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場所;兵庫県姫路市生き方;車で行った。注意;記念すべき、私のチンスポ第一弾。なんじゃこりゃ、以外に特に今後はまっていくとは思わなかった。人生何がきっかけでどうなるか分からないので注意。場所;東京都新宿区生き方;新宿駅から歩いて20分ぐらい。注意;特にナシ!場所;上智大学生き方;上智大学卒業生に結婚式に呼ばれると、漏れなく行ける。注意;帰国子女枠で入った方はたいしたことないですから!場所;京都市右京区生き方;太秦下車徒歩15分程度注意;道、聞いてないのに、教えられますから!場所;神戸市生き方;自宅から徒歩15分程度注意;欲求不満の輩がたくさん住んでいます。場所;北海道釧路市生き方;釧路空港から海に向かって海に突き当たったところ注意;恋問海岸ですが、誰も恋問答してません。場所;鹿児島県鹿児島市生き方;どこかのドライブイン注意;特にナシ。非売品大根。場所;高知市室戸岬生き方;高知空港から2時間ぐらい注意;。場所;あきた生き方;しらん注意;眠い。今年は、インフルエンザで神戸祭りがなくて、サンバも無くて、世のカメラ小僧と、中年得ろ親父ヤジも参加しませんでした。
2009.05.31
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場所;インド、ジョードプル。生き方;ニューデリー駅から列車でほんの12時間程度観光スポット;ラジャスタン地方の沙漠地帯独特の城がありますが、何箇所かこの辺りを観光終了していたら、もう、城に行くのもだるくなります。行きませんでした。注意;結婚式のパレードにぶつかり、参戦するどころか、専属カメラマン状態となることもあるので注意。暇だったので映画を見たが、インド映画は長く、途中休憩があり、そのときに、インド人に「インド映画は最高だ!」と詰め寄られて、囲まれる可能性があるので注意。場所;インド、ジャイサルメール生き方;先程のジョードプルからバスで12時間または列車で8時間ぐらい(だが列車は1日1往復、ジョードプルには列車で戻りました)注意;ラジャスタン州は、酒は禁止なので、密造酒しかありませんが、目が潰れるかもしれませんので、飲まないことをお勧めします。そんなことより、市場では緑色のバンギというどろどろのものが売られています。売れ物を持っていかなければいけないのですが、私は、所持品の中で入れ物にできるのが、プラステックの筆箱しかなかったので、ペン類全部出して、筆箱いっぱいにバンギを入れてもらいました。密造酒より安いです。味は、とても、まずいですが、水やリムカやマージャで割って(インドのソフトドリンク)頑張って飲んでみましょう。城砦では迷うこと請合いのラビリンスですので注意が必要です。変に立ち止まると、どちらから歩いて来たかも分からなくなるので、迷ったと思えば、ひたすら歩くことをお勧めします。場所;チベット(ラサからネパール国境まで)生き方;ラサでランクルをチャーターするとか、へっぽこバスに乗ります。国境まで、ラサから2泊3日です。一応国境5キロ手前まで4000メートルのところを走るので、常にハイというか、詩人状態のエンジンバリバリです。注意;詩人なのか、高山病なのか分からなくなるので注意。素晴らしい景色が続きますが、常に、バスの中では半寝状態で、5時間ぐらい走っても、気がつけば、まだ同じ景色のままです。時々、というか2、3時間おきに道が決壊してたり、バスが転落してたり、ぬめりにはまったバスを助けたり助けられたりしながら進むのでまあまあスリリングです。トイレ休憩で岩にでも隠れてやろうものなら、バスに置いてけ堀くう可能性もありますので注意が必要です。場所;ネパール国境生き方;先程のバスはネパールの国境数キロで道が決壊していたので、そこから歩きです。ネパールに入って、道が決壊していないバス亭まで40キロです。歩いてほんの1泊2日で行けます。注意;途中、宿はないので、民家に泊めて頂く事になりましたが、トイレはないので、注意、というか、ネパールの田舎の野の中、降ってきそうな怖いくらいの星の下、人生最高の野グソが体験できます。途中、子供シェルパが荷物を持ちますと何度も声を掛けられますので、体力に自信のないかたでも安心ポンチですし、40キロまるまる歩くわけではなく、道決壊と道決壊の間の1、2キロぐらいを1台だけ偶然取り残されたようなタクシーやトラックがピストン運転しています。ピストン運動ではないので注意してください。場所;ネパール首都カトマンドゥ、スワヤンブナート寺院生き方;フラフラしながらででも、レンタルチャリンコを漕いで、行くことが可能です。注意;ついつい油断していると、MTEとか売りにきますので、良い子は注意が必要です、が、今気がつきましたが、自転車で行ったのはボダナートでした。場所;フィリピン、スール諸島モロ島生き方;マニラ湾から船で、3泊4日でミンドロ島のサンボアンガに到着し、そこから船で12時間でホロ島です。当時はモロ族解放戦線が跋扈してて、ガイコクジンは入れませんでしたが、何故かしれーっと、切符買って貰って、現地人の振りしたら、シレーと乗れました。注意;イスラム教徒一体、海賊が多いという海上民族のバジャウ族の海に浮かぶ家に招待されました。そこの人々と、ビーチに行ったのですが、やっぱり、フィリピンです、ここまで来て、まだオカマか!とうほど、オカマがいますので注意。場所;イランイスファアンのハージュ橋の下。生き方;どこから説明したらいいかわからないのですが、パキスタン国境からおそらく、2泊もバスでかからないでしょう。石油大国のイラン、道がすごく整備されていて、バスは、スムースにバンバン進みます。注意;当時はイランイラク戦争中だったので、入国したことは、親には黙ってました。親孝行です。その国が、その地で戦争しているかどうか、確認してから入国するよう注意しましょう。また西洋のものは、徹底した荷物検査で封印されることもあるので、注意が必要。場所;タイ、カンパンペット。生き方;バンコクから自転車で3泊程度。注意;ここより先に行くと、山岳地帯にだんだんなっていき、豆腐屋おっさん自転車では死にますので注意。場所;奄美大島。加計呂麻島。生き方;名瀬より、レンタカーを借りてすぐだったと思う。注意;釣りをしたら熱帯魚ばかり釣れます。非常にまずくて緩いので注意。ハブも。場所;タイ、サムイ島、ビッグブッダビーチ。生き方;バンコクより列車で10時間程度でスラッタにー。駅から乗り合いタクシーで港まで行き、そこから船で3,4時間だったかな。そこから各ビーチへ行く乗り合いタクシーを捕まえる。注意;気がつくと1週間が過ぎるので注意。場所;岐阜県郡上八幡市より山奥。生き方;神戸から車で時速150キロもだせば3,4時間。注意;一度山奥に入ると最後まで戻れません。場所;大阪。生き方;地上40階上に上がる。注意;まあ、落ちないように。
2009.05.30
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トゥクトゥクで空港に向かうの図。市内から、交渉にて、空港まで3ドルであった。ラオスは、東南アジアと同じ上座部仏教であるが、小乗仏教のことであり、何だか大乗仏教のほうが偉いような感じがするから上座部に代えたのか?まあ、とても簡単にいえば、上座部は厳格な出家主義であり、個人の修行に重き、大乗は、悟りを得る前に、利他の行いで、他者を救う菩薩行が最大の特徴とされているわけで、個人の趣味もあるが、スリランカ経由東南アジアの上座部の方が、中国経由朝鮮日本の大乗より、身体的にしっくりくるなあ、って感じがする。いい悪いではないし、東南アジアに宗教色が溢れているからだけかでそれに感化されただけかも知れないけど。寺を巡礼しているふりをして、ただ巡回しているだけ。いつまでたっても、中心に入っていけねえ。中心を感じることはできても、いつもまわりでうろうろしている。ユング的ではあるが、そうやっていつも、ボヤボヤしているのであった。もしかして、中心はないのか?ドーナツか?何や中途半端やな、何ゆうてるねん・・・。東南アジアを歩いていると、日本人なら誰でも、彼の地は貧乏だけど、豊かな部分を多く感じる。セカンドハウスやセカンドワイフやセカンドカーを持っている人を羨ましがりながらも、自分が持ったら困るものと気がついてはいるものの・・・。幸福という造語的なものは分からねえが、楽チンとか安心ということなら、まあ、分かりやすい。日本人も、みーんな貧乏だった時代は、幸福になるには、まずは金だあ、ということだったが、持ってしまえば、自分の心とは無縁なものに引きずりまわされているって感じか。目で見てわかる、計測できるものが、つまり財産とか、長生きとか、名誉とか、そういう分かりやすくて、他人が持っていたら羨ましいものに、引きづられる訳か。何や中途半端やな、何ゆうてるねん・・・。ところで、ラオスは、自殺者が大変少ない国である。どこかの国の3万人自殺大国と違うようだ。仏教では、というか、ブッダは死後の世界は正直に分からないといってはいるが、チベット仏教あたりでは、自殺は別段、悪とされていない。この人生、別に神にもらったものではなく、カルマの寄り集まりに過ぎないので、神に対して悪を働いたわけではないというわけだ。但し、誰も死ねば極楽浄土の楽チンな世界を一瞬感じ、そのまま再生がないと輪廻は終わりなのだが、自殺の場合は、ぼやぼやしている間に次の軌道に流され、楽チンから離れ、またもや再生してまた苦しみを味わってしまうってことになるって教えられているので、自殺は、悪ではないが、とっても損だぞ、ってな認識なのである。まあ、輪廻がるおとが前提なんですけど。何や中途半端やな、何ゆうてるねん・・・。考えれば、日本は、キリスト教背景や世界観もなしに、西洋文化を形だけ受け入れたので、なんじゃこりゃ、の世界になっちゃったところが一面であると思うのだが、、今後、グローバルスタンダードという名のアメリカ化が更に進めばよお、こんなラオスのようなところも、大変になっていくのかよお、スピリットォ~。(何だか、グローバルスタンダードという妖怪崩れてきているような感じもあるけど)何や中途半端やな、何ゆうてるねん・・・。 屋台で、メシを食う。考えれば、私の子供の頃は、ファミリーレストランのような中間的な家族で食べるところは、そう多くなく、親に連れられて外食した覚えはあまりないが、ラオスもタイのように外食が中心なのだろうか・・・。だんだん、歩きつかれ、言葉はなくなってくる。いわば、大日如来の華厳経か?って感じか。大日如来は、華厳経の中で、終始無言。横にいる弟子が空気を感じて、言葉にする。何て深いというか、楽チンというか・・・。ラオスと仏教、なんだっけ、なんだっけ。 2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.29
