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<豚野郎>母親の気質はおそらく少年Aを相当いらだたせ、混乱させていたのではないかと私は想像している。「少年A矯正2500日全記録」には、少年A矯正2500日全記録「(殺人を犯して)帰ってきて玄関の戸を開けたら、お母さんがテレビ見ながら大笑いしてた。(中略)お母さんにえらいことをしてしまったと分かってほしかったんや、でも全く分からかった。そこで僕はすごい衝撃受けて、僕の母親はやっぱし豚野郎だ、あいつは人間やない、母親じゃないと思った。あの時すごいショックを受けた。」とAが語ったことが記されている。これがこの家族の「ずれ」を最も象徴しているように感じた。普通に考えればAの怒りは理不尽である。Aが帰ってきた時点で、母親がそんなことに気が付く筈はない。しかし、それまでのAの母親に対する不満が、この言葉に凝縮して表現されているのではないかと思う。おそらく、母親はAにとって、ずっと「ずれた母親」だったのではないか。ある場面では正義をまとった親として激昂し、ある場面では愚かな親として子を溺愛し、ある場面では簡単に子供に騙されてしまうスキだらけの親である。Aは母親を「豚」と表現している。逮捕後のAに両親が初めて面会に行った時には、「帰れ、ブタ野郎」「会わないと言ったのに何で来たんや」と、目に涙をためながら罵倒し、面会を拒否したという。母親は「ギョロッと目を剥いた、人間じゃないような顔」とその時のAの表情を表現している。両親が帰った後にAは、「こんなことになるくらいなら、最初にお母さんを殺しておけばよかった」とまで語ったという。<母親の正義> それでは、どうしてそこまでAは母親に対するネガティブな感情を持っていたのだろう。前にも述べたように、母親にはまともな部分があり、正義感のあるところも見受けられる。しかし、母親の語る正義は、どこか正義を振る舞う自分に酔っている部分があるような気がする。正義感や信念の強い人は傍から見ると自己陶酔しているように見えることがある。当時の社会はそういった「酔っている」空気を嫌悪する傾向にどんどん傾いていっていたと思う。いじめる側は自己陶酔するような者をあざ笑い、嫌悪することを愉しみにしている。おそらくAの母親は今で言う「KY」にあてはまる部分がけっこうあったのではなかろうか。学級崩壊が顕在化し始めた当時、そういった「KY」野郎をあぶり出し、シメ出す雰囲気が確実にあった。Aの母親と同世代のベテラン教師がシメ出され、学級崩壊を起こすというパターンも少なくなかった。古い価値観・古い感性では子供の現実を客観視し、子どもと自分を相対化することができない。この事件のあった1997年前後あたりから、古い価値観・古い感性で対応してくる親や教師が本格的にシメ出され始めたのだろう。<Aの世代と母の世代のギャップ>1997年は小学校での学級崩壊が顕在化し始めた年であった。その3年前のAの小学校時代のクラスも相当まずい状況にあったという報道がある。「真面目に生きてきた昭和元禄世代の母親」と「コミュニケーション能力が壊れた学級崩壊世代のA」の世代間ギャップは相当なものがあったと思う。お笑い一つをとっても、母親の時代はドテッをこければ笑いがとれる昭和元禄的なクレイジーキャッツやドリフターズの時代であった。事件が起きた1997年当時はダウンタウンやウッちゃんナンちゃん全盛の時代で、シュールなお笑いが、実に細かい駆け引きの上で成り立つような時代になってしまっていた。子どもたちのコミュニケーションは高度化・複雑化しながら壊れていった。単純でまじめな昭和元禄世代の両親は、Aの目にはうらやましい人たちのようにも映ったろうし、馬鹿っぽくも映っただろう。そして母親はまじめでありながらも自意識過剰かつ手前勝手な面がある。Aには母親の真面目さ、自意識過剰かつ手前勝手の両方が許せなかったのだろう。母親はAへの愛情に基づいてAとのコミュニケーションをしているつもりだった。しかし、Aには母親が示す言葉や態度に「理解ができていない」場合や「頭で理解はできているが心には伝わっていない」場合が多かったのではないだろうか。愛情があり理屈が正しければ相手がその理屈を受け入れるだろうというというありがちな思い違いが母親のAへの一方通行のコミュニケーションとして常に存在していた。