2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全18件 (18件中 1-18件目)
1
1960年代生親。彼らが何をしてきたのか。彼ら自身も、当時の教師も、もはや多くを語りません。新聞やTVニュース、ドラマは図書館やTV局に眠っています。いくつかの本で当時の状況を知ることはできますが、もうみんな関心もなく、忘れてしまったかのようです。私は子供としては校内暴力を体験していません。教師としては、最初、中学校勤務だったので、校内暴力時代の末期は見ています。伝え聞いたことも含めて、書いていきたいと思います。・校舎内を自転車やバイクで走った。・職員室の机の上を走り回っていた。それでも仕事をしている教師を見つけたら、机の上からけりを入れた。・校舎の窓という窓を粉々に。新しい窓が入ったらすぐにまた全部粉々に。・教室の壁を机やいすでガンガン叩く。最後はぶち抜いて隣の教室とつなげた。・生意気な1年生は呼び出して、トイレに顔を突っ込んでシメた。・朝会で校長が話しているときに朝会台からひきずり下ろし、「これからは、我々の言うことを聞くように」と、宣言した。・教師の髪に整髪料がついていたので、火をつけてみたら燃え上がった。大爆笑。・教師に金属バットで殴りかかった。・ 3階の窓から美術の時間に作った石膏を教師めがけて投げ落とした。・教師をツルハシで追いかけ回した。(その他、教師に対する暴行は枚挙にいとまがない。性的暴行も多く、女性教師は簡単には脱がされないようにキツキツのGパンをはいて、仕事をしていたと言うのは、本当の話。)・ 窃盗車で学校の周りをシンナーを吸いながらぐるぐる回って暴走した。・授業中、教室の後ろで焼肉をしていた。・授業中、教室で花火をした。・校舎の消火器と消火栓をとって、全部撒き散らした。・修学旅行は女子が男子を呼び出して、女子の部屋に鍵をかけて売春。費用は修学旅行のおみやげ代から捻出。・理科室の掃除の時間、女の子を押し倒して、強姦しようとしたが、うまくいかなかったので、試験管をつっこんだ。(これは、小学6年生の話)書いていて、うんざりしてきました。お前は露悪趣味かと言われそうですね。・・・半分そうです。当時の中学生全員がこんなことをしていたわけではないと思いますが、現在の親の中に、こういうことをしてきた人、もしくは、こういう状況を見てきた人が少なからずいるというのは事実です。話を集めれば、もっともっと出てくると思います。でも、こんなものではないです。それぞれの話は一行程度で終わらせられるような簡単なことではなく、ちゃんと調べればいくらでも出てくることでしょう。
Jan 31, 2007
コメント(8)
現在の小学生の親が1960年代生まれが中心になっており、1965年生まれが校内暴力激化の1979年の中学3年生です。たくさんの書物で1979年が校内暴力が顕著になってきた年だと言われています。同年、「3年B組金八先生」が放映開始しました。実はそのときのテーマは「15歳の母」ということで衝撃的な内容であったものの、校内暴力を取り扱ったものではなく、たのきんトリオ達が演じる中学生像も、なんだかのんびりした描写でした。あまりこのブログで素性は明かしたくないですが、私も当時の中高生です。私の通っていた学校の場合は、警察沙汰になるような校内暴力はまだありませんでした。私は「校内暴力はぎりぎり経験せず」でした。それでも、中学校はかなり荒れてきていました。授業中、何度注意されてもすぐにふざける、たばこ・シンナー等の非行に走るなどの状況は確かにどんどんと悪くなってはいたと思います。それでも、明らかに犯罪の範囲であると思われる行動を起こすことは躊躇していたように思います。私の経験した中学校生活では、教師に対して反抗的であっても、教師に対して暴力を振るうと言う発想には至りませんでした。私が高校生になった頃から、事態は一気に悪くなったように思います。あんなに怖かった○○先生が殴られたとか言う噂が、耳に入ってきて、驚きました。新聞やTV報道などでも、とんでもない事件が目に付きだします。教師に対する、集団暴行による傷害事件、学校への立てこもり。1979年、最初は1件、2件であったものが、1980年代になると同時多発で頻発し始めます。あまりに多くて報道が追いつかなくなってきた様子でした。1980年の「3年B組金八先生」第2シリーズは校内暴力そのものを取り上げており(それでも最終回間近まではのんびりした展開だったように記憶しています)、世相を映し出しています。というか、この番組のヒットが全国津々浦々までに校内暴力を行き渡らせる要因のひとつになったのではないかと見ています。(それについては、マスコミ編で扱うつもりです。)その後の5年間ほどの中学校はおそらく地獄のような現場であったと思います。その衝撃的な様子は幾度も報道されてきたものの、当事者以外(私も当事者ではない)の記憶にはあまり確実な情報として残っていないのではないかと思います。忌まわしい過去だから忘れたほうが良いのか??そんなことはないと思います。校内暴力が何だったのかを検証することは、今の教育を考える上で、たいへん大事なことだと思うのです。
Jan 29, 2007
コメント(6)
