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昨日のガイアの夜明けは、中国奥地に太陽電池を売り込む話でした。中国のあの広大な土地に電線を引くなんて無理ですから、電気使いたかったら、自分ちで発電するしかない。ということで。 ま、きれいなエネルギーですからね。いいんじゃないですか。20ワットくらいしか発電できないけど。それで、電気がつく。ラジカセから音楽が聴ける。もうあのあたり、地上に残る最後の未開発地なのでしょうか。畳半分くらいの板に太陽電池がついている。それを庭先においてコードをつなぐと電気がつく。すこぶるシンプルです。 そして、そういった電気の便利さに気づいた現地の人は次は冷蔵庫を手に入れたいそうです。 石油資源なんかをどんどん取り始めてる中国ですから、中国にそんなのみんな買い占められたらたまったものじゃないし、空気は汚れるし、勘弁してほしいのですから、そういうところにソーラーパワーのようなクリーンなエネルギー技術を導入していくのはすごくいいこと。 ただね。あんな中国の奥地まで物質文明がとうとう入り込んでいっちゃったんだなあと思うと、私はちょっとかんがえてしまった。あーあって。 それを言ったら、一緒に見てた息子が「なんで?」っていうの。『ガイアの夜明け』なんだから日本の技術が海外に進出していくエピソードをすばらしいねっていうスタンスで放送してる番組だし、番組構成もそういう作りなんだけどね。 でも、文明は後戻りできない。一度知ってしまった便利は手放せない。だから、知らないままでいたらその方がある意味では良かったんじゃない?って思っちゃったんだ。 電気もラジカセも冷蔵庫も便利で素敵なものだけど、それを手に入れるために変わりに失くしてしまうものがあるじゃないかと言ってみたけど、まだ息子にはそういうことわからないみたい。 そりゃあそうだよね。まだ自分でお金稼いでるわけじゃないからね。お金を手に入れるために自分の時間やそれ以外のものを売り渡さなければならないってこと、私にはうまく説明できない。 冷蔵庫を手に入れてそのために働いて、疲れて時間もなくなってくるとラジカセを楽しく聞く時間も余裕もなくなっちゃうんだけど。そんな風に物質文明にとらわれていくことがはたしていいことなのか。 うーん。どうやって説明すればいいんだろう。 けれど、もう文明はどんどん侵食していて、たぶんその勢いをとめることも、拒否することももはやできないんだろう。 中国の奥地の山々に吹く風の心地よさをみうしなってしまうかもしれないのに。なあと。思うんだけど。 テレビ番組(TV番組)ドキュメンタリー番組
2007年01月31日
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女は子供を生むための機械なんて発言するからおおもめですねえ。この一言でものすごくばかってことばればれですね。男なんて本音はみんなこんななんだと思うけど、それを表に出しちゃーおしまいなんだ。ま、女にとっても男なんて金を稼ぐための機械ですね。世の女の人たちはとにかくまず、もっと給料もってこいよとダンナに対して思ってるはずです。愛情がどうのとか、やさしいからとか、いろいろ表面上は言いますけどね。 でもそういえば私も以前自分の記事で子宮は子供を作るためのツールだって書いたっけなあ。ある意味表現としては同じだなあ。 ただねえ、意味合いが違うんだよね。大臣の言葉には、子宮が主で女の人の存在は従なんですね。子宮のために女性が存在する感じ。 私は子宮が従であって女性が女性として生きるうえで子宮に惑わされずに、支配されずになおかっ自分の人生を充実させるためのありがたい道具の一つだと捉えるような意味合いで書いてたように思うのですけど。 それにしてもあの大臣なんで少子化なのか全くわかってないんですね。勉強もしてないみたい。フランスは対策が功を奏して子供が増えてきたそうですよ。 それにしても人類の滅亡は宇宙人の襲来でもなく、殺人ウィルスのせいでもなく、戦争のせいでもなく、少子化による人類減少のせいってのが今いちおしでしょうですねえ。 形あるものはいつか壊れる。人間も人類も同じで、絶対いつかは何だけど。 何で少子化でこんなに騒ぐの?って長男が聞くんですね。 そりゃぁもちろん自分たちの老後が困るからに決まってるジャンといったら納得してました。別にみんな人類の未来を心配してるわけじゃなかったりする。一般ニュース
2007年01月30日
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こっちは女の子。娘のためのお人形です。 名前はるるにしました。なぜか写真が反転してしまった。うう。眉毛はないのだけど、かたっぽだけ娘が子供のときに書いちゃったのです。シンナーで消せないかな。なぜか男の子よりめが大きくなってしまってますね。昨日娘が私たちもう大きくなっちゃったからかわいくないでしょ。と、いいました。赤ちゃんの方がかわいいでしょ。かわいい赤ちゃんとかちっちゃい子とかのがいいんだよね。だって。そんなことない。かわいいよ。今も。おにいちゃんもかわいいよ。(高校生ですけど。)あーそういえばあなたが赤ちゃんの時はそんなにかわいくない方だったかなぁ。なんて。そういえばおにいちゃは赤ちゃんの時すごくかわいかったっけ。そしたら、娘が部屋に飾ってあった二人のあかちゃんのときの写真をもってきました。ほんとだ。お兄ちゃんかわいい。って。娘は赤ちゃんの時おでぶさんで、そのあとはすごくがりちゃんだったのです。もっと娘が小さい時、娘にしてあげた話も思い出しました。たくさんの赤ちゃんの中で貴方が一番かわいかったの。だから神様に貴方をもらったのよって。こういうお話を聞いて娘はどんな気持ちになったのでしょう。それにしても、かわいいかどうか気になって聞いてくるなんて、まだまだ子供なんですねえ。そんな風に甘えたり、僻みっぽいような不安なようなそんな気持ちが言葉になっていて、女の子ってかわいいですねえ。この服は同じ大きさのお人形の服をこっちに着せちゃったもの。だから、手作りじゃないのです。他の服はどうしたんでしょう。うーん。思い出せない…。なんだかこの子達を見てると、心の中のイライラがスーッと抜けていくような気がします。不思議です。ほのぼのしてくるんだよ。今るるちゃんのためにワンピース型のセーターを編んでいるところです。シュタイナー 手作り大好き!!
2007年01月29日
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こっちは男の子。長男のお人形です。長男に名前を付けさせてみました。名前は「サンガモン」戦争マニアなので戦艦?の名前。たぶん。いろいろな材料が必要なのですが、キットで売っている所があるんですよね。で、通販で買いました。そして、昔せっせと作ったような気がします。 男の子と女の子の違いは髪の長さだけです。そのあと子供たちが喘息になってしまい、人形やヌイグルミはダニがいてよくないと思いしまってしまったのです。でも先日ふっとまあいいかという気になってまた出してきたのです。子供たちはもう大きくなっているのでどうでもいいやという態度なんだけどね。セーターも編みましたし、したのシャツもズボンも手作りです。かおがシンプルなのは、子供たちが人形に自分の気持ちを投影させられるようになのです。うれしいときは人形も笑っているように見えます。悲しいときは人形も悲しそうに見えます。そして、自分の気持ちにに沿ってくれる人形を抱きしめながら、人と心をつなげる練習をするのです。というのがウォルドルフ人形なのですけど、しまっちゃってたからなあ。でも、出してきたら、なんかかわいい。子供たちはもう大きくなってしまって、私の相手をしてくれないので、私にとっての子供たちの代用になりそうだ。シュタイナー
2007年01月28日
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むかーしつくったんだ。シュタイナーのウォルドルフ人形です。男の子はおにいちゃんの。女の子は娘の。ところが名前を忘れてしまっていてぜんぜん覚えていないのです。ごめんね。また、つけるしかないかなあ。デジカメからの画像取り込みは初めてなので縮小率とかわからなかった。四苦八苦で、今日はここまでがせいいっぱいでした。よれよれ~~~~。ウォルドルフ人形と小さな仲間たち確か、この本を見て作ったのですよ。ああなつかしい。子育てのつ・ぶ・や・きシュタイナー
2007年01月27日
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アイルランド独立闘争を描いた映画なのだけれど、日本でアイルランドがイギリスとは別の国ということを知っている人たちはどれくらいいるだろう。世界史の授業もおろそかになった昨今、アイルランドの独立の歴史を知る人は少ないに違いない。 日本人の目から見ればイギリスの二つの島は「セットでイギリス」のイメージが強い。だから、この二つの島が数千年に及ぶ対立の歴史を繰り返していることを知る人は少ないのではないかと思う。 イギリスの圧制に苦しむアイルランドの1920年を舞台に、独立闘争の物語は始まる。そして、イギリスからの独立を勝ち取ったはずなのに、今度は内乱にによってさらに闘争は続く。その悲しいアイルランドの悲運を描いた映画と、取ることも出来る。 けれど、この映画は果たしてアイルランドの悲哀を描いただけのものだろうか。 武器、兵器、暴力、武力によって自分たちの意思を通そうとすることは果たしていいことなのか。 武力によってアイルランドを搾取するイギリスも、武力によってイギリスに対抗するアイルランドも、武力によって同胞同士がお互いの思想を通そうとする共和軍も、結局底辺にある考え方は同じなのだろう。 力によって他人の意思を押さえつけ、こちら側の意志を通そうとすること自体が無理があるのだと気づかないのだろうか。 抵抗軍はイギリスの兵たちを情け容赦なく、銃殺していく。そんなにどんどん殺しちゃっていいんですか。西洋人て過激だなあ。 確かにイギリス兵たちがアイルランド人たちにしたことはひどい。しかしだからといって、アイルランド側も同じように武力で戦うことが本当にいいことなのか。武力によって手に入れた自由と誇りはさらに武力によって覆され、あるいは武力によってしか維持し続けることはできない。 そう考える時、同じようにイギリスからの独立を勝ち取るために戦ったインドの偉人ガンジーを思い出した。彼は武力による闘争を否定し、ただ、開放を望む意志だけを示し、何年にも及ぶ投獄すら耐え抜いて、ついにインドを独立に導いた。武力によって自由を得ても、今度はその武力によって自分たち自身が苦しめられることをガンジーは知っていたのだろうか。 インドがイギリスに支配されたのは三百年程度だけれど、アイルランドとイギリスの対立自体は数千年に及ぶのだろう。『トリスタンとイゾルデ』の逸話にも、アイルランドとイギリスの対立が描かれる。二国間の対立がその当時から今に至るまで続いていることがわかるように、地理的に近く、民族的にも近く、にもかかわらず決して交わることのない二つの民族の統合と戦いの歴史はそんなに簡単にはいかないのだろう。似て非なるもの。この二つの島は。 