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ところで、何がところでか分からないのであるが、朝の通勤ラッシュで駅に到着する前に、止まった。車内放送では、線路内に人が入り、非常警報ボタンが押されました、と言っていた。そして5分後、やがて動き出し、放送では、こういった。線路に携帯電話を落とされた人がいましたと。猛烈にむかつき、50円(5分時給600円)×10000人(影響を受けた乗客、想定)=50万円の損失では・・・なんて想像力のない奴なんだ、と計算後、猛烈に怒りだした。携帯電話落として、自分で取りにいくか?初めて腕時計を買ったのが、中学校の時で、当時はデジタル時計がメジャーになるはじめる少し前で、ストップウオッチ付きのデジタル時計で安いものでも、2,3万という驚愕の価格であったが、姫路市は奥野時計店で購入したのであった。それから2,3年もすると、プラッチックで出来た1000円もしないデジタル時計が出回り始めたのであるが、何せ、ストップウオッチ早押し一人競争の日々が始まったのである。何せ、腕時計の厚さが極みであった。美しい。時計の四側面についたボタンのストップウオッチ機能のボタンだけが、徐々に陥没していく日々、ボクは、中学校一年生だった。奥野時計店からは、その後10年に渡り、案内が自宅に届き、毎年年賀状が届くという超優良店だったのであった。頑張れ、奥野。今、ホームページ検索したけど、ないぞ! 初めてメガネを買ったのが、高校の時で、当時はメガネの購入方法は今も変わらないが、元町のメガネのダンケで買ったのだ。ダンケとは何か、高校生にして英語95だった私でさえ、分からないことであったが、小学校の時カブスカウトでドイツ語を5つぐらい覚え、ドイツ領事館に資料を貰いに行くと、無茶分厚い、ドイツの実情という500ページぐらいある本を貰い、そのまま、スタンツなどの出し物で、シューベルトの野ばらを歌うといった芸当をこなした神戸参拾五団四班組長の私であったが、そのために、ビビーンとダンケとはサンケシェーンのことではないか、と邪推してみるぐらいであった。おまけに、高校生活では、メガネは買ったが、常時かけるようになったのは、20代中盤からであり、普段はメガネをかけていないにも関わらず、メガネのダンケを宣伝しまくったため、友達の年賀状に、メガネのダンケは偉大だ、とコメントが入っていたぐらいだ。後年、といっても数年後の大学に入ってフィリピン経済を卒業論文にした私は、ドイツ領事館の味を思い出し、フィリピン領事館(震災まで神戸にあった。震災でビル潰れた)に行き、資料をもらったのだが、しっかり、ペラペラの1枚の観光案内だった。フィリピン領事館には、ビザ申請で何度か行ったが、領事館は、フィリピンになっており、フィリピンのボブデイラン、フレディアギラのバヤンコ(我が祖国)が演歌の如く流されていた。頑張れ、ダンケ。今、ホームページ検索したけど、ないぞ! ところで、情報筋によると、タイではインフルエンザ患者が2人出ているが、実は、その2人とは、私が乗っていた飛行機の6人のメキシコ人の2人が、タイに来てから発病したことが判明。私は、ロイヤルエグゼクティンブクラスで、彼ら6人は、隔離されて一番後ろに座っていたので、まあ離れていたのだが、それでも、本日、びびりましたよ。いずれにせよ、お嬢さん、俺は危険な男だ。惚れるなよ、保菌者かもよ。もう潜伏期間過ぎたけどよ。
2009.05.28
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開口便 笑笑天下 笑之人 余りそんなににはなりたくねえ・・・300段の階段をのぼり、やっとフラットな聖地を紹介したと思ったら、まだ上に道が続いていたのであった。朝8時、職員はいた。女性職員もいた。職員(住職、坊主ではなさそう)が、毎日、毎日、キンピカや変な色つきの像を増殖させていくのだろうか。何十年も・・・そう考えると死ぬ前にもう一度確認に行ってもいいかもな、なんて思うのであった。龍イジメ。昔はよお、虐める、苛めるって言葉はあったけどよお、イジメって言葉を止めているのか、名詞なのか、体言止めなのか知らないが、そんな言葉は無かった。俺、腹に鬼飼ってます。俺、胸に馬飼ってます。俺は、頭に虎だ。エキセントリッ苦だぜ。しかし、インファナルアフェア(ディパーテッドがリメイクした元の香港映画)を見ただろうか、なんとも、私は、2回ずつ観たのだが、実はファンであり、この寺に来て、もう一回みてみようかな、という優しい気持ちになった。見直しだ。俺には、残り少ない生きる時間を有効に使いたい。 子供。観音さまは、実に、母性的で、実際に、日本でも、ほとんど母性として作られているが、実際は性別はないというか、男性というか、後年に女性となるのである。ファンタステッ苦だぜ。ファナテッ苦だぜ。公式HP音楽がやばいです。みんな優しそうだな。シンパ死を感じる。朝から、なんで、こんなところに俺はいるんだ。考えれば、キリスト圏(そしてユダヤ圏)と仏教圏ばかりを最近歩いているような気がしてきた。確かにシンガポールやマレーシア、そして、緩いが、世界で最大のイスラム人口を誇るインドネシアがあるが、久しぶりに、モスクも見てみたいなという感じになってきた。モスクは徹底した偶像礼拝禁止でド派手な楔模様(アラベスク模様)以外、中は、何もなく、スッキリしている。あ、エジプト行ったな。それで、ちょい思い出したのだった。何せ、キリスト教会系も仏系(ホンドゥ系)寺は、ホント、ゴチャゴチャ、ものにあるれているというか、デコラティブしすぎ、みたいなところがあって、ちょっと、さすがの暇人の私も疲れてきたよ、なんちゃってね。それにしても、考えれば、仏陀の周りに最初に集まったのは、知識人(とか動物とか)であったのに対し、キリストはガレリアの荒くれ漁師だったということを考えれば、随分、説法説教言葉言い方に違いがあったような気がする。あるいは、言う必要もなかったことも言うべきことも、違ったように思える。情けない感じ。御是羅撫流。今まで来た道沿いに、いろいろあります。是又人生。遂に頂上に着ましたが、そこは、例の物体が崖に点在するのでした。涅槃ではないですよね、笑いすぎて立ってられないだけだよね。来年以降はできているでしょう。亜無亜危異・・・国鉄の服来て格好良く登場したパンク軍団、チェッカーズよか、よっぽど格好よかったぜ。何が日本の象徴だ~。何が日本の象徴だ~。とにかく、幸福なんかより、楽にしてください、お願いします。癒されましたか、安易でチープな癒し系が流行っている現在、そんなことでチイと癒されちゃった気分になっても、すぐに、またドデーン、と落ち込み、更に再度癒しを求めるといった風潮に、カツを入れるかと思いきや、きみはそれでいいんだよ的そのままの自分でいいんだよ的癒しを求めるより、徹底した否定の後の癒しってのは、どうよ、と思うのであった。マクベスいわく、望みは遂げても、満足はない・・・真実だ。一気に駆け下り、これからホテルに戻り、パッキングをして速攻で空港に行くのである。急げ、目が飛び出るほど忙しく、目の手を借りたいほど忙しいのであった。(全3回シリーズ終わり)2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.27
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ハルじさんにチョットいい話を紹介してもらい、そのあと、放浪さんに死に方を教えてもらった。 去年1年間でも、瞬間的に死にたいと思うことは、何度もありました。中国で偽札を銀行での両替でつかまされた時とかウンコを3歳以降初めて漏らしたときにです。プライドが高いのでしょうか、敗北感で死にたくなるのでしょうか。若い頃は、死にたいと思ったことも理詰めで考えて追い込んでいったりしたことも、ありますが、それは、今から見ると暇だったということが判明しています。失恋したり離婚したり財産がなくなっても、死なないことは判明しましたし、生きる意味は何だではなく、特に生きる意味はないような感じもするし、無意味なことが人生の楽しみであるし、意味しかないのか、ぁあ?と思ってしまうようになってしまった中年です。中年になっても、夢のようなものは消えませんが、それにも、増して保守的になってきます。自分の安全なところは確保しといて、ちょっと何かに手を出す程度ですな。 苦しまなければ、明日で、人生終り、朝、起きませんでしたでも、何となく、まいっか、って感じですな。(大変なのは周りで、30歳前半で、同じ年代なのに、朝起きてこなくて心筋梗塞で死んじゃった奴ガ要るけど、本人、気がついているのか?残された奥さんと子供が大変だ。残された我々友達もちょとだけ大変だった)残す方は、全部が変わるから。残されるほうは、その存在一点以外何も変わらないから、寂しい。
2009.05.26
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この5月にバンコクに立ち寄ったが、去年10月に行ったときの象がまだ健在で、ちょと嬉しかった。とにかく、アイスクリーム喰えや、ってことです。おまえたちは、何もくれないのかい?お供え物が、ない、のは、寂しい。ラーマーヤナやハーハーラバタの核戦争のようなシーン、昔、結構興奮して読んだ記憶があるンよ。なんだ、この三角。またきて四角。関西では、豆腐の角で頭打って死ね、といいますが、全国のことわざなんでしょうか。手とか足とかのたぐいがたくさんあるのは、いいのですが、顔や頭や脳がたくさんあったら、多重人格になりそうで、ちょと嫌です。子供への愛を感じる瞬間。こうやって、立派に育つ過程を経て、顔が黒くなりました。黒くね。黒くね。ね。ワニです。日本では本来サメのことでした。シーユーレイターアリゲーターのクロコダエルです。カイマーン!古典には、車輪が似合います。多分、ベンハーの記憶のせいじゃないかしら。へび、長すぎる・・・ルナール。デブ、石がいっぱいいる。こんな顔、いやや。蛇が生えてくる。亀。まあまあ、お粗末。どくろ、というか、おれは、強烈な1枚の写真のことを思い出してしまったよ。牛、人の上、ブッダパークっていってもさきほどから、ほとんど、ヒンドゥパークの形相なんですけど。なんだか、ドルガちゅうかカーリーちゅうか・・・ナーガに食べられてるちゅうか・・・嬉しそうちゅうか・・・抱く子は余裕だというか。私を捨てないで下さい!ヴィエンチャン市内から約35キロ、エグゼクティブに成り下がった私は、もはや、バスで行く気持ちも少なく、往復10ドルでここまでやってきたのである。トゥクトゥクは結構スピードが遅く、片道1時間であった。そんなたくさんブッダいりません・。涅槃。そんなにいっぱい托鉢のためのブツくれなくてもいいよ。ああ、そんなにいらないってば、てか、刀で、刺すつもりか?だから武器、いらないってば。干したパンツねえ、まあ、もらっとくか・・いよいよ、見学も終わり、喜んでください。歴史的価値。とは・・寝て考えるか。(全3.5回シリーズ終わり)2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.25