1950年代生親は教師・学校に明らかな失敗やひどい力量不足があれば責めの姿勢を見せるようになりました。1990年代も末頃になると、1960年代生親もオーバーラップし始め、あちらこちらで学級崩壊が起こっているという噂が聞こえてきます。毎年どこかの学級が崩壊し始め、あまり珍しいことではなくなってきました。しかし、1950年代生親は学校・教師がまともでさえであれば、協力的な態度をとってくれました。それが、2000年代に入ると1960年代生親がPTAの中心を占め始める事態となり、さらに混乱は深まっていきます。ただ甘いだけではない、はなから学校を信用していないような、協力する気が全くないような、そんな親が出現してきました。全体的に学校や担任に対して切れてしまうのが早くなってきました。確実に変化が起こって現在に至っているのを感じています。さて、そろそろ現在の親、1960年代以降生親に話をすすめていきましょうか。ここからが本題です。私がこのブログに書きたかったことの中心部分です。本題に入る前に、これまで長々かつ大雑把に書いてきたことをまとめておきます。昭和一桁親戦争の極限状態に子供期を送ったことにより、厳しいしつけをした親がいる一方で、子供には苦労をさせたくないと甘やかした親もいる。昭和10年代生親戦争の記憶は明確ではなく、かなり豊かな時代になってから子育てをしている。子供には甘い。中学校校内暴力期の中心世代。団塊の世代親子供にはさらに甘くなってきているが、自分たちはまじめに生きてきているため、学校には協力的。いじめ問題多発世代の親。1950年代生親学級崩壊が問題になり始めた時期の親。子供と友達感覚になってしまっている。子供には大甘の甘甘。それでも学校には協力的な態度を示します。1960年代以降生親子供と同レベルの親が多数出てくる。子供にも手を焼くが、それ以上に親に手を焼くような事件が多発し始める。始めから学校に対して敵対心を持っている親が少なからずいる。それもそのはず、彼らは校内暴力エッジ!まず振り返っておきたいのが、彼ら自身がどう生きてきたかと言うことです。中学校における校内暴力。あれは、一体なんだったのか。
Jan 28, 2007
コメント(4)
私が間近で見た学級崩壊290年代後半に転勤をして、4年生を担任しました。前年度は相当荒れていたと言ううわさです。すぐにスネて学校を飛び出す(そのたびに他の学年まで授業をストップして自習にして捜査)、授業中に立ち歩く、モノを投げる、もちろん教師の指示はまったく聞かない。3年生にして担任(ベテランの男性)は面前で呼び捨て、馬鹿にした挑発行為を繰り返す。私のクラスだけでなく、両隣が荒れています。よその教室まで入り込んで指導をする必要が出てきます。保護者は担任と学校に対しての不信感をあらわにし、その不信感がまたもや子供を勢いづかせる結果になっていました。4月の家庭訪問では学校に対しての文句をずいぶん聞かされました。15分刻みで次々と訪問しているというのに、ある母親は、怒りが収まらず、1時間以上私に文句を言い続けました。「込み入った話は、後ほど時間をとらせていただきますので・・・」と言っても聞いてくれません。ボロカスに言われました。私は転勤してきたばかりだったので、目を白黒させて話を聞くしかありませんでした。後で聞くとこの親は、クレーマーで、昨年度は校長室に乗り込んで管理職と担任をつるし上げたということです。まさに、時間との戦いで、子供にも保護者にも早くこちらを向いてもらわないと、どんどん事態は悪くなっていくのが見えました。誰もこの学級の担任を持ちたがらなかったので、転勤してきた私に持たせたというのが実情のようでした。困り果てました。もっとも手を焼いたY君がトラブルを起こし、家庭訪問をしたときのことです。母親に、Y君とクラスに対する「立ち直ってほしい」私の思いを十分に伝えたうえで、申し出ました。「この先、私の力が及ばなくなる可能性が大きいです。Y君は口で言っても聞きそうにありません。申し訳ないけれど、私には、彼を口だけで指導するだけの力量がありません。場合によっては体罰をしてもいいですか?」親は、自分の子供が荒れていることを恥ずかしく思っておられて、人様に迷惑をかけていることを実に申し訳ないと感じています。「はい、どうぞよろしくお願いします。」と、答えてくれました。その後、Y君が2度ほど許せないことをしたときに、私は鉄拳制裁を加えました。みんなの前でです。早期であれば、鉄拳制裁は利きます。その他にもかなりの荒療治をやりました。とにかく、教室が不安定に揺れているような状態を止めなくてはなりません。トラブルの連鎖を切らないことには授業ができません。それやこれやで、やっとY君やクラスがこちらの指示に振り向きやすくなりました。5月ごろに子供たちの立ち歩きがなくなった頃には保護者は私を全面支持してくださる様子になってきました。その後は和気あいあいと子供たちの成長について語り合える状況が生まれました。Y君はどんどんと落ち着く方向に変わっていったし、クレーマーの親は、子供が卒業するまで向こうからニコニコして話しかけてくれるようにまでなりました。当時はまだ、こちらが努力をする姿勢を見せれば、親は学校の方を向いてくれました。1950年代生親は、かろうじて、なんとか、なったのです。
Jan 27, 2007
コメント(0)
1993年の冬。親と子の変化が悪い方向を向きながら加速していることが気になりました。教頭に連れられて、同僚と飲んでいたときの話が強く記憶に残っています。「もう後5年、いや、5年もたたないうちに、親の世代が変わってしまうよな。1950年代の親がほとんどになるよ。1960年代の親もそろそろ出現するだろな。多分、そのころには小学校でもたちゆかなくなるのではないかなあ。」と当時から世代論に関心があった私が言うと、同僚は、「これからは、学校や教師は保護者への対処の能力が問われるようになってくるよ。」と、遠い目で話していました。(※教頭はいまひとつピンときていない面がありました。) 悪い予感は的中し、1990年代後半は、学級崩壊が同時多発的に広がり、社会問題として取り上げられました。まさに、雪崩現象でした。 私が間近で見た学級崩壊1私が学級崩壊を始めてみたのは、1994年だったでしょうか。6年生のあるクラスがどうもおかしい。教師の指示に反応しないし、指示に反応したところでわざと行動をゆっくりする。※「学級崩壊」という言葉がどの様な経緯で使われ始めたのかは諸説あるようです。1997年ぐらいからメディアで目立ち始めます。この言葉は公式には認められておらず、国立教育政策研究所(だったと思います。)は衝撃的な言葉を避けて、「学級がうまく機能しない状況」と位置づけています。ちょっと長くてわかりにくすぎて使いづらいですね。この見解の違いにより、言葉としては、しっかりとした定義づけもなく、現在学校に関係されていない方にとってはイメージがしにくくなってしまっているのではないかと思います。