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欧州レポート(12)、18日(月)のモンテネグロからドブロブニクへの帰路。コトル湾を渡るフェリーの船上からです。間もなくフェリーは対岸に到着。このあとは再びクロアチア国境を越え、18時過ぎにはドブロブニクのロープウェイ乗り場に戻って来ました。前日のボスニアといい、この日のモンテネグロといい、日帰りで陸路で簡単に行ける隣国、日本では考えられないですね。あと、そんな隣国と戦争をつい20年前にしていたということも信じられないですね。また晩飯の場所の物色に旧市街へ。大噴水の前。少し見慣れた光景になりました。プラツァ通りに差し込む強い西日。この日の晩飯はまずミニサラダ(といってもでかいですが)から。メインディッシュはリゾットにしました。ムール貝とか入ってます。晩飯を終え、日が暮れたプラツァ通り。ライトアップされた聖ヴラホ教会。かなり暗くなりました。夜の旧市街も雰囲気あります。夕陽モードで撮ってみました。これも夕陽モード。絵になります。ピレ門方向まで散策。再びプラツァ通りを通って帰ることにしました。ドブロブニク出発は二日後の早朝。翌日は何も予定を入れていなかったので何をしようかと考えながら帰路に。いつものように東側のプロチェ門を経由してゲストハウスへ。。さて、ここから思いもよらぬ事件の始まりです。ちょうどその門を出るあたりで左肩にかけたリュックがなんだか引っ張られたような気がしました。後ろには中学生くらいの女の子が2人歩いていましたが、特に気にせず門を出るともう1回引っ張られたような気が。。門のところでリュックをよく見てみると、3つあるファスナーの一つが全開。。もしやと思って中をみると、そこに入れていたビニールのジッパー付の袋がなくなっていましたorzその袋にはパスポートのほか、たぶん1000円以下の20枚くらいのユーロのコイン、それとEチケットや宿泊先の予約確認書等の紙が5~6枚入っていました。もともとドブロブニクの旧市街はスリが多いので最大の注意を、というのが在クロアチア日本大使館のHPにも書いてあったので、「やられた」とすぐに思いました。さっきの女の子たちにたぶんやられたんだと確信しました。周囲を少し見回しましたが、もう暗くなっていてどうしようもなく、大使館に連絡するにしてももう勤務時間外(領事館はドブロブニクにはなく、大使館は首都のザグレブに)なのでNGだと分かったので、まずは対策を考えるためにゲストハウスに戻ることにしました。ゲストハウスへの急な階段をつらい気持ちで上ったことを覚えています。知り合いにもパスポートを盗まれた人はいますが、まさか自分がそれに遭遇するとは。一瞬の油断だったので、とても悔しい気持ちでした。部屋に戻り(WiFi環境があったので助かりましたが)、まずは首都ザグレブにある日本大使館の連絡先をネットで調べましたが、勤務時間外なので明日の朝にならないとNG。でもたまたま持って行った某旅行雑誌の後ろの方に「事件や事故のときの緊急連絡先」というのが書いてあったのでケータイから電話してみました。しかし、誰も電話に出なかったので翌日トライするしかないと思っていると、先方から大変親切なことに電話をいただきました。大使館の方からはパスポート紛失のときの対処方法として、(1)現地の警察で盗難証明書取得(2)日本から戸籍謄本取り寄せ(3)ザグレブの大使館で緊急発行(写真と手数料別途)であると教えていただきました。まずは(1)に着手。警察と言ってもどこにあるのかわからないので、日本でもかけたことのない「110番」にあたるクロアチアの警察の番号に電話をしてみました。「英語が話せるか」と聞くと、同時通訳的な第三者も電話に出ました。事情を話し警察の場所を聞きましたが、地名がよくわからず、断片的にビル名だけなんとか聞いて、ロープウェイ乗り場前にたまたま停まっていたタクシーを捕まえドブロブニク警察署へ(ここには警察署は一か所しかなかったようです)。タクシーの運ちゃんにも同情されましたが、夜遅いので警察前で待っててもらおうかと思ったものの、あっさりドライに去っていきました。警察署の窓口(当直)の警官に事情を説明すると、「申し訳ないが英語ができる担当者は明朝来るので朝9時ごろに来てほしい」と言われ、ゲストハウスにすぐ戻る羽目になりましたが、このときタクシーがなかなか見つからず市内方向へとぼとぼ10数分歩いているときはしんどかったです。。続く。。。
