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私が東京に出て来たばかりのころ、よく通ったラーメン屋さんがありました。幹線道路の直ぐ脇にあり、6~7人は入るともう、ぎゅうぎゅうになってしまう程、狭い小さなお店でした。70半ばくらいのおばあちゃんが一人でやっていたのですが、夕方は何時も人がいっぱいでした。皆お行儀よくさっと食べて、さっとお皿をどかして、さっと帰る、気持ちの良いお店でした。お店のメニューは普通のラーメン、チャーシュー麺、あんかけのカリカリの焼そば、の3品だけでしたが、本当に美味しかったです。優しい、あきの来ない味でした。麺をゆでる前に必ず、「硬めにするかい?軟らかめにするかい?」と聞いてくれました。味と同じ様に、優しい何度でも聞きたくなるような声でした。お店の奥で番台に座る様に正座をしてラーメンを作っていたのですが、それがまたお行儀が良い感じで可愛らしかったです。正座をして一枚一枚だいじそうに自分で茹でたチャーシューを切っていました。もともとは、旦那さんと二人でやっていたお店だったそうですが、私がそこへ通う2年ほど前に亡くなってしまわれたとの事。「おじいさんがいたころは、もっと色々な物を作っていたんだけどねえ、ごめんねぇ」と、いつも謝りながらチリチリ麺のラーメンを出してくれていました。孫と同じくらいだと言って、私と話をするのを楽しみにしてくれていました。対外の人が食べ終わるとさっと帰るお店でしたので私もそうしていたのですが、私が食べ終わりそうになると、麺をちょっと足し.....チャーシューをひらっと入れ.....。田舎から出て来たばかりで、度々ホームシックになっていた私にはありがたい場所でした。その後、おばあちゃんも、体調を崩し、お店を休み、やがて、お店を閉め、何年か前に亡くなったと、近所のケーキ屋さんに聞きました。東京に慣れてからは余りお店に行かなくなっていたので、不義理をした様な思いが残っています。食事を出す時は、一言添えながらと思う私の、こだわりの思い出です。
2004.06.23
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印象深い食べ物の記憶は皆さんどなたも持っていると思います。 凄く美味しかったとか、凄くまずかった、という位のものではなく、情景や匂いや音などもセットになっている様な。ふとした瞬間に思い出す様な。 たとえば、家族で良くいった遊園地で必ず食べたソフトクリームであるとか、お風呂上がりに必ず飲んでいたラッシーであるとか。 私の育った家は、田舎な上に母が働いていたので食事を祖母がしきっていました。ですから、思い出の食べ物が、私の世代の人よりもう一世代上の人とだぶってしまうかもしれません。 小学校から帰ると、おやつとして用意してあるのは、朝炊いた御飯の残りを自家製の漬け物でにぎったおむすびであるとか、その日畑から掘って来たジャガ芋やサツマ芋をふかしたもの。トウモロコシであったり、きゅうりにお味噌が塗ってある事もありました。お腹が好いているので弟と取り合う様に、いえ、取り合って食べたのですが子供心に「お店でポテトチップス買って来たいなあ...」と思ったり。ちゃんと口に出して要求もしていましたが、「家にあるのにもったいない!」祖母は厳しい人でしたので、「そうか、そうか、じゃあ、これで買っておいで」などといって100円玉を持たせてくれる様な人ではありませんでした。文句をいながらも美味しく素朴なおやつを頂いた後に、良く祖父が「隠しおやつ」をこっそりくれました。 胃の悪いかった祖父は、甘い物をお医者様から控える様に言われていました。 相撲を見ながらこっそり戸だなに隠してある落雁であるとか、ビスケットに色の付いた砂糖がぬってある駄菓子であるとか、ゼリービーンズを食べるのが祖父の楽しみでした。それを、こっそり手ににぎって「菓子いるか?」といいなが私にくれるのです。隠しおやつなので沢山は貰えません。だいじにだいじに、ちびちびと食べた覚えがあります。 両親や祖父母は文房具であるとか、本やスキーや自転車などのスポーツ用品は子供の私には、不相応ではないかと思うほどの物を与えてくれていました。 何が良いとか、どんな風にするのが良いとか、それは人それぞれですし、時代の背景もありますし、私には難しい事は分りません。 ただ思うのは、私は幸せだったんだなあ、ということ。冷蔵庫の中の実家から送られてくる梅干しを見る度、スーパーで駄菓子を見る度、子供の頃の「夕方の風景」が頭に浮かびます。みんなが笑顔の。
