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いじめ事件が出てくるたびにマスコミは学校に対して矛先を向けてきます。実際に今回の福岡の事件等は報道を見る限り、相当に学校に落ち度がありそうです。しかし、だからと言ってそんな報道の仕方ばかりをすると学校だけが悪いような社会的コンセンサスが出来上がってしまいます。どんないじめも学校だけに落ち度があるのかというと、そんなはずがありません。一口にいじめと言っても形態・根深さはさまざまであり、どんないじめでもすぐに解消しますと豪語できる教師・学校なんて、逆に疑ってしまいます。いじめに対しては私は個人的に相当な努力をして解消を目指します。それでも個人にできることには人それぞれの限界というものがあります。これだけ長い問題になっておりながら、学校には驚くくらい、いじめに対処するための決定的な手段はないのです。傷害等の触法に近い事件を起こさない限り、いじめている側を、出席停止にすることさえ、まずできません。いじめた側であっても学習権を剥奪することは、人権的見地からは容易なことではないからです。教師が注意しても、休み時間のたびにに蹴るのを1週間やめなかった・・・程度では、一般的に出席停止にはなりません。そう、結局本人を叱る、親を呼び出して注意する・・・程度なのです。それといったルールも作らず、学校まかせで学校に責任を押し付けてうまくいくと考えるほうがおかしいのではないでしょうか。まず、いじめの定義をして、誰がどう対応するのかをはっきりしていくべきでしょう。そんな学校の限界と現状を分かっていながらただ批判しているのだとしたら、マスコミは鉄棒ができない友達に、「なぜできない、なーぜできない、できないのはお前の努力が足りないからだろう!」と、ただけなすだけの輩と同じです。私の学級では、そういう強い立場のものからの一方的な罵倒を「いじめ」と定義づけて許していません。・・・そもそも「いじめ」という言い方だって、曖昧すぎますね。一時的な悪意から来る行為と人を自殺に追い込むほどの執拗で強烈な準犯罪行為を一緒くたの言葉で表現することが間違いではないかと思います。
Oct 30, 2006
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朝日comが、いじめに関してWebに、下記のような記事を載せていました。いじめから救うには 親や先生、どのような対応があるか ◆大人のいじめ対応姿勢5カ条 (阪根健二さん監修) (1)いじめられっ子に非なし どんな場合でもいじめられっ子に寄り添う (2)周辺こそがいじめの元凶 いじめる子よりも周りの子への働きかけが大切 (3)昨日と違うちょっとした様子こそ発見の決め手 深刻な時ほど子どもは訴えないので、それに気づく感受性が必要 (4)いじめの輪から新たな輪へ 既存の集団と異なる新しい集団や世界を提供する (5)いじめっ子だって泣いている いじめる子の抱えるストレスにも目を向けて この程度の対策・問題把握が十分にできていない学校・教師が多いことも事実ですが、一般的なレベルの教師なら誰でも言えそうな内容です。ただし、(1)は、どうかと思いますよ。 マスコミは学校を散々批判しておきながら、自分たちが掲げるいじめ対策は、この程度のものなのです。この程度の抽象的な対策・問題把握で今の入り組んだいじめが解決するとでも思っているのでしょうか??しかも、誰か(阪根健二さんって誰でしょうか)が言ったことを引用しているだけです。取材班が取材を通じて自分の頭で考えたわけでもなく、研究を重ねたわけでもない。 このレベルで、教師批判をしようというなら、それこそ、弱いものいじめではないかと思います。
Oct 29, 2006
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学校や委員会・文部省のまずい点は、たくさんあると思いますので、そいうったものはどんどんと報道して欲しいものだと思います。下のブログは、これでもかというくらいに教育関係の不祥事記事を追求しています。わいせつ教師・ダメ教師・変態公務員たちの事件アーカイブhttp://blogs.yahoo.co.jp/shli5974/MYBLOG/yblog.html管理者殿、がんばってください。 この執拗さは、執拗さで、現場教員としてはうれしく思います。 相当ひどい教員でも免職または配置転換ができないという人事システムにも問題があると思っています。 ただ、こういうサイトがあると、教師ってみんなこんな奴ばかりなのか(だから攻撃すべき)というムードが形成されてしまうという恐れもあると思います。かなりの教師がかなりの努力をしているというのが問題教師の事例によってかき消されてしまうのは、どうかと思います。 同時に、これくらいの執拗さで、家庭やマスコミ・社会の教育に関する問題点も突いていけるといいと思います。
