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最近のお洗濯はEM活性液を使って・・・ばかりになりました。今日も取り込んでから、洗濯物の匂いを嗅いでみたのですが無臭(汗の匂いや嫌な匂いがしない)プラスお日様のにおい^^ そのお日様のにおいが今日の清々しい天気のような心地よさで鼻から入ってきて、思わずくんくーんと長く嗅いでしまいました。夫のTシャツなどもいいにおい。EM活性液の稀釈液をダイニングチェアーの布の座面にたっぷりとふりかけておいて、翌朝見たらばすっかりきれいになっていたのにびっくりし、娘の部屋のソファーに同じようにふりかけ、きれいに蘇ったのを見てから・・・洗濯にも、と使い始めました。浸け置き洗いをしたほうが効果があるようなので、ちょこちょこと作っているEM活性液をけっこうたっぷりと入れて浸けておいたのち洗っているのですが、・・・効果は満足です。合成洗剤と混ぜて使う、というHPもいくつか見かけたのでEM活性液だけでは落ちが悪いかな、と思ったのですがそんなことはないようで、息子の食べこぼしのついたTシャツもきれいに落ちています。それに、大人の服や娘(小6)の服は汚れというより、汗をかいたから洗濯、という感じなので、においもすっきりと洗い上げてくれるEMは合成洗剤のように色褪せも気にしなくて良いので、我が家にぴったり。もちろん、息子のひどい汚れのものは部分洗いが必要でしょうが。・・・でもこれは合成洗剤でも同じかな。そして、なにより嬉しいのは着ていて安心。前から合成洗剤の香りの残る洋服を着たときに、なんだか洗剤の成分が汗をかいたときなどに皮膚から吸収されそうな気がしていたのです。そしてさらに・・・環境に対する負荷が少ないこと。・・・と書いたのは洗濯に使った後の水がどのくらい働いてくれるのかわからないのです。実際、EM活性液(有用微生物群であるEM菌をお米のとぎ汁と糖蜜で活性化させたもの)は、各地で結果がでているほど水質浄化に役立っています。下水処理場で水をきれいにしてくれているのも、有用微生物群ですものね。というわけで、身につけても安心で環境にもよいということが嬉しいところです♪
2006.07.31
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昨夜の一コマ・・・。私がお風呂からあがってくると、嬉しそうな息子の顔が待ちかまえていました。「ねぇ、これやってみて^^」・・・なになに・・・。「ルール・・・11こ、○をとれ!! イチゴじゃんけんに くりあ したら つぎのめいろへれっつごー!! おんなじみちは とーっちゃいけない。 はしごは、わたってもいいよ!!」そして紙いっぱいに迷路が書かれていました。平仮名がぴっと詰まった字を追いかけるので精一杯で、すぐに飲み込めなかったのですが要は紙一杯に書かれた迷路の、あちこちに散らばっている○を同じ道を通らずに、全部拾いあつめてゴールにいく。そして最後はイチゴのマークのところに来て、息子とじゃんけんをして、勝ったら次に待ち受けているゲームに進むというもの。ちょっとやってみて、同じ道を通らずに○を全部集めるのはちょっと無理・・・と思いました。・・・・というか、息子が作った迷路なので、そんな複雑なのは書けないだろうなという気持ちがあったのだけど、「じゃあ、ヒントをあげるね。まずこっちから行くの。」あ、なるほど。そう行けば、同じ道を通らずに済むわね。で、自分でもやってみるけどその先でひっかかってしまう。・・・すると息子が楽しそうに、○を拾いながら指で迷路を進み始めました。「ほら、11こ 取れたでしょ。」「んん?」迷路をあちこち巡りながら、確かに同じ道を通らずに○を拾っていくようでした。だんだんとこちらも気合いが入ってきて、鉛筆で道を辿りながら、時々息子に指南されながら進むと11この○を全て拾いながらゴールに行くことができました!最後のほうで一回だけ、少しだけ同じ道を通ってしまったことがあったけど、「こんな迷路を作れるなんて、すごい!!」と感心してしまったのです。それが、きっと私を待ち受けていたあの笑顔だったのですね。自分で傑作!と思うものができて、それをやってもらおうと思っているときのわくわくした気持ち。それは嬉しくてニコニコしちゃうだろうな、とこちらにまでその気持ちが伝染してきました。漢字練習など、苦手なものがいっぱいある息子だけれど、迷路やゲームを作ったりしているときはやっぱり生き生きしてる^^こういうときって、とっても創造力が刺激されて脳も活性化しているのでしょうね。そんな質のよい時間をたっぷりとれるのも、夏休みのよいところなのかな。。。*******昨夜、娘にまた『かにむかし』を読んであげていたら、柿がやっと熟れて、かには「うれしうて うれしうて たまらんもんだから そのかきの木に がしゃがしゃとはいのぼっていっちゃ おち、 がしゃがしゃと はいのぼっていっちゃ おち、しておった」のところで・・・娘は「涙がでちゃいそうに、すごくかわいそう。」と悲しそうに言いました。「やっと柿の実が熟れて、すごく嬉しかったのに、さるに柿をぶつけられちゃうんだよ。」そう、サルに柿をぶつけられたカニはつぶれてしまい、そこから子ガニが出てきて、仇討ちに行くという展開です。おなじみの内容に、私は物語自体に感情移入せずにこの本のリズムを追いかけて、楽しんでいたのですが、何度も読んでいるこの本のこういう部分に娘は何度も同じ気持ちになっていたのかな。なんだか、ガツンとやられた気持ちでした。そして、6年生になった娘のその言葉に柔らかい気持ちになりました。昨日は夏休みだということもあって、娘と12時過ぎまでお喋りをしていました。またまた娘の目を通して見える世界・・・というものが見えた気がしました^^
