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今日は映画「25時」のお話。ちょっとネタばれもあります。ストーリーは、麻薬の売人が収監されるまでの24時間を描いたもの。エドワード・ノートンって言うのは、犬を連れて口を結んで歩いているだけでクールですねぇ。音楽もいいですよ、テレンス・ブランチャード。まぁ、彼だからと言うひいき目もありますけど。監督はスパイク・リー。もうこの3人が揃っているから、DVD借りてきたようなもんです。が、しかし、麻薬の不法所持って、現行犯逮捕しないでいいの?っていう疑問が最初に浮かんだもので、それが気になって仕方が無い。ビルの上から、9.11の現場や、オサマヴィン・ラディンの映像が挿入されているが、この作品はスパイク・リーですよと言うアピールだけでしかない。自分が犯した罪のエクスキューズに、アメリカの混血民族社会を出してみたり、(ちょっとメモしておきたい、大事な台詞もあるが)アンダーワールドの恐さも出していてクールに仕上げるかと思えば、エンディング部分は父子の世界も出てくる。父の協力で、息子を司直の及ばないところに逃亡させて、ほとぼりが醒めてから恋人にも再会させると言うものだ。ここで、ソフトな人情を出してくると、流れは違うと思うんだけどなぁ。逆に際立たせるための演出だったのかなぁ。今日のヤフーニュースに、パラサイトシングルのことが報じられてます。18歳から34歳までの子供が、いったん独立して再び帰ってきて、親と同居しているのは27%。世代同居と言うのならわかるが、自立できない子供を擁護するくらいアメリカ社会は「情」の世界だったかなぁ。罪を犯して、逃走させようとする親父を、エンディングに持ってきたリー監督は、こういう社会が来ますよ、って警鐘してるんかな。まさかね、って感じですが。あなた、成人して、親父を飲みに誘ったことありますか?一緒に旅して、語りあかしたことありますか。へぇ、そう、結ぶんかって言われそうですけどね。砂漠を逃走する車を見ていて、ちょっと足を伸ばして見たくなり、海を見てきました。日本海の冬は厳しい表情でした。
2005年12月30日
「スーパーサイズ・ミー」を観ました。私には、まっどなぁぅ としか聞こえない、ピエロがキャラクターの有名なハンバーガーを、毎食1ヶ月間食べ続けるとどうなるか、と言う実験をドキュメンタリー風に描いたものです。まぁ、同じものを食べ続けると言う実験には、偏った極端なものを感じないではありませんが、あのハンバーガーや、ジャンクフードしか食べない独り者、習慣的にいつもポテトフライを与えている母親には観てほしい映画ですね。体脂肪率、コレステロールから肥満体型への変化、肝臓、腎臓、糖尿、冠動脈心臓病との関係など、健康体の実験者が変化していくさまを、3人の医師が定期的に検査していくさまが描かれています。食べる人の勝手です。という意見もありますが、現実にその店で働く人の中には、良くあんなものを平気で、膨大な宣伝広告費を使って、売り続けるなぁと言う人も少なからずあるようです。映画の中にはそういうインサイダーな場面も入れてほしかったですね。銃で自分を守る国が、健康から身を守る方法については無防備です。検査されてない肉でも、毎食、食べる習慣性から抜け出せない国ですから。さて、アレは外国の話だ。日本にはスーパーサイズは取り扱っておりませんと言う意見はあるかもしれない。でも、成分表は公表できるのでしょうかと、日本のカスタマーサービスの担当に聞いてみるシーンも欲しかったなぁ。ぜひ、観てください。今日食べるものが明日の身体を作るわけですから。ついでに、2001年ごろ、「ファストフードが世界を食いつくす」(草思社)には、環境、健康、産業構造への影響にまで言及し、評判になって販売されていました。もう一つ、もう今更と言うわけではないのですが、毎日タバコをくわえると・・と言う映画を見ないわけには行かなくなってきましたね。ありますかね、そんな映画。過去にこんな日記を書いてました。いえいえ、決してハンバーガーショップにうらみは無いのですが・・
