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1992年10月20日国立国会図書館法という法律の存在を、1年ほど前の天声人語で知った。図書館員が週に千冊の新刊書を集めているが、それでも出版物の8割にしかならない。自費出版、社史の類が、集まりにくいという。私は、昨年春、私の家の300年史について自費出版で30冊発行した。沢山の人に読んでもらいたいとは思わないが、100年、200年、保管できたらとは思っていた。そこに天声人語の情報であった。渡りに船、と早速納本をした。お礼状が届き、そしてまもなく日本書誌録が届いた。そして14日、自民党前副総裁の金丸氏が議員辞職を表明したその日に米国議会図書館からの注文状が某出版貿易会社から届いた。その夜の我が家の食卓は、民主主義の勝利と、海外からの私の処女作に対する注文にわいた。ジュースでの乾杯も楽しかった。誰もが本を出版できる世の中である。後世に残したい本は是非、国会図書館への納本をお勧めする。
2004年01月30日
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宮じいさまから、ご指摘のあった通り、死は重いテーマです。これを正面から取り組むと、芥川賞ですよね。というわけで、あまり、深入りしない。他に、死について投稿作品があるか、チェックします。つぎの文は、新聞掲載はなりませんでしたが、内容が死ですので、ここで紹介します。『三者三様の死 1992年10月28日昨年の暮れから正月にかけ、ひきつづき3人の最も近い肉親を失った。11月、我が家の長老の伯母が86歳で癌による体力低下で急性肺炎を起こし他界した。病を発見して残り半年くらいの命と言われ、是非とも伯母の自伝を残そうと発心した。1年後、本が出来上がり伯母は何度もまくらべで読んでいた。最後まで気丈で死の1週間前、近所の葬儀に行った私をねぎらい、私の子や甥姪を本当の孫みたいに一人一人抱きしめてくれた。12月、父が79歳で老衰で鬼籍に入った。約3年間、痴呆症で入院していたが、伯母が他界してすぐに自宅に引き取った。母は老人介護の勉強会に通って二人とも、面倒みるつもりだった。この1月には弟が数えの43歳で、函館の大浴場で心臓麻痺で彼岸へ逝った。寝耳に水であった。弟は私の誇りだった。財産、命、名誉(あるいは名前)に執着がなかった。どういうふうに死にたいかの願望はきっと実現する。私は四苦八苦しながら、伯母のように直前まで選挙権を行使して、百歳を超えて死にたい。』
2004年01月29日
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こだま「若者特集」は、バラエティに富み、同世代の私のクラスの生徒に読ませたいと常々思っていた。いろんな新聞がある中で西日本新聞の読者投稿欄は社説と同じページにあり、定位置を占めていて見やすく分かりやすい。いかに読者からの声を大事にしているか、比較すれば一目瞭然である。10月17日は中間考査最終日で、1時間のホームルームが組まれていた。その日の「若者特集」のテーマは環境3件、教育2件、言葉1件、政治1件、季節1件、死1件であった。空き時間に早速コピー印刷した。手はインクで汚れ、石鹸で洗っても少し残っていたが、教室に急いだ。コピーを全員に渡し、1人に立って読ませた。毎日のクラスでは返事、漢字、掃除の大切さを説き、人間社会の基本として協力と競争の必要を話している。根幹は同じことを、折に触れ、いろんな機会に話している私である。 【西日本新聞 2004年1月28日⇒やっぱ、返事、漢字、掃除の3じ。 そして、協力と競争(Competition & Cooeration)の2C. 結局、3G2Cが大事ですね、一種の語呂合わせですが・・・。
2004年01月28日
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1992年9月27日毎日どこかで葬儀があっています。およそ生まれてくる人の数だけ亡くなっているはずです。私は昨年11月に伯母、12月に父、今年1月に弟と、立て続けに肉親を亡くしました。伯母、父の葬儀は私が喪主で、伴僧の数、霊柩車などの決定をしました。伯母の通夜での席で、和尚さんから「何人で読経しましょうか?」と伴僧の誘いがあったが「和尚さんお一人でお願いします」と答えました。霊柩車は、宮型はぎんぎらぎんで好みではないので、黒のワゴン車をお願いしました。弟の葬儀では私は親族でした。3人の読経、宮型の霊柩車、何十という花輪(告別式の日の未明、弟の意志か、突風がすべて吹き飛ばしました)、きらびやかであるほど、むなしさを感じました。昨今の葬儀の華やかさを見るにつけ、もっとつつましさをと、いつも思っています。【昔の作品で申し訳ございません。なにか、コメントがあれば、よろしくどうぞ! 既に作っているHPに再編集で取り込みたく。2004年1月27日】
