全31件 (31件中 1-31件目)
1

かなりピントの甘い写真になってしまったのだが、北の庭で小さな小さな花を見つけた。米粒よりもずっと小さい花がたくさん集まって咲いている。よく道端で見る「タネツケバナ」にそっくりだ。これ、ミツバの花なのである。以前、野生化して巨大化したミツバの画像を載せたのだが、あの後、放っておいたら茎がニョキニョキと伸びて花が咲き始めた。種が落ちる前に刈り取ってしまわないと、北の狭い庭はミツバとどくだみのパラダイスと化してしまいそうだ。デジカメで花を狙っていると、そのミツバの茎のてっぺん近くに、蚊くらいの大きさの虫が動くのが写りこんだ。蚊にしてはぷ~んと飛んでいく様子がないので無理してピントをあわせてみると…カマキリの赤ちゃんだった。体長1センチたらず。まだ生まれてさほど日にちはたっていない様子だが、それでも…威嚇のファイティングポーズはなかなか立派なものだ。シルエットしか写せなかったのが残念。
2006年06月30日
今朝はタオル類やシーツ、カバーなどの洗濯物がたくさんあって、朝早くから洗濯機を回そうと思っていた。お天気の良いのがたぶん今日あたりまでとの予報だったので、雨が続く前にできるだけたくさん洗っておきたかったのだ。5時過ぎに起きて、眠い目をこすりながらタオルを洗濯機にどんどん放り込む。そういえば柔軟材が空になっていたんだった。詰め替えのパッケージを開け、ボトルに詰め替える。寝ぼけたままの作業だったので、手元が狂い、柔軟材がボトルから少し溢れて左手にこぼれてしまった。さっと水で流したがヌルヌルする。でもまあいいや、あとでちゃんと手を洗おう…。なにしろ眠いので手際が悪いことこの上ない。洗剤よりも先に柔軟材を投入口に流し込み、ボトルキャップを閉め、洗濯機の上の棚に右手で戻しながら、隣においてある洗剤の箱を左手でおろそうとしたその時、柔軟材のついたままの手であることに気付いた…が、遅かった。洗剤は買ったばかりで重かった。ヌルヌルの左手では支えきれなかったのだ。空中でふたがパカッと開くのがスローモーションで見えた気がした。一瞬あと、洗濯機の中にできたタオルの小山の上に、洗剤の箱はさかさまに着地した。ザザーーッと音がした。いや、それは私が脳内で勝手につけた効果音だったかもしれない。それとも私の血の気が引く音だったかも。あー、またやってしまった。実は初めてではない。前にやった時も、たしか買ったばっかりの洗剤約1.5キロ、ほとんど全部入っちゃったんだったな…。あの時は、この後どうしたんだっけ…。とにかく、今、うちの洗濯機の中は大変なことになっている。もう、晴れがいつまでだろうが、タオルが足りなくなろうが、どうでもいいや。とりあえず、冷蔵庫に入っているグレープフルーツゼリーでも食べて、それからどうするか考えよう。
2006年06月29日

だいぶ大きくなってきたブルーベリー。今年はかなり鈴なりになっているので、ジャムもたくさん作れそうだ。今年の春は異常気象で、生育が激しく悪いものが多いのだが、ブルーベリーには過ごしやすかったのか、いつもの年よりも大きな実をたくさんつけている。気をつけてよく観察していないと、何が悪くて、なにが幸いするかわからん。目はかけてやらないといけないが、手をかけすぎると、ちょっとした気候の変化でダメージを受けてしまったりする。そして、なにより、その地の環境にあったものでないと、うまく育たない。人間の子育てと同じだなあといつも思う。かわいい柿の実のあかちゃん。この木は背丈も私より低くて小さな木なのだが、たくさんのおいしい実をつける。固い柿で作った柿ナマスが大好きだ。早く食べたい。殿がこっそり植えていた木なので、何の木か分からなかったのだが、たぶんヒペリカムの仲間らしい。私はあまり詳しくないのだが、ビヨウヤナギと呼ばれるものの一種らしい。長いしべが、きれいに整えたべっぴんさんのまつげのようで美しい。
2006年06月28日