2005年12月30日
「時生」読了。なるほどねぇ、東野圭吾もストーリーテリングはうまくなったなぁ。交錯する時間枠の中で、明かされていくある家族の秘密。TVでやるとすれば、少し紅涙を絞る仕立てでやるのかな。まぁ、結構面白かったので、興味ある方は、立読みからやってみて下さい。因みに彼の作品「白夜行」は、来春からTBS系で連続ドラマとして登場するようです。人気者なんだなぁ。さて、冬休みが4日間残っているので、今日はDVDをレンタルしてきました。4本、1000円、期間1週間の企画を使わせていただくために旧作に絞ります。タイトルは、「ノー・グッド・シングス」サミュエルとミラジョボですな。「25時」エドワード・ノートン、彼のキレ役が好きなんですけど、これはどうでしょう。「スーパーサイズ・ミー」某ハンバーガーを食べ続けるとどうなるのか、というやつです。「目撃」イーストウッド、ハックマン、エド・ハリス、豪華メンバーですけど・・あまり、予備知識なし、ジャケ買いならぬ、パケ借りで選んでみました。それでは、年末特番は無視して、今からDVD三昧で行きますか。せっかくいただいた、5.1チャンネルが、ようやくフル活用です。その前に、今から晩飯準備だぁ。今日は臨時出勤だったから。とほほ。
2005年12月28日
娘が好きな作家、東野圭吾の本を取り出してみた。タイトルは「時生(トキオ)」。この作家の「白夜行」を読んだときは、よく出来てるなぁ、と思いながら、宮部みゆきと比較してあまり感心しなかった。今回「時生」については、ちょっとSFかいなと思いながら、読み出したが、関西のある女が出てくるところから、文章に冴えが出てくる。こういうところで、大阪の女は突っ込みいれてくるねん、そや、そやという場面が出てくる。ストーリーの流れは、キャラクターの心理と言動が一致してないと、集中できない。変な関西弁の刑事が、犯人を追い詰めるTVドラマには作り物のにおいが抜けないように。これは全国何処でもそうでしょう。下手な地元言葉で演じられると、筋書は飛んでしまって、リズムも、しまりも無くなってしまう。昔、笠智衆さんて俳優さんが居ましたよね。日本映画の名作をたくさん残した人です。あの人の役は、ほとんど東京の父なのに、棒読みでなまりがありましたねぇ。見る側は、あの独特のなまりを、いちいち東京なまりに翻訳して、一生懸命、プロットに緩みがで無いように努力しながら見てしまう。私だけかもしれないけれど。元に戻って、「時生」ですが、ネタばれしたくないので、ストーリーには触れないけど、冒頭、少し設定に無理があるような気もするが、結構、本読み上手な娘が(親バカか)東野さんもこういう本書くねんなぁ、と言っていたので、最後まで楽しみに読みましょう。さてビデオ録画と、思ってBSをつけるとヤイコの平安神宮コンサートをやっていました。曲間に流れるインタビューで知ったのですが、彼女は関西人なんですね。私の関西弁は、何か違うんです。京都のはんなりでもなければ、大阪の、どつきでも無い。ヤイコは、わりと聞きやすい、耳に優しい関西弁でした。ちょうど、今夜TVで「全国なまり東西合戦」と言うがあります。楽しみですね。人気アイドルのなまり、イメージぶっ壊し番組でしょう。♪配達帰りの自転車を止めて~、聞いてぇるぅ国なぁまぁり~ ♪
2005年12月27日