2004年01月27日
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昨日は不覚をとりました。一日寝てました。二日酔い。おととい、隣組の初寄り。2升を全部、数人で飲み干す事に執着したら、この始末。身のほど知らず。54歳にもなって。どういうページにしていくか、迷っていますが、とりあえずは、私が10~12年前に新聞投稿で掲載されたものを、コピーして、皆様に感想を書いてもらい、それをHPに追加・編集するのも面白いのではと、閃きました。皆で作るHPを目指していますので。既に、城山百景人など、皆様の我がBBS(ヤフー)への画像投稿を編集して、HPを作ったし、「屋号論議」なんかも投稿を取り入れました。では、12年前の作品「ワープロ時代」をお楽しみ下さい。ワープロ時代 1992年9月4日今や5軒に1軒はワープロを所有している時代となってきた。20年前は、和文タイプを個人で持つと家でアルバイトができるほど貴重な物であった。それが10年前からのワープロの大量生産、需要増に伴い、和文・英文タイプはともにすたれてしまった。生涯教育の時代である。技術の進歩の著しい時代である。私は37歳にして、時代の波に乗るべく、ワープロ講習会に行ったものだ。テレビのワープロの宣伝のように、講習会の先生は若い女性であった。今では教員仲間は10人中7人がワープロを持っていて、家でも仕事ができる態勢を取っている。私は今、子育ての時期で、まだ購入できるゆとりはなく、学校のワープロを使ってテスト問題や報告などをきれいにまとめている。購入願望はあるので、いつの日か我が家にも入り、1軒に1台のワープロ時代も近いだろう。 【西日本新聞 9月9日掲載】そして、今やネットの時代2004年1月10日、良治記す時代の変わりように、今更ながらびっくりしている。12年前の新聞投稿にワープロが流行っている様を書いたが、いまや、ネットである。ネットには、ワープロではなく、パソコンが必要である。私がパソコンを買ったのは、4年前。しかし、ネットに参入したのは、ヤフーBBに昨年7月14日、モデム接続だ。昨年の5月に、ワープロ(あいうえお打ち)から、パソコン(ローマ字入力)に切り替え、慣れる為に、集中的に『働く婦人の家』パソコン講座に出て、尚且つ私の小冊子『出光先生、ただ今、とうこう中』をパソコンで打って、保存する事に没頭。そして、6月からはメディア・パークにてパソコン講座を受講、9月中旬、八幡南高校の英語非常勤講師になるまで3ヶ月半、ネットに親しんだ。パソコンは、ほぼ8割の家庭が持っているのでは?ネットに参入している家庭は、3割位か?とにかく、30歳前の若者がいる家庭は、8割かたネットに参入していると思われる。国家戦略として、公教育の場でネットを必須としているので、世の中はがらりと変わっていく。50歳以上は、社会に取り残されない為にも、何らかの自己研鑚が要求されてくる。変化の時代だ。
2004年01月26日
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上の写真は、大洪水の玄関の壁城山17回目10時40分発、12時7分帰着。369メートルの頂上は雪で覆われていました。一昨日48人、昨日60人の記帳。本日は、私が54番目。一般的には、日に120~130人。今日は、朝一番、昨日の続きで水道屋さんを待っておりました。うちのBBSから、その記録をコピー。Re: 23日の日記(大洪水) ebisuya - 2004/01/23(Fri) 20:51 No.1551 「大洪水」日記に続きがあったとは・・・。昨日、納屋の水道蛇口がぽっきり折れて、今朝は玄関の大洪水、そして、業者には2度来てもらって、モーターも焼ききれていたのが判明したのが、4時過ぎ。やっと、6時半ごろ直ったが、母が風呂上りに水の出の悪いのに気づいて、また別の部屋が大洪水だったのを、やっと確認。