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6時半起床。会社に出勤するより1時間以上早い起床。朝6時、首都の大通りに、車がほとんど走っていない。周りを見渡し、Tシャツ1枚でちょうど心地よい風の中、少し歩くと、トゥクトゥクから声がした。昨日乗せてもらっていた彼だ。一晩、客席で寝ていたのだと思われる。 昔、夜中にインドネシアのスラバヤに到着する前に、街に入ってきた頃、バスから、道端を寝ぼけながら見ていたが、そこには、ベチャが何百台も並んで泊まっていて、客席で、運転手がむしろに包まって寝ていた光景を思い出した。 インドネシアのベチャは、他国のリキシャー(シクロ、サムロ、トライシクルなども)とは違い、運転手の前に座席があり、正面衝突の際には、乗客のほうが先に死ぬシステムになっている愉快な乗り物である。リキシャーを運転することを趣味のようにしていた私も、このベチャの運転はハンドルを取られるし、前に客席があるのでサドルが高い位置にあり、なかなか運転が難しいのであった。 そんなことを思い出しながら、昨日は2時間走って10ドルだったから、15分走ってまあ5ドルだね、と交渉し、昨日、お礼に、チップをはずむつもりが、渡しそびれたので、それでいってもらうことを了承し、彼は、客席から運転手席へ、私は客席に乗った。 暫く、走り始め、風を受けていると、数少ない信号で止まったときに、彼は手招きをした。運転手の横の助手席に座るよう、ニコニコしながら席を叩いていたのだ。私は、横に座り、再び、トゥクトゥクは走り出した。彼はほとんど英語が話せないということもあってか、終始無言であったが、顔は笑っていた。よく思うことだが、こいつと横乗りするためにラオスに来たのかな、と錯覚に陥るのだ。無言のまま、車は進み、マーケットに到着する。1時間ほど、ぶらぶらするから待っていてくれ、そういって、私は、庶民市場に消えた。 スーク、バザール、市場に来ると、いろんな臭いが交じっており、その坩堝感と売人、客の行き来とやり取りを遊んでしまう。カルカッタの極悪自称ビジネスマンが跋扈するニューマーケット。3日連続1.5ルピー20円のカレーを食べた時、最後に、水に、ピュアという薬品を入れて生水を飲んでいると、店主がオマエいつもきているけど、最後に、それ何垂らしているんだよ、と尋ねてきたので、LSDだ、というと、ほおといわれた、それだけ。 規模が世界最大といわれるイランのテヘランのスーク、ここは、はっきりいってでかかった。どこをどう歩いているのか分からないが、やたら照明が、蛍光灯がワッカのまま吊り下げられており、フッと幻想的になってくる。出口が分からず、へたり込むと、チャイを持った親切なひげもじゃのにいちゃんが横に座ってきて話をした。イランのチャイは紅茶に、砂糖を横において、砂糖を齧りながら呑むのだ。そのときに話題が単なる猥談で、イランではあのことを、フィキフィキというとか、あれはニクニクというとか・・・ 何が何だかよく覚えてない割りに印象的だったのが、エストニアのタリンのマーケットだった。ヨーロッパにいけば、東洋人なんて最下層で無視されるのに、解放された頃のエストニアは東洋人が面白いのか珍しいのか、やたら視線を感じるのであった。前にも書いたけど、エストニア人、実は結構、きれいな人が多いのだ。キレイな人の私の単純理論として、混ざるということである。この国は、かなり他民族によって、血が交じり混じったのではないだろうか、と思うのであった。あ、そだ、ラオスの市場のことだった。ベトナム、カンボジアに市場は何となく似ている。以上。往路もまた前に乗り、無言の15分後、乗った場所に戻ってきた。いい気分で、別れるかと思いきや、昨日は何もなかったのに、急に、値段交渉決裂したのであった。我々は、順調に喧嘩別れし、アジアやなあ、と彼と別れてから、笑ってしまうのであった。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.24
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最近は、もう発病人数の発表は同でもエエワ状態で、学校も休みとなり、それにつられて親も休む人も続出しているようで、電車は空いている。というか、心なしか街も空いている。俺の心は別に空いていない。 そんな中、今日は、野球観戦に行った。こんな状態の中、人々の集中する場所に突入していくとは、よっぽど俺も野球好きなんだなと思わざる得ない。働いているビール売りやアイスクリーム売りの売り子お姉さん方も、しっかり、かっきりマスクはしている模様である。それよか、空席目立つんですけど。私も順調に2回裏に球場に到着し、ど根性で、弁当を食べ、ビールを2杯飲み干し、4回表には、球場を後にしたのであった。気がついたことは、プロ野球の選手は、マスクをしていないということであった。見上げたプロ根性である。さすがに健康管理が行き届いているのだな、と思ってみたりもするんであった。 子供の頃、昔、たまたま付いたテレビを見て、母親が言った。プロ野球の人、みんな中年太りやねえ・・・応援団の一味には、ジャージ姿の人もいるのだが、夜中にコンビにで車で家族(子供含む)でおしかけ、何故だか、細かいものから、3000円分程度買い込むといった姿が思い浮かぶ。だから金が貯まらないといいたいのではなく、美意識に反するような気がする。 まあ、あんまり関係ないことを思い出したのであったが、球場定点観測は終了しつつ、何となく1,2週間経過して、随分、落ち着いてきた感があり、何や慣れてきたし、誰も死なへんし、このままじゃ経済も・・・てな感じで諦めムード漂ってきた感じがあるのである。 といいつつ、梅田駅周辺の薬屋が、「マスク入手しました~」というと、スゴイ人だかりになったのであった。それにしてもはっきりいって、マスコミも、関西の人も飽きてきたんじゃない?俺、マスク代もったいないからしないけど。手洗いとうがいはタダなので励行している。合理的である。何百万人の感染者がでてパンデミックになる可能性があると発表され、マスコミが騒いだが、実際はまだ世界中で1万人もいっていないので、お笑いだとうこともいえるかもしれないが、メキシコを中心に学校や職場を休みにして、多くの経済的損失で犠牲にして未然に防げたおかげだともいえる。まだ、よく分からないことだらけですな。p.sフィリピン中部ミンドロ島のプエルト・ガレラ沖で23日正午ごろ、約60人乗りの船が転覆し、観光に来ていた日本人男性1人を含む12人が死亡した。地元警察によると、この船はルソン島のバタンガスからプエルト・ガレラに向かっていた。細谷さんと一緒だったという日本人男性(60)によると、突然、乗客の叫びが聞こえたと思うと船が急に右に傾き始め、海水が入ってきた。脱出し、転覆した船の船底にしがみついて海上で30分ほど救助を待ったという。→ 何回、この船に乗ったことか・・・えらいこっちゃ
2009.05.23
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300段の階段を登りきった参道の果てに辿り着いたのそこは、頭の中が、常に「生き様見せつけ系」人生訓に満ち溢れた走馬灯状態であった。気の良い仲間たち、仏血義理乱奈亞珠(ぶっちぎりランナーズ)に迎えられた。マン佛寺、それであった。驚愕すべきに、今まで金粉の人々を見てきたのだが、実は、この寺の真ん中の人、この人だけは、プラスチックを金色に塗っただけのものではなく、この寺の開祖にして、ミイラなのである。ミイラっても、ミイラを金色に塗っているので、他の金色のプラスチックと見分けがつかないのである、まさしく、秘すれば即身仏、香港3000年の歴史の英知である。(世界史に登場してからは200年たってないけど)邪媚爾(ジャコビニ)流星群的仏群。でたな、原色嵯汰泥夜不意馬(げんしょくサタデーナイトフィーバー)軍団の皆さん。こっそり、裏側に出ると、一般の生活があったが、何故かポツリと仏像が座って景色を見ていた。モウ走族、呪莉悦賭(ジュリエッタ)とその仲間達。寺守る軍団の名は、「紅痢威甦(グリース)」紅痢威甦(グリース)の一員、無血夜魔喩解那餓悪(マジ、眉毛長い男)紅痢威甦(グリース)の一員、菌鋳露夜魔喩解那餓悪(金色、眉毛長い男)紅痢威甦(グリース)の一員、覇薇尼威魑喪津悪斗孤(腹にイチモツ男)紅痢威甦(グリース)の一員、璃憂華威那薇刺孤苦仁云(龍飼いならし黒人)紅痢威甦(グリース)の一員、威仁女孤(いじめっ子)紅痢威甦(グリース)の一員、華威豪髏刺孤(飼い殺しっ子)紅痢威甦(グリース)の一員、鏡男(ミラーマン)殺女犬(あやめけん)か?鬼魔愚零 (きまぐれ) だな。殺女象(あやめぞう)か?結構、メンチきってきとる。雑苦罵乱!漫画か?笑顔が素敵ですね。人間じゃねえ、情可悪達(ジョーカーズ)の皆さん。情可悪達(ジョーカーズ)の一員、悪刺怒璃怖憂怖(おしどりふうふ)情可悪達(ジョーカーズ)の一員、天世云歩云亜汰魔怖汰津(手4本頭2つ)情可悪達(ジョーカーズ)の一員、喪覇夜怖津憂乃卑斗美斗(もはや普通の人々)情可悪達(ジョーカーズ)の一員、喪云苦乃卑斗津泥喪威威汰苦那流世(文句の一つでもいいたくなる代)情可悪達(ジョーカーズ)の一員、斗薇汰威仁(虎退治)また、こそっと工房に入ると、金粉まみれになる前の白い男たちが・・・いけないものをみたような気がした、あの世で、ヨロ死苦。手とか顔とかいっぱいあって、威尊餓刺威(忙しい)。斗威烈(トイレ)に行ってもびびりました。ムム、あれは、神々ではない、キューピーやペコちゃんの仲間だ!分裂症妄想出現系。動物走り屋暴走族、「妄走族」の皆さん。馬とか牛とか不明の動物に乗って、とても楽しそう!風になりたい!動物走り屋暴走族、「妄走族」の皆さん。魚とか亀とか不明の動物に乗って、とても楽しそう!風になりたい!「妄走族」の一員、那云泥珠華(何ですか)サンです。「妄走族」の一の我裏馬阿(ノッポ)さんです。彼は、「妄走族」の一員、泥華威憂餌尼爆云津卑鬼亜外流(でかいだけでなくパンツひきあげる)サンです。では、次回、最終回でまた走ろうぜ、薔威薔威愚斗薔威(バイバイグッバイ!)生き様みせてやるぜ、情に厚く、記憶が薄い、我慢は苦手だが、根性はあるぜ!2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.22