そして正論は時に相手を追い詰めることもある。母の正義に追い詰められたとき、Aはその正義を「母親の酔い」としてあざ笑うことによってかわしていたのではないか。正義を振りかざす割には間抜けであったり勝手であったりする、隙の多い母親を「豚」と表現しているのではないかと思う。そこのところでずっとずれが起こっていたのではないかと思う。そして、Aの家族と同じように、現代の一般的な家族のコミュニケーションの中でも、このような「ずれ」が広く多く起こってしまっている状況がある。私はそれを怖いことであると感じている。
Jan 27, 2009
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子育ては「折に触れ」と言われるように、時々の、一つ一つの親の対応の積み重ねである。一つ一つが少しずつずれていれば、ずれとずれが相互作用を起こし、いつの間にか子供がとんでもない地点へと導かれてしまうこともあるだろう。この事件でも「ずれ」はまともな方向に修正されることがなかった。どこかがずれたままで、ずれはさらにずれを生み、子供をとらえ損ね、子供と向かい合い損ねてきてしまったのではいだろうか。この「ずれ」がひびいたことは間違いないと思う。母親の直線的な言動と、父親の影の薄さが気にかかる。<直線的な母親の行動>Aの母親は真面目で教育熱心であった反面、行動が直線的で、自意識が強い面も感じられる。手記の中で「弁解の余地はない」と言いながら、言い訳じみた文面も多く見られる。自分の教育が間違いなかったことをアピールしているような箇所や先に挙げたような配慮に欠ける表現が散見され、自意識の過剰な面が透けて見える。繰り返し述べることになってしまうが、どうしても私にはAの母親に「独特の気質」があるように思えてくる。前のエントリーで述べたものに「少年A」14歳の肖像」からもう少し拾って、Aの母親の普通でなさを書き加えてみる。(17)中学2年生の時、同級生の友人と4人で同級生の女子生徒をいじめ、登校拒否に至らせている。この時、息子たちに事情を聴くために4人の母親たちが集まる。Aは何が原因でそうなったのかを母親たちに理路整然と語ったという。その傍らでAの母親は満足げににっこり微笑んでいた。(18)中学3年生の時、生徒指導の教師が6年生の次男の春の運動会の応援に来ていたAの両親をわざわざ訪ねてきている。「A君が友達の××君と一緒に煙草を吸っていたので注意したんですが、友達が一緒にすっていたと認めているのに、A君は吸っていないと言って謝ろうとしないんです。告げ口をされたと思っているに違いありません。くれぐれも仕返しをしないよう、ご両親の方から注意してほしいんですよ」とのことである。父親は「わかりました」と短く答えたという。短くである。両親はどこか他人事のような表情を浮かべていたという。おそらくこの時点で教師はもう既に彩花ちゃん殺害の通り魔を少年Aと読んでいたに違いない(学校・生徒間ではAの異常については早くからかなり強い認識があったようである。淳君殺害犯がAであるということも含めてずいぶん噂が立っていたそうである)。教師の緊迫感に両親は気が付いていなかったわけではないと思う。Aへの不信を募らせる学校に対して、その不信感や緊迫感に気付きながら、両親は思考回路を固く閉ざすことによって現実逃避をしていたのではないか。私は経験上、そう思う。(19)淳君殺害の10日ほど前にAは親しくしていた友人に殴る・ナイフで脅すなどの暴行を加える事件を起こした。友人はあまりの恐怖に転校している。この事件をきっかけにAは不登校となる。手記や逮捕後の供述では母親はその成り行きを冷静な様子で書いたり話したりしているようだが、実際はかなり感情的に学校に食ってかかっていたようである。「息子は学校が嫌いです。小さい時私がきつく言いすぎましたし、先生方にも厳しく指導されすぎたからです・・・・」などとまくし立てるように話したと書かれている。高山氏は「少年A」14歳の肖像」の中で、この他にもたくさんAと家族の普通ではない行動を描いている。ところが母親は「『少年』Aこの子を生んで・・・」の中では自分たちの"気付かなかった愚かさ"を認めながらも、さらりと流している。