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政治に関しては、素人なので、適当なことを話するが、民巣等は自民等と同じ出身のようなもので代わり映えしないと思うが、官僚や役人と戦うといった人気取りで頑張ってはいる。しかし、どうよ、国民の方々。ほんまに戦うのなら、ほんまに三権分立を明治以降初めて、実質的に実質的なものにするとするならば、アメリカのようにせなあかんと思うんだけど。やっぱ、一人の議員に政策秘書は10人は必要だ。議員立法を一番連発したのはタナカ角栄であるが、普通の議員が、司法行政から独立するならば、そのぐらいのブレーンは必要じゃねえか。勿論、アメリカのように転職がそう簡単ではないぞという中で、ある程度生活保障があるとすれば、ある程度落選しても、どこかに簡単に移れるような仕組がいるとは思うのだけど。んでもって、そのようなブレーンを多数抱えるカツ金の出費を変えないには、議員を半分に減らすだけでよい、あるいは参議院をなくすとか、ようは選挙制度自体に問題があるわけだ。国会議員一匹飼うのに年に5000万円から1億円かかるのだから、これ半分にしたら何百億も浮くから、結構、秘書雇えるぜ。だから失敗するようなこといきなりやらなくても、もっと地道にやるしかないんじゃないの?天下りもやめさせるって、ミソもくそも一緒になっているけど、一番問題なのは、自分の居た省の政府系企業や政府系法人つまり税金法人からまず手をつけたらいいじゃん。紹介なしに民間企業に、自分の管轄省でないところに再就職するのは、これ問題ないよね。それに民間企業も、そんなに金があるわけじゃないし、天下ってきた奴をおいそれとメリットあるからとそう飼う余裕があるか、まあ、それ以上に利益を出せるならそうだけどもね。 選挙が重要なんだと、ワイは思うので、ただ選挙に詳しくないので、小選挙区、比例どっちか一方にするのか、比例はやめるのか、ネットや訪問OKにするのか、政治は金がかかるのだから誰がその政策アピールで集金できるのか、そして、やっぱ選挙区はくじ引きだよな、地元利益誘導の仕事は国会議員の仕事か?国益や国全体の幸福が仕事やろと思うのですが間違ってますか。あと、アメリカの弊害だが、マスコミへの登場頻度やルックス、こんなので決める軟弱な国民が多いので、やっぱり、テレビに出た人は、その後1年とか2年とか出馬禁止だね。まあ大阪や宮崎の知事はまあ、それなりなんだけど、それでも、もともとの知名度で知事になったことは否めない。千葉県の知事なんか悲惨じゃん。かつても大阪ノック知事とか・・・。メディアのバイアスやもともとの知名度これは、いけないと思いませんか、善良な皆さん。それに、選挙区の1票の格差、合憲とした最高裁判官が今も2人いるけど、あのー、5倍もあったら平等じゃないでしょ?1.1倍でも平等でないと思うんだけど。選挙区の範囲は人口分布によって、その都度変えていくのがあたりまえだと思うんですけど、これ、おかしいですか?まあ、そういってみたわけですが、そういえば、全然、話題は変更して、この前、現韓国大統領の李明博の自伝を読んでのだけど(別に意味は無いけど)、懐かしい場面に遭遇した。何故、それを知ったか忘れたのだが、マレーシアのペナンに船でインドネシアのスマトラ島から渡って来た時に、ペナン島からマレー半島のバターワースまで橋を架けたのは、韓国企業だということを知った。へーっとそのときは思っただけだったのだが、この本で実は、日本企業優勢の中、当時首相マハティールと渡り合ったのが彼であったことを知って、再び20年ぶりのへーだった。マハティールといえば、当時、日本を見習え、ルックイースト政策真っ最中だったのにである。少し感慨深いものがあった。 20年前のマレーシアの観光といえば、よく分からないのだが、ガイドブックのことを思い出した。当時は、地球の歩き方もまだやっとタイ編がでた頃で、マレーシアのガイドブックは大人向けのものしかなかったので、私は、ロンリープラネットの英語版しか持って居なかったのであるが、その地球の歩き方である。 日本でも数多くのガイドブックが発行されているが、ああ、うーん、カスみたいなものか、カスである。JTB発行のものが、ローコストエアラインのことを乗せるものか。だいたい、成田や関空のページやパスポートの取り方のページ作ってどうするのってか、そんな無駄なページ持って旅行させる気かよ。 てか、この前、サンフランシスコに行ったのだが、その前日、古本屋で地球の歩き方が売ってたので105円で購入したのであるが、この一番ましなガイドブックも随分変わったものだな、と思ったのであった。 実は、その要因は、明らかに、若者の海外旅行者が減っていることにある。別にそんなことどーでもいいのだが、若者の一番人気は京都である。わいらバブル世代の人気は、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ハワイである。そんでもって、統計をみると、今、一番海外旅行に行っている世代は男性で見ると、40代である。おかしいと思う。20代は2割であり、40代は3割である。20代は、ヒマプーの学生が多いはずである。彼らの小遣いの多くが、被服代に費やされていることも判明している。ゲイの外人が、日本に来て、なんて、日本の若い奴らにゲイが多いのだヒュー!、と勘違い歓喜する理由も分かる。そんな訳で、地球の歩き方のコンセプトは、もうムチャクチャである。ホテルは、安宿から高級ホテルまでさらっと網羅しているのである。両者は相容れることはないのに・・・とふと、思ったのである。私のように、10代20代で旅行に貧乏旅行に行っていた奴ガ、今更に、日本語のいいガイドブックもなく、しゃあないから地球の歩き方買うか、(まさに俺。古本だけど)でも、時間はないけど、学生の時よりはその分金は使えるぜ、(まさに俺)って奴ガ歩き方の購入の半分ぐらいを占めているのではないか?と思うのであった。但し、ホテルについては、ガイドブックは見なくて、ネット検索で地理と値段の確認で決めている。(迷えば、レビューもちょっと読む)それに、地球の歩き方だけでなく、全般的に言えることだが、まさに、ガイドブックがその20年前と内容が変わっていないのである。物価ぐらいである。世界でホットなところは、ここだ、ってのが、なくて、(例えば、スペインだったら、バルビオとかイビサとかでしょ?)相変わらず、パリロンドンハワイである感じがするのである。それに、今、飛行機がもうムチャクチャな状態になっていて、日本では分からないが、例えば、イギリスのバーミンガム郊外に住む妹夫婦を例にとると、もう時空の空のほうは越えているのである。週末はロンドンに行くより、スペインやチェコに行く方が安いのである。平日なら、もう笑っちゃうのどの値段のローコストエアライン(LLC)である。ロンドンまでバスで6000円なのに、スペインのマラガまで飛行機で2000円ぐらいである。空港税を考えても、物価を考えたら、メシ、滞在費考えたら安いのである。だからすぐ、バルでワイン飲むだけの「ためにスペインにイギリスから飲みに行くのである。ああ、憧れの、PT(パーマネントトラベラー)・・・
2009.09.30
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上階ガンギャラリーには、ガンをガンガン置いてます。下階の囚人に奪われないように、です。しかし、脱獄囚は、はべりついて、2階までここから上り、銃を奪ったのでしたよ。ガッツだぜ。誰かが会いに来てくれたら、ここでお話します。ある囚人の思い出としては、何年もして急にエライセクシーな女が面談に来て、そんな知り合いいねえ、ヒューというと、妹でしたと微笑ましいエピソードを残す。ここから命令していく、司令塔ブース。刑務官は、危険な囚人から身を守るため、プラスチックに守られてます。潮流の激しい海を越えた3キロ先には、すべてがあります。刑務所としての命を終えた後で、刑務署長の家は火災で朽ち果てました。燃やしたのは、元囚人じゃね?やはり、亡霊がイロウロしています。面会に来た人たちのお帰りです。脱獄が終わった朝、点呼が始まっても起きてきません。あ、人形になってしまいました。最後の晩餐は1963年です。まだ私の年齢がマイナスの頃です。刃物は取られてもすぎ気がつくように、はめ込み式になっております。しかし、足りないと分かった時には、既に戦慄が走ります。食べ物は、イミテーションだったのでしょうか。食堂でも、今日で解散で、皆、寂しがっています。おお、窓際にニホンジン女性も3名収容されていたのか。もう一度、映画を見直しなさい、とアピールされました。世界の刑務所を紹介。無実の罪で、収容されてから何十年も過ぎ去ってしまった。しかしながら、アメリカは100人に一人が刑務所に、黒人の若者に至っては9人に1人が刑務所、ってもうどうなってんのよ。無味乾燥な生活も、そのうち、色取り始めました。ここアルカトラズでは、刺繍が人気あったそうで、凶悪そうな顔したゴッツイ体の囚人がカワイク刺繍してたら、ちょっと微笑ましいです。ここにも、ニューヨークがありました。余談ですが、2000年、ボクは、ニューヨークで一人、タイムズスクエアで、正月を迎えました。刑務所とはいえ、長年お世話になると、去るのも名残惜しいです。2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.09.29
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長く、苦しい日々だった。しかし、独房で何もするな、といわれると、私には、かなりの苦痛である。修行が足りないものと思われる。インドに行き、メジテーションの物真似をしたものの、まったくモノにならなかったことは、まあどうでもいいとして、何もしないで、じっとしている、じっと待っている人を感心してしまう。私は、どんなに考え事そしたとしても、書くものに紙とか、パソコンの前とか、風景を見ながら黄昏たようなポーズになる。もう電車の中になると、本など忘れたら大変なことになる。もうすることがなくて暇に感じてどうしたらいいのだと脂汗まで出てくるのだ。もう地下鉄だったりなんかしたら、懸命に吊広告を熟読している自分があるんどえある。しかし、最近は携帯電話いじっている人が多いが、ひたすらじっとして目的地を待つ人間たちを見ると、哲人を感じてしまうのである。無我の境地なのか白昼夢なのか・・・。もう飛行機を乗るとすれば、大変である。雑誌は2冊は買ってしまい、文庫本ももしものときに用意しておく。でも大抵は、12時間の飛行時間があるとすれども、新聞読んで、飲んで、映画見ながら飯食ってたら2時間ぐらいが過ぎ、更に2本目の映画を見ると4時間。何だか知らないうちに眠たくなってきて、到着前の軽食中も眠りの境地の中にあり、起きることもなく、ひたすら、座席類を出発時の位置に戻してくださいとアナウンスがあるまで眠っているというパターンである。そうやって、ひとつの成功ワードを思い出した、そうやって、コンフォートゾーンを作っているのであった。コンフォートゾーンは、自分の心地よさであり、簡単にいうと、ゴルフやボーリングで、前半調子良すぎたりしたら、後半がたがたになって結局、いつものアベレージに戻る法則っていうのであり、1リーマンが大企業重役軍団や貴族たちの中で飯を食ったりしても居心地が悪く早く帰りたいという奴だ。皆、こうなりたいああなりたいと夢見る夢子チャンになりながらも、今ここにある心地よさを持続したい。健康体のニートも働きたい何とかしなければといいながら、家で引きこもった方が本当は心地よい。飯食えて、生命が維持できれば・・・。(勿論、ホントに仕事求めてもない人もいるが)国税庁の民間給与実態統計調査によると、民間企業に勤める人が昨年1年間に受け取った平均給与は429万6000円で、これは、前年を7万6000円(1.7%)も下回り、下落額、下落率ともに過去最大。この給与額は、1990年の 425万2000円に次ぐ18年ぶりの低水準となり、この間、収入に関してはなんだったんだ!って感じである。まあ、物価上がってないけど。100円ショップとかあまりなかったし、空港券も安くなったし。ワンランク上げるには、この居心地の悪さの中に入って行き、居心地がよくなるまで頑張ることだ、というか、そういったワンランク上の人と同じ考え方になることだ、とうが・・・どうなんだ。例えば、私なんか、偉くなったりお金持ちになるより、人前で話するとか、それなりの責任を持つのが嫌だ、ムチャクチャお金を稼いでも無茶クタ働きすぎて時間がなくなったり健康を害すのは嫌だ、人脈を作るために人との出会いを大切にする、人との出会いを求めて彷徨うより、一人ボーっとするほうが楽しい、とどこかで思っているのだろう。だから、違う道を行くしかないのだ、ドコに行くのだ。逍遥・・・。ハルジさん、主演映画の参考にしてください!2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.09.28