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(マスクしてないと非国民扱いで、神戸市民は非国民のようで、感染地帯に帰るのか俺は、ってな感じになる)沙田は、香港の半島主要部からトンネル越えた住宅街である。昨晩4時前に就寝したというのに、6時半には起床ではある。入場時間などは考えずに、市井の寺の開門は世界共通早いはずだということを信じて、目をこすりつつ、地下鉄に乗るのである。九龍塘で乗り換え、北に(深セン方向)2駅、トンネルを越えるとそこは、また住宅街であり、沙田駅にて降りるのだが、通勤客で乗る人のほうが圧倒的に多い中、人々と反対方向に歩くのである。駅を出ると左に曲がると、イケアと新城市中央市場があり、当然、朝なので閉まっているが、それを無視してその脇を通っていくと、いきなり奥の細々道になってしまうのである。しかし、そこからの参道は、いきなり、キンピカなののである。猿が鬱陶しいのである。歯をむき出しにするのでる。カエル踏みつけても、無罪。金ピカ見学などせず、一心腐乱に歩き続けるおばちゃん。金ピカ見学などせず、一心腐乱に歩き続けるおねえちゃん。金ピカ見学などせず、一心腐乱に歩き続けるにいちゃん。頂上付近につくと、キンピカさんたちが大勢、休息されてました。壁に書かれている文章も注意深く読むのであった。びびった感じアイスクリーム食べてんだ。参道を外れた森の彼方でも集会が行われてます。お肌スベスベ白紙の本読んでいます。ひらめかおわるいやつらやっと寺の入り口に辿り着きました。4,500段歩いたと思います。今週末行こうと思っていたのにショックである。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.21
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今まで、やたら地獄を見てきた人生だった。 大分県の地獄。福岡県の地獄。長崎県の地獄。大阪市の地獄。ラオスの地獄。まあ、こんな感じで、今まで地獄を何度も見てきたが、また今度は香港で地獄を見てきた。 こうやって戒めていると、地獄にはいかないようにココロに誓う私でした。おわり。地獄は、概ね、理解したような気がする。地獄の1丁目というか、生き地獄というか、奈落であった。しかし、地獄は、将来という意見もある、人のことはいえないが、今の50代の平均貯蓄率は1000万円を越えているが、同時に50代でも貯金のない家庭が20パーセントを超えているのだ。今は、少ないながら年金がもらえるのは、65歳、60で能無しで仕事ほおりだされたら5年間無収入で、ノットハッピーだわな。ああ、ブッダは、いや、仏典には、幸福という言葉はない。重要視しない。まず、よくあるように、幸福という言葉も、明治時代に英語やフランス語を日本の漢字に当てはめただけだからねえ。そのあたりは、また近々に発表したい所存であります。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.20
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(しかし、電車に乗ったり、スーパーに行くと、9割がマスク姿で、怖い。ファシズムのように見えてくるから不思議だ。)香港は、地下鉄「黄大仙廟」駅を降り、山の方へ1キロ程歩くということと、寺の名前だけは分かっていたのだが、それ以外はよく分からないので、駅周辺を見渡した後、暫くボーっとしていた。駅前で終点Uターンしている道路があり、そこには、どんどんミニバスが山から下りてくるという光景を暫く見ていたが、そこに遅刻寸前のOLがタクシーで降りてきたので、それを捕まえ、タクシーに乗り、向かった寺であった。初乗り18香港ドル(約270円)で到着してしまったので、おそらく、1キロは無いだろう。香港は、宿泊は高いが、タクシーはそれに比べると格安に感じる。日本の半額だが、凡そ、メシ喰ったりしていると、感覚的には、日本の6~7割ぐらいの物価かなという感じがするのである。しかし、たかが1キロされど1キロ、それは、ほとんど上り坂である。多くの勤め人の通勤ラッシュに、海外で出会うと結構、不思議な感じかする。ミラノやパリ、ニューヨークなどで通勤ラッシュにまみれたが、なんだか、ムンバイとか、今回のバンコクや香港で通勤ラッシュにまみれると、おおーみんな実は働いてるんだなーって変な気分になる。 年を取ると早く目が覚めるとはいうものの、予定のない休日というのは、やはり昼まで寝てしまうか、一度起きて暫くごそごそしてまた寝る、ということを繰り返しながらも、今回は、珍しく、年寄りらしく、毎晩3時に寝ては6時半に起床し、仕事(=散歩)に出かけるのであった。まあ、そんなことを考える暇もなく1メーターで問題の寺である。入り口には、何故だか乞食のばあさんが座っており、入場料代わりに1.5円ぐらい入れておくと、貴人と書かれた紙を貰った。これは、入場料か、それとも、私が貴人だからか、容易には推測できたのではある。インド人というか、シク教徒が迎えてくれるのである。オメエ、亀なんかじゃねえ。さすが、九龍地区の最北端あたりに位置するのか、高層ビルを見下ろす光景となる。変な物体たちも、香港大高層ビル群を見降ろすのである。寺自体も、山にへばりついており、寺自体登らねばならない。登ってみてみると、まあ、以下のとおりであった。ガウディは中国奇石庭園の影響を受けたのだろうか。骨壷陳列のんびりじいさん動物の模様の入った石、って、これ絶対自然石じゃねえ。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.19
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なんでもいいけど、神戸の町、歩いている人の半分ぐらいがマスクしているの状態だわ。高校がえらいことになっているからね。神戸高校、兵庫高校は、第一第2学区のトップの高校ということである。しかし、電車に乗ったり、スーパーに行くと、6割がマスク姿で、怖い。ファシズムのように見えてくるから不思議だ。今のところ、認知している子供や育てている子供はいないので、本や報道関係でしか知りえない実感のないものであるが、ずいぶん、私の子供時代とは、違ってきているのだなと思う。勿論、同世代、皆、そう感じているはずである。 考えてみれば、前にも書いたことはあるが、親に、自分の好きなように生きなさい、やりたいことをとことん夢をもってやりなさい、ということは言われたことがない。勿論、おまえには無限の可能性があると言われたことはないが、かといってバカとか一流になれとか言われたこともない。親父は、職場と家とパチンコ屋の3点をぐるぐる回っていただけだし、子供ながらに、努力は大切だし、努力しなければ得られないものはたくさんあるとおもう反面、努力したって無駄無理ということはたくさんあった。子供心に、24時間野球の練習したってプロ野球選手にはなれないし、24時間勉強したって東京大学にはいけないことは分かっていた。マイホームパパとは親父はまあ、無縁で、おまえの気持ちは分かるというのか、やたら面倒見のいい物分りのいい親父ではなかったのは確かであった。どちらかといえば、のどが渇けば、私たち子供に隠れて、自動販売機でシューズやビールを買って飲んでいるタイプであり、子供なんだから我慢せいよバカヤロウって感じであった。大人になれば、自由にジュースの一つは買えるのだ、今は水道水で我慢しようではないか、なんて、私も物分りがよかったわけではなく、大人ってずるいよなーと単純に思うだけであったような気がする。 誰にも、自分には子供時代があったので、教育論は、誰もが、自分の体験経験を通してぶちまけることができる安易なテーマである。 やたらと平等を打ち出しているような世の中のようであるが、そんなことは、子供心になんとなく、分かるのであった。クラスでは、喧嘩やドッチボールのウマイ下手や成績のよさで明確にそれぞれが順位がつけられていたし、赤白帽子取りの騎馬戦では、クラスで一番の荒くれ者が対象になるのが常であった。たまに順位が変わると、トイモイがドッチボール6位から5位になったぞ、なんて、根拠のない順位に、学級の中でちょっとした噂になるぐらいであった。それに我慢できない奴は、遠慮なく、落伍していったというか、他の面で頭角を現すか、何をやっても、こいつは駄目だ、って奴になるかであった。しかし、明確な順位があるからなのか、上位の者は、下位のものをつれて歩くことも多いのだが、決してふざけては表立ってはいじめても、あえて隠れて苛めることはなかった。そんなことしたら、自分の順位の品格を落とすからであったのだろう。 やたらと平等を打ち出しているような世の中のようであるが、さすがに、小学校低学年の頃は良く分からなかったが、その頃は、自分の親と同じような仕事をし、同じようなものかと思っていたが、チョット待てよ、なんだか世の中、金持ちや貧乏が混在しているぞ、あいつの家でかいぞ、あいつの家あばら家だぞ、あいつの家親父しかいないぞ、あいつの苗字急に変わったぞ、あいつきれいな服いつも着ているぞ、アノ子なんとなく品があるぞ、あいつ同じように勉強習っても、吸収度が全然違うぞ、あいつ一緒に走っても、やたらめったら速いぞ、んあてことに気がついてくるものであった。みんなで一つのことを成し遂げましょう、平等に、なんていわれると、落伍してくる奴がでてきてしまう。どうせ受験や社会の中で、競争していかねばならないのに、或いは競争から離脱して第3の道を進んでいかねばならないのに、みな同じ道に進ませると、落伍していく奴への愛情はどこにいっちまったんだよお、ってなことにならないのか?知らんけど。オメエの努力が足りなかったからだけだよ、と言われて終わりになっちまわねえかよ?オメエには、無理なんだよ、ちゃう道をいったほうがいいよって言ってあげないとね!ムフ。オンリーワンは、その世界のナンバーワンであるし、または、競争のない世界を探したり生み出す努力をせなあかんのちゃう?負けるから競争はしたくないんだろ。