読み比べてみると何が真相であるのかわからなくなってくる。この2冊以外の本で、Aの家族に関する情報も加えて分析しようとしても、普通であるような、ないような奇妙さやちぐはぐさに私は戸惑ってしまう。そしておそらく、A自身も両親の、特に母親の独特の気質には戸惑い、混乱していたのだと思う。もちろん、母親も混乱している。双方の混乱が混乱に拍車をかけていく。<医療機関には、かかっている>Aは小3で神経科、中1で小児神経科に診察をしてもらっている。事件直前の不登校期には神戸の児童相談所でカウンセリングを受けている。手記で母親はAと自分の子育てをそれほど変わっていたわけではないと言いたげに書きつつも、Aの異常な部分に気が付いていなかったわけではないのだろう。たいていの親は子供を神経科やカウンセリングに連れて行くことには躊躇する。おそらく母親には切羽詰まった心理状態があったのだろう。Aに特有の発達障害が影響していることも間違いないようだ。中学1年生の時に小児神経科を訪れた時には「注意欠陥・多動性障害(母の手記には注意散漫・多動症)の疑いがある」(現在ならADHDという診断名を聞かされていたかもしれない)と診断を下されている。おそらく、Aは人とのコミュニケーションを上手にとることができなかったのではないだろうか。当時は発達障害の子供やその家族への接し方がまだ十分に研究されていなかったために、せっかく医療機関に足を運んでも医療機関側も、十分な対応ができなかったのではないだろうか。ましてや親が十分なアドバイスを受けることもなく発達障害のある子どもに的確に対応するというのは実に難しいことである。その意味では全責任を家庭に背負わせることは酷であるような気もする。
Jan 22, 2009
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元々重い話題のブログの上に、今回のシリーズは非常に重い話題を続けています。文章もかなり迷いながら書いており、話も行ったり来たりで、同じことを繰り返したりしていて読んでくださっている方には申し訳ないです。いただいたコメントを読んでいると、たいへん参考になります。考えさせられることが多いです。たいへんありがたく思っています。<ずれ>それでは、この両親の普通でなさ、「微妙なずれ」、どんなところにあらわれているのか。彼らの子育ての日常に見え隠れする「微妙なずれ」は本書からも他の書物からもひしひしと伝わってくるものがある。中にはかなり大きく「ずれ」ていると思えるものもある。この「微妙なずれ」も「大きなずれ」も、今の世代の親が持つ「微妙なずれ」と連続しているように感じるのである。この両親の「ずれ」とAが持つ発達障害や強烈な資質と、社会や学校の荒れ等が相互作用を起こしながら臨界状態に陥り、ついに事件は暴発したのではないかと想像している。以下、いくつかの書籍の中から拾った、具体的な両親の「ずれ」を挙げてみる。(1)Aがすぐに生まれ出産にあまり苦しまなかったことを母親は手記に「ラッキーでした」と表現している。読み流してしまいそうな部分ではあるが、私は「ラッキー」という表現の軽さに驚いた。出産時に子供が障害を負ってしまう事例が多いことぐらいは、人の親なら誰でも知っている筈のことである。ましてや、殺害された淳君が障害を持っていたことも考えると、あまりにも不用意な表現である。そこらの道端で話をしているわけではなく、加害者の親として淳君の親に向けているという前提で「悔恨の手記」を書いているのに・・・(2)手記にある「先生たちはノーテンキだった私たち親とは違い、様々な事情からAの状態を深刻に考えられていたのかもしれません」は、自虐的な意味も込めたのであろうが、カタカナ表記は軽いように思う。こんなところで「ラッキー」だの「ノーテンキ」だの言っていること自体が「脳天気」なのではないかと思えてしまう。被害者にとってみれば、ノーテンキな家庭の子供に殺されてしまったということでは、悔やんでも悔やみきれない気持ちになるだろう。脳天気であったことを悔やんでいるのであれば、自分たちの脳天気さについて、もっと深く掘り下げ、反省に至るべきではないのか。(3)母親は手記の中で「あの忌まわしい事件」と事件を振り返る。