2006.07.28
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うちでお気に入りの絵本があります。・・・といっても借りてきて読んでは、はまっていたのですが、久しぶりにその絵本を近くの図書館で見つけ借りてきました。木下 順二さん、文 清水 崑さん、絵の『かにむかし』です。この本は音読するにかぎりますね!読んでいるうちに話の内容だけでなく、その言い回し、言葉の響き、そして独特のリズムにはまってしまい、もうどうにも止まらなくなってしまうのです。そしてなぜだかゆっくりテンポではなく、速くまくしたてたくなる。普段使う言葉ではないんだけど、それを感覚的に充分理解できてそのリズムの波に乗ってしまったら、どんどん愉快に爽快になって必ず最後まで読み切ってしまうでしょう。で、最後の「おおきな 石うすが どしーんと おちてきて、 さるは ひらとう へしゃげてしもうた そうな。」のところは余韻に浸りながらゆっくり読んでしまうのです。そうだ、一番の魅力は言葉が溌剌と生きていること。方言というのは聞いていて、喋っていること以上に伸びやかな感情が伝わってきて柔らかい気持ちになったりしますが、この本の魅力も声に出して読んでいるうちに、気持ちが柔らかくなっていく感じでしょうか。そしてリズムにしばし酔って、気持ちよくなっている。うちではもう何年も、この本の中の「もぐずりこむ」という言葉も流行っています^^
2006.07.23
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5合目あたりからの眺め 原色のような空の色 大迫力の入道雲! 見ていると、もくもくと形を変える入道雲 8合目あたりからの眺め 9合目、万年雪山荘の寝る場所(壁で仕切られている) 9合目から見る日の出
2006.07.22
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たちこめる霧の中をもくもくと下山・・・が新7合目あたりから霧が晴れてきたため、視界が広々と明るくなり、心情的にも明るくゆとりさえでてきました。視界の先には6合目の山小屋が見えるし、そこまでの道のりはなだらかで、そんなに遠くはなく牧歌的にさえ見えたからです。そしてその先はもう、5合目の駐車場です。明るいうちに着けそうな見通しができると、気分的にもゆとりがでてきます。右膝だけだった軽い痛みは左膝にもでてきていたけれど、目の前にあるのは下界まで続く景色。山肌にはずっと高山植物の緑が点々と続いていて、時刻のせいかその色合いが少し柔らかいものになっていました。そしてその広~~い山肌を白い霧が時々ふぁ~~~っと登ってきます。下に見える山小屋あたりから緑はしだいに濃くなっていって、下界は緑が絨毯のように広がっているし、そう、大パノラマなのです。けれど、やはり疲れは出てきて、足の痛みもあり6合目の小屋までの距離は、最初の見通しよりもうんと長く感じられました。割と近くに見えたはずなのに歩いても歩いてもなかなかつかない。途中から私とほとんど伴奏しているような若い4人組がいて、彼らは砂走りをしたり、軽快に跳ねるように降りていったり・・・とてもそんなふうに軽快には歩けない私は、ただひたすらゆっくりと降りていたのですが、彼らが意外と頻繁に休憩をとっていたので追いついたり、またぬかされたりしながら大体一緒に歩いていました。そんな彼らも、最後のほうには走ることもなく疲れきった様子。私がようやく6合目に到着し、座って待っていた娘に「はぁ~~、お疲れだったねぇ。」と言うとその先にぐったり座っている彼らが目に入りました。お互い、自然にお疲れさまぁという声が出て、なんだか共に笑っちゃうような感じだったのですよねぇ。ほんと、よく頑張ったよね、と。ふっと連帯感を感じたりして。実際、あとから行程表で見ると、新七合目からこの6合目までの距離が一番長かったのです。そしてあとは5合目までいくだけ。終わりが見えてきました。ここからはどんどん霧が出てきて、急に薄暗くなってきたので、足が痛いのも気にせずに急ぎ足になります。・・・と、あっけなく駐車場が見えてきました。「ああ、これで終わるんだ。」樹木がまわりに急に増え、その緑がまたまたどうしてそんなに美しいの?というほど、瑞々しく鮮明に見えました。霧の中でその緑を思わず触って、松の葉の柔らかさを感じて富士登山を終えました。************あってよかっ物(なくてはならない、と思った物)・ ストック (足への負担をかなり軽減してくれます)・ 登山靴 (底が厚く、足への負担を相当軽減してくれたはず。終えて、つま先あたりがけっこうぼろぼろになってました・・・・サンダルばきや、ヒモのないシューズを履いていた人たちがいて、大丈夫だったんだろうか、と心配になります)・ 軍手・ 帽子 (紫外線が相当強いので。 風にとばされないようなもの)・ 防寒着 (夜、また上のほうに行くにつれ寒くなる)・ 飲み物・食べ物 (水分・エネルギー補給に)・ レインスーツ (天候が変わりやすいので。防寒着にもなります)*********富士山のトイレ事情・・・ 現在富士山のトイレはすべてバイオトイレになっているそうです。 おがくずと微生物の力で分解するトイレで、まったく匂いはありません。(一回、200円ほどかかる)2004年の集計では36トンのし尿を処理したそうです。