2014.08.31
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欧州レポート(11)、18日(月)モンテネグロのコトル旧市街の続き。城壁の中の教会。厳かな感じがしますが。。横で神父?がイコンなどを売っているのがとても商業的。。こちらがその古い教会。こちらはもう一つの新しい教会の中。こちらは商業的ではありません。外側はこんな感じ。再び広場前。城壁ツアーを終え、そろそろ集合時間が近づいてきたので、外へ出ます。出入口の門です。城壁の外のテラスで一休み。コトル旧市街の地図。STARTの左下あたりにいます。 ここにも豪華客船が。この時期地中海クルーズは相当たくさん出てますね。再びお濠を渡って待合場所へ。いい景色です。コトルの後は、湾の外側のリゾート地、ブドヴァというところに行きます。青い海。ブドヴァ市内が見えてきました。この時期、観光客でとても混雑しているようです。ここはヨットハーバーとか砂浜とかあり、関東地方でいえば葉山みたいなところでしょうか。ガイドによると、このあたりはロシアからの投資やロシア人の観光客が多いとのこと。海辺はオープンなレストランが並びます。ロシア語でレンタルのモーターボートの客引きが多かったです。リッチな雰囲気。この港にも城壁に囲まれた旧市街があるので行ってみることに。大型のプレジャーボートもたくさん。城壁の中のレストランで昼食。ここではツナサラダをいただきました。テーマパークみたいな感じの旧市街城壁。手前には潜水艦。。集合時間まで少しあるので、市内を散策。ハワイに行ったことはないですが、ハワイみたいなところです。南国のこざっぱりした雰囲気。ショッピングモールにも入ってみました。こういうのはどの国に行ってもあまり変わりませんね。グローバル化の賜物って感じ。ブドヴァの砂浜。ブドヴァは今回回ったいろいろな都市とはちょっと違う感じのところでした。ドブロブニクへの復路は、コトル湾を大回りせずに、ショートカットで青い点のところからバスごとフェリーに乗ります。あんな感じの船です。乗船開始。対岸までは5分程度。前に桜島~鹿児島市内で乗ったフェリーを思い出します。フェリーからの景色。続く。。
2014.08.31
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欧州レポート(10)、18日(月)のモンテネグロの古都、コトル到着から。コトルは古代ギリシャ時代からの歴史があり、中世ではベネチアの勢力下に入ったあと、オスマン帝国の拡大に備えてこの城壁が造られたそうです。ここは山が迫っています。「モンテネグロ」という国名は「黒い山」という意味(ちなみに中国語で「モンテネグロ」はそのまま「黒山」)で、黒く見える山から来ています。ガイドによれば、モンテネグロは65万人という人口(広さは福島県くらい)の小国ですが、男性の平均身長は世界で第3位くらいということで、バスケット選手とかでは優秀な選出の産出地であるとか。。ここでローカルのガイドが合流。城壁の中に入ります。後ろの山には上の方まで万里の長城のような要塞があります。市内には内戦時に廃墟になった建物がそのまま残されています。ガイドの説明では、内戦で城壁のある旧市街や外側の市街地も破壊され、一時は誰も住む者がいなくなったそうです。その後復興が進み、最近では観光地として復活。コトルの旧市街は内戦以前から世界遺産でしたが、最近は風光明媚な観光地として人気が上がっているようです。城壁内に入ります。ドブロブニクの旧市街よりさらに小ぢんまりとしていますが、ここも違った趣で良い感じ。歴史のある鐘楼。中には普通に人が住んでいます。右下の人がローカルガイド。このあたりの人はどこに行っても英語が普通にしゃべれますね。ナイスな角度。山に木が少なく、岩がごつごつしているというのがこのあたりの共通ですね。ここに限った話ではないですが、Free WiFiスポットがこんな感じで至るところにありますね。左側がモンテネグロの旗。右はコトル市の旗という説明があったような。。スマホでも撮影。海洋博物館というのがどこの旧市街にもありますね。レストランのメニューを写したつもり。バルカン半島の国はトルコっぽい料理がやはり多いですね。トルコのケバブはここではチェバウとか言っていたような気がします。井戸でしょうか。古い教会か水道か。こちらは新しめの教会。このへんの国は正教ですね。違いがよくわかりませんが。。城壁の東側にある要塞。ここは湧き水だそうです。緑色にみえる水の美しさに目を奪われます。透明度が高いです。クロアチアで最近人気の観光地、プリトヴィッツェ湖群国立公園の湖もこんな感じの美しさなんでしょう。今回はコトルで代わりにそれが見られた気がします。港も緑色です。城壁の上から。真ん中に廃墟も見えますが、こんなところで戦争しちゃいかんですね。。古そうです。城壁をおり、旧市街をもう一回り。続く。。
