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「ご主人、お酒飲まれます?」「いいえ」 「いいですね~」「でも、浴びてますョ」現役時代、こんな会話を何度繰返したことでしょうそれも、お酒の味や、友人との会話を楽しむのではなくただただ酔うために飲んでいるとしか思えなくてある晩、待っているうちに眠ってしまい、知らぬ間に帰って来ていたことがありました。目覚めてから「待っているから腹がたつ。待たなきゃいいんだ」と気づいて、それからは「飲みたいだけ飲めば」と気が楽になりました。退職してからは、昼間から飲み始めても仕方がないと覚悟していましたが、70才までは第2・第3の職場を見つけて、働いてくれていましたので、家での晩酌だけで済んでいました。私が考えていたことは杞憂に終り『サンデー毎日』になっても、昼間から飲み始めることはなくホッとしました酒量も徐々に減って、1合入りの徳利では多すぎるようになり、ティンママが大学時代に調査旅行で行った(民俗学専攻)遠野のお土産の少し小さめの河童の形のを出して使っていましたが、ガチャン~うりきり屋で買い求めました河童の徳利よりもっと小さくて、口まで注いでカップで量ってみたら120ccでした。それでも「いっぱいに入れないで」と言うのですから、5勺(90cc)くらいしか飲んでいないことになるのでしょうか健康にはこれが適量なのでしょうか
2011.10.29
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「ティンコ♂がね。一人でに乗りたいって、ティンパパの所へ行ったのよ」ティンママからティンパパは仕事の都合で目下香港に滞在中。この時期イギリスの学校は2週間くらいお休みです。この夏、日本に来るときも両親とは別便でと主張したそうですが、この時は許可しなかったとのこと。来月8日には15才。自立心の芽生えでしょうか一人旅と言っても、ヒースロー空港まではティンママが送ったのでしょうし、香港空港ではティンパパが迎えたのでしょうから、チェックインや出入国手続きが一人で出来るようになったと言うことで完全な一人旅とは言えないかも知れません ヒースロー → 香港以前の香港空港へは着陸の時、高層ビルをなぎ倒すのではないかと思うほど市街地の近くを飛び、スリルがありました。稀に風向きの関係で、海側から着陸するときはスリルを味わえなくてガッカリしたものですその後現在の市外へと移転しました。私たちも、香港へは何度行ったことでしょうティンパパとティンママが結婚して、ロンドンのシティの職場から、アジア地区担当になって香港に赴任してから、4時間半で行ける気軽さもありました。2年後にティンコ♂が生まれ、孫の顔見たさにほぼ毎年出かけていました。当時住んでいたマンション群「今日は日本からじぃじとばぁばが来ると朝からエキサイトしていました」とインターナショナルスクールのRクラス(日本の幼稚園?)の連絡帳に先生が記されているのを見て私たち夫婦を好いてくれているんだと嬉しかったことを思い出します。香港のインターナショナルスクールは土地柄から様々な国の子が通っていました。地元の中国人。アフリカの外交官の子弟。欧米の商社の駐在員の子息。ここで幼少期を過ごしたティンコ♂には、人種差別の意識はないでしょう。ある時、ティンコ♂の部屋の壁に大きなポスターが「はじめて憧れた人がマイケル・ジョーダンでよかった」ティンパパが言っていました。学校はイギリス本国に本校がありましたが、中学年になったとき、「教育はやっぱり本国で」とロンドンに帰ったのでした。今は昔日の感ありです
2011.10.26
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カダフィ大佐死亡。タイの洪水。ギリシャの経済危機。世界はどうなっていくのでしょうか9月に末弟の七回忌がありました。前日の夜になって喪服を出し、靴をそろえたら、中底にうっすらとカビが三回忌以来、おそらく履く機会がなく手入れもしなかったのでしょうティッシュで拭き取ると、一緒に中底がはがれてしまいました買いに行くには遅すぎ仕方なく布テープを貼りました「会食が和室じゃないといいなァ」でもやっぱり懐石膳で靴を脱がなければなりませんでした甥に「ねえ、ねえ笑ってよ」と、経緯を話したら「伯母ちゃん、分る分る。ヤンちゃん(甥の奥さん)もそうだけど、何処にでも売っている靴じゃないものね。ヤンちゃんは銀座のワシントンが気に入っているョ」「じゃぁ今度ヤンちゃんと一緒に行こう」話は変わりますが「こんなに飲まないよ。