全7件 (7件中 1-7件目)
1

一泊旅行の余韻を楽しむのもつかの間、殿の仕事のお付き合いのある方から「川でバーベキューするからおいで」と電話が。殿の会社の仕事をしてくれている業者さんの社長さんなのだが、毎年、関係者一同の家族を集めて社員の慰安を兼ねた大バーベキュー大会を開催されるのだ。以前にも何度か参加したことがあるが、それはそれはものすごいバーベキュー大会だ。うちの子供達は残念ながら今日から二人で私の実家へ遊びに行く予定が決まっていたので、二人を駅まで送って、今年は殿と二人で参加することに。水着を中に着こんで、Tシャツとハーフパンツを上から着、タオルと、お土産のスイカを車に積み込んで出発する。車で走ること約40分。窓を開けると、市内よりも少し空気の温度が下がったかなと感じた頃、現場に到着。大きな道路のすぐそばとは思えない秘境っぷりの川原。毎年、このバーベキューパーティはここで開かれる。川原に下りていくと、知っている人も知らない人も、みなにこやかに歓迎してくれる。建設現場ではみな険しい表情で力仕事をしているメンバーなのだが、この日ばかりはみな人懐っこく、優しく、楽しい笑顔だ。ざっと見たところ10家族くらいだろうか。今年は日程が変更になったため、これでも参加者は少ないほうらしい。私たちのための炭はすでに火がおこされていて、パラソルまで準備されていた。「遠慮しないで好きなように楽しんでね」と案内されて席(といっても川原の石の上だが)に着く。ここのバーベキューは、いつでも至れり尽くせりに何もかも用意されている。テントの下には大きなスチロールのケースがずらりと並び、それぞれに、牛、トントロ、鶏、トウモロコシ、かぼちゃ、玉ねぎ、ピーマン、おにぎり…などがぎっしり詰まっている。缶ビールとチューハイも数百本ずつは氷水に冷やされているし、日本酒や焼酎のビンもならんでいる。もちろんお茶やジュースもたくさんある。到底、個人の開くバーベキューパーティの規模とは思えない。町内会のイベントでも、こんなにたくさんの食材を準備することはないだろう。しかし、この大量の食材に驚いている場合ではない。これらはこのバーベキューのメインではないのだ。メインの食材はまだ川の中。参加者達が和やかにお肉や野菜を焼いているころ、数人のおやじ達がおもむろにウエットスーツに着替え始める。この主催者の社長は、実は地元では有名な鮎しゃくり名人なのだ。「鮎をしゃくる」というのは、このあたりではポピュラーな鮎のとりかたで、細い竿の先に、細いゴム紐をつけられた針が仕込んであり、水中の鮎に引っ掛けて捕まえるのだ。その、引っ掛けるのをこの地方の方言で「しゃくる」と言うらしい。おやじ達は数人で長い網を持ち、バーベキュー会場からは少し川下に移動し、そこで網を広げ始める。大声で怒鳴りあいながら、おやじ達は網を広げながら少し上流へと移動してくる。一段落すると、今度は少し上のほうからも同じ作業をする。鮎をうまくとるにはかなりの経験が必要らしい。とても動きのすばやい魚だから、次の動きを読まなければ、うまく捕まえられないのだ。だから、ここでは若造は決してえらそうにはできない。下手に動くと邪魔をしてしまうので、名人達に怒鳴られる。だが、おやじ達に怒鳴られたり笑われたりしながら、若造たちも数年後には鮎とりのうまいおやじに育つのだろうなと思うと、なんだかとてもほほえましかった。そうこうしてちょうどバーベキューをしている目の前の川に、網で囲った大きな生簀ができた。それまで大声で声を掛け合っていたおやじ達は、ふいに静かになって、細い竿を片手に水面に顔をつける。数秒のうちに、今日のお楽しみの一匹目が私たちのところへ届けられた。目の前で今、取られたばかりの鮎だ。