2014.08.30
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欧州レポート(9)、8月18日(月)のモンテネグロ日帰りツアーの続き。陸側に深く入り込んだコトル湾の入口あたり。 田舎道にあるドライブインでトイレタイム。しばし周囲の景色をどうぞ。この車は乗っていた中型バス。クロアチアから来てこの先モンテネグロの東側の国、アルバニアへ続く道路なので、結構交通量が多かったです。ガイドによれば、アルバニアからは欧州諸国へ出稼ぎが多いのですが、お金を稼いだアルバニア人は国に戻るときは飛行機でなく、車を買ってそれで運転して帰るのを周囲に見せつけたいので、そのせいでアルバニアに向かう道路は結構混雑するということだそうです。途中のヘルツェグ・ノヴィという街。街中は結構賑やかなところです。その少し先、コトル湾の対岸までが数百mしかない最も狭い海峡のようなところで撮影タイム。ここが対岸まで最も狭いところ。ガイドは、そう遠くない将来にここに橋がかかるだろうと言っていました。確かに車で湾をぐるりと回ると相当距離があり、もう少し海側にはフェリーが運航されています(復路はフェリーでした)。こちらは遠いほうの対岸。そこをアップで。これは海に続く方向。これは観光客が立ち寄ると活発になる売り子の方々。そういえば右端の車のような、キャンピングカーを昨日からの道中でたくさん見かけました。裕福な人が多いですね。モンテネグロあたりはロシア人の金持ちが海辺の家を買い占めたりとか、ロシア企業が結構この地域に投資しているとかがわかりました。これは湾の奥のほうですね。こんな場所(真ん中の一番湾が細いところの左岸)で撮影してます。目的地のコトルはぐるっと湾を回って一番奥。モンテネグロ語で「Welcome」という意味です。スマホのカメラでもばしばし。いい景色っす。対岸には人工島も。こんな感じでほかの方々もばしばし。ようやくカメラスポットを出発。走行中も車窓からの景色をばしばし。この角度、手前みそながらいいっすね。先ほどの撮影スポットのちょうど反対側に来ました。湾を回りきってコトル到着。この要塞の向こうに城壁と旧市街があります。昨日のボスニアのモスタル同様、最初の30分ほど現地ガイドが同行して説明し、あとは2時間くらいのフリータイムになります。続く。。
2014.08.29
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欧州レポート(8)、17日(日)のボスニア・モスタルツアーからの復路。ボスニアのネウムからクロアチアのドブロブニクの途上。ここからは再びクロアチア領内。復路は右側座席が海側になるので、綺麗な景色にシャッター連射。。美しい青。ドブロブニク市内に戻って来ました。旧市街はまだ少し先。この橋のあたりで数名のツアー客が下車。このあと何か所かホテルを回り、私は最後から二番目でロープウェイ乗り場近くで下車。ボスニア・ヘルツェゴビナ日帰りツアー、大満足でした。モスタルも良かったですが、二度の国境越えもとても感動しました。。さて、ドブロブニク旧市街へ戻ったので、そのまま夕食の場所を物色。ゲストハウスへ帰るためには長くて急な階段を上らないといけないので、なるべくその回数を減らすために直行。日課となりつつある広場前に来たら、サッカーのサポーターのような団体が大声でエールを上げていました。この日の晩飯はカルボナーラ。ここはイタリアとはアドリア海を挟んで対岸になるので、パスタとかピザとかイタリア料理も豊富。食事も終え、少し旧市街を散歩したり、飲み物などを買物したりして俄か住民気分を味わいます。このような現地化が最近の海外遠征のテーマです。。ゲストハウスに戻り、アドリア海と城壁を観ながら一服。