Oct 29, 2006
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福岡のいじめ事件では、教師がいじめのきっかけを作ったということで、マスコミの報道は集中的に教師批判を扱っています。いじめのきっかけを作ったといわれる担任は当然批判されるべきだと思います。学校(校長)の対応もまずい点があったと思います。 それはそれとして、批判していただくと同時に、なぜいじめた張本人への批判がもう少しクローズアップされないのでしょうか。 自殺をした当日のトイレで屈辱的な行為をしたのは教師ではありません。2年生になってからの日常的ないじめに問題の教師が直接関わっていたという報道はありません。 本人が自殺をした後でのいじめた側の生徒たちに反省の様子が見られないということまで一部伝わっています。いじめた側の生徒たちの保護者はどうなんでしょうか? マスコミの報道の仕方があまりにも「数字が稼げるような描き方」であるがために、物事の本質が見失われているように思えます。
Oct 29, 2006
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どうして教師の質が「低下していない」ということを話題にしているかというと、世間の「教師の質が低下しているから学校がおかしくなっている」という思い込みが教育問題を考えていく上での障害になっているような気がしているからです。 確かに、教師の質は一般的に低いとは思います。同時に極めて質の低い教師がいることも確かです。しかし、 だから学校がおかしくなったわけではありません。 学校がおかしくなったという「変化」が、何の「変化」に伴うのかを見極める必要があると思うのです。 私はそれを「社会と家庭の変化」 という要因が大きいと思っています。 つまり、学校が悪くなったのは、社会や家庭が悪くなったことに、あまり変化することができない教師が対応しきれていないと考えるべきだと思っています。 いや、むしろ、どちらかと言うと教師はいい方向に変わってきているのではないかとさえ思っています。社会や学校が悪くなりすぎて、それに対応し切れていないだけではないかと思っています。 そこを冷静に見ていかないと、マスコミが煽る教師批判の影に「社会や家庭の悪」が隠されてしまう恐れがあると思っています。
Oct 28, 2006
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今朝のTBS「サンデージャポン」(司会はまたも爆笑問題)で、現職の教師がいじめについて語っているときに対策として「給料をもっと上げる」という案を出し、それを語りながら笑っていました。隣に座っていた高橋ジョージが「実際に起こったいじめの話をしているのに笑っているのは不謹慎だ」と、怒りはじめて、スタジオが実に険悪なムードになりました。出演していた教師の"笑み"もどうかと思うのですが、もともとそんなおちゃらけ報道番組なのであって、出ていた現職教師もいじめそのもののことを笑って話していたわけではありません。「教師の給料をもっと上げる」と書かれたフィリップまで用意されていて、明らかに局が打ち合わせ時に関わっていて、意図的にこんな時期にそんな挑発的な意見を出してみた事がうかがい知れます。非があるとしたらそんなおちゃらけノリで報道する番組に出演していることではないかと思います。そういう意味では、そんな番組と分かって出演している高橋ジョージだって、それを見ている私にだって非があるんだろうなあと感じました。私にも、TVでやっているおちゃらけ的な報道を見ると面白いと思ってしまう感覚はあります。反省です。私は地方のTV(ビデオ収録モノ)に少しだけ出させていただいたことがあるのですが、生放送でなくても、なかなか思ったことを伝えるのは難しいと感じました。そういう所に出演するときにはよっぽどの覚悟をしてかからなくてはならないとも思いました。同時に、面白ければ(数字が取れれば)いいと言わんばかりの番組を作っているマスコミの倫理観はもっと問題だと思います。マスコミ対策も本気でみんなで考えるべきでしょうね。 「マスコミの悪影響」というカテゴリを作りました。