とれたての鮎は、かすかにスイカのにおいがする。川の石につく苔を食べるためらしい。少し塩を入れた器に入れると、ぴちぴち跳ねて、勝手に塩まみれになってくれるので、逃がさないように注意して網の上へ。私はここのバーベキューに参加するまで、鮎という魚がこんなにおいしいものだとは知らなかった。身はほのかに甘く、いい香りがする。ワタは確かに苦いのだが、それがまた旨いのだ。小さいものは頭からバリバリと食べる。おやじ達はひたすら川の中から捕まえた鮎を川原に投げてよこす。それを次々に塩をつけて焼く。結局、私は10匹ほど塩焼きでいただいた。食べるのに飽きたら川へ入る。ここの参加者はみんな、大人も子供みたいに川で遊ぶ。大人が泳ぐのにちょうど良い深さの場所があり、そこで泳いだり、浅いところをジャブジャブ歩いたり。しかし、ぼんやりしていてはいけない。初参加者にはここの会恒例の手荒な儀式が待っている。若い衆が数人集まったかと思うと、初参加の一人一人を川へぽーいっと投げ込むのだ!私は数年前にやられた。力仕事は慣れている彼らだから、ぼんやりとおにぎりを食べていた私などはあれよあれよという間にみなで持ち上げられ、ちょうど良い深さのところへジャブンと投げられた。これで、ここの会の正式メンバーになれたということなのだ。投げ込まれて笑いながら川から戻ってくる人たちを拍手で迎えたりしていると、社長の奥さんが大きなお鍋を持ち出してきた。鮎入りのお味噌汁を作ってくれるのだ。これも毎年恒例になっているもので、参加者はとても楽しみにしているものの一つ。残った野菜と鮎を入れた味噌汁の鍋には、魚臭さをを消すために、仕上げに焼いた大きな石を放り込む。一瞬で鍋の中がぶわーっと沸騰し、あたりにお味噌の良い香りが漂う。熱々のお味噌汁が、川で冷えた体にしみる。残りの炭火でおにぎりも焼いて、そろそろフィナーレが近づいてくる。ヒグラシが鳴き始めたら、みなそれぞれに片づけをはじめる。いい大人達なのに、みんな子供のように、楽しさの余韻をにじませた笑顔で片付けている。鮎をとるおやじたちのかっこよさと、子供のようにはしゃぐ大人たちの純真さ。なんだか、俗世間から切り離された空間にいたような、心地よい錯覚を起こすほどの、楽しい時間だった。
2006年08月14日

うちの殿は、お土産を買うのが大嫌いだ。買うこと自体には文句を言ったりはしないが、「ぶらぶらと買い物をする」という行為が好きではないらしい。でも、せっかくの一泊旅行なのだから、私と子供達はおみやげ物をゆっくりと見たかった。そこで私たちは、3人で売店に出かけるチャンスをずっと待っていた。すると、そのチャンスは意外と簡単にやってきた。朝食の時、先に食べ終わった殿は「先に部屋に帰ってのんびりしたい」と言い出したのだ。にやりとしたのは太郎。花子が「じゃ、もうちょっと食べたら行くからね」と殿に声をかける。「ゆっくり食べておいで」と殿。よし。これでのんびり買い物ができる。本当に「近所」という感覚のリゾート地なので、見たこともないような珍しいものはないのだが、子供達は楽しそうにお菓子や雑貨を眺めていた。買う買わないは別として、こういう時間もけっこう良い思い出になるものだと思う。花子が「これ、おいしいんだよー。買っていこうよ。」と言ったのはこれ。鳥羽に泊まっているのに、松阪牛せんべい…。まあいいか。私が絶対に買いたかったのはこれ。このとうがらし梅茶は、この付近のお土産屋さんでよく見かけるもので、ちょくちょく買っては飲んでいる。昆布茶に梅ととうがらしが入っているもので、とてもおいしく、湯飲みに一杯飲むだけで、体がポカポカして汗がじんわりと出てくるのだ。パッケージには「今、話題のカプサイシン」の文字が。ひょっとしてダイエット効果があるのか?!