2009.05.18
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ブッダパーク行脚1.5の続きである。俺以外は見飽きている例の物件である。ちなみにブッダパーク行脚もあるのである。唯一、色つきの石像よ。我流迂打(ガルーダ)か。我寝得遮(ガネーシャ)か。不思議なことに、寺と称するこの場所に、寺がないのだ。こちら、裏側が、メコン川になっております。だんだん、埋まってくるわ、ウッフンいい湯だなアハハーン、ワニも一緒にね。大型食用殿様バッタ、だよね?魚に食べられてしまいそうです、この不幸を許してください、母上。ベリベリーハッピーブッダ顔が少し黒くなったみたい。顔が少し白くなったみたい。このおっさん、現代人ぽいな、成敗してくれるわ、てな感じか。手からキノコが生えてくるぐらい長期間にわたり、じっと手を合わせました。こんなので、どうだ、って感じすか。イノシシに髪の毛つかまれて、舌出して、ああ、情けない・・・バランス良く立っているというか踊っているというか人魚伝説というか。枯葉を髪の毛の代わりにしているなんて、何てダンディーな石像なんだ。足をお舐め。トサカではなく、蛇です。パンチパーマ効かせました。靴が、口になってますが、よろしいですか。頭刺すで。なんというか、もうかなり脱力しているが、腰砕けにもなりました。全景半分、全身に戦慄が走るのを感じつつ、パート3に譲る、といいながら、もう誰もがおなか一杯。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.17
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タマネギの中は地獄だったのである。世の中、脱力がほどほどであるということを悟りました。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.16
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高校のときであるが、中国古典の授業で、「死ぬことなんか分からない、まして生のことなんかわかるはずねえ」という古事を習った。(孔子論語の、未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん、ですが・・) 実のところ、年をとるほど、年について考えることがなくなってきている。それは、死を避けたいのかも知れないが、ここで、宗教的なものは除いて、ちょい死についての漠然とした認識を考えてみると、死は、やはり、残された人々のためにある概念であり、突然、世の中からその人が消え、そして、日常が続く。ぽっかり空いた空間は埋めることは出来ずとも、人間最大の得点として、忘れていく、あやふやになっていく、にぶくなっていく、クヨクヨしててても仕方ない何となく自分は生き続けていく、でないとメシ食えないからという現実に直面するなど様々な原因により、やがて、その人ナシの日常が継続されていく。で、死んじゃった本人はどうなるのか、そういうことは、若い頃は、それは想像してみたり、本を読んでみたりしてみたものの、経験者はおらず、分からないことなのだ。臨死体験も、日本では仏教的だし、西洋では三途の川は出てこないし、脳の異常体験としか思えないのである。説明できない事象もあるが、例えば、ユウタイ離脱して、隣のビルのバルコニーに落ちていた靴をみたとか、自分の手術姿を上から見てて、医者がこういうことをしたと話すことが出来るといったことがあるが、まあ、それは、現世の世界であり、不思議事象ではあっても、想像できる世界であり、やっぱり、何となく、死んだら無になってしまうのであろうか。無、って、まあ、モノと同じであり、何もなくなるということである。かたや、一方で、世の中にも、既に、目に見えないものも多く存在し、それは、紫外線赤外線などの光、波、つまり電波などの振動、そういったものがあり、もしかしたら、そのとき思った振動や光、そういったものが、情報として残ってしまうものなのかも知れないなとも思うのだ。それには、思考は無いかもしれないが、そのときの、情報としての、想い、つまり無念や「怨恨」などは、光や波として残るのかも知れない、なんて勝手に想像してしまうのである。ムカシ、アイハラコージの漫画で読んだ四こま漫画のこと思い出す。武士どおしの野での決闘であるが、負けた奴が、首を切られた瞬間、その向こうでのんびりとした牛がクソを垂れており、4コマ目に、野武士がこの世で最後にみた瞬間、何てテロップが流れ、牛が糞をしている姿であった。こんなのが永遠に続いたらいやだなと思いながらも、首を切られても脳情報が視神経を通り目に届く情報速度より、命が切れるほうが速いのかな、光の速度の4分の1ぐらいの速度かな、なんて思うのであった。あ、思っただけ。誤ったことを信じていたら地獄にいくとしたら、世の中の宗教、こわくてやってられねーよ。
2009.05.15
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不思議なことに、この3年間というもの、3年とも、香港に立ち寄りしている。それに、子供の時代から、香港は何となく、タイとかインドとは違い、おぼろげにその情報が入ってきた、それも、過った情報が入ってきたので、印象も、子供心に、はっきりいって恐ろしいものであった。(タイという国名を知ったのは、多分、中学校高校の頃だったと思う。インドは、顔の黒い奴のあだ名がインドだった、ああ、差別主義の小学生時代) 香港の情報とは、その1、Gメン75の香港マフィアカラテシリーズ、草野刑事を覚えているか?そのシンジケートを2つほどぶっつぶしているのである。まあ、話はそれるが、Gメン75は、今考えたらホンマに硬派な刑事ドラマで、課題がシブイ、Gメン設立の発端は、アメリカのシンジケート・コーザノストラが絡む密輸事件に警視庁の現職警部が絡んでいたことという警察の暗部から始まるぐらいだ。警察官の関わる犯罪を扱うことが多く、不当捜査・でっち上げなどの警察署内の腐敗に挑むなど、なんだか、いまではもうできそうもない課題に果敢に挑んでいるのである。そのほかには、「沖縄米軍基地問題」「交通遺児」「安楽死」「成田空港問題」「200海里問題」等ああ、渋すぎる話題の目白押しだったのである。まあ、それはおいといて、この香港シリーズを小学生ながらに見て、ホンコン、ああ、コワイ。それに、その2、漫画や雑誌でみた、治外法権の九龍城。ゲにおっそろい人々が麻薬や売春や人殺しの巣窟の中で暮らしているんだよなーと勝手に思いながらも、学生時代かに、テレビで、普通の香港人の会社員が九龍城の中で家を借りて暮らしている人のインタビューを受けてびびった。「私たちも怖いのですが、家賃が安いし、自分の家までの道筋までは安全で、それ以外は、行ったこともありません」と応えていた。それから、その3、そりゃ、やっぱ、ブルースリーだろう、萌えよドラゴンの、あれれ、燃えよドラゴンの最初、ホンコンに小さな船で水上生活者たちの港に接岸するシーン、スゴイ場所だ。あれどこなんだ。そのシーンは、ブルースリーが、とても宮本むなしではなく宮本武蔵が好きで巌流島のシーンを想定した場面らしい。いやあ、傑作である、アチョー!と同時に、おお、ホンコン怖いとこって印象をモ持ってしまった純情な無名で幸福な小学生時代であった。(今も無名で幸福で前途多難な中年時代である、何が幸福かというと、メシが毎日食え、寝る場所があることである。前途多難は、永遠のテーマである。)とにかく、考えるな!感じろ!ホンコンのカイタック空港時代には、ホンマにスレスレのところを飛んで降り、ときどき、九龍城の洗濯物を飛行機がひっかけていくなんて冗談もあったが、香港のネオン街は、チカチカがないのは、飛行機が間違えないように、ということであった。そんな看板に車がぶつけて、みなが集まってきて記念写真を結構撮ってました。珍しいのでしょうか。そんなに顔が変わるとは思われせん。だから胡散臭さ、でも好き。また男人街、女人街を歩いた。だからといって、男ばかり女ばかりではなく、ちっとも怪しくもなく、結構、真面目な私には、普通のマルケットに見えるのみだ。そういえば、世界で一番うまい中華料理は、その時期に世界で一番発展しつつあるところといわれていることを思い出した。しかし、それがなんというのだい。今回は、金魚街をぶらぶら歩き、金魚を飼うかどうか迷うのであった。初めて、香港に夜に降り立ったときには、そりゃ、怖かったというか、エキサイチングだった1986年、エアインディア。このエアインディア、今でも、香港、バンコク経由で飛んでいる。この空港をハブとするキャセイのパイロットって世界で一番の腕じゃねえか、と思ったぐらいであった。(今は、やはり、軍隊上がりの多いアメリカ系がうまいなあ、と思う)2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.14