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金曜日午前3時30分。就寝。目覚ましを8時22分に合わせる。土曜日午前8時22分。何かが鳴っているが、何かの間違いと思い、消ししまう。土曜日午前8時58分。目が覚める。時計を見ると、昨晩の予定では既に、空港に向かっているバスの中にいるはずなのに何てことだ。土曜日午前9時06分。歯を磨いて、着替えて、外に出る。土曜日午前9時10分。電車に乗る。そのまま、大阪駅まで定期券を駆使して辿り着き、バスに乗る。土曜日午前10時10分。伊丹空港着、そのまま、チェックインし、無料コーヒーを飲みに行く。土曜日午前11時00分。離陸。土曜日午前12時20分。羽田着陸。土曜日午後12時35分。500円を払い、モノレール+山手線チケトを買い乗り込む。土曜日午後1時25分。東大駒場前に到着。朝飯も食ってないのに昼飯を食ってないので腹減った。東大校内で飯を食う予定は寝過ごしたことにより、中止。土曜日午後2時00分。芝居。土曜日午後2時30分。芝居終了。土曜日午後3時10分。東大内散策終了。かつて通っていた頃を何故だか思い出せなかった。土曜日午後4時25分。渋谷。ハルジ氏の映画撮影に協力。土曜日午後4時30分。渋谷待ち合わせなし。ナンパも全敗。土曜日午後4時45分。サンフランを思い出しながら、夕飯開始。 土曜日午後6時00分。渋谷を離れ、空港へ。土曜日午後6時18分。品川駅出発。土曜日午後6時41分。羽田空港着。土曜日午後7時05分。缶ビールを購入。土曜日午後7時20分。定刻どおり、飛行機は進むが、離陸は時間がかかる。土曜日午後8時31分。伊丹空港着。ドケドケドケーで走る。土曜日午後8時35分。バスに乗る。土曜日午後9時29分。帰宅。
2009.09.27
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親切と誠実さだけが取り柄の私ではあるが、実家とは、断絶こそしていないが、話題や会話は長らく断絶しているような気がしており、急遽、何を話すかといっても、何も話すこともなく、仕方なく、というか、苦し紛れに、観光案内のようなもの(私もよく分かってないくせに)しているのであった。歩きましょう。このあたりは、イタリー街です。歩きましょう、を連発しすぎて、既に、2時間ぐらい歩いているのですが、よろしいでしょうか。 ご飯は何にしましょうか、アメリカ料理、メキシコ料理、インド料理、イタリア料理、フランス料理、中華料理、どちらのコースでいきましょうか、あ、中華料理ね。ハマグリのサ三シ三はいかがでしょう。中華料理でも、驚かされたことではあるが、私より、母の方が食べるのである。最近、80万円かけて、インプラントしたら、スコブル調子が良くなったみたいで、馬さえ食べそうな勢いであったが、ここは、ガチョウも食べていた。ダックダックってあんましおいしくないな、北京ダックはよー、カリカリの皮の部分がメインだよ、というと、おお、ここは、おいしいな、とのたまいながらも、ガリガリと食べる。ビールも、3本づつである。ビールは、アメリカらしく、チンタオビールで決め!3本目になると、オカンもちょと、エンジンかかってきたのか、も1本いこうや、友達口調。素直に従う私であり、まあ、酔ったら多少、話題も滑らかになるのだが、共通の話題はないので、親戚一族郎党の話を拝聴する。私だけは、従兄弟の中から遠く離れてしまっているからだ。まあ妹も遠く離れているが、距離的にも遠く離れておる。どこかでも書いたのだが、母方の親戚はほとんど、同地域に固まって住んでいるので、いざこざも多いのである。そういういざこざ、恨み、トラブル、悩みを微笑ましく、拝聴する私であった。 その後、夕食を終え、オカンは、早くも、20時に就寝、時差ぼけでろうか、ほんまにぼけたのか、それは知らないが、運良くも、親戚でぼけて徘徊したり罵ったりという人が出てないのが幸いだと思いつつ、私は、それから深夜徘徊に出かけるのであった。ぼけたおれか。 朝方には、時計のアラームが鳴り出したのであった。先月ミャンマーでセットして以来、セット解除方法が不明で、毎日、鳴っているようである。それに毎日気がついていない俺はなんだったんだ、そうだったんだ、電池がもうすぐなくなるかもよ。そんな訳で、不用意にも5時に起床。 ノソノソしていると、オカンも起きて、なんやもう起きるのか、って、アノーもう24時間しか滞在時間ないのに、9時間も寝取るやないか、と突っ込みたくもなったが、まあ、早朝散歩やどや、というと、断られたので、一人、散歩に出かける。朝もやである。1時間後、戻ってきて、朝6時、朝ごはんいこや、その前に、散歩2時間ぐらいしよや、というと、まあ、いってあげてもいいよ、とのことであったので、早速、意味なく、ズンズン腹を減らすために前進あるのみである。 その後、またもやチャイナタウンを通り過ぎ、メシを食って、ホテルに戻って、すぐ空港に行くというお決まり(でもないけど)パターンである。ここからアルカトラズが見えるはずですが、霧で見えません。 1時間、坂を上り下りすると、ロンバーストリートであり、まあ、コレが有名なぐにゃぐにゃ道ですよ、と自慢気に母に説明すると、アッソウ、と昭和天皇ばりの反応である。きっと感動しているのであろう、というか、デジタルカメラ、昨日の最初の方で5,6枚撮ってから1回も出してないんですけど。六甲全縦走は12時間の山のぼりくだりではないか。ま、いっか。ホテルをチェックアウトする際に、母は、それまでのパンフレットやチケットをゴミ箱に捨て、ホテルの砂糖やホテル名の入ったプラスチックコップ等をカバンに入れた。またバートに乗って、チケットを買うときに小銭を減らそうとしたら、間違ってお釣りが莫大な小銭が出ていて、死んだ。そうやって、帰国のため空港に戻ったのであった。2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.09.26
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見よ、あれが、存在するだけで罪を犯している我々を収容しようとする島である。出発前日に、予約をしてしか収容されるのが難しいと予測されたので、ネット予約したのであった。しかし、スゴイ世の中になったものである。ホテル予約もそうだが、自宅で、パソコンをチョチョイといじって、IDを取得して、それを並ばずに、チケト売り場でID番号を手書きしたもの(プリンタ壊れているので)とパスポルテを見せると、チョイチョイと受付のパソコンで受付嬢がいじくるだけで、チケトドンである。その横では、当日券購入待ちで長蛇の列となっていた。そんなに、皆、収容されたいのか。金払ってまで。ン、オカンがいきたかったのか?いや、テメエ自身が行きたかっただけだろう、と言われると、アブソルートリー、イエッスとしか言いようがない。桟橋(ピア33)より収容船に乗ってほんの3キロ先まで運ばれる。凶悪そうな老若男女が大人しく座り、風に当たっており、この先起こる出来事に不安が隠せない模様。あの橋を渡ることができるのも、いつのことになるやら、と思いを馳せる凶悪犯たちは、柄にもなく不安で仕方ないようである。望郷の思い。優しく、女性に声をかける。「罪を反省して、償ってください」と。監獄島が近づき、受刑者達に戦慄が走る。遂に、島に上陸、点呼を取られ、脱獄不可能な島での注意事項を看守から受ける。禁煙だ、飲食はダメだ、とかとにかく自由がないのである。不自由な国アメリカを堪能せよ、とのメッセージである。こんなに収容所案内図出しても、いいのか、脱出の参考になってしまうではないか。(トイレ案内もあり)山の上まで、強制連行されながら、歩く。気候は、ちょうどよい。さて、ひとりずつ遠慮せんと、重刑を受けた人々が入獄させられる。さて、入ると直ぐに身体検査が始まる。男女年齢関係なく、同じ服を支給される。アルカポネも同じ服である。男女オカマ年齢関係なく、同じ髭剃りセットを支給される。FBIのフーバーも同じである。あ、しかし、アホちゃうか、のニホンジン若者が増えているそうである。FBI超能力捜査官ってほんまにおると勘違いしているやつ等が。バカか。そもそも、海外で主に活動するのはCIAだよ。といっか、海外活動を禁止されてるよね、FBI。そして、シャワールーム(丸見え)で、全員、シャワーを浴びさせられるのだ。この写真が看守なのか囚人なのかは不明である。凶悪犯に見えてしまいます。どの監獄に入れられるかは、お楽しみ。できるなら日の当たるところがいいなあ。囚人の方々も、自分が入りたい物件を物色しています。ここなんか、入り心地いいかなあ。フィットするか確認します。トイレの座り心地いいかなあ。フィットするかチェックします。トイレ丸見えって中国ですか?ベッドの寝心地いいかなあ。フィットするかチェックします。人権はないのでしょうか、こんなマグカップ、いりません。これ、一番ウケました。マグカップの前で、一人バカウケ。さすがアメリカ、自由を標榜する国、監獄での恋愛も自由です。のどかです。悪い人だろうなあ。脱獄した人だろうなあ。囚人はヘッドギアをされて、洗脳中です。傑作、時計仕掛けのオレンジを思い出しました。さて、私はこの独房に決めました。こちら配管スペースから、脱獄する予定です。脱獄失敗して、死んだ人の亡霊もウヨウヨです。(次回に続きます)2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.09.25
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いろいろ事情があって(バンコクとの時差を忘れていたので)、飛行機が離陸する頃に空港に到着した私は、オートマチカリーに翌日便に振り返られ、迂闊にも、シンガポール市内に戻り、ネットカフェに入るのであった。 ホテルの予約を完了させ(ねっとカフェから徒歩5分のところ)、各種手続きを終え、そういえば、マレーシアどうやっていくんやったかいな、バスは何番だったか、を調べた。シンガポールからエクスプレスバスで30分程度で、対岸の町、ジョホールバルに到着する。実に、20年ぶりである。 以前は、ボルネオ島に飛ぶために、シンガポールからジョホールバルに行ったのだが、(国内線になるので、格段に安くなるので)、今回は、特に意味は無い。メシ食べる程度である。罰金を払うためでもあった。 再掲問題点:シンガポールは超管理国家であり、つばを吐いたり、蚊を発生させるような水を溜めておくと罰金。ガムの持込も禁止。相手の対応:シンガポール税関「ここは、シンガポールだ、我々がクリーンな環境を目指している。1本のタバコの持ち込みも税関申請しなければならない。あなたは、知らなかっようだから、あなたにチャンスをやろう。おとなしく罰金100ドル払うか、税金8ドルの払うかだ」私の反応:マレーシアのイミグレを抜けると、売店があり、マレーシアリンギットが余ってしまって困っていたので、飲食したいものもないし、あ、タバコ売っている、ちょうど1箱分ぐらいの持ち合わせだ。一個買ってみるか。そして、シンガポールに入った瞬間金属探知機前で、ポケットからタバコを取り出すと、いきなり別室行き。私は、税金払うぐらいなら、もうタバコ捨てるよ、というと、その場合は罰金がかかる、といわれた。そういえば、3年前、インドネシアから船でシンガポールに入ったときも、ワインが見つかり、税金取られた。あの時も、実はワインは日本で貰ってただのものだったのだが、飲まないまま持っていただけなので、捨てますと言ったら、その場合は罰金、捨てないなら税金といわれた。そのことを今、鮮明に思い出したのであった。私の安堵:マリワナじゃなくてよかったー。今後の対策:もうシンガポールには行くな。もし、行ったとしても、税関員にキャニュースピーークイングリッシュ?といわれた時に、アブソルートリー、のぉおおーと言うことにする。しかし、手前のキオスクでタバコ売っておいて、買うと捕まえるとは、囮走査かマッチポンプではないか。すぐあとに、西洋人も連れられてきて、大声で発狂していた。なんて、彼に比べて俺は聞き分け我いいのだ。と自分に感心し、もう二度とシンガポールなんか来てやるか!といいながら、シンガポールに入国するのであった。 それにしても、ジョホールバルは、地図も目的もない中で、出入国手続きを終えて、バスに更に乗ると、バスターミナルに到着して、以上、終わりである、が、前に来たところとは明らかに違う。というか、画像は、もういつの間にかシンガポールに戻ってました、チャイナタウンもエライキレイになって大変つまらないものになってました。ヒンドゥ寺院やイスラム寺院もあります。拷問アートでしょうか。意味もなく、ブラブラしていると、難しい寺につきました。すみません、寝ます。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.24