至福のひとときです。。 さて、ここからは18日(月)。この日は東側の隣国モンテネグロへの一日ツアーです。モンテネグロへも前日のボスニアツアーと同じ会社の一日ツアーを前もって日本から予約していました。やはり同じようにロープウェイ乗り場前に8時少し前の約束した時間にバスがやって来ました。前日のボスニアツアーより一回り小さい、マイクロバスくらいの大きさ。人数も10数名と平日のためなのか少人数でした。この日も右側の座席でしたが、東へ向かう道なので往路に素晴らしい景色が連続。こちらの島はドブロブニクから簡単に船で行けるロクルム島。ドブロブニク旧市街を振り返る角度。少しずつドブロブニクから遠ざかります。助手席の同行ガイドの真後ろに座ったので、ドライブ気分で一枚。山道の途中にあるモンテネグロとの国境の検問所です。山側はこんな感じ。ここで運転手がまとめて我々ツアー客のパスポートを持って行って何か手続きをしていましたが、ここもボスニアと同様、パスポートにスタンプは押されませんでした。モンテネグロに入国。陸路の国境越えは楽しいです。緊張感は全くありません。ここでの主な目的地はコトルという古都。フィヨルドのような入り組んだ海岸線を通っていくので、かなり大回りをしていきます。続く。。
2014.08.28
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欧州レポート(7)、17日(日)のモスタルの続きから。旧市街のバザールと要塞などを散策し、再び橋を渡って戻ります。また橋の上から。こちらは先ほど上った要塞。橋の真ん中から川へダイビングしようとしている人がいます。ここでダイビングコンテストも行われるとのこと。ただ、なかなか飛び込もうとしません。。川のほとりのレストランで昼食をとることに。まずは地元のビールSarajevsko。サラエボビールというような名前なんでしょうね。Japlakという地元料理。挽肉をホウレンソウの葉っぱで包み。ヨーグルトを添えて食べる素朴な料理ですが結構私の好みでした。なんとなく、去年行ったトルコの料理とやはり通じるところがあります。レストランからは見える橋。川も美しい緑色。対岸のバザール。旧市街を抜けて、集合場所近くまで戻ってきましたが、まだ時間があるのでその辺を適当に散策。旧市街と打って変わってその外側はとても近代的な建物ばかり。左へ行くとドブロブニク、右へ行くとサラエボ。行きにも見えた銃弾跡の残る放置された建物。とはいうものの、上に看板が乗っているので、戦争の傷跡を残すためにそのままにしているようです。少し歩くとここにも半分廃墟になった建物。今の復興されている部分の街並みととても対照的ですが、わずか20年前に本当にここで銃撃戦や空爆があったとは信じられないです。ガソリンスタンドが気になりました。集合場所のランドマークを確認。早めに集合場所に戻ったので、しばしオープンカフェで一服。軒下から霧のようなものが出ていますが、今回行った国では多くの店でこのようなミストを強力に噴射させているところが多かったのが印象的でした。最近仕事でデータセンターの冷却にミストを使うのが主流になりつつあるということを知りましたが、同じ流れの話ですね。首都高の山手トンネルでもミスト冷却してますし。ここも銃弾跡。。このあとバスはモスタルを出発。車窓から見えたブドウ畑。このあたりは温暖な気候なのでワインの産地です。延々と続くブドウ畑。往路で通過したクロアチアへの国境は渋滞が予想されたため、山の中の別のルートを通りました。ボスニア~クロアチア国境の検問所。ここは渋滞なくすっと通りました。その場所がここ。右上の方にモスタル。しばらくネレトヴァ川沿いに南下。アドリア海が近づいてくると急に低地が広がり、格別の景色に。アドリア海に到達。入江にビーチも見えます。この先、再びボスニア領のネウムに入ります。青い建物が検問所。再びボスニアのネウムに入りました。ビーチが混雑しているのがよく見えます。海もきれいですね。ドブロブニクまではあと1時間くらいの距離。。
2014.08.27