8時過ぎのこと。明日また、来てもらわなくては。本日は、水道の電気は落としました。さんざん。--------------------------------------------------------Re: 23日の日記(大洪水) 油屋 - 2004/01/23(Fri) 21:49 No.1552大変でしたね。実は私のところも今日古いアパートの2階のトイレのところから水があふれ出て下の階まで・・・蛇口の元がさびて折れていました。急いで知り合いの水道屋さんにきてもらって、使用する予定がないので栓をしてもらいどうにか回復。赤間の井戸は鉄分が多いのでどうしてもさびがきます。しかし、とってもおいしいです。--------------------------------------------------------Re: 23日の日記(大洪水) ebisuya - 2004/01/24(Sat) 09:38 No.1555やっと今、直りました。9時35分。風呂の隣の隣の部屋。実は、被害は離れもありました、学生に貸しているんですが、昨夜、モーターを直してもらってるとき、家内が気が付いて修理依頼。住人が門司にいるもんで分からないですよね、こんな場合。で、結局、4箇所破水(内1箇所は氷で水は出ませんでしたが)。昨夜は風呂の水をトイレにその度に補給しましたよ。--------------------------------------------------------Re: 23日の日記(大洪水) 油屋 - 2004/01/24(Sat) 12:29 No.1556大変だ。私のところも2回目。今度は上水道の水道管がやられた。1階から2階に立ち上がるところのジョイントから漏れている。只今水道屋さんに電話。・・・・・・てなことで、大変でした。>
2004年01月24日
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9時半現在、マイナス1度。今日は娘(中2)が学校に行く時まで、すやすやと寝ていた。8時20分、家内の大声で起こされた。「パパ、大変。二回の屋根が抜けてる…」とにかく、起きて確認しなっくっちゃ。すごい水が玄関に壁伝いに2階から流れていました。大洪水。そして、結果は、水道管の破裂。うちは、2階部分9部屋、1階部分2部屋、計11部屋にキッチンをつけて、個室にして学生に貸していたんです、20年前まで。10年間ですが、そういう時期があった。だから、水道管が至るところにある。家内いわく、「いつか、こうなると思っていたわ…」今日は、配管工は大忙し。力丸設備に連絡したがいつ、来てくれるか?水道の元を止めたから、水が出ない。ここ赤間は8割は、市の上水道ではなく、自分とこの井戸ボーリングなんです。おいしい城山水、知っていますか?だから、江戸時代は、白酒の里として名高く、なんと、15件も造り酒屋があったんですよ。醤油屋(我が家も)多かった。ま、それほど水のおいしい所なんです。>24日の日記 (PM 02:19)城山17回目10時40分発、12時7分帰着。369メートルの頂上は雪で覆われていました。一昨日48人、昨日60人の記帳。本日は、私が54番目。一般的には、日に120~130人。今日は、朝一番、昨日の続きで水道屋さんを待っておりました。うちのBBSから、その記録をコピー。 Re: 23日の日記(大洪水) ebisuya - 2004/01/23(Fri) 20:51 No.1551 「大洪水」日記に続きがあったとは・・・。昨日、納屋の水道蛇口がぽっきり折れて、今朝は玄関の大洪水、そして、業者には2度来てもらって、モーターも焼ききれていたのが判明したのが、4時過ぎ。やっと、6時半ごろ直ったが、母が風呂上りに水の出の悪いのに気づいて、また別の部屋が大洪水だったのを、やっと確認。8時過ぎのこと。明日また、来てもらわなくては。本日は、水道の電気は落としました。さんざん。-------------------------------------------------------------------------------- Re: 23日の日記(大洪水) 油屋 - 2004/01/23(Fri) 21:49 No.1552 大変でしたね。実は私のところも今日古いアパートの2階のトイレのところから水があふれ出て下の階まで・・・蛇口の元がさびて折れていました。