カップ半分でいいんだ」朝、開口一番にいう言葉かッこんなに小さいカップなのに~飲みきれないなら、だまって残せばいいじゃん言い返したいのをジッと我慢・・・その日は、燃えるゴミの日でした。週2回収集。これだけは夫の役目にしていますが、イヤイヤなのは見え見えの大きなため息ここで、我慢の糸が切れました日頃の鬱憤をストレス発散とばかりに言いたい放題吐き出して・・・こんな顛末の後、土曜日に銀座に出て(家から都バスで20分)ワシントン靴店へ。21cm EEE 手作りの表示。今までは21,5cmだったのに、年のせいで縮んだかな。松屋の地下で、宮川本廛のうなぎ弁当2個。 〆て¥23,000チョット。少しはストレス発散になりました世の奥様方はストレス発散に何十万円もの宝石を買われるとかそれに較べればカワイイもんじゃないですか
2011.10.21
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家電を買い換えると様々な報知音が増えていることに気づきます。レンジはもともと『チンする』と言われるように加熱時間の終了を知らせてくれていましたが今回購入した炊飯器は炊き上がり保温選択キーの選択が間違っているとき再加熱の開始と終了タイマー予約炊飯の操作終了時の報知音は、旧型のときのように、最後の「炊飯キー」を押し忘れ、夕飯時に炊き上がっていなくて慌てることを無くしてくれます。夫はポットのお湯が100℃になると鳴るメロディ音を「この頃の家電はうるさいね~」と言いますが、これは健常者のわがままで、状況を『音で知らせる』ことは、見えない方にとっては、とても便利な機能なのです。仕事をしているとき、一番多かったのがや家電の取説を点訳、音訳してくださいと言うものでした。メーカーでは自社の全製品に音訳CDや点字説明書の対応が出来ていません。膨大な人手と経費が掛かりますから・・・連絡すれば点字の取説が取り寄せられるのは1%にも満たないでしょう現在少しでも増えていることを~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~余談ですが、カテゴリーの「障がい者」の『がい』を仮名書きにしているのは、「障害者」と言われると、世の中に害を与えているようで嫌な感じだという発言をしばしば聞いていたからです。ある自治体が提唱し、最近はマスコミでも「障がい者」と書いているのを、時々見かけるようになりました。この表記が早くメジャーになりますように
2011.10.07
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BS103で放映される映画昨夜は『風と共に去りぬ』 先週は『大脱走』終わるのが午前1時近く。寝そびれてグラス半分のワインとカマンベールチーズで眠気を誘ったりしてどちらも数十年前?映画館で観てTVで放映される度に観て、何度観たことでしょう観るたびに感想が少しずつ変るのは、きっと年のせいなのでしょう『大脱走』で閉所恐怖症と戦いながら、トンネルを掘りつづけたのが、ダニー役のチャールズ・ブロンソンだったとはエンディングのCharles Bronson as Danny を観るまで気づきませんでした。作中ではウィリー(ジョン・レイトン)と2人で小舟で逃げ、最後にスウェーデン行きの船に乗り移り逃げ延びました。チャールズ・ブロンソンといえば、娘達が小学生時代、コマーシャル「Oh Mandom」ですが、この出演当時は若かったジェームズ・コバーンは、友人のハンサムなご主人に似ているのでファンに脱走後レジスタンスに助けられて、脱出に成功するのでホッとします豪華競演者スティーブ・マックイーン ジェームズ・ガーナー ジェームズ・ドナルドリチャード・アッテンボロー ゴードン・ジャクソン ジョン・レイトンデヴィッド・マッカラム ドナルド・プレザンス ナイジェル・ストックアンガス・レニー ハンネス・メッセマー ローベルト・グラフジャド・テイラー ウィリアム・ラッセル ウルリッヒ・バイガーハンス・ライザー ハリー・リーヴァウワー ロバート・デズモンドトム・アダムス カール=オットー・アルベルティ 初めて観た外国映画は『我が道を往く』父に観てくるようにと言われました調べてみると日本で封切られたのは1946年となっています。終戦の翌年です。小学5年生だった誰と行ったんだろうか? 記憶に残っていないのですが、1才年上のK子さんだったかも・・・ビング クロスビー扮する牧師さんの優しさに今も心が温かくなったことだけは覚えています。邦画より洋画が好き ~~ これが原点かも知れません
2011.10.03
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