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現在次女は中学2年生である。来年は高校受験を控えた受験生予備軍になるのだろうか。長女と長男は、高校までは特に問題なく受験をこなしてきた。というより中高一貫の進学校に中学受験で入学した為、高校受験を体験していない。 しかしながら、次女は勉強が苦手だったので、最初から公立中学に進学した。そのため我が家では次女だけが高校受験をすることになっている。 できれば推薦などで希望校に入ってほしいと思っているが、そのためには普段の学校の成績が重要になってくる。ところがその成績がよろしくないので、お父さんとお母さんはかなり悩んでいるところである。 個別指導の塾にも入れているのだが、目立った成果は出ていない。次女は勉強を始めると、宿題でも塾でも、おそらく学校でもそうなのだろうが、脳のスイッチを切ってしまう。なので何を聞いても頭に残らない状態を小学生から続けてきている。勉強というものが本当に体に合わない人間もいるのだと、実感させられている。 しかしながら、次女は別に物覚えが悪いというわけでは無い。自分の興味のあることは親が驚くほどのレベルで覚えてしまうし、応用も問題なくできる。好きか嫌いか、興味が歩かないかで次女の脳は全く異なる働きをしている。 そんな次女に勉強を教えろと、お父さんに命令が下ったのは今年の正月である。次女が第一希望に決めた高校の受験問題を見て、これはヤバイとなったのが原因だ。来年までに国語、数学、英語の3科目をある程度の成績まで引き上げなくてはならない。 そこでまずお父さんは、英語を教えることにした。3科目を並列で覚えるのは次女の脳には難しい。英語は言語であり、もし次女がアメリカやイギリスに生まれていれば、普通に使えていた言語である。 とりあえず、読み書きをしないで、口頭で話しながら暗記をさせている。語彙力がなければ言語習得はどうにもならないからだ。中学生の英語は、母国語で英語を話す国民の小学校低学年レベルである。それほど難しいモノではない。 今は九九を覚えるように、人称代名詞の活用を覚えたり、動詞の活用を覚えたりしているが、予想通り意外とあっさりと暗記することに成功している。これを文章につなげていくのをどうしようか考えているところだが、意外とこの試行錯誤をお父さんは楽しんでいる。 次女の学年末試験で平均点を越えることがお父さんと次女の今の目標である。そこで目標を達成できれば、もしくは今までと違う手ごたえを感じてくれれば、数学もある程度はお父さんが教えることができると思っている。 問題は国語である。文法(動詞の活用など)は教えられるが、文章の理解力を教えることで高めるのはお父さんにはできない。できないと言い切ってしまったが、教え方を全く思いつかないのだから、おそらく頑張っても無駄だと思う。これだけは次女の感性で乗り切ってもらうしかない。
2024.01.31
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お父さんは子供の頃からことわざとか慣用句などを覚えるのが好きだった。子供の頃に買ってもらった学研マンガのことわざ辞典がバイブルだった。欄外のことわざまですべて覚えていた記憶がある。おかげで学校の授業では、出てくることわざを覚える必要など全くなく、とても楽だった。 その後ことわざのなかでも故事成語という物語付きのことわざが好きになり、いろいろな故事成語の物語を覚えた。矛盾とか漁夫の利など故事成語は面白い物語が多い。そんな中でもお父さんが好きな言葉が「人間万事塞翁が馬」という故事成語だ。 物語は、塞翁という老人の馬が逃げ、その馬が駿馬と一緒に戻り、その駿馬に乗った息子が怪我をし、怪我のせいで戦争に行かずに助かったという内容だ。不幸と思ったことが幸運に変わったり、幸運と思ったことが不幸に変わる物語である。 ことわざの意味としては、幸せも不幸も順繰りにやってくるとか、幸不幸は一時期の状態だけではわからないからあまり気にするなとかいろいろあるが、お父さんは、自分の人生と合わせて考えて、不幸と思ったことが幸運につながることが多々あるという意味でとらえている。 お父さんも50年以上生きているので、いろいろと不幸とか苦労とか負の出来事というのはそれなりに経験してきている。正直に言って、その時はひどく落ち込むし、とても辛い思いをしてきた。 ただし、その結果物事の見方が変わったり、精神的に強くなったり優しくなったりと、不幸や苦労は人間を成長させると理解できるようになった。 自分が成長したと自分で言うのはすこしおこがましいかもしれないが、幸せというのはあまり認識できないし、心の中に残らないが、不幸や苦労は結構記憶に残るものである。そしてそれによって、自分が変わったと認識できるものがいくつもある。 お父さんが、自分が大きく変わったと思っているのは、アメリカに留学して苦労したときだが、結婚から子育てなども苦労が多く、人間的に成長するというか、いろいろと変わったと実感している。 もちろん渦中にいるときは、なんでこんなにつらい目に合うのかと思うのだが、その不幸が過ぎ去った後には必ず良い形に変化して自分に有利になる環境や精神力、考え方などが残る。 自分の子供たちに、だから苦労をいっぱいした方がいいとはなかなか言えないのだが、子供たちが、学校などで悩んでいる姿を見ると、これでこの子はまた成長するのだなと思っている自分がいる。 不幸や苦労によって、心が折れてしまいダメになってしまう人も多く見てきたので、常に苦労するのが良いとは言えないのだが、乗り越えることを前提にして言えば、苦労は必ずその人の為に良い効果をもたらすと断言できる。 お父さんはこれからもいろいろと不幸に思うこともあるだろうし、苦労もするだろうと思う。それでも人間万事塞翁が馬だと思って頑張っていこうと思う。
2024.01.30
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先日の台湾総統選挙で、台湾人の投票率の高さがニュースになっていた。日本に比べて台湾は民主主義への意識が高いような報道があったが、お父さんは国民の生活が安定していることが原因の一つだとは思っている。政治の変化が生活に及ぼす影響の少なさなども、同じく原因の一つだろう。日本人は政治不信ではなく、無関心なのだと思う。 ではなぜ無関心なのだろうか。お父さんの考えは「誰がなっても変わらない」という意識が強いからだと思う。国政において、誰が総理大臣になっても、地元の選挙区で誰が当選しても、自分の生活が変化したと感じることがあまりにも少ない。 お父さんが生きてきた中で、選挙結果によって「大丈夫かな」と思うことが2回あった。1回目が、自民党が社会党と連立政権を組み、社会党の党首である村山氏が総理大臣になった時だ。社会党は当時、自衛隊を認めていなかったし、反自民党として革新というか左翼というか、それまでの日本の状態をほとんど認めていない政党だった。 いったいどうなることだろうと危惧したのだが、結局政権を取った社会党は、自民党の劣化版のような政治をしただけで、自衛隊も認めたし、労働者の権利をことさらに主張して経済を破壊するようなこともなかった。結果として日本人の生活が変わることはなく、変わったと実感することもなかった。 2回目の「大丈夫かな」は、民主党が衆議院選挙で過半数を取り、与党として政権を取った後だ。自民党や社会党などを離党した寄せ集めの政党だったが、1回目の時に大きな変化がなかったので、最初は大丈夫だと思っていた。 ところが経済政策も、外交政策も、防衛計画もすべてがひどいありさまだった。ただ自分の生活が大きく変わることはなかった。幸いなことに民主党政権は3年ほどで終わったので、致命的な被害にならなかったのではないかと思っている。 これが市長選や知事選などの選挙になると、自分の生活には全くと言っていいほど変化を感じたことがない。市や県が何をやっているかなど、ほとんど興味がないというほどに、誰がなろうと変化を感じることはない。 今目立っている知事と言えば、静岡県知事がリニアの工事を遅らせていることでニュースになっていることと、沖縄県知事が米軍基地の移転などで国の政策を妨害し続けていることぐらいだ。 おそらくこれによって静岡や沖縄の県民生活が大きく変化しているということもないのだろうと思う。 生活に変化がないのに、興味を持てとか、民主主義をないがしろにするなと言われても、なかなか難しい話だ。 ただしお父さんも「民主主義」は維持したいと思っている。ダメなところも山ほどあるが、日本の民主主義はそれなりに国をキチンと維持管理してきたと思う。 お父さんが思うもう一つの日本人が選挙に関心がない理由は、「政治」とか「民主主義」というモノの教育を全く受けずに大人になるからだと思っている。 小学校から高校まで、お父さんの時代に政治について勉強することはほとんどなかった。公民という社会科の科目で、選挙権の年齢や、被選挙権の年齢、議員の定数や議院内閣制の仕組みなどは勉強したが、政治学のようなものは一切なかった。 さらに言うと、民主主義を日本国民が獲得するまでの困難や事件の話もまるでなかった。政治にまるで興味をもたないようにする教育を受けてきているのだ。 今になって思うのだが、当時の日教組という組織は完全な左翼であり、教科書もそういう思想の元に作られていたのではないだろうか。ことさらに「憲法9条は世界の宝」みたいな教育を受けたこともその一つだろう。 政治というモノがどういうモノで、どういう思想、どういう手法などがあるのかをキチンと教育されていれば、政治に関心を持つ人は増えていくだろう。ただ左派が弱体化した今の日本でも、子供に政治を教えることをしているようには思えないので、政治家も役人もあまり国民に政治に詳しくなったり興味を持ったりしてほしくないのではないのかとも思える。 政治に関心をもたせる近道は、政治を教育することだとお父さんは思うのだが、おそらく大きな事件がない限りは、今の教育が変わることはしばらくないだろう。
2024.01.29
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次女と久しぶりに釣りに行ってきた。狙いはクリガニだった。1月半ばでも釣れると聞いて、一度やってみたかったが一人で釣りに行くにはまだ寒い。相棒が欲しくて次女を誘った。 ただし次女は気分屋なので、ノリノリで行くときもあれば、全く興味を示さない時もある。実に面倒くさいのだが、一度連れ出してしまえばそれなりにテンションが高くなるので、今回はまず次女を釣ることから始めた。 YOUTUBEで楽しそうにクリガニを釣っている動画をいくつか見せた。小さな子供が簡単に釣っている動画を見せたので、次女はかなりその気になってくれた。これで釣りで言うところの「誘い」はOKだ。 あとは餌に食いつかせるだけだ。次女に一番効果的なエサは「いくら丼」だ。ただしこのエサは非常に高価であるので簡単に使うことはできない。お父さんは事前に安くいくら丼を提供しているお店を釣り場の近くで探した。ネットと人脈を使った情報を兼ね合わせて、それなりに安いお店を見つけることに成功した。 クリガニたくさんゲットで、帰りはいくら丼という話に次女は完全に食いついてくれたので、無事に釣り上げることに成功した。まずまずの釣果である。お父さんもかなりやる気になった。 心配なのは本当に釣れるのかと、天候だ。寒さの中での釣りはお父さんや次女のような「つれないと飽きる」釣り人にはかなり酷だ。幸い天気予報だと晴れるとなっていた。ただし気温は5℃以下なので、寒いことには変わりない。 当日は予想通り寒い日だった。釣り場に到着すると風がかなり強めで体感温度は0℃ぐらいだったと思う。次女はさっそく「やめよう」と言い出したが、釣れれば気分が変わるので、無視して釣りの準備をした。 クリガニ釣りはお父さんも初めてだったが、いろいろと調べてはいた。魚と異なり食いついた瞬間に合わせる必要はないので、仕掛けを投入したら基本的に待つだけである。要はあまりやることがない。やることがないと、寒い。 クリガニ釣りのシーズン的にやや早いこともあって、結局全く釣れなかった。周りで釣りをしている人は、クリガニ釣りではなかったが、通常の魚もまるで連れていなかった。いつの間にか寒さに負けて周囲から釣り人がいなくなっていた。我々も結局なんの釣果もないまま、撤収を決めた。釣れなかった時の片付けはむなしいモノがある。 ただまるで釣れなかったので、道具もきれいなままだったし、手も汚れていなかった。それだけが救いだっただろうか。 帰りに次女にいくら丼を食べさせたが、あまりおいしくなかったようで、おなかが余りすいていないこともあったようで、少々食べ残していた。もちろんお父さんが無理して食べたのだが。 次女と出かけると、話が弾むので、3月ぐらいになったらもう一度リベンジしてみたいと思う。またいくら丼で釣ることができるだろうか。次女を釣り上げる方法も考えなくてはならない。