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今は、全くトラベラーズチェックを持たず、現金主義及びカード主義をとっているが、学生時代は、クレジットカードも持っていない上に、何ヶ月も旅行する訳だから、まあ、トラベラーズチェックを作っていくことが多かったのであった。アメックスのトラベラーズチェックを取り扱っているのが、東京銀行だった。アメックスのT/Cは一番古いT/Cである。2階に上がると、いつも、そこでチェックを作ってくれるのは、30代の優しそうな細身の背のスラリとしたインテリぽいおねえさんがいて、いつも来るのね、フフフと私ににこやかな笑顔を送ってくれるんどえあった(が、顔は覚えてはいない)。というような記憶があるが、多分、それは、記憶のすり替えであるよな気がする。今でこそ、品行方正なエグゼクティブにしか見えない私も、学生時代は、単なるヒッピー崩れの「汚れ」でしかなかったのだから。それでも、一度だけ、少し暇だったのか、彼女に話しかけられたことはある。今度はどこ行くの?って何となく含み笑いされながら。しかし、何故か上司が目ざとく、見つけ、私語は慎みなさい、といった。銀行ってイヤーなところだなあ、と思った。思ったが、太陽神戸銀行銀行には、面接に行った。第一希望は商社です!というと、あんた何しに来たのって面接官に言われたのも、つい先日のことのようだ。結局、東京銀行は、後に三菱銀行と合併するが、海外に強く女性も長期に働く体質の東京銀行と、嫁をあてがうために、若い女の子しかいない三菱銀行とは相性が合わないだろうな、とそのとき思った。 まあ、一応、お金を盗まれたりなんかして、タイのバンクオブアメリカやバンコクのパッポンに近いシローム通り沿いにある東京海上火災バンコク支店に行ったこともある。まあ、そんな訳で、バンコク映像。というか、バンコクの空港で飛行機に乗り遅れそうになる夢を昨日みた。そうやって、トラベラーズチェックに助けられたこともある私であるが、マニラで盗まれたトラベラーズチェックも日本で無事、還付を受けると、ある日、銀行から返してくださいと書類が送られてきた。それは、私そっくりのサインの入った文字でサインされたものが、ニューヨークで使われ、そのコピーが添付されていたのであった。パスポートのコピーでアメリカに行ったことがないことを証明して送り返してやろうかと思ったが、面倒なので無視していたら、そのまま、何事も無く終わってしまったのであった。 そうやって、トラベラーズチェックに助けられたこともある私であるが、それは、インドのカルカッタでの出来事であった。買い物をしながら、結局、金額で揉めたのである。しかし、私は20ドルトラベラーズチェックに既にサインをして迂闊にも渡してしまっていたのだ。渡してから商品(布だけど)の質と量でトラブルになったのである。じゃあ、もうイラネーヨ、といっても、彼らは、チェックを返すつもりはない。返せ、返さない、商品いるいらん、で揉めた挙句、私は、すかさず、チェックを取り返しにいき、彼は取られまいと引っ張り合いになったのだが、ここで、チェックの端っこでもつかんだ私の勝ちであった。破れたら、彼は0、私は再発行である。彼にはお金、私には紙切れである。彼は、敗れては困ると思い、手を離した。手を離したが勝ち、私は、それを両手でビリビリ破り、逃げるように店を去ったのであった。日本に帰国してから、20ドルを取り返した。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.13
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香港の夜中をブラブラ歩いていた時に、フト懐かしい戯言を思い出した。香港のショッピングセンターの試着室に入ると、鏡がクルンと裏返って、拉致されて、売られてしまうという都市伝説だ。他にどんなのがあったかなー、と思い出している。 中国のある場所に行くと、達磨という矢印があって、逸れに沿って行くと、手足を切られた人間がほったらかされ、そのうちの一人の男が、「オマエ、日本人かあ?俺は○○大学3年の○○だ!助けてくれ!」と日本語で話しかけられ、びっくりして、走って逃げ、日本に帰ってから調べてみると、確かにその学生は行方不明になっていた。ニューヨークの地下下水道に白い巨大ワニがいるとか、ラスベガスの某ホテルのベッドの下に死体があったとか、アジア某K国には死体を蘇らせた戦闘部隊があるとか、ヒッチハイクして乗せて家まで送ると、その子は3年前にヒッチハイクした場所で事故死していたとか、インドで列車から手を出していると、ある駅でナタで指を切り落とされ指輪を盗られたとか、ある都市の便器から蛇が出てきて、尻を噛まれて死んだとか、赤ちゃんの死体の中に麻薬を突っ込んで密輸しているとか、外国の寿司屋でハウマッチ?とお勘定を頼んだらハマチが出てきたとか、まあ、いろいろ聞いたり何かで読んだことがある。美人に着いていって、ことを終えて朝起きると、彼女はいなくなっており鏡にルージュで、「エイズの世界にようこそ」とか、タイでは、修行中の坊さんが女性に触れると今までの修行がすべてパアになり初めからやり直さなければならないことに目をつけ、何か恨みのある女性が托鉢中の坊さんにすれ違いざまにタッチしまくっているとか、コカコーラネタはやたら多いが、コカコーラをセイコウ後チツに入れると殺菌作用になるとか、沙漠に迷ったヒッピーがコカコーラを見たら死ぬとかまあ、コカコーラ+フォークロアでコークロアと言われているぐらいである。考えれば、最初に海外フォークロアを実践してみたのが、18歳のフィリピンであり、穴の開いた硬貨は珍しく、日本以外にはデンマークぐらいであり、喜び勇んで、トイレで肩揉みしてくれた人に5円玉を渡してみた。案の定、彼の顔は、不信感でいっぱいになった。中国にはエイズ村という隔離された村があるというのは聞いたが、小人村というのはあるらしいね。 2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.12
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ヴィエンチャンは、いわば、かつてのカトマンドゥのタメル地区、バリのクタ地区、ネパールのポカラのダムサイドのような形相を示しており、どこが街があるのですか?と一瞬質問したくなるような場所であり、そこでは、西洋人と日本人が長期滞在でリラックスしているようで、かつて、ビール1本で何時間も粘った雰囲気の良い店に加え、インターネットカフェやマッサージ屋が点在し、ここだけ歩いていると、旅行者とそれについてくる商売の現地の人しかいない、という感じにまで見えてくる。夕刻には、泥のメコン川でぼんやり眺めていると、チベット高原からやってきたメコンは、ビルマとラオスの国境線沿いを流れ、タイとの国境線を流れ、カンボジアと入り、ベトナム南部を経て海に出る国際河川であり、ビエンチャンやプノンペンではそのほとりでのんびりしたというのに、何故だか、タイの印象が強く思われるのは、タイのウイスキー、メコンのせいかもしれない。 今日、たまたま、メールがあり、少し、96年か97年、ラオスの旅行が自由化になった頃に行った後輩と飲んだ。しかし、彼は、田舎でした、ぐらいしか思い出さず、もっと突っ込むと、看板が、ラオス語とフランス語の併記でした、夜は真っ暗で何もありませんでした。というのみであり、どうやっていったかも10年前というのに、うる覚えで、当時は、ビザの取得とホテルを前払いで予約しないと行けなかったので、日本で代理店に頼んだ、行きは多分バンコクから飛んだが、帰りは、メコン川を渡った気がするので、陸路でバンコクに戻ったと思うとしか、事情徴収はできなかった。 自分の得意技を見たような気がした。私の記憶装置は、カメラのシャッターのうようで、その瞬間の出来事を何十年たっても覚えており、そのシャッターとシャッターをおぼろげにつなぐことで、いろいろ思い出されるのだなと思った。何年何月何日までは覚えてないが、どこの何をどういったか、どうだったか、そのときのにおいはどうだったのか、何かをきっかけで鮮明に思い出し、20行30行の文章をとりとめも書くことは、文章の出来は別にして、記憶術というのは、皆それぞれなのだなあ、と思った。 それと、フラフラしているときは別にして、まあ、そいいうときは多かったんどえあるが、乗り物に乗ると、いつも何とか歩いたりしてでも帰る事ができるように、右折左折したり、どちらが北か、目印の建物を降りるまでに記憶しながら乗る癖もある。いつなんどき、運手手と交渉決裂するかも知れない、とう気の弱さがあるからだ。喧嘩するより、逃げる、それが、旅行の情けない私のスタイルだということにも気がついた。 そんな感じで、ラオスの印象を終わります。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.11
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今まで、私は、幾度となくグルメ紀行を繰り返したが、まるで、それを奇行と過っている人も存在するかも知れないのである。アメリカグルメ紀行。欧州グルメ紀行。中米グルメ紀行。今回は、タイグルメ紀行の続きとも言うべきバージョンである。朝飯はカオトンムーだ。何せ、昨晩、飲みすぎたからだという当たり前の理由。胃に優しいというか、普段日常では朝飯を食べないので、軽いものしか食べられない立派な体質になっている模様。Mが魅力だ。しかし、そんな魅力だけで、腹を満たす訳にはいかぬ。ラオスでは、ラープ、ヨーチューン(まあベトナム風春巻き)、カオクア(まあ、ヤキメシ)そして、ビアラーオ。ラープとは、ラオスの代表料理であり、説明は面倒なのでリンクにしておく。唯一のコンビニペプシグリーンとか発見し、笑ってしまう。スーパーやコンビニって楽しいわけだ。テイムテイムチョコも、オーストラリア国内で販売しないで下さい!ってそれ意味分からないんですが。0時頃に、ふらふら歩いていても、ほとんど、真っ暗で、メインのナンプ広場周辺だけが、少し賑わっている程度で、こんな時間に酒飲んだりフラフラしているのは、ガイコクジンンだけで、それをめがけて、トゥクトゥク運転手や娼婦がうろうろしているのみだ。ホテルでも不意に飲んでしまいます。ラオスもバンコク週報みたいなフリーペーパーが有名ホテルにおいてあるので、これを参考にしますいらっしゼいませずとてのぺいくろ。で〆。香港はさあ、なんていうか、食べるしかねーのかよー。広東料理なのか何だか分からないが、空気が好きなので、ビールを飲んで、ぼーっとするのみである。結局は、蒸し物頼むんだけどよ。香港で、朝飯から食べ過ぎた感じである。食べ終わってから写真写しても、意味ねえ。四季豆、これウマイ。 2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.10
