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長女が予備校に通いだして2か月がたとうとしている。長女は先日も書いたが田舎のエリート丸出しの感覚で、学校の授業と自己学習で十分だという意識だった。だから予備校に通うことをかなり嫌がっていた。おそらく学校でも「予備校なんて」という友人が多いのだろうと長女の話から伺うことができた。 人生において、学んだ知識を使うということにかけては学校の授業でもそれなりに十分ではあるとお父さんも考えている。予備校で学んだから社会で役に立つ知識を得たという感覚はお父さんにもあまりない。しかしながら、予備校は大学受験にかけては素晴らしく有能であるという意識はある。 予備校は大学受験に関してのプロ集団であり専門組織だ。様々な能力の受験生の様々な進学希望に合わせて必要な知識とテクニックを教えてくれる。これは予備校に通ったことのある人でないとわからないと思う。 地方には個人や地元資本による学習塾というものがあり、そこに通うことで学校の成績を維持することは可能である。しかしながら学校の成績はイコール受験の実力ではない。学校の授業では「理論、理屈」をきちんと説明してそれに伴った「解き方」を説明する。国語や英語、社会科などの授業も教科書に沿った基本的な内容(主に基礎的なこと)を教えていく。 それに対して予備校では、一つの問題に対して複数の解き方、どの方法で解けば一番早くて確実に答えを得ることができるのかを教えてくれる。もちろん基礎的な理屈もある程度含まれるがそれをどうやって受験問題を解くのに使っていくのかを教えてくれる。 さらに高校では教えない数式や公式を使って、一瞬で解答を出す方法なども教えてくれる。暗記系の学問であっても、どうやったら簡単に覚えて忘れないかのテクニックなども盛りだくさんで教えてくれる。そしてこれらのテクニックは予備校のテキストにも参考書にも記載されていない。授業を受けなければ教えてくれないのだ。 予備校のテキストは基本的に学校の教科書に準じている。しかしながら授業内容は全く違う。学校での解き方を教えた後に、異なる解法やテクニックを口頭で教えるのだ。なので予備校を訪れてテキストを見せてもらったところで予備校の本来の力はわからない。おそらく予備校側もテキストだけでテクニックが外へ流出するのを避けているのだと思う。 もう一つ、予備校の優れたところは志望大学、志望学部に特化した授業をしてくれるということだ。基本的に大手の予備校にはいくつかカテゴライズされて志望校別に授業のコースが存在している。東大コース、国立医学部コース、早慶上智コースなどだ。 東大コースは最難関だからこれを理解できればほかの大学は大丈夫と考える人もいるかもしれないが、大きな間違いだ。東大と京大では問題の傾向が違うし、東大と北大ではレベルも求める内容も違う。 お父さんの経験から行けば、東北大学の工学部を目指す人が1年間「東大理Ⅰコース」を学ぶよりも、「東北大工学部コース」を学んだ方が圧倒的に合格の確率が高い。 いかに志望大学に特化した勉強をするのかが大学合格の早道である。 ちなみに大手の予備校には、どの大学で毎年どのような問題が出ているのか、問題の種類はどれほどか、配点はどうなっているのかなど非常に細かく分類されている。 さらに学生の学力分析もされているので、志望大学に入るのに何をどれぐらい勉強すればよいかをきちんと分析して指導してくれる。 はっきり言わせてもらえば、地方有名進学校の進路指導や学習指導とは比べ物にならないくらい、実績も実力も信用も高い指導を受けられるのだ。 これからはAIを使って、さらに精度の高い分析が行われる行くだろうと思う。お父さんの偏見かもしれないが、地方進学校の進路指導は生徒の希望よりも現役合格できる大学を教えるだけであり、生徒の役に立つものではないと思っている。 予備校は授業料も高額だ。だからこそ優秀な講師を高給で雇って更なる実績作りに躍起になる。前年の進学実績が低ければ、生徒は少なくなるし講師は職を失う。だから全員が必死になって生徒を合格させようとしている。 地方進学校の高校教師にはその必死さが無いし、高校自体も進学実績は常に地域トップなので危機感はない。 すでに長女は予備校の授業にかなり入れ込んでいる。これまで学校で受けていた授業より何倍もわかりやすく、解放やテクニックを使うことで今まで苦労していた問題を簡単に短時間で解けるようになったことを実感しているようだ。 予備校が高額で二の足を踏む親は多いと思う。お父さんも長女の予備校の学費を聞いてかなりひるんだ。でも我慢すれば支払えると判断して、予備校に入れた。長女が志望校の国立に入ることができれば、私立大学にいく学費の差額で十分元が取れると考えている。 だから長女にはぜひ第一志望に合格してほしいと思っている。
2021.01.31
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長女が大学受験のために予備校に通い始めて2か月がたとうとしている。高2の冬からだから都市部の学生からしたらかなりスタートが遅いとは思う。それでもやらないよりは全然良いのだが。 長女は努力型の人間で、今までの人生を比較的努力をすることで乗り越えてきたという自負がある。だからお父さんが「予備校に行け」と言っても、今まではのらりくらりと逃げていた。お母さんもそこまでしていかなくてもという雰囲気を出していた。 今回お父さんがほぼ無理やり予備校に行かせたのには、お父さんの経験があるからだ。 お父さんが通っていた高校は、その地方では一番の進学校だった。毎年東京大学に数人が合格するレベルではあったが、いまだにお父さんの地元へ行けば大学よりも高校の方が評価されるレベルの高校だ。 お父さんが高校生の頃は、お父さんの住む地域に大手の予備校というものは存在しなかった。だから高3の夏休みや冬休みに夏期講習や冬期講習を受けに都市部に通うのが精いっぱいだった。 高校3年間を部活と遊びに費やしたお父さんは当然のように浪人した。そして予備校の寮に入って毎日予備校に通う生活を一年続けた。 そこで思い知ったのは、高校と違って予備校は大学入試に特化した授業とテクニックを教えてくれるとこだということだ。人生に必要だから勉強するのではなくて、受験に合格するための勉強をするところなのだ。だから受験に出ない分野は一切勉強しないし、本質を理解しているとかはまるで関係がない。 さらに言うと、高校の授業で習った方法で解くと10分かかるような問題を3分で解ける方法を教えてくれる。まさに受験のためのテクニックだ。テクニックを知っている大都市の受験生とテクニックを知らない地方都市の受験生では合格できる大学のレベルが2ランクは違うと思っている。元の能力が同じだとしても、偏差値にして10から15ぐらいは予備校で学んだ生徒の方が上になってしまう。 また大手の予備校は各大学の受験対策(問題の傾向や出題頻度など)を個別にデータ化しているので志望大学に特化した授業を効率的に受けることができる。 お父さんは親父と兄貴の馬鹿な勘違いでこの志望校に特化したコースを選択させてもらえなかったので、第一志望には合格できなかった。それでもその他の大学は難なく合格することができた。 今長女はあれほど嫌がっていた予備校に嬉々として通っている。高校では教えてくれない解法やテクニックを知って「目からウロコ」だと日々驚いているらしい。嬉しそうに教えてくれる娘を見ると、無理やり予備校に通わせて良かったと思う。 まあ最終的に娘の志望する大学に合格できて初めて効果があったと言えるのだが。 お父さんも経験があるが、地方都市のインテリは勉強しなくてもそれなりの成績を収めることができる。そのせいで「自分で勉強すれば大丈夫」「予備校なんて必要ない」と勝手に思い込むのだ。長女も完全に地方のインテリ状態だった。 予備校はお金がかかる。お前たちが親になったとき子供を通わせることができるかは経済力にかかっている。それでもお父さんは大学に子供を入れたいなら、予備校で学ぶことは合格への近道であると思っている。予備校の費用をお母さんから聞くたびに我が家の家計を思って心配にはなるが、子供が行きたい道を選べる大きなチャンスを応援するため頑張ろうと思っている。
2021.01.30
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自動車の運転免許を取得して、自動車を所有した人はほぼ100%の確率で「事故」と「違反」を経験するものである。もちろんお父さんも両方とも経験している。 お父さんの場合、最初の違反が免許を取って最初の冬に、高速道路で50kmオーバーのスピード違反だった。罰金8万円、減点12点、免停90日というとても学生には厳しいものだった。罰金も厳しいものだったが、原付で通学や移動を前提に借りた部屋から歩いて学校に行くのは本当に苦痛だった。 事故も今まで何回か経験している。保険を使った事故も、示談で済ませてものもあるが、幸いなことにけがをしたりさせたりしたことがないのが救いだ。 お前たちはまだ子供だから、事故を起こした時や違反で捕まった時にどんな気持ちになるかわからないだろうが、運転するようになればじきに経験することになるだろう。 どちらもちょっと注意していれば、とかちょっと時間がずれていれば、というものが多い。だから事故や違反をした人は基本的に「運がわるかった」と思うのだ。 「自分が悪かった」と思えれば、あとは反省して次に生かせばよいのだが、「運が悪かった」と思ってしまうことが多いので、ものすごく精神的にストレスとなるのだ。 そして事故の場合は「車が破損」しているので、直せばお金がかかるし、そのままにしておけば常に破損個所が気になる。違反の場合は罰金を払わなくてはならないし、ゴールド免許が普通の免許になってしまう。ゴールド免許は無事故無違反で5年間過ごさなくてはならないので、免許の更新時期が悪いと8年ぐらいはゴールド免許に戻ることはできない。 ちなみになんでこんなことを今書いているかというと、お母さんが車をぶつけたと連絡があったからだ。相手は雪が固まって氷になったものらしい。曲がり角のすみに積まれた雪にバンパーをぶつけたとのことだった。写真を送ってもらったが、バンパーが割れていた。 お母さんはしばらく「あの時ちょっと注意していれば」という後悔で落ち込むのと、別に私は悪くない、運が悪かっただけ、もう気にしないというような無理やりなポジティブを作るのに追われて精神が不安定になるだろう。 お前たちも面白がって「お母さんが車をぶつけた」とはしゃぐだろうし。どのみちお前たちも招来経験することなのだが。まあその時はお父さんもお母さんも笑いながら「たいへんだねーー」と言うだけだろう。そしてお前たちはイラつくのだ、人ごとだと思いやがってと。 若いころは事故や違反をしたことが無いことを自慢する人がいるが、それなりに年齢を重ねるとそういう人はいなくなる。もちろんみんなどこかで事故や違反をするからだ。免許を取ってから事故も違反もしていないと30年も運転歴があって言う人はほとんどいない。いるとすれば「運転をしていなかった人」だ。 そういえばお前たちのおばあちゃんはもう70歳になるが無事故無違反で人生を送っている。免許を取ってから運転したことはほとんどないと言っていた。お父さんが結婚してから車を運転したのを見たことは一度もない。
2021.01.29