学級崩壊がどんなものであるかは、実際に見た方以外は、一部TVや新聞の報道や、伝聞によるものだとおもいます。「崩壊」という衝撃的なネーミングや報道から受けるイメージは、子供が立ち歩くなどの好き勝手をしている状況かもしれません。そういう明らかに教室をのぞくと目に見えて、子供たちが騒乱状態であるというのも一つの学級崩壊です。それに加えて、子供たちの人間関係が崩れきり、授業・行事・普通の生活(掃除や給食)がまともに運ぶことができなくなっている状況も学級崩壊です。担任の指示が通らず、一つのことをさせるにもたいへんな気力を要します。外から一瞬、教室を覗いただけではそれほど荒れているように感じないのですが、1日ぐらい観察してみると、とてつもない心の荒れようが発見できると思います。1994年に見た学級崩壊は騒乱状態とまではいきませんでした。6年生だったので、クラブや委員会で接することがあっても、そんな時には普通にしているので特に生徒指導をする必要がありません。学級に戻ったときだけ、重苦しい雰囲気が生まれるようで、同じ学校にいながらも、その様子がうわさでしか伝わってこなくてはっきりとはつかめないのを不思議に思いました。そのクラスの子供らは実に重い雰囲気のまま卒業しました。最終的には6年生の他の学級の教師がサポートをしながら、卒業式関連の様々な取り組みは学年全体の指導の中で進められたので、完全に師弟の心離れたままの状態ではあったものの、なんとか担任も最後まで勤めることができました。表立って親が倒閣運動(教師への抗議)を始めることはありませんでした。こういう状況が1990年代前半にはひそやかに進行し始めていたようです。
Jan 24, 2007
コメント(2)
1950年代生親、つづきです。妙な空振り感覚を感じることが出てきだしました。運動会の最後に、校長先生が話をしているときです。特に天候が悪いなどの環境的な悪条件がなかったにもかかわらず、親が私語をしているのです。子供は気をつけをしてちゃんと話を聞いています。こんなことは、今までなかった。参観日、親が教室に入ってこなくなりました。わざわざ授業中に後ろまで行って「どうぞ、奥にお入りください。」と言っても、入ってこられない親も出てきました。その上、私語、です。子供が一生懸命に授業を受けているのに、親はしゃべっている。こんなことは、今までなかった。低学年を持ったとき、家庭訪問に行くと、親と一緒に子供が出てきました。子供は興奮しているのか、どたばたと動き回り、騒ぎまくっています。少し問題を感じていた子供だったので、私はこの親がどんな対応をするのかを知りたくて、しばらく親子を観察していました。母親は、一応は、注意はしているのに全く子供は耳を貸そうとはしません。結局、子供はやりたい放題。その子供が一瞬でも親の言うことを聞き入れる様子を見ることもなく、私はその家を後にしました。親が、完全に子供と同じ土俵に下りてしまっています。こんなことは、今までなかった。この時、家庭訪問をした親のみならず、親が子供と同レベルの場所に降りてしまっているなあと言うことを感じることが多くなってきました。どうも、親らしくないと言うか、友達感覚になってしまっていると言うか。親子と言うより、友人。それは悪いことばっかりではないのかもしれないけれど、ある親の責任放棄であり、そこで責任を放棄されてしまっては、子供が学校で集団となったときに非常に扱いにくくなってしまいます。1990年代当初の子供はガクンとワガママで、我慢ができなくなってきていました。親と同様に、こんなことは、今までなかった現象が数々起こります。これは、昭和10年代生親の子供たちからの下り坂の延長線上にある現象です。下り坂の勾配が少し急になり始めたなということを感じました。だからと言って当時の親や子供にはとことん困り果てたことはありません。最後にはどの親とも「そこそこいい感触」を持って学年を終わることができました。私自身も少し教師として成長したこともあってか、学級の状態はこの頃が一番よかったと思います。はじめての切れる子供K君もずいぶん丸くなり、成長して卒業を迎えることができました。現在の小学生親の中にも1950年代生親がクラスに何人かいますが、1960年代生親・1960年代生親の中では、むしろ良識派です。学級懇談会やPTA活動の中で、学校や教師に対して思いやりを持って行動してくれるのは、1950年代生親です。そしてその子供たちを観察していれば、現在の小学生の中では比較的落ち着いていることが目に見えてわかります。裏を返せば、現在の親がかなり、やりにくいということです。 次回は、1990年代後半。それこそ今までなかった学級崩壊現象が同時多発的に広がり始めます。
Jan 23, 2007
コメント(6)
1990年代当初は小学校に1950年代生親が登場してきた時期です。1990年代は前半と後半でずいぶん子供のようすがちがいますので、前半後半に分けて書きます。家庭訪問で初対面した親が、玄関を開けると挨拶もそこそこにしゃべり始めました。漢字練習帳を開けながら、「先生、この漢字練習帳の字、うちの子供、間違っています。どうして直してくれていないのですか。」確かに、一文字、見逃していました。私は素直に「すみませんでした、これから気をつけます。」と謝りました。と、漢字練習帳の話はこれだけで終わりました。なので、たいしたことではありません。しかし、こんなことは、今までにありませんでした。家庭訪問で、初対面の(教師)相手にまずクレームから入るという発想には当時、不思議な感覚がしました。そんなことをこの場で言ってみなくても・・・(その人の子供K君は私が初めて接した「キレる子供」で、後々、トラブルが発生しまくりでした。)そのほかにも、同じように、1990年代当初、「ン?」と思ったことがあります。不思議なズレというか、違和感というか、そんなものを感じ始めました。親との関係で、こんなことは、今までになかったのになあ、というような出来事が、だんだんと多くなっていきます。つづく
Jan 22, 2007