2024.01.28
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先日お父さんの会社が契約している会計事務所から電話があった。至急相談したい内容があるので、面会したいということだったが、電話では要件を言うことができないと言う。何か準備する資料とかないのか確認したが、とにかく1度来てくださいとしか言われなかった。お父さんの経験上、こういう時はろくな話ではない。なので最短で行ける日程を決めて会計事務所に顔を出した。 結果として、手続きをお願いしていた書類を滞留させて期限を過ぎてしまったという内容で、会計事務所のミスであった。ただ、それほど重要な要件ではなかったので、来年再度手続きをすることで話は済んだのだが、先方の態度がいつもと異なるのでとても違和感を覚えた。 普段お父さんが会計事務所に行くと、担当者が出てきて必要事項を打合せするのだが、その最中に大先生と呼ばれる創業者が顔を出すことが多い。その時の態度がとても不遜というか大物ぶっているのがいつもの様子であった。 ところが今回は全く顔を出さずに、替わりに今まで一度も出てきたことがない、後継者の息子が現れた。事務所に入ったときに、大先生の姿は奥に見えたのでいなかったわけでは無い。どうして息子が出てくるのか不思議に思っていた とりあえず要件は済んだので、謝罪も受けて帰ろうとしたとき、奥から大先生が出てきて簡単に謝罪をしてきた。実に決まりが悪いといった態度だった。普段通りに現れて、普通に謝罪をしてくれれば、大した内容ではなかったので問題ないと思うのだが、お父さんは帰り際の態度というか表情を見て、「謝罪するのがプライドに障るのだな」と感じてしまった。 お父さんの父親もそれなりに社会的地位を築いた人なのだが、自分のミスなどがあった時に素直に謝罪することができない人だ。年をとってからどんどんその傾向が強くなっていると感じる。自分を押さえつける人がいなくなってしまうと、人に気を使うことがなくなるようで、謝罪よりも言い訳が出ることが多い。もしくは、屁理屈で自分ではなく相手が悪いという話にまでしてしまうことがある。 結果として自分の印象を悪くしているのだが、本人はうまく乗り越えたという顔をしている。この認識の差は、その後の自分の人生に結構大きなマイナスとして作用するとお父さんは思っている。 実際に、人格者と言われていた人が、歳をとるにつれて評価を下げていく例はそれなりに見てきている。若い頃に評価が高いだけに、周囲が非常に残念がって話をするので、簡単に話が広がっていく。 結果としてその人に対する認識が変化し、対応も変わってくる。もちろん良くない方にだ。日本人は「君子危うきに近寄らず」なので、接触を極力少なくされてしまうことが多い。ネット用語でいうカットアウト(CO)とかフェードアウト(FO)というやつである。 お父さんも大先生や父親ほどではないが、会社内での地位はそれなりに持っているので、老いるにつれておかしくならないように気をつけなくてはならないと思うのだが、無駄なプライドというのは、本人が認識していないところで出てきてしまうこともあると思う。 気をつけようとは思うが、同じことをしてしまう恐怖は完全にはぬぐえない。
2024.01.27
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台湾の総統選と国会議員の選挙において、与党である民進党の候補が総統選では勝利したが、国会議員選挙では民進党は過半数を取れなかった。かといって第2党の国民党が過半数を占めることに成功したわけでは無い。中国ともアメリカ(西側諸国)とも仲良くやりましょうという第3勢力が一定議席を取ったことで、民進党も国民党も過半数を取れなかったのだ。 自民党が連立政権でないと政権を取れなくなった時期と同じ状態になっている。日本のマスコミは台湾市民のバランス感覚と言っているが、日本の国会で過半数をどの政党も取れない状態で、日本が良くなったという記憶をお父さんはもっていない。 なぜならば、政府がきちんとした舵取りをできなくなるからだ。法案を国会で通すために、本来やりたいことからかなりの譲歩をして、国会で過半数を取りに行くのが原因だ。 日本では現在自民党が過半数を取っているが、取れなかった時代に公明党と連立組んだせいで、いまだに足を引っ張られているとお父さんは思っている。 台湾は今、かなり厳しい状況にある。中国の台湾侵攻の可能性がある中で、国の行く末を決める国会が、譲歩ばかりで中途半端な決定をしていては、有事に何もできないままやられてしまう可能性があるとお父さんは思っている。 民主主義のウィークポイントがここにあると思っている。法律で決められたことをひっくり返して行動することが、民主主義国家ではできないからだ。 日本もある意味台湾と同じ状況で、周囲は中国、北朝鮮、ロシアと潜在的な敵国ばかりであるのに、沖縄の米軍基地の移転工事すらまともにできない状態に陥っている。 人間は平和が続くと有事を想像できなくなるとお父さんは感じている。いまさらに軍事活動を起こすわけがない、それよりも外交で仲良くという考えが出てくるのもわかる。人間は自分に都合の良い説明や説得を受け入れやすいからだ。 韓国も北朝鮮が本気で攻めてくるとは思っていないし、台湾も同様だろう。日本も北朝鮮や中国と戦争になることを想像している人は少ないと思う。ただ軍事行動は突然起こるのが普通である。 ロシアのウクライナ侵攻も、ハマスのイスラエルでも行動も相手の準備ができる前にやらないと成功の確率が落ちるのだから、ある意味常識的な行動なのだろう。 バランス感覚で総統選と国会の議席がねじれたようだが、これをバランスと呼ぶのが正しいとはお父さんは思えない。ねじれた状態が、国の行動によい結果をもたらす例をあまり知らないからだ。独裁的に進みすぎるのは問題だが、ねじれ状態は政治的に停滞を生むというのがお父さんの持論である。そしてその停滞は数年後に大きなマイナスとして国民に帰ってくるとお父さんは思っている。
2024.01.26
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台湾の総統選挙が先日行われた。現総統の蔡氏が所属する民進党の候補である頼氏が当選したが、日本でも大きなニュースとして扱われていた。選挙結果はともかくとして、投票率が71%と非常に高いことがニュースになっていた。 これをもって台湾は民主主義の意識が高いので、投票率も高いといった報道が各局で流されていた。実際に台湾の有権者が同様のことを言っているインタビューも放映されていた。 民主主義というか国民主権の国では、国の指導者を選挙で選ぶ。この権利を行使せず、投票をしないということは、主権の放棄ともとらえられるとはお父さんも思っていることである。日本にいる限り、お父さんも選挙の投票は欠かさずに行っている。 ただし、日本人が民主主義を軽んじているとか、意識が低いというのは正しいとはあまり思わない。もちろんそういう人も一定数いるとは思うが、実際は現状に大きな不満を持つ人がいないからだとお父さんは思っている。 台湾は、現在中国からの軍事侵攻を受けるかもしれないという状態に置かれている。また中国が軍事的にも経済的にも大国になってからは、様々な嫌がらせや脅しを中国から受けている。 中国寄りの国民党と、独立継続を訴える民進党のどちらを選ぶかは、国民の大きな関心事であるのは間違いないだろう。自分の国の未来が、もしくは自分の生活が大きく変化する可能性のある選挙なのだから、関心も高いし投票率も上がるのは当然のことだと思う。 消費税導入の時の投票率、郵政解散で自民党が大勝したあと、民主党に政権交代したときの投票率など「選挙に行かなくては」と政治に関心が強くなれば日本でも投票率は70%前後を記録している。 民主主義の意識がどうのという話ではないと思う。 ここ数回の選挙の投票率が低いのは、マスコミが自民党に対する政治と関係ないスキャンダルなどで非自民のキャンペーンばかりをしているので、国民が関心を寄せていないことと、野党の製作がまるではっきりせずに、こちらも現状の悪さばかりをただの悪口としてやっていることなどがあり、政治の変動という雰囲気がまるでないのが大きな理由だと思う。 後は憲法改正などの話が出た時に、与党もはっきりやると言わないし、野党も国民をバカにしたようなくだらない反論しかできないので、どうでもよいと国民が思うからだと思っている。 国民が生活に問題をあまり抱えず、国の行く末を心配することもない安定した状態(だと思ってる)だからこそ、投票率が低いのだ。 その証拠に、ほとんど生活に影響を感じない地方自治体の選挙(市長選や知事選)は、国政選挙よりもさらに投票率が低くなる。市長が変わっても、市議会議員が変わっても何かが変わったという印象をお父さんも持っていない。 地方選挙でもお父さんは投票をしているが、正直「誰がなっても別に変化はない」と思っている。民主主義に無関心というより、今の生活が継続することが確定しているのに、わざわざ選挙に行くまでもないというのが、投票率の低さに現れているのだと思う。 安定した生活をしている人に、民主主義の重要な行事だからという理由だけで選挙に行けと言ったところで効果は低いだろうと思う。
2024.01.25