雨があがったらラベンダーが咲いていた。今年は昨年よりも株が大きく育っているので、かなりたくさんの花穂が上がっている。ラベンダーバンドルを作る予定。ペニーロイヤルも咲き始めている。ほふく性の植物なので、庭じゅうに広がっているが、花の時期になると茎が立ち上がってきて花穂が育ってくる。段々のリング状に小さな花が咲く姿が面白い。もう少しするとあたり一面、薄紫のカーペットのようになる。イタリアンに使うオレガノの花である。少し地味だが、ドライフラワーにすると素朴な感じが出て良いので、リースの材料にする。大抵のハーブは生のもののほうが良い香りがするのだが、オレガノはドライのほうが青臭さが消えて良いと思う。
2006年06月27日
昨日、日帰りであわただしく出かけた父の見舞いの疲れが、今日になってどっと襲ってきた。なにしろ、朝8時に家を出て、近鉄特急とJR環状線と京都線を乗り継ぎ、実家の最寄り駅から病院まで30分ほど、雨の中を歩き、数時間のうちにまた同じ道のりを戻ってきて6時すぎには家に着いたのだ。今までも日帰りで行き来はしているが、こんなにあわただしいのは初めてだ。昨日、戻ってきた時には、一人で残しておいた太郎がどんな風に一日過ごしていたのか気になっていたし、放ったらかしにして行った家の中の片付けもしなければならなかったので、疲れを感じている暇はなかったのだが、一晩眠って今朝になったら、足はだるいし、腰は痛いし(近鉄特急の冷房がきき過ぎで寒かったせいだ)、頭はぼんやりするし、なによりも眠った気がしないほど、まだ眠たかった。なんとかやっとの思いでゴミを出し、殿と子供達を送り出して一息ついたら、座ったまま眠り込んでしまった。気がついたら10時半を過ぎていて、それでもまだ体はだるく、もっと眠りたかった。歳だなあと、我ながら思う。こんなにも疲れが抜けないなんて。昨日見舞った父を「まだそんな歳じゃないのに、かわいそうだ。」と思ったが、それは自分の中のイメージであって、実際には父も私も、年月を経ただけちゃあんと歳をとっていたのだ。今日はもうお風呂に入って、早々と寝ることにする。幸い、殿は友人とお寿司を食べに行くというので、私と子供達でカレー祭りの最終日を楽しんで、片付けも早く終わりそうだ。いっぱい寝て、明日は元気に過ごしたいものだ。
2006年06月26日
実家の父が先週入院した。殿は仕事が忙しく、休日も出勤することが決まっていたので、家には試験前の息子だけを残して、花子と私は日帰りで大阪に見舞いに行ってきた。もう10年近く前になるが、私が里帰り中、真夜中に父が激しい腹痛と悪寒を訴えて、それこそ転げまわるように苦しみ、救急車を呼ぶことになった。原因は胆石だったのだが、普通は数十分で終わると言われていたその手術に、父はなんと7時間半もかかった。それまで分からなかったのだが、実は父は重度の糖尿病にかかっており、内臓や血管の組織が極度にもろくなっていたため、胆石を取り去るために内臓のどこかに触れるたび出血をおこしてしまい、手術が非常に難航したのだった。そのことがきっかけで、両親は長年営んできた食料品店をたたむことになった。そして、退院後は母の介護による在宅での闘病が始まった。介護とは言っても、退院直後の父は普通に生活するにはなんの支障もないくらいのものだった。ちょっとした日帰り旅行にも出かけ、元気に過ごしていた。しかしここ数年、父は毎年のように夏になると少し具合が悪くなり、入院するようになっている。今回は排泄障害が悪化したため、定期的に通っている診察のあと、すぐに入院となった。入院の知らせを聞いて、すぐに見舞いに行きたかったが、特急と在来線を乗り継いで4時間ほどかかるところまでは、簡単には行けない。特にうちのような「手のかかる殿様」と生活していると、家を一日あけようと思うと、そのためにしておかなくてはならない準備が山のようにあり、心配しながらも数日がたってしまった。しかし土曜日に、妹が子供を連れて見舞いに行ってくれた後で、「おとうちゃん、ものすごく寂しそうでかわいそうやったで。入院直後に、夜中にちょっと徘徊みたいな行動があって、排泄障害もひどくて、落ち込んでるみたいやったわ。徘徊は入院したことでの緊張とストレスが原因の一過性のもんらしいけど…。帰るとき『また来てや、お願いしとくわ…』って言うねん。」と、メールが来て、居ても立ってもいられなくなった。あまり人に弱音を吐かない、どちらかと言うと偉そうな父なので、ひどく気になったのだ。太郎が「僕は一人でもなんとでもできるから、お母さん花子と二人で行って来て。静かに勉強してるから。」と言ってくれたので、朝早い時間の特急で出かけることになった。病院に着いたとき、父はベッドでうとうとしていたようだった。花子が「こんにちは!じーじ、お見舞いに来たよ!!」と元気に言うと、初めはぼんやりと元気のなかった父が見る見るうちに顔色も良くなり、花子のマシンガントークにげらげら笑い、すぐにいつもの父に戻っていった。しかし、あまり食欲はないらしく、ご飯は半分くらい残していた。「もういらんわ」と箸を置くなり、「昨日の晩のことと、一昨日の晩のことがどうもごっちゃになってもてなあ…頭がおかしなってるんかな…」と不安げに言うので「いきなりこんな病室で一日中じっとしてる生活になったら、誰だってちょっと混乱するって。それよりリハビリ頑張りや。」と声をかけた。ベッドの下には、リハビリで使う白いズック靴が揃えておいてあった。大嫌いなはずのサッカー地のパジャマを着た父が、その靴を履いてリハビリに励むところを想像すると、なんともいえない気持ちになった。2時間半ほど病室にいただけで、もう帰らなければならない時間になった。せめてたくさん笑ってもらおうと、花子のズッコケぶりや太郎の学校でのおかしな話をたくさんして、太郎からの励ましの手紙と、花子が作った折鶴を渡して帰ってきた。帰りに花子が「じーじ、夏休みになったらすぐに、兄ちゃんとふたりで大阪に来るから、それまでに退院できるように頑張ってや!先生やら看護婦さんやらばーばの言うこと、ちゃんと聞きや!」と大声で励ましていた。父は「それまでには退院するで。夏休みにまたな。」と言って笑っていた。火曜日に、大きな検査を受ける予定らしい。少しでも良い結果が出ることを祈っている。
2006年06月25日

ののはな特製シーフードカレー我が家で一番人気のカレーがこれ。フライパンで材料を順に炒めては鍋に移す工程を繰り返し、えびの殻から出る出汁を使うカレー。煮込む時間が少なくて良いので簡単にできる。たくさん作ったほうがおいしいので、うちではいつも大鍋にいっぱい作って3日間ほどカレー祭りとなる。魚介類のだしがきいているので、最後はカツオだしで伸ばしてカレーうどんにしてもおいしい。<シーフードカレー>15皿分くらい? ・魚介類…イカ・えび・ボイルホタテが基本だが、何でも良い。えびは必ず殻つきのもの。イカはゲソでも。またアサリの剥き身もだしが出ておいしい。・玉ねぎ 大3個・えのき 大一株・シメジ 2~3パック・ナス 8~10本・市販のカレールー 大2箱(違う会社のものを混ぜるとスパイスが複雑になっておいしい)・日本酒か白ワイン 少々1.魚介類を下ごしらえする。 イカは食べやすい大きさに切る。 えびは殻をむいて、殻は別にとっておく。 全体にうっすら小麦粉をまぶす。2.玉ねぎは繊維に垂直に薄切りにする。 カレーを煮る鍋とは別のフライパンにサラダ油を熱し、しんなりするまで炒めて、鍋に移す。3.玉ねぎを炒めたフライパンを洗わずに、新たに少し油を足し、キノコを炒める。 ざっと油が回り、少ししんなりしたら玉ねぎを入れた鍋に移す。4.フライパンを洗わずにサラダ油を熱し、魚介類を炒める。 魚介類の表面に油が回っていいにおいがしたら、酒少々を振りいれふたをして酒蒸しにする。 えびの色が完全に変わったらふたを開け、汁ごと鍋に移す。5・フライパンを洗わずにサラダ油を足し、とっておいたえびの殻を炒める。 色が変わって香ばしい匂いがしたら、市販のルーひと箱分の量の水(1300~1400ccくらい)を入れ、煮立ててえびの殻のだしをとる。6・フライパンの鍋肌に残った魚介類のうまみを木べらなどでこそげながら、数分ぐらぐら煮立てたらアクと殻をすくい取り、だしを鍋に移す。7・鍋を火にかけてひと混ぜし、沸騰したらすぐに火を止めてルーひと箱分を割りいれる。 よく溶かして、とろみの様子を見ながらあと半箱分ほど入れる。 (この時点では少し薄め。この後とろみがついてくる。)8.弱火にかけ、焦がさないようにちょくちょく混ぜながら煮る。 ナスを大き目の乱切りにし、小麦粉をはたき、多めの油で炒める。 柔らかくなったら鍋に移し、引き続き弱火で混ぜながら煮る。9.あまり水っぽいようであれば残りのルーを少しずつ足す。 魚介類の水分がどれくらい出るかによって、使用するルーの量は加減する。 全体につやが出てくれば出来上がり。 一旦冷まして少し時間がたつと、スパイスが落ち着いてよりおいしくなる。私がいつも作る分量で書いてみた。普通のご家庭でこの分量で作ると、一週間くらいカレー祭りになる可能性があるので、そのあたりは加減していただきたい。ルーは少々辛いめを選ぶほうがおいしくできる。参考までに、うちで今日使ったのは、ハウスジャワカレー中辛(ひと箱)とヱスビーとろけるカレー辛口。花子は辛いのが苦手なので、チャツネの代わりにアンズジャムをのせて、福神漬けと一緒に食べている。
2006年06月24日

