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言葉は、生もの。そう生鮮品です。 使っているのは生きている人間だから、使っている人間の心の変化に合わせてどんどん変化していきます。英語のようなスピード感のある言葉がどんどん日常生活の中に入り込んでいる今日本語自体のスピードも速まっていこうとしているのかもしれません。 いつも思うのが「ありがとう」と「サンキュー」お礼を言いたい時「サンキュー」というのは使いやすい。音ののりがよくってスピードがあって、全部言い終わるのもあっというま。でも、「ありがとう。」は長くてのんびりしてて言いにくい。少しのどのところでひっかかっていいにくい。「サンキュー」だったら、いいやすいんだけどなっといつも思う。 とくに「ありがとうございます。」なんて日常生活には使いにくい。ただ本当に感謝の心いっぱいで、しっかりお礼を言いたい時には「サンキューベリィマッチ」なんて軽いのりより、ありがたい。 それにしても「サンキュー」のほうが楽だな。 それから今まさに批判のまとなのが「ら抜き言葉」でも、社会がどんどんスピードアップしている今、「ら」なんか入れてしゃべるのはめんどくさくてまどろっこしいとみんな無意識に考えているのかもしれない。実際しゃべっているとまどろっこしい。私たちの世代はまだ、文章的に文法的に違和感を感じるから見苦しいと思うけれどいづれなんの違和感もなく普通の言葉として市民権を得てしまうかもしれない。 そういえば「いっしょうけんめい」という言葉。正しくは「一所懸命」と書きます。でもみんなが「一生懸命」と書いていたので今では「一生懸命」でも正しいということになって辞書にもこれで載っています。昔は「生」の字を使ったらテストでは、バツ!だったんだけどね。「一所懸命」というのは鎌倉時代に武士が幕府から頂いた土地を命を駆けて守ったことから来ているのですが、今時そんなことありませんから。確かにイメージとして「生」の方がピンとくるというもの。「一生懸命」でもちゃんと○だと思います。ちなみにパソコンで入力して変換すると、「いっしょうけんめい」では、「一生懸命」となるし、「いっしょけんめい」では、「一所懸命」と出てきます。 平安時代はいまよりずっとゆっくりゆっくり話していたそうです。古文の文章なんか今時の人間にはチンプンカンプンです。でも、あれも日本語。時代を追って古文の文章を見ていく、とだんだん現代文に近づいてきます。 私の文章の中でもよく使う「チョー」なんて表現も感じにすれば「超」なんだけど、他の言葉に置き換えようとすれば「とても」とか「すごく」とかいろいろあるんだけれど、なんで「チョー」を使うかといえばやっぱり英語のスピード感に似たのりのよさがあるんだと思う。ブログだから軽いのりの文章を意識して書くわけなので、「チョー」もすっかり市民権を得て日本語の用法の中で微妙に変化して普通の言葉になり始めているかもしれない。 それで、オレンジレンジの歌なんか聴いていると、文章としての切れ目をミゴトに無視したまるで英語のような早いしゃべりの歌い方。聞いてて小気味いいしおもしろいし、まさに日本語の英語化って感じでしょうか。スピード感ばりばりです。 時代とともにあたらしい言葉が生まれてきてそれを生み出すのは若い心。若い感性。とても面白そうです。 ↑昔読んだ大野晋の本がどれだったのか忘れちゃった。ので適当に大野晋を選びました。本年は稚拙な私のブログを読んでいただきありがとうございました。それでは皆様、良いお年を。この記事を評価する ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月31日
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冬休みに入って子供たちが毎日毎日毎日、家にいる。少しは遊びに行ってるけど、後は毎日家にいる。長男なんかずーっと一日、パソコンを使っている。おかげでなかなかブログが書けない。ブログが読めない。じゃあ長男がパソコンで何をやっているかっていうと、まず将棋の対戦、それから囲碁の対戦、囲碁のソフトをつかった詰め碁、それからー、ネット上の無料配信のゲームをダウンロードしたやつ。朝から晩までこれだ。コタツにもぐりこんで。いい年のワカモンが…。運動部に入れておけばよかったなんて今頃後悔してみても始まらない。文化部なんて休み中に部活なんてやらない。特にうちのクラブはね。何でゲームのダウンロードなんか覚えちゃったかって言うと、私がずーっとやってたからだ。子供っていうのはつくづく親のやってることをまねるもんだ。いいんだよー。こんなことまねしなくたってー。どうせまねるなら、ブログでも初めて文章力つけてよ。なにしろフリーゲームというやつは売れるかどうかなんて関係なく製作者の好みで作ってあるうえに、ダウンロードするほうだって、マニアックな趣味してるわけだから。で、なんのゲームやってるかっていうとこれが、戦争もの。『クラウゼヴィッツの戦争論』なんて本を、私がなんとなく本屋で買って、なんとなく家の中に読みもしないで積んどいたら、うっかり長男が読み始めて、すっかり戦争フリークになってしまったのだ。おかげで戦争の話を聞くとなんでも教えてくれる。それも、太平洋戦争は、特に。というわけで太平洋戦争のゲームばっかりやっている。なにしろプレステの『提督の決断』のシリーズの3がどっかいっちゃって家の中のどこを探してもみつからない。というわけでますますパソコンに嵌っていく。で、休日にパソコンで『カーグラフィック』なんかを見たいダンナは「パソコン貸して。」と気弱げに自分の息子に頼む。思春期の男の子なんて外では低姿勢のくせに家の中では威張っているから、父親といえども逆らうのはめんどくさい。そしてずーっとパソコンをやっている長男に見るに見かねて私が、「目が悪くなるし、ずーっとやってるし、いい加減あけなさい!」といってパソコンを奪還する。 かくしてやっと楽天にアクセス。自分のブログのアクセスなんかチェックして、次にアップするべきブログを入力する。それから他のブログを読んで、コメントを書いて、自分のブログのコメントのお返事も書いて、そんでもって、他のサイトを見に行って、年賀状をプリントアウトして、メールを書いて、というところで、娘が「進研ゼミ見るから、あたしにも使わせてー。」と言ってくる。しょうがないから少しパソコンを譲って、そのあとダンナがもう一回「貸してー。」と言ってくるのでダンナも使う。朝から晩までスイッチついてて、壊れちゃうよ。それでパソコン使えない間に長男は宿題やりだすんだけど、化学がわからんといって切れまくっている。新刊24巻も出たけど、楽天にはなかった。楽天のブックスたんとーは忙しいのかな。
2005年12月30日
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見てきました。『男たちの大和』 感想。ああー面白かった。 ていうのが感想。 いいのか。こんなんで。戦争映画なんだしさー。テーマは戦争は良くないとか、ラストかわいそうで見てられなかったとか、書くべきでしょう。 でもねー、見終わったら爽快なの。大和がラスト撃沈されるシーン。血の海です。バシバシうたれてバシバシ死にます。でも見てて私の場合あんまり悲壮感なくて。ていうか面白かった。これが同じシーンでも、本当に本物の実写だと、気持悪いんだけど、映画だとそれほど気持悪くない。どうせ生きてるし、血糊だろうしとか考えちゃうからなんだろうな。 そんでもって、人間て、その身のうちに残虐性を持っているんだなと再認識した次第。男の人って反戦とかいろいろ言うけどやっぱり「タタカイ」好きでしょう。男の子育ててるとわかるんだよね。男の子の遊びには必ず「タタカイ」ってのがある。女の子はやりません。こういう遊び。レンジャーものって男の子の必須科目だし。 で、人間てのは、原始においてはもともと狩猟によって食料を得てきたわけだし、血を滴らせてでも獲物をさばかなくちゃいけないし、隣村の部族と戦わなくちゃいけないしとなるとやはり戦闘は生きていくうえでの必須科目なので、そこで気持悪いとか残酷だとかたえられないとか言ってると生きていけないので、逆に必要だからこそ残虐性という要素も人間の中に内包されているのかもしれない。それは、食欲とか性欲とか物欲とかと同じように生命維持の上で必要なものだからこそヒトの中にプログラミングされているわけで。 ただ、問題なのは現代社会のような状況の中で残虐性が表に出てくると、周りの人間を殺したり、動物を殺したり、戦争を始めたり、生命の維持と種の保存に逆効果になってしまうという自己矛盾をもっている。 生きていくうえで必要なものは表面化され、不必要なものは隠されていく。 必要のないものをいかにうまくコントロールして、自分の中で制御していくか。現代社会の中でもまた、必要のないものイコール残虐性、戦闘心は制御されていくことを今まさに要求されている。 だから、戦争やめてね。 というわけで、映画から話がずれました。 反町隆史はご飯当番だったし、中村獅童は、対空砲の砲手だった。お偉いさんじゃなくて底辺の人物が主役。主人公の少年も対空砲当番。戦場のまさに最前線の現場の話。反町がご飯作ってるっていうのがなかなか。普通戦争映画で反町みたいなチョーイケメンのトップ俳優っていったらかなりかっこいい将校とかそういう役でしょう。中村獅童は片目撃たれてほとんど病院で寝てて活躍するシーンほとんどないし。なんていってるうちにラストの沖縄のシーンになっちゃう。 それでラスト三分の一くらいになってくると、絶対やられちゃうってわかってるのに出撃しろっていわれてみんなしぶしぶ戦場に向かう。みてる私は「バカみたい。やめりゃーいいのに。」とか何度も思った。だけど、私がそう思うのは戦後アメリカが日本の復興のためにそれなりにいろいろやってくれたのを知っているからであって(今はわかんないけどさ)、当時の人たちは負けたらどうなるか全然わかんないわけだから、しかも上層部にすればここでやめれば自分たちどうなるかわかんないし、大枚はたいて作った大和がまだ残ってる状態で戦争やめるのもったいないしとりあえず使ってからとか考えたかもしれないし。うーん。やっぱりやめづらかったのかな。当時の人たちの感覚はやっぱり今の私たちには想像しづらいのかな。 それで、だめもとで沖縄に向かうあたりで、そろそろ渡哲也なんかが出てきて、みんな悲壮な雰囲気でイクゾーって盛り上がってくると思わず「かっこいい。」とか思っちゃうわけだ。その後で「おおっとまずい。やめりゃーいいのにバカみたい。」とか思い直すんだけど、やっぱりなんかかっこよくって、敵機にガンガン撃たれてやられて悲壮感たっぷりで見てるとだんだんかっこよくなってきてやっぱりどう見てもこの映画は戦争賛歌の映画だなーと言うのが結論。です。 それにしても、「大和」ってかっこいいすごい戦艦だと思ってたんだけど、対空砲なんて一機にだいたい八人から十人くらい必要な作り。もろ人海戦術じゃん。しかもヘルメットもろくすっぽかぶってないし、鎧も何にもなし。空から撃ってこられると身を隠す場所も全然ない。