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ベトナムはテト(旧正月)を前に、日本の年末と同じような喧騒が続いている。この時期は様々な伝統的なイベントが家庭で行われたり、多くの組織がイベントを開催する。 先日は省の労働組合が会社にやってきて、組合に対する協力の証として会社と会社の組合長に賞状をくれた。ここまでは特に問題はない。 問題はもう一つの贈り物を持ってきたことだ。それが「会社を代表する貧乏な6人」に贈り物(お菓子)をくれたことだ。もちろん選ばれた6人は省の労働組合が決めたのではない、会社の労働組合が選出したのだ。 毎年の恒例行事というか、ベトナムの労働組合はよく「貧乏な人に施しをする」というのをやる。何をもって貧乏としているのかは、お父さんを含めた日本人にはよくわからない。 そもそも会社の給料は、役職や技能などで差があるとはいえ基本的に法律で決められた最低賃金以上の給与を出している。だから働き口がないので収入がなくて貧乏だというのではないはずだ。 そもそも選ばれた人たちは労働組合から「会社を代表する貧乏人」と認定されて大丈夫なのだろうか。月収分ぐらいのお金をもらえるのならまだしも、今回もらったのは200円、高くても500円ぐらいのお菓子だ。正直に言って貧乏な状況をどうにかできるものではない。その少額なお菓子をもらうのと引き換えに「社内一の貧乏人」の称号がついてしまうのだ。 日本で同じことをすれば、おそらく大きな問題となるだろう。そもそも選ばれた人が否定するだろうし、選んだ人は憎まれることだろう。それを容認する会社にも組合にも恨みを抱くのではないだろうか。 どんな国にも貧乏な人というのは存在する。ただお父さんの会社の社員なら衣食住は保証されているはずだ。「貧乏な人に年末だから施しをしました」というパフォーマンスが許されるのもあと数年の事ではないかと思う。都市部のベトナム人は確実に貧乏人ではないのだから。
2021.01.28
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ベトナムのテト(旧正月)までもうすぐだ。この時期ベトナムでは年末のあいさつやらパーティーやらで街がとても賑やかになる。お父さんの会社でも社員たちが明らかにそわそわしている。正月がやってくるのが待ちきれないと言った感じだ。 この時期は酔っ払い運転もかなり増えるので、街中を移動するときはいつもより注意が必要だ。ベトナムの飲酒運転は先進国を見習ってとても厳しい罰則になっているのだが、バイクの飲酒運転は相変わらずかなり多い。なのであちこちで事故を見かける季節でもある。 警察の取り締まりが厳しくなるのもこの時期の特徴だ。お父さんの会社は日本人も運転免許を所持してベトナムでも自動車を運転する珍しい会社なので、この時期の運転には注意をするように必ずお達しが出る。警察がいつもより多いから注意をするようにと。 最近ではだいぶまじめになったと言われるベトナムの警察だが、実際に捕まると賄賂を払って見逃してもらう制度は依然として存在している。そしてこのテト前の取り締まりはその賄賂狙いと言われているのだ。 そもそもベトナムで公務員が出世するにはコネと賄賂が必要である。自分の親が警察の署長ならばコネに問題はないが、徒手空拳の人は自らコネを作らなくてはならない。そしてコネを作るのに必要なのが贈り物というか賄賂だ。 何のメリットもなく紹介された人を出世させてくれる人などいない。お願いしますの贈り物、ありがとうございますの贈り物、これからもよろしくの贈り物とコネを維持してさらに上を目指すには財力が必要である。 日本ではお中元やお歳暮という制度があったが、これも一種の賄賂だったからこそ、「廃止」となっていったのだろう。ベトナムではいまだに贈り物はとても重要なツールとして残っている。 話を戻すと贈り物にはお金がいる。だから警察官は頑張ってお金を稼がなくてはならないが、給与を上げるには贈り物が必要で、お金を稼がなくてはならない。無限ループである。 そんなわけで、警察官は贈り物の季節になると街に出て交通違反を取り締まり、見逃す代わりに賄賂をもらってお金を稼ぐのだ。一般市民にとってはいい迷惑だ。 ただ公務員の世界はこの文化で成り立っている。出世するには現ナマを含む高価な贈り物を渡す必要がある。もらった人も自分がさらに出世するために自分を引き上げてくれる可能性のある人に贈り物をする。 外資系であるお父さんの会社では「一切禁止」となっている「従業員が上司に贈り物をする文化」が公務員の世界では「当たり前の文化」として残っている。 出世する公務員はお金とコネを持っているのが常識である。だからお父さんの会社の社員の身内に公務員がいると知らされて、「出世しているか?」とか「地位は高いのか?」と聞くと「お金がないから難しい」という答えが普通に帰ってくる。 こんな世界であるにも関わらず公務員の人気は高い。日本のように安定して生活できるからではない。うまく世渡りできれば民間企業で働くのとは比べ物にならない良い生活ができるからである。
2021.01.27
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お父さんが子供の頃、トランシーバーというのは夢のおもちゃだった。映画やテレビの世界でしか見ることができず、一度は使ってみたいと多くの子供が思っていたと思う。 今のお前たちにトランシーバーと言ってもどんなものか知らないかもしれないと、書き始めてふと思ってしまった。考えてみれば最近は映画もドラマもみんな携帯電話で通話している。無線を使って会話しているのは警察、パイロット、タクシーぐらいか。 お父さんが夢のトランシーバーを手に入れたのは大学生の時だ。アルバイトをしてためたお金で念願のトランシーバーを買った。主な使用場所はスキー場だ。当時の大学生はスキーこそ冬のスポーツの代表だった。活発な学生でスキーをしない学生はいなかったのではないだろうか。 スキー場は基本的に山にある。そしてとても広い。スキーにも実力差があって、上級者コースから書深夜用コースまでさまざまあるので現地で別れてしまうことは多かった。そこで活躍するのがトランシーバーだ。お互いに連絡を取って食事の時など落ちあうのだ。 お父さんのトランシーバーは、スキー場で使うのを前提としていて、当時の通話距離は2Km程度だった。ただ障害物に弱くちょっと林間コースなどを滑っているとすぐに電波が届かなくなるレベルだった。それでもトランシーバーを持っているのはある種のステータスであり、気分が良かったのを覚えている。 電源は電池で、常に電源をONにしていると2時間から4時間で使えなくなるという今考えれば欠陥品レベルの性能しかなかったのだが。 一番活躍したのはスキー場の生き帰りだ。2台の車に分乗しているときなど、次のサービスエリアに入るよとか、お互いの車通しで共通の話題で盛り上がったりなどトランシーバーはとても便利だった。まあ通信距離が2kmしかないので、ちょっとお互いの車の位置が離れると通信できなくなってしまうのだが。 それに比べて今の携帯電話の生活は本当にすごいと思う。いつでもどこでもだれとでも好きなだけ通話をすることができる。さらにLINEなどのアプリを使い、文字情報のやり取りや画像のやり取りもできるのでスキー場でも車の移動中でも全く不便はなくなってしまった。 そしてトランシーバーは世の中から消えてしまった。携帯電話の劣化版なのだから消えるのは当たり前だ。お父さんが買ったトランシーバーも今はどこにあるのか、捨ててしまったのかそれすら覚えていない。確かなことは二度と使うことは無いということだけだ。 ただ携帯電話に比べて、あの無線機特有のノイズの入った声での更新はとても気分が躍るものだった。会話が途切れる感じも無線機ならではだった。今の携帯で音声が途切れるとイライラしかしないが、トランシーバーはそれもある種の仕様だった。 今少し検索してみたら、いまだにトランシーバーが売っていた。一般人がレジャーで使うことは無いだろうにと思うが、子供のおもちゃとしてはまだ需要があるようだ。ちょっとうれしくなった。
2021.01.26
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給与改定は、全従業員にとってその一年の、場合によってはその後の人生に大きな影響を与えるイベントである。だからそれに毎年携わっているお父さんはとても疲れる。自分の決定がその人の人生や家族の人生を変えてしまうかもしれないからだ。 お父さんの会社は、何度かこのブログにも書いているようにオーナー(株主)が経営しているオーナー企業だ。さらに言うと従業員が1000人以下の中小企業でもある。そのため、オーナー(社長や会長)にすべての権限が集中している。 また人数が少ないのでオーナーが高く評価した人物の給与はあっという間に増加していく。しかしながら評価が低い人物の給与は増加率が低い。これはそれなりのルールに沿って決められた昇給額に対して最終的に社長や会長が自分の主観で手を加えるためだ。 お父さんはこれによって、オーナー以外からの評価が高いのにオーナーからの評価が低いだけで給料が上がらない人を何人か知っている。実力を公正に評価されていないと思う人には、給与のことには触れないが「オーナーともっと仲良くなりなさい」「オーナーに良いアピールをしなさい」とよく言い聞かせているつもりだ。 だが残念ながら、彼らはお父さんと同じ立場になるまでは自分がどれだけ損をしているか気が付くことは無い。お父さんの上司で、若いころの愚行(オーナーにだけ態度を悪くしていたなど)を悔やんでいる人を数名知っている。まさか給与の査定で差をつけられているとは思わなかったのだろう、仕事の能力は高い人ばかりだから。だが立場が上になってそれを知るころにはすでに残りの社会人人生が終わりに近づいているのだから、後悔しても手遅れである。 オーナーに高く評価されている人が、自分が思っていたよりも数倍も給与で差をつけられていることを知ったときの衝撃は大きいと思う。お父さんは幸いなことにかなり若い段階でそれを知ったので、損害は小さいほうだと思う。 お父さんも部下を評価するときにはできる限り客観的に考えるようにしているが、主観が入らないということは無い。売り言葉に買い言葉で「俺は給与なんて安くてもよい、好きなように仕事をする」などと言って、お父さんの指示を聞かない人の評価をきちんとできているとは思えない。 まあ言ってしまえば「社会適応性」も仕事の能力の一つだと思っているので、技術的な能力が高くても社会適応ができていなければそうなるのも当たり前だと思っている。 上司の評価だけを気にしている人も、基本的には見抜かれているので評価が実際より大きく上がるということは少ないとは思う。ただし上司に媚を売ることは一定の効果があるとも思っている。学校のテストの成績ではないのだから、致し方ない。 ただお前たちに覚えていてほしいのは、意味もなく上司に逆らったり悪い態度をとるのは自分をとても不利な状況に追い込むことになると知っておくべきだということだ。上司というのは通常部下に対するかなりの権限を持っているうえに、主観を全く入れないで部下を評価する人などほとんどいないのだから。評価する上司もただの人間である。神様のようにはいかないということを覚えておいてほしい。
2021.01.25
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毎年旧正月前にベトナム工場の給与化提案を作成するのがお父さんの仕事になっている。経営陣の給与増加の総額や増加率のパーセンテージを確認し、草案を作ってはダメ出しを受けて再度作り直すことを繰り返している。まあ一年で一番睡眠不足になるうえに、責任重大な仕事だ。 さて給与の改定をして思うことだが、運がいい人や運が悪い人というのが必ずいるものである。技能評価の用紙が紛失していて正当な一年の評価ができていない人が出てきたり、最終評価の直前に上司と言い争っう人がいたり、最終評価の直後に大きな成果を出す人がいたりと、悲喜こもごもである。 お父さんの給料はお父さんが決めるわけではないので、お父さんも運のよい時や悪い時が結構あるのだろうなと、部下の給与改定をしていて思う。 まあ給与の改定は基本的に直属の上司の評価が最優先される。だから上司に逆らうのは愚策であるが、上司にアピールできないのももったいないと思ってお父さんは見ている。「あれ、この人はもっとできるはずなのに評価が低い」と思う人の上司評価を読むと「積極性に欠ける」というようなコメントがあったりする。実力があって、会社に貢献していても上司にそれを認識されなければ評価されないのだ。 お父さんは各上司の評価を集計してランクを決め、金額をあてはめていくので自分の直属の部下以外は評価をしない。だから普通の従業員の評価をすることが無い。ただ自分が評価をしていたころもいろんな見落としや見当違いもあったのだろうと思う。まあ自分もいまだに評価される身の上なので、お父さんの上で何が起こっているかはわからないが、お父さんの上司もお父さんと同じような悩みを抱えているのではないかとは思う。 各職場の評価を見ていてもう一つ思うことは、上司の求めるレベルによって同じ能力でも評価が変わってしまうことだ。評価は最終的にランク付けされて、各ランクによって昇給額が決まる。だから上司がAランクと判断すればAランクの昇給額になるし、Cランクと判断されればCランクの昇給額となる。 このランクが各職場ごとに大体同じバラツキであればそれほど問題視しないのだが、職場によって(お父さんは評価する上司によってと思っている)AやBが多い職場もあれば、C以下が多い職場もある。そしてC以下が多い職場の評価者は、その上司からの評価も低いことが多い。 とても面白い傾向だと思う。人の給料の問題なので面白いというのは不謹慎かもしれないが、部下の評価に低い人が多いということは、上司が厳しい評価をしていると同時に、上司が部下を育成していないと判断されるためだと思う。ある程度の職制になると、その人の評価は「個人の仕事能力」から「部下の、もしくは職場の仕事能力」へ変わっていく。 毎年部下の評価を低くつける上司は、部下を育成できていないと思われても致し方ないと思う。部下の成長記録が伸びていないからだ。部下も上司も不幸になる典型的な例を毎年見ているので、給与改定時期には評価をつける人を集めて、部下の評価をどのようにするかがあなた方の評価にもつながるからよく考えて評価をするように話はしているのだが、人間そう簡単に変わるものではない。 給与改定の仕事は、精神をすり減らすのだが、仕事の内容だけというより、人間性や性格をみてがっかりする部分で精神を削られる部分も多い。