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欧州レポート(6)、17日(日)のボスニア日帰りツアーの続き。あと30分くらいでモスタルという位置にあるポテチリのトイレタイム。地元の民族衣装が美しいです。眼に入るものになんでも感動してしまいますね。。モスタルに向かう道路の車窓から。モスタル市内が見えてきました。旧市街近くにあるこの教会そばの駐車場でバスを下ります。ここからはローカルのガイドが30分ほど旧市街中まで案内し、そのあと自由時間になります。15時にこのランドマークの塔の下に集合。この教会は内戦後に建てられた新しいものの模様。左に行くとモスタルの観光の中心、旧市街とスターリモスト。左の建物は内戦時の銃弾跡が多数残ったまま。。このあたりが旧市街の入口。真ん中にたなびくのはボスニア・ヘルツェゴビナ国旗。ガイドから「スリに気を付けて」と言われました。もうすぐスターリモストが見えてきます。来ました。眼鏡橋のような急峻なこの橋がスターリモスト。「古い橋」という意味です。この橋はオスマン帝国時代の建設でしたが、ユーゴ内戦で破壊され、戦後ユネスコ等の支援により2005年に復建されました。世界遺産です。橋の上から見えるモスク。下を流れるネトレヴァ川の緑色の水も美しいです。これは下流の一つ先の橋。このあたりの山はどこも急峻でごつごつとした岩山が多いですね。橋を渡り終えました。旧市街の中を散策。途中何回かガイドから説明がありましたが、このモスタルはかつてオスマン帝国が西に張り出してきたときに最も西側の中心地にあたるところ。なので、アジア風の雰囲気が味わえるというのが売り。ただし、この土地の統治者は数百年の間で何度も変わり、住民はそれに翻弄され、その結果いろいろな宗教、民族がモザイク状になる結果となったということで、それが痛ましい内戦につながったわけです。改めてバルカン半島の歴史を勉強させてもらいました。さて、これがスターリ・モストの全景。こんなところが戦場になったとは、俄かに信じがたいのですが。。ユネスコの世界遺産認定の表示。要塞の上から眺めてみます。眼下の橋。下流方向。要塞から降りる階段。まだまだ続く。。
2014.08.27
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欧州レポート(5)、17日(日)はドブロブニクから日帰りでボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルまでのツアーの日。朝、部屋から見える城壁の景色。テラスに出てみました。朝は爽やかな風が吹き、涼しくて嬉しいです。手前の紫色の花にピントを合わせてみました。モスタル日帰りツアーには、5月末ごろに日本からネットで探したサイトから予約。往復のバスとモスタルでの一部ガイドツアー(英語)とフリータイムという内容で、日本円で6000円程度ととてもお得。ネットのおかげで本当に便利になったものです。8時すぎにロープウェイ乗り場前に迎えの車が来て、他の客(20人くらいいたでしょうか)とともに別のホテル前から大型バスで出発。写真はその近くのドブロブニク新港。新港近くのドブロブニク橋の近くの景色。こちらが橋の全景。眼下に停泊する大型客船。バス右側の席をとってしまったのが失敗でしたが、途中まで左側にアドリア海にたくさん浮かぶ島や半島を観ながら西方向へ走ります。万里の長城みたいな遺跡がみえます。クロアチアの飛び地であるドブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行くには、2回国境を越えます。ボスニアがアドリア海に接する唯一の街ネウムの手前で1回目の国境を越えます。国境の検問所。ここは比較的車もすいていて、高速の料金所みたいな感じ。国境越えはいつも感動しますが、陸路の国境は特に嬉しいです。ネウムで最初のトイレタイムになったドライブインからの景色。ネウムのある海岸線20km部分がボスニア唯一の海岸線。ここはボスニアが港を作るために海岸線を要求したからというわけでなく、歴史的にはオスマン帝国とかオーストリア=ハンガリー帝国の勢力範囲を分けるための緩衝地帯として設けられたらしいです。対岸はクロアチアの半島。細長い湾の先にアドリア海があるという位置関係。こんなところです。建物の階下にスーパーがありましたが、何故かこれらの国旗が。ここはクロアチアの通貨クナがそのまま使えます(ボスニアは「兌換マルク」というかつてのドイツマルクと固定レートになっている通貨を使っています)。ネウム対岸のクロアチア領にはクロアチアのチェッカーの印。アドリア海方向をアップ。