2006.07.20
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二手に分かれた私たちは(私と娘)は頂上を目指します。昨日は平日だったため、人の出もそれほど多くなかったけれど土曜日とあって、急に登山客が増えたようでした。山小屋のオープンが7月8月なので、この時期は休みの日ともなると、大渋滞が起こるようです。明け方外を眺めたときもヘッドライトをつけた登山客の灯りが蛇行しながらこちらへと続いていました。御来光を目的に暗いうちから登る人たちで長い行列ができるというから、富士山とは不思議なところですね。私たちは8合目を10時に出発し、快晴の中、前を歩く人の足を追いかけるように歩きました。9合目、9合目5尺、そして頂上へと・・・その道のりはどんどん登りがきつくなっていくようでした。でも合目ごとに20分休憩をとっては歩き出しました。娘は体力があるのか、自分のペースで先を行きます。私もとにかく自分のペース。足元を一歩一歩確認しながら足を前に出すだけ。そこに集中しているので、ふと顔をあげたときに目標物にどれだけ近くなったかが分かります。富士山に登って感じたのは、障害物がないため目標物までの距離を確認できること。どれだけ登ってきたかが確認できること。そういうのがはっきりしていると、けっこう励みになったりするものです。それにみんなが一様に苦しそうに頂上を目指しているので、なにか同志のような不思議な一体感があって、ひたすら頂上に向かっていた感じでした。そしてついに、ついに頂上に到着。着いたね~~と娘と喜びあいましたが、私はいつも山の頂上に着いたときにほっとするものの、感動!!とかはないのですね。そこまでの行程のほうが好きなのかもしれません。このときも、ほっとしてとりあえず、目に入った郵便局に向かい、昨日山小屋で書いた葉書をポストに出しました。これも目的の一つだったので、一安心。娘はとにかく^^念願の焼き印を押してもらいたかったらしく、口元をほころばせながら頂上奥宮をくぐります。今までは山小屋のお兄さんが椅子に腰掛け、火鉢で焼いた判をぎゅっと杖におしてくれていましたが、こちらでは神職?のかたが高いところで正座をし、仰々しく横たえた杖に朱印をかなづちでトン!と叩いて押してくれます。(焼き印・・・200円、朱印・・・300円也)登頂の証の朱印も押され、ずらりと並んだ焼き印を眺めながら娘も満足げな様子でした。 この先、お鉢周りという火口巡りをしたり、3776m日本最高地点となる剣が峰に上がるコースもありましたが、私たちはもうこれで充分満足。お腹が空いたので、食堂でおしるこを一杯注文し(カップおしるこ600円也)2人で分け合いながら、山小屋でもらったお弁当を食べてひとごこちつきました。ちなみに・・・富士山の頂上では500mlのジュース類が500円、カップヌードルが800円、と上に上がるにつれて値段も上がります。そこまで運び上げることを考えたら仕方がないのかもしれませんが。(ただ、荷運び用のブルトーザー専用の道がほかにあって、荷運びしているのを何度か見かけました。)そして今度は登ってきた道を降りていきます。帰りは登りと比べると楽だし、酸素がどんどん濃くなるので体的には楽なはずなんだけど、私にとっては帰りのほうがきつく感じました。行きは快晴の中、定められた時間もなく雄大な大地をとにかく前に進めば良かった。このとき、体力的には充実していたし、夫も「クライマーズハイなのか、なんだか気持ちよくなってきた。」と言っていたけど、私が感じていた感覚もそれに近かったかもしれません。その時に集中していて、感覚的に高揚している感じでした。帰りはひたすら・・・というのには変わりはなかったけど、下で待っている人がいて、暗くなる前に着きたいと時間設定を設けてしまったので、酸欠状態から覚醒していく意識の中でわずかに焦りがあったのでしょうね。そして体力的には徐々に疲れが出てきていて、足の痛みも感じ始めていました。濃い霧が出始め、霧のため日中の明るさが薄らいでしまったので、ほんの少し追い立てられるような感じがしていたのかもしれません。・・・9合目に着いたときに公衆電話から夫の携帯に電話を入れたら、(私の携帯は電池切れ・・・高地では電池の消耗が早いようです)一時間前につき、息子は下山するにつれ元気をとりもどし、最後は跳ねてたというのを聞いて安心しました。電話口に出た息子の声は「元気溌剌!!」といつもの調子に戻っていました(^o^)温泉に行って来てね~と声をかけ、電話を切りました。帰りは特別、娘との体力の差を感じました。自分のペースを守って歩く娘はとにかく速い。私は足裏や膝に負担がこないように、ストックを使ってゆっくりペースで歩くので、娘はときどき岩に腰掛けて私が来るのを待っている。私は休まない方が疲れないので、「お待たせ~~~」と言いながら、娘の横を歩いていく。下は砂状になっているほうが滑るように歩けるので楽で、ごつごつ段差のある場所は、けっこう気を使いました。元祖七合目を過ぎると、高山植物群が目立つようになります。ごつごつが続く溶岩台地のあちこちに群生した緑は霧の中で、やけにその存在が目に入ります。霧の中で生々しいほど緑で、生気を放っていて、ひっそりとしながらもあの存在感はなんなんでしょう。私はあの光景を忘れることはないかもしれません。
2006.07.19