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日本でもある程度プロスポーツはお金を稼ぐことができる。一般人から見たら、プロ野球のスターや、プロサッカー選手は莫大なお金を稼いでいると言ってもいいだろう。しかしながら、アメリカやヨーロッパのプロ選手は、日本では絶対に得ることのできない報酬をもらっている。 大谷翔平がどんなに日本で評価されて活躍したとしても、10年で1000億円の報酬(年俸100億円)は絶対に得ることはできなかっただろう。 お父さんには縁のない話だが、外国人の有名スポーツ選手は、何十億円も稼ぐようになると、結構な割合でトラブルを起こすと思っている。女性スキャンダルが最も多い気がするが、暴力事件や薬物乱用など刑事事件も起こす人がいる。 日本人スポーツ選手もそれなりにスキャンダルは起こしているのだが、海外の選手に比べるとその割合も、悪質性も低いとお父さんは感じている。単純に隠ぺい体質があるのかもしれないが、もう一つ理由があるとお父さんは感じている。 それが、日本人特有のなんでも「道」にしてしまう日本特有の文化だ。 日本には武道というモノが昔からある。武道とは武の道であり、道とは極めて行くことで武だけでなく人格などを育てていくという考えである。よって極めれば極めるほど人としても成長することが当たり前という考えになってくる。 大相撲で外国人の横綱がいろいろ問題を起こして、「横綱としての資質」を問われているが、日本人の横綱が問題を起こすことは少ない。これは外国人には「道」という考えがないからだとお父さんは思っている。 外国人にとって、相撲とは「強いモノが偉い」という単純なモノであり、そもそも大相撲の世界は、番付が上の力士が最も偉く待遇もよい。幕下以下の力士は一人前として扱われずに、付き人として十両以上の一人前の力士の世話をする。当然外国人力士も同じである。であるがゆえに、外国人にとって自分が関取になればわがままになるのが普通なのだ。 ところが日本人には「道」という考えが幼いころから何となく刷り込まれているので、立場が上がる程、人格を高めなくてはならないと考える。 これは近代スポーツでも同じような教育を受けていくので、野球でもサッカーでも日本人はただのスポーツではなく「道」を自他ともに求めていくのが常識になっているとお父さんは感じている。 最もわかりやすいのが、日本人スポーツ選手は道具をとても大切にするので基本的に自分の道具は自分で手入れするし、グランドや体育館に出入りするときに「礼」をすることだ。これはアジアであっても日本にしかない文化である。 外国人にとって、道具はただの道具であり、競技場もただの競技場である。よって道具の手入れを他の人にやらせるのも普通だし、グランドを整備せずに荒らしたまま変えることも普通である。道具や練習場に敬意を払えと言われても、そういう文化がないので意味がわからない。日本にしか住んでいないとあまり意識しないかもしれないが、外国人は道具を平気で放り投げるし、グランドにゴミを捨てるのも普通の行為である。 サッカーワールドカップなどで、日本人の観客がゴミ拾いをして帰るとか、選手のロッカールームがきれいに掃除されていることが世界で話題になるが、日本人にとっては「あたりまえ」、世界にとっては「専門の掃除人がいるのに無駄なことをしている」となる。これは何年たったとしても相互理解はできない日本独特の「道」という文化から来ているとお父さんは思う。 これからの世代はこういう考えから離れていくのかもしれないが、できれば残してほしいとお父さんは思う。息子や次女は体育館での部活をしているが、やはり出入りするときに礼をしているので、お父さんが生きている間は、まだ日本人の「道」の文化は残ってくれるとは思っている。
2024.01.24
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お父さんはエビが大好きである。小さい頃はエビフライが一番の好物だったといってもよいレベルだった。外食に連れて行ってもらったとき、エビフライがあればエビフライしか注文しなかった。 成長してもエビは好物になっていて、エビフライはもちろん、海老天、エビの寿司なども大好きである。 そんなお父さんであっても、この海老料理は好きではないというモノがある。それは鍋料理に入っているエビである。鍋料理だけでなく、汁物全般に入っているエビが好きではない。味が嫌いなのではない、不便が多すぎて嫌いなのだ。 海老は味だけでなく、見た目も華やかである。火が通って赤い色をしたエビが鍋の上に横たわっている姿は、目を引くし、食欲も増すような気がする。とにかく美味しそうで華やかな見た目は鍋に不可欠の材料とも言える。 見た目だけではなく、頭も尾もついたエビは、良い出汁が出る。エビが入っているのと入っていないのでは鍋の味は格段に違うといっても過言ではないと思っている。 ところが、エビが自分の取り皿(とんすい)によそわれてしまうと、一気に気分が下がってしまう。それはこれからエビと格闘しなければならないという、そして労力のわりにメリットが少ないことを知っているからだ。 鍋料理のエビは前述の通り、殻付き頭付で入っていることがほとんどである。いい出汁を出すには頭もついていた方が良い。しかし食べるときには頭を取って、殻も剥かなくては食べることができない。そして頭を外して殻を剥くには、手でエビをつかまなくてはいけない。 最初はエビが熱くて思うように殻を剥くことが難しい。冷えるまで待つしかないのだが、そうするとエビの味は落ちてしまう。 何とか熱さに抗ってエビを剥くのだが、今度は手がべとべとになってしまう。労力のわりにエビはそれほど食べる部分が多くはない。そして食べた後には頭、殻、尾などの食べられない部分が残ってしまう。これらを置いておくことができる皿でもあればいいのだが、あまりそういう店を見たことがない。大抵は自分の取り皿に残しておくか、さもなくばテーブルの上に直置きすることになり、見た目もよろしくない。 ちなみにお父さんはこのエビの残骸が嫌で、何度か家で鍋をするときにむきエビを入れたことがあるが、驚くほど出汁が出ない。結局むきエビは鍋に向かないという結論に達している。 鍋のエビを簡単に剥いて食べることができ、且つ残骸もきれいに処理する方法を確立できれば、その方法は一気に全国に広まると思うのだが、お父さんの足りない頭ではその方法を発明することは難しいだろう。誰か頭のいい人が簡単に作ってくれないだろうか。
2024.01.23
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2月から大学生は長い春休みに入る。最近の学生はとても心根が優しいし、社会に対する貢献という意識が強い。よって今回の能登地震への災害ボランティアに参加しようという学生は全国から能登に集まってくると予想ができる。 東日本大震災の時も、学生ボランティアも含め多くのボランティアが沿岸の津波被害で壊滅的な被害を受けた地域に集まった。本来ならば素晴らしい美談として語られるべきではあるが、被災地にいたお父さんはボランティアの問題を多く聞いている。 基本は美談にしたいので、マスコミではあまり報道されなかったが、災害のボランティアというのは、通常のスポーツ大会のボランティアなどとは違うということをもっと国民に伝えるべきだとお父さんは思っている。 被災地では、被災した人たちの衣食住が最優先される。そのためボランティアは衣食住を自分で準備することが求められる。普通に考えれば当たり前の事である。自衛隊も衣食住は自分たちで準備している。支援物資に手を付けたり、避難所で寝泊まりすることはない。ホテルなどを使う場合は、きちんとお金を払うだろうし、被災地に負担をかけないようにしている。 だが残念なことに、軽い気持ちでただ被災地にくるボランティアの中には、衣食住を被災地で準備しろと叫んで困らせた人たちが、少なくとも東日本大震災の時には存在した。さらに言うと、受け入れてくれた被災地や団体からの仕事を、ボランティアだからと自分の気分でやったりやらなかったりという人も結構いたと聞いている。 今後能登地震の被災地には多くのボランティアが訪れることになるだろう。今のうちにボランティアがどういうモノなのか、何を準備していくべきなのかなど、ボランティアの心得のようなものをきちんと報道してくれるマスコミが多くなってくれればと思う。
2024.01.22
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先日ゴルフ練習場にいたら、携帯に電話がかかってきた。通常の知り合いはSNSに着信があるので、何か緊急の要件かなと思って出てみたら、あるマスコミの電話アンケートだった。音声ガイダンスのモノであればすぐに切ってしまうのだが、珍しく相手が人間だったので、暇つぶしにアンケートを受けることにした。 主に能登地震に対する政府対応のアンケートと政治資金に関係するアンケートだった。どちらもマスコミとしては、「政府の対応が悪い」という結果を求めているのだろうと思う質問内容だった。 例えば地震対応で、「政府は多くの災害支援提案を断っているが、これが適切だと思いますか?」と、いかにも政府が災害支援を妨害しているかのような聞き方だった。 東日本大震災を経験し、周囲からも支援団体などの話を聞いているお父さんとしては、何でもかんでも受け入れるのは、かえって危険だし混乱を呼ぶということを知っている。ましてや世の中には支援に見せかけて泥棒などの罪を犯す人たちもいる。 善意であっても、勝手に行動されれば2次災害の危険もあるし、物資を送るだけでも誰がそれを受け取り分配&配送するのか管理する必要がある。受け入れ態勢ができていない状態で支援を受け入れることなどできないのは当たり前なのである。 つまり政府がやっていることは災害時のごく当たり前の対応であり、マスコミなどそれなりに情報を持つ人はこの事実を知っているはずなのだが、それを支援妨害をしている印象をもたせるような質問で聞いてくるのは、どうかしていると感じた。 政治資金の問題も、アンケートの質問はひどいモノだと感じた。総理大臣だからしょうがないとはいえ、岸田総理の対応が悪いでしょうと聞いてくるのだ。そもそもお父さんがある程度政治の事を知るようになった20歳ぐらいの頃から、政治家のパーティーは資金集めの常とう手段だったし、安倍派だけなくどこの派閥もどこの議員も当たり前にやっていることである。なぜ安倍派に特化してやるのかお父さんには意味が分からない。 というか、他の派閥や政党への調査をするべきとマスコミが言わないのは、たたけばすべてホコリが出ることを知っているからだと思っている。政治家全体の話ではなく、あくまで安倍派つぶしと、自民党の支持率ダウンのためにやっているとしか思えない。 そして毎回マスコミや野党が叫ぶ「総理は退陣すべきではないのか」という質問が含まれていた。本人に問題があったならともかく、所属政党が問題を起こす度に党首が後退していたら、とてもではないが政治などできないとお父さんは思っている。 日本ではマスコミが是々非々で報道することはない上に、政府寄りの報道もない。国民は常に政府批判の報道ばかりを聞いている。こんな国をお父さんは日本以外に知らない。中国や北朝鮮などの様に政府批判が許されないのは絶対にダメなのだが、もう少しまともにならないものかと、今回の電話アンケートでも強く感じた。
2024.01.21
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昨年の夏に、息子を志望校候補の大学のオープンスクールに連れていくために、北海道へ行った。大学見学だけでは寂しいので、当然観光もしてきた。小樽に行ってみたいという息子の希望に沿って、小樽に行ったときにパワーストーンの店に冷やかしで入った。そこは手相を見て、その人に合ったパワーストーンを選んでくれるというお店で、お父さんも手相を見てもらった。 その際に、会社経営をすれば成功するというようなことを言われたが、突然入った店で「独立すれば成功する」と言われても「ふーん」と思うだけで、特に気にしていなかった。それよりも人間関係で負のエネルギーを負いやすいと言われたことの方が気になっていた。実際にお父さんの仕事の何割かは人間関係の調整に割かれていたからだ。 今年の正月に、初詣に行った神社に手相占いの店が出ていて、次女がどうしても占ってもらいたいというので、お参りをしておみくじを引き、御朱印をもらった後に、参道に出ていた手相占いのブースに寄った。 そのお店は、生年月日、人相、手相を総合してみてくれるという占い師がやっていた。 次女の占いの内容がとても良かったことと、占い師の語り口がとても面白かったので、結局お父さんも含めて家族5人とも占ってもらった。結果から言うと、それぞれがそれなりに良いことを言われたので、気分は良かった。 ただそこで、小樽の時と同じく、独立すれば成功するということを言われた。逆に社員として働いていると人間関係でいろいろと板挟みになり苦労するとか、やりたいことを上司につぶされてうまくいかないということを言われた。実際に現在苦労していることが人間関係だったり、ここ数年、企画したプロジェクトや進行しているプロジェクトを止めるように言われたりして、それを覆すために資料作成やプレゼンなどをするというお父さんにとって無駄な時間を使う状態になっていたので、思わずぐらついてしまった。 占いで人生を変えるつもりはないので、じゃあ独立しようとはならないのだが、独立したいと思ったときには、おそらくあまり悩まずに独立していいのかなと今では思っている。まあ今のところ独立してやりたいことも思いつかないので、少し意識してみようとは思うが、しばらくは今の状態が続くだろう。 人生何が起こるかわからないし、悪いことを言われたわけでは無いので、ゆっくりと考えながら仕事を頑張ろうと思う。