娘の花子は毎朝「朝ズバッ!」を欠かさず見ていて、なかなかのニュース通である。芸能ニュースから世界情勢まで、時には私よりも詳しいことも…。その花子が今朝、思い出したように言った。「お母さん、そういえばあの北朝鮮のデコポン、どうなったのかなぁ…」そんなの飛んできても全然怖くないぞ。燃料充填済み?
2006年06月24日

夏のシャツの襟元にちらっと見える短いネックレスが欲しくて、淡い色で編んでみた。思ったよりゴロゴロしなくて、着け心地も悪くない。結婚する友人のお祝いの一部として、花嫁さんのティアラを試作中。お色直しのブルー系のドレスに合わせるため、パールをベースにブルーのスワロフスキーを使った。ちょっと重いので、もう少し改良の余地あり、というところか。細かい作業は楽しいが、とても肩がこる。歳のせいかすぐに目もチカチカしてきて、集中力が続かない。あー、なんだか悲しい。
2006年06月23日

やっと咲いた夏椿。一般的にはシャラと呼ばれている。葉の形も美しく、樹形もしゃんとしていて、また、まん丸のつぼみもとてもかわいらしい、大好きな木だ。この木はお風呂の窓の外に、ヒメシャラと共に植えている。蒸し暑いこの季節、休日のまだ明るいうちからお風呂に入り、窓の外のこの木を見ると、なんだか気分がすうっとする。ぽとりと落ちてしまう真っ白な花はとても儚いけれど、それがまた一層、この木の魅力を強くしている気がする。
2006年06月23日
娘の花子の小学校では、月曜日からプールの授業が始まる。今はどこでもそうなのだろうが、娘の小学校でも、学校水泳の授業が始まる数週間前に「学校水泳に参加させます」という親の承諾書を提出することになっている。娘は普段はなんともないのだが、プールや海に入るとすぐに結膜炎を起こして、目やにが出たりひどく充血したりする。それで、承諾書を提出する時には必ず、備考欄にその旨を書いて、ゴーグルを使用させてもらうようにお願いするようにしている。ゴーグルの使用については、各学年の担任によって采配がなされ、特に病気などの理由がなく、承諾書などに記載がなくても、予防の意味も込めて自由に使用させる先生もいる。学校に統一の決まりがあるわけではないらしい。昨年は、花子の学年のほとんどの子供がゴーグルを使用していた。で、今年もうちは備考欄にゴーグル使用許可のお願いを書いたのだが、今日、担任がプールの説明の時に「このクラスでゴーグルを使っていいのは一人だけだぞ。その他は認めない。」と注意されたらしい。その一人というのは、とても怖がりの男の子で、ゴーグルがなくては水中で目が開けられないという。「水が怖くてみんなと一緒にプールに入れないのはかわいそうだから、彼はゴーグルを使ってもいいことにするが、他は使用を認めるような理由じゃない」ということらしい。目の病気の子は、ゴーグルはダメだが目薬は持って行って良いのだと言う。私にはちょっと理解できない。怖がりの子にはゴーグルをさせて、目の病気にかかりやすいと分かっている子は使わせないというのは、常識的に考えてどうなんだろうかと、非常に疑問に感じるのだ。なにか授業に大きな支障がでるような理由があって、全員がゴーグルなしというなら仕方がないと思うのだが…。私が過保護なのだろうか。かなりの確立でかかるであろう結膜炎を予防するためにゴーグルを使わせてやって欲しいと思う私はワガママ母なのだろうか。どうも納得いかない。
2006年06月22日

最近、なにかとてもびっくりすることがあったらしく、シッポが切れてしまって…。只今再生中。しっぽがなくてもちゃんと獲物を捕まえることはできたらしく、この直前、大きなアブを飲み込んでいた。お腹がいっぱいになって、日なたでうとうとしていたところを写真に撮ったら、シャッター音に驚いてすごい勢いで逃げていった。この長さでは、少々驚いても切れない様子。短いしっぽを精一杯振って前進する姿が面白かった。
2006年06月22日
ハリーポッター、実はちょっと好きなのだ。でも…。ストーリーはすごく面白いと思っているし、キャラクターも悪くない。よく作りこまれた物語だと思っている。でも、いつもなんとなく「なーんかちょっと違う気がする」のだ。特に最近の何冊か…話が複雑になってきてからのものは、なにかこう、細かいニュアンスとか、そこここに張られているだろう伏線が見えていない気がして、今ひとつ納得行かないのだ。それで息子の太郎に「ハリーポッターさ、なんか違和感感じながら読んでるんだけど…」と話をすると、1巻しか読んでいないくせに、ヤツはこともなげに言った。「あれ、翻訳がヘタクソでわざとらしいからな。」そうだ!それだ!!ひょっとして、あの翻訳のファンの方がこれを読んでおられたら申し訳ない。でも、確かにあの翻訳が私にとっては、なにか「居心地の悪い感じ」だったのだ。そう思って読み返してみると、日本語として不自然なところがたくさんあるし、「それは語呂が悪かろう」とつっこみたくなるような造語も山のようにあるし…原書を読んでいないのにこんなことを書くのは気が引けるが、あまり上手な翻訳ではないというのは当たっている気がするのだ。こうなったら頑張ってUK版で読むしかないな。私は英語が達者ではないし、英会話を習っている先生はオージーなので、イギリス英語の細かいところまでどれ程感じ取れるかは分からないが、ちょっと挑戦してみようと思う。ひょっとしてUK版なら、あちこちに隠された物語の伏線や、登場人物のちょっとした動作の本当の意味も、もう少しくみ取れるのかもしれない。断っておくが、翻訳者の悪口を言うつもりはさらさらない。日本でもこれほどのベストセラーになっているのだから、私の感じ取り方の問題なのだろう。でも、もしかしたら同じように「なんだかイマイチ分かりにくい」と思っている方もいるかもしれないと思う。もしそうだったら、それは翻訳のせいかもしれないという可能性もある、と言うことが言いたかったのだ。ハリーポッターに限らず、翻訳ものではそういうことがあるのかもしれない。それで、その原作自体に「面白くない」という印象を持ったとしたら、ちょっとソンした気分だ。つたない英語力を駆使して読むUK版。そこにどんな発見があるのか楽しみで仕方ないが、これでまたしばらく家事をいかにしてすばやく終わらせるか(もしくは手を抜くか)に悩む毎日になりそうである。
2006年06月21日