え~、お騒がせしました。何とか風邪は治まりました。20時間ほど、うつら、うつらを繰り返して、ふらつく身体を無理やり起こして、雑炊を作って、洗濯、掃除と動き回るのが、いつも風邪から回復する方法なんです。夢の合間に、M1GPで千鳥がおかしくもないネタで、馬鹿やってるなぁと、いつもなら笑えるネタが、高熱のせいで笑えない。起きてTV消したり、汗拭いたり、下着を替えて、毛布を取替え、こまめな病人になれたら、回復の兆し。ストナいらず。ふ~、無事生還しました。お見舞い有難うございました。雪は、今も静かに降り続けています。今夜は「筆まめ君」を起動して年賀状を準備しています。毎年、手書きで送っていましたが、今年は眠っているソフトを立ち上げて手抜き。もう既に年賀を交わすだけが、お互いの近況を伝えるだけになってしまった人に、今年は手抜きで、あくる年のご挨拶。転居届けを出さなかった人は、いきなり兵庫県の表示で驚くだろうなぁ。大掃除と、ちょっとしたお正月料理、少なくなった挨拶状。独り者にちょうどの正月準備ですなぁ。今夜から4夜、VPOのジルヴェスター・コンサート。早く風邪を治して良かったなぁ。
2005年12月26日
風邪なんて病気じゃない。風邪は引かない男だったのに。明日からの休みを待っていたように。最後の利用者さんを届けた途端、悪寒、骨のきしみ、少し嘔吐感が続いている。今夜は今から寝よう。仙ちゃんの、1に睡眠、2にス○ナだな。今の気分はこんなん。
2005年12月24日
雪国の人には珍しくないのですが、またまた雪の話題です。報道される積雪量なんてのは、平地で測ったものですね。山に囲まれた今日の三原地区の積雪は写真の通りです。私、短足でして身長は170センチですが、後ろの雪の断面、凄いですねぇ。京都市南部で長かった私には、毎日が驚き。利用者さんから、屋根がミシミシと悲鳴を上げてるなぁ、という呟きが聞こえてきました。う~、もうすぐ長い予定のない休みが来るので、手伝いましょうかって言いそうだ。今夜は水分の多い雪が降っています。この上に雨を含むとプールかお風呂を屋根に乗せたようになる。ふ~ん、どうすっかなぁ。帰り道、江原駅を通りかかると、イベントの準備が進んでいました。明日はクリスマスイブ。今年のイブは達郎の世界になりそうだなぁ。皆さん、楽しいイブをお過ごしください。
2005年12月23日
今日は全国的に降雪のニュースが流れています。但馬北部30~90センチとか。各地で積雪量は大きく変わります。仕事柄、行動範囲が広いため、除雪グッズは各車に積んだまま出かけます。利用者さんの軒下にたどり着くまで、裏道などで必要になることも多いためです。今朝は強風と、猛烈な吹雪のため、通常1時間で往復できるところを、2.5時間もかかりました。空は重く垂れ下がり、白1色の道路はわずかなわだちの跡と、ナビを詳細にして手探りのような状態で走行する場面もありました。灰色の世界ですが、たまに自然は粋な計らいを見せてハッとするような景色を見せてくれることがあります。これまで、日記で使われなかった写真たちの中から2葉をアップしておきます。この写真は、豊岡市内江本周辺からみた、ある日の夜明けです。利用者さんを待つ間に1枚。吹雪がやんで、青い空が広がりだした頃の城崎あたり。左には円山川が、ゆったり流れています。霧や雪の多いこの地方は自然に逆らわず、愛でるように付き合うと、思わぬ安らぎを与えてくれることもあるようです。
2005年12月22日