2024.01.20
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2023年12月29日からお父さんの会社は年末年始の休暇に入った。12月29日から休暇に入るのは毎年の事なので、年末はいつも通り忙しかった。29日に最後の年末の掃除や正月準備をして、29日の夜にはお父さんの実家に向けて出発したので、本当にてんやわんやだった。 例年だと正月の休みは4日までで、5日から出社になるのだが、今年はカレンダーが6日・7日・8日と3連休になっていたので、5日だけ仕事をしてもあまり意味がないということで、1月8日まで正月休暇となった。12月29日から1月8日まで実に11連休というかつてない長い休みだった。 休暇が始まるまでは社会人になってから最長の休暇にウキウキしていた。何をしようかといろいろ考えた。ところが1月3日に自宅に戻った後は、1月4日から子供達は部活など学校関連のイベントがあり、家族全員が休みの日が無いことが判明した。 1月4日から8日までの5日間、暇なのはお父さんだけだと家族に言われる状態になっていた。 仕方がないのでお父さんだけでどこかに出かけようかとも考えたのだが、次女の試合や習い事の送迎や、長女の成人式の送迎など雑用はお父さんの仕事になっていた。 結局5日間、庭の手入れとか、ゴルフの練習などを空いた時間を見計らってちょぼちょぼやったほかは、何もやることのない5日間になってしまった。休日の無駄遣いである。ベトナム工場にいて5日間も休みがあれば、間違いなく旅行に出かけるのだが、日本ではそんなことはまるでできなかった。 休み明けに、会社で同年代の同僚に何をしていたかといろいろ聞いたが、皆同じようにやることがない正月を過ごしていたようだ。全員の感想は、「休みが長くてもあまり意味がなかった」というモノだった。 お父さんと同じように、同僚たちも休み前は「なんでもやりたいことができるのでは」とウキウキしていた。だが結局やることなど特になく(お父さんの住んでいる地域は冬に遊べる場所などない)、休みを持て余す結果となった。 人生思い通りにはいかないとわかってはいるのだが、実にもったいない長期休暇となってしまった。
2024.01.19
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2024年の正月は、日本では能登の地震から始まるという、非常にショッキングなモノだった。被害の範囲は広くないが、震源が陸に近いことから揺れがひどかったようで、家がつぶれてしまったり、山崩れが起きたりして家がつぶれ、閉じ込められて亡くなった人が多かったようだ津波も発生したが、津波による大きな人的被害は今のところあまりニュースになっていない。 東日本大震災の発生時、お父さんはベトナムにいたので直接に揺れを体験してはいないのだが、緊急帰国してからの電気や水がない生活は大変だった。子供が皆小さかったので、頼りにするというより面倒を見なくてはならず本当に精神をすり減らしていた。 なので今の被災地の映像を見ると、そのころのことを思い出すし、被災地の人の助けになればできることはいろいろとしようという気持ちになる。 ただし、これから書くことは極めて不遜かもしれないが、東日本大震災と今回ののと地震では大きな違いがある。一番の違いは、能登半島先端の被害が甚大な地域以外は、石川県も富山県も比較的被害が少なく、通常の生活にすぐに戻っているということだ。 能登半島の先端から金沢市内まで160kmほど、火災被害の大きかった輪島から金沢までは約100km、志賀町からは50kmほどで通常の生活ができている場所に出ることができる。 それに対して東日本大震災では、津波被害で壊滅的な打撃を受けた岩手や宮城の沿岸からそれなりに離れたお父さんの住む地域でも、停電はなかなか復旧しなかったし、東北移動車道は通行止め(緊急車両のみ可)、新幹線は2か月以上不通で物流がほぼ止まり、かなり長い期間不便な生活をすることになった。 沿岸の津波被害があまりにも甚大だったため、内陸部に救援や支援はほどんどなかった。ガソリンも届かないので、ガソリンスタンドは緊急車両用になり、一般人は一晩徹夜で並んで20Lほどのガソリンが手に入るかどうかだった。翌朝ガソリンスタンドが販売をするかは不明だったので、並んだのに買えなかったという状況も当たり前にあった。 それに比べれば、今回の被害範囲はかなり狭い。半島の先端と言うことで道路事情が悪く、距離だけでは判断できない不便さは多々あると思うが、電気や水などのライフラインや道路の復旧は東日本大震災に比べれば早いだろうと思う。支援も比較的早くからできている。マスコミは必死で政府など行政の不手際を強調するが、きちんとしれべればよくやっていることは理解できる。 今回の能登の地震の被害に対する対応を見ていると、東日本大震災の異常さがよくわかる。南海トラフ地震が起きれは、被害は東日本大震災を越えるといわれている。どんなに備えていても、個人の努力だけで被災後の生活をまかなうことはできない。 個人と行政の備えがどちらも重要である。ただ、できれば大地震は起きてほしくない。準備したけど無駄になったという状態が、一番国民にとって良い状態である。 最後に改めて、今回の地震で被害に会った人たちに哀悼の意を表するとともに、一日でも早い復興を願いたいと思う。
2024.01.18
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お父さんが子供の頃、年末の大きな行事として「餅つき」があった。親戚一同が祖父の家に集まって正月用のお餅をつくのだ。前日からもち米をといでおき、朝早くから大きな蒸し器で米を蒸す。蒸しあがったもち米を臼と杵で粘りのある餅になるようついていく。ただお父さんが物心ついた時には、祖父の家には最新式の餅つき機があり、それを使っていた。もちがつきあがると、まずは鏡餅を作る。熱い餅を丸めて鏡餅の形に作っていく。各家の神棚や床の間の分を作るので、結構な数を作っていたし、場所によって大きさも変えていたので、結構大変な作業だった。次にのしもちを作っていく。大きな板につきあがったお餅を乗せて伸ばしていく。角餅の形に切るのは2日後ぐらいだ。ここまでは子供は見ているだけで手を出させてもらえなかった。最後に祖父の家では餡入りの餅を作っていた。餡子も前日から用意していて、つきあがったもちで餡子をくるむのが子供達の仕事だった。作った先から食べていたので、よく怒られたものだ。 さてこうしてできたお餅は、鏡餅は神棚などに、角餅は冷蔵庫に、餡子餅も冷蔵庫だった気がするが、それぞれ保管されていた。今は市販品のお餅が1個ずつフィルム包装されているので、常温に放置していてもカビが生えることはない。 しかしながら昔は正月の3が日が過ぎる前から鏡餅はカビが生え始めていた。冷蔵庫で保管している角餅も1週間ぐらいでカビが生え始める。正月明けの餅はカビとの戦いだった。さらに言うと、放送されていない餅はどんどん乾燥してくるので、割れていく。その割れ目にできたカビを取るには割れ目に沿って餅をきらなければならない。そんなことをすればお餅が小さくなってしまうので、割れ目のカビは無視していた。 よって正月明けの餅はかび臭い香りと味がするのもお父さんにとっては当たり前だったが、無論美味しいわけでは無い。カビが一番ひどいのが、鏡餅だ。1月11日の鏡開き(鏡餅をおろして、皆で食べる)まで、ずっと外気にさらしっぱなしになっているので、あちこちひび割れている上に、カビだらけになっている。これを無業息災の為とかで無理やり食べさせられるのが、子供の頃は一番嫌だった。 今は祖父の家での餅つきもなくなり、鏡餅はスーパーなどで売っている鏡餅の形の樹脂の中にお餅が個別包装されてはいっているモノを用いるので、カビと戦うことは無くなった。角餅に関しては、いまだに1升分だけ業者がついた餅を購入しているので、カビが生えるが、鏡開きでは鏡餅のなかの餅を食べるので、カビが生えていることはない。 ただ大人になって思うのは、あのカビだらけの鏡餅を割って、ついたカビを包丁で削り落としながら(本来は鏡餅に刃物をいれることは良くないとされている)、カビだらけの鏡餅を食べるのも悪くはなかったと思う。子供はニオイに敏感なので、カビの香りや味は苦手だったが、今なら美味しく食べることもできるかもしれない。当時の大人はそれほど文句を言わずに食べていた記憶がある。 カビだらけのお餅を頑張って食べるのも正月の一つの風景だったと今のお父さんなら思える。ただ今の子供達はカビだらけのお餅のカビをある程度取り除いて食べるといった行為は絶対にしないだろう。我が家の子供にとって、正月にお餅を食べるのは儀式的なものととらえているようで、お父さんが子供の時の様な「ぜいたく」とは考えていない。一つはお餅より美味しいモノがいくらでも食べられる時代になったということもあるだろうし、もう一つの理由としてつきたてのお餅を食べる機会が減っているのもあるかもしれない。あとはストーブの上で餅を焼く楽しみがなくなったのも原因の一つかもしれない。
2024.01.17
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先日長女の成人式の日に、きれいな振袖姿に着替えた娘を車に乗せて、成人式の会場まで送っていった。会場の外は新成人であふれていて、振り袖姿の女性やスーツ姿の男性が楽しそうに久しぶりの再会を喜ぶようにあちこちで集団を形成していた。 そんな中、会場の駐車場の一角におじいさんだらけの集団がいた。よく見ると能登地震の義援金の募金活動をしている集団だった。やっていることはとても良いことなのだが、その一角だけ成人した若者の姿はなく、閑散としていた。 そしてお父さんも、あの募金活動には協力したくないと思った。なぜならば、募金活動している人たちの後ろに「日本共産党」と書いたのぼりが何本も立ち並んでいたからだ。 お父さんは基本的にこのブログに政治的な思想を書かないようにしている。子供たちがどんな思想で人生を生きていこうがそれは個人の自由だと思っているからだ。まあ時々左翼政党の悪口も書いているので、あくまでなるべく書かないという程度であるが。 最近の若者は、共産主義に興味を示さないどころか、基本的には嫌っているという話をよく聞く。ましてや北朝鮮がミサイルを打ち、中国は香港から自由を奪い、ロシアがウクライナに侵攻している状態で、共産主義は「悪」ととらえられているのかもしれない。 お父さんは昔から共産主義者にこれらの国が正しいとは思えないという話をすると、あれは本当の共産主義ではない。国家と思想は別物であるとよく言われたものだ。だが、思想を元に作られた国家で、日本人がうらやましく思う国家が存在せず、どちらかと言うと嫌悪感を抱く国家ばかりな状態では、あまり説得力はない。 おそらく新成人たちも、共産党の幟がなければ募金したかもしれないが、今回は明らかにミスマッチだと思った。共産党がやっている募金に協力して大丈夫なのだろうかという疑念は、共産党に嫌悪感を抱いている人たちには自然と発生するものだと思う。 最近はあちこちで募金活動が行われているので、嫌悪感をもつ団体の募金に協力しなくてもいくらでも募金の機会はある。 募金活動をしていた人たちは、長女を降ろしてお父さんが駐車場から出るときには、すでに撤収作業をしていた。あまりにも誰にも相手にされなかったので、見切りをつけたのだと思う。 高齢者ばかりだったのも、妙に印象に残った。募金活動をしているのが、同じ新成人だったり、歳がちかい若者たちであれば、会場にいた人たちの反応はもう少し違っていたとお父さんは思う。だが政党の幟を出して、高齢者だけで活動をしている時点で、この募金活動は失敗していると思わずにはいられなかった。 今の高齢者が成人式を迎えたころは、マルクス主義は革新的な思想であり、多くの若者が、特にインテリと呼ばれる人たちが熱狂したと聞いている。学生運動や安保闘争など多くの若者が、国を批判し共産主義に傾倒したという。 今回募金活動をしていた高齢者は、若い頃に共産党に入党し、真剣に共産主義を広げる活動をしてきたのだろうと思う。 共産党の旗を掲げて募金活動をする高齢者たちと、それにまるで近づかない新成人を見て、左翼政党や思想の日本での今後はあまり明るいモノにはならないだろうと確信した。それほどに象徴的な光景であった。