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連休でごったがえす空港に、夕刻、ノソノソ現れたのは、私であり、集合時間(集合人数2人)に母親はまだ現れていなかった。航空会社カウンター前とあれほど、言っていたのにである。仕方ないので、本を買いに行き、戻ってくると、やってきた。両替してきたわ、やと。あれほど、金はいらん、ドルはいらんと厳命したのに、無視である。人の話を聞かないのは、息子譲りである。ム?逆か? しかし、普段、運動をしないひ弱な私に比べ、毎朝、登山をしており、毎年六甲全縦走で高校生を煮抜き去るという60歳も半分を超した母であり、食欲も、一応旺盛である。 一様に「アメリカ行くんやから肉食べなねー」という最強元気オバチャン団体旅行軍団を見かけるのと同じである。 そんな訳で、機内でも、俺は、弱気にも、魚であるのに、何だか、母親は、厚さ2センチの肉と格闘していたのであった。俺は、もう、サラダを食べて、ワイン飲みまくって、死にかけというのにである。何故か、オカンも、酔い止め飲んでいるのに、アルコールを飲んでいるのであった。いいのか、そんなことで。 いいのか、というか、気を失っている状況の中、九時間半弱の時間を経てSFOに到着、オカン、走れ!であった。 何故走るかといえば、下手すると、2時間ぐらいイミグレで並ばなければならないので、機内1番に、飛び出てである。何故なら、すぐ帰るからである。いろいろ、哲学的な問題がそこにあるのである。(いや、ないかもしれない) 空港から、バートに乗って市内に向かうのであった。中心まで、ほんの25分である。15分から20分おきに出ているのである。というか、単なる説明ではあるが、さすがに、親を招待しているので、ドミトリーではまずいので、高級ホテルをネットで直前割引で、ウエスティンをエエイママヨ、とオンライン予約したのであるが、失策までには、気がつかなかった。ツインじゃなくて、ダブルじゃん。今宵、若干中年寄りの私は、進んで、床に眠るのであった。ホテルの床で寝るのは、大学生以来である。懐かしい心地である。さすがに、高級ホテルのベッドはクイーンサイズであったが、寝相の悪い私が転がっていくとも限らないのであった。危惧は事前に摘み取っておく、というのが、論理的合理的に生きる私の処世術である。(後の調査によると、こういう場合は簡易ベッドを10ドルぐらいで借りれるようであった。あるいは、ベッドのスプリング部分も2重だったので、1個剥ぎ取ってもよかったのであった) そんな訳で、早速、出かけるのである。先導である、扇動ではない。私の場合、実は、何を隠そう、隠してもないけど、サンフランは2回目である。 しかし、全開は、名物ケーブルカーには乗っていないのである。あのときは、メキシコへの乗り継ぎに失敗したのであり、ガイドブックもなく、ホテル探しに、1時間ぐらい要したのである。別に自慢ではないのである。 30分近く並んでまでして、ケーブルカーに乗り、反対側まで行くと、夢のゴールデンゲートブリッジが見えないのであった。母ではありません、反対側に座っていた人です。父母ではありません、その辺の人です。母ではありません、その辺の人です。オカン、霧で見えんわ、金門橋の頂上だけやわ。ホンマヤネーハハハ(外人ではないけどカタカナ)。ハハハをよそに、海沿いに歩き、フィーシャーマンズワーフに行き、クラムチャウダーでも食べるかと思いきや、立ち食いは嫌じゃ、蟹は手が汚れるから困る、海外なので魚類ハヤバイという不可思議信仰を元に、立食パーティを拒否され、観光客ムチャクチャ多いねえ、と人ごみを気にされているようだったので、その場を立ち去り、更にボンデンパン屋でパンをしばき、駒を進めるのであった。パンなら食べてもいいよ、の名物サワーパンだが、床に落ちてます。難民船がやってきた、わおーx。さらに、歩き、アシカにメンチを切って到着11時半から15時半までの行動をつぶさに書き留めたのであった。天然アシカ臭い。(やぱり続く)2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.09.23
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その1はこちらである。自殺を考えたことがありますか。というか、深刻さの度合いは別にして、死にたいと思ったことのない人間なんかいるのか。カルマというものがあるとして、自殺は損得関係で言えば、損だ。昔は、死んだら、其の時の状態や感情がそこに残ってしまい、いわゆる自縛霊みたいに、いつまでも、もう死なないので、永遠にそこにいながらにして死ぬ瞬間と同じことを考えながら、恨んで行くものかと思っていた。どうなんだ。死んだことがないので分からないが、苦しいの死ぬと、苦しさの根本原因が解決されていないので、またカルマが集まってきてしまって、前よりも苦しい人生を持って生まれてくるなんて可能性も大きかったりなんかして、何だか、ガックリである。ここに、あるのは、苦しさであり、善悪の彼岸でないところが若干のミソかもしれない。猟奇殺人や大量殺人してハッピーで死んでいって、もう、戻ってこなければ、浮かばれない。まあ、なんちゅうか、仏教は、自立的というか、自律的というか、法則なんだよなあ。何となく、アジアも未踏査の国は残す国は3,4国になったが、ブータンは惹かれるよな。幸せ度のかなり高い国だ。日本は貧乏なフィリピンよりずとずっと幸福度が低い。行けば分かる。何だ、明治以降、西洋文化がドドーンと入ってきたのだが、ドドーンと其の背景にあるキリスト的なものは省かれてしまった。それはそれでよかったのだが、この宗教を背景としたハッピーと、わしらの幸福は全く別物だよね。何だか、今のハッピーは、日常の小さなことにありがとうかも知れないけど、それはそのままありがとうか。はっきりいって、ブッダは、王子だった。贅の限りを尽くし、あまりそれが楽しくないので、出家した、といったら誤りだけど、日本でも、成功者は、いきなり、仏教的なこといいだすと思わない?ちょっと、一部上場の社長でも、オカルト的なことを言い出す人もいるけど。そりゃ、最終判断を下す時、相談者がいないからかも知れないけどね。 宗教というのは、流れ流れ、土着的なものと、やっぱり結びついていくものなのだなあ。と思う。スペインやグアテマラでみたキリスト教って全くの土着じゃん、おどろおどろしいじゃん、と感じ、基督教のイメージが少し変わったような気がした。日本もそうだよな。浄土真宗なんか典型だね。仏様が見守ってくれる、だから仏様に感謝だ!的な取引だよねえ、庶民は、納得しないよね、分かりにくい思想なんか。とか何とかいっているうちに眠くなったので早々と終わり。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.22
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これも関係なく、湖のほとりデートコース。アウンサンスーチーさんの自宅もこの湖のほとりにあり。バンコク、カオサンロードバランプー 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.21
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長年お世話になっている両親をたまには接待しなければならないという使命感が、常に私の中にあるといえば嘘であるが、それと、もう人生の半分ぐらいは、経済的にだけはお世話になっていないが、まあ、旅行ぐらい連れていったるわ、というきおとであった。(即座に、一家の主である、父は、家を守るために、拒否。飛行機に乗ったことはないどころか、パスポートも持っていない) 2年程前には、台湾に連れていってあげるよというと、母も喜んでいたので、1週間前に再度連絡を入れると、山に行きますから、行けません、と言われた。反省点としては1ヶ月も前に言ったからではないかと思うようになり、今回は、慎重に2週間前に提案してみたのであった。ヨセミテいこやと。何と、親孝行なのだ。自画自賛である。オカンからのメール。「いってあげてもいいよ」しかし、初めての日本でいうところのシルバーウイークというもの、ドールデンウイークのときにインフルエンザを危惧したニホンジン観光客がびびって、こぞってこの秋の旅行に変更したために、大混雑なのだという。というか、大混雑だ。月曜、さすがに、出発の週というのに、どこにいくかも息子から連絡がないので、行かれないんちゃうか、と言われた。私は、胸を張って、応えたのであった。「今回のコースは、ナイアガラの滝を予定してます。カナダのトロント経由して、ナイアガラに行き、そこからアメリカのバッファロー空港に行き、そこからワシントンDC経由で日本に戻ります。私のおごりです」おまけに、カナダ在住のハルジ氏の手伝いまで頼もうなんて、甘い考えも密かに考えていたぐらいであった。メールの返事がオカンから来た。「もうナイアガラには行きました」火曜日、急遽、予定を変更し、いろいろあさってみたのだが、アジア方面やヨーロッパ方面はスコブル満杯状態だ。そして遂に、私は、この日は、何の予定もださなかったのであった。水曜日、遂に私は、オカンに、ようやく出来たスケジュールをメールした。「成田まで飛び、そこから、シカゴ経由でニューヨーク、帰りは、ニューヨークは2泊で、帰りはサンフランシスコ経由で関空に帰ります。二泊ですが、夜着早朝発ですけど。ちなみに僕のおごりです。」メールの返事が来た。「飛行機乗りに行くの?」木曜日、大変な事実が判明した。「オカン、東京に行けません、すべてが満席です」何と、国内線が満席だったとは、私としたことが迂闊であった。自家用ジェットは貸し出し中だし。急遽、オカンにメール。「成田に行けません」金曜日、関空発新たなるマスタープランができた。意気揚々と、オカンにメール。「関空夕方集合です。お喜び下さい。ちなみにぼくのおごりです」おかんよりメール「もうどうでもいいよ」それにしても、だ。私が10にも満たない子供の頃、子供ゆえにかも知れないが、家族というもの、その周りを取り囲むもの、といえば、貨幣経済ではなく、資本主義でもなかった。家事手伝いにしても、小遣いほしさや、小遣いを餌に、皿洗いや洗濯物の手伝いをしたわけでもなかった。金は、父親が、どこからか、1日の半分を費やして出かけて、ふんだくってくるものであって、お金を見るということもほとんどなかったか、10円とか30円といったものを手に駄菓子屋ではないが、パン屋に言ってに行ってに行って、甘いお菓子を買い、舌の色を変えて喜んでいたのであった。家族でレストランに食事に行くこともなかったし、ファミリーレストランぽいものもなかったような気がする、あったかも知れないが、それは、親に極秘裏にされていたのであった。考えれば、ここ20年ばかり、物価は上がっていないどころか、100円ショップや、モノによっては、大幅に値下がっている。そこを不思議に歯を食いしばって、真面目に働き、学生時代に比べれば収入も上がっているというのに、増えた感じがしないのである。でも、多分あるだろうと、思い、500円の宿を7000円にグレードアップしているのである。しかし、3,4ヶ月で20数万円の金を使った学生時代よりも、滞在日数が減った分、そんなには使わないのである。それはまあいいとして、今の子供たちはどうなのだろうと思うのであった。まさかとは思うのだが、レストランに行ったり、どこかに買い物に行った時、ウエイトレスや店員がヘコヘコする姿を見て、子供心に、金が一番えらいと思うのであろうか。モノ心ついた頃に、金銭的損得関係を換算して(感情的損得は、赤ちゃんの頃からあるけど)るとしたら、確かに、働いて僅かな金を得るより、少なくてもいいから生きていける程度であれば、親の金をあてにする人間がでてきてもおかしくないかもしれない。親の家にいれば、そして一日中食べるだけなら、数万円で済むことだろう。毎日出かけたり、仕事して怒られたり、疲れりして10万20万得るぐらいなら、寝ていたほうが得じゃん、と密かに考える奴が出てきても不思議ではない。親が健在である間は、世間体ぐらいだ。その冷たい視線に耐えることが、自分の収入(めしと、ちょっとのお小遣い)である。しかし、こんな純粋ニートは1世代かせいぜい二世代までである。その後、それは、この日本では技術力しかない日本で生きていくのは難しい。東南アジアは、職もなく酷い状態だが、自然の恵みが食を助けてくれている部分がある。特に昔はそうだった。そうだったから発展しなかった。大量に魚が取れたら3日休みになり、手を伸ばせばバナナが食えた。それが、現在では富の偏在で、そういうわけにもいかなくなっている。期待するのは、温暖化か。温暖化により、日本の気候が東南アジアのようになり、食えるようになるか、いや、もはや、他人の農地、他人の土地だ。勝手なことはできまい。ん、東南アジアは、伐採しつくし、富が偏在し、アフリカにようになっちまうのか、温暖化すると?そんな感じで、サンフラン、オカン、と言ってくるわ。バイバイ・・・・・・1泊やけど。2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ アメリカ招待旅行に寄せて アメリカ招待旅行1 サンフランシスコ散歩 アメリカンドリーム アメリカ招待旅行2 アルカトラズ島前編 アルカトラズ島後編
2009.09.20