殿とランチの約束をしていたのだが、急なトラブルで戻ってこられなくなったらしい。うちでお茶漬けでも食べようかと思ったが、ごはんがなかった。それならサンドイッチでも作ろうかと思ったが、卵もハムもない。そういえば、今朝、腹ペコの子供達がハムエッグでごはんを食べたのだった。じゃ、一人で予定通りランチに行こうか…とぶらぶら海岸沿いの堤防を歩いて家から徒歩3分のリゾートホテルへ。最上階にある眺めの良い中華レストランで一人、のんびりと海など見ながらのランチとなった。ここのランチは何を食べても本当においしい。しかもボリュームたっぷり。メインのお料理と点心とデザートを、自分で選んで組み合わせる。今日私が選んだのは、牛肉とピーマンの炒め物、ふかひれ蒸し餃子。これにスープ、蒸し鶏、サラダ、フリッター、ごはんが付いている。一人で外食、私は昔から好きだった。だいたい、一人の時間が好きなほうなので、あれこれ考えごとをしながら一人でごはんを食べるのはとても楽しいのだ。普段、思いつかなかった良いアイデアが浮かんだり、ちょっと自分を見つめなおしたり。そしてもちろん、おいしいものを食べているのだから、レシピをいろいろ探ったりも。おいしいものを食べると、家族にもおいしいご飯を作ってあげようという気持ちが湧いてくる。そんなことを考えているうちに、食事はデザートへ。殿がここの常連なので、デザートはちょっとおまけを付けてくれた。うれしい。デザートまで含めて1,000円也。おいしかった。お昼からはいつもよりちょっと頑張って家事をするとしよう。いや、今日はもう一つ書きたい記事があるのだが…さて、どうしたものか(悩)
2006年06月20日

午前中いっぱい頑張った草刈り。結局、お昼ごはん抜きで1時半くらいまでやっていた。汗だくだくで、もうヘトヘトになった。ボーボーはえた雑草の中に、昨年までは生えたことのないヤブガラシがたくさん生えていた。コイツはツルをどんどん伸ばし、ものすごい勢いで庭を占領しようとする。あまりに旺盛な繁殖力で、薮さえもあっという間にからしてしまうからヤブガラシ。こんなの放って置いたらえらいことになる。しかしコイツはなかなか手ごわい。引き抜こうとすると、地面ギリギリのところでプツンと切れてしまい、地中部分は残ってしまう。するとそこからまたどんどん新しい茎が出てくるのだから、いたちごっこもいいところだ。そういえば鬼芝と呼ばれる芝生に似た植物も、バリバリと地面から引き剥がすが、大きな節のところは弱くなっていてやはりブチンとちぎれて、肝心の根っこは残ってしまう。ヤツラも種の保存に必死なのだ。ヤブガラシを抜いて抜いて抜きまくっていたら、妙な事に気が付いた。ヤブガラシが生えているところに、必ず別の植物が生えているのだ。それがコレ。ママコノシリヌグイという草。継子の尻拭い、である。花だけ見ているととてもかわいらしいが、全草に鋭いとげがあり、継母が継子を折檻するのに使うというイメージから付いた名前らしい。なにもそんな名前をつけなくても…と思うが、今の社会では継子どころか実の子の虐待が大問題なのだから、この名が付いた頃は日本もまだまだ平和だったのかもしれないと思う。薄い手袋だと突き通ってしまうほどの鋭いとげなので、子供がうっかり触ると大変だ。刺さるとポキリと先端が折れて皮膚の中に残り、いつまでもずきずきと痛む。地面から1~2センチはトゲがないので、そこを注意深くつまんで抜く。ヤブガラシとママコノシリヌグイ。なぜこの2種が必ず一緒に生えてくるのかは謎だが、只今、我が家の庭で最も厄介なコンビであることだけは確かだ。
2006年06月19日
雨があがって真夏のような日差しになったら、庭があっという間にジャングルと化した。はびこるイネ科の植物達。庭のあちこちで種を振りまいてよれよれになっているマーガレットの茂み。居候植物のくせに、でかい株となって満開を過ぎたキンケイギク。その他にも、1メートル近くまで伸びたヨモギやギシギシの仲間たちや、どこまでも伸び続ける葛のツル、隙あらば庭の乗っ取りを企てているセイタカアワダチソウの若い株があちこちでわさわさしている。さすがにこれでは家そのものが廃墟のように見えてしまうので、少し草刈りなどしてみようと庭に出たが、すぐに干からびそうになって家の中に避難してきた。女も40近くなると水分がだいぶ少なくなっていて、ちょっと日差しの中にいると乾いて死にそうになる。それに道具もだいぶ傷んでいてとても作業がはかどるとは言えない状態だ。その上、お日さまがガンガンてっている場所でも、ヤブ蚊の襲撃にたびたび遭う。これではいかん。草いきれや日差しや虫に負けていては、田舎のおかあちゃんはつとまらない。よーし、それなら道具も準備万端、服装も完全防備にして挑もうじゃないの、と近くのホームセンターで草刈りのための道具やら刈り込みバサミやらレーキなどを新調してきた。そして涼しい長袖にジーパン、長靴、虫除けスプレー、作業用裏メッシュ皮手袋という格好で再び戦場へ。しかし、ただひとつ心残りがある。「帽子」だけは欲しいものを見つけられなかったのだ。ホームセンターではもう売切れてしまったのだろうか…農作業をするおばちゃんがかぶる麦わら帽子…。あの、前のつばが大きくて、うしろ半分が薄い花柄とかの生地で、あごのしたでリボン結びにするやつ。あれが欲しかったのだ。おそらく何十年もあの帽子のスタイルは変わっていないと思う。その不動の地位を得る機能性を私は体験したことがないのだ。あんな帽子、田舎暮らしの庭仕事でしか、きっとかぶるチャンスはないと思う。いや、あの帽子でスーパーに買い物に来るおばちゃんもいるが、そこまでの勇気は私にはない。でもかぶってみたい。あの帽子が、どんなに機能的なのか、自分でかぶって実感してみたかったのに…。いかんいかん、いつまでも帽子にとらわれていては仕事が進まない。今日のところはあきらめて、普通の帽子で作業することにしよう。でも、いつかきっと、私にお似合いのあの帽子を見つけて、庭でひっそりとデビューする。ああ、憧れのおばちゃんの麦わら帽子。また明日、ちょっと遠くのホームセンターに行って探すとしよう。
2006年06月19日

