山口小夜の不思議遊戯
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この光景もけっこう怖いと思うぞ!(byゆ) ─自由が丘でシマウマがお茶してたっ─ 『箱根用水物語』■第八章 友野与一■◆小夜子版【本当にあった怖い話】◆ 【小夜子版、本当にあった怖い話】 その前に── 『箱根』の方は、今回も設定を引っ張っているきらいがありますが、皆さまどうかご辛抱のほど、よろしくお願い致します。 さて、手前味噌な話題で申し訳ないのですが、本章の内容に、 「島原の乱の時に徳川側の総大将、板倉内膳正(ないぜんのしょう)」という記述が出てくるのですが、 どういう偶然か、この板倉内膳正重正のご子孫が、私の聖マグダレナ女子学院の同期におりました。 実は、私の母方の先祖は島原の乱を援護したことがある人です。もちろん、四郎時貞の側でした。このとき、わたくし方の先祖が放った「下げ針の金作(さげばりのきんさく)」という忍びの者の針が、城壁をのぼってくる板倉重正公の首元に刺さり、倒した、と家伝にも記されています。 なんと、いにしえの敵味方同士が、現代のミッション系スクールで、同じ釜のめしを食っていたわけです☆ 板倉家は今でも先祖代々を大変大切にしていて、男子はかならず「重正」の「重」か「正」をとって名づけられるということです。 それにしても、島原の乱を制圧するべく幕府の重責を負い、命を落とした板倉重正公が、ご自分の子孫がミッション系スクールに通っていることを知ったら、さぞかし隔世の感を抱かれることでしょう──そこのところ、「ミッション系に通学させるな」みたいな家訓などは残っていなかったのだろうか…。 由緒ある板倉家の子孫である彼女とは、今でも年賀状のやりとりがありますが、彼女と仲良しになれたこのご縁を、私は天に感謝しなくてはなりませんね☆ 閑話休題。 またまた手前味噌な話で恐縮です。 私は以前から、明治の「財閥」という存在を、非常に不可解に感じていました。 なぜなら、幕府が倒れてすぐに、なぜ「財閥」と呼べるほどの財力のある人々が台頭できたのか──今まで「商人や町人」だった人々が、明治になってから急に大儲けし始めたのか…そのあたりが、どう考えても、不思議だったのです。 今回、いろいろな史料を求めるうち、明治の財閥のほとんどが、江戸時代は造り酒屋の出であることがわかってきました。 代表的な造り酒屋が、「鴻池」と「三井」です。造り酒屋で儲けた金を、高利で貸す。これが大儲けの直接的な手段でした。 ところが、鴻池や三井は、次々と造り酒屋をやめていきます。 何故ならば、当時の百姓一揆を見ると、襲われているのは、必ずといっていいほど大名と造り酒屋なのです。それゆえ、「百姓に物を売ったり金を貸したりして儲けるのは怖い」「いつやられるかわからない」と恐れた彼らは、標的になりやすい造り酒屋をやめ、金貸し一点張りになりました。それも相手は幕府、大名、町人と決めたのです。 なぜならば、幕府や大名はちっとも怖くない腰抜けどもだからです。侍はなにはなくとも気位が高いので、鍬や鋤を持って暴れたりはしない。だから、幕府や大名に多額の借金をさせて、長年、湯水のように高利を得ていたわけです。 それゆえ、幕府が倒れた後、それまで築き上げてきた豊富な資産に物を言わせ、「財閥」として表舞台に躍り出たのが、その昔、造り酒屋からのし上がった、大変に先見の明のある人々だったのです。 『箱根用水物語』■第八章 友野与一■ ムツカシイ話はともかく、改めまして本日の本題── 最近、ハマっている(笑)、web拍手にてお楽しみください。◆小夜子版【本当にあった怖い話】◆ 三編ほど、以前にお話しした実話をまとめて載せてあります。ご了承ください。 こちらもよろしくお願い致します☆ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は、9月1日(月)、●八十八文●です。 八十八文とは、箱根用水の一日のバイト料です。 詳細は次回、本文にて──ご期待ください。 ◆終戦記念日の本日、戦没者の方々に黙祷を捧げつつ──
2008年08月15日
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