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今頃、2ヶ月も前の済州島のことでもないのだが、空港に辿り着く最後に寄ったところが、この博物館。民族博物館も済州島には3つあり、どれにいくか迷うのであったが、空港が近いという理由で、最終時間があれば寄るということで、寄ってみたという采配である。済州民俗の歴史と自然が一目で見られる博物館といいつつ、そう広いわけではないが、敷地は広い。済州人の生き方を理解するためには、必ず立ち寄る必要がある場所であろう、が、何故だか子供連れが多いのは、最終人を理解したいのが、主に子供だからという理由に由来するからかもしれない。。自然史展示室は地質岩石館、海洋生物館、植物館、昆虫館など6に分かれているが、この辺りも、子供たちにはそう人気があるわけではなく、。メインの民俗展示館は済州人の生活を生き生きと表現した、主生活コーナー、生業室などのシーンに人気沸騰中なのであった。しかし、道中、海岸通沿いを歩いていた海女のおばあちゃんの姿に一番感銘を受けたのはいうまでもない。済州島では、韓国語しか話せない運転手をチャーターしたのであるが、もう、あまりに変なところをリクエストしているので呆れ状態である。しかし、若くて美人の運転手をお願いします、というリクエストに対し、若くて美人だけど、観光のkとはよくわからず、運転の下手な運転手と、おっさんで、老齢でくたびれた感じだけど、しっかり観光案内もでき、正式な観光協会に所属して、運転もうまい運転手とどちらがいいですか?といわれると、後者をお願いします、というまでであるのであった。ところで、近年、飛行機に乗られた方なら知っているだろうが、一定量異常の液体を飛行機に持ち込みするのが禁止されているが、アレは何なのだろうと、調べてみた。元々、飛行機の中で液体爆弾を作るのを防ぐというのは聞いていたが、きっかけはロンドン飛行機爆破未遂事件であり、ロンドンでの事件であるということも知っていた。が、捕まったテロリストとされる奴らは、航空券を買っていなかった。というより、そのメンバーの多くがパスポートも持ってなかった。これでどうやって機内に入るというのか、その説明は一切無いとのことである。いったいこんな煩雑な作業させて、誰が儲かっているんだ? 2009年7月韓国済州島チャータータクシー旅行 済州島、神秘(トッケピ)道路 済州島、ラブランド1 済州島、ラブランド2 済州島、ラブランド3 済州島、健康と性の博物館1 済州島、健康と性の博物館2 済州島、健康と性の博物館3 済州島、小人国1 済州島、小人国2 済州島、テディベア博物館1 済州島、テディベア博物館2 済州島、申栄映画博物館 済州島、万丈窟・日の出峰 済州島、日の出ランド 済州島、運転手さんのおすすめのところ 済州島、国際平和センター 済州島、ワールドエロムージアム 済州島民族自然博物館 済州島gourmetの旅
2009.09.19
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何を隠そう、1泊目は、ドドーンとバンコクのスクンビットのホテルドリームを予約したのは、成田空港でであった。当日予約で、デザインホテルが7割引と大きく出ていたからであった。ネットもつなぎ放題というパターンである。7000円である。 学生時代は、予算上、1日500円も宿代には費やせなかったのであるが、放浪さん的根性はもうなくなってしまい、少なくともエアコンを所望する軟弱者と成り下がったのである。ついぞ、中廊下でさえ、エアコンひえひえで、クールなのである。青い閃光が、フラフラ歩く頭の中に劈くのであるが、あいにく、ラリってはいないのであった。夜の1時にチェックインし、5分後には、遊びに出かけ、翌朝は、早々と、シリラート病院に向かうため9時頃にはチェックアウトし、荷物を保管してもらう、結構もったいないパターンでもあった。バンコクの空港では、飛行機乗れずで、とスリランカのゴールフェイスホテル4800円を涙を飲んで予約破棄にし(当日キャンセル、料金100パーセント没収)、そのままビルマに入ったのであるが、1日入るのが早まり、急遽、バンコクの空港で予約しておいたのである。ホテルの部屋の窓からは、一部シェンダゴンパヤーが見え、それを遮るのが明日泊まるとレーダーズホテルである。泊まったのは、朝食付き1泊19ドルの街の中心スーレーパゴダから3分のシティスターホテルであるが、自分としては、ゴールフェイスキャンセル分として6700円で泊まったつもりでいるのであった。しかし、中年の体力が消耗度激しい私には、何とも饐えた臭いが、ちょっと問題であった。問題であったが、受付にはいつもニコニコビルマ人女性2人が、対応してくれて、悪い気がしなかったというか、エージェント通したのに、まだ連絡が入っていなかったのだが、値段が一緒だったので、アレレという感じでもあった。チェックアウトの時には、掃除の気のいいニイチャンが入ってきて、私の捨てた雑誌(一部ビキニ姿グラビアのページ有)に超コーフンし、これもらっていいのかと目を輝かせていたのが印象的な昼下がりであった。歩いて10分ほど(道端で昼から半日チャーターしたタクシーで行ったが)のビルマで何番目かに背が高そうなトレイダーズホテルに、そのままチェックイン。さすが、シャングリラグループであり、ダウンタウン随一の高級ホテルであり、そのサービスにも大いに満足、といいうか、ビルマ人のホスピタビリティに心打たれる。無機質な高級ホテルと思いきや、荷物運んでくれるボーイだけでなく、フロントの女の子までが、わざわざ部屋まで案内してくれた。横から、口を挟んだ別のフロントの人が、朝食どうすんだというと、彼女が、この人は、明日5時にチャックアウトするの!とピシャリするところも、意味なく格好良かった。意味ないけど。それだけで、7000円の価値はあったぞ、と大富豪の私はクスリとニヤニコする。バガンでは、そのままのバガンホテル4000円、バリテイストコッテージ型ホテルである。バガンは、ニニャウウー村と、オールドバガンとニューバガンに別れ、オールドバガンには高級ホテル数件しかなく、民家は既になく、あとレストランが2,3件あるのみの閑散とした、夜は寂しいところである。でも、オールドバガンは遺跡の真ん中にあり(正確には、川沿いなので遺跡の端)、夜の散歩も、いい雰囲気である。但し、電力不足で、遺跡をキレイにライティングというわけにはいかない。タナカが置いてあった。プールも、部屋に行くまでにあり、観光を終え、汗びっしょりだったので、シャワー浴びる前に、ついつい、海水パンツに着替えて、潜ったのであった。キムチいいぞ、其の横のバーでビールでも一杯という気にもなったが、なっただけであった。とにかく、田舎なので、ちょこちょこ停電になるのだが、そこはさすが高級ホテル。すぐに回復し、エアコンも切れたままではなく、何故かそのまま復活するという知恵者である。ラングーン3泊目は、カンドジー湖沿いのカンドジーパレスホテル5600円である。部屋からもシェンダゴンパヤーが森の向こうに見える。チーク材をフンダンに使った高級ホテルで、夜は地下のナイトクラブが、結構怪しい状態になるのであるが、ミャンマーごときの怪しいは、全く子供だましなのである。リゾート型のホテルで、誰かの昔の別荘を改造し尽くしたもののようだが、市内から2キロほど離れているところが、歩いて、ホエーっと行けないところがネックである。まあ、タクシーで街中に行っても1ドルか2ドルだけども。戻ってきたバンコクは、空港で、手間取り、市内に入ったのが12時を過ぎていた。滞在時間が6時間という、すぐさまシンガポール行であったので、酔狂じゃカオサンロードで!てなつもりであったが、その後のホテル予約や、各自調査のため、カオサンネットカフェに2時間ぐらい缶詰となり、その後も、ついつい、ミャンマーでの腹痛が治まらず、スゴスゴとホテルに退却、3時間睡眠したあとは(何度も、腹痛で目が覚める)、朝6時には、速攻でタクシーに乗り、またもや空港に引き返すのであった。宿泊代1500円も、これなら、もう空港で寝たほうがよかったか?と学生時代を彷彿させるものがあったのであった。シンガポールは、宿代が高いがそこは、ピンク街に順調に宿投、3200円である。しかし、飛行機乗られずの2日目は、ヤケクソグレードアップのアーリーチェックイン(朝の8時にチェックイン)のため、7000円をどうだ!と払って終了。1週間程度で宿泊費4万円を使い果たし、私の生活費は大富豪ゆえに、厳しいものになったんであった、あー、カード払いにしてよかった、あれ、よくないか。ちなみに、ミャンマーではカードまったく使えません。ネットからのカード引き落としも、シンガポールからでした。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.18
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パート1パート2パート3諸君、旧タイガーバームガーデンのハウパービラは無料なのだが、このコーナーだけは有料である。100円ぐらいはする。ウム、入ると、いきなり、ワクワク感で満たされること請け合いである。諸君、こんな車だったら、乗り回したいと思わないか。諸君、家の近くにこんなのあったら、割と嫌です。諸君、目が飛び出ていたら、割と嫌です。この最後の写真と同じ仲間か。諸君、さて、入り口です、シンガポーカップルの生粋のデートコースということも判明しました。諸君、何でしょうか何を並んで待っているのでしょうか。諸君、審判を持っていただけでしたか。諸君、強制労働はお好きか。諸君、こんな鬼看守ならぶっ飛ばせそうです。諸君、火が落ちてきましたが、早速固まりました。ボクは、10月に火山を見に行きます(コミットメント)。諸君、随分、煮込んでます。諸君、舌の長い人に誘われても付いていってはいけません。諸君、審判には、閻魔氏の下、呼び鈴で次の人を呼ぶ人(歌舞伎役者)や、判決を下した後、なんだかの装置で動かす人がいるようです。諸君、寒い。諸君、熱い。諸君、不自然に胴が長くなりましたが、いいですか。諸君、人生は痛いこと辛いことの連続だ。あの世でも続くかも知れないよ、もう死ねないから、すぐに繰り返されるんだ。発狂するよ。諸君、こんな串刺しになって、痛いのを我慢してギリギリまで生きるか、すぐに諦めて死んで楽になるか、どちらがお好みですか。諸君、死ぬ前に酒ノミタイですか。まあ、酔ってわけの分からない内に楽に死んでしまえるならいいかな。諸君、力持ちは、結構嫌いですね。諸君、地獄でも判決文は文章化されますよ。ご安心を。それとも、生きていた頃の数々の悪行が書かれているってことか。諸君、胴が長いので切り甲斐があるんでしょうなあ。諸君、人面のなる木、其の実を食べたくないと思いませんか。諸君、看守に反抗する罪人もいるようです。罪人がエジプトのラクダおっさんにみえてきました。諸君、いい湯だなと思いきや、コンクリーで固まります。諸君、看守も気紛れに踊ってリラックスします。諸君、閻魔さんの前でも、ガンガンやってます。諸君、小腸は長いのですぞ。諸君、地獄にも歯医者はありますぞ。諸君、優しそうな顔して、無茶します。諸君、優しい顔して力持ちでもあります。諸君、クビです。会社クビではないです。諸君、なんで、こんなの背負っているのか、倫理的にも論理的にも説明不可です。そんな感じで、次回にまだまだつづく、飽きられたのハウパービラです 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.17
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バーマで一番でかくて、一番有名で、観光客なら誰でも出かけるのが、8000枚以上の金箔を貼り付けたピカピカの総本山シェンダゴォンである。金箔で塗りたくった2500年の歴史を持つ聖地である。聖地であるが、ときどき、????の物件も存在するのである。勿論、意味も聖なるという意味である。発祥は、ブッダの髪の毛8本をここに納めたというところから始まったというのである。丘の上にある仏塔は、100段以上の階段か、エレベータに乗っていくという按配で、ガイコクジンのみ5ドルの入場料を順調に払うというシステムである。運転手も、ビルマ人と混じっていったら大丈夫だからハハハ、といって、ビルマ人と一緒のところに並ばされたのだが、目ざとい受付のお姉さんが、日本語で、日本人ですか~?なんてお声掛けしてくれたってわけ。何せ、広くて、何が何だか状態なのであった。ところで、帰国してから、ビルマの竪琴を見直した。勿論20年ぶりである。多分、当時もタイには行っていたと思うので、上座部の僧が音楽を奏でるのはおかしいと思いながらも、琴が動物の皮なんかどこかで使っていたらおかしいなと思いながらも、まあそれは愛嬌である。学生時代、タイに行く、飛行機の中で隣に座ったのが、タイで事業を成功させた、日本人老人だった。といっても、老人の人生は、あのインパール戦線の生き残りであった。8万6千人を適当な作戦で半分以上を餓死させた無茶な作戦であり、その方の部隊も、生き残りは1パーセントという凄惨さであったそうだ。毅然とした彼の背後には100人の人がいると思えるのであった。死ぬわけにはいかない。そして、日本に騙された思い、やはり現地で結婚し、現地に住み、今は、日本との貿易を営んでらっしゃるようであった。さすがに、ぬるま湯で育った自分がカスもように感じたのであった。今も、ビルマやタイやインドネシアで故郷を捨てて、そのまま残った日本人が多く、そして、戦後50年60年とたち、その方々も亡くなりつつあるのだろう。考えたら、子供の頃、戦争というのが昔にあったということを漠然と知っていたが、それ以上の年月が過ぎた。考えたら当時は戦後20数年だったんだ。もう戦後50年数年である。戦争を体験している世代が少ないはずだ。おじいちゃん世代だから、70,80歳だ。そういえば、たった十数年前の阪神大震災にせよ、体験している神戸市民は、既に6割7割なのである。この黄金のパゴダに対しては、学生時代からその名を知っていた。バンコクからカトマンドゥやカルカッタに向かう飛行機から運がよければ、見えるのだ。行きたい、そう思うだろう。ヨーロッパからの帰り、暗闇の中から突如セントピーターバーグちゅうかサンクトペテルブルグの街の明かりが飛行機から見えたときに、行きたいと思うのと同じような感じだ。どこが、同じだ?関係ないけど、地球の歩き方にしたってこれだけ、各国のガイドブックがでているというのに、そして、ビザもなしに(今調べたら、どうやら今はいるようである)、簡単に行ける国があって、それがバングラデッシュだ。NGOも多数入り込み、すごい援助額のバングラも、観光資源というものが、皆無であり、誰が行くというのだ、状態の悲しい国である。雨季には国土の3分の1が沈没したりなんかしてね。私も、エアビーマンで降りた程度であり、空港から街までの立派な道が国家財産すべて使いました!って感じの印象の国なのであった。ガイドブックは、ロンリープラネットか、クラミーさんの旅行人しかないのである。観光サイトあるじゃん世界が均一化していくと、ますます、自分の価値がなくなって、いくらでも、代替がきいちゃうね。99メートルの仏塔のテッペンは5000個以上のダイヤモンドに1000以上のルビーやヒスイなど散りばめまくりである。取りに行くのもやぶさかではないが、多分、捕○。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.16