という淡い期待も、必ず買ってしまう理由のひとつなのだ。この他にも、カスタード餡のお饅頭やチョコレートケーキなどを買った。赤福はさすがに買わなかった(家のすぐ近くにもお店があって、しょっちゅう食べているので)が、地元のお土産を物色するっていうのもなかなか楽しかった。どっさりとお土産を抱えて部屋に帰ると、殿が「あ、お土産買ってきたのか!あのさ、俺、○○さんと△△さんにあげたいんだけど、二人分、余分ある?」なんて言っている。はいはい、ちゃーんと買ってありますよ。こうして私たちのこの夏の一泊旅行は幕を閉じた。帰り道、車の中で子供達が「楽しかった~」と何度も言っていたのが嬉しかった。
2006年08月13日

今年もお盆に家族で出かける予定はなかったのだが、殿が突然「鳥羽に一泊旅行に出かけよう」と言い出して、家から車で30分ほどの場所にある会員制のリゾートホテルに、家族で出かけることになった。本当はこの日、このホテルで殿の小学校の同窓会が開かれる予定だった。遠方から里帰りしてくる同級生も多く、幹事の誰かのコネでここのスイートを数部屋押さえてあったのだ。しかし、今年はこの日に都合のつかなくなるメンバーが多数出たため、同窓会は延期になった。それで、殿が「せっかく押さえたのだから」と、幹事から押さえたうちの一部屋と、家族分の夕食の権利を譲ってもらったらしい。子供達は、ホテルでのんびりと読書をしたいと言い、お気に入りのCD数枚と本を鞄に詰め、私は家族の着替えとおやつを詰め、殿はテニスコートの予約を入れて、みんなのラケットを積み込んだ。準備開始から完了までわずか20分。久々の「家族でお泊り」へ出発した。前日の予報では、かなりお天気は悪くなるとのことだったのだが、実際には少し雲がある程度で、返って心地よいくらいのお天気だった。部屋からの眺め部屋は眺めの良いセミスイートで、家族四人がのんびりするのにちょうど良い広さだった。一時間ほど部屋でゴロゴロして本を読み、それからテニスコートに出かけた。殿は若い頃テニスが好きだったらしく、よく近くの空き地で太郎と簡単なラリーをしたりはしていたが、ちゃんとしたコートで太郎と手合わせするのは今回が初めて。勝つ気マンマンの殿だったが、実際にはこてんぱんにやられたようだった。テニスが終わって、みんなで温泉につかって、いよいよ晩ご飯。夕食はバイキングだった。↑これは、太郎が始めに取ってきたお料理のお皿。「まずはオードブル」と自分できれいに盛り付けたお皿を片手に、嬉しそうにしている。バイキングの盛り付けには性格が出ると思う。↑こちらはバイキング初体験の花子のお皿。まるで好き嫌いの激しい子供用のお子様ランチみたいだ。本人の楽しそうな笑顔に、仕方なくその場では黙っていたが、個人的には、スパゲティの隣にドーナツというのはいかがなものかと思う。「お母さん、このお皿のテーマはねぇ…」というので「『花子の好きなもの』でしょ?」と言うと「うわー、なんで分かったんかなあ!?」なんて言っている。ふん、そんなことくらい分からいでか。彼らはこの後、テーブルの中央にちょっとしたタワーを思わせるほどの皿を積み上げた。とにかく食べる食べる。また、ここのホテルのお料理はおいしいと評判なだけあって、なにを食べても決してハズレがない。特に目の前でどんどん焼かれるステーキやバーベキューは本当に楽しくておいしかった。みんなおなかが張り裂けそうになるくらいたくさん食べた。感心したのは、子供達がとても行儀良くきれいに食べ、食べ残しができるような取り方をしていなかったことだ。いつのまにか二人とも大人になったんだなぁ…なんてちょっと感慨にふけったりしながら、殿とビールを飲む。私は今までバイキングって少し苦手だったのだが、子供達がこんなに楽しんできちんと食べられるのなら、これも悪くないなあと思ったのだった。この後、もう一度みんなで温泉に浸かり、私と花子は露天風呂のジャグジーで夜空を見上げながら「明日帰るの、なんかもったいないね。」なんていい合った。明日につづく