文章全体に、妙に当事者意識のない、他人事のような書きぶりが目立つ。(4)三男の喘息もあって、幼児期のA(長男)には手をかけられなかったという記述がある。前述したように虐待の疑惑もあるような体罰のある厳しい子育てもあった。しかし、それは幼いAにとってはただの大人の都合で、エゴとしか感じられていなかったのではないかと思う。大人は都合で怒る、二面性があるということをAに強く感じさせてしまったのではないか。(5)手記からは父親はどちらかというとやさしく子煩悩な父親のようにも読み取れるが、妙に影が薄い。本書の中でも、父親の書いたページ数は少なく、一章(被害者家族へのごあいさつ)と三章を担当しているものの、一章が短く、三章が日記であり、父が今の時点から事件をどう見ているのかが伝わってこない。(6)母親の電話はいつも通り一遍の挨拶もなくいきなり要件から始まるそうである。(PTA仲間の話)(7)母親は、Aが読みたいといったヒトラーの「我が闘争」を買い与えている。「13日の金曜日」シリーズも揃えており、家族で鑑賞していたこともあるという。そういった内容のものを見せまいとするのが普通の親の感覚ではないのか。(8)中学1年生の時、同級生の女子生徒に悪口を言われたとしてAは彼女の靴を燃やしてしまう。この時、Aの母親は、担任に女子生徒の母親と引き合わされ、「女の子は口が達者ですからね」と言っている。さらに「靴代にしてください。おつりは結構ですから」と、現金を渡そうとした。(9)淳君が行方不明状態であったときに、父親は三男を連れて、熱心に近所を捜索している。にもかかわらず、父子は捜索の途中(コープ?)で淳君の母親を見かけているのに、声をかけていない。(10)土師さん家族とは付き合いがあり、家族で淳君が行方不明だった時点で捜索に熱心に関わっている。母親は最初の2日は捜索に一生懸命にであったのに、3日目には捜索を父親に任せて離れてしまい、翌日の児童相談所へ出かけるためのパーマに5時間もかけて出かけている。(11)淳君の頭部が発見された日の朝には、中学生の次男が臨時休校で早退してきており、淳君の家に電話をかけて兄の涙声で「淳君が何らかの異常な状態での発見されたこと」を母は知っていた。この事態の中、母はAを連れて予定通りに児童相談所へ出かけてしまう。(12)父親は、Aの逮捕から一ヶ月近くたった時点で、山下彩花さんの氏名(淳君以外の被害者)を言えなかった、知らなかった事を警察に指摘されたと手記に書かれている。(13)そもそも、両親は逮捕から1ヶ月半たった時点で文面で被害者家族への謝罪を表明しているものの、実際に会って謝罪をしていない(殺害されてはいないが、通り魔殴打事件で重傷を負わせた家族への謝罪もしていないことも被害者は腹を立てている。山下彩花さんの両親には約2カ月半後に直接会って謝罪をしている。)。その理由は、「では、これから土師さんのお宅を訪ねる勇気があるのか?考えただけで足がすくみ、動かなくなる有様でした。私には勇気がありませんでした。やはり怖い。どう反応されるか想像できず、怖かった。私は、Aの父親としてあまりに不甲斐なく、勇気がなさ過ぎました。すいません。すいません。」と父は手記で告白する。そんな理由が通用するわけがないのはよくわかっている筈である。特に父親は何としてでも両家族に会いに行き、とにかく頭を下げ謝罪することを最優先させる立場にあったのではないかと思う。(14)母親も、いたずらをする猫をエアガンで打って退治していた。(※)(15)前述したように、事件から5年以上経過した時点でもまだ冤罪の可能性にすがっている部分があった。(16)Aが殺害した山下彩花さんの両親にAの両親は謝罪を行っている。某所の部屋でAの両親が待っていて、山下さん夫婦がその部屋に入ったとき、両親は土下座をしていた。その後、話が始まってもAの母親はサングラスをかけていたという。山下さんが「すみませんがサングラスをはずしていただけませんか」と言うとはずしたそうである。気が動転していたこともあるのかもしれないが、謝罪時にサングラスとは・・・。サングラスをはずした後も母親はずっとうつむいたままだったという。※(14)は「「酒鬼薔薇聖斗」への手紙-生きていく人として」からの引用。本の中で又聞きの話、であることが分かるように書かれている。