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地下鉄を見ると、リトルインディアは小印度、でもチャイナタウンは、中華中華街じゃないねえ。そんな訳でインド人街である。スリ・ヴィラマカリ・アマン寺院である。蛇足だが、アマンリゾートの大ファンだった私も、あれから10年以上たつと、随分色褪せた感じがあって、やっぱりタイムリーというものはあるのではないか。アマンとは、サンスクリット語で平和という意味だ。インド人列伝閉まってたわ。スリ・スリニヴァサ・ベルマル寺院。詳しくはパス。全然関係ないけど、中国の民族問題で、チベットとウイグル。アメリカでは、チベットは人権問題、ウイグルはテロ問題に分類されている。ウイグルは、多分、イスラムだからであろう。同じ弾圧でも対応や世論が違う。そいうえば、チベットが注目されたのは、やっぱ、あれか、セブンイヤーズインチベットか。何というのだろうか、タイ、シンガポール、インドネシア、フィリッピンなどは、もう、私にとっては、懐かしいところなんだよな。リトルインディアの端っこのほうに、仏教寺院があるのである。今日は、上記の有名寺院を無視して、この釈迦牟尼寺院を紹介するのである。ちょっと危ない系寺院に見えてしまってすみません。隣の普通の黄色い屋根の寺院は別寺です。おさらいをしておくと、釈迦とは、印度のシャカ族のことで、(民族でなく国ね)ゴータマ・シャダルタとは、子供の時の名前(まあ、大人になってもだけど、30数歳までの名前ね)で、ブッダは、悟った人(分かっちゃった人)という意味で、覚醒してからの名前ですな。尖塔が、カラフルというか、イボイボというか、インド人街の端にありながら、頭が・・カーン・・・。虎の頭にも、何か変なものついているし。虎のひげも、珊瑚礁か線虫のようで、チョイ気持ち悪い感じもあり。それに、シャガールの絵みたいな分裂症気味の人がでてくるしさ。私が入ろうとすると、厳格な寺の守り主は、私の靴を指差し、脱げを指示する。誰もいない中、私が入っていくと、2,3分後に、珍しいシンガポール人男性と西洋人女性のカプルが恐る恐る入ろうか迷っていたので、私は、目ざとく発見、足元を指差すと、何だか、先客がいたのを安心したのか、靴を脱ぎ入ってきた。鼻の穴。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.15
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11人の選手、勢ぞろい。ワールドカップでは、韓国チームは戦いませんでした。なんて、俺は、サッカーが好きなんだ、と思いきや、看板に怪しい文字が・・・済州島の3つめの性愛である。どうなってんだ、こ清く正しくスポーツパーソンシップに則ったスタジアムにこれかよ、ワールドカップミュージアムの中に、ワールドえろすムージアム。ラブランドも世界性文化博物館も人でいっぱいだったのだが、ここは、学術的過ぎて、来場者0人。何故だ、やはり学術的なものは、受けが悪いのだ。ところで、全然関係ないけど、うちの近くのスーパーでも、意味無く発泡スチロールの受け皿収集してるんだけど、紙にしたって、鉄にしたって、リサイクルのほうが金がかかり品質が落ちるのであれば、どこかで、余計に熱を加えたり電気を加えたり、余計に地球に厳しい状況になっているのではないか?と思うのである。人件費がかかるだけ、というなら分かるんだけどまだ。人形は、それはそうとして、恐竜というのは、大昔の生き物で、それを想像して、大きさは骨格で分かるとして、皮膚の色や表情や体毛を作っているが、もしかして、あれは、うそっぱちかも知れない、と思う。西洋人の考えたことだ、神がすべてを創ったところから離れレラれない人々が考え出した容姿だ。そうだ、元は、ドラゴンだ。もっとウジャウジャ体毛が生えていたかもしれないし、黄色い体だったかも知れない。そう思うと、日本のウルトラマンや仮面ライダーに代表する怪獣は、想像力豊かだなと思う。そう思うと、欧米の怪獣は、何かが巨大化したものが多いような。蟻とか、ゴリラとか、蛇とかワニとか・・・。ああ、そうだ。そもそもキリストは、人種としては、アジア人だよね。顔が違う!それに、磔は、十字架じゃなくて、1本棒だよね、多分。クロスは、その前から世界各地アニミズムでクロスなんてのはいくらでもあったんだよね。多分、それと、後年、結びつけたんだじゃい?何故?さまになるから?こういうのを見ていると、世の中ガンバレば何とかなる、夢は努力すれば叶う、真心を持って接すれば何とかなる、思いは通じる、必ず報われる、そんなことを子供の頃から助長しすぎた結果、俺様やストーカー様を生み出した一因になったのではないかと、不安になってきた。これは、バンコクのコンドムレストランから持ってきたものですか。この穴のある場所に、今度行ってみようかな、でも、ちょっとえろすぽも飽きてきました。ところで、ちょとしか関係ないけど、アメリカでは、70年代後半以降、それよりも、随分治安がまだよくなってきている。ニューヨークの窓割れ理論とかあるんだけど、いろんなデータと符号させたところ、因果関係は分からないが、データが一致するのは、堕胎を承認するようになってきてからのデータと一致するらしい。つまり、望まれていない生が減ってきたので、つまり望まれて愛情を持って育てられる子供が増えたというわけだ。一理あるような気もする。むむ、韓国も珍スポ目白押しじゃねか。また、韓国行かなければ、ならないのかよ?近いからいいねえ。青田さんは、こんなことより私の純朴なセイセイカツにしか興味がないようであるが、それはそれでそれなのである。左上のように、集団でヤッチマウ祭りなんか日本にないと思うんですが。国辱だわ。終わり。日本が歪められてます。2009年7月韓国済州島チャータータクシー旅行 済州島、神秘(トッケピ)道路 済州島、ラブランド1 済州島、ラブランド2 済州島、ラブランド3 済州島、健康と性の博物館1 済州島、健康と性の博物館2 済州島、健康と性の博物館3 済州島、小人国1 済州島、小人国2 済州島、テディベア博物館1 済州島、テディベア博物館2 済州島、申栄映画博物館 済州島、万丈窟・日の出峰 済州島、日の出ランド 済州島、運転手さんのおすすめのところ 済州島、国際平和センター 済州島、ワールドエロムージアム 済州島民族自然博物館 済州島gourmetの旅
2009.09.14
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快適に、というわけではないが、今日は、ビジネスで車をブイブイいわせて走っていたのであった。片道2車線の4車線の中央分離帯は1メートル程盛り上がり、緑化されていた。そこで青信号を待っていたのだが、青になって通りすがりに、ランニングかウォーキング中と思しきじいさんが仰向けになって、緑の中に仰向けに倒れていた。一瞬にして通り過ぎたので、寝ているだけなのか、寝ているには、動かなかったし、そもそも、中央分離帯の緑の中に寝ていること自体が不自然だ。しかし、それまでも、すごい量の車がすれ違い、何百台もの車が気がつきながら、やり過ごすだろうか?もし倒れていたとしたら、これはすぐに救急車を呼ばねばなるまい。しかし、まてよ、スマン、結構、面倒なことだ。すべての通りがかった車の人が面倒なことに関わりたくないと思ったのか、明らかな事故なら別だが、何となく不自然なところに寝ているので、私と同じで、ただ寝ているだけだよな、きっと、と自分に言い聞かせたのかもしれない。 そう思って、モヤモヤしながら、10分ほど走ったのだが、やはり、戻ってみることにした。反対車線まで来た時、その人はまだ倒れていた。しかし、手が動いた。メガネを直したように見えた。すぐ隣で、信号待ちをしているバイクの人がずっと心配そうに見ている。そのときでさえ、私はまだ、そのバイクの人が声カケテクレナイカナアと思ったのであった。しかし、バイクは、そのまま通り過ぎ、後ろに続く十数台の車もすべて何事もなかったように通り過ぎて行った。 私は、暫く行き、Uターンし、じいさんのところに駆け寄った。じいさんは、顔面蒼白ではあったが、声をかけると、大丈夫です、と立ち上がり、そのまま歩いて行った。良かった。でもよかったと思ったのは、その老人が無事だったことdけでなく、面倒なことに巻き込まれなくてよかったという安堵感も、正直あった。ふらふらしながら、老人は、ちゃんと家に帰ることができたのであろうか。車を行き過ぎて10分の間に、プラハのことを思い出していた。ベルリンからプラハに入ったが、あいにくの正月で、宿がなく、夜を通し、プラハ市民と路上などで飲み明かし、荷物を預けてあるプラハ駅に夜明け前に戻ってきた。プラハ駅もニューイヤーでバカ騒ぎする人々で溢れており、瓶ビールを皆持って騒いでいる。私も椅子に座り、瓶ビールを買い(ブドワイザー)、飲んで、騒ぐ人を見ていた。其の中に、10代の若者軍団がいて、何だか、誰がへべれけの真似がうまいかやろうぜ!みたいな話で盛り上がって、実践している光景が目の前で展開された。若者が千鳥足でフラフラ倒れそうに歩くのだ。しかし、そこに通りがかった人々は、不思議であった。そのよっぱらいのフリをした若者の脇を持って、大丈夫かと声をかけたり、一緒に支えて歩いていくのだ。それも、一人や二人ではなく、見ず知らずのヤバ系の若者を助けるおっさんたちなのであった。ちょっと、私は恥ずかしくなった。車をUターンさせた。2009年7月韓国済州島チャータータクシー旅行 済州島、神秘(トッケピ)道路 済州島、ラブランド1 済州島、ラブランド2 済州島、ラブランド3 済州島、健康と性の博物館1 済州島、健康と性の博物館2 済州島、健康と性の博物館3 済州島、小人国1 済州島、小人国2 済州島、テディベア博物館1 済州島、テディベア博物館2 済州島、申栄映画博物館 済州島、万丈窟・日の出峰 済州島、日の出ランド 済州島、運転手さんのおすすめのところ 済州島、国際平和センター 済州島、ワールドエロムージアム 済州島民族自然博物館 済州島gourmetの旅
2009.09.13