海軍なのに陸軍の白兵戦と変わらない感じ。さらに方向調整は人の目でチェックした挙句、足こぎで合わせる機械。弾を入れるのも人間。この頃の技術ってこんなものだったのかと無知な私はひたすら驚きました。あんな対空砲で戦闘機打ち落とせるとは思えません。命中率限りなくゼロに近そう。これで対空やらせてるんだから、兵士が死んじゃうのはわかってたでしょ、作ったヒトたちは。こないだの姉歯事件と大して変わんないかな。あっといけないまたこっちの話になっちゃったよ。 鈴木京香さんきれいだった。それと最近気になるのが寺島しのぶさん。あんまり美人じゃないから主演にはならないんだけど、最近いろんな映画でチョイ役とか脇役ででてくる。『東京タワー』でも、面白い役やってたし。なかなかいい味だしてるよね。最近きになる女優さんですね。 最後見終わって思わずラストソング聞き入ってしまいました。今回すごいと思ったのは見てた人みんな最後まで席を立たなかったこと。音楽が短かったせいもあるかもしれないけど。普通映画が終わると、タイトルロールと歌の流れてる段階でバタバタ席立って帰り始めるでしょう。ところが今回はみんな最後に館内のライトがつくまでずーっと見てたんです。すごかったな。やっぱ感動したのかな。 私はひねてますから、みなさん素直に感動したかも。とにかく映画としてはいい出来でした。なかなか秀作です。 などと書いていたら後ろから長男に「最近戦争ネタ多いからやめとけー」と言われた。そんなこと言ったって書いちゃったし、このあと『亡国のイージス』も借りてくる予定だし、別に私は戦争オタクじゃないんだけどさ。なぜか面白そうなんだもん。 『男たちの大和』その2『男たちの大和』その3
2005年12月29日
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ぴすけっとさんのところでブログを読んでいたら、方言の話題が出てきた。 うーん。方言か。私は東京に住んでいるのでよくわからないのだけれど、地方から東京に引っ越してきた人はみんな、東京の標準語をクリアして、標準語をしゃべる。やっぱり東京に住みはじめたら方言を通すのは大変なのかなあ。 もし、私が地方に引っ越したら、やっぱりその土地で標準語を通すのは大変そうだ。「いつまでも東京の言葉をしゃべってんなよ。」と不評を買いそうだ。ちなみにもし、私が地方に住むことになったら、その土地の言葉を覚えたい。そしてしゃべりたい。なんか楽しそうだ。英語を覚えるよりは楽そうだし。なにしろ東京で方言はしゃべるわけにもいきませんしね。やっぱし? さて、標準語って奴はいかんせん評判が悪い。一番言われるのが冷たい感じがするってやつです。ここでうちのダンナに聞いて見た。「ねえ、標準語って冷たいと思う?」ダンナ「別にー。」なにしろずーっとこの言葉使ってるし、私もダンナも他のところに住んだ事も方言を使ったこともないからねえ。 その次に標準語が不評な理由が「お上から押し付けられた言葉」ってことらしい。確か明治の初期くらいに政府で国内共通の言葉があったほうがいいだろうってんで決めたものらしい。 巷では標準語イコール東京語ってことになってますけど、ちょっと違います。標準語って言うのは、明治の初期、政府が標準語を作るのに悩んだ挙句、武家の奥方が使っている言葉を選んだのだそうです。昔、NHKのドラマでこの標準語を決める顛末を描いたドラマをやってたのを私は見てたわけですが。でも、なにしろ昔のことなので、細かいことはうろ覚え。記憶にずれがあるかもしれません。間違っていても、ゆるしてね。訂正していただいてもかまいません。 と言うわけで、標準語と東京語はちょっとちがう。私は東京に住んでいるけれど、東京にいるから標準語なんじゃなくて義務教育の学校に通うことで覚えた。私の母もヂモッティなので、母の言葉は実は標準語じゃないのです。なまってるんです。もし、私が学校に通わなくて、母にだけ育てられていたら、標準語はしゃべれないかも。 標準語は義務教育を通して国民に習得されたものかもしれません。だってみんな標準語しってるじゃん。あら、もしかしてテレビのせいかな。 さて、最近は方言にも人気が出てきて、ギャルの間でも流行っている様子。私も方言の持つ面白い言い回しや抑揚やあったかさが好きです。標準語が冷たいかどうかはわからないけど、方言の表現はやはりどこか、とげのない暖かい伝え方ができると言うメリットを持っているなあと思う。でも、関西弁なんかけんかごしだけどさ。 東京に出てきたら、方言は恥ずかしいとか。標準語で話さなきゃとかそういうのはもう超越して、みんなで方言をしゃべりあったら、東京という場所で全国の言葉が混ざり合って新しい標準語が生まれるかも、なんて考えてみました。でもね、ある程度は通じるように少し修正入れながらしゃべってね。 と、ここまで考えてきたら、なにも東京に限らず、ネットの世界は全国の人が一同に会して集まってくっちゃべってる場所なんだからネット上でみんなが方言を適度に使ったら、結構面白い全国共通語が出来上がっちゃったりするかもなんて想像してみました。でもあくまで、適度にね。適度に。説明しなくても通じるくらいに解いてからにしてくださいね。なんてだめでしょうか。ああ!みんなが方言使い出したら、標準語しかできない私なんかむちゃくちゃさびしいじゃん。どうしようー。 ↑新刊がでたぞー。
2005年12月28日
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日曜日、娘は友達と『ハリーポッター』を見に行きました。映画を見て、お昼を食べて、サティを見てかえって来ました。 お昼はスパゲッティを食べたそうです。ええっ! 中一から子供だけで外食だって。確か私の頃は高校生で喫茶店に入ったと言ったら兄から不良といわれたのに。今時は中一でもう外食ですか。 お昼はマクドってことにしてたんだけど。中一から外食なんてとんでもないと言ったんだけど。でも、「お友達からスパゲティ食べようと言われた。」と言われて、母は戸惑いました。だめといってしまえば、それが一番楽で、安心なのですがあまり厳しくしすぎることが必ずしもいいことではないだろうと思うとオーケーを出さざるを得なかった。もっとも、小六ですでに子供だけでマクド行ってたっけ。どうしたものかなあ。これからどんどん行動範囲を広げていくんだろうな。でも、友達もいなくてどこも行かなかったらもっと心配。携帯だけは厳しくダメを通してますが。安くなったらオーケーだって話していたら本当に安くなっちゃった。とりあえず気づかれないようにしらんぷりです。時代もどんどん変わってるし価値観もどんどん変わってるし。昔は「とんでもない」で終わったことがどんどん許可せざるを得なくなっていく。どこで線引きするかということです。母の悩みはつづく。のでした。↑ずーっと使っている家計簿です。値段も安いし、シンプルでとても使いやすい。
2005年12月27日
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『西の魔女が死んだ』 読んだことがありますか。 小学校の五年生くらいになると子供たちは、精神的に一段大人になります。ためらい、恥じらいを覚え始めます。そしてそれと共に女の子は、男の子よりも精神的な部分の成長が早いので、まず母へのまなざしが厳しくなります。母親の欠点をズバズバと指摘するようになります。友達のお母さんが娘に「お母さんが幸せにみえない。」と言われたと言って、相当ショックな様子でした。うちの娘も普通の人間関係なら言わないことをそれこそバシバシと指摘してくれます。 そして、クラスの中の女の子たちの人間関係のとり方も、難しくなっていきます。『西の魔女が死んだ』はそういう思春期の女の子たちの学校生活の難しさをはっきりと文章にしてくれた作品でした。 クラスの中で女の子は必ずグループ化していきます。男の子は一匹オオカミを通していてもそれほど浮いては見えませんが、女の子がクラスの中で群れずに一人でいるといことはかなり厳しいことです。必ず浮いていることがわかりますし、目立ちます。その中で一人を通すということは、とても勇気と強さのいることです。そのために何とかうまくクラスの中でグループに入り込んで友達とうまく歩調をあわせ、行動をあわせ、話題や興味を合わせて暮らしていかなければなりません。でも、そうやって人とあわせていくということは、つまり、自分というものをかなり偽らなければならなくなるということでもあるのです。好きでもないのに好きと言ったり、行きたくもないのにつきあったり。 『西の魔女が死んだ』の中で主人公の少女はそういうことがいやになってしまった。そしてある年それをやらずにいたら、結局一人になってしまって、でも、やはり一人を通すほど強くはなかったので、学校に行けなくなってしまったのでした。魔女を自称する主人公のお祖母ちゃんは、必ずしも物事は理想どおりにはいかないものだし、状況によっては自分のために折れることがあってもいいのだと話してくれます。おばあちゃんとの暮らしの中で少女の心は少しづつ癒されていきます。 『蹴りたい背中』の中でも、主人公の少女はまわりにあわせることに嫌気がさして、クラスの中で一人でいようとする状況が描かれています。 また、絵本の『ストライプ』では周りにあわせようとしすぎて自分自身がわからなくなってしまう少女の姿が描かれています。私も女なので男の人の世界がどんななのかはわかりませんが、女の子というものは、まわりに微妙にあわせながら生きていかなければなりません。もちろん男の人だって協調性は必要ですが、女の子の場合はそれ以上に、他人に対して厳しい世界と思えますから。 周りに上手に合わせることも、自分というものをなくさないようにすることもどちらも上手にできなければならないということです。 どのくらい周りに合わせ、どのくらい自分をだすか。周りにあわせながらも、その中で自分自身のアイデンティティもなくさないようにうまくバランスをとっていくのはとても難しいことです。そうやって、女の人ならみんな、いろいろな過程をくぐり抜けながら成長してきたのではないかと思います。 そしてもちろん大人になっても、終わるわけではありませんが。この記事を評価するブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月26日