Oct 22, 2006
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「教師の質は低下しているのか」ということについて書くつもりでしたが、いつのまにか教師批判になってきました。元に戻して・・・・確かに教師の質は低いと思いますし、改善する余地はたくさんあると思います。では、「低下したのか」ということになると、それは、違います。1.たとえば、まれにですが、校長や教頭が授業をすることがあります。あんまり校長や教頭になってしまうと授業をやっているところを見せようとはしませんが、自習監督とかなんかではいった「はずみで」授業をやっていることがあります。多くの児童が、「つまんなかった」と言います。「話が独善的」「くどい」「関係ないことを話す」・・・子供の話を聞いていると、たいていの場合、散々です。2.けっこうベテラン教師が学級崩壊を起こします。正確な統計がないのであくまで私の個人的な経験に基づく憶測ですが、私の見た学級崩壊は、8割方、45歳以上の教員が起こしています。たとえば、15年ぐらい前の職員室(教員集団)をタイムマシーンに乗っけて現在の職員室に置き換えれば、半分ぐらいの教師が学級崩壊するのではないかと思います。30年前の職員室なら、8割方が崩壊じゃないのかなと思います。3.昔の教師は暴力的・高飛車で、今の子供や保護者に対応できはしないだろうと思います。よく叩かれたよなあ。退職した先輩方が、「今の教師は甘い」とか偉そうに言いますが、じゃあ、昔のあなたのやり方で、今の学校を乗り切れるのですかと、言いたいですね。4.つまり、時代が違うということなのです。日本の教師は元々質が高くはなく、時代が変わって今の状況についていけなくなってきただけのことであって、教師の質が低下したわけではないと思います。以下、もう少しこのテーマで続けます。
Oct 21, 2006
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かなりひどい教師がいることは確かです。周りの同僚も、そんな教師が担任した子供や担当した仕事のひどさに迷惑をこうむってしまいます。問題教師がいる場合、職員室ではみんな困っているというのに、自浄能力が働かず、問題教師の処遇にただただウンザリしているだけという状態は少なくありません。たとえば、こんなことがありました。ベテラン教師の学級が崩壊し始めました。そんなにひどい問題教師というほどの方ではありません。優しい性格が裏目に出て、結果的に子供が甘えてしまって統率がとれなくなってしまっている状態でした。事務的な緩慢さもあったと思います。授業が遅れる、プリント処理が遅れる、教室が乱れる、時間が守れない、・・・まあ、よくあるパターンです(苦笑)。それで、職員が集まってその学級を支援するために1時間ほどかけて話し合いました。私は、ストレートなので、「隣接学年で授業を教科担任制にして、物理的(距離と時間)に担任と子供を離してはどうか」と、意見しましたが、却下。(この意見については、また後ほど掘り下げます。)却下するなら対案を出して欲しいと思いましたが、結局あまりたいした対策がないまま、今ひとつ不毛な話し合いで終わりました。ベテラン教師の学級崩壊に今ひとつ事情の分からない周囲の教師があれこれは言いにくいのが現実です。(その学級は年度末まであまりいい状態にはなりませんでした)話し合いが終わってから、教頭が私にこっそりとおっしゃりました。「○○学級の学級崩壊なんて、すぐ立て直せる。教室をきれいに片付けたらいいんだ」です。確かに。そういうところをもう少しきちんとしたら、事態はいくらか明るい方向へ向かうように思えました。それでも、教頭はその担任にそんな「簡単な」ことを指導さえもできないのです。管理職という立場であっても、平教員に「教室をきれいに片付けなさい」さえも言えないのです。何を遠慮することがあるのか?ちなみに教頭はベテラン教師より年上です。不思議に思われるかもしれませんが、学校という職場は教頭でさえも自分の身を守るためには、余計な口出しをしないことが多いです。恐らく、部下の機嫌を損ねると、仕事がしにくくなるのだと思います。妙に人間関係が水平的で、管理職でさえ、あまり強く出ることができません。厳しい意見の交換よりは、今後の職員室での人間関係を重視してしまうのです。 そういった思考方法・施行回路は、分からないでもないのです。職員室のみならず、一般企業でもそういった「事なかれ主義的」メンタリティーがあるとは思います。私も、やみくもに人間関係を壊すような議論は避けたいとは思っています。しかし・・・・なんだか、情けないように思えます。