2024.01.16
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1月2日夜、実家でテレビを見ていたら、飛行機が燃えていた。能登の地震関連で小松空港かどこかで火災が発生したのかと思ったら、羽田空港だった。ニュースでも詳細がわからない状態で、燃えている飛行機に乗客がいるのかどうかも、どうして飛行機が燃えているのかもわからず映像だけが流れていた。 最終的に、海上保安庁の飛行機と着陸してきたJALのA350型飛行機が衝突したということが判明した。事件の真相はこれからいろいろと明らかになるだろうし、今回の事故によって航空機や空港の安全性はさらに高まると思う。航空機事故とは高度な安全対策がいくつも施されているので、想定していなかったことが原因で起こることがほとんどだからだ。 事故により、海上保安庁の飛行機に乗っていた乗員が命を落としたが、幸いなことにJALに登場していた乗客も、乗員も無事であった。事故時の機内の映像なども報道され、お父さんはその映像を見て、日本の航空会社が日本の空港で起こした事故でよかったとちょっと不謹慎なことを思ってしまった。 この事故が、お父さんがベトナム往復で利用しているベトナム航空であれば、とてもスムーズな避難などできなかっただろうと思ったからだ。なぜなら、ベトナム人の乗客が過半を占めるベトナム航空機内であれば、乗客はすさまじいパニックになったと確信があるからだ。どんなに客室乗務員が訓練を受けた優秀な人たちだったとしても、乗客がパニックを起こせば、絶対にまともな対応はできない。 日本人は良くも悪くも日本のシステムを信用している。自然災害の発生時に、略奪行為などの犯罪がほとんど発生しないのも、避難所で食料の奪い合いなどが発生しないのも、お互いを信用していたり、順番を守っていればきちんと配給を受けられると思っているからだ。そしてその信用が裏切られることはほとんどない。 今回の航空機の事故も、機内にいた日本人は、客室乗務員の指示に従って行動するのが一番安全であると信用しているからこその行動だと思う。 同じ日本人乗客だったとしても、ベトナム航空に乗っていて、周りがパニックを起こして混乱していたら、冷静には行動できないと思う。 さらに言うと、日本人は自然災害が世界的に見ても多い国であるがゆえに、災害時の訓練を子供の頃からずっと経験してきている。これは日本人が考えている以上にすごいことである。 ベトナム工場で10年以上前に、機械の排気管が破裂して多少の日が出たことがある。火災時の避難訓練は毎年やっていたが、現場は完全にパニック状態だった。幸いボヤとも言えない小さな火が出ただけで、すぐに消化できたのだが、全く関係ない場所で天井裏に登った挙句、天板を踏み抜いて落下し、大けがを負った社員がいた。 先輩技術員が破裂した配管の天井裏を見に行くのに勝手についていったことが原因だった。結局落下した社員がただ一人大けがをした事件だった。現場にいなかった社員ですらパニックになって不思議な行動をするのだから、当事者として居合わせたらそんなものでは済まないだろう。 日本で日本人が事故にあうのがいいこととはもちろん言えないが、海外で事故にあうよりもよっぽどましだろう。それぐらい日本の教育、文化、習慣、システムは世界に例をみないほど素晴らしいところがあるし、それを身につけている日本人もまた同様に素晴らしい人たちである。 残念なのはそれが日本人限定なために、外国人が一定数入り込むとあっという間に機能不全になることである。
2024.01.15
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見積りという仕事がある。知らない人のために説明すると、自分たちの製品やサービスに値段をつけて、買い手に提示することである。スーパーなど一般消費者にモノを売るときと事なり、ビジネスとして会社同士がモノの売り買いをする場合は、売り手は必ず見積りを買い手に提示し、買い手がその値段を了承すると取引が成立する。 つまり売り手にとっては、モノが売れるかどうかが決まる大事な仕事だ。買い手が見積りした値段に納得できなかったり、相見積りと言って、いくつかの会社で見積りをして競合する場合は、値段が一番安かった会社に決まるのが基本である。 自分たちの製品はできる限り高く売りたいが、買い手が納得してくれる値段以上をつけると取引が成立しない。競合の中で最安値を付け、かつ買い手が納得し、そのうえで自分たちがきちんと利益を出せる値段をつけるのが見積りという仕事である。 見積りに失敗すると、売上げはゼロである。かといって安い値段を安易につけてしまうと製品は売れるのだが、利益が出ない。つまりは会社が赤字になってしまう。 そのため見積りという仕事をする人たちは、必死で社内で利益が出る値段を確保し、且つ買い手が買ってくれる値段を探っていつも頭を悩ませている。 特に他社と競合する場合に、自社の製品に自社だけがもつ何らかの付加価値がない場合、単純に値段だけの勝負になってしまうので、とても大変である。 逆に、自社でしかできない製品の見積もりは、競合する他社がいないので、買い手が納得する金額であればよいし、買い手がどうしても必要な製品であれば、かなり高い値段を提示しても取引は成立する。 よって見積りの成功率は自社の独自性、技術力によってかなり違いが出る。オリジナルの製品を作る力があったり、同じような製品なら他社よりも安く作れる技術力があれば、見積りはそれほど苦労しないで済むということだ。 お父さんは見積りの仕事をしていない。現場の製造コストを下げる取り組みや、他社が作れない製品を作れるようにする技術の仕事をしている。 よく見積りを担当している同僚から、このコストで何とか作れないかと言われるのだが、できない時はかなり厳しいことを言われる立場である。 逆に見積もり担当者は、売上げを出さなければならないので、現場の技術力が弱い場合は本当に苦労をする。安く見積りすれば社長からも現場からも非難を浴びるし、高くとろうとして失敗すれば同じく非難を浴びる。 上手に高値で取引を成立させたときの見積り担当は、とてもうれしそうだし、達成感もかなり高いようだが、お父さんの会社では大抵の場合は失敗して落ち込むことの方が多い。 これは見積り担当の力不足というよりは、製造現場の力不足が本来の原因であるので、お父さんも同じように責任を感じることになる。 独創性のあるオリジナル製品を開発することは、製造業を営む会社にとっては常に目指すところではあるのだが、成功している例は非常に少ない。それゆえに見積り担当者は常に悩んでいる。お父さんはその姿をよく見ているので、見積り担当にはなりたくないと思っている。
2024.01.14
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2023年の1月1日、お父さんは実家で正月を迎え、天気予報が晴天となっていたので、子供達を連れて初日の出を見に海まで早朝の暗い中を運転していった。残念ながら、水平線上に雲が少しあったので、海から直接昇る太陽は見えなかったが、その雲の上から昇きれいな初日の出を家族で見た。とてもきれいな光景で、幸せな気持ちになった。 初日の出の帰りには、峠からきれいな富士山を見ることもできた。2023年1月1日は、本当にきれいな晴天で、こんな正月はあまり記憶がないと感じていた。 そのため、今年、2024年の1月1日はあまり期待していなかった。年末の予想では雨は降らないが、クモリが多いとなっていたので、また実家に帰省する予定だったが、初日の出も富士山も今年は期待していなかった。 ところが大晦日の天気予報では、太平洋側は初日の出がかなり期待できるとなったので、お父さんは2年連続で海まで初日の出を見に行くことにした。無論子供達も一緒である。お母さんだけが、初日の出に興味がないので昨年に引き続いて不参加だった。 今年は昨年とは少し違う場所に行ったのだが、水平線上にも雲はなく、海から昇る初日の出をばっちり拝むことができた。最高の初日の出だった。 そして帰りに峠からは、昨年同様のきれいな富士山を見ることができた。2年連続で快晴の正月を迎えた記憶というのは、お父さんが実家に住んでいた18年を含めてもないような気がする。 あまりにも富士山がきれいなので、富士山がきれいに見えるスポットを探してあちこち寄り道しながら帰宅した。今年もきれいな富士山の写真を撮ることができて、とてもラッキーだった。 昼過ぎになっても雲一つない快晴だったので、お父さんは富士山を目指して家族でドライブに出かけた。酒の飲めないお父さんは正月でも酒を飲まないので、運転は気が向いた時にすぐにできる。 朝霧高原というところまで車で出かけて富士山を見たが、目の前に大きくそびえる富士山は本当にきれいだった。 来年は次女が高校受験なので、実家で正月を過ごすことはないだろうとおもう。それどころかベトナムで家族と離れて正月を迎えることになるかもしれない。2年連続の初日の出と富士山の写真は一生の思い出になるのではないかと思う。
2024.01.13
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お父さんは神社に参拝するのが結構好きである。そしておみくじがあると必ず引いている。おみくじとは神社に願掛けをしたとき、その願いがかなうかどうかを教えてくれるものとも言われているが、大吉や凶など何が出るか、おみくじに何が書いてあるかを見るだけでも楽しい。 今年はお父さんの実家で年末年始を過ごしたので、最初の初詣は故郷の大きな神社に行った。富士山がよく見える正月で、もっと近くで見たいと富士山の近くまで出かけ、その帰りに寄った大きな神社を参拝し、おみくじを引いた。 今年初めてのおみくじは幸先よく大吉だった。きれいな富士山を見た後に大吉を挽いたので、なんだか今年は良いことがありそうでウキウキしていたら、能登の地震の警告音が境内にいる多くの人の携帯から聞こえて雰囲気が一気に変わってしまったのが残念だった。 それでも大吉を引いたことに変わりはない。今年はきっと良い年になることだろう。ちなみに、今回一緒に妹家族と出かけていたので、おみくじは8人が引いたが、そのうち5人が大吉というかなり珍しい結果になった。それだけ大吉を引いた人が多いというのは、その神社のおみくじには大吉が多いからかもしれないが、それよりも一族にとって良い年になるという意味ではないかとお父さんは勝手に解釈している。 1月3日に東北の自宅に戻り、例年通り地元の神社にも参拝に行った。もちろんその神社でもおみくじを引いたのだが、またしても大吉を引くことができた。こんなに連続して大吉を引いた記憶はないので、今年はよほどいいことがあるのではないかと勝手に期待している。 ちなみに次女も2連続で大吉を引いたので、家族全体でも今年はいいことがあると期待している。 おみくじも占いの一種で「当たるも八卦、当たらぬも八卦」なのかもしれないが、お父さんは意外とおみくじの内容が当たる方なので、今年は期待できると思う。