映画を見始めてしばらく、主人公が誰なのかわからなかった。どうも、医師のデミアンがそうらしい。デミアン?デミアンといえば、あの『オーメン』にでてくる悪魔の申し子の男の子の名前じゃないか。けれどこれはたまたまではなくて、意図的につけられた名前だと思う。医師でありながら悪魔の名を持つ主人公デミアン。 そして、物語の冒頭で、ミホールという名の青年がイギリス軍に殺されてしまう。ミホールというのは、たぶんケルト語の読みで、英語ではマイケル、つまり大天使ミカエルの名前なのだ。光の象徴、善の象徴であるミカエルは冒頭でイギリス兵に殺されてしまうのだ。アイルランドの光はイギリス軍によってけされてしまった。そして、主人公デミアンは、イギリスとの闘争にその身を投じ、独立後の対立抗争のすえ、銃殺されてしまう。なんとも象徴的ではありませんか。 さて、その後のヨーロッパはEU統合される。争っていた二つの国も同じEUのもとに政治経済が統合され、国としての闘争は意味のないものとなり、1998年には、連立政府を作り、イギリスはそれぞれに自治権を委譲することを決めた。長い闘争の歴史に光が見えたように思えた。 けれど、数千年の闘争の歴史は人々の心に深く残り、そう簡単にアイルランドの人々は過激派アイルランド系住民の武装組織「IRA」(アイルランド共和国軍)は、武力による闘争をすっぱりと捨てることは出来なかったらしい。 武力によって自分たちの意思を通そうとすることの無意味は世界中の戦いのすべてに対して言えることであるけれど、監督は、なおいまだに、武力による行動にこだわり続けるアイルランド人たちに新しい目覚めを訴えたいのだろう。 敵は外にいるのではない。敵は自分の中にある。自分の心の中のこだわりこそが自分たちに銃を向けているものの正体であり、デミアンという悪魔はイギリス軍の中ではなく、独立を目指して戦うアイルランド人の中にいたのだ。映画ではデミアンは殺されたけれど、いまなお、アイルランドの中にはデミアンはい続けているのではないか。アイルランドの中のデミアンを殺さない限り本当の平安はこない。 そして、我が家が焼かれてもなお、その家にい続けることにこだわる老婆は、大天使ミカエルが殺された場所をなお、その光の地を見捨ててはならないと、こころの中にも光は残っていて、守り続け、そして忘れてはならないものなのだと、言っているように見える。 ところでずっとイギリス軍と書いてきましたが、正しくはブラックアンドタンズつまり、治安警察補助部隊のことです。物語の中で主人公たちが捕まってアジトをはかせるために拷問をうけるシーンがありましたね。いやあ、それにしても、あの生爪はがすシーン。痛そうでしたね。胸がずきずきしましたよ。これを見てて思い出したのが、日本の赤狩り。やっぱり日本でも、指と指の間に鉛筆はさんで握らせるなんてことやってたそうですけどね。よくわかんないけど、痛いらしいです。人間ていっくらでも、残酷なこと出来るものですね。 てことでつまりブラックアンドタンズがやってたことって要するに赤狩りなんでしょうね。だってデミアンたちは資本主義に対して否定的ですし、デミアンたちを通報したのは、農場主だったでしょう。つまり資本家ですね。そのあと、デミアンたちはこの農場主を銃殺しますね。その時の農場主の言葉が『お前たちにこの国はわたさない。」とかいうセリフだった。つまり、この戦いは独立戦争であるとともに、資本主義と社会主義の対立戦争でもあったのです。イギリスは第二次大戦に前後して世界を覆い始めた、社会主義の波がアイルランドを浸食しつつあり、自分たちの国の隣が社会主義国家となることに恐怖していたのでしょう。アイルランドが社会主義国家となった場合、自分たちの国自体も危ないわけですから、イギリスにすれば必死の攻防戦なわけです。実際朝鮮やドイツやベトナムなんかが分裂して片方が社会主義国家になってしまったり、内紛の結果社会主義の国になってしまったりしているわけですから。 しかし、その後、ベルリンの壁はこわされ、ソ連は崩壊し、社会主義の恐怖はうすれてきましたので、その後のイギリスのアイルランドへの対応もずっと緩やかなものになっていったのでしょう。 この物語は、支配される苦痛と悲劇にとどまらず、さらにその後ろに宗教的な問題や、社会的な問題、経済的な問題などいくつも絡み合っており、それゆえにそんなに単純には解決しないことをも語っているようだ。 この記事のためにアイルランドの歴史もいろいろ読んでみたけど、なにしろ、複雑で難しくて、えーよくわかりませんでした。もっともっとアイルランドの歴史を読み込んでいくといっそう面白くなる映画だと思います。 補足★インドですが、ガンジーほどの偉人がその生涯をかけて独立させたにもかかわらず、結局その後の内紛によって国は分裂し、やっぱり武力闘争があるようで。人間てほーんと懲りないって言うか。いくら教えても、失敗しても、学ばないんでしょうねえ。ただ、内乱というのは、一つの国が国としてまとまるために避けては通れないイベントともいえるわけですから、本当はもっと早くにやってたことをイギリスによる植民地状態のために保留になっていたともいえますので。インドもアイルランドもある意味仕方ないのかなーと。早く国としてまとまって平和な国が出来上がるといいですね。参考サイト『麦の穂をゆらす風』公式サイト「終わり方がわからない北アイルランド紛争」 イギリス映画麦の穂をゆらす風@映画生活
2007年01月26日
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グロそうだったけど、見ました。ネタバレなし。 見たのはいいんだけど、見終わってよくわかんなかった。で、ネット上に精神科医の人が書いたすごい解説があって、これを読んだら、もう私が書くことは全然ありませんでした。無料レポートなので、誰でも読めます。文庫本一冊ぶんの量って宣伝してあるけど、全然そんなことない。ちょっとがんばれば読みきれます。さすがにお医者さんなので、医学的知識に裏付けられた説明はとても参考になりました。一応グロイ映画なんだけど、なるほどーと思いました。 ある日突然どこかの古いビルの地下室に二人の男が足を鎖でつながれていた。二人の足元にはのこぎり(ソウ)がおかれていた。彼らが助かるには、六時までに自分の足を切るか相手を撃ち殺すか。それ以外に彼らが助かる方法はないのだろうか。 なんとなく、アクションホラーゲームのような雰囲気。これは、頭を使った脱出ゲームなのか?彼らはどうやってこの状況からぬけだすのか?わくわく!! と予想してたら、全然違ってました。がっかり。 要するに極限状態に置かれた人間の心理の変化を見る映画らしいのです。話が複雑でこみいっていてしかも説明が少ないので、一つ一つのシーンからいろいろと裏読みして楽しめる映画みたい。 でも、お医者さんほどの知識がないと無理だね。 映画自体より、この解説が面白かったです。でも、解説を楽しむためには、まず映画を見ないとだめなんだけどね。だから次は『SAW2』が見たかったりして。 げっ!アフィリエイトとはいえ、こんなにSAWばっかり貼ると これだけでかなりグロイジャン。きもちわるいよ。
2007年01月25日
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買いました。デジタルカメラ。さんざん悩んでこれにしました。 パナソニックのルミックスのピンク。他のは安すぎか高すぎで、このあたりが無難だった。うーん。こればっかりはまじめに取説読まないとだめだろーなー。私よりダンナの方がうれしそうで、プログラムもパソコンに入れちゃって、ためし撮りしたやつもすでにパソコンの中。ゲーム終わんないと、とりかかる気になれません。でも高いよね。私は三万弱で買ったんだけど。私より娘の方が面白がってばしばし取っちゃってるし。コレカラであります。
2007年01月23日
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つぎつぎにゲームのハードが出る中で、Xボックスは不調だね。という話から始まって、アメリカのゲームはなんでだめなんだという話題になった。息子がなぜかと聞くので、それはやっぱり日本には漫画文化があるからね。と言った。 日本のゲームが人気があるのは、システムの面白さだけじゃなくて、やっぱりキャラクターの魅力とストーリー作りの技術だと思うんですね。それはゲームを作り始めてからいきなり作るより、もともとあった漫画文化、アニメ文化のキャラクター作画能力や絶対引き込まれるストーリーテリングが日本のゲームをより魅力的で面白いものにしているんじゃないのかなと。 アメリカの最近のアニメーションは技術的な部分やストーリーはよく出来てそうだけど、キャラクターや独特の絵柄がもつ魅力が感じられなくて、つまらない。だから、どうも見に行く気になれないんですよ。 日本の漫画文化は全国的に徹底した義務教育のおかげで文盲率ゼロですから。小学生なら全員字が読める。この状況が漫画雑誌を売るのに好条件だったのはもちろん。日本全国つつうらうらに漫画を売りさばき、アニメが売れ、その世代が大きくなってさらに漫画文化をきづいてきた。そういう文化の中にさらにゲームが入り込んで、漫画やアニメーションの作画がゲーム画面の中に当たり前のようにはいりこんでいるんだから、かわいくって楽しくって魅力的なキャラクターのいっぱいいる日本のゲームのほうが人気があるのも当たり前。技術的にすごいだけじゃだめなんじゃないのと思うのよ。 といったら、なんとなーく納得してたみたい。そうか。この子達の世代は、日本の中で漫画が侵食していく歴史を見てないものね。 で、今の子は、てか、うちの子はあんまり漫画を読まない。どっぷりと漫画にひたって育った私からすると不思議ですけど。今の子たちはそのぶんゲームで育ってるみたい。この子達がこの文化で育ってそしたら、それを土台に次はどんな文化を育てていくのか。楽しみ。
2007年01月22日