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やがて一人の僧が作ったというのだから、その信念というかパワーに圧倒されました。口の中に入ってきます。日本その他の国ならマイナーな珍スポにしか過ぎないだろうが、見所の少ないヴィエンチャンの観光スポットとしては、ベスト10に入るぐらいの観光客が訪問する地であり、ここを訪ねた人は、チンスポハンターとなって世界中を駆け巡るきっかけとなること請け合いです。聖なるかぼちゃは、ズバリ、3階建て。大きさの割りにウスーイ涅槃像に、君は何を感じるのだろうか。紀元前からトヨタのホイールは生産されていたようでした。メリーゴーランドブッダ、髑髏付。カボチャ登頂セイコウ記念。もうこれ以上登る気にはなれません。頂上にまだ口があり、中に入っていけます。ベリベリーハッピーブッダ一同、ガン首揃えてお待ちしてます、いらっしゃいまほー。世界とは、カオスである、ということを学んだ。スリープンブダブッダではなく、サラリーマン。アイスクリーム石のくせに、疲れました。石の癖に、腰いわした一同、ガン首揃えてお待ちしてます、いらっしゃいまほー。朝食は、トーストでOK?道しるべいりませんけど。スリーピンブッダダブルスリーピングブッダあっちむいてホイたらこ唇蛇で巻かれて壊れたり。何持たれてるのでしょうか?全景半分、全身に戦慄が走るのを感じつつ、パート2に譲る、といいながら、もう誰もがおなか一杯。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.09
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これ余り画像でしたの関が原です。これを前哨戦にして、ラオス日本友好へと続いていくのである。 岐阜近隣旅行 関ケ原ウォーランド1 関ケ原ウォーランド2 関ケ原ウォーランド3 関ケ原ウォーランド4 佐和山城、金閣寺
2009.05.08
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フラフラしていようが、いきっていようが、しゃきんとしたつもりでいようが、シラフと変わんないね、って言う評価が私への印象らしいが、内面は大きく変化しているに違いない。何をどう、内面の旅立ちに行ってしまっているかは、いつかの機会に譲りたいと思うが、意味のない写真をゲージツ的と勘違いして連写するのは、まあ愛嬌である。迷子は、私の得意技である。ビエンチャンの中心部は1キロ四方にほとんどの場所が入ってしまい、フラフラしていても、いつかどこかに来た道に帰ってくる。今や喧騒のバンコクから逃げてくるような西洋人の大集団の塊であり、この中心部自体が、だだっぴろいカオサンロードを引き伸ばしたような状態であった。ともかく、フラフラしてくると、何か試したくなってしまうのが、落ち着きのない私の性でもある。ラオスは、マッサージやスパなどがタイの半額程度(マッサージなら1時間3~6ドル)と聞いていたので、ここは、さらにキムチ良くなりたいと思い、ふと、通りの目に止まったのが、というか、滞在ホテルの隣になったのが、ニルバーナマッサージだった。まあ、英語でいうと涅槃按摩である。その名前に惹かれて、フラフラと入ってしまったのであった。メニューを見せられ、初めてのスパ&サウナに挑戦してみることにした。まるでエグゼクティブの気分であり、しかし、心配となり、男性でもいいのか、と遠慮がちに聞いてみると、問題ないとの返事をもらったので、お墨付きで、薬草ハーバルサウナ、次にボディスクラブ&ドロパック最後にミルク&ハーブ風呂2時間30ドルコースである。部屋に通され、後ろから女性が付いてきて、全部脱いで下さいと言われ、ほんまですか、と少しびびりはじめるが、少し彼女は遠慮して部屋を出たところでパンツも脱ぎ、バスタオルを腰に巻いて恥ずかしそうに待機した。 彼女に手渡せたのは、まあ、日本語でいえば、紙パンティであった。私は、しげしげと眺め、思案の末、紙パンティをはいた。はっきりいって、彼女は気にしていない模様だったが、私は、これは、結構恥ずかしいぞ、えらいことになってきたぞ、ただ事ではないぞ、って気分になってきたのは事実であった。まずは、何というのか、ホームサウナというのか、首だけ出して、折りたたみのできる1.5平方メートル程度のサウナが用意され、入るように促されながら入ると、首が出ていて、通常の全体サウナと違い、限界我慢というのがなく、いつまでも入っていられますよ、はっははは、という感じであった。しかし、入るときには、ツイニ、パンティ1丁になったので、彼女に対して、チョトだけ乙女の恥じらい気分の兆候だったことは否めない。そのあと、ベッドに寝かされ、全身スクラブと泥パックにて、スベスベヌメヌメの液体を塗りたくられるのであるが、こういうのは、はっきり言って気持ちいいので、堪能するよりも早く、熟睡モードとなり、3回ぐらい仰向けになったりうつ伏せになったりするのだが、そのたびに、揺さぶり動かされ、耳元でエクスキューズミーと声を掛けられ、起こされるのである。はっきりいって、ほとんど寝ているので、この塗られている60分間は、まるで、夢心地というより、本当に夢みてて、5分程度で終わってしまったような気がして、少し損した気分になった。足や腹を見ると、おお、いつのまにか、泥色になっとう!最後は、スパなのだが、彼女は小さく、部屋に丸見えで付いているバスタブがでっかく、150センチあるだろうかの彼女には、異常にでかいシロモノ、というか、マッサージも、子供の手でされているようで、眠りに落ちていくような感じがしながらも、幼児虐待って感じもしないでもないなあ、という気分をも少し感じていたのであった。白いバスタブに入ると、これが、また心地よく、すぐに眠ってしまうと思いきや、滑るのである。ややもすると、溺れるのである。何か分からないが、常に、アップアップしながら、猫肌の私のは、すぐにのぼせ始め、時間がきていないというのに、ギブアップである。まあ、そんな訳で、彼女にはタイバーツで払い、満足のまま涅槃に入ったのであった。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.07
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東南アジアは、優しい。その優しさは、気候とマッチした、性格の緩さだ。自分に甘く、他人に甘いところが、身体的なことも加算されて、私には、迂闊にもしっくりきてしまう。人口800万人を越えるバンコクから、ラオスの首都ビエンチャンまで1時間、人口は60万人であり、やがて、飛行機からビエンチャン市内、の、ようなものが、メコン川沿いの平野の中に現れた。いや、間もなく着陸しますとアナウンスがあり、もしかして、この眼下にあるのが、ビエンチャンなのか、と思った。思ったが、多分、そういうものだろうと予想していたので、驚くこともなかったのだが、やはり、どこに行っても、飛行機が着く頃にはワクワクしてくるものだ。一番高い建物が、ドンチャンホテル、俺の小学校のときのあだ名、ドンチャン、どんくさいからではなかったが、懐かしい名前で、やたらに親近感。ラオスと私との関係というと、実は、何の関係もない。私が学生だった頃、つまり、つい最近のことだが、1980年代後半から90年代前半、ラオスに入国できる手段はただひとつ、バンコクハノイ間のストップオーバーのトランジットビザしかなかったのだ。といって、ベトナムには、団体旅行の超高額ツアーが一般人を受け入れ始めた頃で、誰もベトナムやラオスに行けるとは思わなかったし、ましてやカンボジアは内戦状態で、入国が一番難しいアジアの国であった。タイにあるメコン川を挟んで、ヴィエンチャンの対岸にある町は、ノンカイ。21歳の夏、バンコク、ファラポーン中央駅でノンカイまでの列車のチケットを買った。12時間程度で着く距離であった。列車の発車まで1時間ばかりあり、その時間の間に、急に何だか、嫌になり、それが、何が嫌になったのか、さっぱり思い出せないのだが、また窓口に戻り、キャンセルした。キャンセル料がいるよ、と窓口で言われたが、とにかく何が理由でか分からなかったが、キャンセルして、同時に、チェンマイ行の切符を購入した。それだけだ。ノンカイといえば、もうひとつ、覚えがある。ノンカイから出てきて、バックパッカーの集まるカオサンロードのNATゲストハウスというところがあるのだが、そこで働く女の子だ。私の親友の女性が、彼女と大変仲良くなり、そして、生活費の一部を仕送りしていたのであった。何故だかかは分からない。ただ、学生の身分でありながら、彼女を何とかしなければ、と友達は真面目に言い、インド料理店でバイトをせっせとしながら、旅行資金の一部を彼女にせっせと送っていた。そして、彼女の将来を心配していたのだが、だって、給料はないのだから、少しだけの給料で、ただ住み込みをして、職住が確保されているだけだったから。やがて、心配をよそに、3年後、彼女は、スエーデン人と結婚し、スエーデンに渡って行ったのであった。それだけだ。1995年だったか、遂に、ラオスへの旅行自由化となり、早速、後輩がラオスに行った。帰ってきて、どうだったと聞くと、何もありませんでした。街もグリりと回ると終わりです、と言っており、昨年、再度、ラオスどやねん、と聞くと、記憶力の悪い後輩は、もう10年以上たつと忘れました、なんか田舎でしたというのみだった。アノ頃、タイとビルマの国境の村、メーサイには、友達や先輩が多く訪れ、賄賂を払ってビルマに勝手に入っていった。勿論、帰りも強烈な賄賂を請求され、揃いもそろって悲惨な目にあっていたのであった。その頃の私は、あまり辺境には興味がないというか、いや、あったのだが、まあ、タイではいつも、フラフラして、そう動けなかったというのが、実情であり、みんな、よく、そんないろいろあちこち行くねえ、バカみたいだねえ、なんて、言っていた若い頃であった。それから20年たって、いろいろ生き急いでいる私を尻目に、その方々の大半はしっかり大地に根を張りというか、ローンとか子育てに縛られてというか、或いは、ファミリー旅行というか、何というか。この2年で、学生時代に入国できなかったインドシナ3国に入った。隔世の感があった。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.06