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9合目に着き山小屋に入ったときには、さすがにヘロヘロで「ああ、あとは布団の上でごろごろしていられる」という安堵感が押し寄せてきました。お水をもらって一息入れ、案内するまでここで休んでいてくださいという言葉に食堂で手足を休めていました。歩いていると暑くなってくるけれど、じっとしていると寒くなる。北海道の平均気温と同じだそうで、どんどん体が冷えて火にあたりたくなります。そして「お部屋に案内しますね」と言われて、待ってましたとばかりについていったところは、壁で仕切られた小さな個室。ほとんどが雑魚寝という山小屋にあって、壁で仕切られているのは嬉しいけれど、布団が敷き詰められた上に腰を下ろしたら布団がとっても冷たい。お布団を取り込んでいるのは見かけたので、外に干してあったらしいのだけど、頻繁に訪れる霧のせいなのでしょう。湿気をたくさん含んで、ひんやりと冷たく、体を横たえると体温をどんどん奪われていきそうでした。横になりたいけれど、冷えた体にはこたえるのでとりあえずそれぞれに持っていった洋服を着込み、(半袖→長袖→フリース)その上に湿気防止にレインコートの上下を着込みました。そのあとは食堂で葉書を書いたり、お喋りしながらストーブで暖をとっていました。明朝の御来光が4時半と聞いていたので、早く寝ようと5時に食事をとり、6時には(覚悟を決めて)布団に入りました。そう、このとき息子がだるそうに見えたのです。まぁ、1000m登ってきたのだから疲れているのは当たり前なのだろうけど。でも、結局夕ご飯のカレーを食べる前に眠ってしまったのが気になっていました。寒さでよけに体力を奪われないよう、持っていったホカロンのほかに、手持ちが少なかったので小屋で売っているホカロンを購入(1つ200円でした)。息子のお腹と背中にも入れて寝かせました。それぞれみんなにホカロンを渡し、自分も入れて横たわるとけっこうポカポカと眠れそうでした。それにしても、あとから夫とも話していたのですがまわりの泊まり客(次から次へとやってきてけっこういっぱいでした)のかたたち、「あ、お布団が冷たいね」とかそういう言葉が聞こえてきませんでした。「あれ?」という感じだったのですが、皆さん山小屋というのはそういうものと達観してしいるのかな。レインコートの上下を着込んだ家族はうちだけだったかも。でも、その格好のおかげか?すぐに深い眠りに入っていって気がついたらお布団もしっかりかけて7時間ほど熟睡していました。山小屋の朝は早いのです。夜中の1時ころから起き出した人たちの声で次第ににぎわってきます。そして、頂上で御来光を見る人は4時半の日の出に間に合うように、出掛けていきます。私たちは、小屋から少しだけ歩いた場所から見る予定だったので、まだまだ時間はある。だけど今外に出たら天の川が見られるかもしれない。急く気持ちもありながら、眠たくもあり3時頃になったら見に行こうと話しながら期待を抱きつつまどろんでいました。そうしたら、先に見に行った夫が月明かりで星はあまり見えなかった、と。残念に思いながらまたまどろんでいると、3時に山小屋全体の灯りがつき、「頂上に行くかたは起きてください」と起こしにきました。しっかり眠ったので、すっかり目が覚めトイレに行ったり用意をはじめ・・・このとき山小屋の窓から外を見たのですが、快晴だったため麓の明かりがちりばめられたように瞬いているのが見えました。月明かりで星は見えなかったけれど、これもはぁ~~~~っと溜息が出るような眺めでした。3200mからの眺めはやはり、ダイナミックです。そして皆で4時に日の出が見られる場所をめざしました。山小屋から100mくらい行った場所で、富士山の肩ごしに御来光を見られるのです。外はものすごく寒い。毛糸の帽子をかぶっている人が多かったけれど、ほんとに真冬の格好をしていてちょうどいいくらい。・・・息子を抱きしめていたけど、あまりにも寒がるので夫が心配して日の出を見る前に小屋に連れて帰りました。私と娘で、肩を寄せ合いながら空がオレンジいろになり、雲からひょっこり頭を出したオレンジ色の塊がどんどんその姿を見せるのを見ていました。娘は寒がって、「出たね。じゃぁ、先帰るね。」と、さっさと帰ってしまいました。「もうっ。」と思いましたが、う~~~ん、確かに感動!というより「ああ、あれが日の出なのね。」という感じでした。寒さで感覚が麻痺していたのかな。でもあの眩しい塊はしっかり頭に残りつづけるかも。その後は皆でまた2度寝です。・・・・そして朝ご飯。・・・この時も息子だけは朝ご飯をとることができませんでした。気持ち悪い、頭が痛い、食欲がない。・・・高山病の症状です。酸素カンも持っていったけれど、高山病でもっとも有効なのが高度を下げること。夫は用意周到に徐々に体を慣らしていく計画を立て、一泊することも予定に入れたのだけど、高山病というのはまったくならない人もいれば、2000mでもなる人はなるという体質的?なものだそうです。体力的にはたぶん問題のなかった息子も、こんな症状では下山するしかなく、登頂をあきらめました。あまりにいつもの元気がないので、私も登頂どころではなくなっていました。下山をはじめ、娘も仕方がないことと承知してはいたのでしょうが、やはり9合目まできて頂上に行かないというのが悔しかったのでしょうね。気がつくと目をこすりながら後ろのほうを歩いていて、ついには涙まで流していました。いつもは山に登るのを億劫がる娘です。今回も夫が頂上まで登ったら、娘が欲しがっていた本(BONte)とハムスターを買ってあげるという約束をしたからだったのが、いつの間にか杖に全部の判を押してもらうことになっていたらしく・・・。でも息子は途中でとうとう吐いてしまい、8合目まで下りて休憩してもいっこうによくなる気配がないので、夫が2人(私と娘)で頂上まで登ってきていい、宣言をしたのです。ここで少々自分も高山病気味になっていた夫と、息子は下山。私たちは登頂という二手に分かれることになりました。