2006年08月12日

今更改めて言うようなことでもないが、毎晩ものすごく暑い。とりわけうちの小・中学生は、私たちとは基礎代謝が比べ物にならぬほど高いらしく、暑くてなかなか寝付けないらしい。一昔前までは、ヒグラシのなく頃になると少し涼しい風が吹き始め、とっぷりと日が暮れる頃にはかなり気温が下がったものだった。それでも夏中に何度か気温の下がらない夜もあり、それを特別な思いで「熱帯夜」と呼んで、あくる日には挨拶代わりに「ゆうべは暑かったですねぇ」などと言ったものだ。しかしそんな昔を懐かしんでみても、この暑さはどうにもならない。なにせ、日付が変わる時刻になっても、気温は一向に下がる気配がないのだ。なにか我が家の子供達が気持ちよく眠りにつける方法を考えなければ…と思っていたら、太郎が「お母さん、寝る前になにか冷たいもの食べていい?」と言い出した。そうか、冷たいものを食べて、体を中から冷やそうというのだな。それはなかなか名案だ。いや、寝る前に冷たいものなんて体に良くないのでは?という不安はかすかによぎったが、そこは体力の有り余った中学生のこと、きっと大丈夫に違いない。それに、暑くて眠れずに体力を消耗する危険性と、寝る前に冷たいものを食べておなかを壊す可能性を天秤にかけてみても、ここはやはり「中から冷やしてよく眠り、体力を回復する」ほうを選ぶのが妥当というものだろう。そういうわけで、遅くまで勉強や宿題(…かどうかはちょっと怪しいが)をしていた太郎と、ちっともはかどらない片づけをだらだらとやっていた私は、夜更けにみかんの缶詰を食べることになった。ガラスの器にすっくと立つみかん。実は我が家では、みかんの缶詰は常に冷凍庫に入っているのだ。凍ったみかんの缶詰は、シロップまで実においしい。シロップまで全部食べたら、いったいいかほどのカロリーになるのか恐ろしい予感もするが、これは特別なおやつだから、そんな野暮は言ってはいけない。私は元来ずぼら母なので缶のまま凍らせているが、ジップロックなどの袋に入れて平らにして凍らせれば、食べる時に手でモミモミして適度な固さに溶かすことができる。このみかんの缶詰は、凍っていく段階によっても、様々な食感を楽しめる。凍り始めはシロップがふんわりと雪のようだし、もう少し凍るとシャリシャリのシャーベット状。カチカチに凍ってしまったものは、少し水やぬるま湯につけて、外側が少し解けたところで画像のように器に移す。そして少し溶け始めた外側のみかんから順にフォークでポロリポロリとはずしながら食べるのだ。みかんを食べると中から氷になったシロップが出てくる。それをくずして口の中に放り込み、シャリシャリと噛み砕きながら次に食べるみかんを崩す。数回繰り返すうちに、体はかなり冷え、時々あのキーーンという感覚もやってくる。食べ終わる頃にはすっかり涼しくなっていることうけあい。カキ氷ともアイスクリームとも違う夏のおやつ。昼間一人で食べるなら「がつんとみかん」だが、夜更けに誰かと食べるなら、冷凍缶みかんがオススメだ。
2006年08月10日