コメント(7)
1950年代生親を語る前に、1950年代生まれがどんな世代と感じているか、私の印象を書きます。1950年代生親は、団塊世代(1947年生まれ)が10年続いたと見れば半数以上が団塊世代ということになりますが、話の流れの都合上、大雑把に団塊世代と別物として扱います。※ 団塊世代は1947年生まれからの3年・5年もしくは10年と、人によって区切り方がまちまち。さて、その1950年代生親、TVの放送が1953年開始で、1964年の東京オリンピックでかなりの家庭にTVの普及が進んだという経緯を考えても、その上の世代と比較して情報を素早く身につける習性が身についていたのではないかと思います。1950年代生まれは■より情報化・洗練され、より物質的な社会で「泳ぐ」術を身につけている。■団塊の世代がコンピュータに興味を示さず操作ができないのに対して1950年代生はなんとか操作ができる(年齢的なことを差し引いて考えても)。■団塊の世代のファッションセンスがあまりさえないのに対して、1950年代生はけっこうお洒落に気を使っている。■芸能人を見てもたけしや吉田拓郎などが消費されつくしてしまったのに比べると、さんまやサザンの支持層は息が長く、いまだに十代にも存在している。■団塊の世代がブルドーザーのごとく張り切っている影でけっこうちゃっかりとおいしい部分をゲットして楽しんできている。■団塊の世代が理想論を言い張るのにはうんざり気分があり、現実的な思考・対処ができる。■その反面、クールで個人主義すぎることを揶揄される。■とは言うものの、しがらみや自治が社会の中にまだ存在していた時期に生まれ育っている。■失われた1990年代を生み出してしまったのが団塊の世代で、1950年代生が舵きり役となってなんとか現在に至っている。というのが、「私の印象」です。団塊さん、悪く書いてスミマセン。そんな1950年代生親と団塊世代以前生親のちがいは、■■団塊世代以前生親は、子供にてこずったが、親にはてこずることはなかった■■■■1950年代生親は、その子供にさらにてこずるようになったことに加えて、てこずる親が出てきた■■ということです。 つづく-----------------------------------1950年代生親について、当事者がレポートしておられます。namiママさんのエントリーをお読みください。(→こちらをクリック)。他の記事もたいへん興味深いものがありますので、是非、あわせてご一読ください。ユーモアあり、お色気ありで、面白いです。
Jan 21, 2007
コメント(2)
体罰論を始めると、教育の本質的な部分に触れることになってくるので、実に長い議論になってしまいます。パソコン通信時代から論議が何回か起こっては迷宮入りで終わっているので、結論なんて出ないと思いつつ・・・いただいたコメントに本文中でレスする形でもう少し書いてみます。川嶋さん wrote:>>体罰というのは、教師が、教師と児童・生徒の間に「力関係」「権力関係」の優勢によって実行する方法であり、フェアとはいえないのではないでしょうか。このあたりの考え方については、私は微妙に違っています。フェア・アンフェアとは何なのか??国が長期信用銀行を潰さずに税金を投入して救ったことは、フェア?アンフェア?銀行が不況の元凶を呼び込んだ張本人であっても、そこが潰れると金融破綻で日本が沈没するという判断(一部国民の合意)が働いたのではないかと、思います。(スミマセン、例に挙げといて実は生半可な知識・理解です。)体罰がフェアではないとしても、「教育なんてその程度のもの」という開き直りの姿勢もいまや必要かも知れません。現代が法律や理想だけで動かせるほどの完成された社会なのかどうかを疑う必要があるかもしれません。我々は今なお発展途上の歴史の中にいると・・・って、西部邁氏みたいな話になってきてしまいました。名もなき教員さんにしかられそうです。ザ・中学教師さん wrote:>>懲戒権の行使もアンフェアなのでしょうか?>>ここでの議論は、体罰を見直し、懲戒権の裁量を広げようというものではないのでしょうか。そうですね。体罰というより、「懲戒権としての教育的覚醒措置」として考えて欲しいです。別に島流しにするわけでもないのに、教室の後ろに立たされたぐらいで「体罰教師、辞任せよ!」とか言い出す人権擁護感覚には正直言ってげっそりです。叩くにしても、太もも一発ぐらいなら、そんなに問題があるとは思えないのですが・・・そうそう、叩いていちいち辞めさせられては馬鹿馬鹿しいので叩きませんが、私は太もも一発最大1万円の罰金ぐらいですむのなら愛情込めて叩かしていただきますよ。ともふみ8222さん wrote:>>社会で判断される物事の良し悪しを知らない子どもたちだからこそ、多少強硬にでも教えなければならないことはあると思っています。何もされないから、教師に対して不適切な言動をしてしまう子どもも不幸であると思います。今の子供たちは3・4生に冗談で拳骨するフリをしても、「わー先生、体罰した。教育委員会に訴えてやる!」(これも冗談で)と、言います。自分でワガママと分かっていながら、ワガママを止める事ができない子供たちを見ていると本当に不幸だと思います。子供たちだって教師に下手な理屈をグチグチこね回されたり、真綿でクビを閉めるような陰険な指導をされるよりも、一発叩かれたほうが楽なのではないでしょうか。私が子供であれば下手な説教よりも叩いて欲しいです。トウサンさん、 wrote:>>ただ体罰を容認する上で一つだけ条件が、教師の質も挙げないと。・・・義家弘介担当室長がコメント↓。「現状では教師は毅然(きぜん)とした指導ができない。両手両足を縛って『戦ってください』と言うのは無責任だ」両手両足を縛られても戦える技量は、悲しいかな、情けないかな、今のところ私たち教員にはありません。現状では。全教員の資質と人徳を今すぐに向上させて、体罰なしの説得で素晴らしい子供を育てられる世界を作り上げることが可能であれば、それに越した事はないですけれど・・・。
Jan 19, 2007