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耐震偽装事件まだまだ盛り上がってますね。総研もヒューザーも木村もみんなテレビで泣きそうな顔してて、泣き落とし作戦なのか。せっせとニュースを見てますが、とにかく木村建設は絶対悪者。だと思う。 木村建設のあの支店長、工業高校卒なのですね。そして姉歯さんも工業高校卒。構造計算はかなりむずかしそうですが、三回も建築士試験落ちてるということは、あんまり頭良くないのか、仕事が忙しくて勉強できなかったのか、建築士試験というのはかなりむずかしいものなのか、あるいは工業高校だけの勉強が基礎ではきびしいものなのかこのあたりもニュースで取上げてほしいものです。耐震基準に関しては先日のニュースだか、ワイドショーで、かなり詳しく説明してくれたのでよくわかりました。また、鉄筋を減らしても、別の新しい技術の導入によって偽装ではなく建設が可能なパターンがあるのもわかりました。 そこで今回ニュースを見ていて思ったのは、技術の進展が早すぎて、現場の人間が追いつけなくなってきているのじゃないかということでした。大手建設会社なら常に高学歴の人材を採用しているからまだいいのですが、木村建設くらいの規模だと、工業高校卒の人材が出世して部長クラスになっているような今の状況では、技術的に追いつけなくなってくるんだろうな。と。 技術はかなり進んでいて、いろいろな工法がありながら、工業高校卒では今の技術に追いつけない。となると今現在の自分の技術で何とかするとなると偽装しかなくなってきたのかなと。 部長クラスの人たちより、新卒の大卒、建築科卒の方が持っている技術的知識は絶対的に多い今のご時世。建設業界に限らず技術の最先端に追いついていくのは厳しい状況のようです。 藤原正彦さんの本を読んでいても、いまや数学はすごく進んでいて数学の世界の最先端に追いつく頃は30歳くらいになってしまうのだそうです。数学のような若い頭が命の分野で、30を超えてしまってから新しい数学を開拓していくのはきびしそうです。 今の理工学なんかでも、大学院まで出ないと使い物にならないのだそうです。あるいは大学院まで勉強しても今の技術の最先端まで行き着けないこともあるとか。 そんなことを聞いていると今の大学、悠長に二年間も教養課程に使っていていいのか。それじゃなくても学費を出す親は大変なのにさ。大学は時間を買うところなんて考えはもうそろそろ古いんじゃない。大学はガンガン勉強するところ。高校までかなりしっかり勉強してきたんだから、もう教養課程は無しにして、二年から、あるいは一年の半ばあたりからあるいは最初からどんどん専門の内容にふみこんでいくべきでは。企業の技術の最先端のその先まで勉強してから社会に出して欲しいところです。 それにしても姉歯さん、ベンツですか?話ちがうじゃん。 ついでに私見。みんな全容解明って言うけど、全容解明して偽装マンションがものすごい量でてきちゃったらどうするのでしょう。多すぎて政府が保証できませんとかってことになっちゃったら…。せいぜい100棟くらいでやめにしといた方がある意味身のためなのではー。 とにかくマンション買うなら建築士や設計者の学歴チェックしたほうがいいかなっと。つらつら考える今日この頃なのです。
2005年12月25日
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一昨日は終業式だったので、二人とも成績表もらってきました。 でも最近のシステムのせいで、成績表をみていても、簡単に喜べないと言うか安心できないというか。勉強が大変だからとやさしくしたのはいいけど、子供や学校の様子を見るとやっぱり受験が重くのしかかってる様子。難しいからつらかったんじゃなくて、競争社会だからつらかったんだよね。みんなでより上を目指すことに変わりはないんだから、どんなにシステムを変えても大変なことは同じ。 それでも都立高校、随分レベル落ちたナーと言うのがよくわかる。地域のトップ高は、昔は東大に何十人も入っていて、全国でもトップレベルの高校だった。それなのに、今では「えっこの子が入れるの?」って言うくらいレベルが落ちた。昔だったら絶対無理であったであろう子がトップ校をめざしている。 私が今一番疑問でわからないのは高校の授業内容だ。昔と同じだとしたら絶対彼らにはついていけない内容のはずだ。でも、今の現状に合わせてレベルダウンしているのだとしたらトップ校といえども、大学受験は期待できない。進学実績が落ちるはずだ。現状の子供たちがあのトップ校にはいって本当についていけるのか。授業についていけずに中退する生徒が増えているのだろうか。三番手か、四番手くらいの高校だと三割くらいが中退してしまうと聞いたことがある。 それでも大学全入が常識の今の時代、親はやはり大学入試を考えている。けれど果たして大学入試に都立高校がどれほど応えてくれるのか。うちの娘の場合は一番手の高校はまず無理なので考えていないけれど、じゃあ、その下の何校かを選ぶ上で、その学校が一番あうのか、判断しにくい。塾はなるべく上を目指させるけれど、全てのエネルギーを使い込んでやっと受かった学校では、実質入学後に授業内容を理解しきれない可能性がある。 がんばらせて高校に入っても内容的についていけないのでは意味がない。けれどレベルの低いところに入学させて周りの低俗ぶりにあわなければまたつらい。そして我が子の実力を見切るのもまたむずかしい。まだ中一なので判断できない。名をとるか、実を取るかということか。 まだまだ高校入試の実態は読みきれない。情報収集の真っ最中です。
2005年12月24日
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野球もサッカーも全然興味を示さなかった長男。体操教室も英会話もイヤダーと言ってやめてしまった。ゲームばっかりしていてしょうがないと思っていた。 ある日新聞を読んでいて、藤井猛が竜王になった記事を読んだ。将棋を始めるなら10歳まで。と書いてあった。そのとき長男は9歳だった。 さっそく安いゲームシリーズの将棋セットを買ってきて長男に教えてみた。私は女の子だったけど、昔子供の頃家にあった将棋盤を使って父が私と兄貴に教えてくれた。私はこの手のものはどうも苦手で、それきりになっていたのだけれど。おかげで指し方だけは知っていた。子供に教えてダメでも孫に伝わっていくのだから、ものを教えると言うのはどういう結果がでるかわからないものだ。 何回か親子で指すうちに長男が興味を示し始めた。いくら将棋が苦手でも、初心者の子供相手なら私でも勝てる。細かいルールがわからないので入門書も買ってあげて、長男は将棋を覚えはじめた。ついでに囲碁も教えてみたけど、将棋の方が魅力的だったらしい。もっともいまごろ囲碁に嵌りはじめてますが。 あっいうまに強くなってしまって、誰も相手ができない。今のようにネット対戦もできなかったので。本当に困りました。なにしろ将棋道場は、タバコの煙がすごくてとても入れませんでしたから。 おりしも受験をするハメになって、将棋部のある学校を選んだんだけど、いざ入学して将棋部に入った後で、パソコンを買ったのでネット将棋ができるようになって将棋部に無理して入ることもなかったような気がしないでもない。でも、今も将棋部です。 さて、順調に将棋が強くなっていく長男ですが、対して、私はこの手のものは苦手。先読みをしたり、計画的に駒をさしていったり、定跡を覚えるのも、私には無理なので。 それでも、我が子がやってることには興味がわいてくるものです。それで将棋指しが書いた本を読み始めた。将棋指しは理系頭なので、同じエッセイでも、小説家といった文系の人が書いた本とは一味も二味も違う。切込みがスパッとしていて読んでいてなかなか小気味いい。 おかげで将棋はさせないけれど、将棋のことには詳しくなりました。 たとえば将棋の対戦の後に行われる感想戦とか。たった今自分たちが指した将棋を盤上に再現しながらそのとき考えていたこと感じたことなど話し合っていく。つまり、対戦中の駒運びを全部覚えているらしい。すごい記憶力じゃありませんか。ちょっと私にはできそうにない。数学的思考力を持つ上にものすごい記憶力をもっている。東大の教授より頭いいんじゃないかと思ってみたりする。 将棋を指すうえで、ある程度うまくなってくると、今度は現在のプロ棋士の指した将棋の棋譜を読んでみて再現してみて覚えていく。さらには過去の対戦の棋譜を全部チェックして覚えていく。日本の将棋の歴史の棋譜を全部見ていかないとその先の将棋は指せないというか、勝てるようにならないんだそうです。思考力も記憶力も抜群でないとプロはやってけないらしい。 思考力も記憶力も必要なんて文武両道と同じですね。 棋譜っていうのは、将棋の対戦中の駒の動きを全部記録したものです。これを見ると過去の将棋の対戦を全て知ることができるようです。 それからいろいろなプロ棋士の書いたエッセイも読んでいます。 そうすると今の将棋界の様子もプロになる厳しさもとてもよくわかります。 私は将棋はさせないけれど、長男といろんな将棋の話をするのはとても楽しいです。
2005年12月23日
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私が娘を見るたびに「かわいいね。」というので、娘の中で「かわいい。」の言葉がいっぱいになってあふれてこぼれてきちゃいました。お兄ちゃんに「かわいいね。」と言い、わたしにも、「ママかわいいね。」といい、ぱぱにも「パパかわいいね。」と言って、家に中には「かわいいね。」がいっぱいなってしまいました。 私は猫が大好きで子供の頃はずっと猫と暮らしていたのですが、今は子供が喘息なので猫を飼うのはあきらめています。だからせめて娘を抱きしめて我慢。私の中では、子供をかわいいと思う気持と猫をかわいいと思う気持はおんなじみたいな感じです。猫と子供が一緒でいいのか。でも、猫のために命はる気にはなれませんが、こどものためなら命はれるから、それでいいのかな。猫フリークの人ごめんなさい。猫も子供もかわいいのですが、子猫はすぐ大きくなっちゃってつまんなかったけど、人間の子供はなかなか大きくならないのでたっぷり楽しむことができます。こないだ「渡鬼」を見ていたらさつきさんはカズちゃんの母代わり。教育費が要らなくて出産の痛いのがないのなら、なかなか役得。いいですよねえ。
2005年12月22日
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私は福田元官房長官のファンです。 福田さんが官房長官を辞めたときはすごーく悲しかった。しかも福田さんがあのバカたれの森元総理の傘下に入ったときは、もっと悲しかった。 福田さんが官房長官だった時はニュース見るのが楽しかった。どきどきうきうきしながら、見ていました。 今回福田さんが純ちゃんのスタッフに入らなかったのは次期首相としてとってあるんだと勝手に考えている。 純ちゃんと森のバカが乾いたチーズをつまみにビールを飲んだのは福田さん頂戴という話をしていたに違いないと勝手に考えている。 今回次期首相として阿倍さんの名前が出たのも、福田さんを隠しておくためだと勝手に考えている。 福田さんがんばってください。 などと書いていたら、うちの長男に、 「福田なんてたいしたことないやつじゃん。あんた見る目ないよ。」 と、ばっさり切られた。ううっ。 いいんじゃい。私の好みなんだから。
2005年12月21日