2021.01.24
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子供たちが高校生や中学生になって、とても助かっていることがある。フォーマル(正装)で出席する場(結婚式や葬儀、法事など)に行くときに、子供たちの服を買わなくてもいいということだ。たとえ黒系でなくても制服であれば基本的には許されるので、とても楽だ。学生服万歳である。 タイトルの学生服廃止論というのはお父さんが学生の頃から延々と続いている議論だ。お父さんの意見としては、そんなものを議論する前にもっと大事なことが山ほどあるだろうというものだ。学生服のせいで子供の性格や行動が変わるわけでもなく、学生服が嫌いな人はこれからも嫌いだろうし、好きな人はこれからも好きだろう。 お父さん個人としては、学生服があるおかげでとても助かったと思っている。昔からお父さんはそれほどファッションに興味はなかった。だから私服で通う小学校時代は短パンにTシャツ、冬はジャージの上下というのが基本だった。 ところが中学生になると、色気づいた同級生は徐々にこだわったファッションをするようになる。休みの日に私服であったときのお互いの服装の違いは今考えれば笑えるぐらいだ。ものすごくかっこよくキメてくる友人もいれば、あまりにも適当な格好で来る友人までバラエティー豊かだった。 しかし笑っていられるのも好きな子ができるまでだ。中学生にもなれば付き合うとか関係なく、異性に興味が出てくる。表に出さなくても好きな子の1人ぐらいいるものだ。さらに周りからの評価が気になる時期でもあり、ファッションも自分を評価される一つの項目となる。 お父さんはファッションに興味はなかったが、好きな子から好かれたい、よく見てもらいたいという欲求はもちろんあった。そして自分にファッションセンスがないことも理解していた。ただ興味もないので無理して勉強しようとも思わなかった。 もし毎日私服で学校に通わされたら、多感なこの時期毎朝、もしくは毎晩着ていく服装で悩んだかもしれない。しかしながら、高校を卒業するまで学校に行く服装を悩むことは無かった。制服があったからだ。お父さんは中学と高校の6年間、制服のおかげで自分の苦手なことをする必要がなく助かったと今でも思う。 制服を買うのが高いとか、画一的に制服を着させるのは囚人のようだとか個性がつぶされるとかどうでもいい議論は昔から続いている。小学校の頃は、中学に行ったら学生服を着られるとわくわくしていた気がするが、今はどうなのだろうか。 お父さんの周りで「制服を着させるのはよくない」という意見は聞いたことがない、というより制服の有無が話題になったことすらない。だから制服を廃止しようという意見はとても少数派だとお父さんは思っている。何年も誰かが焚きつけているが、だれもその議論に乗らないからだ。ほとんどの人が「どうでもいいこと」と考えているのだと思う。 制服廃止論を唱えている人の真の目的がお父さんにはよくわからない。そんなに制服を着ることが嫌だったのだろうか。
2021.01.23
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小学生や中学生の頃は精神的に幼いので、面倒くさい人というのが周りにいっぱいいる。まあ単純に言うとわがままとかっこつけが混ざったような奴だ。高校生ぐらいになると、変にひねくれた人は周りから相手にされなくなるので、だんだんとその数が減っていき大人になるとほとんどいなくなる。 しかしながら、ほとんどいなくなるということは「少しはいる」ということだ。高校から大学、そして社会人への成長過程を経ても面倒くさいままの人間は、その先も変わるかのせいは少ない。だからこういう人は社会人を引退する時期になっても、おそらく退職した後も面倒くさいままなのだろうと思う。 今回お父さんが書こうと思うのは、自分が「人から求められている」ということを確認したがったり、そういう風に見せたいと思って行動する人のことだ。 こういう人は、例えば何かに誘われたときにすぐに「OK」とは言わない。まず自分がそれなりに忙しいからとか、あんまり興味はないんだけどみたいなことを言い出す。そして「どうしてもというなら行かないこともない」という回答が返ってくる。 この時点で誘った方は、心の中では「来なくていい」と思っているが、大人の世界では一応もう一押ししてお願いするのが礼儀というものだ。なのでそういわずに参加してくれというと、「わかった参加する」とは答えずに「ちょっと考えさせて」とか言ってくるのだ。ああ面倒くさい。 そして当日は当たり前のように来ている。それもかなりノリノリで。周りから「面倒くさいやつ」とさらに認定されていることを感じていないので、本人の言動はさらにエスカレートして「本当は興味がないんだけど、どうしてもと誘われたから」みたいなことを言って周りが苦笑いしている。 そもそも当日までにそういう人が「誘われたんだけどどうしようか?」「あんまり興味はないんだよね。」みたいなことを周囲の人に言って回っていることをみんな知っている。「興味ないならやめたら」と断言するような人のところには絶対に行かないので、本気で悩んでいるわけではなく、「どうしてもと誘われている自分」をアピールしているのだ。ああ面倒くさい。 面倒くさいので次の機会に誘わなかったりすると、さらに面倒くさいことになる。「どうして俺に声がかからなかったのかと」、そして「あんなものに参加するのは馬鹿だ」みたいなことを今度は言い始める。ああ面倒くさい。 お父さんは基本的にこういう人を「誘わない」主義だが、会社関係の行事だとそうもいっていられなくなる。そして自分より若い部下ならばこれも「業務命令」として無理押しできるが、年上だと上司だろうと部下だろうと、あなたがいないと盛り上がらないみたいなことを言って相手の望みをかなえてあげなくてはならない。会社というつながりがなければ絶対に関係を持ちたくない人にだ。 お前たちも早くこういう精神から脱してまともな人間になってほしいと思う。間違ってもこういう人にはならなように。やればやるほど「頭のおかしい人」と認定されて周りから相手にされなくなっていくから。
2021.01.22
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今年もまたこの季節がやってきた。ベトナム工場の給与改定である。今年はコロナ禍の影響でベトナム政府による基本給の最低賃金設定が更新されなかった。お父さんもあちこち情報をとったが、賃上げをしない会社、例年の半分程度の会社、例年通りの会社と様々な対応をするようだ。 給与改定は、ベトナム政府が発行する賃金表で改定が無ければ基本的に各社の裁量に任される。逆に言うと政府の改定指示は絶対に守らなくてはならないのだが。 お父さんは、ベトナム人の管理者の評価もするが、各部門の責任者から上がってきた従業員の評価表をまとめて、各個人の賃金改定額の草案を作るのが毎年の仕事だ。正直言って、一年間で最もめんどくさく、且つ責任の重い仕事である。 お父さんの草案をもとに、さらに上司がそれを確認して最終的に賃上げ額が決まるのだが、ベトナム人はお互いの給与を見せ合う文化なので、毎年トラブルが発生する。給与改定後の初の給料日には事務所の経理スタッフのところに長い列ができる。 中には泣きながら並んでいる人もいる。給与の改定額に不満がある人たちだ。通常ベトナムの給与改定では、政府指示による基本給の改定にプラスして、評価給を設定している。以前は基本給に評価給を織り込んで給与改定を行っていたが、10年ほど前から基本給と評価給を別で計算している。 ベトナム人はこの評価給が自己評価と合わなかったり、自分と同じレベルと思っていた同僚が自分より給与が上がったりするとすぐに理由を聞きに来る。最終決定をしている経営者のところにはいかずに経理に「間違いではないか」と確認に来るのだ。 お父さんも評価をしているからわかるのだが、自己評価と他社による評価では基本的に自己評価の方が高い。だから他社に評価されるとそのギャップに悩むのだ。そしてそのギャップが大きいほどに人間は仕事に対するモチベーションを下げてしまう。 お父さんも同じ人間として、給与買い手に不満を持たない年の方が少ない。特に上司から来年の給与は頑張るから期待しても大丈夫などと言われた年の給与が例年通りやそれ以下の昇給になっているときは、その程度の評価ならまじめに仕事をするのが馬鹿らしいと感じて、しばらくはやる気がなくなる。 自分がそうなのだから、ベトナム人の気持ちはよくわかる。そして給与改定が行われた翌月は人がよくやめていくのだ。実際は正当に評価されなかった優秀な社員が混じっているのかもしれないが、お父さんにはどうすることもできない。縁が薄かったとあきらめるしかない。 さらに給与改定をルールに従って草案を作っているお父さんに、上司からこの昇給分をどうやって売り上げや利益に対して吸収していくのかよく考えろと言われる。もちろん給料が上がって会社の支出(人件費)が増えた分、売り上げをあげたり経費を節約して利益を確保しなければならない。 ただしこれを上司に言われるとはっきり言って腹が立つのだ。「お前の仕事でもあるだろう」と。まるでお父さんが給与のUPを上司に提案して勝手に給与を改定したような言いざまを毎年言われているとわかっていても精神的に疲れるものだ。 給与改定が終わるとベトナムはテト(旧正月)の長期休暇に入る。お父さんも早く給与改定を終わりにしてゆっくり休みたいと思う。
2021.01.21