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見よう見ようと思いながらなかなか手がでず。今頃です。 潔癖症の人間が増えましたが、それも度を越すとさすがにこの人危ないよと思うものですが。人が触ったものは触りたくないとか、他人が触れたドアノブに触るのもいやとか、電車の座席に座るのもいやとか。 でも、そういう極度の潔癖症が、精神とか、自分の行動、価値観、道徳観、倫理観の部分で現れるとどうなるのでしょうね。ちょっとした悪行も許せないほどまで行くとなるとそうとう怖いんじゃないのかなと思う。たとえば大概の人なら、信号が赤でも、無視してちょろっとわたっちゃったり。会社の備品をいただいちゃったりとかね。悪いことって知りつつやっちゃったりしてるよね。 でも、それがものすごく厳格に育てられてちょっとした悪行も許せないほどの感覚、価値観を持ってしまった場合は。 エミリー・ローズはアメリカの片田舎の非常に厳格なカソリックの家庭に育っています。そして、都会の大学にやってきます。そこで知り合った友人の誘いによって彼女は今まで田舎の自宅にいた頃は決してありえなかった悪いことをしてしまう。それが何だったのかはわかりませんが、私たちにすればそのくらい誰でもやっているようなちょっとしたこと。けれど、厳格な家庭に育ち、牧師さんからも、「聖人と呼んでもいい」と言われるほど潔癖であった彼女とっては、とてもシッョクなことだったにちがいありません。その罪悪感は少しづつ彼女の中で、彼女のこころを苦しめ、責めたて始めていきます。 「あんな悪いことをするなんて私はいったいどうなってしまったのだろう。私はもう悪魔と同じだ。私の中には悪魔がいるんだ。そうだ。あれはきっと私の中に入り込んだ悪魔のせいに違いない。」そんな考えがだんだん彼女を侵食し始め、とうとう悪魔にのっとられたという彼女の意識は実際に彼女の精神状態や肉体を犯し始める。 悪魔つきのようになった彼女は、微妙に精神疾患とはちがいます。罪悪感による精神的な恐慌状態にある彼女に医学による薬は効くはずもない。彼女自身の罪悪感を消し去らない限り直るはずはありません。だから、じっくりと考え自分の内面を見つめ直さなければいけないその状態の時に薬によって脳の考える機能を麻痺させてしまったのではだめなのです。 裁判ではまず、医学的な治療の観点から論じられていきます。当たり前なことですが。 精神疾患だったのだから、きちんと治療薬を投与していけばよかったはずなのに、それをしなかったから彼女は死んだのだと。この部分にまさに現代医療の問題点を見るような気がします。医療にかかる上で現代の科学技術医療技術があくまで開発途上のものなのに、今の最新治療を施しているのだから、必ず直るはずだし、自分たちは正しいことをしているのだと彼らは言う。ここにまさに今の医学の傲慢と科学の傲慢さを感じます。 つまり、現代の人間に精神的な疾患が増え、うつ病やそのほかの精神的な病理が増えたのも、実は科学技術の発達により、いままであった精神的なものや宗教があまりにも否定され、追い払われてしまったということによるのではないかということです。 医学にはたしかに精神科という人の心の部分を直そうとする分野もあります。 そして、科学の発達により、悪魔つきや悪魔祓いが精神的な疾患によるものだという科学の光があてられ、解明されたように見えます。けれど、うつ病やいじめや自殺のような精神的病理が医学の力で直せるものであるのなら、それでもなお、現代社会に精神的な追い詰められおかしくなっていく人間が増え続けていくのはなぜなのでしょう。それは、精神医学がまだまだ発展途中であること、そして医学だけでは直せない、あるいは、予防できないものだからなのではないでしょうか。 人は善という光だけでは生きていけない。どんな人間の中にも闇の部分、悪魔の部分はあるのですから。そういう人の心の闇の部分を拾い出し、許しを与え、自分を責めて苦しむ人々の精神を救い、予防するための装置として、宗教は全世界のいたるところに古代から現代まで、決してなくなることなく、あり続けたのではないかと思います。 戦争映画を見ていると、戦士たちは「神様。自分たちをお守りください」と念じながら、戦闘に向かい、「きっと自分たちの神は自分たちを守り、勝利に導いてくれるはずだ」と信じています。これが、戦闘する両方の兵士たちがどちらも神に対してそう祈るわけです。変な話ですよね。神という存在は一つであって、どんな宗教の形をとっていても、その神は共通の一つのものだし、人が善行をするように導いているはずなのに、おたがいを殺しあおうとするそれぞれの兵士たちに味方するなんて。けれど、兵士たちは、相手を殺さなければ自分が殺されてしまうから、なんていう理由だけで、人間を殺した罪悪感をそんなに簡単に消し去れるものでしょうか。本当は悪いことをしていることにきずいているはずです。だからそのままなら、こわれてしまうかもしれない兵士たちの精神を守るための保護装置がまさに、宗教なのではないのかなと思うのです。神様はきっと自分を味方し、まもり、たたえてくれるはずだと。 けれど、現代社会は科学によってそれらの宗教の存在を否定し、軽視し、取り去ろうとさえしてきてしまった。人が宗教なくして、自分の意志と精神力だけで自分の心を守るというのは、かなりきついのではないかと思います。強い人もいますが、弱い人もいます。そして、とても、正直で素直でまじめで感受性の特別に高い人間であれば、それはさらにきついことなのではないでしょうか。 悪魔祓いというのは、そういう人の精神の追い詰められた心の状態を解きほぐすための儀式化された手法であると思えます。昔から、その手のデリケートすぎる人たちを救うためにつくられ、システム化マニュアル化によって、ある程度のレベルの宗教従事者、(たとえば神父とかまたは牧師とか、僧侶とか、)でも出来るように作られたものなのでしょう。 科学はそれらを非科学的で意味のないものだと否定してきました。そして、その一方で、精神医学を開発してきましたが、まだまだ研究の途中なのですから、それらが、宗教のもつ意味に到達するまでにはまだまだ時間がかかりそうです。けれど、そういう人の心と部分と宗教のからみを研究している一人の学者が映画の中にもでてきます。まさにこのシーンこそがこの映画の大事なところですが、彼女の説明を理解しきるのはかなりむずかしいのではないかと思えます。 さて、映画の最後の方でエミリーの手紙が読まれ、エミリーが聖母マリアに出会い、マリアの言葉によって生きることをうけいれることが語られます。 「私の中の悪魔をどうしても追い出すことが出来ない」とエミリーはいいます。マリアは応えます。「悪魔は貴方の中から出て行くことはありません。貴方はその良き心だけを持って今私と一緒に来れば楽になれますが、それでも、それらの六体の悪魔とともに生きていく道もあるのですよ」と。 人の中には、善の部分と悪の部分があってそのどちらも切り捨てることは出来ないし、それらが自分の中にあることを認め、受け入れ、その苦しさに耐えながらもなお生きていかなければならないのだと、エミリーはこのとき初めて気づいたのでしょうか。そして、自らの手に聖痕を作ります。それは奇跡でもなんでもなく、エミリーが自分で自分の手を有刺鉄線にさして、作ったもの。彼女がそれを意識してやったのか、無意識にやったのか。けれど、人はすべてキリストの末裔であり、キリストが人の罪を背負ったように、自分もまた、人の罪を背負って生きていかなければならないという覚悟だったのかもしれないと思うのですが、どうでしょう。 けれど、皮肉にも、過渡の拒食によってすでに彼女はその命を保つことが出来なくなってしまっていたのでした。悪人である自分は生きていくためにものを食べる価値もないのではないかと、そうい意識が彼女を追い詰めていったその結果なのでしょう。 きちんと正しく生きることは大切だけれど、それが過渡になりすぎたり、潔癖になりすぎたり、厳しくなりすぎたりするのは良くないんでしょうねえ。ま、何事もほどほどにってことで。 ところで、山岸涼子の『天人唐草』を思い出しちゃった。厳格な父親に育てられた主人公が最後にとうとう精神的におかしくなってしまう話。これを読んだ当時私はまだ若かったので、このお話はものすごく怖かったんですよ。今でも怖くて絶対二度は読めないなあ。 映画ビデオ、映画DVD実話をもとにした映画 エミリー・ローズ@映画生活
2007年01月21日
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この話題のニュースを見てて思うのは、日本人ほど、人がよくて利己主義な民族はいないなということだ。残業代がでないなら、残業なんかしないでさっさと家に帰ればいいのに。安倍首相は、「みんな早くに家に帰って、そして子供と一緒の時間をすごす。子育てにもいいはすだ。」といった。この発言に対して、安倍はなんにもわかってないという非難がでてるけれど安倍さんの言ってることは正しいと思う。ものすごく正しい。それなのに、その正しい言葉が否定されちゃうのは、現実がそうならないからだ。 たしかに残業代のない状態で勤務時間外もえんえんと働かされれば問題だ。けれど日本の場合残業代を狙ってわざと昼間の時間はのんびり仕事して、五時をすぎてから延々と残業といいつつ仕事をしている社員は多い。残業代が出なくなって、ちゃんと就業時間内に仕事を終わらせて、さっさと家に帰ればいいのにと思うような場合も多い。あるいは、たいした仕事もないのに、なぜか職場の雰囲気ですぐにかえりずらくて、あるいは家より職場の方が居心地がよくていつまでも社内にとどまり、残業代をもらっている社員もいがいと多い。 そして、もし本当に就業時間内に自分に割り当てられた仕事が終わらないのなら、会社側にもっとその仕事をする人間をわりあてるよう、採用するよう要求すべきものなのだけれど、なかなかそんなことをする人はいないし、しずらい。割り当てられた仕事がこなせないと、クビになるのではないかとか、自分の評価が下がるのではないかという心配のためにどれほど時間がかかろうと無理して一人でこなしてしまう社員がほとんどなのである。そのあげく、過労死だったり。 会社のフロアというものは残業で残っている社員が一人でもいれば、その広いフロアのすべての照明をつけ、冷暖房をいれつづけるわけだから、企業にすれば、その社員の残業代だけでなく、それらの電気代の負担も増えるのだ。これは、環境保護の観点から見ても、資源の無駄遣いといえる。マイナス要因の方がはるかに多そうで、そして今の日本の現状に合わないということで法案は流れたけれど、実施されて、くだらない残業習慣がなくなればいいのにと思う。こなしきれない仕事にたいしても企業側に人材の補強を要請するような社会の共通意識が出来上がればいいのにと思う。 それはつまり、少ない人数の人間で、仕事を占領しないで、なるべく仕事にかかわる人を増やすワークシェアリングってことなんだけれど、本当に日本ではこのワークシェアリングが普及しない。会社にすれば社員の数が少ない方が得なのだ。社員が多ければ、そのぶん会社が負担しなければならない年金の会社側負担分の支払いも少なくてすむし、社員に割り当てる机やいすや事務スペースなども少なくてすむからだ。そして、社員にしてもなるべく残業で収入を増やしたいという計算がある。つまり、残業は、双方にとって都合がいいのだ。けれど、そのせいで、本体の給与自体がなかなかあがらないのだとは、考えないのだろうか。そして、もっとワークシェアリングを進めて、正社員を増やした方が、より多くの年金保険料が支払われて、将来的には自分たちの暮らしへの安心度だって上がるし、自分たちの子供たちの就職先だって増えるのだ。実は残業というのは、わが子の職場を奪っているともいえるのだ。常態化した残業習慣を少しでも減らすのはいいことだと私は思う。そして、政府はそのためにいろいろな施策をとろうとするのだけれど、なかなか企業も国民もそうならないのだ。 残業を減らし、正社員を増やし、自由時間を増やして、優秀な人材、いい仕事への正当な報酬を上げていく。企業の都合を優先されないためには、労働者側は必要以上の残業を拒否するしかない。そのために社会全体が意識を価値観をそろえていくしかない。すべての社員が無謀な残業を拒否しうるのなら企業の横暴をとめられるはずなのに。残業を拒否した社員を解雇しても、次に雇用した社員も拒否し、全体がそういう姿勢をとるのなら、いちいちやめさせる方が無駄な経費がかかるのだから、会社の対応も変わってくるはずなのだが。そのためにはすべての労働者が自分個人の損得にとらわれない社会の共通意識をきっちりと進めて作り上げていくしかないのだか。 でもってこれがなかな難しいんだよね。 お父さんたち、いつまでも会社にいて無駄な時間すごしてないで、さっさと家に帰って子供のことも責任もってください。 ちなみにうちの場合は残業しても、ちゃんとそれに見合う残業代でませんから。実施されても、影響ないんだよね。はっきりサービス残業ですね。うちの場合はさっさとかえってきますけどね。 そしてこのシステムのいいところとしてはさらに、優秀な人の収入がふえるようになるかもしれないということだ。今までのような、残業システムだと、仕事が遅かったり、だらだらやってたり、能率わるかったり、無能な人ほど、残業代を稼いで収入が多いということだ。有能だから、短時間で仕事をこなしてもさっとかえると、収入が少ないのだ。このシステムによって能力に見合った収入になるといいんですけどね。いまのままだと、有能な人たちはくさっちゃうんだな。日本の企業システムだと。 政府がどんなにいろいろ努力しても、日本人の残業体質は変わらないんですよね。正しいことが正しいとして評価されないというのは、明らかに日本という国の病理なんじゃないかと思う。社会問題