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ブログをはじめて二ヶ月がすぎました。あんまり深く考えないうちに時間が経ってしまいました。不思議ですね。現実世界では言えない事、本当は言いたいこと、ずーっと考えていたこと、ふっと考えたこと、よそ様のブログを読んで考えたこと、(それはちょっと違うんじゃないかいと思ったので自分のブログで自分なりの意見を書いても見ましたが、恐ろしいので記事の素になったブログにトラバを貼るなんてことはできないんで、そしらぬ振りをして、UPしてみたりして)など書いてきました。書きながらかなり奇麗事かいてるなーこんなにキレイゴト書いてて批判がこないんだろうか思いつつ、でもやっぱり現実では言えない事、自分の本音を書くというのが私のブログの趣旨なので、書きました。自慢話も書いてますね。こんなに自慢話書いてたら非難のコメントを書き込まれるんじゃないかとひやひやしながらですが、やっぱり書きました。自慢話は楽しいです。現実にはやっぱりまずいんで、ブログには書いちゃる!一日一ブログが基本ルールなのですが、一つUPしちゃったあとで、どうしてもタイムリーな話題が書きたくなって一日に二つUPしたことも。『終りに見た街』なんかそうですね。ずーっと書いてるとやはりブログですからアクセスが気になる。人気ブログとはほど遠いのでアクセスなんてたかがしれてますが、それでもついつい気になっちゃって。一日の初めはまず、前日のアクセスチェックから。もうこれじゃ完璧はまってますね。しばらく書いているうちに、楽天ブログ村にもなれたので、ちょっとよそのブログ村まで、お出かけ。よそのブログ村のテンプレートを除くとなんか楽天と全然ちがう。隣の芝生は青いものなのでこっちのブログ村もいいな、このテンプレートに変えたいなって思いました。さて、ブログものぞくのだ。見つけたー。かの有名な『ココだけの話』。そこそこの面白さです。もっと見つけたー。『実録鬼嫁日記』破格のおもしろさでした。ドラマになるのも無理ないですね。これ読んだ後で『溺れる冷蔵庫』を読んだら色あせてみえました。うわあ。こんなこと書いて田中さんにみつかったらどうしよう。ぞー。それからやっぱり一応ブロガーですからアクセスアップのノウハウを勉強するためにいろいろとアクセスアップのことを書いたブログを読みに行った。それで結果は?変わんないですね。悲しいですね。やっばり面白いこと書かなきゃだめですね。でも我がブログの趣旨を変えるつもりはありません。でもでも、勉強にはなりました。TBの基本も知りました。そういえば、よそ様のブログにコメントを書いた後、小心者の私はもしかして失礼なことかかなかったかしら、とそのあとしばらくはらはらはらはら。よそのブログは自分で削除できないものねー。でも、コメントを書いたらコメントのお返事を読むのがひそかな楽しみ。だからもう一度そのためだけに見に行って、ドキドキしながら読んでくる。どきどき。 よそのブログを読んでいたらやっばりブログは疲れるから、休肝日ならぬ、休ブログ日を週に一回くらい設けるんだって。確かに。気合でブログ書いてると疲れるもので。今日の見たいに何の趣旨もなく思ってたことをだらだらだらだら書いてる日は楽だけどさ。私もそうするべか。かと思うと一日に5回くらいアップしてる熱血ブロガーさんもいたりする。 携帯もデジカメもないので画像が貼れない。何が悲しいってブロガーやってて、こんな悲しいこと。というわけで悪運の強いうちのだんな様に「次はデジカメ当ててねっ」てお願いしました。この人こないだDVDプレーヤー当てたんですよ。だから次はデジカメね。 でもって、ブロガーって主婦が多いんだって。だんなのことほっぼりだして、夜はブログ書くのに忙しい。しょうがないからダンナはさっさと寝る。こういうのブログマダムというのですって。というわけでブログマダムの一日はアクセスチェックで始まり、ブログアップで終わるのでした。↑一昨日と同じ日渡早紀さんの作品。自分が発明した原爆が世界樹をダメにしてしまったことを嘆くアインシュタイン。彼のために二人の少年が…。
2005年12月20日
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私には今読みたい本があります。 エードリアン・ベリーの『一万年後』です。絶版です。売ってません。在庫もありません。読めません。国会図書館に通いつめるしかありません。 科学の本です。近い未来を予測するのは難しい。でも長いスタンで、たとえば一万年くらいとか。で、なら予測できるのではないか。というのが著者のいわんとするところです。しかし、一万年は長すぎないかいと思わないでもないですが。 今現在かかえる問題。社会の底辺の貧困とか。下に手をかけるのではなく、社会全体のレベルを上げることで底辺も上がるのではないかというのが、ベリーの書いていることです。 そのためには、もっと科学を進歩させよう。宇宙開発をもっと進めよう。 宇宙空間でなら、地上では出来ないような実験もできるし、いろいろなエネルギーや鉱物も採掘できるだろうということでした。 残念ながら、私はこのあたりまでしか読んでいません。 続きが読みたい。↑と言うわけで、清き一票お願いします。ホーキング、未来を語る普及版↑というわけで、今日の本はこれ。
2005年12月19日
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耐震基準は本当に正しいのですか。 昨日のNHKの九時からの番組見ましたか。さすがNHKですね。メインのメンバーがほとんど出てきました。姉歯氏のインタビューもヒューザーの社長も。少し痩せたかな。 今回の事件をテレビのニュース見ながらずっとなにか不思議でした。なんとなく見てただけなのでひっかかるものがなんなのか、よくわかっていませんでした。でも、昨日のテレビを見ていて、だんだんわかってきました。 偽装を始めてから七年も経つのに、話題のマンション75棟はみんな健在で、倒壊していない。ついこないだ確か、震度5近くの地震があったはず。倒壊しないにしろ、かなりゆがんでもよかったはず。告発されて事件になるまで住んでいる人たちが、まるできづかなかったということは、実は大丈夫なマンションだったりしないのでしようか。 鉄筋は法規定の三割まで減らしてあったそうです。三割も減らしていて七年も大丈夫なんてちょっと変だと思いませんか。もっとも最初の頃は三割までには減らしていないかもしれませんが。七割とか八割とかならいざ知らず、最初の基準の三割しかない状態まで減らしても建てる事ができるなんて、ちょっとありえない気がしました。 法で決めた耐震基準が厳しすぎるのではないだろうかと。 テレビを見ていても、シロウトながらこんなに鉄筋いれるものなのかなとちょっと不思議でした。あれだけ減らしても建てられるなんて本当ですか。 普通、ブロックや積み木でタワーを作ろうとすれば、ある程度以上に底辺部に積み木やブロックを使わなければ、絶対その上を組んでいくことはできません。そのある程度という量がタワー建設の最低基準としたら、その三倍 積み木を使うとしたらどう考えても無駄な部分があるというもの。 本当にあんなに鉄筋必要なんでしょうか。 最近、鉄鋼業界が景気がいいとついこないだ聞いたことがあります。「何で?」と聞いたら、「さあ、わからない。」ということでした。 鉄骨、鉄筋が沢山売れるように、耐震基準の規定を作る時に、鉄鋼業界と基準を作っていたお役人さんたちで裏金が動いていたりしなかったのかなあと、ちょっと想像してまいました。 構造計算のできる建築士というのはそれほどいないらしいです。しかも、計算するためには、高額の機械と膨大なソフトがいるらしいです。計算には相当の時間と手間もかかるそうです。 ソフトというのは、法基準の数値内で計算するようにプログラムされているのではないかと想像して、法基準を下回るように数字を設定しようとすれば、建築士にかなりの能力がなければできないのではないでしょうか。構造計算できる建築士が少ない上に、中には習ったとおりにしかできなくて、ソフトによる計算以外は自力では計算できないレベルの建築士もいるとしたら、構造計算のできる建築士と言うのはかなり少ないと思えます。その上で構造計算をして、法基準すれすれにあるいはかなり削減して、鉄筋を減らすような計算ができると言うことは、相当の能力だったのではないでしょうか。偽装しながら、実はここまで落としてもたぶん大丈夫だろうという読みがあったかもしれません。だからこそ、七年も続けられたのかもしれません。 あまりにも法基準が厳しすぎるので、建設業界でも不法とわかっていながら偽装を考えざるを得なかったとしたら。 建設業界にかかわらず、どの業界でも、ある程度の偽装というものはあるのかもしれません。 お医者さんが書いた本なんか読んでると、たとえば、患者さんがAの病気だとして、実はこの病気を治すにはBの病気のための薬が有効だとわかっている。でも、法規定では、Aの病気にBのための薬は処方できない。しかたがないから、患者さんがBの病気といことにして、Bの薬を処方する。ということもあるそうです。お医者さんは儲けるために処方するわけではありません。患者さんのために、良かれと処方するわけです。他にも、本当は初期の段階で薬を出しておけばひどくならずに治るのに、法規定があるから「薬が処方できなくて困る」と言うことを読んだ事もあります。外国で有効性が実証されている薬がありながら、国内でなかなか法的許可がおりないために使えないというのもよくニュースや新聞で見聞きすることです。もっと言えば、法規定のために、国内での手術ができなくて外国に行く話も多いですね。 法規定と言うのはなかなか改定されないし、必ず正しいとは限らない。 そして、法規定をはずすことがわかっていながら、法を守ろうとするとあまりにも苦しい状態になるために、業界全体で、密約の上で、偽装に近いことや不法なことが行われているというのはありえることです。そしてそれは、実はお役所の方でもわかっていることで、法を変えるのが難しいためにお互いに暗黙の了解である場合もありえましょう。 法の規定とはそういうものではないかと思います。 現在の耐震基準というのはもしかして厳しすぎるのかも。 じゃあどうして基準が高いかといえば、なにかトラブルが起きた時、基準が低いとクレームがつけられやすいからです。責任を回避するためには、なるべく高くしておいた方がいいわけです。でも、基準を高くすればそれだけ、建設する段階で材料費がかかり、経費が高くなります。偽装せざるを得なくなる。 では、耐震基準の法規定を低くしてはどうでしょう。たとえば、A B C の 3 パターンの基準を作るとか。構造上あぶなくないぎりぎりのパターンをCとして、現在の基準をAとして、その中間をBとする。そうすればCパターンはかなり建築費と販売額を安くすることができるはず。値段が高くても、高い安全を求めるなら、Aを選ぶ。命のためにCなんて選べないでしょうか。 ちなみに食品業界を考えてみると。食品には添加物入りのものと無添加のものがあり、どの食品も必ず、添加物を明記するように法で決められています。野菜や果物なども、有機栽培のもの、無農薬栽培のもの、農薬をつかったもの、など店頭ではっきり明記されて売られています。有機野菜はAパターンといえましょう。添加物入りはCパターンといえましょう。国民の安全を考えるなら、添加物や農薬を完全に法で禁止するのが一番です。でも、そんなことをしたら、絶対に食品は足りなくなるし、かなり高額になってしまって、高収入の人しか買えなくなってしまうかも知れません。添加物と言うのはかなり危険なものなのですが、危険が表に出てくるにはある程度の年月という猶予があります。みんなある程度の危険を覚悟の上で食品を買っているようです。危険がわかっていながら法的にはここまで。あとは消費者の事故責任に任されているということでしょうか。 マンションや家もこれからは安全を基準にして事故責任で買う時代になるかもしれません。 それにしても、今の耐震基準が本当に正しいのか、今一度優秀なメンバーをそろえて、考え直してもいいのではないかと私は思います。 ここまで考えてみて、なぜ七年も姉歯氏が偽装を続けられたのか、ヒューザーの社長が告発の手前で「ちょっと待って調べなおしてみよう」と言ったのも、「地震が来て見なければわからない」と言ったのも、事件発覚直後にみのもんたの番組に出演してたのも、納得がいくような気がしました。 イーホームズの社長の告発は本当に英断だったのか。ただのチクリだったのか。 今一度、耐震基準が洗いなおされて、規定されなおされてみて初めて、英断といえるかもしれません。 などといろいろ書いちゃいましたが、私は本当にどしろうとですから、めちゃくちゃなことを書いています。ファンタジーと思って読み流してください。 それにしても、姉歯事件のブログを三つも書いちゃったよ。こんなつもりなかったんだけどな。