コメント(18)

教育再生会議、「体罰」の定義見直し...政府に要望へ 政府の教育再生会議(野依良治座長)は、学校教育法で禁じられている「体罰」について、政府が過去に示した定義の見直しを求める方針を固めた。 来週にもまとめる第1次報告に盛り込み、安倍首相に提出する予定だ。報告には大学の9月入学導入の促進や高校での奉仕活動必修化も明記する。 「体罰」の定義については、1948年の法務庁長官(当時)通達で事例を挙げて説明。<1>授業中、怠けたり授業を妨害したら教室外に退去させる<2>遅刻したら教室に入らせず廊下に立たせる<3>トイレに行かせなかったり食事時間を過ぎても教室に残す--ことなどを禁止している。49年に通達とほぼ同内容の「教師の心得」(7項目)が発表され、現在まで適用されている。 再生会議の議論では、義家弘介担当室長が「現状では教師は毅然(きぜん)とした指導ができない。両手両足を縛って『戦ってください』と言うのは無責任だ」として、通達の見直しを提案。ほかの委員からも「軍隊上がりの教員が多くいた時代の通達で現代にはそぐわない」などの意見が出て、第1次報告に見直しを明記することが固まった。 学校教育法は11条で、教育上必要があると認められる場合、教員は児童や生徒に「懲戒を加えることができる」とした上で、「体罰を加えることはできない」としている。(2007年1月17日20時29分 読売新聞)-----------------------------------体罰論を始めるとキリがないので、少しだけ。私は、教師による体罰には半ば賛成、半ば反対です。-----------------------------------中学校時代、友達が体操帽子を忘れて、 教師に「帽子は?」と聞かれて、「知らない」だったかどうか忘れましたが、まあその程度の少し反抗的な態度をとって、ビンタを30発ぐらい食らいました。後ずさりしながら、体育館の端から端までビンタを受け続けました。----------------------------------- 高校時代、友達が学校にトランプを持ってきたのを見つかりました。職員室に呼び出されて5・6人の教師から殴る蹴るでボコボコにされました。倒れて起き上がれなくなった時点で、一番ヨワッチョロイ理科の教師がやってきて、一発蹴りを入れたそうです。2人とも、日ごろは不良でもなんでもない、友達の中でも身分が低い奴でした。そんなくだらない体罰にはウンザリであるということが前提で、 1.教師の暴走を食い止める制限付体罰ならいいかもしれません。(韓国等はそうだったように聞いた覚えがあります)2.1980年代までは実質的には体罰が横行していたのを、親が人権を盾に取るような形で容認から禁止、禁止から厳禁になっていった経緯はあまり好ましくない気がしました。3.現状ではさらに、大声で一度だけしかっただけでも精神的苦痛を与えているということで、それが体罰であると騒ぎ立てられるような風潮も出てきています。こういったヒステリックな親の出方に対しては、公的に検討をしてほしいと思います。4.体罰という言い方をやめて、「教育的覚醒措置」とかにしませんか。私は子供たちに罰を与えたいのではなくて、目を覚まさせてあげたいのです。戸塚ヨットスクールではないけれど、子供たちの脳の奥(脳幹のあたりでしたっけ?)が眠ってしまっているような気がします。 少しと言いつつ、ついつい長くなってしまいます。
Jan 18, 2007
コメント(8)
昭和一桁世代、昭和10年代生と、じわりじわりと子供へのしつけが甘くなっていく流れの中、次に登場するのは団塊の世代親です。団塊の世代は「親」としての問題だけではなく、学生や社会人としての問題が取り沙汰されました。2007年3月、団塊世代の大量退職が迫っていることもあり、最近のニュースでもよく彼らが取り上げられています。私にとって団塊世代(以上)の教師は上司に当たり、正直言ってあまりいい印象がありません。私が教師として接したのはこの団塊の世代親からで、昭和10年代生以前の親とはあまり接触する機会はありませんでした。おそらく昭和一桁世代に比べればさらにしつけは甘くなり、子育てもうまくできていなかったのだと思います。彼らの子供を1947+25(で子供を出産)+15(子供が中学3年生)=1987年(に中学3年生)とすると、校内暴力からいじめへと中学校問題が移行していた時期に重なります。しかし、私の教師としての団塊世代親の印象では意外と「まとも」です。私の記憶では、団塊世代親の子供には苦労したけれど、保護者に苦しんだことはほとんどありませんでした。その後の1950年代親以降がどんどん劣化していったので、それに比べると、今思うと、「まとも」です。団塊世代親は、・子供のことは学校に任せてくれた。・トラブルが起これば、とりあえず、ポーズだけでも「自分の子供にも悪いところがある」という認識で話し合いに臨んでくれた。・たとえ文句があってもオブラートにくるんで話してくれた。・若くてすぐに暴走し、わけの分からない企画をする私を「ダメダメだけれど面白い教師」と見ていてくれた(のではないか・・・)。・教師が頑張った分には、感謝をしてくれた。・お中元やお歳暮やお別れの品をくれた。(いや、もらえないのが本当です。もらえなくて当然です。ちゃんと断りましたし、無理やり渡される方にはお返ししましたよ。)うーん、今思うと夢のような話です。新人教師で落ち度がたくさんあったにもかかわらず、向こう(親)に助け、育てていただいたというのが、あくまで私としての「印象」です。さて、次回は1950年代親です。 つづく
Jan 17, 2007
コメント(2)