桑の実とジューンベリー。どちらも赤くておいしそうな色の間はすっぱくて食べられない。黒く、触るとポロリと取れるくらいになったら食べごろだ。ジューンベリーは少しプラムとか梅のような香りがする。甘くて香りが良いので、私はブルーベリーよりもこちらのほうが好きだ。うちの桑の木は西洋種でネームプレートには「マルベリー」と書かれていた。葉っぱの形が、普通の桑とはかなり違う。実は大きくてとても甘い。ジャムにするととても香りが良くて、クラッカーにのせて食べるとおいしい。昨年はアイスクリームと一緒にソルトクラッカーにのせたものが大好評だった。娘の花子が大好きな庭のおやつだ。
2006年06月18日

雨上がりの庭を散歩していたら、メディカルティーツリーの花が咲いているのに気付いた。オーストラリアに自生するというティーツリーの仲間で、強い殺菌力を持つため、傷の殺菌や防虫に用いられるところからこの名があるらしい。アロマテラピーに用いられる「ティーツリー」の精油はこの木から抽出されるもの。白い綿か煙のように見える花がとても個性的で気に入っている。葉をもむとよい香りがする。「寒さに弱いので冬には鉢上げして室内で栽培」と書かれていたが、うちでは地植えで冬越ししている。虫も付かないし病気にも強い、非常に育てやすく、ほったらかしでもきれいな樹形に育つ。ただ(オーストラリア原産の植物によくあることだが)枝が非常に折れやすいため、風の強い場所には向かないと思う。
2006年06月18日

ずっと忙しくて、おまけに寝不足が続いて、あまり庭仕事ができなかった。大雨があがったら、庭の様子がずいぶん変わっていた。我が家の紫陽花我が家の紫陽花はよそに比べて開花が遅い。癒えの西側に植えているので、日照時間が短いのかもしれない。ヤローいつの間にか庭のあちこちにヤローが増えていた。鳥の羽のような葉っぱに、レース編みを思わせるような白くて繊細な花。何本か切ってきて部屋に飾ってみた。萩萩も咲き始めた。これから少し寒くなるまで咲き続ける。この色を見ると、なんとなく夏を飛び越えて秋の匂いがする。今日のサプライズ岩の根元のあたり、草の間に見慣れない色が見えたのでよく見たら、中心に茶色の斑の入ったクローバーらしきものが見えた。しかも四つ葉だ。私がよくお邪魔する方のブログに、四つ葉のクローバーのことが書かれていたのを読んで、欲しいなあと思っていたのだが、ひょっとしたらコレだろうか。どうやら近くのおうちの庭から種が誰か(鳥かネコ)に運ばれてきたらしいのだが、これが本当に四つ葉ばかりが出るクローバーだったら嬉しい。花は咲くのだろうか。楽しみだ。
2006年06月16日
花子が学校から帰ってきて「お母さん、今日ねー、先生に葉っぱをいっぱいかぶせられたー!」と言う。先日から、お掃除で校庭の当番になったと聞いていた私は、集めた落ち葉を頭からかぶせられる花子の姿を想像して「なんでそんなことされたの?!」と憤慨した。すると花子はちょっと照れくさそうに「あのさ、今日、委員会の仕事でちょっと失敗しちゃったから…」なんだとお?!花子は放送委員なので、朝やお昼の放送、掃除の時の音楽、帰りの放送などをする。しかし、そういう仕事で失敗したからといって、頭から葉っぱをかぶせるなんてひどすぎるじゃないか。どういうことか詳しく話して、というと花子は「お昼の放送のとき、自分では音量が分からなくて、すごく小さいボリュームになったまま放送しちゃって、クイズとかが聞き取りにくかったんだって。それで先生が『いつもみんなが楽しみにしてる放送なんだから、そういうのは責任持ってきちんとしないとダメだぞ!みんな聞こえにくくてすごく残念がってたぞ!』って言われてん。そしたら他の先生も『そうそう!せっかくの楽しい放送が聞こえないと残念だから、今度から気をつけて頑張ってね!』って…。」「それで?」と聞く。「それだけ。いろんな先生に葉っぱかぶせてもらって、ちょっと嬉しかった。」…なるほど。やっぱりいつものやつか。なんだかおかしな話だと思っていたのだが、やっぱりな。花子は頭から葉っぱをかぶせられたのではなくて「発破をかけられた」のだった。
2006年06月16日

時々、家族のみなさまから熱烈なリクエストをもらうのがこの煮込みハンバーグ定食。つけあわせまで全て定番で、もう何年もこのスタイルである。ハンバーグの中には玉ねぎだけではなく、ピーマンや人参のみじん切りもたっぷり入っている。生地には牛乳をたっぷりと吸わせてあるので、煮込んであってもとても柔らかい。煮込みソースはデミグラスソースをベースにウスターソースやケチャップやマヨネーズ、味醂まで入れた超ジャンクなもの。これがとてもごはんのすすむ味なので、みんなおかわりする。つけあわせは醤油バターコーン、塩コショウと少しの醤油をたらして炒めたスパゲッティ、フルーツトマト、アスパラ。恐ろしく高カロリーな定食だが、たまにはこういうのも良いと思っている。
2006年06月14日

お気に入りのガーゼ地のブラウスに合わせるアクセサリーが欲しくて、ちょっと作ってみた。シルバーのペンダントトップは、いつか使おうと思って買っておいたもの。ブルーのグラデーションのヘンプが思いのほかいい感じに仕上がってうれしい。完熟するまで木に置いておいたびっくりぐみ。渋みはすっかり抜けて、甘酸っぱくておいしい。洗濯物を干していたら、木から肩の上にぴょんと飛んできたバッタ(?)のあかちゃん。手に乗せてもちっともあわてる様子もなく、じっとこちらを見ている。ちょっと顔がピンボケになってしまったが、とてもかわいくて笑ってしまった。洗濯物を干し終わって家に入ってきたら、今度は大きなトンボがついて来た。一番大きな窓を開けてやっても見当違いなところばかり飛び回って、大暴れ。しまいにはあいていないほうのガラスに突進していく始末なので、そっと捕まえて逃がしてやった。もうヤンマの季節なんだなあ…。そういえば、梅雨なのに空が青い。
2006年06月13日