叔母が逝って1週間が過ぎた。私は無宗教で、特に決まったお祈りはしない。ただ、母が生前、信じた宗教があるので、母の霊前でお題目を唱え、「姉ちゃん(叔母)が行ったよ、姉妹揃ったね。」と話しかけたり、鎮魂歌を選んでかけたりして過ごした。若い頃、同志社に学んだ。近年は腰振りHGだとか、宇治の殺人事件で注目され、伝統ある校風は汚されつつある。嘆かわしい時代だ。週に1度、チャペルの時間があった。聖書朗読、宗教哲学の解釈とお祈りの時間だ。友人が聖歌隊に所属していたので、私も一緒に合唱に参加したり、聖書を開いたりし、「生きること」について徹夜で議論を戦わし、深く考えた時代がある。春には、校祖新島襄の墓参に毎年参加した。墓参の後、自分のお気に入りの先生の後をついて、京大前の進々堂で珈琲をいただくのが楽しみだった。生徒を引き連れて、一緒に過ごしてくれる先生も多く、開かれた校風だった。少し後に、東大安田講堂でピークを迎える学生運動が起こる。あの頃はいつも敬虔で純粋な自分の姿があった。今日の傍若無人の生き方からは想像すべくもない。同志社は、校祖新島襄がアメリカ東部に学び、帰国してキリスト教精神に根ざした学校を作った。日本には上智大学、立教大学、明治学院大学、青山学院、ラ・サール高校など、世界のクリスチャンが金を出してくれて誕生した学校がある。日本人は、私のように感謝を忘れたものが多いらしく、教会で頭を垂れる信者は戦国時代のほうが多いともいわれる。私も召されて、救われる人ではないのかもしれないが、日本では親鸞が、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(善人でさえ救われるのだから、悪人が救われないはずはない)と言っている。 今日の日記は一部、司馬遼太郎さんの講演を参考にしました。
2005年12月21日
京都市内、○寺の近くの街角にある家族がいた。母と長男、長女、次女の4人家族。一家は貧しかったが、母は幼い子供たちを厳しく育て、長男を柱につつましく暮らしていた。長女が20歳の年。大八車に家財道具を積んで、長男は京都から逢津(大津)の坂を超え、そこから北に30Kの、滋賀のある村で長女に、「元気で暮らせ」と言葉を残し、京都に帰った。残された家の、家長である老人に「今夜から○平と寝食を共にするのだ」と告げられ、長女は、自分が貧しさゆえの養子縁組ではなく、嫁いで来たことを知る。夫は誠実な顔見知りの人であった。小さな下請け会社を運営し、少ないながらも農地をもっていた。彼女は4人の子供を得て、ここでもつつましく暮らした。大家族と、村の因習に苦しめられ、長男の嫁として悩みはあったものの、結婚後20年、夫が胃癌であっけなく逝き、子供たちもそれぞれ独立して、長女は兄の近くに引越した。半ば好んで、半ばは少し周りへの意地もあって独居は20年近くに及んだ。その後、年老いてわが子(次男)のもとに身を寄せたが、10年の認知症の果て、弱った身体に腸閉塞を併発し、生涯を閉じた。次女は、利発で、兄や姉思いの心優しく美しい娘であった。平凡な少女時代を過ごしたが、勧める人があって、中堅の会社に勤務する青年と結婚した。夫は気の小さい、消極的な人であったが、彼女の持ち前の優しさが、これを補った。世間の移り変わりや、世相の浮沈にも明るく、どう覚えたのか、小さな投資で小銭を稼いでは家計を助けたりする才もあった。1男1女を設けたが、息子は父に似たかどうか実直で、大きくは望まぬが堅実に生きた。娘はある日、長く交際した人と別れ、突然見知らぬ青年を両親に紹介した。両親の反対を押し切り、娘は嫁いだ。しばらくして娘の夫は会社を辞め独立した。設立したその会社は、ゲームソフトで有名な「○長の野望」という商品で有名な会社に成長した。1男1女が独立した後、次女は年を経て、少し頑固になった夫と対立する日々が多くなることを悩んでいた。ある日、彼女はいつものように買い物に出て、自転車で帰宅途中、交通事故に遭遇してしまった。一旦停止を怠った運転手に撥ねられ、頚椎を故障し、首から下は、全く自分の意思で動かせない身体になってしまった。数年のリハビリ入院生活も、回復の兆しは現れない。次女の娘は老父による介助負担を減らすために、東京立川に母を引き取り、ともに暮らした。