2007年01月20日
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昔、本屋で漫画版の『犬神家の一族』を読んだはずなのに、全くストーリーを覚えていない。だから新鮮に見られましたけどお。ネタバレ…してるなー。 面白かった。でも、横溝作品独特のおどろおどろしい感じはなかったような…。 なにか明るくさわやかに楽しくただの謎解きとして見終わってしまった。たんに私が鈍感になっただけかしら。最近怖いものとか、平気になってきたし。年をとって神経がタフになってきたんだわ。いいことなのか、悪いことなのか。うーん。 一代できづいた製薬会社を経営する犬神家当主犬神佐兵衛は初めての恋人が自分の財産を目当てに近づいてきたことを知る。金目当ての強欲な女を自分の子供を生んだからといって正妻にする気にもなれず、次にであった女もまたやはり財産めあてであった。そして三人目の女もまた。自分の財産目当てに擦り寄ってくる女ばかり。人間の卑しさに絶望する彼が出会った始めての心美しき女性晴世は、しかし、敬愛する恩師の妻だった。それでも佐兵衛は自分の思いを抑えきれず、ひかれあった二人は一人の娘を授かる。けれど、不義密通の相手の子供を公にすることは出来ない。そんな彼がさらにであった自分の工場の女工だあった、うら若い娘菊乃。そして、彼女は初めて男子を産んでくれた。すでに生まれていた三人はいずれも女子。そして、人妻の晴世との子もまた女。初めての男の子を授かり、佐兵衛はこの子こそ跡取り息子だと喜んで、犬神家の家宝を与える。しかし、そのことに怒った三人の娘たちは突然菊乃の家を訪れ、菊乃たち親子に制裁を加える。そのことを知って怒った佐兵衛は彼女たちの母親と同じように犬神家の財産にしか興味を示さないその強欲さいやらしさに絶望し、彼女たち三人の娘に財産を譲らないことを決める。しかし、このことがあって菊乃は行方をくらませてしまう。最後に出会った菊乃すら、失い、佐兵衛は人間の欲望の醜さにさらに絶望するのだった。三人の娘もその母たちにもとても、自分の財産を譲る気にはなれず、菊乃親子は行方も知れず、晴世との間に出来た娘は公に出来ず、その娘である孫の珠世が自分の血を継いでいることも公にできないのだから、いったいどうすればいいのか。そして、彼は愛する心優しき唯一の孫娘珠世と佐清が愛し合っていることを知る。悩んだ末に佐兵衛は珠世が三人の孫の誰かと結婚をすることで全財産を珠世に譲るという遺言を残すこととなる。しかし、死後もなお、自分の財産が心正しきものに譲り渡されるかを心配した彼は、長女松子に乗り移って、自分の欲望のために嫌がる珠世に無理やり迫る二人の孫を殺害し、佐清のフリをして犬神家に入り込んでいた菊乃の息子静馬をも殺害する。財産の為にはどんなことでもするような強欲な二人の孫と一人息子を殺し、愛し合う二人珠世と佐清に財産を譲ることに佐兵衛は成功したわけだけれど。 けれど、母を思って自分が犯人になろうとした心清き佐清と美しき珠世の二人がやがて子供を生めば、その子の中にだって、松子の母の卑しい血は入っている。人間はどんな人間だって光の部分と闇の部分を内包しているものなのに。 人間の醜さに絶望した佐兵衛だって、人を助ける薬というものを売ることで財を成したけれど、本当は裏の部分で、麻薬をつくり、何度かの戦争においてその麻薬を売って儲けたのだから。彼自身も彼の財産もまた、光と闇の部分をもっていたのに。 彼自身もまた善の部分と悪の部分を持ち合わせていたはずなのに。 心の美しいものにだけ伝えたはずの彼の財産は本当に美しい人間にだけ伝わっていくことはありえないんだけどな。 えーと。松坂慶子さん、太りましたね。女優さんて、仕事だから、根性でやせられると思ってたけど、プロの女優さんでも、体質には勝てないんだろうな。だから、私がやせないのも体質なのよー。しかたないのよーと映画を見ながら考えた。 でもって松子役の富司純子さん。もうかなりのお年のはずなのに、キレイだった。顔の少しのしわとかしみとか肌のあれなんかは多少カメラの技術でごまかせるけど、顔の造作だけは無理だもんね。こーんなきれいな人なんだなーと、惚れ惚れしました。立ち居振る舞いがすごくきれいでした。こんな長野のド田舎のおばさんがこんなにエレガントなはずはなかんべと思いはしたんですけどねー。 フカキョンもあんないなかの旅館の女中にしてはきれいすぎ。石坂さんもあの高齢であんなに走るのはつらかったのでは。なーんて突っ込みどころはいくらでもありまっせ。 母をかばう息子、息子を心配する母。美しき親子愛です。三人も殺した人間の中にも、こんな部分があるんだからね。旧作もみました。日本映画、邦画犬神家の一族@映画生活
2007年01月19日
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連日テレビでシュークリームの画像が流れるので、なんだかだんだん食べたくなってきて、とうとうコージーコーナーのシュークリームを買ってきてしまった。おいしかった。 不二家ももう終わりだな。っと私は思います。ヒトゴトなので。いまだにメグミルクは買いませんもの。メグミルクはもう違うかもしれない。けれど、それでもやっぱりいやですね。事実の発覚したメーカーのものを買いたくない。デモデモ、不二家じゃないと売ってないスイーツがけっこうあるんだよねーーー。 バブル崩壊以降、経費削減のためにどれほどの社員が会社をやめさせられたか知れない。あるいは、どこの企業でも、人減らしのために退職勧告をし、そのためにどれほどの数の有能なベテラン社員を企業は失ったのだろう。 それ以降いろいろな業種でのトラブルやミス、事故のニュースを聞いてきたように思う。 企業の人材の質的低下は大きい。 そして、くだんの不二家でも、自らの管理責任を全く感じさせない、言い訳や、管理体質の結果がこれなんだろう。 会社の都合の前には、衛生管理のずさんな食品を販売することもできるその無神経な管理者たちは、じゃあ自分たちの衛生管理自体はどうなんだろう。 かならず、毎日風呂に入り、いちど着たワイシャツは必ず、洗濯し、ぢめんに落とした食品は、絶対口にしないのじゃないのだろうか。毛の入ったお茶も蠅の入ったチャーハンも絶対食べないだろうに。 かつての日本の不衛生な日常生活のために伝染病が流行り、そのために徹底的に行った衛生管理や衛生教育は、北里柴三郎の努力によって成功し、日本は世界でも、スペシャル級の清潔な民族になりました。木村治美さんのエッセイによると、ロンドンの町を歩いていてきれいな身なりの人が珍しくいるなーと思うとたいがい日本人なんだそうだ。イギリス人はそんなにぴかぴかの服は着ないんだって。 もっとも、最近は地面におしりをぺったりつけて制服のまま平気ですわってる女子中学生とか、よごれたままの下着を何日もはきつづける女の子の話も聞いたことあるし。こんな汚ギャルもでてきてるんだから、そろそろそんな呪縛がきかなくなってきている世代もいるんでしょうか。 日本人てきれい好きだよね。自分の事に関しては。で、他人に対してのキレイはどうでもよくなってきてるんですねえ。 次はどこのメーカーの不祥事が出るんでしょう。サーティワンか、ヤマザキか、コージーコーナーか。厚生省は衛生管理の企業チェックはしないのでしようか。 一般ニュース
2007年01月18日
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やっぱし山本周五郎はいいなあ。ほれぼれ。久しぶりに読んだんですけどね。もう、どれも良作ばっかり。藤沢周平みたいに無理やり手篭めになんてご都合主義な展開もないし。人情があって、情があって、愛があって、道徳観も倫理観もうそくさくなくて、ナーイス!あとのない仮名改版 でも特にこの中のよかったのが、『桑の木物語』でした。いままで読んだ山本周五郎のなかでいっちゃんよかった。 この話には人間のすべて、人生のすべて、がつまってると思います。でもって、子育ての基本とか、何が大事かとか、子育てのポイントとかも書いてあるし。人間てこうやってそだてるものなのかーというのがとーってもよくわかるんじゃないかと思います。とにかく含みがとても多い。 主人公裕二郎は武家の次男坊。生まれてすぐに船宿に養子に出されちゃう。そのおかげでものすごく元気でやんちゃでがき大将な子供ができあがります。裕二郎のおじいさんは藩でも要職につく人。藩主のあととりの育て役。この祖父の考えによって裕二郎はこんな風に育てられたんですね。 実のところ主人公の裕二郎は、この病弱な若殿を健康な人間に育てるために祖父が計画して、育てたように思えます。わざと船宿に預け、あまりしからずに野放図に育てさせたのも、学問よりは、体と健康を重視して、腕白坊主に仕上げて、やがて若殿を健康に育てるための計画だったと思えます。本来武家に生まれ、そのまま普通に育てれば普通に育ったかもしれない裕二郎を、あえて、あのように育てたということは、若殿を育てるための捨て駒であったのではないでしょうか。もしかしたら、船宿に預けても、予定通りに裕二郎は育たなかったかもしれない。そのまま、庶民としても、武士としても、半端なままの人間になってしまったかもしれない。それでも、将来の藩主のためにそんな育てられ方もされてしまう。やっぱり武家社会なんだなあ。 しかし、裕二郎と一緒に屋敷を抜け出して、浅草の町で幾度も遊び、庶民の暮らしを見てすごした若君は、裕二郎とは、違うものを見ていたのです。長じて、藩主となった彼は、裕二郎とともにみた庶民の暮らしぶりを参考にそののち、名君とまで呼ばれるようになります。 同じように遊んで同じものを見ても、やはり人によって見るもの、得るもの、興味の行くところは違う。ただのがき大将にしか過ぎない裕二郎と、藩主となることを覚悟している若殿では、視点が違うんですね。 若君にはもうひとり、勉強のできる学友がいたんですね。若殿は遊びもしたけど、やっぱり勉強もしたようですね。 若殿のおそばに最後まで残って小姓となったのが裕二郎と、秀才のと、のんびりやの。人間に必要な要素ってつまりこの三点なのでしょうか。 さて、長じて藩主となった正篤は、意外なことに裕二郎を退職させてしまいます。もっとも正篤と心を通わせていた、一番の部下であるはずの裕二郎にとっては晴天の霹靂。とうとう、彼は自分の故郷の船宿に戻ってしまい、おさななじみのおみつと結婚し、船宿をついでそこで一生を終えるのでした。正篤との接点がなくなった武家社会は裕二郎にとってはもう意味のない世界になってしまったようです。 ラストで、裕二郎は藩主正篤によびだされ、かつてともにすごした下屋敷で再会することが出来ます。そしてそこでなぜ自分が正篤から離されたのか知ることができます。 正篤は、自分がこれから藩政の改革をする上で必ずそばにいる裕二郎が他の藩士たちの恨みを買うことを予想したのです。裕二郎にそんなつらい立場に立たせたくなくて、涙を呑んで裕二郎を仕事払いしたのでした。正篤は二十代の若さですでに人の憎しみや嫉妬などの感情が本人ではなく、その少しずれた位置にいる人間に向かうことを知っていたのです。すごい。山本周五郎もそういう人間の心の機微を知っていたのですね。こういうことをはっきり小説の中で描写されるのを読んだのは初めてでした。すごいです。 この物語には、ずいぶんたくさんのことが詰め込まれているように思えます。 人は武士として窮屈で堅苦しい世界で生きるのと、庶民の中で、のびのびと生きるのとどちらがいいのでしょう。勉強も大事だけれど、人の心や庶民や普通の人たちの現実の暮らしを知ることの大切さも、リーダーとして人身を読むことの大切さも、人の一生が長さよりも、その濃度にあることも、人の幸せが出世することばかりではないことも、そのほかにもいろいろなことが書き込まれている濃いーお話でした。読書好き集まれ~