2005年12月18日
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「お母さんなんて大嫌い!」と、娘が言う。「○○ちゃんなんて大好き!」と、私が言い返す。「……お母さんて、変!」 「どうして?○○ちゃんが捨てた『好き』っていう気持を私が拾ったの。だから、私の中の好きが増えて○○ちゃんのことがもっと好きになったの。」娘は憮然としてかえす言葉をなくしている。 ふふふふふ。 私に勝とうなんて三十年早いですぜ。 娘は今12歳。すごくかわいい。毎日見ていても飽きない。まだまだかわいい。 でも時々三歳の娘や一歳の娘や五歳の娘にもう一度会いたくなる。 娘はちゃんと生きていて毎日かわいい笑顔を見せてくれるのだけど。 小さかった頃の娘にはもう二度と会えない。その時その時せいいっぱい愛してきたのに、まだまだ足りなくて もう一度もう二度もう三度会いたい。 写真を見ながら思い出して、娘の昔の笑顔や、ぬくもりを思い出してみることしかできない。 あと何年、かわいい私の娘でいてくれるのかなぁ。ボクを包む月の光「ぼく地球」次世代編(2)新刊でましたね。読みましたか。
2005年12月17日
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チャン・ツィイー主演で日本の芸者の話を描いた『SAYURI』がロードショーされていますね。 私は日本人なので、外国で作った日本を舞台にした映画をみていると、どうしてもおかしいというところがあるものだから、そういうところが気になってしょうがないのです。細かいことにこだわるこの悪癖には困ったものです。 『ラスト・サムライ』を見た時も設定のめちゃくちゃさばかりが目に付いて、いい映画とは思えなかった。周りの人たちがみんないい映画だったというんだけど、(うちの長男も横で見ていてなかなか良かったといいました)私の頭の中はハテナの嵐。 そういえば昔、『SHOGUN』という映画もあったことを思い出しました。あの時はそれほど不快ではなかった。なぜだろう。私がまだ、若かったから。少なくともヒロインは日本人だった。たしか島田洋子さんだったかな。それから、撮影が日本。言葉も日本語だったような気がする。なにしろ昔なので細かいことはうろ覚えです、すいません。時代考証もあまり無理がなかった。ような気がする。 『ラストサムライ』は、時代考証むちゃくちゃに見えました。ファンタジーと言ってしまえばそれまでですが。 さらに思い出してみると、『ベルサイユのばら』も映画では、ヒロインは白人。このヒロインがフランス人だったか覚えてないよー。撮影場所もパリ、ベルサイユだった。本物の場所。で、英語だったんですよー。若かったから特に何も感じなかったけど。フランス語でも日本語でもなかった。インターナショナルな映画は英語で作るのが常識なのかな。うーん。 日本の漫画は結構外国が舞台の話多いですよね。でも、漫画くらいだと、それほど外国の目に触れないので、国内で「面白いね」と言って終わるんだけど、映画だと国際的に配信されちゃうからね。 じゃ 外国の人たちが読んだらどんな感じがするんだろう。読んでみて感想言って貰わないとわかんないですね。私の知り合いに外人いないしなー。『荒野の少年イサム』とかアメリカ人が見たらどうなのでしょう。日本でウェスタンの映画作ろうって話はさすがにまだないですねー。 外人の監督が日本語の映画作るのは大変と言われてみるとなるほど、確かにーとも思いました。日本の監督や通訳も雇って徹底的にこだわることもできないこともありませんが。 あくまで外国の人間の視点で見た日本であれば、やはりこういう出来になるのでしょう。 日本人が外国の話作ろうとしたら、ご当地の人が100パーセント納得できるものを作るのはやはり無理だろうし、だから作るなといわれるのは困るかもしれない。 日本で日本の芸者の裏側を描く映画はなかったことを思うと(もしかしてあったかも)、この視点で作った映画があってもいいのかもしれません。 外国の話を作ろうとすれば、どこかの国がどこかよそのの国の映画を作るうえで設定のズレはある程度容認するしかないし、そうしなければ作れないだろうし。 やっぱり細かいことをうるさく言ってもしょうがないのかーとつくづく考えちゃいました。 とにかく『SAYURI』を見てこないことにはこれ以上書くのは無理ですね。うほほ。
2005年12月16日
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昨日のテレビはすごかったですねー。おかげで「渡鬼」見られなかったけどさ。 姉歯氏を非難する声多いですね。私は同情側です。上からの圧力で殺人をするっていうのは、結局戦場の一兵卒と同じかなと思って。戦争なら勲章で、平時だと非難されちゃうんですね。もちろん殺人勲章の世の中なんてごめんですけどね。 でも、苦しい現実の生活の中でふらっと悪事に手を染める。これが人の命にかかわるとわかっていながら、目先のお金に手が動く。一番収入がいいからと芥子畑を作って生計をたてる貧しい農村。あるいはスナイパー。似てるね。 やはり法的な規制がこれからの課題なんでしょうね。 私も昔仕事でよくお役所にいろんな書類持ってったけど。お役所なんてものはどこに行っても書類は提出させるだけで中身をチェックしてるようにはみえなかったな。 姉歯氏も言ってたけど 法による管理は必要ですね。 もし、強制されなかったら勉強もしないし、学校も行かないでしょう。法で禁止されていなかったら、腹の立つやつをついその場の激情で殺してしまうかもしれないし。あるいはそこまでいかなくても、道徳観だけで、盗みを抑止することが果たして普通の我々にできるでしょうか。何しろ買い物ってのはほとんど毎日のことだし、世の中には素敵なものがいっぱい売ってますからね。ある日突然ストレスや疲れで、気持の制御がつかなくなって、ふらっとなんてありえるでしょ。もし、法的規制がなかったら、やっちゃう可能性はかなり増えます。普段はあまり認識していませんが、やはり心の奥で監獄を想像しているんでしょうね。無意識に。法で禁じられていて良かったと根性無しの私なんか、感謝してます。 中近東とか暑い国の法律なんかとくに厳しいですね。暑けりゃ暑いほどやはり人の心の制御力は落ちるんでしょうね。昔は手足切り取るとかだったらしいですね。そこまでしないとならなかったんでしょうね。 昨日の子供の学校の面談なんかで、先生と話していて「タバコはやはり注意してます。法で決められたことですから。」と、先生はおっしゃった。でも、私はそのとき言わなかったけど。かんがえました。ちょっとちがうでしょ。タバコは子供の体に(大人もだけど)良くないから禁止なの。だから法律で決めてるの。法のために国民がいるんじゃない。国民を守るために法律はあるんだよ。そこまで生徒に言わないとただルールだから守れでは生徒の心は動かないよ。 ルールは人間のためにある。ルールを守るために人間が生きてるわけじゃない。 姉歯氏は、告発されて、悪事がばれてほっとしているように私には見えました。ずうっと偽装を続けながら、もういい加減こんなことはやりたくないと、思っていたようにも見えました。自分の感情が表にでないように必死に無表情を装っているようにも見えました。 人の弱さがわかっているから、法で規制する仕組みがどこの国にもあるんでしょうね。 建設業というのは「まんねん不況」と呼ばれている業種でして、他の業種に比べて本当にお給料が安いんです。材料代と人件費にかなり経費がかかりますから、儲けは本当に少ないのです。ほとんど赤字寸前です。 建築士なんていうとかっこいいですが、本当に儲かる建築士はどのくらいいるのか。私は息子を建築士にはしたくありません。だって、安いんだもん。せこいかな。 まあ、この問題も複雑で、とてもブログの記事一回では語りきれませんよね。 それにしても総研の白髪頭の爺はゆるせん。↑ということで今回はこの本を選びました。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月15日
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『ノーブレス・オブリージュ』という言葉をご存知ですか。高貴なる者の義務 より地位の高いもの、より立場の高いものは下のもののために果たすべき義務を背負うもの これは本当にかなり地位の高い人、相当知性の高いものにとっての言葉ではありますが。 でもそれはそれとして、 たとえば、両親と小さい子供二人の家族四人で旅行をする。旅行のための荷物は四人分。ではそれを持つのは? 大体まず、お父さん。それからお母さんですよね。 四人平等に同じ量の荷物を持つなんてことはないですよね。 小さな子供たちにまで荷物を持たせることはまずないですよね。 それはやはり より力のあるものが力のないものの分の荷物を持つということ。 人の世界でもまた、より力のあるものが力のないものの分の荷物を持つ。 私は母と折り合いが悪い。何度言っても母は、私が母の言葉でどれほど不愉快な思いをしているか、わかってもらえないからです。あまりにも腹立たしいので、ほとんど喧嘩のように相手を非難することになってしまう。母はがっくりと元気をなくす。母の言葉に不愉快な思いをしているのは私。いくら言っても通じない思いにいらつくのは私。でも、それを解消しようとしていくら言っても通じず、悲しそうな顔をする母に罪悪感を持つのも私。割りにあわないジャン。おかしいじゃん。理不尽だなぁと思った。 でも私にとってできて当たり前のことが、やはり母にはどうしてもできないのだろう。 たとえば体力があるとか、知能がすごく高いとか はっきり眼に見えてわかりやすいものなら、いいのだけれど。目に見えないわかりにくいものは、やはりなかなか納得しずらい。