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佐賀の伊万里モラロジー事務所の「維持員研修会」があり、1時間話をするということになった。何で自分のような者が、といつも思うのであるが、自分の勉強の為と、お役に立てることが少しでもあるのならという気持ちで話させて頂いた。研修会終了後に、会の責任者の大串さんが、伊万里の自分の窯と店を案内してくれた。大串さんは20歳の時から、この道に進み、伝統工芸士として現在も作品を作っている。 ※左が大串さん、右が私です。伊万里は鍋島藩御用達の伝統ある窯元が多く、今でも多くの観光客が訪れている。大串さんの店には様々な伊万里焼が展示販売してあり、近くの窯元も案内してくれた。 ※美しく並んだ大串さんの作品僕はどちらかというと、「安物買いの銭失い」な方である。こんな、高価ではあるが、本当に良いものを、大切に長く、心を込めて使える人間でありたいと思うとともに、そういう生活をしたいものだなと思った。今はどちらかというと、お茶であればなんでも良い、湯飲みなんて飲めれば良い。というような暮らしである。反省反省。
Nov 22, 2004
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今日、というより、昨日ですか、すでに。石黒先生と2日間過ごさせていただきました。石黒先生は、RS総研というコンサルタント会社の先生なのですが、この先生、何といっても現場の女性達をやる気にさせる達人です。 ※写真はホームページより転載http://homepage1.nifty.com/showbynohint/今では、お得意のスーパーマーケットだけでなく、NTTドコモやその他、他業界のコンサルタントも行っているそうです。今日も鹿児島、喜入の鈴東商店。その鈴東の従業員さんを集めての、セミナーを主催して開催しました。終わっての感想は、「やって良かった」。小さな企業の一番大切なことは、やはり「皆の意思統一」、どのような方向に進もうとしているのか、どのように変化しようとしているのかということを、周知徹底させないと、うまくいくことも行かない。しかし、本当に時々皆さんの日記を拝見させてもらうけど、きちんと毎日書いている人ってスゴイですね。気がつくと以前の日記は13日。本当に昨日書いた気がするのに...(・_・;)それと、ボランティアの報告書は、次にまとめていますので、見たい方は、そちらをご覧下さい。http://homepage2.nifty.com/jhc-fukuoka/newpage-awajiborannthia.html
Nov 21, 2004
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「千福寺」は、高野山真言宗のお寺で、住職の山階住職は、ボーイスカウトを52年も続けており、地域の子供達の育成をしている。その宿泊などにも使われるこのお寺には、宿泊用の広い部屋がいくつもあり、今回災害ボランティアの方々が宿泊できるようにと、無料でお寺を開放しているのだった。今日の宿にどこにテントを張ろうかと思っていると、ボランティアセンターの方が、「千福寺の住職にお聞きしてみましょうか」と言われたのが縁で、千福寺に泊めていただくことになった。千福寺には、高野山総本山から8名の方々が先鋒隊としてこられ、千福寺を中心にボランティア活動を行うとの事であった。(※写真は千福寺でお会いした、高野山総本山の方々)全国からさまざまな支援物資や、義援金が送られてきている。送る側はそれが被災地で困っている方々に「有効に使われている」と思っている。しかし実際には、被災地に送られてくる物資が、本当に必要としている人の手に渡ることは少ない。また、義援金の使われ方に関しては「どのように使われているか」の報告などない。全国から集められた義援金がいくらで、それがどのように使われたかということは誰も知らない。それを寄付した「善意の人々」にも知らされない。 被災地に送られてくる生鮮物などを腐らせてしまうことも多いという。誰にどのように配分するべきかという事を話し合っているうちに腐らせてしまうのである。しかしそれも仕方のないことであるかもしれない。ボランティアを取り仕切っている人達は「行政の責任者」ではなく、社会福祉協議会の有志の人であったり、ボランティアをしている団体の方だったりするからである。この事は一切知らされない。自分たちが善意で送ったものが被災地の弱者の手に渡ることなく腐ってしまったというようなことがわかれば大変なことになるからである。しかし、このことに関しては、誰も責めることができないし、責任の所在がないからこのようなことになるのである。「現場」には、自分の目で見なければわからないことや問題点が、たくさんある。これは仕事も一緒だが...。
Nov 13, 2004
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岡本さんの家に到着した、僕ら一行はすぐに作業に取り掛かった。9時に災害ボランティアセンターで受付後、歩いて10時には着いたのだが、作業内容を聞いて、一旦センターに引き返した。床下の粘土状の泥を取り出すのには、カッパを着てマスクをしての完全武装での作業が必要だったからだ。 床下には、粘土状の泥が一面に敷き詰められていた。床下浸水の結果、厚さ2センチほどの泥が隙間なく敷き詰められた状態である。岡本さんの家は、特に床下の高さがなく、床下の作業は困難を極めた。いやいや、とにかく狭い狭い。携帯ランプを持って、真っ暗闇の床下を、「ほふく前進(はいつくばって進む)」して進むのである。手首まで隠したビニール手袋をつけた手で、砂と泥の隙間に手を入れて、手の甲で泥を取り、チリトリに入れていくのだ。いやいや、終わったのは約6時間後。背筋が痛いのなんのって。38歳の体は、運動不足を訴えておりました。~次回へ続く~
Nov 11, 2004
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淡路島洲本町のボランティアセンターには、朝から続々とボランティア希望者が訪れていた。同じ兵庫県の豊岡市の方には、毎日多い時で1000人以上のボランティアの方々が近郊から集まって来ていた。 行ってみてはじめて知ったのだが、災害センター本部は、行政が動かしているわけではなく、災害ボランティア団体や、社会福祉協議会の有志の方々が運営しているのであった。洲本町の行政は関与していないというのは奇妙な事実であった。センターには毎日多くの「ニーズ」(ボランティア要請)の電話がかかってくる。それをセンター本部の方々がまとめ、ボランティア登録をした人達に、それぞれ指示をしていくという仕組みであった。まったく初めてのボランティア参加(災害ボランティア)であったので、指示書に書かれた「必要器具一覧」を「道具貸付所」で借りて、一路災害申請をされた岡本さん宅へ向かった。~次回へ続く~
Nov 10, 2004
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マスコミでは新潟の地震が毎日のように報道されているが、台風23号の被害もまだまだ終わっていない。11月1日~5日まで、災害ボランティアに参加するべく、福岡を車で出発した。最終的に参加人数は4人。現地の方々に負担がかからないように、テントや寝袋を持参しての参加であった。淡路島まで福岡から約700キロ。10時に出発してから、到着したのは、夜の7時過ぎであった。町は一見復興してしまったように見えたのだが、通りを一つ中にはいると、写真のような現状であった。まさに現地と報道はまったく違っていた。そして、お年寄りの方々は、電話もテレビも何もない状況の中、ボランティアが来ていることすら知らないといった有様であった。
Nov 9, 2004
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