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先月、少し行って来たが、その後はルーチンの日常だ。喰いかけのコロッケや、床に転がった空き缶や瓶は順調に片付けたが、後は、週に1度の洗濯である。それさえ、やたら億劫に感じるのだが、皆さんは洗濯をどう捉えるるのだろうか。もう10年以上、衣類を日光に当てて干したことがない。下着を長く買っていなかったが、諸事情により、帰国が遅れたために、下着が無くなったという特殊事情を期に、夜でも飲み屋街に空いていたシンガポールのショップで下着を買った。会社にも着ていけるように、白のTシャツとボクサー型パンツだ。店員さんの女性が、1つより、3つ買う方がお得だよ、Tシャツ1枚180円だけど、3枚で420円よ、という陽動作戦に順調にひっかかり、3枚を購入。その前に、俺は、年を取って体が小さくなってきて今やSサイズでいいのだがないじゃないか、と言うと、いいえ、あなたならMでぴったりだわ、と営業トーク炸裂し、無事騙されて3枚のお買い上げであった。お会計は店内で。結構、酔っ払い状態の私はフラフラ不意に店内に入ってレジを危ない目に合わず、済ます。 そういえば、その横にあったスーパーマーケットに入った。何を隠そう、スーパーマーケット好きなのである。私は。面白いものを探し、珍しいものを探し、とにかく値段もチェックするという鋭さも兼ねているのであった。特に何があったというわけではないのだが、エストニアのタリンと、インドネシアのバリのクタのスーパーマーケットのことをよく覚えている。スーパーで、私は万引きでもするのかというカナリ怪しい人間になっていたかも知れない。キャベツは案外高いのだ。魚も安売りの日の日本のスーパーぐらいはするかなという感じではあるが、なんじゃこりゃというほど安い野菜もあり、こりゃ何ぼでもお代わり自由で出せるわと思われたのであった。うろうろしながら結局ビール買ってるんですけど。シンガポールは酒が高い。しかし、帰国すると、超エリートサラリーローンマンとしての日常が始まるのである。朝、直行以外は、出勤してから、メールをチェックしつつ、(たまにはブログもチェックし)、血を吐くような死闘が始まるのである。ほとんどの人間は自分の労働に対し報酬が少ないと感じるのである。それは仕方ないのである。会社も存続しなければならないのであり、給料と同じだけ維持費が掛かるのである。当然、程度の差はあれ搾取しなければやっていけないのである。帰国してからは、一度、夕食はハンバーガーショップで、というか具体的にはモスバーガーで野菜バーガーを食べた。ハンバーガー長いこと食べてないからなあ、時々食べたくなるんだよねえ、というのが私の口癖でいいわけである。そんなこといいながら半年に1階ぐらいはハンバーガーを夕食にしていたりなんかする。ワットポーについてはこちらところで、王将には、2つに分断してしまった大阪王将と京都王将があるのだが、ここ半年ぐらい、意味無く、大阪王将に時々行く。意味は、特にないのだが、そういうことなのである。王将といえば、よく思い出すのが、インドの沙漠の旅の頃、本当に日本の食事が食べたくなって、それは何を思い出したかと言うと、王将の餃子と吉野家の牛丼であった。くいてエなあ、というと、よだれが出たのであった。結局、デリーに戻ってから、本当に、生野菜中毒に陥り、高いのに高級食べ放題のサラダバーに通ったのであった、アノ頃は傍若無人で、ルンギーで出かけて、ガイコクジンなので許してもらえたが、高級インド人客に、汚いものを見られる目で見られた。椅子に片足を乗せたりなんかして、ウエイターが、インド人らしくなく、ウッジューと丁寧語で話しかけてきて、足を下ろしたら、ベリーグッドと子供をあやすように褒められたなあ。すみません、若気のいたりでした。毎朝、同じ電車に乗るのが苦痛だが、早い電車に乗るほど、早起きできないのもジレンマであり、せめて、違う車両に乗るようにしている。乗車間は大抵、読書しているが、進行方向の右側左側にも立つようにはしている。ほと見上げる風景が違うほうがいいからだ。そういえば、高校のときは、電車に乗ると、毎日、電車から海が見えた。東海道本線(山陽本線)で東に行き、次に海が見えるのは静岡県だということであった。ここで見逃したら、4,500キロ先まで海が見えないのである。ある日、電車に乗ると、うああ、海やわ!と叫ぶ女子高生がいて、朗らかな気分になった男子高校生時代であった。前にも書いたけど、高校時代から大学に入り数年間朝早い電車にほとんど乗らなかったのだが、社会人になり、たまたま高校のときと同じ時間帯の電車になり同じ乗車車両にたまたま行くと、高校のときに並んでいたサラリーマンがまだ並んでいたのを発見して死にたくなった。ダンボールが溜まり過ぎて、偶然、管理人さんおすれ違いざまに、すみません、ダンボールはどの日に出せばいいのですか、と聞くと、ダンボールを出す保管庫があった。ゴミ袋が指定になってからむかつくことばかりだったもので。その他、日常に大きな変化はない。ないけど、誰だって、将来が不安な日本社会でした。PS.ワットポーでは、コレが一番気に入りました。スミマセン。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.12
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9年9月9日9時9分は、特に、会社の机に座っていただけであった。911の特徴として、膨大な映像資料が残されていることと、初期ニュースを流してしまったのを誰かが録画していたということだ。そこには、当然、発表とは違う説明できない矛盾現象が数々ある。こういう映像や画像、初期ニュースや目撃者インタビューは、すべて、なかったことにされている。要するに、政府が発表していることは、飛行機が突っ込んだ、崩壊した。以上、終わり。あとは知らん、何も言うな。だ。物証?ああ、そんなものとっくに破棄した。あるのは、政府発表だけだ。結論のありきに結びつかないものは、無視。研究の結論が違うようになりそうなら、研究中止。矛盾は偶然。少しでも符号する部分はふくらまし。 結論ありきで、何の根拠もなく、早々にアルカイダとかイラクのせいにして、研究したりするまでもなく、映像を見直すでもなく、スローモーションで見るでもなく、特番を作るわけでもなく、初期ニュース第一報を再放送するわけでもなく、そんなことするやつは、非国民、国賊、死刑である。 しかし、何年も前から、用意周到に準備してきただろうに、何でこんなにお粗末なのか、は、多少うさんくさくてもいいよってことだったのか。国民を舐めていたのか。ビルの付け根までいくぐらい壊れすぎたのか。ジェットエンジンで鉄鋼が溶けるか。ジェットエンジンは灯油に近い。昔、あるビルで火事があったときも3日燃えたけど、崩れなかったね。崩れたのは、この前もこの先もこのときだけだ。多分、鉄骨でなく、紙かなにかで出来ていたのだろう。ところで、これで、イラクをめちゃんこにやっちまう口実因縁をつけたのだが、我々、日本人もこの殺人に加担しちまった。自分の国が出した戦費の倍ぐらいの戦費を不景気な日本が出した。国家的、オレオレ詐欺にあった。わが国が、10年の不景気からやっとこさ、ちょい抜け出そうとしたときに、盗まれた。絶対返ってこない。 今度は、オバマが暗殺され、これは、イランがやった!ということになって、イラン攻撃!となる可能性も十分だな。さて、どうなんだ、政権交代か、政権交代は今回の選挙の主題ではなかったというのに。アメリカの国債買うのはやめんのか?今は中国が一番アメリカの国債を買っているが、引き換えに中国製品を売り込み、国際的発言権を増している。日本は、ひたすらとられるだけで、感謝さえされないぞ。そして変革変更を叫ぶ。急な変革は必要なのか?そもそもできるのか?問題はいろいろあるのだが、イッキに変えなあかんのか?ほんまに。人間はチェーンジが嫌いだ。多少酷い現状でも、現状維持がスキ!パオーン。あれ?それで終わり?はい、終わり、眠い。(うっかり寝てた)
2009.09.11
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19歳、シンガポールに初めて行ったとき、インドネシアに入るまでの3日間、それは暇であった。暇なのでシンガポールなんとか博物館に行くと、映画上映があり、多くのシンガポール人が、階段を駆け上がり、シンガポーシンガポーと、歌を歌って国家を掲揚するのであって、思わず失笑してしまったことを思い出す。反抗的で、元はといえば、マレーシアから見捨てられて切り捨てられたシンガポール、仕方なくミニミニ国家として資源も何もないまま出発、それが、関税政策、観光政策、貿易政策などが大成功し、マレーシアなんぼのもんじゃい、でも今も水の供給受けてるけどな、状態になったわけで、そこで、シンガポールの国体である。ぁあ?マレー人と中国人とインド人の集まりジャン。どこだシンガポー人。今回のイメージオブシンガポーにしても、国家掲揚である。いじらしくもアピールである、ハン、である、が、まあ、人形で誤魔化そうというイジラシサ、まあ、いいんじゃない、って思える年頃になっちゃったよ。 昔、インドネシアのスマトラ島のあるところを歩いていると、声をかけられた。コリア?いや日本人というと、バグース(素晴らしい!)との返事。意味は分からないが、正直、ちょと嬉しかった。(インドネシアでは当時韓国からの援助も多く、技術者がこの地方に結構来ていたみたいだ) 昔、フィリピンのある村を歩いていると、声をかけられた。あれれ日本人、頭いいねえ、こんなところ一人で歩いていて、と昔日本に住んでいたジャパ行きさんに声をかけられた。あ、道迷ってただけなんですけど・・・あ、でも、なんとなく、正直、嬉しいね。 昔、パキスタンのある町を歩いていたら、子供に、チノーチノーと馬鹿にされた。ノーノージャパニというものの、それが何か子供は理解できなかった。今ならなんとも思わないが、正直、当時は、分かってくれなくて少し残念な気持ちになった。 米国もそうなんだけど、愛国心を煽るのは、本当に鬱陶しい。そんなこといわれなくても、上記のように、愛国心持っているんだよ。こんな日本に生まれてまあまあ幸せと思っているンだよ。あとは、貧乏でも、全員が餓死する以外は皆が喰えるぐらいの社会だったらなあと思うだけだよ。愛国法だか何だか知らないけど、愛は、愛について未だ素人の私であるが、無償の愛、見返りを求めない愛は、個人的なことであって、子供や恋人や人類愛や隣人愛のことであって、国家とは絶対相思相愛でないといけないのだ。国家が愛してくれないのに愛せって、国家的ストーカーじゃないのか。そもそも、国家が愛国心をいいだしたら、そいつはヤベエ。国家の愛国心は、間違いなく排他的なものだからだ。おまえは、国家を愛してないのか、非国民だ!非国民を探せ、そいつは死刑だ。そうやって愛さない狩りが始まるのが国家的な手段だ。ナチスもそうだった。アメリカも国家資格を与える面接でアメリカに忠誠を尽くすか聞かれて、そういうわけではないというと、アメリカ人になることはできない。アメリカもシンガポールも多民族国家なので、そういった縛りが必要なのかも知れないが、愛国心というのは、口に出すものではないよな。 まあ、まだまだいいたいことはあるのだが、最後に一つ。マレーシアの話だが、私は学生時代は順調に金がないので、最底辺の宿に泊まっていたのだが、そこは娼婦御用達の館であった。暇なので、見ていると、中国系は中国系の娼婦、インド系はインド系の娼婦、マレー系はマレー系の娼婦を求めているのであった。そうなのだ。ところで、おまえはどうだったんだ、色取り緑だったのか、と問われると、私は、1日の予算が500円だったので、宿代に300円、3度の飯に140円、残り交通機関などだったので、何の余裕もなかったことを迷言しておくぞよ。何を隠そう、当時は、日本で若さにかまけて毎日浴びるほどの酒を飲み、海外に来ると、肝臓を休養させるというグッドな按配だったのであった(但し、アルコールの安いフィリピンと中国を除く)。もっと安くて、ドドーンと精神的なものがあったからねえ。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.10
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バガン1バガン2これは、何なんだ!という質問に真摯に答えてくれたガイドさん(名前ウィンさん)だが、呼び方は忘れたが、日本と同様、起きては転び、転んでは起きるというという意味であるとのことであった。ブラフマンがシャダルタに言った有名な話。好きな方向の門に行きなさいとブラフマンに言われ、東の門には死に掛けの老人、南の門には死に掛けの病人、西の門には死体。舞い戻って、北の門には、そうあなたブラフマンがいました。その意味は、出家しなさい、ということだった。親子だが、子供が先生になってしまい、親に教えているところ、ということらしい。正座じゃない、と、思う。深刻仏陀。生老病死・・・爽やか仏陀。生老病死・・・ムッツリ仏陀。生老病死・・・ニヤニコ仏陀。生老病死・・・やがて普通のおだやか仏陀。生老病死・・・子供かと間違える程でした。涅槃ではありません。向いている方向が違いますから。檻に入っている虎のサイズが、割と、小さい。虎に仮面、その長い長い物語を聞いたが、さっぱり元の話をしらなかったので、どこの何の話か分からなかった。村のトイレ。深刻な感じです。もしかして、パンツがきついのかも。とても、いい人に見えます。ビリケンさん?結局は、いろんな表情のホトケさんがいるわけだが、それについて、説明をしてくれるガイドのウィンさんの発するブッダと、言葉上でのみ空気を伝わり、それを受け取り、私なりに勝手にブッダを想像するのである。仏陀像を見ながらも、そのままガイドウインさんは話しているのに、私には、その前のブッダと、日本で見るブダを別物としてみて、考えている認識の違いを感じ、メッセージをそのまま受け取ってはいないのだな、と感じる。ウインさんの説明は続く。ウインさんってさ、ネウインのウインかい?と全く関係ない質問すると、不意を突かれながらも、そうだ、というのであった。自分の過去に取得獲得した知識や経験に、単純に照らし合わせて、何となく、上塗りしていっているだけなんだよなと思うのは、多分、未経験や未体験すぎる場面を目の前にして驚いたり怯えたり不安になったりしていないからだよな、と思ってしまうんであった。まあまあ、気に入った物件。ウインさんの説明からは、何度も、ダンマという言葉が出てくる。いわゆる、法のことだが、これが、一体何のことなのだか、仏陀は言葉では明確に説明していない、言葉では説明できないんだろう。いや、説明しているのか、英知とか慈悲とか真理とか正しい道とかその結合体とか何とか・・・。割と、艶っぽくて色っぽい感じ。割と、艶っぽくて色っぽい感じ。カラフルで忙しそうです。諦める=明らめるってこと。カラフルで忙しそうです。諦める=明らめるってこと。パガンのジオラマ発見。そのチープさに味わいがある。そんな訳で貴重なバガンの物件を紹介させていただきました。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.09
