間を過ごし会場のかたと打ち合わせをし、みなさんが来るのをお待ちした。昨日同様、お寺の方々への挨拶、みなさまへの挨拶をしてまわる。喪主や遺族はとにかくみなさんへの感謝ともてなしこそが最大の役目なのである。まったく知らないことばかりの母と拙者は、もう大変なことばかりである。昼、父の告別式がはじまった。人生最後の最大セレモニーである。弔辞挨拶を、父の学生時代の山岳友達がしてくださり、若き日の父の奮闘振りがうかがえる。牧場仲間や下川の方、夜勤先からもメッセージをいただいている。初七日もすませ、お別れもおわり・・・遺族代表として挨拶をした。挨拶の言葉はまったく準備はしていない。その場で伝えたいことを伝える。それがみなさんに伝わればいいと思った。意識していることはみなさんへの感謝の気持ち。そして父が8年以上も闘病生活をおくり、とくに1年以上もいつ死ぬかわからない日々を過ごし、父も母もわれわれもその限られた時間を大切にし、悔いのないように接してきたこと。安らかに眠り、そして安心して旅立てるように見送りたいという気持ち。そんな気持ちを意識しながら挨拶をした。どうやらみなさんの心に気持ちは伝わって下さったらしく安心した。それから火葬場でのお別れ・・・壺に骨をいれ・・・ちなみにデザインは山男の父にちなんで霊山の絵を熱望しそれを購入してもらったのである。そして親族で料理を食べ、遺骨・御位牌とともに家へ。日々勉強で大変だった。無事、葬式が終わり、実家へ戻った。まだ四十九日や父のなくなった後のことがまだ続くが、少し肩の荷が下りたかな。これから父が成仏していくように見届けなくては・・・。無事、終わりました。ありがとうございました。拙者の体には、亡き母の血、そして想いが生きているように、父の想いも生き続けていくであろう。
2006.12.06
12月5日 晴れ朝早くに今の母の親戚が関西からはるばるやってきた。午後、喪服に着替えてそして出棺。それから式場へむかった・・・!!式場は、市の施設であるやすらぎのさと。準備や打ち合わせが終わり、お通夜が始まった。訪れた人々皆さんに料理がふるまわれた。お通夜が終わり、親戚とともに食事。拙者は母の親戚とともにそこへ残り一夜を過ごした。夜からは以前お世話になった和歌山の田舎に住む母の姉とその息子さんもいらして、春の和歌山旅行がなつかしい。
2006.12.05
12月4日 晴れ実家川越は晴れて暖かい。朝、母とおじさんと葬儀業者ともにいろいろ打ち合わせ。じつは今日は兄の誕生日である。普段、入院している兄も今は実家にいる。近所の方の差し入れをおかずに昼飯を食べて、親友が届けてくれたケーキを誕生日ケーキがわりにして食べ、拙者は母とともに式場へとむかった。式場の説明や食事等の打ち合わせなどである。最初、母を休ませ、ひとりで電車・バスで行こうと思ったがふたりでタクシーで行ってふたりで現地をみておこうということになった。それから家へ戻り残りの用事を済ませ、明日に備えるのであった。火葬場の空きがなく通夜・葬式までの日にちが遅くなり父の遺体が家にいる時間がのびじっくりお別れの時間を設けることができ、近所の方々もお別れに来てくださっている。7日には、いろいろなことが片付き週明けには大好きな北海道へ・・・下川町へ帰れそうである。母は・・・。母には、素晴らしい友がいっぱいいる。支えあえる友がいるので安心である。この忙しい間、支えて行ければ。明日、拙者はお通夜の式場に残り、そのまま父に付き添う。明日は今の母の親戚の方々も来るのでじっくり話ができればいいなぁと思う。喪主の母とともに連日準備を進めながら毎日勉強になっているでござる。それから連日、みなさんの言葉にも感謝。拙者はねー、父に見守ってくださいとは絶対に言わない!!拙者はぜんぜん大丈夫だから安心して成仏してほしいでござる。父よ、ありがとう!!あの世のお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんにもよろしく!!ニンニン。
2006.12.04