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お父さんは最近ライトノベルというものを結構読んでいる。前にも書いたが仕事でいろいろ疲れた頭に思い内容の小説は合わないのだ。若い頃はエンジニアとして単純に技術的なトラブルに対する悩みが多かったが、それなりの地位に上がってくると小説ほどダイナミックではないが、重めの人間関係や社会的な問題の悩みが多いからかもしれない。 その点ライトノベルと言われる小説は基本的に若い人向けに書かれている。だから小説の登場人物も学生や新入社員など若い人の設定が多い。こういう小説はいわば昔のアルバムを見ているようで、なつかしさを感じさせる小説としてお父さんとしては読みやすい。現在の悩みやトラブルを思い出させるようなことがほとんどないのだ。 さて先日読んだライトノベルに、「集団の空気を読む」ことで思春期の若者が悩み続けるものがあった。内容的にもお父さんが若いころ経験しているだけに共感できるものだった。 集団の空気というのはいつの時代も、大人になっても存在している。だから大人になったからと言って、空気から解放されるわけではない。 しかしながら大人になると若いころほど集団の空気に影響を受けなくなるのは確かだと思う。理由として、若いころの集団の空気を気にしてとった行動で「損をした」という経験を重ねてくるからだとお父さんは思っている。 お父さんも昔は中学生だったり、高校生だったりしたので集団の空気に合わせて意見を言ったり行動をしたりした経験は山ほどある。しかしながら今考えれば一体それに何の意味があったのかとバカバカしく思えるものが大半である。まさに甘酸っぱい青春の思い出でしかない。 また思い出の中には集団の空気に流されてとった行動によって、自分や他人を傷つけてしまったつらい思い出もある。いじめなどはその筆頭だろう。お父さんはいじめられることもいじめることも経験してきている。 集団の空気を読むということは、社会人として生きていく上ではとても重要な能力である。「空気が読めないやつ」はどの年齢でも存在するし集団からはじかれてしまう。 ただし、若いころのように何が何でも空気を読んで合わせるということを大人はやらないだけだ。つまり「はじかれてもいい集団の空気には合わせない」のだ。こちらにも選択権があるという当たり前のことができるようになっているのだ。 若いころにどうしてあんなに周りの空気に合わせようとしたのか、今になって考えると不思議になるくらいだ。ただ思春期にはやはりそのような経験をすることが大事なのだろうと思う。そこで空気を読む練習をして、実際に空気を読んで行動して、その結果がどうなるかを体験する。きっとそれが大人になるための成長過程なのだと思う。 学生の頃は、周りの仲間が世界のすべてだと感じている。仲の良い友達とは一生関係が続く気がするのだ。しかし大人になるとそれが幻想であることを知ることになる。お父さんが50歳を前にして連絡を取り合っている小学校と中学校の同級生は2名だ。そのうち1名は高校も同じだった。 高校卒業で別れた仲間は、まだ数名連絡を取り合っている。と言っても年に数回だ。コロナ禍のせいで2020年は学生のころの仲間とは一人も合わずに終わってしまった。 仕事上で仲の良い人も、仕事を引退してしまえばほとんど付き合いがなくなる。お父さんが一緒に仕事をして仲良くなった人はたくさんいるが、いまだに年賀状などつながりがあるのは10名ぐらいしかいない。お父さんが特別に仲間が少ないのかもしれないが、生まれ故郷、ようは地元で就職をして地元で暮らしていない限り、こんなものではないかと思う。 若いころの空気を読むという同調圧力は、大人になるための通過儀礼だと思う。だからもし今お前たちが集団になじめなくてつらい思いをしていたとしても、集団になじむためにつらい思いをしていたとしても大人になるための勉強だと思って頑張るしかない。 一つだけ言えることは、あまりにもつらかったら同調をやめてしまえということだ。空気を読んで頑張っても将来良かったと思えることはあまりないとお父さんは断言できるから。
2021.01.20
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お父さんは職場でお母さんの話になると、結構お母さんの悪口を言っている。と言っても憎いとか嫌いとかではなく、相手にされていないとか怒られているとかそういう内容だ。お前たちが子供のうちは、こんな話を聞くと、お母さんを悪く言うなんてひどいお父さんだと思うかもしれない。 日本の文化(昭和生まれのおじさん限定かもしれないが)には、自分の伴侶(お父さんから見たお母さん、お母さんからみたお父さん)を謙遜して悪く言うというものがある。素敵な奥様ですねと言われて「はいそうです」とは言わない。もちろん妻側も「素敵なご主人ですね」と言われて「はいそうです」とは言わないものだ。 実際の夫婦仲が「悪い」と自他ともに認めるような夫婦でない限り、普通の夫婦は「仲が良い」という前提条件があっての文化である。だから夫や嫁の悪口を雑談の中で聞いていても、「だったら離婚すればいい」という人はいない。伴侶の悪口は「のろけ」の一種なのだ。 しかしながらこれが文化として通じるのは「日本国内の日本人」だけだということを覚えておかなくてはいけない。海外でももちろんだが、日本国内でもこれを外国人相手にやると「ひどい人」と認定されてしまう。隠れて伴侶の悪口を言う最悪の人になってしまうのだ。 国によっては積極的に人前で、自分の伴侶がいかに素晴らしいかを話さなくてはならないところもあるようだ。 さてお父さんの部下にY君という人がいる。彼は数年前にベトナム人と結婚して子供もいる。彼自身は生粋の日本人であるが、会社の仲間(日本人のみ)で飲み会などで家族の話などになっても、妻の悪口を一度も言ったことが無い。 正直言って、Y君の妻は状況だけ見ると束縛が強いのにY君をないがしろにしているように見えてとてもお父さんとは合いそうにない。 だからY君が奥さんの愚痴を言っても、「まあそんなもんだよ結婚なんて」と、お互いに笑って話すことは特に問題ないと思っている。 しかしY君は、どんなに周りから「お前は奥さんに不満はないのか」と言われても、「ない!」と常に言い切っている。ある意味素晴らしいことだと思う。ただ国際結婚の大変さも感じる。 本来はお父さんがY君を見習うべきなのだろうと思うのだが、嫁の愚痴を言ってのろけるのも日本人としては楽しいので、当分Y君のようになれるとは思えない。
2021.01.19
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先日ある上司を含む数人でWEB会議を実施した。このある上司はお父さんが見ている限りとてもまじめな上司である。会社に対する忠誠心にしても、自分の仕事にしても会社の将来を必死で考えて頑張っていると思う。しかしながら少なくとも部下からのイメージは「信用できない人」となってしまっている。 理由は極めて簡単だ。「言っていることが日によって違う」ことと「部下の話を聞かない」の2点だ。お父さんも人間なので、以前の考えを変えるということはそれなりにある。だから部下への指示が以前と変化することは何回も経験している。そして過去に言ったことを忘れてしまって、過去の指示を訂正しないまま新しい指示を出すこともある。 だからお父さんも部下からすれば「言っていることが違う」に当てはまる上司だと思う。お父さんが今回話題にしているある上司と異なるのは、部下から「以前と違う指示ですが」と言ってもらえるかどうかにある。これはお父さんが、部下から見て「話を聞いてくれる上司」と思われているのだろうと勝手に思っている。 部下の話を聞かない上司と部下に思われることは、その上司の認識や判断が常に正しい場合には悪いことではない。なぜなら部下は心に不平を持ちつつも、上司の指示には従うので、判断が正しければ余計な議論をすることなく良い結果を得ることができるからだ。 しかしながら、部下の意見を聞かず(というより意見や訂正もしてもらえない)に間違った判断をした場合、部下からは「それみたことか」と思われてますますイメージが低下するし、もちろん良い結果を出すこともできない。部下も人間である以上10の情報を持っていても相手によってどこまでその情報を出すかは、相手に対する印象(好感度でもいい)で変わってくる。 そのために冒頭で書いたWEB会議はその上司の「意見発表の場」となっており、状況認識が違うとお父さんを含めた参加者が思っていたとしても誰も訂正などしない。まあ訂正したところで「どうせ聞いてはくれない」と参加者が思っているので致し方ないことだと思う。 結果として、参加者が「現実と異なる状況判断で決定された」と思っている上司の意見や指示は、積極的に実行されないことが決まってしまう。ひょっとしたら上司は実は本当に正しくお父さんたちが知らないでいる状況を知っていて、ものすごく正確で重要な意見や指導をしているのかもしれない。 だから部下が、「我々が認識してる状況はこういうものですが、それだと上司の意見は間違っていませんか」と言えば、その上司は実はこういう状況なのでとキチンと説明ができ、部下も納得して仕事が進む可能性は十分にあると思う。 しかしながら「どうせこちらの意見は聞かない」と思われているので、この上司に関しては絶対にそのような状況にならない。極めてもったいないことだと思う。会社としての損失である。 だいたいにおいて残念ながらこの上司との会議は、終わった瞬間に上司を抜きにした第二会議が始まるのが常だ。「あんなことを言っていたけどどうしようか」と。そこで上司の10の要求に対して2~3ぐらいでおしまいにしようと決まってしまう。部下が納得していないので、上司が指示に対して許容できるであろう最低限しかやらないということが、上司の知らないところで決定するのだ。 お父さんもそれなりの立場の上司なので、この状況は会社にとってとてもまずいと最近は思っている。この状況が会社にも自分にも悪影響を及ぼすとまで思っている。 しかしながら、現在の状況はここ数年でその上司が自らの言動で作り上げたものである。ただし途中からは部下の悪感情が拍車をかけている部分も大いにある。お父さんも拍車をかけた一人に入る。 この状況を覆すのに有効な手段をお父さんは持っていない。上司が自分の部下からの評価を理解して、部下に頭を下げたうえで、目に見えて態度が変わらない限り。しかしお父さんも同じ状況になって、部下に頭を下げて心を入れ替えろと言われたらできる自信はない。 だからこの解決策は絶対に実施されないだろう。まあ誰も上司に「あなたは相手にされていません。」とは言わないので、気づくことも無いだろうが。それよりも自分の指示が100%実施されないことで部下を無能と判断するかもしれない。ますます上司は部下の意見を聞かなくなるし、部下の心は離れていくという悪循環になる可能性の方が高い。 一度ついたイメージは社会においては地位が高い人ほど覆すのは難しい。そして知らないうちに孤立していってしまう。これはお父さんが今後生きていくうえでとても怖いと思うことの一つだ。自分を叱ってくれたり、注意してくれる人がいなくなってしまえば、死ぬまで気が付かづに終わってしまうのだろう。もうすでにお父さんもその状況にある程度なっている可能性も否定はできない。 人生とはそんなものとあきらめるには、まだお父さんは若い気がする。
2021.01.18
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先日久しぶりに恋愛小説を読んだ。高校生の恋愛を描いたライトノベルだ。最近重い内容の小説を読むと精神的に疲れることがあるので、ライトノベルはお父さんの息抜きにちょうど良い。 小説で扱われる恋愛は、やはり非日常的なものが多い。というか何となくつきあって、何となく仲良くしているではだれも読んでいて面白くないからだ。けんかして別れただけの話も面白くはない。だから基本的に恋愛小説は良くも悪くも劇的な出会いから始まって、すれ違いや勘違いを繰り返し、急に状況が変化して大団円を迎えるというのが王道だ。 お父さんも若い頃から恋愛をして、最終的にはお母さんと結婚した。しかしながら小説のような大恋愛をしたことは残念ながらない。 若い頃は恋愛に過度の期待を寄せることが多い。あんまり覚えていないが、お父さんにも理想の恋愛像都いうか、こんな人と恋愛して結婚したいというのがあったと思う。 最終的に結婚したお母さんが、理想の相手だったかと聞かれれば自信をもって答えられる。「そんなことはない」と。これはお母さんに対してお父さんが理想の相手だったかと質問をすれば、同じ答えが返ってくることだろう。 この年になって恋愛小説を読むと思うのだが、現実はいつまでも相手に対する恋愛感情(ドキドキしたりハラハラしたり)というのは続いていかない。結婚するとさらにそうなるが、恋人同士も長く続けば続くほど感情の起伏は小さくなると思う。たからといって、それで相手を嫌いになったわけではない。お互いに安心できる関係になったともいえるし、なれ合いになったともいえる。それがうまくいかなければ破局するだけだ。お父さんはそんな恋愛をして今に至っている。 お前たちがこれから恋愛をしていく中で、自分の恋愛もそうだが他人の恋愛を見ていても、「どうしてあんな人と付き合っていられるのか」と思うことがある。外見だろうが、性格だろうが何でもいいのだが、「自分だったらその人と付き合うことは考えられない」と言われたり言ったりするカップルを見ることになるだろう。だがこれは極めて普通のことだ。 割れ鍋に綴じ蓋ということわざを知っているだろうか。どんな人にもそれなりに相性のいい相手がいるとか、似た者同士(あんまりよくない意味で)のカップルだというような意味だ。ことわざにもある様に、自分に対してパズルのピースのようにピタッと会う人がそれなりにいるのだ。たとえほかの人から見たら相手としてあり得ない人であっても。 だからお前たちに合う相手というのも必ず世の中には存在するとお父さんは信じている。素敵な出会いがお前たちに訪れることを願っている。