この例以外にも、この事件に関しては、かなりの伝聞情報が確認も取られないまま、伝言ゲームのようにして広がっている。私の文章に書かれている情報も、最初の方で示した書籍の中からの引用であり、Aの両親と被害者の両親の手記を除けば、中には誤った情報もあるかもしれないことを断わっておく必要があるだろう。これらの他にも多々指摘したい箇所は多々ある。挙げていくときりがないが、だからと言ってこうしてして挙げてみた一つ一つだけをとり出して眺めてみれば、あれほどの事件が起きるだけの決定的な影響となったと考えられるような異常があるかというと、それにはどれもあてはまらないようにも思う。一つ一つを切り取って見れば、この例の中のいくつかに関しては、普通とされる範囲の親にも見当たる程度の異常であるようにも思えてくる。例えばヒトラーの「我が闘争」を子供に買い与えたからといって、必ずしもその子供が将来凶悪な犯罪に走ることはない。ヒトラーを反面教師としてナチスドイツの失敗から教訓を学びとる子供もいるだろう。<典型として連続している>Aのような資質を持っている子供は稀であると思うし、これくらいの間違えた育て方をしたり、親がずれていたりしても、Aのように凶悪な犯罪者になってしまうことも稀であると思う。前々回のコメントでaruさんが指摘してくださったように、この事件はレアケースである。しかし、この事件を特殊であるということで片付けるべきではない。この事件はaruさんがおっしゃるように「ある種の発達障害児の典型例」でると同時に、「子育て失敗の典型」なのである。殺人事件という結果のみの話ではなく、発達障害をもった子供のみの話ではなく、あらゆるところで起きている子育ての失敗現象にこの事件はつながっていると思う。<ニュートラルな視点で>ところで少し話がそれるが、凶悪犯罪だけを見れば、1963年がピークで今はむしろ減っているというデータもあるそうだ。それを理由にこの事件に続いて頻発した少年の凶悪事件に対して、騒ぎ立て過ぎではないかという意見もある。そう言われるとフーンと半分納得してしまいそうになることもあるが、そうだろうか。1963年頃の事件と現代の事件にはどんな質的な差があるのかが十分に吟味されてはいない。1963年の社会事情・個々の事件の事情をはっきりさせないまま、1963年のデータを引き合いに出すことはどうなのだろうか。40年以上前の殺人事件と現代の殺人事件を同列に語ることはできないだろう。数字ももちろん参考ににながら、事件の質や事件と社会との連続性を問題にする作業が必要なのだと思う。ニュートラルな視点に立ち、ある時は俯瞰し、ある時」はミクロの距離から凝視して考えていく必要があると思う。
Jan 17, 2009
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9日に、NHKで家族に関する番組「ETV50「子どもサポートネット 親と子の現場から」があったのに、録画を間違えてしまいました。BBSを設けているみたいなので、覗いてみたら、なんと・・・そこには厳しい現実が。http://www.nhk.or.jp/heart-net/kodomo/bbs/index.html家庭という密室にかかわる記事を書いている最中なので、余計に考えさせられるものがあります。 なんとか、救いはないだろうかと考えながら、このシリーズを続けます・・・。<両親の真面目な一面>それにしても、少年の家族については謎が多く、根が深い。何度も書くが、両親はこの年代の親の平均像からはなはだしく外れているわけでもなく、なんとか平凡な市民の範疇に入っているのではないかと思える。本書を読んでも、他の関係書物を読んでも、両親が極道者であるとか、学校に対してひどく攻撃的であるような親ではないことは間違いない。娘と隣人の子を殺害した畠山鈴香容疑者や無責任極まる発言をしていた女子高生コンクリート詰め殺人事件の親の何人か等に比べてみれば、Aの両親はかなり「まとも」な部類であるようにさえ思えてくる。現在の小学校では対処困難な保護者が増えている。今の保護者は中学生時代が校内暴力で荒れに荒れたという世代である。Aの両親はおそらく昭和元禄とも言われる平穏な40年代に子供時代を過ごしている。父親は大企業勤め、母親はPTA活動にも積極的である。