お昼ごはんにモダン焼きを焼いた。私は大阪出身なので、ごはんに粉ものを作ることも多い。粉ものはおやつのように思われることが多いが、大阪の家庭ではたいてい、たこ焼きもごはん、お好み焼きもごはん、である。今日は冷凍庫にやきそばの玉があったので、モダン焼きにした。モダン焼きとは、お好み焼きにやきそばが入っているものを言うが、広島のお好み焼きとはまったく違う。広島焼きは、つぶした目玉焼きとクレープ状に焼いた生地の間に大量のキャベツやもやしと炒めたそばをはさむが、モダン焼きはもっとずっしりと、厚みのあるお好み焼きのなかにやきそばがぎっしりと焼きこまれている感じ。一枚食べたらお腹がいっぱいになる。高校時代、部活が終わった後によく後輩のお母さんがやっているお好み焼きやに寄り道して、このミックスモダン焼きを食べた。一応、校則では寄り道が禁止だったので、家に帰るとまた何食わぬ顔をして夕ごはんを食べるのだが、時折、うちのごはんもお好み焼きだったりすることもあった。いくら高校生の若い胃とはいえ、さすがにお好み焼きのハシゴはきつく、あまり箸が進まずにいると「あんた、なんか食べてきたやろ」とバレてしまうのだった。断面。このぎっしり感がモダン焼きの魅力。モダン焼きの場合は、必ず途中で蓋をして蒸し焼きにするのが、厚みのあるふっくらした焼き上がりのコツだ。あまりひっくり返しすぎないでじっくり構えていると、下の面がかりっと焼けておいしい。
2006年06月11日
![]()
お天気の悪い日のお掃除の時、BGMによく聴いているのがこれ。ワーグナーは日本人にとって口ずさみやすく、非常にかっこいいメロディなので、自然と鼻歌まじりにお掃除をこなすことができる。特にこのブラスの編成のものは、ちょっとやる気の出ないときにも、不思議といつの間にか気分を上向きにしてくれるので、じめじめムシムシするこの時期、私にとってなくてはならない一枚だ。今日も金管楽器をぱぱーんと響かせて、キッチンの床を磨く私である。ちなみに、楽天では売り切れだそうだ。興味のある方は、ぜひお近くのCDショップでお探しいただきたい。私はずっと前に密林で買った(笑)
2006年06月09日

トマトベースの野菜スープ。画像は子供用にシーセージを足したもの。本来は一週間かけて体重を減らすためのダイエットメニューのこのスープ。もうかなり前に、ダイエッターたちの間でかなりのブームになったものだが、作ってみると普通の食事に食べるスープとしてもとてもおいしいので、うちではちょくちょく作っている。子供は野菜だけだと少し物足りないらしいので、別の鍋に取り分けてマカロニやソーセージを足している。以前、娘がバレエをやっていた頃は、かなり細い体型をキープしなければならなかったので、野菜だけのものをよくおやつ代わりに食べさせていた。お腹がすいて元気がなくなるようなダイエットではないので、いつも顔色や肌の調子も良く、公演前のキツイ稽古も元気にこなすことができ、体重のコントロールにかなりの効果があったように思う。娘は今もこのスープが大好きで良く食べる。ソーセージはあまり煮込まず、さっと温めるくらいのほうがおいしいと彼女は言う。たまねぎがたくさん入るので、トマト缶の酸味も和らいでとてもおいしい。一皿食べる間に体が温まり、汗がどんどん出てくるので、風邪気味の時などにも良いと思う。ネットで検索すると「デトックス脂肪燃焼スープ」とかいうような商品名で販売されているが、これは自分で作るほうが安いし、なにより自分好みにアレンジしやすい。カレーパウダーやチリなどを足すのも良いらしい。<脂肪燃焼スープ>キャベツ 半玉玉ねぎ 大3個ピーマン 1個ホールトマト缶 1缶セロリ 太いもの1本 チキンコンソメ 1個材料をざくざく切り、ひたひたの水でクタクタになるまで煮るだけ。私は仕上げに黒コショウをたっぷりひく。ピーマンは黄色いカラーピーマンを使うと彩りがきれい。ダイエット目的の場合は、決められたルールに従って一週間食べ続ける。詳しい方法は「7日間脂肪燃焼ダイエット」で検索するとすぐに出てくるので、そちらを参照していただきたい。
2006年06月08日

