WHO(世界保健機関)は今年5月、コンゴ民主共和国とウガンダでエボラ出血熱の発生が確認されたと発表した 。4月にはオランダのクルーズ船MVホンディウスでハンタウイルス感染症が発生、話題になっている。これは偶然なのだろうか?
エボラ出血熱は2008年にコンゴ、11年から12年にかけてウガンダで患者が見つかっている。2010年頃からフォート・デトリックの研究者がギニア、リベリア、シエラレオネの周辺で研究していた。その地域で2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめたのだ。2014年にはギニアからリベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染し、1万1323名が死亡、大きな騒動になっている。2014年7月にはシエラレオネの健康公衆衛生省がテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。
生物兵器の専門家として知られているイリノイ大学のフランシス・ボイル教授の説明によると、テュレーン大学やCDC(疾病管理センター)が西アフリカで運営していた研究所では生物兵器を研究していたが、同じ場所にフォート・デトリックのUSAMRIID(アメリカ陸軍感染症医学研究所)の研究者もいた。
エボラは1976年8月にザイール(現在のコンゴ)で初めて確認されているが、エイズと同じように病気の始まりが明確でない。1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのかは不明だ。
その直後、1980年代の前半からエボラを引き起こすウイルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで進められた。その中心にいた科学者はウーター・ベイソンだが、アメリカ、イギリス、スイス、フランス、イスラエル、イラク、リビアといった国々からも資金が出ていたとされている。CIAとは特に緊密な関係なったとする噂もある。このベイソンが1985年に生物兵器を専門とするイギリス人研究者デイビッド・ケリーと会っていたことは本ブログでも書いた通り。
2014年当時、生物兵器を研究している学者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネ周辺で活動していたと話題になった。その学者が所属していたのは生物化学兵器を研究開発しているアメリカ軍のフォート・デトリック、そしてテュレーン大学だ。2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。
このときは突如、「エボラ出血熱に有効な治療法」が出現したことも話題になった。2014年8月に現地で治療していたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーが感染したのだが、アメリカへ運ばれて治療を受け、ふたりは回復している。ふたりはリーフバイオ社とデフィルス社が開発したZMappが投与されたほか、現地で回復した少女の血が輸血されたとされている。ZMappにしろ輸血にしろ、それが病気に対して有効だということをアメリカの関係者が知っていたなら、なぜアフリカ人に対しては使われなかったのかという疑問も出た。2014年9月にバラク・オバマ米大統領はナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3000名程度の部隊を派遣すると言い始める。「エボラとの戦争」ということなのだろうが、実際は資源絡みだと見られている。
エボラ出血熱がスーダンやザイールで見つかったのは1978年のことだが、80年代の前半からこの病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで始まる。その中心にいた研究者がウーター・ベイソンだ。
ベイソンは1985年にイギリスを訪問、デイビッド・ケリーという研究者に会うが、ケリーは2003年7月、つまりアメリカ軍が従属国の軍隊を引き連れてイラクを先制攻撃した4カ月後に変死している。
ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク侵略を正当化するために偽情報を広めていたが、その際にイギリスのトニー・ブレア政権はその偽情報を本当らしく見せるために文書を作成している。ブレア政権が作成した文書が事実に基づいていないことをBBCのアンドリュー・ギリガン記者に知らせたのはケリーだったと言われている。
ケリーは手首を切って死んだとされているが、それにしては出血が少なく、心臓の活動が停止した後に切ったと疑いが強い。死の直前、イギリスの治安機関MI5がケリーからベイソンの件で話を聞いたともいう。
イラクへの先制攻撃を正当化するために偽情報が記載された文書を自分たちが作成したとBBCの記者が伝えたことをブレア政権は怒り、同社の執行役員会会長とBBC会長は辞任に追い込まれ、ギリガン自身もBBCを離れることになる。それ以降、BBCは政権の単なる広報機関だ。
アメリカにおける細菌兵器の研究開発は1931年に始まったと言えるだろう。 ロックフェラー財団の「衛生委員会」チームの一員としてプエルトリコのサンフアンにある病院で数カ月間勤務したロックフェラー医学研究所のコーネリアス・ローズなる人物はプエルトリコの被験者の体内へ意図的にガン細胞を入れ、うち13人を死亡させたという
。彼はプエルトリコ人を軽蔑、絶滅を妄想していた。

ローズは第2次世界大戦中にアメリカ陸軍の大佐となって化学兵器部門の医学部長を務め、ユタ州、メリーランド州、パナマに化学兵器研究所を設立、プエルトリコ人に対する秘密実験にも参加した。1943年末までに化学兵器関連の新しい医学研究所がマサチューセッツ州のキャンプ・デトリック、ユタ州のダグウェイ実験場、アラバマ州のキャンプ・シベルトに設立された。1944年1月、化学兵器局は生物兵器に関するすべてのプロジェクトを担当することになる。1960年代にアメリカ国防総省は人間の免疫システムを無力化する研究を進めている。
キャンプ・デトリックは1955年からフォート・デトリックに格上げされるが、ここは今でもアメリカ軍の生物化学兵器開発の中心的な存在である。日本軍による生物化学兵器に関する資料や研究者は大戦後、フォート・デトリックへ運ばれた。
日本の生物化学兵器の開発は軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部が中心になって進められた。その一環として生体実験をおこなうため、中国で加茂部隊」が編成されている。その責任者が京都帝国大学医学部出身の石井四郎中将であり、その後ろ盾は小泉親彦軍医総監だったとされている。
その後、加茂部隊は「東郷部隊」へと名前を替え、1941年には「第七三一部隊」と呼ばれるようになり、捕虜として拘束していた中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人を使って生体実験する。こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んでいた。
この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めた人物が石井四郎。途中、1942年から45年2月までを東京帝国大学医学部出身の北野政次少将が務めている。
ソ連の参戦が迫っていた1945年8月、関東軍司令官の山田乙三大将の命令で第七三一部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。監獄に残っていた捕虜を皆殺しになる。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺されたが、食事をとろうとしない者は射殺された。死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められた。日本軍は監獄などを爆破した上で逃走している。(常石敬一著『消えた細菌戦部隊』海鳴社、1981年)
第七三一部隊人脈は大戦後、アメリカ軍の保護を受けながら活動を続けた。その拠点は予防衛生研究所(予研)を経て感染症研究所(感染研)につながる。感染研は現在、国立健康危機管理研究機構の一部を構成している。
リビアの指導者だったムアンマル・アル-カダフィは2009、大手製薬会社はウイルスを作り出して世界中に蔓延させれば「ワクチン接種で莫大な利益を得ることができる」と国連で演説していた。
ロシアはアメリカの国防総省がウクライナに建設した生物兵器の研究開発施設で特定の民族を殺害するための生物兵器を開発していたと主張し、アフリカ諸国に対し、生物兵器分野でアメリカと協力しないよう警告してきた。
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【 櫻井ジャーナル(note) 】