2021.01.17
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今日のお昼ご飯にキノコの炒め物が出た。正確にはエリンギのソテーといえばいいのだろうか。エリンギを食べながらふと考えてしまった。キノコの菌は体にいいものなのか。どんな効能があるのだろうかと。 キノコとは言うまでもなく各種キノコの菌からできたものである。キノコの中に菌が含まれるのではなくキノコ自体が菌から出来上がっているのだ。だから菌を食べているとキノコを食べているは同義だと言ってよいと思う。 通常食用となる菌は体に良いと言われている。特に発酵食品を作る菌に関しては、腸内環境を整えるとか、善玉菌などと呼ばれて重宝されている。 乳酸菌からできた食品のCMでは、「直接腸まで届く」などと言っているので、イメージとしては口から摂取した菌が、腸内で善玉菌として腸内環境を整える役割を果たしているというところだろうか。 ところが、キノコに関してはこのような言い方をされるのを聞いた記憶がない。キノコは菌のカタマリのはずなのに、「腸内環境」とか「善玉菌」とかいうフレーズで売られていないのだ。「美味しい」とか「香りが良い」がメインで、せいぜい「健康に良い」とか言われるぐらいだ。 気になったので、キノコの菌の効能を早速調べてみた。その結果、「菌」に関して体に良いという話は見つけることができなかった。書いてあったのはすべて「キノコ」の効能だ。食物繊維が豊富とか、オルニチンがたっぷりとか、確かに健康には良いのだろうが「菌」は腸内に影響を与えないようだ。 以前同じような海外駐在の日本人に、「意識して発酵食品を食べることが、海外ではとても重要」と聞いたことがある。日本で食事をしていると、「納豆」「漬物」など無意識に発行食品を食べているので、腸の中に菌がいっぱいいるが、海外だと意外と発酵食品を食べない(自国文化にない発酵食品は美味しく感じるものが無いし、くさい)ので腸内の菌が減って胃腸障害を起こしやすいからというのが理由だった。しかし彼が食べるべきだと言った菌にキノコは含まれていなかった。 シイタケ、エノキ、シメジ、エリンギなどベトナムでも普通に売られているし料理にも使われている。しかしながらこれらを食べていても、菌を取り込んでいることにはならないようだ。いったいキノコというのはどういう食べ物なのだろうか。 お父さんが学者ならぜひキノコの「菌」自体の効能を調べてみたいところだ。
2021.01.16
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先日七草がゆについてちょっと書いた。お父さんは今までに何回か春の七草を暗記しようとして失敗している。何か覚えやすい方法はないのだろうかと思って調べたら、短歌(五七五七七)でリズムよく覚える方法があることを知った。 せりなずな ごぎょうはこべら ほとけのざ すずなすずしろ はるのななくさ(これぞななくさ) という覚え方を知った。というより思い出した。毎年のように七草が覚えられないと思って調べているということを思い出したのだ。おそらく来年も同じことをしているのではないかと思う。 毎年繰り返す時間ももったいないので、今回は休日を使ってもう少し詳しく調べてみた。そもそもここに出てくる春の七草をお父さんは知らないのだ。いやたしか大根と蕪があったということは記憶していたが、呼び方が違うのでどれがそうなのかすらわからなかった。 そこで今回は、葉っぱの形など含めて詳しく調べてみたのだが、驚いた。知らなかったことを知るというのは楽しいことである。 まずは蕪(かぶ)がスズナだということが分かった。どうして蕪をスズナ(鈴菜)というのかという説明の中に「蕪の形が鈴に似ているから」というのがあった。言われてみれば鈴に似ている。ここまで調べると少なくともスズナは蕪のこと、蕪の別名はスズナだということがだいぶ記憶に残るのではと思う。 次が大根だ。大根はスズシロの事だ。「清白」「涼白」「菘白」などの感じがあるようだが、ようは「白(白)」が大根の色だからだろう。蕪は赤かぶなどいろいろな色があるが、大根は基本的に白い色をしている。これも大根は白いからスズシロだと記憶に残すことができそうだ。 次はセリだ。セリは春の七草の中で唯一お父さんが食用植物としてピンとくる野菜だ。ただ我が家の食卓に出た記憶はない。香草の一つで香りが強いようだ。三つ葉のようなものかと思ったら、三つ葉もセリ科の一つだそうだ。実際にスーパーで売っている春の七草セット(七草がゆ用)ではセリとして三つ葉が入っているものもあるようだ。 ちなみにセリの画像も見たが、どこにでもありそうな草(水気のある近くならどこにでも生えているとも書いてあった)だった。 次にナズナだ。これは画像をみて驚いた。お父さんが子供の頃から「ぺんぺん草」と呼んでいたものだった。ぺんぺん草が春の七草のひとつで食べれるものだとは全く知らなかった。アブラナ科の植物ということなので、そう聞くと食べれるのだろうと妙に納得できた。 次はゴギョウだ。はっきり言って全くイメージができない。そんな草があるのかという感じだ。落語の寿限無と感覚としては変わらない。しかしながら調べて画像をみて驚いた。毎年我が家の庭に雑草として生えてきて抜いている草だった。 あれがゴギョウで春の七草だったとは。草の名前も知らずに抜いていたことにちょっと後ろめたさを感じてしまった。お母さんに「食べられる草だ」と言ってもおそらく料理はしないだろうと思うが。 さて次はハコベラである。もう名前だけだと植物なのかもわからない。なんなのだと思って調べたら、通常は「ハコベ」と呼ぶ草らしい。ハコベなら聞いたことがある。しかしながら本来は「ハコベラ」が語源らしい。今ではナデシコ科ハコベ属と「ハコベ」が正式名称のようだが、日本では古来ハコベラと呼んでいたらしい。 これも画像をみて驚いたのだが、我が家に雑草として生えてきていて、毎年抜いている記憶があるものだった。 最後がホトケノザである。何となく植物感はある、人それぞれだろうが。これも我が家に生えている雑草に含まれるのではないかと思って画像を見たら、案の定我が家の雑草仲間だった。とても美味しそうには見えないが、雑草としては抜きやすいので毎年生えてきてもあまり腹の立たない雑草だ。 そう思いながらさらに調べていくと、ホトケノザと呼ばれる植物は春の七草のホトケノザではなく、食用でもないと書いてあった。いったい何なのだ。 春の七草のホトケノザは正式名をコオニタビラコと呼ぶらしい。今度はコオニタビラコを調べてみた。ホトケノザはシソ科だったが、コオニタビラコはキク科となっていた。画像を見てみたが、あまり記憶にない草だった。しかしいろいろな画像の中に我が家によく生えてくる雑草の画像を見つけた。この辺は何が正しいのかよくわからない。 結局七草とは雑草と野菜の混合だということはよくわかった。ただ調べていた中でどれも「薬草」として一定の効果があるようだ。もちろんだからこそ七草がゆというものが存在しているのだろう。 最後に薬草としての効能を書いておくと、 セリ:解熱・整腸・利尿・食欲増進・血圧降下 ナズナ:利尿・解毒・止血・胃腸障害・むくみ ゴギョウ:食欲増進・二日酔解消・咳・痰・のどの痛み ハコベラ:腹痛・胃炎・歯槽膿漏 ホトケノザ:胃腸・食欲増進・歯痛 スズナ:整腸・消化促進・しもやけ・そばかす スズシロ:消化促進・胃もたれ・胸やけ・風邪予防・美肌 などの効果があるらしい。昔から正月のごちそうで疲れた胃腸を助けるために七草がゆを食べると聞いていたが、確かにどの草にも胃腸関係の効能が含まれている。 なかなか楽しい調べものだった。来年は春の七草を全部言えるようになっているとうれしい。
2021.01.15
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世の中に「偽善」とか「偽善者」という言葉がある。もちろんいい意味でつかわれることは無い。偽善は悪いことであり、偽善者は悪い人である。お父さんは別に善人だと自分を思っているわけではないが、もし偽善者と呼ばれたら悲しくなると思うほどには人をおとしめる言葉だと思っている。 本来は「偽の善」なのだから善行に見えて実際は善ではない行為を言うのではないかと思う。要は悪行をしているのに善行に見えるとかではないのだろうか。 しかしながら日本では、心が善でなければ真の善行ではないというような意味にとられることが多いような気がする。多額の寄付をした人に、悪いことをしたお金に違いないからあんなのは偽善だ見たいに使われる時も多々ある様に感じる。 ちなみに昔キリスト教関連の本か何かを見ていて、詳細はよく覚えていないのだが、「お金持ちの多額の寄付(財産の数パーセント)よりも貧乏人の少額の寄付(ほぼ全財産)のほうが神様は喜ぶ」というような言葉を聞いたことがある。 さらっと流して聞いていると「その通りだ」と思えるのだが、ちょっと自分にあてはめると簡単に納得できないという結論に達した。 例えば自分が収入がなくなり家族を養えない状態になったとする。この時にお金のない友人が本当の善意で1000円を恵んでくれたとする。しかしながら1000円では自分の状況はほとんど変わらない。気持ちはとてもうれしいと思うがそこまでだ。 ところが評判が悪く自分も嫌っていた人が、100万円をポンと出してくれたとしたら、お父さんはおそらくこの評判の悪く自分も嫌っていた人に猛烈に感謝をすると思う。おそらく一生感謝をし続けるだろうし、悪評をひっくり返すのに力を尽くすと思う。 たとえこの100万円が、お父さんを助けることによって自分の悪評を少しでも良くしようという意図で行われた(ある意味偽善行為)であったとしても、実際にお父さんが救われたことには変わりがない。だからお父さんが感謝するのは間違いない。 だからお父さんは心根がどうであろうと相手が感謝するのであれば善行は偽善にはなりえないと思っている。神様から見たら心根はとても大切である。お金がなくても必死で神にささげモノをするのは大事なのだろう。しかし、家族が飢えているのにそれを無視しても神様にささげモノをするのが本当の善行と言えるのかはよくわからない。 善の心もなく、誰も助けない、誰も感謝されないような行為を善行に見せかけるのは確かに偽善と呼ばれるのかもしれないが、善の心があるか、誰かを助けるか、誰かから感謝されるのであれば、それはすべて善行と呼んでいいのではないかと思っている。 偽善という言葉は実際には対象に対する僻みから出てきている場合がほとんどだと思う。神様視点でない限りは。
2021.01.14