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22歳の春、その日、バンコクに着いた。チャイナタウンに到着し、何故か、ジュライが満室で、あった。そこで、変なコートを着た男を見た。仕方なく、楽宮も満室であった。またここで、変なコートを着た男を見た。ここは、常夏だぜ。その男は、タイではもてそうな顔だった。端正な顔立ちに、角のある黒縁メガネ、そう、プミポン国王にそっくりだったのだ。彼は、多分、日本から、本日、同じイラク航空でやってきた卒業旅行の学生である。彼に声をかけてみたら、タイって暑かったんですねえ、というかなりの間抜けぶりを発揮していた。何故だか、既に、宿が見つからない不良日本人5人ほどに膨れ上がり、俺は、嫌だというのに、勝手にリーダーに祭り上げられていたのである。皆、タイが初めてだったのである。仕方ないのである。トゥクトゥクに5人と荷物を無理やり乗せて、カオサンに行った。仕方ない、私は、VSクリニックに入っていくと、大人数の従業員の部屋なら空いているということで、中2階の部屋に入った。今、書いていて思い出したが、5人の中に女の子も一人いた。VSクリニックというと、放浪の達人さんの目が光る、というか2倍になる。円陣を組んで、また始まるのかよ~、だが、私以外は、全員が初心者でどうしよう状態であるが、私のグッドリードにより、(というか、吸い込んで息を止めろといっただけ)皆、無事、見事昇天?そのときに、例のコートの男が言った。「それで皆、フラフラ歩いてんだ~」翌日、私は、印度に向かった。コートの男は、貴重な人に会えました。一生忘れません、なんて告白されたのであった。・ ・・・・静寂の中、彼は急につぶやた。「いけねえ、いけねえ、危うく悟ちゃうところだったよ。悟ちゃうと、今後の人生面白くないからねえ」(インド)羊のウンコが出た(ネパール)ゴリラ、ってさ、マジ、その名の通りゴリラだねえ(フィリピン)箸ってよ、もし名前がポピだったらよ、面白くない?ポピの持ち方変だねとか、そのポピはプラスチックでできてるのか?とか。(インドネシア)男ってさ、生物として99パーセントの奴が、交換したり商品になる価値ないよね。100人の女に1人の男がいたら十分だものね、俺ら、ゴミだね、気楽だね(パキスタン)ケトウノ前で初めて英語の歌歌ったよお(スタンドバイミー)(チベットでのニーチェツーソーアコーステックヒロさんの発言、風任さん同席)あ、やっと、インドで出会ったときのトイモイさんになってきたねドアーズのウエイティングフォーザサンはスターウォーズだね(アメリカ)そこに土があるから・・・随分アジア的だな(スペイン)突然、倒れて死が訪れそうになったらどうなるのか、考えると、きっと朦朧とした意識の中で、これじゃあ会社に行けないとか、冷蔵庫の玉子腐ってしまうとか、今日中に荷物送らなければいけないのに、とか雑事が気になって仕方ないのだと思う。もし、薄れ行く意識の中で、耳元で何か呟いてくれるとしたら、会社には連絡したとか、玉子ちゃんと食べるからとか、荷物は送っておくよとかささやいて欲しいと思う、そうすれば、安心して逝けることができるのではないか。死期が迫っていたと認識している場合は別であろう。、そういうこともあった。私のおじいちゃんも、そうだった。願いは叶えられなかったが、意識が朦朧としている中で、最後の最後まで、虫歯を気にしていた。歯が痛かったようだ。付き添いの母が聞く「お父さん、歯が痛いの?」と聞くと、かすかに頷く。「じゃあ、今から歯医者行こうか」と聞くと、首を振る。でも、もう意識はほとんどないのだ。でも、歯が気になるらしい。死ぬまで、モゴモゴさせていた。せめて、死ぬ時期と、時間を決めることが出来るように死にたい。じゃあ、いくよ、って。
2009.09.08
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ナーガなのか、100メートルはありました。横からも、入り口がありますようっかり蛇の中に入ると、美術館です。やがて、テーマパークの一番奥は、食堂で、その向こうが桟橋になっていて、なんだか、ほんわかムードとなります。こういう象まあまあ好きです。閉店しているところもありました。それにしても、基督、イスラム、仏教、順調に発達していくと、どうして、最終、神秘主義という段階に行っちゃうのですか?それは、人間の根本なのでしょうか、最初に帰るのでしょうか。仏教は、自然と一致するから、そういう原点に戻っちまったときには、強いかも知れないなあー。献上します。うんこでした、緑の。「無」、「空」・・・何もないのではなく、そう呼ぶしかなく、存在そのものなんだ・・・。何のこっちゃ?それには、何も言わないことかも。このメラームー1の続きというか、先はこうです。何故倒れておられるかは分かりません。仏陀の指から何か、糸が・・・黒い糸この人、妙にでかさが気になりました。いいパンツです、トライアスロンでいけるんじゃないすか。結構、皆さん、占いに入っていくんです。考えれば、前にも書いたけど、親戚一族郎党で、初めてインドに行ったのは、故母方のおじいちゃんだ。勿論団体旅行だが、60歳を超えての巡礼の旅だった。だから?そうなのだ、おじいちゃんは、行った行ったというだけで、何の具体的なことも言わなかったのだが。多分、4つの聖地に行ったかもしれない、まあ、釈迦の生まれたルンピニはネパールだけど。指示する女性棒取り競争なんでしょうか。今も小学校の運動会でやっているのでしょうか。私たちが小学校の時は、激しくやってて、鼻血ブーの人続出で、血をみたら逆上するということを肌で知りました。さすが、ワニ、柵も突き破る。アリゲータとクロコダエル、どっちがつよい?結局、終盤に近づき、何も学んでいないことが分かりつつありました。それは、この上座部仏教テーマパークの問題ではなく、おそらく、私の心の問題でしょう。それは、例えて言うなら、癌の構造や、癌の生存率、癌の発生平均年齢を知っていたところで、知識としてはあっても、実際自分が癌になれば、その知識はなんにも役に立たない、というのと同じことじゃない?日本で、癌の人が増えているという、最大の原因は、単純に人間が高齢化しただけだからで、若年層が増えているかというとそうでもないんだよな。でも、そんなことだからどうなんだ?作りかけ情けない黒象手がチョキグーパーか?こうやって、仏陀テーマパークの紹介は終了です。ご清聴ありがとうございました。説法は終わります。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.07
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Dear darling、最近、3年ぐらい、月2,3回のペースで日帰り旅行ばかりしてきたら、イキナリ萎えてきたというか、飽き性なので飽きてきた。飽くなき貪欲な吸収力が、もともとないのに、更に収縮し始めている感じが否めないのだ。先週も今週も、週末は何となく、家に引きこもりのヒッキー、寝たきり青年だ。ああ、朝、起きなくてもいいと思った瞬間が、一番に幸せを感じているようでは、終わりかけである。Dear darling、カーテンの脇には、時々、気が向いたら、道端に貼り付ける標語というか俳句がでてきた。まあ、そんなことはどうでもよく、私は、健忘症はなはだしいので、何か思いついたら、メモするのだが、家でも、こうやって、ホワイトボードにマジックで書いておくのだ。最近では、多少、埃も溜まっている。つまり、使っていないということであもある。Dear darling、本棚は、もう限界状態になってきましたが、一向に気にしません。先日も崩れました、雪崩の処理が大変で、端っこにそのまま寄せます。Dear darling、最近では、キッチンも本で侵食されてきたのですが、どうしましょうか。てか、もう電子レンジ、全然、使ってないような気がする。電子レンジ使うと、何だか、まずくなるんだ。Dear darling、箸がたまってきた。どうしたらいいんだ。箸要りますか、いりますといつも応えながらも、いつも、何度も割り箸を使いまわししている間に増えすぎた。良く燃えるだろうな。Dear darling、日記を書くためにですね、地図とかひらきっぱなしになっている執筆家まがいなんですね。Dear darling、もう、マンゴーとかペコチャンとか腐っていると思います。この席、購入以来座ったことがありません。Dear darling、ペットボトルはリサイクルで何度も水を入れて飲むんです。最近は、瓶に入れているので、ペットボトルも使ってません。瓶は、マドンナが飲むBOSSウォーターの瓶です。先日、水を急速に冷やしたくなり、冷凍庫に入れて忘れてしまい、フタだけがプラスチックなので、そこだけが、破裂してました。てなわけで、今は、フタなしで冷蔵庫に入れているので、どんなに急いでいても、力強くメイイッパイに冷蔵庫を開けてはならないの法則であり、規則を破ると、水がこぼれるというシステムである。Dear darling、コーヒーのストックもあります。コナコーヒーファンでもあります。Dear darling、しまった!こんなところにコロッケが・・・お金も掘りっ放しなんだけど、ミャンマーチャトとカンボジアリアルとか、もう国外に出たら、屑でしかないです。Dear darling、扇風機とストーブが年中、足元にあります。季節によって使い分けできる便利さです。Dear darling、あと、1週間前ほどからでしょうか、家の中で風流にも秋の虫が夜中に鳴くのです。いつもエサのことが心配になります。Dear darling、掃除はどこからしらたいいのか、分かりません。まずは、でもココロの掃除が必要なんでしょ?いやいや、ココロの整理だよね。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.06
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東・・・天の神に仏法を解いている。 西・・・休憩している。 南・・・人間、動物に仏法を説いている。 北・・・入滅 タイ バンコク ワットポー50メートルの涅槃像。ワットポーに行ったのは、それも、22年ぶりである。初めて行ってから、不思議と倍近くの年齢を重ねたのであるが、やっぱり、煩悩は煩悩のままで、考えていることもさして進歩せず、節度ある大人でも、論理的な大人でもないままだ。当時、ワットポーの有名なマッサージは5バーツだったが、今は、街中とそう変わらないような気がした。相変わらず、冷房もなさそうで、それでも、人でごった返していた。ワットプラケオ(王宮)から歩いて来たが、直射日光にやられるほど長い道のりであった。1辺500メートルはあるのではないか。王宮は、母の日で、人でごった返し、入場料買うだけに長蛇の列だったので諦めた。5,6回目のタイで初めて行ってみた記憶がある。またタイに来ているんだよな。今回も、直射日光に当たって暑かったが、昔も暑かった記憶がある。長い長い外壁に、日陰がなく、暑かった。何車線もある道には、車がビュンビュン走りまくり、空気も悪いのだ。渋滞が始まり、初めてタイでタクシーの乗車拒否を3回もされたのであった。 ビルマ バガン マヌーハ寺院建物ギリギリに収まっている涅槃像。仏像と壁が1メートルないのが、何となく、狭いとこ好きには嬉しくなってくる。広大な自然とは違い、ぎゅっと詰まったカタログ的なものが、人工物では好きなんだな、ゴシックとか。広すぎる広場は好きではない。もう天安門広場は、人間のサイズを越えている。そういや、イタリア語では広い広場をピアッツア、狭い広場をプラッツといったなあ。ベネチアでピアッツアはサンマルコ広場だけで、その他はプラッツであるなあ、ということを思い出した。 ビルマ バガン シィンビンターリャウン寺院ここも11世紀に建てられた狭い煉瓦造りの建物ギリギリに収まってます。長さ18メートル。しかし、2回目のにぎゅうぎゅうのところに来ると、仏がかわいそうになってきます。いっそ、雨ざらし吹きさらしにして自然に気散らしてくれと、いいたくなってしまいます。涅槃して、もう、この世には帰ってくるつもりはありません、そういった、輪廻の終わりだったら、いいな。 ビルマ ラングーン メーラムーパゴダ半立ち ビルマ ラングーン チャウッターヂーパヤー言っておくが、悩まれておられるのではない、ドドーンと70メートル、高さ17メートルで勝負です。東南アジアの人々は、皆さん、信仰心深い光景を見ることができます。反面、インドの貧しい村でのこと、医者にかかる金もない人々は、誰かが病気になったら、家族はどうするのか、もう、祈るしかないんです。本当に祈っているのです。足には108の煩悩を装備。170メートルの世界一の涅槃像がミャンマーにあるようだねエ。。。こっちか。注意、壁に寄付金を直接書いてもいいのですか。こちらは歴史がありますが、兄弟分かと思われます。どの角度から見ても悩まれてます。北東向いてるんですが・・・。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.05