2007年01月17日
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しゃばけシリーズ第三弾です。読み終わりました。 この小説を読んでいて困るのは、とにかく、大福とか、饅頭とか和菓子が食べたくなってくることです。とにかく若だんなが自分の部屋に住むあやかしたちにやたらめったら和菓子を食べさせてあげる。友達の和菓子屋の店に和菓子を買いに行く。山盛りの大福。これを読んでいるとだんだんだんだん食べたくなってきて、スーパーに買い物に行った時につい買ってしまうんですね。買った後は家に置いとくと、私以外の家族が食べるからいいんだけど、でももちろん私も食べるからさあ。 小豆を煮るのってそんなに難しくないのに、どうしてあんなに作品中で和菓子屋の跡継ぎ息子は失敗してるんでしょうね。 大店の跡取り息子の若だんなはいつも過保護でお金の心配なんかしたことないのに、今回は、お金に困る話が出てきます。前回は、仁吉の過去のお話があったので、今回は佐助の生まれたところからの話。佐助のお父さんが弘法大師だなんて、しらんかった。あやかしって偉い人から生まれることもあるんだ。じゃ、佐助は悪とか、ダークサイドじゃないんですね。 でも佐助が経済的に苦しくなったお店のためにいろいろ苦労するお話。どきっとしましたが、実はタネありでした。これは、画像のない小説だから出来ることだけど。 次の作品はは、まだ文庫になってないから、読めないですねえ。 書評、レビュー
2007年01月16日
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今年の第一作は、これにしました。やっぱりファタジーファンとしては、見ませんとね。でも、原作は読んでません。てか、この作品は軽視してました。 ストーリー自体はファンタジーの王道を素直にいってますね。でも、わるくないんだけど、なーんかいまいちだったような。で、なんでかなーと考えてみたら、キャラクターの魅力がいまいちだったんですね。ルーク・スカイウォーカーとか、レイア姫みたいなバーンとくる魅力的なキャラがいなかったような。大作のわりに登場人物も少なかったかな?ストーリーも王道そのままで練がない。もちろんファンタジーファンが望むとおりのストーリーではあるのですけれど。 主人公のエラゴンはごく普通の農夫の息子です。この設定はルークと同じなんですけどね。なーんでちがうのかなあ。どうも、主人公がごくごく普通の青年で特にこう惹かれるようなものがない。 それとやっぱりラブストーリーがないからでしょうか。プリンセスは出てくるんですよ。しかも、エラゴンはすっごく弱くて、剣も魔法もぼろぼろの癖にいきなり、敵の第一の部下である魔法使いの城にプリンセスを助けるために乗り込んでました。えー。いくらなんでも、むちゃくちゃジャン。まだ、魔法だって覚えたばっかりなのに。計画性ゼロじゃん。ただ、無鉄砲なだけ。で、プリンセスもレイア姫ほど惹かれません。んー。こまったな。 とらわれの姫君を竜にのった伝説の勇者が助けに行くなんてあまりにも王道すぎ。王道すぎて今まで誰も書かなかったからこそ、今頃映画になってるんだ。そういう意味じゃほんとにまってましたあってはずなんですけど。私もドラゴンほしいよお。 ドラゴンと魔法と剣。そして、お姫様。ファンタジーで絶対必須ノアイテムはそろってます。 魔法を使う上で言葉が重要なのは、『ゲド戦記』と同じ。 そして、竜騎士という設定も面白い。 竜騎士ものといえば、やっぱりなんといっても、『パーンの竜騎士』(アン・マキャフリィ著)なんですが。卵がかえる時竜騎士とドラゴンが感応するところとか、心が通じ合うところとか、竜にとってライダーが一人だけとか、竜が間隙に移動する能力があるところとか、このあたりの設定は『パーンの竜騎士』と同じです。作者はこれだけのファンタジーを書いているのだから、当然ファンタジーファンでしょう。だから、この本も読んでいるはず。で、『パーン』を読んでると、ドラゴンがいきなり、異空間に飛んで、でもっていきなり成長して戻ってきても、あんま違和感なく納得で来ちゃう。だって間隙に行ってたわけだし。『エラゴン』もいいけど、『パーン』も読もうぜえ。 ファンタジーの基本設定や登場するキャラクターは大体設定が同じでも、いいんだけどね。ファンタジーの基本だから。でも、『パーンの竜騎士』の方が面白かったかな。そういえば、『パーン』を読んだきっかけは『花冠の竜の国』(中山星香著)のネタもとだって聞いたからでした。花冠もドラゴンに乗った王子様とヒロインのラブラブのお話です。やっぱドラゴンはいいなあ。わたし、ドラゴンがだーいすきなのです。だから、ドラゴンライダーの話なんてまさに待ってましたってはずなんだけどなあ。最近はCGのおかげですんごくリアルなドラゴンが出てくるから、そういう意味では楽しいんですけどね。 それと、ドラゴンて、本来トカゲなんだけど、この作品では、哺乳類っぽかった。赤ちゃんのドラゴンはかわいかった。でもって、メスだから、この先、エラゴンに彼女が出来たら、やきもちやいたりしないのかなあ。 原作読んでなかったので、見てる間は面白かったんですけどね。見終わった後の感動がなかった。ま、続き物らしいので、第二作に期待しましょう。 花冠の竜の国(4) 花冠の竜の国(7)エラゴン 遺志を継ぐ者@映画生活☆ファンタジー映画☆
2007年01月14日
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娘が私のおなかの中で、妊娠九ヶ月の頃。冬だったので、風邪をひきまして、吐くは、下痢するはで、上からも下からもげろげろ。ああ、汚い話題でごめーん。とにかくすごーくひどい風邪をひきました。 そして、おなかがぎゅーっとしまって、痛くて痛くて、下痢もものすごかったんだけど、その最悪の状態の中で、娘は全然平気だったのです。 普通、妊娠九ヶ月といえば、こんなことになったら、流産とか、破水とか、早産とかになりそうなものなのに、私が風邪でげろげろの状態なのに、娘は私のおなかの中で、自分の周りの嵐など全く関係ないというように、かっこたる大きな丸い塊として、泰然自若として平気だったのでした。 流産の気配も、早産の気配も全然なく、風邪薬の飲めない私は心置きなく、風邪の最悪の状態にへろへろになっていたのでした。 運気の強い子ってほんとに強いんですねえ。 この話をこないだ娘にしてあげた。 こーんな強い運をもってあなたは生まれてきたんだよ。って。 どんな逆境になってもびくともしないような強い運をもっているんだから、あなたはすごく恵まれていて、だからあなたの人生はばりばり大丈夫なんだよ。って。 こんなエピソードのひとつひとつがいつか娘を守ってくれるといいなと思う。
2007年01月13日
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年末の読売新聞を読んでいたら、いまどきの東大は、学生の思考力を育てるために、囲碁ゼミとかあるんだそうだ。 税金かけた天下の東大に、やっと入ったその後でわざわざゼミまで開いて囲碁をわざわざ勉強してるのかあ。 囲碁なんてさ、ちょっとルール覚えて、ネットとか、クラブとかで、対戦すればすぐできるものだよ。ちょっと本を買って読んだり、定石を覚えたりして、わざわざ東大のゼミなんかでやらなくたってできるものだよ。 それをわざわざ大学のゼミでやんなきゃなんないほど、東大生の頭は固いんでしょうか。そんなことやるよりも、そもそもそんなに頭が固くなっちゃうような東大の入試試験を改善すればいいのに。 それをわざわざ頭の固くなるような問題で受験生の頭をカタークしておいて、はいってから思考力を育てなくちゃいけないなんて、本末転倒な気がします。 囲碁なんて十歳くらいまでに始めないと、もう大学生くらいになってると、頭固くなってるから、無理でしょう。 ばかげちょる。 頭のやわらかくなる入試問題、思考力、考える力を育てる入試問題って作るの難しいですか。だとしたら、問題作る先生たちの頭も固いんだ。 大学
2007年01月12日
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日本インターネット映画大賞です。昨日の外国映画部門に続いて日本映画部門の投票でーす。日本映画は洋画に比べてどうも、少ないです。洋画に比べると良作が少ないというか、どうもいまひとつ勢いがないんですね。だから、一つあたりに割り振れる点が多かったんですけど。とにかくいきましょう♪[作品賞投票ルール] ・選出作品は5本以上10本まで ・持ち点合計は30点 ・1作品に投票できる最大は10点まで-----------------------------------------------------------------『 日本映画用投票フォーマット 』【作品賞】(5本以上10本まで) 「紙屋悦子の青春 」 8 点 「時をかける少女 」 8 点 「ブレイブストーリー 」 4 点 「武士の一分 」 4 点 「博士の愛した数式 」 4 点 「花よりもなほ 」 2 点 【コメント】日本映画は全体にこれだーというほど感動したものはなかったように思います。『博士の愛した数式』がたぶん今年の大賞になりそうな気がします。『紙屋悦子の青春』は地味に話題でしたね。戦場を一切描かずに反戦を描いたシナリオが見事でした。でも、地味だから賞には入らないですね。きっと。日本映画はなんといっても、アニメでしょう。アニメや漫画が原作のものが一番日本映画の中でも、大きな部分を占めているという現実がもっと公認されてもいいんじゃないかと思います。アニメが受賞するといいのになあ。-----------------------------------------------------------------【監督賞】 作品名 [ 細田 守 ] (「時をかける少女 」)【コメント】原作をこれだけ変えたのに違和感なく、面白く今っぽくわかりやすく出来上がっていたところがすごい。【主演男優賞】 [ 岡田 准一 ] (「 花よりもなほ 」)【コメント】力んでない演技がよかった。【主演女優賞】 [ 原田 知世 ] (「 紙屋悦子の青春 」)【コメント】彼女でなければ、出来なかった役だと思います。【助演男優賞】 [ 笹野 高史 ] (「武士の一分 」)【コメント】そのまじめで誠実な働き振りが作品のテーマをより浮き上がらせる上で大きく影響していたように思います。好感度はかなり高かったのではないでしょうか。【助演女優賞】 [ 寺島しのぶ ] (「 男たちの大和 」)【コメント】最近めだちますね。がんばってますね。いろんな作品で見かけました。チョー美人でない割りになにか独特のものを持っていますね。コレカラに期待。【新人賞】 [ 不明 ] (「 」)【コメント】俳優さんとかはよくわからないのでここまでですね。今年もいい邦画がみられることを期待しています。----------------------------------------------------------------- この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。映画批評