名もない教員さんのコメント「親の責任かなぁ~? 」 の投げかけから、気がついたことがありますので、レスではなく本文のほうで書きます。「ライダースナック事件」他、様々な子供の荒れの現象について書いていますが、全部が全部、親の責任ではないと思います。でも、かなりの責任はあるとは思います。というか、親が何とかしないことには子供が育たなくなってきたという状況になってしまったという考え方もあるかもしれません。昔はほって置いても貧乏だったわけですから、どの親もモノを大事にするというしつけを叩き込まざるを得なかった。叩き込むのが自然の流れであったと。同時に、社会の中に宗教・土着のモラル又は「ムラの監視の目」があり、それが人間の行動を慎ませるシステムになっていた。それが、社会が豊かになると同時に、社会の中のシステムが知らず知らず崩れていき、かなり意識的にモラルを叩き込むことを意識して実行しないと、子供はまともに育たないことに、多くの人が気づかずにいるままで現在に至っている。というような気がしています。それが、私のイメージかな。まとまりません・・・・。
Jan 16, 2007
コメント(9)
グリコキャラメル以降45年間、日本の食品玩具とはあくまでも食品が主体であり、玩具は完全なおまけであった。しかし、仮面ライダースナックの爆発的な人気は、本体とおまけの主従を逆転させ、おまけさえ手にすれば食品は食べずに捨てる、という矛盾した事態を引き起こし、問題視された。これ以降も、食品玩具の過剰な人気は食品の処分という問題を度々発生させることになる。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』---------------------------------------------- 仮面ライダー1号の登場は、1972年4月。当時子供だった男性ならすぐ思い浮かぶのが「迫る ショッカー...」という主題歌と、カードが付いたカルビーの「仮面ライダースナック」。 同年12月から1973年7月までの販売数を、カルビーが当時の小学生男児数で割って試算したところ、1人あたり年平均85袋も食べていたお化け商品だった。----------------------------------------------捨てられたというと、ゴミ箱に捨てられたかのように聞こえますが、実情は、公園や川、道端です。捨てられただけではなく、捨てた後にスナックの袋を踏んで、音を鳴らし、粉々にするのも流行っていました。しかも、ライダースナックを買っていたのは小学校低学年の子供が中心だったように記憶しています。私はこの事件に関する当時の報道の一部を知っているだけなのですが、かなり大人世代にとってはショッキングな出来事として扱われていましたし、親世代に対する批判もかなり見聞きしました。ライダースナック事件は全国同時に多発したというのも特徴的だったようです。なぜ、同時に多発したのでしょうか?小学生が新聞やTVの報道を見て「真似してみよう」と思ったとも考えられません。食べ物を大切にしないというのは、1972~1973年には、小学校低学年の子供は1965年生が中心。彼らは中学生となり校内暴力を頻発させています。 家庭での子供へのしつけがかなり狂いはじめていたのでしょう。おそらく、飢えの経験が長かった昭和一桁世代よりも昭和10年代生の方が、食べ物を大切にするしつけをしなくなっているのではないかと想像しています。とは言うものの、ライダースナック事件の当事者の親の中には、昭和一桁世代もいると思います。スナックを捨てた子供の昭和一桁世代親は、自分が飢餓体験をしたことを残念に思っていて、子供には食べ物を含めて物質的に甘やかしてしまったという部分もあるのではないかと推測しています。私の友達の親には昭和一桁世代が多いのですが、物質的に実に甘い親がいて、子供心にも「子供を甘やかすなよ」と思ったことがけっこうあります。親の世代交代にはグラデーションがあり、親のしつけの変化にもグラデーションがあるわけです。そんな中で、増水した川の堤防が決壊するがごとくに同時多発したライダースナック事件は中学校の校内暴力へと続く不気味な序章として記憶に残っています。
Jan 15, 2007
コメント(12)
明治の母は、よく「賢母」と表現されます。子供を立身出世させるために厳しいしつけとしっかりした愛情を持って育てたと。大正生まれの親も含めて、彼らは太平洋戦争を大人として経験しており、実際に戦地へ赴いたり、戦地へ送り出したりした経験を持っています。昭和一桁世代もまた、15年戦争を子供として経験しており、昭和9年生まれが終戦時に11歳となります。戦後の大混乱も厳しい時代だったでしょう。戦争体験は戦中派として、しっかりと記憶に残っているでしょう。彼ら昭和一桁世代は労働者・社会の構成者としても戦後の復興のために身を粉にして働き、日本を高度成長へと導いた中心世代だといえます。つまり、戦後日本の繁栄を築いた第一代、です。これが、昭和10年生まれあたりからは徐々に状況が違ってきているのではないかと推論しています。昭和10年生まれであれば、昭和25年で15歳。昭和25年は朝鮮戦争勃発による好景気(朝鮮特需)で日本が上昇気流に乗り始める時期です。昭和15年生まれであれば、15歳で終戦を迎えています。5歳の子供にはっきりとした戦争の記憶は残ってはいないのではないかと思います。昭和20年生まれであれば、十代の青春期を昭和30年代で過ごしており、この時代はまさに高度成長期、映画「Always」の時代あたりでしょう。親の世代が突然昭和一桁から昭和二桁に入れ替わったわけではありません。昭和二桁世代の割合はだんだん増えていくはずで、グラデーションがあります。徐々に世代が交代する中で、その世代の子育てへの意識・方法も徐々に変わっていったのだと思います。育ち盛りの十代で物不足と強烈な飢えを経験して、自分の子供にも「物を大事にすること」を叩き込んだ昭和一桁世代の感覚と、青春期を高度成長時代の幕開けとともに迎えた昭和二桁世代の感覚は明らかに違っていたと思います。そして、「物を大事にすること」を叩き込む昭和一桁世代が存在する一方で、子供時代に強烈な飢餓体験がある彼らの中には、戦後の経済成長で裕福になり、自分の子供に対しては甘やかして育てたという親もけっこう多いかもしれません。1979年あたりから始まり、1980年代前半にどんどんと拡大・加速していった校内暴力は、そういった親の世代交代(子育て感覚の変化)の影響も少なからずあったのではないかと思います。さて、その昭和二桁世代が小学生の親世代になり始めた1972年に、「仮面ライダースナック事件」が起こります。 つづく