Oct 20, 2006
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「教師の質は低下しているのか」という連続タイトルで書いていたら、<福岡いじめ自殺>発端は学年主任の「いじめ発言繰り返し」 という二ユースが飛び込んできました。-------上記リンク先より引用--------- 福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、合谷(ごうや)智校長、中原敏隆町教育長、学年主任らが15日、男子生徒宅を訪れ、両親と面会した。学校側は、男子生徒の1年時の担任教諭を務めた学年主任(現在)がいじめ発言を繰り返し、それが発端となって他の生徒にまでいじめ行動が広がったことを認めた。------------------------------------と、あります。ひどい話です。同じ教師として、亡くなられた生徒さんに申し訳ない気がします。ご冥福をお祈りします。 こんな事件があると、「教師の質は低下した」「教師なんてどうせ同省もない人間」と言われても仕方がない状況になってしまいます。 本当に迷惑な話です。でも実際、ここまではいかなくても、これに近いひどい教師っていると思います。それを確実に排除する方法が、我々の職場の中に見当たらないって言うのも現状です。 口頭で注意(非難)するくらいが関の山です。非常に残念なことですが。
Oct 15, 2006
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「昔の教師」といっても、人それぞれです。ここで昔の教師として語る人々は、55~65歳、 現在60歳を中心とした団塊世代をとりあえず例に挙げて考えてみたいと思います。 昔の教師について私がどれだけ知っているのかというと、自分が小学生・中学生だった頃の話であれば、おそらく大変個人的かつ一面的な記憶に過ぎないと思います。教師として○○年先輩をウォッチングしてきた経験にしても、おそらくそれを一般化するほどのデータ量ではないと思います。ざっと計算しても、私が接した団塊世代の先輩は60名程度でしょうか。 私の自治体で私が接した先輩たち。という”限定的な話”という前提で書きます。これから書くことによって、「昔の先生」を一般化することには無理がありますが、個々の事例を挙げることによって全体像が見えてくるかもしれません。 具体例を挙げていきます。【話が長い】とにかく先輩方は、話が長いです。公式の会議でも、子供に向けた話でも、飲み会でも。その上、要点が分からなかったりします。ある校長は朝礼で、「今から3つ、○○について話をします」といって話しはじめるのですが、脱線や追加が多く、いつも内容が5.5つぐらいになってしまいます。トホホです。【人は自分の話を聴いてくれると思い込んでいる】 児童が、後輩が、自分の話を聞くものだと信じて疑わないのには驚かされることがあります。空き教室で授業の準備をしていたら、隣りの教室の声が丸き声だったので、仕事をしながら聴いていました。隣りの教室の担任であったある先輩は、配布物の「保健便り」の「虫歯特集」をもとに、延々と1時間話をしていました。本来は国語の時間だったようでしたが、延々と話だけで終わったので、びっくりです。後でそのクラスの児童に聞いたところ、「けっこうそんなことがある」そうです。脱線もたまには楽しいと思いますが・・・・【話がひとりよがり】 話をしていると、忘れてしまった部分が出てくることがあります。すると先輩の先生は、「あれ、ほら、あれ」と、聞いている側に自分の話を思い出させようと尋ねてきます。「ええ?あれって○○ですか?」と目いっぱい想像力を働かせて答えると、「違う!あれだって!」と怒り出します。最終的に思い出されて、「△△」ということになるのですが、私は「△△」のことなど全く知らない場合が多いことがあります。【電話でオレ】 保護者に電話をして名乗りません。それで保護者の方から「どちらさまですか」と、問い直されて、「オレオレ。オレだって。」と、返答。奥様に電話しているわけではないのですから・・・
Oct 15, 2006