急いで知り合いの水道屋さんにきてもらって、使用する予定がないので栓をしてもらいどうにか回復。赤間の井戸は鉄分が多いのでどうしてもさびがきます。しかし、とってもおいしいです。-------------------------------------------------------------------------------- Re: 23日の日記(大洪水) ebisuya - 2004/01/24(Sat) 09:38 No.1555 やっと今、直りました。9時35分。風呂の隣の隣の部屋。実は、被害は離れもありました、学生に貸しているんですが、昨夜、モーターを直してもらってるとき、家内が気が付いて修理依頼。住人が門司にいるもんで分からないですよね、こんな場合。で、結局、4箇所破水(内1箇所は氷で水は出ませんでしたが)。昨夜は風呂の水をトイレにその度に補給しましたよ。-------------------------------------------------------------------------------- Re: 23日の日記(大洪水) 油屋 - 2004/01/24(Sat) 12:29 No.1556 大変だ。私のところも2回目。今度は上水道の水道管がやられた。1階から2階に立ち上がるところのジョイントから漏れている。只今水道屋さんに電話。・・・・・・てなことで、大変でした。
2004年01月23日
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今年は、とにかく、健康。体力つくりに邁進してます。昨日、今日と、雪でしたが城山(369メートル)に登りましたよ。朝、家の中でマイナス3.8度。この冬一番の冷え込み。いつもは、朝、登るんですが、10時の仕事の約束で、結局午後4時発、5時半帰着でした。頂上は、マイナス6度。びっくりしますね。九州の福岡ですよ。もっとも、40年以上前は、毎年、これぐらいの積雪が年に数回ありましたよ。このごろは、13年ぶりかなあ、だって、長男(18歳)が、幼稚園のとき、すごく積もりましたから、記憶に残っています。母子で、雪だるま作ってはしゃいでましたよ。そのころ、私は、女子高校で英語を教えていました。だから、平日に子供とじゃれあうことはなかったような。23日の日記 (AM 09:58)-----Original Message-----差出人 : 宛先 : ??????@yahoo.co.jp
2004年01月22日
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あんまり雪がきれいだから、写真をとりましたよ。城山に登る前に、この雪景色をカメラに。そして、日記にとあせりました。21日の日記 (AM 10:04)件名 : 23日の日記9時半現在、マイナス1度。今日は娘(中2)が学校に行く時まで、すやすやと寝ていた。8時20分、家内の大声で起こされた。「パパ、大変。二回の屋根が抜けてる…」とにかく、起きて確認しなっくっちゃ。すごい水が玄関に壁伝いに2階から流れていました。大洪水。そして、結果は、水道管の破裂。うちは、2階部分9部屋、1階部分2部屋、計11部屋にキッチンをつけて、個室にして学生に貸していたんです、20年前まで。10年間ですが、そういう時期があった。だから、水道管が至るところにある。家内いわく、「いつか、こうなると思っていたわ…」今日は、配管工は大忙し。力丸設備に連絡したがいつ、来てくれるか?水道の元を止めたから、水が出ない。ここ赤間は8割は、市の上水道ではなく、自分とこの井戸ボーリングなんです。おいしい城山水、知っていますか?だから、江戸時代は、白酒の里として名高く、なんと、15件も造り酒屋があったんですよ。醤油屋(我が家も)多かった。ま、それほど水のおいしい所なんです。
2004年01月21日
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何を書く目的もないのですが、マイスター、なでしこさんの真似事を、ちょっとしてみたいのです。日記をつづる。それだけです。ラクテンでやれるかどうか?テスト。
2004年01月20日
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