2007年01月11日
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日本インターネット映画大賞さんからのお誘いがありましたので、素直にありがたくおもしろく、私も投票させていただくことにしました。でもそんなに映画には詳しくないし、監督とか、俳優さんとかは全然わかりません。だから、よかったなと思う映画を選ぶのが精一杯であります。 [作品賞投票ルール] ・選出作品は5本以上10本まで ・持ち点合計は30点 ・1作品に投票できる最大は10点まで-----------------------------------------------------------------『 外国映画用投票フォーマット 』【作品賞】(5本以上10本まで) 「イルマーレ 」 3 点 「トリスタンとイゾルデ 」 3 点 「シン・レッド・ライン 」 4 点 「ニュー・ワールド 」 3 点 「バタフライ・エフェクト 」 4 点 「マザー・テレサ 」 3 点 「父親たちの星条旗 」 3 点 「ナイト・オブ・ザ・スカイ 」 3 点 「ロード・オブ・ウォー 」 4 点【コメント】「イルマーレ」アジア映画のリメイクが多い中で、珍しく成功していた。タイム系のネタによって現在の行動が未来にどう影響していくかを考えさせてくれる作品だと思う。今を大切にしようね。「ロード・オブ・ウォー」戦争が誰の都合によって起こるのかその真実を考え直すきっかけとなっている作品。本来悪役であるはずの職業を持つ主人公によって見せる展開になっていたのが秀逸。「ナイト・オブ・ザ・スカイ」珍しく実写映像を堪能できた作品。明らかにフランス空軍の宣伝映画であるが、久しぶりにフランス映画を楽しめました。「バタフライ・エフェクト」流行のタイム系。過去を修正することで未来が改善されていく様子を見せることで現在の若者への訓話となっているにもかかわらず、それ故の説教くささををきづかせないシナリオがうまい。「ニューワールド」今年のアメリカ映画は全体に今までのアメリカのイメージを覆し、今のアメリカのあり方を考え直そうとする作品が多かったように思えます。その中でも、そのさきがけとなった作品。そもそも、アメリカ大陸侵略の発端から考え直すのもいいかもしれません。それは、主人公のイギリス人とヒロインのインディアンの娘が損得なしに愛し合ったように、アメリカの国内のあり方も人としての原点に帰るべきなのかもしれません。「シン・レッド・ライン」かっこいいものでも英雄物語でもない戦争の現実を語った作品。戦争映画を娯楽として作る姿勢にテレンスマリックは疑問を投げかけているように思う。「マザー・テレサ」名前は知っていても、彼女が実際に何をしたのか知らない人は多いはず。彼女の人生と基本の姿勢、考え方などとてもよくわかり、ぜひいろんな人に見てほしい作品です。「父親たちの星条旗」アメリカの階級社会の現実を如実に語っていて、日本人の知らないアメリカの影の部分をとてもよく見せてくれた。硫黄島の戦いを多くの人に知らせた功績は大きいと思う。「トリスタンとイゾルデ」古代イギリスを舞台にした歴史と恋の物語。中世ヨーロッパは好きです。現在のアイルランド闘争の原点を知るうえでもいいのじゃないのかな。かわいそうでした。当時の雰囲気をよく表現してあり、美しく、手の込んだセットがとてもよかった。作品の質的な是非は別として、個人的には、これが一番好みの映画だった。★特に一番て決められないものですね。今年の話題作硫黄島二部作はきっと選ばれることでしょう。でも、いい作品が多くて絞り込むのが大変でした。本当はどれも10点つけたかったんですよ。そのあたりがつらかったんですが、悩むほどいい作品が多いって言うのはすごくいいことですよね。今年はアメリカ映画の中で今までのアメリカのあり方を考え直すような作品が多く出たことに気がつきました。世界的にも批判され始めたおごれるアメリカが本来の良さを取り戻して、よりすばらしい国になっていくうえで、映画のもつ意義は大きいかもしれません。また、「太陽」「硫黄島からの手紙」など、外国が作った日本を舞台にした映画。良作として評価されていましたが、一見真実を描いているように見えるので、今の若い人たちはそのまま日本の真実だと捉えがちですが、実際には違う。あくまで外国から見た日本なのだということにきずかないまま、素直に信じてしまう怖さを感じました。出来れば、日本で、このテーマをさらに製作してほしいなと思います。-----------------------------------------------------------------【監督賞】 作品名 [テレンス・マリック ] (「 シン・レッド・ライン」「 ニュー・ワールド」)【コメント】普通の人とは一線を画した価値観の表現に彼の人生の戸惑いを感じる。今の時代に彼のような価値観が再認識されてもいいのではないかと思う。でも、たぶん、今年の監督賞はクリント・イーストウッドでしょうね。【主演男優賞】 [ ニコラス・ケイジ ] (「 ロード・オブ・ウォー 」)【コメント】個人的に好き。嫌悪感も違和感も感じさせなかったのがすごい。油がのってますね。【主演女優賞】 [ ソフィア・マイルズ ] (「トリスタントイゾルデ」)【コメント】きれいな人でした。【助演男優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【助演女優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【新人賞】 [ ] (「 」)【コメント】もう、このあたり↑は私の能力ではむりなので、パス。ではでは、よい作品が賞に選ばれるといいですねー。----------------------------------------------------------------- この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。☆ところで今週の日曜は「華麗なる一族」が始まる。たのしみ♪フッキーも出るしね。忘れないようにしないと!
2007年01月10日
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初詣で成田山に行ったら、ものすごく混んでいてびっくり。とにかく、参拝客が多いので、階段の下から入場規制。そもそもその前の富里のインターを出るまでは順調だったのに、そのあと、車とめるまでにえんえん渋滞でした。そのあと、お賽銭までにも、えんえんと並んだので、疲れちゃって、いつもの成田山公園散歩はパスしました。だから、その後はじゃがバタ食べて、たこ焼き食べて、大判焼き食べて、おそばを食べて、チョコバナナをお土産に買った。 成田さんに行くまでの新参道は民間駐車場がいっぱいありまして、去年はどこも一律700円で、談合してるのかなーと思ったものですが、今年は下の方は500円だった。その後、上っていくと順に600円になり、700円になっていた。世間の談合批判はこんなところにも現れているんでしょうか。今年の成田山駐車場協会は談合による駐車料の統一はやめたみたい。もちろん私は500円のところに止めましたとも。一応健康なので、なるべく歩いておまいりした方がいい。 ひいきのそばやがなくなって以来、成田に行ってもいい蕎麦屋を見つけられない。さびしいです。今回はいったお店もはずれだった。 それにしても、今年の初詣はとっても混んでますね。こんなに混んでたのは初めて。前日が大雨だったせいなのでしょうか。それともスピリッチュアルブームのせいだとか?細木数子とか、オーラの泉のせいとか? おみくじを引いたら、大吉でした。ものすごーく久しぶり。少しは運勢よくなったのかな。 ところがですね。次の日に亀戸天神でひいたら、末吉。一緒にひいたダンナは大吉。成田ではダンナはおみくじはひかなかったのです。やっぱり絶対私の運勢はダンナに吸い取られてるよ。 うちのダンナは人の運勢を吸い取るんだよ。だってうちのダンナをいじめた上司の人はそのあと、身内に葬式が連続したんですから。 こわいですねー。ホラーより、ミステリーより怖い。 はっ! 初詣の話がいつの間にこんな話題になってるんだ。
2007年01月09日