ついにびっくりぐみが熟した。本当にびっくりする大きさの実が、真っ赤に熟してつやつや光っている。一つつまんでみた。皮のすぐ下は、ぐみ独特の渋みがあり、思わず口をすぼめてしまったが、種に近いところはかなり甘くて渋みはほとんどない。初めて食べるびっくりぐみは、予想よりもおいしかった。
2006年06月07日
昨日も今朝も、テレビは秋田の事件と村上氏逮捕の話題ばかり。特に村上氏の逮捕、また逮捕直前の会見については、各局が「その道のプロ」やら「法律のプロ」やら「政治のプロ」やら、そして「野次馬」までもが入り混じっての、大騒ぎの様相を呈している。私には残念ながら投資については通り一遍の知識しかないので、事件そのものについての分析をする力量はないが、彼の記者会見は人間として興味深いものがあったので、「村上さん」そのものについてちょっと書いてみようと思う。会見が始まる前、彼は大きなため息をついていたかと思うと、顔中の筋肉を緩めて笑顔を見せ、またすぐに難しい表情に、という落ち着きのなさを見せていた。いや、そもそも私は以前から彼を「落ち着きのない男だなあ」と思っていたが、逮捕を意識して落ち着きのなさに拍車がかかっていたようだった。普通の人々が一生かかっても見ることもないような大金を「むちゃくちゃ稼ぎました」と言う割には、なんだかどっしりしたところが一つもない。そして会見が始まるやいなや、彼はすっと表情のないニュートラルな顔に戻し、すっくと立ち上がってすっぱりと自分の非を認め、感情のない顔で深々と頭を下げた。それを、彼自身は「最初に下手に出て好印象を与える」という、謝罪会見成功のセオリーだと思っていたに違いない。なにせそれは、かなり強い権利を有する種類の役所で、公に向かって謝罪する時の決まりきったスタイルだったから。しかし実際には、彼が狙ったほどの多くの人々が彼の謝罪を「潔い」と感じたわけではなかった。ここ数年、スーツを着たエライヒトタチが、ずらりとマイクを並べた長テーブルの向こうのパイプイスから揃って立ち上がり「申しわけございませんでした」と揃って頭を下げる映像など、私たちは飽きるほど見ている。そして、その謝罪は「何が悪いのか知りませんが代わりに謝っときます」的な謝罪であることも、みな知っている。先制パンチのつもりで見せた謝罪の姿に村上氏の本当の申し訳ない気持ちなどないということは、多くの人の知る「社会の常識」なのに、彼はそのことに気付いていなかった。おそらく彼は通産省をやめてから、公の場で謝罪する機会などなかったのではないかと思う。役人時代はルールの頂点に位置するエリートだったし、自分で起業した会社では自分がルールだっただろう。民間人として大きな謝罪をすることを経験せずにここまで来た彼は、だから、役人スタイルの謝罪が、見るものの心に訴えかける力などこれっぽっちもないと言うことを知らなかったのではないかと思う。いやもっと無意識に、謝罪とはこういうことをするもの、という風に彼の脳に刷り込まれていたのかもしれない。先制パンチがあまり効いていない空気を読んだ村上氏は、これでは謝罪会見の効果が期待できないと瞬時に判断し、今度はやたら言い訳をしまくる。しかしその言い訳がまた、なんとも大衆の心をつかまないものだった。「聞いちゃってたんですよねぇ…」などと初歩的なミスに開き直るようなことを言ったかと思うと「自分はプロ中のプロ」といきなり高いところからものを言うし、「私が悪い!」と言い切るかと思うと「知らずに入った一方通行のようなもの」と自分の責任をぼかすような発言もする。私は「もうちょっと普通の視線でものを言えないものか」とあきれて見ていた。とにかくこの人、ものすごく高いところからか、もしくは平身低頭妙に表情を崩してニヤニヤ笑いながら「すんまへん、そやけどこういうしゃーないことありまっしゃろ?」という開き直り的な上目使いか、激しく極端にしかものを言えないのだ。もう少し普通の人たちの気持ちの分かる生き方をしてきていたなら、ちゃんと聞く人の心に響く、そしてその意図の善悪はどうあれ、謝罪の効果の期待できる会見が開けただろうにと思う。特に興味深かったのは、村上氏が「みんながボクのことを嫌いになったのは…」といい始めたことだ。莫大なお金を動かしているのに、この人はみんなが自分のことを好きかどうかなんてことが気になっていたのだ。そして、世の中みんなが自分や堀江容疑者たちのように、拝金主義で生きていると錯覚していた。「みんながボクを嫌いって言うのは嫉みでしょ!いいよいいよ、じゃあボク、もう引退しちゃうから!」とすねる子供のように見えた。そして「星野さんの言い方は許せない」と逆切れもしてみせた。おそらく自分でも、言ったあとにかなり情けない気持ちになったと思う。だから、「ああ、なにかみんなが尊敬してくれることも言っておかなくちゃ」という気持ちが働いて「小説を書くか、映画を作るか、慈善事業をやるか…なにか社会の役に立つことを…」などというハズカシイことも言うハメになってしまったのだ。では短時間の会見で激しい二面性を見せた理由とはなんだったのか。そういえば、秋田の事件でも、容疑者が明らかな二面性を見せていたと話題になっていた。秋田の事件の容疑者と村上氏。二人は天と地ほども隔たりのある人生を歩んできたが、逮捕と言う終着点だけ見れば、二人とも同じ「悪い人」だ。そして逮捕の直前に落ち着かなくなり、短い周期で二面性を見せるという共通点。生きてきた環境の影響を受けないような、人間の感情の原点に触れるキーワードは「隠しきれないうしろめたさ」ではなかったか。会見から見える村上氏の二面性は「少しでも好印象を与えて少しでも自分の利を勝ち取っておきたい」という気持ちと「だからといって馬鹿にはされたくない」という気持ちに揺れた結果だろう。あくまでも超エリート、業界のカリスマとしてのプライドは高い人なのだ。へりくだったすぐ後には、自分を高い位置に戻さなければ気がすまないのだ。もしも彼がそのプライドを捨てて、哀れを誘う謝罪会見に徹することができたなら、社会の彼に対する見解はずいぶん違っていただろうと思うし、逆にいっそ、プロ中のプロとして、わかっててやりました。と淡々と会見をしたなら、それはそれで潔さも感じられたのではないかと思う。だが、彼にはそれができなかった。もう一度、謝罪会見を見るチャンスがあれば、彼の心の振り子のふり幅を意識しながら、そして、どちらに振れている発言か意識しながら見ると面白いと思う。そこからは彼が「気のちっさすぎる男」であることと、人の心を理解できるような生き方をして来なかったことがはっきりと感じ取れるはずだ。
2006年06月06日
殿と映画『ダ・ヴィンチ コード』を見てきた。原作はもうずいぶん前に読んでいた。登場する絵画や建築物の写真入りのものがあると聞いていたので、本当はそちらを読みたかったのだが、その頃はずっと売り切れだったので、一番ポピュラーな、活字のみの上下巻を買った。だが、やはり話の展開の折々に登場する絵画や建築物や街の様子をビジュアルで理解しながらでないと、この小説の真髄を味わうことはできないと思い、本棚からダ・ヴィンチの絵の載っている画集や、ルーブルの図面の載っている「世界の建築」の本や、ヨーロッパの街の地図や写真などの本を引っ張り出してきて、読んでは写真を見、見てはまた読むということを繰り返しながら読み進んだ。だから、映画化されると聞いたときから、絶対に見たいと思っていた。映像で見るルーブルや絵画の数々や街並みは、やはり本で見るよりもずっと臨場感があり、そういう点では本当に興味深く見ることができた。登場人物と絵画との距離感や、建物のスケール感が、映像で見ることによって初めて実感できた気がする。トム・ハンクスも、思っていたよりもずっと、主人公のニオイをうまく演じていたように思う。しかし、今回一番うまかったと思ったのは、シラスという修道僧を演じたポール・ベタニーという俳優だった。最後ほうのシーンで見せた彼の一瞬の表情で、原作に描かれていたシラスの悲しみ全てが演じきられていたように思う。ただ、やはり膨大な量の情報が事細かに描写された原作だけに、2時間半ほどの映画にはエピソードが収まりきらず、全体としては原作の流れを追う形のダイジェストのように感じられてしまうのが残念といえば残念だった。ストーリーを時間内に完結させるために、結果的には省かれているエピソードの方が多くなっており、原作では非常に鮮やかに描かれていた登場人物たちのキャラクターが、映画では非常に薄い描写になっている。まだこれから読もうかな、見ようかな、と思っている方は、ぜひ先に原作を読むことをオススメする。そして映画は「映像で見ることのできる関連本の一つ」という感覚で見ると良いと思う。そうすれば、細かく書きつくされたエピソードの数々や、綿密に仕組まれたストーリーの流れが、映像と共に頭の中で再生され、すんなりと映画を楽しめるだろう。99%の事実に、緻密に計算された1%のウソを紛れ込ませるという手法は「ばれないウソの王道」だが、ダン・ブラウンはまさにその方法を用いてこの小説を作り上げている。しかし、その天才的で壮大なウソを楽しむには、映画という限られた時間は少し短すぎると思った。「映画」という独立した作品として完成させるには、まったく別のアプローチ方法もあったのかもしれないな、という気持ちもわずかながら残った作品であった。
2006年06月04日
うちは、私も殿も強い近視で、花子も3年生の後半からめがねをかけるようになった。唯一、太郎だけは学校の視力検査でも問題がなかったのだが、中学に入ってから少し見えにくいようなことを言うようになり、先日の視力検査では少し悪い結果が出た。めがね屋で正確に測ってもらうと、予想以上に見えていないことが分かった。中学生になって、予習復習やテストの勉強や、漢字検定を受けるための勉強などを頑張ってきたので、知らない間に目の負担がどんどん増えていたのだろう。そういえば、最近ヤツは勉強の途中でもよく「疲れた」とか「もう集中力が切れた」とか言っていた。見えにくい目で必死に見ていたために、かなりしんどかったのだと思うと、かわいそうなことをしたなあと思う。しかし、最近のジュニア用のメガネフレームって、おしゃれだなあとびっくりした。私が子供の頃は、こんなにたくさんの種類は無かったし、大人のめがねほど洒落た形のものは無かったように思う。しかし太郎が「こんなにあったら、どれから試したらいいのかわからんな。」と言うほど、たくさんの形や色があった。結局、太郎は非常に細くて軽くてフレームを気に入ったらしい。色は黒。ナイキのマークが入っている。形状記憶タイプのものなので、ぐにゃりとまげても大丈夫だ。毎日使う大切な道具だから、少し張り込んで、フレームもレンズも軽くて良いものを選んだ。慣れるまでしばらくは、目が疲れたりするかもしれないが、これで少しは勉強もしやすくなるかもしれない。本人は自分のイメージ通りのフレームが見つかったので単純に喜んでいるが、私は「もう少し早く作ってやれば良かった」と、とても後悔していた。親は、目に見える怪我や病気には敏感に反応できても、見え方は本人でなければ分からない。だが、もう少し太郎の様子をよく見ていたら、これほど度が進むまでにめがねが必要だと気がついたのではなかったかと、申し訳なく思った。若いうちの近視は進みやすいので、めがねを作ったからといって油断はできない。半年に一度くらいは検眼に通わなくては。中学生になって、もう自分で何でもできるだろうと全て本人任せにしていたことを、ちょっと反省させられる出来事だった。
2006年06月03日