普通の人間なら普通にできるはずのことを、一見普通にみえる人でも、できないということがあるんだなとちょっと最近考えた。いくらいっても通じないのだとしたら、あるいはその相手にとってはとても難しくてどうしてもできないことなのかもしれない。そのときはやはり、不愉快でも、理不尽でも、納得できなくても、できる側ががまんして、その荷物を肩代わりして持ってあげるしかないのかもしれない。 たとえば、健康な人と、病気の人。あるいは、健常者と、障害者。あるいは、すごく頭のいい人と、普通の人と、ちょっとおばかな人と、知能の低い人。(差別的表現がはいっているかもしれません。ごめんなさい。)高収入の人と、低収入のひと。(これはどちらもその人なりに精一杯働いているという前提の元にですけど) 普通な人と、普通じゃない人。(こういうのぱっとみわかんないよね。) なんでこの程度のことわかんないんだろう、できないんだろうと思うこと。 やっぱり能力の高い人、仕事のできる人にどうしても仕事や負担や荷物が集まってしまうもの。大変だなあと思いながら、がんばってひきうけるしかないんですね。 『ノーブレス・オブリージュ』という言葉。きれいだなあと思って、私は結構好きなんですけど。 『オブリージュ』という言葉には「義務」という意味とともに「喜ばせる」という意味があるのだそうです。 うーん。言葉って不思議。 ↑在庫ありません。天(そら)は赤い河のほとり(1)ばらならありますね。日本の女の子がタイムジャンプして、紀元前のヒッタイトに暮らすことになる。彼女はやがてヒッタイト国王の寵を得て、イシュタルと呼ばれ、タワナアンナとしてまさに『ノーブレス』の立場に立つことになります。人の上にたつもののあり方とはどういうことか、ストーリーテラーの篠原千絵さんの作品の最高峰と思えます。
2005年12月14日
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今回の京進事件はかなり教育界を震撼とさせたのでは。 世の中塾、塾、塾、と塾熱、加熱しまくりで、塾行ってない方が変という感じでしたが、この事件で塾熱が少し沈静化してくれたらとも考えています。 このニュースを見て、これからはアルバイトもうっかり雇えないなーという感じでしょうか。 そういえばコンビニの店員なんかアルバイトがあたりまえですが、こういうアルバイト店員に泣かされているコンビニ経営者って結構多いんですよね。お客さんの万引きより店員がお店の商品ちょろまかしたり、お店の売り上げちょろまかしたり、レジのお金もってっちゃったりするんだそうです。おかげで儲けがあぶないって泣いてるコンビニ経営者さんも結構いるらしいです。私の知り合いの知り合いのお宅はコンビニ経営してるのだそうですが、バイトの店員が店の商品やお金を盗まないように、小さな窓を作ってそこから一日中見張っているんだそうです。そこまでするなら自分が働いた方が早いんではとも思いますが、なんか情けないですね。 今時はアルバイトもうっかり雇えない。正社員の場合はきちんと面接して雇う時にも結構神経使ってますが、バイトってわりと簡単に雇っちゃってますよね。いちいち、素性のチェックや前科なんて調べてられないし。 でもこれからはそうもいかないかもしれない。逆に、バイトなんかより、きちんと正社員雇ってきちんと育ててっていう風潮になった方が今のニート、フリーターの世の中にはいいかもしれないですね。企業側は、パートやバイトの方がいつでも解雇できるし、時給も安くて人件費がかからないからという雇用システムから、正規社員をきちんと雇ってきちんと人材育成をするというかつてのシステムに戻っていってくれれば、ニートやフリーター中心の社会も変わっていくかもしれないのではないかと、ちょっと期待しています。多少使えなくても、手をかけ、お金をかけ、労力をかけて人材を育てるって言うのは大事なことだったんですね。最後に堀本沙也乃さんのご冥福をお祈りいたします。
2005年12月13日
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長男が幼稚園だった頃。 印旛沼に遊びに行ってカエルを4、5匹捕まえました。長男が幼稚園に持っていくというので、軽い気持でもっていったのですが。そのまま、幼稚園の長男のクラスの動物たちの一員になってしまいました。なにしろカエルですから。なんと幼稚園のクラスの男の子たちが毎日生きた虫、蝿とか を何匹も捕まえて餌にしてくれていたのです。いったい何匹捕まえつづけてくれたのでしょう。深く考えもせずカエルなんか持参しちゃってよかったのかな。 でも、先生はいやな顔をするでなく、ごく当たり前という態度でカエルをひきとってくれました。そして、カエルの世話や餌やりもクラスのみんなが当たり前のように世話をしていたようでした。そんに風にいろんな生き物との生活が、子供たちに大切なものを教えてくれていたようでした。 その後、その学期が終わった段階で、カエルはまた我が家に帰ってきましたが、私にはとてもそんなに毎日ムシをつかまえるなんてできませんから。しょうがないので近くの公園の池に放してあげました。 それにしても、そんなカエルを引き受けてクラスの中で預かってくださったなんて なんと懐の深い幼稚園だったのでしょう。もちろんその幼稚園のそんなところが良くて選んだ幼稚園ではあるのですが。 自由保育主体の幼稚園でしたから、あまり子供たちに強制を強いるようなこともなく、保育の時間ずっとすき放題遊んでこれる幼稚園ではありましたが。 鼓笛もなく、運動会も子供に負担のないよう平日の半日だけ。遠足も親の付き添いはなく、発表会も派手の衣装などなく、クラスごとの自然な形のものでした。 自由保育は 学校に行ってから子供がきちんとできないのではないか とよく言われますが、そんなことは全然なく、長男は小学校ではきちんと小学校のシステムにはいりこんでいました。 やっぱりいい幼稚園だったのかなーとついふっと思い出してしまいました。↑森本梢子さんのわたしがママよを貼ろうと思ったら画像がなくってー。
2005年12月12日
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なんか似てるなーと思ってしまって。 どちらも周りで気づいてる人間がいるんですね。でも、摘発できない。 やってる当事者も摘発されないだろうとタカをくくって悪事をつづける。 たとえば学校のトイレでいじめっ子がいじめる相手を個室にとじこめる。それを見かける子がかならずいるはずです。普通なら、道徳的に考えるなら、こんなことやってるの止めるはず。あるいは、先生に言いに行くはず。でも、今の子はどちらもやりません。自分がその現場を目撃したことをいじめっ子に見られていますから、もし、先生に言いに行けば告げ口したことは自明。そうなれば、今度は自分がいじめられるかもしれない。みんなそのことをわかっているのですね。 私も娘に聞いてみましてた。やっぱりしらんふりするだろうという答えでした。私が今中学生だったらやっぱりしらんふりしたかもしれません。 摘発できないんですよね。みんな知ってて、見てて、気がついてて、でも、そのままでいってしまう。 耐震偽装問題もニュースを見ていると、何人もおかしいことに気づいた人がいるそうです。でも、誰も摘発しなかった。声をあげなかった。 日本という国は「ナアナアイズム」がある。なにかあっても体外まあいいじゃんと言われてしまう場面がとても多い。そんな考え方をすることがすごく当たり前になっている。 『ドラゴン桜』を見ていた時もヒロインが言ったセリフ。「別にいいじゃん。そんなことどうだって。」このセリフ。普段の生活でもものすごくよく聞く事のあったセリフ。 そろそろこんな「ナアナアイズム」とはさよならしたい。 それにしても摘発できない日本の現状。 せめて子供たちの世界。摘発しても自分に危険の及ばないよう、学校のシステムを変えていけないものなのか。世論をあげていくしかないですね。 とりあえず今 娘の学校ではここまでひどいいじめだけはありません。 子供たちの心が擦り切れていかないよう 親は気をつけて見守っていくべきなのでしよう。↑シュタイナーの本です。今度は七歳以上のお話。この本を読んでいると子供は大好きといって抱きしめていれば自分の力で成長していくんだと思えて安心できるのです。 ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月11日
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いつもブログを読ませていただいてるぴすけっとさんのところでバトンを見かけたので私もやってみることにしました。次にうけとってもらえる予定はぜんぜんありませんが、書いてみるだけ書いてみます。ブログの世界にはこんなものまであったのですね。なんか面白い。バトンにもいろんなものがあるらしい。チェーンメールとは違ってなかなか素敵な企画ですね。Q1.小さい頃、何になりたかった?漫画家 絵が好きだったので、せっせと漫画を描いては漫画雑誌に投稿していました。でも、へたくそだったから。やっぱり夢で終わりました。でも私がいた高校の漫画サークルでは三人 ホントにプロになりました。あの三人その後どうしているだろう。Q2.その夢は叶いましたか?当然かなってません。でもなりたいものがあってがんばってた思い出だけでもいいかもしれない。Q3.現在の夢は?世界中のいろんなところに旅してみたい。いろんなものを見たい。いろんなことをしりたい。Q4.宝くじ3億円当たったら?海外旅行Q5.あなたにとって夢の様な世界とは?頭痛と肩こりのない世界。どんなに食べても太らない世界。なんかなさけない。Q6.昨晩みた夢は?(゚▽^*)ぁは☆覚えてません。ぜんぜん。実は夢の世界の番人に内緒にしてね。と言われてまして、だから内緒。Q7.この人の夢の話をきいてみたいと思う人は?私が知ってる全ての人。でもね、夢の世界の番人さんに寂しいからみんなに遊びに来て欲しいのって言われてるんです。よろしくね。↑シュタイナーの本。やさしくてわかりやすい素敵な本です。
2005年12月10日
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50万人突破ですか。そんなにいたんですね。楽天ブログ村には。正月休みに入って暇な人が試しにブログを始める。ということで。でも、もっと本は充実して欲しいよ。知識層の開拓なくして、高額商品売り上げの増加はありえないと思いますが。どうでしょうね。ついでに送料ゼロになる対策お願いしますね。ついでにカテゴリがホビー系しかない。政治とか経済とか、社会問題とか哲学とか、コラムとかないのかな。知識層の開拓なくして高額商品の売り上げ増加はありえないよ。
2005年12月09日