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お父さんは毎日のように宿題だテストだと勉強を強要される子供たちを見ていると、学生というのもある意味大変だなと思う。なぜならお父さんを含めて社会人には家でやるべき宿題というのはほとんどないし、学力テストなどというものもほとんどない。 一番大きな違いは、週末や長期休みに宿題がないことだ。休みは休みであり、宿題をしなくてはならないということはほとんどない。 お父さんも学生時代宿題をやるのは嫌だったし、長期休みの宿題を計画的にやった記憶は全くない。いつも長期休みのぎりぎりまで宿題をやらずに一夜漬けでこなしていたことを思い出す。 だから冬休みの終わりに宿題に追われているお前たちを見て、ああ社会人は楽だなととてもいい気分になれる。 学生が勉強するのは、建前としては「社会に出ていくための知識を身に着けるため」だが、学生にとってはテストで点を取るためであり、入試に合格するためであることが多い。宿題などは先生に怒られないためという学生がほとんどではないだろうか。 上にも書いたが社会人にはこれをやってきなさいという宿題はほどんどない。たまに家でもやらないと間に合わない仕事があって、週末を使って時間を取り戻すことがあるぐらいだ。 しかしながら、仕事で必要なことを勉強することは多々ある。いや社会人になって勉強をしない人は進歩が止まることさえあると言っていいかもしれない。 仕事で必要な知識は基本的に仕事をしながら覚えるのだが、それでは自分たちの先輩達が覚えている知識以上は手に入らない。だから若い社員に限らず上司になっても、本を読んで勉強をしたり、講習会に参加したりしながら自分の知識を高めたり広げたりするのだ。 社会人の勉強は、自分の仕事の成果に直結する。だから基本的には自分の仕事の分野の勉強が多い。まあ海外赴任のための語学の勉強は自分の分野とは異なるが。しかしながら赴任先の国の言葉を全く知らないと仕事にならないので、語学も仕事に直結する勉強だ。 結果として社会人の勉強の方が効率が良い。ベースの部分を自分の経験から理解しているので、他分野の人が見たら何が書いてあるかわからないテキストなどもそれほど難しく感じずに読むことができる。勉強したことをすぐに実践できる環境が整っていることが多いので、勉強もやりがいがある。 ただ一点だけお父さんが感じるのが、キチンと学生時代に勉強をしてきた人は「効率の良い勉強の仕方」を知っているということだ。同じテキストや本を読んでも、きちんと勉強をしてきた人は要領よく主要な知識を学ぶことができるが、きちんと勉強をしてこなかった人は前書きや目次、基礎項目を呼んでいるだけで脳みそが思考停止しているように思える。 お父さんは学生が勉強するのは、勉強の仕方を学ぶためというのも一つの重要な理由だと感じている。社会人は勉強を強要されることは少ないが、自分が成長し、周りから認められるためには勉強は不可欠である。 まだ学生のお前たちが今のうちに、勉強というものに対する向き合い方をきちんと理解できるようお父さんは祈っている。
2021.01.13
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お父さんのいるベトナムでは、結婚すると割とすぐ妊娠をする女性が多い。結婚とは子供を作るのが主目的という感覚もかなりあるのではないかと思っている。通常の夫婦は結婚すると1年たたずに妊娠することが多い気がする。 ベトナム工場がスタートしたとき、従業員は8割が女性でほとんどが18歳から22歳ぐらいだった。当然ほとんどの女性が見込んであった。それから5年ぐらいの間に結婚&出産のラッシュが続いてひどいときは従業員の20%ぐらいが産休に入っていた時もあり、仕事に支障が出るぐらいであった。 今は出産期を終えた女性従業員がかなりいるので産休者もかなり割合として減っているので、安心していられる。それでも常に一定数が妊婦として働いているか産休に入っている。コロナ禍の前なら全体昼礼で妊婦社員は後方の椅子に座っていたので、何人ぐらいが妊娠中かすぐにわかったのだが、コロナ禍のせいで昼礼をしなくなってから、見た目での把握ができなくなってしまった。 さてお父さんがベトナムで仕事をしている事務所では薬10人の女性が働いている。そのうち2名が妊婦となっていて、この1月に出産予定だ。 当然お父さんが9月末に工場入りしたときも妊婦であったし、見た目にも妊婦だということがわかるぐらいにはおなかが大きくなっていた。 それでもそこからのおなかの膨らむ速度はそれほど早いとは思わなかった。お父さんも末の次女が生まれてからもう12年弱経っているので、お母さんが妊婦だった時代の記憶がだいぶ薄れている。お母さんが妊婦だった時代にどのようにおなかが膨らんできたのか、どれぐらいが標準なのかは今となっては忘れてしまった。 ちなみに事務所の二人の妊婦は12月末ごろからすさまじいスピードでおなかが膨らみ始めた。彼女たちはバイクで出勤しているのだが、本当にバイクに乗れるのかというくらいにおなかが膨らんできた。そしてその速度が一月に入ってさらに早くなった。もう出産まで1週間ぐらいという。 おそらくおなかの胎児が相当大きくなっているのだろう。その成長速度もすさまじいものがあるのだと思う。 彼女たち2名の出産予定日は1日違いだそうだ。ほぼ同時に出産する予定だ。そして2人とも今は見た目にバランスが取れないほどにおなかが膨らんでいる。 この速度で胎児が成長していったらおなかが破裂するのではないかと思えるぐらいだ。2人とも経産婦だから、本人たちは余裕で仕事をしているが、お父さんは気が気ではない。 今週で彼女たちは産休と育休に入る。早くても仕事復帰は3月末ぐらいの予定だ。無事に生まれるように願いながらも、おなかの成長速度、胎児の成長速度に目を見張っているところだ。 お母さんも3回もこれを繰り返したのだと思い出しているところだ。まあ自分の妻や子供の場合、ゆっくりと見守る余裕はほとんどなかった。 こうして出産間際の妊婦さんを見ていると、父親として当時自分もいっぱいいっぱいだったのだろうと思うとともに、お母さんも大変だったのだと改めて思う。
2021.01.12
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お父さんはベトナムでは会社の寮のようなところに住んでいる。寝室というか1部屋は自分専用で与えられているが、食堂は共同、シャワールームもトイレも共同である。お父さんは学生の時も社会人の時も寮生活を経験しているので、この半分プライベート保証生活も特に苦痛ではない。 ただ5人でトイレが一つ、シャワーが2つなのでタイミングが重なると少し待つ必要があるのがちょっと不便なところだ。 さて今回お父さんが書きたいのは「人間て面白いな」と思う習性についてである。その習性とは、トイレやシャワールームなど複数ある場合、人間は意外と意識的なのか無意識的なのかわからないが、同じ場所を使うということだ。 例えばシャワー室にシャワー室Aとシャワー室Bが並んでいるとする。どちらも見た目も機能も全く同じであるにも関わらず、シャワー室Aを使う人はずっとシャワー室Aを使い続け、シャワー室Bを使う人はずっとシャワー室Bを使うというものだ。 ただし、シャワー室Aを使う人がAが使用中だからBを使うというシチュエーションはよくあるので、こだわっているわけではない。それでもAを使う人は、AもBも空いているときには必ずAを使う。お父さんもメインで使うシャワー室は決まっている。 女性はよくわからないが、男性なら小便器が並んでいるとき誰もいないなら、大体どの便器で用を足すかが決まっている。意識して選んでいるわけではないが、何となく同じ便器を使ってしまうのだ。お父さんが仕事中にいくトイレには小便器が2つ並んでいる。他の人が使っていない限り、お父さんは常に左側の便器を使っている。こだわりがあるわけではないが、何となくそちらばかり使ってしまう。 学生時代の水道などもそうだ。蛇口が5個ぐらい並んでいると、だれもいなければほとんどの場合同じ蛇口を使うことが多い。 何も機能が変わらないものがいくつも並んでいる場合、普通に考えれば毎回場所が変わってもおかしくないはずである。しかしながら人間は無意識に同じ場所を使うことが多いのはなぜなのだろうか。生物としての縄張り意識があるのだろうか。とても不思議に思う。 お父さんもそうだが、基本的に最初は無意識でやっているのだと思う。そしていつの間にかそこが「自分の場所」になっていくのだ。「銀の匙」というマンガで豚は最初に吸った母親のおっぱいをそれ以後ずっと吸い続けると書いてあった。ほかのおっぱいに移動させようとしても別のおっぱいでは飲もうとしないらしい。 このような行為は動物全般に当てはまるのかもしれない。考えてみると我が家の犬は家の中でお気に入りの場所があるし、家族でリビングのソファーに集まるといつも同じ位置にみんなが座っている。ソファーの座る位置を明確に決めたことはないにも関わらずだ。 お風呂に入る順番も我が家では何となく決まっている。長女⇒お母さん⇒次女⇒お父さん⇒息子が基本的な流れである。別に家族で会議を開いて順番を決めたわけではない。 このような行動を研究している生物学者などもいるのではないかと思うし、ひょっとしたらこのような行動に当てはまる言葉もあるのかもしれない。普段無意識でやっているが、よくよく考えてみると実に不思議なものだと思う。
2021.01.11
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お父さんが学生の頃、中二病という言葉はなかった。ネットから生まれた言葉なのでインターネットがなかった時代にそんな言葉があるわけがない。しかしながら中二病という言葉は無くても同じようなふるまいはたくさんあった。 お父さんもそうだったし、周りの友達も今から考えれば中二病になるなと思えることがたくさんあった。 さて息子は今中学1年生である。まだまだ小学生の純粋さを残しつつもだんだんと思春期に入ってきていることが見ていて面白い。 今回は息子の中二病的なふるまいをいくつか書いてみたいと思う。息子が大きくなったらまたからかえるし。 最近息子はいきなりのように音楽を聴くようになった。つい半年前までは全く興味もなかったにもかかわらず、歌番組を録画して何度も視聴したり、借りてきたCDを部屋で何度も聴いている。「俺は音楽に目覚めた。」「○○って歌はいいよね。」などとかっこつけている。とても面白い。それでいて、ちょっと歌って見ろというと、突然のように照れて「俺は聴くのが専門だから」といなくなってしまう。 おそらく学校で、友達とどんな曲を聴いているか話になって、まるで知らない世界を見てしまったのだろう。女の子がその話に入っていればかなりの衝撃を受けたと思う。お父さんの世代でいう歌謡曲、お前たちの世代ならJPOPだろうか。こうやって人は大人になっていくのだと思う。いろいろな曲を聴いて知っていることがかっこよく思えるからだ。 ちなみにお父さんもそうだったが、さらにカラオケという文化が学生に浸透したことで高校時代には、歌えるようになることがとても大事だった。部屋で何度もCDを聞きながら歌えるように練習していた日々を思い出してしまう。 思春期といえば、男仲間での地位確立と、女の子からよく思われたいという2種類の欲求がある。息子の場合、男仲間では運動もそこそこできるし、体格もよいのでそれなりにプライドを保てているのだと思う。歌もそのうちの一つだと思うが、努力をしている。そのうち本当に曲を聴くことが好きになっていくのだろう。 対して女の子からよく思われるということに関しては、自己評価的にうまくいっていないようだ。だからお父さんが「好きな子は?」とか「気になる子は?」とか「クラスのかわいい子は?」と聞いても、「俺は女には興味がない」といって話題をそらそうとする。 その発言と動作が「女の子に興味がある」ことを如実に表しているのだが、本人は気が付いていないようだ。ただちょっと弱気な時に「女の子と何を話せばいいのかわからない」とか言っているので、まだかわいさが残っていると感じる。 そのうちに着る服にもこだわり始めるだろうし、言動も少し変わってくるだろう。先日はニキビケア用の化粧品が買いたいと言えなくて、お母さんにドラッグストアに連れて行ってほしいと言ったものの何を買いたいのかをかたくなにしゃべらなかったと聞いている。色気づいてきた息子にお父さんもお母さんもほほえましさを感じている。 最近は髪型も徐々に気になっているようで、自分の髪質が良いのか悪いのか悩んでいるようだ。 この年頃はとにかく他人の評価が気になる時期だ。お父さんもそうだったから手に取る様に息子の気持ちがわかる。気になっているのに「俺は他人の評価など気にしない」とうそぶくのがデフォルトだ。 これからどんどん不安定になり、おかしく変わっていく息子の思春期を見るのが楽しみでたまらない。
2021.01.10