このあとネウムを出発、再びクロアチア領内を走ります。再びボスニアとの国境のすぐ手前に来ました。この小屋は国境警備関係者の小屋の模様。通過中の道路は、ボスニアのサラエボ方向への幹線道路のようなので、国境手前で長蛇の渋滞になっていました。ボスニア・ヘルツェゴビナの看板。ボスニア語はラテン文字とキリル文字の両方を使います。ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナというのが国全体の名称で、かつてムスリム人といったボスニャック人とクロアチア人で構成される「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「スルプスカ共和国」の二つから成り立っているという複雑さ。前者がラテン文字を使い、後者がキリル文字を使っています。この地域の難しさが改めてよくわかります。さらに国名の看板。その先にボスニア側の検問所。ここで同乗のガイドがツアー客のパスポートをまとめて手続きを行っています。ツアー客だからなのか、パスポートにはスタンプは押されませんでした(ボスニアはシェンゲン協定非加盟かと)。ここがボスニアとクロアチア間の中間になる建物のようです。こちらが背後のクロアチア側の検問所と思われる建物。国境から北上、モスタルに向かう途中の車窓の景色。田舎の景色ではありますが、家はみんな結構立派です。モスタルの前にトイレタイムでポテチリという遺跡のある小さな町で停車。これはモスクっぽいですね。モスタルはイスラムとキリスト教の接点の街ですが、ここもそんな感じのようです。続く。。
2014.08.26
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欧州レポート(4)、16日(土)昼です。城壁の上を引き続き一周中。見下ろすと、家が崩壊しているところがあります。ここは遺跡なのか、20年前のユーゴ内戦のときの爆撃跡なのでしょうか。。さらにこんなところを進んでいきます。右側はロクルム島。城壁の内側は普通に人も住んでいますし、こんなコートもあるわけです。振り返ると城壁の下が狭いビーチになっています。このあたり、景色は最高ですが砂浜のビーチというのはあまり多くないです。パラセーリングな方も。海の色が独特。小さな潜水艦も見えます。山側を見てみます。写真中央の右側、赤い屋根のない白い建物がたぶん私が宿泊しているゲストハウス。先ほど行った旧港の上まで来ました。城壁の上にある最も高い位置にある要塞からの景色。この要塞から先ほどの景色を見ていたわけです。城壁一周終了。途中の喫茶店で一休みしたりしたので、1時間くらいかかりました。再び地面におりて昼食の場所を物色。路地にあるオープンなレストランでこの魚とポテトの料理をいただきました。昼食後、再び旧市街をぐるぐる回ります。旧港の近くの城壁にある海洋博物館に入ってみました。これは昔の船乗りのパスポートに相当するもの。中世ごろ、ラグーサと呼ばれていた時代のドブロブニクでしょうか。港にはこんな最新鋭のボートも。旧港を観ながらしばし一服。海賊船?クルーズもあります。このあと、一度ゲストハウスに帰って一眠り。海外でこのような俄か普通の生活をするのが至上の喜びであります。。夕方、晩飯のために再び旧市街へ。まずは大聖堂の中に入ってみました。教会のパイプオルガンって何か惹かれるところがあります。。この日の晩飯。ナスとパプリカとハムとチーズの何とかという料理。。食後にまた散策。昼間は30度以上あり日本並に暑いですが、夜になると結構過ごしやすかったです。プラチャ門の衛兵。ロープウェイ乗り場前のバス停そばの店にあった空港行きバスの時刻表。4日後のドブロブニク発フライトが朝早いので、足をどうしようかと思っていたのですが、思ったより便利なところに投宿したようです。翌日は隣国、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへの一日ツアーです。。
2014.08.25