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最近は小学校の卒業記念に「ディズニーランド」に友達同士数人で(子供だけで)遊びに行くといのが流行なんです。もちろん東京だけの話だと思う。というかどこの地域までこの常識が通用するのかわかりません。 実はうちは車で20分でディズニーランドに行けるところに住んでいるのです。いったいこんな習慣がいつ始まったのだかぜんぜんわかりません。 何年か前読んだ中学受験の本で、受験が終わった塾仲間同士でディズニーランドに行った、という記述があった。受験の終わった塾仲間で行っていたのが、いつのまにか受験をしない普通の六年生にまで広がったのかな。 それにしたって子供はいいよ。楽しいし。でもねー親同士はどうしましょうってんで電話したり、相談したり、いくら持たせるとかだれそれの家が送り迎えするとか、お礼にいくら出そうとか、裏の打ち合わせが大変なんですよ。しかも、お金かかるし。普段から付き合いがあって中のいい親同士ならまだ、いいわよ。でも、ここ ここに至って初めて電話したとか、口利いたとか 初対面で相手の価値観もわからない状態で打ち合わせして調整しなきゃなんなかったんですぜ。カンベンしてほしいですよ。 しかも、この冬休みに「また行きたい」とか言い出すし。あんたこないだの3月に行ったばかりなのでは。 そんでもって「何でいけないの。」とか平気で言い出すし。 先日つくづく話をしてみたら、なんと、「ディズニーランドって言うのは各都道府県に一個ずつあるもんだと思ってた。」ですってー。ほんと?ホントにそう思ってたの? 思わず脱力。 「世界に確かよっつか、いつつくらいしかないものなんだよ。」って言ったら、「そっそうだったの。うちんちってすごいんだねー。」ですと。母、脱力です。 ちなみにお友達に聞いてみたら「うちは年に二回くらい友達同士で行かせてるわよー。」と言われた。 で、別の友達は 「小学生だけでなんてとんでもないと言ってやめさせた。」だそうです。さらに別の友達。「うちは年パス持ってて、ディズニーフリークだから年がら年中勝手に行ってる。」だそうです。もっともここの子はもう中三だったから。それに自転車で勝手に行ってるみたいだし。 ことほど左様に家ごとに子育ての方針と価値観はちがう。 いったい私はどうすればいいんでしょう。 ついでにすごい話。娘の小学校のクラスメートのお家。お金持ち。土地持ち。なんと、ディズニーランドに土地を貸しているんだそうです。ここまでくると脱力なんてもんじゃないですね。 まあねーあのあたり。埋立地だし。私が子供の頃はただの荒野だった。こんなところ誰が住むのって言うくらいの、のっぱらだった。父から「あそこにいずれおっきな遊園地ができるらしいぞ。」と聞いても信用していませんでした。あのころ あのあたりの土地を買っておいたら、お金持ちだったかも。そんなお金あったかしら。でも、その当時なら二束三文で買えただろうなぁ。 今日も夜になるとディズニーランドの花火の音が聞こえることでしょう。↑おもしろいです。あの田淵由美子もいまや二児の母。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月09日
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長男の担任の先生はなかなか美人の女の先生です。男子校入れたのに女の先生が担任になるとは。しかも化学の先生。 しかし、担任が化学の先生にもかかわらず、長男は化学にげんなり。長男には美人の先生なんてものはどうでもいいらしい。暗記が多すぎる。とぼやいています。あんたこないだ古文にもうんざりしてたんじゃ。そんでもってせっかく覚えた歴史もどんどん忘れてく~~。とさらにぼやいている始末。 そろそろ期末も近づいてきました。日曜も一日化学をやってましたが。いやあ私なんか化学なんてすーっかり忘れてます。ぜんぜん覚えてない。化学?さて、授業で何やったんだろう。人間の記憶力ってすごい。全部忘れてる。いやあ、おみごと。おみごと。 しかし、Hはたしか水素、Oはたしか酸素、やった少しは覚えてた。 長男の勉強少し手伝ったんだけどさ。覚えたから質問してっていうあれですよ。濃硫酸、硫酸、硝酸、塩酸、フッ素にハロゲン そんでもって膨大な量の化学式。ほんとに覚えられるんですか。ほんとに覚えていられるんですか。 私にはムリだな。忘れる前にそもそも頭に入らない。 やっぱりね、勉強は若いうちじゃないとね。もう、私は歳ですからね。ムリですね。ま、私がやるわけじゃないですしね。 がんばってね。長男。 でもね、こんなに忘れちゃったってことは、過去にあったいやなことも、自覚ないけど忘れてるってことだよね。忘却もまた、神様からの贈り物。そうじゃないと頭パンクしちゃうでしょ。よかった。よかった。 でもう。がんばって勉強したことも忘れちゃうわけで、神様っていじわるでもあるよね。 覚えていたいことは覚えていられて忘れたいことはぱぱっと忘れられたらいいのに。などと書いているうちにとうとう明日から期末試験です。化学に三日 数学に三日かけてなんとか攻略した様子。健闘を祈るぜ 長男。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月08日
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娘の行った小学校と娘の行ってる中学校は、日本語学級があるので他の学校に比べて外国人の比率が高い。中国人とかフィリピン人とかあとー、なんだっけ。 それにしても最近増えたよね。東南アジア系の奥さんたち。でもね、なんか居心地悪そう。日本は確かに物が豊かで、暮らしやすい国だと思う。でも、日本人というのは結構閉鎖的な国民だから、外国人の奥さんたちはなかなか日本人の奥さんたちの和の中には入りにくい。こちら側にすれば、東南アジアの国となるとあまり豊かな国ではないし、よくわからない人と仲良くするのにはちょっと勇気がいる。うっかり家には呼びづらい。だから外国人の女性たちは物は豊かでもなかなか友達も作りにくいし、孤独でさびしい生活をすることになる可能性が高い。私は人種差別を言いたいわけではない。でも、自分の国を捨てて外国に来ても、物質的には豊かでも、本当に楽しい生活があるわけじゃない。自分自身の国を良くしようとしないで、他人が作った良い環境の世界に入り込んでもダメジャンと思う。自分たちの国を良くするほうが大切だろう。でも、そんなことを彼女たちに言ってみても始まらない。彼女たちだって好きで母国を出てきたわけじゃないだろう。 日本の税制はお金持ちにとって優しくないらしい。がんばって働いてもばんばん税金に持っていかれる。だから、お金持ちの人たちは外国に逃げ出そうと考えるらしい。外国に行けばせっかくがんばって稼いだお金を税務署に持っていかれることもない。 でも、そんな風にして自分の国をほっぽり出して外国に行って、本当にいいの? 今は確かに世界的に認められているから、日本人が外国に行ってもいい待遇を受けることができる。たとえば、南アフリカ共和国みたいな人種差別のチョー激しい国でも、日本人は白人と同じ待遇を受けることができるらしい。大企業の転勤で南ア共に行くと向こうの白人社会の仲間に入れてくれる。つまり黄色人種にもかかわらず白人扱いされるらしいのだ。それは、結局 日本が経済力があって、それが世界的にも認められているからだろう。肌の色よりお金。ってか。 香港からマカオに旅行した時も、日本人とわかった途端になんのチェックもなく税関を通してくれた。日本人は大事なお客様だからね。それはやっぱり日本の国の力なんだろう。日本の国の人たちが日本の国を良くするためにがんばってきてくれたおかげ。 日本の国をほっぽり出して自分のお金を守るために外国に行ったとしても、もし、日本という国ががたがたになってぼろぼろになって貧乏になって、世界的な偏差値が30くらいになっちゃったら、たとえお金をもって外国に住んでいても、そのお金を守るために外国に来たはずなのに、守るためのお金をいっぱい使わなくちゃ生きていけなくなっちゃうかも知れないよ。戦争になれば捕虜にされちゃうかもしれないよ。 そんにたくさんお金があるなら、お金持ち同士集まって日本を変える力が、普通の人よりあるはずでしょう。使ったお金はもっと大きくなって帰ってくるよ。自分の国をこそ良くするために。 私が目指したいのはノーボーダー。でも、自分の国を愛して大切にすることもやっぱり大事なんだ。世界中の人たちが自分の国を愛して大切にすれば、いつか国境が、知らないうちになくなる日が来るかもしれないよ。 でも、税務署はなくならないな。おおっとー。この記事を評価するブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2005年12月07日
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今日はお話集会の話。 娘の小学校には、学芸大学を出た教員養成専門教育を受けた自信ばりばりのすごーい先生がいました。特に国語の授業が得意で、授業参観の時のはりきりようったらすごかったです。 で、その先生がうちの小学校ではじめたのが『お話集会』というやつです。長男が通っていた頃にはそんなものがあるなんてぜんぜん知らなかったのです。なにしろ男の子ってあんまり言わないし。 で、読み語りを始めて、知ったのでした。 さて、お話集会とは何か。 これはつまり読み語りの拡大版。というか、ジャンボサイズというか。 読み語りを体育館を使って、先生たちによって、一人一役、づつわりふって、まるでお芝居のように行われます。全学年の生徒が体育館に集合です。音楽もつきます。そして、舞台の上に大画面でパソコンに入れた絵本の画像を映し出します。館内は暗幕をはって真っ暗にします。お話の進行とともに絵も、一枚ずつ進んでいきます。歌も入ります。お話しにあわせて、自作のものです。さらに『ガヤ』も、はいります。ガヤというのは、原文にはないのですが、演出上 より物語の表現を派手にするためにセリフなどを入れていくのです。騒いでいる場面で、それぞれ役をふられている人たちが 役にあったセリフをそれぞれ考えて入れていきます。「おーい。」とか、「がんばれー。」とか。場面によっては場内を走る。舞台の上で泣く。叫ぶ。効果音を入れる。太鼓を叩く。 そしてお話が終わったら、エンドロールそして最後に舞台挨拶までありました。 これを私たちPTA読み語りクラブでも、やりました。大変でした。もう例の先生に練習でがんがんしごかれました。元気がない。読みが甘い。感情が出てない。読み方が平板。もっと、もっと、もっと。て、感じでした。もう、泣きそう。ハードでしたが、楽しかったです。おもしろかったです。すっごく勉強になりました。そして、このあとみんな読み語りがすごくうまくなりました。最初はここ↓読み語りに参加してくださいその1
2005年12月06日