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お父さんが社会人になって20年ほど経っている。お父さんは普通の人より学生時代が長く、合計で21年間も学生をしていた。ようやく社会人期間が学生期間に追いついたところだ。ずいぶん長いこと学生をしていたのだと思う。 今回はそんなお父さんが学生と社会人の違いについて書いてみようと思う。 お父さんが大学生の頃、父親(お前たちのおじいちゃん)に「知識をどんなに身に着けたところで知恵がなくては意味がない」と言われていた。当時はあまり意味が分からなかったが、何度も何度も言われていたのでよく覚えている。 最近思うようになったのだが、父親が言っていた「知恵」というものが自分なりに理解できて来たと思っている。 いくら知識として知っていても、実際にそれを利用して世のため人のために使うには知恵(アレンジ)が必要だというのは確かに正しい。 料理の作り方を知っていても、包丁がうまく使えなかったり、調味料を必死で測っているようでは「料理ができる人」とは言えない。 知識として知っているのと現実にできるというのは全く違うということをお父さんもこれまでさんざん経験してきた。 学校の成績が優秀でも社会人になって伸びない人は結構いるものだ。逆に頭が良かったために現実の自分の状態を受け入れられずに鬱になる人もお父さんは見てきた。学歴が高くても、社会にでて仕事に行かせなければ意味がないのだ。 そもそも社会にでてわかることだが、学校で習ったことがそのまま生かせるのは「計算」ぐらいだ。社会に出れば「正しいと思ったこと」「人のためになると思ってやったこと」をしても怒られることが多々ある。いくら自分が正しくても周りがその通りに動いてくれるとは限らないし、理想の結果が出ることも少ない。 お父さんはお前たちのおじいちゃんとはちょっと違うフレーズでこれを表現している。「学生は学校で真理を学び、社会人は社会で現実を学ぶ」というのがお父さんの考え方だ。 お父さんは理系の学生だったので、物理的、化学的に世の中の法則を知っている。物理法則や化学の法則はいわば神様が決めたルールだ。ある意味絶対的に正しい。学生時代の実験でもその法則が正しいことを確かめてきた。 つまりは世界のルール(真理)を学んできたのだ。 ところが社会に出て仕事をしようとすると、技術的に理論的に正しくても思う通りの結果が出ることは非常にまれだ。学生時代に試験管の中や簡易化された理想空間でやっていた実験と異なり、様々な要素が複雑に絡んでくるからだ。 そこからは元の知識(真理)をもとに現実をどのように改善していくかの試行錯誤の連続だ。社会人としての最初の壁だ。ここで挫折して自分の学歴に縋りつくと、周囲からの評価は大きく下がり、鬱になっていく。高学歴の人ほど、というか自分は頭が良いと思っている人ほど陥りやすい罠だ。 お父さんは幸いに自分を馬鹿だと思っていたのでこの壁は普通に乗り越えることができた。 社会人に定期テストはない。代わりにあるのが人事評価だ。これも真理と現実の違いだ。どんなに正しいことをやってきたとしても、会社に利益をもたらしていたとしても人事評価が高いとは限らない。普段の態度やアピール、人間関係などによって人事評価は自己評価と大きくかけ離れていく。 お父さんも人事評価をするようになってから思うのだが、「運の悪い人」「要領の悪い人」というのは確実に存在する。人事考査の直前にミスをしたり、上司といざこざを起こす人が必ずいるし、上司が無能で部下を正当に評価できていなかったりと例をあげればきりがないほど世の中は理不尽にできている。 社会に出てしまえば学歴はたくさんあるアピールポイントの一つに過ぎない。学歴が低くても成功する人はいくらでもいるのだ。「知恵」を持っている人なのだろう。 ただし確実に言えることは、お父さんの経験上「高学歴の人の方が成功する可能性が高い」ということだ。要は多くの真理を学んできた人が「知恵」を使い「現実」に対応する方が、そうでない人よりも成功しやすいのだ。 お前たちはまだまだ学生として勉強している最中である。今はひたすら「知識」「真理」を学んでほしいと思う。もちろん現実にそのまま通じるものなどほとんどないが、学ぶという行為が目的で生きている貴重な期間である。将来のためにいっぱい学んでほしいと思う。
2021.01.09
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お父さんが若いころ、と言っても太ったと言われ始めたのは大学生ぐらいなので1990年代、そのころもダイエットは常に世の中の注目を集めていた。このころ一番効果があると言われていたのが、「マイクロダイエット」と言われるものだった。 マイクロダイエットとは、栄養バランスを考えた低カロリーのプロテイン飲料のようなものを食事の代わりに飲むというものだ。通常の食事をしていれば1食は500~800kcalぐらいなのに対して、マイクロダイエットは150kcal前後とかなりのカロリー削減になるダイエット方法だった。 また人体に必要な栄養素はすべて入っているということで、低カロリーだが人体に影響の少ないダイエットとして有名だった。 お父さんもマイクロダイエットをしたいと思ったが、ある理由によりあきらめた覚えがある。それが、マイクロダイエットにかかる価格だ。 お父さんの記憶が正しければ1か月10万円以上必要だったと思う。それぐらい高価なものだった。なのでお金に余裕がないお父さんたち学生からは、金持ちのダイエットと言われていた。そんな金を出すくらいなら節食して運動した方が安上がりで効果があると口々に言いつつ、マイクロダイエットにあこがれていたのを覚えている。 ただ一人お父さんの従兄弟が当時このマイクロダイエットをやっていた。彼はすでに社会人でそれなりの成功を納めていたのでマイクロダイエットを実践することができたのだ。確かに当時彼は痩せることに成功したが、今ではお父さん以上に太っているのが残念である。 さて2020年9月にベトナム入りしてから、お父さんはずっとダイエット(摂食と運動)をしてきた。しかしながら3か月以上続けた結果が体重変化ゼロというものだった。ただし1回にできる腹筋の回数も腕立て伏せの回数もふえたし、ゴルフの飛距離も伸びた。筋肉は増えたか強くなったりしたのだと思う。 それでも体重が減らないのはお父さんのダイエットに対する意欲をそいでいった。 11月ごろ、お父さんの元同僚に久しぶりに会ったのだが、以前はお父さん以上に太っていた彼が20kg近いダイエットに成功していた。びっくりするほど痩せて筋肉質になっていた。聞くとジムでトレーニングして痩せたという。食事もプロテインを中心に油や炭水化物を徹底して避けたという。 とりあえず筋トレをしているならプロテインを飲むとよいとアドバイスされてネット通販を探していたところ、昔あこがれたマイクロダイエットがとても安くなっているのを発見してしまった。 20年以上経つうちに、一か月2万円程度でマイクロダイエットができる世の中になっていたのである。 お父さんはかなり悩んだのだが、最終的にはポチってしまった。ベトナムにいることを考えて4か月分(1日一食の置き換え)を一気に購入した。そして1月4日から夕食を置き換えている。ただお父さんの仕事は結構会食が多い。1月6日にはすでに会食が一回あった。 そんなわけで今は緩めのマイクロダイエットを始めたところだ。効果がどれぐらい出るのかわからないが、運動も含めて継続していこうと思う。
2021.01.08
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大人になってからお正月は3キロ前後太る様になった。子供の頃は食べても太らない体質だったし、冬でも部活やその他で体を動かしていたので、正月休みで3キロも太ることはまずなかった。そのため正月太りという言葉は自分には関係ないと思っていた。 ところが、東北で正月を過ごすようになってから当たり前のように正月太りをするようになってしまった。年をとったせいで新陳代謝が落ちたことも原因だと思うが、一番の原因は東北の寒さだ。お正月に外出することがほとんどなく、初もうで以外は家に閉じこもって過ごすという東北の環境が正月太りを加速させることになるのだ。 お母さんは東北の出身なのでそれが当たり前らしく、お正月になるとびっくりするほど動かなくなる。日がな一日テレビを眺めながらぼんやり過ごしている。初もうでに行くことすらめんどくさがるほどにものぐさになるのがお母さんのお正月だ。 お父さんは昔から、休みの日は活動的に過ごすのが好きだったのだが、どんなにお母さんを誘っても「お正月は家でゆっくり過ごすもの」というお母さんの意思は変わらない。だからお母さん以外の全員が外出しようとしてもお母さんは拒否するということをお前たちも知っているだろう。 今年もお母さんはほとんど外出をしないで正月を過ごしたようだ。きっとだいぶ正月太りしたに違いない。お父さんは年末と2日にゴルフをして発散した。しかしながら結構年末年始は外食をして大量に食べたので、やはり2キロ強体重が増えてしまった。 これからダイエットをきつめに始めるところである。早く元の軽い体に戻りたい。
2021.01.07
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お父さんはお餅が大好きである。昔から正月には朝から晩までお餅を食べていた。高校生の頃など朝から10個ぐらいはお餅をお雑煮で食べていて、親からいい加減にしろと怒られていたものである。今でもお餅を食べるだけならかなりの数を食べられるのだが、悲しいことに餅を食べすぎると胸やけをするようになり、さらに今では血糖値の問題もあってきわめて控えめに食べるようにしている。 今年で5年連続のベトナムでのお正月を迎え、日本でのお正月を体験しない年がまた多くなってしまった。日本にいると年末にお餅を「お餅屋さん」に発注してお正月に食べるのだが、今年もあの美味しいお餅が食べられない。 残念ながら市販の袋入りのお餅を食べるのが精いっぱいのお正月を今年も迎えてしまった。 さてベトナム人は日本人のようにモチ米をついて食べることはしない。もち米の種類が少し違うのだろうとも思う。ただしもち米はおこわのような形で普通に食べている。祭壇などに黄色く染めたおこわが供えられるのもよく見る光景だ。 そのため日本人用のお餅は会社の神棚を飾る正月飾りやしめ縄と一緒に毎年送られてくる。ベトナムではお餅を食べる人がそれなりにいるのだが、自宅にいるときのように冷凍庫に切り餅が入っていて好きな時に食べるというようにはいかない。共通の冷蔵庫、共通のキッチンを使用するためだ。 だからお餅を送ってもらう時にお父さんは保存がきくように「シングルパック」のお餅を購入するようにお願いしている。わざわざシングルパックを指定するのは、年末になると安いのだがシングルパックになっていないお餅が結構販売されるからである。 大家族で一気に消費しない限り、すぐにカビが生えてしまうので、ベトナムでみんなが個々に食べるには向いていない。そもそも誰も開封しない。 ところが今年はついついシングルパックを指定するのを忘れてしまった。そして案の定、到着したお餅はシングルパックではなかった。毎年指定していても、それがないと安いお餅を購入してしまうのはベトナム駐在をしていない人たちでは致し方ないのかと思う。それにしても少しは考えてほしいと思うのだが。サトウ食品という会社が「つきたてシングルパック」として毎年お餅を売り出しているのをどう思っているのだろうか。 お父さんが小さい頃は、自宅でお餅をついていた。12月28日か29日にお餅をついて、鏡餅やあんころ餅、そしてのしもちを作って年末に切り餅にしていた。しかし冷蔵庫に保存していてもお餅というのはあっという間にカビが生える。よほどカビにとって繁殖しやすい環境なのだろう。 カビがいやで冷凍庫で保存すると、餅の周囲に霜のような氷がついてしまうのと餅の水分が失われて外周部が干し餅のようになってしまいひび割れてくる。鏡餅など10日以上神棚に乗っているので、1月11日の鏡開きの時にはひび割れた上にびっしりとカビがついていた。 情緒はなくなってしまったが、このカビを見事に防いだのがサトウ食品の「シングルパック」だ。常温で保存していても全くカビることがなく、いつでもきれいなお餅を食べることができる。お父さんは実に画期的な商品だと今でも思っている。調べてみたら、1983年(昭和58年)からシングルパックを販売しているとのことだ。きっと開発したのはお餅好きで、且つカビをとりながらお餅を食べるのが嫌いだった人たちなのだろうと思う。 2022年はベトナムでなく日本で正月を迎えたいと思うが、どうなることだろうか。でも日本からベトナムに送るお餅は、来年はちゃんとシングルパックのものを送りたいと思う。
2021.01.06
