はじめは棲みわけというようなことは気がつかずに、加茂川でカゲロウの幼虫を採集していました。そしてある日、突然棲みわけということに気がついた。私が見たのは、流速に即応した棲みわけですけれども、夏になりますと、川の水をたんぼへ引くので、川の水がずっと減ってしまう。そうすると、流速ももうもとのような流速ではなくなる。水温も夏になると上がってきますわね。しかるにカゲロウの棲みわけは、春のおわりごろからちっとも変っとらぬのやね。そうするとこの配列は、流速とか水温とかいうものが、直接の原因になっているのではない。そこでそのころの環境決定論的な立場を、棄てることになるのです。(今西の発言、「ダーウィンを超えて、今西進化論講義」今西錦司+吉本隆明、朝日出版社、1978年、p.67。)近似的な種が隣接した地域に棲みわけをする現象自体は、ダーウィン自身も観察しているし、他の研究者もさまざまな生物についてそれを報告しているようだ。ダーウィンその他の通常の解釈では、流速や水温などのその場の環境に最も適応した種が(より正確には、その種に属している個体が平均的に最も適応していることで)、それぞれ棲みわけている、と考える。引用箇所の最後の文で今西自身が触れているように、これが環境決定論的理解である。今西はこの考え方を棄て自らの理論を編み出す。そこには少なくとも三つ、彼独自の視点がある。
すなわち、種社会というものは、生物全体社会の構成単位ではあるけれども、単独でバラバラに存在しているのではなく、相似た種社会との棲みわけをとおして、そこに構造上からいえば、種社会を超えた別の社会を構成している。そしてこれが私のいう「同位社会」なのです。(今西の発言、前掲 「ダーウィンを超えて、今西進化論講義」 p.69)
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