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私は肩こりアーンド頭痛持ち。なのでおでこにトクホンを貼って家で休んでいると、やってくるのがダスキンと新聞屋さん。 こないだも新聞の集金にきたお姉さん(おばさんだな本当は)と「どうしたのー。若いのにー。あたしなんて ぜーんぜん平気よー」なんて話になる。 しかし私はしょっちゅうあっちこっちが痛い。どーも痛覚が敏感なんじゃないかと考え始めた最近。 うちの兄貴なんか多分 痛覚鈍いんだ。なにしろ大学生の頃。家に一週間はカルーク帰ってこないで 友達の所を泊まり歩いた挙句 極度の疲労に達して高熱を出し、家にいても治らなくてとうとう入院して、点滴してやっと解熱。それが回復しきらないうちに また遊び歩いてまた発熱。そして入院。 どうも体調が悪いことが自覚できないタイプの人間がいるらしい。 私なんかちょっと疲れると もう頭が痛くなってきて お布団にもぐりこんじゃうから。根性なしだなあと 思ってたんだけど。 考えてみると悪くなる前に休養とった方がカラダにはいいわけで。体調悪い時にムリするとますますひどくなって 治るのに三日くらいはざらにかかる体力無し根性無しの私ですが。 くだんの集金のお姉さんは 体調悪くてもほとんど自覚できないらしい。で、一年に一回とか、三年に一回とか どうにも具合が悪くて医者に行くと点滴されて。そんでもってお医者さんに 今やった点滴はぶっ倒れて救急車で運ばれてくるような人にうつような点滴なんですよーと言われたこともあるとか。 うーん。痛覚ないのもなかなかこわい。でも、しょっちゅう痛く ていつも苦痛にたえる日々もつらいしなあ。 いつだか見たテレビで 外国の男の子で 痛覚ゼロなために痛いということがわからないから、怖いってことを知らない。だから高いところ、二階とか から平気で飛び降りちゃうらしい。そんでもって痛覚なくても体は普通だから 全身骨折とかをしょっちゅう繰り返すらしい。それもちょっと困る。かも知れない。 痛覚。 あったほうがいいのか。ないほうがいいのか。ま、何事も程々がよろしいかと。 とにかくそこの理三をめざしてるおにいさん。早く研究医になってチョーど級に効き目のある頭痛薬 開発してください。↑ぜんぜん関係ないけど長男の愛読雑誌です。新刊だ。
2005年12月05日
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久々にドラマを見てしまいました。終戦ドラマと宣伝されていたために、ストーリーが解釈しずらいですが、SFですね。ストーリーの展開上はSFのタイムスリップネタなんだけど、SFをよく知らないとストーリーがわかりづらい。山田太一はドラマとして表現したかったので ドラマ的にはすばらしい描写でしたが、設定が理解しずらいために 視聴者の中にはハテナが残ってしまい ドラマとしての感動と山田太一がドラマを通して訴えたかったことが伝えきれなくなってしまっているという点で損してるかな。ネタばれにはなりますが、逆行して見ていけば、2005年に東京に原爆が投下された。そのエネルギーショックで主人公の家が丸ごと昭和17年にタイムスリップしてしまった。なんで、家ごとかといえば。ストーリーの展開上家族全体で戦中をどう生き抜いていくかをドラマとして描きたい訳ですから、家ごと物理的にタイムスリップさせるのが、一番製作者側としては都合がいいわけで。SF見てるとよく主人公が一人でタイムスリップする話は結構あるんだけど。さて、テレビを見ている側は登場人物たちがなぜいきなりタイムスリップしたのかわからない。それがストーリーを最後までひっぱっていく重要なキーポイントになるわけです。しかも主人公たちも、見ている視聴者側も「現代に帰ればこの悪夢は終わるはず」という半ば夢の中にいるような感覚でいるわけですが。ラスト、空襲のエネルギーショックによって現代に戻った 戻れた!はずの主人公は戦時中よりももっと悲惨な現実を知ることになるわけです。見ている側はここで初めて、主人公がタイムスリップした理由を知ることになると共に、戦争の悲壮さを昭和17年当時の悲惨さ以上に、いきなり自分たちのリアルな現実とつき合わせて考えさせられることになります。SFとしてはすでに何作も書かれているテーマではありますが、反戦ドラマとしてかなりリアルにみごとに描かれていたところに、山田太一氏の才能を感じました。戦争 起こらないことを祈るばかりです。なお、この記事を書く上で「終りに見た街」公式ホームページ中の掲示板に書き込まれていた「考え屋さん」の『ある解釈』というコメントを参考にさせていただきました。というか、こちらを読んでいただいた方がこのドラマの疑問点はわかりやすいと思います。
2005年12月04日
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テレビを見ていたら高学歴で、やたらプライドの高い新人社員が会社を辞めちゃうという場面を放送していた。「プライドなんているのかなあ。」と長男が行った。「私はいると思うよ。」「なんで?邪魔なだけじゃないの。学校の奴らは自分が侮辱されるとすごく怒るんだよ。でもオレはへらへらしておしまい。」「へええ。」プライドってなんだろう。「いいんじゃないの。別にそれで。別にバカにされてたって聞き流してれば。」私もこの手の場面でいちいち怒るのもめんどくさくてそのままにしてしまうことは多い。どうでもいいと思っていたりする。「じゃあ プライドって何?」「ううーん。よくわかんない。でも、自分で自分を貶めないってことかな。たとえば自分で決めた目標を最後まで投げ出さずにやり通すとか。」「うーん。」「山本周五郎の小説にね、自分を馬鹿にしてくる同僚の言葉を聞き流していた主人公が、小説のラストで罪を犯して藩を脱走していくその同僚を 上役の許可を得て、追いかけていって 物語の主軸となっている主人公の弓の腕を生かして 逃げていく相手をみごと射抜くシーンがあるの。私は山本周五郎のそういう話が好きなんだけどね。」 山本周五郎の作品はすばらしい。テレビの時代劇とは違って、江戸時代を中心とした小説が多いが、その時代の武士や一般の庶民の暮らしぶり、武家の奥さんたちの生き方が描かれていて その時代の考え方ゃ価値観がよくわかる。そしてそういう小説を通して山本周五郎の考え方を読み取ることができる。凛とした精神(こころ)の美しさが描かれているように思う。 なかなか山本周五郎の作品は読み終わらない。もったいないので読破しないでとっといてあるのかも。 それにしてもプライドってなんだろう。ところでくだんの同僚、裁判もなしに殺されちゃうなんてあんまりじゃないのかな。 ↑この本 本屋さんでみかけたの。やっぱり買えばよかったなあ。
2005年12月04日
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若き数学者のアメリカ改版 藤原正彦 両親が作家のおかげで、数学者のくせに文才がある。藤原正彦の本は何冊か読んだけどなかなかおもしろい。そして私たちの多くが苦手にしている数学の世界をとても楽しく教えてくれる。 若き日、アメリカの大学から召喚されてアメリカにわたった彼のアメリカでの生活。 でもね、この本の中で特に面白いのがカジノの話。 数学者は数学が得意。あたりまえか。数字が得意。で、特に確率論なんか勉強してると、カジノで数学的に計算して勝率とか、どう賭けていくと勝てるか儲かるかなんてことができちゃうらしい。 だから、賭ける前から勝率を計算すると絶対儲からないこともわかるらしい。 にもかかわらず、カジノにはまって結局損したらしいですね、藤原さんは。 しかし、アメリカの数学者で、やはり数学的に計算して、絶対儲かる方法論を導き出し、カジノで大もうけした人がいたんだそうです。あんまり儲けていくので、カジノ側が気がついて、彼に「もうくるな」とマフィアまで使って、さんざん脅しをかけたらしい。カジノに出入りできなくなったその数学者は、仕方なくその方法論を書いた本を出版したらしい。売れに売れてまたまた大儲け。その本を読んで、カジノにやってくるお客さんたちにまいったカジノ側はとうとうそのシステムを変えて方法論を使えなくして、なんとかなったらしい。 かくのごとく数学は儲かる。 うちの長男も 来年数3Cまで勉強し終わったら、カジノに連れて行って儲けてもらおうかなあなーんて考えちゃってみたりして。うしし。別にアメリカじゃなくてマカオでもゴールドコーストでもいんだよねー。でも長男はゴールドソーサーに通いつめて遊びまくってたんだから、やっぱり本家本元のところに連れて行くべきかも~。 ちなみにうちのダンナ 勉強嫌いですが新婚旅行でゴールドコーストのカジノに行った時、ほとんど勘だけであててくれて20ドルくらいだったけど儲けてくれましたよー。でもそのお金はどこいっちゃったの。↑これも藤原正彦さんの本世界の名だたる数学者のお話。『天才の栄光と挫折』頭がいいってことはつらいですね。
2005年12月03日
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アドベントカレンダーをご存知ですか。昨日から十二月になりました。いよいよクリスマスですね。アドベントカレンダーはクリスマスイベントの一つで、本当はお母さんが手作りで我が子につくってあげるらしいです。十二月の1日から始まって、クリスマスの日まで 毎日一つづつ小さなポケットを数字のふられた順に開けていくと 中には小さなアイタムか、お菓子、またはチョコレートが入っているのです。私も娘が小さい時に買ってあげたのですが。市販のもので小さなチョコレートがはいっています。そしたら 未だにクリスマスになるとほしがるのです。でもなかなか売っていなくて、どうしようかなと思っていたら、うちのだんな様が高島屋で買ってきてくれました。娘は昨日から朝一つづつ、小さなポケットを開けてチョコレートを食べていきます。今日はかわいいクリスマスツリーの形をしていました。とても、おいしそうでした。一気に全部食べたいと言いますが、「だめ。毎日一つづつだけだよ。毎日ひとつ。欲望が我慢できるか神様がみてるの。ためされてるんだから。」といって我慢させています。だから毎朝一つ ポケットを開けてちいさなチョコを食べることを楽しみにしています。今日もチョコを一つ食べて元気に学校に行きました。アドベントカレンダー↑楽天にもたくさんありました。見るだけでもたのしいです。
2005年12月02日
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最近つくづく考えてみるとだんなと私は正反対 私 冬が苦手 だんな 夏が苦手 私 朝が苦手 だんな 朝は元気 私 低血圧系 だんな 高血圧タイプ 私 野菜がきらい だんな 野菜が好き 私 勉強すき(ほんとか?) だんな 勉強嫌い 私 絵が好き だんな 絵なんてわからん 私 車なんてわからん だんな 車大好き ラジコン大好き 私 寝つきが悪い だんな 寝付きよし 私 コーヒーを飲むとねられなくなる だんな コーヒー大好きいくら飲んでも平気 私 チョーわがままで短気で飽き症 だんな 気が長くてのんきでいい加減で寛大(ほんとか?) よく十年以上もったな~ でも二人ともおいしいものは大好きだし、遊びに行くのも大好きだし だからそんでもってそんなもんかも。
2005年12月01日
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