ニュータウンに住んではいるものの、下町の人情味を持ち合わせた部分も髄所に読み取れる。教育には熱心で、本書に書かれている子育てに関する話の多くも、無茶苦茶には間違ってはいないようにも読み取れる。淳君が行方不明時に、母親は積極的に捜査活動にかかわっている(地域での捜査の会議では淳君の写真を公開しない現状に「生ぬるい」と強く抗議している)。父親は三男を連れてかなりの時間ニュータウンを歩き回って淳君をさがしている。父親は子育てに無関心だったように報道されているが、子供が小さい頃には子煩悩であったようだし、Aが事件を起こすたびに一応の注意(どれくらい心に響いたかは別にして)はしている。例えば、気弱なAに、強くなって自分に自信が持てるようになるのではないかと、少林寺拳法を習わせている。それもA本人が習いたいと言い出すまで待つという姿勢をとっている。立派な態度である。しつけの厳しさも、度が過ぎている部分もあったのだと思う。それでも、虐待が顕著になり始めた1990年代後半以降の親たちに比べれば、Aへの愛情がとりたてて薄かったわけでもなさそうである。今、現場で校内暴力世代の親と悪戦苦闘していると、10~20年前の世代の親が懐かしくなることがあり、どちらかというとAの両親は、私が懐かしく思う昭和元禄期世代の親であると思う。<校内暴力世代親への過渡期>だからと言って、彼らが、普通かと言うと、決して普通ではない。平均像からはなはだしく外れてはいないという範囲である。普通と異常の境界線上といってもよいかもしれない。Aの両親は10~20年前の親世代の中にすでに生じはじめていた微妙なずれを含み持っている。昭和元禄世代の親から校内暴力世代の親へと世代が移り変わる過渡期でこの事件は起きていると思う。普通ではない人のパーセンテージが多くなった今の時代の親に通じる面をたくさん持っている。Aが書いた「さあ、ゲームの始まりです」という挑戦文はAが意図したわけではないのだろうが、日本社会が新しい局面に入っていることを告げているかのような結果になっている。世代交代は新しい社会の局面を生み出す大きな要素になっていると思う。ちょうどこの1997年に、小学校での学級崩壊が顕在化したのを覚えている。親の茶髪率が一気に加速したのもこの年である。私はこの年の入学式で思わず茶髪の親を数えた。私の勤めていた学校でその率は36%であった。茶髪の善し悪しは別として、親も子も、世代が変わりつつあったのだ。価値観が、優先順位が大きく変わりつつあった。親の間違いがあったにしても、Aという特異な子供を持ってしまったというのは気の毒だったように思う。Aは土砂降りではなくても、長い時雨が降り続いて確実に増水してゆく川の水のようであったのだろう。それに対して両親が築いた堤防は所々ではしっかりしているかのように見えるのだが、所々で欠陥が目立つ上に、全体としてもずさんな作りになっていたのではなかろうか。<「まずい親」の典型としてとらえる>両親に関する情報はメディアに流され、世間からの非難の的になった。中には誇張されたものや誤った報道もあったと思う。誇張や誤報や先入観に惑わされないように気をつけながら、この後もさらにこの両親の独特気質(特に母親の気質)に関して、述べていきたいと思う。これから述べていくことは結構きつい指摘になると思う。しかし、それは、Aの両親を責めたいがためではない。私が考えていきたいのは、こういうタイプの大人・親・教師は一定の確率で社会に存在するという事実についてである。私たちはこういう親がいることを前提にして物事を見ていく必要がある。Aの発達障害に両親の独特の気質が加わって凶悪犯罪へと発展した。そして、凶悪事件にまで発展しなくても、Aの両親の失敗はあちらこちらで起こっている深刻あるいは軽妙な子育てトラブルの典型なのである。Aの両親は「まずい親」の典型であり、たくさんの今の親の中に(もちろん私の中にも)、この典型的な「まずい親」の部分が潜んでいるのである。あらゆる事件は結局「現代を映し出す鏡」だと思うからこの10年以上も前の事件を見直しているのである。Aの家族が抱えていたことは、現代の教育に相通じているように思う。Aの両親は子育てにおいてとんでもなく大きな間違いを犯したとは思えない。それでも、子供の質や場の力によっては、転がり落ちるように事態が悪化していくことがあるということを私たちは見据えていかなくてはならない。