2024.01.12
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お父さんは、星空を眺めるのが好きである。毎晩タバコを吸うために玄関の外に出ているのだが、天気の良い日は星をいろいろと眺めている。星空が好きと言っても天文的な知識はほとんどない。小学校などで習った星座や星の名前をいくつか知っている程度である。それでも星の観察はそれなりに楽しい。 北半球で一番明るく見える星は冬に見えるシリウスという星なのだが、夜空を見上げるとシリウスより明るい星が見えることがある。これらは金星、火星、木星など太陽系の惑星である。 金星は夜明け前や日の入り後によく見ることができる。火星は現在太陽の向こう側にあるのか昨年から見ていない。木星は昨年からずっと見えている。ちなみに太陽系の惑星で一番太陽に近いすい星は夜空で見ることはできない。何年かに一度、水星が太陽の前を横切るときに見ることができるのだが、お父さんは未だに肉眼で見たことはない。一度挑戦したがうまくいかなかった。 星座を見るのもそれなりに楽しい。特に家族の星座は見えると何となくうれしくなるものである。残念なことにお父さんの星座であるてんびん座は暗いほしでできている上に、他の星座に比べてとても小さいので、いまだにはっきりと認識したことがない。寂しいことである。さそり座の様に誰がみてもはっきりわかる星座だったらもっと楽しかったことだろう。 一番好きな星は北極星である。お父さんは生まれがネズミ年で方角が北出あるうえに、九星という生まれ年でも一白水星という北を定位置とする生まれである。夜空で北の象徴と言えば北極星なので、何となく親しみを感じているのだ。 北極星の周りにはあまり明るい星がないので、どこにいても割と簡単に見つけることができる。北の方向を知ることができるし、緯度の違いによって見える高さが異なるので、海外で見る北極星から自分が日本より北にいるのか南にいるのかを北極星を見ると感じることができる。 星空観察は月が出ていない時の方がよく見えるのだが、月も満ち欠けを見てるのが楽しい星の一つである。満月は美しいのだが、上弦や下弦の月もよいし、会社帰りに西の空に見える三日月もとてもきれいである。月の満ち欠けは、海の潮に影響を与えるし、その明るさはイカ釣りではかなりの影響力を持つ。月が明るいとイカが漁船の明かりに反応しづらいので、イカ釣りでは満月より新月のほうが釣果が良いとされている。 我が家ではお母さんは全く星に興味がないし、子供達もほとんど興味を示さない。昔キャンプに行ったときに、満点の星空を子供達と見たが、子供たちが星空を見上げて楽しそうにしていたのは、その時しか記憶にない。 お父さんの同僚に、星が好きで天体写真を撮るのが大好きな人がいるが、ここ10年で星の話をしているのは、その同僚とだけである。ただ彼はお父さんと違って、天文の知識が豊富なので、お父さんはついていけないことが多い。それでも彼からいろいろな星の話を聞いていると、ますます星空を見るのが楽しくなる。 子供達にももう少し星を好きになってほしいと思うが、一番好奇心が旺盛な10代で興味がなさそうなので、今後も子供達と星空を見上げて語り合うことはないだろう。そう思うと少し寂しい気分になる。
2024.01.11
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お正月と言えば昔から駅伝である。1月1日のニューイヤー駅伝、1月2日&3日の箱根駅伝はどの家庭でも何となくテレビで見ているのではないだろうか。我が家ではお母さんが駅伝ファンなので、駅伝があるときは常にテレビで見ている。もちろん正月の3日間は家にいても車に乗っていてもお母さんの要望により駅伝を見る。 お父さんも駅伝はそれなりに好きだが、箱根駅伝はその中でも大好きなレースである。大学生の駅伝部員にとって、箱根駅伝は一度は走りたい夢の舞台なのだろう。とにかくみんな必死で走っているし、毎年それなりにドラマがある。優勝争いはもちろん、シード権の獲得争い、5区の山登り、繰り上げスタートによるタスキリレーの失敗など、本当に盛沢山である。 今年は箱根駅伝も100回の記念大会と言うことで、関東の大学だけでなく全国の大学に門徒が開かれ、多くの大学が予選会に参加したが、結局関東の大学を押しのけて本選に出場できた関東圏以外の大学はなかった。 それほどに箱根駅伝の予選会とは厳しいモノなのだとお父さんも改めて知ることになった。 ところで、お父さんやお母さんが箱根駅伝を見ていると、子供達から「駅伝の何がおもしろいのか?」という質問を毎回受ける。これは子供たちが駅伝を面白いと思っていない証拠である。 お父さんも子供の頃、箱根駅伝を見ている両親に同じ質問をしていた記憶があるので、子供にとって駅伝とは面白いモノではないのだろうと思う。 ではなぜ大人になると駅伝を面白いと感じるのだろうか。一つ目は、自分の卒業大学が参加していれば、当然応援したくなるので理由の一つにはなるだろう。卒業した大学でなくても、関係があった大学や、何となく好きな大学というのもあるだろうと思う。 しかしこれだけでは箱根駅伝がこれほど人気がある理由にはならないだろう。やはりそこには大人が面白いと感じるドラマがあるからだとお父さんは思っている。 マラソンと異なり、駅伝は複数人がリレー形式で長距離を走っていく。誰かが失速すればチームは順位を落とすし、誰かが素晴らしい走りをすれば、チームの順位は大きく上がることもある。マラソンでは味わえないだいご味である。 また歳をとってくると、若者が必死で努力している姿を見るのが楽しいというのもあると思う。自分にもこういう時代があったなとか、もうこんな風に走る体力もなくなったなという思いで見てしまうのだと思う。 50歳が年寄りかどうかは別にして、お父さんもお母さんも駅伝で必死に走る若者を見ていると、何となく楽しい気分になるし、追い越して喜んでいる姿も、順位を落として泣いている姿も若者の特権の様に感じてうらやましい気分にもなる。 自分が失ってしまった気持や体力を駅伝を通して疑似体験しているのではないのかとも思う。 昔駅伝を見ていた両親は、最近あまり駅伝を熱心に見ていない。80歳ぐらいになると、若者の若々しいパワーを直視できなくなるのかもしれない。そう考えると、駅伝を楽しむことができるのは、子育てをしている世代なのかもしれない。 お父さんが駅伝を見るようになったのは、大学生の頃からだと思うが、熱心に見るようになったのは子供が生まれてからのような気がする。 駅伝への興味と子育てに因果関係がどこまであるのかわからないが、箱根駅伝で必死に走る大学生の姿に、自分の子供にもこんな風に必死に何かを頑張ってほしいと思うのかもしれない。 今年の箱根駅伝も、相変わらずとても面白かった。筋書きのないドラマがあちこちにあり、退屈せず2日間見続けることができた。来年もきっと見ることになると思う。
2024.01.10
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2023年は久しぶりにM-1グランプリというお笑いのショーレースを視た。昔は欠かさず見ていたが、だんだん出てくる芸人さんの笑いが理解できなくなってきて、ここ数年はほとんど見ていなかった。 今年はやることがなく、且つ休日にやっていて、子供たちが見ていたので、一緒に見ることになったのだが、今年の芸人のネタはそれなりに理解できたので、なかなか面白かった。 お父さんはお笑いが大好きで、いまだにYoutubeなどでよく漫才やコントを視ている。漫才もコントも好きなのだが、正統派の漫才はやはり頭がいいというか、センスの良い人しかできないと感じる。ところがその正統派の漫才が今の若者(我が家の子供達)には面白くないらしい。 お父さんが若いころ、「イロモノ芸人」としてぎゃあぎゃあ騒ぐ芸人がいたが、そういうタイプの方が子供達にはウケるようだ。だから漫才よりもコントの方が、子供達は笑う度合いが高い。 我が家の子供の中では次女が一番お笑いを見るのだが、次女は歌ネタとか大声を出すようなネタや、体を使って動いているネタが笑えるようである。お父さんはとても保守的で、正当な漫才(マイクの前から動くことなく、お互いの掛け合いだけで続いていく漫才)が好きなので、子供がおすすめの芸人で面白いと思える人はなかなかいない。 逆に子供達はお父さんが面白いと思う芸は、それほど面白いと感じないようだ。お笑いにも世代のギャップというのは存在するのだろうと最近感じている。おそらく孫が笑うお笑いはお父さんにはほとんど理解できなくなるのだろうと思う。 世代のギャップはいろいろあるのだが、お笑いのギャップはどこから来るのかと考えるのだが、基本的な価値観が違うのだろうと思っている。 笑いは常識(価値観や慣習)を裏切りながら笑わせるのが王道である。その常識が異なれば笑いは世代ごとに変わっていくことは理解できる。
2024.01.09
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今年のお正月は昨年と同様に東海地方のお父さんの実家に帰省した。東北の自宅から約600キロほど離れている。新幹線を乗り継げばそれほど大変な距離ではないのだが、家族5人で新幹線を使うと、往復で15万円ほどかかる計算になる。さらに現地で乗るレンタカーなどを借りると交通費関係だけで20万円を超える。 よって選択肢無しで、実家に帰省する場合は自家用車を使用することになる。自家用車なら、高速代が約2万5千円、ガソリン代が3万5千円ぐらいと合計6万円、一人当たり1万2千円ほどで済むので新幹線に比べれば格安である。 問題は運転時間の長さとドライバーの疲労が大きいということだ。今回は長女も免許を取ったので、お父さん・お母さん・長女とドライバーが3人いたが、夜中の長距離ドライブは伝統的にお父さん鹿運転をしない。家族が寝ている中、一人でひたすら600kmを運転する。ちなみに同乗している我が家の犬だけは車嫌いでおびえているので、お父さんと一緒に起きているのだが、会話はできないのであまり役にたたない。 そんなわけで今年もお父さんの真夜中ドライブで帰省が実行された。夜11時ぐらいに家を出て、実家に着いたのは朝の5時半ぐらいだった。約7時間のドライブだったが、往路は渋滞も事故もなく、給油で1回サービスエリアに寄ったほかは一切止まらなかったので、実に順調だった。子供たちが大きくなって夜中におしっこだ何だと言わなくなるというのは素晴らしいことだ。 しかし実家に着いた後は体はボロボロである。すぐに布団をひいて3時間ほど睡眠をとった。年末な上に今年は母親が帯状疱疹でほとんど動けなかったので、年末の家の仕事をいくつかこなす必要があった。おかげで一日中眠かったが、車で寝ていたお母さんや子供たちがお父さんより眠そうだった。なぜなのだろうか。 一晩寝た後は、何とか普段の体調に戻ったので、50歳を過ぎたとは言え、まだそれなりに体力はあるようだ。 帰宅は1月2日の夜に設定した。7時半ごろ仮眠を取って、やはり夜の11時過ぎに出発する予定だった。しかしながら東名高速の渋滞がなかなか解消しなかったので、少し出発が遅れた。結局東名をあきらめて一般道で箱根を越えて小田原に出ることにして出発した。 ただし元箱根から湯本まで、箱根駅伝の第5区で走る道を運転したので、結構楽しかった。 往路は圏央道を使って都心を回避したのだが、復路は渋滞が無かったので、首都高を選んで都心を走行した。子供達に東京の夜景を見せるつもりだったのだが、午前1時過ぎに1日中従弟たちと遊んでいた子供達は爆睡、隣でお母さんもぐっすり寝ていた。 それでも久しぶりの都心の夜景はとてもきれいで気分が高揚した。 東北道に入るとあとはひたすら暗い中を走行するだけだ。今回幸いだったのは交通量が少なく、事故も起きていなかったので、かなり順調に走ることができたことだ。往路よりも早く6時間ほどで自宅に戻ることができた。ただ疲労は限界だった。 すぐに布団に潜り込んでぐっすりと眠った。頭がぐらぐらして寝着くまでに少し時間がかかったほどだ。 長女やお母さんにも運転をしてもらいたいのだが、隣で寝ることができるかと聞かれるとものすごい不安になる。不安で寝られないまま、低速で走る車に乗っているぐらいなら、自分で運転した方がましである。その結果、来年以降もロングドライブはお父さんの運転になりそうな予感である。 今年も家族で出かけるときはお父さんの運転が基本になるだろう。息子の運転免許取得を待ちたいが、まだ3年はお父さんの運転が続くことになりそうだ。 帰省で新幹線を使うとお金がかかりすぎるので、車で行く。片道ノンストップで最低7時間、運が悪いと9時間ぐらいかかる。運転は渋滞を避けて夜中。お父さんは体を休める意味も含めて29日夜でて30日朝着、2日の夜出て3日の朝着にしたい。お母さんはやはり気を遣うので短くしたいのだが、運転手がお父さんだけでは31朝着の1日の夜出発では体がもたない。