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欧州レポート(3)、15日(土)のお昼、旧市街の城壁の中から。プロチェ門を進んで振り返ったところ。さらに進んでいきます。左に行くと旧港。突き当たって右が中心部。ルジャ広場にある聖ヴラホ教会。これがメインストリートのプラツァ通り。隙間をみると、路地と山側へ連なる長い階段。あの階段は伊香保温泉のそれとも似ています。。聖ヴラホ教会の祭壇。ちょっとリアルな感じもします。。こちらは大聖堂。旧港に出てみました。港は私の宿泊するゲストハウスの方向。真ん中に先ほどロープウェイで行ったスルジ山の頂上が見えます。オウムの群れ。正門ともいえるピレ門近くの「オノフリオの大噴水」。15世紀に造られた水道用の源泉ですが、今も現役、飲用も可能。その近くにあるフランシスコ会修道院の建物の中にあるクロアチア最古の薬局がある博物館。修道院の中庭。昔の様子。撮影禁止でしたがかつての薬屋が復元されていました。さらには現代的な本当の薬局もありました。再びオノフリオの大噴水。一旦、西側のピレ門から城壁の外に出てみました。ここからもきれいなアドリア海。ピレ門を外側から。また山の方向を見てみます。またピレ門。この写真でFacebookにチェックイン。ピレ門を背にすると、屋根の色は統一されていますがかなり近代的な街の雰囲気。城壁外の見晴らしのよいところを少し散策。カヤック体験ツアーもたくさん出ていますが、私にはムリです。遠くに豪華客船。青が濃いのは透明度が高いからなのでしょうか。今度は城壁の上に上ります。約1時間くらいかけて城壁の上を一周します。あれが一番城壁で高いところですが、反時計回りの一方通行なのであそこは最後に。先ほどの大噴水を見下ろします。プラツァ通り。西の山側。クロアチア国旗。 ピレ門と城壁外を見下ろします。ここは海が緑色に見えますね。素晴らしいっす。振り返って山側。城壁の最西南端へ登っていきます。さらに城壁一周続く。。
2014.08.24
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欧州レポートその2、8月16日(土)クロアチアのドブロブニクの朝から。朝、ゲストハウスのテラスに出てアドリア海と旧市街を観ながら一服。このゲストハウスはExpediaで予約したものですが、一泊7000円くらいと安価。かなり年配のじいさんのオーナーが一人で面倒を見ていますが、部屋はなかなかきれいで一通りの設備やアメニティも揃っていました。前の晩到着したときに中から返事がなくて一瞬宿泊なしかと思ってちょっとビビりましたが。。急斜面にへばりつくようなところにありますが、景色はナイス。こういうところは最近B&B(Bead & Breakfast)といって、安価で地元生活を味わえるので人気がありますね。ただ、ここは朝食は自己解決なので、最初の朝は坂の下のパン屋で買ったパンだけでしたが。。ゲストハウスの入口。庭にあったミカンの樹。温暖な気候なので、なんでもよく育つそうです。では、出動。長い階段を下りて城壁に囲まれた旧市街の方へ。その前にロープウェイに乗り、旧市街を見下ろすスルジ山の頂上に行くことにします。ゲストハウスからは至近で、ここは空港行きのバスの停留所もあり便利なところです。ロープウェイが発車。私の滞在するゲストハウスはちょうど写真の左上あたり。だいぶ上がってきました。頂上に到着しました。これです、アドリア海の真珠。左側には十字架が。ドブロブニクといえばこの写真の角度でしょうか。旧市街をアップ。ちなみに、ドブロブニクはローマ時代から歴史がありますが、中世はラグーサという都市国家。ベネチア共和国が栄えたころに双璧だったことも。1ヶ月ごとに総督を替えて独裁者が出ないようにして民主的に国を運営していたり、疫病を中に入れないように40日間外部からの訪問者を隔離するルールを作り、それが後の「40」という意味もあるQuarantine(検疫)の語源となったり、世界最初の薬屋を作ったり、欧州でも先進的な地域だったそうです。その後ベネチアの影響圏に入ったあと、近世・近代ではナポレオンに占領され、オーストリア・ハンガリー帝国に編入されます。第二次大戦中はナチスの傀儡国家になり、戦後はユーゴスラビアの一部に。そして20年前のユーゴ内戦ではここもセルビア軍に攻撃されました。そんな悲しい歴史があったとは思えない美しさ。青色が濃いです。頂上の背後はこんな荒涼とした景色。このロープウェイは数年前に開通したらしいですが、歩きだと私には到底来れませんので助かりました。頂上のアンテナとクロアチア国旗。では、山を下ります。再び乗り場前のバス停。今度は城壁の中へ。東側のプロチェ門から入ります。プロチェ門近くから見た旧港。かつてはここがドブロブニクの交易の中心だったわけです。ちなみにここからずっと数km西に行った方に豪華客船なども停泊できる近代的な港湾があります。かつての砲台。向こう側に見えるのはロクラム島という小島ですが、あの島があるおかげで海風が抑えられてドブロブニクの気候にも貢献しているとか。ちょうど地図の右上から城壁の中に入ったところ。さらに続く。。