子供の頃のように母がそばにいる幸せを少しは思ったかもしれない。その母(次女)は、2日前から罹った風邪をこじらせ、12月14日彼岸に旅立った。長女は、私の母、次女は私の叔母に当たる。長男である叔父は、最近、パソコンに触れると、肩こりから頭痛がする。少し血圧も不安定になってきていると、私の兄からおじの近況を近況を聞いたばかりだ。母にも姉妹にも先立たれ、叔父はいま、幼き日を遡り、家族と対話しているかもしれない。我が家族は、この叔父家族には随分な迷惑をかけ、お世話になった。残る日々が、平安な日々であることを祈らずにいられない人の営みは小さくて、それぞれが、愛しいくらいに尊い。
2005年12月15日
目覚めて、すぐに表に飛び出した。自宅と営業所の雪かきや、暖機運転に時間をとられる上に、なにしろ雪上走行は初めてなので、所要時間もいつもより大幅に計算に入れて置かなくてはならない。午前6時半の車内からの眺めはこんな感じ。途中、城崎までの道のりで、2台の車が溝で立ち往生している。後続車両があるので、レスキューは出来ない。それどころか、前のトラックがフラフラと危ない状況で走っている。その後の走行は、わだちに引っ張られるのでこちらもフラフラ。家を出るときは積雪20センチくらい、城崎に着いたら50センチくらいかな。なんとか無事に皆さんを病院に送り届ける。午後近くになって、ようやく青空が見え出した。昼休みに自宅に帰って母の霊前に、安全に帰りました、とお礼を告げました(^^;
2005年12月13日
今日はめずらしく青空が広がった。今夜からまた冷え込むというので、予備車のタイヤ交換をする。その後、雪の状態を見に神鍋山に行く。10分ほどの走行なのに、山は下界とは別世界、写真の通り。ウイークエンドのスキー客を待つばかり。帰り道、昼飯にしようと思っていたラーメン店が休んでいる。通りかかった「ふる里」というお蕎麦屋さんで「おそばセット」をいただいた。ふらりと、立ち寄った店だったが、大もうけ。手打ちのおそばがとても美味しい。薄味の大根の煮物、手作りのお漬物、てんぷら、ご飯とあわせて1200円。蕎麦は出石が近くて有名だが、未だ納得した味に出くわさない。ここは、「冬だけの観光地」で見つけた、美味しいお店でした。日が落ちて、急に冷え込み雪がちらついてきた。利用者さんをお送りする途中、吹雪の中の走行になってしまった。明日の朝の様子を想像したくないなぁ。国外脱出計画、第1障害クリア。後、難問が2題。今日はちょっと疲れたなぁ。
2005年12月12日
盆正月に休みは無いものと、あきらめていたが、長期休暇が飛び込んできたので、慌てて国外脱出計画を立ててみる。先ずはエアの確保。HISを開いてみると、う~ん、KIX・上海往復28000円。やった~。コレは行けそうかな。但馬・伊丹間は豊岡市民優待で21000円が9000円になる。合計エア37000円プラス関空への電車料金。次に、先方の都合を聞いてみる。「よぼせよ~、daimajinいんみだ。コブラけしむにか。」上海に、ひらがなハングルで国際電話。ふふふ、まぁ何とか受け入れてくれそうだなぁ。食う、寝る、遊ぶは確保できた。(笑)へへへ、コブラさん、冗談ですよ。いやいやご馳走はいりません。暖かいベッドで眠れて、味噌汁とお漬物に焼き魚・・は、ないか。ということで、2年ぶりに不良オヤジ、脱出計画進行中。でも、3つばかり障害があって、クリアできるかな。何とか無理のない形でやってみよう。コブラさん、待っててください。
2005年12月09日