Jan 12, 2009
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虐待の件の他にも、「『少年』Aこの子を生んで・・・」で両親が語っている内容は、そのままストレートに受け取ることはできない部分がけっこうある。両親の記述をぶれさせている原因の一つに、両親の「冤罪の可能性」への期待もあるように思える。「少年A」この子を生んで... 本書が発刊された1999年の時点でも、まだ両親の頭の中には冤罪の可能性を信じたい気持ちが残っているため、両親の書きぶりには潔さがない。この事件を冤罪の可能性があるとして指摘している人は少なくないし、冤罪の可能性について書かれた本も多い。少年A矯正2500日全記録事実、「少年A矯正2500日全記録」によると、母親は少年院で20歳になった2003年のAに面接し、はじめて本人に冤罪の可能性を問うている。「本当にあなたが犯人なの」と。そして「ありえへん」と答えられたことに大きくショックを受けたと書かれている。子供を信じたいのか、罪の重さから逃れたいのか、冤罪論者の影響もあるのか。両親がこれ程長い間冤罪の可能性を信じようとしていたことには驚きである。「うちの子に限ってそんなことはないはず」という彼らの、感情が事件の6年後にまでにも、強く働いていたことは、注目に値する。この感情が、加害者家族にすぐに謝罪をしなかったことや、Aが中学入学以降に次々と事件を起こしたことに関して「学校がAばかりを責める」という思いを両親が抱いていたことに影響していると思われる。親が子供と自分を過度に同一視してしまうこと(母子関係の未分離)は、現代の親たちが持つ妙な心理である。子供が叱られたり悪い立場に置かれることを妙に自分の傷であるかのように感じてしまったり、納得できなかったりする。その反面、子供と自分に必要以上にクールに距離をとってみたりするのも現代の親たちが持つ間違った心理である。Aの親には、過度の虐待や愛情不足があったと思う。Aの母は愛情が薄かったと指摘さたことに対して「三男が喘息でAにはかまってあげることができなかった」「私は肩凝り性だったので、Aをおんぶした記憶はあまりありませんでした」と、記述している。その後で、「一家でよく湊川にあったプールや須磨の海に泳ぎに出かけました」と自己フォローしている。卓球台を買って一家でプレーしているなど実際母は他にも、Aにけっこう関わっている。つまり、かわいがっていたつもりであったのだが、スキンシップや濃密な愛情表現などが不足していたのだろう。それに加えて、発達障害のあるAには余計に両親の愛情が十分に伝わっていなかったのだろう。虐待をして大きく距離を作ってしまい、距離ができたことを十分に解消しないままになっていたのであろう。子どもが可愛いのか可愛くないのか、大切なのか大切でないのか、親自身がわからなくなって混乱している部分がある。それでは子供はもっと混乱してしまう。どうもAの両親には子供との距離の取り方のちぐはぐさが目立っていたのではないかと思える。体罰論を始めると長くなりすぎるのでやめておく。体罰があるなしを問わず、子供を強く叱った場合には少なくとも子供の痛みを自分の痛みと受け止め、子供の更生に全力で付き合う姿勢を見せる必要があると思う。親としても、教師としても。事件以来、罪の重さとわが子の可愛さの間でさらに心情が波立ち、この手記にはあちらこちらに不安定な心情が読み取れる。文筆家でもない両親によって、尋常ではない状況で書かれている文章であることを念頭において、両親に関する情報は注意深く読む必要がある。そして、そういう状況で描かれているからこそ、「『少年』Aこの子を生んで・・・」は価値がある資料であると思う。
Jan 9, 2009
