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父と本気でケンカした記憶は今まででたぶん1度しかない。高校生ぐらいのときだったか。 その時、父の言ったことが忘れられない。 ”もっと俺のこと、いたわれよ!”思春期で、父のすべてを否定していた僕は、まさかそんな言葉が父からでてくるとは思っていなかった。 僕にとって父は強く、たくましく、とてもかなわない存在だったわけで、そんな人からいたわってほしいなんて言われたことが信じられなかった。 たぶん、その1回だけだったかもしれない。 本気で彼とケンカをしたのは。 それ以外は、腫れ物に触るような感じで、お互いやり取りをしていたような気がする。 彼が自営業をはじめてからは、自営業歴8年の僕は先輩風を吹かせていた。 組織の中で通じた理屈を、僕はことごとく否定して、父を焚きつけていた。 父は、定年後に独立して自分でやろうと思ったのは、お前に勇気付けられたからだといってくれた。 照れくさかったけど、嬉しかった。 組織と比べて圧倒的に自営業は立場が弱い。そして、自営業者のほとんどは、その恐怖から自分を奮い立たせるために威勢のいい言葉を放つ。 そうしないと不安で不安でしょうがないからだ。 僕は父には自営業は無理だと思った。 彼は優しすぎる。そんな中、3年をすぎ、やっと彼の努力が実りだして一番これから充実した時間をおくれるというときに、父は倒れた。 無念だったと思う。 僕は、彼が定年後自営業をはじめてからほめたことがなかった。1度もないような気がする。 僕はとても父に厳しかった。 僕が1月に入院中、手術前に甲府にお見舞いに来た。僕は、そんな暇があるんだったらすこしでも仕事優先して頑張ってと伝えた。 彼は、自分の仕事がどんなにうまくいきだしているのか僕に語っていた。 僕は鬱陶しかった。 なんで俺が入院しているのに、自分の仕事の話ばかりしているの?って心の底から思った。 僕はなんか厳しいアドバイスをしたような気がする。それを見ていた妻は、あとで僕にこんなことを伝えてくれた。”きっとお父さん、ハオちゃんに褒められたんじゃないかな?” 僕は褒めなかった。 父自身、自分とのバランスもあまりまだ取れていなかったし、エネルギーの流れとか不自然な気がして、これでもかというほど偉そうな事を僕は父に伝えた。 まだまだこんなもんじゃないでしょう、あなたは、という気持ちもあった。 父は家族の中で一番健康で、会うたびに聞き飽きるぐらい健康自慢をしていた。自分が死ぬなんてことを微塵も感じていたなかったであろうことは、容易に想像できる。 ギリギリで僕で何とかなりそうなぐらいの借金を残して、勝手に彼は逝ってしまった。 僕の人生の中で、彼ほど僕が頼り、心のよりどころにしていた人はいないのかもしれない。 日増しに喪失感が広がり、今この瞬間に会いに行きたい衝動に襲われることが最近増えてきた。 その手には乗らない。もっともっと強く生きて、天国であった時には、頭を小突いてやる。コノヤロウ!って。 僕は彼が3年前に独立してからというもの特に彼に対して厳しかったけど、愛していなかったわけではない。 逆だ。 僕は誰より彼の成功を願い、それに一番、近道になるようにできる限りのことをしていたつもりだ。 ほどんど、褒めなかった。 でも、僕は彼を愛していた。 僕の妻は、この数週間の一大事にでさえ、僕の感情に共感するどころか”しっかりしろ!” ”そんなんでやっていけるのか!”と僕に発破をかけた。なんて女だ!と思わなかったといったら嘘になるが、僕が父にもっていた愛をきっと僕に向けてくれているのだろうと感じた。 まだまだそんなもんじゃないだろ、お前は。 頑張れよ!!そういう形の愛もあるんだね。 優しいだけが愛じゃない。 こんなときこそ、僕を叱り飛ばすような妻は僕にちょうどいい。本当、僕は甘いところばかりだから。 結局、僕は父と真剣に向き合ってケンカをしたことは、人生で1度しかなかった。 もう1回ぐらい、ケンカしたかったなぁ、本当。精一杯生きて、そして、僕の時間が終わった時、それを味わえたらいいな。 それまで、頑張っちゃおうかな。。待ってろよ、親父コノヤロー!!ハオロン
2008年03月25日
おとといは取手の自宅の父の部屋で、そして昨日は代々木の父の事務所で一晩を過ごす。 あるじを失った代々木の西尾行政書士事務所。 妹と二人で片付けに来た。 8割が資料や本。 服や孫の写真。管理人さんが隣に住んでいてとても素敵な方でいろいろ話をしてくれた。 行政書士や社会保険労務に関する本は、父の同業の方に貰っていただこうと思っている。 そしてあとの大量の本は、ブックオフに取りに来て貰おう。 妹は茨城県の土浦、そして僕は山梨の甲府にいる。片付けにこれる日は限られている。 一つ一つやっていくしかない。 現実味がまったくないまま、あわただしすぎる日々が過ぎ去っていく。ネットでは相続放棄や、相続についていろいろ調べた。 人がただ【存在する】ということだけで、どれほど価値のあることなのかその逆の事象を体験することにより痛感している。
2008年03月24日
父が2008年3月14日に亡くなりました。 63歳でした。虫の知らせってあるんですね。 1月、僕は3週間入院していたのですが、その時なぜか父のことばかり考えていました。父の仕事を手伝ったり、一緒に何かをやっている夢ばかりみていました。 3月8日、くも膜下出血で倒れ、意識が戻らないまま14日に逝去。 最後の言葉は”救急車なんて呼ばなくていいよ。”だったとのことです。 なんとも父らしいというか。自分が死ぬなんて事を微塵も感じていなかったあの人らしいです。 自分の最後だとわかったら、いったいどんなことを彼はいったんだろうなぁ。 なんか、これ一生僕、考えていきそうです。 今年にはいり、父に僕の会社の役員報酬を渡していました。本当に少ないけど、とても喜んでくれました。 それが安心させちゃったのかな。 父の死から怒涛の1週間がすぎ、時間がたてばたつほど現実感がなくなっていくかんじがします。 なにか、自分が自分なんだか誰なんだかわからないような気持ちになっています。 5キロ痩せました。 僕も家庭があるので、前を向いて頑張ろうと思っています。本当は、もう2度とお父さんと会えなくなって寂しいようって泣きたいのですが、それはもうすこし経ってからになりそうです。
2008年03月22日
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