朝の送迎中、いつも通りかかる円山川からは水蒸気が立ち上っていた。路肩は少し凍結気味。城崎近くの橋上で、たった今起きたばかりの正面衝突に遭遇。お互いの運転手は無事のようであるが車は無残な損壊状況になっている。先日も出石周辺の国道で同じ状況に遭遇、道路を塞いで、幾人かが、車に閉じ込められた人を見守っている。聞けば救急車への連絡もまだとかで、後続車に手伝っていただいて、レスキューをしたばかり。みなさんも冬の路面に、気をつけてください。今日は明石の本社に行ったついでに、尼崎病院へ甥の見舞いに出かけた。数日前に心臓の手術を終えて、ベッドで、たたずむ彼はガンバのサポータースタイルではないか。 おい、少年。お前この前まで巨人ファンやったやないか。今年は、無残な成績に終わったんで、野球を忘れたくてサッカーにしたんかいな。前のように、おっちゃんにタイガースの悪口言う元気も無くしたな。と、からかおうかと思いましたが、まぁ元気な顔をみて、今日は憎まれ口を引っ込めました。小学五年生の彼は、私の孫と2歳(?)ちがいかな。いつも私をジジイ扱いで、にらみ合うくそガキが、今日は照れくさそうに彼の父である私の兄と、私と3人で食事をしておりました。可愛いもんじゃないか、そうしていれば。まぁいいや、今日は休戦状態で行こうか。姪や義姉には会えなかったものの、久しぶりに兄たちと時間を過ごしてきました。
2005年12月08日
以前、日記に書いた「紺屋」さんというJazz Café に良く行きます。珈琲をいただきながら、読書にも飽きて所在無げな私に、マスターは、いい呼吸で声をかけてくれます。さりげなくお客様を優しい目で観察しておられるんですね。そのマスターから聞いたお話。お店の前に、豊岡市民会館というのがあります。紺屋さんは都会の雰囲気と大人の雰囲気のあるお店ですから、音楽イベントの出演者がよく立ち寄られ、皆さん、お店を気に入っていただいて、トイレの横にサインなどを下さるそうです。その、トイレの横に「涙そうそう」なんてのが読め、りみちゃんらしきサインもあります。たくさん来ていただきますけど、残念ながらJazz ミュージシャンのご来店はいまだにありませんと、マスターのお話は苦笑まじりです。それだけではなく、「未だに針乗せて、古臭いことしてますねぇ」なんてお客様とか、「ちょっと、大事な話してるので音楽消してください」だの、「やかましい音楽やねぇ、なんか他のに変えて」とか、どうやら、ご来店は有難いけど、もうJazzを売り物にするお店は古いそうです。京都でも、古くからJazzを売り物にしていた店は、年々少なくなりつつあります。名曲喫茶なんて呼ばれたお店は、いまや古めかしさだけを売り物に変えつつありますし、世界中で催されるJazz祭もブルース、ヒップホップ、レゲェ、ワールドと出しものはジャンルを問いません。12月になると、あの「歓喜の歌」が日本中で演られますが、今年は出来ればオールナイトで、ジャムセッションしてくれる店を探してゆっくり過ごしたいなぁ。どなたか、面白い情報をお持ちでしたらご一報ください。ぼんやり、こんなことを考えていたら、25日から1月1日まで休暇を取ってくださいと言う声が、突然かかりました。お~っ、どうしようかなぁ。まず、パスポート更新手続き間に合うかなぁなんて、予定変更かぁ。
2005年12月07日
目覚めてみれば予測どおり、表は銀世界、初雪の豊岡です。ほんの30分ばかり太陽が顔を出した出石方面。30分後にはこの通り。利用者さんを迎えに行った竹野町。この先5Kはわだちの後はあれど、路面は見えず。病院からご自宅にお送りする夕方には、どんな風なのか・・。雪上ドライブ、初めてなんだよ俺は。明日から日記更新がなければ・・捜索隊を・・・。でも今、日記書いてるか。明日は、雨でも曇りでも不満は言いません。6時起床時に凍結、積雪、ごかんべん。とほほ。
2005年12月05日