12月3日 晴れ川越市にある実家。朝は、いろいろ打ち合わせ。その後、下川の一の橋の近所友達だった親友が家へ訪問してくれたり、母や父の友達がきたりした。そして夕方になると小峰一族が訪問。プロの着せかえ師がきてみんなが見守る中、父を着替えさせてくれた。服は浴衣とかスーツとかではなくダンスに使っている立派な服である。みんなに体がみえないようにシーツや布団で隠したまま着せ替えていく。化粧もしてきれいになり表情もにこやかで、なんだか楽しそうな父。そして棺に納棺され眠っている。
2006.12.03
12月2日 晴れ(埼玉)拙者は実家、川越へ来ている。今朝、呼び出しの電話によって急遽、今の母、そして父の姉とともに家を飛び出して病院へむかう!!部屋を移された父のそばには父の義妹。息の乱れた父のそばで様子を伺う。そしてやがてそのまま息を引き取る。午前8時15分のことでした。心臓も脈も完全に止まり、ご臨終とのことで、でもまだ体も暖かく体は反応し、口や胸が動く。しかしそれもやがては・・・。そうか・・・昨日泣き叫んでいたのはみんなに知らせたかったのかなぁ。数日前も、母が言うには拙者を待っていてくれたようだし、みんなを呼んでいたのかなぁ・・・。長い病気との闘い、そして苦しい日々・・・生きて生きて生き抜いて今、ようやく眠りについた。ゆっくり眠ってくれといいたい。死因は、肝細胞癌・・・つまり昨日も医師から聞いたのだが癌が再発を起こした。原因は、肝硬変。もともと30年近く前から慢性C型肝炎だった。調べてみると、やはり20年以上症状が現れずにいることが多く、やがて肝硬変、肝臓癌につながることが多いようだ。何年も前から父はきっと知っていた結末だったのだろう。拙者は、拙者が父に会いに行くまでなんとなく父は死なない気がした。だから拙者もいつまでも苦しまずに安心して息を引き取れるようにそばで見守ってあげたいと思った。今、実家ではひさしぶりに兄弟がそろっている。ずっと家に帰りたかった父・・・父もようやく自分の家に戻ってきた。それから父の兄弟姉妹と母とともにこれからの段取りの話し合いや準備を進めていった。あわただしい日々が続く・・・!!父が安心して安らぎの眠りについていられるように・・・成仏していけるように・・・見送ってあげたいとおもう。今回の日記は、自分の心の記憶としてしっかり残しておくための日記である・・・。しばらく(下川町にいることを)留守にしてご迷惑をおかけします。
2006.12.02
12月1日 雪朝からけっこう雪が降っていた。早朝から飛行機の便を確認して雪が降っているので車で旭川空港へ行くつもりが名寄でJRに乗って、新千歳空港へむかった!!下川も、名寄も旭川も結構降っているが岩見沢、札幌あたりに来ると気温も暖かく雪も少なくなった。AIR DOの道民割引ですぐの便のチケットを買い、飛行機に乗ると、隣の席のおばあさんは、北海道出身で埼玉在住の方であり話が盛り上がってお友達になった。羽田についてから、モノレールに乗ることにした。すると、偶然にも同じ列車の同じ車両に乗っていておばあさんと再び再開した。奇妙な縁である。そして昼飯ぬきで川越につき、そこからS玉医大へとむかった。病院につき、父のいる病室へむかうと父がいたが、だれもいなかった。どうやら親戚方とはすれ違いになりみんな帰ったあとだったようだ。状況がつかめないまま父をみて・・・しばらくして、以前知り合った友人もお見舞いしてきて・・・そして再び父のところへ。それから母へ電話して状況確認。そして少しだけ父をみたら実家へいこうと思っていたら、拙者が来ることを聞いていた担当の医者がやってきてくれて部屋に移動して今までの状況を説明してくれた。肝臓から腎臓、腸、脳・・・食道・・・どんどん機能が失われていくようで今、いつどうなるかわからない状況。医師と話をし、拙者は実家へむかった。実家へ戻ると母、弟、そして父の姉・仙台のおばさんがきてくださっていた。飯を食べたりしながらいろいろ語り合った。数日様子を見るしかない。ということで実家・川越に来ている。帰りは羽田から新千歳空港へ行って帰ると思う・・・!!日程は不明。ニンニン。
2006.12.01
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