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正月ですが、続けます(汗)。 事件の舞台となった神戸の学校・須磨・ニュータウンという要素には、実に微妙な空気がある。この街の生い立ちについては、「「少年A」14歳の肖像」「地獄の季節-「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所」で高山文彦氏が詳しく書いていて、非常に興味深かった。多井畑~名谷という、古い村のあった地域の山を削りながら新しい街が作られていく。友が丘・竜ヶ台・多井畑等の名前はそこが自然の丘や山・畑であったことを意味している。山を削り、削った土で海を埋め立てる神戸方式は「山、海へいく」と喩えられ、住宅地開発のモデルケースとなった。核家族世帯が流入し、新たな自治体が出来上がっていく様子は戦後の日本全体の流れと重なる部分が大きい。ニュータウンへ移り住むだけの財力を貯めた層が転居していく中で、下町の自治が壊れていく一因となった。アップタウンとダウンタウンという階層化が進んだ。アップタウン(多井畑)第一世代の自治はしっかり組織されたものだったようだ。「ニュータウン=人情味に欠ける」といった図式でこの街を語る文章も少なくなかったが、少なくとも第一世代はそうではなかったのではないかと思う。アップタウンへ移り住んだのはAの祖母の代であり、Aはアップタウン三代目に当たる。家は三代でつぶれる...Aの家族もまら、この街の空気と同様に、微妙である。Aの家庭は多くのメディアから、かなりのバッシングに遭っている。伝え聞いた様々な情報と「『少年』Aこの子を生んで・・・」を読めば、確かに異常な部分を感じる。それでも、この街の平均的な家族像から大きく外れていたのかというと、そうでもなかったようにも思われる。そのあたりが、微妙なのである。異常であるのはAの家族だけというわけではないだろう。今の日本のたいていの家庭が、微妙に異常を孕みながら成り立っているのではないかと思う。我が家だって例外ではなかろう。AとAの家族の微妙な人物像や微妙な関係は、親の手記である本書を読んだだけでは、なかなか正確にはつかめないと思う。ある人は、先にも書いたように、「思ったよりまとも」と感じるかもしれないし、ある人は「許せない」と感じるだろう。同情する部分も、憎むべき部分もあるだろう。手記に現れているのは実に複雑な親の心境であり、それに実に複雑な読者の心情が重なるため、読み取り方は実に様々であると思う。私自身、この本を読んでいるといろいろな思いが交錯する。微妙に異常なのである。どうしても、妙な言い回しになってしまう。明らかに異常と感じる部分がいくつかあるのに加えて、至る所で微妙なずれが見られるのである。一見、まともに見える事の中にも、なんだかおかしな雰囲気がある。この歯がゆさは何なのだろうか...本書で両親は、平謝りを何度も繰り返しているように見える。ところがよく読んでみると、言い訳もさせて欲しいという心情が含まれている。おそらく事件からの数年は、家族は大変な思いをしただろう。言い訳をしたくなる気持はわかる。それでもここは、潔く謝罪に徹するべきだったのではないかと思う。また、「失うものはないので洗いざらい語る」と言いながら、都合の悪いことは詳しく書いていないという傾向も見られる。最も私が歯がゆいと感じるのは、母親がAへの体罰に関しての記述がぼやけているところである。母親のAに対する躾が過剰であったことについて識者から多くの指摘があった。あるのにもかかわらず、母親は「躾できつい折檻をした覚えはないのですが・・・長男のAには厳しく怒って注意していたかもしれません」と三人兄弟を育てる事態となったAが三、四歳当時の様子は書かれているものの、あまり多くは記述しておらず、受け流そうとしているようにも受け取れる。Aの精神鑑定主文が「弟いじめと体罰との悪循環の下で「虐待者にして被虐待者」としての幼時を送り」と、母親の虐待を指摘していることに対しては、「頭では分かっていても、いまでもA自身のこと、鑑定書の内容はピンと来ず、よく理解できていません」と、真相をうやむやにするかのような記述しか書いていない。後に発行された本、「「酒鬼薔薇聖斗」への手紙-生きていく人として」(今井一生:宝島社)には、生後6か月から虐待があったと母親が人に告白したという話(これは、又聞きの話ではある)が載っている。この虐待の状況については、大事な点である。しっかりと再検証がなされるべきだと思う。
Jan 5, 2009
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