2006.07.18
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まず体を慣らすために、5合目の駐車場に夜のうちに到着し車の中で睡眠を取りました。5合目(富士宮口)でも標高が2400mあるので、いきなり登り始めるよりも高地に体を慣らしておいたほうがよいようなのです。私は富士山へと向かう車の中で眠ってしまったので(運転していた夫よ、ごめんなさい)翌朝5時ころには目が覚めました。このくらいの時間になると、まわりからばたばたと車のドアを開け閉めする音や準備をする人たちの足音などが聞こえてきて、いざ!という雰囲気が満ちてきます。私も目を覚ました娘と明るくなり始めた外に出てみると、眼下に山並みがあるのが目に入りました。朝靄がかかり頭だけ見える山々と、その下には粒のような街並みに光の帯が差し込んでいてものすごく綺麗な朝の景色でした。そして上を見上げるとてっぺんまでくっきりの富士山!(あとから見えていたのは8合目までであることが分かったけど)5合目あたりまでが森林限界であるらしく、駐車場付近は木々で青々しているのですが、その先は黒い山肌が続いています。腹ごしらえをして、6時17分に出発!歩いてみると、不毛の大地だと思っていた山肌には高山植物がたくさん生えていました。ごつごつした溶岩台地に点々と緑が続く眺めは、その先にある原色のような青い空と相まって、非常にパラダイスな景色でした。・・・けれど、やはり高地。今までの山歩きと違うのは空気が薄いせいか、体がとても重い。一歩一歩がせいぜい10cm程なのです。普段は誰よりも身軽な動きの息子(小2)も、今回ばかりは最初から勝手が違うようで歩みが遅い。でもよいのです。夫から高山病にならないように、ゆっくりゆっくり体を慣らしながら行こうと言われていたし、山小屋に泊まる予定で時間はたっぷりあったので、ゆっくり進みます。深く呼吸をしながら。でもそんなに小さな一歩づつでもふと今来た道を振り返ってみると、けっこうな距離歩いているのですよね。これが小さな自信になったのか、空気が薄いためはっきり覚醒している感じがしなく、私はなんだかどこまででもこのペースなら歩けてしまいそうな不思議な感覚でした。晴れていたので、振り返ると麓までの景色が目の前にひろがっていました。絶景!点々と登山客がゆっくり歩いてくるのが見えるし、空は広いし青いし、雲は流れていくしで、まったり気分だったとも言えます。娘は6合目で杖を買いました。登るサポートもしてくれるし、合目ごとに杖に焼き印を押してくれるのでけっこう励みになるようで、娘にはてきめんに効いたようです。そう、娘もすごく歩きやすくなると言っていましたが、杖は必要。私はもっていったストックでかなり足への負担が軽減されたと思います。足下は砂利のようになった溶岩石で滑りやすかったり、ごつごつしていて足場が悪かったりするので、とっても役にたちました。そんなこんなで合目ごとにある山小屋で30分から一時間ほどの休憩をゆっくり取りながら、登ります。酸欠なのか、睡眠不足でもないのに眠くなる。・・・・・高山病の特徴は頭痛、嘔吐、食欲不振、気持ち悪くなる、眠気だそうで、みなそこまでの症状はでていないものの、やはり少々酸欠状態のようです。が、途中目が覚めるような景色に会いました。8合目で休憩中、ふと前を見たら巨大な入道雲が目に飛び込んできたのです。真っ青な空にもくもくと形を変えていく入道雲群は大迫力でした。なんと言っても同じ目の高さにあるんですもの。こんな目線で、そして間近に入道雲を見たのは初めてでした。で、上を見上げれば今度は薄いちぎれ雲がものすごい速さで流されていく。まるで空の映像の早送りでも見ているみたいに。このときはみんなで夢中になって空を見ていました。そうしてゆっくりと登っているうちに植物の姿もほとんど見かけなくなり、とうとう一日目の終着点、9合目に到着しました。ここまで約7時間半。途中見かけた筋骨隆々の自衛隊の人たち(訓練で登っていた?)は休憩のときにほかの登山客と話しをしていたら、頂上まで1時間半で登るとか!? 頂上までの行程表で見ると、休憩を入れずに5合目から4時間20分となっているので、超人技ですね。 で、9合目まで7時間半かけて登った私たちはいかにゆっくり登ったかが分かりますね。・・・・記録として綴っていこうと思うのですが、長くなるのでまたにします。・・・って、もう充分に長いけど^^
2006.07.18