2024.01.08
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安全は工業製品にとって、作るときも使う時も最も重要な要素である。先進国では当たり前の感覚だと思う。安全性を無視した製品は基本的に受け入れられることはない。だがお父さんの感覚では、それは先進国限定の話である。現在の新興国では、安全を後回しにして、もしくは軽視して製品が製造され、消費者が購入していることは珍しくない。 例えば電気自動車は次世代の自動車として世界中で開発競争をしている。日本でも自動車メーカーが電気自動車を発売している。 ただし、例えば日本と中国では電気自動車を製造しているメーカーも購入している消費者も、まるで感覚が異なるとお父さんは思っている。 日本のメーカーと消費者は、高品質なモノでないと受け入れることができない。なので安全性はもちろん、後続距離、充電時間など細かなスペックを気にする。ところが中国では今のところ、メーカーは「走って、曲がって、止まる」という基本性能を満たしていれば、販売するし、消費者もとにかく自動車が欲しい、電気自動車の方が政府の援助で安く買えるので買う、という感覚で購入している。 バッテリーは容量が大きいほど航続距離が延びるのだが、容量が大きいほど重くなるし、事故が起きた時の被害も拡大する。先進国では安全性重視で様々な安全対策を施すので、なかなかバッテリーを大きくすることはできない。また劣化をどう抑えるかも重要なファクターになっている。 ところが新興国の電気自動車は、安全性はあまり考えず、大きいバッテリーに効率の悪いモーターでどんどん製造販売をし、消費者が購入している。結果として電気自動車の実社会でのデータが山ほど入る状態になっている。実験室で条件を予測してテストをしているのではなく、実際に世の中で使って発生したデータである。技術が上がるスピードには格段の違いがある。 薬に例えると、日本がマウスで実験をしている間に、中国ではバンバン人間に投与してデータを蓄積している状態だ。安全性を無視すれば、人間に投与して得られたデータの方が、マウスのデータよりも格段に有効であり、開発期間も少なくなる。 結果として安全性を無視した新興国は工業を含めた科学技術は発展し、先進国では停滞していく。開発費、開発スピード、消費者の購入意欲すべてで新興国に負けるのだから、当たり前である。 先進国ができることはせいぜい「安全性が確保できていない製品の輸入を禁止する」ことぐらいだ。 先進国のジレンマは人権などの社会的な問題だけでなく、科学技術の世界にも存在している。栄枯盛衰は世の常であるが、一応20世紀の先進国日本の国民としては、何とかならないものかと思ってしまう。
2024.01.07
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年末年始は社会人にとっては挨拶の季節でもある。そして会社同士では、お互いに相手を訪問し合って、カレンダーなどを配りながら年末の挨拶をするし、年始はお年賀の品などをもって挨拶に回る。 お父さんも、昨年末に会社の代表で数社に出張して挨拶をしてきた。 そこで出る話は、ほとんどが来年のお父さんの業界の厳しさと来年への実投資の悪さについてであった。そしてそれに続いて必ず出る話が、何か利益の出る分野はないかとか、良い新製品はないかという話である。 新製品と言っても、現在の製品のバージョンアップのような話はこの場合関係ない。同じ分野でありながら、これまでなかった新しい製品を開発したいという話である。基本的には同分野なのだが、資本力のある大会社の場合は、全く別分野でも良いから、新製品を開発できないかという話が出ることもある。 しかしながら、実際に新製品が世の中に出ることは、各社がそれなりに考えている割には少ないと思う。お父さんが若者だった頃は、次々と新製品が世に送り出され、それが爆発的に売れていくというのは珍しくなかった。 値段も少し無理すれば変えるぐらいの製品がたくさんあり、お父さんも電化製品を中心に欲しいモノを徐々に買いそろえていった。 それが、今の製品はバージョンアップ的なものがほとんどなので、今持っているものを買い替えようという気持ちにならない。 お父さんが大学生から社会人になっていく過程で、例えばテレビなら、ブラウン管から液晶テレビ、アナログからデジタル、通常画面サイズから大画面液晶とどんどん新製品が出ていた。 録画機器もVHSのビデオからDVDが出て、録画可能なDVDが出たと思ったら、ハードディスク録画へとどんどん変わっていった。 音楽もカセットテープ⇒CD/MD⇒HDD⇒SSDとどんどん変わっている。携帯電話もただの電話機から折り畳み式になり、カメラ付きになり、カラー液晶になり、スマホになっていった。 それに比べるとこの10年、お父さんが欲しいと思うものはあまり世の中に出てきていないと思う。新製品というのは各会社の開発力に依存していると思う。最近はその各社の開発者の発送が、凡庸になっているのかなと勝手に思っている。 もう一つが斬新なアイデアを実行に移す企業文化が衰退しているのかもしれない。お父さんの会社でも、両方の現象が発生しているので、これは今の時代の通常の現象なので歯ないだろうか。 挑戦する心とそれを受け入れる心の両方がなくては、斬新な新製品は世の中に出てくることはないだろう。何か今の世の中の停滞具合がそのまま会社の文化に影響している気がする。
2024.01.06
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平等とは現代社会において、社会を形成するための重要な項目である。人間は平等に扱われなくてはならないという言葉を聞いて、「それはおかしい」という人はほとんどいないだろう。そのため、誰かが「これは平等ではない」と言い出せは、それはたやすく社会の問題として扱われることになる。 しかしながら、「平等とはどういうことか?」と問われた時、答えを明確にできる人はほどんどいない。お父さんもできない。納得する答えを聞いたこともない。 ちなみにお父さんが「平等」と定義しているのは、「機会の平等」というモノである。血筋とか、経済力で差別されることなく、誰もが何かになろうとしたとき、何かをやろうとしたとき、道が閉ざされていないというモノだ。 これが正しい平等なのかと聞かれれば、誰もが納得する平等ではないとお父さんは思う。なぜなら世の中というか、ほとんどすべてのものが平等には出来ていないからだ。究極の平等を実現しようとしたら、生まれた時に才能とか能力(運動能力、学力、発想力など)、さらに容姿から身長・体重、病気の有無まですべて同じでなくてはならない。さらに親の経済力、住む家、家族構成まで同じである必要があるだろう。 もちろんそんなことは不可能である。言い方を変えれば神は世界をそのように作っていない。なので人間を含めて世の中は、生まれた時からこのような平等には出来上がっていない。 人間はみな平等であるという言葉が使われる時、基本的にはそこにはただただ不満があるだけだとお父さんは思っている。誰かが平等という言葉を使って自分の不満を公表しているだけだと思う。そして困ったことに、それを金儲けに使う人たちが存在する。もっと困ったことに、平等という言葉に釣られて、それを支援する人が現れるということである。 お父さんは平等という概念を否定するつもりはない。それどころか平等は大切なことだと思っている。ただ世の中で「平等」という言葉が使われる時、それは平等とは違うと思うことが多いだけだ。 特に人の努力や才能をつぶすという方向に「平等」が使われる時には、嫌悪感を覚える。例えば、部活などのスポーツで、最上級生でありながら、実力不足でレギュラーを取れない生徒を「頑張ったのにかわいそう。1度くらい試合に出してあげなくては。」という声があれば、無理やり試合に出すということが世の中では普通に行われている。本来実力のある生徒はこの「平等」により試合に出ることができない。 これは小さな1例であるが、同じようなことは大人になっても行われている。平等という言葉を使って行われることは、基本的に平等でないことが多い。 日本は平等ではない。差別が多いという言葉はあらゆるところで聞かれる言葉であるが、お父さんは海外のどこの国でも日本ほど平等な国を見たことがない。自由と平等の国アメリカでは、能力によって人々は階級分けされていると言っても過言ではない。まともな教育を受けていない人は多くいるし、親の経済力によって人生はかなり違う。 「平等」は現代の人類に課せられた命題であるが、誰もが納得する平等な社会が実現することはないだろう。まずは人間はあらゆる面で差があるということを前提としない限り、これ以上前には進めないだろう。
2024.01.05