Jan 14, 2007
コメント(14)
世代論はあまり好まないという人もいるかもしれません。個々の性質を一くくりにしてしまうことには意味がない、一くくりにされたくはないと。それはそれでわかります。私も、自分を何らかの種類に分類されて(例えば教師)、一くくりにされて語られるのは迷惑な思いをすることがあります。しかし、大雑把に物事を考えるには世代論が有効な場合もあります。これから私が書く「親の世代論」は、かなり大雑把です。私の認識不足があるでしょうし、現在私が勤めている小学校の親も、昭和20年代~50年代生と、30年ほどの幅があります。親の世代を10年単位で一くくりにするのは少々無理があるとは思います。それでも、小学生の子供と親の年齢差を考えると、だいたい私の勤務する小学校の親は、33歳~43歳あたりが中心層になっています。つまり、1960年代の世代が小学生の親になっているわけです。1960年世代。彼らはちょうど校内暴力が頻発し始めた1965年(昭和40年)生を中心にしています(このことについては、後に詳しく書きます。これがいまの学校を苦しめている問題なのです。)。では、今の親(1965年生が中心)の親の世代はというと、これも単純計算では割り出しにくいですが、25~30歳で子供を生んだとして、1935~1940年生まれ。つまり昭和10~15年、昭和10年代生の親の登場あたりから中学校が荒れ始めたことになります。(※1965年生の子供の親が全部昭和10年代生というわけではないです。昭和一桁世代の親もたくさんいたと思います。正確な比率は分かりません。)「だから、昭和10年代生の親が子育てを失敗した。」と、結論をもっていってしまうのは少し強引で性急だと思います。子育てがうまくいかなくなってきたのは、学校(教師)や社会の変化など様々な要因があるので、親の世代の問題だけではないと思います。同時期に親であった昭和一桁世代も同様に子育てを失敗していることを考えれば、子育てをうまくできない社会的な環境の影響も大きかったのだと思います。しかし、こうして親世代と子世代の特徴を照らし合わせていくと、見えてくるものはあります。私は、子供として昭和一桁世代と昭和10年代生の親の子育てへの姿勢の違いを見ていたに過ぎませんが、子供の目から見ても、昭和10年代生の親の子育ては「甘い」と思いました。大雑把に見れば、昭和10年代生以降の親世代ごろからうまく子育てができなくなってきて、うまくいかないまま現在に至っているというのが、私の「印象」です。私は研究者ではないので、詳細なアンケート調査や文献を参照し、精緻な分析をしている時間はありません。個人的な知識と経験と印象でしか語ることができません。今後も少々強引な印象論で書いていきます。つづく・・・
Jan 13, 2007
コメント(2)
これまでも、今後も、小さい出来事も含めて、このブログにはいろいろと学校の現実・問題点を書き述べていきたいと思っているのですが、学校が荒れているという現象の原因をばっさりと単純化してしまえば、子供が自己中心的でわがままになった。子供が我慢できなくなった。の2点であると思っています。さらにその原因を探ろうとすると、やれ「文部省が悪い」「学校現場が悪い」「ゲームが悪い「保護者が悪い」「食べ物が悪い」「社会が悪い」などと話は広がり続け、どんどん混迷を増してしまいます。先日のの「歯科医一家のバラバラ殺人事件」にもいろいろと背景はあるのだと思います。「受験が悪い」「素行が悪い」と、マスコミはあっちこっちから原因をかき集めています。でも、結局は、お互いに自己中心的で我慢ができなかったことが事件を引き起こしているのだろうなあと感じます。複雑で難しく色々な原因があるものの、ほとんどの問題の原因がこの2点に帰納していくのではないかと考えています。大雑把に「わがままで我慢できない」と捉えると、話が進みやすいように思います。
Jan 12, 2007
コメント(29)
トウサンさんからいただいたコメントで思い出したことがありますので、書き留めておきます。子供がトラブルを起こして、呼び出して、話をするという場面は昔からよくある学校の光景です。私も何回トラぶった子供の指導をしてきたのか、数え切れないし、正確なことは忘れてしまっています。ただ、下記の出来事は、1999年に「おや?明らかに、変わったな」と感じたことです。小さな出来事ではあるものの、強い衝撃を受けたので、1999年の出来事だったのを、はっきり覚えています。(下の例に挙げているのは、"消しゴムを無言で使われたのに腹がたって殴った" と言う程度の実にクダラナイ類のトラブルに対する指導だと思ってください。)それまでの子供は、「人に迷惑をかけるのはよくない」という話(前後のことを書いていると長いので、超省略します)でだいたい納得をして、次に話が進むのが普通でした。次の話とは、人に迷惑をかけたことに対して、どのように償えばよいかを考えることです。ところが、1999年に受け持った子供は・・・「人に迷惑をかけるのはよくない」と言っても、なぜ人に迷惑をかけるとよくないのかが、本当に分からない様子でした。いやいや、ちょっと表現するのが難しいです。言い換えると、頭で論理的には理解できるが、体がその論理を受け付けられないというそぶりを見せます。「人に迷惑をかけても、僕が楽しければいいんじゃないの(或いは、僕が腹が立ったら迷惑をかけても仕方ないんじゃないの、或いは僕がなんとも思っていなければそれは迷惑とはいわないんじゃないの、或いは、アイツに迷惑をかけるのは普通のことじゃないの)」と言いたげなのが、透けて見えるのです。 だから、償いの段に話が進まないのです。仕方がないので、私はこう言い換えました「そうやって人に迷惑をかける君は、みんなに避けられるようになるよ。それって、君の損ではいかな。それに、人から恨まれるのは君にとって得なことじゃあないと思うよ」 といった意味の内容です。そこで、やっと腑に落ちるようなのです。そうなのです。人の立場ではモノを考えることができなくなってきたのです。自分にどのような損得があるのかという視点でないと話に向き合うことができない。それが一人や二人ではなく、かなりの数の子供の中にそういう感性が浸透してきているように感じました。1999年だけの話ではなく、それからずっと続いている傾向です。