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ベランダのアスパラガススプレンゲリーが花盛り。濃いコンデンスミルクのような、むせかえるような香りを放っています。昨日、濃い色の蕾だったナスタチウムが鮮やかな花を咲かせていたり、ナスがコロンとした実をつけていたり、ベランダでも生が営まれています。部屋に入って、軽快なクラッシク音楽の旋律を聴きながら扇風機の風を受けつつ、洗濯物をたたんでいると、ぐううっと気持ちが満たされていくような感じがしました。目の辺りにじわ~っとくるような。優しくて力強くて、素晴らしいものに囲まれている。うまく言葉にできないけれど、そんな感覚が溢れてきました。********昨日は富士登山前の最後のウォーキングに行って、広々~~~とした空の下を歩いてきました。やっぱり気持ちいい。友人に言わせると、最初のころと歩き方が違ってきた、とか。「え、そう?」 これからも続けることを約束していたので、「じゃぁ、あと2ヶ月も経ったら、もうこんな感じの歩き方で (颯爽と腕を振って歩いているスポーツ飲料のコマーシャルありましたよね)、普通に喋りながら息も切らさずに歩いているかもね♪♪」なんて言いながら別れました。今晩、出発です準備もまぁまぁ終わって、あとは買い物です。*******最近、素晴らしい言葉をたくさん聞いています。ネットというのも、そのかたが感じていらっしゃるたくさんの綺麗な想いを共有できる(共有したいと思っている)素晴らしい場ですね。沢山の栄養が自分の中に注がれていく気がします。そして、生活の場面場面でその栄養を着実に自分の肥やしにしていけたらいいな。
2006.07.13
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今朝、ゴミを捨てに行ったときに、駐車場前の側溝のみぞ蓋(というのでしょうか)から青い花が顔を覗かせているのが見えました。よく見ると溝の中にびっしり青々したツユクサが生えていて、青い花をところどころに咲かせていました。ツユクサって、実家の庭に咲いていたのを思い出すのか、何か訴えてくる花なのですよね。それにこの梅雨の時期に咲く、青い花って独特のしっとりした雰囲気をもっていますね。前に混み合った電車の曇った窓の外に見えた、青いあじさいの花の色もきゅんと胸に染みこんできたなぁ。ツユクサは、どこからか種が飛んできて活着したのでしょう。こぼれ種で気がつくと毎年わさわさとのびて花を咲かせているオシロイバナも、みなその生命力、すごいなぁと思ってしまいます。けっこうそういうものに囲まれて生活しているのですよね。*******富士登山も迫ってきて、夫も酸素(スプレー状のボンベ)やそれぞれの軍手を買ってきたりして着々と準備を進めています。登り切るための秘訣を説明するのも、実演つきで熱が入っています。こちらも今までのようにふんふんと聞いているのでなく、間近になってきたため、熱心になります。登山中に横に雷雲があって、雷が鳴り出したときには気をつけないと、横に雷が走ってきたりするんですって。で、携帯電話などの電源が入っていた場合などはほかに障害物がないので、そこめがけて雷が落ちたりするそうです。まず、電源は消しておいて、身を低くして待機したり山小屋に逃げ込んだり・・・。でも山小屋ってそんなにあちこちにあるものじゃないですよね。やはり、標高が高いのでお天気がよくても寒いらしいし、時には雹が降ることもあるそうです。下は溶岩なので、登山靴に穴が開いたり、ズボンが破けてしまうこともあるとか、混んでいるときは山小屋で一畳に2人くらいで寝ることになるなどなど、ちょっと不安になる情報も多いのですが、雲海に映る影富士や、ご来光、ずっと真下に見える夜景、天の川などなど、もしかしたら素敵なプレゼントがあるかもしれません。私もここのところのウォーキング効果なのか、体が軽くなっている気がするし、焦らずゆっくりと(ゆっくりしか歩けないという話も)登ってこようと思っています。そして、登り切ることができたなら、頂上にあるという郵便局でたくさん富士登山の辛かった(!)思い出を話してくれたママさん(はじめての登山が富士山で、帰ってきた翌日にハワイに行ったというのだからすごい)や、ウォーキングに付き合ってくれた?友人などに葉書を出したいと思います^^
2006.07.11
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以下は、昨日、夢のように通り過ぎてしまいそうな感覚だったので、ウォーキングから帰ってきてからノートに書き留めておいたものです。 ********歩きはじめて少し経ったころ、自分が主体のような、自分がここにある、という感じがしたらすぐに富士山に登っている自分が感じている感覚と同化していました。気合いが入っていたり、頑張らなくちゃというものでなくこの今の自分が感じている感覚と重なっていました。うん、悪くない自分がここにいる。手足は勝手にどんどん動いていく。でも自分はここにいる。支離滅裂。(ですね)山に入ると、いつも最初はお邪魔させていただく・・・そんな感じがします。木々が目に入り、色んなものを見て、においを嗅いで、音を聞いて、いろんなことを感じます。でもそのうち、歩いているうちにお邪魔させていただいている自分がどんどん主体になってきて、山の中にいる自分、というより私のまわりに木々がある、そのうち自分とまわりのものとの境目がなくなってくるような感じがします。でも自分がここにいるということはちゃんと分かっていて・・・ それとも似たような感じです。今朝も歩きはじめは、土手がアカツメクサでいっぱいになっているなぁ、とかいろんな虫の声がするなぁ、なんて思いながら歩いていたけれど、ふと自分が主人公になっていました。内側の密度がひろがっていって、まわりの存在が少し薄らいで、そのうち混ざり合っていくような。胸に耳をあてたときに聞こえてきた、夫や娘や息子の心臓の音、それを聞いたとき、「生きているんだなぁ」「繊細で壊れてしまいそう」生きているということを感じたときの感覚と似ているかもしれません。 