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パート1ぱーと2人生訓:急所を狙って一撃人生訓:青いウンコをおなかに乗せたコンクリー美女に魅了されるな。人生訓:果報は寝て待て、でもどこで待ち構えるか考えろ。人生訓:草で後ろ指を差されるな、草は吸うものだ。人生訓:本を読むために、人生を暇にする、まあ、それもひとつの人生だ。人生訓:異業種と仲良くしよう。ラッキーならいいことがある、ラッキーじゃなかったら忙しくなるだけ人生訓:「卒」いったい何を卒業したのか、藤井文也の気分になれ。人生訓:「兵」とは何でしょうか、考える前に、まず動く。人生訓:お洒落するほどの服装は必要ないが、馬鹿にされたり服装で判断されてしまう服装はやめよう。人生訓:足を引っ張られながらも、腕を揉ませる余裕を。人生訓:偉くなったら、防弾ガラスの用意を。人生訓:多勢に無税だったらいいのに。人生訓:笑いは伝播する。人生訓:勝てば官軍、なんてつまらない考え方なんだ。人生訓:子供にすがりつかれても、パンツずらせるな。人生訓:音楽やるなら音楽になれ、口がまがるだけで麻生になるな。人生訓:強いオジン、こんな大尽になれ。人生訓:吸うなら、立派なチュラムも含め、周到なセッティングを。人生訓:天女、軽薄な意見は拝聴に値する。人生訓:さりげなく、アピールせよ。人生訓:小僧になるな、小さくても、黒くても、象の威厳を持て人生訓:こんな顔だけにはなりたくない。人生訓:鹿の王は、生贄を率先する(仏陀挿話)人生訓:豚に口説かれるヤギにはなりたくない。人生訓:あるときは、分けろ、ないときは求めるな。人生訓:未だ我山麓にあり人生訓:落ちていくときも、見栄で生きろ、見栄だけでも結構生きていけるものなんだぜ。人生訓:石の四本足を仲間と勘違いするな、利用せよ。人生訓:頂点に生きる者は本気になるな、生態系を潰してしまう。人生訓:仕事が出来ても、人生がうまくいっても、くどき上手になってもヤギになるな。人生訓:後ろ髪引かれるぐらいなら、目が真っ赤になるまで飲んでみる臆病なウサギになれ。人生訓:亀にだけは給士させるヤギになるな。人生訓:貝から出てくるコンクリー人魚に笑うインド人になるな。人生訓:どんな境遇に生まれようと、人生を全うせよ。人生訓:水溜りに釣り糸を垂らしても、魚はいない。人生訓:デート後の楽しみに夢中になるより、しっかり観光、見学すべし、時に及んで勉励すべし。人生訓:自分の職業に埃を持て。ゴミを持つな。人生訓:トホホ人生でも毅然と掟に生きろ。人生訓:容姿だけで女を選ぶな、しかし、常識は持て。人生訓:女の色香など真の男の戦いには目に入らない! 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.04
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何を隠そう、別に超管理都市国家シンガポールは、そう大して好きな訳でもないのだが、3年ぐらい前に16,7年ぶりに訪れて以来、また3年たたずして、やってきてしまった、政治犯が密かに監獄にいるこの国の本質を暴く、なんて高尚な目的はないのだが、今回、初めて、セントーサ島に行ってみた、それも、高尚な目的を持ってだ。 初めて訪れた1986年でさえ、セントーサ島は、観光化されつつあり、全くの触手というか、私のセンサーに引っかかってこなかったのだが、今回は仕方なくの訪問である。訪問方法は、バスにモノレールにリフトがあるが、リフトだけは異常に高い状態であり、当然のモノレールで行くわけだ。 セントーサには、いろいろ施設があるので、あるが、私の目的は、ただの1箇所である。その前に、かつて、マーライオンは、3メートル程度のがポツーンとあり、世界3大がっかりに数えられるほどであったが、セントーサに巨大なものが作られて税に入っているようである。何を隠そう、1986年、一応、マーライオンがどんなものか見ようかと、歩いて出かけたのであるが、300メートルぐらい向こうに見えて、ああ、もういいやと引き返した記憶が蘇ってきたのであった。 それにしても、セントーサ島に上陸である。上陸すると、どこからか、軽やかな音楽が流れてきて、まるでディズニーランドのようである。本能的に、こいつはヤバイヤバイ、と感じるのであった。こんなに、楽しい感を無理やり演出すんじゃねーよ。観光誘致にワザトラシーテーマパーク島なんて作るんじゃネーヨ、と清く正しい私は鼻息をついつい荒立てるのであるが、文句があるわけでも、苛立っているわけでもないよ。ともかく、俺の目的は、イメッジズオブシンガポーである。昔は、蝋人形館と呼ばれていたのであるが、イメッジが悪いので、どうやら名称変更されたようである。つまんねえところ、気が利くね。日本軍、山下将軍の極悪の限りを表現か!と思いきや、それはちょとだけよ。山下、降伏か戦争かを迫るが、ホンマあほやね。他のいろんな譲歩案、交渉案あったと思うんだけど。葉巻さんの好きな白い人(ちょっと翳りあり)もいます。クーリー(苦力)です。顔が小さいような気がする。むちゃ仕事疲れたわ。今日の仕事も辛かった。何か、テカテカに光ってますが、よろしいですか。トイレから出てきたと思ったら、オメエ、人形かよお。子供の頭を刺すのはよくありません。だいたい、シンガポールの歴史前半部分は、ご理解できたでしょうか。なんという表情なんだ。ぼーっとしとうように見えるけど、勉強してまんねん、パート2にも続きまんねん、もうええちゅうねん。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.03
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健康と性の博物館1と健康と性の博物館2心斎橋ワタル氏もインドで修行している。ナッチーさんもがんばっている。紺桔梗さんも、がんばっている。beriberiさんも、大阪名古屋を往復しながら、懸命にがんばっている。タイにお住まいの竹亭さんも、海外で一生懸命生きている。世の中は、政権も交代し、景気低迷で、えらいことになっている。放浪さんも、売り上げの低下と一生懸命に戦いながら、明るく生きている。g-8さんも、お客様に真摯な対応を展開しながら、私に年貢を納めてくれようと頑張ってくれている。放浪さんの知り合いも、8000メートルの山にチャレンジして、夢を叶えようとしている。風任さんも、子育てしながらも、家庭を守りながら一生懸命明るく生きている。ハルじさんも、一生懸命、トライアスロンに果敢にも挑戦し、アイアンマンになり、もはや人間ではなくなった。私の持つ不動産も、歯を食いしばって賃借人の体重や持ち物を支え、家賃収入に貢献してくれている。会社の取引先の方々も、私や私の会社のために一生懸命歯を食いしばって耐えてくれている。私の持つ不動産も、歯を食いしばって賃借人の体重や持ち物を支え、家賃収入に貢献してくれている。俺は、何してんだ・・・こんなことでいいのか・・・・(なーんちゃって、カクカクカクとしたいところをグッと抑える)昨晩も、・・・・そう思った・・・big john///2009年7月韓国済州島チャータータクシー旅行 済州島、神秘(トッケピ)道路 済州島、ラブランド1 済州島、ラブランド2 済州島、ラブランド3 済州島、健康と性の博物館1 済州島、健康と性の博物館2 済州島、健康と性の博物館3 済州島、小人国1 済州島、小人国2 済州島、テディベア博物館1 済州島、テディベア博物館2 済州島、申栄映画博物館 済州島、万丈窟・日の出峰 済州島、日の出ランド 済州島、運転手さんのおすすめのところ 済州島、国際平和センター 済州島、ワールドエロムージアム 済州島民族自然博物館 済州島gourmetの旅
2009.09.02
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昼過ぎに、駅前の高層ホテルに移動した。見渡す限り、高い建物はなく、川も見える。いつの日か、どこの国も同じように、駅前のバラックは消え行くのであろうか。考えれば、3,40年前でさえ、大阪駅前に、少し、闇市の名残のあるような所が存在していたことを思い出した。都市、夜は暗い。初めてインドに行った10代の頃。香港、バンコクを乗り継いで、カルカッタに着いた。夜の灯りが、派手な香港から、暗いバンコク、そして、村にでも降りるような灯りの少なさのカルカッタ。10代の心に不安は増殖した。インドのジャンシーという村の駅。駅前にしか灯りがなく、店が数件。その向こうは道が続く。続くが、道の照明はなく、道は暗闇に消える。闇を初めて知った気がした10代の終わり。ヤンゴン川、やがてモッタマ湾で。アジアの川は、何故か旅愁。することがなければ、市場に行く。考えれば、軍事政権というか、社会主義国か、1980年代と比較すると、随分、市場社会になった。もう、どうしても、インドやタイと比較してしまう。一番大きな市場であるボーチョーアウンサン市場にも出向いた。変に日本語の話すことの出来る人々が現れる。スマートになってしまった国にはこれがなくなってきている気がする。その胡散臭さが、面倒だが、クスクス笑ってしまい、懐かしさを覚える。中華街、そしてインド人街。アジアにはどこにだってあり、それだけだ。お世話になるのだ。寂しくはない。一人だって気がしないからだ。でも、飯だけは困る。会話がないのが侘しいのではなく、いろいろ食べることが出来ないからだ。ましてやヨーロッパでは最悪だ。キッチュか滑稽さである。それはそれで楽しいと思える年齢になった気がする。カンドヂー湖畔にも宿をとる。街から1,2キロ離れた人工湖。人工的にキレイなところにポエテックなものはない。ヤンゴンは3年ほど前から首都ではなくなっているが、軍事政権の政策的なものだ。ネピドーね。おまけ、北朝鮮の公式サイト(日本向け)ヤンゴンは、戦いの終わりという意味で、アラウンパヤー朝の誇りの都の名前。しかし、ラングーンが忘れられないのは、ラングーン事件があったからか。ヤンゴン中央駅に行ってみた。列車のチケットは出発前にならないと発行されないのか、キップ売り場は閉じられ、時間を持て余す人々がいた。国家の中央駅とは思えない静けさである。汗はほったらかし。市場があれば、強権国家は不要だと、感じる。マッサージに出かけた。1時間、1.5ドル。冷房が嬉しい。汗ばんだ足を若いマッサージの女の子に触らせるのが、少し恥ずかしい。ベトナム、ラオス、カンボジアと比較すると、観光地化も進んでおらず、ガイコクジンも少ないので、マッサージ屋自体が、見つからなかったのだが、人に聞き聞き、入った場所だが、確かに看板にも一切ローマ字はなく、何の店かも分からねえ。 施術は、ビルマスタイルなのか、この人スタイルなのか分からないが、隣の親父と同じような、やり方で攻められるので、こういう方式なのだろう、明らかにタイマッサージとは違う。痛気持ちいい度がタイで6としたら、ここでは、7ぐらいであった。いずれにせよ、安い。イスラム寺院も多い。多くの人々が道端から暇そうに見上げている。喉が渇いてきた、ビール飲めないかと思って5分もしないうちに、ビールどうだ、と声が掛かる。ジョッキ2杯喉を潤す。その間に、インド人おっさんが入ってきて、ウイスキーをロックでグイ飲みして出て行った。真昼間にアルコール中毒か、と一瞬思うが、じゃあ、俺はどうなんだ、とも思う。街を歩くと、男性は腰巻であるロンジー、女性は、ほっぺたにタナカという日よけの白いものをほっぺたにつけている人が多い。どこに行っても、定点観測的に、人が歩いていくのを見るのが好きだ。ゴールデンは寺だけだ。ヤンゴン、意味は、戦いの終わり。さらば、ラングーン、パゴダが光る。夢のようだった。 2009年夏旅行 ビザ1 ビザ2 バンコク着、ドリームホテル ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1 ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2 ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ シェダゴォンパヤー1 シェダゴォンパヤー2 タイとビルマの間 バガン到着 パガン観光案内 パガン村に陽は落ちて パガンガイドビルマあれこれ アウンサンスーチー家近く ヤンゴンを歩く 腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール バンコク、ワットポー 涅槃シリーズ ハウパービラ1 ハウパービラ2 ハウパービラ3 ハウパービラ有料コーナー編 ハウパービラ最終編 シンガポール、ゲイラン地区 シンガポールガイドブック シンガポールからマレーシアに行き失敗。 シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院 イメージオブシンガポール1 イメージオブシンガポール2 ホテルでどうする 東南アジアgourmetの旅2009年夏
2009.09.01
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