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世の中は便利になっていくのが普通である。戦争などの異常事態が発生しない限り、基本的に過去に比べて現代は便利な世の中になり、未来はさらに便利な世の中になると人は考えている。 お父さんが小学生の時代、年末年始はほとんどのお店がお休みであり、お年玉をもらっても使う場所は1月3日まではほとんどなかった。1月1日に開いている店は全くと言っていいほどなく、買い物に行くという感覚は全くなかった。 そのため、年末までに食料品を中心に大量に物資を買い込むのが各家庭で当たり前に行われていた。 それが中学生になるころには、大手スーパーなどが1月1日も営業するようになり、その店舗数はどんどん増えていった。コンビニなども24時間365日の営業が当たり前になっている。そのため年末にお正月の物資を買い込むという感覚はどんどん薄れていった。 正月に必要なモノは正月に買えばよいという実に便利な世の中になっていった。 物流に関しても同じである。お父さんが子供の頃、宅急便などというモノは存在せず、荷物は「小包(こづつみ)」と呼ばれて、郵便局に持っていくのが普通だった。もちろん翌日配達などというモノもなければ、クール便などというモノもなかった。 今では全国すべてに翌日配達とは言わないが、基本的に2日もあれば送り先に届くようになり、それが当たり前になっている。 しかしながらこのような便利さは、一部の人の負担になるということで、最近は1月1日は店を閉めるということも珍しくなくなったし、物流も翌日配達でない距離がどんどん増えてきている。 人間の負担を減らし、今までより不便な世の中になることを受け入れようというのが最近の世の中の流れになっている。 そんな中で物流業界は2024年問題を迎えることになった。トラックドライバーというのは昔から長時間労働の代表的なモノだった。お父さんが大学生の頃、夜間に構想苦道路を運転すると、8割がトラックという状態だったし、パーキングエリアに車を入れると、大量のトラックが止まっていた。 配送先近くまできたトラックドライバーが、仮眠をとっている姿は、お父さんにとって普通の光景だった。 法改正によって、ドライバーの労働時間に規制が入ることは、ドライバーの健康管理の為にも、事故防止のためにも必要なことであるのは理解できる。法律で一斉に規制をしないと、抜け駆けが横行して結局今まで通りになることも理解できる。 その分、一般利用者は物流費の高騰と荷物の配送時間が長くなることを受け入れなくてはならない。 今後は様々な業界で同様の規制が進んでいくことだろうと思う。働きたくても働くことができない世の中になるとも言える。労働時間の短縮により賃金が低下することも受け入れなくてはならないが、心情的に収入が減るということは生活が苦しくなることを意味するので、会社は給料の維持もしくは増額をしていかなければならないし、その分販売価格に上乗せをすることになる。 デフレを脱却しつつある日本では今後、給料のUP、労働時間の短縮と一部分だけを見れば良いことが起きるが、モノの値段の上昇、不便さというデメリットも受け入れなければならない。ちなみに給与が上がっても、モノの値段が上がるので生活は豊かにはならない。給料が10%UPすれば、モノの値段も10%前後UPする。生活が楽になるということはない。 サービス業はともかく、製造業は厳しい規制のない海外へ逃げていく。その結果単純労働という職は日本から消えていく。サービス業も世の中についていけない会社は閉鎖されるだろうし、人間を働かせることが悪となっていくし、コストも上がるので、ロボットに人間の代わりをさせることに資金を投入する。こちらでも単純労働は減っていく。 人口減の世の中なので、需要と供給は大きな影響を受けることはないかもしれないが、単純労働が世の中から消えていくので、高い能力をもたない人は職に就くことが難しくなるかもしれない。 今は過度期の入り口だとお父さんは思う。無理やり世の中を変えることによって新たな社会秩序が作られ、仕事の業態も変わっていくだろう。日本や日本人にとってメリットが多くなればいいと思うのだが、お父さんの予測はますます国力を落とすことになると思う。予測が外れてくれることを祈りたいが、かなり難しいだろう。
2024.01.04
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薬品の過剰摂取の問題が最近話題になっている。一般の市販薬などを大量摂取して違法薬物と同じような効果を期待しての行為らしい。市販薬の咳止めや風邪薬などに含まれる微量な違法薬物に近い成分を大量摂取することで、気持ちが昂ったり落ち着いたりするという。お父さんはこういう情報をネットのニュース記事で見て、同じくネットで調べることで詳細を把握することができている。 違法薬物に手を出す人というのは常に一定数存在するのだろうが、普通は自分の人生へのリスク(自分の健康と犯罪という2つのリスク)を考えて思いとどまる人の方が多いと思う。しかしながら薬局で購入できる市販薬は、犯罪者になるというリスクを考えなくてよいので、手を出すまでの心理的な抵抗は少ないのだろう。健康へのリスクは、精神が不安定になるとストッパーとしての効果は薄いのかもしれない。 お父さんも若者だった時代があるのでよくわかるのだが、精神的に不安定という状態はともかく、違法薬物に興味を持っているという人は一定数いた。ちょっと悪いことをするというのがかっこいいという時代だったことも理由としては大きいだろうと思う。 早熟と言っていいのかわからないが、タバコを吸うことで「自分は大人」とか「自分はワル」という感覚はあったと思う。お父さんの世代でタバコを吸った経験がある人は、基本的に未成年の時に初体験をしていると思う。 お父さんの子供達を見ていると、タバコは人類の最も愚かな行為の一つと考えているようだし、お酒を飲んでみたいというのもあまりないらしい。こういう雰囲気の中でオーバードーズに何かを求める若者というのは、本当に精神的に弱っている人なのかなとお父さんは思ってしまう。 お父さんの時代にもいじめなどは当たり前にあったし、それによって学校に投稿できなくなる人はいた。「登校拒否」などという言葉があったが、親も教師もこういう生徒を学校に登校させることを強制的にやっていたと思う。精神科に通うことは、その子の人生を台無しにするというイメージが強かった。 しかしながら今は、子供への理解が深まったのか、甘えを許すようになったのか不明だが、学校に行きたくないという子供を親も教師も許しているし、保健室登校というモノも普通に許されるようになっているようだ。実際に中学生になった次女が保健室登校をすることがあったので、お父さんも他人ごとではない。 こういう子供たちが、ネットなどで情報を得て、精神の安定を求めてオーバードーズに手を染めることは十分に考えられる。お父さんの子供時代にはなかった理由で薬物に手を染める人がいるということになる。 子供の話をしているが、実際は若者に多いというだけで、30代以降にも一定数オーバードーズに手を染める人はいるようだ。 親が子供の経済を掌握している高校生ぐらいまでは、それなりに親が止めることができるが、大学生以降になると家を出て一人暮らしをしている人も多いだろう。お父さんの長女もすでに大学生で一人暮らしをしている。 彼女がもしオーバードーズをしていたとしても、お父さんはそれを把握できないし、止めることも難しいだろうと思う。 余計なニュースやネット情報は要らないと思ってしまうのだが、これを規制するのは難しいだろう。インターネットなどの新しい情報化社会の発展に未だに一般社会が対応できていないことの象徴の一つがオーバードーズなのだろうと思う。
2024.01.03
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お父さんの長女は今大学生である。社会人になるまであと数年である。彼女がどんな企業に入り、どんな仕事をするのか楽しみと心配が交錯する状態にお父さんはなっている。 お父さんは就職するとき、やりたい仕事というのはあった。製造業に就職し、自分のアイデアを生かして改善や新しい生産方式などを追及したいというモノだった。だから、自動車会社に入りたいとか、飛行機を作りたいとか具体的な職種はなかった。 ちなみに開発というよりも改善がやりたかった。開発とはもっと頭が良い人がやればいいと思っていた。 最終的に自動車会社に就職して、希望通り生産の改善業務をすることができたが、実際の製造業は学生時代に想像していたものとは異なることが多かった。 さて、お父さんの会社にもいろいろな人が入社してくる。特に中途採用の人に多いのだが、前の会社が思っていた仕事と違ったという人がいる。こういう人はお父さんの会社に入社しても、「やっぱり違う」とやめてしまうことが多い。 そもそも自分が理想としている仕事とは、めったに世の中に存在していないし、その職に就くことができる可能性は限りなく低い。 そしてさらに言うなら、仕事ができる人というのは、自分の理想や願望と異なる仕事でも「優秀」と評価されるレベルで仕事ができるし、理想と異なった仕事の中に自分の興味ある部分を見つけて活躍することができる。 理想の仕事を探して転職を繰り返す人のほとんどが、どんどん理想と異なる仕事に着くことになるばかりか、給与も下がっていく。転職が当たり前というイメージの社会になってきているが、転職で成功した人というのはかなり少ないとお父さんは思っている。 理由は実に簡単で、自分が経験して「できる」と考えている仕事や能力を生かせる仕事に転職できることがほとんどないからである。 新卒で入社して、キャリアを重ねた人を追い越すことはとても難しい。同業他社に転職しても、会社によってやり方やシステムが異なる。なのでそのまま自分の知識や経験を生かそうとしても、うまくいかないことが多い。 もし転職をするなら、入社して3年以内、回数も多くて2回までがいいところだと思う。35歳を越えたら転職というより独立を狙う方がよほど成功する可能性は高いだろう。 面白いことに、大手の会社が不満で転職した人は、次の会社でうまくいかず辞めていくことが中小企業より多い。 大手の人は、入社以来どれだけ恵まれているかを理解していないので、仕事内容よりも待遇に不満を持ちやすいのだとお父さんは思っている。お父さんも大手メーカーから転職したので、その辺りは実体験としてよくわかる。 親の会社を継ぐためとか、友人と会社を立ち上げるとかでやめる人はともかく、「今の会社も仕事も自分に合わない」と会社を辞める人はほとんどが次の会社でもうまくいかない。そういう人はお父さんは山ほど見てきた。 話がズレすぎたかもしれないが、新卒にしろ転職にしろ、外からみたイメージや、勝手に予想していた仕事ができないことの方が多いのが現実である。お父さんは、それを当たり前と思って、与えられた環境で頑張ることが一番大切だと思っているし、子供たちに伝えたいと思っている。
2024.01.02
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2024年を迎えた。新年あけましておめでとうございます。新しい年というのは、やはり何か特別な気持ちになるものである。今年は昨年に引き続きお父さんの実家で年明けを迎えている。子供たちにとってはいとこと顔を合わせるビッグイベントだ。 お父さんにとっては年末年始の真夜中運転で疲れるのであるが、家族が楽しんでくれるのなら頑張れるという体力がまだ残っているだけ幸せなのだろう。新幹線でゆっくり移動できる収入があればと思うが、それはこれからの頑張り次第と思って今年も頑張ろうと思う。 今年は次女が中学3年生になるので、本格的に高校受験の準備をしなくてはならない年である。次女の成績も問題だが、それ以前に次女が全く勉強に興味が無いことがお父さんとお母さんとの間で大きな問題になっている。 次女の第一志望の高校はすでに決まっているのだが、今のままでは合格できるとはまるで言えない。年末には志望校を変えているかもしれないと思うと気が重い。 そういえば年明け早々、長女の成人式がある。お父さんがやることはほとんどないのだが、会場への送り迎えぐらいはやらされるのではないだろうか。娘の着物姿を見られるのは、成人式と結婚式ぐらいだろうが、結婚はするかわからないので、下手をすると最初で最後の着物姿かもしれない。そう考えるとものすごく貴重な日である気がしてきた。 仕事の方は、大きなイベントはないのだが、昨年の業績はあまり良いモノではなく、今年も上期は同じ状況が続く予想となっている。早く景気が良くなって、仕事をした分給与に反映されるように状況が変わるよう努力しようと思う。 ベトナムから帰国、年末の忙しさ、帰省とバタバタしているところだが、年始の休暇が今年は長いので、ゆっくりと休んで今年も頑張ろうと思う。 また無事に新年を迎えられたことに改めて感謝したいと思う。
2024.01.01
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