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昨晩は、疲れていたので随分、はしょったが、詳細をご報告しておこうという趣向である。クリントイーストウッドのグラントリノを機内で見たのだが、そこに出てくるのが、モン族、おお、なんと、ラオスにもモン族いっぱいいるのだ、タイムリーなんだ、シンクロニシティだ、というのは言い過ぎだ。なにしろ、モン族は悲惨な歴史を歩んできた。。映画にもちょとだけ、女の子が紹介している。バンコク、スワなんとか空港に到着すると、機内案内が流れた。昨日は、「検疫があるので、しばらく機内からでられません。当機には14人のメキシコ人が乗っています(英語で。日本語では説明なし)」と報告したのだが、実は、「機内に14人のスペシャルグループがいるので、暫く座ったままお待ち下さい」と案内があったのだ。日本語では、検疫用紙をお配りしますので暫くお座りになってお待ち下さい。との案内があったのだ。そんな訳で、隣の米国人乗客は、「わお、この飛行機にVIPが乗っているんだ。その人たちが降りるまで、出られないんだな」と話し合っていた。私も、そうなんかなあ、と思いつつも、検疫用紙が怪しいな、今から、消毒されるんちゃうか、と思っていたが、15分ほど待たされて、機外に出ることができた。出る際に、スペシャルゲストって誰よ?って小声で乗務員に聞くと、苦笑いしながら小声で、メキシコ人旅行者と答えた。とにかく、そんなことは、どうでもいい、急いでバンコク市内にGOであった。花も配られ、胸に挿しておくってもんだよ。バンコク市内からもタクシーに乗ったときに、ついつい、スワヤンブナート空港まで!って言ってしまったよ、ソレ、ネパールカトマンドゥの目玉寺院です!バンコクからラオスまでは、1時間のフライトであるが、さすがにここまで来ると、インフルエンザ、ナニソレって感じの状態であり、何事もなかった。ただ、私の素晴らしい事前情報では、ビルマやスリランカなども同時にいろいろウエブザイトでチェックしていたので、間違えて、ラオスもアライバルビザを取るために、ビザコーナーで30分も並んだどころか、成田空港で700円も出して離陸時間と戦いながら写真を撮ったのであるが、ビザカウンターで、オメエ、2007年1月1日から日本人は2週間ビザいらなくなったんだよー、と笑われるどころか、貴重な短期滞在時間を失う羽目になるぐらいであった。もしかして、空港建設に協力したからけ?見よ、あれがバンコク港だ。実は、5~10キロでバンコク市内突入である。私は、何を隠そう、自転車で行ったことがあるぐらいだ。なんだ、これ、パソコンだったのか。 香港空港では、ガイコクジンがイミグレに並ぶ所が狭くなっており、並ぶ前にパスポートをチェックされるのであった。誰が跳ねられるのかというと、そりゃメヒコパスポートであり、何故か、チェックするおばちゃんは、そのパスポートを、見つけると、すごい嫌そうな顔して、あっちいけ、って言われて、一番端の別室入っていった。えれえ、差別だなあ、と思うぐらいであった。インポートで、メイドオブタイランドかよー。 関空では、特に何も問題なく、機内で待たされたりすることはなく、検疫で紙を渡すのに漏れなく記載されているかチェックするだけで、まあ、香港からは200人ぐらいだったと思うので、並ぶのも3分程度であったと思う。一応、会社関係や会うような知り合いには、香港に寄ったことは、秘密にしておこう。詮索されるの面倒だからねえ。まあ、メトロパークホテルに泊まらなくてよかったよ。マカオでは、昨年、メトロパークに泊まっちゃったからねえ。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.05
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検疫があるので、しばらく機内からでられません。当機には14人のメキシコ人が乗っています(英語で。日本語では説明なし)イミグレーション、おまえメキシコ人かよー。こっちこっちといきなり別室行き。マスクしているのは日本人だけ。2009年GW紀行 バンコク早朝 バンコク→ヴィエンチャン1 バンコク→ヴィエンチャン2 ラオス・ヴィエンチャン、スパとマッサージに行く ラオス・ヴィエンチャンを巡る ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク1 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク2 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク3 ラオス・ヴィエンチャン、ブッダパーク4 ラオス・ヴィエンチャン、市場に行く ラオス・ヴィエンチャンの縮図 香港到着 香港、沙田の萬佛寺1 香港、沙田の萬佛寺2 香港、沙田の萬佛寺3 オマケ香港映画インファナルアフェア冒頭 慈運閣1 慈運閣2 慈運閣からの帰り散歩 空港にて
2009.05.04
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エコは大切である。自然は大切である。なくしたくない、地球に優しくしたい、と念じつつも、ああ、何だ、前提条件はあって、それは、今の生活レベルを落としたくない、チョトダケしか我慢したくない、自然は俺の郷愁に過ぎない、って感じである。何セ、人間は、他の生物と同じ、自然と闘うものであり、やられっぱなしのものであり、それほど自然は大規模なもので、ちっぽけなものだった。人間って。それは、何万年も昔の話で、人間が誕生した頃には、人間の規模からして自然は無尽蔵に存在し、いくらどうしようと何てこと無かったというのに、何がどうして、人間は増えた、ムチャクチャに増えた、増えたが、この飽くなき欲望、底や天井のない欲望をどうせいちゅうねん、変わるか。どんどん子供を生んで人口を増やし、どんどん長生きし、どんんどん鬱陶しい奴を排除し、環境なんかどんどん変えればよい、それは、昔の話であった。環境はどんどん変化する、種の芽生えや滅亡はどんどん繰り返されている。環境問題の根本は、今と変わりたくないということだ、不安だからだ。もしかして、ウエルカムトう二酸化炭素温暖化増大なのかも知れないというのに。恐竜があそこまで増えたのは、そういうことだったろう。暖かかったのだ、もっと二酸化炭素の濃度は高かったのだ、過ごしやすかったのだ、科学者も本当は、温暖化より、その次に来る地球史の大部分を占める寒冷化ということは多分わかっている、科学者?って、それ、大抵は現在社会、会社員か公務員なのである。偉いと思うと大間違いであり、結論ありきの都合いいデータを取り寄せるはお茶の子サイサイであり、本当に重要なデータより、自分の生活や予算獲得が大前提なのだ、だって、食べなければならないからだ。科学者という言い方がさすがに恥ずかしくなったのか、研究者って感じか。昔は、パトロンが居たからな、飯の心配をせんでよかった。あの経済学者ケインズさえも、衣食住の不安から離れて初めて自由になれる、そして、生み出せるといっているではないか。あのマルクスでさえ、単なる生活力のないごく潰しのおっさんである。大富豪エンゲルスの庇護の下、好きなことしまくり、挙句の果てに、ああメイドさんを孕ませた・・・、とほほである。随分離れたがエコは大切だ、と思いながら不意に人物続きでファーブル昆虫記まで思い出してしまった。小学校でちょとだけ読んだかもしれないが、こいつが、またどうしようもない、鬱陶しい奴で、単純に機械的に昆虫の生態を研究しているだけで、周りには文句言うし、子供には当り散らしそキレまくり、鳥の丸焼きをバクバク食べるのが好きで、イメージ的な気のいいおじさん的なものから遠く、自分よがりな議論で敵を作りまくり嫌われ、まあ、はっきりいって、自然を守ろう!とは一度もいったことのない人物だ。というか、耳をそぎ落とすゴッホのように、隣人にはしたくない人物である。グゲー。まあ、そんな訳で、エコな生活を人類が実践するには、まずはパンデミックで人口をじゃんじゃん減らすべきである。人が多すぎるからなー。エアコンと車は廃止だ。エコカーじゃマニアわねーよ。だんだん、ムチャクチャになってきたやないか。自分だけちょとでも得したいわーで、エコは無理だ。ああ・・・。まあ、そんな訳で、インフルエンザを避けるためにメヒコを変更してLAOSに行ってきます。イマワノキヨシローを弔いながら。ハッピーになってくっるよバイバイ。
2009.05.03
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断っておくが、え、誰に断るの、っていうのか、不明だけど、裁判員になれと通知しても、私は黙殺します。理由は、簡単で、憲法違反だからです。勉強して何とか裁判官になった人しか人を裁くことができないと憲法には書かれているからです。思想信条の自由が書かれているから、私は人を裁きたくないという信条の下、無視させていただきます。科料の請求が来たら、そうですね、弁護士に相談します。以上。それが自分らしさです、なーんちゃって。どうせ、多数決、みんな素人、プロの裁判官の意見に引っ張られるのみよ。自分らしさって何だよー。そんなの無い。
2009.05.02
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武蔵中原駅で降りた私は、そこから迷いに迷って彷徨った。漫画は大層真面目な政治的な漫画であり、いわゆる風刺画である。Caricatureである。勿論、試験に出る英単語で覚えた単語である。こんなのが大学受験に役立つ単語かといえば、どうやらそうらしいのであった。試験に出る英単語の頻度の多い順に覚えさせるというものであったが、それは、今もきっとあるのであろう。冒頭に、著者天下の日比谷高校の先生であった森先生は、こう古風なことを述べておられる。「浜辺でガールフレンドと戯れるのも青春であるが、黙々と勉強するのも青春である。将来、諸君の人生設計で、どちらが真にカッコイイ青春か」と。シブイ。渋すぎる。私に照らし合わせれば、それは、分からないということである。人生の成功や幸せと、学歴は関係ないからである。まあ、私の場合、チャラチャラ勉強してアバウトな大学に入り、海外のビーチで、チャンチャラ毎日フラフラしていた青春って感じか?将来設計もあったもんじゃない。まあ、そういう、懐かしい話は適当に突然終了し、寺を見回すが、人気が無く、入り口に川崎市内の観光マップが無造作に置かれているだけだった。ごめんくさいー?と誰何するが、反応がなく、その市内マップのパンフを見ると、ご自由にご見学下さい、と書いてある。そうか、入っていいのか、まあ、じゃあ、いっチョ見回るか、と見学を開始する。突然、見学が終わり、靴を履いていると、庭掃除していたおじさんが声を掛けてきた。「どちらさん?」「あ、見学です」「黙ってはいるなんて泥棒みたいじゃないですか。多いんですよ黙ってはいる人」「パンフに、ご自由にって書いていたから・・・」何だか、スンゲエ、後味悪く寺を後にしたのであった。どうやら、別に入り口があり、そこに呼び鈴があるそうだったのである。カクッ。 川崎2009年4月祭りへ かなまら祭り1 かなまら祭り2 かなまら祭り3 川崎の桜 漫画寺
2009.05.01
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