Jan 7, 2007
コメント(6)
仕事でうまくいかないことについては、全てが自分の問題と、自分を精進させることを最優先にして愚痴に聞こえるようなことは(ごく一部の人としか)言わないという態度をとる教員はけっこういます。それはそれで立派な態度だと思いますし、自分もそうありたいと思うときがあります。沈黙は金であると。ただ、その思いがある一方で、われわれ学校関係者はきちんと情報を発信していく態度を身につける義務もあるように思えるのです。黙って貝になることは可能であるしあるいみ潔くいかもしれないけれど、少々のバッシング覚悟で重い口を開いていかなければ・・・・親問題。保護者問題。バラバラ殺人でなくても、何でもないようなケースが象徴的に混迷する学校の現状を象徴的に表していると思うから・・・・-------------------------------------- ここ最近の、ある年の話。若い教師が担任する隣の学級でいじめが発生しました。保護者との話し合いもうまく進まないようなので、夜の7時半ごろに私も家庭訪問に付き合うことにしました。父は最初に犬が吠えたために、話の間庭先でずっと犬を撫でていました。すっかりなきやんでいるにもかかわらず、30分ほどの話の間、我々の斜め後ろで座り込んで、ずっと犬を撫でています。寒く暗い中、母親と私たち担任は思ったこと、感じたことを話し合い、「なんとか善処していきましょう。」という結論に達しました。父親も帰り際にはさすがに立ち上がりましたが、頭を下げるでもなく「ヨロシク!」と、一言、帰ろうとする私たちの斜め後ろから声をかけました。--------------------------------------これもここ最近のある年の話。連絡帳で母親から「子供が計算ドリルを失くしたので新しいのを注文して下さい」との依頼。「誰か友達が間違えて持っているなど、また出てくることも多いのでもう少しお待ちください。それまで私のドリルをお貸しします」とお返事。子供にはすぐにドリルを貸しました。3日後、今度は教頭がその子供の父親から電話を受けました。「先生に、お願いしたことをまだやってもらっていない」との伝言を教頭が出張中の私の携帯に入れておいてくださいました。私はその日は出張先が近所だったので学校に歩いて帰りました。校区を歩いていると偶然にその父親とばったり顔をあわせました。「こんにちは。ドリルの件、お電話ありがとうございました。まだ出てくる可能性があるかなあと思ったのですけれど、ご希望のようですから、新しいのを買うことにしましょうか。今日、注文しておきますね。」と、私。「先生が忙しいのは分かっているんだけれど、子供が早く欲しいというもので。ヨロシク!」と、父親。--------------------------------------私にはもう、「ヨロシク」という言い方にいちいち腹を立てたり驚くほどの敏感さはありません。ただ、私が教師であるからということではなく、一般的に相手の態度は失礼ではないかと感じました。両方の父親にとって、ほとんど初対面の目上か目上かも知れない相手(両方の父親より私は年上)が丁寧に(私は仕事上の会話は敬語で対応する)話をしている場面です。なおかつ両方の父親がとりあえずは私に願い事をしているという場面です。そんな場面では「よろしく」ではなく、「お願いします」ではないでしょうか。2人の父親とも、けっこう大きな会社に勤めておられます。縦社会での最低限の作法は理解しているはずだと思います。つまり私は、2人とも、相手(私)が上司や取引先ではなく、「教師」であると見極めたうえで、確信的に「ヨロシク」と言っているのを感じたわけです。たいへんな悪意を感じたわけではないものの、「ヨロシク」の響きは私の心に何かシミのようなものを残しました。--------------------------------------私が新米教師であった十数年前、同じようにいじめのトラブルに対処しに家庭訪問をしたとき、10歳以上年上の父親が居間に私を通し、「先生お世話になってます。今日は腹を割って話し合いましょうね。うちの息子が悪いところをちゃんと言ってくださいね。」と言いながら、「ビールが冷えてなくって。これ、非常時のやり方です。すみませんね。」と、氷を入れたコップにビールを注いでくださいました。いじめがこじれたのは新米教師であった私の責任が9割だと、私は思っていたし、父親もそう思っていたと思います。それなのに丁寧に私を扱ってくださることを、ありがたいと思いました。だからこそ、全力で子供をなんとかしようと努力もしたし、その気持ちはその子ども自身にも、クラスの子供にも伝わったようで、最終的には感動的な結果になりました(長くなるので詳しくは書きません)。--------------------------------------教師が家庭訪問に来たらビールを出せという話ではありません。教師には敬語を使えという話でもありません。そんなに「ヨロシク」が酷い言葉遣いだと傷ついているわけでもありません。たとえ保護者に私が丁寧にあつかわれようが、酷い態度に出られようが、どの家庭のお子さんに対しても同じように全力で接していこうとは思っています。 ただ、親が、教師といっしょに子供を育てをしようという姿勢が急激に失われていることが、父親との何気ない接触の中にでもはっきりと感じられてしまうようになってきています。そのことが怖いのです。学校は今後ますますメルトダウンしていくでしょう。 今、融けているのです。
Jan 6, 2007
コメント(10)
全18件 (18件中 1-18件目)
1