今日、目に留まった「水源のない川はない」という言葉が脈絡もなく浮かんできて、その感覚と勝手に結びつきました。 最近ときどき感じる感覚・・・体の表面を覆っている薄い層が、あたたかくて、さらさらしているのです。それで、体の中にスペースがあって、何か活発な動きがあるような。歩いていると自分が熱源のようになるのも、歩く→血の巡りがよくなる→体がぽかぽかする→気持ちがよい→体にもよい・・・などと思っていたけれど、体の反応とか、働きについても仕組みは分かっていたけれど熱を生みだしている自分、ここにいる自分を感じたのです。途中雨が降り出して、でも冷たいとも気持ちがよいとも何も感じなかったから、熱を生みだし、体が動き、ここにいる自分をよけいに内部から感じたのかもしれません。******だいぶ、支離滅裂な文章になってしまいました。でもなんだか、分かったようで分かっていなかったようなことが、分かった感覚がしたのです。そして、昨日もそのあとはいろいろな用をこなして、普段通りの生活に戻っているのですよねぇ。
2006.07.10
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今朝、ダイニングの椅子を見て驚きました。 布地を張り替えたばかりの時のように蘇っている! 汚れがなくなったばかりでなく、全体的にふわっとした感じです。 なぜ、今まで使わなかったんだろうと悔やまれました。 薄めた洗剤液の中に雑巾を入れて、ごしごしごしごし拭いていたときには、こんなにきれいにならず 水を多めにしたときには逆に奥のほうからなのか汚れが浮き出してきてしまう始末。 先日EM菌について調べ直して、お掃除に目がいきました。 汚れたカーテンの丸洗いとして、薄めたEM活性液をスプレーでまんべんなくふりかけて・・・おくだけというのを見て、 ダイニングチェアの布地に昨日たっぷりスプレーして、 一応雑巾でごしごしして置いたのです。 昨日のうちは濡れていたのでよく分かりませんでしたが、 今朝乾いているのをみたら、ほんとに素晴らしい落ちよう! 今まで、ほとんどが生ゴミの処理用でした。 そして配水管の匂い消しや、植物にあげるとか・・・。 こんなところでこんなに威力を発揮してくれるものだったとは・・・。 じゅうたんでも活用してみたいと思います。 ****** 朝起きて、リビングにくるとなんだか部屋の中がサラサラした感じがしました。 昨日、気になっていたところのお掃除+あちこちの拭き掃除や洗い掃除・・・カーテンの丸洗い、 ベランダでの植え替え作業などをして 家の中の空気がワントーン澄んだ感じです♪
2006.07.08
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環境問題をライフワークに取り組んできた、アメリカ元副大統領ゴア氏の地球温暖化対策の活動を追った ドキュメンタリー映画 『Inconvenient Truth』(不都合な真実)がアメリカで公開されているというのを知りました。 見終わった後に、誰もが地球の将来を心配せずにはいられない内容になっているそうです。 日本でも公開されれば、ぜひ見てみたい。 そしてこの映画について、検索していたときに目に留まったのは、 「アメリカの各都市は京都議定書に批准している。アメリカは連邦政府が京都議定書に反対しているのであって、各都市のレベルでは賛同している」という文章。 政府は京都議定書の締結を見送っているけれど、都市レベルでは賛同しているのですね。 「もし、ゴアが2000年の選挙で大統領になっていたら、2006年の世界はどうなっていたか?」と 映画の後に誰もが考えてしまうというし、 興行成績で8位になっているというのも、アメリカ国民の意識の表れなのでしょうか。 映画の最後のシーンで、ゴア氏は我々は今の現状を変えることができるのだと語っていたそうです。 力強い言葉ですね。
2006.07.06
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昨日はなんだか後味が悪いような気分で眠りにつきました。娘をたくさん怒ってしまったから。娘には親から見てもすごいなぁと思う部分はいっぱいあります。できれば、そういうところばかり見ていたい。でも・・・なぜ、ほかのところにはすごい集中力と吸収力を発揮するのに、私の言うことは素通りなの? 私もずぼらというか、気がついたときに注意するといった感じできたので、それは反省なのだけど。昨日はまず、またしても鍵をもって出掛けなかったこと。「忘れていくと、家に入れないかもよ 」と何度も言ってきて、先日もお友達のおうちにお邪魔していたので、注意したばかり。昨日は娘も知っていたはずの懇談会が入っていて、待ちぼうけになったらしい。今後気をつける絶好のチャンス、と思っていたのだけど、鍵を取りに来て、先に帰った娘はやっぱり鞄にしまわずに、テーブルの上にちゃらんと置いてありました。もう!それと学校でハンカチとちり紙調べをしているのは知っていたけど、忘れ物はしないようにいつも自分で気をつけている娘だから、あんまり気にしていませんでした。「いつも忘れてくる人がまだ6~7人います」という先生の言葉が気になって、家に帰って聞いたら、娘、「うん、持って行ってなかった。」 と。ショック。で、すごく怒ってしまったのだけど、私が怒ったもとの部分が「毎週忘れて、どうしてあの子が気にしなかったんだろう」という気持ちと、「恥ずかしい」という気持ち。