2004.06.17
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週末に越後湯沢へ家族で出かけたときに、簡単なトレッキングコースがあったのでお散歩をしてきました。子供の頃遊んだ「笹笛」を作ってあげると、自分でも作って意外と楽しそうに。ブーンブーンと虫が鳴く様な音がするのですが、主人は蜂が寄って来るんじゃないかとハラハラしていました。沢山、ヨモギが生えていたので柔らかそうな物を少しだけ摘んで帰ってきました。実家ではよくヨモギを入れたお団子を作ります。作り方は簡単。お湯を沸かし、そこにジュウソウを人さじ入れ、お浸しを作る様にヨモギを湯がきます。奇麗な色に湯がけたら、水にさらして半日くらいおきます。葉の部分だけを良くしぼり、小さく刻んだら、あとは白玉団子を作る時に良く混ぜれば出来上がり。今日のおやつに、お醤油の甘タレをかけた串団子にしたててあげました。娘は、あんこの方が好きなのですが、雨で買いに行くのがめんどくさくなり、家にある物で間に合わせ。私は、手が大きいので。ころころ大きなお団子になりました。
2004.06.07
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このプログの模様替えを考えたのは、二つの理由がありました。一つは、もう一つのHPと内容が重複していたせいで、長い事放置していたため。もう一つは、この間の六年生の女の子のプログがきっかけになった事件。そういえば昔、小学生向けの雑誌には「文通コーナー」なる物が必ず合って、今なら考えられない事ですが、文通相手が欲しい子の住所と名前が掲載されていました。誰かと知り合いたい、話しをしたいと言う欲求はいつの時代もある物なのでしょうね。友達同士のプログは、それとは又違った物で、どちらかといえば交換日記の様な物かもしれませんが。....詳しい事も、ニュースでしか知らないので、あれこれ言うのは控えますが、思春期は自分もした事があるので、なんとなく複雑な抑えがきかない感情が産まれ易い年頃なのは感じます。食べ物の話しに戻りますと、こういった事があると、食の面で、カルシウムが足りないだとか、貝類がどうとか、添加物がどうとか、そういうお話しになります。確かにそうなのかもしれません。栄養学の進歩は本当に凄いと思います。ただ、私は本能で動いている人間なので、感じるままに。ギラギラに光ってる、着色料たっぷりのジェリービーンズでも、転んで泣いている子供は笑う事が出来ます。長い事避けて来た「ドライイースト」で、たった2時間で作った丸が3つ付いただけのねずみのパンで娘はとろける様に喜んでくれました。パンなんて、いつでも作れたはずなのに、天然酵母がどうだとかにこだわると、1週間前から準備して....となかなか、気のとうくなる作業にこだわったせいで、あらあら、家のパンは誕生日ケーキ並になっていました。先日、何人かのお子さんとパンを作る機会を頂けて、子供相手なので、仕方なくドライイーストに手を付けたのですが、出来上がったパンと、その場しのぎで作ったスープを、「こんな美味しいの始めて!」と食べてくれた子供たち。本当にたのしそうで、たのしそうで、どうか、このまま大きくなって、と、心の中で祈っていました。こんなに元気なら、添加物なんて、消化してトイレに流せそうだわ!と。取り合う様に食べたパンは、娘にとってプレミア物だったらしく、今日は「お母さんが私だけの為に作ってくれたパン」になりました。夕飯のメーニューに、私の作ったミルクパンが仲間入り。簡単なパンなので、お子さんと作ってみてはいかがでしょうか?
2004.06.06
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