ばあちゃん(姑)がおいしそうなぼっちゃんかぼちゃを持ってきてくれた。今年、初めて植えてみた苗が思いのほかよく育って、たくさん収穫できたのだそうだ。以前、私はプッチーニというミニかぼちゃを育てたことがあるのだが、あまり実が厚くならなくて、皮が厚くて種が多くて、食べられる部分の少なさにがっかりした経験がある。でも、このばーちゃんのぼっちゃんかぼちゃは、持っただけでもずっしりとつまっているのが分かる。ばーちゃんに「花子はレンジでチンして食べるのが好きみたい」というと、「そうそう、レンジでチンするとうまいんだよ」と言って、嬉しそうに帰っていった。それから少しして、ばーちゃんから電話がかかってきて「ののはなちゃん、ぼっちゃんかぼちゃをレンジでチンするって、どうやるの?」と聞かれた。さてはばーちゃん、さっきはテキトーに話を合わせていたなと思ったが、すぐに電話してくるところがあまりにかわいくて、ちょっと笑ってしまった。ぼっちゃんかぼちゃは丸ごと洗って、水分がついたままラップに包んで4分半ほどレンジで加熱する。竹串をさしてみて、固いようならあと30秒ほど加熱する。柔らかくなったら上の部分をふたのように切り、中の種をきれいに取り除いてスプーンですくって食べる。種の周りのワタは苦味がある場合があるので、きれいに取り除いたほうがおいしい。種を取る前のぼっちゃんかぼちゃ。きれいなオレンジ色で、ほくほくしていておいしそう。
2006年08月09日

久々の日記に庭が丸坊主になってしまった愚痴を書いたら、たくさんの方が励ましてくださったので、単純な私はちょっと元気になってしまった。皆さまに心より感謝。そして、勇気を出して庭のあちこちの惨状をチェックしてきた。明日は台風の影響があるかもしれないので、被害を受ける可能性のある場所に養生をしなければならないのだ。悲しいほど寂しくなってしまった庭のあちこち。台風の養生をしようと庭に出たのだが、結局生き残った植物を眺めて歩くことになってしまった。皮肉なことに、自分でも「刈らなきゃなぁ…」と思っていたミツバとドクダミ、ママコノシリヌグイなどはそのまま手付かずだ。いったい、どういった基準で刈ったり残したりしたのか不思議。ユーカリの大きな木の根元に植えていた3株のラベンダーは、刈られずにそのままたくさんの花穂をつけていた。良かった。これでラベンダーバンドルズを作ることができる。準備していたリボンが無駄にならなくて、本当に良かった。イングリッシュ系のラベンダーはこの3株のみになってしまったが、それでも全滅でなかっただけ幸運だったと思うことにしよう。風がふいていい香りがしたら、またもう少し元気が出た。お昼からはこれにかかりっきり。ラベンダーバンドルズ。一説によると、大昔イギリスでは、アイロンを当てる時の霧吹きの代わりに、このバンドルズを水に浸して布にパッパッとふりかけ、香りを移したとか。本当かどうかは定かではないが、優雅な暮らしぶりがうかがえるエピソードである。私は数年前から、ラベンダーが咲くと必ずこのバンドルズを作ることにしている。普通のドライフラワーに比べると、花が見えないのが少々寂しい気もするのだが、これなら時間がたってもぽろぽろと花が落ちてしまう心配もないし、何年もすぎて色が褪せても、リボンの色が華やかなのでみすぼらしくならない。たんすやクローゼットに入れておいても良いし、玄関に飾るのもいい。小さめに作ってリースのオーナメントにするのもかわいい。また、ちょっとした贈り物に添えても喜んでもらえるので、いつもたくさん作って保存している。出来上がったバンドルズは日光の当たらないところで乾燥させ、少し乾いたら緩んだ部分をしめる。作るときにぽろぽろと落ちてしまった花は、集めておいて小さな布袋に入れてポプリにし、車のエアコンの噴出し口に挟んでおいたり、下駄箱の中に入れたり。それでもまだ余ってしまった花穂は小さなガラスの器に入れて洗面所においた。そういうわけで、今、我が家は家じゅうにラベンダーの香りがしている。ラベンダーの香りをかいでいると、なんだかもう、庭がちょっとくらい思うようにならなくったって、そんなの大したことじゃないと思えてくる。刈り取られた株からは、きっと新芽が出てくるに違いない。無くなってしまったものは、また種から育てることを楽しもう。土が見えている場所は、このチャンスに腐葉土や牛ふんをすき込んでやろう。あいてしまった場所には、今まで育てたことのないものを植えてもいいかもしれない。明日は台風がやってくる。でもその後に青空が見えたら、庭仕事を再開しようと思う。ここでまた、たくさんの人に見てもらえる花がいっぱいの庭を作れるように、頑張りたい。