今日も一日遅れの日記です。日曜日、目覚めて京都から滋賀に入りました。朝6時過ぎの滋賀は、雲の形はないけど、真っ白なミルク色。大津港から、湖べりをプリンスホテルに沿って湖岸道路(さざなみ街道)を北上。琵琶湖は少し渇水気味で、残念ながら、浜辺は泣き顔でした。でもお気に入りのドライブコースです。近江八幡で娘をピックアップして、安土の両親の墓参をしてきました。その後、京都に行く娘と寄り道で近江八幡を散策。ここは、豊臣秀次の作った街。白壁や土塀の建物がいくつか残っていて、長いお堀の散策が楽しい町です。ちょっとお気に入りの店を訪ねました。蔵元西勝酒造さんのプロデュースされた「酒遊館」。写真に見るように、やはり蔵作りの建物の中にはイベントスペースとお酒と食事の出来るスペースがありました。時々、ジャズライブなんかをしてくれる粋なお店なのです。周辺はおみやげ物だけに限らず、凝ったお店が多いので楽しめると思います。美味しいお茶をいただいた後、月曜日から豊岡では、積雪が予報されているので、今回も急いで帰ってきました。
2005年12月05日
土曜日の午後から京都・滋賀に行って来ました。相変わらず氷雨の降る但馬から、抜け出して京都府に差し掛かると雲間から青い空と太陽の光。優しい冬の陽を浴びました。京都について野暮用を2,3片付けて、たそがれ時の御所の近く、「メープルツリー」さんに行って来ました。 ここは、ベルギーチョコのショップと神戸に本社がある靴屋さん、ブティック、それからメープルツリーというカフェが、可愛い小川をはさんで寄り添っている楽しい隠れ家。御所の東裏、人通りの少ないところにあります。情報誌にはあまり載らないようなのでチェック。その後「ぷよぷよ」さんと合流して、河原町の「日知庵」(にっちあん)さんに。暖かく、ふれあいを大切にされるマスターは、京都業界では有名人。昔の上司で、いつも厳しくご指導いただいたにもかかわらず、私めは、今日の不良中年ぶりであります。「ぷよぷよ」さん、ちょっと見は祇園高級クラブのママさん。実は上京区のある会社の令嬢であります。この方にも昔、仕事の上で、お菓子作りのアドバイスをいただきました。久しぶりに訪れた「日知庵」には、なんと旧知のW辺さんに、N谷さんがカウンター席を暖めておいでです。もともとお二方は異業種でご活躍にもかかわらず、このお店に入ると、皆さん不思議とお客様同士でコミュニティが出来てしまうのです。お客様は大学教授から、あの芸人さん、この騎手さん、有名女優の○△さんとにぎやかな顔ぶれ、これも主人の辻○さんのお人柄で築いた人脈。全国の酒蔵にも、魅力的な語り口でお声をかけて、特別ひいきにしていただいて、わざわざ上京、挨拶に訪れる方が多いそうです。和洋世界の酒を知悉したソムリエ辻○さんの、専門家も頭を垂れてしまう講釈を受けながら、美味しいお酒をいただいてください。W辺さん、N谷さん、辻○さん、懐かしい、楽しい時間を有難うございました。また、「日知庵」でお会いしましょう。その後、少し遠回りをして京都駅ビルのツリーを見に寄った後、令嬢「ぷよぷよ」さんをお宅にお送りして、東山を通りかかりました。紅葉のライトアップには間に合わず、仕方なく青蓮院の前で1枚パチリ。今日、日曜日は小雨の湖国、滋賀に行って来ました。続きは、また明日。
2005年12月04日
小用で豊岡市役所周辺に出かけたら、駅前大開通りで、駐停車禁止取締りをやっている。制服姿が多いので何かと思えば、今日はパレードがあるという。少し待つと、白バイとパトカーに先導されオープンカーがやってきた。たすき姿のイケめんは、なんと阪神タイガースの能見投手ではないか。今日は、地元豊岡警察署の1日署長とかで、リーグ優勝後の凱旋パレードでした。本物はやっぱ、ええ男やなぁ。来年も頑張りぃや、と声をかけると、照れくさそうに頭をチョコンと下げてくれました。
2005年12月01日
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