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我が家は実家でもそうだったが、結婚してからもお母さんが1月7日は七草がゆを作ってくれる。日本のお正月を締めくくる伝統料理だと言える。子供の頃は塩味で草しか入っていない七草がゆを食べるのが苦痛だった。 そもそも子供というのはあまりしたが発達していない。だから甘いとか塩辛いなどの単純な味覚のことが多い。それ以外の辛いとか苦いという味覚(辛いは痛覚らしいが)は子供の頃は「まずい」としか感じない。 塩味についても、薄味のものは基本的に美味しいとは感じないものだ。お父さんも子供の頃は塩味の薄いものは美味しくないと思っていた。ポテトチップスぐらいの塩味がないと子供は美味しいと感じないのだろうと今でも思っている。 そういう意味でお父さんの実家の七草がゆはほとんど塩味がなかった。味のしないおかゆを無理やり茶碗一杯食べさせられるので、1月7日の朝はなかなか食卓を離れることができずに苦労した覚えがある。とにかくまずいというより味がしないというのが当時の思い出だ。 さて大人になると、味覚がだいぶ発達してくる。苦みや辛味も美味しいと感じるようになるし、味が薄いものもそれなりに美味しく感じるようになってくる。 お父さんの場合は、お母さんの薄味に長年慣れさせられてきているので、味の薄い七草がゆも最近は美味しいと感じている。ベトナムにいるせいでもう何年も食べていないのだが。 ところが不思議なことにお前たちは小さい時からそれなりにあの味が薄い七草がゆを食べている。お父さんが子供の頃なら絶対に美味しいとは思わないであろう味付けにも関わらずだ。 だからお父さんが思う子供の舌は・・というのも小さいころから薄味になれているとそれなりに旨味を感じるのかも知れない。 今年もベトナムにいるせいで七草がゆを食べることができない。とても残念である。
2021.01.05
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お父さんは子供の頃からお餅が大好きである。血糖値が高くなってきてからあまり量を食べないようにしているが、健康で痩せていれば一日何十個も食べられるほどお餅が大好きだ。子供の頃は磯辺焼き(お父さんは海苔巻きと呼んでいた)が大好物だった。 正月になるとストーブの上に餅を並べてひたすら食べていた。 大人になってからは、お雑煮が大好きになった。まあ昔からお雑煮も好きではあったのだが。お雑煮が好きというのは、お餅をお雑煮で食べるのが好きという意味だ。お雑煮の具が好きだというわけではない。 先日から書いているが、お雑煮もお父さんの実家とお母さんの実家ではかなり違う。まずお持ちの大きさが違う。お父さんの実家のお餅は、名刺ぐらいのサイズで一般的にスーパーで売られているお餅と同じような形状だ。 ところがお母さんの実家のお餅はもっと細くて長い。断面が1.5㎝ぐらいの正方形で長さは7~8㎝ぐらいだろうか。お父さんから見ると特殊な細長いお餅だ。 そしてお雑煮の出しはともかく、具があまりにも違う。お父さんの実家のお雑煮はいたってシンプルだ。大根と里芋が少し入っているだけで、ほとんどがつゆだ。そこへお餅を2個~3個入れてとにかくお餅を味わうのがお父さんの実家のお雑煮である。餅好きのお父さんにはたまらない。 ところがお母さんの実家では、具が大根、ニンジン、ゴボウ、フキ、こんにゃくなどとにかくたくさん入っている。つゆよりも具がほとんどを占めている。そこにお餅を入れて食べるのだ。味は出汁が出ていて美味しいのだが、お餅を食べたいお父さんとしては、具の量が多すぎてお雑煮を食べている気がしない。お餅よりも具を食べることがメインのお雑煮だ。 結婚して初めてお母さんの実家でお雑煮を食べた時、どこにお餅が入っているのか見えなかった。それぐらい具でおおわれていた。お父さんはひたすら具を食べた。そして隠れるように入っているお餅を少し食べるといった感じだった。 何とかすべて食べきって、お父さんはお母さんに「具はいらないからつゆにお餅だけ入れてお代わりをもってきて」と頼んだ。ところがお代わりしたお雑煮には、一杯目と同様に具がたっぷり入っていてお餅の姿が見当たらなかった。こうなるともう文化の違いとしか言いようがない。 お餅をメインとするお雑煮の文化か、具をメインとするお雑煮の文化かだ。お父さんはお餅好きなのでお母さんの実家のお雑煮は美味しいけれどお餅が食べられない本末転倒のお雑煮だと言っている。しかしながら現在我が家は東北にあり、東北では具沢山が当たり前らしい。 よってお父さんはこれからも正月をお父さんの実家で過ごさない限り、具沢山でお餅ちょっぴりのお雑煮を食べることになる。 逆にお前たちがお餅メインのお雑煮文化の人と結婚したらやはり衝撃を受けるのだろうと思う。まあお雑煮は地方の特色がよく出る料理のようなので、もっと驚くべき違いを経験することになるかもしれない。
2021.01.04
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お父さんは東海地方、お母さんは東北地方の出身だ。なので昨日も書いたがお正月の過ごし方はかなり違う。お父さんたち夫婦のようにかなり離れた地域の出身者が結婚すると、家庭の違いだけでなく地域の風習の違いが追加されるので、結婚後はお互いに驚くことや戸惑うことが結構ある。今回はお父さんが驚いた話を書こうと思う。 まず年越しそばについてだ。お父さんの住んでいた東海地方でも家庭によって異なるが、お父さんの実家の年越しそばは「ざるそば」だった。そもそもお父さんの実家は基本的に温かいそば(かけそばなど)をほとんど食べなかった。だからそばといえばざるそばの事だった。 気候も温暖な地域なので、冬に冷たいざるそばを食べても違和感はまるでなかった。ところがお母さんにとってはそばといえば温かいそばが基本だった。だから結婚して食事にそばが出てくると基本的に温かいそばが出てくるようになった。 実際今でもお母さんはそば屋でも温かいそばを食べることが圧倒的に多い。東北地方では年越しそばはほとんどが温かいそばを食べるらしい。 さらにお父さんの実家とお母さんの実家では年越しそばを食べるタイミングが違う。お父さんの実家では夕食を食べた後に、締めのそばといった感じで年越しそばを食べる。時間でいえば夜9時ごろだろうか。お父さんが子供の頃は大晦日の夕食がそのままざるそばだったことも多い。 ところがお母さんの実家は、年明け前、正確には紅白歌合戦が終了する前ぐらいに年越しそばが出てくる。食べながら年が明けるような感じだ。つまり年越しそばを食べるには深夜0時まで起きていなくてはならない。なのでおまえ達が小さい頃は、大人だけで年越しそばを食べていた。 結婚してからは基本的に年越しそばはお母さんの実家に合わせている。住んでいるところが東北なのでお父さんも温かいそばでいいと思えてしまう。 ただお父さんの実家に帰省しているときは無論ざるそばが出てくる。お母さんにとってはやはり年越しそばの感じがしないそうだ。
2021.01.03
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お父さんは、東海地方の出身だ。お正月といえばお節料理やお雑煮など食事もお正月風になるが、お正月特有の遊びもたくさんした思い出がある。今回はお正月の遊びの東北との違いについて書いてみようと思う。 まずお正月といえば凧揚げだ。お父さんの生まれた地域はお正月でも普通の冬着を着ていれば、外で遊ぶことは何の問題もなくできる地域だ。朝氷が張っていたり霜が降りたりしていても、日が出てくればすぐに溶けてしまう。 お父さんのおじいちゃんが住んでいた家にお正月はいとこたちが集まるので、みんなで凧揚げをした。お父さんのおじいちゃんの家は海岸沿いにあり、海まで徒歩2分といった場所だったので砂浜にでて一人ずつ買ってもらった凧を糸がなくなるまで高く揚げて楽しんでいた。 さらに家の庭では羽根つきをして遊んだ。顔に墨を塗るということはしなかったが、羽根つきにはおばあちゃんやおばさんなど大人も参加して結構大掛かりなイベントになっていた。 家の中でもかるたや百人一首などで遊んだが、日の出ている限りは外で遊んでいたのがお父さんが子供の頃のお正月だ。 さて東北に移り住んで家族ができた。初めてお母さんの実家でお正月を過ごした時、お父さんはおもちゃ屋で凧を買った。長女と一緒に凧揚げをしようと思ったからだ。ところが家に帰るとお母さんからも義父母からも「凧揚げなんて寒くてできない」と言われてしまった。 長女を連れて近くの大きな公園で無理やり凧揚げをしてみたが、東北の寒風はお父さんの想像以上だった。風が冷たいのはしょうがないとしても、風が強すぎるのだ。幼児だった長女が強風にあおられる凧を保持できないほど強い風だった。 無理やりかなり高い位置までタコ糸を繰り出していったが、上空で暴れまくってとても楽しく凧揚げをしているという状態ではなかった。挙句の果てに長女に「寒いから帰りたい」と言われてしまい、泣く泣く凧揚げをあきらめて帰宅した。 そしてお母さんを含めた家族全員から「やっぱりね」と言われてしまった。 そんな状態なのでもちろん羽根つきもできない。お母さんの実家は年末年始は初もうで以外家から出ないのだ。では家の中で何をするのかというと、家族でコタツに入ったままテレビを見ているか、年によっては全員でジグソーパズルをするのが恒例だということだった。 サザエさんなどのアニメで子供たちが凧揚げや羽根つきをしているのを見てどう思っているのだろうか。東北は違うのだとあきらめているのかもしれない。 ちなみにお母さんがお父さんの実家でお正月を過ごすと、寒さが足りないのでお正月感が出ないという。住む地域によって正月の過ごし方はこんなにも違うものかと結婚当初は驚いたのを思い出す。
2021.01.02
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ついに2021年が明けた。日本は大寒波が来ているそうだが、ベトナムも最低気温が10度以下とベトナムとしては同じく大寒波が来ている。湿度80%での気温10度は、体感温度だと日本の氷点下と変わらない。手先がかじかんで動かなくなってくる。 しかしながらベトナムにはお父さんの手のサイズの手袋が売っていない。ゴルフの手袋はあるが左手だけなのであまり意味がない。 さて2021年と新しい年が明けたからと言って、なにが変わるわけでもないのだが、今年はコロナを何とかしてほしいと思う。国によってはワクチンの接種も始まっているので、少しは経済が動いてくれると期待している。 ちなみにベトナムにいるおとうさんはいつワクチンを接種できるのだろうか。ワクチンを日本に帰って接種したとしても、コロナに罹らなくなるわけではないので、ベトナム入国時にはまた隔離が必要になるだろう。ベトナムではまともに国民に摂取できるワクチンを手配していないので、鎖国状態はまだまだ続くと思われる。 今年のお父さんの目標は、仕事では工場内の設備更新関係と新技術の習得だ。創業から20年たった工場の古くなったり現在の要求に合わない部分を更新していくのだ。そして高齢の技術&技能者が身に着けている知識と経験を受け継ぐために、今よりも現場での仕事を増やそうと思っている。50歳を前にしての新技術はかなり習得が難しいと思われるが、エンジニア的に受け止めながら習得していこうと思っている。 家庭では、何をしようかまだ考えている。子供たちも成長してきて自分のことは自分でできるようになっているし、親と何がしたいというのは次女ぐらいだろう。さらに言うと、いつ日本に帰国できるかもわからない状態だから、家庭の件については一時保留だ。 ただ子供たちに家事をきちんと教えていこうと思っている。我が家はお母さんが全部やってしまうので、子供たちの家事能力が低い。特に長女は来年大学に合格できればあと1年と3か月で家を出てしまう。それまでに必要な家事の能力を身につけさせなくてはならないと思う。 何はともあれ、今年一年間また頑張ろうと思う。健康にも気を付けよう。そうだった、健康といえば今年からプロテインの1食置き換えダイエットをする予定だ。正月休み明けの4日から実施予定だ。きちんと効果がでて痩せるとよいのだが。経過はまたブログで書こうと思う。
2021.01.01
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