2006年08月07日
ほぼ10日ぶりに、やっとパソコンの前に座る時間ができた。大阪への里帰りから戻って昨日までの丸三日、この場所は子供達に占領されていたのだ。最近は中学生も小学生も、宿題の調べ物にパソコンを使うことが多い。実際に宿題に使っているかどうかは少々怪しいところもあるが、「宿題で使う」といわれれば彼らに譲らざるを得ない。まさか「お母さんだって日記書くんだからちょっと代わってよ」とはちょっと言いにくい。そういうわけで、夏休みも中盤にさしかかり、パソコンの電源は常に入ってはいるものの、私が自由に使える時間は非常に少ない。この状況はおそらく9月まで続くと思われる。私が日記を書けない理由はそれだけではない。もう一つ、大阪から帰ってきた私を大きなショックに陥れた事件があった。帰ってきたら、さぞかし草ボーボーになっているだろうと想像していた庭の様子が、全くの予想外の姿を見せていたのである。花子の花壇と樹木たちを除いて、庭の草たちはハーブの茂みもろとも丸坊主に刈り取られていたのである。どうやら殿の父上母上が「ののはなちゃんはいつも忙しくて草刈りをする暇もないらしい。こんなに草が生えていては虫や蚊が多いだろうから、留守の間にきれいにしておいてやろう」と思って、刈り取ってくれたらしいのだ。「刈り取ってくれた」と簡単に書いたが、私のハーブたちはかなりの面積に広がっていて、そうそう簡単に全滅させられるようなものではない。そもそも、少々たくさんの量を収穫しても見た目にはなんの変わりもないようにするために、庭のいたるところに茂みになるように植えてあったハーブたちなのだ。それがほぼ壊滅状態にまで刈り取られ、抜き取られ、跡形もなくどこかに捨てられてしまったのだから、義父母はおそらく、私たちの留守中、毎日通ってきては庭を刈っていたのだと思われる。その作業に必要な労力はかなりのものだっただろう。親切心からしてくれたことに文句を言うわけにはいかない。彼らに全く悪気はないのだ。でも、青々と茂っていたハーブたちがすっかり無くなってしまって地面がむき出しになっている庭を「ほら、すっきりきれいになったやろ?」といわれても返事のしようがなかった。きれい、と感じる状態が、私と義父母ではあまりにも違っていたのだ。とにかく、その多大な作業を労う意味で「ありがとう」とだけ言って、あとはこの数日、庭に出たくない気分の日々を過ごしている。百歩譲って、ミントやレモンバームはまたどんどん伸びてくるだろうから良しとしよう。でも、木質化した根元のところで刈り取られたラベンダーはすっかり枯れてしまったし、日が当たり過ぎないようにと、背丈の低い木の木陰に植えていたチャイブやチャービルやイタリアンパセリ(秋になってもう少し柔らかい葉が出てきたら、刻んでクリームチーズに混ぜる予定だった)も、すっかり抜き取られてしまって、跡形もない。私は元来あきらめの良い性格なので、大抵のことは「まあ、済んだことはしゃーないやん」とすぐに立ち直るのだが、今回ばかりはかなり辛い。こんなにがっかりした気分を味わうのはいつ以来だろう。やり場のない「がっかり感」を少々もてあましている私である。
2006年08月07日
全7件 (7件中 1-7件目)
1

![]()