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教師についてをゆっくりと考えていきたいと思います。 まずは「教師の質は低下」についてを考えていきます。10回シリーズぐらいでやろうかと思っています。 安倍首相の下で行われる教育改革は、新聞やTVを見ている限りでは、「教師の質の低下」を改善していくということも、大きな柱にしていこうと考えているようです。 さて、教師の質が低下しているというような言い方をよくされます。「近頃の先生は・・・」という文脈です。 これについても、どうも「思い込み」が先行しているのではないかと考えています。 実感として教師の質が低下しているとは思えませんし、何と言っても、何を根拠に質が低下していると考えているのかが、 曖昧ではないかと思うのです。1. 【親が教師の質の低下を語るとき】 低下という限りは以前の教師と比べているはずですが、保護者がたまたま今の担任と自分が子供のときの担任を比べているとすれば、「子供の目で見た教師」と、「親の目で見た教師」を比べていることになり、それはちょっと不正確なのでは・・・?人間は過去を美化しやすい。2.【マスコミが教師の質の低下を語るとき】 これもまた、自分が子供の時の教師と批判者的職業人として取材した教師を比較しようとしているのではないかと思います。それっておかしいのではないかと思います。3.【年配の教師が教師の質の低下を語るとき】 自分たちが教えた時代の子供と今の時代の子供は全く違います。親も違います。自分たちは質が高かったと思っているとしたら、それはおそらく過去を美化している部分が大きいのではないかと思います。4.【教師の不祥事が頻繁に起こることについて】 確かに多いですね。ただ、昔と比べて今の教師の不祥事が多くなっているのかどうかは、不明です。教師叩きが流行して報道が多いかもしれません。昔に比べて多くなったかどうかは不明なのではないかと思います。少なくとも体罰は今報道されるようなケースのものなら、昔はもっと多かったでしょう。警察・マスコミが大キャンペーン中の飲酒運転も、多分、今より昔の方がかなり多かったのではないかと想像されます。特にデータがあるわけでもないのに、「質が低下した」と考えるのは、「思い込み」の部分が大きいのではないかと思います。下記のブログでも、同様のテーマがありましたので、興味がありましたら御覧下さい。http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/4ec3283340efea7111886fe224f06ad1 まあ、昔も今も、「質の悪い教師」がたくさんいるということは、確かだとは思います。 次回は、質の悪い教師---昔の教師編です。
Oct 14, 2006
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安倍政権下での教育改革は、2002年の指導要領改訂に伴う教育改革が何であったのかをまず第一に検証することからはじめるべきだと思います。 本日のお勧め本は、埼玉プロ教師の会、河上亮一氏が森前首相の諮問機関であった教育改革国民会議の委員を務めておられたときの事を書き綴っています。改革の難しさというものがにじみ出ていて、いかに教育問題というのが根が深いかを感じさせられる一冊です。教育改革国民会議で何が論じられたか 著者:河上亮一 出版社:草思社 ちなみに、河上亮一氏は、本年度より、「栄光」が経営母体となっている「日本教育大学院大学」で、教授として大学院生を教えられているそうです。プロ教師の会の大変地味なHPも見つけました。http://www13.plala.or.jp/prokyoshinokai/index.html
Oct 12, 2006
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ブログ開始から、やっと3日目。いろいろと書いていきたいことはあるのですが、なかなか時間を生み出すことができません。毎日更新は無理でしょう(笑)。 他にもHP・ブログを複数運営しており、MLにも参加しています。毎日更新は無理です。もう早、弱音です。それでも、まあ、なんとか、このネットの片隅で、少しずつでも情報発信を続けていこうと思っています。 とりあえず、今日は、2002年の指導要領改訂に伴う教育改革に関する検証をした本を紹介しておきます。教育改革の幻想 ちくま新書著者:苅谷剛彦 出版社:筑摩書房 この方、東京大学の大学院教授だそうです。このところTVでもよくお顔をお見かけします。けっこう分かりやすく書いてくださっています。
Oct 11, 2006