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私も今日は医療関係のネタを書きまーす。患者取り違えについてですが、鈴木厚さんの『日本の医療に未来はあるか』という本の一部を読んでの感想です。 平成11年、横浜の病院で心臓手術の患者と肺手術の患者が取り違えられて、手術されてしまった事件です。 医療ミスといえば、大概はその理由として人数不足が挙げられます。確かにそうではあるのですが、この実例を読むと必ずしもそれだけとは限らないのではないかと思うのです。 患者取り違えの場合、実際に手術にかかわったスタッフたちは、まったく気づかなかったのだとばかり私は思っていました。しかし、実際には、多くのスタッフが何度も患者に名前を読んで声かけをし、何人かのスタッフや医者が患者を見て、「違うのではないか」とか、「おかしい」ということに気づき、疑問の声を発しているのです。 モジュール方式というアメリカの医療現場で採用されているシステムを導入していることも原因の一つに挙げられています。それもまた、考えられます。 しかし、この検証と、実際の現場状況から考えた時、日本人独特の特質が見事な形で現れていることに驚いたのです。二人の患者は他人の名前で何度も呼ばれているのにもかかわらず、そのたびに「はい」と返事をしている、または、うなづいているのです。状況として、二人とも声の発せない朦朧とした状態ではあったのだけれど、それでも、アメリカ人であれば、はっきり不愉快な顔をしたり、違うという意味のなんらかの意思表示をするのではないかと私は思う。アメリカ人などにすれば、他人に間違われるなんてこんな不愉快なことはない。しかし、日本人はここで、相手に悪いというようなへんな遠慮が入ったりする。 さらに、医療スタッフ側の何人かが、疑問点を投げかけたにもかかわらず、結局周りに訂正されたり、うちけされたり、否定されたりして、そこで意見を取り下げてしまっています。 アメリカ人なら、ここでもう少し強く自己主張したり、きっちりと、確認を取りそうな気がするのだけれど、日本人というのは、基本的に自分の意見を強く主張したりしない。異論を唱えても、その場で否定されたりした場合はすんなり、引いてしまう。それは、人とのトラブルや摩擦をきらい、自己主張を強く発することをしない、まさに日本人の特質そのもので、この事例を読んでいると、その部分こそが実は医療ミス、患者の取り違えをおこした一因のように思えます。 おかしいと思うのなら、たとえ、その後で自分の勘違いだったと周りから叱責されても、きちんと確認を取る。こういった指摘に対して、あとから勘違いで、手間と時間を無駄にしたというような非難をしない雰囲気というか、システムというか、慣習というか、そんなものがあれば、異論も疑問も発しやすいのではないかと思います。 システム以前に存在する日本人の特質ゆえに起こる医療過誤は、やはり、日本人独特の性質を考慮に入れた上で、システムを再構成すべきではないのでしょうか。 ところで、本人確認が名前を呼ぶだけというのも、なんとも古臭い。最先端の医療を喧伝する大病院でもこんななんだから、日本の国ってお粗末だよな。 名前を呼ぶ以外に、相手に名前を聞く、言わせるという方法もありだろうし、さらには、指紋認証システムなどの科学的な先端技術を導入した、固体の判別方法などの導入なども考えられていいはずなのではないかと思います。カルテに張られた指紋のデータと実際の患者の体の指紋とを照合することによって、患者の意識がなくとも、顔を知らなくとも、固体が判別できるではないでしょうか。 でも、もちろん、スタッフはちゃんと患者さんと面識を持ってからの方がいいでしょうけどね。もちろん。 すべての看護師、医者とすべての患者が顔見知りなのが理想だけど、大病院ではやっぱり無理でしょうねえ。 医療機関、病院、医院、診療所 医療、医学
2007年01月08日
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映画『ダーク・ウォーター』を見たので、原作も読みました。でもこれは短編集になっていた。その一話目のお話が映画になっていたようです。でもって原作では、主人公は死なないし、テーマもちょっと違う。幽霊もちょっとしかでてこなかった。 原作で描かれているのは、都市の持つ恐怖なんだと思う。 幽霊に取り殺されるホラーではなく、都会の持つ得体の知れないものというか、都市ゆえにそれも日本の都市のもつ独特の恐怖なのかな。 映画『ダークウォーター』では母と娘の愛がメインになっていました。でも、原作では違う。 主人公は非常に感覚というか、触覚というか、感性というか、それがものすごく敏感なんですね。夫婦の性生活にすら嫌悪感しかわかないような、現代社会には意外に多い潔癖症の度合いのやたら高いタイプ。だから、夫の無神経にもがまんがならなかった。 そして、この感度の高さゆえに、マンションの屋上にある貯水槽のなかに死体があることにきづくわけです。都市に住むほかの人たちが二年たっても気づかなかった謎にきづくわけです。 そして、死体にきづいた途端、今まで自分が飲んでいた水、風呂に使っていた水、食器を洗ったりしていた水が、死体づけの水だったことにきづいた時、主人公は激しい嘔吐に襲われ、そしても動けなくなってしまう。 物語の中に出てくる幽霊の美津子は、それを主人公に気づかせるための道具立てに過ぎない。だから、これは幽霊話の怖さではない。 ま、敏感な主人公でなくても、わかったら、そりゃー気持ち悪いですよ。十分。昔、マンションの屋上の貯水タンクを調べたら、ねずみの死骸やいろいろなごみ、苔、の生えた非常に汚い水であることがわかったという驚愕のニュースを聞いたことがあります。それからは、法的に定期的にチェックするようになったのじゃないかと思うんですけど、やっぱりこの話のように管理のずさんなマンションはいまでもいっぱいあるでしょうねえ。そして、そのことにきづかないまま、無頓着に使っている人たちは多いはず。 そして、貯水タンクの水にかぎらず、今の都会、だけでなく、現代社会で生活しているということは、今自分たちが口にしているものが実のところなんなのかわからないという恐怖をこそ、この物語は書いてあるわけですよね。ちょっと前の某大手牛乳メーカーのタンクも細菌だらけだったことが発覚して、世間的に大ニュースになりましたよね。 普段の食品だって、いろんな添加物がはいってるわけでして、でも、自分でつくっているのでないかぎり、買ってきたものを食べて生活している限り、本当のわからないまま食べているわけですね。 ある程度はてづくりできるにしても、限度がありますから、もう無神経に無視するしかないかもしれないけどね。 でもこのヒロインがそこまで気づいてしまったら、もう、現代社会では生きていけないかもしれません。 この物語にかかれているのは、そういう恐怖です。 こないだだって餃子に残飯のようなものが入っていたことがわかって、その会社の社長は自殺しちゃったなんてニュースもあったし。今日本にでまわってる安い中国野菜だって、中国の汚染された景色や土壌の写真なんかみちゃったら、怖くて買えないんですけど。 で、こういうことをすごく気持ち悪い質感を感じさせる描写ですごく怖く描写してあるわけですよ。鈴木光司の小説は。 でも、『リング』も、『らせん』も読んだことないし、この本もまだ、一話目しか読んでないけどさ。 そして、それとともに、自分の不愉快、不快にはすごく敏感なのに、他人の不快、不愉快には意外と無頓着な現代の都会の人間たちの無神経振りをも、見事に描写し、指摘してある作品でもあるわけですね。 主人公は自分の不快感にしか意識がいってないし、主人公の夫もとっても無神経。 そういう現代社会の問題点と怖さが描かれているんですね。で、なぜか、これが映画になると、死体入りの水の気持ち悪さなんかはどっかいっちゃって、母と娘の愛の話とかになっちゃう。 原作のテーマを平気で無視している映画製作者側の無神経ぶりもなかなかすてきじゃあないか。はっはっは。 今日の読書日記
2007年01月07日
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見終わってみると、普通に普通の時代劇なので、おもしろかったですけど。 武士の剣術なんてのは、お茶やお花とおんなじで一種の作法みたいなもんだと、免許皆伝の腕を持ちながら、剣を抜いたことなんかなく、普通の下級武士の暮らしを送る主人公片桐。 ところが彼とともに同じ師匠の下で剣を習っていた旧友を、藩の命令によって討ち取らなければならなくなる。 武士であれば、断ることはできない。 彼は初めて剣を抜き、人を切った。 そののち、その友人の妻をだまして、寝取った上司を隠し剣鬼の爪によって、討つ。 秘伝の隠し剣を使った最初で最後の殺しなのである。そののち、片桐は鬼の爪の剣を友人の妻の墓に埋める。こののち、隠し剣、鬼の爪が次の世代に伝えられることはない。時代は、明治へと大きくかわろうとしていた。 藩命によって友を打ち、鬼の爪によって家老を殺した、初めて彼は、武士というものが人を殺す仕事であることに気づく。それまで彼が日々訓練した大砲もまた、実は人を殺す道具なのである。武士を続けていく限り、また、人を殺さなければならない。片桐は、武士を捨て、家を捨てる。 そして、すでに武士でなくなった片桐は、身分違いゆえにあきらめていたかつての片桐家の女中きえを妻にして、蝦夷へ向かう。 というわけで、上司に手篭めにされる下級武士の妻、そして、隠し剣によるあだ討ち。話のメインは先日見た『武士の一分』とほぼ同じ。手篭めにされるのが友人の妻か自分の妻かというのが違うくらい。 どちらもいい作品なのだが、『武士の一分』では、不貞の妻への不満のある人もいるみたいだし、『鬼の爪』の方では、自害しているのでいいのですが、『武士の一分』の方は復縁してしまうのですね。それが納得いかないという人は多いみたい。私も実を言うと、見終わった後で、「三村(キムタク)はこのあと、妻の不貞を思い出して時々むかついたりしないのかな。本当にこれですっぱり忘れてこれまでどおり二人で夫婦仲良く暮らせるのかな。」という疑問が残ったんですよね。この時代にお武家の奥さんがこんなにあっさり体を許しちゃったりするものなのかな。少なくとも私が今まで習ってきた封建時代の武家社会の道徳観価値観のイメージから言うと、疑問だったりするんですよ。それで、『鬼の爪』の原作を本屋さんでチラッとみてきたら、なんと、片桐はきえを押し倒していっちゃってるんですね。きえが実家に帰ったのはその後。その後で武士を辞めて片桐がプロポーズしにいってる。えー。家のお女中に手をだしちゃってるの? で、『蝉しぐれ』も、映画ではプラトニックラブなのだけど、原作では、肉体関係があるらしくて、その後で主人公とヒロインが別れてるみたいなの。 つまり藤沢周平原作の映画は原作とイメージや設定が違う。 映画のストーリーはよく出来ていて、感動できるいい作品なのに、どうしても、この一部分の道徳観がしっくりいかなくて違和感が゛あったのはこの辺りのせいみたい。 原作では、結構、肉体関係までいってる。藤沢周平が書いているのは、武士のプライドとか、正義とか清廉な世界というより、人間のもつ、情愛や情欲なんかなんだろうと思う。 それが、映画になると、主人公たちはすごく、清廉で、正義感があって、道徳観倫理観がきっちりした、やたら美化された人間像で描かれている。 それゆえに登場人物が頼みごとのために体を使ったり、欲にはしってだましたり、不貞の妻を許していることに違和感というか、ずれが生じてしまうのかもしれない。 藤沢周平の小説の中の人物たちはこんなに身奇麗ではない。自分の欲望どおりに行動しているように見える。だから、欲望に走り、道徳を超えて行動してしまう。人のもつそういう業といったものを物語の中ですっぱりと切って見せるのが、つまり、一連のシリーズにえがかれる隠し剣なのだろう。 原作は武士の誇りとか、武士道とかを書いてあるわけじゃなくて、人の世界に普通にある情欲、情愛などであるのだと思う。 それが、映画になった時、武士の世界が美化されて描かれてしまうゆえに、ずれが生じて納得のいかない物語になっているのではないのかと思う。 鬼の爪は刺客の使う剣だ。悪を裁く剣なのだから、藩の都合で罪人にされた友人に対しては使えない。まして、人前で藩命による場で使えば、その秘術はばれてしまう。この剣はひっそりと伝えられ、どうにもならない悪に出会ったときにだけ使われるもののようだ。 鬼というのは、地獄にいて、閻魔様とともに人を裁く妖鬼だ。その名も、その剣の形も、その技も、使いどころも、まさに鬼の爪とは抜群のネーミング。作中で、たった一度使われるその技は見事だった。面白かったですよ。 ちなみに松たかこは、貧農の娘という役には、会わない気がするんですけど。品がいいっていうか、どうみても、いいとこのお嬢様っていうキャラクターですよね。 最後に作中三回使われる「それは命令ですか」というせりふの意味が解明できませんでした。絶対意味深なんだけどな。 日本映画、邦画隠し剣 鬼の爪@映画生活