朝からバタバタと忙しく過ごし、やっと本格的に夕食の準備に取り掛かろうとしたら、息子が帰ってきて「おかん、ごめん!今日の夕方、PTAの懇談会だった!!プリント渡すの忘れてたよ…」と言う。見ると、そのプリントはもう何日も前の日付になっている。どうやら、渡そうと思って鞄から出したまではよかったのだが、そのまま忘れて、違うプリントをその上に載せてしまったため、忘れていたらしいのだ。そして今日、学校で配られた6月の行事予定に書かれた懇談会の文字を見て、突然思い出したらしい。時間を見ると、懇談会開始まであと1時間半しかない。またタイミングの悪いことに、ごはんの準備をだいたい済ませたら花子を美容院に連れて行こうと、予約を入れてしまっていた。今夜はちらし寿司にしようと思っていたため、いつもより多めのごはんを炊く準備ができていたが、炊き上がりは懇談会の30分前。とうてい酢を合わせたりごはんを冷ましたりする時間はなさそうだ。とにかく花子を美容院に連れて行き、カットの希望を説明して、私はすぐにスーパーに走り、なにかすぐにできるご飯を、と考えた。しかし、脳内ではすっかりちらし寿司のイメージが出来上がっていたので、急にはなにも思いつかない。ええい、もうおうどんでええわ!と、白ネギと鶏モモとうどんを買って帰り、太郎に「白ネギ4センチ、鶏肉一口大に切っといて!」と言い残して美容院へ戻る。あいにく、美容院は微妙な混み具合で、予定よりもかなり時間がかかっていた。花子の生まれてはじめてのショートヘアの完成を見たのが、懇談会開始の25分前。それから飛ぶようにして家に帰り、太郎が切ったネギと鶏肉を炒めてだしを注ぎ、鶏ネギうどんが完成した時には、開始の7分前だった。ふざけたイラストのTシャツを着ていたのだが、もう着替えている暇はない。子供達がおうどんを食べ始めるのを見届けて、家を出た。懇談会は2時間あまり続いたが、あまりに誰も発言しないので、シーンとしたなんとなく重苦しい空気に耐え切れず、私は発言しまくり、校長や先生相手に質問しまくっていた。終わった頃にはヘトヘトでお腹がペコペコだった。早く帰っておうどん食べよう。ちらし寿司が食べたかったなあ…。お刺身や錦糸玉子やしいたけの甘く煮たのをたくさん載せるつもりだった。今夜は特別に贅沢なちらし寿司を作ろうと思っていたのに…あれ?そもそもなんで今夜ちらし寿司の予定になったんだったっけ…。しまった。忙しすぎてすっかり忘れてた。今日は15回めの結婚記念日なのだった。家に帰ると子供達が「お風呂、もうお湯入れてあるよ」「おうどん食べるやろ?」といろいろ世話を焼いてくれた。結婚記念日に大あわてで作ったおうどん。まあ、こんなものだろう。もともと記念日なんてあまり好きじゃない。来年は16回目。その次は17回目。私たちはただただ淡々とこうして歳を重ねていくのだろうなあと思うと、ちょっと幸せな気分だった。太郎(4歳)と花子(0歳)。念のために書いておくが、今は彼女もフサフサである。
2006年06月02日

私は人間がいい加減でテキトーなので、そういう主のもとでもちゃんとたくましく育つ植物しか育てていない。だから、蘭とかバラとかはなんとなく敷居が高くて「あれは私にとっては育てる花じゃなくて、(誰かに)見せてもらう花」だと思っていた。しかし昨年、ちょっとスケベ心を出した私は「これならもしかしたら私でも大丈夫かも」と思い、ミニバラを数株植えた。最初、玄関の近くのとてもよい場所に植えたのだが、枝が伸びてきて初めて、非常にトゲの多い品種だということが分かり、子供達が引っかくと危ないのでという理由で、一転、庭の隅っこの草ボーボーで瓦礫がゴロゴロの場所に植え替えることとなった。ところがいい加減な私の性格が災いして、私はその後そこにミニバラを植えたことをすっかり忘れてしまっていた。肥料はおろか、この一年水もやった覚えがない。品種の名前ももう思い出せない。そういうモーレツに虐げられた環境のなかで咲いたのが、この画像のミニバラである。スギナやギシギシや野生化したミントやコバンソウなどがわさわさと茂っている中から、つやつやとした濃い緑の葉をのびのびと広げ、かわいらしいつぼみをたくさんつけ、堂々と咲き始めたミニバラは、思わず笑ってしまうほどのたくましさだ。娘の花子が小さい頃に、バレエの大きな公演で着たチュチュを思い出した。たくましいところがまた、彼女にそっくりなので「hanako」と書いた小さなプレートをつけてやった。バラの花が少し笑ったような気がした。楽屋で出番を待つ6歳の頃の花子。
2006年06月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1