2014.08.24
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さて、15日(金)から今日の早朝まで欧州方面に遠征してきました。今回の主目的は、クロアチアのドブロブニクと、それをベースに旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル、モンテネグロのコトルのそれぞれ日帰り、帰りにローマに寄り、バチカンを訪問という形で訪問済の国を5つ増やすということでした。旅程中いろいろありましたので、かなり冗長なレポートになりますが、よかったらお付き合いください。14日(木)の夜に自宅を出発、15日の未明便で羽田からまずはフランクフルトへ。機体はANAですが、私はコードシェアのLH便。現地15日の朝6時ごろフランクフルト空港到着。ここで乗継9時間くらいあるのでドイツ入国。事前に調べていたのですが、ここから電車で30分くらいのところにあるヴィースバーデン(Wiesbaden)という街は温泉で有名(「世界温泉遺産」というTV番組で情報を得ました)です。まだ早いので、空港内のIT系設備などを情報収集(フリーWiFiも各所で試してみました)。これはITと関係ないですが、リサイクル用のマシン。これはSIMの自販機。外で一服。聞いたことのない航空会社がたくさんあります。空港駅からヴィースバーデンへこの電車で。切符の自販機。欧州はこのパターンの自販機が多いですね。多言語、クレジット対応は当たり前。途中のマインツ駅。ヴィースバーデン駅に到着。駅の建物はどこも立派ですね。駅舎を背に市の中心部方向。こちらに目的地のKaiser Friedrich Thermeがあります。小雨も降ったりして気温は13度前後と寒かったです。駅構内のWiFiスポット。Thermeまでは駅から歩いて15分くらいでしょうか。途中にあった源泉。結構暖かかったです。日本にもあるような温泉成分分析書でしょうか。広場にあった旅行者向け端末。通信キャリアがやっているもので、公衆電話も兼ねているようです。こちらがKaiser Friedrich Thermeの裏側。朝10時営業開始なのでしばし周辺を散策。裏門です。こちらが表の入口。荘厳な建物で日帰り温泉という感じにみえませんね。こんな感じです。ここは由緒あるので昔のローマ時代のような男女混浴です。広場にあった源泉を処理する機械。真ん中が源泉が湧出するところ。右奥がThermeです。10時を過ぎたので入場します。中は写せませんが大きなローマ風浴槽や各種サウナが充実しています。料金が意外と安く1000円ちょっとくらい。日本の日帰り温浴施設とそれほど変わりません。1時間くらい滞在したあと、再び駅に戻ります。こちらは電車の切符。再びフランクフルト空港へ戻ります。欧州の温泉も悪くないですね。ハンガリーの温泉は欧州でも有名ですが、まだ行ったことがないので次の目的地候補にしたいと思います。フランクフルトからクロアチアのドブロブニクに到着。フライトは2時間弱くらい。途中からアドリア海の海岸線に沿って旧市街の上空からアプローチするのでとても美しい景色を空からも堪能できました。クロアチア、入国です。予定より1時間遅れて18:30に到着しましたが、まだこの明るさと暑さ。寒かったフランクフルトとは対照的です。タクシーに乗り海岸線の道路を西日の刺す方向へ。30分くらいで旧市街近くのゲストハウスに到着。景色はよいところなのですが、急斜面の結構上の方にあり、険しい階段を上がっていかないといけないのでかなり難儀しました。。これは階段の途中からの景色。7~8階くらいの高さがあったのでは。まずはようやく落ち着いたところでゲストハウスから旧市街方向の景色を一枚。翌日から本格的なドブロブニク散策が始まります。。
2014.08.23
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