本来のハンカチを持っていく意味、よりもたぶん恥ずかしいという気持ちから怒っていた自分が内心恥ずかしかった。そして確かに娘のハンカチの洗濯回数は少なかった!←反省。それと、最近気になっていたのは娘の朝の様子。学校から帰ってくるときは元気溌剌になっているんだけど、朝はすごく辛そう。そう、ちゃっと早い時間に眠ってしまう息子と違い、娘は眠る時間が遅い。ドラマを見たり、早い時間には眠れないといつまでも起きているから。で、その分朝はすっきりと起きられず、機嫌も悪い。・・・・そのあたりにはかなり私自身フラストレーションがたまっていたのでしょう。それがあんな怒りかたになってしまった。娘の情報収集力はすごいけれど、なんだかテレビの悪影響もでている様子だし、最近増えたそのテレビの時間を減らそうと、注意をしてきたけど、それも生ぬるかった。私も一緒になって見ていたドラマもあったし。昨日はいろいろが重なって、娘にとってとってもこたえるだろう、「一ヶ月、夜のテレビなし」宣言をしました。こういうふうに、私がすごく怒ったときは申し訳なさそうに、黙って聞いている娘。 そして怒ったものの自分にも責めてばかりいられないところがあったので、私自身、後味の悪さが残ったんでしょうね。けれど、この機会にテレビを見ない有意義な時間を娘と使いたい。いろんな面を考えて、いま娘には違う時間の過ごし方をしてもいいんじゃないか、きっといい!そうだ、お喋りするのもその一つ。もともと私と娘は母娘のお喋りが好きなのです。もやもやしていたけれど、書いているうちに気持ちがとてもすっきりしてきました!
2006.07.06
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昨日、リンクさせていただいている桜木健二さんから「心にジーンときたこと・感動したこと・感謝したいこと」というテーマで日記を書いていただけませんか、というお誘いをいただきました。以下は桜木さんの日記からの転載になります。 ********毎日のように、殺伐とした事件の報道があります。幼い命が失われる事件には、正直、心が痛みます。好景気の裏では、自ら命を絶つ人も年間3万人をこえると言う話も聞きます。今の世の中が、良い方向に進んでいるのか?未来は希望に満たされているのか?疑問は、残ります。私は、自分自身の経営が苦しい時、恩師や先輩、家族、そして、多くの友人に支えられ、乗り越える事が出来ました。それは、自分ひとりの力ではなく、自分の周囲からの暖かい励ましや応援の言葉のお陰だと思っております。今回、私は、「心にジーンときたこと・感動したこと・感謝したいこと」と言う「テーマ」を投稿しました。(ブログを書かれる場合は、↑をクリックしてください。)紹介文には「日々の生活の中、心に響いたこと・感動したこと・感謝したいこと、お互いの心が温かくなるお話を書いてみませんか?」と書かせていただきました。このテーマの中の書き込み(文章)を読むと、なぜか心が温かくなるような、心がほっとして、ほのぼのとするような、もう一度、頑張ろうと言う勇気がわいてくるような、そんな文章が、このテーマの中に、いっぱいになったら、素敵ではないか。と思ったのです。現在、自分自身のつたない文章の中から、自ら、レスの多かったものなどを選び、108個までは、文章を書きました。しかし、私一人では、限界があります。どうか、心ある皆様、今までの人生の中で、良かったなぁと思った出来事。嬉しかったこと。ありがたかったこと、などありましたら、このテーマで書いてみてはいただけないでしょうか?そして、少しでも多くの方と、感動を分かち合いませんか?それが、出来れば嬉しいと感じます! ********「心にジーンときたこと・・・」というテーマを見たときに、まず最近の日記で書いた娘からのプレゼントのことが頭に浮かんだので、私はその時書いた日記のテーマを変更しました。そして私もこういうテーマでたくさんの日記が書けるような過ごし方をしたいなぁ~と思いました。桜木さんは沢山!書かれているのですね。心がジーンとする、感動する、感謝する・・・それは受け入れる素直な心があって、自分以外のものに対する愛情があってこそ、なのかなぁと思います。そして自分も相手も認められるから生まれてくるものなのかなぁと思います。人間だから怒ったり落ち込んだり・・・いろいろなときがありますよね。(←自分に言っているかな?)でもそれをすぐに修正できるくらい感動したり、感謝したりというのはすごいエネルギーをもった感情だと思います。きっと、そうなりたい、沢山そう感じることができたら素晴らしい!という想いがあったらその通りになっていくかもしれません。だって「こうなりたい、こうしたい」という強い想いは現実になるといいますし、自分の一番強い観念が現実を創るともいいます。そうして、自分の心がぐっと高まったとき、ハッピーになったとき、それはまわりに伝染していくのかな。きっと伝染していくのだと思います。家族で考えたって、私がハッピーなときはいつの間にか家族の雰囲気がよくなっている気がするし、それは家族がすごく楽しそうに生き生きしているときもそう。そういう友人と接したときも、思わずこちらまで元気になってしまう。この感染力はきっと強い。そういう人が増えたらその相乗効果は大きいでしょうね。となると、やはり自分からですね。
2006.07.05
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