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教育再生会議の委員が決まったそうです。http://www.asahi.com/politics/update/1010/006.html 教員仲間からは嫌われるかもしれませんが、個人的には、教員にとって厳し気味の教育改革は必要だと思っています。学校・教員評価制度等の現在進行中の制度にも賛成です。教員免許の更新制度や大学の9月入学や入学前の半年間のボランティア義務づけ等も検討していくそうです。いいんじゃないですか? 家庭教育に関しても議論が展開されるようで、そちらの方も十分にやっていって欲しいです。 学校は明らかに制度疲労をしていると思いますし、家庭の教育機能の低下も著しいと思います。学級崩壊を何度も繰り返す教師や明らかに子供の学力を伸ばすことができない教師がいるのは残念ながら事実です。私自身もあまり高級な教師ではないと思いますが、そんな私から見てでも、かなり問題があると思われる教師は、各校1~2人はいます。 ただ、教育改革には慎重であって欲しいと思っています。現場の事情がわかっていない人達が「思い込み」で強権的に改革を推進するのは、危険だと思うのです。現場が混乱すると第一次的な被害をこうむるのは教員ですが、それにも増して気の毒なのは引き返すことのできない日々を過ごす子供たちです。//////////////////中山成彬元文部科学相は、「スクールミーティング」で水戸市の茨城大教育学部付属小、中学校を訪問し、ゆとり教育について「導入は拙速すぎた」とゆとり世代の中学生に謝罪した。 ////////////////// これは、2004年春の報道です。 総合的な学習の導入を伴う2002年の指導要領改訂の流れは現場をいまだに混乱させ続けています。2005年4月からもう既に1年半が経過しているにもかかわらず、指導要領は2002年当時のままです。文部科学相が謝罪するような教育が今もなお続けられているわけで、この先、ゆとり世代の子供たちに対する補償は、いったいどうなるのでしょうか?? またその改革に費やされた私たち教員の膨大な時間(=税金の損失+無賃残業)に対する責任を取るのは誰なのでしょうか??>>> 体力切れ、明日に続く・・・
Oct 10, 2006
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教育関係のブログを始めることにしました。やや気が重いですが、気の重くなるような記事も書いていきたいと思っています。 ほとんどの人が学校という"場"でいろいろなことを経験するにもかかわらず、その実態をうまくつかむことができないというのが現状ではないかと思います。学校にどう関わってどんな経験をしてきたかによって学校に対する”思い”は、様々だと思います。同様に、家庭・塾・地域といった教育機能を持つ"場"での経験も人それぞれなのではないでしょうか。 どこかで「こうだ」と思い込んでしまうと、一方的なイメージで「教育」や「学校」を捉えてしまうことになってしまいがちです。////////////////// 1999年あたりに文科大臣をしていた有馬朗人さん(元東京大学総長)が、NHKの教育討論会に出席していたときのことです。「ちゃんと学校視察をして現場のことは分かっているいる。」といった意味の大臣の発言に対して、パネラーに、「そんな事言ったって、大臣は、準備万端整えたよくできた学校しか見ていないのではないのでしょうか?」(大意)と、突っ込まれていました。大臣は反論できず、なかば認めた格好になりました。////////////////// そう、そもそも文科大臣が現場のことをよく分かっていないのです。文部大臣が視察に来るとなれば、教育委員会は当然よくできた学校を見せたがるし、教室に入れば子供も緊張するし、教師だって必死で取り繕います。そりゃ、私だって。 水戸黄門みたいに、どこかのボランティアのおじいさんの感じで見に来てくれればいいのですがね。 その上、ほとんどの大臣は何十年前に秀才として華麗なる学歴を重ねてきた筈です。そのような方に、6年生になってもかけ算の筆算でつい引き算をしてしまう子供がいる現実を理解していただくのはおそらく難しいかもしれません。 この教育"現"場の"現"実は、誰のせいか。大臣のせい?教師のせい?子供のせい?親のせい? そしてそれを誰が、どうしていけばいい? そんなことを考えていくための情報を、このブログで少しずつ提供できれば・・・と、思っています。
Oct 9, 2006
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