2007年01月06日
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鈴木光司原作『仄暗い水の底から』のアメリカ版。 仄暗い水なんてネーミングはすごいですね。あまりにも怖そうで観なかったんだけど、これが不思議なことにアメリカのものになると、それほどでもなくなって来て、「見たい」って気になるんだから不思議。 水とか、湿気っていうのは、特に日本のホラーでは、怖さを演出するのに重要なアイテム。というか、日本の怖い話ってのはどこか湿気を帯びたじとじとじめじめした独特の日本らしさが怖さを演出してる部分て多い。 で、それがもろメインの黒い水なんてのがタイトルなんだから、いくらなんでも怖いはず。な、はずなのに、どうしてアメリカで作ると、あんなに水がびちゃびちゃ出てくるのに、やっぱりどこか、ドライな気がするんだろう。 日本の怖いはアメリカにいくと、カラッと乾いて怖くなくなっちゃう。で、結局こんなに水を使ってびちゃびちゃにしたのに、やっばり日本のもののような湿度は感じなくなって。 で、おかげで見る気になったのは、いいんですけど、さいわい怖くなかったのです。全然。 シナリオとストーリー自体はなかなか面白かったので、よかったんですけどね。 こんなの観ちゃったら、夜困るなーなんて心配はなくなった。 だって、幽霊がすごくはっきり出てくるし、最初の段階で、すでにネタの想像がつくんだもの。そして、ラストは予想通りの展開。 でも、ヒロインが死んじゃうとは思いませんでした。 母親との親子関係がよくなかった主人公のダリア。幽霊のナターシャもまた、両親に愛されなかった子供。そういう共通点が二人をリンクさせてしまったんでしょうね。 母親との関係がよくないと娘を愛せないんじゃないのかなと思うのですけど、ダリアは娘のセシーをとても愛してかわいがっています。 この母娘の愛情がこの物語のメインなのですね。 母子関係の悪さのせいで結局ダリアは、夫との関係をうまく構築できなかったのでしょう。 母親との関係と言うのは、人間関係を人生のうちでうまく作り上げることが出来るかどうかのとても、大切な部分だと思うのです。それがうまくいってないと人間関係がつくれないまま育ってしまう。 いまどきはパートに出てて、忙しいお母さんが多いですからね。どうしても、母子の関係が育てられない。ゆっくりのんびりした時間を共有して、一緒に遊んだり、おしゃべりしたりって大事なんだと思うんだけどね。アメリカの母もまた、いそがしいようですね。ダリアの母も子供の彼女をなかなかむかえにきてくれなかったり、すごく怖い顔で彼女を嫌っていたり。ダリアは、結局その部分を自分で克服しきれなかったのでしょう。その関係にたいしては、それ以上の描写はないので、なぜなのかはわからないのだけれど、アメリカでは日常茶飯事でいまさらなので、そのくらいの描写で十分なのかも。 それでも、ダリアはセシーをとても愛していて、大事にしています。映画『フライト・プラン』でも、母の愛情が異常な状況下という設定によって強調された描写になっていて、娘をもつ母には共感度の高い物語でした。そして、この映画もまた、母と娘の愛情が物語の主軸になっていて、『フライトプラン』を思い起こしました。ただ、『フライトプラン』と違って、幽霊が出てくる以外には、ごく普通の日常が舞台なのです。 離婚したダリアは一人でいろいろなことをこなしていかなければならず、世間て厳しいな、夫がいればこんなに甘くは見られないのになと思うシーンもしばしば。水道の修理を頼んでも、たらいまわしにされたり、後回しにされたり、弁護士にも適当にあしらわれたり。夫がいれば、こんな大変なことはなさそうなんだけど、でも、その夫と別れるために苦労してるわけですから。 やっぱ別れない方がいいよな。 実際ダリアも元夫に対して折れて、もっと近所に住んで助け合おうと言い出すところまではいくのです。 でも、彼女を追い詰めるために二人の若者を雇って彼女に嫌がらせをした夫の行為に対しての怒りはどうなっちゃったんでしょう。 それから、学校で水浸しになったトイレにいたセシーがその後どうなったのかも不明。どうなったんだろう。 セシーとナターシャが似ていて見分けにくかったのも、ポイント。 セシーを助けるために自分の命を引き換えにしてダリアは死んじゃう。いかにも日本の母らしい。原作は日本ですからね。アメリカ人はこのあたりのところ、理解できたかな。子供のために自己犠牲をするのは世界中の母共通なんでしょうか。 最後は父親に引き取られてセシーはアパートを出て行くのだけれど、エレベーターの中で幽霊になったダリアに髪を三つ編みにしてもらうシーン。娘を持つ母には共感度バッチしです。このあたり、母親の愛情と娘の心のつながりを表現するのに秀逸な表現でした。 男の子の髪は触らないけど、娘の髪はしょっちゅう触りたくなって娘におこられてます。娘の長い髪を結うのってお母さんの仕事だもんね。うちの子は嫌がるけどね。 そして、セシーがこのアパートを出て行くところで物語は終わるんだけど、考えてみると、もしかしてセシーはこの後、思春期とかに悩んだり、さびしくなった時、このアパートに戻ってきそうな気がします。ダリアに会うために。でも、ダリアはナターシャに請われてナターシャの母代わりとして、幽霊になっているわけだから、セシーがダリアに会いにくることはいやなはず。そうなると、セシーとナターシャでダリアの取り合いになって、『エクソシスト』バリのすごい戦いが展開しそう。 こういう設定で、『ダーク・ウォーター2』とか、作れるじゃん。などと考えてしまいました。 うーん。メインは母と娘の愛の物語なんだけどな。 映画の感想外国映画、洋画ダーク・ウォーター@映画生活
2007年01月05日
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昨日は初詣で増上寺に行って、ついでに箱根駅伝を見てきました。 箱根駅伝を見たのは初めて。毎年テレビでは見てたんだけど、時間を計算して増上寺まで行って、沿道まで行ったら、あと、六分で先頭が来ますということでナイスタイミングだったのでした。 でもって読売新聞の旗をおばさんが配っていて、私たち娘と三人なのに、四本くれた。 おお!!↑証拠写真。 これがあのテレビでみる旗なんだわー。 でもって右下のところに小涌園の宿泊券が当たる懸賞応募券がついているので、すてないように。てか、旗を振った後、みんなが旗をすてて、沿道を散らかさないように、こんな工夫があるんですね。いろいろ考えてるものですね。 先頭の順天堂大学が来たーっと思ったら、あっという間に通り過ぎてしまった。テレビみたいに選手をゆっくり眺めるどころではないのです。ほんとに一瞬なの。よーっく見てないとあっという間に通り過ぎてしまう。私が必死になって走るよりはるかに早い。マラソンて早いんだー。 当然写真をとる余裕なんてありません。 その後の第二群が二人。とにかく早いので、日大しかわかんなかった。その後も群れてるので、どこの大学なのかも読み取れないうちに通り過ぎちゃうの。 で、終わると、沿道の人たちはあっという間にばらばらばらっといなくなってしまうのでした。その間三十分くらいかなあ。テレビで見てると、東京から箱根までずーっと道端には人がいるんだけど、実際には、選手がとおる一時間くらいの間しか沿道の人たちっていないものみたい。 とにかく初めて生を見ました。おもしろかった。 その後は増上寺をお参りして、守矢を買って、焼きそばとトン汁と大阪焼きを食べて帰ってきたのでした。ここの焼きそばは麺屋さんが作っていて、しかも、スープをかけて作るのでおいしいのです。太麺です。 それと、増上寺は毎年おサルの芸もやってるのです。最近はあきたから見ないけど。 でも増上寺ってほぼコンクリートで出来てて、なんか殺伐としてるのがいまいちです。都内でも、有名なお寺何だけドナー。でも、実は普通の人は入れないところに、日本の有名な百人の画家が書いた天井画があるんですよ。加山又造とかのね。 おみくじ引いたら、小吉だった。最近大吉って引けなくなりました。独身の頃はよくひいたのにー。ぜーったいだんなに運勢吸い取られてるんだわ。 それにしても、今年はお正月でも、町に人が多かった。歩いてる人もいたし、三日の都内はかなりな車の量だった。景気よくなったのかな。それとも、いまどきはどこのお店もお正月でも営業してるから、買い物とか、遊びに行くとかなのでしょうか。昔はお正月はどこも休みで、行くとしたら、初詣とか、お年賀とかそんなくらいしかなかった。時代も変わったね。みんな口をそろえてお正月らしさがなくなっていくって言いますね。凧揚げもこま回しもなくなったしね。お正月はゲーム三昧でしょう。 でも、猿回しはやってましたよ。
2007年01月04日
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デジカメが欲しい! と、ブログをはじめて以来ずーっと思ってまして。 よそのブログ見ながらくそーっ!!と思ってました。 いい加減買おうかなあと思い始めたんだけど、 どう選べばいいのかぜんぜん検討つきません。 相場はいくらなの? 四万かなーと思ってたけど、三万くらいでも買えるのかなあ。 最近でた一眼レフなんてそんなすごいのじゃなくていいんだけどさ。 かわいいピンクのがいいとかも思うんだけどさ。 えー。全然決断できません。 で、どこに買いに行けばいいんだろう。 この段階でこんなに悩んでるんじゃ、買った後も使い方わかんなくて悩むに違いないよ。 なんかお勧めはない?
2007年01月03日
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私の実家のお雑煮は、江戸っ子らしくなのかどうか三つ葉となるととお餅だけのしょうゆ仕立てでした。結婚したら、だんなの実家は小松菜を入れるのでした。それで、小松菜と三つ葉となるとと鶏肉の入ったしょうゆ味のお雑煮を作った。鶏肉は私が入れたかったから。 そのうち三つ葉は邪魔になってはぶき、毎年食べてるうちに、野菜嫌いの息子が雑煮は小松菜が入ってなきゃいかんというようになって、小松菜と鶏肉となるととお餅のお雑煮を我が家ではつくります。 地域ごとにお雑煮はすごく違うらしいけど、二人の人間が結婚したら、その家のお雑煮はどうなるんだろう。 だんな様の家に従うのか、奥様の実家のものがそのまま押し通されるのか、二人家のものが合体するのか。 うちはまだ、二人ともぢ元ですから、ほぼ好みは同じですけど。 しょうゆ仕立ての雑煮で育った人と味噌仕立ての雑煮で育った人が結婚したら、どうなるものなのでしょう。 今年最初のはてなです。さて、これからだんな様の実家へお年始です。
2007年01月02日
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今年もよろしくお願いします。さてこれから年始でございます。
2007年01月01日
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